1名無し名人2018/08/07(火) 14:14:18.32
1998(平成10)年8月8日、村山聖は29歳の若さでこの世を去った。
20年前の将棋界を思い出してみませんか。
1998年度のタイトル保持者の動き
竜王 谷川浩司→藤井 猛
名人 谷川浩司→佐藤康光
王位 羽生善治→羽生善治
王座 羽生善治→羽生善治
棋王 羽生善治→羽生善治
王将 羽生善治→羽生善治
棋聖 屋敷伸之→郷田真隆
訃報を聞いて誰よりも早く自宅に駆け付けた羽生さん、素直にすごいと思う。なかなかできることではない。
もし生きてたら、羽生のタイトル100期(99期)はなかった。
ある意味羽生世代の象徴。早逝したことで伝説になった
>>8
羽生「自分に対する屈折した感情を抱いている彼が、鬱で弱ってる姿を自分に見せたいと思うだろうか?」ってとこじゃね。
自分は見舞いに行くべき人間ではない、と判断したんだろう。 .>>8
先ちゃん生きてますから。逝去してたら真っ先に駆けつけたかもしれないでしょ。
残念なのは将棋界の明るい未来が見えないということだな。2017年度で将棋界の
ドラマは完結してしまったかのようだ。 20年経って佐藤康光は将棋連盟の会長になり森内俊之は理事になり羽生善治は国民栄誉賞を受賞
上の世代の中原米長谷川にメチャクチャ分が悪かったけど
同世代の羽生森内には強かったね
あ、今日じゃなくて明日で20年なのね
明日になったらまた森信先生がブログで色々綴るのかな
>>8
そんな羽生と先崎が共著で村山ベストバウト集出してたね… 村山聖の死後、ノンフィクションや漫画、テレビドラマ、映画が作られ
故郷の広島・府中町では「村山聖杯将棋怪童戦」が毎年開催されている
早世は残念だけど、これほど多くの人に支持された将棋人生は幸せだったと言えるのでは
先程「聖の青春」を読み終えてタイムリーだったので記念書き込み
本人は自分の生きた痕跡を消したがっていたそうだが
伝説となった現状をどんな想いで見下ろしているのだろうか
今29歳ぐらいの棋士と言うと
天彦や太地が30歳、糸谷や稲葉が29歳、豊島28歳か
村山聖は確かA級のまま死んだっけ
この人のもし病気ではなかったら、の想像は本当に悩ましい。
名人になってた、かそもそも将棋やっとらんかったのかも、
と両極端になってしまう。
「目の前の一局に全力を」は病気も同じ
将棋というゲームは頭の良さを争うゲームではなく、心の強さ、精神力の強さを競うゲームなのです(プロの場合)。負けそう、負けるかもと言った感情は戦いのじゃまなのです。
この世界は体が弱いとか年齢がどうとか関係ありません。目の前の一局と全力をつくし負ければ次の一局に全力を注ぐ。この病気もそういうところがあるように思います。
なぜこんな病気になってしまったのか、自分は運が悪いと言った感情は体にも心にもよくありません。もっともっと体に障害がある人は苦しい思いをしているはずです。
人間は常に主観的で、自分自身の痛みでしか他人の痛みを理解できません。ですから体に障害があったり重い病気の人の気持ちを真に理解することはありません。哀れみも同情もありません。常に対等という意識です。
健常者よりたくさんの経験を
ネフローゼということを短所と思うよりも長所と思い、人と違った人生、変わったおもしろい人生が歩める位の気持ちが大切だと思います。私自身も修業時代、もし健康だったらと思う事はありましたが、ない物ねだりをしてもしかたがありません。
もしも健康のままだったら健全な体を感謝する事なく生きていたでしょうし、身体障害者の事も遠い異国の人のように感じ、接する事なく終わっていたでしょう。
私にとってこの病気は体の一部になりました。もう何十年も走っていません。もう走る事はないでしょう。しかし力いっぱい走る体験より、もっともっとたくさんの体験をこの病気はくれたように思います。
あ、20年前は無冠で村山君以下ですた。
あ、21世紀確変中年
>>11
羽生オタにはそう見えるのか
群雄割拠八大タイトルが別れて若手の勢い増してスゲー楽しみが増えたけどねえ 2018/8/8東京新聞 平成のことば
もしも辛く悲しい事があっても、ひたすら耐え、反撃の機会を待つ。
将棋棋士 村山聖九段
>>1
20年前タイトルこんな動きだったのか
興味深い
年下で永世名人のウティがフリクラって聞いたら怒り出しそうだな
やまちゃんもはよA級に上がらんと枕元で説教されそう 村山が生きてたらというか死んでなかったら山ちゃんはすくすくと天才少年のまま育ってタイトルとってたと思う
森 信雄
@morinobu52
8月8日の今日は村山聖九段の亡くなった日で、夏真っ盛りだったのだ‥その後の自分がどう生きてきたのか、村山聖ににらまれそうだが?ついつい振り返るが心許ない歳月の積み重ねである。
村山君が生きていたら引退した二人で北海道に行きたかったなあ‥ 夏盛り 過ぎても切ない 八月八日
午前11:07 · 2018年8月8日
>>34
名人になって早く引退したいと語っていた
長く生きられないと分かっていたから >>1
村山の亡くなった年に村山と同じ世代でタイトル独占か
なんだかドラマだね >>32
そうだね
厳しい兄弟子に近くでズバズバ言われながらA級八段もっと早く行けてた気がする >>19
今で言うと稲葉や棋聖獲る前の豊島が亡くなったみたいな感じか
それは惜しまれるわ 奨励会入りしてから2年11ヶ月で17歳プロデビュー
終盤に強い
タイトル射程圏内だよね?
>>37
村山が山崎本人には弱いって言い続けて
周囲には山崎くんはA級八段の器だっていってたのはほんとに愛情を感じるわ >>39
二十代でA級入りして、タイトル戦にも一度でてるしな
取ってても全然おかしくない 命日に行われたA級羽生深浦戦、終盤でのギリギリの大逆転劇、村山くんが降りてきて羽生に勝たせてやったかのようだ、すごいドラマを見せてもらったよ
もしも辛く悲しい事があっても、ひたすら耐え、反撃の機会を待つ。
将棋棋士 村山聖九段
今日のA級順位戦の羽生はこんな感じだった
ソフトが強くなった時生きていたら
逃げずに立ち向かったであろう唯一の棋士
「ソフトに支配される時代なんてまっぴらごめんです」
丸山より遥かにこの名言が似合う棋士
>>50
ヒジリ君はあだな
郷田の追悼文にも出てくる >>54
そうだったんか。
ニワカなもんでシランカッタ
ありがとう。 同年齢の塚田九段以下の実績の人、早世で2階級上の棋士に扱われる
東京に移籍してからは先崎と気があって、東京での青春を謳歌した
持病にさわると知りながらも棋士仲間で酒を飲んだ
現会長モテの新車にゲロ吐いた逸話は映画でも取り上げられたw
亡くなる寸前は日本が初めてサッカーワールドカップに出場したワールドカップフランス大会を一日中テレビで見て楽しんでいたそうです
今頃は天国でのんびりしてるだろうか
それとももう転生して何処かでプロ棋士への道を目指しているだろうか
藤井は村山が生まれ変わって羽生に会いに来たって羽生オタが気持ち悪い妄想してた
そうかー
村山君が亡くなった時、聡太はまだ生まれてないのか
>>63
村山聖が没した1998年に生まれた棋士は斎藤アスト
女流は竹俣紅、塚田えりか >>65
なぜ明日斗を生まれ変わりといってやらないw 村山聖の存在はマンガで知ったけど
羽生善治のライバルとまで言われてた棋士なのに養護学校に行ってたと知ってビックリした
マンガだから大袈裟に描いてるのかと思ったら小説にも養護学級に在籍してたって書いてあるし
>>67
養護って言っても知的障害系と身体障害系とあるからね
村山先生はネフローゼって言う重度の内臓疾患があったから養護学校に行ってたみたい 大阪きてからは普通の中学校だし知的に問題あるわけじゃないよ
ただ重度の内臓疾患があるから医療系の配慮ができる環境のほうがいいよね
>>69
中学校は最初は普通学級に在籍してたと思うけど
大阪に出たときの中学校は師匠の計らいで養護学級に行ってたし
その後広島に帰った後も養護学級に在籍してたみたい
ここら辺の事情は小説に書いてあるけど ネフローゼは腎臓の重病。
顔がまん丸だったのも、ネフローゼの影響。
あの病気じゃ普通学級は体にさわりそうだしね
養護学校で良かったと思うよ
ただここみたいに養護学校=障害みたいなおっさんいっぱいいるから
大変だったろうな
元女流の石橋さんも虚弱体質で養護学校出身だし、お隣の囲碁には車椅子の棋士もいる
障害にも身体・知的・精神(あるいはそれらの複合)があることは常識といってもいいかと
知的障害の棋士はいないと思うけど、学習障害の棋士はいてもおかしくないよね
漢字ほとんど知らなかった坂田三吉とか、今なら何らかの病名がつきそう
>>73
こいつは自分が非常に問題あること言ってるってわかってんのかな >>70
ごめんありがと
広島時代とごっちゃになってたわ >>73
坂田はたんに教育がないからだろ、あの時代ならめずらしくない
義務教育がまだない時代の人
もっとも巷間いわれる話は誇張が過ぎていて実際はもうちょっと読めたという話もある >>66
おれが村山だったらアストより紅に生まれ変わりたい 村山聖 没年月日1998年8月8日(29歳没)
斎藤明日斗 1998年7月17日生まれ
竹俣紅 1998年6月27日生まれ
塚田恵梨花 1998年8月27日生まれ
生まれ変わりの可能性があるとしたら塚田娘
>>72
小学生の時、腎炎になって長期入院
病院に院内学級があったんで、養護学校(今で言う所の特別支援学校)に転校して院内学級に通ったんだが、
それでもかなり言われたよ
村山はこんなもんじゃなかったろうな…(´・ω・`) >>76
読めたかどうかとは別の話になるけど自分の名前は書けなかったらしい
いまだに「阪田」か「坂田」がはっきりしてないのはそのせいだとか
戸籍上は阪田だから将棋連盟は基本阪田表記してる >>81
村山の小学校時代の養護学校も院内学級だと思った
それすらもなかなか出られないでベッドで絶対安静な毎日 >>83
最初は広島市民病院の院内学級にいたけど
キチンと看護する体制が不十分だからってことで療養所に転院してる
転院先の学校の正式名称は広島県立原養護学校(国立療養所原病院の敷地内)って言うんだけど
聖の青春では「国立原療養学校」という表記になってる 村山が亡くなったころツカポンは子供が生まれるってんで浮かれてたんだな
自分の中学の同級生のやんちゃ男が、やんちゃのはてに脚を複雑骨折して
三ヶ月以上の入院になることが決定し
当時は欠席日数が高校受験に影響してたこともあって
入院した病院に出張授業に来てる養護学校に三ヶ月間学籍移してた
退院後は松葉杖つきながら元の中学に戻り公立高校へ進学
養護学校てのはいろいろと幅広い
病弱児向けの特別支援学校(養護学校)の認知度が低いんだろう
仕方ないんだけどさ(´・ω・`)
今はそうてもないけどおっさん世代は偏見あるだろうね
未だに差別用語使う粘着わくし
支援級にしたのは学区外だけど通学に便利な学校に行くためだったはず
今さらこういうこと言うと怒られるかもしれないけど、
酒と麻雀やってなかったらと思う。
寿命的にもタイトル的にも。
好きなことも絶ったら、もっと早死にしたんじゃないか?
飲みすぎて倒れたとかもあったらしいから
臓器に悪影響があったと思うんだ。
>>87
五体満足で生まれてくれとハラハラし通しだったかもしれない