https://tanemura1956.blogspot.jp/2015/08/blog-post.html あの手この手を使って、数字を出せる幹部ほど評価され、出世するのです。
お金を集める能力と、宗教者としての人格見識は、通常は一致しません。
宗教的な見識や人格が乏しくても、お金をきちんと集める人が教祖によって評価されるのです。
どういう人が評価され、残っているか、出世しているかを見ると、教祖の本音が見えてくるのです。
「職員はダメだが教祖は素晴らしいはずだ」というのは、だから間違いです。
そういう職員を評価して、育ててきたのは、教祖だからです。
https://ameblo.jp/01000440ktndy/entry-12331247154.html 初期の会員は、教祖が多くを与えてくれていて、自分たちの持ち出しは比較的少ないと感じてきました。
だから、教祖の善意を信じていたのです。
しかし、いまは信者数に対して、集金の目標額が大きすぎるため、深堀りし過ぎています。その為に拡大が止まり、縮小傾向にあります。
教団内部では、それを危惧して路線を変更しようとする動きもかつてはあったようです。
お金を出してくれる信者数が何年間も一定しており増えていない現状を冷静に分析して、教団経営も安定してきたので、信者の負荷を減らす提案をしたことがあったのです。
前教祖夫人とある経営幹部が、そう判断して意見具申したそうです。
その結果、教祖の逆鱗に触れ、経営幹部は左遷され、元夫人はやがて世界宗教への道を阻害する勢力として糾弾され、離縁され教団から追いだされました。
こういう姿を見ている幹部は、信者がどれほど疲弊しようと、決して数字目標を下げようとはしません。
そしてあの手この手を使って、数字を出せる幹部ほど評価され、出世するのです。
お金を集める能力と、宗教者としての人格見識は、通常は一致しません。
宗教的な見識や人格が乏しくても、お金をきちんと集める人が教祖によって評価されるのです。
どういう人が評価され、残っているか、出世しているかを見ると、教祖の本音が見えてくるのです。
「職員はダメだが教祖は素晴らしいはずだ」というのは、だから間違いです。
そういう職員を評価して、育ててきたのは、教祖だからです。
職員は教祖の本音に忠実に行動しています。