1 :
名無し三等兵
2016/12/14(水) 10:50:33.14 ID:cytVyNu3
2 :
名無し三等兵
2016/12/14(水) 10:57:06.72 ID:X1+aSepE
試製2式短機関銃が有する謎の未来感
3 :
名無し三等兵
2016/12/14(水) 11:00:52.77 ID:cytVyNu3
あれのコピーが朝鮮戦争で鹵獲されたのはなんでなんだろう?
敗戦後の奉天工廠なんかに現物や図面があったとは考え辛いし
4 :
名無し三等兵
2016/12/14(水) 11:19:18.76 ID:xyl9Z/WP
幻の試製自動小銃も今や詳細に動画で見れるとは良い時代になったものだ
甲
乙
丙
5 :
名無し三等兵
2016/12/14(水) 16:59:37.10 ID:HK0tO/dT
forgotten rifle の人曰く十一年式の銃床形状はアンビ化の為だったと言っていたとどこかで聞いたのだが
6 :
名無し三等兵
2016/12/15(木) 00:04:01.76 ID:HJkXc/4f
四式車載重機関銃の試験て結果どうだったんだろうな。
こいつが火を噴く姿を見たかったぜ。
7 :
名無し三等兵
2016/12/15(木) 00:41:29.25 ID:yFOUktt3
試製四式は九七式を置き換えるだけの価値はあったのかねえ
銃身が動くMG15系統で本当にガス圧利用のZB26系統以上の精度が出せたのかも疑問だし
8 :
名無し三等兵
2016/12/15(木) 08:15:04.97 ID:bksBjx6U
ベルト給弾(ないしはそれを収めたドラム)なので車載重機関銃としては20発弾倉の九七式より向いていると思われる
9 :
名無し三等兵
2016/12/15(木) 09:46:59.36 ID:MO5SoXik
あれたけおびただしい数の中国人を虐殺しても、賠償金はゼロってんだから皇軍スゲェや!
10 :
名無し三等兵
2016/12/15(木) 11:49:30.05 ID:bksBjx6U
四式車載重機関銃の銃床の形好き
11 :
名無し三等兵
2016/12/15(木) 11:54:17.44 ID:bksBjx6U
だが四式のもとの九八式旋回機関銃は複座バネに使う高性能ピアノ線が量産出来なかったので作動はいまいちだったんだろうなぁ
日本はバネ作るのが苦手だった
12 :
名無し三等兵
2016/12/15(木) 11:56:38.33 ID:2U//e/p2
バネって言ってもいろいろある
トーションバーに関しては日本の権威が試験車両で事故死したのが痛かったが
13 :
名無し三等兵
2016/12/16(金) 01:49:09.62 ID:+0XW1Tz2
wikiによると九六式軽機はZB26を参考に生産途中から薬室にテーパーをかけて
通常の三八式実包でも安定して動作するようになったとあるけど
佐山本によれば九九式軽機の昭和14年度に作られた試作品から
"無給油連発の完璧を期すため薬室経始を改め"
とあるし
制式化から3年経った昭和14年度に
九六式軽機関銃射撃表(三八式銃実包)制定の件
という資料がアジ歴にあることから考えて日本軍がチェッコ機銃を分析して薬室を改善したのは
昭和14年年度であると考えていいのかな?
14 :
名無し三等兵
2016/12/16(金) 10:18:22.84 ID:WDR5ACv4
うん。改修が1939年に対して九六式の量産開始は1938年だから生産数の大半は調子よく動くで。
15 :
名無し三等兵
2016/12/16(金) 10:29:13.80 ID:WDR5ACv4
一木支隊ですら十一年式軽機関銃と九六式軽機関銃との混成だった様に、日本軍は軽機関銃がそもそも足りてない上にその軽機関銃も三分の一は十一年式だったりする
九六式は薬室変えて通常実包使えたが、1941年まで生産継続された十一年式は最後まで減装実包で、頼みの十一年式が九六式/九九式の登場でここにきて足を引っ張ったと言える
16 :
名無し三等兵
2016/12/16(金) 12:33:07.62 ID:AB34YVQh
十一年式の減装弾問題は
最後まで減装弾だよ!
三〇式実包から三八式実包にしたら直ったから減装弾なしだよ!
後期型は薬室や遊底を改良したから減装弾要らないよ!
正しい整備手順が出来たから通常の実包でも問題無いよ!
とイロイロあってどれが正しいのかわからない…
そもそも減装弾っていつ頃から使われたんだ?
17 :
名無し三等兵
2016/12/16(金) 12:51:34.70 ID:Ww/e3byw
>>15 充足率的に足りてないのは事実だけど日本軍の軽機関銃の定数って小隊あたりなら世界的にもかなり多い方ではないか?
18 :
名無し三等兵
2016/12/16(金) 12:59:15.35 ID:nE2mR6JH
残念ながら対峙したアメリカには定数以上に部隊に機関銃が溢れてた訳でな(絶望)
19 :
名無し三等兵
2016/12/16(金) 13:21:30.95 ID:nE2mR6JH
>>13 >>16 九六式の初期型まで減装弾使ってたのは薬室経始は関係ないよ
あれは燃焼速度が遅い火薬のせいで機関部に煤がたまって作動不良を起こしてたから減装弾使ってたんであって
1938年に焼速速度の速い実包が供給されたことで十一年式と共に解決したらしい
http://www.japaneseweapons.com/kikanjyu/ex02/index.htm 薬室経始は弾薬の塗油なしに連射でも良好に動作させるため
十一年式は弾薬に塗油することが大前提だから装薬が改良されれば
整備がきちんとされて給弾装置から砂が侵入しなければちゃんと動くんじゃない?
実際YouTubeで好事家が上げてる動画では三八式実包と同等品を装填して快調に動作してるわけだし
20 :
名無し三等兵
2016/12/16(金) 13:40:34.54 ID:WDR5ACv4
>>19 十一年式も減装弾やめてたのか失礼した。
でも現存する十一年式はピンキリだった印象だね
az gunの動画のは非常に快調だった。酷いのだとボロクソな作動だよ
75年前の骨董品であるからそこらへんは手入れの差が大きいのもあるだろうけど。
21 :
名無し三等兵
2016/12/16(金) 15:56:44.81 ID:WDR5ACv4
>>17 列強と比べると定数ではむしろ擲弾筒分隊の分だけ減っている
例えば小隊ではドイツは軽機運用のMG34/42を一個分隊に一丁だが
日本は全ての分隊に軽機関銃があるわけではなく、4個の分隊のうち3個しか軽機関銃を持っていないので、少ないという事はあっても多いという事はない。
22 :
名無し三等兵
2016/12/16(金) 16:04:49.09 ID:WDR5ACv4
小隊の機関銃の定数比べなら日本軍は占領前のノルウェー軍にも劣るよ
ノルウェー軍は6.5mmマドセンだけどね
その分擲弾筒が充実していた
23 :
名無し三等兵
2016/12/16(金) 18:43:57.41 ID:5ZgZUTfV
国会図書館アーカイブで三八式歩兵銃と十一年式軽機の射撃表は見つけたけど
そのほかの小銃や機関銃の射撃表ってネットに転がってないんだろうか?
24 :
名無し三等兵
2016/12/16(金) 18:57:08.84 ID:Ww/e3byw
>>21 日本軍の場合、大戦中に分隊あたり2丁に定数を増やしてなかった?
沖縄戦あたりだと軽機関銃2丁分隊に擲弾筒分隊を組み合わせた歩兵小隊が遊撃戦を展開した場合、遭遇戦では歩兵小隊に火力で優勢だったという話を聞いたような
25 :
名無し三等兵
2016/12/16(金) 19:05:27.22 ID:q4jPNf2o
>>24 分隊に二丁の軽機関銃は明らかに定数じゃないんじゃないか?
沖縄戦の第32軍は軽機関銃が充実していたのは事実だが。
分隊に二丁に増やしたのは米軍のBARの方だったけど。まあBARは自動小銃なわけで、すぐ過熱するし銃身交換は出来んわ放熱対策すらしてない20発弾倉だから、米軍の分隊とかは遭遇戦では九九式軽機関銃+九九式小銃×11の日本軍分隊に撃ち負けたんだろうね
26 :
名無し三等兵
2016/12/16(金) 19:18:08.10 ID:5ZgZUTfV
沖縄はアジア・太平洋戦争でも例外中の例外と言って良いほど日本陸軍の装備が良かった戦いだからなあ
>沖縄駐屯の日本軍の兵器は、歩兵戦力に比べて、砲兵や、迫撃砲、高射砲、機関銃が多いのが特徴だった
>機関砲、機関銃や迫撃砲などは普通の部隊としても多すぎるほど余分に持っていた。
>これはおそらく、当初フィリピンその他の戦線向け輸送が予定されていたのが、
>輸送船の不足や戦線の方向が変化したため、よそに積み出すことができず、自然に蓄積されたものだろう。
中略
>第三十二軍の主力兵器は機関銃であった。数も驚くほど多く、弾薬も実に豊富だった。
>部隊は全部で重機333挺、軽機1208挺を保有し、
>(中略)第六十二師団だけでも第三十二軍の機関銃のほとんど半分を保有し最も強力な部隊であった。
米国陸軍省編「沖縄」より
だつおさんぽかったらスマソ
27 :
名無し三等兵
2016/12/16(金) 19:22:14.84 ID:7biXnjZQ
>>25 定数かと思っていたわ
調べてみないといかんね
28 :
名無し三等兵
2016/12/16(金) 19:29:17.49 ID:iKxoDOD2
一応言っておくと分隊単位で細かく編制が規定されていた米軍と違って
日本軍では平時には小隊や分隊が編制されてなくて戦闘時に中隊長の裁量で小隊や分隊を編成してたから
沖縄みたいに機関銃が余りまくってる場合や中国戦線みたいに大量に鹵獲軽機がある状況だと
軽機が2挺ある分隊が編成されることはありえると思う
ただし、分隊で持てる弾薬の数は限られるから1挺あたりの継戦能力が当然低下するし
13名の歩兵分隊で6名機関銃の運用に取られる訳だから白兵戦要員の小銃兵は不足する訳だけど
29 :
名無し三等兵
2016/12/16(金) 19:58:52.04 ID:q4jPNf2o
>>28 まあ一応軽機班の残り2名も小銃持つし。
小銃射撃に完全に専念できるわけじゃないけど、しかし白兵戦には駆り出される。
30 :
名無し三等兵
2016/12/16(金) 20:19:22.28 ID:q4jPNf2o
ところでチ式は二万丁鹵獲したとどこかのサイトで見たんだが、マジだとしたら中国戦線の日本軍は十一年式とチ式の混成だな
航空機用の7.92mmの実包を陸戦部隊に配っただけの事はある
31 :
名無し三等兵
2016/12/16(金) 22:39:47.03 ID:Lx4Mbywf
20000挺だと1個師団の定数が243挺だから
ざっと82個師団分、ソースは知らんがさすがに中国もこんなに作ってないと思う
32 :
名無し三等兵
2016/12/16(金) 23:26:50.23 ID:q4jPNf2o
仮に独立混成旅団を5個大隊編成で独立歩兵大隊は4個中隊(まちまちで一定しない)と適当に見積もると百個ほど設立された独立混成旅団で180丁要るので師団と旅団でそんなもんだったんではなかろうか
中国は緒戦の武器大量損失で英国からブレンを18000ほど輸入したらしいし
33 :
名無し三等兵
2016/12/16(金) 23:30:41.60 ID:q4jPNf2o
>>32は軽機関銃の需要の話ね。全てを師団に回せば80個師団分で、師団と旅団の両方に回せば日本軍の需要はそんなもんだったのだろうと思う
中国の持っている数は知らんが
十一年式もあるし
一応、チ式七粍九軽機関銃として準制式採用されてるしな
34 :
名無し三等兵
2016/12/17(土) 00:12:54.05 ID:/anzmt44
ポンと18000輸出できるイギリスが羨ましいですな(血涙)
このスレ見てると兵士達に一番身近な存在であった小火器でさえわからないことがいっぱいあるんだなあと
35 :
名無し三等兵
2016/12/17(土) 00:28:34.18 ID:UbBBbnDW
36 :
名無し三等兵
2016/12/17(土) 00:35:18.21 ID:gYzrQh1K
ググると結構ZB26って太平洋戦線で連合軍に鹵獲されてるのね
そして"ZB26 pacific"でググると一番はじめに出てくるのがこの九六式軽機の弾倉を差し込んでるZB26である
37 :
名無し三等兵
2016/12/17(土) 00:48:40.10 ID:UbBBbnDW
38 :
名無し三等兵
2016/12/17(土) 00:52:08.25 ID:Cy1m5zK5
>>36 こういうのって簡単に改造できるもんなんかね
39 :
名無し三等兵
2016/12/17(土) 06:12:23.29 ID:nvuOosdQ
>>34 >ポンと18000輸出できるイギリスが羨ましいですな(血涙)
「ロシアの砲兵らは日本製の大砲が軽量で使用しやすく、射撃速度が速いと評価していた。
有坂銃は信頼性が高く、これに類似した米国製の銃の半額でロシアは買い付けることができた。」
日本の軍産品があまりに高品質であったため、ロシア側の研収員らはかなりの部分の
武器品目の受け入れ納入品の作業を日本人自身が行うよう任せた事実をパヴロフ氏は指摘している。
ロシア人の役人、閣僚は日本製武器の価値を指摘し、これなしにはロシアは戦うことは一切できないことを認めている。
http://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2014_04_20/271449284/ ―チャーチルの供与はもっと後からでしたよね。
そうそう、後からだっけ。で、1943年以降になると、私たちはこれらの戦車を断ってしまった。やたらに欠点
が多かったからね。特に、1トンに対し12〜14馬力しか出せないのは問題だった。あの当時は、トンあたり
18〜20馬力は発揮するのがよい戦車だと思われていたものだ。3つの戦車のうちでは、カナダ製のヴァレンタイン
がベストだったな。装甲は流線型だったし、長砲身の57ミリ砲を持っていたのが大きかった。それから、私たちは
1943年末にはアメリカのシャーマンに乗り換えた。キシニョウ作戦の後で、我が軍団は第9親衛機械化軍団
と名前を変えたんだ。さっきは言い忘れたが、どの軍団も4個旅団で編成されていた。私たちの軍団は3つの
機械化旅団と1つの戦車旅団を抱えていて、私はそのうちの戦車旅団にいた。一方、戦車軍団は3個戦車旅団
と1個自動車化歩兵旅団で成り立っていた。そんなわけで、私たちの旅団には1943年の末からシャーマンが配備されていた。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/loza1.html 40 :
名無し三等兵
2016/12/17(土) 06:51:49.52 ID:d6/nbQ3W
>>20 いや減装弾を事実上通常弾として小銃にも使用したって説もあるから実態は曖昧模糊としてる
歩兵操典改定で軽機関銃が分隊火器として歩兵戦力の中核となって、
だったら使用量の多い軽機に小銃の多少の威力低下呑んでも弾薬統合するのは合理的だし
それ以前なら軽機も機関銃中隊で統合運用されてたから、弾薬が違っても不便少なかったんだけど
いま流布してる30年式小銃弾の銃口初速も、いくらなんでも低すぎるだろという数字だが、もしかすると米軍テストで減装弾で計測したのでは、と思ったり思わなかったり
41 :
名無し三等兵
2016/12/17(土) 06:59:15.67 ID:nvuOosdQ
42 :
名無し三等兵
2016/12/17(土) 09:57:50.35 ID:DhVPRUc3
>>40 九七式狙撃銃は最初から減装弾だったよね。マズルフラッシュが無きに等しくどこから撃って来たか本当に分からないレベルだったらしい。
43 :
名無し三等兵
2016/12/17(土) 19:49:54.80 ID:d6/nbQ3W
>>42 97式も、それなりの数作られてる筈なのに現場で使われた話を殆ど聞かない運用的には謎銃なんだよねえ
マークスマンライフルなら、小隊に一、二丁はあってもおかしくないんだが
俺が読んだ範囲で一件だけ狙撃銃と思しき銃を受領して使用した例では、こんなモン使えるかぁ!と照準眼鏡はポイ、普通の38式歩兵銃として使われてたW
米軍が遭遇した狙撃兵も、装備していた銃の大半は普通の小銃だったんでないかな
戦記なんかでも軽機と小銃の弾別管理してるような様子はとんと見ないから、どっちかに一本化してるのは確実なんだろうけど
44 :
名無し三等兵
2016/12/17(土) 23:19:31.35 ID:DhVPRUc3
>>43 中隊の選抜兵士が担いで運用するよ。
ちなみに専用の狙撃兵としたドイツと違って日本はあくまで一兵士だから白兵突撃にも加勢する。もちろん射撃が上手いが専門の狙撃兵として育てられたわけじゃないから射撃後の頻繁な位置変更とか行わずにやられてしまったり。
45 :
名無し三等兵
2016/12/18(日) 01:33:05.89 ID:vpK2B0WZ
モデルになったフランス軍では狙撃手ってどういう運用なんだっけ?
19世紀には立派な猟兵部隊を作り上げたことはあるらしいけど
46 :
名無し三等兵
2016/12/18(日) 01:47:01.16 ID:ycVybhIT
>>43 ちなみに小銃や機関銃の照準眼鏡や速射砲の照準器は非常に精巧な作りなので速射砲などが破壊されたり遺棄する時でも必ず取り外して持ち帰る様に決められていたのでポイなんて扱いじゃないらしい。
そもそも歩兵銃がだいたい80円くらいなのに対して照準眼鏡だけでその倍の160円くらいしたらしいな
47 :
名無し三等兵
2016/12/18(日) 02:02:21.97 ID:2DHa/xPa
えーっと・・・
企業物価指数でみると1940年から現在までで円の価値は約550倍低下してるから
小銃用の小銃眼鏡で88000円
現在でもツァイスの馬鹿みたいに高い奴じゃなければそんなもんか
48 :
名無し三等兵
2016/12/18(日) 02:15:24.62 ID:w6wyQnhC
昭和十六年の慶應義塾大学授業料一年分が160円だから、あんまり単純に考えると価値観が狂うなこれ
ちなみにかけ蕎麦16銭、東大授業料120円、天丼50銭、トンカツ30銭、ラーメン15銭だそうな
49 :
名無し三等兵
2016/12/18(日) 02:22:35.13 ID:/bCVBjVg
大学授業料が飛び抜けて安いなぁ
50 :
名無し三等兵
2016/12/18(日) 02:24:43.13 ID:csQq77w4
70年前と社会構造自体が違うからな
今の日本人は当時と比べるとかなり豊かになったから
物価の変動率を除いても当時のものは安く見える
51 :
名無し三等兵
2016/12/18(日) 02:31:20.66 ID:ufVXIQg6
>>44 >射撃後の頻繁な位置変更とか行わずにやられてしまったり。
9月3日は、中国人全員が心に刻み、大いに気を吐く日である。中国人は抗日戦争のため大きな民族の犠牲を強いられ、
死亡者数が3500万人以上に達したからだ。抗日戦争の勝利は、中国人が日本帝国主義の侵略に対抗した正義の戦争、
世界の反ファシズム戦争の重要な構成部分、中国が近代で初めて外国の侵略に完全に勝利した民族解放戦争だ。
http://japanese.china.org.cn/politics/txt/2014-09/02/content_33405119.htm つまり中国の抗戦による直接人口損失の累計可能な見積もり数は2062万人で、累計可能な戦争の直接負傷障害
人口を合わせると、軍民の死傷は最低3480万人となる。同時に、中国の抗戦による直接の死傷人口は計4100万
以上になるはずで、戦時中の行方不明・捕虜などの数字を合わせると、戦争が直接中国にもたらした死亡、
負傷障害、失踪などの人口損失は4500万人を超えると考える。さらに人口損失の見地からは、抗日戦争期の
中国の人口損失総数は5000万人以上にのぼるはずである。
http://www.china-news.co.jp/node/4456 興隆県が抗日戦争に勝利をおさめたことは、そうたやすいことではありませんでした。抗日戦争の中で中国側は3500万余人、
興隆県の中でこの13年の間に5万人くらいが殺されました。全中国の死者の700分の1です。県の統計資料によると、
興隆県で最後の4年間で15400人殺されました。興隆県公安局の1954年の7つの区に対する不完全な統計によると、
人圏の中の住民が疫病、凍死などで死んだ人が11400余人いました。1941年日本軍の統計数字によると全県の人口は1
6万人くらいいました。日本軍が投降後、全県の人口は10万人くらいになっていました。6万人くらいが殺されたことになります。
http://www.jade.dti.ne.jp/~kaworu/cont/sankotou.html
52 :
名無し三等兵
2016/12/18(日) 10:23:01.23 ID:MZ5QztmK
>>50いろいろ金がかからない生活してそうだし昔の人。
給与も安そうだけど。子供なんか大体中学校までだし。
53 :
名無し三等兵
2016/12/18(日) 11:11:41.95 ID:csQq77w4
>>40 減装弾と通常弾って包み紙のGの文字以外に見分けがつかないんだっけ?
54 :
名無し三等兵
2016/12/18(日) 11:43:09.32 ID:B1432NbB
>>51 終戦直後の講和賠償用資料として
国民党政府がまとめた実名入りの詳細な被害報告は軍民死傷者680万人程度で
それは戦後七十年にもなると複利加算で5000万人にもなるのか?
被害者名簿を出してもらいましょう。
「30万人が虐殺された」と主張する南京事件の被害者名簿が2000人程度しかない
なのはなぜなんだ。
55 :
名無し三等兵
2016/12/18(日) 11:48:39.91 ID:I3sWtwWV
絶対前線部隊ではごちゃ混ぜで使われてそう
三八式歩兵銃で撃つ分にはなんも問題ないし、
軽機手もガス量不足で回転が止まっても「いつもの故障」としか思ってなかったりとか
56 :
名無し三等兵
2016/12/18(日) 12:28:39.20 ID:ycVybhIT
減装三八式実包は2400Jぐらいだっけな
実包のパウダーが見直された1938年以降、十一年式の故障の大半は廃莢不良によるものだから油塗って実包の滑りを良くして後は通常弾の遊底パワーで引き抜く方が良かったとされたのかもしれないな。千切れる可能性はむしろ大きくなるが。
57 :
名無し三等兵
2016/12/18(日) 12:55:27.60 ID:a1BYWS/K
>>47 いや戦前からの物価の上昇率は、指標にもよるけどだいたい1000倍から最大5000倍だろ
1940年だともう、支那事変下でかなり物価上昇してるけど
48の挙げてる数字でも、1000倍でもまだおっつかないものばっかだよ
まあそれでも、専任の狙撃兵の訓練受けてない兵士に急場で照準眼鏡付けた狙撃銃渡しても、使えない認定されたら躊躇なく捨てられる、と
調達価格なんざ末端の兵士にゃカンケーネーし
場所が末期ビルマだしな…
58 :
名無し三等兵
2016/12/18(日) 20:04:44.64 ID:3zWIjr6Y
>>57 >いや戦前からの物価の上昇率は、指標にもよるけどだいたい1000倍から最大5000倍だろ
工作機械 生産額(千円)
1930年 10,666
1931年 10,216
1932年 25,780
1933年 14,170
1934年 38,929
1935年 46,580
1936年 48,612
1937年 102,276
1938年 256,468
1939年 642,192
1940年 764,658
1941年 873,714
1942年 984,476
http://www.nids.mod.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j5-2_9.pdf 高橋是清の死後、支那事変が始まったこともあり、日銀の国債引き受けによる資金調達が増えていく。
さらに、太平洋戦争が勃発するに至り、日本のインフレ率は恒常的に10%を上回るようになってしまった。
とはいえ、逆に言えば国民経済が需要を全く満たせなくなってしまった敗戦直前の1945年ですら、
我が国のインフレ率は(東京小売物価指数で)47%に過ぎなかったのである。
http://www.gci-klug.jp/mitsuhashi/2012/12/04/017786.php 59 :
名無し三等兵
2016/12/18(日) 20:13:28.89 ID:6RxViLSD
末期ソ連と同じで、お金より物の方が貴重だとインフレは起きにくい。
ただし、ちゃんと闇の流通を取り締まっている前提で。
60 :
名無し三等兵
2016/12/19(月) 08:26:57.75 ID:zgVgs49u
>>59 国内では経済警察や各種の統制法の徹底で、
対戦末期でも闇市と統制価格の乖離は
4〜7倍程度に押さえられていたが(今日の目で見たらこれでも大変なことだが)
軍票運用に失敗した末期ビルマでは1600倍以上になっとるし
まあここは日本軍の軍票の中でも飛び値的に高い倍率だが
61 :
名無し三等兵
2016/12/19(月) 16:54:28.55 ID:5TUzpUVa
>>60 末期ビルマなんてどんな交換比率でも軍票でものが買えただけありがたい状態
紙屑になるの目に見えてたんだから
でも、日本敗戦後のタイのキャンプ周辺とかで、むちゃくちゃなレートだけどまだ軍票が使えたって話もあるんだよな
62 :
名無し三等兵
2016/12/19(月) 17:04:04.33 ID:iyB1uJZE
終戦後の満州なんて、旧満州国紙幣、八路軍紙幣・国府軍紙幣・ソ連軍票が入り乱れて
流通してたけど、なぜか一番信用があったのが、もう無くなってしまった旧満州国発行の
紙幣だったという。
63 :
名無し三等兵
2016/12/19(月) 20:18:47.83 ID:LkUxap0H
ソ連軍ェ…
64 :
名無し三等兵
2016/12/19(月) 22:08:14.41 ID:zgVgs49u
>>62 大戦中にも日露戦争の公債償還を継続した日本(が後ろ楯の満州国)と、帝政ロシアの負債を踏み倒したソ連の信用差かもね・・・
終戦直後の香港等では日本が軍票償還に応じるというデマが流れて日本の軍票買い占め騒動とか起きてるし
終戦後の日本においては結局、外債とは異なり実質的な内債である軍票は償還されなかったが
65 :
名無し三等兵
2016/12/19(月) 22:59:23.97 ID:mFbTIFLc
満州国は傀儡国家だったとはいえ、満人の皇帝を戴いた満人の国だったからね
満人としてはそれなりに思い入れもあったんじゃなかろうか
漢人露人嫌いも含めて
満州国紙幣は国共内戦で東北部の趨勢を決めた48年の
長春包囲戦の頃まで普通に流通してたというね
66 :
名無し三等兵
2016/12/20(火) 02:42:04.81 ID:KFZn1HM9
「私の知る限りでは、中国側は繰り返し、ロシアに対し、非公式に契約を持ち掛けてきた。
ロシアが日本に対する紛争で中国を支持するかわり、中国はクリル諸島をめぐる紛争で
ロシアの支持を取る、と。中国は、実際には、今の日本とロシア間の紛争では、日本よりの姿勢だ。
しかし、ロシアは中立を原則としているため、これを否定している」
https://jp.sputniknews.com/opinion/201608232677302/ 中露同盟は明らかにロシアが主導権を握っており、ロシアは中国の要求を拒否することができる。
ソ軍烈士記念塔
訪れた約1週間前、2010年9月26日にロシアのメドベージェフ大統領がこの場所を訪れています。
そのときに供えられた花輪が残っています。この記念塔の後に旅順陣歿露兵弔魂碑でも花を供えたようです。
上記の旅順陣歿露軍将卒之碑の写真では風で左側へ飛ばされていましたが、去るときに中央に戻しておきました。
http://www.dllocal.com/enjoy/595.html 逆に中国はロシアの要求を拒否することはできない。1945年夏のソ連参戦は中国抗日戦争への支援とも考えられるが、
1905年の日露戦争についてはそうではないはずだ。つまり外交条約というのは、締結国の力関係がそのまま反映される。
声明書 条約締結時の声明です。条約本文では有りません。
大日本帝国政府及ソヴィエト社会主義共和国連邦政府は 千九百四十一年四月十三日
大日本帝国及ソヴィエト社会主義共和国連邦間に締結せられたる中立条約の精神に基き両国間の平和及友好の関係を保障する為
大日本帝国が蒙古人民共和国の領土の保全及不可侵を尊重することを約する旨
又ソヴィエト社会主義共和国連邦が満洲帝国の領土の保全及不可侵を尊重することを約する旨 厳粛に声明す
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/HoppouShiryou/NissoChuuritsujouyaku.htm 現在の尖閣諸島と北方四島は中露で交換条件にはならないのに、戦前のモンゴルと満州は日ソで交換条件になっている。
67 :
名無し三等兵
2016/12/20(火) 07:39:14.88 ID:COfxW5lA
九二式重機の間接射撃ってどうやってたんですかね?
何挺で統制射撃したらどの距離まで効果的に弾幕射撃できるかっていうデータとかないんでしょうか?
68 :
名無し三等兵
2016/12/20(火) 07:52:09.70 ID:7CnmhEC1
アジ歴でも自分で漁れ
69 :
名無し三等兵
2016/12/20(火) 08:29:01.24 ID:9BiCTFZM
九二式重機関銃の間接照準はは2.5km先まで弾幕射撃出来るが、最小単位は砲兵と一緒で一個機関銃小隊4門(砲兵一個中隊=4門)とかだろうか
やろうと思えばそれ以下でも出来そうだけど
70 :
名無し三等兵
2016/12/22(木) 14:45:12.58 ID:qFAvdjRT
92式は日立製です。
今は隠し子扱いですが
71 :
名無し三等兵
2016/12/22(木) 17:07:11.31 ID:Wbvxy2z9
九九式軽機関銃もかなりの数が日立製
72 :
名無し三等兵
2016/12/22(木) 17:50:15.55 ID:qFAvdjRT
じゃぁミネベア=南部は何をこさえていたんだ?
73 :
名無し三等兵
2016/12/22(木) 19:03:45.60 ID:PmpMtDhT
中央工業な。
ミネベアでも南部製作所でもない。
74 :
名無し三等兵
2016/12/23(金) 00:23:09.10
村田銃から四式自動小銃
75 :
名無し三等兵
2016/12/23(金) 12:25:02.39 ID:MjvoEpJS
そういえば実包調べてたら四式普通実包のデータがちょっと有ったけど、九二式重機に使う時は九九式はプラス50mなのに四式はプラス100m伸ばす必要が有るから弱装弾になったみたいだな
自動小銃にちょうど良いのかも
76 :
名無し三等兵
2016/12/23(金) 12:29:50.95 ID:EQxzU9QM
九九式普通実包(九九式LMG)と常装の三八式実包(九六式LMG)で200Jしかエネルギーがかわらんのに
それ以上減装にしたら三八式実包より銃口エネルギーが小さくなってそう
77 :
名無し三等兵
2016/12/23(金) 17:14:18.62 ID:Phi6iyuk
500J以上違っているので三八式実包よりは強力だろうね
78 :
名無し三等兵
2016/12/23(金) 17:57:19.11 ID:bH0IFho2
九九式普通実包 3144ジュール
三八式実包 2613ジュール
結構な差があるぞい
79 :
名無し三等兵
2016/12/23(金) 22:59:13.45 ID:3BYJRLb+
>>78 初速算出時の銃身の長さが違うからもう少し差がでるぞ
九九式普通実包が銃身長657mm(二式短小銃)、三八式実包が797mmでのデータだしな
九九式小銃(銃身長797mm)の初速で計算し直すと、九九式普通実包は約3230ジュール
80 :
名無し三等兵
2016/12/24(土) 23:01:52.92 ID:32WSXBbB
>>53 実はもう一つ判別方法があってな
以下引用
○G弾であるかどうか判別するには、紙函の蓋の○G印の有無を確認するのが一番確実だが、
残念ながら現存する紙函は蓋が欠損しているものが多い
そこで紙函の裏側の以下の様な印(末期には省略されていることが多いが)を確認することによって、
○G弾かどうかを推定することが可能となる
. 銃三
. 實八
. 包式
. 15戊
三九一
150
一九七
昭16・7
この印からは以下の様な情報が読み取れる
この内装薬量が2.00g前後なら○G弾であると推定できる
弾種:三八式銃実包
装薬ロット:15年戊391号第150次
装薬量:1.97g
実包製造年月:昭和16年7月
81 :
名無し三等兵
2016/12/25(日) 20:47:08.51 ID:SaPURfbh
明治時代に陸軍がマキシム機関銃をコピーしようとしたときは全然上手く動かなかったと
聞いたのですが国産に成功した保式機関砲と比べてなにが製造上の難易度を上げてるのですか?
82 :
名無し三等兵
2016/12/26(月) 05:11:35.46 ID:1vpL3RQb
ここでの失敗は敗戦まで脚を引きずるからな…
このせいでベルト給弾化が遠のいてしまった
92式は発射速度遅く、弾切れかかったら発射速度上がるという継続射撃にやや弱点を抱えていた。ベルト給弾だったら文句無き傑作だったんだがね。
83 :
名無し三等兵
2016/12/26(月) 05:12:09.62 ID:1vpL3RQb
保弾板を連結とか見たことないし
84 :
名無し三等兵
2016/12/26(月) 10:14:32.35 ID:No0PCd7y
一般に反動利用式自動火器は相当精密に作らなければちゃんと動かない
ベルト給弾機構となるとなおさら
ガス圧作動式自動火器は比較的に雑に作っても何とかなる傾向はある
動作が渋くなったらガスの流量を上げるという手も使える
85 :
名無し三等兵
2016/12/26(月) 13:47:52.08 ID:No0PCd7y
マキシム機関銃のパーツリストには、銃全体で20個ものスプリングがある。
バネの製造は戦前日本工業の苦手とする分野だったので、これは大きな
マイナス要因だろう。対してホチキス機関銃は、半分以下の9個しかない。
86 :
名無し三等兵
2016/12/26(月) 14:43:45.35 ID:z+nXjOE1
いや明治のまだ技術の無かった頃の話と昭和とでごっちゃにしてはいかんな
まあ昭和になっても相変わらずMG15のバネのピアノ線が作れなかったりしてるが。
一応、ヴィッカース機関銃は陸軍で27500丁(八九式)、海軍で78000丁(九七式)と量産していたりする。
こうして見ると航空機関銃は陸戦用に劣らずに重点生産されていたのが分かる。これでも7.7mmだけなので大口径機銃も加わるからね。
87 :
名無し三等兵
2016/12/26(月) 19:05:47.22 ID:HLTgE2/J
あの仮に試製三式軽機関銃が採用されたら従来の軽機関銃の後継機銃として配備されるつもりだったんでしょうか?
88 :
名無し三等兵
2016/12/26(月) 19:45:09.82 ID:2kz8lvv6
>>87 一式と九二式をも更新する汎用機関銃なので分隊だけでなく中隊・大隊にも配備されるんじゃないかな?
埃っぽい中国じゃ砂を噛んでしまうので30発弾倉に変わってからじゃないと作動には不安が残るなぁ
そもそも二脚で運用するなら片方に傾く保弾板は向いていないと思う
89 :
名無し三等兵
2016/12/26(月) 20:23:13.18 ID:Qq4zLm/v
>>81 ライセンス料ケチってコピーしようとして自爆しただけ
保式はライセンス料払って正規に導入生産開始したから国産化に成功した
んでまあやっぱりライセンス料ケチって、三八式、三年式と独自改良加えていくんだがw
まあ元のホチキスも黎明期の機関銃で要改良の問題は多かったしな
製造の難易度の低いホチキス系でもライセンス社の指導が必要だったのに、
より困難なマキシム系が簡単にパクれるわけがないんだな
ショートリコイル機構は、管理されたバネのテンションや耐久性に微妙なバランスで作動する微妙な部品形状と製造上のハードル高いからね
マキシム系を導入した欧州列強も、導入当初はみな素直にライセンス買ってる
金さえ出せば、製造上の細かいノウハウまで情報を得られる、
それでも困難な部分は部品供給を仰いだり、素材メーカーまで巻き込んで指導を受けることもできる
その結果が航空用機関銃と
90 :
名無し三等兵
2016/12/26(月) 21:08:05.25 ID:32uwWT4Y
三年式は三八式の欠点を是正したもので、ライセンス生産をケチったわけでは無いぞ
ましてや海外版ウィキペディアの様にMle 1914(たまたま同年になった)をパクったものでも無い
放熱フィンの数を数えるだけの頭があれば分かるはず
91 :
名無し三等兵
2016/12/26(月) 21:46:14.38 ID:MtnuhefV
本来は汎用機関銃なら火力とかも軽機よりも高くして重機の代わりも
できるようにせねばならんのだろうけど日本の場合MG42みたいのは
受け入れられないだろうなあ。せめて99式レベルの火力の銃にベルト
給弾を取り入れればいいのだろうけどなぜかベルト給弾を嫌がるな
帝国陸軍
92 :
名無し三等兵
2016/12/26(月) 21:56:25.58 ID:DH48s2yN
軽機として使う分にはベルト給弾の優位性はあんまりないし
ミニミくらい軽量で取り回しが良いなら別だけど
93 :
名無し三等兵
2016/12/26(月) 23:48:10.96 ID:V5LA78W6
ちなみに陸軍の評価だと、「保弾板の方が普通実包・徹甲実包・焼夷実包を撃ち分ける時に
素早く転換できて優れている」のだそうだ。
あと、日本軍の重機は常時歩兵と同行前提なので、ベルト給弾だと陣地変換が遅れる。
重たい水冷なんて問題外だそうな。
逆に要塞防御用にはベルト給弾水冷の重機関銃を配備している。
94 :
名無し三等兵
2016/12/27(火) 09:07:35.22 ID:tyLxmlNY
95 :
名無し三等兵
2016/12/27(火) 09:56:07.71 ID:cAD1er5+
江戸時代の銭と明治以降の銭は違うし。
一円の100分の一の一銭と、一両の四千分の一の一文銭。
96 :
名無し三等兵
2016/12/27(火) 10:18:53.44 ID:YiAoMG5a
>>93 九八式水冷重機関銃は保弾板になっちゃったけどな。
持続射撃能力が低い。
97 :
名無し三等兵
2016/12/27(火) 17:23:24.54 ID:5/lCdmFy
>>93 機関銃中隊員一同「全備50kg以上ある92式担いで陣地転換やってみろ」
98 :
名無し三等兵
2016/12/27(火) 17:42:01.47 ID:ujkcq4Ad
よっしゃ行くぜー!
九二式って重機と軽機の中間みたいな運用するよね。
99 :
名無し三等兵
2016/12/27(火) 18:12:20.17 ID:q6rwia8A
分解して畳む必要のあるMG34+ラフェッテとは違って日本の重機関銃は安全装置かけて4人で担いですぐポンと置くだけ。一切の分解は要らないので機動性がある。
日本の重機関銃はガシガシ動く。
100 :
名無し三等兵
2016/12/27(火) 21:11:56.17 ID:DpgaoXiA
重機とは思えない火力の低さだけどな。
101 :
名無し三等兵
2016/12/27(火) 21:35:50.14 ID:XQYcem3p
そういえば九二式の火力は低いって言うのはなんとなくわかるけど、具体的にはどう低いかはよくわからないんだよね
MG42と比べると九二式の方が精度が高く遠くの敵でも制圧射撃が出来て射撃時間も長い
だけど、じゃあMG42より火力が有るのか?と言われると無いよなーと思う。
自分の火力のイメージが投射量なのかも知れない
102 :
名無し三等兵
2016/12/27(火) 21:40:33.11 ID:Noz/KmFs
MG42は三脚に載せれば非常に良い命中精度。
軽機関銃としては弾薬消費多くて反動過大であまり向いているものではないが、三脚に乗せて重機関銃として使う分には非常に優れた機関銃ではある。
103 :
名無し三等兵
2016/12/27(火) 21:42:40.82 ID:s7Mv1KxD
MG42はわざと弾を散らしてるから弾の散布界でいえば三脚載せても九二式の方がいい
104 :
名無し三等兵
2016/12/27(火) 21:44:11.26 ID:Noz/KmFs
九二式重機関銃の火力に関しては全然低くない
機関銃の火力ってのは発射速度ではなく持続射撃性能。
つまり火力に関して言えば重量を無視すれば最強はM1917とかの水冷ベルト給弾式。
105 :
名無し三等兵
2016/12/27(火) 22:53:56.15 ID:DpgaoXiA
>>104 92式の発射速度が毎分50発程度ならベルト糾弾の機関銃と
同等の持続射撃能力なんだろう。
106 :
名無し三等兵
2016/12/28(水) 02:01:19.59 ID:cK2+ynaH
持続射撃性能がどんなもんか調べてみたら、実戦的な持続射撃である戦闘射撃は大体みんな200〜300発/分で驚いた
M1919もMG42も我らが九二式もついでにM60も大体一緒だった
水冷ビッカースはメーカー試験とソンムで1万発/時撃てるそうだけど、単純計算で約167発/分だし水冷だから空冷よりバリバリ撃てるという訳では無いみたい(銃身交換は命数までしなくていいみたいだけど)
107 :
名無し三等兵
2016/12/28(水) 04:34:02.05 ID:3ss/RDhq
そもそも九二式は200発/分撃つ様な事めったにないしね。
狙いつけての点射が基本。60発/分(保弾板二枚分)くらいの運用が多かったようだ。
108 :
名無し三等兵
2016/12/28(水) 11:14:34.79 ID:6uub8ErK
すぐ変形して取扱注意だったので古くさくてクソだと言われる保弾板だが、他の方式でも欠点はあった。
当時は金属ベルト給弾なんてものはドイツなど一部がやっていたに過ぎなく、ポロポロと弾薬が落ちる布製ベルト給弾が大半。弾帯が反動で暴れて金属製よりも射撃止まりやすかった。
箱型弾倉はスプリングのテンションが強すぎてつまる事を防ぐ為に1〜2発減らして装填しなければならなかったし、ブレン機関銃でさえ唯一の弱点とも言えるリムが弾倉に引っかかって射撃故障を度々起こした(特に中でリム同士が噛むと絶対に作動しない)りなど、問題があった
109 :
名無し三等兵
2016/12/28(水) 11:29:34.57 ID:thd3HleR
日本の場合もし存続できても70年代ころまで99式の改良型や
弾薬変更をしたもの使ってそうだ。
110 :
名無し三等兵
2016/12/28(水) 11:42:11.59 ID:ytWJi7KK
弾倉から1発か2発抜くのは
この頃の弾倉のバネは先進国でもへなちょこであることが多くて
全部込めるとバネが負けて正常に給弾できなくなるからだよ
軽機が弾倉が上である理由は弾薬手が迅速に弾倉を交換出来ることが大きな理由だけど
重力の助けを借りることで弾倉バネの質が悪くても給弾し易くするっていうのがある
111 :
名無し三等兵
2016/12/28(水) 13:20:28.09 ID:B6VvFuhF
スレチ気味になるが、「ウルトラQ」の再放送(22話)で
陸自が使っていたのは99式軽機で合ってる?
(多分、戦争映画の小道具の使い回しだと思う)
112 :
名無し三等兵
2016/12/28(水) 18:55:07.22 ID:QR6u0PEi
ベトナム辺りまでは装弾数1〜2発引いてたって聞いたな
113 :
名無し三等兵
2016/12/28(水) 20:21:02.41 ID:hGMVm+cI
尚伝説の名銃のL85は80年代の銃なのに初期型弾倉は2発抜かないとまともに作動しなかった模様