石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
2017年9月10日(日)18:00〜19:00 放送内容 DJ:小林克也
BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
@YouTube
□ビートルズカレンダー(9月10日)
・1968年、「ホワイトアルバム」
ビートルズの「ホワイトアルバム」は正式には「The BEATLES」と呼ばれていて。
でも、このアルバムはですね、プロデューサーのジョージ・マーティンは何もしていない。
メンバー4人、もうそれぞれバラバラのプロジェクトの寄せ集めに過ぎない。
つまり、「ビートルズのアルバムじゃない」酷評もされましたけども。
その反対の「最高の評価」てのもあるわけですよね。
で、今から49年前の今日。
ジョージ・マーティンは、やっぱり休んでてw 休暇で欠席。
代わりにクリス・トーマス()
アシスタントだったクリストーマスがプロデューサーを努めてて
スタジオ行ったらクリストーマスが
「今日、僕がプロデュースやりますから、よろしく」
ポール・マッカートニーが
「お前がプロデュース? なんだ、もうお前
ちゃんとやらなきゃ、お前、スタジオから放っぽり出すからな」
なんて、キツイ言葉を浴びせたりしたそうですけども。
さあ、今日は、49年前の今日は何をやったかというと。
いちおう没になっていた「Helter Skelter」という曲なんですけども。
これを、9月9日、昨日からやり直して。
49年前の今日、完成した。
オーバーダブをやって、ミキシングも完成した、という日なんです。
あの「Helter Skelter」
にぎやかな、メチャクチャのw で、この曲はですね。
シャロン・テート事件てのを、古い方は知ってるかもわかんないです。
シャロンテートというすごい人気の女優が 惨殺されるんです。
その惨殺したのは、チャールズ・マンソンが率いるカルト教団。
そこが襲って、有名な映画監督のロマンスキーの奥さんだったシャロンテート、惨殺される。
で「おまえどうして そんなことをやったんだ?」って訊かれた時に.
「ビートルズの Helter Skelter を聴いて触発されて、その犯行に及んだ」っていう話しも付いています。
なおこの「Helter Skelter」ていうのは。
昔の遊園地なんかによくあった螺旋形のね、グルグル回って降りるすべり台のことなんですよ。
これはもう、ちょっと危険だっていうことで、今では姿を見ることは無いと思いますけども。
「Helter Skelter」もう「ハッチャメチャ」という意味もあるそうです。
じゃ、改めていくよ、ビートルズ「Helter Skelter」
〜 The Beatles / Helter Skelter
@YouTube
(小林)ということですかね。
Helter Skelter という。
もう、ポールが作って。
これはやっぱり、ハードロックの波が押し寄せて来てるわけですよね。
それをちょっと、なんての、「遊んだ」っていう。
だから、それが証拠に あれですよね。
ポール、歌いはじめ、ちょっと歌の中で笑ってw 笑いながら歌ってるっていうw。
感じがあるもんね。
ちなみにね、記録によると。
この日スタジオに、フランシー・シュワルツという、誰だ? ていう。
これ調べると、ポールが許嫁(いいなずけ)がいるにもかかわらず。
違う女の人が・・・見ていた、というw 記録が残っておりますw。 やはりそうでしたか。>>1は番組関係者の方?
私も最初は誘導されましたよ。
しかし番組の構成演出、台本(はないのかもしれないが)、高齢の小林克也さんの明らかな勘違い間違いをそのままオンエアーする感性。
そしてスポンサー、「石○食品」のCMのどうしようもない暗さ。(CMディレクターは『スネークマン・ショー』を聴いたことがないのだろうな)
何より番組全体からビートルズへのリスペクトが少しも伝わってこない。
で、聴くのやめました。
ビートルズに様々な思い入れのある人ほどこの番組には違和感を感じると思います。
あ!しまった、結局この番組の宣伝をしただけか…、
でも、このネットの時代に、ラジオで今更ビートルズ・ストーリーを聴かされてもねえ…。 ジョン・キロックノンさん
DAT落ちしてしまうので、リクエストコーナーは省略でいいんじゃないでしょうか?
□ストーリー
・「ジョンとヨーコが、ジュリアンとキョーコというそれぞれの子供を連れて車で出かけ。
スコットランドで事故を起こしたのですが。
やっとの思いでたどり着いた病院には、もう誰も残っていませんでした。
病院の職員の話しによると、ジュリアンは『おばさんを名乗る女性が引き取って帰った』とのこと。
『おばさんっていったい誰だろう?』と思いを巡らせた結果。
スコットランドに住んでいるジョンの親戚であるメイタ―叔母さんを思い出したんです。
ラッキーなことに 予測は見事的中したんです」
これは貴重なアーカイブを遺(のこ)してくれたシンシア・レノンの発言。
彼女の手記の中から。
ジュリアンを連れてハイランドにある小さな別荘に滞在するメイタ―の話しでは。
ジョンはヨーコと子供たちを、エディンバラにいるメイタ―の親戚に会わせることを急に思い立って
スコットランドまでやって来たという。
気さくなメイターは、同行してきたヨーコが、いかに変わった人物であるか詳しく説明してくれた。
どうも彼女は、ヨーコの印象が良くなかったらしい。
ヨーコはメイタ―がみんなにご馳走しようとオーブンに入れておいたせっかくの肉料理を断わって。
自らキッチンに立ち、自分とジョンの夕食にと、モヤシを蒸し始めたというのだ。
メイタ―叔母さん曰く
「あの人は、まるで魔女みたいねえ。
長いバサバサの黒髪で、沸騰する大釜に覆いかぶさるその景色といったら、
もう魔女以外の何者でもないわねえ」
そんなヨーコに、メイタ―はあまり感心しないといった様子で。
ジョンの変わり様を心配していた。
彼女は 実際にジョンに「人生を棒に振るつもりなの?」と詰め寄ったが。
ジョンは「ジュリアンをシンシアから奪い返すつもりだ」と語ったという。
それにはメイタ―叔母さんもびっくりして、開いた口が塞がらなかったのである。
〜 John Lennon / Beautiful Boy
@YouTube
〜 The Beatles / Good Night
@YouTube
(小林)2曲続きました。
Beautiful Boy(Darling Boy)
これは、ジョンの遺作になりました「ダブルファンタジー(Double Fantasy)」のアルバムに入っています。
1980年です。
そして今聴いた曲は
「ホワイトアルバム(The BEATLES)」に入っています。
何もないリンゴのために ジョン・レノンが作った。
Good Night という曲ですが。
これはもう ストリングスがすっごいシャレていて豪華で。
ほんと、普通のリンゴが歌ったら、つまんない曲になったかもわかんないですw
すごい大傑作に仕上がっています。 □ストーリー(続き)
・「ジョンはジュリアンを連れて、ここを訪れ。
はっきりとこう言いました。
『ジュリアンはいずれ、シンシアから奪い返すつもりだ』って。
私はビックリして言い返しました。
『子供を母親から引き離すていうことは、どういうことか。
あなた、分かって言ってるの?
私は大反対だわ。そんなバカな考えはもう忘れてしまいなさい』とね」
この強い言葉の主は、ジョンの育ての親であるミミ伯母さんの妹でスコットランドに住むメイター叔母さん。
ミミ伯母さんと違って、血の繋がっていないシンシアにも良くしてくれている頼れる人物である。
さて「ビートルズから始まる」シンシアの遺した手記から。
メイタ―叔母さんに叱られたまま。
ジョンはヨーコとジュリアン、そしてヨーコの娘キョーコを連れて車に乗り込み。
さっさと立ち去ってしまった。
ジョンが運転する車が、道の脇の水路に落ちたのは、その後すぐのこと。
シンシアはメイタ―が自分の味方になって、以前から言いたかったことを明確に代弁してくれたことを心から有難いと思った。
そして、喧嘩別れだったというのに、事故の後、メイタ―がジュリアンを引き取ってくれたことも、本当にうれしかった。
そんなメイタ―の親切な好意とは真逆に。
ジョンの無礼で誠意のまったく感じられない態度には、本当に腹が立って仕方がなかった。
ジュリアンとシンシアは翌日の飛行機でロンドンに帰って来た。
シンシアはまだ ジョンのやり方に腹を立てていた。
しかし、この先ジョンの態度が変わるわけがないことも容易に予測できたので。
半ばあきらめの心境でもあった。
シンシアは、もうジュリアンを、ジョンの元には行かせないようにしよう、とも考えたくらいである。
しかし、すでに薄れかかっている父と息子の関係を絶ち切ってしまうことは、シンシアには出来なかった。
結果、この後もジュリアンは数週間ごとに、ジョンとヨーコの家を訪ねることは続いたのであった。
〜 The Beatles / All Together Now
@YouTube
〜 The Beatles / Get Back
@YouTube
(小林)2曲続きました。
All Together Now
これは「イエローサブマリン(Yellow Submarine)」に入っていた。
やっぱり あの「イエローサブマリン」の雰囲気が残ってますね。
All Together Now
そして Get Back は お馴染みです。
リードギターはジョン・レノンね。
そして、キーボードでビリー・プレストン(Billy Preston)が入っていました。
このビリー・プレストンは、後にソロになってね。
「Nothing From Nothing」とか ナンバーワンソングを出していくんですけども。
この「Get Back」は、彼は自分のライブでよく奏った。
しかし、そのライブでは アレンジして他の演奏にすると。
「あのビートルズと同じようにして奏ってくれない」と。
「奏ってくれない」ということで、ブーイングがよく来たそうであります。 □ストーリー(続き)
・「ジョンが一人息子であるジュリアンに対して、あまり愛情を注げなくなってしまった頃。
ジュリアンは私の新しいパートナーであるロベルトからの愛情を一身に受けて、大きくなっていきました」
こう話すのはシンシア・レノン。
彼女が遺した手記の中から。
シンシアがロベルトと呼んでいる男性は、以前シンシアがジュリアンとイタリア旅行に行った際に
とても良くしてくれたホテルの経営者ファミリーの息子であった人物=ロベルト・バッサニーニである。
ロベルトには、ジュリアンもものすごく懐いていて。
一緒にいても、なんの不満もないどころか、まるでパパにするように甘えていた。
自分のそばに、毎日自分と同性、つまり大人の男性がいることが嬉しくて仕方がなかった。
本当の父親であるジョンは、ミュージシャンとしてツアーに出ていることが多かったので。
パパがいないことは、ジュリアンにとって辛く寂しいことだったのである。
ジュリアンはロベルトの事を、自分に関心を持ってくれて 密接な関わりを持ち。
毎朝学校に送ってくれて、宿題も手伝ってくれて、公園でサッカーまでしてくれる。
そんな大切な人物と認識していた。
シンシアもロベルトと一緒にいることを、とても幸せに感じていた。
一方で シンシアの周りには、暗い雲が立ち込めつつあった。
問題は、お金の事情。
シンシアとジュリアンが受けていた離婚分与からの金額では、この生活を維持することは出来なかったのである。
別の収入源が必要となっていたのであるが。
そうかといって、ロベルトの稼ぎは当てにはならない。
いまだ父親から小遣いをもらって来るくらいだった。
実はロベルトは子供のころ、ウィルス性の病気にかかって以来
父親はとても甘やかして育てていた。
ロベルトは、父親が所有するロンドンのビクトリアにあるレストランの運営を任されてはいたが。
レストランの材料費や、スタッフの給料を支払う前に、お金はぜいたく品に費やされた。
彼は、生まれながらのボンボンだったのである。
これが後に シンシアとジュリアンにとって、良くない結果となることは、まだ誰も予測していなかったのである。
〜 The Beatles / You Never Give Me Your Money
@YouTube
〜 Creedence Clearwater Revival / Bad Moon Rising
@YouTube
(小林)えー、面白いつなげ方をしましたが。
ビートルズの You Never Give Me Your Money
これは ポールがね・・・
この頃マネージを始めた、ユダヤ系のマネージャーのアラン・クラインに当てつけた曲ですね。
You Never Give Me Your Money
それにしては、すっごい良い出来ですよね。
すごいグループになってるってのを、69年感じるでしょう?。
アルバムは「アビーロード(Abbey Road)」
で、ちょうどその頃。
実は世界的にいうと。
アメリカなんかでもそうですけども、
ビートルズの「ホワイトアルバム(The BEATLES)」だとか
ビートルズのアルバムのセールスを上回っていたのが
すごい勢いだった、アメリカのサンフランシスコのちょっと外れたところの出身の3人組。
ジョン・フォガティ(John Fogerty)を中心とした、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(Creedence Clearwater Revival)ていう。
お聴きの通り、なんかやっぱりアメリカの南部系の匂いがしますけども。
こういうのが、まあアメリカでは、また違う時代が始まっていたわけですね。
クリーデンス・クリアウォーター・・・、我々は長いんで CCRと略して呼びましたが。
Bad Moon Rising □リクエスト
メールは [email protected]
採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。
(千葉県/女性)60代
サイモンとガーファンクル(Simon & Garfunkel)の「I Am A Rock」をリクエストします。
夏休みに母方の田舎の会津で従兄弟のレコードをかけて歌詞カードを見ながら何度も歌った歌です。
(小林)そうですよね。
サイモンとガーファンクルの音楽は、日本では相当受けましたね。
彼らの・・・まあ、ビートルズの音楽とは まるで違う所にあったわけですけども。
コーラスなんかは、所どころ似ていたところもありましたけど。
それじゃあ行きましょう。
I Am A Rock
〜 Simon & Garfunkel / I Am A Rock
@YouTube
(小林)サイモンとガーファンクルの I Am A Rock
まあ、ニューヨークの若者、それもユダヤの青年たちの、なんて言うんですかね。
心の中を唄っていたような歌が多くて、日本人 共鳴しました。 (青森県三戸郡/男性)46歳
団塊ジュニア真ん中。
僕が生まれる前年には、ビートルズすでに解散していました。
(小林)でも、ここに長がーく書いてあるんですが。
毎週、最新のヒットチャートを紹介してくれた克也さんに出会っていなければ
ビートルズにハマることもなかったと思います。
(小林)ありがとうございます。ということで。
ジョンとシンシアのヘビーな話題が続いていますが。
やっぱり、ジュリアン・レノン(Julian Lennon)の「Valotte」を聴きたい。
(小林)これアメリカでのナンバーワンソングですからね。
僕、前この番組で言ったことあるんですけど。
ジュリアンには 80年代グラミー賞で出たんですよね。
その時にインタビューして。
「ベストヒットUSA」って番組で、彼のことをちょっと取り上げたことがあるんですけど。
もう本当の好青年で。
で、その後 90年代になって。
オジサンぽくなったジュリアン・レノンが日本に来るんですよ、イベントで。
その時も会っていましたが。
なんかちょっと、初めて会った時の輝きが なかったように記憶しています。
それでは!、ジュリアン・レノンの全米・・・
息子ジュリアンの全米ナンバーワンソングです。
Vallotte
〜 Julian Lennon / Valotte
@YouTube
〜 John Lennon / Aisumasen(I'm Sorry)
@YouTube
(小林)ジョン・レノン。
(江東区/女性)
先日、ヨーコさんがテレビに出ていました。
息子さんと、日本語と英語で話していました。
リクエストは Aisumasen BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
@YouTube
□エンディング
(小林)
ジュリアン・レノンの声、久しぶりに聴いて。
やっぱり、お父さんそっくりだ。
あれは、お父さんが亡くなって直ぐだからねえ。
まあ、似てるってことで、売れちゃって。
でも、あれですね。
スポーツ選手と、歌手、シンガーソンングライター、なんかは。
2代3代と続かないもんですね。
役者とかは続きますけどね。
実力とか運が勝負だからでしょうかね。
ええ。
また来週をお楽しみに。
ひとつよろしくお願いします。
リクエストの方もよろしく。 いつもありがとうございます
DAT落ち対策でお礼の言葉も最後にしますが、感謝の気持ちは続けます!
>>16
こちらこそ いつもありがとうございます。
おかげ様で励まされております。
このスレの「DAT落ち」は容量KB(文字数)の問題なので
レス数は関係ないと思います。
これからもよろしくお願いします。
と、これも文字数使ってますがw ■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
2017年9月17日(日)18:00〜19:00 放送内容 DJ:小林克也
BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
@YouTube
□ビートルズカレンダー(9月17日)
・1965年、52年前の今日。ビートルズカレンダー。
P・J・プロビー(P.J. Proby)という名前のアーティストの「That Means A Lot」という曲が
イギリスでシングルとして発売される。
これはちょっと・・・ これはちょっと説明しなきゃw
P・J・プロビーって、おそらく初めて聴く人 多いと思います。
僕もあんまり知らない人です。
「That Means A Lot」
実はこれは、ビートルズの曲なんです。
どうして、こんなことが起きたのか。
まあビートルズの歴史、ちょっと、この番組ずーっと辿ったりしていますけど。
ヘレン・シャピロ(Helen Shapiro)というイギリスのティーンエイジャーの女の子がスターになって。
ビートルズは有名じゃない頃にツアーをやって。
で、とても良い子だし、「まるでお兄さんみたいだった」ってヘレン・シャピロは語っているみたいですけども。
ジョンとポールはですね、「Misery」という曲を書いてあげるんですよね。
結局ヘレン・シャピロは使わなかったんですけども。
それから、ストーンズ(Rolling Stones)と友達になって。
これはもうビートルズが有名になってからですが。
ミック・ジャガー(Mick Jagger)とキース(Keith Richards)がw 曲を書くのを苦労していたんで。
「欲しいなあ」ということで「I Wanna Be Your Man」てのをね、プレゼントしますよね。
あと、ポールが付き合っていた女性のお兄さんが・・・
許嫁(いいなずけ)ぐらいまで行ったんだけど。
お兄さんが音楽を奏っているっていうんで。
ポールが「A World Without love」ピーター&ゴードン(Peter&Gordon)ですよね。
で、これはアメリカなんかでもヒットするっていうのがありました。
その他、ほとんど無いんですよ。 ビートルズが、ポールが書いて、ポールが録音しているやつがあるんだけども。
どうも、これが没になって。
ポール、自分で書いたくせに、なんか出来が悪かったみたいで。
これ没になってたやつを。
アメリカ人のP・J・プロビーってのが、アメリカで売れない。
で、イギリスへ来て。
で、ブライアン・エプスタインの、ビートルズの会社ですね。
入るか入らないか の話しがあった頃。
「これ、良い曲だけど、やってみない?」
ていうことで奏ったんです。
だから、アメリカから来た、まだ売れなかった、ビートルズよりも年上の歌手のために。
ビートルズの没になった曲を、
今から52年前の今日、イギリスでシングルとして発売になって。
それが21位まで上がった、ていうことなんですよw。
じゃあ、聴きたくなるでしょう? そのP・J・プロビーなる・・・
ビートルズのポール・マッカートニーが作った曲というのが・・・
で、これが21位になりました。
That Means A Lot
〜 P.J. Proby / That Means A Lot
@YouTube
(小林)
ポール・マッカートニーが書いた That Means A Lot
それを、アメリカ人の 売れなかったP・J・プロビーという人が歌っています。
21位 イギリスの国内のチャートで。
じゃあ、ビートルズのポールが歌ったのは・・・
これは、後になって、90年代になって。
ビートルズが1,2,3、と出しましたが、
あの、コンピレーションの中に入っております。
なんか、どうでしたか? 聴いて。
50年代を引きずってるような感じ。
ちょっとね、僕はもう歳があれだから、よく分かるんですけど。
ちょっとプレスリー(Elvis Presley)が入ってて。
低音はニール・ダイアモンド(Neil Diamond)っていうシンガーがいるんですが。
それっぽいシンガーでしたよ。
P・J・プロビー、 That Means A Lot
でも、最終的には売れなかったわけですね。
ビートルズの曲をいただいたけど。 □ストーリー
・「ジョンと離婚したあと、イタリア人男性であるロベルト・バッサニーニが、まるで家族のように私たちと同居することになりました。
子供好きなロベルトは、息子のジュリアンにとても好かれ。
いつも寂しそうだったジュリアンも 本当の父親のようにロベルトに懐いていったんです。
そう、本当に久しぶりに 幸せを取り戻したって感じでしたねえ」
これは貴重なアーカイブを遺(のこ)してくれたシンシア・レノンの発言。
「ビートルズから始まる」今週もジョン・レノンの最初の妻シンシアの手記から。
シンシアがロベルトと呼んでいる男性は、以前シンシアがジュリアンとイタリア旅行に行った際に
とても良くしてくれたホテルの経営者ファミリーの息子であった人物=ロベルト・バッサニーニである。
ロベルトには、ジュリアンもものすごく懐いていて。
一緒にいても、なんの不満もないどころか、まるでパパにするように甘えていた。
ただ一つの問題は、
ロベルトがあまりのお坊ちゃま育ちで、あまりにもお金に無頓着であったこと。
イタリアのペーザロにいる彼の家族は、観光客相手のホテルを経営し。
息子のロベルトには、お金に苦労させていないばかりか。
このロンドンの中心地であるビクトリアにレストランを開業させていたくらいである。
問題は、この絵に描いたようなボンボン=ロベルトの金銭感覚。
店で使う食材の支払いが終わっていないにもかかわらず。
ロベルトは売り上げをそのままポケットに入れては
そのお金をぜいたく品に費やしてしまう。
さらに、パーティ好きなロベルトは、大勢の人をレストランに招いては、全て店の奢りにしたり。
また、そのままお客さんを 私たちの住む自宅へ連れて帰って。
時計の針が12時を回ってもなお、食べ物や飲み物をしきりに勧めたりしていた。
シンシアの前の夫であるジョンも、こういう傾向はあったが。
ロベルトのそれは ジョンの比ではなかった。
だいたいにおいて、稼いでいた金額が違ったのである。
〜 The Beatles / Free As A Bird
@YouTube
〜 John Lennon / Instant Karma!
@YouTube
(小林)2曲続きました。
Instant Karma! (We All Shine On)
プラスティック・オノバンド(Plastic Ono Band)名義が流れています。
プロデュースはフィル・スペクター(Phil Spector)です。
これを聴いている方はどうですか?
ビートルズは好きだけど、
今みたいな、Instant Karma みたいなのは好きじゃない、ていう方もいるんじゃないかと思いますが。
これ、面白い結果はね。
アメリカでは3位、イギリスでは5位、なんですよ。
でもね、フランスやカナダは、もっとこれは芸術的な理解をする人たちが多い国なんで、1位です。
プラスティック・オノバンドの Instant Karma
だから、まあジョン・レノンのビートルズが解散してからの作品は あんまり売れなかったって言われてますがw
フランスとかカナダでは受けていた。
で、その前は Free As A Bird
オノ・ヨーコがジョンの遺品の中から、カセットとして見つけて来て。
まあこれは デモですよね。
で、それに、ポールとジョージとリンゴが音を乗せたという。
Free As A Bird
蘇えったビートルズ。
これは「アンソロジー(Anthology)1」の中からお送りしました。 □ストーリー(続き)
・「ロベルトとの暮らしは とても幸せでしたが。
彼の浪費ぶりだけが心配でした。
その事は私の母親も心配していて。
しょっちゅうリバプールからやって来て。
私たちの様子を 心配してくれていました」
これは最初の妻シンシア・レノンの言葉。
シンシアの遺した手記から。
ある時、母親と私とロベルトでタクシーに乗っていると。
ロベルトが母の前で突然ひざまずき、私との結婚を許して欲しい、と言ったんです。
ロベルトのことは母もお気に入りだったので、彼女はなんのためらいもなく承諾したんです。
そういう流れになってしまったので、私もずっと引っかかっていたロベルトとの関係をひとまずどこかに押しやって。
ロベルトがどれだけジュリアンのことを可愛がってくれているか、その事だけに目を向け、結婚を承諾することにしました。
ロベルトはとても優しく、愛情を惜しみなく注いでくれる男性であった。
だから、どんな問題があろうと、必ず二人で解決できるはず、とシンシアは思った。
こうして1970年7月31日。
シンシアとロベルトは ロンドンのケンジントン登記所に婚姻届を提出した。
式には、リンゴとモリーン
モデルでミニスカートの女王と呼ばれたツイッギー(Twiggy)と
マネージャーで恋人のジャスティン・デ・ヴィルヌーヴ(Justin de Villeneuve)をはじめ
ごく親しい友人だけ招いた。
ジュリアンには付添い役をしてもらった。
ジュリアンは式の間じゅうピョンピョン飛びまわり。
おばあちゃんに何度も何度もなだめられるくらい興奮していた。
この上なく幸せな一日。
シンシアが30歳で、ロベルトは花嫁より2歳年下。
幸せいっぱいの人生の 第二章が始まる。
そう願うシンシアであった。
〜 The Beatles / If I Fell
@YouTube
〜 The Beatles / Something
@YouTube
(小林)いやあ 2曲。
お馴染みの Something
これは1969年ですよ。
「Come Together」と、これ両A面かな?
両A面で どっちも1位になってますよね。
「Something」も「Come Together」も。
そして、その前が
If I Fell
これは初期の「A Hard Day’s Night」のアルバムに入っていました。 □ストーリー(続き)
・「1970年7月31日。
私とロベルトは、ロンドンのケンジントン登記所に婚姻届を提出しました。
式には、リンゴとモリーン、モデルでミニスカートの女王と呼ばれたツイッギーと
恋人のジャスティン。
ごく親しい友人だけを招いたんです。
付添い役のジュリアンは式の間じゅうピョンピョン飛びまわって。
おばあちゃんに何度も何度も なだめられるくらい興奮していました。
幸せいっぱいの人生の第二章が始まる。
私は心からそう願いました」
こう話すのはシンシア・レノン。
彼女が遺した手記の中からもう少し。
式が終わると、ロンドンのフルハムロードにある「メリディアナ」というレストランで
ランチタイムの簡単な結婚披露パーティを催した。
このレストランのオーナー=ウォルター・マリッティはシンシアたちの親しい友人でもあった。
しかし、完璧なはずだったその一日に、唯一の汚点が付いたのは、
パーティの最中に、ロベルトの父親に呼ばれた時のこと。
シンシアにとって義理の父親となったこの人物はこう話した。
「今まで息子にはずっと経済面の援助をしてきた。
しかし、あなたと結婚した以上、もうそんな援助なんて必要ないだろう?
息子ももう28歳、そろそしっかりしてもらわないとな。
いいな。お金を送るのは もうお終いにするよ」
シンシアは少しビックリしてしまった。
ロベルトへの小遣いをストップするということは、
彼の父親も、シンシアがジョンから莫大な慰謝料をもらったと勘違いしているのである。
結果、自分の息子をシンシアに養ってもらおうと思っているのだ。
「ああ、この人も、みんなと同じだ。完全に勘違いしている。
いちおうは慰謝料と、月々の生活費、ジュリアンの養育費、それに教育費という名目でジョンからお金をもらっているけど。
本当の意味での財産分与なんて、ほとんど無いに等しいのに。
ビートルズの楽曲の資産価値が、そのまま私に振り込まれる、とでも思ってるんでしょうけど。
それはもらってない、に等しい。
ああ、誰かきちんと説明して欲しいわ」
ここでも 思い悩むシンシアであった。
〜 The Beatles / Money
@YouTube
〜 The Beatles / Taxman
@YouTube
(小林)という事で。
シンシアは、みんなが思うほどジョンからもらっていなかった。
ということで。
カネにまつわるヒットが2曲。
1966年
ジョージの作った Taxman ですよね
「ジョージやるなあ」と思わせた頃ですよ。
思わせたきっかけの曲です。
ポールがギターで煽っていましたね。
で、その前の曲は。
実は、一番ビートルズが影響を受けたモータウンのね。
モータウンの社長ですよ。
この頃、社長が作曲した、曲を作った。
Money です。
それをビートルズがカバーしてね。
これがもうオリジナル以上の大ヒットになって。
もうモータウンのベリー・ゴーディ(Berry Gordy)会長が大喜びしたという話し。 □リクエスト
メールは [email protected]
採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。
(神奈川県茅ケ崎市/女性)
先週ロンドンに行ってきました。
もちろん、アビーロードの横断歩道で歩いて写真も撮りました。
相変わらず数組の旅行客が訪れ、入れ替わり立ち代わり写真を撮っていて。
通る車も 承知で停まってくれるんですね。
そして旧アップルビルへも行き。
上を見上げ、あの「Let It Be」の屋上の演奏シーンも思い浮かべてました。
ところで、リクエストなんですが。
ジョンのバックなんかを務めた・・・ (小林)そう、ジョンだとかローリングストーンズなんかのバックを務めたことでも有名な。
その頃の有名な、キーボード奏者ニッキー・ホプキンス
Waiting For The Band をお願いします。
(小林)
では[神奈川県茅ケ崎市/女性]さんお待たせしました。
ニッキー・ホプキンス Waiting For The Band
〜 Nicky Hopkins / Waiting For The Band
@YouTube
〜 John Lennon / Ain't That A Shame
@YouTube
(小林)いかがですか?
ジョン・レノンの Ain't That A Shame
(群馬県高崎市/男性)
ラジコで聴いています。
私が生まれた1968年。
ジョンがソロ活動を開始した年なんですが。
子供のころ私が抱いていたジョンのイメージは限られていました。
この番組を聴いて、さらにジョンの人生に興味を持ち、調べて行くと。
まあ、とんでもない人生だこと。
転がり続け、壁に叩きつけられ続けた、人生を送った人というのが
今のジョンに対するイメージです。
人間ジョン・ウィンストン・オノ・レノンを理解し、受け留められた人っていたのかなあ?
(小林)いやあ、ファンの中には相当いるはずですよ。
「ジョンはこういう、可哀そうだ。でも大好きだ」っていう人が、いっぱいいるはずです。
私が、初めて買った彼のアルバムは「Rock ’N Roll」
(小林)
そう、これある意味では正解ですよね。
このアルバムていうのは、ジョンが中高生の時に影響を受けたやつを全部カバーしたんだものね。
その中から Ain't That A Shame
をお送りしました、 (小林)
もう大学の教授になって、ご活躍の頃かな?
(名古屋市/男性)
テレビのインタビューで「あなたは自分をカントリーシンガーだと考えてますか?」
という質問に、グレンキ・ャンベル(Glen Campbell)は「ノー」と答えていたことを思い出します。
(小林)
グレン・キャンベルが亡くなったということで[名古屋市/男性]教授はですね。
いろーんなところで、グレン・キャンベルとビートルズの関わり合いが有ったかどうか
ていうことw
無くてもいいですよ、教授、そんなことはw
もう、あ、彼の「グレン・キャンベル」というテレビショーがあったんですよ。
それで、「Yesterday」を歌ったとかw。
いろんなとこ 調べていらっしゃいますが。
そんなことはいいです。
彼もそう言っています。
「難しく考えず、彼のヒット曲の中で
ジミー・ウェブ(Jimmy Webb)というね、有名な人が作った曲。
一番好きなこの曲をリクエスト」
それで大いに結構です。
これは渋い大ヒットです。
Wichita Lineman
〜 Glen Campbell / Wichita Lineman
@YouTube
〜 The Beatles / Let It Be
@YouTube
(小林)
お馴染みの Let It Be が流れました。
(千葉県富里市/女性)50代後半
旦那さんと結婚する前に、お付き合いをしている時に。
ビートルズのLPのレコードをカセットテープに録音をしていたのを
車の中で聴いていた中で、「Let It Be」が好きな曲でした。
自然に歌っちゃってる自分がいるもんね。
今はカセットテープが聴けません。
(小林)
カセットテープは、だけど死に絶えてませんよ。
カセットテープも大切にしてくださいw。
どうもありがとう。 BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
@YouTube
□エンディング
(小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたか?
リクエスト、よろしくお願いします。
楽しいエピソードなんかを楽しみにしておりますのでよろしく。 ■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
2017年9月24日(日)18:00〜19:00 放送内容 DJ:小林克也
BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
@YouTube
□ビートルズカレンダー(9月24日)
・1941年。
何を言い出すんだ。1941年w
76年前の今日。
なんだと思いますか?
リンダ・イーストマン(Linda Eastman)がニューヨーク州スカースデイルに産まれています。
リンダ・イーストマン、わかりますよね。
ポール・マッカートニーを支え続けた女性。
ポールの上さんというと、リンダでしたよね。
それくらい有名。
ポールはその後2回結婚しておりますけど。
生きていれば76歳ということになります。
彼女は1960年代中半から後半にかけて、リンダ・ルイース・イーストマンとして。
ロック・ミュージシャン専門のカメラマンとして。
好きだったんだよね、ロックが。
高校の頃バディ・ホリー(Buddy Holly)というプレスリーの頃の大ヒーローです。
飛行機事故で若くして亡くなったバディ・ホリーを親に内緒で見に行った、といいますから。
ポールだとかジョンなんかと、まあ全く同じ世代で、同じ好みで。
で、このリンダが どこで出会うかというとですね。
ビートルズが アップルという会社を立ち上げますね。
それをロンドンで記者会見やって。
ニューヨークに行って、この二人が ジョンとポールが行って。
ニューヨークで記者会見やる時に、記者会見場に来ていて。
ポールは、そこでリンダ・イーストマンと会うわけです。
話しをするだけですよ。でも。
でも、なんかあったんだろうね。
で、その1967年、ミュージシャンの隠れ家と言われていたロンドンの「バック・オネイルズ」というクラブに・・・
やっぱり狙ってたんですかね、ポール・マッカートニーを。
来てたんですよ。
それでそこで会って、ポールが「あれ?ここへ来てるの?」っていうことで。
もう、それからあとは、もうすぐ行っちゃったわけですよね。 その頃ポールは女優のジェーン・アッシャー(Jane Asher)と婚約中でありながら。
アップルに雇い入れていたフランシー・シュワルツ(Francie Schwartz)というアメリカ人女性。
それからリンダ、三つ又疑惑があったんですよ。その頃。
で、その争いを、勝利を射止めたのが、実はバツイチのリンダであった、という話しです。
まあ、リンダの話しをすると、相当長くなっちゃうんで。
ここでポールがプロデュースして「レコード出そうよ」ていうことで。
レコードを出しています。
リンダ・マッカートニー。
ポール・マッカートニーが もちろんプロデュースしています。
Seaside Woman
〜 Linda McCartney / Seaside Woman
@YouTube
(小林)いかがですか?
リンダ・マッカートニーが、これは作詞作曲をしています。
プロデュースが旦那のポール・マッカートニー。
楽しんで奏っています。レゲエです。
なんか、今聴いても ちょっと新しいような感覚が残っています。
ねえ、内容も楽しいよね。
「パパは 海の底から サカナ獲るよ。
網は 嫁さんが、嫁さんが 修繕してる」
みたいなw
それでシーサイドウーマン。
「夜は ポテトがオカズ」みたいなw
楽しいですね。
リンダ・マッカートニー。
1972年の「Seaside Woman」をお送りしました。 番組関係者さんお疲れさまです。時々はageないと忘れられますからね。
私はsageます。
番組関係者さんお疲れさまです。時々はageないと忘れられますからね。
私はsageます。
□ストーリー
・「今まで、息子にはずっと経済面の援助をしてきた。
しかし、あなたと結婚した以上、もうそんな援助なんて必要ないだろう?
息子ももう28歳、そろそろしっかりしてもらわないと。
いいな。お金を送るのは もうお終いにするよ」
これはシンシアとロベルトの結婚式当日の新郎の父親、つまりシンシアの義理の父親が語った言葉。
あまりにも露骨な言い方である。
今週もジョン・レノンの最初の妻シンシアが遺した手記の中から。
シンシアは少しビックリしてしまった。
ロベルトへの小遣いをストップする、ということは。
彼の父親も シンシアがジョンから莫大な慰謝料をもらったと勘違いしているのである。
結果、自分の息子をシンシアに養ってもらおうと思っているのだ。
「私はジョンから正当な金額の慰謝料なんかもらっていません!」と声を大にして叫びたい気分のシンシアであったが。
ここは自分たちの結婚式の席、そんなこと出来るはずもなかった。
今までシンシアは考えたこともなかったのであるが。
ビートルズの楽曲の資産価値は、いったいどんな金額になるのであろう。
彼らのアルバムは デビューアルバムからずっと売れ続けている。
通常のポップスのレコードの場合、売れるのは発売されてからせいぜい半年ぐらいのもの。
苦労して曲を書いてレコーディングしても、扱われ方はファッションと同じような物。
それが、ビートルズの場合は違った。
それまでのアーティストが発表するアルバムは、ただヒット曲を集めたものに過ぎなかったが。
ビートルズは、それをA面とB面合せて40分間のアートフォーマットとして、より高いものに昇華させた。
その結果、発売から半世紀たった今でも、ビートルズのアルバムは世界中の新たな世代に愛され
売れ続けているのである。
〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band- With A Little Help From My Friends
@YouTube
@YouTube
(小林)ということで、お馴染みの・・・
それも、お馴染みの順番でかかりました。
「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」から
1曲目、2曲目 です。
Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band
そして
With A Little Help From My Friends
こっちの方は、リンゴがボーカルを録っております。
このアルバムが出てから ちょうど50周年ということですね。 □ストーリー(続き)
・「結婚式当日のロベルトのお父さんの発言には 少しびっくりしましたが。
それでも、結婚っていいものです。
みんなに祝福されて、ジュリアンも大はしゃぎでしたから。
その勢いでハネムーンに出かけたんです」
幸せいっぱいのシンシアの発言。
彼女の遺した手記から。
シンシアとロベルトのハネムーンは、イタリアの東部アドリア海沿岸へ。
実はここにもロベルトの実家バッサーニ家が経営するホテルがあったのである。
もちろんジュリアンも一緒に連れて行った。
ロベルトの一番上のお兄さんという人が とても気の利く人で。
知り合いの女性を、ジュリアンの子守り役にと 旅に同行させてくれた。
そのおかげでシンシアとロベルトはロマンチックな気分になることができた。
結婚式の数ヶ月後に、自宅でちょっと遅めの新居披露パーティを開いた。
考え抜いたあげく、ロベルトの提案を受けて、ジョンとヨーコを招くことにした。
なんとかして二人とは良い関係を築いて欲しい、というロベルトの願いもあった。
それにロベルトは ビートルズの大ファンで。
特にジョンの才能には心酔していた。
「なんとかしてジョンに会えないものか」というファンとしての願いもあったのであろう。
そして、驚いたことに、ジョンとヨーコから「出席します」との連絡があった。
シンシアは二人が来るかどうかは五分五分であり。
もし来るとしても、当日直前に連絡が来るか、もしくは予告なしに来るか。
まあそんなものだろう、と思っていたのだ。
そして、もちろん当日の夜に、本当に二人が姿を現したことには、出席者全員が驚いた。
二人に会うのは、あの弁護士事務所での険悪な会見以来2年ぶりになる。
さすがのシンシアも心臓がバクバク音を立てて動いていた。
パーティには、この他に
リンゴとモリーン、ツイッギー(Twiggy)に恋人でマネージャーのジャスティン
人気シンガー=ルル(Lulu)と新しい夫でビー・ジーズ(Bee Gees)のメンバーであるモーリス・ギブ(Maurice Gibb)
007でお馴染みのロジャー・ムーア(Roger Moore)と婦人のルイザも来てくれた。
さて、どんなパーティになったのだろうか。
〜 The Beatles / Golden Slumbers - Carry That Weight - The End
(小林)
この偉大なメロディーは、忘れたころこの番組でかかりますが。
いいでしょう?
Golden Slumbers - Carry That Weight - The End
順番は ポール、それからジョージ、ジョン という順番ですね。
69年のあの「アビーロード(Abbey Road)」のアルバムからお送りしました。
□ストーリー(続き)
・「再婚相手のロベルトがビートルズの大ファンで。
特にジョンを崇拝している人だったので。
ダメ元で、ジョンとヨーコを我が家の新居披露パーティに招くことにしました。
それにしても、本当に二人が出席するだなんて、夢にも思っていませんでした」
こう話すのはシンシア。
彼女が遺した手記から。
この夜、パーティに来てくれたのは、
リンゴとモリーン、ツイッギーと恋人でマネージャーのジャスティン。
人気シンガーのルルと新しい夫でビー・ジーズのメンバーであるモーリス・ギル。
さらには、007でお馴染みのロジャー・ムーアと婦人のルイザも来てくれた。
ジョンとヨーコは遅れてやって来て。
その後の数時間は、どこかギクシャクした雰囲気になった。
ジョンはシンシアに向かって「ハーイ」と言っただけで、リンゴの隣に座った。
ロベルトがそこに加わると二人の会話は弾み、時々その一角からは大きな笑い声が湧き起こった。
ジュリアンは、といえば、再びこうして父と母が一緒に家にいることで大喜びして、
嬉しそうに部屋の中をグルグル駆け回っていた。
そうこうしているうちに、場に溶け込めなくてポツンと孤立していたヨーコが
真っ直ぐシンシアに向かってやって来た。
「逃げられない・・・」シンシアはそう思った。
シンシアはこの夜、パーティが始まってからずっと、招待客に挨拶をしたり、おしゃべりをして回っていたので。
一息つこうかと思っていたところであったが。
気が付くと、ヨーコがそんなシンシアの足元に座っているのだ。
そしてジュリアンのことを話し出した。
「ジュリアンが家に来てくれて、いつもとっても楽しいの。大歓迎よ」
そんな言葉を発したのである。
シンシアは驚きのあまり、開いた口が塞がらなかった。
それ以前、2回ほど彼女に会った時には、ひと言もしゃべらずに、
一貫して沈黙を守ることでシンシアを拒んでいるかのように思えたのに。
この変わりぶりは、いったい何なんだろう?
なぜか背中に うすら寒い感覚を覚えるシンシアであった。
〜 Yoko Ono / Walking On Thin Ice
@YouTube
(小林)これは、もっともっと長い曲なんですけど。
1980年
ジョン・レノンの遺作の「ダブル・ファンタジー(Double Fantasy)」には入ることなく。
シングルとしてだけ発売。
で、オノ・ヨーコが作り、ジョン・レノンがプロデュースしました。
Walking On Thin Ice
「薄い氷の上を歩く」
まあ、「危険を承知で歩く、生きる」っていうメッセージ。
これは、セールス的にはそんな、あんまり売れなかったですけども。
評論家たちの絶賛ていうか、目を見張らせた作品ですよね。
やっぱりジョン・レノンはすごかったんですよ。
もう、この頃ね、時代的にね80年代のニューウェーブの始まり。
もう、先を行ってますよね。
それよりも、ニューウェーブよりもちょっとハードなところが、すごいなと思いましたね。 □リクエスト
メールは [email protected]
採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。
(新宿区/女性)
シンシアとジョンの離婚の話しを聴きながら悲しく思ったのは。
誰よりも近くにいて愛し合って、共に暮らしてきた二人が
最後は憎しみ合い、誰よりも嫌いになって遠くに離れていく。
たまらなく寂しい。
「私はここまでジョンを育てましたから、次ヨーコさん ジョンをよろしくお願いしますね」
「ありがとうシンシア。僕は君のおかげでここまで成長したよ。
次のステージを生きるために ヨーコと歩み始めることを祝福してくれ」
「私とジョンはこれから 愛と平和を世界に発信していく使命を果たしていきます」
感情だけでなく、離婚がこんな風に出来たらいいのにな、と思いました。 (小林)w 思わず笑っちゃった
(小林) で、リクエストが
リクエストが、ちょっとビートルズも入った。
ちょっと重いような、すごい傑作です。
彼は時々こういう傑作を出して、みんなをビックリさせますねえ。
桑田佳祐「東京」
〜 桑田佳祐 / 東京
@YouTube
(小林)いかがですか?
ちょっと長めで、この名曲。
こういうのを聴いた後は、ちょっと余韻を楽しむ時間が 要るんだよねw
なんか「ハァ〜・・・」とか、深呼吸したり。
ええ、でもね、今日はねw
名曲ばっかりです。今日は、リクエスト。 (久喜市/男性)50代
「Yesterday」
中学時代に、バンドを組んでいたんですが。
文化祭で演奏したくて先生にお願いしたら。
「ビートルズのイエスタディ奏るなら許可するぞ」
と言われて、初めてビートルズを弾きました。
でも、ただ単に先生がビートルズのファンだっただけ、と後で判って笑っちゃいましたねえ。
懐かしい「Yesterday」をお願いします。
(小林)で、その後も名曲と、続くわけです。
先ずは「Yesterday」
〜 The Beatles / Yesterday
@YouTube
〜 The Beatles / Hey Jude
@YouTube
(小林)これは、そうとう続きますよ・・・ ねえ。
リクエストいただいたのは・・・
(江戸川区/女性)
私は、いつかオバサンになったら。
ビートルズとは 一度ちゃんと向き合いたい。
そう思ってきました。
そんな私も40代になり。
今は、毎週この番組を熱心に聴いています。
ビートルズの逸話、とても勉強になります。
3年前になりますが、弟に初めて子供が誕生しました。
私からの出産祝いは ポール・マッカートニーのライブのチケット。
ビートルズマニアの弟とライブを堪能しました。
特に良かったのは「Hey Jude」
弟が 父になる嬉しさがこみ上げ、涙、涙、でした。
(小林)
というわけで、リクエストどうもありがとう。
[江戸川区/女性]さん、ありがとうございました。 BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
@YouTube
□エンディング
(小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?
本当に、この番組にはね、様々な方のリクエストが来て。
もう、ビートルズ何十年ていう方から。
まあ、ちょっとだけ関わり合いがある、なんて方、いろいろですけど。
そういった方々 遠慮なくリクエストしてください。
よろしくお願いします。
[email protected]
です。
そして、ビートルズのお話しの方は。
ジョンの最初のね、嫁さんの手記からお送りしているわけですが。
やっぱり、離婚で終わりじゃないんですよね。話しはw
別れた後も、新居のパーティに ジョンとヨーコが来て。
やっぱり、ビートルズの物語はここでも続くわけです。
来週は、どんなことになるんでしょうかねえ。
エヘヘヘw
来週もお楽しみに。
よろしくお願いします。 ■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
2017年10月01日(日)18:00〜19:00 放送内容 DJ:小林克也
BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
@YouTube
□ビートルズカレンダー(10月1日)
・この番組、もう10年以上やっていますがw
残念ながら詳しいことを、ちょっと本人たちが知らないっていうw
でもですよ、Bayfmは28周年。
そして、今日はもう29年目に入っております。
がんばれBayfmってことで。
そして、ビートルズは、カレンダー見ますと。
1969年、48年前の今日。
アメリカで「アビーロード(Abbey Road)」のアルバムが発売になりました。
「アビーロード」は、ビートルズの録音順でいくと事実上最後の録音アルバムです。
その前にやっていたね。
その69年の前に、春ぐらいまでやっていた「Get back」
屋上で奏ったりとか、あのセッションは、
あまりにも四人の関係がメチャクチャだつうことで、まとまらないていうことで。
天才プロデューサー=フィル・スペクター(Phil Spector)に任せるわけですよね。
丸投げしちゃうわけですよね。
それで、その後で、ポール・マッカートニーやプロデューサーのジョージ・マーティンたちも・・・
ジョン・レノンも入っていると思います。もちろん。
「こんなことで終わらせちゃいけない」と、「ちゃんとしたアルバムを作ろうじゃないか」
それで、ジョージ・マーティンは、もう呆れちゃってて、ちょっとビートルズから手を放していたんだけど。
「また昔のように みんなで作れるんだったら。そういう決まりを守ってやるんだったら、引き受けよう」
ていうことで、やるわけです。 でまあ、結果から言うと。
言い出しっぺのポール・マッカートニーとジョージ・マーティンを中心に、一生懸命彼らは奏ります。
ただ、ジョン・レノンはマイペースの人ですから、天才肌の人ですから。
ちょっと、わかんない所があって。
ケチばっかり付けてたりとかね、するんですよ。
あと、オノ・ヨーコの存在つうのがあるんですw
もう、みんなで奏っている時に、オノ・ヨーコが一人いるんですよ。
それで、途中 夏の前に 事故を起こして、ジョンが気を使ってベッドかなんかを入れて。
それ、見ていたりするんです。
だから、ジョン・レノンは特に、この「アビーロード」のアルバムの後半のねメドレーは高い評価があるけど。
ジョン・レノンは「あれは良くないよ。おばあちゃんが満足するようなもんだよ」って言ったりね。
それから、やっぱり、表面と裏面があるじゃないですか、アルバムの。
「表面は俺のばっかりで、裏はポールばっかりにしよう」とか。
なんか、無理難題をふっかけたりしたこともあった らしいんですが。
もう一つはね。
ジョージ・ハリスンが、すごく頑張った。
この人は「Something」ね。
「Something」と、そして「Here comes the sun」名曲を。
今までビートルズに無かったような名曲を、この中に入れている。
「アビーロード」はそういうふうな意味で、実は最終的には評論家がすごい評価を下すと同時に。
セールス的にも「サージェント・ペパー(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」と同じくらいの売り上げの成績を残す結果になっています。
ということで。
ジョージ・ハリスンがとても頑張ったと言われる、この曲を!
〜 The Beatles / Something
@YouTube
(小林)やっぱりこれ、曲が良いですよねえ。
それから、ジョージ・ハリスンて、初期はこんなに歌の感情を・・・
なんていうんですかね。
流れとか 上手くないですよ。
でも、やっぱ すごい曲を書いたから。
まあ、音楽の世界のいろんなことを言う人がいて。
「歌の構えが良いと、その人の歌を引き揚げる」wなんてこと言いますけど。
もう、曲も良いしね。
ジョージの歌もすごいですよね。
そんな傑作も入っていたわけです。 □ストーリー
・1970年7月31日。
ジョンと離婚して1年以上が経過したこの日。
シンシアは再婚した。
お相手はイタリア人の実業家の息子ロベルト・バッサニーニ。
ロベルトとは、シンシアが息子のジュリアンを連れて訪れたイタリア旅行の時に知りあっている。
彼はシンシアたちが泊まったホテルの息子だったのである。
このロベルトという男性は、ホテル事業を展開する一族に生まれ、なに不自由なく育ち。
その笑顔は まるで太陽のようであった。
少なくともジョンとの離婚協議の最中で、身も心も憔悴しきっていたシンシアにとっては、太陽そのものであった。
さらにロベルトは、子供が大好だったため ジュリアンもすぐに懐いてくれた。
二人が何時間も遊んでいられるほど仲良しになるのに 時間はかからなかった。
結婚式から数ヶ月後、新しく引越した家のお披露目も兼ねて、結婚報告のパーティが催された。
この夜パーティに来てくれたのは
リンゴとモリーン、ツイッギー(Twiggy)に恋人でマネージャーのジャスティン。
人気シンガー=ルル(Lulu)と新しい夫でビー・ジーズ(Bee Gees)のメンバーであるモーリス・ギブ(Maurice Gibb)
さらには、007でお馴染みのロジャー・ムーア(Roger Moore)とその婦人ルイザも来ていた。
そして、ビートルズの大ファンであるロベルトの希望もあって招待したジョンとヨーコは、少し遅れてやって来た。
ジョンはシンシアに向かって「ハーイ」と言っただけで、リンゴの隣りに座った。
ロベルトがそこに座ると二人の会話は弾み、時々その一角から大きな笑い声が湧き起こった。
ジュリアンは、といえば、再びこうして父と母が一緒に家にいることに大喜びして、
嬉しそうに部屋の中をグルグル駆け回っていた。
そうこうしているうちに。
場に溶け込めなくてポツンと孤立していたヨーコが
真っ直ぐシンシアに向かってやって来た。
「逃げられない・・・」シンシアはそう思った。
パーティが始まってからすぐ、招待客に挨拶をしたり、おしゃべりをして回っていたシンシアは。
一息つこうかと思っていたところであった。
気が付くと、ヨーコがそんなシンシアの足元に座っているのだ。
そしてジュリアンのことを こう話し始めた。
「ジュリアンが家に来てくれて、いつもとっても楽しいの。大歓迎よ」
〜 Yoko Ono / Every Man Has A Woman Who Loves Him
@YouTube
〜 The Beatles / Revolution 1
@YouTube
(小林)いかがですか?
時を越えた 夫婦の曲がw
Every Man Has A Woman Who Loves Him
「全ての男は 愛する女が一人いる」っていう。
オノ・ヨーコの歌。
1980年。
これシングルとして出された。
なかなか面白かったでしょ?
ちょっとね、引っかかったでしょ?
そして
Revolution 1
これは「ホワイトアルバム(The BEATLES)」の中に入っています。
ジョンが優しく歌っています。
優しいだけにw
なんつうのか
「革命はいやだよ」っていうw
「世界は変えたいけど」
そんな、面白いジョンらしい曲ですね。 □ストーリー(続き)
・「ジュリアンが家に来てくれて、いつもとっても楽しいの。大歓迎よ」
この言葉の主は オノ・ヨーコ。
しゃべりかけられたのはジョンの最初の妻シンシア・レノン。
時は1970年。
秋のある夜。
場所は、イタリア人男性ロベルト・バッサニーニと再婚したシンシアの新しい家で行われたパーティの席上。
ヨーコがそんな言葉を投げかけて来るなんて。
シンシアは驚きのあまり、開いた口が塞がらなかった。
それ以前、2回ほど彼女に会った時は、ひと言もしゃべらずに。
一貫して沈黙を守ることで、シンシアを拒んでいるかのように思えたのに。
この変わりぶりは、いったい何なんだろう?
優しい言葉であるはずなのに。
シンシアなぜか、背中にゾッとする物を感じた。
今週もシンシアが遺した手記の中から。
それにしても、ヨーコがここまで愛想よく軽やかに話しかけて来るなんて。
いったい、どうしたのだろう?
少なくともシンシアには、他のお客さんの手前、取って付けただけの演技のように映った。
特に ジョンに対する体裁だけのためのもの。
シンシアは我慢が出来ず、一人外に出た。
その直後、ジョンとヨーコが帰って行く間際に
ジョンがシンシアに向かって「ハーイ」と、その夜の二言目を発した。
二人が帰ったあと、シンシアは言いようのない悲しみに襲われた。
「ジョンに会ったら、一緒にジュリアンの話しができたらいい」と思っていたのに。
ジョンはシンシアを完全に避けていた。
それを取り繕うかのように、ヨーコがあれだけわざとらしく親しいフリをするなんて。
シンシアはたまらない気持だった。
この夜二人を招いたことは、なんの成果にもならなかったのだ。
ただ一人、憧れのジョン・レノンに会うという念願を果たした新しい夫=ロベルトだけは
「天にも昇るほどの 最高の夜だった」と語っている。
〜 The Beatles / I Feel Fine
@YouTube
〜 The Beatles / Drive my Car
@YouTube
(小林)ビートルズが2曲。
何度聴いても あのイントロは素晴らしい。
1964年のナンバーワンソングですね。
I Feel Fine
そして、Drive my Car
アルバム「ラバーソウル(Rubber Soul)」の中からお送りしました。 □ストーリー(続き)
・「私の再婚と、新居での新しい生活をお祝いしてもらうパーティは失敗でした。
もちろん集まって来てくれた友人にとっては、楽しい席だったと思います。
ただ ビートルズファンの夫=ロベルトの猛烈な希望で、ジョンとヨーコを招待したことが後悔の原因です。
もちろん リンゴも同席したそのパーティは、ロベルトにとっては、天にも昇るくらい最高の夜だったらしいのですが」
こう話すのはシンシア・レノン。
彼女が遺した手記の中から。
憧れのジョン・レノンに会えて大満足のロベルトは、シンシアがその後出会うことになるたくさんの人たちと同じように
ジョンの名声にばかり目を奪われてしまって、その先のジョンの人間性まで見抜くことは出来なかった。
ロベルトにとっては、自分の妻を酷い目にあわせた前の夫と、あの何万人をも熱狂させるスーパースターとは全くの別人なのである。
このパーティが催された日から数ヶ月前に、ジョンはテレビのドキュメンタリー番組「Man of the Decade」で
ジョンFケネディとホーチミンとともに、1960年代を代表する3人の中の1人に選ばれていた。
それは大変な名誉で、ジョンはただの有名人以上の人物に数えられることになり。
世界中のみんなが、ジョンを雲の上の人として見るようになった。
だからと言って、ロベルトがジョンとヨーコの振る舞いに 非難の目を向けなくなったというわけではない。
ロベルトはヨーコを強く軽蔑していた。
実の息子のように可愛がっているジュリアンの心に傷を負わせた原因はヨーコにあると信じ。
決して許さなかったのである。
時代は少し遡るが、1960年代が終わりに近ずいてもなお ビートルズは社会現象であり続けた。
桁外れのレコードの売り上げと、20曲を誇るナンバーワンヒット。
当時のビートルズは まさに無敵だった。
その後、唯一のライバルはクリフ・リチャード(Cliff Richard)のみ。
もちろん、売り上げではビートルズが はるかに勝っていたが。
国民的シンガーということになると、クリフは無敵だったのである。
ジョンが「いつか化けの皮をはがしてやる」と公言してはばからなかったのが
このクリフ・リチャードであった。
〜 Cliff Richard / Summer Holiday
@YouTube
〜 The Beatles / This Boy
@YouTube
(小林)2曲続きました。
クリフ・リチャードとシャドウズの・・・
バックグループがシャドウズ(The Shadows)ですね。
Summer Holiday
イギリスでの大ヒット。
イギリスの国民的シンガー。
もちろん、ビートルズも輝かしいヒーローだけど。
ちょっと影があった、違ってた、ということですよね。
それから This Boy は
B面でしたね。
有名な「I Want To Hold your Hand」のね、有名なね。
「She Loves You」がほら、一人称が入って来ないじゃないですか。
これも「This boy 」で「この男」は自分の事なんだけど。
一人称ではない感じがするところは、ちょっと面白い。 □リクエスト
メールは [email protected]
採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。
(東京都府中市/男性)40代後半
部屋のレコードを片付けていると、ビートルズのライブ盤の「At The Hollywood Bowl」が出てきました。
レコードを聴くと、改めて演奏力の高さを感じました。
特にリンゴのドラムが最高でした。 (小林)へえ、いいとこ聴いてますね。
このアルバムにも収まっていますが、ビートルズがカバーする中で、個人的にラリー・ウィリアムズ(Larry Williams)の作品が好きです。
(小林)ラリー・ウィリアムズをカバーしていますね。
その、オリジナルナンバーをリクエストします。
ラリー・ウィリアムズの「Dizzy Miss Lizzy」をお願いします。
(小林)さあ、それじゃ
ビートルズがカバーするラリー・ウィリアムズじゃなくて。
オリジナルで「Dizzy Miss Lizzy」
〜 Larry Williams / Dizzy Miss Lizzy
@YouTube
〜 Michael Jackson Ft Paul Mccartney / The Girl Is Mine
@YouTube
(小林)
マイケル・ジャクソン(Michael Jackson)とポール・マッカートニーが流れました。
(調布市/男性)50代
なんと私は「Say Say Say」は知っていても、この曲の存在は知りませんでした。
良い曲なので ぜひお願いします。
(小林)
ええ、ねw
女の子の取り合いみたいな歌です。 (舘山氏/男性)
遅い夏休みを利用して 気仙沼にある「おひさま保育園」にお邪魔しました。
ちょうどその日はお誕生日会で 園児たちの元気でにぎやかな光景を まぶしく感じました。
園では子供たちを「お日様っ子たち」と呼んでいるそうです。
(小林)という
あなたのリクエストは、スティービー・ワンダー(Stevie Wonder)の,ちょっとジャズっぽいような。
「あなたは 私の人生の太陽だ」
そのあとがね、韻を踏んで。
「あなたは 僕の目の中のアップルだ」っていうw
ちょっとこれが、あの頃引っかかりましたねw
「目の中に入れても痛くない」ていう日本語の表現もありますしw
「目の中のリンゴかあ」と思った 。
You Are The Sunshine Of My Life
〜 Stevie Wonder / You Are The Sunshine Of My Life
@YouTube
〜 The Beatles / Don't Let Me Down
@YouTube
(小林)えーww
スティービー・ワンダーの曲がかかって。
なんかビートルズが、何となく雰囲気がつながってるような感じがしましたね。
それは、ビリー・プレストン(Billy Preston)が入っているからですね。
こっちのビートルズにね。
Don't Let Me Down
そして、この曲の理由は・・・
(草加市/女性)
先週、私の大好きなビートルズ・トリビュートバンドのリーダー=チャッピーさんの突然の訃報に驚いてしまい。
ただ寂しくて涙が止まりませんでした。
ビートルズの楽曲をたくさん知ることができたのも、チャピーさんの率いる「パロッツ」から教えてもらいました。
もうあの素晴らしいギターの演奏も歌も聴けない と思うと本当に悲しい。
天国でジョン・レノンとたくさんセッションしてほしい。
「ポール・マッカートニーとだって セッションしたんだよ」と、素敵な笑顔で伝えてほしい。
克也さん、チャッピーさんの歌うジョン・レノンの楽曲で大好きな曲。
Don't Let Me Down をリクエスト。
(小林)ということで。
ビートルズのね。
ジョンの声が印象的な、ね。
Don't Let Me Down
リクエストお送りしました。 BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
@YouTube
□エンディング
(小林)「ビートルズから始まる」今日いかがでしたでしょうか?
あのねえ、スティービー・ワンダーかけてて、考えましたね。
スティービー・ワンダーが「You Are The Sunshine Of My Life」を歌ってて、あの2〜3年あとかな?
マイケル・ジャクソンたちがコーラスで入るんですよ。
「♪ドゥー・ワップ ドゥー・ワップ♪」つって。
だから、あの頃ねぇ、マイケルはね、実はスティービー・ワンダーにすっごく憧れるんですよ。
というのは、スティービー・ワンダーは、今まで、人のための歌とか 人のカバーとかそういうんじゃなくて。
自分で作ってすごい歌を歌ってる ていうんで。
それがようするに「Off the wall」とか「Thriller」につながって行くんですよね。
で、そういうなのを助けたのがポール・マッカートニーだという。
なんかほんと、みんなつながってるんだなっていう感じがいたしました。
リクエスト本当にどうもありがとうございまます。
話しの方も。
やっぱり、ジョン・レノンと離婚したんだけど。
シンシアの物語だけど、これは、ビートルズの・・・w
ビートルズの影で生きているような感じで続いております。
来週もお楽しみに。
リクエストの方は
[email protected]
です。 ■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
2017年10月08日(日)18:00〜19:00 放送内容 DJ:小林克也
BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
@YouTube
□ビートルズカレンダー(10月8日)
・1980年、今から37年前の今日。
ゲッフィン・レコーズ(Geffen Records)が・・・
レコード会社=ゲッフィン・レコード。
「ダブル・ファンタジー(Double Fantasy)」の販売に関してジョンとヨーコと契約を結んだ、とあります。
これはねえ、ジョンとヨーコのあの有名な「ダブル・ファンタジー」のアルバム。
ジョンは ほら5年間休んでたじゃないですか。
ハウス・ハズバンドとしてね。
でも、音楽活動を再開して、作り上げるわけです。
5年ぶりのアルバム。
これは、本格的に作り上げたジョンらしさが戻ってきてて、すごい嬉しかった。
でも、その反面、ニューウェーブっぽいヨーコも入っていた。
その「ダブル・ファンタジー」のアルバム。
実はこのゲッフィンレコードていうのは
デイビッド・ゲッフィン(David Geffen)という、有名な人物が、新しくレコード会社をスタートさせる。
このデイビッド・ゲッフィンという人はですね。
マネージャーから、ずーっと鍛え上げて来て。
次々に、いろんな、ジャクソン・ブラウン(Jackson Browne)だとか、イーグルス(The Eagles)だとか、リンダ・ロンシュタット(Linda Ronstadt)
なんかを ず−っと売り出していく、アサイラム・レコード(Asylum Records)っていうのを立ち上げて。
そしてそのアサイラムの仕事が終わって、ゲッフィンをスタートさせるという。
アサイラムもすごいカッコ良かったですよ、あの頃は。
それもね、友達同士の付き合いみたいな感じなんですよ、アーティストと、このデイビッド・ゲッフィンが。
だから、そのイメージどおりね、大きなビルにないんですよ。
ビルじゃないんですよ。
大きなロサンゼルスの、家みたいな所が本社ね。
「うわあ、すごいカッコイイな」なんて。
そのゲッフィンがレコード会社を、自分のゲッフィン・レコードを立ち上げて。
「第一号がジョン・レノンだった」ていうことですよ。 それで、デイビッド・ゲッフィンは「ダブル・ファンタジー」が完成してるてのは知ってるわけね。
それ、聴かない。聴かないで。
ノールックていうのがよくありますけどもw
ぜんぜん聴くこと無しに契約書に・・・
「ジョンだから、もう何も言うことはない」と思って契約したんだろうね。
さあ、それじゃその「ダブル・ファンタジー」から
レノン節たっぷり、I'm Losing You
〜 John Lennon / I'm Losing You
@YouTube
(小林)やっぱり、久しぶりにジョン・レノンがね 歌って。
そうとうノッてますよね。これはね。
ノッてるのが判りますよね。
I'm Losing You
なんていうんですか。
音符から音符へスライドするような歌い方ってのは、ディラン(Bob Dylan)の特徴で。
それを、ジョン・レノンがまだそれを・・・
また、こうね、新しいものにして。
それが、ずっと行くとレディオヘッド(Radiohead)みたいになっちゃう、ていう。 □ストーリー
・「1960年代が終わりに近づいても、なおビートルズは社会現象であり続けました。
桁外れのレコードの売り上げと、20曲を誇るナンバーワンヒット。
当時のビートルズは まだまだ無敵でした」
こう語るのはジョン・レノンの最初の妻シンシア・レノン。
今週もそのシンシアが遺した貴重な手記から。
1960年代終盤。
この頃すでに 結果的にビートルズの最後のレコーディングとなったアルバム「アビーロード(Abbey Road)」が発売され、
1位を独走していた。
しかし、バンド内の不協和音はマスコミや音楽業界にも届いていた。
シンシアは証言する。
「アビーロードが最後のアルバムになるのでは? とマスコミは騒いでいましたが。
メンバー間の不仲は、この時に始まったことではありませんでした。
1967年の8月、マネージャーだったブライアン・エプスタインが急に亡くなったことが切っ掛けだと思うんですが。
間違いなくビートルズは解散への階段を歩き始めていたと思います」
20世紀最高のソングライターコンビと賞賛されたジョンとポール。
かつては一緒に曲を書くことに、あれだけ情熱を燃やし、喜びを感じ、才能をきらめかせていたにもかかわらず。
60年代の終わりが近づくにつれて、一緒にやって行くこと自体が ますます困難になっていることを、お互いに自覚するようになっていた。
音楽的なアイデアも、指向も、それぞれの方向に別れていた。
ポールは「Hey Jude」に代表されるようなバラード系の曲を書くのが得意で。
一方ジョンは「Hey Jude」のB面に収録された「Revolution」のような ストレートで挑発的な曲を書いていた。
ちなみにこの「Revolution」は1968年に起こった 世界的な学生運動に影響を受けて出来た曲。
何から何まで 真逆なジョンとポールであった。
〜 The Beatles / Hey Jude
@YouTube
〜 The Beatles / Revolution
@YouTube
(小林)2曲。
Hey Jude、ザ・ビートルズ。
1968年。
もう、ナンバーワン。
すっごいシングルだったわけですよ、これはね。
そして、そのB面というのが、ジョン・レノン。
だから、この回はですね。
ポールがA面で、B面がジョン・レノン、だったわけですね。
ニッキー・ホプキンス(Nicky Hopkins)という有名な人が
フェンダーローズで、ローズピアノで参加していました。
Revolution □ストーリー(続き)
・「ジョンとポールが 一緒に曲を書かなくなった理由。
それは、成長したから、ではないでしょうか。
高校生の頃に知り合って。
ジョンはポールのあふれ出る才能に。
ポールはジョンの持つ不思議なカリスマ性に惹かれて。
バンドを組むことになったんです。
でもそれはまだ17歳と15歳の頃のお話しです。
世界中の誰もが知るスーパースターになって。
莫大なお金を持ち、家庭も持って、誰だってそれに伴って 人間として成長します。
それでも二人で曲を書き続けるなんて。
できるのは、だれにでも受けるヒット狙いのプロのソングライターチームだけではないでしょうか?
だって、ビートルズはロックンロールバンドですから。
職業作曲家とは 根本的が違うと思うんです」
ビートルズをデビュー前から見続けたシンシアの発言。
ビートルズストーリーはシンシアの遺した手記から。
1967年を境に、ジョンとポールの関係は変わっていった。
今年50周年を迎えたビートルズの最高傑作と呼ばれる「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」は
特に、ポールが頑張って作ったアルバムである。
おそらくほとんどの楽曲はジョンとポールが別々に書いた曲と思われる。
時系列を少し巻き戻して、1966年の作品「リボルバー(Revolver)」の中の楽曲も、それまでとはかなり違ったテイストをもったものが多い。
特にジョンの書く曲は、それまでのビートルズとは明らかに違う、誰が見てもアーティストとしての成長が見られるし。
チャレンジする精神力も強くなっている。
ミュージシャン、プロデューサーとして著しい成長の見られるポールであるが。
その、会うたびに光るものを見せられる場面に出くわし、ジョンは嫉妬心を覚えていたという。
しかし、ポール側から見ると、それはまた逆であって。
自分にはジョンのような、どこから来たのか分からない才能はない。
自分は、勉強と努力でここまで来た。
それに対してジョンは、その才能をわかっていない。
何も無い所からでも、すごいものを作ってしまうジョンを
ポールはこれまた嫉妬し、さらに尊敬もしていた。
凡人から見ると、天才二人がお互いに嫉妬しているかのように見えるが。
やはり、天才も天才で 苦悩するのである。
〜 The Beatles / A Day In The Life
@YouTube
(小林)1967年。
「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」から
A Day In The Life □ストーリー(続き)
・「ビートルズの解散の兆しはいつ頃からあったのか? とよく聞かれますが。
一つには1967年8月の、マネージャー=ブライアン・エプスタインの急死。
これで、4人をまとめる、というよりも4人のお願いを何でも聞いてくれるお兄さんのような存在を失ったことが挙げられます。
もう一つには、ジョンとポールが一緒に曲を書かなくなったこと、もありました。
もちろん、末っ子的な存在=ジョージも、音楽家として急な成長を見せていたということも、その理由の一つだと思います。
でも、よく考えてみると、1960年代終盤、ビートルズはまだ全員が20代です。
そんな男の子集団が、いつまでも一緒、仲良しこよし、というのも逆に不健全です。
ビートルズは仲が悪くなったというよりも、成長し進化した、という考えも的外れではないと思うんです」
こう話すのはシンシア・レノン。
彼女が遺した手記から。
ビートルズは大人になりつつある、と理解はしていたシンシアであったが。
それでも、実際にジョンが他の3人に「ビートルズを解散させたい」と告げた、と聞いた時は
さすがにショックであった。
ジョンにその決意を促(うな)がせたのは
音楽性の問題に加えて、明らかに自分たちが立ち上げた会社=アップルの秩序の無さにあった。
望む者であれば、誰でも社員として採用し。
ファッション業務では、多額の資金を注ぎ込んでアップル・ブティックをオープンさせたまでは良かったが。
お客イコ−ル万引き犯。
そのほとんどは、当時大流行していた、いろいろなイケナイ物で理性を失ったバカ者たちであった。
本来ならば、万引きを阻止しなければならない店員までもが、同じ物を摂取し。
店の床の上で 眠っている始末。
まさに無法地帯である。
しかし それも仕方のないこと。
ビートルズの4人はロックミュージシャンという職業以外 経験したことがない。
経営はスタッフに任せるしかなかった。
そんな時、友人であるミック・ジャガー(Mick Jagger)が、ある人物を紹介してくれることになった。
さて、その人物が果たしてビートルズを救ってくれるのか、くれないのか?
また来週に続く。
〜 The Beatles / Blue Jay Way
(小林)これは、67年。
「マジカル・ミステリー・ツアー(Magical Mystery Tour)」
の中に入っています。
ジョージ・ハリスンの曲ですね。
これは、ブルー・ジェイ・ウェイ(Blue Jay Way)というのは実在するハリウッドの通りの名前です。
ザ・ビートルズ。
□リクエスト
メールは [email protected]
採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。
(松戸市/男性)
こんにちは。
みんなが「ビートルズ、ビートルズ」と騒いでいるので。
へそ曲がりの私はローリングストーンズ(Rolling Stones)にハマってしまいました。
特にミック・ジャガー(Mick Jagger)に憧れ。
「山形のミック・ジャガー」と自分で勝手に命名しておりました。
(小林)アハハw
これはありますよね。
絶対あるよね、へそ曲がり。
みんなが騒ぐから。
あるいは、あの頃の状況だとね、ビートルズは圧倒的に女子が騒いだんですよw
だから、これは分かるしね。
ほんとにそうだと思います。
でもあれだもんね、なりきる人っているじゃない?
カラオケ屋行くと、桑田佳祐になりきっている人たちいるみたいにw
あなたも なりきりましたか。
リクエストはこれです。
Satisfaction
〜 Rolling Stones / Satisfaction
@YouTube
(小林)すっかりお馴染みの曲です。
ローリングストーンズの Satisfaction
この番組でご存知の通り、ローリングストーンズはね、ビートルズを追いかけたんですよね。
でも、この曲が出た時はもう「追いかける必要はないな」
「自分たちのローリングストーンズの、オリジナルのストーンズ節を発見したなあ」なんてね。
まあ、例えば ワンコードみたいな中でね、ずーっと押していくっていうふうな。
ビートルズ絶対やりませんかららね。 (小林)続いて・・・
(習志野市/女性)40代
前回、メールを読んでいただいた時。
ジョンとヨーコのラブストーリーを楽しみにしている、という内容を送ったんですが。
ここ数ケ月のシンシアへの仕打ちが、可哀そうで。(涙)
やはり不倫はいけません。 (小林)w
シンシアの人生はもう終わってしまいましたが。
放送の内容を聴きながら、彼女にエールを送らずにはいられません。
(小林)と書いてあります。
でも、あれですね、さすがお若いですね。
[習志野市/女性]さん。
ケイティー・ペリー(Katy Perry)ですからね。
Firework
〜 Katy Perry / Firework
@YouTube
(小林)いやあ
あの、こう、ビートルズのね、もう何十年も昔のやつがw 続いてる中。
こんな新しいのが「ガンッ」と来ると、けっこう新鮮ですよねえ。 (松戸市/男性)
毎週楽しく拝聴しています。
日曜日にこの番組を聴きながら家族全員の食事を作っている、50歳のオッサンです。 (小林)ご苦労さんですね
この前の放送で、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(Creedence Clearwater Revival)の曲がかかりましたね。
克也さんが「僕らはCCRと略して呼んでいる」というコメントがあり。
一つ謎が解けたんです。
それは、杉真理(すぎまさみち)さんの曲で「ほこりだらけの Summerplace」という曲の中で。
「CCRなら イッツオーケー」という歌詞があります。 (小林)w
曲が発売になった30年前当時、歌詞の意味がわからなかった。
そのままにしてしまいました。 (小林)ようやく判ったw 30年経って判ったw
同じ曲の2番の歌詞は「ELOなら イッツオーケー」という歌詞になっています。
で、その流れでELOの「Twilight」をリクエストします。
余談ですが、「MSBなら イッツオーケー」という歌詞になっています。
(小林)これはファンじゃないと判らないよね。
マサミチ・スギ・バンドだったらオッケーという。 (小林)w
なんだかオシャレですよね。
(小林)
オシャレですかねえw
[松戸市/男性]さん、あなたのリクエストで
エレクトリック・ライト・オーケストラ Twilight
〜 Electric Light Orchestra / Twilight
@YouTube
BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
@YouTube
□エンディング
(小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたでしょうか。
本当にリクエストありがとうございますね。
話しの方で、僕は 感心したのは。
やっぱり、さすがシンシアだなあ、と思ったのは。
ビートルズが仲が悪くなるじゃないですか?
それは、成長だから、自然の過程だっていうふうに見ていたっていうのはね。
これはね、普通 客観的に見ていた評論家たちは、そういうような結論下してないよw
ねえ。
「仲悪くなったんだよぉ」みたいな。
ただ、そこから深く入ってない、ての。
やっぱりさすが、家族だった人は見方が違うんだなあ。
やっぱりジョンも変わっていくわけですよね。
成長するわけですよね。
で、絶対、女性だから 人のことを想うわけです。
「うわあ、リンゴ・スターも変わっていったな」
「大人になっていったな」
「いろんな違う事もやってきたし」ていう。
そうすると、やっぱり「価値観が違うのは当たり前だろう」ていう。
普通の人が見落とすようなことが、やっぱり入っていました。
すごいと思います。
というわけで、リクエスト。
イシイのミートボール目指してくださいw
メールアドレスは
ボトルズ・アット・・・・ あ・・・
メールアドレスは
[email protected]
ボトルズはこれから、このあと飲むやつだw
ビールだw ヘヘへ
というわけで。
お相手は小林克也でした。 ■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
2017年10月15日(日)18:00〜19:00 放送内容 DJ:小林克也
BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
@YouTube
□ビートルズカレンダー(10月15日)
・今日はちょっと面白いよ。
今から33年前の今日。1984年。
このところジョン・レノンのお話しをしておりますけども。
ジョン・レノンの息子=幼かったジュリアンが21歳でメジャーデビューいたします。
33年前の今日 ジュリアンがとうとうレコードデビュー。
曲は「Valotte」という曲です。
まあ、お父さんが突然亡くなったということで。
ジュリアンはですね、ジョン・レノンのお父さんの作品の中から「イマジン(Imagine)」に感銘を受けて。
「イマジン」が好きだったわけですよね。
で、曲の書き方、デモテープの作り方、勉強して、作って。
これが、カリスマレコード(Charisma Records)の社長に気に入られるわけです。
耳に留まる「ジョン・レノンの息子だ」
そして、カリスマレコードはアメリカ側はですね、アトランティックレコード(Atlantic Recording Corporation)です。
で、アトランティックの会長 アーメット・アーティガン(Ahmet Ertegun)
この人は レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)を始め、いろんな人を育てたっていう有名な人なんですけども。
「これはいける!」と。
「この若い子は才能がある」「作曲の才能がある」
「ミュージックライティングの才能がある」
ていうことで、契約をするんです。
で、どうなるかというと。
アラバマ州のマッスル・ショールズ(Muscle Shoals)という有名なスタジオ。
でもこれ、すっごい田舎にあるスタジオなんですよ。
ここでプロデューサー、ビリー・ジョエル(Billy Joel)なんかの仕事でも有名なフィル・ラモーン(Phil Ramone)がプロデューサーで
レコーディングが行われるんです。
レコーディングは半年近くかかって。
33年前の今日、アメリカ、イギリス 同時に発売ていうことになるわけです。 で、アルバムもジワジワ売れるわけですよ。
で、アメリカでは17位、イギリスでは20位と、まずまずの成績です。
そして、面白いことに、シングルは、最初のシングルは「Valotte」って今言いましたよね。
で、これもヒットするんですけども。
次の「Too Late for Goodbyes」
こっちの方が成績上なんです。
ビルボードでは全米5位を記録します。
というわけで
今日は1曲目は、息子ジュリアン・レノン(Julian Lennon)の
アメリカで5位の曲を聴いてください。
Too Late for Goodbyes
〜 Julian Lennon / Too Late for Goodbyes
@YouTube
(小林)お父さんの声に ちょっと似てます。
ジュリアン・レノン。
息子の Too Late for Goodbyes
これはアメリカで5位。
で、録音は、さっきも言いましたが、アラバマのド田舎のマッスル・ショールズていう。
でも有名なスタジオなんですよね。
で、その続きというか、続きのレコーディングとか。
仕上げはニューヨークのヒット・ファクトリー(The Hit Factory)というスタジオ。
実はここは、ジョン・レノンの遺作となった「ダブル・ファンタジー(Double Fantasy)」が作られた場所。
だから、プロデューサーのフィル・ラモーンがね、冗談で。
「ここは幽霊が出るかもよ。幽霊が出るかもよ」って言ったら。
息子のジュリアンは「確かに幽霊いるねえ。だけど、みんな僕の見方になってくれる、良いやつばっかりだよ」
って答えた、ていう話しもありました。
でまあ、この年にジュリアンは大活躍。
そしてこの年に、ジョン・レノンの遺産を相続するんですよね。
だから、翌年の税金の、所得税の納める額なのかな?
ポール・マッカートニーを上回ってw
イギリスのミュージシャンで1位だった、という話しもあるくらいです。 □ストーリー
・「ビートルズだってもうすぐ30代になる。
ずっと女子供相手のバンドではいられない。
ということは、私も頭では理解していました。
それでも いよいよジョンがほかの3人に対し
『ビートルズをそろそろお終いにしたい』と発言したと聞いた時には、さすがショックでした」
こう語るのはジョン・レノンの最初の妻シンシア・レノン。
シンシアが遺(のこ)した貴重な手記から。
ジョンにビートルズ解散の決意を促(うな)がしたのは、
音楽性の問題に加えて、明らかに自分たちで立ち上げた会社アップルの秩序の無さ。
望む者であれば社員として採用し。
ファッション業務では、多額の資金を注ぎ込んでアップルブティックをオープンさせたまでは良かったが。
お客イコール万引き犯。
そのほとんどは、当時大流行していた いろいろなイケナイ物で理性を失った馬鹿者たちであった。
本来ならば、万引きを阻止しなければならない店員までもが、同じ物を摂取し。
店の床の上で眠っている始末。
まさに無法地帯である。
そんな時、友人であるローリングストーンズ(Rolling Stones)のミック・ジャガー(Mick Jagger)が、
夜遊びの席で ある人物のことを話してくれた。
ミック・ジャガーはこう語ったという。
「そうかあ。アップルがそんな状況なんて知らなかったな。
ビートルズのレコードはまだまだ売れ続けてるし。
あの女の子=メリー・ホプキン(Mary Hopkin)の「Those Were The Days」なんか2000万枚売れた、とか聞いたよ。
それでも追い付かないくらい大変なんであれば。
あとはなんとか税金対策を考えるしかないね。
イギリスの税率は異常だから。
なんてったって儲かった傍から持ってかれるから、たまんないよ。
そうだ、税金対策に関して天才的なやつがいるんだけど、紹介してもいいよ。
ただ、この男はかなりの曲者(くせもの)でね。
名前はアラン・クライン(Allen Klein)ていうんだ」
〜 Mary Hopkin / Those Were The Days
@YouTube
〜 The Beatles / Ob-La-Di, Ob-La-Da(Anthology 3 Disc 1)
@YouTube
(小林)名曲がつながりましたね。
ビートルズの会社アップルから出た
Those Were The Days メリー・ホプキン。
ミック・ジャガーの話しの中でちょっと出ていました。
そして
Ob-La-Di, Ob-La-Da
これは、実は初期のバージョンです。
これ、気が付きましたかね?
気が付いた人は、合格w
だから、これをもっともっと良くしたのが、
我々が耳に馴染んでるやつですね。
Ob-La-Di, Ob-La-Da □ストーリー(続き)
・「そうか。アップルがそんな状況だなんて考えもしなかったな。
確か、イギリスの税率はな、異常だから。
なんてったて、儲かったらすぐ傍から持って行かれるからな。
たまんないよ。
そうだ、税金対策に関して天才的なやつがいるんだけど、紹介してもいいよ。
ただ、この男はかなりの曲者でね。
名前はアラン・クラインていうんだ」
これは、ジョンがナイトクラブに飲みに来ていた席で一緒になったローリングストーンズのミック・ジャガーの発言。
シンシアの遺した手記から。
アランクラインは、ユダヤ系移民の家庭に ハンガリーのブタペストで生まれた。
1歳の時に母親を亡くし、その後 苦学して大学を卒業。
会計監査の仕事に就き、主にショービジネス界の会社をクライアントとして請け持っていた。
ミックは語っている。
「クラインは確かにすごい男だ。
ストーンズの印税関係、税金関係が上手く行っていないと話したところ。
収支報告の書類を、ほんの5分ながめただけで、こう言うんだ。
『ジャガーさん、私なら1ヶ月以内にストーンズ側に少なくとも1億円は取り戻して見せますよ。
お約束します』てね。
最初は『こいつ本当のことを言ってるのか? 騙されないようにしないと』って思ったけど。
いざ、仕事をさせてみると、本当に有能なんだ。
ただ問題は、俺たちのわからない所で裏金を作って、自分の懐(フトコロ)に入れてしまうんだよ。
俺は大学で経済学を学んでいたんで、少しは判るんだ。
もう騙されないぞ、と思ってクビにしたんだけど。
もしかしたら、アップルの立て直しには、やつが必要かもしれないな。
ただし、本当に気を付けてくれよ」
さて、このミックの提案はビートルズにとって 吉と出るか 凶と出るか。
この時点では、まだ誰にもわからなかったのである。
〜 The Beatles / Taxman
@YouTube
〜 The Beatles / The Word
@YouTube
(小林)2曲
ビートルズ中期の作品が並びました。
「ここらへんが一番好きだよ」っていう人もいるんですけどね。
Taxman は「リボルバー(Revolver)」の中から。
ようするにジョージ・ハリスンが、もうほら
内容に沿った曲の書き方もしますからね。
これはもう、イギリスの税金の高さを歌ってるわけですね。
Taxman はね。
それから The Word
これも恋愛の歌じゃないですね。
「ラバーソウル(Rubber Soul)」の中に入っていて。
ここらへんはw ちょっとメッセージを伝えるような歌になっています。 □ストーリー(続き)
・「そのアラン・クラインて男、涼しい顔をして言うんだよ。
『ジャガーさん、私なら1ヶ月以内にストーンズ側に少なくとも1億円は取り戻して見せますよ。
お約束します』て。
最初は、『こいつ本当のことを言ってるのかな? 騙されないようにしないと』って思ったんだけど。
いざ、仕事をさせてみると、本当に有能なんだ。
ただ問題は、俺たちのわからない所で 裏金を作って、自分の懐(フトコロ)に入れてしまうんだよ。
もう騙されないぞ、と思ってクビにしたんだけど。
もしかしたら、アップルの立て直しに、やつが必要かもしれないな。
ただし、本当に気を付けてくれよ」
こう話すのはビートルズの中でも特にジョンと気が合っていたローリングストーンズのミック・ジャガー。
経営難にあえいでいるビートルズの会社アップルコアを何とかしようと、ジョンの相談に乗っている場面である。
こうした貴重な裏話も満載されているジョンの最初の妻シンシア・レノンが遺した手記の中からもう少し。
出来るだけ早くアップルを立て直そうと、ジョン、リンゴ、ジョージ、の3人はポールの意見も聞かずにこのアラン・クラインを会計担当者に任命した。
当然これに激怒したポールは、クラインを信用できない人物だとして猛反発。
偶然ではあるが、ポールの妻であるリンダの父親リー・イーストマンはクラインと同じくショービジネス界を中心に仕事をしている弁護士であったため
ポールはイーストマンを強く推薦した。
もちろんイーストマンはクラインと直接話し合うための時間を作ったが。
リサーチの鬼であるクラインに自らの出自まで暴かれ、残念にもその話し合いは敗北となった。
こうして、アップルの立て直しを切っ掛けに。
皮肉にも、ポール対他の3人という骨肉の争いの図式は
さらに加速を強めていくのである。
〜 The Beatles / You Never Give Me Your Money
〜 The Beatles / Tomorrow Never Knows
@YouTube
(小林)問題作が2曲 続きましたねw
アビーロード(Abbey Road)から
You Never Give Me Your Money
ポール・マッカートニーが、そのね、1対3の構図ってお話ししましたけど。
「アラン・クラインはお金をこっちに回さないじゃないか」ていう。
だから、これ非難した歌ね。
非難した歌だけに、声を荒げないで、優しい声で、演奏も気を使ってて、すげえカッコよく言っていた。
You Never Give Me Your Money
で、Tomorrow Never Knows は
これは「リボルバー(Revolver)」の中の
こっちはジョンの世界で。
ジョンが自分の声にいろいろ拘(こだわ)って。
なんだか 天井からロープをぶら下げて。
それにぶら下がって、グルグル マイクの前を周りを回してもらいながら歌ったり、とか。
いろんな心を、なんてんですかね、試みたっていう。
だから、後半の声が、だんだん変化してくるところは面白いですね。
Tomorrow Never Knows □リクエスト
メールは [email protected]
採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。
(大田区/男性)60代
今日の新聞でトム・ペティ(Tom Petty?)が亡くなったことを知りました。
まだ60代だったんで残念です。
80年代にジョージ・ハリスン、ロイ・オービソン(Roy Orbison)ボブ・ディラン(Bob Dylan)ジェフ・リン(Jeff Lynne)の5人でやった
トラベリング・ウィルベリーズ(Traveling Wilburys)の Handle With Care をお願いします。
ディランのバックバンドとしてのコンサートを奏ってた頃が一番輝いていたような気がします。
(小林)そうですか。だけどねえ、トム・ペティはね。
デビューした時からね、追っかけると良いって。
デビューの頃から良いって、ほんとに。
でも、早すぎる若さです。
天国で、ジョージやロイ・オービソンと会っているんじゃないでしょうか。
(小林)ていう
[大田区/男性]さん、あなたのリクエストは、その5人でやっていた。
トラベリング・ウィルベリーズの Handle With Care
〜 Traveling Wilburys / Handle With Care
@YouTube
(小林)スーパーグループでしたねえ。
ジョージ・ハリスンやボブ・ディランやロイ・オービソンや、ねえ、ジェフ・リン。
そして、亡くなったトム・ペティ。 (小林)続いてはね
(船橋市/男性)
私がビートルズに出会ったのは小学6年の時。
友達のお兄さんに聴かせてもらった「Hey Jude」
登下校の時によく「Hey Jude」の「ダ〜ダ〜ダ〜ダ〜 ヘイ、ダダ ダ〜ダ〜」っていうところみんなで歌ってましたよ。
そんな光景を音楽の先生が見ていたらしく。
先生が授業で「Let It Be」をかけてくれたんです。
その時 私たちはすごい衝撃を受けました。
それから中学に入り、レコードを集め。
レコード屋のお兄さんからビートルズの小ネタを聞いたり。
ポスターを部屋の天井に貼ってみたり。
いろんな 真似をしてみました。
克也さんのテレビ番組を見るために塾をサボって友達の家で見たりもました。
(小林)なんて、書いてらしゃるのは[船橋市/男性]さん。
[船橋市/男性]さんは ビートルズの Taxman と ジャム(Jam)の Start を聴き比べたい。
さっき Taxman がかかりましたね。
じゃあ、あなたのリクエストに応えて。
思い出してくださいね、ビートルズの Taxman のオープニングをね。
ジャム(The Jam)の Start!
〜 The Jam / Start!
@YouTube
〜 Peter,Paul & Mary / I Dig Rock & Roll Music
@YouTube
(小林)どうですか?
これちょっと面白いでしょ? ねえ。
「Puff The Magic Dragon」なんかでお馴染みの、フォークのトリオです。
ピーター・ポール&マリー(Peter,Paul & Mary)
それが、ちょっとビートルズのパロディも奏ってたような気がしなかったですか?
I Dig Rock & Roll Music
それを指摘していたのは・・・
(鳥取県倉吉市/男性)
[鳥取県倉吉市/男性]さんは、なんか音楽ちょっと、うるさいっぽいですね。 (小林)最後は・・・
(松戸市/女性)
小林さんも関わられていたテレビ番組が終わってしまい。
最終回で画面にもご出演されて、思い出話に花を咲かせていらっしゃいました。
寂しいなあと思っていたら、なんと彼らは地上波から飛び立ち。
SNSという新しい世界に羽ばたくというニュースを発表しました。 (小林)SMAPのことですね。
まさに、自由に向かって飛んだんですね。
(小林)そうです。
[松戸市/女性]さんのリクエストは、鳥です。
ビートルズの Blackbird
〜 The Beatles / Blackbird
@YouTube
BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
@YouTube
□エンディング
(小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?
ジョンのお話し。
シンシアと別れてからも、ちょっと生臭い話しねw
気になりますね。
それから リクエスト。
今はもう、日本全国から ラジコなんかのおかげで来ていますねえ。
音楽にうるさい方も参加しています。
音楽を知らない方のリクエストもオッケーです。
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です。 ■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
2017年10月22日(日)18:00〜19:00 放送内容 DJ:小林克也
BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
@YouTube
□ビートルズカレンダー(10月22日)
・52年前の今日。1965年。
ビートルズが精神的にバンドとして、だんだん盛り上がって来るころ。
この52年前の今日はですね。
2曲のダビングをやってますね。
アルバムは「ラバーソウル(Rubber Soul)」です。「ラバーソウル」の・・・
で、ダビングてのは、もうすでに録音したやつに録音を加えるんですが。
今日はね、ちょっと面白い話ししますよ。いいですか?
だいたいね、デビューしてから、プロデューサーのジョージ・マーティンがピアノは担当していたんです。
彼はなにしろ、音楽大学を出て、ジャズバンドのマスター=バンマスやってたし。
クラシック音楽にも もちろん強かったわけですね。
で、彼が,だいたい初期から、ピアノは彼が担当するんです。
で、この曲も彼がピアノを担当するんですが。
そこがですね、そんじょそこらのピアノの録音のし方じゃないんです。
いいですか?
最初に通常よりも、ワンオクターブ低い音域で 低く弾くわけです。
オクターブ低くね、メロディーを。
で、その時に、テープの速度を普通の半分の速度にするわけ、ね。
それにピアノを録音するわけです。
そして、テープの速度を元の早さに、つまり2倍に戻すと。
ピアノも通常速度で再生される。
だから、オクターブ上、ほぼオクターブ上になるわけですよ。
わかりますね?
わざわざ、こんなことをやったんです。 で、In My Life のバロック風のピアノも。
その「ワインドアップピアノ」という、いま紹介した手法なんです。
だから、普通で弾くのと、テープで・・・なんてんですか・・・早く弾くわけ、回すわけですよね。
だから、その遅いのが高音になった時、普通の音と違うんです。
そこんところを見てくださいね、聴いてくださいね。
いいですね?
ジョン・レノンの曲は In My Life なんですけど。
特にピアノを注目です。
ザ・ビートルズ。
〜 The Beatles / In My Life
@YouTube
(小林)ザ・ビートルズ In My Life
いつもだったら ねえ、ボーカルを中心に聴くと思いますけど。
今日はピアノを中心に。
わかりました?
ちょっとニュアンスが違ってましたよね。
だから、ヒューマンじゃ・・・ なんていうのかな。
ヒューマンじゃない人間がこうやってるのか?
ちょっと、ニセモノっぽいような。
なんか略されてたような 感じがしたでしょう?
ああいう所から、もうほんとビートルズって、いろんなところで凝ってるからねえ。
おんなじ曲でも、何回聴いても 飽きなかったりするんだよねw □ストーリー
・「ジョンが『ビートルズをお仕舞いにしたい』と発言したと聞いた時は、がく然としました。
でも、それ以上にショックだったのは、金銭関係でポールが孤立していると聞いた時です。
お金は人の心を変えてしまう、ということは離婚争議の時にイヤというほど思い知らされていたので。
少なくともビートルズだけは、そうなって欲しくなかったんです」
こう語るのはジョン・レノンの最初の妻シンシア・レノン。
彼女が遺(のこ)した貴重な手記の中から。
出来るだけ早くアップルを立て直そうと、ジョン、リンゴ、ジョージ、の3人は
ポールの意見も聞かずに、このアラン・クラインを会計担当者に任命。
当然これに激怒したポールは、クラインは信用できない人物だとして猛反発。
これに対してポールは、妻であるリンダの父親リー・イーストマン氏を強く推薦した。
しかし、イーストマンはクラインに、知られたくない自らの出自まで暴かれ、残念にも敗北となった。
こうしてアップルの立て直しを切っ掛けに、皮肉にも「ポール対他の3人」という骨肉の争いの図式はさらに加速を強めていった。
そしてビートルズが解散することになった もう一つの要因がある。
シンシアの考えでは、それが一番大きな問題だという。
「誰もが推測するとおり、ジョンとヨーコの関係は、他のメンバーを憤慨させ。
同時に、ジョン自身の心を3人から引き離していた。
ビートルズには初めから「妻やガールフレンドには仕事に関して一切干渉させない」という不文律があった。
シンシアをはじめとするビートルズの女たちは
よくシングルやアルバムのレコーディングが終わるころに、
ミックスの終わった最終バージョンを聴きにアビーロードに行くことがあったが。
それは、ビートルズにとって大切な儀式だったのである。
〜 The Beatles / Strawberry Fields Forever
@YouTube
〜 Rolling Stones / Ruby Tuesday
@YouTube
(小林)ねえ、クラインという人をミック・ジャガー(Mick Jagger)に紹介してもらうジョン・レノン。
ジョン・レノンとミック・ジャガーは、ビートルズとストーンズの発売日もね、ぶつからない様に相談していましたけど。
1967年3月、違う日に発売された。
でも、これは ビートルズの両A面の一つ。
ローリングストーンズも両A面の一つ。
えーと・・・
Strawberry Fields Forever は
ポール・マッカートニーの「Penny Lane」と組み合わせですよね。
で、Ruby Tuesday
まあ、これはミック・ジャガー、キース・リチャーズ(Keith Richards)ですけれども。
Ruby Tuesday は「Let's Spend the Night Together」の、とA面。
その2つを ちょっと紹介してみました。 □ストーリー(続き)
・「基本的にビートルズは,自分の妻や恋人をスタジオに連れて行くことはありませんでした。
レコーディングスタジオは神聖な場所であり。
最初から最後まで、全神経を集中させて作品を創る。
誰も踏み込むことの出来ない所でした」
ビートルズをデビュー前から見続けてきたシンシアの発言。
シンシアの遺した手記から。
「私たちはよく、シングルやアルバムのレコーディングが終わる頃に。
ミックスが完了した最終バージョンを聴きに、アビーロードに行くことがありましたが。
メンバーが最善を尽くし、魂を振り絞って仕上げたものであることを良く分かっていたので。
口出しは一切しませんでした。
それがビートルズと その女たちのスタイルだったんです。
メンバー自身と、最高責任者であるプロデューサーのジョージ・マーティン以外に
作品の製作に意見を言う者はいなかったのです。
マネージャーのブライアン・エプスタインでさえ、スタジオに来ることは遠慮させられ。
作品の完成を ただただ待つばかりでした。
部外者がいない環境でこそ、最高の仕事ができる。
四人はそう考えていたのですね」
ところが、ジョンがオノ・ヨーコと付き合い始めると、事情が変わってしまった。
ジョンはヨーコがいなければ 何をするのも拒むようになった。
離婚争議の弁護士事務所で、ジョンがトイレに行く時ヨーコが付いて行ったことを、シンシアは忘れてはいなかった。
ジョンは自分たちの名前さえもくっ付けて「ジョン・アンド・ヨーコ」にするつもりだと発表しており。
その後、ジョンは実際にミドルネームを「ウィンストン」から「オノ」に変えてしまった。
周りから見ると、少し滑稽(こっけい)だったが、ジョンは100%本気であったことは言うまでもない。
〜 John Lennon / Oh Yoko!
@YouTube
〜 Paul McCartney / The Lovely Linda
@YouTube
(小林)それだけかw っていうw
ええw ポール・マッカートニー。
これ1970年。
「マッカートニー(McCartney)」のアルバムの中に入っているやつね。
それから、その前は、1971年、1年後ですよね。
「♪オー ヨーコ―♪」ていうww
曲です。
ジョン・レノンの。 □ストーリー(続き)
・「ミドルネームをオノに改名するなんて、ジョンはまったくおかしなやつだよ。
だけど、僕らは結局のところ ジョンが大好きだからね」
こう話すのはリンゴ・スター。
こんなことまで細かく書かれているのは、ジョンの最初の妻であるシンシアが遺した手記。
その名著の中からもう少し。
ジョンは愛されるキャラクターではあったが。
ヨーコをレコーディングセッションにまで引っぱり込んで。
自分のすべき事の判断をすべてヨーコに委ねるようになると、場面は一変した。
他のメンバー3人が明らかに嫌悪感を示すようになったのである。
時には、ビートルズとして仕上がったものに対し、ヨーコに批判させることすらあった。
もちろん、こんな状態がそう長く続くわけではなかった。
言うまでもなく、最終的にビートルズを終わらせたのは ジョンである。
皮肉なことに、そのビートルズを始めたのも ジョンであった。
ジョンはシンシアだけではなく、ポールからも、1960年代を一緒に過ごした人たちからも 離れて。
自分の望む道を歩み続けて行った。
その中でヨーコは、ジョンの妻として シンシアと入れ替わり、
アーティストのパートナーとして、ポールに代わる存在になった。
もちろん、何事においても 変わるということは必然的なもので。
ジョンもポールも、それぞれの道を進みながら、さらに創造性を発揮し成功を収めて行った。
ただ、必然的とは言っても。
その経過は あまりにも残念なものだった。
ジョンとポールの関係が、結局は完全に修復されないままになってしまったことを考えると、なおさら残念なこと。
6年の間に空前の大成功を博してきた、押しも押されもしない世界のトップバンドが、
公然と非難し合い、刺々(トゲトゲ)しい感情のうねりの中で分裂してしまったのである。
そんな事が起こっている中。
ジョージとリンゴは黙って、傍観者として過ごすしか方法はなかった。
もちろん、ミュージシャンとしての力を磨き育てて行った時間であったことも 付け加えておこう。
〜 The Beatles / Here Comes The Sun
@YouTube
〜 Ringo Starr / Only You
@YouTube
(小林)
ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター と続きました。
Only You
これは、プラターズ(The Platters)のヒット曲のカバーですけども。
リンゴの「GOODNIGHT VIENNA」のアルバムの中から。
ジョン・レノンがサウンドを作りましたねえ。
ねえ、親友のために丁寧に作ってますねえ、音をねえ。
で、その前は。
もちろん ジョージ・ハリスン。
「アビーロード(Abbey Road)」から Here Comes The Sun □リクエスト
メールは [email protected]
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(船橋市/男性)
ビートルズの出会いは中学の時。
テレビで見た「ビートルズがやって来る!ヤア ヤア ヤア」に衝撃を受け。
その日から58歳まで聴き続けています。
高校時代、イギリスのフィリップ・ジョンーンズ・ブラスアンサンブル
これはロンドンの有名オーケストラ、などの金管楽器10人のグループ。
この存在を知りビートルズと同様の衝撃を受けました。
数年後、ポールのLPを買った時、そのコラボ… (小林)ポールとそのフィリップ・ジョンーンズ・ブラスアンサンブルとのコラボ
を発見し、とても興奮したのを覚えています。
その曲をリクエストします。
それは、ポールの「Tug Of War」から
曲は Wanderlust
〜 Paul McCartney / Wanderlust
@YouTube
〜 The Beatles / Devil In Her Heart
@YouTube
(小林)ビートルズの Devil In Her Heart
(新宿区/男性)50代後半
ジョンはブリジッド・バルドーが好きで。
黒髪のシンシアに「バルドーみたいな金髪に染めて」と頼んだ、とありました。
シンシアの本にも出てくる話しでしょうか?
(小林)えーとね。どうでしょうね。
ほんとに ジョン・レノンはブリジッド・バルドーが大好きで。
高校時代は大きなポスターが自分の部屋に貼ってあった。
で、実際有名になって、ブリジッド・バルドーがなんかの切っ掛けでねロンドンに来て。
「ビートルズに会いたい」って来るんですよ。
それで、ジョ・レノンが興奮しちゃって。
幼馴染みのピート・ショットンと二人で会いに出かけるんだけど。
メッチャクチャ興奮してるもんだから、酒飲み過ぎて酔っぱらってなんにもできなかった。
ていうエピソードがあるくらいですww (小林)やっぱり50代の後半
(横浜市/男性)
ビートルズとの付き合いは69年春。
4歳上の兄が中学になり「Hey Jude」のシングルを家で聴いた時から。
当時私は小学低学年でした。
子供ながらに 大好きになったことを思い出しています。
ビートルズ解散後も、ビートルズ一辺倒でしたが。
社会人になり、30歳を超える頃。
ビーチボーイズ(The Beach Boys)とのライバル関係と、1965年頃の逸話を知りました。
当時のアルバムを、前後関係を理解して聴き比べると、互いに影響し合って切磋琢磨していたことがよく分かり。
違う楽しみをもらいました。
それからは、ビーチボーイズも負けないくらいのマニアになり。
今日に至っています。
それ以来、ポールもブライアンも、来日のたびにライブに足を運ぶようになりました。
生まれ年も 生まれた月も同じ、二人には本当に長生きしてほしいです。
そこで、今日はビーチボーイズの1966年の名アルバム「Pet Sounds」から Here Today をリクエストします。
ベースラインが不思議な曲ですが、使われているバスハーモニカが、明らかに「サージェント」に影響を与えていることがよく判るので
とても興味深い。
ポール・マッカートニーも インタビューで言ってますよね。
『「Pet Sounds」を聴いて「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」を作った』と。
(小林)というわけで
[横浜市/男性]さん、あなたのリクエストの応えます。
「Pet Sounds」から、ビーチボーイズ、 Here Today
〜 The Beach Boys / Here Today
@YouTube
〜 The Beatles / Anna (Go To Him)
@YouTube
(小林)
デビューアルバム「Please Please Me」から
「さすがビートルズ」という感じの・・・
これねえ、アーサー・アレキサンダ(Arthur Alexander)のカバー曲 Anna
これを お聴きいただきました。
(習志野市/男性)
ビートルズの曲をリアルタイムで聴いていた私も、そろそろいいオジサン。
いや、いいオジイサンですが。
この番組を聴いていると 60年代70年代のミュージックシーンを思い出します。
私にとってビートルズやストーンズはやはり特別なバンド。
そもそも ビートルズという一つのバンドに限定したこういう番組で
こんなに長く放送されているのは過去にあるのかな?
ギネスに載っているのかな? (小林)www
(小林)いや、申し込んでないですからw アハハハw
というわけで、リクエストほんとにありがとう。 BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
@YouTube
□エンディング
(小林)「ビートルズから始まる」
シンシアとジョンが別れてから後の話しも、
なかなかほんと面白いですよね。ええw
それから、リクエストなんですけども。
最近は、なんか、音楽的にとてもセンスの良い方たちからのリクエストが増えておりますが。
元々この番組は、スタートした時は、十代の子のリクエスト、二十代の人のリクエストも多かったんです。
えーと、来ていませんが、もう十代二十代、新しい人たちは聴いてくれてないのかな?
そういうような心配もありますw
もし良かったら、リクエストください。
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宛て先は
[email protected]
もし来ないんなら、それでもいいんだけど、アハハww
お相手は小林克也でした。 ■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
2017年10月29日(日)18:00〜19:00 放送内容 DJ:小林克也
BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
@YouTube
□ビートルズカレンダー(10月29日)
・1968年、49年前の今日。
ビートルズたちのスタジオ、第3スタジオでは。
まあ、録音場所のスタジオは使われていない。
コントロールルームだけが使われていて。
何をやっているかというと、ミキシングです。
もう、最終段階ですね。
「Hey Bulldog」「All Together Now」「All You Need Is Love」「Only a Northern Song」
で、エンジニアはジェフ・エメリック(Geoff Emerick)
ジェフ・エメリックなんかは一番ノッている頃です。
で、リミックスが行われています。
これは、「イエローサブマリン(Yellow Submarine)」
このリミックスのセッションの最終日「イエローサブマリン」の。
つまり、アルバム「イエローサブマリン」のレコーディングとミックス作業。
すべてが 今日でもって完了という日です。
まあこの「イエローサブマリン」ていうアルバムは、中途半端な存在っていうのはw
これねえ、アニメのサントラっていう考えると、ぜんぜん中途半端じゃなくて。
「イエローサブマリン」っていうふうになってるけど。
その「Yellow Submarine」はご存知の通り、もう2年前のアルバム「リボルバー(Revolver)」の中に入って。
シングルとしても、リンゴが歌う最初で最後のナンバーワン・ビートルズソングとなって。
もう確立してる。
でも、それがタイトルになってるわけだよね。
だから、ちょっとなんか新鮮味がないなあ、っていう。
ただ、ビートルズの凄さは。
さっき言った曲目が、このアルバムのために・・・
まあそれは、時間としてはそんなに無かったんだと思いますけども。
これを書いて出来上がったものが、やっぱりすごいっていうことは
「やっぱりビートルズだ」ってことですよね。 「All Together Now」「All You Need Is Love」
それから「Hey Bulldo」
そうなんです、ジョンが書き下ろした「イエローサブマリン」のために書かれた新曲の中からお送りしましょう。
Hey Bulldog
〜 The Beatles / Hey Bulldog
@YouTube
(小林)どうですか?
ねえ「イエローサブマリン」ていうことを考えたら。
こういうふうな曲も 自然に書けちゃうっていうのは、それはやっぱ才能ですよね。
で、書いたら、まあついでに、とても楽しんでます。 □ストーリー
・「最終的にビートルズを終わらせたのは、ジョンだと思います。
皮肉なことに、そのビートルズを始めたのも、ジョン。
ジョンは私からだけではなく、ポールからも、そして1960年代を一緒に過ごした人たちからも離れて。
自分の望む道を歩むことを決心します。
その中でヨーコは、ジョンの妻として 私と入れ替わり。
アーティストのパートナーとしては、ポールに代わる存在になったのです」
こう語るのはジョン・レノンの最初の妻シンシア・レノン。
ビートルズのお話し、今週もそのシンシアが遺した貴重な手記の中から。
残念なことに、6年の間に空前の大成功を博してきた、押しも押されもしない世界のトップバンドが、
公然と非難し合い、刺々(トゲトゲ)しい感情のうねりの中で分裂してしまった。
もちろんシンシアも、全てが終わってしまったのだと思うと やりきれなかった。
その頃はもう彼女ももビートルズの身内ではなくなっていたのだが。
長い間一緒だった仲間だったし。
だからこそ、メンバーの仲が あれほどまでにこじれてしまったことを思うと、何より悲しかった。
その傍(かたわ)ら、ジョンとオノ・ヨーコは 世界の平和と あからさまにマスコミの注目を求めて活動を続け。
「大ニュース」としてメディアを沸かせていた。
二人はプラスティック・オノバンド()として1969年に「Give Peace A Chance=平和を我らに」を発表してヒットとなって以来
なにかと注目を集めつづけた。
1971年の冬には、世界11ヶ国に
「WAR IS OVER! If You Want It ? Happy Christmas from John & Yoko」
「戦争は終わる。あなたが望めば。ジョンとヨーコよりハッピークリスマス」
と書かれたポスターを掲げた。
もちろんこれも ヨーコのアイデアだったことは 言うまでもない。
〜 John Lennon / Happy Xmas [War Is Over]
@YouTube
〜 Sly and The Family Stone / Family Affair
@YouTube
(小林)ビートルズのファンの人はビックリしたと思うよ。
Happy Xmas の後に これがかかったんだもんねw
1971年の12月は、アメリカでは これが1位です。
アメリカは、まあ仕来たりとして、クリスマスソングなんかはカウントに入れない
っていう、ビルボードの方針によって。
スライとファミリーストーン(Sly and The Family Stone) Family Affair
そして、ビートルズのファンも、おったまげてしまうのは。
ビートルズよりも編成が少ないw
まあ、主に3人が奏って。
ベースが スライ・ストーン(Sly Stone)ですよね。
ギターが ボビー・ウーマック(Bobby Womack)です。
そして、ウーリッツアーのキーボードが ビリー・プレストン(Billy Preston)
この3人。
もちろん女性ボーカルが一人入って。
ところどころで、ドラムスみたいなのが聴こえたりしましたけども。
ねえ、これが、革新的なんですよ、これ、実は。
ビートルズもすごかったけどもw
これ、忘れちゃいけないw
で、その前が
Happy Xmas [War Is Over]
ジョン&ヨーコです。 □ストーリー(続き)
・「クリスマスシーズンになると”戦争は終わる。もしあなたが望めば”といったポスターを11ヶ国に掲げたり。
こうした平和運動のキャンペーンは、みなオノ・ヨーコのアイデアだったと思います。
ジョンが一人では、こういった流れにはならなかったと思うんです」
ビートルズをデビュー前から見続けてきたシンシアの発言。
シンシアの遺した手記から。
クリスマスキャンペーンに続き、こんどは二人で頭を短く刈り。
切った髪の毛を「平和のために」といってオークションに出品したりもした。
ジョンはまた、イギリス王室から与えられたMBE勲章を返還することで、武力行使をやめない王室や政府に対しての反戦反体制の姿勢を示した。
シンシアはジョンの育ての親であるミミ伯母さんをとても気の毒に思った。
ミミ伯母さんはロックンロールで大金持ちになったジョンを認めてはいなかったが、
勲章をもらったことで、「やっと世間から認められた」とジョンのことを誇りに思っていたのである。
この頃のジョンの言動を「勇敢で、誠実で、革新的である」と多くの人たちが高く評価していたことはシンシアも認めてはいる。
しかし、その活動の張本人であるジョンが、最も愛情を注ぎ精神的に守ってあげなければならないはずの肝心の息子は
その父親であるジョンのせいで混乱し、とても傷ついていた。
母親であるシンシアは、息子の父親であるジョンを世間の人たちが見るように立派だとはとても思えなかった。
ジョンの親族やシンシアたちには、ジョンがますます自分自身に憑りつかれて独りよがりになっているように見え。
それと同時に、かつて自分と最も親しかった人たちを思いやる気持ちを 忘れてしまったかのように思われた。
もちろん、自分の言動と世間の反応に敏感であったジョンは、精神的に張りつめていた。
ただ、そんなジョンは、かつての身内の人たちから見ると、本来のジョンの姿ではなかったのである。
〜 John Lennon / It's So Hard
@YouTube
〜 The Beatles / Rip It Up - Shake, Rattle and Roll - Blue Suede Shoes
@YouTube
(小林)えへへへw
かなり遊んでますよね。
これは3曲の
Rip It Up - Shake, Rattle and Roll - Blue Suede Shoes
有名なロックンロールをメドレーで奏ってるんですが。
これは1969年の録音で「アンソロジー(Anthology)3」の中に入ってて。
これ聴いたらねえ。
ビートルズのファン絶対感じてると思うんですけど。
10年前だったら、こんな感じの歌い方したり、こんなやり方しないんですよね。
もう、すっごい距離を置いてて、楽しんでて、レイドバックしてて。
自分たちの人生で ロックがだいたいどれくらいの距離のところにあるか、ていう。
いい距離の感じなんですよね。
ええ、だからティーンエイジャーなんかの歌うような歌い方じゃないところが、これはすっごい味があって。
もうひとつ、ユーモアの感覚があって。
やっぱ、ビートルズはユーモアが絶対あるってこと、これよくわかるんですよ。
で、その前は
It's So Hard
「イマジン(Imagine)」のアルバムから
ジョン・レノン、お送りしました。 □ストーリー(続き)
・「オノ・ヨーコと結婚し、ジョンはアーティスト活動も共にすることになるわけですが。
その2人の行動に関して、私には個人的に 心から恐れていたことがもう一つありました」
と話すのはジョンの最初の妻シンシア・レノン。
彼女の遺した名著の中からもう少し。
シンシアが知る限り、二人は当初、ヨーコの前の夫であるトニー・コックスとは良い関係を保っていたと見られていた。
トニーは再婚していて。
ジョンとヨーコは1970年の年明けを、娘のキョーコ、トニー、そしてトニーの新しい妻をデンマークの自宅に訪ね、一緒に過ごした。
ところが、上手くいっていた関係も1971年4月に、ジョンとヨーコがキョーコを誘拐しようとした罪で逮捕されたのを切っ掛けに
突然 悪化。
ヨーコとトニーは、キョーコの親権をめぐる争いの真っただ中に突入した。
トニーが新しい家族と共にスペインのマジョルカ島に暮らしていた時のこと。
ジョンとヨーコは、キョーコを学校から自分たちの宿泊しているホテルに連れ出したので。
おそらく、そのまま娘を連れて島を後にしようとしているのだろう、と思われた。
二人は地元の警察に14時間拘留されたのち釈放され、有罪にはならなかった。
キョーコは父親の元に返されたが。
トニーは、ジョンとヨーコの財力と権力に怖れをなしたのか、キョーコを連れてアメリカに逃がれた。
ジョンとヨーコは後を追って渡米し、何週間も行方を捜したのであるが。
結局 見つからず、イギリスに帰って来た。
ヨーコは娘を父親の元に残して来たものの、後から気が変わって、法廷で争う方法を選んだ。
シンシアは思った。
「もしかすると、ジョンも、息子のジュリアンに対して、ヨーコと同じ法廷で争う方法を取るのではないだろうか?」
それが現実の事となるかどうか、この時点ではまだ全く判らないことであった。
〜 The Beatles / Happiness Is A Warm Gun
〜 John Lennon / Only You
@YouTube
(小林)いかがですか?
ジョン・レノンの Only You
これは、リンゴ・スターの歌のはずじゃなくて・・・
そうなんですよね、
リンゴのソロアルバムに入っていましたね。
でも、ジョン・レノンがプロデュースしました。
もともとプラターズ(The Platters)っていう黒人グループの大ヒット曲をカバーしたわけですけど。
これは、ジョン・レノンがリンゴのためにデモとして歌ってあげたんだ、と思われますけれども。
レア・トラックスが集まった「Once Upon A Time」の中に 入ってるんですけど。
これ聴くと あれでしょ?
ジョン・レノン、こういうような歌い方、しない人ですよねえ。
でも、こうまともな歌い方をすると、
一般的に言われる、歌の上手さ、てのがあると思いますが。
ジョン・レノンは すごい上手いじゃないですか?
そういうことが良く分かりますねw
その前は Happiness Is A Warm Gun
「ホワイトアルバム(The BEATLES)」に入っている。
ジョンの、まあ小さな、端に置いておきたい傑作。 □リクエスト
メールは [email protected]
採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。
(横浜市/男性)40歳
いつも家族みんなで楽しく聴いています。
ビートルズ好きの小学生の娘も興味津々で聴いております。
ビートルズに並んでクイーン(Queen)も好きなようですが。
ラジオではあまりクイーンがかからないので曲をリクエストします。
私は大昔 友達からクイーンを教わり、音源を貸してもらいました。
当時はカセットテープでした
今でも付き合いが続いているので、私にとってベストフレンドかな。
クイーンの You're My Best Friend をお願いします。
〜 Queen / You're My Best Friend
@YouTube
〜 Bay City Rollers / I Only Want To Be With You
@YouTube
(小林)ベイシティー・ローラーズ(Bay City Rollers) I Only Want To Be With You
ダスティ・スプリングフィールズ(Dusty Springfield)
イギリスの女性の大ヒット曲をカバーしておりましたが。
(八王子市/男性)
毎週楽しみなプログラム、これからもよろしくお願いします
ビートルズが解散してから、数多くのグループが「ビートルズの再来か?」と取り沙汰されてましたね。
そんな中からベイシティーローラーズの「二人だけのデート」
中学生の頃の甘酸っぱい思い出の曲です。
耳の肥えたこの番組のリスナーの皆様、何も言わずに聴いてください。
(小林)ていうw
まあ、本当のビートルズのファンだったら、あれですよ、笑って楽しんだはずですよ。
[八王子市/男性]さん、ありがとうございます。 (東京都江東区/男性)50代
克也さん いつも車の中か、休みの日は家で聴いています。
私は映画が好きで 月に5本平均、年間60本観ます。
先日は「ドリーム」を観てきました。
NASAの宇宙開発を支えた黒人女性たちの奮闘劇。
アパルトヘイトや黒人差別の話題は 映画「THE BEATLES: EIGHT DAYS A WEEK」を彷彿とさせましたねえ。
最大級の賛辞を送りたい、最高の作品ですよ。
皆さんにお勧めです。
サントラも良かったです。
(小林)
で、リクエストはこのサントラからかな?
ファレル・ウィリアムズ(Pharrell Williams)の Runnin'
〜 Pharrell Williams / Runnin'
@YouTube
〜 The Beatles / I Want To Hold Your Hand
@YouTube
(小林)いやあ、最後はお馴染みのねえ
I Want To Hold Your Hand
がかかりました。
(船橋市/男性)65歳
こんにちは、毎週楽しく聴いております。
中学時代、ビートルズに憧れてマッシュルームカットにしたら
先生から、親が呼び出しを受けてしまいました。
でも、親は「子供の自由を奪うことは出来ない」と毅然と言ってくれました。
そんなマッシュルームカットをしていた私。
今はまったく面影も無くなってしまいました。 (小林)ww
当時よく聴いていた「抱きしめたい」をリクエストします。
(小林)かかりましたよw BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
@YouTube
□エンディング
(小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?
リクエスト、ほんと、皆さんから来るのを楽しみにしてます。
特に、ラジコで、もう北海道から沖縄まで・・・
それからファンの方たちがw リクエストを送ってくれるんで、うれしくて うれしくて。
それから、ビートルズのお話しの方は。
シンシアの手記。
いよいよ終わりに差しかかかっていますね。
それは感じられてると思いますけど。
やっぱりね、ジョンを「変な意味で見直した」とかね。
あの、なんていうんですかね。
客観的に見て、どうなんでしょうね。
僕は、もうおそらく、みなさんよりも早くから これを、このことを、ずーっともう・・・
「こうだったんだろうなあ。ああだったんだろうなあ」と思いながら見ておりますから。
あんまり熱くならずに醒めた感じで見るんですけど。
醒めてくださいよw ねw
で、来週をお楽しみに。
リクエストお待ちしております。
小林克也でした。 ■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
2017年11月5日(日)18:00〜19:00 放送内容 DJ:小林克也
BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
@YouTube
□ビートルズカレンダー(11月05日)
・今から49年前の今日。
ポールは、休暇でスコットランドへ行く。
この68年、今ごろっていう頃はですね、最高に忙しい頃。
ジョン・レノンが28? ポールが26ぐらいですよね。
で、「ホワイトアルバム(The BEATLES)」が終わって。
2週間ほど前に終わって。
で、大急ぎでジャケットを作ってて、プレス工場がフル回転。
で、ジョンとヨーコは暮らし始めている。
でも、イケナイ物の所有で見つかって逮捕されてる。
で、ヨーコは妊娠して流産する。
ジョージは、アップルの新人ロッカー=ジャッキー・ロマックス(Jackie Lomax)をプロデュースするためアメリカへ行っている。
それから、アップルの裏レーベル「ザップル」てのがあって。
映画「ワンダーウォール(Wonderwall)」のアルバムのサントラを作ったり。
もう、すっごい忙しい。
そんな中、「Hey Jude」はアメリカで10週連続トップを独走中ていう。
売り上げが500万。
でまあ、ポールは休みを取って。
前の年に買ったスコットランドにある大きな牧場です。
その頃は ポールはジェーンと一緒で、ジェーンを意識して買ったわけですね
長い間人が住んでいない。
ソファーは埃だらけ。
ガスは停まっている。
水道は井戸。
かろうじて電気が使えたので、アイロンでステーキを焼く。
アイロンでステーキを焼くんだよw
で、豆のカンズメが入っていた箱をひっくり返して、干し草を重ねてシーツで覆って、それベッドにして。
ね、もう、なんていうんですかね、トム・ソーヤ気分ていうんですかね。
で、ジェーンと別れたポールは、妻となるリンダと、連れ子ていうんですかねヘザーを連れて農場へ来て。
どんな雰囲気の場所だったか。
ここで楽しもうっていうわけです。
まだ、羊が放し飼いにされてた、あの牧場。 その雰囲気を この曲で感じてみますかね。
ポールとリンダが作ったアルバム「RAM」のジャッケトを見るとわかるんですが。
音楽は「ポール&リンダ・マッカートニー」で Eat At Home
〜 Paul McCartney / Eat At Home
@YouTube
(小林)そうですよねえ。
周りはなにも無い所ですからねえ。
この歌が生まれたんでしょうねえw
もう、歌詞はw
「さあさあ、お嬢ちゃん、きょうは、家でご飯だよ」
ですからw
「さあさあ お嬢ちゃん きょうは家でご飯だよ」
これで歌作っちゃうんだからねえw
ポールですね、さすがポールです。
Eat At Home
をお送りしました。 □ストーリー
・「私の知る限り。
ジョンもヨーコも、ヨーコの前の夫であるトニー・コックスとは良い関係を保っていると思っていました。
ところがヨーコは、トニーが親権を持つ娘のキョーコを自分に取り戻そうと少し強引な手を使ってしまったため。
スペインのマジョルカ島で逮捕されてしまったんです。ジョンも一緒でした。
14時間拘留された2人でしたが、なんとか釈放され。
今度はアメリカにキョーコを追って行ったんです。
ヨーコは娘を父親の元に残して来たものの、後から気が変わって、法廷で争う方法を選んだわけです。
もちろん私も心配になりました。
もしかすると、ジョンも息子のジュリアンに対しても、ヨーコと同じ法廷で争う方法を取るんじゃないだろうか? と。
ただし、もしそういう事になっても、私はジュリアンのために必死で戦おう、と堅く心に決めていたのです」
こう語るのはジョン・レノンの最初の妻シンシア・レノン。
彼女が遺した貴重な手記の中からお送りします。
「ジュリアンは絶対に手放さない」と決めてはいたものの、それから数週間のシンシアは心配でたまらず生きた心地がしなかった。
ところが、ジョンはジュリアンを取り戻そうとしたり、もっと会いたいと要求してくるどころか、我が息子を見捨てていた。
1971年9月、「ヨーコに憎しみを向けるイギリスのマスコミや国民にはもう耐えられない」という理由で
ジョンとヨーコはアメリカで暮すためにロンドンから旅立った。
このニュースをラジオで知ったシンシアは、腰が抜けるほどビックリした。
ジョンはほんの2〜3週間前にジュリアンと会ったばかりだった。
シンシアにもジュリアンにも ひと言も言わずに、こんどいつ帰るともわからず。
自分の生まれ育った母国イギリスを去ろうとしていた。
ジュリアンには いつかまた会おうと思っているのだろうか?
いったいどうやって連絡を取ったらいいのだろう?
この時ばかりは 我を忘れてうろたえるシンシアであった。
〜 John Lennon / Hold On
@YouTube
〜 John Lennon / How?
@YouTube
(小林)2曲続きました。
それもジョン・レノンのね、最小のソロの頃の2曲です。
さっきは、ポールとリンダの、初めてのソロの中から。
「お家で食べよう」w てのを聴きましたが。
これは、プラスティック・オノバンド(Plastic Ono Band)
同じ時期の Hold On
これも3人で奏ってましたねえ。
リンゴと、クラウス・フォアマン(Klaus Voormann)で、ジョン。
で、この How? は「イマジン(Imagine)」のアルバムの中から。
この How? は、なんかジョンが 素直に将来のことをなんか考えて、
こういう曲が出たんだろうなあ、ていう。
心の中が判るような曲でしたね。 □ストーリー(続き)
・「ジョンとヨーコがイギリスを離れ、アメリカに行くというニュースをラジオで知りました。
私は腰を抜かすほどビックリしました。
ジョンと息子のジュリアンは、つい2〜3週間前に会ったばかりだったんですから。
とにかく、私は狼狽(うろた)えました」
ビートルズをデビュー前から見続けてきたシンシアの発言。
シンシアの遺した手記から。
ジョンと離婚してからのシンシアは。
それまでビートルズが作った会社であるアップルのピーター・ブラウンという人物を通じてジョンと連絡を取り。
ジュリアンと会う日程を決めてもらっていた。
しかし、このアメリカ移住のニュースの後、このピーターもまったく事の真相がわからず。
「何がどうなっているのか、さっぱりわからない状態だ」ということである。
シンシアには、ジョンはヨーコを守るためであれば喜んでジュリアンを犠牲にしようとしているように思われた。
取りあえずシンシアは、ジョンとの仲介人であるピーターには
ジョンに連絡を取って、伝言してもらうように頼んだ。
シンシアがジョンには、「今後も続けてジュリアンと会って欲しい」と思っていること。
そして、「こちらからジュリアンの成長の過程を知らせられるような状態にしておいて欲しい」
という内容を伝えるように託したのである。
2週間ほど経ってからヨーコから電話があった。
「こんにちは、シンシア。
ジョンと相談をして、今後ジュリアンのことで連絡を取りたければ私に言ってもらうようにしよう、と決めたの。
これからは、あなたが話す相手はピーターではなく、私です。
トニーがキョーコのことで話しがある時は、ジョンが相手をしています」
シンシアは我慢がならなっかった。
ジョンとヨーコのことでは、シンシアがそれまでにどれだけ我慢してきたと思っているのだろう。
図に乗るにも程がある。
しかし、ヨーコだけを相手にしても仕方がないので、シンシアはヨーコにこう締めくくった。
「今後、ジョンがジュリアンに会いたい時には、私に直接電話をしてくるように」
〜 John Lennon / Power To The People
@YouTube
〜 The Beatles / I've Got A Felling
@YouTube
(小林)ザ・ビートルズ
I've Got A Felling
1970年
「Let It Be」のアルバムです。
そしてその前は
ジョン・レノン、プラスティック・オノバンド
Power To The People □ストーリー(続き)
・「今後ジョンがジュリアンに会いたい時には、私に直接電話をしてくれるように」
これは電話をしてきたオノ・ヨーコに対し、ジョンの元妻のシンシアが言い渡したセリフ。
こんな事まで細かく書かれているのは、そのシンシアが遺した手記の中。
この名著の中からもう少し。
もともと引っ込み思案で、控えめな性格であったシンシアであるが。
この時ばかりは、カンカンに怒っていた。
ロンドンに住んでいた時には、アップルのスタッフであるピーター・ブラウンを介してしか連絡の取れなかったジョンであったが。
アメリカに移住してからは、なんとオノ・ヨーコを通してしか連絡が取れないという。
これが、あのミュージックシーン最高のカリスマロッカーであり、愛と平和を主張するジョン・レノンのすることか?
シンシアは完全に愛想が尽きた。
しかし、子供の事となれば話しは別である。
ジョンとの間に儲けた息子のジュリアンはまだ8歳。
子供に悲しい思いをさせることはできない。
時は1971年。
ジョンのアルバム「イマジン(Imagine)」が発売され 話題になっていた頃である。
「世界は一つになろう」「みんなで共に生きよう」というメッセージの曲である。
後に平和のための世界的な讃歌となる ジョンの代表曲。
それなのに、自分では電話の一本もできない。
元の妻と 平和で友好的な関係を築くことも。
また、幼い息子とコミュニケーションを取ることも。
その息子の気持ちを考えてあげることも、できないのである。
シンシアはそれまでのジョンとの記憶を あれこれ巡らせてみた。
美術大学でもかなり変わった存在だったジョン。
ロックンロールが何よりも大切だったジョン。
仲間との友情を大事にするジョン。
そしてシンシアを愛してくれたジョン。
そのほとんどが 素敵な思い出である。
そんなジョンがヨーコと出会って人格が変わってしまった。
それは本当のジョンなのか?
いや、そんなはずはない。
少なくともジョンは、たった一人の息子であるジュリアンのことだけは、まだ愛してくれているはず。
そう信じて シンシアはヨーコからの電話を切った。
しかし、そのシンシアの考えは甘かった。
ジョンがジュリアンに会ったのは、それから3年も経ってからのことであったのである。
〜 John Lennon / Imagine
@YouTube
〜 The Beatles / Because
(小林)2曲続きました。
お馴染みの「イマジン(Imagine)」
71年ですね、あれは。
チャートでは3位まで上がっていますね。
そして
「アビーロード(Abbey Road)」から
1969年
Because □リクエスト
メールは [email protected]
採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。
(新宿区/女性)30代後半
すっかり秋めいてまいりまして、ゆっくりラジオを聴くには良い季節だと思います。
今夜は、ショッキング・ブルー(Shocking Blue)「悲しき鉄道員」をリクエストします。
初めて聴いた時は、曲名に似合わない軽快な曲調が意外でした。
それとも原曲は まったく違う曲名でしょうか?
(小林)
これは、はっきり言ってレコード会社のタイトルの付け間違えですねw
というとw 「決して、鉄道員と結婚してはいかん」というタイトル。
よく言うじゃないですか「山男に惚れるなよ」とか。
「警察官と結婚しちゃいけないよ」w とか。
生活のことを考えると・・・
そういう、分かりますね?
そんな歌なんです!
〜 Shocking Blue / Never Marry A Railroad Man(悲しき鉄道員)
@YouTube
〜 Santana / Black Magic Woman
@YouTube
(小林)これは実はもっと曲が長くて
もう一曲メドレーになってるんですが、この辺で・・・
いつもラジオでは絞っちゃいますけどw
僕たちもそうします。
(佐倉市/女性)
毎回楽しく聴いていますが。
特にシンシアの件では、もう涙なしには聴けません。
シンシアと同じ主婦目線で、どうしても聴いてしまいます。
もう尊敬していたジョンに対して、ちょっと違う感情が芽生えています。
「ジョンと言えばオノ・ヨーコ」とずっと思っていましたが、 (小林)w
本当にシンシアの存在で考えが変わっちゃいました。 (小林)みたいな。
いろいろ、小林さんの番組聴き続けます。
(小林)よろしくお願いいたしします。 (小林)ちょっと難しいですね。
(京都市/男性)
4人への憧れをいつもいだきます。
しかし、ネガティブな私は4人の曲や言動を英雄譚と感じてしまいます。
彼らの音は 自分を解き放つもの のはずなのに。
ヤンチャになれない自分自身を顕在化させます。
憧れるから なおさらです。
しかし、Live And Let Die は、確かな憧れから明確な励ましに感じます。
ポールが、プレスリーの「All Shook Up」を聴くと幸せになれるなら。
私は Live And Let Die を聞くと、頭の霞が晴れます。
好きな番組から、大好きな曲を聴きたいです。
(小林)これちょっと、噛みしめないとww
ちょっと[京都市/男性]さんの言ってる意味が・・・
[京都市/男性]さん、あなたのリクエストです。
ポール・マッカートニー&ウィングス
Live And Let Die
〜 Paul McCartney / Live And Let Die
@YouTube
〜 The Beatles / The Fool On The Hill
@YouTube
(小林)最後は The Fool On The Hill が流れました。
(埼玉県坂戸市/女性)60代真ん中
散歩しながら「ビートルズから始まる」を、ラジコフリータイムで月曜日に聴いています。
先月、高校時代からの友人3人と北海道へ9日間のマジカル・ミステリー・ツアーに。
バスではなくて、車にギターを積んで行って参りました。
地球が丸く見えるという北海道の開陽台展望台からは 雄大な牧草地帯の風景を眺めていて、Fool On The Hill が浮かんできました。
というわけで この曲を・・・
(小林)ていうことで
[埼玉県坂戸市/女性]さん、どうもありがとうございます。 BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
@YouTube
□エンディング
(小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?
リクエストね、ほんといろんな年齢層の方たちから・・・
で、驚くのは、まあ いわゆる高齢に入ってから
けっこうじっとしてないで、いろんな活動されてるってのが心強いですね。
ビートルズの音楽のせいでしょうか。
若い方も リクエスト・・・
自分の周りのエピソード、音楽に関わる話しなんかもけっこうです。
よろしく。
で、ジョンの話しの方は。
とうとうイギリスから去って行くんですけど。
ジョン・レノンは、本当はイギリスに残りたくてしょうがなかった。
でも、ヨーコに・・・
考えてください「私たちの周りは みんな敵ですよ」w ていうことで。
しょうがないかなあ、ていう。
まあだから、ヨーコは ジョンがアメリカのことをね、本当はねえ好きか嫌いかよく判らなかったらしいんだよ。
いろいろ ジョンを アメリカを好きにさせたらしいよ。
いろんな音楽を聴かせたり、本を読ませたりして。
ハイ、来週をお楽しみに
リクエストの方もよろしくお願いします。 ■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
2017年11月12日(日)18:00〜19:00 放送内容 DJ:小林克也
BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
@YouTube
□ビートルズカレンダー(11月12日)
・ビートルズが世界的に有名になる前の話し。
1962年、今から52年前の今日。
ビートルズはドイツのハンブルグの「スタークラブ」という有名なクラブで夜演奏した、とあります。
これはですね、ビートルズはハンブルグへ売れない頃に行って。
ハンブルグでいろんな勉強をした。
音楽の勉強もした、人生として、男としての勉強もした、みたいなことがあるわけで。
下積み時代ですよね。
で、ビートルズは1962年10月に「Love Me Do」で、念願のレコードデビューを果たすわけです。
その後で、その前に契約していた・・・
だから、まだそんなにね、売れるとは思わなかった頃。
まだ、本格的に売れてはないんですけど。
で、ハンブルグは何回目かというと。
最初は1960年。
その時はスタッフのワンボックスに機材といっしょに乗り込んで、ドーバー海峡を渡るフェリーでね
フランス経由で行ったわけですねw
ドイツまで。
で、今回は堂々の飛行機です。
そしてギャラも・・・
もうビートルズはレコーディングスターですから。
ウン百万、今のお金で出して。
やっぱりエプスタインというマネージャーが付いて、ビートルズはすごいことになったわけです。
この時はですね、昔のクラブと違って、ハンブルグで一番の有名なクラブだったんで。
それも、ちょっとギャング系が経営してたってこともあってね。
ビートルズは胸に付けるバッジみたいなの もらったらしいですよ。
それを付けていろんな所へ行くと、みんなヘイこらヘイこらしてくれたっていうw
ビートルズも下積みのアーティストではなかった。
という話しがあります。 で、そのスタークラブという有名なクラブで、「録音はまさかしていないだろう」と思われていたんですが。
録音が1979年になって、貴重な音源が発見されました。
貴重音源として発売になっています。
貴重音源といっても、マイク一本の録音です。
ですから、このマイク一本というのはですね、本当に正直にその場の音を我々は分かることができるんです。
これはいい勉強になると思いますよ。
音は、だから今の基準でいくと すっごい悪いですけど。
それだけに ビートルズのビートルズらしさが伝わってくるんじゃないでしょうかね。
スタークラブでのライブです。
Sweet Little Sixteen
〜 The Beatles / Sweet Little Sixteen
@YouTube
(小林)いかがですか? ねえ。
マイク一本のモノ録音です。
ドイツ、ハンブルグのスタークラブ。
55年前の録音であります。
ちなみにジョン・レノンが22歳の時です □ストーリー
・「ジョンとヨーコはアメリカ、ジュリアンと私はロンドンにいて、
連絡を取る手段が一切ないまま袋小路に入り込んでしまいました。
私はただ日常の生活を送りながら、事態が変わることを願うしかなかったんです」
こう語るのはジョン・レノンの最初の妻シンシア・レノン。
今週もそのシンシアが遺した貴重な手記の中から。
まるで抜け殻のような毎日を送っていたシンシアであったが。
その間に、もしジョンが「ジュリアンに会いたい」と言って電話を一本、手紙を一通くれていたら、どんなに嬉しかったことだろう。
シンシアは本当にそう祈っていた。
けれども1971年から74年にかけて3年間、ジョン本人からは一切連絡がなかった。
毎年ジュリアンの誕生日とクリスマスに、ジョンのロンドンのオフィスからプレゼントだけが送られてきてはいたが。
そこにはカードもメッセージも何もなかった。
ジュリアンにしてみれば、自分の父親がこの地球上から消えてしまったかのように感じていたに違いない。
前回ジョンに会ったのは、ジュリアンが8歳の時。
その後は、父親がどこにいるのか、いったい何をしているのか、知る手掛かりは新聞の切抜きしかなかった。
ジョンは永住権を巡ってアメリカ政府当局と戦っていた。
イギリスにいた頃に大麻不法所持で有罪判決を受けたことが理由で
ジョンは切望するグリーンカード、つまり外国人に対する永久許可証書が得られないでいた。
シンシアは息子のジュリアンに
「パパはねえ、アメリカに住んでもいいっていうお許しがもらえるまで、アメリカから離れられないの」
と説明したのだが。
そんな言い訳が、まだ小学校の低学年の子供に通用するわけがなかったことは言うまでもない。
〜 John Lennon / Instant Karma! (We All Shine On)
@YouTube
〜 The Beatles / I'm A Loser
@YouTube
(小林)2曲続きましたねえ。
Instant Karma!(We All Shine On)
これはプラスティック・オノバンド(The Plastic Ono Band)名義です。
1971年。
シングルとしてはフランスとカナダで1位になっていて。
アメリカでは3位とか、イギリスでは5位とかそんな感じです。
プロデュースは音作りはフィル・スペクター(Phil Spector)
そして I'm A Loser は「ビートルズフォーセール(Beatles For Sale)」から
1964年 お送りしました。 □ストーリー(続き)
・「パパはねえ、アメリカに住んでもいいよっていうお許しがもらえるまで、アメリカから離れられないの」
これはジョンの最初の妻シンシアの一人息子ジュリアンに対しての発言。
シンシアの遺した手記から。
母親の説明に納得できない、まだ小学校低学年のジュリアンはこう訊き返した。
「パパがアメリカを出られないんだったら、僕が会いに行っちゃいけないの?
僕、アメリカに行くのなんて ぜんぜんへっちゃらだよ」
母親のシンシアは胸が熱くなったが、なんとかこう答えてあげた。
「パパはねえ、まだアメリカに住み慣れていないから。
生活が落ちつくまで とても忙しいの。
きっと、すぐに連絡をくれるから、いい子にして待ってましょうね」
でも、ジョンからは音沙汰がないまま時が過ぎ。
ジュリアンは自分なりの答えを出して、ある日ポツンとこんなことを言った。
「パパはいつも、人はみんなお互いに愛し合わなきゃいけないって言ってるのに。
どうして僕のことは好きじゃないんだろう」
シンシアもまったく同じ意見だった。
そして、自分の息子をこれほどまでに苦しめるジョンを呪いたくなる気持ちでいっぱいになった。
それでもジュリアンには精一杯の笑顔を作って、こう話した。
「ジュリアン、心配しなくてもいいのよ。
もちろん、パパはあなたを愛しているから、大丈夫よ」
ジョンが過去の物として葬ろうとしていたのは、ジュリアンのことだけではなかった。
イギリスにいる自分の身内や、友達とのつながりも、全て絶ち切ろうとしているかのように思われた。
ビートルズ時代には常に連絡を取り合っていた妹たちや伯母さんたち、友人たちともほとんど音信不通のままだったのである。
〜 John Lennon / God
@YouTube
〜 The Beatles / In my Life
@YouTube
(小林)
1965年「ラバーソウル(Rubber Soul)」のアルバムから
In my Life
そして その前は
ジョンのソロデビュー。
プラスティック・オノバンド名義で
God □ストーリー(続き)
・「ジョンが過去のものとして葬ろうとしていたのは、息子のジュリアンのことだけではありませんでした。
イギリスにいる自分の身内や友達とのつながりも、全て断ち切ろうとしていたのは確かです。
ビートルズ時代には常に連絡を取り合っていた妹たちや叔母さんたち。
そして高校時代の友人たちとも、ほとんど音信不通のままだったんです」
これはジョンの最初の妻シンシアのセリフ。
ここまで詳細に描かれている文章は、そのシンシアが遺した手記しか存在しない。
この名著の中からもう少し。
ジョンが自分の息子の事は放棄しておきながら。
ヨーコの娘キョーコを探すことには全力を傾けていることがシンシアにとっては腹立たしく切ないことであった。
1971年12月。
ジョンとヨーコは、ヨーコの前の夫=トニー・コックスとキョーコがテキサスにいると聞きつけると、すぐそちらに飛び。
トニーは娘をヨーコに会わせることを拒否したという理由で5日間拘留された。
その後トニーはキョーコを連れて逃避行を続け。
とうとう、ジョンとヨーコには、二人を探し出すことが出来なかった。
ジョンとヨーコは、トニーとキョーコがその辺の人ごみに紛れているのではないかと、わずかな願いを抱きながら通りを歩き回ったり。
二人に「出て来て欲しい」と訴える広告を新聞に載せたりしたと聞いている。
ヨーコがどんなに自分の娘に会いたかったか と思うと、シンシアはヨーコのことが気の毒に思った。
けれども同時に、ジョンがヨーコに妙な約束をしているのではないか? とも勘ぐってしまった。
その約束とはつまり、「君がキョーコに会えるまで、僕もジュリアンに会わないよ」といった類いのもの。
しかし、もしそれが本当だとしたら。
その犠牲者は、まだ10歳にも満たないジュリアンだったのである。
〜 The Beatles / Julia
@YouTube
〜 John Lennon / Mind Games
@YouTube
(小林)
1973年のジョンのソロアルバム
「マインド・ゲームス(Mind Games)」
そのタイトルソング。
そしてその前は
「ホワイトアルバム(The BEATLES)」からね
お母さんジュリアに奉げたような曲ですね。
Julia □リクエスト
メールは [email protected]
採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。
(府中市/男性)
2017年10月24日 また一人 偉大なロックンローラー=ファッツ・ドミノ(Fats Domino)が亡くなりました。
ご存知の通り 彼は「Ain't That A Shame」「Blueberry Hill」などのヒットを飛ばし
50年代にアメリカで最も売れた黒人歌手の一人ですが。
私は ステージで、太ったお腹でピアノを押しながら弾く姿や、あの笑顔がたまらななく好きです。
(小林)
そう、彼は特注の小さなピアノを連れて旅へ回ってて。
腹で ステージを こう押して。押すんですよ。
チャック・ベリー(Chuck Berry)がちょうどあのギターを奏って動くようにね。
それに対抗していたのかもわかりませんが。
「1949年のファッツ・ドミノのヒットをお願いします」
The Fat Man
〜 Fats Domino / The Fat Man
@YouTube
〜 The Beatles / Let It Be(SingleVer)
@YouTube
(小林)Let It Beがまたかかりました。
いつもね、リクエストする方が50代60代とか、そういうことを言っておりましたら・・・
(東京都調布市/男子)
こんばんは、東京都調布に住んでいる[調布市/男子]です。
小学3年生です。
リクエストお願いします。
生まれた時からパパがビートルズきいていたので、ぼくも好きになったんです。
ビートルズのメンバーが好きになったんです。(小林)w
(小林)かけたよw (小林)続いてですね。
(東京都町田市/男性)
初めてのリクエスト。
先日ビートルズのアナログ盤のLPが発売されると聞き。
お小遣いの少ない私は 買おうかどうしようかずっと迷っておりました。
その様子を見かねた家内が「買っていいよ」と私にレコード代を手渡してくれました。
思えば40年前 当時中学1年生だった私は、新聞配達をして貯めたお金でやっと買った「アビーロード(Abbey Road)」
その新品の「アビーロード」が再び私の手元に帰ってきました。
ステレオの前で正座し、針を落として、ジョンの「Come Together」裏返して「The End」「Her Majesty」まで。
もう言葉になりません。
アナログサウンドはハートを揺さぶり、若かったあの頃の自分に一本の溝で結んでくれました。
ああ、くたびれきったおっさんが、パワーがみなぎってきましたよ。
ミーちゃん、ありがとう、愛してるよ。 (小林)奥さんですねw
君のおかげだよ。
死ぬまでがんばって仕事するからね。 (小林)ww
(小林)
[町田市/男性]さん。」
でも面白いのは・・・
で、リクエストは、ビートルズじゃないんだよw
「40年前流行っていた、ボニー・M(Boney M)の Sunny をぜひお願いします」だって。
〜 Boney M. / Sunny
@YouTube
〜 The Beatles / I Want To Tell You
(小林)
ジョージ・ハリスンの I Want To Tell You
久しぶりに流れました。
(北海道札幌市/男性)
初めてメールします。
僕がビートルズを意識し出したのは43年くらい前の小学生の頃。
その時代は、ビートルズ再結成の話しが毎年のように言われてましたね。
出会いは「Love Me Do」でした。
お金のない中 中古を。
高校生時代は、FMから曲をフルコーラス流してくれた地元FMで録音してましたね。
リクエストは僕の大好きなジョージ・ハリスン。
アルバム「リボルバー(Revolver)」から。
(小林)そうですね。
ジョージ・ハリスンのとても真面目なラブソング ていう。
あ、「地味な曲」て書いてあります。
真面目なラブソングに聴こえたよね。
I Want To Tell You お送りしました。
BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
@YouTube
□エンディング
(小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたでしょうか?
リクエスト、本当にありがとうございます。
小学生からね、60代まで来ていますよねw
頼もしい限りでありますw
メールは
[email protected]
採用されるとイシイのミーボールなどセットにしてお送りしているというわけです。
それから、お話しの方は。、
まだジョン・レノンの最初の奥さんの書いた名著の中からお送りしてますけど。
別れた後の、そのなんてんですかね、ちょっと遠くから見ているジョン・レノンの描写ていうのは。
おそらく、これはみなさんが今まで聞いたことがないと思うんですよ。
だから、本当に、よくビートルズのエピソードなんかを知っている方も興味深いんじゃないか、と思っております。
これ、まあ いつまでw
ついこないだ亡くなったわけですからねえ。
いつまでこの話しを続けていいか、迷いながらお送りしておりますので。
みなさん、応援のほどをよろしく。
お相手は小林克也でした。 ■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
2017年11月19日(日)18:00〜19:00 放送内容 DJ:小林克也
BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
@YouTube
□ビートルズカレンダー(11月19日)
・1995年、今から22年前の今日。
ビートルズの「アンソロジー(Anthology)」の・・・
これはスペシャル番組としてね。
テレビのドキュメンタリーが、アメリカのABCテレビで放送されました。
約5時間の特別番組なんですけど。
その内容は、発売の前に・・・
1990年代はビートルズの「アンソロジー」のアルバムが出ましたよね。
昔の違うバージョンを作ったりとか。
それから今まで聴いたことがないようなものばっかり集めて。
これ、相当ありがたかった。
それから、またなんかビートルズの時代がずっと続いてるんだっていうことをね、僕たちは大きく意識したんですけど。
この内容はというとですね。
ビートルズがいろいろな活動をしていて、スタジオの中の風景なんかを・・・
VHSとLDで10枚発売になるんですよ、結局、ね。
音の方は、2枚組のCDが3セットでしたよね。
3回に分けて。
で、それと同時に映像の方も、発売されるんですけども。
その前に、まあ宣伝効果をねらって、20時間ほどある映像を5時間ぐらいの特別番組にして放送した、ということで。
これはねえ、意味があるって言いましたけど。
アメリカには、例えばラジオの放送局で 懐メロ専門局があるんですよ。
それで、懐メロ専門局といえども 競争しているので。
懐メロといえども 新しいもの。
1990年代になると、ようするに80年代とか70年代ぐらいのものをやってて。
で、60年代はね、もう捨て去ってたんですよ。
で、これでもってね、アメリカの懐メロ局がね、60年代のものをかけ始めたっていう。
すごい意義があった。
それから、もちろんビートルズをあんまり知らない若い人たちも映像で見たり 聴くようになったという。
やっぱビートルズは、一つ宣伝上手っていうこともありますね。 さあ、最初に聴いていただく音楽は、ジョン・レノンのカセットテープが出てきたていうことで。
プロデュースをね、ジョージ・マーティンに頼むんですよ。ジョージ・マーティンに。
でも、ジョージ・マーティンは「もう、ちょっと昔のような耳をキープできてないんだ」ってことで。
もう、ビートルズウォナビーの代表というと、エレクトリック・ライト・オーケストラ(Electric Light Orchestra)
それから、ウィルベリーズ(Traveling Wilburys)のジェフ・リン(Jeff Lynne)ですよ。
ジェフ・リンに頼んだんです。
で、ジェフの仕事は、ジョージのギタープレイとか、リンゴの演奏、全てうるさいポール・マッカートニーも納得し大満足だった。
さあ、その結果を この曲で確かめてください。
ザ・ビートルズ Free As A Bird
〜 The Beatles / Free As A Bird
@YouTube
(小林)ねえ、これはもう1995年だから。
ビートルズの音が、もう聴けなくなって25年経ってるわけですよねw
だから、一つ一つの、ビートルズの時代を知ってる人は。
一つ一つの音をみんなね、懐かしむように大切に聴いた。
特にあれですね、最初に出てくる、あのジョージのギター、ワアーッと来ますよね。
Free As A Bird お送りしました。 □ストーリー
・「ジョンとヨーコが、ヨーコの娘に会おうとテキサスまで行って結局は会えなかったという報道を聞いて。
ヨーコがどんなに自分の娘に会いたかったか、と思うと彼女のことを気の毒に思いました。
けれども同時に、ジョンがヨーコに妙な約束をしているんじゃないか? とも勘ぐってしまったんです。
その約束とはつまり『君がキョーコに会えるまで、僕もジュリアンに会わないよ』といった類いのもの。
しかし、もしそれが本当だとしたら。
その犠牲者は、まだ10歳にも満たないジュリアンです。
ますますジュリアンが可哀そうでなりませんでした」
こう語るのはジョン・レノンの最初の妻シンシア・レノン。
今週もその彼女の手記から。
ジョンがイギリスを発ってから間もなくして。
シンシアと夫のロベルト、そしてもちろん息子のジュリアンのファミリーは再び引越しをした。
お坊ちゃま育ちのロベルトは、相変わらずのパーティ三昧。
請求書は溜まる一方だった。
シンシアには自分の欲しいものに費やすような金銭的余裕はもう無くなっていた。
とにかくジュリアンが成長するまで、手元のお金は少しも目減りさせてはいけない、と危機感を持ち始めていた。
ロベルトには高価なレストランやナイトクラブに行くのは控えるように説得したのであるが、やはり無駄な努力で。
それまでの住み慣れたケンジントンの家を売り、ウィンブルドンに移ることにしたのである。
引越しということになると、ジュリアンはまた転校である。
その代わり、もっと落ち着いた家庭生活を送ることが出来るようになれば、引越す甲斐もあるに違いない、と願うだけであった。
シンシアは毎日学校の送り迎えをしたり、地元のスーパーマーケットで買い物をしたりする、ごく普通の母親になっていた。
シンシアはそういう生活が 気に入っていたのである。
ジョンと一緒に暮らしたあのスーパースターとの生活は、今や遠い昔のお話しのように現実味のない記憶になっていたのである。
〜 The Beatles / Drive My Car
@YouTube
〜 The Beatles / Lucy in the Sky with Diamonds
@YouTube
(小林)お馴染みの曲が流れました。
ということで、ジョンとの生活が遠くなっていた シンシアの家族が。
こういった曲は 家庭ではかかったんでしょうかねえ?w
ええ、それがちょっと知りたいですよねw
で、息子はどう思っていたり、とかねw
Drive My Car は1965年の「ラバーソウル(Rubber Soul)」に入っていました。
それから、「サージェント(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」から
Lucy in the Sky with Diamonds
お馴染みの曲です。 □ストーリー(続き)
・「ケンジントンからウィンブルドンへの引っ越しは、経済的な理由からでした。
私は毎日学校の送り迎えをしたり、地元のスーパーマーケットで買い物をしたりする
ごく普通の母親になっていたんです。
私はもともと地味な女ですから、そういう生活が嫌いではなかったんです。
ジョンと一緒に暮らした、あのスーパースターとの日々は、もう遠い昔のお話しのように現実味のない記憶になっていましたね」
これは本当のジョンとの人生の1ページを振り返るシンシアの発言。
シンシアの手記から。
シンシアたちの新しい暮らしは、ジョンと一緒だった頃とは較べようもなかったが。
シンシア自身、あの頃の生活を再現したいとも思わなかった。
むしろ、こうして一般庶民の世界に戻れたことが うれしいぐらいだったのである。
シンシアは振り返っている。
「ほとんどの人は、私と会っても、私が誰なのかわかりませんでしたね。
ジョンと一緒だった頃は 裏方に徹していたし。
公の場に出る時は、いつもジョンの隣にいたので、逆に横にジョンがいなければ誰も私のことに気が付きません。
ごく普通のスーパーマーケットのレジで ビートルズの元妻に出会うなんて、誰も思っていないこと。
本当にたまーに『もしかしてシンシアさんじゃないですか?』って声をかけられましたが。
『ああ、よく間違えられるんですよw』と切り返すと。
ほぼ全員が『あ、失礼。人違いでした』と言って去って行きますねえ」
もちろん、有名人の友だちとの付き合いは続いていたし。
パーティにロベルトと出かけることもあった。
ただ、そういう生活と 本当の自分でいられる日常生活とは、はっきりと区別することをシンシアは心がけていた。
結果、ジュリアンの学校の友達や、その母親たちを自宅に招いてお茶を飲んでいても、身の上について訊いて来る人はいなかった。
シンシアはビートルズの元妻を、すでに卒業していたのである。
〜 The Beatles / This Boy
@YouTube
〜 The Beatles / Strawberry Fields Forever(LOVE)
(小林)いかがですか?
Strawberry Fields Forever がこんなに生まれ変わった。
このセンスは やっぱり大したもんですよね。
只者じゃないですよね。
2006年の、ジョージ・マーティン親子が作り出した
「LOVE」の中からお送りしました。
そしてその前は。
1963年 B面ですね。
有名な「I Want To Hold your Hand」の。
This Boy □ストーリー(続き)
・「ウィンブルドンに引っ越して1年ほど経った1972年のクリスマス直前に
ジョンの叔母さんハリーが肝硬変で亡くなりました。
叔母はお酒を一滴も飲まなかったので、思わぬことでした。
まだ56歳だったんです。
私は 葬儀に出席するために母とリバプールに帰りました」
シンシアのこんなプライベートなことまで描かれている彼女が遺した手記の中から。
大勢のジョンの一族の人たちと会えたことは嬉しかった。
ジョンの妹ジュリアは25歳になっていて、結婚し一男一女を儲けていた。
もう一人の妹ジャッキーも、夢をかなえて美容師として活躍。
みんな元気で何よりであった。
そして忘れてはならない、ジョンの育ての親ミミ伯母さんも参列していた。
もう70歳を過ぎているというのに、白髪の一本もなく、相変わらず矍鑠(かくしゃく)としていた。
葬儀が終わったあと、シンシアはミミに呼ばれて 詰め寄られた。
「いったい全体 何を考えているんだか。シンシア。
なんであんた ジョンと別れたの?
あんなヨーコとかいう女、まともなもんじゃないわ。
あなた、止めるべきだったのよ。
見てごらんなさい、愛だの平和だの、よく判らないけど。
今ジョンがなにやってるのか、あんなの一族の恥さらしもいいとこよ」
シンシアは笑いがこみあげて来た。
ジョンと一緒になった頃は、シンシアのことを絶対に認めようとはしなかったミミが
こんどは、シンシアがジョンと添い遂げなかったことを悔しく思っているのだ。
後日、ジョンの妹ジュリアから聞いた話しではあるが、ミミはこんな発言もしている。
「こないだ、ジョンとあの忌々(いまいま)しい女が「Two Virgins」とかいうレコードを出して。
雑誌にそのジャケット写真が出ていたけど。
あれには空いた口が塞がらなかったわよ。
表紙に裸の人が必要だったのなら、どうしてモデルか誰かもっときれいな人を連れてこなかったの?
あれこそ、一族の恥さらしもいいとこよ!」
実にお見事、ごもっともなお言葉である。
〜 John Lennon / Whatever Gets You Thru The Night
@YouTube
(小林)ジョン・レノンの
Whatever Gets You Thru The Night
数少ないナンバーワンソングですよね。
1974年の「Walls And Bridges」がそのアルバム。
これね、ヘッドホンで聴くと
バックにエルトン(Elton John)の声が よーく判る。
エルトン・ジョンがバックコーラスで参加してるんですよね。
それで、エルトンジョンが
「ジョン、これすっごいよ。これ絶対にアメリカでナンバーワンになるよ」
って言ったら、ジョンが
「ならないよ、これは」って言ったんですよね。
「じゃあ、賭けしようよ。
俺、もうすぐニューヨークのマジソンスクエアガーデンでコンサートをやるから。
もし、この曲が1位になったら、ゲストで出てよ」
って、ジョンが負けちゃうわけですよ、1位になっちゃって。
で、ジョンはエルトンの楽屋で、その楽屋に来ていたオノ・ヨーコと再会するんですよね。ええ。
もしこの曲が無かったら、歴史は変わっていたかもわからない。
ジョンはそのまま、中国女性のナントカっていう人と一緒・・・メイ・パン。
メイ・パンと一緒にいたかもしれないww
その曲を お送りしました。 □リクエスト
メールアドレスは [email protected]
採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。
(埼玉県ふじみ野市/男性)50代
初めてメールします。
いつもは仕事中車の中で断片的に聴いていますが。
今日は病院のベッドで聴いています。
4回目の腸閉塞で入院中で、オペがあります。
そのおかげで、しばらく最初から最後までゆっくり聴けます。 (小林)なんか、嬉しいような。ちょっとねえ、冗談じゃないようなw
思い起こせば、3枚組の「アメリカ・USA ライブ」のレコード、友達から借りて、この曲を聴いた時の衝撃が大きく。
どうしても生で聴きたくて、80年来日のコンサートチケット・・・ (小林)ああ、あのコンサート。
新宿ビル街の12月の寒空の中、10時間以上も並んでゲットしたんです。チケットを。
当時の中学生の私にとって3800円は大金でしたねえ。
でも、ご存知の通り 入国できずにキャンセル。
その後2002年、来日公演で長年の夢を果たしました。
オリジナルにはない、ギターソロがカッコイイ ライブバージョンをぜひお願いします。
(小林)ということで、ウィングズ(Wings)の
Maybe I'm Amazed
〜 Paul McCartney & Wings / Maybe I'm Amazed [Live]
@YouTube
(小林)やっぱり、[埼玉県ふじみ野市/男性]さんが言うとおりだね。
ギターソロが入って、カッコイイっていう。
オリジナルよりひょっとしたらカッコイイかもわかんない。 (小林)
さて、この方は・・・アラフォーとか書いてありますね。
(横浜市/女性)
シンディ・ルーパー・・・ (小林)シンディ・ローパー(Cyndi Lauper)でしょうね。
「グーニーズ(Goonies)」の主題歌を、リクエストします。
(小林)ていう
シンディ・ローパーもねえ。
ビートルズの影響のことなんかを、ちょっと訊いたことがあるんですけど。
「私は ビートルズはオンタイムじゃないわよ」みたいなw
もう、「そんな年寄りじゃないわよ」w みたいなことを言ったのを思いだしますね。
じゃあ[横浜市/女性]さん、あなたのリクエストで
シンディ・ローパー The Goonies 'R' Good Enough
〜 Cyndi Lauper / The Goonies 'R' Good Enough
@YouTube
(小林)
シンディはすごい強い声をしていますねえ。 (小林)
これは達筆で・・・あれですよ、筆ペンかなあ。
(東京都葛飾区/男性)
前略、毎週楽しく聴かせていただいております。
私のビートルズの出会いは、兄がビートルズの大ファンで。
同じ部屋で過ごしていたため、小学生の頃から毎日ビートルズを聴いて過ごし。
高校に入ってからは、やはり兄の影響でモータウンに入り。(小林)w
高校を卒業してからは 横浜のディスコに入り浸り。
そのまま、その店の親会社に就職し。
社内恋愛の末、結婚し。
二人の娘に恵まれました。(小林)w
2年前に退職し、今は娘が経営するコーヒー店の手伝いをしております。
先日、ショッキングなニュースがありました。
それは、安室奈美恵の引退宣言。
孫が安室奈美恵の大ファンということもあり、一緒によく聴いていたんですが。
時折、彼女の歌声が、スプリームス(The Supremes)時代のダイアナ・ロス(Diana Ross)に重なります。
今日はマービン・ゲイ(Marvin Gaye)とのコラボで「You Are Everything」をリクエストします。
妻にプロポーズした時のことを思い出しながら 聴かせていただく・・・
(小林)あ。これでやったんだ。
これ正解だったねえ。
すっごい良い出来で、二人とも良いんだよ。
これは、セクシーでね。
マービン・ゲイとダイアナ・ロス You Are Everything
〜 Diana Ross & Marvin Gaye / You Are Everything
@YouTube
BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
@YouTube
□エンディング
(小林)
いやあ、今日のリクエストは多彩で楽しかったですねえ。
いずれもね、ビートルズに関係あるアーティストですからね。
採用されるとイシイのミートボール用意しております。
[email protected]
よろしく。
そしてビートルズのお話しの方。
もう、ジョンとの生活は 遠い昔っていう感じ。
でも、一番ウケたのは やっぱりミミ伯母さんだよね。
あの「Two Virgins」っていうのは、
ジョンとヨーコのヌード写真が表紙なんだよね。
最も売れなかったビートルズ関係のアルバムですけど。
あれ、伯母さんが「一族の恥だわ。プロを使えばいいのに。プロの体の良い人」
って、ウケましたねw ええ。
というわけで、また。 ■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
2017年11月26日(日)18:00〜19:00 放送内容 DJ:小林克也
BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
@YouTube
□ビートルズカレンダー(11月26日)
・1967年。
この日「Hello Goodby」のクリップ。
まあ、今ではビデオクリップって言ったりしますけど。
この頃は、フィルムクリップですね。
「Hello, Goodbye」のフィルムが、エド・サリバン・ショーで放送になった。
50年前の今日。
ビートルズはねえ、今はもう当たり前になってるビデオクリップとかね、ああいったもののスタートはビートルズなんですよね。
で、どういうことかと言うと、ビートルズはツアーに行けない。
「お宅の国まで行けないからね。我々のそのビデオクリップ、フィルムクリップをお届けします」ということで作ったわけです。
で、面白いことに。
この頃、イギリスの法律で、法律というか、放送の・・・
これは、規制がありましてね。
リップシンクって言ったんですが。
えー、口パク・・・ 口パク、これ禁止されていたんです。
手パクw 全部ダメ。
だからバンドなんかでも、例えばギターをこうやって手でやって、手パクですよね。演奏しないで。
そういうの全部ダメ。
本当のことをやらなきゃダメ、ていうことで。
ビートルズの場合は、ほとんど口パクで作ったんですよ。
まあ、今でもハリウッド映画なんてのは、口パクじゃないんですけども。
撮影の時は そのセリフをみんな言って。
最後に、フィニッシュの時は、スタジオで、そのセリフを後で入れますからね。
「お前、なにやってんだ」とか、自分の役者が 自分の口マネをして入れるわけです。
だから、アメリカなんかは口パクOKの国なんです。ここはね。
だから、ビートルズも「Hello, Goodbye」は口パクで奏って。
その口パクをごまかすためにね、ビオラを抜いたカラオケで口パクをやって。
カラオケじゃないか?、口パクを奏ったんだけど。
それで「いや、これは口パクだ」ってことで、イギリスでは放送されなかった。
でも、アメリカでは堂々と放送された。
エド・サリバン・ショーで、っていうことで。 それじゃあですね。
この曲は 元々・・・
これもねえ 面白いんですよ。
ポール・マッカートニーがね、アリステア・テイラーに
「お前、ちょっと反対語ゲームやろう」
で、「今」って言うと「昔」とか。
「今日」「きのう」とか。
それをやってて、それでこの曲が翌日出来てたっていう。
ポールが作った、ってありますけど。
それは、ポールの後付けみたいな感じもするんですけどねw
とにかく、その「反対語ゲーム」からスタートしたという
Hello, Goodbye
〜 The Beatles / Hello, Goodbye
@YouTube
(小林)お馴染みの Hello, Goodbye
ねえ、これは、歌詞は簡単だけど。
なんかそれだけに 不思議なことを言っているような。
それで、不思議なことをサウンドで現わしてるような。
だから、サウンドはけっこう入り組んでいたり。
ポール・マッカートニーがディレイエコーのマネをしたりとか。
いや、改めて聴くといろいろ奏ってるわけですね。
ちなみに、イギリス、アメリカでナンバーワン、日本で15位とあります。 □ストーリー
・「いったい全体 何を考えているんだか。
シンシア、なんであなたジョンと別れたの?
あんなヨーコとかいう女、まともなもんじゃないわぁ。
あなた、止めるべきだったのよ。
見てごらんなさい、愛だの平和だの、よく判らないけど。
今ジョンがなにやってるのか、あんなの一族の恥さらしもいいところよ」
これはジョンの育ての親ミミ伯母さんの発言。
リバプールのジョンの方の親戚の叔母さんハリーが亡くなり。
その葬儀に参列するためにシンシアはジュリアンを連れてリバプールに来ていた時の出来事である。
ジョンとは離婚が成立して数年が経っていたが。
それでも一族と血のつながったジュリアンがいる限りは付き合いを絶やしてはいけない。
シンシアはそう考えていた。
そういった心と心のやり取りも丁寧に描写されているシンシアの半生記。
それまでどんな書物にも書かれていなかったことが満載のシンシアの手記から今週もお届けしましょう。
それにしても、先ほどのミミ伯母さんの発言。
これを聞いたシンシアは笑いがこみ上げてきた。
ジョンと一緒になった頃は、シンシアのことを絶対に認めようとはしなかったミミが、
今度はシンシアがジョンと添い遂げなかったことを悔しく思っているのだ。
後日、ジョンの妹ジュリアから聞いた話しではあるが、ミミはこんな発言もしている。
「こないだ、ジョンとあの忌々(いまいま)しい女が『Two Virgins』とかいうレコードを出して。
雑誌にそのジャケット写真が出ていたけど。
あれには空いた口が塞がらなかったわよ。
表紙に裸の人が必要だったのなら、どうしてモデルか誰かもっときれいな人を連れてこなかったの?
あれこそ、一族の恥さらしよ!
あんな魔女みたいなアジアの女にジョンを取られるくらいだったら。
いくら気が効かない嫁とはいえ、地元出身のシンシアの方がまだ良かった」
それがミミ伯母さんの本音であった。
〜 The Beatles / Birthday
@YouTube
〜 The Beatles / She's Leaving Home
@YouTube
(小林)
「サージェント・ペパー(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」のアルバムに入っています。
娘の家出シーンの歌ですよね。涙のシーン。
こういうのがあるから
あの「サージェント」はすっごい、こうなんか厚い。
で、なんかぶっ飛んだ感じもあるわけですよね。
1967年。
で、その前は
68年の「ホワイトアルバム(The BEATLES)」から。
あ、どっちもポールの作品ですね。
ちなみに、オノ・ヨーコ、ジョージ・ハリスンの上さんのパティ。
二人がコーラスで入っていますね。
Birthday はね。
で、ハンドクラップがマル・エヴァンスです。
Birthday
2曲 お送りしました。 □ストーリー(続き)
・「リバプールに帰るのは本当に久しぶりのことで。
実際に行ってみて、改めて懐かしさがこみ上げてきました。
そして、機会があれば必ず戻って来て、ここで暮してみようと心に決めたんです」
こう語るのはジョン・レノンの最初の妻シンシア・レノン。
シンシアが遺した手記から。
今、息子のジュリアン、新しい夫のロベルトと暮らすウィンブルドンも確かに良い所ではあるが。
シンシアには何の縁(ゆかり)も無かった。
また、ロベルトとの生活も かなり苦しいものになっていた。
2番目の夫はパーティを控えるどころか、タクシーの支払いのための専用口座を開いたくらいである。
毎晩、家族の暮らすウィンブルドンからロンドンの下町ウェストエンドまで、わざわざタクシーで繰り出して行くので支払いは嵩む一方であった。
ロベルトのために父親が買い与えてくれたレストラン「ダ・バッサーノ」で仕事らしきことはしていたのだが。
仕事とは名ばかりで、毎晩自分の友達を大勢招いては、タダで飲み食いをさせているだけであった。
ロベルトはみんなに愛されることに この上ない悦びを感じる人間で。
本人が人気者でいるための出費は、シンシアがなんとか切り盛りする家計の重い負担になっていた。
このロベルトは大人になってからも依然として両親の脛(スネ)をかじっていて。
人生の過酷な現実というものには、生まれて一度も直面したことがなかった。
いつも楽しいことばかり考えている陽気な性格は結構ではあるが。
もはやシンシアの手には負えなくなっていた。
毎月、家計簿を何時間もかけて念入りに調べて、心配で眠れなくなるような思いまでしながら。
年がら年中うれしくもないパーティの場にいることは、苦痛そのもの。
シンシアが「もう、こういう生活は終わりにしましょう」と泣いてお願いしても。
誠心誠意訴えても、強気で要求しても。
この2回目の夫には なんの効果もなかったのである。
〜 The Beatles / Lady Madonna
@YouTube
〜 The Beatles / Baby You're a Rich Man
@YouTube
(小林)
これは1967年
「マジカル・ミステリー・ツアー(Magical Mystery Tour)」の
Baby You're a Rich Man
なんか、シンシアの婿のロベルトをw へ向かって歌ってるような感じw
で、方や68年のシングル
Lady Madonna
これは、貧乏な世界 みたいな感じですよね。
2曲続きました。 □ストーリー(続き)
・「2回目の夫ロベルトは、大人になってからも依然として両親のスネをかじっていて。
人生の過酷な現実というものには、生まれて一度も直面したことがありませんでした。
お金の使い過ぎで もはや私の手には負えなくなっていたんです。
『もう、大盤振る舞いはやめましょうね』と約束しても。
結局は口先だけで。
私が怒ると、バラの花束を差し出しながら、私をどれだけ愛しているか、甘い言葉をささやき。
こちらが根負けして笑ってしまうまで、子犬のような目でじっと見つめるんです。
ロベルトのこの手法に もう何度騙されたことか。
私も甘すぎたんですね」
最初の夫であるジョンのこと。
そして最愛の息子ジュリアンのとの人生を中心に描かれたシンシアの半生記からもう少し。
しかし、さすがのシンシアも1973年になった頃には
「もう、この結婚生活を続けるのは無理だ」という思いが湧き上がって来ていた。
夫ロベルトが、かろうじてシンシアを繋ぎ止めていた理由はジュリアンのことであった。
ジュリアンにとって本当の父親であるジョンが、ジュリアンの心に残したすき間を埋めるように。
ロベルトは本当に一生懸命父親の役を果たしてくれた。
それでもやはり 別れの場面はやってきた。
一人前の大人にもなれず、きちんと仕事もせず。
金銭面で妻と責任を分かち合えない人とは、もうこれ以上一緒には暮らせない。
そして、沈んだ気持ちでロベルトに別れを告げた。
別れは、この家族にとって本当に辛いもので、3人でたくさんの涙を流した。
一つだけ慰めになったのは、ロベルトが深く傷ついているにもかかわらず、
ジュリアンを決して見捨てなかったこと。
父親といっても血の繋がりもなく。
しかも短い家庭生活であったのに。
ロベルトは、その後もジュリアンと接触を保ち。
ジュリアンを定期的にイタリアに招待してくれた。
皮肉なことであるが、ロベルトはシンシアと離婚した後
何年も経ってから、イタリアで成功を収め、大金持ちになったという。
人生とは、まったくもって判らないことだらけである。
〜 Julian Lennon / Day After Day
@YouTube
〜 The Beatles / Dear Prudence
@YouTube
(小林)2曲 流れましたが。
これは、父と息子の声の比較でもあります。
Day After Day という曲は1998年。
「Photograph Smile」というアルバムをね
息子が出したわけですけど。
その中から Day After Day を聴きました。
これは、このアルバムは 義理の父に捧げる、ロベルト・バッサリーニに捧げる
というふうなクレジットが付いているアルバム。
ジュリアンの声 甘いですよね。
で、お父さんの声。
これは「ホワイトアルバム(The BEATLES)」の Dear Prudence という。
インドへ みんなで行った時。
ハリウッドの俳優ミア・ファーロウ(Mia Farrow)も行って。
その妹もいて。
プルーデンスという妹もいて。
その・・・インドの偉い坊さんの部屋に入って出て来なかった。
「ひょっとして、お前は・・・」みたいなのがあったんですけど。
これはもう「何も無かった」というのも、いう説もまことしやかに・・・
どっちを信じていいのかw 判らないんですけどね。
本当は何も無かったんだよ、ていう。
でも、ジョン・レノンの声はどうですか?
息子の声よりちょっと・・・、中に こう芯みたいなものがある。
なんていうんですかね、エッジていうんですかね。
ちょっと違っていますね。 □リクエスト
メールは [email protected]
採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。
(群馬県高崎市/男性)
毎週、晩酌しながらスマホのラジコアプリで聴いております。
シンシアの手記を聞いて思いました。
彼女とジョンの子供ジュリアンがすごく可哀想でなりません。
シンシアと離婚した後の ジョンに会うのにおびえていたとか。
もしSNSが盛んな現在にジョンが生きていたら、間違いなく炎上して叩かれていたことでしょう。(小林)w
私も一人の子を持つ父親です。
今は成人して社会人の息子ですが。
3歳の頃 血液の病気になり。
まかり間違えば、今はこの世にいなかったかもしれない状態だった。
理由はそれぞれ別ですが、私の息子もジュリアンも、子供時代に受けた心の負担はかなりのものだったと思います。
ジョンが実の両親との愛情を知らないからこんなことになったんでしょうか。
リクエストはジュリアンの「Say You're Wrong」をお願いします。
この曲は私も持っている日本の自動車メーカーのCMに使われていた曲。
ちなみにジュリアンも、後に同じ自動車メーカーのCMをしておりました。 (小林)ははあ、あのメーカーだなw
(小林)
曲は[群馬県高崎市/男性]さんのリクエストで ジュリアン・レノン Say You're Wrong
〜 Julian Lennon / Say You're Wrong
@YouTube
(小林)ジュリアン・レノンの 歌声が流れました。
アメリカで最初会った時はね、けっこう青白い感じでしたが。
2回目で、日本に来た30代後半の時は、もうメチャクチャ逞(たくま)しい感じになってたよ。
ジュリアン・レノンは。 (入間市/男性)
ジョン・レノンのプラスティック・オノバンド(The Plastic Ono Band)名義の Instant Karma! をお願いします。
あとで調べましたが、当時ビッグスターが勢ぞろいしていましたね。
ジョージ・ハリスン、ビリー・プレストン(Billy Preston)、
「リボルバー(Revolver)」のジャケットを画いた クラウス・フォアマン(Klaus Voormann)
リズム帯にイエス(Yes)のアラン・ホワイト(Alan White)。
(小林)
さあ[入間市/男性]さん20代です。
ジョン・レノン Instant Karma!
〜 John Lennon / Instant Karma!
@YouTube
(小林)Instant Karma!
やっぱりこれはジョン・レノンの世界ですねえ。
ええ。 (松戸市/男性)
日曜日にこの番組を聴きながら、家族全員の食事を作っている50歳のオッサンです。
10月20日 伊藤銀次さんのデビュー45周年のライブに行きました。
佐野元春さん、杉真理さん、エポさん、高野洋さん、が参加していました。
各アーティストの共演も堪能できましたが。
銀次さん、元春さん、杉さんで歌った「A面で恋をして」が最高でした。
銀次さんが歌えたのを 天国から大瀧さんもご覧になっていたと思います。
そこでこの曲をリクエストします。
(小林)
では[松戸市/男性]さん。
大瀧詠一、佐野元春、杉真理 こういうメンバーです。
ナイアガラトライアングルの「A面で恋をして」
〜 ナイアガラトライアングル / A面で恋をして
@YouTube
BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
@YouTube
□エンディング
(小林)「ビートルズから始まる」今日はいかがでしたでしょうか?
ねえ、ちょっと、やっぱりお父さんのジョンと息子のジュリアン、較べちゃいましたよね。
2回その場面がありましたけど。並んだ。
息子が歌って お父さんが歌うっていう。
どうでしたか?
あのねえ、僕はショーンに会ってないんですけど。
ジュリアンに会って「逞(たくま)しいオッサンみたいになってた」って言ったじゃないですか。
どうもねえ、二人の兄弟・・・
なんてのかな、お母さんの違う兄弟ね。
ショーンがけっこう・・・ ショーンが肉体派じゃないですね。
ジュリアンはね、どちらかというとね、ジョン・レノンの持っている肉体派 みたいな感じ?
で、ショーンは、音楽を聴くとだいたい判るじゃないですか。
「あ、ショーンはちょっと神経質な子だな」てのが。
そんなふうに感じたんですけど。
やっぱり、会わないで、音楽を聴くだけで、そういうものって判るから不思議ですよね。
そこが音楽の良さじゃないかと思います。
リクエストの方もよろしくお願いします。
[email protected]
こっちで待っています。 ■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
2017年12月03日(日)18:00〜19:00 放送内容 DJ:小林克也
BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
@YouTube
□ビートルズカレンダー(12月3日)
・1961年、今から56年前。
ビートルズがまだ世間に知られていない。
この日、4時半の約束がありました。
その約束というのは、マネージャーとなるブライアンが店長をしているNEMSのレコードショップでの待ち合わせです。
そこに30分遅れて、ジョン・レノン、ジョージ・ハリスン、ピート・ベスト、それから、ボブ・ウーラー(Bob Wooler)。
これは彼らが出ていたキャバーン・クラブでのMCをやったり、DJをやったりレコードを回したりする人=ボブ・ウーラーと会った。
遅れて行ったんですね。
だから、1時間ぐらい遅れて行って・・・
そして、それより30分遅れてポールが。
家へ帰って、昼間仕事があって、家へ帰ってシャワーを浴びて、NEMSへポールがやって来た。
で、ブライアンは、聞くところによると、とても不機嫌だった。
遅れて来るわけですからねえ。
1時間以上も待たせるわけですから。
で、そこで、けっこう具体的な話しをしたみたいですね。
マネージをやる、契約をするまでに どれくらいお金を払うか、とか。
どうやって売って行こうか、とか。
楽器とか機材は 誰が買うんだ。
新しい衣裳のイメージとか。
かなり突っ込んだ話し合い。
そして、もう契約がほとんど出来るんじゃない、という時から。
もうブライアン・エプスタインは、いろいろレコード会社に問い合わせたりして動いていた、ということですね。
でも、もうそのころ、すでにジョンとポールが合作曲が、30曲とも50曲とも言われていますが。
もうオリジナルを作っていた っていうから。
もうビートルズは、もうなんですかね、もう準備が整っていたような感じですよね。 その中でね、今日一つ紹介します。
最終的には 最後のアルバム「Let It Be」に・・・
「無いなあ、それじゃ初期の頃から これをやろうか」って言って入ったのが
この時の 30曲か50曲ぐらいの中の1曲であります。
これは、アルバム「アンソロジー(Anthology)1」に。
本当はこんな感じで演奏されていた、てのが出ています。
これは貴重なサウンドです。
いいですか?
これ、みんなもうよく知っている曲だと思いますよ。
最後のアルバムに入っていたらね。
One after 909
〜 The Beatles / One After 909 (Anthology 1)
@YouTube
(小林)ビートルズの One After 909 □ストーリー
・「私は2度目の夫ロベルト・バッサニーニと離婚しました。
原因は、ロベルトの常識では考えられないほどの浪費。
このまま行くと破産しそうな勢いだったんです。
それでもロベルトはジュリアンのことをとても可愛がってくれて。
離婚してからもジュリアンを定期的にイタリアに招待してくれました。
ジュリアンとロベルトは、ロベルトがその20年後に心臓発作を起こして亡くなるまでずっと親友同士のように仲が良かったんです。
ジュリアンが1998年に発表したアルバム「フォトグラフ・スマイル(Photograph Smile)」はそのロベルトに捧げられているんです。
ジュリアンにとってはジョンよりも ずっと本当の父親のように感じていたんです」
こう語るのはジョン・レノンの最初の妻シンシア・レノン
今週もそのシンシアが遺した貴重な手記の中から。
ロベルトとの離婚後、1974年に、ジュリアンとシンシアは北を目指した。
ロンドン郊外ではなく、生まれ故郷のウィラル半島のホイレイクの近くの村メルスに平屋の一戸建てを買ったのである。
マージー川をはさんで対岸にある故郷に帰るのは、やはり心が落ち着くものだった。
そこはシンシアの母親の家のすぐ近くでもあり、母に会いたい時にいつでも会えるというのも嬉しいことの一つ。
ジュリアンは近くのキングズ・スクールに入れた。
まだ11歳にもなっていないのに、これで5つ目の小学校になるという事実に シンシアは母親として心を痛めずにはいられなかった。
「これだけの環境の変化に耐えなさい」と言うのは子供にとってとても惨いことだった。
けれどもジュリアンは楽しそうに学校に通い。
まもなく、ジャスティン・クレイトンという生涯の親友に出会った。
ローズバンクと呼ばれるジュリアンとシンシアの家はごく平凡なもので。
そのためか、シンシアは「ここは仮の住まい」のように感じていた。
この場所で、なぜかシンシアはそれまでの自分の人生を振り返っていた。
特によく考えていたのが、二度の結婚の失敗のこと。
自分のどこがいけなかったのか、ジョンともロベルトとも一度も話したことはなかった。
〜 The Beatles / It's Only Love
@YouTube
〜 The Beatles / Wait
@YouTube
(小林)ちょっと マイナーていうか。
知られてない曲が流れました。
It's Only Love
これはね「HELP!」の中に入っていますよ。
それから Wait
これは「ラバーソウル(Rubber Soul)」のアルバムに入っています。
だから、彼らがキャーキャー騒いでくれる女の子たちじゃなくて
自分たちのために音楽を作ろう、ということで奏ってますから。
恋の歌もちょっと味がありますよねw
ハイ □ストーリー(続き)
・「1974年、ジュリアンと私はリバプールと同じマージーサイドと呼ばれる地方の村メルスに平屋の一戸建てを買って住み始めました。
そこで、私は自分の半生を考えてみたんです。
二度の結婚の失敗の原因は何だったのか。
ジョンもロベルトも私を責めることはありませんでした。
いろいろと思い巡らせてみたんですが、結論は出ませんでした。
こんな時 本当に一人だったら、とてもやりきれなくなるんでしょうけど。
私には息子が、息子のジュリアンがいたんです。
彼の存在が どれほど私の沈んだ気持ちを支えてくれたことか。
ジュリアンには本当に感謝しているんです」
こう語るのはジョン・レノンの最初の妻シンシア・レノン。
このシンシアが遺した手記から。
おそらく、育ってきた環境のせいだろう。
ジュリアンは実際の年齢よりも大人びていて、時々大人のように深刻に考えこんでいることがあった。
以前からシンシアは、ジュリアンの顔にはどことなく、いつか見たことのある大昔の墓石に刻まれていたような。
中世の人の面影があるように感じていた。
そしてジュリアンには不思議と、天賦の知恵のようなものが備わっているようなところもあったので。
きっと、もう何度も生まれ変わってこの世に生を受けているような気がして仕方がなかった。
シンシアがジュリアンの面倒をみるのと同じように、ジュリアンに面倒を見てもらう場面が それまでもたくさんあった。
ジュリアンは話しをじっくり聞き、安心させてくれて。
母親のシンシアを守るために全力を尽くしてくれた。
シンシアとジュリアンは母一人子一人の家庭特有の特別強い絆で結ばれていた。
こうして二度目の結婚に終止符を打ち、心を癒しながら落ち着いた生活を取り戻そうとしていたある日のこと。
新聞でジョンが大きな転換期を迎えていることを知って、言葉を失うほど驚いた。
その新聞の見出しは 単刀直入であった。
なんとその文字は「ジョンとヨーコ ついに別居」
〜 The Beatles / A Hard Day's Night
@YouTube
〜 The Beatles / If I Needed Someone
(小林)いかがですか?
曲の方は
A Hard Day's Night ビートルズ
そして If I Needed Someone
これはジョージ・ハリスンの曲で。
「ラバーソウル(Rubber Soul)」に入っています。
A Hard Day's Night でも、
ジョージ・ハリスンはリッケンバッカ―の12弦のギターを使ったんですが。
それを聴いて アメリカのバーズ(The Byrds)が影響を受けた。
でもw この If I Needed Someone を聴くと
「バーズのハーモニーがちゃんとあるじゃない?」みたいな感じですよね。
だから、ジョージ・ハリスンもバーズに影響を受けたんじゃないか。
お互いに影響しあった、てことですかねえ。 □ストーリー(続き)
・「『ジョンとヨーコ ついに別居』 新聞のその見出しは世界中をビックリさせました。
もちろん私はジョンの元妻ですから、皆さんとはまた違った受け止め方をしたと思いますが。
とにかく、それはあまりの衝撃で、正に言葉を失ってしまったんです」
元妻にしか分からないジョン・レノンの本当の姿が数多く描かれている名著。
シンシアが遺した手記の中からもう少し。
新聞が伝えるには、ジョンとヨーコが別れて暮らしているという。
記事を読んでみると、1973年後半 二人は合意の上で試験的に別居することにし。
ジョンは自分達の事務所で働いている、つまりスタッフである中国人女性=メイ・パンと共にロサンゼルスで暮すことにしたというのである。
こうなったということは、ジュリアンにとってどんな意味があるのだろう?。
シンシアは あれこれ考えずにはいられなかった。
情況が変わって、ジョンは衝撃的に連絡して来て、息子と会おうとするのだろうか?
それとも、シンシアが自分の方から連絡を取るべきなのか?
それとも、今は状況を見て 待っているべきなのか?
取りあえず待つことにした。
ジョンは人生でも不思議な段階を迎えようとしているように見えた。
それから数ヶ月に渡って、正体を失うまで酔っぱらったり。
ケンカをしたりで、何度か新聞に大きく取り上げられたこともあった。
けれども、同時に、何年かぶりに創作意欲に溢れていた時期でもあり。
新しいアルバムにも取り組んでいた。
ジョンのお気に入りのロックンロールの名曲をカバーしたアルバムをレコーディングするために
シンガーのハリー・ニールソン(Harry Nilsson)やリンゴといった友人たちを含め、様々なミュージシャンたちを集めていた。
シンシアはこれを切っ掛けに、ジョンの人生の中でも前向きな時代が幕を開けることになればいい、と願っていた。
それにしても、ジョンは連絡をくれるのだろうか?
それとも、シンシアからした方がいいのか?
その決心がついたのは、シンシアが1974年の夏に仕事でロンドンに出かけた時のことであった。
さて、シンシアとジュリアンはジョンに再会できるのか?
それは、また来週ということで。
〜 John Lennon / Woman Is The Nigger Of The World
@YouTube
〜 Harry Nilsson / You Can't Do That
@YouTube
(小林)なんか、ビートルズが盛り込んでありますよねw
ハリー・ニールソン(Harry Nilsson)です、これは。
You Can't Do That ていう曲です、これは。
アルバムは「Pandemonium Shadow Show」という
1967年の彼のデビューアルバムなんですが。
これを聴いて ジョンが気に入っちゃって。
ハリー・ニールソンに電話して、マブ友達になっちゃう。
マブ・フレンドになっちゃうわけですよね。
えっと、最初の曲は・・・
Woman Is The Nigger Of The World
これ有名な「Some Time In New York City」
1972年の中に入っている曲。 □リクエスト
メールは [email protected]
採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。
(八王子市/男性)
毎週タイムフリーで聴いて1年ほど経ちました。
中学生のころビートルズを知り、夢中になって聴きまくりました。
高校生の時はキッス(Kiss)を聴いていました
グループの名前をなかなか照れて言えない時期がありました。 (小林)w
有名な Detroit Rock City をお願いします。
オープニングのエンジン音からワクワクします。
よろしくお願いします。
(小林)
それでは、キッス(Kiss)です。
〜 Kiss / Detroit Rock City
@YouTube
〜 Deep Purple / Burn(紫の炎)
@YouTube
(小林)いやあ、ハードなやつが2つ。
ジャンルは まあ違いますけども、かかりまして。
まあ、どっちも乗せられますよねw
今聴いたのは、ディープ・パープル(Deep Purple)の代表曲ですが。
(三郷市/男性)
先日、宍戸カフカさんが・・・ (小林)女性のドラマーね。
ラジオで ツェッペリン(Led Zeppelin)のドラマーだったジョン・ボナム(John Bonham)が好きだと言っていました。
私はカフカさんにディープ・パープルの Burn の曲を叩いてもらいたい。
(小林)だから。
ジョン・ボナムはどこへ行ったんですか? ねえ。
[三郷市/男性]さん。
で、今聴いたのはあれだね、イアン・ペイス(Ian Paice)のドラムとジョン・ロード(Jon Lord)のキーボードが素晴らしい。
「Burn/紫の炎」って、これ書いてないんだよね。
「紫(むらさき)の炎」てのは、なんか付けたんだろうね。きっとね。
バーン(Burn)だから、燃えるんだから、焼けるんだから、紫(むらさき)の炎でもっともっと。
日本語のタイトルが煽っちゃったわけですね。
ディープ・パープル、両方かかっちゃいましたよ。 (小林)
続いてですねw。
それぞれの代表・・・代表曲。
それぞれの畑の代表曲がかかります。
(品川区/男性)
克也さん、今日は久しぶりにリクエストします。
先日、上野の森美術館に「怖い絵展」を、絵画展を観に行きました。
展示された絵の中に、イングランド最初の女王レディ・ジェーンの処刑の絵があり。
わずか9日間で退位し 半年後に処刑されたのを知りました。
うちに帰ってから、確かローリングストーンズの曲に「レディ・ジェーン(Lady Jane)」てのがあるのを思い出しました。
何か関係あるのでしょうか?
(小林)知らなかったですねえ。
[品川区/男性]さん50代の方ですが。
それじゃ、ローリングストーンズの Lady Jane は何を歌っているのか。
〜 The Rolling Stones / Lady Jane
@YouTube
〜 Carpenters / Close to you
@YouTube
(小林)いかがですか?
2曲、バラードがかかったような感じですが。
でも、ねえ、ローリングストーンズの Lady Jane
そして、カーペンターズ(Carpenters)がかかりました。
[品川区/男性]さんが言っていた「レディ・ジェーン」とはまるで関係ないですね。
ジェーン、丁寧に言ってるだけですね。
「ジェーン様」の前に「アン様」と違ってw
「マリー様」の名前で、でも「今、ジェーン様と」っていう。
ミックの女性遍歴のような感じの曲だと思いましたが、どうなんでしょうかね。
で、今このカーペンターズは・・・
(杉並区/女性)
立冬を過ぎて、冬の寒さ冷たさを感じるようになると、この曲が聴きたくなる。
(小林)っていう[杉並区/女性]なんですが。
これは、あれですね。
春の歌なんですよね、だいたい。
春になると、ほら鳥が鳴いて。
「なんで、鳥まであなたに惹かれるんでしょうか」っていう。
なんかおとぎ話的な歌なんですけど。
きっと、寒くなると春の温かさを本能的に待つから、じゃないでしょうかねw
はいどうも、リクエストありがとうございました。 BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
@YouTube
□エンディング
(小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたか?
えーどうも。
来週は またちょっと面白い、ね。
ジョンに関する話しがあります。
それから、リクエストの方もよろしく。
何を書いてもいいですからね。はい。
メールは
[email protected]
です。
採用されるとイシイのミートボールなどセットにしてご用意しております。
今日はリクエスト、ちょっとビートルズがぜんぜんかからなかった。
ビートルズから始まる、っていう番組ですからね。
まあ、ビートルズのおかげで・・・ていうこともあるし。
ビートルズも、おかげをもらっているわけですよね。
そういうふうなことを、知る番組であります。
よろしくお願いします。 ■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
2017年12月10日(日)18:00〜19:00 放送内容 DJ:小林克也
BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
@YouTube
□ビートルズカレンダー(12月10日)
・1964年、今から53年前の今日。
「I Feel Fine」がナンバーワン、イギリスで。
そしてイギリスのレコード協会ていうんですか、それがゴールドレコードと認定した。
400万なんですね、当時のイギリスの基準では、あ、いや、ごめんなさい、40万以上。
40万以上売り上げた。
ビートルズのEMIパーロフォンとの契約時の取り決めどおり、アルバムはビートルズは年に2枚出す。
で、シングルは季節ごと、つまり4枚。
そういうペースで行こう。
というペースを守って、世界中で大売れしちゃったわけですね。
で、「I Feel Fine」はそんな中 また1位になって、ゴールドレコードを獲得。
それが53年前の今日です。
この「I Feel Fine」が、改めて、みなさん頭の中で鳴っていますか?w
鳴ってない方もw
最初の音を、けっこう引っかからなかったですか?
「ビヨ〜〜ン」ていう、不思議な効果音ですが。
これは何のことはない、ジョンがエレキのピックアップを付けてあるギブソンのアコギをですね。
アコースティックギターをリハーサル中にアンプに近づけ過ぎて、ハウッた音がした。
フィードバックした。
これが面白かった。
「ポール。お前のベースもなんとかやってみろよ」って
「せーの」で「ビヨ〜〜ン」てやって。
「違うなあ」「ビヨ〜〜ン」って何回か絶対奏っていると思いますよ。面白がってねえ。
これがウケちゃったですよね。
まあ、こういうふうなのが入口になって。
ロックていうのがね、ロックっていうのはね。
例えばジャズだとか他のジャンルでは、大人の音楽だったから、そういうのは子供っぽい事で喜ばなかったんですよね。
でも、ロックは、よく「ガキの音楽だ」って言われてますけども。
入り口は最初そうだったんですよね。
みんな面白がって奏っているうちに、前衛の世界へどんどんハマってったりするわけですが。 それじゃあ 改めてですね、この I Feel Fine を聴いてみたいと思います。
この曲はよく出来ています。
リズムもね、R&Bでありながら、ちょっとラテンぽい。
やっぱりこれを作ったリンゴ・スターは、ねえ、このフレーズを作ったリンゴ・スター偉い。
リンゴは「ああ、あれはねえ、レイ・チャールズ(Ray Charles)の What'd I Say をちょっとパクッたんだよ」なんて言っておりますけどw
ええw どうでしょうか。
さあ、それじゃ、時間がかかったであろう 例の音からスタートする
I Feel Fine
〜 The Beatles / I Feel Fine
@YouTube
(小林)
イギリスで、今から53年前の今日、ナンバーワン。
ゴールドレコード。
I Feel Fine □ストーリー
・「1973年のある日、新聞の見出しを見て驚きました。
そこにはなんと『ついに別居 ジョンとヨーコ』『いよいよ離婚か?』と書いてあったんです。
新聞が伝えるには、ジョンとヨーコは別れて暮らしているということで。
記事を読んでみると、1973年後半,二人は合意の上で試験的に別居することにし。
ジョンは自分たちの事務所で働いている、つまりスタッフでもある中国人女性=メイ・パンと共にロサンゼルスで暮すことにしたというんです。
しばらく音沙汰がないなあ、と思っていた矢先のこのニュース。
それはもう ビックリしました」
こう語るのはジョン・レノンの最初の妻シンシア・レノン。
今週もそのシンシアが遺した貴重な手記の中から。
ヨーコの方から一方的に言い渡されたというこの別居生活で、ジョンは人生でも不思議な段階を迎えようとしているように見えた。
それから数ヶ月に渡って、正体を失うまで酔っぱらったり、ケンカをしたりで。
何度か新聞に大きく取り上げられたこともあった。
けれども、同時に何年かぶりに創作意欲にあふれていた時期でもあり、新しいアルバムにも取り組んでいた。
シンシアはこれをきっかけに、ジョンが人生の中でも前向きな時代が幕を開けることになればいいと願っていた。
それにしても、ジョンは連絡をくれるだろうか?
それとも、シンシアからした方がいいのか?
その決心がついたのは、シンシアが1974年の夏に仕事でロンドンに出かけた時のことであった。
かねてからシンシアは、リバプールの美術大学で専攻したインテリアデザインの仕事がしたいと思っていて。
ぜひ仕事を依頼したいという人が現われ、心が躍(おど)った。
ロンドンで打ち合わせを終えたその夜、ホテルにチェックインした後。
そこが地元のプロの女たちの拠点になっていることが判った。
そのいかがわしい雰囲気の中、シンシアは久しぶりのロンドンで、どんな夜を過ごすことになるのであろうか。
〜 John Lennon / Aisumasen(I'm Sorry)
@YouTube
(小林)
この曲、知ってましたかね?
Aisumasen(I'm Sorry) ジョン・レノンです。
これは1973年の「マインドゲームズ(Mind Games)」のアルバムに入っています。 □ストーリー(続き)
・「念願のインテリアデザイナーの仕事のオファーがあり。
私は一人ロンドンに行きました。
ただ、急いで予約したホテルがあまり良い地域ではなかったので。
だれか一緒にディナーに行く相手を探していたんです。
そこで、ある友人に電話をしたところ、どうやらダイヤルするのを間違えてしまい。
呼び出し音のあとに、驚いたことに懐かしい声が聞こえてきたのです。
これは、本当にビックリしました」
語るのはジョン・レノンの最初の妻シンシア・レノン。
続いてもシンシアの遺した手記から。
「ハロー」シンシアがかけた電話の向こうから聞こえてきたのは、懐かしいしゃべりかた。
それは、パティ・ハリソン。
そう、モデルのパティ。
ジョージ・ハリスンの妻だった女性で、その時点ではジョージと別居していたあのパティであった。
「え?もしかして あなた パティ?」
「そうよ。その声は もしかしてシンシアじゃない?」
「そう。声だけでよく判ったわねえ」
「そりゃあ、判るわよ。ごめんなさい。私電話を間違えちゃったみたいで」
「そんなのかまわないわ、シンシア。本当に懐かしいわねえ。
今あなた どこから電話しているの? 今夜 時間ある?
私、特に予定はないから、食事でもどう?」
シンシアはまたビックリ状態が続き、心臓はバクバク言っていたが。
この幸せなハプニングに感謝し、パティと出かけることにした。
パティはエリック・クラプトンとの不倫関係のため、夫のジョージとは別居中。
お互いの近況を報告し合ったあと、パティは自分の仲間を紹介してくれた。
その中の一人が、レコーディングプロデューサーだという。
その人はエルトン・ジョンがアメリカツアーに出るので、
近く一緒に「フランス号」という蒸気船に乗って、ニューヨークに向けて出発するところであった。
この人物と出会ったことで、シンシアの周りには、急展開でものごとが進むことになる。
〜 Elton John & John Lennon / Lucy in the Sky with Diamonds
@YouTube
(小林)これは、エルトン・ジョン(Elton John)の Lucy in the Sky with Diamonds
ただの、ビートルズの、ジョン・レノンのカバーじゃないんですよね。
1975年、アメリカでナンバーワンになってます。
大ヒット曲になっています。
で、その曲の中ではジョン・レノンがリズムギターで参加していて。
途中で、もう明らかに後半でレゲエになっていくところなんかは、もう。
ジョン・レノン、リズムギターがなんかしゃべっているような感じもしました。
ジョン・レノンのリズムギタ−は抜群です。
で、このエルトン・ジョンの人気はですね。
この頃はもう世界最高です。
世界の一番の人気者の一人だったわけですよ。
ビートルズの時代が70年で終わったとすると。
その一年ぐらい経って、アメリカ、イギリスから、同時にね。
キャロル・キング(Carole King)とか エルトン・ジョン。
シンガーソングライターと言われる人たちのブームが来るんです。
でも、だいたいシンガーソングライターてのは、例えばフォークっぽいような。
なんてんですか、ロックじゃないような感じがするんですけど。
エルトン・ジョンは大ロックンロールの人でもあったわけで。
ジョン・レノンと特に気が合った人ですね。 〜 Elton John & John Lennon / Lucy in the Sky with Diamonds
@YouTube
(小林)これは、エルトン・ジョン(Elton John)の Lucy in the Sky with Diamonds
ただの、ビートルズの、ジョン・レノンのカバーじゃないんですよね。
1975年、アメリカでナンバーワンになってます。
大ヒット曲になっています。
で、その曲の中ではジョン・レノンがリズムギターで参加していて。
途中で、もう明らかに後半でレゲエになっていくところなんかは、もう。
ジョン・レノン、リズムギターがなんかしゃべっているような感じもしました。
ジョン・レノンのリズムギタ−は抜群です。
で、このエルトン・ジョンの人気はですね。
この頃はもう世界最高です。
世界の一番の人気者の一人だったわけですよ。
ビートルズの時代が70年で終わったとすると。
その一年ぐらい経って、アメリカ、イギリスから、同時にね。
キャロル・キング(Carole King)とか エルトン・ジョン。
シンガーソングライターと言われる人たちのブームが来るんです。
でも、だいたいシンガーソングライターてのは、例えばフォークっぽいような。
なんてんですか、ロックじゃないような感じがするんですけど。
エルトン・ジョンは大ロックンロールの人でもあったわけで。
ジョン・レノンと特に気が合った人ですね。 □ストーリー(続き)
・「仕事で何年かぶりに訪れたロンドンでの、パティ・ハリソンとの思いがけない再会。
そしてさらに思いがけない、ニューヨークへのお誘い。
すべてが急展開でしたね」
こう語るのはジョン・レノンの元妻シンシア・レノン。
名著の誉れ高いシンシアが遺した手記の中からもう少し。
その人物はレコーディングプロデューサーで。
近くエルトンジョンのアメリカツアーに同行するため、蒸気船に乗ってニューヨークに行くという。
エルトンは1970年代前半、世界で最も成功しているロックスターとして光り輝いていた。
シンシアは息子のジュリアンがエルトンのレコードを気に入ってることを知っていて。
「ぜひ、エルトンに会わせたい」と申し出ると、このプロデューサーは
「そんなの お安い御用さ。坊やも連れて来たらいいよ」と言う。
シンシアは耳を疑った。
もしそれが本当なら、ニューヨークで、いやアメリカのどこかで、ジュリアンをジョンに会わせることができる。
シンシアは上手く行きそうな予感がした。
さらに、パティ・ハリスンが、かつてシンシアがインドやギリシャにも一緒だった妹のジェニーのことを話してくれた。
彼女は今、ニューヨーク郊外に住んでいるので。
「ジェニーの家でよけでば、喜んで泊めてくれるだろう」と言うのである。
これこそ正に「渡りに船」
断わる理由など一つもなかった。
翌日、ジョンがニューヨークに渡る前の代理人であるアップルのピーター・ブラウンに彼女は連絡を取って。
ジョンの番号を聞き出し、電話をかけてみた。
すると、なんと一発でジョンが電話に出たのである。
「もしもし、え? シンシア?。本当にシンシア?」
ジョンはシンシアの声を聞いて とても驚いていた。
もちろん、もう何年もの間音信不通だったジョンが、最初の電話であっさり捕まったので
ビックリしたのは、むしろシンシアの方であった。
会話はぎこちなかった。
世間話などしてもしょうがないので、シンシアは単刀直入にこう話した。
「ジョン。ジュリアンはもう10歳になったわ。
あなたに会いたがっているの。
近いうちにそっちに行くから、会ってくれるわよね?」
〜 John Lennon / Whatever Gets You Thru The Night
@YouTube
〜 Derek and the Dominos / Bell Bottom Blues
@YouTube
(小林)どうですかねえ? この曲。
初めてお聴きの方がけっこう多いんじゃないかと思いますが。
奏っていたのは、デレク&ドミノス(Derek and the Dominos)。
デレク&ドミノスというと、あの「Layla」という名曲でお馴染み。
ということは、そう、エリック・クラプトン(Eric Clapton)を中心としたグループですよね。
エリック・クラプトンは、ようするにアメリカ音楽の方へ だんだんだんだんに行く時期になって来るわけですよ。
で、この曲は、今聴いたのは「Bell Bottom Blues」
ベルボトムというのは パンタロンの別称ですね。
パンタロンて、先が太くなるズボンがあるじゃないですかw
あれの「ベルボトム・ブルース(Bell Bottom Blues)」
時代です。
時代と言えば、もうその頃のファッションですからね
でもこれは、エリック・クラプトンが白状しているのは。
ジョージ・ハリスンの、親友のジョージ・ハリスンの「Something」からすごい影響を受けた。
で、ギターはついでに言っちゃうと、ギターの名手がですね。
あのロビー・ロバートソン(Robbie Robertson)というバンド(The Band)の
ザ・バンドの奏法に影響を受けたっていうw
影響だらけですけどw
エリック・クラプトンもけっこうミーハーな人で。
「ザ・バンドに入れてくれ」って冗談か、ウソか冗談かわかりませんが、頼んで。
バンドも「ちょっと、間にあってます」て断わったw というふうなエピソードがあるくらいなんですけど。
どうでしょうかねえ。
それを、お送りしました。
そして、その前も。
これは、エルトン・ジョンと、エルトン・ジョンがバックコーラスに入っている、ジョン・レノンの歌で。
こないだもちょっと奏って。
これでほら、これがきっかけになって、別居していたジョンとヨーコがマジソンスクエアガーデンの楽屋で・・・
あ、エルトンのコンサートの楽屋で会うことになるわけですよね。
そういう、いわく因縁(いんねん)の曲、2曲お送りしました。 □リクエスト
メールは [email protected]
採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。
(千葉県銚子市/男性)44才
先日、妻が購読している女性向きの雑誌「バイラ」に「ラジオが再び注目され始めている」という特集がありました。
なんとこの「ビートルズから始まる」がお勧め番組としてピックアップされておりました。
この雑誌の読者層は10代から30代。
よく克也さんは「若い子からリクエストがなかなか来ない」と嘆いておられましたが。
(小林)あのねえ、リクエスト来ないんじゃないんですよ。
実はねえ、最近になって40代50代60代のパワーがすごくて、圧倒的にすごくて。
目立たなくなってるだけで、来てることは来てるんです。
ラジオ好きの女性って素敵ですよね。
というわけで、リクエストはヴァン・ヘイレン(Van Halen)です。
(小林)ヴァン・ヘイレンの (Oh) Pretty Woman
〜 Van Halen / (Oh) Pretty Woman
@YouTube
〜 The Beatles / I Want To Hold your Hand
@YouTube
(小林)いやあ、ヴァン・ヘイレンからこっちへ来るとねえw
なんか基本に戻ったような感じがするねえw
I Want To Hold your Hand
(町田市/男性)48才
80年代はエレキギターでモトリークルー(Motley Crue )やガンズ(Guns N' Roses)ホワイトスネーク(Whitesnake)をコピーしておりました。
今は、エレアコでこの曲をコード引きしてかき鳴らすと気持ちがいいです。
(小林)まあ[町田市/男性]さんはきっとあれですね。
48才と言うと、まあ重要な仕事を責任のある仕事をやっててw 会社でねえ。
それで、上手く行かなかったとかw、いろいろあってw
家へ帰って「ギャ〜ン」とやると気持ちいいのは、よーく判りますねえ。 (東京都品川区/女性)
小6の頃から、この番組を聴いております。
もう十数年、日曜の夕方、ビートルズの音楽の物語に彩られた思い出ばかりで。
これからも、そんな幸せがずっと続くことを願っています。
リクエストは。
この番組を聴き始めた年のクリスマスプレゼントに両親からもらったジョージ・ハリスンのラストアルバムから
Any Road をお願いします。
この曲は生きることの悦びを最大限に表現した作品だと思います。
そして、そんな人生を変えるような素晴らしい音楽の贈り物をくれた両親に、今改めて感謝したい。
(小林)ていう
[東京都品川区/女性]さん26歳。
それがあるんだったら、自宅で聴きゃあいい? そんなことじゃないですよねw
みんなと分かち合うわけですよ、ねえw
はい、ジョージ・ハリスンの曲です。Any Road
〜 George Harrison / Any Road
@YouTube
〜 山下達郎&竹内まりや / Let It Be Me
@YouTube
(小林)Let It Be Me
(新宿区/男性)
私は山下・竹内夫妻のデュエットでこの曲を知りました。
(小林)
ということで、竹内まりや山下達郎 Let It Be Me BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
@YouTube
□エンディング
(小林)「ビートルズから始まる」どうですか?
今日のお話しも、けっこう面白いでしょ?
ビートルズはもう解散して、それぞれがソロのになっている時の・・・
まあ、物語ですけれどもね。
来週も期待してください。
リクエストの方もよろしくお願いしますね。
採用されるとイシイのミートボールなどをセットにしてお送りしています。
[email protected]
こちらで待っております。
小林克也でした。 ■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
2017年12月17日(日)18:00〜19:00 放送内容 DJ:小林克也
BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
@YouTube
□ビートルズカレンダー(12月17日)
・1965年、52年前の今日。
マネージャーのブライアンとデレク・テイラー(Derek Taylor)がニューヨークに飛びます。
一緒に行くのは、彼らが面倒を見ているザ・シルキー(The Silkie)って聞いたことないでしょ?
フォークグループですよ。
それから、もう一つはムーディ・ブルース(Moody Blues)、彼らもこの飛行機に乗っています。
ムーディ・ブルースは聞いたことはあると思いますけど。
まあ、お話しするとですね、詳しく。
デレク・テイラーね。
デレク・テイラーという人は、ブライアンより2つ年上で。
もともとこの人は アメリカの音楽業界、イギリスへ渡って、イギリスからアメリカへ渡って。
バーズ(The Byrds)だとかビーチボーイズ(The Beach Boys )だとかママス&パパス(The Mamas & The Papas)、彼らの出版の仕事をしていた。
出版の仕事、つまり音楽の権利関係の仕事をしていて、それをブライアンが引き抜いて一緒に。
というのも、もうブライアンのビートルズの会社は大変な事になるわけです。
ビートルズがツアーの真っ最中でしょ。
それで、新しいシルキーを売り出す。
で、ムーディ・ブルースていうグループとも 契約を結んで。
そして、ビー・ジーズ(Bee Gees)だとか、クリーム(Cream)エリック・クラプトン(Eric Clapton)のクリームなんかとも契約する。
それから、サビルシアターと言う劇場の経営権も獲得する。
で、アメリカのフォートップス(The Four Tops)とかいろんなグループを呼んだり。
アメリカ人だけどイギリスで人気が出たジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)も、このサビルシアターでデビューをさせる。
もう、忙しくてたまんない。
という情況の中で、ビートルズは大ツアーをやっているという、そういう中で。
彼ら、これはニューヨークへ行っちゃうっていうわけだよね。
事務所の連中が、タレントを引き連れて。 で、このムーディ・ブルースの中心は、デニー・レーン(Denny Laine)と言いまして。
わかりますよね、デニー・レーンはあのウィングス(Wings)、ポール・マッカートニーのウィングスの中心でしたね。
デニー・レーン率いるムーディ・ブルースの・・・
それじゃ1964年の、イギリスで1位の曲を聴きますか。ね。
これも、ビートルズと同じ頃 出て来て1位になっちゃった。
Go Now
〜 Moody Blues / Go Now
@YouTube
(小林)ムーディ・ブルースの Go Now ていう。
まあ、愛していながら別れる歌 ですけども。
普通の歌のように聞こえますけど、これイギリスで1位ですが。
後に、ウィングズの中心になるデニー・レーンが中心でした。
この ムーディ・ブルース。
まあ、これがもう2〜3年もすると成長していって。
こんどはビートルズが解散とか、そういう時代は、プログレッシブロックの時代に入って行くわけですよね。
その時代を、作る一つのグループに成長していくわけですね、ムーディ・ブルース。
Go Now、ナンバーワンソングをお送りしました。 □ストーリー
・「そんなの お安い御用さ。坊やも連れて来たらいいよ」
こう話すのは、その時はジョージ・ハリスンと別居中であった妻のパティ・ハリスンの友人だという人物。。
彼はロンドンのレコーディングプロデューサーで。
当時最も成功していたロックスター=エルトン・ジョン()のアメリカツアーに同行するため、蒸気船でニューヨークを目指すのだという。
シンシアは耳を疑った。
もちろん船のチケットは自分持ちであるが、間違いなく船に乗ってアメリカに行ける。
もしそれが本当なら、ニューヨークで、いやアメリカのどこかで、ジュリアンをジョンに会わせることができる。
シンシアは上手く行きそうな予感がした。
これこそ正に「渡りに船」、断わる理由など一つもなかった。
翌日、ジョンがニューヨークに渡る前の代理人であるアップルのピーター・ブラウンに彼女は連絡を取って。
ジョンの番号を聞き出し、電話をかけてみた。
すると、なんと一発でジョンが電話に出た。
「もしもし、え? シンシア?。本当にシンシア!?」
ジョンはシンシアの声を聞いて とても驚いていた。
二人の会話はぎこちなかった。
シンシアは単刀直入にこう話した。
「ジョン。ジュリアンはもう10歳になったわ。
あなたに会いたがっているの。
近いうちにそっちに行くから、会ってくれるわよね?」
「ビートルズストーリ」
今週もジョン・レノンの最初の妻シンシアが遺した貴重な手記の中から。
シンシアに、ジュリアンに会って欲しいと訊かれたジョンの答えは
「もちろん、喜んで」という言葉。
シンシアは正直にジョンにこう言った。
「でもねえジョン。
ニューヨーク行きの船に乗るのは大丈夫なんだけど、チケットは自分持ちなの。
私、離婚したり引越したりで 今お金がないのよ」
するとジョンが優しい口調でこう答えた。
「大丈夫さ、何の心配もいらない。船のチケット代は僕が出してあげるから。
銀行の口座番号を教えて。客室は? もちろんファーストクラスだ」
〜 John Lennon / Stand By Me
@YouTube
〜 The Beatles / Get Back
@YouTube
(小林)へへw
お馴染みの曲が流れました。
1975年ですね。
ソロばっかり・・・カバーばっかりのソロアルバムの
えーなんか「Rock 'N Roll」から。
Stand By Me
お馴染みですね、これはね。
そして、Get Back
これも「Let It Be」1970年
ビートルズ最後のアルバムからお送りしました。 □ストーリー(続き)
・「でもね ジョン。ニューヨーク行きの船に乗るのは大丈夫なんだけど、チケットは自分持ちなの。
私、離婚したり引越したりで 今お金がないのよ」
「大丈夫さ、何も心配はいらない。船のチケット代は僕が出してあげるから。
銀行の口座番号を教えてよ。客室は、奮発してファーストクラスだ」
これは、もう3年以上も音信不通だった ジョンとその元妻シンシアの会話。
今日もシンシアの遺した手記から。
それから数日後。
シンシアと、すっかり少年ぽくなった息子のジュリアンは、豪華な蒸気船に乗ってサザンプトンの港を出港した。
この「フランス号」という蒸気船は、古いけれど とても美しい船で、今回が最後の航海になるという。
ジュリアンとシンシアはファーストクラスの個室で旅をし。
その最初の夜に、大きなテーブルで二人だけで夕食を摂っていた。
近くにはエルトン・ジョンの一行がいて、パーカッション奏者のレイ・クーパー(Ray Cooper)夫妻と言葉を交わす機会があった。
すると、エルトンがシンシアたちに気付いて、自分の部屋に招いてくれた。
エルトンはジョンの大親友でもあった。
彼の部屋はとても広々としていて、中へ入るとトレードマークのメガネが何百も詰まっている専用の巨大なトランクを開けて
うれしそうに見せてくれた。
エルトンは愉快で魅力的な人で、ずいぶん前にロンドンのヒースロー空港で偶然に会った時に、ジュリアンにサインをくれたことを思い出した。
ジュリアンは父親に会えると思うと、とてもワクワクしている反面、ドキドキもしているようだった。
10才になっていたジュリアンは、利発で愛らしく、この年齢の男の子らしく、少しシャイではあったが。
こんなに成長したジュリアンを、ジョンはきっと誇らしげに思うだろう、とシンシアは確信していた。
3年も離れていたのだ。
お互いのことを いろいろ知りたいと思うだろうし。
話しは尽きないだろう。
シンシアは ただ、二人の気持ちが、会ってまた仲良くやってくれることを願うばかりであった。
〜 The Beatles / Across the Universe
@YouTube
〜 The Beatles / Strawberry Fields Forever
@YouTube
(小林)
1967年 Strawberry Fields Forever
そして、その前は「Let It Be」の
1970年のアルバムから
Across the Universe □ストーリー(続き)
・「ジュリアンが父親に会うのは 3年ぶりでした。
10歳になり、少しシャイになった彼が、ジョンと上手くやってくれるか
正直不安ではありましたね」
元妻にしか判らない ジョン・レノンの本当の姿が数多く描かれている名著。
シンシアが遺した手記の中から。
ニューヨークに向かう豪華客船「フランス号」の中で、
エルトンジョンのツアーバンドの中でパーカッション奏者のレイ・クーパー夫妻はとても親切にしてくれた。
シンシアは心を許し、つい「ジョンとの3年ぶりの再会は正直恐いんです」と打ち明けても、いやな顔一つせず。
熱心に耳を傾け、親身に相談の乗ってくれた。
別れ際にレイがこう言った。
「今後、何か僕にでも何か出来ることがあったら、いつでも電話をください」
その言葉通り、ジョンが亡くなったあと、
ジュリアンにミュージシャンとしての掛替えのない力になってくれたのが、このレイ・クーパーであった。
船がニューヨークの埠頭に着くと、ジョンが彼の秘書である中国人女性のメイ・パンを連れて桟橋でまっていてくれた。
ジョンに再会するのは、うれしい気持ちと、辛い気持ちが、半分半分であった。
ジョンは青白くやつれていて、シンシアから見ても緊張しているのがよく判った。
挨拶代わりにシンシアのほっぺに短くキスをして、それから両腕でジュリアンを抱えギュッと抱きしめた。
そして、メイパンのことも紹介してくれた。
メイは感じのい良い23歳の女性で、さすがにこの時は ちょっと困惑している様子だった。
そして、案内されるままリムジンに乗り込み、ジュリアンはジョンとメイの間、シンシアはその後ろに席を取った。
ジョンはジュリアンにばかり話しかけるので、シンシアは自然と居ずらい気持ちになったが、それでも我慢して無言で後ろに座っていた。
さて、ジュリアンとシンシアのアメリカでの日々は、どういう流れになっていくのか。
それはまた 来週のこの番組で。
〜 John Lennon / New York City
@YouTube
〜 The Beatles / Hey Bulldog
@YouTube
(小林)どうでしたか?
シャウト系のジョン・レノンのボーカルが続きましたね。
「イエローサブマリン(Yellow Submarine)」69年から
Hey Bulldog
そしてその前は。
ジョンのバンド、エレファンツ・メモリー(Elephant's Memory)と名乗ったんですよね。
それをバックに 「Some Time In New York City」のアルバムから
New York City □リクエスト
メールは [email protected]
採用されるとイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。
(茨城県竜ケ崎市/男性)
今年の12月 ついに三十路になってしまいました。
20代の頃よりもっと大人らしく、そして元気に毎日を過ごしていきたいと思います。
リクエストは30代の目標にしようと思っている この言葉・・・ (小林)w
タイトルのステッペンウルフ(Steppenwolf)の「ワイルドで行こう」
(小林)これは、どうでしょうねえw
例えば、ワイルドな人が「おとなしく行こう」ていうのとねw
おとなしい人が「ワイルドで行こう」
まあその、ありのままで行けばいいと思うんですけどね。
人生は本当にワイルドですから。はい。
[茨城県竜ケ崎市/男性]さん、あなたのリクエスト
ステッペンウルフ Born To Be Wild
〜 Steppenwolf / Born To Be Wild
@YouTube
(小林)ステッペンウルフの Born To Be Wild
インドメロディがねえ、上手く生きていますね。 (松戸市/男性)
克也さん、毎週日曜日の放送楽しく拝聴しています。
シンシア・レノンの手記によるビートルズの話しは
ジョンがシンシアだけでなく、親戚からも遠く離れて寂しくなった様子が描かれて切なく感じます。
さて、私事ですが、10月 中学の同窓会があって参加。
40数年ぶりに再会しました。
でも、40年以上も前の事だと、お互いの記憶が少し違っていたり。
自分が忘れていて 怒られたりしました。
それもまた面白かったです。
たしか中学1年の頃、ラジオで聴いたビートルズの曲が気に入って、ファンになり。
ラジカセで一生懸命エアチェックしたことも思い出しました。
で、数日後、同窓会では会えなかった洋楽好きの友人を思い出しました。
彼から借りたカセットテープには、私があまり聴いたことの無い新しい曲が入っていました。
その時 彼のお気に入りはTレックス(T. Rex)でした。
「Get It On」や「20th Century Boy」などは今でも時々ラジオで聴く機会がありますね。
そんな中で、私がイイネと思った曲をリクエストしますのでよろしく。
(小林)ていう。
[松戸市/男性]さん、イイネと思った曲は、Tレックスの Easy Action!
〜 T. Rex / Solid Gold Easy Action
@YouTube
(小林)Tレックスの Easy Action
そうですよねえ
ビートルズの70年代が終わると。
70年代は、いろんな名称のロックね。
例えば、プログレッシブロックだとか、こういったロックはTレックスとか。
まあ、デヴィッド・ボウイ(David Bowie)も含めてですけども。
グラムロックとかね、言われましたね。 (千葉市/男性)
ジョージ・マイケル(George Michael)が亡くなって一年が経ちます。
この曲が発売された30年前。
アレサ・フランクリン(Aretha Franklin)が存命で、
ジョージ・マイケルが亡くなっているなんて、夢にも思いませんでした。
(小林)そりゃそうですよね。はい。
じゃ、30年前。
これは、まあ 両方のいい所が出ている曲ですね。
アレサ・フランクリンの、もうほんとうに すっごい高音まで行く。
あの、なんてんですか、誰もマネのできない所へ行きますよね、あの人はね。
あとは、ジョージ・マイケル。
I Knew You Were Waiting (For Me)
〜 George Michael, Aretha Franklin / I Knew You Were Waiting (For Me)
@YouTube
BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
@YouTube
□エンディング
(小林)「ビートルズから始まる」
お話しの方は、どうですか?
もうビートルズが解散してね。
ジョン・レノンを、そのオノ・ヨーコとw 一時別居。
あのこれ、ウワサですけどね。
その頃ウワサはね。
ヨーコが、スピノーザ、デビッド・スピノーザ(David Spinozza)かな?
ていう美男のイタリア系のね、ギタリストがいるんですよ。
それに ヨーコが惚れちゃってて、ジョンを遠ざけたんじゃないか、っていう話しもあってw
どれが本当かよく分からないんでw
まあ、お話しを楽しんでいただきたいと思います。
あのほら、シンシアの見た目の話していうの、ジョンの見た目じゃないからね。
ちょっと面白いでしょ? ねえ。
それからリクエスト、よろしくお願いしますね。
採用されるとイシイのミートボールなどをセットにしてお送りしております。
[email protected]
こちらで待っております
小林克也でした。 ■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
2017年12月24日(日)18:00〜19:00 放送内容 DJ:小林克也
BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
@YouTube
□ビートルズカレンダー(12月24日)
・1965年、52年前の今日。
アメリカで「ラバーソウル(Rubber Soul)」のアルバムがゴールドになりました。
ゴールドっていうと、当時の基準でいくとね、50万以上行ったらゴールドアルバム。
シングル、ちなみにゴールドというと100万が。
その頃が一番分かりやすかったね。
その後、ちょっと変わったりするわけですが。
まあ、とにかく「ラバーソウル」っていうのはビートルズにとって、とても大切なアルバム。
「ラバーソウル」のアルバムのタイトルもね。
ゴムの靴底? 靴の底。
スペルが違うんだけど、ゴムの靴底。
例えばスニーカーなんかのね。
そういう意味と。
それから、「ゴムのソウル」
「ソウル」っていうのはね、この時代のね、実は流行語で。
公民権運動っていうのが高まってきて。
ブラックアメリカンの意識が高まって、ソウルっていう言葉やたらと使うようになるわけですよ。
「R&B」って呼ばれていたものが「ソウル・ミュージック」になって。
それで、黒人たちはソウル・ブラザー、男はソウル・ブラザー、女はソウル・シスター。
で、ビートルズも実は黒人音楽にすごい影響を受けている。
だから、だけど、自分たちのは白人の、ゴムのソウルで「ゴムのソウルでございます」ていうものが入っているわけです。
でも、このアルバムの前に、ポール・マッカートニーがメンバーを集めてね。
「俺たちはもう、あのギャーギャー ギャーギャー騒ぐ女の子たちのための歌を作るのはよそう」
みたいなことを言うわけですよねw
もう、ジョンがほんとは言わなきゃだめなんだけど。
ポールが、まあリーダーみたいな、実質的なね。
だんだん後半になったら、そうなるわけじゃないですか。
それで、みんな頑張っちゃう。
ていうことです。 で、面白いのはね、彼らのライブで「ラバーソウル」のやつは出るんだけど。
その次の「リボルバー(Revolver)」のアルバムのやつって、あんまりないんですよね。
「ラバーソウル」からは「Nowhere Man」とか「If I Needed Someone」
こういったものを奏ったりする。
やっぱり彼らも「ラバーソウル」に思い入れがあるんじゃないか? という。
その「ラバーソウル」が52年前の今日、ゴールドアルバムになりましたが。
その中で。前にもちょっとお話ししたんですが。
ポールが作ってた曲で。
ポールがジョンの家によく行って、曲を一緒に作ったりとかやっていたんですが。
これも、ポールが作って・・・作ったというか・・・
彼の話によると、ジョンの家に行く間に考えたらしいんですよ。
それで、ジョンに「この曲どう?」って言ったら。
「歌詞が なんか無いんだよ」っていう。
歌詞をねえ、なんかポールが違う歌詞を付けてたらしいんだけど。
ジョンがやっぱりひと言が効いたんだね。
「これは、ドライブ・マイ・カー」っていう。
これは「僕の車を運転する」ってのは、ちょっとブルース的なフィーリングでいくと。
性的な意味が・・・
「俺の車を 運転して」っていう。
わかるでしょ? これ大人として判ってほしいんだけど。
それで、もうすぐに出来て。
で、ジョージがね、オーティス・レディング(Otis Redding)のリスペクトみたいに。
「ギターとベースが 同じリフレインを一緒に弾いたらカッコいいんじゃないか?」ていう。
アレサ・フランクリン(Aretha Franklin)のリスペクト、オーティスがカバーしてるんですよ。
「R E S P E C T あれ風でいこうよ」てことでこの曲が出来上がりました。
ここ10年ぐらい、ポールのソロツアーでも1曲目に演奏しています。
ビートルズの Drive My Car
〜 The Beatles / Drive My Car
@YouTube
(小林)52年前の今日。
アメリカでゴールドアルバムになった「ラバーソウル」の中に入っている。
ポールが主に作って、ジョンのサジェスチョン、ジョージのサジェスチョンで、曲が完成した。
Drive My Car □ストーリー
・「ジュリアンと私は、ひょんなことから豪華客船のフランス号に乗り込みニューヨークに向かうことになりました。
目的は、数年ぶりにジョンと会うため。
この客船にはエルトン・ジョンと彼のツアーバンドの御一行が乗っていて。
そのメンバーでパーカッション奏者のレイ・クーパー夫妻はとても親切にしてくれました。
ニューヨークに向かう豪華客船フランス号の中で、
エルトン・ジョンのツアーバンドの中でパーカッション奏者のレイ・クーパー夫妻はとても親切にしてくれました。
正直3年ぶりにジョンに会うことはとても緊張することでしたから」
これはジョン・レノンの最初の妻シンシアの発言。
今週もシンシアが遺した貴重な手記の中からお届けしよう。
客船がニューヨークの埠頭に着くと、ジョンが彼の秘書である中国人女性のメイ・パンを連れて桟橋で待っていてくれた。
ジョンに再会するのは、うれしい気持ちと、辛い気持ちが、半分半分であった。
ジョンは青白くやつれていて、シンシアから見ても緊張しているのがよく判った。
挨拶代わりにシンシアのほっぺに短くキスをして、それから両腕でジュリアンを抱えギュッと抱きしめた。
そして、メイ・パンのことも紹介してくれた。
メイは感じのい良い23歳の女性で、さすがにこの時はちょっと困惑している様子だった。
そして、案内されるままリムジンに乗り込み。
ジュリアンはジョンとメイの間、シンシアはその後ろに席を取った。
ジョンはジュリアンにばかり話しかけるので、シンシアは自然と居ずらい気持ちになったが、それでも我慢して無言で後ろに座っていた。
ニューヨークでのシンシアは、ロンドンで偶然再会したパティ・ハリスンの妹ジェニー・ボイドの家に滞在させてもらうことになっていた。
ただ、ニューヨークに着いて一息つくために ジョンが気を効かせて一泊目だけピエールホテルを予約しておいてくれていた。
ジュリアンをジョンとメイに託し、シンシアは一人ホテルの前に降ろされ、ひとまずチェックインをした。
部屋に入っても、まだ真っ直ぐは歩けない。
何日も船に乗っていたので、まだ足元が揺れているような感覚だったのである。
もちろん揺れていたのは、足元だけでなく少し胸騒ぎを感じていたのは、言うまでもない。
〜 The Beatles / The Continuing Story of Bungalow Bill
@YouTube
〜 The Beatles / While My Guitar Gently Weeps
@YouTube
(小林)2曲。
レコードに入っているそのまま続けました。
いかがでしたでしょうか。
「The BEATLES」つまり「ホワイトアルバム」ですよね。
1968年の。
ジョン・レノンの The Continuing Story of Bungalow Bill
から While My Guitar Gently Weeps
特にこの While My Guitar Gently Weeps は、
エリック・クラプトン(Eric Clapton)が参加してギターのことばっかりが騒がれておりましたが。
これは曲の内容もね、例えば歌詞としても、ジョージ・ハリスンの最高傑作の一つですね。 □ストーリー(続き)
・「ニューヨークに着いて、ジョンが迎えに来てくれていたので、案内されるままにリムジンに乗り込み。
私だけ一泊目のホテルの前で降ろされ、チェックインし、シャワーを浴びて、ルームサービスで軽い食事を注文したあと。
問題が発生しました」
これはニューヨークに到着しやっと落ち着いたか、と思われたジョンの最初の妻シンシアの発言。
シンシアの遺した手記から。
「ニューヨークにいる間は泊めてもらうことになっていたジェニーの電話がつながらないんです。
ジェニーは、ジョージと別居中の妻パティ・ハリスンの妹で、インドでの修行旅行やギリシャへの旅にも一緒に行った友人で。
その頃はニューヨークに住んでいたんです」
電話番号を確認するためにロンドンのパティに電話をしてみたが。
「おかしいいわねえ。ジェニーは必ずいるはずよ。
あなたが訪ねて行くことは、きちんと話してあるからね」
との回答。
パティもそうとしか言うことがない。
しかし、ジェニーに何度電話しても誰も出ないので、仕方なくジョンに連絡した。
シンシアはてっきり「そんなの、自分でなんとかしなよ」とか、そういう冷たい反応が来るかと思いきや。
「そうか。それは大変だね。大丈夫だよ。何とかしよう。
それじゃあ、僕らと一緒にロサンゼルスに行こうか。
滞在先も大丈夫だから、心配しないで」
ジョンのこの優しい言葉に心底ホッとした。
ロサンゼルスの滞在先とは、ジョンの友人で売れっ子のセッションドラマー=ジム・ケルトナーの家だという。
偶然なことに、ジムの奥さんの名前はシンシア。
彼女もやはり「シン」と呼ばれていたのである。
〜 John Lennon / Whatever Gets You Thru The Night
@YouTube
〜 Bob Dylan / Knockin' on Heaven's Door
@YouTube
(小林)2曲かかりました。
なぜ、この2曲がかかったかw
わかった方はいますかねえw
2曲とも ジム・ケルトナー(Jim Keltner)がね、ドラムを担当してるんで、かけたわけなんですが。
ジム・ケルトナーの所へね、シンシアたちが泊まるわけですよね。
はい。
ボブ・ディランの Knockin' on Heaven's Door について。
これは、ディランが実際に映画に出るわけですよ。
セリフが無い無名の青年で出るんですけど。
一番盛り上がる所で、このディランの曲が使われてるんですが。
これ、実は僕はノーベル賞とすごい関係あると思うんですよね。
ノーベル文学賞。芸術のとても大切な、ま根本のテーマみたいなものは
人間が死と向き合うっていうことが隠されていて。
この Knockin' on Heaven's Door は、死んでいく保安官の心情を歌にしているんですよ。
で、ボブ・ディランは、死に対する彼の感性みたいな、描き方みたいなのが、皆に感銘を与えてるんですよね。
ノーベル賞は、ひょっとしてノーベル賞の人は、それで決めたのかなと思っちゃいます。 □ストーリー(続き)
・「そうかあ。それは大変だね。大丈夫だよ。何とかしよう。
それじゃあ、僕らと一緒にロサンゼルス行こうか。
滞在先も大丈夫だから、心配しないで」
ニューヨークでの滞在先の電話がつながらず、すっかり困り果ててしまったシンシアに対し
元夫のジョンは優しく励ましてくれた。
シンシアは心底ジョンに感謝した。
元妻にしか判らないジョン・レノンの本当の姿が数多く描かれている名著。
シンシアの手記から。
次の朝、ジョンたちと空港で落ち合った。
もちろん、同じ便の飛行機に乗ったのであるが。
シンシアの席はファーストクラスの一番後ろ。
あとの3人は一番前。
「ここまでしなくても・・・」とシンシアの心は また少し傷ついた。
でも、シンシアには分かっていた。
ジョンはシンシアが遠くにいる方が落ち着くのである。
ジョンはこれまでも、切ない過去を思い出させる物をことごとく憎んできた。
そう考えているうちに、あることに気付いて、言いようのない悲しみに襲われた。
シンシアはこう証言する。
「その時点での私は、ジョンにとって過去の切ない思い出でしかなかったんです。
本当ならば きれいさっぱり別れて、次に進んで行きたいのでしょう。
でも、ジュリアンがいるから、私とはそういう別れ方ができないのです。
それが、ジョンにとってどれだけ辛いことか、ジョンを見ているとよく分かったんです」
この事実にシンシアも心を締めつけられるくらい傷ついていた。
それがよく分かっていたから、シンシアが ジョンが自分をニューヨークに置き去りにせず
ロサンゼルスに同行させてくれたことに、心から感謝した。
ジョン、ジュリアン、そしてシンシアの、ビートルズのお話し。
来週は ウエストコースト編です。
これまであまり伝えられてこなかった、ジョンのプライベートライフ。
どうぞ お楽しみに。
〜 The Beatles / Don't Let Me Down
@YouTube
〜 The Beatles / The Long And Winding Road
@YouTube
(小林)有名な曲が・・・・
それも ビートルズの終わり頃の曲が2曲。
Don't Let Me Down
1969年。
そして、ビートルズのラストシングル
The Long And Winding Road □リクエスト
メールアドレスは
[email protected]
採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。
(東京都練馬区/男性)40代
僕が生まれたのは1976年4月。
その頃克也さんのスネークマンショーが始まっていましたね。
黄ばんだ昔の雑誌で見つけ、当時のラジオコントの内容が面白おかしく書いてあって、非常に興味を持ちました。
(小林)でもあれは、音楽番組だったんだけどね。
最近、布団からなかなか抜け出せない僕に、この曲を・・・
(小林)という[東京都練馬区/男性]さんのリクエストは
Good Morning Good Morning
〜 The Beatles / Good Morning Good Morning
@YouTube
(小林)へへへw
動物もいっしょに起きてる、というw
ビートルズの Good Morning Good Morning
いやあw 楽しそうw (東京都葛飾区/男性)
マーク・ボラン(Marc Bolan)の生誕70年、没後40年という節目の年。
強烈な印象が残っているのは、リンゴ・スターが監督した映画「ボーン・トゥ・ブギー(Born To Boogie)」です。
72年のライブ映像ほかリンゴ・スター、エルトン・ジョン(Elton John)とのセッションなどで構成される非常に豪華な映像作品です。
(小林)その中からリクエストが来ていますね。
マーク・ボランが亡くなった事故現場も見て・・・
(小林)これは、十何年前?
数多くの花束が添えられていたというのを目撃した・・・
(小林)[東京都葛飾区/男性]さんのリクエストはですね。
これ、ちょっといいですか?
Children Of The Revolution (Born To Boogie バージョン)ね。
で、フィーチャーがエルトン・ジョン、そしてリンゴ・スターです。
演奏が、マーク・ボラン&Tレックス。
〜 Marc Bolan & T.Rex / Children Of The Revolution' From Born To Boogie
@YouTube
(小林)
ねえ、エルトン・ジョンがピアノで。
そして、リンゴ・スターがドラムで参加しておりました。
マーク・ボラン&Tレックス。 (昭島市/男性)
ジョン・レノンが殺害されて、もう37年。
学生で、当時信じられず、新聞の記事を何度も何度も読み直した覚えがあります。
どこかの国がミサイルを飛ばすと不安になる今日この頃、この曲を・・・
(小林)という[昭島市/男性]さん。
それから、もうひと方は・・・
(江戸川区/男性)
生い立ちの環境が似ていたこともあり。
ジョン・レノンという名前にはある種の私的響きが僕にはありました。
影響は大きかった。
ジョンの情報には とても敏感だった。
それから30年が過ぎた今。
そんな時代があったのか? 本当の事だったのか?
あまり現実味が感じられません。
リバプールで買ったジョンのポートレートを改めて見ても、十代の気持ちには戻れません。
時間は過ぎました。
このリクエスト曲を聴いて、あの頃のようにラブ&ピースを切なく感じることができるでしょうか?
時間は残酷ですね。
(小林)
お二方のリクエストは、ジョン&ヨーコ、プラスティック・オノバンド
With The Harlem Community Choir
Happy Christmas
〜 John Lennon / Happy Christmas
@YouTube
BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
@YouTube
□エンディング
(小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?
シンシアの気持ちてのは、よく分かっちゃいますよねw
で、ジョン・レノンの気持ちも分かるでしょう?
ねえw 子供の気持ちも分かるし。
どうするんだ。
まあ、ビートルズのドラマも いろいろありますけど。
ドラマっていうか、ビートルズのことを描いたものがね。
中には、憶測で書いたものとか。
実際、シンシアの場合は 日記みたいなものですから。
それをね、記(しる)したわけですから。
そうとう正確な描写だけに、心に来ちゃいますよねえ。
さあ、リクエスト待ってます。
メールのアドレスは
[email protected]
です。
よろしくお願いします。
採用されるとイシイのミートボールなどをセットにしてお送りしております。
ここんところ、けっこうビートルズ、ほんとにまともに向き合ってる人多いですけど。
好奇心で「まあリクエストしようか」なんて方も待っておりますよ。
よろしく。 ■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
2018年12月31日(日)18:00〜19:00 放送内容 DJ:小林克也
BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
@YouTube
□ビートルズカレンダー(12月31日)
・1961年、今から56年前の今日。
ビートルズが売れる前。
売れる相当前です。
この日ビートルズはリバプールからロンドンに、ニール・アスピノール。
当時のローディが運転するバンでロンドンに向かう。
で、ブライアンは汽車でロンドンに向かう。
で、ロイヤルホテルを取っていたわけです、ロンドンに。
そうありますけど。
これはですね、マネージャーのブライアンは
もうビートルズを売ろうとして一生懸命。
いろーんなレコード会社に当たって いろんな友達を当たったり、コネを。
もう本当にすごかったらしいんですよ。この頃は。
で、とうとうデッカレコードから「オーディションやろう」
それが1月1日ね、翌日です。
オーディション、お正月もオーディションですよね。
それで、ロンドンに向かいますが。
ローディのニール・アスピノールが道を間違えた。
そのために普通5時間もあればロンドンに着くんだけど、10時間近くかかってしまった。
やっと到着したのが、日付が変わったお正月の明け方5時です。
おまけに途中でトイレ休憩でね。
立ち寄った時に、若者たちから なんか変なイケナイ物、当時流行している物をもらったらしいんですが。
それが変なふうに効いたらしいんで、ジョンもポールも気分が悪くて。
結果、ホテルで2時間ぐらいベッドに横になっただけ、という最悪の状態です。
でもう、数時間経ったら歌わなきゃダメだ演奏しなきゃダメなビートルズはもう焦っちゃいますよ。
10時にはデッカスタジオに入って。
で、1時間後の11時からオーディションが始まるわけです。
で、奏るのがですよ、15曲演奏するんだよ、続けて。
すっごいでしょ? この当時のオーディションw
オーディション、2〜3曲じゃないんだよw 15曲やるんですよ。
で、ポールもジョンも悪寒がする、どうも体調が悪い、声が震える。
演奏も酷いものだった。
これは、記録になって残っていますよね。デッカオーディションは。
そんな中、ジョージ・ハリスンだけは比較的いつもと同じ感じで、この曲でリードボーカルを披露します。 この曲はね、アメリカでもイギリスでもナンバーワンの男性アイドル とでも言うべきか。
けっこう優しい声をしているから、ジョンとかポールみたいな強い声を必要としなかったから。
ジョージ・ハリスンにぴったり合ってたんじゃないかト思います。
その、イギリスアメリカで1位になった曲のカバーバージョンです。
デッカレコードのオーディションです。
これが 61年の お正月の音です。
ビートルズの Take Good Care Of My Baby
〜 The Beatles / Take Good Care Of My Baby
@YouTube
(小林)ねえ、一生懸命さが伝わるじゃないですかw
15曲も奏った中から、一つ。
ティーンエイジャーのジョージ・ハリスンがとても可愛い。
Take Good Care Of My Baby □ストーリー
・「ジョンにとっての私という存在は、過去の切ない思い出でしかなかったんです。
本当ならば、きれいさっぱり別れて、次に進んでいきたいのでしょう。
でも、ジュリアンがいるから 私とはそういう別れ方ができないのです。
それがジョンにとってどれだけ辛いことか、ジョンを見ているとよく判ったんです」
冒頭からかなり重い発言であるが、こう話してくれたのはジョン・レノンの最初の妻シンシア。
今週もそのシンシアが遺した貴重な手記から。
シンシアはジョンの本意が分かっていたからこそ
自分とジュリアンをアメリカに招待してくれたこと、
そしてロサンゼルスにも連れて行ってくれることにも感謝していた。
ロサンゼルスに到着したあと、車でビバリーヒルズホテルへ。
ジョンと秘書の中国人女性メイ・パンは、翌朝また来てジュリアンを一日どこかへ遊びに連れて行ってくれると約束して。
シンシアとジュリアンを残し、行ってしまった。
その夜はジュリアンと二人。
アメリカのテレビが珍しくて、無数にあるチャンネルをひっきりなしに変えて楽しく過ごした。
ところが、次の朝になるとジュリアンは泣き出してしまい。
「ママも一緒に来て欲しい」と言って聞かなかった。
もちろんシンシアは「ママの事はいいから、パパとメイお姉ちゃんと行ってきなさい」
と懸命になだめた。
シンシアは、もし自分も一緒に出かけたら、ジョンがどれほど気まずい思いをするか、よく分かっていた。
しかし、ジュリアンはソファの影で泣いていて
「ママが来ないなら、僕も絶対に行かない」の一点張り。
結局その日は、全員でディズニーランドに行くことになってしまった。
シンシアにとっては、耐え難い一日となった。
ジョンがジュリアンを連れて先を歩き。
シンシアは自分が余計な存在であることを、ヒシヒシと感じながら、かなりの距離を置いて後ろからくっついて行った。
メイ・パンがいてくれたことが シンシアにとって唯一の救いであった。
〜 John Lennon / Crippled Inside
@YouTube
〜 Beach Boys / Disney Girls
@YouTube
(小林)ライバルだったビーチボーイズ(Beach Boys)の音も聞こえましたね。
ジョン・レノンの Crippled Inside
「イマジン(Imagine)」のアルバムに入っている曲です。
ジョン・レノンらしい歌詞ですけど。
スタイルが、ジョージ・ハリスンのスライドギターが入って。
ちょっとカントリーぽいような感じで。
ジョン・レノン、似合わなかったんじゃないかなw ていう感じもあるんですよ。
内容はちょっとキツイから、ね。
それから、 Disney Girls
1957年頃の、振り返ってるビーチボーイズ。
これは71年。
同じ頃のね、作品です。
ジョンも71年、ビーチボーイズも71年。 □ストーリー(続き)
・「ニューヨークからロサンゼルスに飛んで、次の朝。
ジュリアンが『どうしてもママと一緒じゃなきゃ嫌だ、僕どこにも行かない』
の一点張りだったので、仕方なく私たちもディズニーランドに同行することになりました。
それはもう、苦痛そのものでしたね」
ジョン・レノンの最初の妻シンシアの手記から。
ジュリアン、ジョン、ジョンの秘書の中国人女性メイ・パン、そしてシンシアの4人で訪れた初めてのディズニーランド。
最初シンシアは苦痛そのものであったが、メイ・パンがいてくれたことが救いとなった。
メイじはとても気軽に話しかけてきて、親切で、ジュリアンにも気を使ってくれて。
おかげでジュリアンは時間が経つごとに、目に見えてリラックスしてきていた。
ハンバーガーショップで、張りつめた空気の中ランチを食べた後。
アトラクションに乗っては、また次のアトラクションへと、気ままに移動をし。
暑くて長い午後を過ごした。
一日の終わりが こんなに嬉しかったことは 今までに無いくらいである。
ただやはり「自分は来るべきではなかった」とシンシアは後悔した。
ジョンの、さも迷惑そうな、妙に早口で歯切れの良いモノの言い方に、シンシアはいっそう悲しくなった。
それでもなお、シンシアはジョンを心の底から好きでたまらなかった。
そして、「友達として 仲良くなりたい」
「一緒にいることが心地良い関係になる道を二人で探りたい」という希望を捨ててはいなかった。
ジョンはいったい何を恐れているのだろう?
シンシアに咎められるのが恐いのだろうか?
ジュリアンとシンシアの所に戻って来て欲しい、と言われるのが恐いのだろうか?
それとも、シンシアが会いに来たことを ヨーコに知られるのが恐いのか?
おそらく結局は、そのすべてを恐れていたのであろう。
ここに来て、ジョンとヨーコの関係が、少しづつではあるが判って来たシンシアであった。
〜 John Lennon & Yoko Ono / Sisters, O Sisters
@YouTube
〜 The Beatles / Oh! Darling
@YouTube
(小林)まあ有名な曲ですね。
Oh! Darling
「アビーロード(Abbey Road)」1969年。
そして、もっと有名な話しはw
ねえ、オノ・ヨーコが怪我してるかなんかで。
ベッドを持って来させて。
スタジオの中にベッドを入れて。
オノ・ヨーコはベッドの中でレコーディング風景を見ていた、っていうエピソード。
そして、その前は
ジョン・レノンとヨーコ・オノ。
Sisters, O Sisters
アルバムは「Some Time In New York City」
1972年 □ストーリー(続き)
・「ジュリアンを連れて3年ぶりにジョンと会って。
やっぱり、まだ私はジョンのことが、心底好きだっていうことが判りました。
何でも話し合える、解かり合える、友人関係になれないものかと本気で願ってもいました。
でもそれは無理だということも、同時に判って来たんです。
その理由は、やはりジョンとヨーコの関係でした」
ジョン・レノンの最初の妻シンシア・レノンの手記からもう少し。
ヨーコの存在そのものは、シンシアにはどうすることも出来ないことの一つであった。
ヨーコは離れていても、一日に何度もジョンに連絡して来て、ジョンを監視していた。
もちろんジョンは、これを心地良いとは思ってはいなかった。
当然である。
しかし、ジョンにはそれをどうすることも出来なかった。
一方シンシアは、別段、今すぐにでもジョンとの関係を少しでも 昔のように戻したいとは思ってはなかった。
無理だということが 分かっていたから。
今は、ジュリアンに定期的に会ってくれさえすれば、それでいい、と自分に言い聞かせていた。
ロサンゼルスでの最初の日を ディズニーランドで過ごしたあとは。
ジュリアンも喜んで、ジョンとメイパンと一緒に出かけるようになった。
シンシアは一人で、ジョンの友人で有名なセッションドラマーであるジム・ケルトナー夫妻を訊ねることになった。
ロサンゼルスにいる間、シンシアとジュリアンを自宅に滞在させてくれるというのである。
ジムも、偶然同じ名前である奥さんのシンも、素晴らしい人柄であった。
夫妻はシンシアがあまりに典型的なイギリス人女性であることを面白がって「メリーポピンズ」と呼んだ。
ジョンが仕事で会えない時、ジュリアンはケルトナー一家の子供たちと遊んで楽しそうだった。
ジムやシンとも少しづつ心を開くにつれ、ジョンとヨーコの関係についても話してくれるようになった。
その驚きの内容は、また新年のオンエアーで、ということで。
〜 George Harrison / I've Got My Mind Set On You
@YouTube
〜 The Traveling Wilburys / Handle With Care
@YouTube
(小林)80年代の終わりにかけての有名な曲を2曲。
1987年。
当時は、本当はこんな幼稚な、ていうとおかしいけど。
バブルガムな曲はやりたくなかったらしいんですが。
息子のダーニがせがんで「あれやってよ」っていうことで。
やったら、これがでっかいヒットになっちゃったというw
I've Got My Mind Set On You
そして、Handle With Care
ロイ・オービソン(Roy Orbison)の歌声が、今は亡きロイの歌声が相当目立っておりましたね。
ジョージ・ハリスン、ボブ・ディラン(Bob Dylan)たちの、トラベリング・ウィルベリーズの演奏で。
ヒット曲ですね。
Handle With Care
ちなみに、ドラムは両方とも
ロサンゼルスでお世話になった、ジム・ケルトナー(Jim Keltner)です。 □リクエスト
メールは [email protected]
採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。
(埼玉県富士見市/女性)
シンシアのその後のお話し。
ジョンが亡くなるまで続くんじゃないでしょうか。
もう途中では終われない気がします。 (小林)入り込んでますね。
ユーチューブでビートルズ関係者が集まって。
兄弟、ジュリアンとショーンがヨーコらと一緒で「I Saw Her Standing」を歌っているのを見ました。
なんか ホッとしました。
1988年のロックの殿堂入りの時です。
ビリー・ジョエル(Billy Joel,)が得意そうに歌って。
あとはブルース・スプリングスティーン(Bruce Springsteen)とミック(Mick Jagger)が大口を競っていましたね。
(小林)ていうw
じゃあ、これはやっぱりそういう事ですから。
えーと、ラジオの向こうの皆さんも鼻歌なんかで参加して成立するというわけです。
I Saw Her Standing There
〜 The Beatles / I Saw Her Standing There
@YouTube
〜 Bob Dylan / I want you
@YouTube
(小林)「Oh Yoko!」の元ネタ?w
ボブ・ディラン I want you をお送りしました。 (神奈川県甲田郡/女性)
この番組を聴き始めてから10年以上が経ち。
初めてメッセージを送ります。
先日、念願のレコードプレーヤーを手に入れ。
父からたくさんの古いレコードを譲り受けました。
中にはビートルズのレコードもありました。
CDやラジオで聴いていた音楽が、レコードでは一味違った音で聴こえ
とても新鮮な感じがしました。
大滝詠一さんの「夢で逢えたら」をお願いします。
(小林)ていう
[神奈川県甲田郡/女性]さん、リクエストありがとうございます。
若いです。といっても30歳ですw
大滝詠一 「夢で逢えたら」
これが、今年のラストナンバー。
〜 大滝詠一 / 夢で逢えたら
@YouTube
BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
@YouTube
□エンディング
(小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたか?
今年最後の放送ということで、また来年もよろしくお願いいたします。
やっぱり、話しとしてはこれ続きますからねw
ジョンとヨーコの関係を、名ドラマー。
必ずジョンと一緒に居た名ドラマー=ジム・ケルトナーはどんなふうに話してくれるのか。
来年 来週も 乞うご期待。
リクエストは
[email protected]
です。
イシイのミートボールなどをセットにして用意しております
リクエストに採用されるよう お祈りしております。
お相手は小林克也でした。 ■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
2018年1月07日(日)18:00〜19:00 放送内容 DJ:小林克也
BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
@YouTube
(小林)
小林克也です。おめでとうございます。本年もよろしく。
□ビートルズカレンダー(1月7日)
・今から54年前の今日。
つまり、1964年。
もうすぐ、もうすぐアメリカでブレイクして、世界へビートルズが広がって行く。
だから、その前ですね。
この日 何をやっているかというと。
忙しいです、けっこう。
えーとね、午後2時半から4時までが、プレイハウスシアターていう所で。
BBCのね、録音を奏っています。
BBCのための録音。
これ、ラジオのための録音なんですよ。
ちょっと珍しいでしょ。
そしてその夜は、これがメインなんですが。
アストリアシネマという、これは映画館ですよね。
映画館でビートルズは「クリスマスショー」をやっています。
この「ビートルズのクリスマスショー」というのはですね。
この頃はお馴染みで。
どういうことでクリスマスショーをやったっかというと。
ファンに対するサービスなんですよ。
ファンのためにクリスマスショーを「ビートルズがいつもやらない特別の姿をお眼にかけましょう」ということで。
12月、この年は21日が初日かな?
20日ぐらいから・・・・
これ、我々の感覚に無いんですけれども、年が明けて1月10日ぐらいまで、20日間やるんですよ。
で、その間に・・・
まあ、ビートルズの事務所の連中も、他のバンドも出たりするんですけども。
やっぱりメインはビートルズで、ビートルズがコントをやったり。
それから、まあカバーバージョンを奏ったりするということで、盛り上がるわけですよね。 というわけで、昼間はだから・・・、ちょっとこれ不思議に思うんですけども。
「え? ラジオのための録音、ビートルズが?」
もうビートルズはイギリスで有名になってますよね。
この頃ね、面白いのはね。
ラジオ局で、レコードをかけると、それタダで聴けるじゃない?
「これはちょっと、考えた方がいいね」っていう、労働組合からの申し入れで。
レコードをかけるのを、ちょっと規制がかかってるわけで。
かかることはかかるんだけど。
その代りライブを頻繁にやった。
だから、BBCの、ビートルズをはじめ有名なグループのライブが本当はいっぱいあった、という話しなんですよね。
さあ、それじゃ「Live at BBC」
54年前の今日 収録したものの中から。
ああ、これは有名な曲の、チャック・ベリー(Chuck Berry)のカバーを奏っています。
ビートルズ、聴いてくださいね、 Johnny B. Goode
〜 The Beatles / Johnny B. Goode
@YouTube
(小林)いかがですか?
Johnny B. Goode ね。
おや? これ、続けて奏るわけですよねw
すごいよねえw
いやあ、今から54年前のビートルズも。
ちょっと ほら世界で売れる寸前だから、すっごいんですよ。
このバンドの演奏はすごかったでしょ?
それから、ジョンのボーカルの余裕も。
遊んでるように、こう、楽しさがほんとに伝わってくるよねw。
へへw、いやあ、いいものを聴きましたね。 □ストーリー
・「息子のショーン(ジュリアン?)が『どうしても ママが一緒じゃなきゃイヤだ』と珍しくごねるので。
私もディズニーランドに同行しました。
当然のように、ジョンとはほとんど言葉を交わさない状態で。
世界最大のテーマパークを楽しむどころか、そりゃあもう針の筵(むしろ)でしたねえ」
こう話してくれるのはジョン・レノンの最初の妻シンシア。
シンシアが遺した貴重な手記の中から。
ロサンゼルスでの最初の日をディズニーランドで過ごしたあとは、ジュリアンも喜んでジョンとメイパンと一緒に出かけるようになった。
シンシアは一人で、ジョンの友人で有名なセッションドラマーであるジム・ケルトナー夫妻を訪ねることになった。
ロサンゼルスにいる間、シンシアとジュリアンを滞在させてくれるというのである。
ジムも、偶然同じ名前である奥さんのシンも、素晴らしい人柄であった。
夫妻はシンシアがあまりに典型的なイギリス人女性であることを面白がって「メリーポピンズ」と呼んだ。
ジョンが仕事で会えない時、ジュリアンはケルトナー一家の子供たちと遊んで楽しそうだった。
ジムやシンとも少しづつ心を開く関係になるにつれ、ジョンとヨーコの関係についても話してくれるようになった。
彼らは、ジョンの変わり様を「好きになれない」と、シンシアにこっそりと打ち明けた。
二人は「ジョンがヨーコに支配されているようだ」と言った。
ヨーコはしょっちゅうジョンに電話をしてきて。
その時のジョンはといえば、また何かでヨーコに叱られるのではないかと いつも心配しているというのである。
そしてジョンはヨーコを「マザー=お母さん」と呼んでいるらしかった。
ジム・ケルトナー夫妻が見たところ、ジョンはヨーコに対して、愛憎を入り混じった感情、つまり愛情と憎しみの入り混じった感情を持っているという。
自分自身をヨーコから切り離すことができず、それでいてヨーコに対して常に怒りと恨みを抱いている、というのだ。
これはもう 重症である。
〜 John Lennon / Instant Karma
@YouTube
〜 The Beatles / Let It Be
@YouTube
(小林)うん、ちょっと興味深い2曲が流れましたよ。
時は1970年、ビートルズ解散の年。
もう、ビートルズの解散。
そして、それぞれがソロ、ていうのは当然のように受け容れられたような感じの空気が漂います。
というのも
Instant Karma
さっきお送りした Instant Karma
これはアメリカで3位。
その時にアメリカで1位だったのが、ビートルズの「Let It Be」です。
面白いでしょ? ね。
ジョンのソロが3位で、
もうビートルズとしての「Let It Be」が・・・
これ、ジョージ・マーティンがプロデュースしたシングルバージョン。
そして、イギリスでは「Let It Be」は1位になっていないんです、この時。
で、なぜかというと。
1位はサイモンとガーファンクル(Simon And Garfunkel)の「Bridge Over Troubled Water」
=「明日にかける橋」が1位だったから。
ちょっと面白いですよね。 □ストーリー(続き)
・「ジョンがヨーコのことを『お母さん=マザー』と呼んでいると聞いて、
開いた口が塞がりませんでした」
ジョン・レノンの最初の妻シンシアの証言。
シンシアの手記の中から。
ソロアーティストになってからのジョンの作品に数多く参加しているドラマー=ジム・ケルトナー夫妻が
シンシアに話してくれたことによると。
ジョンはヨーコに対して、愛憎入り混じった感情を持っているという。
自分自身をヨーコから切り離すことができず、それでいてヨーコに対して常に怒りと恨みを抱いている、というのだ。
そしてもちろん、ジョンとメイ・パンの関係を工作したのもヨーコであり。
自分たちの住むニューヨークのアパートメント=ダコタから二人を追い出したのもヨーコである。
彼女はジョンを退屈に感じたのか?
苛立っているのか?
しばらく一人になりたかったのか?
その真意は不明であるが。
いずれにしても、ヨーコはジョンと離れて暮らすことが良いと決め。
完全にはフリーにはせずに、同行する女性もヨーコが自分で考え選んだ、というのが真実である。
これを聞いてシンシアは唖然としてしまった。
もしそれが本当なら、ジョンは莫大な権力をヨーコに譲ってしまったことになる。
ジョンはヨーコが演じる支配欲の強い親を持つ いたずらっ子を演じているという例え話も成立する。
シンシアはこの一連の話しを聞いて悪寒が走った。
彼女の知っている、自分に誠実な精神を持ち、自立心の強いジョンは いったいどうしてしまったのだろう?
どうして、頑ななまでに、愛情も思いやりもほとんど示してくれないような女の言いなりになっているのだろう?
そういう思いを巡らしているうち、シンシアの中でヨーコとピッタリ重なる人物が浮かんだ。
ミミだ。
ジョンの育ての親であるミミ伯母さんである。
ジョンは暴君のような女性が身近にいる環境で育ったのだ。
だから、そういう環境はむしろ当たり前であり、そういうものだと思って30年以上過ごしてきた。
これは相当に複雑な心理状態である。
〜 John Lennon / I'm Losing You
@YouTube
〜 The Beatles / All Together Now
(小林)2曲続きました。
1969年「イエローサブマリン(Yellow Submarine)」から
All Together Now
そして、1980年。
ジョンの遺作アルバム「ダブル・ファンタジー(Double Fantasy)」から
I'm Losing You □ストーリー(続き)
・「アメリカの音楽シーンで最も重要なドラマーの一人ジム・ケルトナー夫妻が話してくれたジョンとヨーコの関係。
そこには驚くべき事実が数多く存在しました」
こう語るのはジョン・レノンの最初の妻シンシア・レノン。
元妻にしかわからないジョンの本当の姿が数多く描かれている名著と言われる、シンシアが遺した手記の中から。
ヨーコのことを「マザー=お母さん」と呼ぶジョンの深層心理には、育ての親であるミミ伯母さんが存在していた。
それに対し、シンシアはジョンの実のお母さんであるジュリアが突然の交通事故で亡くなったあと。
ジョンに必要だった献身的な愛情を捧げ。
その愛情を持って、ありのままのジョンを受け容れた。
一方ヨーコは、ジョンが一番よく知っている強硬な母親像を示して安心感を与えたのである。
何年か後に、ヨーコのインタビューの中で、自分をミミ伯母さんになぞらえているのを読んで、
シンシアは思わずニンマリしてしまった。
「さすが自分をよく分かっている」と思った。
ヨーコとの別居中のジョンと、プライベートな秘書でもあるメイ・パンが一緒なのは
元はヨーコの計画だったのかもしれないが。
シンシアから見ると、二人は本気でお互いを想いあっているようであった。
シンシアは二人のお互いに対する愛情のこもったしぐさや、思いやりの気持ちに気付いていた。
ケルトナー夫妻も
「メイ・パンはジョンに相応(ふさわ)しい相手だと思うし、メイと一緒ならば、きっとジョンは幸せになるだろう」
と確信を持っていた。
ジョンとメイが一緒に暮らすようになって最初の数ヶ月の間に
ジョンはナイトクラブでグデングデンになり、暴れたりして、何度か新聞沙汰になったことがある。
その中でも有名なのが、ある晩ジョンが額に女性の生理用のナプキンを貼りつけたままナイトクラブで過ごし。
自分たちのお目当てだった その日のショーの出演者に向かってヤジを飛ばし続け、ショーを台無しにした。
という事件である。
ジム・ケルトナー夫妻は この行いに対して
「ジョンはまるで厳しい私立学校の寄宿舎から抜け出して来たティーンエイジャーのようだった」
と述べた。
まさに 言い得て妙である。
〜 John Lennon / What You Got
@YouTube
〜 John Lennon / You Are Here
@YouTube
(小林)そうなんですよね。
彼女は太平洋を越えてやって来た。
太平洋を感じさせるような音楽でしたね。
オノ・ヨーコ(小野洋子)への愛情がいっぱい。
アルバム「マインドゲームズ(Mind Games)」の中から
You Are Here
そして その前は
その1年後の「Walls and Bridges」のアルバムから
What You Got
お聴きの通リ、あれはファンキーなブラック系のリズムですよね。
ドラムズがジム・ケルトナーをはじめとした
ジョン・レノンお好みのリズムミュージシャンたちが奏っているわけですけど。
これはファンキーなリズムで。
80年代、ジョンの暗殺後、オノ・ヨーコさんが
「ジョンはああいうファンクが大好きで。
ひょっとしたら、生きていたら、ラップミュージシックを奏っていたかもね」
みたいなことを語っていました。
それもそうだな、と思いましたね。 □リクエスト
メールは [email protected]
採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。
(館山市/男性)
ラジオを聴きながら 妻と房総半島をドライブしていると。
道端の菜の花やタンポポの花スイセンなどが あちこちで咲いていることに気付きました。
ビックリです。
すでに春が感じられる房総は魅力です。
都会の皆様もぜひどうぞ。
イチゴや野菜、海の幸など満足されると思いますよ。
リクエストは「カリフォルニアの青い空」
(小林)w
〜 Albert Hammond / It Never Rains In Southern California
@YouTube
(小林)
「カリフォルニアの青い空=It Never Rains In Southern California」
そう、歌の実体は「カリフォルニア ほとんど雨降らないよ」っていう。
本人に会って訊くと。
「これは、みんながカリフォルニアに憧れるけど、警告ソングだよ。
カリフォルニアは そんな甘いもんじゃないよ、ていう歌だよ」
と言っておりましたねw。 (小林)続いて
(松戸市/男性)40代後半
ポール・ロジャース(Paul Rodgers)の誕生日でしたね、去年の暮れ。
ハッピー・バースデー、ポール・ロジャースさん。
ポール・ロジャースさんの代表曲は「All Right Now」ですね。
フリー(Free)でも、バッド・カンパニー(Bad Company)でも、クイーン(Queen)でも、
もちろんソロでも、数年前ならエアロスミス(Aerosmith)でも。
ポール・ロジャースさんの「All Right Now」が演奏された可能性もありましたね。
(小林)あ、そうでしょうね。
で、ジョー・ペリー(Joe Perry)さんが、マジでポール・ロジャースさんを誘っていたんですが。
やんわりと断わっていましたね。
(小林)ていうw
そう。まあ、ポール・ロジャースはそうですよね。
引く手あまた あった。
たしか、ツェッペリン(Led Zeppelin)のジミー・ペイジ(Jimmy Page)なんかとも奏ったしねえ。
はい、それじゃ[松戸市/男性]さん、あなたのリクエスト。
フリーの All Right Now
〜 Free / All Right Now
@YouTube
(小林)フリーの All Right Now
フリーの名作。 (市川市/男性)
年の瀬になると、大瀧詠一さんの訃報を思い出します。
幼い頃 ビートルズサウンドを教えてくれたのが、
実家の車の中で繰り返し聴いていた ナイアガラトライアングルのカセットテープでした。
特に好きだったのが、佐野元春さんを始めのコーラスが和製ビートルズを彷彿とさせたこの曲。
(小林)これは[市川市/男性]さんね。
プロデューサーの大瀧詠一。
この時のテーマは、「ビートルズ」だったそうです。
だからなんですね。
「ナイアガラトライアングルVol.2」の「Nobody」
〜 NIAGARA TRIANGLE Vol2(杉真理) / Nobody
@YouTube
BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
@YouTube
□エンディング
(小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたか?
ジョン・レノンはね、やっぱりミミ伯母さんに育てられて。
お母さんが悲劇的なね、死に方をして。
やっぱり本当に厳しい少年時代だったと思うんですけど。
一般の人たちも、ジョンの心理状態を・・・
やっぱり、本当のお袋を探していたんじゃないか?
その付き合う女性なんかに。
そういうのは ありますけど。
やっぱり、初めてジョンと結婚した人が、そういうふうなことを結論付けたわけですよね。
長い間付き合っていてw
オノ・ヨーコなんかとも会ってw
「あ、そうだ。ミミ伯母さんだ」
それで、ドキッとしちゃいますよね。
やっぱり、一般の人が思うような ところが有ったのかどうか。
でも、そういう話し聞いても、なんか疑問が残るんですよね。
「ほんとに そうだったのかな?」っていう。
不思議なもんです。
リクエスト待っております。
[email protected]
です。
採用されるとイシイのミートボールなどセットにして送っております。
よろしくお願いします。
待っております。 ■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
2018年1月14日(日)18:00〜19:00 放送内容 DJ:小林克也
BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
@YouTube
□ビートルズカレンダー(1月14日)
・1964年、今から54年前の今日。
先週からの続きです。
先週は,お正月にもかかわらず、クリスマスショーをファンのためにやっている。
というふうなことをお伝えしましたよね。
クリスマスの前から正月に入っても20日間ぐらいファンのためにクリスマスショーをやった。
それが終わって4〜5日経った今日。
ビートルズの3人が、ジョンとポールとジョージが、ロンドンの空港からフランスに向かいます。
リンゴは里帰りをしていて。
リバプールの空港がちょって霧で、彼が遅れてしまうんですけども。
まあとにかくパリへ行っちゃう、ていうことなんです。
これは、この頃のことはビートルズに詳しい人はご存知だと思いますが。
パリでは、オランピア劇場という有名な所で仕事をするんです。
だけど、ビートルズは前座なんですよ。
つまり、ビートルズはこの前の年にね。
イギリスではすでに4曲がナンバーワンになってるわけですよね。
「Please Please Me」から始まって。
すごいことになってるわけですよ、イギリス。
で、イギリスばっかりじゃなくて、ヨーロッパの国でも、国々でもビートルズの人気はすごいんだけど。
「フランスでまだなんだ」ということで。
「安いギャラでもOKだ」と、ビートルズの宣伝のために、というでとで。
で、だれの前座かというと。
古い方は知っている シルビー・バルタン(Sylvie Vartan)という女性のシンガーなんです。
これもうフランス1の人気を誇っていた。
そして、もう一人います。
アメリカ人だけどメキシコ系のトリニー・ロペス(Trini Lopez)、この二組です。
で、ビートルズはその前に出てくるわけですよね。彼らの前に。
だから、ほんとに前座です。 さあそれじゃ、どういう人の前座だったのか。
その時代の空気をちょっと感じていただきますけども。
トリニー・ロペスのこの曲はすごい。
これはねえ、ほんとにねえ、いろんな国で大ヒットです。
元を正せば、フォークトリオのピーター・ポール&マリー(Peter, Paul and Mary)なんかもやったカバーバージョンなんだけども。
その「自由の鐘を打ち鳴らそう!」ていう。
ピート・シーガー(Pete Seeger)達が作ったメッセージソングをカバーなんです。
で、トリニー・ロペスの世界的な大ヒット。
これを奏る前にビートルズが前座で出たんですからね。
トリニー・ロペスの、当時絶好調だった人の
If I Had A Hammer
〜 Trini Lopez / If I Had A Hammer
@YouTube
(小林)トリニー・ロペス If I Had A Hammer
世界的な大ヒット。
それに もう一人の、フランスの第一人者シルビー・バルタン。
のための前座で オランピア劇場=パリの劇場で何日間かやっている途中で
最大のビックリが起きるわけですよね。
それご存知ですよね。
あのほら、アメリカで、とうとうビートルズの「I Want To Hold your Hand」がナンバーワンになったという。
そのことは皆さん覚えといてくださいねw
参考資料 シルビ―・バルタン
□ストーリー
・「ジョンとメイパンが一緒に暮らすようになって最初の数ヶ月の間に。
ジョンはナイトクラブでグデングデンになったり、暴れたりして、何度か新聞沙汰になりました。
その中でも有名なのは、ある晩ジョンが額に女性の生理用のナプキンを貼りつけたままクラブで過ごし。
自分たちのお目当てだったその日のショーの出演者に向かってヤジを飛ばし続け、ショーを台無しにした。
という事件がありました。
この出来事について、有名なドラム奏者であるジム・ケルトナー夫妻は。
『ジョンはまるで厳しい私立学校の寄宿舎から抜け出して来たティーンエイジャーのようだった』
とコメントしていたんです。
例え話があまりに上手すぎて、正直笑ってしまいました」
こう話すのはジョン・レノンの最初の妻シンシア。
今日もそのシンシアが遺した貴重な手記から。
ジョンはヨーコから完全に切り離されてしまったので。
銀行でどうやってお金を降ろせばいいのかも。
スーパーマーケットでどうやって買い物をすればいいのかすら、知らなかった。
けれども、そんな自由気ままな日々は最初の数ヶ月間だけで。
その後は ジョンも 落ち着いてきて。
複雑な混み入った愛情ではなく、ごくストレートな愛情を注いでくれる女性。
つまり、メイ・パンと一緒に、世の中の誰もがごく当たり前と思っているような日常を楽しむようになっていた。
滞在先のロサンゼルスで、息子のジュリアンがジョンとメイの所へ行っている間。
シンシアはビートルズのローディだったマル・エヴァンズ(Mal Evans)に会いに行った。
ジョンがマルに「シンシアに付きあって町を案内してやってほしい」と頼んでくれたのである。
マルに再会するのはとても嬉しかった。
シンシアの目の前に現れたのは、相変わらず熊のような大きな大きな男。
まぎれもなく、あのマル・エヴァンズであった。
〜 The Beatles / Maxwell's Silver Hammer
@YouTube
〜 The Beatles / You've Got To Hide Your Love Away
@YouTube
(小林)2曲 お送りしました。
珍しい曲とね、隠れた名曲ですよねw
Maxwell's Silver Hammer
まあ残酷な歌の内容だけど。
メチャクチャ明るい。
「アビーロード(Abbey Road)に入っている。
で、話しに登場した、ビートルズのローディ=マル・エヴァンズは鉄板を叩いています。
このセッションの中で。
そして「HELP!」の中から
You've Got To Hide Your Love Away □ストーリー(続き)
・「息子のジュリアンとロサンゼルスに滞在している間。
ジュリアンはジョンとメイが預かってくれたので
私はビートルズのローディだった巨漢の名物男マル・エヴァンズに会いに行きました。
ジョンがマルに『シンシアに付きあって、街を案内してやってほしい』と頼んでくれたんです。
とても嬉しい再会。
私の目の前に現れたのは、相変わらず熊のような大きな大きな男。
紛れもなく あのマル・エヴァンズでした」
こう話すのは ジョン・レノンの最初の妻シンシア。
ビートルズストーリー、その手記から。
熊のように体格のいいマルは、昔からずっと優しくて親切だった。
シンシアがジョンと一緒だった頃は、家族でよくケンウッドに遊びに来てくれたので。
奥さんのリルと二人の子供たちのこともよく知っている。
だから、マルが家族を置いて新しい恋人とロサンゼルスで暮していると聞いた時は、とても残念だった。
マルは言った。
「シンシア、今日は必ず君を楽しませてあげるからね」
頼もしい約束をしてくれた。
先ず向かったのは メキシコ料理のレストラン。
ここでは、テキーラ、オレンジジュース、ザクロのシロップ、で作るカクテル「テキーラサンライズ」を頼んでくれた。
シンシアは初体験である。
そのあとは、ロサンゼルスの目抜き通りや有名な観光スポットをドライブした。
車の中でマルは
「ジョンはすっかり変わってしまった。まるで別人のようだ」
と残念がり。
話題にヨーコの名が出ると、しきりに相槌を打っていた。
ジュリアンとシンシアの2週間の滞在の最後の夜に。
マルは ジュリアンとシンシア、そしてジョンとメイ・パンを自宅に招待してくれた。
ジョンがあまりに冷たい態度を取るので困っている、と話すシンシアのために。
ビートルズ時代から困ると必ず手を差し伸べてくれたマルは、ここでもシンシアのために場を設けてくれたのである。
シンシアにとってマルは、いつでも頼りにできる文字通り大きな存在であった。
〜 The Beatles / Yellow Submarine
@YouTube
〜 The Beatles / Fixing a Hole
@YouTube
(小林)
マル・エヴァンズというね、ビートルズのローディに関係ある曲が2曲続いたんですが。
Yellow Submarine お馴染みですね。
これはバックコーラスにローディのマルも一緒に入って歌っている。
で、Fixing a Hole
これは「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」
の中の変わった曲ですけども。
これは、マルエヴァンスのアイデアでね。
最初いきなり「オランウータンと穴が空いた所を直してる」ていう歌詞が来るんですよね。
このアイデアは マル・エヴァンスだったw
ていう話しですけど。
2曲お送りしました。 □ストーリー(続き)
・「ジュリアンとロサンゼルスに滞在した2週間の最後の夜。
元ビートルズのローディだったマル・エヴァンスが
私たちとジョンとメイを 自宅に招いてくれたんです。
もちろんこれは、私とジョンの関係を心配してのこと。
マルは昔と少しも変わらず、本当に温かくて優しい人物でした」
こう語っているのはジョン・レノンの最初の妻シンシア・レノン。
元妻にしか判らないジョンの本当の姿が数多く描写されているシンシアの名著の中から。
マルの温かい心遣いは功を奏したようだった。
マルがお酒を注いだりしている間、ジョンとメイとシンシアは一緒に座っておしゃべりをした。
ついに希望の光が見えてきたような気がした。
「緊張した関係が、これで和らぐかもしれない」とシンシアは思った。
離婚以来初めて、そしてこの時たった一度だけ、ジョンが罪悪感や気まずさという感情を忘れて
シンシアにも打ち解けたような感じであった。
そしてジョンが訊ねた。
「ロベルトは元気?」
シンシアは答えた。
「ロベルトとは もう別れたの。いろいろあってね」
するとジョンはシンシアを気遣い。
「それは大変だったね。で、君は大丈夫?」
と、少し会話が続いた。
そしてシンシアは、自分はもうすっかり元気になったこと。
そして、ジュリアンと一緒にリバプールの郊外メルスという町に引越して暮らしていることなど近況を知らせた。
そしてジョンは
「そうかあ。リバプールか。懐かしいな・・・
昔の連中、そう特にクォーリメン(The Quarrymen)のメンバーに会うことがあったら、よろしく言っといてよ。
たのんだよ」
と、まるで昔のビートルズがデビューする前のジョンのようにしゃべった。
と、そんな団らんの最中に、ヨーコから電話が入った。
一気に気持ちが沈んだ。
ジョンはまた無愛想な人間に戻るかと思いきや。
電話が終わって 戻って来ても、相変わらず微笑んでいる。
そしてこう語った。
「ジュリアンは良い子だね。こんなに大きくなって。
信じられないよ。
シン、もうジュリアンは小さい子供じゃないんだね。
もう立派に僕と話しが通じ合えるようになったなんて。
シン、ほんとうにありがとう」
〜 The Beatles / Strawberry Fields Forever
@YouTube
(小林)いかがですか。
最後に「I buried Paul」「ポールを埋めた」てのw
ほんとに言ってますよねw、言ってるような気がするんだけど。
どうですか?
「マジカル・ミステリー・ツアー(Magical Mystery Tour)」の中から
Strawberry Fields Forever □リクエスト
メールは [email protected]
採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。
(品川区/男性)60代後半
だいぶ前ですが、克也さんがDJとして出演した映画「Little DJ」見ました。
最初は声だけの出演だと思っていたら、最後の方で広末涼子さんと話してましたね。
(小林)そう、驚かすねw 設定になってるわけよねw
ところで、最近1970年代を代表するイーグルス(Eagles)の「Hotel California」のライブ盤が出たことを知りました。
ぜひ、お願いします。
(小林)
去年ですね。
もう「Hotel California」あの名盤が出て40周年ということで。
盛り上がって いろんなのが出たわけですが。
それでは、まあ、まだ正月の気分抜けてないですよねw
この、7分弱の傑作、最後まで聴きますか?
[品川区/男性]さん、どうもリクエストありがとうございます。
「Hotel California」のライブでね、これは1976年ロサンゼルスのフォラムでのライブです。
イーグルス!
〜 Eagles / Hotel California
@YouTube
(小林)いやあ。
いや、盛り上がっております。
特にね、後半のギターもすごいですよね。
これは、コンサートだけど、後半セッション的に走ることなくね。
お客さんを変ななところへ連れて行かないように。
ドン・ヘンリー(Don Henley)の指示で「ちゃんと Hotel California ていうイメージで弾けよ」ていう。
それを守って弾いてるわけですよねw (市原市/男性)
最近ラジコを使って聴くことが多いです。
一週間以内なら時間を問わず聴けるので、非常に便利、重宝しております。
60年代のロンドン、その当時デビューのミュージシャンが晩年 非常に良い作品を
「白鳥の歌」よろしく聴かせており、感心しております。
(小林)この白鳥の歌、っていうのは、英語の言い方で「白鳥最後の歌」とか。
だから、「人生最後の素晴らしい作品」とか そういうふうな意味ですね。
人生最後の・・・まあ、そういう年かもわかんない。
イギリスには当時2つ流れがあり。
1つはビートルズを始めとした ブリティッシュビート。
もう1つは、ストーンズや、これからリクエストするヴァン・モリソン(Van Morrison)などのブルース色の強い
ブルーアイドソウル です。 (小林)そうですね。
先だってまた1枚、ジャズ色の強い作品が出てるようですが。
「Roll With The Punches」このアルバムが非常に出色の出来栄えで。
ぜひリクエストしないといけないな、と思い筆を取りました。
(小林)はい。
ジョージ・フェイム(Georgie Fame)という人がね、客演していて。
ヴァン・モリソンが「Goin' To Chicago」ていうジャズですよ。
でまあ ブルースジャズていうか。
これは カウントベイシー(Count Basie)ていうジャズオーケストラの作品なんですが。
これをやっています。
これは[市原市/男性]さんのリクエストなんですが。
これ家族でお聴きになってると 思いますので。
二人の歌っているオッサンはですね、小林克也と同じぐらいの歳の人で。
[市原市/男性]さんが言うには「人生最後の歌みたいな 名演演奏みたいなことを奏ってんだよ」って。
家族でひとつ盛り上がっていただきたいと思いますが。
渋〜い歌です。
〜 Van Morrison / Goin' To Chicago
@YouTube
(小林)
ジョージイ・フェイム(Georgie Fame)という人がね客演で。
今の世でいうと フィーチャーで。
ヴァン・モリソン Goin' To Chicago
どうでしたかw (小林)さあ続いて
(千葉市/男性)
「HELP!」のアルバムの中から。
Dizzy Miss Lizzy をお願いします。
「Yesterday」が終わったあとで
いきなりジョンのシャウトでビックリした記憶があります。
(小林)
[千葉市/男性]さんのリクエストです。
ザ・ビートルズ Dizzy Miss Lizzy
〜 The Beatles / Dizzy Miss Lizzy
@YouTube
BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
@YouTube
□エンディング
(小林)「ビートルズから始まる」
やっぱり、ビートルズがもう解散してしまったあとの話しでも。
なんとなく、あれですよねw
目が離せない 感じがありますよね。
来週はどういうお話しになるのか、乞うご期待。
それからリクエスト。
[email protected]
で待っております。 ■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
2018年1月21日(日)18:00〜19:00 放送内容 DJ:小林克也
BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
@YouTube
□ビートルズカレンダー(1月21日)
・1966年、52年前の今日。
ジョージ・ハリスンとパティ・ボイド。
この二人が、エッシャー登録事務所で結婚を届けた。
サリーのね、ロンドンのちょっと外側の郊外の結婚登録所。
そしてブライアンと、ブライアン・エプスタイン、ポール・マッカートニー。
この二人が ベストマンを務めた。
そして夜は、マネージャーのブライアン・エプスタインがチャペルストリートで
ジョージとパティのための、まあこれは小規模だけど、ちょっとパーティをやった。
ポール・マッカートニー、ジェーン・アッシャー=婚約者。
ジョン、シンシア、ジョージ・マーティン、ジュディ・マーティンつまりプロデューサー夫妻など。
つまり、結婚したんですよ、ジョージとパティ・ボイドは。
まあビートルズは女性ファンに人気が強いわけですから。
人気が出る前にジョン・レノンが結婚するっていうと大変だったのは ちょっとご存知だと思いますが。
女性ファンの人気が高かったジョージのことを心配して、ちょっと内密にしたかった、マネージャーのブライアン・エプスタイン。
お許しが出て。
「でも、豪華な披露宴は、豪華なパーティは無しだよ」ていう。
まあ、知り合いになった切っ掛けは映画「A Hard Day's Night」
「ヤアヤアヤア! ビートルズがやって来る」で。
ビートルズが熱狂的なファンから逃げて列車に乗り込んで、車内で演奏するシーン。
その車両にいた女学生3人組の一人が、キュートなブロンドのパティです。
パティは もうその頃21歳で。
実はイギリスの国内的にはポテトチップスのコマーシャルで、もう顔が知れていた。
そこでもう一目惚れして、ジョージは もうすぐそこから・・・なんていうんですかね。
もう、ナンパを開始して、冗談半分ながらプロポーズまで・・・「結婚しようよ」とかなんか言っているという。
でも皆さんご存知のとおり、後半は・・・
ジョージ・ハリスンが、まあビートルズが解散状態になった時、友人をいろいろ頼ったりする一人がエリック・クラプトン(Eric Clapton)だった。
エリック・クラプトンが言い寄った。
いつしか夫の元を離れてエリックの胸に飛びこむ、と。
それとは知らず、ジョージがパティをモデルに書いた、一世一代のラブソングてのがありますがw
これを聴いてみますか?w
それは Something
〜 The Beatles / Something
@YouTube
(小林)いや、今聴いても すごい名曲ですよね、この曲はね。
上手く作られてますよね、さすがはプロデューサーのジョージ・マーティンの仕事です。
えーw この Something の裏には、そういう恋の物語もあった、と。
ちょっと生臭いお話しでした。 □ストーリー
・「ジュリアンは良い子だねえ。こんなに大きくなって信じられないよ。
シンシア、もうジュリアンは小さな子供じゃないんだね。
もう立派に僕と話しが通じるようになったなんて。
シンシア、本当にありがとう」
時は1974年、オノ・ヨーコと別居中のジョン・レノンは3年ぶりに会った息子のジュリアンについてこう語った。
今週もジョンの最初の妻シンシアが遺した貴重な手記から。
ロサンゼルスでの楽しい2週間を終え、イギリスに帰る日の夜になると。
親子3人の関係についても、シンシアは楽観的に考えられるようになっていた。
彼女は語る。
「自分たちの関係も、雪融けが始まったように思えました。
ジョンとジュリアンが一緒に過ごし、ジョンと私もゆっくり話ができるようになりました。
そしてジョンのそばにはヨーコではなく、メイ・パンという女性がいて。
ジョンとジュリアンの関係を理解し、応援してくれるんです。
数年前とは全く違う環境でした」
そのジョンのパートナーであるメイ・パンが別れ際にこう語った。
「またすぐに、ジュリアンを呼べるようにするわね」
するとシンシアは
「次の機会までに、ジョンにまた3年も待たされないといいけどw」
と、冗談交じりに返した。
この2週間でシンシアはすっかり、このメイという女性を好きになっていた。
イギリスに帰る飛行機の中で、ジュリアンはとてもウキウキしていて、ジョンとの出来事を夢中になってしゃべり続けていた。
ジョンはスタジオで、ジュリアンがドラムを叩いているところを録音していた。
ジュリアンの演奏は、ジョンの次のアルバム「Walls and Bridges」の収録曲「Ya Ya」に使われた。
数ヶ月後に発売されたそのアルバムには、ジュリアンの名前もクレジットされていて。
当の本人であるジュリアンは、それはもう有頂天であった。
〜 John Lennon / Ya Ya
@YouTube
〜 The Beatles / This Boy
@YouTube
(小林)ということで。
曲は1曲半。
まあ、Ya Ya ていうw
これは「Walls and Bridges」
さっきお話しした通りです。
ジュリアン・レノンがクレジットで入っています。
そしてこれは。
今聴いたやつは
「I Want To Hold your Hand」のB面ですね。
This Boy
なかなか良い選曲でしたねw
はい。 □ストーリー(続き)
・「ママ、ほら、ここだよ!。
ここに、“ドラムス、ジュリアン・レノン”って書いてあるよ。
ほら、ここだよ! ここだってばママ! よく見てよ」
これは父親ジョンのアルバムに演奏者としてクレジットされたことに大喜びの息子ジュリアンの発言。
そのジュリアンの母親シンシアの遺した手記から。
ほぼ3年ぶりに父親ジョンに会いに行った後のジュリアンは、電話で数週間に1度 父親と話すようになった。
掛けるのはだいたいジョンであったが、そのうちジュリアンも自分から電話をするようになった。
ジュリアンはやはり自分の父親を畏(おそ)れ敬っているところがあった。
それはジョンがとても遠い存在だからというだけではなく、世界的に有名なロックスターであるからであった。
当然のことである。
でも、ロサンゼルスでジョンと一緒に過ごしてからは。
シンシアの中にも、そのうちジュリアンももっと気楽に父親と接するように慣れる時が来るのではないか、という希望が
現実感を持ってきていた。
その年、1974年のクリスマスが近くなった頃。
ジョンが「クリスマスホリデーをニューヨークで過ごさないか?」とジュリアンを誘ってくれた。
もちろんジュリアンは大喜びである。
シンシアも嬉しかった。
今度こそ、ジュリアンは一人でジョンに会いに行くのである。
シンシアはジュリアンを飛行機に乗せ、フライトアテンダントに任せて。
あとは向こうの空港でジョンが出迎えてくれることになっていた。
全ては予定通り進み。
ジュリアンはちょっぴり緊張しながらも、ジョンに会うのをとても楽しみにして旅立った。
その頃、ジョンと、そして秘書であり身の回りの世話係りでもある中国人女性メイ・パンは
ニューヨークのハドソン川を見渡すアパートメントに住むようになっていた。
さて、ここでのジュリアンと父親ジョンとの暮らしはどうなっていくのであろうか?
〜 The Beatles / She Said She Said
〜 The Beatles / Lucy in the Sky with Diamonds
@YouTube
(小林)曲は 2曲続きました。
1966年「リボルバー(Revolver)」から
She Said She Said
そして1967年。
ねえ、問題の年ですね。
「サージェント・ペパー(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」から
Lucy in the Sky with Diamonds
記憶を新たにしてください。
この曲こそ、ようするに息子ジュリアンが幼稚園で画いてきた。
幼稚園か育児所かわかりませんけども。
ルーシーと大きな空で星と遊んでいる絵。
「それでこの曲が書かれたんだ」とw
ジョンが言った曲ですよね。 □ストーリー(続き)
・1974年のクリスマスシーズン。
珍しくジョンがジュリアンをニューヨークに招いてくれる、とのお誘いがありました。
11歳のジュリアンが初めて一人旅をするんです。
彼はちょっぴり緊張しながらも、ジョンに会うのをとても楽しみにして旅立ちました」
ジョン・レノンの最初の妻シンシア・レノンが語る、元妻にしか分らないジョンの本当の姿が載っているシンシアの名著の中から。
1974年、ジョンと個人秘書である中国人女性メイ・パンの二人は、
ニューヨークのハドソン川を見渡すアパートメントに住むようになっていた。
そこを訪れたジュリアンの話しでは。
2ベッドルームのこじんまりとした真っ白な部屋だという。
バルコニーには椅子が置いてあって、ジョンとジュリアンは座って外を眺めたりもしたそうである。
メイパンはジュリアンにとってはお姉さんのような存在。
子供に接するのが上手で、ジュリアンとは もう打ち解けた良い関係にあった。
でも、ジョンはこの頃も 時々よそよそしかったり、気難しくなったりもしたという。
それでも、ジュリアンは学校でギターを習い始めていたので。
ジョンに新しいコードを教えてもらったり、一緒に楽しく演奏したりもしていた。
ジュリアンがもらったクリスマスプレゼントは、あらゆるリズムを打ち出す日本製のドラムマシン。
ジュリアンは大喜びで、リズムに合わせて2人でギターを弾いた。
ジョンはもともとこういった最先端のマシンが大好きで。
ジュリアンがジョンの家のテレビにも目を丸くした。
そのテレビには、チャンネルを変えるための別の箱が存在するという。
今でいう リモコンの先駆けであるが。
このテレビをめぐっては、また一悶着あった。
その詳しい内容は、また次回のオンエアーでご紹介しよう。
〜 The Beatles / Ob-La-Di, Ob-La-Da
@YouTube
〜 The Beatles / Good Morning Good Morning
@YouTube
(小林)いや、最後は猛獣ぽい声も聞こえましたし。
馬も聞こえましたよね、最後はねw
「サージェント・ペパー(Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band)」から
Good Morning Good Morning
そして、その前は「ホワイトアルバム(The BEATLES)」からですよ。
Ob-La-Di, Ob-La-Da □リクエスト
メールは [email protected]
採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。
(千葉県八千代市/男性)
こんばんは。ビートルズの次に好きなオアシス(Oasis)の「Roll With It」をリクエストします。
この曲は とにかくカッコ良くて、ビートルズっぽい曲で。
聴くたびにジョンがガニ股でギターをかき鳴らしている姿が浮かんできます。
(小林)まあそうですね。
ビートルズファンであるから、ジョンのことが・・・ねえ。
また、リアム(Liam Gallagher)はジョンぽいですからね。ちょっとね。
ぜひぜひ、オアシスがノリに乗っている時のライブ盤「Familiar to Millions」のバージョンをお願いします。
(小林)OK
オアシスのライブです。
Roll With It
〜 Oasis / Roll With It
@YouTube
〜 奥田民生 / さすらい
@YouTube
(小林)いやあ オアシスのライブから奥田民生「さすらい」
なかなか 繋がりがいいですね。
こっちの方のリクエストは・・・
(茨城県稲敷郡/男性)
ビートルズは12歳の頃から聴いていました
当時からお気に入りは「Let It Be」
和訳は「なすがまま。思うがままに生きればいい」
単純な3つの英単語ですが、意味は難解で子供の私にはまったくわかりませんでした。
40の中盤、病気で3ヶ月ほど仕事を休んだことがありました。
職場復帰、将来の不安、様々な思いと格闘し、焦る心を抑えることが出来ませんでした。
その時ふと「Let It Be なすがままに」という言葉を思い出し。
その意味を理解しました。
以来、その言葉は私の座右の銘となっています。
ポール・マッカートニー、偉大すぎます。
おかげ様で復職できたばかりか。
今では真冬の澄み切った空気の中をバイクで走れるまで回復しました。
というわけで (小林)w
奥田民生「さすらい」
(小林)わかりました。
[茨城県稲敷郡/男性]さん、ありがとう。 (小林)続いて
(千葉県香取郡/男性)60代
娘が結婚しました。33歳です。
相手は11歳年下です。
若い男がやって来て、突然「娘さんと結婚させてください」と言ってきました。
11も年下ということで戸惑いましたが、熱意が伝わってきたので了解。
そして12月1日入籍 (小林)去年ですね。
そして「同居させて下さい」というので同居。
なんか変な感じです。
でも、なかなか良いやつです。
こないだ私の車に乗った時、私の好きなビートルズの曲を聴いていたら。
婿が「良い曲ですね」と言ったので。
「良い曲だろう」自慢げに言いました。
ビートルズの名前は知っているようでしたが、ビートルズと知って聴いたのは初めてだったようでした。
これをきっかけに、婿にビートルズを売り込んで共通の話題としたいと思います。 (小林)www
今年も良い番組を期待しております。
(小林)ていう。
[千葉県香取郡/男性]さん、あなたのリクエストは
Let It Be
〜 The Beatles / Let It Be(Single ver)
@YouTube
〜 The Beatles / Hey Jude
@YouTube
(小林)有名な、盛り上がった くり返し。
Hey Jude。
Let It Be、Hey Jude
ポール・マッカートニーが続きましたね。
(千葉市/男性)50代
ポールの話しは、人生と、人生の物語と関係がありますね。
今となっては、とても遠い記憶ですが。
多感な頃、家庭の事情があって 父とは別れ。
母の収入だけで厳しい生活をしていました。
母のためにも学費の安い公立高校を目指して受験勉強中。
息抜きに いつもビートルズを聴いていました。
夜中の勉強でもあり、大きな音で聴けないので、ヘッドホンでよく聴いていました。
そして目的の高校に入ることができました。
それから40数年が経ち、今では会社を持つ代表です。
家族や母親を養えるようにもなりました。
ビートルズの曲を聴くと、ほろ苦くも がむしゃらだった自分を思い出します。
(小林)ねえ。
人生が出て来てるよねえw
これは[千葉市/男性]さん、50代の方です。
Hey Jude リクエストありがとうございました。 BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
@YouTube
□エンディング
(小林)「ビートルズから始まる」
話しの方でね、いまだ謎なのはねえ。
ジョン・レノンがメイ・パンと、ロサンゼルスからニューヨークに戻って来るでしょ。
オノ・ヨーコの所へは戻らないで、2人で別のアパートに住んでいた。
これが、ちょっと謎でしょう。
ねえ。
どういうふうに なるんでしょうねえw
それからリクエストよろしくお願いします。
人生についての、今日みたいなお話し、だとか。
楽しい話しでも なんでもけっこうですがw
よろしくお願いします。
[email protected]
こっちで待っています。 ■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
2018年1月28日(日)18:00〜19:00 放送内容 DJ:小林克也
BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
@YouTube
□ビートルズカレンダー(1月28日)
・1969年。
ビートルズがもう終わりかけている。
49年前の今日。
アルバムとしては、最終的にはビートルズの「Let It Be」ですよね。
もうこれ、スタジオはアップルスタジオ。
で、このアルバムはポール・マッカートニーが発破をかけて。
もう今までビートルズはいろいろ奏ってきたけど「重ね録音だとか、やり過ぎた」と。
「我々はバンドである。せーの、で一発で録るやつをやろう」みたいなことを言うわけですよね。
だから、今日の49年前の今日も、そういう曲が、もう知ってる曲をやるんですよ。
なにを奏ったかというと「Dig A Pony」ね。
それから「Get Back」「Love Me Do」
「Get Back」これは順番ですけど。
「Don't Let Me Down」
そして「I've Got A Feeling」
「Don't Let Me Down」「One After 909」
そして「I've Got A Feeling」
またw「One After 909」ねw
で、この時はビリー・プレストン(Billy Preston)ていう
アメリカの有名なキーボードの人が加わっております。
で、この日はそうとう調子が良かったのかどうか。
ポール・マッカートニーの「Get Back」
それからジョンの名曲「Don't Let Me Down」
一気にレコーディングしています。
一発撮り。
やっぱり一発録りの日だったんですね、この日は。
で、これは、さっきも言いましたとおり。
「Let It Be」というアルバムになるわけです。
で、「Let It Be」はビートルズの面々が最後まで・・・
こう、なんての、ミックスダウンとかそういうふうな最終のやる工程をもう諦めちゃって。
フィル・スペクター(Phil Spector)に任せるわけです。
だから「Let It Be」という曲もね。
我々は知らず知らず・・・
あ、「Let It Be」じゃなくて「Get Back」ね。
「Get Back」も、実は2つ聴いてるんですよ。
で、アルバムの方に入っている「Get Back」はですね。
プロデューサーのフィル・スペクターが、スタジオでの会話なんかを上手く編集して。
いかにもそこで行われてるようにした。
あれ、実はフィル・スペクターなんです。 でも、実はジョージ・マーティンがプロデュースのもあります。
それは、そっちは、あんまりそういった劇的なドラマ的なお飾り無しなんで。
そっちの方を今日は聴いていただきます。
こっちは別バージョンです。
Get Back
〜 The Beatles / Get Back
@YouTube
(小林)Get Back
ほんと、帰って来た時はポール・マッカートニーがアドリブと思われるような文句で、言うわけですが。
これがもう、乗れっていう切っ掛けのように、これは延々、実はセッションが続いたそうです。
その模様は、もちろんレコードには入っていないですけど。
映画「Let It Be」では、この模様がちょっと出ているそうです。
有名なね、こっちはフィル・スペクターじゃないバージョン。
Get Back をお送りしました。 □ストーリー
・「もしもし。あ、シンシア?
ジョンだけど。みんな元気にしてる?
あのさあ、もしよかったら、今年のクリスマスシーズン。
ジュリアンをニューヨークに来させてくれないかな?
やつも もう11歳だ。
飛行機だって もう一人で乗れるだろう。
もしOKだったら、さっそく飛行機のチケット用意するから」
電話をかけてきたのは、ジュリアンの父親ジョン・レノン。
今週もそのジョンの最初の妻シンシアが遺した貴重な手記の中からお届けしよう。
この年 1974年12月。
11歳になったジュリアンは 一人ニューヨークに住む父親ジョンを訪ねた。
この時のジョンは 妻のオノ・ヨーコからの要望で別居生活の真っ最中。
ニューヨークのハドソン川沿いの2ベッドルームのアパートメントで
個人秘書の中国人女性メイ・パンと住んでいた。
ここにしばらく滞在することになったジュリアンが、最初に驚いたものは テレビ。
なんとそのテレビには、チャンネルを変えるための「別の箱」が存在するという。
今でいう「リモコン」の先駆けであるが。
この最先端の機械が、せっかくのジュリアンのクリスマスホリデーを最悪のものにした。
ある朝、メイ・パンが買い物に出かけていて、ジョンがリビングルームで寝ていた時。
ジュリアンはジョンが目を覚ますまで、手持ち無沙汰だったので、リビングにそっと入って行って。
そのリモコンをいじり始めた。
この時、ジュリアンは音を立てないように気を付けていたのに。
ほんのわずかな「カチッ」という音で、ジョンが飛び上がるようにして目を覚まし、ジュリアンを怒鳴りつけた。
ジュリアンはびっくりしたのと恐かったせいで、自分の部屋に駆けこんで行った。
それからというもの、ジュリアンは何かの弾みでジョンを怒らせることがないように、
すっかりジョンの顔色を窺がうようになってしまったのである。
〜 John Lennon / Power To The People
@YouTube
〜 The Beatles / Julia
@YouTube
(小林)2曲続きました。
まず、1971年の。
フィル・スペクター(Phil Spector)がプロデュースした
Power To The People ていう。
ジョン・レノン=ソロですね。
これは、けっこう中ヒットになっていますね。
イギリス、アメリカでは11位ぐらいまで行ったのかな。
で「ホワイトアルバム(The BEATLES)」
「ホワイトアルバム」で滞在中。
まあ他のメンバーは酷い目だと思っていたかもわかりませんが。
ジョン・レノンは、まあマイペースですから。
ドノヴァン(Donovan)から、ちょっとフィンガーピッキングのギターを習って。
そのフィンガーピッキングを聴かせておりますが。
これは、お母さんに捧げた曲。
Julia □ストーリー(続き)
・「いくら寝覚めが悪いからといって、子供が立てたちょっとの音が原因で怒鳴りつけるなんて。
親として、いえ 人間として有ってはならないことです。
でも、ジョンという人は、そういうものなんです」
シンシアの言葉。
彼女の遺した手記から。
ジョンが再び 自分と自分の息子の間を遮断する壁を作ってしまったことに
シンシアはとても腹を立てた。
こんな些細なことに、そこまでムキになるなんて。
過剰反応も甚だしい。
ジョンはせっかく修復しかけている息子との関係に、どんな影響を及ぼすか。
後の事も考えずに、驚くほど無神経で残酷になることがあった。
この一件のせいで、ジュリアンは それまで以上にジョンにビクビクするようになった。
ただ、そんなことがあっても、ジュリアンのジョンを尊敬する気持ちは変わらない。
だから、父親から「その夏に またおいで」と言われた時には、素直に嬉しかった。
こうして、状況は明るい未来に向かって前進しているように見えた。
ところが、ジュリアンが帰国してすぐに。
シンシアは「ジョンがヨーコの元に戻った」という知らせを聞いた。
しかもヨーコは妊娠しているという。
予定日は10月。
ジュリアンには「弟か妹が出来るなんて、待ち遠しいわね」
と言う以外 あまり触れないようにした。
そして、赤ん坊が生まれても、ジョンがそれまでと変わらずジュリアンを呼び寄せてくれますように、と願っていた。
でも、内心では心配であった。
ようやくここまでジョンとの親密な関係を築きあげてきたというのに。
これで、お終いになってしまうのだろうか?
ヨーコとの別居中、ジョンを支え尽くして来たメイ・パンにも気の毒だった。
おそらく彼女は、周りが想像するよりずっとものすごく傷ついているだろう。
ジョンが「失われた週末」と呼ぶ15カ月のヨーコとの別居期間が終わると。
ヨーコはメイ・パンを解雇し。
ジョンは「ヨーコとの別居は失敗だった」という声明を発表したのである。
〜 John Lennon / Whatever Gets You Thru The Night
@YouTube
〜 John Lennon / Since My Baby Left Me
@YouTube
(小林)ということで、2曲続いています。
Whatever Gets You Thru The Night は
これはアメリカで、ナンバーワンになった。
エルトン・ジョン(Elton John)も入ってる曲です。
お馴染みですよね。
そして今聴いたやつは
Since My Baby Left Me
これは、採用されなかった曲です。
あの アルバムに・・・
あのアルバムというのは
ジョンのロサンゼルス、オノ・ヨーコと別居していた時。
ロサンゼルスで彼が奏りました「Rock 'N Roll」のカバーのアルバムの中に、これは入らなかった。
そのかわり、メイ・パンの声が入っている可能性がある、ということでw
お送りしました。 □ストーリー(続き)
・「僕とヨーコの15ヶ月に及ぶ 失われた週末。
つまり別居生活は、まったくもって無意味、無駄なものでした。
以上 」
これは1975年に入ってジョンが正式に出した声明である。
これを、「ジョン・レノンらしい」と評価するか。
「まったくもって身勝手極まりない」と取るか。
それは人それぞれである。
こうした、元妻にしか判らないジョンの本当の姿が数多く描写されているシンシアの名著の中からもう少し。
シンシアは、この別居の期間、ジョンを仕事上でも、そして女性としても支えたメイ・パンのことを心から気の毒に思った。
しかし、どうしてあげることもできない。
シンシアはこれが最終的にはジョンにとって正しいい選択であること。
そして、ジョンがジュリアンと連絡を取り続けてくれることを祈るしかなかった。
最初のうちは 確かに連絡があった。
それは 以前と同じように数週間に一度、ジュリアンに電話をかけてきた。
ところが、電話の回数は だんだん少なくなってきた。
ジュリアンの方からは頻繁に電話しているのだが、ジョンがつかまらなくなった。
ヨーコや事務所の誰かが出て「ジョンは眠っている」とか「忙しい」と言って、取り次いでくれなかった。
ジュリアンは気力をくじかれて、次に電話するまで何週間も待つことになるのだ。
そして1975年10月9日。
ジョンの35歳の誕生日に、ヨーコは男の子を産み。
その子は「ショーン」と名付けられた。
父と息子が同じ誕生日だなんて。
シンシアはそのタイミングの良さには感心させられた。
そして今後のジュリアンの立場を心配する一方で、
この出産を心から「良かった」と思った。
なにせ、ジョンと一緒になってからのヨーコは流産を繰り返していたから。
ジュリアンは産まれたばかりの弟に会いたくて たまらない様子だった。
ところが、夏に会う約束は けっきょく実現せず。
ジュリアンがショーンに初めて会ったのは、その2年後のことだったのである。
〜 John Lennon / Beautiful Boy (Darling Boy)
@YouTube
〜 The Beatles / Good Night
@YouTube
(小林)いやあ、どっちも ささやき声で終わっていました。
1980年、ジョンの「ダブル・ファンタジー(Double Fantasy)」から
Beautiful Boy (Darling Boy)
それから Good Night は
これは「ホワイトアルバム(The BEATLES)」に入っている
「ホワイトアルバム」は、それぞれのね・・・・
ジョージとか、ポールとか、ジョンのあれだけど。
「リンゴのが無いな」ってんでw
ジョン・レノンがリンゴのために作ってあげて。
リンゴが歌っていましたよ。
リンゴのボーカルでしたね。
Good Night □リクエスト
メールは [email protected]
採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。
(横浜市/男性)
リクエストはビートルズが影響を与えた・・・
さっきから逆に、曲作りで影響を受けた、と思われるバーズ(The Byrds)の「リムジンのベル」
これですが、ジョージがこの曲に影響を受けて「If I Needed Someone」を作ったことは本人が明かしてるそうですが。
改めて2曲聴き比べると、イントロだけでなく、途中のジョンのギターリフもそっくりそのままで微笑ましい限りです。
実際に収録されたアルバム「Mr. Tambourine Man」の発売日が「Rubber Soul(ラバーソウル)」より半年ほど早かったことを知ると
「なるほど」と感じております。
(小林)という[横浜市/男性]さんw
行くよ、バーズの
The Bells of Rhymney
〜 The Byrds / The Bells of Rhymney
@YouTube
〜 The Beatles / A Hard Day's Night
@YouTube
(小林)A Hard Day's Night が流れましたが。
違う切り口からリクエストが来ています。
(船橋市/男性)60代
お正月の1月3日は ジョージ・マーティンが生まれた日だと聞きました。
もし彼がビートルズと出会わなければ、我々はビートルズの音楽を聴くことが出来なかった、と思うと。
正月のお祝いと共に、彼の生誕をお祝いしたいと思います。
(小林)というわけで、リクエストでしたね。
ありがとうございます。 (高崎市/男性)
高校生から洋楽を聴き。
それ以前に ビートルズの存在は知っていました。
特に、ジョンについてはヨーコとの生活。
特に、軽井沢に滞在していたこともあって。
日本に馴染みのある人なのかな? と思っていました。
以前、日本の自動車メーカーのCMということでジュリアンの曲をリクエストしました。
弟のショーンも同じメーカーに曲を提供していましたよね。 (小林)ああ、コマーシャルにも出ていたしね。
最近知ったんですが、実は父親のジョンも あのメーカーのバイクに乗っており。
その当時のバイクは、オークションに出品され、約460万円で落札されたとか。
ここまで来ると、そのメーカーの車に乗り続けている私は (小林)w
ぢょっと鼻高々になっちゃいます。 (小林)ハハハw
(小林)はい。
で、あなたのリクエストは
ショーン・レノン(Sean Lennon)の方ですね。
ショーン・レノンの Freed
〜 Sean Lennon / Freed
@YouTube
〜 The Beatles / Blackbird
@YouTube
(小林)Blackbird ね。
(静岡県三島市/女性)
小林さん、初めてお便りします。
私が最初に聞いた放送は。
シンシアが旅行から帰って来たら、自宅にジョンとヨーコがいて。
「もう私の居場所が無い」というような内容を小林さんが切々と語っていた回で。
ジョンとヨーコは「ラブ・アンド・ピース」のイメージしか知らなかったもので。
それ以前に、いろんな経緯が有ったのも初めて聞きまして。
聞いてしまったけど「知らない方が幸せだったのかも」と大変ショックを受けました。
しばらくしてから、番組をまた聴いていたところ。
シンシアの手記の続きをやっていたので。
改めて聞いてみようと思って、また聞き始めました。
内容は重いですけど、小林さんの解かりやすい解説があるので。
ヒヤヒヤしながらも、多少ですが冷静に聞けるようになりました。
これからも、初心者にも優しく、そして解かりやすい放送をよろしくお願いします
ビートルズの Blackbird ですが・・・ (小林)これも ちがう角度からリクエストしてるんですよ。
岡村靖幸さんがライブでカバーしていて、この曲を知りました。
きれいなメロディーですね。
(小林)というのは[静岡県三島市/女性]さん。
どうもありがとう。 BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
@YouTube
□エンディング
(小林)「ビートルズから始まる」
お話しの方は、来週、楽しみになったでしょう?
それからリクエストよろしくお願いしますね。
[email protected]
です。 ■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
2018年2月04日(日)18:00〜19:00 放送内容 DJ:小林克也
BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
@YouTube
□ビートルズカレンダー(2月04日)
・1968年、今からピッタシ50年前の今日w
ビートルズは仕事をしています。
スタジオで仕事をしています。
何をやっているかというと。
今日は「Across the Universe」ジョン・レノンの名曲をやっています。
で、この曲は「ジョン・レノンの曲の中で一番好きだ」っていう人も数多くいるはずです。
それだけ世界を持った曲なんですが。
えー、これ、どうなんだろうな、曲として・・・
ジョン・レノンはね、最終的にはね ポール・マッカートニーの「Lady Madonna」
それから、ジョージ・ハリスンの「The Inner Light」
シングルとしては、この2つの曲に「これは負けるな」と思って、譲るんですよね。
だから、シングルとしてカットされてない。
でも、これはジョン・レノンのことが、すっごいよくわかる曲で。
歌詞の事あんまり言われないんですけど。
僕はこの歌詞聴くと、ジョン・レノンの頭の中が見えるような感じがするんですよ。
あの「百万のなんとかが、紙コップの中に、アイデアが入って、流れ込んでいく」とかね。
それは 頭の中だけど。
「Across the Universe」だから、宇宙全体が入っている、ジョン・レノンの頭。
「わあ、これはすごい曲だなあ」って思うんですけど。
ジョン・レノンはやっぱり「シングルとして、これは無理かな?」と思ったわけですね。
それで、今日聴いていただくのは。
珍しいバージョンを聴いていただきたいと思います。
で、つまり、50年前の今日録ったやつは、そのままアルバムに入りますよね。
でも、それから別の物が生れてるんです。
それは何かと言うと。
「世界野生動物基金」のチャリティアルバムを出す、と。
それに、まあ、ジョン・レノンのこの曲がダメだと言う人はいませんよね。
すごい曲だって誰もが思っているわけですよ。
で、この曲をチャリティの世界野生動物基金のアルバムのチャリティの中に、いろんなアーティストが参加するんですが。
有名なアーティストが参加してるんですが。
その中の1曲として提供するんです。 そのために、50年前の今日、録ったものを・・・
一応、いろいろトラックがありますよね。
例えば ギターのパートだとか。
全体を、ちょっとテンポ速めるんです。
そして、鳥のさえずりだとか。
まあ、聴いていただくと判るんですけども。
で、回転速度を速めていますから。
違うバージョンに聞こえるんです。
まあ、違うバージョンに聞こえる。
「ああ、ちょっと違うな」ぐらいでしょうかね。
「ああ、これは初めて聴くよ」みたいな。
だから、「Let It Be」で慣れている方。
それから、まあ この曲を知っている方も。
聴いていただいきたいと思います。
改めて ジョン・レノンの Across the Universe
〜 The Beatles / Across the Universe
@YouTube
(小林)やっぱ、違いに気が付いた、ですよね。
世界野生動物基金のチャリティアルバムの中に入っている。
この、回転速度を速めたバージョンていうのは。
ちよっと印象が変わっていましたよね。
オリジナルに比べると回転が速いし。
ジョン・レノンが、ちょっと声が甘ったるく聴こえるし。
ポップスに聴こえた、ですよね。テンポが速い。
でも、オリジナルの場合は ジョン・レノンの苦悩だとか。
なんかそういったものが ニュアンスが伝わるようで。
両方、正解なんですよね。両方とも。
ねえ、面白いもんですねえ。音楽ってねえ。
そうやって 作って行く。
で、もうひとつ気が付いたのは。
バックに女の子が歌っているなあってw
これは、すごいアイデアなんだけどw
ポール・マッカートニーがジョンに
「これやっぱ、ちょっと 女性の声がいるんじゃない?」
「オッケー」つって、スタジオの外行ったら。
屯(たむろ)してる女性のファンがいっぱいいるわけですよ。
その中から二人を選んでw
「君たち歌ってくれ」つって。
それの結果なんですよ。
その結果、もう、ちょっと全く違う世界を味わったことになりますね。 □ストーリー
・「ジョンとヨーコが15ヶ月にも及ぶ別居生活、俗に云う『失われた週末』を解消すると発表したばかりか。
ヨーコが妊娠していることが報道されて、正直かなり驚ろきました」
そしてその別居中、ジョンのことを公私ともに支え続けた中国人女性メイ・パンのことが心配になったんです」
これはジョン・レノンの最初の妻シンシアの発言。
シンシアが遺した貴重な手記の中から。
シンシアは、これが最終的にはジョンにとって正しいい選択であること。
そして、ジョンがジュリアンと連絡を取り続けてくれることを祈るしかなかった。
最初のうちは確かに連絡があった。
それは 以前と同じように数週間に一度、ジュリアンに電話をかけてきた。
ところが、電話の回数はだんだん少なくなってきた。
そのような中、1975年10月9日。
ジョンの35歳の誕生日に、ヨーコは男の子を産み。
その子は「ショーン(Sean)」と名付けられた。
父と息子が同じ誕生日だなんて。
シンシアはそのタイミングの良さには感心させられた。
そして今後のジュリアンの立場を心配する一方で。
この出産を心から「良かった」と思った。
なにせ、ジョンと一緒になってからのヨーコは流産を繰り返していたからである。
ジュリアンは産まれたばかりの弟に会いたくて、たまらない様子だった。
ところが、夏に会う約束はけっきょく実現せず。
ジュリアンがショーンに初めて会ったのは、しばらく経ってからのこと。
その間に、シンシアは新しい男性とめぐり会っていた。
リバプールのアートカレッジ時代の友人で、デザイナーとして活躍しているヘレン・アンダーソンが
テレビ局のエンジニア=ジョン・ツイスト(John Twist)を紹介してくれた。
6歳年下のこの男性とシンシアは、まもなく交際をスタートさせることになるのである。
〜 The Beatles / Words of Love
@YouTube
〜 The Beatles / If I Fell
@YouTube
(小林)中ぐらいに有名な曲が2曲続きました。
If I Fell
1964年
やっぱりビートルズはハーモニーがバッチリとしたグループであります。
そしてその前の
Words of Love は。
これは、バディ・ホリー(Buddy Holly)のヒット曲。
バディ・ホリーは やっぱりビートルズっていうグループ名がね。
バディ・ホリーからヒントをもらってるわけですから。
ビートルズファンがバディ・ホリーを聴かなきゃダメですよねw
これもビートルズのカバーで Words of Love □ストーリー(続き)
・「ジョンとヨーコに念願の子供が生まれ。
ジュリアンとも会ってもらえない2年の間に
私は新しい男性との交際を始めました。
リバプールのアートカレッジ時代の友人でデザイナーとして活躍しているヘレン・アンダーソンが紹介してくれた
テレビ局のエンジニア=ジョン・ツイストという人で。
6歳年下でした。
初対面の印象は、少し頼りない感じもしましたが。
ああ、良い人だな。て思いました」
こう話すのはジョン・レノンの最初の妻シンシア。
彼女が遺した手記から。
まもなく交際を始めたシンシアであったが。
ある日ツイストが車の後部座席に犬を乗せてシンシアの家にやって来て、こう話した。
「実はねえ。仕事クビになったんだよ。
給料がもらえなくなったら、住んでる家の家賃も払えない。
ねえ、シンシア。僕どうしたらいい?」
この突然の出来事に、シンシアはどうしたらいいか、まったくわからなくなった。
「頭の中が真っ白になる」とは、まさにこの状態である。
シンシアはツイストのことを、好きではあったが、一緒に暮らすことまでは考えていなかった。
なのに いつもの悪いくせで、彼女はこの時も「ノー」とは言えず。
結局ツイストはシンシアとジュリアンが住む家に転がり込むことになった。
実は、ずっと後になって知らされたのであるが、初めて会った頃のツイストにはまだ奥さんがいた。
それを知ったシンシアは、彼に対し少し不信感を抱いた。
「知っていたら、付き合ったりはしなかったのに・・・」と少し後悔もした。
このことがあってから。
いくらツイストが魅力的でも、いつもシンシアを喜ばせようと一生懸命でも。
二度と心から信用することはできなくなった。
ジュリアンと遊んでくれる彼を含めて、どうも納得がいかなくなっていたのである。
結局 シンシアはツイストと結婚した。
新居はウェールズ北部クランダノーグにある美しいコテージ。
ジョンとヨーコからは祝電が届いた。
「おめでとう。お幸せに。3人に神の祝福がありますように。愛をこめて。
ジョン・アンド・ヨーコ」
シンシアはこのメッセージを良いことが起こる前兆として受け留めることにしたのである。
〜 The Beatles / One After 909
@YouTube
〜 The Beatles / Old Brown Shoe
@YouTube
(小林)これも不思議な魅力を持った曲ですよね。
Old Brown Shoe
「ジョンとヨーコのバラード」のB面ですよ。
1969年
そして、その前は。
たびたび放送しておりますが。
エバリ―・ブラザーズ(Everly Brothers)ていう
アメリカの兄弟のグループのハーモニーを
けっこうビートルズは大好きでしたが。
そういうスタイルで
One After 909 □ストーリー(続き)
・「おめでとう。お幸せに。3人に神の祝福がありますように。愛をこめて。
ジョン・アンド・ヨーコ」
これは再々婚したシンシアに向けてのジョンとヨーコからの祝電。
シンシアはこのメッセージを良いことが起こる前兆として受け留めることにした。
こうした元妻にしか判らないジョンの言動が数多く描かれているシンシアの名著の中からもう少し。
シンシアと6歳年下の男性ツイストとの結婚式から数週間後 ジョンから電話があり。
ヨーコとの間に生まれたショーンに会わせるために、休暇にジュリアンを招いてくれることになった。
この時ジュリアンは13歳となり、ウェールズ北部にあるルーシンスクールという学校に通っていた。
親友のジャスティンも一緒であった。
学校は楽しそうで、特に美術の成績が良かった。
これも親譲りかもしれない。
ジュリアンは連合将校養成所にも入って、その年には幹部候補生になっていた。
そんな中のジョンからのお誘い。
ジュリアンにとって 最高にうれしいことであった。
シンシアはジュリアンに ショーンへのプレゼントを持たせ。
「大丈夫、ジュリアンはもう大きいんだから、大丈夫よ」と自分に言い聞かせ。
大事な一人息子を 飛行機に乗せて送り出した。
ジュリアンはすぐにショーンのことが 大好きになった。
会った時には、もうすぐ一歳になるところだった。
ジュリアンは電話で
「弟がハイハイをしている」とか
「自分の膝に乗って 一緒にテレビを見てる」
などなど、嬉しそうに報告してきた。
この時ジョンとヨーコの住まいには、ヨーコの親戚だというティーンエイジャーの女の子も2人日本から招かれていた。
ヨーコは依然として 最初の子供であるキョーコとの連絡が途絶えたままだったので、ここに呼ぶことはできない。
それならば、東京の親戚の子を来させればジュリアンも退屈はしないだろうと考えたのであろう。
ジョンとヨーコはニューヨークのダコタハウスにいる子供たちを全員連れて、ロングアイランドに休暇にも出かけた。
こうして、特に困った様子もなく、13歳になったジュリアンは父親とのバケーションを満喫していたのである。
〜 The Beatles / All Together Now
〜 The Beatles / Got To Get You Into My Life
@YouTube
(小林)とても陽気な、プラス思考の。
ジョンには無い ポールのね
明るさが目立っておりました。
Got To Get You Into My Life
66年の「リボルバー(Revolver)」の中から。
そして、子供も好きなw「イエローサブマリン(Yellow Submarine)」
1969年
そのアルバムから
All Together Now □リクエスト
メールは [email protected]
採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。
(八王子市/男性)
ビートルズの曲を始め リスナーさんのリクエストまで。
他では聴けない曲がかかり、日曜の夕方が待ち遠しいいです
一緒に聴いている家族との会話のきっかけにもなったりします。
ビートルズが開いてくれたロックの扉から出会った「一人のボス」こと
ブルース・プリングスティーン(Bruce Springsteen)をお願いします。
と言っても、まあ、ブルースはビートルズの後輩です。
20代の頃ドライブしながらよく聴いていた曲です。
(小林)ブルース・プリングスティーン
Born To Run
〜 Bruce Springsteen / Born To Run
@YouTube
(小林)ブルース・プリングスティーン
Born To Run
まあ「Born To USA(Born in the USA)」というのもね。
もちろんすっごい有名だけど。
「こっちの方が好きだ」とか。
「こっちの方が、感情が露わになっている。
途中で泣きながら歌っているような感じもする」って言う人もいますよ。
そういうワイルドさがいいのかなあ。 (北海道稚内市/男性)
ヨーコが「マザー」だったんですか。
私の大好きなビートルズとマイケル。
小学生の我が息子に マイケルだけが遺伝しました。
今また、彼の人生の5度目のマイケルブーム。
毎日 録画したライブや「ベストヒットUSA」の特集を見ています。
克也さんのテレビの紹介のおかげです。
息子と好きな物を共有し、語り合えるのはいいですねえ。
でも、リクエストは キッス(kiss)です。 (小林)ていうwww
(小林)いやあw この曲。
そうそう、当時はキッスのファンが
「おーい、キッスがディスコをやり出したよ」って。
みんながびっくりさせた。
でも最終的には、これがキッスの一番のヒットになったんですよね。
I Was Born・・・
I Was Made For Lovin' You
〜 kiss / I Was Made For Lovin' You
@YouTube
(小林)
キッスがかかりました。 (山形県酒田市/女性)
先月、六本木のライブハウスで ビートルズを楽しんできました。
新メンバーのジョンとリンゴの素晴らしさに感動しました。 (小林)もう、そっくりバンドですよねw
リクエストはアルバム「アビーロード(Abbey Road)」の… (小林)来ましたねえ。
14,15,16番をお願いします。
例のメドレーです。
〜 The Beatles / Golden Slumbers - Carry That Weight - The End
BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
@YouTube
□エンディング
(小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたでしょうか?
お話しの方は。
やっぱり、ジョンの家の中が見えるような、ねえ。
それが、もちろん最初のカミさんが書いた本なんで。
まあ、彼女のことも、彼女を通して、なんかビートルズのことがわかるっていうわけで。
来週も ちょっと楽しみですねえ。
よろしくお願いします。
それから、リクエスト忘れないようにしてください。
まあ、どんなこと書かれてもけっこうですけども。
今日も、採用された方にはイシイのミートボールなどをセットにしてお送りしました。
宛て先は
[email protected]
です。
待っております。
小林克也でした ■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
2018年2月11日(日)18:00〜19:00 放送内容 DJ:小林克也
BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
@YouTube
□ビートルズカレンダー(2月11日)
・53年前の今日。(1965年)
リンゴ・スターの結婚式。
リンゴ・スターが結婚しました。
相手は、モリーン・コックス。
そして、この結婚式は・・・まあ、式ですから、ブライアン・エプスタイン=マネージャーがベストマン。
そして、ジョンとジョージも参加しています。
で、8時15分にw リンゴとモリーンが、両者のお父さんとお母さんを連れて現れた。
そして、ロンドンのキャクストンホール登録所、ここで結婚を登録した。
2年前のジョンに続いてリンゴが結婚した、ということですね。
相手は、どういう人かというと、美容師見習いをやってる。
この頃は20歳(はたち)ですね。
でまあ、知り合ったのはキャバーンクラブの常連みたいなファンであった、ていう。
で、その時、モリーンのお腹には赤ちゃんもいました。
となると、ジョンとシンシアの時も同じですよね。
ジュリアンを授かったから入籍しました。
だから、続くリンゴが「授かり婚」
ジョージ・ハリスンとパティ・ボイドの間には子供はいませんでした。
だから、1969年の3月に結婚したポールとリンダの時も・・・
実は、リンダは再婚です。
だから、次女となるメアリーがお腹の中にいて入籍。
ということは、ビートルズの4人のうち3人は「出来ちゃった婚」ということですねw
ちなみに、リンゴとモリーンの子は、9月生まれの男の子で。
ザック(Zak Starkey)と名付けられました。
これはもう音楽ファンは良く知っているとおり。
オアシス(Oasis)のツアーやレコーディングにも参加する、もうすごいドラマーになりましたよね。
あと、ローリングストーンズ(Rolling Stones)に続く長寿バンドのザ・フー(The Who)のドラマーとして。
ザ・フーは、ほら、キース・ムーン(Keith Moon)ていう名ドラマーがいてね。
若くして亡くなったわけですが。
ほとんどハイハット、金属金物を鳴らさない、独特のドラミングで。
まあそれをザックなりに解釈して、フーのバックを勤めた。
すっごいですよ。やっぱ 息子はすごいドラマーに育ったわけですが。
まあ、お父さんのリンゴは、ローリングストーンマガジンの選ぶ
「歴史上最も偉大な100人のドラマー」の中に入っています。
その中の12位のリンゴ・スターです。
リンゴとモリーンが結婚した頃は、
ちなみに、この曲がナンバーワンでした。
〜 The Beatles / I Feel Fine
@YouTube
(小林)この曲がナンバーワンの頃
リンゴ・スターが結婚した。
ビートルズの中で イントロ賞に輝くw
曲ですねえw □ストーリー
・1976年の初夏。
シンシアはジュリアンに ショーンへのプレゼントを持たせ。
「大丈夫、ジュリアンはもう大きいんだから、大丈夫」と自分に言い聞かせ。
大事な一人息子を飛行機に乗せてニューヨークに送り出した。
今週もそのジョン・レノンの最初の妻シンシアが遺した貴重な手記から。
突然のジョンからのお誘いでニューヨークに招かれたジュリアンは、すぐにショーンのことが大好きになった。
会った時には、もうすぐ一歳になるところ。
ジュリアンは電話で「弟がハイハイをしている」とか。
ジョンとヨーコは子供たちを全員連れて、ロングアイランドに休暇にも出かけた。
こうして特に困った様子もなく、13歳になったジュリアンは父親とのバケーションを満喫していた。
ところが、さすがは世界中の誰もが知っている危険区域のニューヨーク。
危ないこともあったらしい。
これはジュリアンがイギリスに帰って来てから聞いた話しでは。
実はジュリアンは、ニューヨークでひったくりに遭ったという。
ある日、ジョンとジュリアンは街に散歩に出かけた時。
ジュリアンは、マンハッタンの48丁目の楽器屋街でハモニカを見つけたので
ジョンに買いたいと相談した。
「ねえパパ、ハモニカ買って欲しいんだけど」
ジョンは答えた。
「ジュリアン、なにをモジモジしてるんだ。
お前はもう13歳。ちっちゃな子供じゃないんだ。
欲しい物があるんだったら、堂々と一人で店に入って。
店員さんに欲しい物を伝えて、一人で買ってみたらどうだ?」
すると「うん。わかった」とジュリアンは一人で楽器屋に入って行こうとした。
店の前に立って、ようやく中に入る勇気を奮い起こした時。
事件は起こったのである。
〜 John Lennon / New York City
@YouTube
〜 John Lennon / I'm Stepping Out
@YouTube
(小林)ジョンのソロが2曲続きました。
最初お送りした New York City
これは1972年の「Some Time In New York City」のソロアルバムから。
ジョン・レノンとプラスティック・オノバンド(Plastic Ono Band)
プラス、エレファント・メモリー(Elephants Memory)ていう、その頃売れていた。
それに、エレファント・メモリーに、インビジブル・ストリングス隊が加わっています。
そして今お送りしたのは。
I'm Stepping Out
1984年の「MILK AND HONEY」のアルバムから
お送りしました。 □ストーリー(続き)
・1976年、ニューヨークのマンハッタンの48丁目。
有名な楽器屋街でのこと。
父親ジョンの住むダコタハウスに遊びに来ていた長男のジュリアンは話しかけた。
「ねえパパ、ハモニカ買って欲しいんだけど」
ジョンは答えた。
「ジュリアン、なにモジモジしてるんだ。
お前はもう13歳。ちっちゃな子供じゃないんだ。
欲しい物があるんだったら、堂々と一人で店に入って。
店員さんに欲しい物を伝えて、一人で買ってみたらどうだ?」
「うん。わかった」とジュリアンは一人で楽器屋に入って行こうとした。
店の前に立って、ようやく中に入る勇気を奮い起こした時。
事件は起こったのである。
ジョン・レノン最初の妻シンシアが遺した手記から。
ジュリアンが店の前に立って。
ようやく中に入る勇気を奮い起こしたその時。
少年が2人飛びかかって来て、ジュリアンを殴り現金を盗んで逃走した。
母親のシンシアはジュリアンが無事に帰って来て話しを聞くまで、そんなことが有ったなんて全く知らなかった。
知っていたら、「子供をニューヨークの街に放り出すなんて、どうかしてる!」とジョンに掴みかかっていたにちがいない。
父親と再会できたことは嬉しかった様子だったが。
ジュリアンはジョンとヨーコの家では、やはりどうしても自分は部外者だと感じてしまうようであった。
ジョンもヨーコも、ジュリアンが自分も家族の一員だと思えるようにしてやろうという所までは、気が回らないらしい。
二人がもう少しだけ気を効かせてくれれば、とシンシアは思った
ジョンがジュリアンと同じ年頃の時、母親の家を訪ねて味わった疎外感と同じなのだ。
ジョンの母ジュリアと再婚した夫=ボビーと2人の妹たちは一緒に住んでいたのに。
自分だけが、ミミ伯母さんと暮らしていて。
母の所へは訪ねて行くしかできなかった。
そういう事があったから、ジョンは息子のジュリアンにだけは寂しい思いをさせないように、と気遣って欲しかったが。
現実は大きく違っていたのである。
〜 John Lennon / Isolation
@YouTube
〜 The Beatles / Two of Us
@YouTube
(小林)1970年から2曲続きましたよ。
「ジョンの魂(Plastic Ono Band)」のアルバム。
その中から。
プラスティック・オノバンド名義でしたよね。
レノンがボーカルとピアノ、クラウス・フォアマン(Klaus Voormann)がベース。
リンゴ・スターがドラムスで入っていました。
Isolation ていう曲。
そして、これは'70年の「Let It Be」の中に入っていた。
お馴染みかもしれません。
Two of Us □ストーリー(続き)
・「ジュリアンがニューヨークの父親を訪ねて行っても、やはり居ずらさを感じてしまう。
これはジョンがジュリアンと同じ年頃の時、母親の家を訪ねて味わった疎外感と同じです。
ジョンの母ジュリアと再婚した夫=ボビーと2人の妹たちは一緒に住んでいたのに。
自分だけがミミ伯母さんと暮らしていて、母の所へは訪ねて行くしかありませんでした。
そういう事があったから、ジョンは息子のジュリアンにだけは寂しい思いをさせないように気遣って欲しかったんですが。
現実は 大きく違っていましたねえ。
やはりジョンは、ヨーコには最大限の気遣いをしていたのでしょうか」
これは、もちろんジョン・レノンの最初の妻シンシアの発言。
こうした元妻にしか判らないジョンの本当の姿が数多く描写されている名著から。
ジョンは、ジュリアンとショーンの生活環境が違っていることにも、意識が働かなかった。
ジュリアンはウェールズのコテージで物もお金も限られた中で慎ましく暮らしていた。
一方、ショーンのベッドルームは、買えるだけ買ったというくらい高価なオモチャでいっぱいになっていた。
ジョンは「ショーンが喜びそうなものなら何でもカンでも浴びせるように買い与えている」
と自慢げにインタビューで語っていたくらいである。
それなのに、ジュリアンには誕生日とクリスマスにささやかなプレゼントをくれるだけ。
もちろん、ジュリアンはモノに執着するような子ではない。
けれども、父親が自分の弟にだけ惜しみなくプレゼントを与え、時間や気持ちも注いでいることが判って傷つかないはずがなかった。
1970年代後半、ジョンの腹違いの妹から後に聞いたところによると。
ジョンは、ジュリアンに対する自分の接し方に罪悪感を感じていて。
「だからこそショーンに対しては同じ過ちを繰り返さないように、特別な努力をしている」
というのである。
ジョン・レノンという人間は、そこまで自分勝手で、かつ人に気持ちを伝えるのがヘタであることをシンシアは再認識したのである。
〜 The Beatles / Revolution
@YouTube
〜 John Lennon / I Found Out
@YouTube
(小林)へへへww
やっぱりジョンは、ジョンはこういう人なんですよねw
「ジョンの魂」と、いみじくもタイトルされた'70年のアルバムの中から。
「いろんなことが、俺はわかったんだあ」と。
「世の中の仕掛けがわかった」
ハレクリシュナの悪口も後半言ってましたよね。
I Found Out
そしてその前は
これは68年「Hey Jude」の中に入っています。
Revolution □リクエスト
メールは [email protected]
採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。
(船橋市/男性)
こんばんは。放送開始からのファンです。
(小林)うわあ。10何年も、10数年、何年?、詳しくはわからないww
初めてお便りします。
先週、仕事でドイツ・ハンブルグに行ってきました。
最後の日に、半日自由な時間が取れ。
ビートルズが出世する前に演奏旅行で過ごしたエリア。
初めて演奏したライブハウス。
寝泊まりしていた映画館跡。
ジョンの「Rock 'N Roll」アルバムのジャケット写真を撮影した建物を訪れ。
写真に収めてきました。 (小林)これ、写真で送られてきてます。
なんともいえず、感動しました。
このアルバムから・・・ (小林)ていう。
番組を末永く続けてください。
(小林)wとあります。
メッセージありがとうございます。
ジョン・レノンの Stand By Me
〜 John Lennon / Stand By Me
@YouTube
(小林)ジョン・レノンの Stand By Me
リクエストがありましたが。
まあ、この曲はオリジナルを聴いたことがある人は、もういっぱいいるわけですよね。
僕たちも、ジョン・レノンのこの Stand By Me を聴いた時に。
「なんでジョンは怒っているのか?」「どうして怒ってる?」
これは怒るような曲じゃないんですよねw
なんてんですかね。ラブソングにも取れるし、友達の歌にも取れるし。
何回も聴いているうちに、「ジョンは心の中で泣いてるんじゃないか?」とかね。
そういうふうな想像をさせるような、ジョンのバージョンですよね。 (成田市/女性)50代
先日、ラジオで竹内まりやさんが「ビートルズのメンバーの中で一番のタイプはジョージ・ハリスンだ」
と言っていました。
あまりポールやジョンほど話題にならないのでよく知りません。
ぜひ、ジョージやリンゴも特集をお願いします。
(小林)ていう。
そういうふうに気を付けていますし。
やっぱり、なんてんですか。
絶えずジョンだとか、ビートルズの面白いところは・・・
ジョンの話しをしている、だけど、ポールはどういうふうに見てたか、ジョージはどうだったか、リンゴはどうだったか
ていうね、目線がね、ビートルズを聴くと、みんな出来るものなんですよ。
まあ、安心してください。
ええ、あの・・・これからよろしくw
あなたのリクエストに応えます。
Penny Lane
〜 The Beatles / Penny Lane
@YouTube
(小林)この終わり方がいいですよねえww
こういうのが・・・まあ、人の好みがいろいろありますけどw
「こういうのが終わり方ができるビートルズはすごい」と。
もうね、ホントに惚れちゃう人もいるくらいなんですよねw
Penny Lane は、両方とも思い出のあれが・・・
両方ともっていうと、すぐほら、ポールとジョンて言っちゃうけれども。
ほら、ポールなんかはあれでしょ?
ここを通って通っていたわけでしょ、学校にね。 (千葉市中央/女性)
そして、いつもこの時間を楽しみに一週間を過ごしています。
私は小さい頃からビートルズを聴いていたんですが。
夫はザ・バンド(The Band)派でした。
でもこの時間になると夫は、忘れずラジオのスイッチを入れてくれて。
二人で楽しく聴いてくれています。
ドライブ中でも、何をしていても 必ず二人で聴いています。
そんな夫に送りたいリクエスト曲は Last Walts
(小林)というのは
[千葉市中央/女性]さん、50代の方。
さっきの話しでね。
竹内まりやはジョージ・ハリスンが好き。
でも、旦那の山下達郎は、どちらかというとビートルズを・・・
ビートルズをメチャクチャ聴いている人ですよ。
だけど、「ビートルズの辿った道は歩みたくない」ていう。
ちょっと複雑なものなんですよ。
だからこの[千葉市中央/女性]さんの、これ読んでると。
必ずしも同じものを、同じ方向へ向いているのが良いとは限らないし。
これ、夫・・・旦那さんの優しさが出てますよね。
というわけで、聴こえてまいりました。
これ、すっごい長いね、フェードインで来るんですが。
ザ・バンドの Theme From The Last Waltz
あの、最後の映画の中のテーマということですね。
〜 The Band / The Last Walts Theme
@YouTube
BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
@YouTube
□エンディング
(小林)
リクエスト、たっぷり聴いちゃいましたねえ。
メール、もう一回言っときます。
[email protected]
採用されるとイシイのミートボールなどをセットにしてお贈りしております。
よろしくお願いします。
話しの方も、来週楽しみですね。
お相手は小林克也でした。 この番組のスレはあるのに
ラジオ日本のTHE BEATLES 10のスレって無いんかな
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
2018年2月18日(日)18:00〜19:00 放送内容 DJ:小林克也
BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
@YouTube
□ビートルズカレンダー(2月18日)
・これも、ビートルズカレンダーです。
1933年、今から85年前の今日。
小野洋子の誕生日です。
まあ、小野洋子のことはヨーコ・オノて言いますから、よくご存知かと思いますが。
生れ小野家はですね、銀行を始めとする財界の関係だったり。
貴族院、当時の貴族院議員がいたり。
安田財閥の親戚だったり。
いわゆる「華麗なる一族」
でまあ、そこでなに不自由なく成長した洋子は。
幼少期、アメリカと日本を行ったり来たり。
で、学習院大学、哲学科在学中に 銀行員であるお父さんの赴任先のニューヨークに行って。
ニューヨークのサラ・ローレンス大学で音楽と詩を専攻して。
在学中、作曲家の一柳彗という有名な方と会って。
退学して、結婚して、前衛芸術に走って行く、ていう。
ニューヨークでね。
で、1966年にロンドンに渡って。
これ、どういう目的で、とか、どういう狙いで、っていうのはよくわからないんですけども。
とにかくその頃は、ジョンのことを、ビートルズの中であんまり知らなくて。
ポール・マッカートニーとジョージ・ハリスンをよく知っていた、っていうことですよね。
で、まあ、ジョンと知り合って、ていうこと。
あとは、みなさんご存知のとおりなんですけど。
あの、オノ・ヨーコという人がですね。
ビートルズに関わったのは「偉業だ」という人と。
あるいは「最悪に余計なこと」
これ真っ二つに別れるんですよ。
でもね、ジョン・レノンがソロをやりますよね。
もうソロの頃はずっと一緒ですからね、二人。
ソロを、アルバムをずっと聴いていくと。
「あれ? ひょっとしたら、これはオノ・ヨーコさんのアイデアじゃないのか?」
「こういうことを考えたのはオノ・ヨーコではないか?」という疑問がね、ず〜〜っと浮かんできますよ、これ。
全部の作品に対して、全部のアルバムで、そういうところがありますから。
もし、気になる方はですね、いちおう調べて自分なりの解釈を・・・「あ、これはきっと・・・」 で、みんなが思ったのは「Imagine」の歌詞ですよね。
「あれはきっとヨーコさんだ」と思っていたら。
ジョン・レノンも生前に「あれは、ヨーコだった」て言うこともあって。
クレジットを書き直されましたよね。
今までポール・マッカートニー、ジョン・レノンとか、そういうものばっかりだった。
あれはジョン・レノンだったんだけど、詩はオノ・ヨーコになった。
で、これもまたね 真っ二つに別れるんですよね。
「それほど、ヨーコさんは名誉というものが欲しかったのか?」
僕の知り合いでw、やっぱ猛烈な口論になったっていう話しがありますからねw
彼女がいる所って、そういうアレなんですね。
「白か黒なのか」意見の対立が起きて来るんであります。
で、この件に関して、僕は本当にオノ・ヨーコさんに聞いたら。
「いや、それは 言えません。
この曲を作った時、あのピアノの前で彼がいました。
その隣に私が座っていた。
そういうことしか言えません」
っと言っておりました。
やっぱり、詩は彼女だったんです。
〜 John Lennon / Imagine
@YouTube
(小林)ジョン・レノン Imagine
そして皆さんの頭の中でも、作詞作曲、ちょっと書き変えられましたけど。
これね、議論するとね こう言う人もいます。
「このイマジン(Imagine)ていう曲は、普通のフォークソングぽいよね。
これはジョン・レノンがこういうふうなものを、普通のものを書いたとは信じられない。
きっと、Aメロはヨーコさんじゃないか?」
で、あの「ウ〜ウ〜」ってあるじゃないですかw あのw
「あのブレーク感覚が、ジョン・レノンだよね」とかねw
話すと面白いよぉ、みんな。 □ストーリー
・1975年10月9日、ジョンとヨーコの間には念願の男の子が生まれた。
奇しくもジョンの35歳の誕生日である
ジョンはそれはもう有頂天になった
ショーン(Sean)と名付けられたその赤ちゃんは、ジョンとヨーコの大事な大事な宝物となった。
今週もジョン・レノンの最初の妻シンシアが遺した貴重な手記から。
ジョンはシンシアとの間に生まれ、この時12歳になっていたジュリアンと
生まれたばかりのショーンの生活環境が違っている事に意識が働かなかった。
ジュリアンはウェールズのコテージで、物もお金も限られた中で慎ましく暮らしていた。
一方、ショーンのベッドルームは、買えるだけ買ったという高価なオモチャでいっぱいになっていた。
ジョンは「ショーンが喜びそうな物なら、何でもかんでも浴びせるように買い与えている」
と自慢げにインタビューで語っていたくらいである。
それなのに、ジュリアンには誕生日とクリスマスにささやかなプレゼントをくれるだけ。
もちろんジュリアンは、物に執着するような子ではない。
けれども、父親が自分の弟にだけ惜しみなくプレゼントを与え、気持ちも注いでいることが判って、傷つかないはずはなかった。
それでもジュリアンは父親が大好きで、もっと近ずきたくてしょうがなかった。
けれども、12歳というと一番多感でシャイな難しい年頃。
自分から積極的に 父親に近ずいて行くことが出来なかった。
ポンと背中を押されたり、手を引っぱってくれる存在が必要であった。
もちろんジョンも ジュリアンに深い愛情を抱いていたことに間違いはなかった
しかし、ジョンはその愛情をジュリアンに対しては表に出して示すことは無かった。
2人の親子関係は一口では言い表せないほど難しいものだったのである。
〜 John Lennon / Crippled Inside
@YouTube
〜 The Beatles / I've Got A Felling
@YouTube
(小林)とても有名な曲。
I've Got A Felling
そしてその前は
1971年のジョンのソロですね。
Crippled Inside
ハリソンが、ジョージ・ハリスンがスライドギター。
この Crippled Inside は
自分の中は Crippled
これ日本語に訳すと放送注意語になったりする。
ジョン・レノンの場合はこれがあるんで、
ちょっと、困りますが。 □ストーリー(続き)
・ジョンの最初の妻シンシアが遺した手記から、ジョンのお話し。
続いては 生々しいお金のお話し。
離婚調停以降、ジュリアンの学費には彼の将来のために開設した信託基金の口座から、その利息分だけを充てていた。
しかし、ショーンが生まれて、基金は2人で分けられることになり。
ジュリアンが最終的に受け取れる財産が半額になったので。
必然的にシンシアが引き出せる利子も減った。
これはかなりの痛手で、シンシアは苦しい立場に立たされた。
ジョンは今や億万長者ななのに、ショーンのために新たな基金を設けようとはしなかった。
これはジョンがケチなのではなく、お金に無頓着であったから。
結果、依然として ジョンとヨーコそしてシンシアの3人が共同で信託人になっていたので、
お金を引き出そうとする度、ジョンとヨーコのサインが必要だった。
しかも、ジョンとヨーコは期日までに手続きをしたためしがないので。
お金が引き出せるようになるまでの間、シンシアは毎回銀行に借り越しをしていた。
さらにその信託基金はシンシアが見込んでいた利息の額には達したことがなかった。
ジュリアンがアメリカを訪れるようになったので、ジョンとの距離が縮まったことに自信を付けて
直接ジョンに訴えることにした。
一字一句に気を使い、礼儀正しく、要点を明確に抑えた手紙を書いた。
ジュリアンのためのお金といっても、
「共同信託人の2人が海外にいると1ポンドも自由にならなくてとても困っている」という説明も書き添えた。
ジョンには「イギリスにいる誰か他の人に共同信託人になってもらうこと」と
煩雑さを避けるために、
「半額づつをショーンとジュリアンに別けて、それぞれ独立した信基金を設立したらどうか」という提案もした。
結びの文面にも、細心の注意を払った。
「あなたもヨーコも、とても可愛らしいショーンも、どうぞお体には気を付けて。
昨年の夏、ジュリアンがおじゃました時は ヨーコに大変親切にしていただきありがとうございました。
また、ジュリアンをコンコルドに乗せていただいたことも一生の思い出になったと思います。
皆さんに愛をこめて。
シンシアより」
〜 The Beatles / In my Life
@YouTube
〜 The Beatles / Revolution 1
@YouTube
(小林)ジョン・レノンの作品が2曲続きました。
「The BEATLES/ホワイトアルバム」から Revolution 1
そしてその前は「ラバーソウル(Rubber Soul)」
中から In my Life □ストーリー(続き)
・「あなたもヨーコも、とても可愛らしいショーンも、どうぞお体には気を付けて。
去年の夏、ジュリアンがおじゃました時は、ヨーコに大変親切にしていただきありがとうございました。
また、ジュリアンをコンコルドに乗せていただいたことも一生の思い出になったと思います。
皆さんに愛をこめて。
シンシアより」
これはジョン・レノンの最初の妻シンシアがジョンに向けて書いた手紙の結びの部分。
手紙の目的は、息子のジュリアンの学費のために開設された信託基金に関してのお願いである。
こうした元妻にしか判らないジョンの本当の姿が数多く描写されているシンシアの名著から。
シンシアの丁寧な手紙が功を奏し、ジョンはショーンとジュリアンの口座を別々に開設してくれた。
おかげでシンシアはそれ以降、利息を引き出すのが楽になった。
そんな中、シンシアは3人目の夫ジョン・ツイストと一年ほどアイルランドで暮すことになり。
その間、ジュリアンはルーシンスクールの寮に入った。
最初は嫌がって家じゅうのいたる所に「僕を寮に入れないで!」という抗議のメモを貼って抵抗していた。
しかし「一度寮に入ってみて、どうしてもいやだったらすぐに家に戻ってもいい」という条件でようやくジュリアンも納得した。
実際に寮に入ってみると、その生活が気に入って、とても楽しい一年を過ごすようになった。
1978年までに、シンシアは結局アイルランドからウェールズに戻ることになり。
ジュリアンの学校のあるルーシンの中心地に近い建物を見つけ。
小さなレストランとB&B=朝食付きのホテルを始めることになった。
レストランの名前は「オリバーズ・ビストロ」
その2階がシンシアの3人目の夫であるツイストの両親が切り盛りするB&B。
そのさらに上の階にはフラットがあって。
そこにはシンシアの母親が住むことになった。
レストランを手伝ってくれるのは、ポール・マッカートニーの弟=マイクの元妻アンジー・マッカートニー。
彼女は精神的には不安定であったが、料理の腕はプロ並み。
こうして、シンシアの新しい生活はスタートしたのである。
〜 The Beatles / Lady Madonna
@YouTube
〜 The Beatles / Honey Pie
@YouTube
(小林)有名な Lady Madonna
これは、ホーンのラッパ隊のアレンジはジョージ・マーティン。
そして「ホワイトアルバム」から
ポール・マッカートニーの Honey Pie
途中のギターソロはジョン・レノン。 □リクエスト
メールは [email protected]
採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。
(鳥取県倉吉市/男性)
3月、わが街で山崎まさよしさんが ストリングスカルテットをバックにコンサート。
ということで、今から楽しみにしています。
山崎さんのビートルズのカバーは何曲かありますが。
彼の洋楽カバーバー集に収録の All My Loving をリクエストします。
youtubeでは、彼がポールの前で披露する映像がみられます。
メチャクチャ緊張しまくっていて。
また、ポールが「一つコードが間違ってるよ」と指摘したりして。
まるで面接試験見たいでした。
(参考資料
@YouTube
)
(小林)というわけで。
[鳥取県倉吉市/男性]さんのリクエストは山崎まさよしで
All My Loving
〜 山崎まさよし / All My Loving
@YouTube
〜 The Carpenters / Please Mr. Postman
@YouTube
(小林)カーペンターズの
Please Mr. Postman が流れました。
まあ、ビートルズのやつもカバーだったわけですが。
(和歌山県岩出市/男性)
カレンの歌声にはとてもメリハリがあって。
僕のように「英語はちょっと苦手かな」といった者の耳にも大変明瞭に響き。
思わず一緒に歌ってしまいます。
それに、なによりこのリズム感がご機嫌です。
(小林)カレンはねえ、名ドラマーだしね。
[和歌山県岩出市/男性]さん、50代。
ありがとうございます。 (東京都板橋区/男性)
私が19の頃、私はちなみに53歳の男です。
人生の生き方に悩みながら、何気なく「愛こそすべて」の詩を見て思いました。
「助けられない人を助けるということは誰でもできるが、君は無力に近い」
この意味合いが判らず、6歳上の兄に聞きました。
すると兄は言いました。
「そこは問題じゃない。愛こそすべて。そこが問題なんだ」と教えてくれました。(小林)w
その後なんとか私は立ち直り、当時工員だった兄は今は教育者をしています。
(小林)
[東京都板橋区/男性]さんのリクエストはビートルズの
All You Need is Love
〜 The Beatles / All You Need is Love
〜 The Beatles / Good Night
@YouTube
(習志野市/男性)50代
いつもこの番組を 単身赴任先である愛知県から聴いております。
先日リンゴ・スターにナイト爵位が授与されるというニュースが飛び込んできました。
そこで、リンゴに敬意を表して、リンゴがボーカルを担当する曲 Good Night をリクエストします。
この曲の優しいメロディが、おだやかなリンゴにぴったりな感じがして。
大好きな曲のひとつです。
(小林)
僕、前も言いましたけど。
やっぱり、リンゴのためにこれを作ってあげたジョンの優しさの方が ちょっと目立つような感じもするんだけどね。 BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
@YouTube
□エンディング
(小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?
お話しの方は、けっこう楽しみですか?
ええもう、ビートルズが解散しても。
生活はそれぞれ続いているわけで。
ちょっと微妙な面白さがw にじみ出てきますよね。
それからリクエストの方もよろしくお願いします。
ラジコ効果で、もう日本全国に広がって。
いろんな趣味の方、いろんな価値観のビートルズファンからリクエスト。
ま、ビートルズファンじゃない方からもリクエスト待っております。
参加してください。
[email protected] ■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
2018年2月25日(日)18:00〜19:00 放送内容 DJ:小林克也
BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
@YouTube
□ビートルズカレンダー(2月25日)
・1943年、今から75年前の今日。
先週が、オノ・ヨーコ誕生日。
今週は、75ですから。
ジョージ・ハリスンの誕生日。
といっても、彼は2001年に亡くなっていますね。
58歳の若さで亡くなりました。
生きていれば、だから、今日で75歳になっているわけです。
「最もハンサムなビートル」「最も静かなビートル」
と言われたジョージ・ハリスン。
お父さんのハロルドは、市の、市営のバスの会社の運転手をしていました。
奥さんのルイーズと4人の子供を育て上げました。
典型的な労働者階級の家族で、これ分りやすいんですよね。
ジョージの家に行くと周りが全部似たような家だった、ていう描写があるんですけど。
ジョージはその末っ子です。
特にお母さんに可愛がられるんですよ。
ジョンの3歳下ですかね。ジョン・レノンの。
ポールの1歳下。
まあビートルズの末っ子みたいな感じ。
で、17歳で、まあ、ハンブルグに修行ツアーに行くわけですよね。
17ですよ。
で、ロックンロールばかりじゃなくて、プロのお姉さんたちに可愛がられたジョージ。
あと、強制送還されるというw ドイツから送り返されるという。
これは、まあちょっと、なんていうんですかねえ。
向こうの興業元たちのトラブルで、チクられるわけですね。
「チクられる」ってわかりますよねw。ええ。 で、チャック・ベリー(Chuck Berry)とかエディ・コクラン(Eddie Cochran)カール・パーキンス(Carl Perkins)
わかりますか? こういう風なロックンローラーの初期の人に憧れて。
毎日何時間でもギターの練習をしていた少年時代。
ジョンとポールという二人の天才に挟まれながら。
めげることなく、堂々たるステージングを磨いていきます。
で、この二人の天才の中で、ずーっと我慢しながら、時にはいびられながら。
最後には最高のアーティストになる っていうのは。
一つの、ビートルズとはまた違った成功物語があるわけですよね。
さあ、そして最後には 作詞作曲の才能を発揮してくれるんですけども。
ポールやジョンに無い独特の音楽を作りますよね。
その一つを紹介します。
ジョージ・ハリスン All Things Must Pass
〜 George Harrison / All Things Must Pass
@YouTube
(小林)ジョージ・ハリスンの誕生日。
All Things Must Pass ていう曲を聴きましたが。
この番組長く続いていますから。
こんなことは、もう、だいぶ話したことあるんですけど。
ビートルズの4人誰が好きかで、性格が判ったり、相性をね・・・
「お前とお前は きっと合うよ」とか。
そういうようなこと言ったりするの。
昔は流行ったりしたんですけど。
この番組を聴いている方たちの中では、
そんなこと出来るんじゃないかと思いますよ。 □ストーリー
・「ビートルズから始まる」
今週もジョン・レノンの最初の妻シンシアが遺した貴重な手記の中からお届けしよう。
1979年春、ジョンが復活祭の休暇、にジュリアンの誕生日をお祝いしようとニューヨークに呼んでくれた。
2人は相変わらず時々電話のやり取りをしていたのである。
ジュリアンはミュージシャンになりたいという夢を持っていて、バンドも結成したばかりだったので。
特にジョンとは密に接触を取って、いろいろとアドバイスを受けていたのである。
あのジョン・レノンが直々にアドバイスや援助をしてくれるのである。
普通だったら有りえないこと。
ジュリアンには強い励みになっていた。
4月の上旬にジュリアンがアメリカに飛んだのは。
それこそ、期待に胸ふくらませてのことだった。
ニューヨークに着いて数日後に、ジョンが「休暇にはみんなでフロリダに行こう」と言った。
でも、ジュリアンだけはジョンの若い個人秘書フレッド・シーマンと共に先に行くようにと。
フレッドの運転するメルセデスのステーションワゴンに乗せられた。
ジョンは「みんなもすぐに追いつくから、先に行ってて楽しんでなさい」と告げてジュリアンを送り出したのである。
秘書のフレッドは感じの良い人物で、親切ではあったが。
ジュリアンは「結局僕は、パパからうまく言いくるめられて、追い払われたのだ」と、ピンときたという。
2日後に、ジョンと家族が到着した時。
ジュリアンはフレッドから車の運転を教わっているところだった。
ジョンは「自分の許可も無しにそんなことをして」と怒り出し。
フレッドとジュリアンの両方に向かって怒鳴り声を挙げた。
ジュリアンは恐くてベッドルームに逃げ込んだ。
ジョンの機嫌がなんとか治まったと思ったら、次の瞬間こう言い始めた。
「さあ、みんなボートに乗ってくれ。海に出るぞ。
少し早いけど、ジュリアンのバースデーパーティだ。
さあ、早く乗ってくれ!
すぐに出発するぞ!」
〜 The Beatles / The Ballad Of John And Yoko
@YouTube
〜 John Lennon / Rip It Up - Ready Teddy
@YouTube
(小林)2曲続きました。
2曲というかね・・・w
The Ballad Of John And Yoko
これはお馴染みですよね。
ポールとジョンが作った曲ですよね。
えーと、イギリスで1位、アメリカで8位だった。
で、今聴いた曲は。
これはリトル・リチャード(Little Richard)の
ロックンローラーのリトル・リチャード。
Rip It Up - Ready Teddy
メドレーになっていて。
リトル・リチャードというと、ポールの十八番(おはこ)なんだけど。
ジョンが奏りました。
これも、なかなかのもんだったと思いますよ。 □ストーリー(続き)
・「さあ、みんなボートに乗ってくれ。海に出るぞ。
少し早いけど、ジュリアンのバースデイパーティだ。
さあ、早く乗ってくれ。
すぐに出発!」
これは1979年春、息子ジュリアンの16歳の誕生日をお祝いしようと。
フロリダに到着してすぐの ジョン・レノンの発言。
もちろんこれもジョンの最初の妻シンシアが遺した手記に綴られたワンシーン。
もちろん実話である。
その中から。
こうして、ジョンの企画通り、ジュリアンのバースデイパーティは全て順調に事が運んでいた。
ように見えたのであるが、すぐに雲行きは怪しくなった。
近くのボートに乗っていた人がジョンに気付き。
無線を使って仲間のボートやクルーザーを呼び寄せてしまったのである。
ジョンはこのことに腹を立て。
「パーティは中止、中止だ! すぐに帰るぞ!」
と言った。
パーティはその場で打ち切られ、あわてて岸に直行することになった。
ジュリアンのために用意されたケーキは持ち帰られたのに。
結局、お祝いのやり直しもないままで終わってしまった。
それでも、ジュリアンはプレゼントには大満足だった。
誕生日の数週間前に、ウェールズの自宅にジョンから小型のオートバイが届いていた。
ジュリアンのことでジョンが態度を豹変させること。
例えば、楽しんでいるかと思うと、次の瞬間には猛り狂うような場面は、その後も続いた。
それはまだ幼いショーンに対しても同じで。
まだ3歳のショーンを怖がらせ、泣かせてしまうのである。
ジョンがカッとなると、秘書のフレッド・シーマンが、時にはヨーコが、なだめ役に回る。
ジュリアンはいつもハラハラしていて、「そろそろ爆発するぞ」と思うと
火の粉をかぶらないように、自分の部屋に退散することにしていた。
そんな中、ある日のジョンの怒りは頂点に達するものとなったのである。
〜 John Lennon / Well Well Well
@YouTube
(小林)いかがですか?
Well Well Well
これは、「プラスティック・オノバンド(Plastic Ono Band)」1970年。
ジョン・レノンとリンゴ・スターとクラウス・フォアマン。
3人だけ。
途中の脱線しそうな感じ?
で、終りもあんまり考えてないで奏ってたんじゃないかと。
思いますけどもね。
ちょっとナマナマしいですよね。 □ストーリー(続き)
・「ジョンが感情を突然、何の前触れもなく豹変させることは、日常的なことでした。
ただそれが、どんな幼い子供に対しても同じでしたから、本当に困った事だったんです」
これはもちろんジョン・レノンの最初の妻シンシアの発言。
こうした元妻にしか判らないジョンの本当の姿が数多く描写されているシンシアの名著の中からもう少し。
ジョンにとっての最初の息子であるジュリアンが、ニューヨークに滞在していたある日のこと。
それは、家族全員でワイワイ楽しくミッキーマウスのパンケーキを焼いていた時の出来事。
ジョンがケラケラ笑っているジュリアンの方に向き直って怒鳴った。
「お前の そういうクソ忌々しい笑い方は 耐えられないんだよ!!
二度とそういう不気味なクソ笑いを オレに聞かせるな! わかったか?!!」
それだけではない、ジョンは延々と言葉の暴力を浴びせ続けたので。
ジュリアンはこの時もいたたまれなくなって、とうとう自分の部屋に逃げ込んでしまった。
それは、あまりにも残酷な仕打ちで。
その事によってジュリアンは、以来ずっと残るような心の傷を負った。
今でも、ジュリアンはめったに声を上げて笑うことはないという。
ジュリアンはまた、ニューヨーク・ダコタハウスでの、ジョンとヨーコの風変わりな暮らしぶりについて
母親のシンシアに対して、客観的な報告もした。
ビジネス面は、ヨーコが一手に取り仕切り。
スタジオ・ワンと呼ばれる下の階で仕事が行われていた。
ジョンとヨーコはダコタに5世帯分の部屋を持っていた。
ヨーコは家族が普段生活しているスペースには、めったに姿を現さなかった。
オフィスのスペースにベッドが置いてあって、夜もそこで休むことが多かったという。
ショーンの面倒を見るのは、ベビーシッターのヘレン・シーマンで。
ジョンの個人秘書であるフレッド・シーマンの叔母にあたる女性である。
一方、ジョンは、ほとんどの時間をベッドの上で過ごしていた。
さて、ジョンとヨーコの一風変わった このニューヨークライフ。
この続きは、また次回ということで、お楽しみに。
〜 John Lennon / Woman Is The Nigger Of The World
@YouTube
〜 The Beatles / Across the Universe
@YouTube
(小林)有名な曲がね、2曲続きました。
「Let It Be」から
Across the Universe
1970年ですね。
そしてその前は
「 Some Time In New York City」のジョン・レノンのソロアルバムから
Woman Is The Nigger Of The World □リクエスト
メールは [email protected]
採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。
(東京都港区/男性)
僕は北海道出身なんで、若い頃札幌の中古レコード店で500円で買ったのが
マディ・ウォーターズ(Muddy Waters)の「Hard Again」というアルバム。
A面1曲目の「Mannish Boy」の出だしも衝撃的でしたが。
もっと驚いたのが、プロデュースが白人のギタリスト=ジョニー・ウィンター(Johnny Winter)であったこと。
ブルースは黒人のものと潜入観があって。
「音楽って面白いなあ」と思ったのが34年前です。
B面のタイトルも興味深い1曲目。
これ、リクエストお願いします。
(小林)これは あれですね。
訳すと
「ブルースには子供がいてさ。
その子供の名前はロックンロールていうんだよ」
ていう。
はい、マディ・ウォーターズの The Blues Had A Baby And They Named It Rock And Roll
〜 Muddy Waters / The Blues Had A Baby And They Named It Rock And Roll
@YouTube
〜 BABYMETAL / いいね!
@YouTube
(小林)ベビーメタル(BABYMETAL)の「いいね!」がかかりましたw
(千葉市花見川区/男性)
ところで、私も63歳にしてついにベビーメタルにはまってしまいました。
今までアイドル系にハマったことはなかった。
海外での人気がすごいらしい。
加山雄三さんその他ミュージシャンもベタ褒めしている。
などと聞くので、一回聴いてみるか? と検索してみると。
すっかりハマってしまい、CDまで買ってしまいました。
バンドのヘビメタな演奏にも負けない、スゥメタルの歌唱力。
言葉遊びのような楽しい歌詞。
それを盛り上げるユイメタル、モアメタルのキュートなダンス。
すっかりハマってしまいました。
ユイメタルとモアメタルに関しては、孫を見るような感じかもしれません。
リクエストは、ベビメタは「良いね!」
(小林)ということで、いただきました。
すごいですね。
60代でね、えへへw
だけど、海外はねえ、彼女たちばっかりじゃなくて。
総合的な、なんかものに けっこう来てるみたいだよね。
もうほら、スタッフを含めての全部のアレに入って来てるような感じもありますが。 (東京都府中市/男性)47歳
1959年2月3日。
バディ・ホリー(Buddy Holly)リッチー・ヴァレンス(Ritchie Valens)ビッグ・ボッパー(The Big Bopper)
3人を乗せた飛行機が墜落。3人とも死亡。
ドン・マクリーン(Don McLean)が「The Day the Music Died」「その日 音楽は死んだ」と歌っているように。
私も時代は違いますが、「3人が生きていれば」と思ってしまいます。
そのドン・マクリーンの American Pie をリクエストします。
(小林)
ちなみに僕は、この後でドン・マクリーンに会っているんですけど。
音楽の世界が勝手に「バディ・ホリーが死んだ」っていうことを訳したってことに対して腹を立てておりました。
「音楽はそのままで受け留めてほしい。そんな変な解釈をするんじゃない」と、怒っておりましたw 本人が。
ドン・マクリーン American Pie
〜 Don McLean / American Pie
@YouTube
(小林)これはとても長い曲ですが。
あのねえ、ドン・マクリーンが怒ってたのはね。
バディ・ホリーたちが死んだこと、その日のことを歌ってるんだけど。
それが、あまりにも大きなものを占めていて。
「その後のことを聴いてくれよ」っていう。
これは、やっぱり「恋の物語、自分の人生の物語になってるんだ」っていうことですよね。
だからw 気難しいやつでしたよw
ドン・マクリーンは。
リクエストありがとうございました。 BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
@YouTube
□エンディング
(小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたか?
来週のお話し、気になるでしょう?
それからね、リクエスト。
前も言いましたけど。
日本中から来るようになって、いろんなのが来てるんですよ。
楽しいですから。
このままリクエスト続けて下さいね。
[email protected]
です。 ■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
2018年3月04日(日)18:00〜19:00 放送内容 DJ:小林克也
BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
@YouTube
□ビートルズカレンダー(3月4日)
・1966年。
ビートルズ来日の年。
つまり、今から52年前の今日。
イギリスで「Yesterday」がEPとして発売になっています。
この「Yesterday」は曲からしてロックバンドらしからぬ、あまりにも美しくて完璧な曲だった。
ということで、扱いが違うんですよね。
アメリカでは、1965年の秋にシングルとして発売になってナンバーワン。
で、イギリスは?
これ、「あまりビートルズぽくない」という理由でシングルカットされてなかった。
でも、アメリカで人気が出た。
ということで、4曲入りのEP版として出た、ていうことがちょっと面白いですよね。
それも、どんな選曲になってるかというと。
もちろん、中心はポールの「Yesterday」です。
で、続いて、リンゴ・スターが歌う、カントリー歌手のバック・オウエンス(Buck Owens)の
これ大ヒット曲なんですが、それのカバーを奏ってるんですよね。
リンゴ・スターが。
これい良い味を出してるんです。
「Act Naturally」
で、3曲目がジョージの「You Like Me Too Much」
最後がジョン・レノンの「It's Only Love」
ていう。
だから、これ けっこう中途半端な物になってるわけですよね。
面白いですよね。
で、このEP版は4人の友情が集結した1枚でもあった、といことで。
ポールの「Yesterday」だけが、ストリングスのカルテットで録音されたというのが。
翌1967年以降のビートルズの人間関係を、これは予言してるんじゃないか?
まさに、そうですよね。
その通りだと思いますが。 さて、そのアルバムの中から。
ちょっと毛色が変わった、リンゴ・スターが奏った。
バック・オウエンスのヒット曲なんです。
これは、内容は あれなんですよね。
「俺は映画に出るんだ。映画に出るんだけど 地で行くんだ」みたいな。
「そのままの俺で行くんだ」みたいなの。
リンゴのテーマにふさわしいんですよ。
それが証拠に、ほら、リンゴは映画に出演するようになるわけじゃないですか。
後半は、役者としても活躍するじゃないですか。
だから、「リンゴのテーマ」みたいな感じがするんです。
聴いてください Act Naturally
〜 The Beatles / Act Naturally
@YouTube
(小林)そうなんですよねえ、ほんとに。
「おれ映画に出るんだよ。
おれ地で行くんだよ。
で、完璧な演技をするんだよ。
アカデミー賞も取るかもよ。
見に来てよ 映画館へ」w
みたいなw
リンゴ・スター、その通りになったわけじゃないですか。
アカデミーを取ったわけじゃないですけども。
だけど、リンゴに合ってるな。
それから、この歌を聴くとね。
ジョン・レノンとポール・マッカートニーという人がいて、それに挟まれてジョージ・ハリスンがいますよね。
それと関係ないような位置にw リンゴ・スターが・・・
それも、ドラムズじゃないですか?
なかなか、そのキャスティングがすごいなと思うんですよね
ビートルズの4人のメンバー。 □ストーリー
・「あれは1979年の春のことでした。
ジョンが復活祭の休暇に、ジュリアンの16歳の誕生日をお祝いしてあげようと、アメリカに呼んでくれたんです。
そこでジュリアンが見たいろいろな場面には、ビックリするようなこともあったそうなんです」
これはジョン・レノンの最初の妻シンシアの発言。
今週もシンシアが遺した手記に綴られた実話の中から。
ジュリアンはイギリスに帰ってから。
ニューヨーク・ダコタハウスでのジョンとヨーコの風変わりな暮らしぶりについて
母親のシンシアに対して、客観的な報告をした。
ヨーコが一手に取り仕切り、スタジオ1と呼ばれる下の階で仕事が行われていた。
ジョンとヨーコはダコタに5世帯分の部屋を持っていたという。
ヨーコは家族が普段生活をしているスペースには めったに姿を現さなかった。
オフィスのスペースにベッドが置いてあって、夜もそこで休むことが多かったという。
ショーンの面倒を見るのは、ベビーシッターのヘレン・シーマン。
ジョンの個人秘書であるフレッド・シーマンの叔母にあたる女性である。
一方ジョンは、ほとんどの時間をベッドの上で過ごしていた。
ジュリアンはよく、ジョンの部屋の前を忍び足でウロウロしていて。
時々勇気を奮い起こして、中に入って見たという。
ジョンはだいたいベッドの上に座って。
ギターや、電話の受話器や、コーヒーの入ったカップを持ち。
部屋のテレビはいつも点けっ放しの状態であった。
ジョンはニュース番組を見るのが好きで。
テレビに向かって しょっちゅう叫んだりしていた。
テレビのニュースキャスターの発言が自分の考えと違っていたりすると。
「なんだ、こいつ。そんなのクソくらえだ!」
と言い返したりもする。
ジュリアンはそんな父親の様子をしばらく観察したあと。
また、こっそり抜け出して、母親違いの弟ショーンと遊んだという。
しかし、驚くべきことは それだけではなかった。
〜 John Lennon / Cleanup Time
@YouTube
〜 The Beatles / For You Blue
@YouTube
(小林)珍しい曲が 2曲かかったでしょう。
最初のやつは Cleanup Time
これは、ジョン・レノンの遺作となる「ダブル・ファンタジー(Double Fantasy)」
に入っています。
1980年のね。
そして For You Blue は
'70年の「Let It Be」から。
ジョンは フェンダーのラップスティルギターを弾いております。
この曲では。
ジョージ・ハリスンの For You Blue □ストーリー(続き)
・「息子のジュリアンが見た、ジョンのニューヨークでの暮らしぶりから推測するに。
私生活を含め、全てを取り仕切っていたのはオノ・ヨーコだったということが よく分かります。
それは、マスコミへの対応も含め、とにかく全部だったのではないでしょうか」
これはジョン・レノンの最初の妻シンシアの発言。
シンシアが遺した手記の中から。
1979年当時のジョンは、マスコミに向かって「ヨーコがビジネス、自分が家事をこなすハウス・ハズバンドだった」
と言っていたが。
ジュリアンの見た限りでは、ジョンが家事に専念したり、ショーンの面倒を見たりしている形跡はまったくどこにも無かったという。
この時まだ3歳のショーンの世話をするのはベビーシッターのヘレン。
ショーンは両親のどちらにも、ほとんど会わない時間さえあった、というのである。
「僕はハウスハズバンドとして、パンを焼き、ショーンの育児をしていた」
というのが、マスコミに対してのジョンの発言であった。
しかし、それどころか、ジョンはベッドルームの中の自分の世界にだけ生きているようだった。
と、ジュリアンは言う。
全ての権限を放棄してヨーコに委ね。
ジュリアンにまで「ヨーコはこの世で一番すごいんだよ。彼女は何でも知っているから。
解からないことがあれば、ヨーコに聞くのが一番早いよ」
と真剣にそう話していた。
さらに、ジョンの本分である音楽。
残念なことに、ジョンは曲を書くことも、得意な絵を描くこと。
その他クリエイティブなことに一切興味を持っていなかった。
イギリス・ウェールズの自宅に帰って来たあとも、ジュリアンはジョンに電話をかけてコンタクトを取っていた。
しかし、ここでもヨーコが取り次いでくれないことがほとんど。
ジョンの妹ジュリアも同じ目に遭っていた。
ほんのたまに、ようやくジョンが捕まった時には。
ジョンはジュリアンが電話をくれたことを喜んで近況を報告しあったりしながら
2人で楽しそうにおしゃべりしていた。
しかし、そんな楽しいひと時も、そう長くは続かなかったのである。
〜 The Beatles / Yes It Is
@YouTube
〜 The Beatles / Strawberry Fields Forever
@YouTube
(小林)えへへw
やっぱ最後 言ってますよねえw
「I buried Paul」って。
「イチゴ畑に埋めちゃった」つてw
あれはホントですよw
Strawberry Fields Forever
1967年
そしてその前は
「Ticket To Ride」の、これB面ですよ。
なかなか良い曲でしょう?ねえ。
ジョンのギターも、それからコーラスも。
「Ticket To Ride」のB面です。
Yes It Is □ストーリー(続き)
・「息子のジュリアンが、ニューヨークに住むジョンと電話で楽しそうに話しているのを見ると。
ああ、離れて暮らしていても、やっぱり親子なんだなあ。
と、幸せな気分になれました。
ただ、運命というものは本当に残酷なものだと知らされる、あの出来事が起こったのです」
これはもちろんジョン・レノンの最初の妻シンシアの発言。
こうした元妻にしか判らないジョンの本当の姿が数多く描写されているシンシアの名著の中からもう少し。
1980年後半になると。
ジュリアンは父親との関係において、正真正銘の飛躍的な前進を遂げた、と感じ始めるようになっていた。
ジョンはヨーコと別居していた「失われた週末」以来6年ぶりにスタジオに入り。
ニューアルバムとなる「ダブル・ファンタジー(Double Fantasy)」の製作に取り組んでいた。
ジョンからジュリアンへの電話も、以前より頻繁になった。
まるで、制作意欲が湧き出して来たら、ジョン自身も長い眠りから醒めて。
息子が自分を必要としているのだということにハッと気付いたかのようであった。
制作中のアルバムからのトラックをジュリアンに聴かせて意見を求めることもあった。
それまでには、決してなかったことで、ジュリアンの自信をどれだけ高めたことか知れない。
2人の距離が急接近し始め。
ジョンの人生が回り出したように思われたちょうどその頃のこと。
レコーディングセッションから戻って来たジョンが、ダコタハウスの前で銃で撃たれたのである。
1980年12月8日 夜10時50分
ファンだ、と名乗るマーク・チャップマンが放った弾丸が4発、ジョンに命中した。
チャップマンはその数時間前にサインを求め、それに応じたジョンと親しげに言葉を交わしていた。
ジョンは背中に2発、肩に2発の弾を受け、もう1発は外れた。
ヨーコはジョンよりも2〜3歩後ろを歩いていた。
目の前で恐怖の瞬間を目撃したヨーコは半狂乱の状態になった。
ジョンはダコタの入り口でよろめきながら6歩進んだところで力尽き、倒れた。
警察が直ちに駆けつけ「救急車を呼ぶ時間はない」と判断し。
ジョンをパトカーに乗せ猛スピードで病院へ向った。
到着して間もなく、ジョンは出血多量のため亡くなった。
〜 John Lennon / Mother
@YouTube
(小林)いやあ、最後の叫びなんか すごいよねえ。
これ、音楽ですからね。
ジョン・レノンが、まあ、ジョン・レノンの生涯を・・・
ご存知の方、お母さんとずっといられなかった。
で、突然死んじゃった。
お父さんとは、もちろん、ちょっとしかいられなかった。
だから、お父さんとお母さんに向けて。
「行かないでくれ〜」っていう歌がね。
これ、ジョン・レノンのピアノと、ジョン・レノンのボーカルと。
リンゴ・スターのドラムスと。
クラウス・フォアマン(Klaus Voormann)のベースだけで。
このスペースが 反響している。
このスペースも 感じますよね。
空間てものをね。ええ。
音楽って、こんなにシンプルでも。
いろんなものが伝わってくるんですよね。 □リクエスト
メールは [email protected]
採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。
(青森県三戸郡/男性)40代
さて先日、日本でもヒットしたイギリスのスパイ映画「キングズマン」の続編「キングズマン・ゴールデンサークル」を見てきました。
この映画にはエルトン・ジョン(Elton John)が本人役でゲスト出演しているんですが。
ゲストと言っても、添え物的な役どころじゃなくて。
むしろ主演と呼んでもいいほど強烈な存在感を放っていました。
詳しくは ぜひ劇場でご覧ください。 (小林)w
サーの称号を持ち、70を越えてもなおチャーミングなエルトンに惚れ直すこと請け合いです。
「失われた週末時代」夜ごとジョンと乱痴気騒ぎを繰り広げていたエルトンに思いを馳せつつ。
(小林)あ、これはそうね。
ジョン・レノンの「失われた・・・」まあ、エルトンも一緒。
でも、この歌の頃はあれですよ。
エルトンはミック・ジャガー(Mick Jagger)に話しを聞いてジャマイカ行くんですよ、録音に。
で、ジャマイカ行って、スタジオ行ったら・・・もう。
ミック・ジャガーたちは「すっげえいいよ」って言ってたんですが。
エルトンは、ガックリしたのは、ピアノがあるんだけど。
ピアノがw、チューニングがぜんぜんされてないw
「こんな所でできるか!」って、すぐ帰って来るんですよ。
「帰るのも悔しいから」って、この曲を奏るんですよね、いちおうね。
はい。
それは、やっぱりやっぱり、そういう気持ちも入ってたんだと思いますよ。
怒る気持ちも。
エルトン ジョンの Saturday Night's Alright For Fighting
日本語のタイトルもすごいんですよ。
「土曜の夜は 僕の生きがい」ケンカするんだよw
〜 Elton John / Saturday Night's Alright For Fighting
@YouTube
(小林)延々行ってるね、これは。
怒ってるしw
なんかw 高まって。
珍しいよね エルトン・ジョンの、ハードロックだよね。
Saturday Night's Alright For Fighting (市川市/男性)
さて、ビートルズをカバーした金沢明子さんの「イエローサブマリン音頭」が聴きたいです。
金沢さんは昔、市川市民さんで、ご近所さんでした。
(小林)はいw
[市川市/男性]さん。
今日は40代の方が多いですね。
年恰好みんな似てますね。
[市川市/男性]さんは市川市、ハイ。
これは、やっぱり大瀧詠一の一つの功績の一つだと思います。
「一つの功績の一つだ」おかしい日本語になったw
金沢明子「イエローサブマリン音頭」
〜 金沢明子 / イエローサブマリン音頭
@YouTube
(小林)ねえ、後半けっこうサービスが入りますよね。
それから、やっぱり大瀧詠一の影響。
彼に影響を与えたのは、植木等さんたちの音楽なんですよ、クレージキャッツの。
だから、それもちょっと入ってたんじゃないかと思いますよ。
クレージーキャッツが、音楽が。 (横浜市/男性)30代
70過ぎてもラジオのDJとして活躍されている小林さんのことをすごく羨ましく思っております。
そして、とても嬉しいです。
私にとって 今の心の応援歌でもある チューリップの「青春の影」をリクエストします。
思うように活動が進まず、辛い思いをしていた私を、優しく励ましてくれたのが。
去年の秋のある日、ラジオから流れてきた、この「青春の影」でした。
この曲を毎日聴き続けたことによって、自分自身が立ち直る切っ掛けを作ってくれたので。
私の大好きな曲の一つです。
新たな夢をかなえるために頑張っています。
もし、かなった時は 小林さんにも報告します。
(小林)そう、これを歌ってるリードボーカル録ってる財津さんはねえ。
ビートルズが66年に来るていうんで、待ってたらしいんだよね。相当。
で、「羽田へ来ない」っていうんで。
当時彼は福岡にいて、福岡の空港まで見に行った、ていう話しをしていましたね。
ビートルズの影響 もちろん受けています。
〜 チューリップ / 青春の影
@YouTube
BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
@YouTube
□エンディング
(小林)「ビートルズから始まる」
お話しの方は、けっこう面白いんですが。
ジョンのことを知ってるだけに。
なんか、エンディングに近づいているような感じもいたします。
リクエスト、よろしくお願いします。
[email protected]
採用されるとイシイのミートボールなどをセットにしてお送りしております。
ま、いろんな方のリクエスト、読むのを楽しみ。
採用はね、ちょっとごく一部になるかもわかんないけどw
すみませんねw ■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
2018年3月11日(日)18:00〜19:00 放送内容 DJ:小林克也
BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
@YouTube
□ビートルズカレンダー(3月11日)
・1967年、今から51年前の今日。
ビートルズが3部門で あのグラミー賞を取っています。
グラミー賞というのは、もう最近では有名になっています。
まあ、洋楽に興味ない方は「グラミー賞ってなに?」て方もいるわけですけども。
だけど、グラミー賞てのは1950年代に始まっておりまして。
60年代、70年代も、そんなに注目は集めませんでしたけども。
ちゃんと、しっかりしたことはやっておりまして。
ビートルズが3つ取っております。
何を取ったかというと。
「Michelle」♪ミッシェル〜♪ がですね「ソング・オブ・イヤー」
つまり最優秀楽曲。
これは、つまりジョンとポールですね。
それから「Eleanor Rigby」
「ベスト・コンテンポラリー・ロックンロール・ボーカル・パフォーマンス」
これを「Eleanor Rigby」が取っています。
それから、アルバム「リボルバー(Revolver)」のジャケットが。
表一、表紙ですね。
これが「ベスト・アルバム・カバー」を取っています。
まあ「Michelle」も「Eleanor Rigby」もポール・マッカートニー。
ポール・マッカートニーが受けた、評価されたっていうことなんでしょうか。
それから、デザインは、ビートルズがハンブルグで出稼ぎに行っていた頃。
ドイツの芸術家、アートスクールのスチューデントだった連中と友達になるじゃないですか。
サトクリフ(Stuart Sutcliffe)なんかは、その一人と結婚したりするわけですが。
その一人がクラウス・フォアマン(Klaus Voormann)だったわけです。
クラウス・フォアマンはもともとアートスクールですから、デザインなんかもやっていて。
で、ビートルズの影響を受けて、音楽に入ってきて。
もともとドイツで終わるつもりだったんだけど。
ビートルズと知り合ったことによって、イギリスにやって来て。
リンゴのアパートに同居して。
マンフレッド・マン(Manfred Mann)のメンバーとして、ベーシストとして活躍して。
後半、特にジョンのアルバム、プラスティック・オノバンド(Plastic Ono Band)の重要なメンバーの一人ですよね。
「イマジン(Imagine)」にも参加しております。 で、この年1966年度のグラミーレースでビートルズと競い合って。
結果、「ソング・オブザ・イヤー」は逃したけども。
それと同じぐらい重要な「レコード・オブザ・イヤー」に輝いたのは。
また、面白いです。
ちょっとね、その前に、子供っぽい説明しておきます。
ビートルズが天下取りますね。
その前は、プレスリー(Elvis Presley)が天下を取っていたんですよ。
その前は、フランク・シナトラ(Frank Sinatra)だったんですよw
そう考えていただくと わかりやすい。
ビートルズが「ソング・オブザ・イヤー」
そして「レコード・オブザ・イヤー」は、フランク・シナトラです。
〜 Frank Sinatra / Strangers In The Night
@YouTube
(小林)フランク・シナトラの Strangers In The Night
まあ、2人の男女が一目ぼれをする物語ですけれども。
これは、実は ビートルズに関係あるんですよ。
この曲を作曲したのが、ドイツ人のベルト・ケンプフェルト(Bert Kaempfert)という人なんですよ。
そして、ビートルズは、イギリスで最初にレコード出すんじゃなくて。
出先のハンブルグでレコーディングをして、ドイツでデビューする。
でまあ、ビートルズとしてじゃないんですけども。
イギリスの、ちょっとドイツなんかで売れていた、ロックンローラーのバックバンドとしてレコーディングするんですよね。
その時のプロデューサーがベルト・ケンプフェルトなんですよ。
で、ビートルズがロンドンへ帰って。
でまあ、レコード会社が決まったら、レコード契約が残ってたんだけど。
ベルト・ケンプフェルトたちが「OK、自分たちの事は忘れてくれ」って
OKにしてくれたんですよね。
だから契約できたんですよね、ビートルズが。
で、ベルト・ケンプフェルトは、一説によると。
ビートルズのことは「え? なにそれ? 知らなかった」ていうw
忘れていた、という話しがあります。 □ストーリー
・「シンシアさん。ジュリアン君。朝早くすみません。
中にいらっしゃるんでしょう?
ひと言でいいんです。なにかコメントをいただけないでしょうか。
鍵を開けてください」
1980年12月9日早朝。
イギリスはウェールズの自宅にいたジュリアンをマスコミ連中が襲った。
母親のシンシアは、たまたま家を空けていたため、
そこにいたのはジュリアンとその時点でのシンシアのパートナーであるツイスト。
ジュリアンはすぐに父親ジョン・レノンの身に何かが起ったのだと察知した。
ビートルズストーリー。
今週もジョン・レノンの最初の妻シンシアが遺した貴重な手記の中から。
ジョンとジュリアンの距離が急接近し始め。
ジョンの人生が回り出したかのように思われた、ちょうどその頃のこと。
レコーディングセッションから戻って来たジョンが、ダコタハウスの前で銃で撃たれたのである。
1980年12月8日 夜10時50分。
「ファンだ」と名乗るマーク・チャップマンが放った弾丸が4発、ジョンに命中した。
ジョンはダコタの入り口でよろめきながらも6歩進んで力尽き、倒れた。
警察が直ちに駆けつけ「救急車を呼ぶ時間はない」と判断し。
ジョンをパトカーに乗せ猛スピードで病院へ向い。
到着して間もなく、ジョンは出血多量のため亡くなった。
シンシアはロンドンからすぐに夫であるツイストに電話をし。
自分がウェールズに戻るまで「ジュリアンを家から出してはいけない」とお願いした。
当時17歳のジュリアンは、ソングライターとしても活動を始めていて。
国際電話でジョンにアドバイスを受けたり、ジョンの新曲を聴かせてもらったりしていた矢先のこと。
あまりのショックに、事の詳細がわかるまで、ジュリアンはすっかり打ちのめされていたのである。
〜 The Beatles / Yer Blues
@YouTube
〜 The Beatles / The Fool On The Hill
@YouTube
(小林)The Fool On The Hill が流れましたw
この The Fool On The Hill は
「マジカル・ミステリー・ツアー(Magical Mystery Tour)」
「サージェント・ペパー(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」の後に作った。
ポールがね、主導権をにぎっていたアルバムの中の、ポールの作品。
これ、なかなか面白い内容になってますよね。
こういうの ポっと出してくるから。
やっぱりビートルズは偉いんだねえ。
で、その前は
「ホワイトアルバム(The BEATLES)」の中から。
ジョンが唸(うな)っておりましたが。
Yer Blues □ストーリー(続き)
・最愛の父親ジョン・レノンを失った17歳の少年ジュリアンの元に母親のシンシアが戻って来ると、二人で泣いた。
お互いを気遣い、そして慰め合いながら。
これもジョンの最初の妻シンシアが遺した手記に綴られたワンシーン。
もちろん実話である。
その中から続けてみよう。
ジュリアンはニューヨークへ行こうと心に決めていたが。
シンシアはジュリアンを一人で行かせるのをためらっていた。
しかしジュリアンの決心は堅く。
シンシアもジュリアンの気持ちを尊重して、空港まで送って行った。
17歳になっていたジュリアンは、ドキッとするくらい、どんどんジョンにそっくりになって来ていた。
ジョンと同じ鷲鼻(わしばな)を持つ 凛(りん)とした横顔。
ジョンと同じスリムな骨格。
さらに、ジュリアンも髪を長く伸ばしていた。
これで、レザージャケットを着てジーンズを履いたら、若い頃のジョンそのものであった。
ジュリアンが飛行機の搭乗口に向かって歩いて行く姿を見ていて。
シンシアは胸を締めつけられた。
この先、待ち受けているどんな事にも、ジュリアンならば必ず強い覚悟で臨み。
うまく対処する道を見つけるだろう、と判っていたが。
それでもシンシアは心が焼けつくような辛さから、ジュリアンを守ってあげたかった。
もちろん、世界のロックアイコンであるジョンの死を悼む気持ちと。
そして同時に、17歳で自分の父親を失うことがどういうものなのか。
シンシア自身同じ経験をしていて、よく解かっていたからである。
ニューヨークに到着するまでの間。
ジュリアンは「まるでトワイライトゾーンに迷い込んでしまったかのようだった」
と言っていた。
目に入ったのは、自分の父親のことを取り上げた新聞の見出しだけで。
その時のジュリアンが望んでいたのは、ただ一つ
「父が最後に居た場所ニューヨークに、とにかく一刻も早く降り立ちたい」ということだけであった。
そして数時間後、ジュリアンはニューヨークに着いた。
〜 John Lennon / Watching The Wheels
@YouTube
〜 The Beatles / Here Comes The Sun
@YouTube
(小林)これは「アビーロード(Abbey Road)」です。
Here Comes The Sun
ジョージ・ハリスン。
そしてその前は
ジョンの遺作「ダブル・ファンタジー(Double Fantasy)」
1980年。
なかなか良い曲ですよね。
Watching The Wheels □ストーリー(続き)
・「父親のジョンの最後の地となったニューヨークに到着するまでの間は
ジュリアンは『まるでトワイライトゾーンに迷い込んでしまったかのようだった』
と言っていました。
目に入ったのは、自分の父親のことを取り上げた新聞の見出しだけ。
ジュリアンはとにかく一刻も早く、ニューヨークに降り立ちたかったのです」
これはもちろんジョン・レノンの最初の妻シンシアの発言。
シンシアの名著の中からもう少し。
ジュリアンがニューヨークのジョンFケネディ空港に到着すると。
ジョンの個人秘書である フレッド・シーマンが迎えに来て、ダコタまで連れて行ってくれた。
到着までの道のり、ジュリアンの気持ちを気遣いながら、車は静かに走行した。
ダコタの周りには 何百人ものファンがジョンの曲を歌いながら、追悼のために夜通し集まっていた。
ジョンの曲は全米のほとんど全てのラジオ局から流されていた。
ジュリアンとフレッドが車から降りると。
ジョン・レノンの息子が姿を見せたことに熱狂し、興奮したファンやマスコミの取材陣がジュリアンの元に殺到した。
あちらこちらでフラッシュが焚かれ、ファンはジュリアンに向かって絶叫を上げ、まさに大混乱であった。
予想もしていなかった騒ぎにビックリしたジュリアンは、両手を顔で覆い。
群衆の中を建物の駐車場の入り口を目指して突き進んだ。
幸いにも、ジョンが倒れた場所を通ることはなかった。
ダコタの中に入っても、ヨーコとショーンのいる気配はなかった。
ショーンはベビーシッターが引き取って面倒を見ていた。
ヨーコの意向で、ヨーコ自身の口からショーンに話す心の準備が出来るまで
「ショーンには父の死を知らせないように」ということになっていたのだ。
ジュリアンの見たところ、空港からダコタまで連れて来てくれたフレッドも、今回の事件にはすっかり打ちのめされていた。
個人秘書だったフレッド・シーマンは、それまでの2年間いつもジョンのそばにいて、ジョンを心から慕っていた。
そんなフレッドから、ジュリアンに対して、かなり厳しい事実を伝えられるのは
その数日後のことであった。
〜 The Beatles / Because
@YouTube
〜 John Lennon / Instant Karma!
@YouTube
(小林)なかなか面白かったでしょう?
Because でね、コーラスを聴かせて。
いきなり、この Instant Karma! に入りました。
ビートルズから「アビーロード(Abbey Road)」から。
これは1970年。
同じ年なんですよね。
1970年ジョン・レノン
Instant Karma! □リクエスト
メールは [email protected]
採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。
(江東区/男性)
ラジオのリクエストをするのは生まれて初めてです。
小学生の頃から3歳年上の兄の影響もあり。
リアルタイムでビートルズ及び洋楽を聴いております。
「Hey Jude」や「アビーロード(Abbey Road)」の後半のメドレーなど。
もちろんどれも素晴らしいですが。
ほとんど流れないビートルズの隠れた名曲を、もっともっと紹介していただきたい。
ビートルズはなんといっても初期の楽曲が大好きで。
ベストワンはセカンドアルバム「With The Beatles」です。
楽曲はもちろん、演奏力、コーラスは抜群。
ライブのような一発録りが最高です。
長くなりましたが、3曲のうち1曲を選んで・・・
(小林)っていうww
ええ、そうかw
3曲のうち、それじゃあ
Devil In Her Heart
これを選ぼうと思います。
ジョージに歌わせる。
〜 The Beatles / Devil In Her Heart
@YouTube
〜 Paul McCartney / Uncle Albert - Admiral Halsey
@YouTube
(小林)いや、あの、こういうメドレー。
良いやつがありますよね。
やられちゃいますよね。ホントにw
かけるたびにそんなことを思っちゃうんですけど。 (小林)
今日最後になりますけど・・・
(東京都港区/女性)
初めてお便りします。
シンシアさんの手記が気になって気になって。
ラジコよありがとう、って感じです。
で、今回うれしいお知らせが届いて ビックリです。
小林克也ナンバーワンバンドの復活です。 (小林)w
先日 ビルボード東京の先行予約がありまして、無事にチケットゲットできました。
その昔、ザ・ナンバーワンバンドが活躍されている時を知らないんですが。
深町さんや 斉藤まこっちゃんのライブへ行くうちに。
何か変わった曲にヘンテコな歌詞で楽しそうにやっていたことを知り興味が湧きました。
克也さんの喜寿のお祝いも近いということで、復活されるんですね。
そのへんのお話しを、してくださると嬉しいです。
来月楽しみにしていますね。
(小林)ていうことで。
リクエストは、もともと桑田佳祐がベンチャーズ風を書いてくれて演奏したんですよ。
リードギターでね。
で、歌が無かったんですけど。
これ、「せっかく彼が作ったんだから、歌を付けよう」って。
歌詞を、物語を、実話を交えて考えて。
それを桑田君がメッチャクチャに面白く直してくれて、二人で奏ってる曲であります。
「六本木のベンちゃん」
〜 ナンバーワンバンド / 六本木のベンちゃん
@YouTube
BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
@YouTube
□エンディング
(小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたでしょうか?
ねえ、とうとう ジョン・レノンが亡くなってしまいましたね。
いつか来る、いつか来る、と思ってたんだけど。
それから、まだちょっと、その後の・・・
だいたいね、ジョン・レノンが亡くなると、そこら辺でエピソードみたいなものも終わっちゃうんですけども。
最初の奥さん、彼女はとてもあれです、丁寧です。
終わった後のこともちょっと書いていて。
これが、興味深いです。
来週をお楽しみに。
それから、リクエストお待ちしております。
[email protected]
採用になるとイシイのミートボールなどをセットにしております。
さっきもリクエストの時に言っておりましたが。
3月の21日に僕の、小林克也ナンバーワンバンドのアルバムの「鯛 〜最後の晩餐〜」てのが発売になるんですが。
その中からも、来そうだなあw
なんてねw、誘ってんだw いつもありがとうございます
>>346 の方のハガキ?の内容が抜けていますが..? >>350
今聞いてびっくりした。
寂しくなるな・・・ 俺も驚いた
最近あんまり聞けてなかったけど突然すぎるわ
日曜の夕方どうすればいいんだよ
すごくショックです。来月からは自分で録りためた1000回分をアーカイブ放送して慰めるしかないんでしょうか…。
ショックです
放送開始から聴いていたので
自分の半身がもぎ取られたかのよう
寂しい
>>349 すみませんでした。追加します。
>>346
(小林)続いて。
(松戸市/男性)
元気なサー・ポール。
ここ数年のライブで聴けてない曲があります。
それは「Oh! Darling」「I've Got A Felling」「Getting Closer」など
ポール絶叫系の曲です。
これこそがポールの真骨頂で。
これを聴けたら、もういつだってジョンやジョージがいる世界に行ってもいいと思ってるくらいですが。
さすがに、お爺さんにこれを奏れというのは酷なんでしょうか。
ぜひ、聴いてみたい。
キーを落としてもいいから。 (小林)w
いや、ポールのことだから、きっとキーは変えないでしょうね。
(小林)っていうw
なんですか? ポールのライブで聴きたい、ていうことで。
これか? ハイ
Uncle Albert そして Admiral Halsey
これを、お願いします。
〜 Paul McCartney / Uncle Albert - Admiral Halsey
@YouTube
(小林)いや、あの、こういうメドレー。
良いやつがありますよね。
やられちゃいますよね。ホントにw
かけるたびにそんなことを思っちゃうんですけど。 >>350
いやあ、ショックですw
この先どうしたものかと・・・ ■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
2018年3月18日(日)18:00〜19:00 放送内容 DJ:小林克也
BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
@YouTube
□ビートルズカレンダー(3月18日)
・1968年、今から50年前。50年前の今日です。
アメリカで「Lady Madonna」が発売になりました。「Lady Madonna」
ちなみにB面は「The Inner Light」
やっぱ、この組み合わせは、とても渋いです。
この組み合わせはすごい渋いですよね。
これは、実は、レコード会社的に言うと。
EMIのパーロフォンとして最後のシングルになる。
なぜかというと・・・な〜ぜか?
もう、長い間聴いてる人 わかって欲しいと思いますが。
ビートルズがアップルを設立しますね?
アップルから、次からシングルは出るわけです。
ね、だから、その一号はな〜にか? ってw
クイズみたいですがw
「Hey Jude」ですね。「Hey Jude」
そして、アルバムは、ジョージ・ハリスンなんですよ 実は。
ジョージ・ハリスンの、ほんとサイケデリックな映画のサントラが、その一枚目なんですが。
ところで、この「Lady Madonna」てのは
もともとね、ジャズの楽団がヒットさせた曲があって。
それを、それがモチーフになって、ポール・マッカートニーが詩を書いているんですよ。
で、これはやっぱり、この「Lady Madonna」の良さはポール・マッカートニーの詩の力だと思います。
それから、まるで短編の小説を描くみたいに、彼が物語にしてるんですよね。
だから物語にしたりする能力てのは、ジョン・レノンよりポール・マッカートニーは有ったんじゃないか、と思われます。
ちょっと皆さんの範囲で振り返ってみてください。
だいたい、悲しい系の歌はね、ポールがやったやつは話しになってるんですよね。
「♪Wednesday morning〜 」なんても そうじゃないかな?
あれも話しになってますよ。
これもあれです、この曲も本当はラブソングじゃなくて。
「シングルマザーが女手ひとつでがんばっている」ていうね。
そういう世界。 ちなみに、ポールには「Eleanor Rigby」という大傑作があります。
ポールの歌詞がすごかった、ていうことに、ひとつね、ポイントを置いて。
これを、改めて聴いてみたいと思います。
それでは、ウィングズ(Wings)時代も、そして最近もステージは彼が取り上げる。
彼の気に入ってる作品であります。
Lady Madonna
〜 The Beatles / Lady Madonna
@YouTube
(小林)ねえ、短い大傑作みたいな世界を作り上げています。
えーその、ジャズのヒットなんだけど。
歌詞が・・・だから
「レディ・マドンナ 子供もいて どうやって生活していくんだい?
そして 家賃を払う時は どうやって払うんだい?」
ていう。
そういう導入からすると、けっこうハードな世界を描くってことで。
リズムもすごいヘビーな感じですよね。
やっぱり、ここら辺はポール・マッカートニーの才能が、すごい溢れてるっていう感じがあります。 >>354
俺も最初から聴いてた
まあその前の前からあの時間の番組ずっと聴いてたんだけど
確か森川美穂→島村幸男+細川ふみえ→克也さんだったかなあ □ストーリー
・「ジュリアン! ここだ! こっちだ!
やあ、急なフライトで疲れただろう。
ここからは、マンハッタンまですぐ近くだ。
少し寛(くつろ)いでくれ」
言葉の主は、1980年当時のジョンとヨーコのプライベートな秘書として雇われていたフレッド・シーマンという男。
ジュリアンをニューヨークの空港まで迎えに来たのである。
今週もジョンの最初の妻シンシアが遺した貴重な手記の中から。
父親のジョン・レノンが撃たれ、イギリスから駆けつけたジュリアンであったが。
ダコタアパートメントの中に入っても、ヨーコとショーンのいる気配は無かった。
ショーンはベビーシッターが引き取って面倒をみていた。
ヨーコの希望で、ヨーコ自身の口からショーンに話す心の準備が出来るまで。
ショーンには父の死を知らせてはならないように、ということになっていたのだ。
個人秘書だったフレッド・シーマンは、それまでの2年間いつもジョンの傍にいて、ジョンを心から慕っていた。
そんな、すっかり打ちのめされているフレッドが、ジュリアンにこんなことを告げたのである。
「ジュリアン。こんな時になんだが。
ニューヨークでは、ヨーコに絶対に従うようにした方がいいぞ。
ヨーコにとって大事なのは、ショーンだけなんだ。
それだけは、理解しておいてくれ」
フレッドのこの言葉は、ジュリアンにとって大きなショックであった。
途方に暮れた。
次に何をすればいいのか。
どこに行けばいいのか。
考える力さえ残っていなかった。
次の瞬間、ヨーコから呼ばれた。
彼女はびっくりするほど冷静であった。
ヨーコはジュリアンにこう話した。
「荼毘(だび)に臥す前に、ジョンに会いますか?」
ジュリアンはこう答えた。
「やめておきます。
元気だった頃のパパの姿を記憶に残しておきたいので」
「ショーンには、どう話してやったらいいか・・・
私、わからないのよ」
と、ヨーコは言った。
次の日、ショーンを相手に、ヨーコとジュリアンが一緒に席に着いた。
ヨーコはついに、ショーンに事実を伝える決心をしたのである。
〜 John Lennon / Beautiful Boy (Darling Boy)
@YouTube
〜 The Beatles / If I Fell
@YouTube
(小林)曲が2曲つづきましたね。
Beautiful Boy (Darling Boy)
これは「ダブル・ファンタジー(Double Fantasy)」に入っている。
ジョンの一番若い息子ですよね。
に捧げた曲。
そして「A Hard Day's Night」の。
1964年の、ビートルズ初期。
初期だけど、やっぱりちょっと品がありますよね。
ね、上品ですよね。
頭が良い歌ですよね。
If I Fell
2曲お送りしました。 □ストーリー(続き)
・「ショーン。パパはね、亡くなったの。わかる?
もう パパには会えないの」
ヨーコはなるべく顔に表情を出さないようにして、ショーンにそう告げた。
するとショーンは急に泣き出した。
ヨーコの言う意味が判ったのである。
ジュリアンはそんなショーンを抱きしめた。
そしてジュリアンはショーンにこう話した。
「僕たちのパパを撃った犯人はね。
コートに行って裁きを受けるんだよ」
するとまだ5歳のショーンは
「コートって、それテニスコート?
それとも、バスケットのコート?」
と訊くので、ジュリアンは冷静に
「いや、もっと別のコートだよ」
とだけ答えた。
ショーンは、コートとは裁判所だということを知らなかったのだ。
数日たって、ヨーコは声明を出した。
そこには、ショーンがコートという言葉を理解していないこと。
そしてそのショーンがこんな発言をした、と書かれていた。
「もうパパは、神様の一部になったんだね。
僕は、人は死ぬと、それまでよりももっと大きなものになると思う。
全ての一部になるから」
しかし、その声明文の最後には、ヨーコとショーンの名前だけで
ジュリアンの名前は無かった。
ショーンにパパの死を告げた次の日の朝。
ジュリアンはヨーコの部屋に呼ばれた。
「よかったら 触ってごらんなさい」
暖炉の上にある骨壺を指して、ヨーコはそう言った。
ジュリアンは なぜかヨーコの言うとおりに体が動いた。
ジョンの眠っているその小さな壺には、まだ温もりが感じられた。
ヨーコはジュリアンに、気心の知れた人を傍に置くように「友人を呼んだらどうか?」とも言ってくれた。
ジュリアンはヨーコの申し出をありがたく思い、親友のジャスティンに来てもらうことにした。
ジャスティンが到着すると、ヨーコは2人の少年をロングアイランドのコールドスプリングハーバーにある別荘に連れて行かせた。
ダコタに居ては、マスコミやファンに取り囲まれて大変だろうと察知したのである。
数日後、ヨーコとショーンもこの別荘にやって来た。
そんな中、12月14日には、ジョンの冥福を祈って10分間の黙とうが奉げられたのである。
〜 John Lennon & Yoko Ono / (Just Like) Starting Over
@YouTube
〜 John Lennon / Oh My Love
@YouTube
(小林)また2曲、ジョンの作品。
もちろん「ダブル・ファンタジー」に入っています。
有名な、これはシングルとしてカッとされて大ヒットした。
(Just Like)Starting Over という曲ですね。
そして、10年を遡(さかのぼ)る、約10年前の1971年の
「イマジン(Imagine)」のアルバムに入っていました。
Oh My Love
ご存知のとおり「Imagine」の歌詞は書き直されましたね。
ヨーコが実は書いたもので。ヨーコ。
ポールとジョンじゃなくなった、わけですよね、ええw
まあ、だから、ポールはもちろん参加してないけど。
みんなジョンのクレジットだったのが。
これは、今聴いた Oh My Love という曲は。
なんか、そばにオノ・ヨーコがいて、一緒に曲を作ったような感じが、どうもして。
日本的なようなものが、なんか入ってるような感じがしてならないんですが。 □ストーリー(続き)
・「ヨーコがジョンの葬儀を行わなかったのは、混乱が生じることが判っていたから。
10分間の黙とうが 葬儀の代わりになったのです」
これはもちろんジョン・レノンの最初の妻シンシアの発言。
シンシアが遺した手記の中からもう少し。
ヨーコの提案でニューヨークにやって来たジャスティン・クレイトンは
ジュリアンの友人で、音楽仲間でもあった。
彼とジュリアンは、先ずロングアイランドの別荘に連れられて行き。
しばらく経って ダコタに戻った。
その時の様子を、ジャスティンはシンシアに長い手紙で伝えてくれた。
かなり要約するとこんな内容である。
「ニューヨークに居る間、僕とジュリアンは広い部屋に、日本式の白い布団を敷いて寝ていました。
僕はそれまでジョンに会ったことがなかったのに。
不思議と、彼がふと帰って来るのではないかという空気を感じました。
そこはキッチンとリビングがつながった部屋で。
ステレオセットがあり、ほんの数日前までジョンはこれで音楽を聴いていたんだなあ、と思うと不思議な気持ちです。
ショーンは優しくて物静かな子供という印象です。
ヨーコは聡明な女性であり、周りのみんなからはリスペクトされている存在です。
もともと僕は、最初に買ってもらったレコードがビートルズの「アビーロード(Abbey Road)」でしたから。
ジュリアンとの縁も 運命的なものなのかな、と思います。
ジョンが作曲に使っていた部屋にも入れてもらいました。
そこにはビートルズの映像で見たことのあるギターが置いてあって、アップライトピアノもありました。
たまにジュリアンはそのピアノを弾いて歌っていました。
父親の死というものは、ジュリアンにとってあまりに大きな事件だと思いますが。
彼はそれを、ありのまま受け容れようとしているように見えました。
そしてジョンはきっと、ジュリアンとは以前のように、もっと親密な親子関係に戻りたいと願っていたように思えてならないのです。
理由は分りませんが、僕はそう思います。
ニューヨークでの日々は、貴重な体験でした」
ジャスティンからの手紙に、シンシアは心から感謝したい気持ちでいっぱいだった。
〜 The Beatles / Lucy in the Sky with Diamonds
@YouTube
〜 The Beatles / This Boy
@YouTube
(小林)2曲続きましたね。
Lucy in the Sky with Diamonds
お馴染みですね。
「サージェント・ペパー(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」からね。
そしてこの This Boy
実は「I Want To Hold your Hand」のB面なんですけど。
僕なんかは ジョンやポールと同じ世代だから。
これ、1950年代の香りがする。
ちょっと・・・ ちょっとユニークなラブソングですよね。 キロックノンさん、このあとどうするんだよ
人生の張りがひとつなくなるわけじゃんか
□リクエスト
メールは [email protected]
採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。
(小林)一本目。
(千葉市/男性)40代後半
夕飯を食べながら毎週のんびり聴いております。
先日の大雪の日・・・ (小林)だいぶ前ですね。
近所の高校生が 雪道を隊列で歩いている姿を見て。
80年代初期、マッドネス(Madness)が車のコマーシャルに出ていたことを思い出しました。
小学生の間であのムカデ歩き流行ったな。
(小林)w そうなんだw
あれ、音楽的にいうとね。
70年代の中ぐらいから、イギリスでは「ロンドンパンク」の時代になって。
それから、「ニューウェーブ」へと行くのが80年代なんですよね。
その間に、ものすごい短い「ツートーン」ていうレコードのサウンドが圧倒的人気があった時代。
あの音なんですよね。マッドネス。
あの頃の 人気グループです。
In the City
〜 Madness / In the City
@YouTube
〜 George Harrison / Microbes
@YouTube
(小林)ちょっと不思議な音楽が流れておりますが。
これね、ジョージ・ハリスンの Microbes ていう曲なんですが。
(千葉県八千代市/女性)
ジョージの「不思議の壁/ Wonderwall」という。
「Wonderwall Music」というアルバムに出会って。
いろんな世代の いろんな人たちの音楽に関心を抱くようになりました。
もちろんジョンやポールも好きですが。
ジョージの作品が やはり一番好きです。
できたら「不思議の壁」から・・・
(小林)ていうことで。
ちょっとおかけしてるんですが。
今日は時間の関係もあって[千葉県八千代市/女性]さんの・・・
ジョージ・・・・ほら「Wonderwall」ってどういうものかっての。
これを聴いていただくと判りますよ。
全編ね、こういう感じのインド系の音楽が流れるんですよ。
これは、番組の冒頭で言いましたが。
ビートルズがアップルレコードを設立して。
シングル第一号が「Hey Jude」でしょ?
アルバム第一号が、この変なw
変なって言うとおかしいですけどw
これは、実はジョージ・ハリスンの知り合いの監督がね作った映画なんですよ。
それで、知ってますかねえ。
フランスのとても有名なジェーン・バーキンていう女性が女優として出るんですけど。
それを、ジョージ・ハリスンが音楽を担当してるんですよ。
ジョージ・ハリスンはその監督に「俺は 映画の音楽ダメだよ」って言ったら。
「いや、好きなことやっていいから」つんでw 好きなことをやった世界なんですよ。
はっきり言って。
で、ちょっと雰囲気を[千葉県八千代市/女性]さんのリクエストによって聴いていただきまして。
時間の関係で、次行っちゃうけど、いいですか?w (茨城県ひたちなか市/男性)
63になってしまいました。
べリンダ・カーライル(Belinda Carlisle)の曲がラジオから流れてきたんですが。
ギターがジョージだったんですよ。
CD持ってないので、ぜひこれをかけていただきたいと思います。
調べてジョージだということが判りました。
それはべリンダ・カーライルの・・・
(小林)そうなんです。
バックにジョージ・ハリスンのギター。
もう、ジョージだなっての、すぐ判ります。
Leave A Light On
〜 Belinda Carlisle / Leave A Light On
@YouTube
(小林)べリンダ・カーライルの Leave A Light On
まあ、べリンダ・カーライルは
Heaven Is A Place On Earth ていう大ヒットがあるんですが。
その頃の作品で。
ジョージ・ハリスンはね、この頃 あれですよ。
ジョージはオーストラリアとか、家を持っていて。
ロンドンに自宅があったんですが。
それから ロサンゼルスには友達がいっぱいいて。
世界的に活躍していた時期w
ロスの頃に 捕まったんだと思いますよ。 (新宿区/女性)
克也さんの番組で、克也さんの新しいアルバムから聴いた「ナミマニ」
これをお願いします。
私は、ふだんループする音楽は苦手なんですが。
克也さんのこの曲は平気で。
その音は 私の頭の中央に注ぎ込込まれ。
聴きながら あまりのすごさに 笑いがこみあげてきました。
克也さんの頭の中を描いているのでしょうか?
ちょっと、ひと味違う感覚のユーモアとスリリングさがはみ出て面白かった。
(小林)ていう[新宿区/女性]さん。
実は、そうなんですよ。
僕の久しぶりのアルバムの「鯛〜最後の晩餐」ていうのがですね。
3月21日 もうすぐ発売になるんですよ。
で、このところラジオなんかで けっこうかけてもらったりしていて。
それじゃ、まあ、なんていう・・・
説明するとねえ、難しいんですけど。
例えば、桑田佳祐は このアルバムを聴いてくれて。
「音楽の硬派のスタンスが ずっと続いている。音楽の硬派だ」
と言ってくれました。
さあ、それじゃそのアルバムから。
若い子は「ああ、水曜日のカンパネラだ」みたいなね。
いや、そんなことないと思うんですけど、その僕のアルバムから
小林克也とナンバーワンバンドで「ナミマニ」
〜 小林克也とナンバーワンバンド / ナミマニ
BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
@YouTube
□エンディング
(小林)「ビートルズから始まる」
突然ですが。
まあちょっと 悲しいお知らせなんですけど。
この番組、来週で最終回となります。
来週も ひとつよろしくお願いします。
絶対ビートルズから みんな卒業しないようにね。
お願いしますね。 ジョン死去のタイミングで番組も終了なんですね〜
残念です
虫の知らせが来て、最後の最後にリクエスト採用されたんだが
イシイ食品の詰め合わせちゃんと届くかなー?
俺2回ほどもらったよ
賞味期限が近いのが入ってたけどなかなか立派なものだった
番組欄の(終)の文字を見て、なんとも複雑な思いが…。
来週から「ビートルズより始まる」が開始されるとか・・・ないだろうな
さあもうすぐ放送開始だ
>>379さん
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ビートルズは永遠のマンネリ感が良かったのになあ
ただ一時期ゲストが来てたことあったよな。そのアーティストのプロモーション+その人とビートルズみたいな話をしていたような
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
2018年3月25日(日)18:00〜19:00 放送内容 DJ:小林克也
BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
@YouTube
□ビートルズカレンダー(3月25日)
・1964年。
ビートルズが、まあ世界的に始まった年。
54年前の今日。
アメリカのチャートはね、すっごいことになってるんですよね。
まあこれはもうご存知だと思いますが。
1位が1964年の、この前の月になるけど。
1位が「She Loves You」
それから2位が「I Want To Hold your Hand」
3位が「Please Please Me」
上位3位、ベスト3、ビートルズですよ。
で、次の周は「Can't Buy Me Love」が1位です。
上位5曲をビートルズが独占する、という前代未聞の記録を打ち立てています。
この記録はね、ほぼ正確に言うと。
破ったことになるかどうか分らないんですが。
去年、エド・シーラン(Ed Sheeran)の「Divide」という
割り算の「÷」っていうマークのタイトルのアルバムが出た時に。
今は ほら配信でみんな買うじゃないですか、曲を。
だから、アルバムをバラ買いするんですよね。
だから、アルバムを全部買う必要がないから。
一つ一つの曲を 一人一人で買う曲が違ったりするんで。
それを集めると「トップ20に9曲入っていた」っていう。
で、これを期に「こういうのはやめようよ」っていうことで。
イギリスの協会は「カウントを、一人3曲にする」っていうw
「トップ20に入れるのは 一人3曲」みたいなルールが出来たみたいなんですよ。
まあだけど、ビートルズは全部シングルだからねえ。
すごい記録ですよね。 ところで、1位になっている。
ちょうど54年前の今ごろ1位の「Can't Buy Me Love」
これ「Can't Buy Me Love」ってどういうこと?っていう。
「Can't Buy Me」は 主語が略されてるんですよね。
これが「I」が入ってもいいし。
「You」が入っても可能です。
「You」と「Me」っていうのは、ちょっと文法的に違反するっていうこともありますが。
これはよく使うことなんです。
その場合「You」てのは「あなた」とは限らなくて。
まあ、一般的に「人々は」ていうふうな。
「あなた」を含めて、そういうような意味になるんですよ。
そのこと、学校で勉強したことと思いますけど。
だから、この場合は、ポール・マッカートニーは
「俺は 金では 愛は・・・」っていう。
「愛で、金なんかで 自分の心は動いたりはしない」っていう意味なんですよね。
改めてその曲 聴いてみましょうか?
54年前の発売です。
ザ・ビートルズ Can't Buy Me Love
〜 The Beatles / Can't Buy Me Love
@YouTube
(小林)54年前の曲です。
Can't Buy Me Love
お聴きいただいた通りですよね。
もう「君が喜ぶんだったら、誰の指輪でも なんでも買ってあげる」
で、「買ってくれれば あなたが好きになる、とか冗談じゃない。
俺は、金で動くわけじゃない」w
でも「好きだって言うんなら。君が 喜ぶんだったら 買ってあげる」
でも「そのお礼で 愛してもらう。それじゃあ、だめだ」ていうw
わかりますよね? これねw
クドクド説明しなくてもねw □ストーリー
・「ジョンが亡くなって、すぐに一人でニューヨークに渡り。
10日間ほどダコタやロングアイランドの別荘に滞在したジュリアンでしたが。
イギリスに帰る前に、少し辛い出来事があったんです」
こう語るのはジョン・レノンの最初の妻シンシア。
今週もシンシアが遺した貴重な手記から。
ジュリアンがイギリスに帰る前に、ヨーコがジュリアンとショーンに
ジョンのギターをそれぞれ一本づつ形見分けしてくれることになった。
ジュリアンは以前からずっと気になっていた、ジョンの干支である辰にちなんで
パール細工でドラゴンの絵をあしらった黒のヤマハのギターが欲しいとお願いした。
ジュリアンの思い出のギターなのである。
しかし、これをヨーコは拒否し。
「代わりに」と言って、他のギターを2本くれた。
しかし、そのどちらもジュリアンは1度も見たことの無いギターで
ジョンの物だという実感が湧かなかった。
ジュリアンはクリスマスに間に合うようにイギリスに戻って来たが。
その後しばらくは抜け殻のようになり、ほとんど何もしない日々が続いた。
ジュリアンとシンシアにとって、ジョンを亡くしたということは希望を亡くしたことと同じであった。
またいつの日か、ジュリアンは父親ジョンと友達のように仲良くなり。
自分がミュージシャンを目指す上でのアドバイスを受けたりしたかった。
という願いも、叶えられなくなったのである。
ある日、シンシアは自分を奮い立たせて。
以前からの知り合いであるパーカッション奏者=レイ・クーパー(Ray Cooper)にお願いし。
半年間、ロンドンにいるクーパーにお世話になり。
音楽で食べていくための重要な基礎知識を一通り仕込んでもらうことになった。
そしてある日、シンシアの元に戻ったジュリアンがピアノに座って弾き語りをしている光景を見て。
シンシアは思わず 息を飲んだ。
そこには、ジョンの若い頃の姿が、シンシアの目の前で再現されていたからである。
〜 Julian Lennon / Valotte
@YouTube
〜 John Lennon / I'm Stepping Out
@YouTube
(小林)息子、そしてお父さん、音楽が続きましたね。
1984年の Valotte
これは、アルバムはアメリカでは17位まで行きました。
シングルはアメリカで9位ですよね。
で、「Valotte」はなぜそういうふうな名前が付いたか?
ていうのは次のお話しの中で。
そして、Stepping Out
ジョン・レノンの遺作です。
「Milk And Honey」1984年
そのアルバムの中です。
まだもう、やる気満々だった、ていうことわかりますよね。
この曲を聴くと。
Stepping Out、I'm Stepping Out □ストーリー(続き)
・「ジョンを亡くした後、ジュリアンは本気でミュージシャンになることを目指しました。
エルトン・ジョン(Elton John)のバンドのパーカッショニスト=レイ・クーパーの力添えもあって。
ジュリアンはソングライティングの力も付け。
曲もかなり貯まって来たと記憶しています」
これもジョンの最初の妻シンシア・レノンの発言。
シンシアが遺した手記の中から お送りしましょう。
ジュリアンの21歳の誕生日も近くなった1984年の春。
カリスマレコードの社長=トニー・ストラットン・スミス(Tony Stratton-Smith)がアプローチしてきた。
トニーはジュリアンがジョン・レノンの息子だと知らずにデモテープを聴いて。
「アルバム制作の契約を結びたい」と言ってきた。
ジュリアンは飛びあがって喜んだ。
さっそくアルバム制作の準備に向けた手配がなされ。
トニー、ジュリアン、そして親友のジャスティン・クライトン(Justin Clayton)もメンバーになっているレコーディングバンドは
フランスにある古いお城に数週間籠って、リハーサルに入った。
ジュリアンはさらに数曲 新しい曲も書きおろした。
レコーディングスタジオは、アラバマのマッスルショールズと
ジョンも最後のレコーディングで使ったニューヨークのヒット・ファクトリー。
プロデューサーはポール・サイモン(Paul Simon)やビリー・ジョエル(Billy" Joel)などを手がけたフィル・ラモーン(Phil Ramone)。
アルバムのタイトルはリハーサルを行なったお城の名前にちなんで「Valotte」となった。
ジュリアンのこのデビューアルバムは、発売から数ヶ月のうちにアメリカで150万枚を売り上げ。
プラチナアルバムを獲得。
シングル「Too Late for Goodbyes」も、アメリカでヒットしただけでなくイギリスのチャートでも6位にランクイン。
さらに北米ツアーも大成功となり、どの会場も満員御礼状態。
このジュリアンの活動は、ジョンのサクセスストーリーをただ再現している、という単純なものではなかった。
むしろ、ジョンの息子であるジュリアンには ジョン以上の重荷が背負わされているのだ。
まだ21歳の若者にとって、これは大変なことである。
この、ジュリアンのツアーの中でも高い評価を受けた曲がある。
それは、おそらくは父親ジョンに奉げられた「Well I Don't Know」というナンバー。
「死を越えた 次の人生はどんなふうだろう」
そんな疑問を投げかけている曲である。
〜 Julian Lennon / Well I Don't Know
@YouTube
〜 John Lennon / Happy Xmas [War Is Over]
@YouTube
(小林)う〜ん・・・
まあ、最終回の今日だから。
ちょっと、いろいろ感じることが多すぎますよね。
これもね、僕たちの思い出を作ってくれた曲だからね。
Happy Xmas [War Is Over]
「戦争は終わったー」っていう。
クリスマスのソングでもあり。
そういうふうな、なんかね、願いがね込められていた。
ジョンの願いが込められていた、曲だから。
で、Well I Don't Know は
その「Valotte」のアルバムの中から
ジュリアン・レノンでした。 □ストーリー(続き)
・時は過ぎた。
2002年6月7日。
シンシアはカリブのバルバドスで出会った実業家の男性=ノエル・チャールズと結婚した。
「二度と結婚はしない」という自分自身の誓いを破った4度目の、そして人生最後の結婚である。
そのころジュリアンは、パートナーのルーシーと一緒にヨーロッパに暮らしていた。
レストランを共同経営していて、自分で料理も作り。
気分が乗った時には、音楽もやっていた。
2003年にはジュリアンも 40歳になった。
父親のジョンが亡くなった年齢である。
ジュリアンは相変わらず優しい子であり。
旧友を含めたたくさんの友達と、母親シンシア夫妻をカリブ海の島バルバドスで行われる自分の誕生パーティに招待してくれた。
そのパーティは、なんと2週間にも及ぶもの。
豪華そのものであった。
そして、シンシアの周りには 亡くなった者もいた。
リンゴ・スターの最初の妻=モーリーン。
彼女は白血病のため47歳の若さで。
そして、ジョージ・ハリスンがガンで亡くなったことを新聞で知り。
シンシアも胸がふさがった。
まだ58歳である。
ジョージのイメージは、ずっとジョンの弟みたいなものだったが。
同時に、ジョージが精神を重んじることを教えてくれたことに、シンシアはずっと感謝し続けていた。
ビートルズと同じ事務所だったシンガーで、タレンとのシーラ・ブラック(Cilla Black)とはよく会っていた。
シンシアはまた、リバプールに開設されたビートルズ博物館主催のパーティにも出席した。
ここの館長が、シンシアが描いたビートルズの絵をすべて買い取ってくれたのである。
そこに集まったのは、学生時代からの親友=フィルと多くの友人たち。
そしてビートルズになれなかった男=ピート・ベスト。
相変わらずハンサムである。
ジョンがここにいたら、みんなも本人もとても喜んだことだろう。
ポールやミック・ジャガー(Mick Jagger)がナイトの称号を授かったと知ったら、どう思っただろう。
そう、ジョンは昔 ジュリアンにこう言ったことがあった。
「もしも、パパに万が一のことがあったら、白い羽を探してごらん。
そこで、パパがいるってわかるから。
お前を見守りながら、近くにいるんだからね」
そして今から3年前の2015年4月1日。
2年間に及ぶ闘病の末、シンシアは75年の生涯に幕を降ろした。
4人目の夫=ノエル・チャールズと、
世界で一番大切な自慢の息子=ジュリアンに看取られた。
〜 Julian Lennon / In Loving Memory
@YouTube
〜 The Beatles / Free As A Bird
@YouTube
(小林)まあ、ジョンの遺作ともいうべき・・・
ジョンが遺したカセットのデモテープ。
それを、オノ・ヨーコから提供を受けて。
ポールや ジョージや リンゴが集まって。
ELOのジェフ・リン(Jeff Lynne)がプロデュースした。
お馴染みの Free As A Bird
そして、ELOばっかりじゃなくて
テン・シーシー(10CC)の一部だったゴドレイ&クレーム (Godley & Creme)が
この映像を作りましたね。
Free As A Bird
そして、その前は。
亡くなったお母さんに捧げた息子の曲です。
ジュリアンの曲
In Loving Memory □リクエスト
(小林)さあ、「ビートルズから始まる」
今日最後の・・・最後のリクエストですね。
「♪最後〜の」になってしまいますが。
(和歌山県/女性)
初めてお便りします。
実は 私の夫、先日「リクエストが採用されたんだ」と大はしゃぎだったんです。
夫は長距離のトラックドライバーで、ラジオが大好き。
一週間に一度、家に帰って来た時、ラジコのタイムフリーでこの番組を一緒に聴いているんです。
夫のウキウキした様子に接していると、私もなんだかリクエストしてみたくなりました。
夫婦で厚かましいようですが、きれいな曲です。
どうかよろしく。
(小林)これはもう、あれです。
イントロからして、もう・・・
ほんとに記憶に、僕 クリアに残ってますね。
アメリカ(America)というね、イギリスの3人組ですよね。
あの、なんていうのかな、軍属たちの息子さんなんですよ。
なんとなくビートルズと関係あるような感じですよ。
アメリカの Ventura Highway
〜 America / Ventura Highway
@YouTube
(小林)アメリカ。
当時はティーンエイジャーだった、ね。
3人組。
Ventura Highway
お送りしました。
この曲のイントロのギターなんかは
サンプリングされたりして。
なんか、曲 覚えてますよ。
すごい現象になったの。 (小林)さあ、最後の曲の時間がやってまいりました。
まあ自分勝手ではありますが。
3日前に発売になった、「鯛 〜最後の晩餐〜」
僕とナンバーワン・バンドのアルバムの中から1曲。
これで、今までちょっと湿っぽい感じだったんで。
ちょっとw ちょっと陽気な曲を用意いたしました。
もし気に入ったら、レコードショップになんか行かなくていいですよ。
ダウンロードで、お願いしまーすw
これは、大瀧詠一さんの遺した言葉にそって作られたレゲエ音頭です。
LET’S MAKE LOVE
〜 小林克也 & ザ・ナンバーワン・バンド / LET’S MAKE LOVE
@YouTube
BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
@YouTube
□エンディング
(小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?
いろんな切り口から、ビートルズのすごさを、お伝えしてきた番組なんですけども。
終わることになりました。
僕の大好きな言葉があって。
「ビートルズは最大の敵だ」
ていうの大好きなんです。
これは横尾忠則ていう、ビートルズにめっちゃくちゃ影響受けた人間が言う言葉w
なんか、いいじゃないですか。
これビートルズ流のユーモアだと 僕は思うんですけども。
まあ、そんなことを言ってるうちに、ほんと時間が来てしまいました。
来週からは、どうなるか、ちょっと、はっきりしておりませんが。
僕 小林克也が、まあ、残って責任を取るというか。
そういうことで、どういうふうなことになるか、詳細は判っておりません。
ずーっとBAYFMを注目してて いただきたいと思います。
来週も お会いできると思います。
でもみなさん、ビートルズから絶対卒業しないでくださいね。
お相手は小林克也でした。 ジョン・キロックノンさん長い間本当にお疲れさまでした。
また何らかの形でお会いしたいですね。
誰かまとめとPDFにしてzipで上げてくれないかな
旅行先で読みたい
キロックノンさん、ありがとうございました!
■石井食品Presents「ビートルズから始まる」bayfm 78.0MHz
2006年2月19日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー(2月19日)
・1963年
〜キャバーンクラブに出演(二日前から列ができた)
ピート・ベスト最後のステージ
翌日は、ロンドンでBBCテレビ最初の生出演
□ポール・マッカートニー物語 #4
・ジョンのバンド「クォーリーメン」に、ポールが飛び入り演奏した
だが、ジョンはポールの加入に対し、慎重な態度を取る
「考えてみたんだーーポールを入れたらどうなるだろうって。
まず、頭の中に浮かんだのは、彼には控えめにしてもらわなければならないってことだった。(ジョン)」
しかし、結論は出た「ポールを入れよう」
だって誰にも、1957年のポールが飛び入りした
あの夏の日をよみがえらせることはできないからーー
ポールとジョン、この二人に共通点は無かった
ポールは、年上の人に対し、敬意を抱いて接するタイプ
一方のジョンは攻撃的で反抗的で、眼鏡をかけることさえ拒否した
〜The Beatles「Lend Me Your Comb」 (1962 Live at the Star Club in Hamburg)
・ジョンとポールがやってきたことは、ロックンロールへの欲望を満たすことだった
平和な世の中が、この二人を生んだのである
彼らの音楽は、彼らの顔と共に世界に広がっていった
飛び入りしたときに演奏した「I love my little girl」は
ポールが初めて書いた曲だった
「最初のものは、あんまりまずくないように思う
すくなくとも、これが始まりだった
ジョンとくんでから、新しくすばらしいものが出来上がっていったように思う(ポール)」
〜The Beatles「Little Sheila」 (1962 Live at the Star Club in Hamburg)
□リクエスト
・小学校で流れるBGMで接したのが最初でした
ぼくも歌手を目指しています(市川市/男性/25歳)
〜The Beatles「Yellow Submarine」
(小林)ポールやジョンのような声が出せたら合格だね
ジョージみたいならまあまあで、リンゴだったら歌手になれません
・去年12月から番組を録音しています
ずっと前から、夢に向かって進んでいる
中学の同級生Mさんにささげます(市原市/男性)
〜Paul McCartney & Wings「Michelle」 (USライブ)
・「真夜中を突っ走れ」と「ピンボール・ウィザード」が
似てると思うのは、ぼくだけでしょうか?(八千代市/男性)
〜The Who「Pinball Wizard」
・今まで、ビートルズばかり聞いていました
しかし、日本のもよく聴くといい曲があります(千葉市美浜区/男性)
〜レミオロメン「粉雪」
・メンバーの命日や誕生日、ビートルズファンにとって大切な
ビートルズカレンダーを作っています(横浜市/男性)
〜George Harrison「Cloud Nine」
(小林)9という数字には意味が合って
最高に良い気分にいることを「クラウド・ナイン」というんです
サーフィンでも9つ目の波は最高だとか
ジョンが歌った「ナンバーナイン、ナンバーナイン…」とか…
・私が初めて聞いた洋楽の曲です
最近悲惨な事件が多いので、この曲を聴くといろいろ考えさせられます(千葉市花見川区/男性)
〜John Lennon「Imagine」
(小林)ビートルズは昔、反逆的な音楽だったのに
今では、学校で流れたりして、面白いですよね
昔はビートルズを無視した人も、「ああ、すごかったんだなぁ」と思ったりして…
(小林)ビートルズを聴いている中学生とか高校生とかがたくさんいるそうで
うれしいです。でも、ビートルズは元々反骨精神の固まりだった訳で
そういう意味では、ビートルズばかり聴くんじゃなくて、ほかの音楽も聴いてほしいんですよ
アーキテック・モンキーズ、フランツ・フェルディナンドなんかもね
新番組「6時にドットコム」放送開始!!
4月1日(日) 18:00-19:00
放送局:bayfm
スポンサーは石井食品のまま?
あと恒例のホテルでの公開録音ライブ(ただ飯&ただ酒あり)もあるのかな?
ちょっとルール違反ですけど、過去音源に興味あるひといます?
パソコンに取り込み済みのCDが何百枚かあるんですが…。
>>413
初期は番組についての雑談スレだったのかw >>413
なつかしいね、
そういや昔は訳詞コーナーや伊藤銀次さんとか
杉真理さんのコーナーがあったんだよなあ
リクエストコーナーの間にCMがあって、
もっと長い間の時間やってた時期もあったし 新番組、小林克也さんには愛着はあるけど、こんどの番組スタイルを聴いてみて、あの番組はあくまでもビートルズありきということを再認識しました。
難解トラッフじょんじょんじょんじょんじょじょじょじょル
6時にドットコムCM入ってた?
急な打ち切りワケありっぽいね
とりあえずイシイ食品はもう買わない
bayfmの新番組、今はスポンサーがついていないけど、
途中で司法書士法人イストワールとかエイチームが加わったりしてwww
小林克也さんの新番組「6時からドットコム」の中で
ビートルズ絡みのお話しがありましたのでUPします。
■「6時からドットコム」bayfm 78.0MHz
2018年4月01日(日)18:00〜19:00 放送内容 DJ:小林克也
(※ビートルズ関連のみ)
□音楽秘話
・「あなた。今日はどうしたの?」
「どうしたのって。なんでそんなこと訊くの?」
「今日はレコーディングじゃないの?」
「そうだよ。それがどうした」
「じゃ、なぜスタジオに行かないの?」
「今日はそんな雰囲気じゃないんだよ」
「あなた、リーダーじゃないの?
どうしてこんな時間に、のんびりしているの?」
こんな会話が二人の間に続きました。
ジョンはその日、昼ごろ起きてテレビを見ていたのです。
まったくのマイペースです。
ヨーコは そんなジョンを少しプッシュしました。
ジョンはブツブツ言いながら、スタジオへと出かけました。
もう夕方です。
でも、現在 ほとんど彼ら専用となっていたスタジオは開いていませんでした。
守衛が出てきました。
「今日は みなさんお休みですよ。聞いてなかったですか?」
ジョンは答える代りに、すぐ自分の車へと何も言わずに歩いて行きました。
運転手に「ポールの家にやってくれ」と言ったまま、黙り刻っています。
ポールの家に着きました。
門が開いています。
ジョンはズカズカと庭を横切り、家の裏手に回りました。
灯かりが点いたダイニングルームが見えます。
ニューヨークからポールが電話して呼び寄せたリンダとポールが
大きなテーブルで向かい合って座っています。
夕食中なのでしょう。
ジョンは断わりもなく、なにも言わず、庭から入って来ました。
「ジョン! どうしたんだ、ビックリするじゃないか。
いったい、なにごとなんだよ?」
ジョンはいきなり壁に掛かっていた絵を両手で剥ぎ取りました。
この絵は ジョンが芸術を専攻していた時に描き、親友ポールへ贈った絵でした。
ジョンはその絵を 額ごと両手に持ったまま、右脚を上げ、勢いよく押し込みました。
絵は破れたまま、床に転がりました。
ジョンは黙ったまま、そこから立ち去って行きました。
ビートルズの最後の録音となった「アビーロード(Abbey Road)」制作中の出来事です。
〜 竹内まりや / 静かな伝説
@YouTube
(小林)竹内まりや「静かな伝説」が流れています。
(習志野市/男性)50代半
私事ですが、番組「ビートルズから始まる」
リクエスト、合計19回採用していただき。 (小林)w
公開録音も2回行きました。
この番組のおかげで、ビートルズのことが うんと好きになりました。
ビートルズは全世界の誰もが認めるレジェンドです。
そこで、この曲をお願いします。
いつか、この曲をかけていただけることを切に祈ります。
(小林)
もう すぐ かかっちゃいましたけどもw
ご存知のとおり「ビートルズから始まる」、番組は終わってしまいましたが。
小林克也は残っております。
ちょっと装いも新たに、という感じになりますけども。
「6時からドットコム」
まあ「ビートルズから始まる」番組が終わっても。
この「ビートルズから始まる」という精神は続いている。
そのように感じていただきたいと、思います。
よろしくお願いします。 結局石井食品が下りたからビートルは終わったのかなあ
新番組はなんとなく聞いてる分にはいいと思うので聴けるときは聴くよ
>>415
私は興味あります
今年に入って毎週録音してアーカイブ化を始めた矢先終了になったので 番組を最初っからエアチェックしていた人っているのかな
■「6時からドットコム」bayfm 78.0MHz
2018年4月08日(日)18:00〜19:00 放送内容 DJ:小林克也
(※ビートルズ関連のみ)
□音楽秘話
・パナマウント系列の音楽出版社から有名な作曲家バート・バカラック(Burt Bacharach)に電話がありました。
『映画「アルフィー(Alfie)」の宣伝のため新曲を作ってくれ』という依頼です。
映画のあらすじは
大俳優マイケル・ケイン(Michael Caine)扮する女たらしアルフィーが、
とうとうある女に惚れてしまい、追っかけるのだが、フラれてしまう、という内容。
バカラックはOKします。
「今、私の曲をほとんど歌って大スターになっているディオンヌ・ワーウィック(Dionne Warwick)に歌わせたいんだけど、いいかい?」
「いえ。イギリスの会社が作ったものなんで、イギリスの有名な女性シーラ・ブラック(Cilla Black)に歌わせたいんですが」
「じゃあ、連絡してみてくれ」
シーラ・ブラックはビートルズの事務所に所属しています。
バカラックからの依頼の手紙を持って、ビートルズのマネージャー=ブライアン・エプスタインに相談しました。
「バカラックといえば世界1、2の作曲家だよ。あんたの得になると思うから、この仕事やりなさいよ」
「でもなぜ私が、女たらしアルフィーの歌を歌わなきゃいけないの?」
「じゃあ、自分で断わるか、なんとかしなさいよ」
シーラ・ブラックはやりたくない仕事なので、条件を付けました。
「ロンドンで録音するのだったらOK」
するとどうでしょう、すぐさま「OK」の返事がきました。
弱ったシーラ・ブラックは、さらに
「バカラック本人がアレンジしてくれるんだったらOKです」
これは無理だろうと思っていたら、これもOK。
どうしてもやりたくないシーラは、今度は
「バカラック本人がロンドンに来て、ピアノを弾いてくれたらやります」
と返事。
すると、これもOK。
シーラ・ブラックはとうとう逃げられなくなりました。
ビートルズのアビーロード・スタジオ。
48人編成のオーケストラをバックに、バート・バカラックがピアノに座っています。
プロデューサーは当然、ビートルズでお馴染みのジョージ・マーティン。
歌の録音が始まります。
テイク1、テイク2。
「ノッて来たね。いいねえ」
と笑いながら、バカラックはなかなかOKをくれません。
シーラ・ブラックはだんだん疲れて来ています。
でも、バカラックは「もう少しなんだよ」と言いながら。
「じゃあ、テイク28]
同じ歌をもう27回歌ったのです。
また歌おうとした所に、プロデューサーのジョージ・マーティンから「待った」がかかります。
「バカラックさん。シーラはもう疲れていて、これ以上良くはなりませんよ。
ちょっと前のテイクに程よいのがあったと思うんです。ちょっと、聴いてみませんか?」
結局、その27テイクを聴き直し、いろいろなOKのパートを編集して作ったのが、この曲です。
もちろん、イギリスではナンバーワンになりました。
〜 Cilla Black / Alfie
@YouTube
(小林)
シーラ・ブラック Alfie
48人編成がバックを務めてて、ねえw
すごい多かったんだねえw
この、録音は。
ちなみに、バカラックにはヒット曲はいっぱいあるけど。
このちょっと地味目の曲が、けっこう彼のトップ5に入るそうです。
もちろん、愛弟子みたいなディオンヌ・ワーウィックが歌ったやつは
もう、これよりも なにか魂が入ってるような気がするんですが。
(小林)リクエストはねえ。えーと、ちょっと待ってください。
(住所不明/女性)
最近発売されたミュージックライフ「ジョンとヨーコのバラード」の本を買って読みました。
1400円じゃあ、どっかでもう分ってるから、なんて思ってたヨーコさんのこと。
同じ日本人でありながら、ビートルズ、ジョンを尊敬しつつも、ヨーコをどこかでバカにしていた自分てのがあって。
いや、ひょっとしたら、ジョンのことさえ 小さく心の奥底では「面白いやつだ」とバカにしているんじゃないか。
「世の中を平和に」と声高に口に出す人はそう思われる。
だとしても、平和な世の中、信じてます、自分。
(小林)ていう。
リクエストは、その誌面にあって気になった、っていうことで。
いやあ、なんか心の中を正直に言ってくれて、本当にありがとう。 □
・川にボートが浮かんでる
そこに君がいるんだよ
みかんの木がいっぱいあって
空はマーマレード色
誰かが君を呼んでいる
君はスローモーションで振り返る
なんと万華鏡の目をした女の子がそこにいる
黄色と緑のセロファンの花たちが
君を見下ろすように咲いている
君は目に陽の光りを湛えたさっきの女の子をさがす
その子はもう消えてしまっている
君はその子を追っかけて泉にかかった橋を渡る
そこでは体が馬の人たちがマシュマロパイを食べている
花の中へと去って行く君に
みんなが微笑んでいるよ
その花々は空高く伸びている
新聞紙のタクシーが君を乗せて行こうと岸で待っている
後部座席に乗ってみると
君の頭あたりは雲が漂っている
君もいなくなる
駅に汽車が停まっている
粘土のポーターたちが眼鏡付きのネクタイをして立っている
突然 誰かが改札口へ現れる
あ、万華鏡の目の女の子だ
ルーシーは お星さまたちと一緒に空を飛んでいる
ルーシーは あのダイヤモンドのお星さまと一緒に空を飛んでいる
〜 The Beatles / Lucy In The Sky With Diamonds
@YouTube
(小林)
どうですか? ビートルズの・・・
つまり、ジョン・レノンの Lucy In The Sky With Diamonds
ええ、とうとう和訳詩を紹介して曲を聴きましたけどw
どうですか? 改めてね。
「ビートルズから始まる」でずっと、やっていた世界の延長のようなものですけど。
ジョン・レノンは、これは、傑作だと思いませんか?
あのね、サイケデリックな時代なんだよね。1967年。
で、サイケだと、もう何でもありみたいな感じなんだけど。
もう これの後はみんな、サイケが ちょっと「もうやっても無駄だ」
みたいな感じになるんですよね。
だから、サイケデリックの時代てのは、すごい短いんですよ。
で、僕はびっくりするのはね。
「サージェント・ペパー(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」の録音を開始するわけね。
その時に「Strawberry Fields Forever」は「サージェント・ペパー」の中に入れようとしてたんだからね。
で、アメリカのレコード会社がせっついたもんだから「ああ、いいよ。これあげるよ」つんで
あげちゃったもんで、「サージェント」の中に入らなかったんだけど。
もし、入っていたら、あのアルバムはどうなるんだw みたいな感じですよね。 (小林)
さあ、これは、また・・・ えーと、あ、ちょっと
リクエスト紹介するの 忘れてた。
(千葉市/男性)50代
克也さんの番組を聴くことが生きがいです。
ビートルズのファンですから。
あの番組が終わるのは かなりショックです。
もう何十年と、毎日ビートルズ聴いてきました。 (小林)w
Lucy In The Sky With Diamonds
必ず聴いてきました。
歌詞の意味は まだちょっと理解していない。
(小林)
理解しなくてもいいですよw
あんなもんですから。
■「6時からドットコム」bayfm 78.0MHz
2018年4月15日(日)18:00〜19:00 放送内容 DJ:小林克也
(※ビートルズ関連のみ)
□音楽秘話
・1964年9月8日。
最初のアメリカツアー。
カナダのモントリオールからマイアミへ 飛行機で移動中。
ジョン、ジョージ、リンゴ の3人がクッションの取り合いでふざけ合っていた。
突然機内アナウンスが響き渡った。
「お客様。スタッフの皆様、緊急事態です。
この飛行機は今 エンジントラブルを発生しました。
急降下が始まっています。墜落の可能性があります。
至急シートベルトをお締め下さい。
みなさん、身構えておいてください」
機内はシーンとなった
3人の顔が恐怖で引きつっている。
と、ポールがこっちへ歩いて来るのが見えた。
トイレから出て来たのか、彼はニコニコ笑っている。
すぐにジョンが気が付いた。
「ポール! お前だったのかあ!w」
ジョンが大笑い。
リンゴもジョージも わけが分からず笑った。
ポールがアメリカ英語で声色を使って、みんなをアナウンスで騙したのだ。
4人はとにかく飛行機嫌いだった。
ビートルズというグループ名も、
ジョンたちが崇拝するバディ・ホリー(Buddy Holly)の「クリケッツ(The Crickets)=コオロギ」からヒントをもらっている。
スペルは違うが「ビートルズ(Beatles)」も「カブトムシ」だ。
そのバディ・ホリーは若くして飛行機事故で亡くなっている。
ポールがアナウンスで3人を怖がらせた その半年前。
ビートルズは生れて初めてニューヨークへ到着した。
エド・サリバン・ショーに出たあと、ワシントンへ向う日が大吹雪だった。
4人は大吹雪の中の飛行機事故で亡くなったバディ・ホリーを思い出した。
その恐怖もあり、4人は飛行機に乗ることを固く断わり。
特別に寝台車を最後尾に付けてもらって、汽車移動を選んでいる。
とにかく4人は飛行機が大嫌いだ。
翌1965年 8月22日。
ポートランド到着寸前。
ジェットエンジンの一つが火を噴いたことがあった。
乗員たちはあわてふためき、全員非常ドアで震えていた。
幸運にも機体に火が回る寸前に着陸することができ、4人は命拾いした。
しかし、この時「落ちる!」と悲鳴を上げ取り乱し、神に祈ったのは
注射器を見ただけでも怖気づくという、臆病なジョージ・ハリスンであった。
このジョージは、1967年にも可哀そうな体験をしている。
サンフランシスコでヒッピーたちを見に行った帰り、小型飛行機のエンジンが停まってしまった。
計器版が点灯し、赤い「キケン」の文字が点滅し始めた。
全員大パニック。
ジョージが祈り始めた。
祈りが通じたのか、奇跡なのか、再びエンジンが動き始めた。
全員が胸をなで下ろした。
ただ、ジョージが祈ったのは キリストではなかった。
ハレ・クリシュナだった。
〜 The Beatles / Here Comes The Sun
@YouTube
(小林)
ビートルズ Here Comes The Sun
もちろんジョージ・ハリスンの曲で
ジョージ・ハリスンのリードボーカル。
(調布市/男性)
聴きたいです、 Here Comes The Sun
まだ、ビートルズの番組終了を引きずってます。
新しい番組でこの曲を聴いて、新しい発見をしたいと思います。
(小林)
まあw ジョージ・ハリスンが一番ちょっと臆病だったw
でも、一番優しい人でね。
花だとか植物が好きで。
庭のデザインなんかをね、亡くなった時はしていた、という話しは有名です。 □(朗読)
女よ
僕には到底うまく伝えることができない
僕の至らなさ
この入り混じった僕の気持ち
僕は永遠に君には頭が上がらない
女よ
僕の心の中の感謝する気持ちを上手く伝えるには
どうすればいいのか
君が僕の成功を作り出してくれたんだよ
女よ
君にはわかっているはずだ
この男の中にいる小さな子供
僕のすべては君のその手の中
だから僕を優しく
その君の心の中に包んでおくれ
どんなに僕が遠く離れていても
僕を離さないでおくれ
二人の定めはあの星たちが知っているんだから
女よ
僕は絶対 君を苦しめたり 悲しませたりはしない
だからいつも いつまでも 何回も 何回も 言い続けたいんだ
君を愛してるって
女よ
君を愛してる
〜 John Lennon / Women
@YouTube
(小林)ジョン・レノンの Women が流れました。
ああいう内容なんですよw
ねえもう、「ほんとに頭が上がらないよ」ってw
これはあれだねw
オノ・ヨーコさんが書かせたのかね? この曲を。
どうなのかね?
ちょっと、そういうところは、僕は本当に知りたいんですけどね。
やっぱり「イマジン(Imagine)」の時は、やっぱり・・・
オノ・ヨーコさんに訊いたんですよ。
「あなたが作ったんじゃないですか?」って。
「いえ、私は 彼が作曲をしている時、隣に座っていただけです」
言いましたけど。
もう、今はね 彼女が作ったってことが、もう公(おおやけ)になってますからね。
(町田市/男性)
傘寿(さんじゅ)目指して頑張れ。
喜寿(きじゅ)じあのDJ。
(小林)wていう
サンジュって三十歳じゃないからねw
八十だからねw
ありがとうございます。
いつもリクエストくれる(町田市/男性)さんが
リクエストくれました。 ■「6時からドットコム」bayfm 78.0MHz
2018年4月22日(日)18:00〜19:00 放送内容 DJ:小林克也
(※ビートルズ関連のみ)
□リクエスト
(不明/男性)
克也さん、スネークマンショーの時からファンです。
この曲、カミさんが大好きで。
新婚旅行で あの横断歩道へ行ったんです。 (小林)ビートルズのね。
今聴いてますので、ぜひお願いします。
(小林)じゃあ、かけます!
〜 The Beatles / Come Together
@YouTube
(小林)Come Together が流れてます。
(浦安市/男性)
Come Together カッコイイ。
何回聴いても カッコイイ。
恋に恋するなんて 学生時代の特権だと思ってました。
しかし、いろいろと何周も回った年代となり。
今は ただ愛が欲しいです。 □(朗読)
来る日も 来る日も
あの丘の上に
男がじっと動かないで座っている
顔に愚かな薄笑いを浮かべたまま
その男の事など誰も構わない
彼が愚か者であることは一目瞭然だし
彼は答えてもくれないから
しかし その丘の上のバカな男は
太陽が沈むのを見ている
彼の頭の2つの目は
世界が回って行くのを じっと見ている
彼の頭は 空の雲の上にあり
千の声を持ち
乱れない大きな声で しゃべり続けている
しかし 誰もその声を聞こうとしない
その男が発している声なのに
彼も 人が聞こうと聞くまいと
まったく無頓着
誰も彼のことを 好きでもないようだ
彼の望みは 周りのみんなに伝わっているけど
でも 彼は喜びも悲しみも現わさない
しかし その丘の上のバカな男は
太陽が沈むのを見ている
彼の頭の2つの目は
世界が回って行くのを じっと見ている
〜 Sergio Mendes & Brasil 66 / Fool On The Hill
@YouTube
(小林)セルジオ・メンデスとブラジル66
Fool On The Hill
もちろんこれは、ポール・マッカートニーの曲のカバーです。
ビートルズのね。
リクエストが(鳥取県倉吉市/男性)さん。
やっぱり、「ビートルズから始まる」時代のリクエストを採用したんですけども。
曲の内容をお送りしました。
やっぱり、ポール・マッカートニーの才能はすごいですよね。
ジョンと比べると・・・
ポールは例えばね、「Eleanor Rigby」という大傑作があるんですよ。
これも共通してるのは、文学的な才能がポールにはあるっていうことですよねw
面白いですよね。 ■「6時からドットコム」bayfm 78.0MHz
2018年5月20日(日)18:00〜19:00 放送内容 DJ:小林克也
(※ビートルズ関連のみ)
(習志野市/男性)50代
約40年前、高校の時 ビートルズに目覚めたのを切っ掛けに。
これまでも、ジャンルを問わず幅広く音楽に接して来ました。
そして「ビートルズから始まる」が終わり。
改めて自分自身に気付いたこと。
それは、私にとって音楽とは まさしく「ビートルズから始まる」だったということです。
そこで今回、ビートルズの中でも超がつくほどスタンダードな曲をリクエストしたくなりました。
「Yesterday」です。 (小林)w
心して聴かせていただきます。
(小林)改めて、[習志野市/男性]さんは50代。
まあ、50代っていうと 固まったって思うじゃない?
固まってないと思うんだよね。
僕は「ビートルズから始まる」っていう番組を担当したけど。
「ビートルズから始まる」っていう世代もあるわけですよ。
だけど、これがまあビートルズの偉さを消そうとするんじゃないよ。
ビートルズから始まったんじゃない、ていう。
もうずーっと昔からw ずーっと続いてるんだっていうことが判るようになって欲しいと思いますが。
では、それじゃあ[習志野市/男性]さん。
耳の穴をかっぽじってよく聴いてください。
〜 The Beatles / Yesterday
@YouTube
(小林)改めて聴く、ビートルズの Yesterday はどうですか?
今日の佐野元春は、そうですよね。
「♪サンデイ〜」てのが頭の中で響き始めてから一年半ぐらいでしょうかねえ。
それくらい経って完成したわけですよね。
ポール・マッカートニーの場合は、ある朝起きたら この曲がメロディが出来てた。
それで、やっぱり一年半ぐらいw かかるんですよw この人は 録音するのに。
それはほら、確かめる。
自分が書いたんじゃない?・・・
自分が書いた・・・夢の中で出来たって言ってますからね。
不思議ですよね。
で、それは、ちゃんとオリジナルなんだってことを確かめて、出したみたいですからね。 ■「6時からドットコム」bayfm 78.0MHz
2018年5月27日(日)18:00〜19:00 放送内容 DJ:小林克也
(※ビートルズ関連のみ)
-----------------------------
□リクエスト
(横浜市/男性)博多出身/57歳
4月から番組内容変更に合わせたかのように私も大阪転勤になり。
現在 単身赴任中の身ですが。
ラジコのおかげで毎週欠かさずに聴けています。
ビートルズ以外にもリクエストの幅が広くなったことで。
私が中学時代に音楽に興味を持った切っ掛けをもらって
ギターを初めて手にした頃のことを改めて思い出しました。
切っ掛けとは、日本のビートルズフォロワーとして知られる
同郷の出身のグループ=チューリップであります。
今日は、曲調から歌詞まで、ビートルズの「The Long And Winding Road」への
リスペクトが籠っていると思われる曲をリクエストします。
(小林)ああ、そうかぁ。
青春の影。
〜 チューリップ / 青春の影
@YouTube
■「6時からドットコム」bayfm 78.0MHz
2018年6月03日(日)18:00〜19:00 放送内容 DJ:小林克也
(※ビートルズ関連のみ)
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□(朗読)
ああ! なんと哀れな人たち
ああ! なんて孤独な人たち
この人たちは どんな人間なんだろうか
彼女は教会で米を拾っている
結婚式で撒かれ 床に散らかった米粒を
彼女のこの現実は夢でしかない
窓辺で人を待つ
その顔は 彼女がドアの傍の壺の中に託し
人に絶対に見せない顔
彼女はその顔で 誰を待っているのか
マッケンジー神父は 説教のための原稿を書いている
そんな説教 誰も聞きに来ないのに
誰も 神父に近寄らないのに
おや?
神父は自分の靴下の穴をかがっている
誰も見ていない夜
なんでそんなこと気にするの?
ああ なんと哀れな人たち
なんと孤独な人たちよ
この人たちは どんな人間なんだろうか
彼女は教会の中で死を迎えた
そして埋葬された
式には誰も来なかった
作業を終えたマッケンジー神父は
手に着いた泥をぬぐい
墓から立ち去って行く
彼女の魂も救われなかったのか
ああ なんと哀れな人たち
なんと孤独な人たち
この人たちは どんな人間なんだろうか
〜 The Beatles / Eleanor Rigby
@YouTube
(小林)いやあ、ビートルズの Eleanor Rigby が流れましたよ。
これはね、人によってはビートルズの最高傑作と言う人がいますよね。
ポール・マッカートニーの才能は・・・
だから、ジョン・レノンになかった才能を発揮した曲ですよね。
とても、悲しい・・・
こんな曲はジョン・レノンは書かないね。
あともう一つ、ほら「You Never Give Me Your Money」ての。
これもねえ、ものすごい傑作だと思うんですが。
リクエストは・・・
(熊本市/男性)
「ビートルズから始まる」が終わって。
シンシアのこと、ミミ伯母さんのこと、ふと思い出したりして。
やっぱり、たまにはビートルズの物語を克也さんの口から聞きたい。
(小林)
ということで、お送りしました。