◎正当な理由による書き込みの削除について: 生島英之とみられる方へ:
石勒 P35YouTube動画>2本
動画、画像抽出 ||
この掲示板へ
類似スレ
掲示板一覧 人気スレ 動画人気順
このスレへの固定リンク: http://5chb.net/r/chinahero/1170481953/
ヒント:5chスレのurlに http://xxxx.5chb.net/xxxx のようにbを入れるだけでここでスレ保存、閲覧できます。
五胡十六国時代の最大の英雄。文盲の後趙の創設者。
奴隷から盗賊、盗賊から皇帝になった男
石勒(274〜333)
字は世龍。後趙の初代高祖明帝。在位319〜333。上党郡武郷の人。周曷朱の子。
羯族の部族長の子であったが、窮乏したため漢人に売られ、山東の民家の奴隷となった。
太安年間に飢饉のために山野に逃れて、馬賊の首領となり、諸勢力の下を転々とした。のちに、漢の劉淵
に帰属し、河南・山東の経略を任された。
永嘉三年(309)、鉅鹿・常山を攻め、君子営を作って漢人の知識人を集め、その中から張賓を抜擢した。
劉聡が即位すると、并州刺史となり、汲郡公に封ぜられた。五年(311)、西晋の太尉・王衍を捕らえ殺した。
光初元年(318)、劉曜が即位すると、大司馬・大将軍に上った。翌年、靳準の乱を平定し、趙王を自称した。
趙王の十年(328)、太和と建元し、前趙の軍を破った。
翌太和二年(329)、前趙を滅ぼし、劉曜を殺すと、天王を称し、のちに帝位についた。
羯族を軍事基盤として、華北の大半を平定し、華南の東晋と対峙した。漢人士大夫を登用して、律令・官制
を整えた。『趙書』などの史書を編纂させたといわれる。仏教を崇拝し、仏図澄を信奉したことでも知られる。
>>4 『太平御覧』その他の類書に逸文が残っている。
て、逸文が残ってるのは崔鴻の『後趙録』の方か……。
石勒が編纂させた『趙書』は多分残ってなかったかも。
不確実でスマン……。
石勒配下の将帥としては、トップだろうね>>石虎
何か、後趙政権は養子関係が多いよなあ
唐末五代を彷彿とさせるくらい、養子がらみのトラブルが多い
田堪や冉良(石瞻)みたいに良い拾い物だったりすることもあるが
石生と郭権のコンビも好きだがやっぱ孔萇が一番かな
経歴がよく分からないが、先鋒として幽、冀、并州を荒らしまわった軍事手腕は凄い
石勒配下の将軍達は、結構胡散臭い出身が多いよな
羯族+十八騎+君子営+乞活集団等々、寄せ集めというかイロモノというか
こういう連中が晋正規軍を壊滅させたり、匈奴部族を撃滅させたりと、いやはや痛快だ
>>6 いえいえ、情報ありがとうございます
趙書が正史として認定されていたら今日まで完全な形で残ってたんでしょうけどねぇ
>>8 なんか後趙政権って面白そうなやつらの集まりですねw
今度図書館にでも行って『晋書』載記でもじっくり読んでみようかな
石勒に負けた所為でかませ犬扱いになっているが、苟晞や祁弘あたりは
時代を代表する名将だったはずなんだがなあ、永嘉の乱さえなければなあ……
石勒に負けて、なお評価を保っているのが、祖逖と劉曜ぐらいだもの
しかし、後趙の崩壊の過程は、映画とか漫画によく出てくる「悪の帝国」の断末魔にそっくりだ
あれだけ残虐非道やってても、少しは延命できるんだものね
石勒十番勝負!
一回戦:少数民族に生れ落ちる、部族崩壊の危機との戦い
二回戦:并州大飢饉、飢餓との戦い
三回戦:東エイ公司馬騰による奴隷狩り、生存率30%以下の地獄の生存競争
四回戦:青州刺史苟晞による匪賊討伐、初の官軍との戦い
五回戦:王衍指揮する晋正規軍主力に対しての徹底的殲滅戦、おまけで司馬氏皇族の殆どを屠殺
六回戦:青州の群雄王彌との知略戦、喰うか喰われるかの内ゲバ
七回戦:幽州の実力者王浚に対する詐術の極みを尽くした謀略戦、小が大を喰らう大番狂わせ
八回戦:愛国詩人劉コンの徹底抗戦、華北の晋系軍閥をほぼ壊滅させる
九回戦:祖逖の北伐、河南の大部分の領土を切り取られ、結果として華北統一を大きく遅滞させられた屈辱の一戦
十回戦:劉曜との華北統一をかけた一大決戦、至高の死闘を制して劉曜を滅ぼす
最初から最後までクライマックスだな、この男
>>15 >最初から最後までクライマックスだな、この男
それこそ陳翁か芳樹かソープ先生が小説化でもすりゃ、
アッー!と言う間に流行りそうな題材なんだけどなぁ……。
極め付けは「曹操・司馬懿などは話にならぬわ!」でしょ。
どんだけエピソードに恵まれてるんだよ!って話ですよ。
あとは、若い頃に洛陽に行商に行ってて、
王衍とニアミスしてるという伏線まである。
どんだけ小説向きなんだ、この御仁は。
>>15 ドラマにしたら、すごく盛り上がると思う。
ちょっとアドベンチャーちっくというか、派手な演出で。
>>16 陳先生はあんまり期待できないんだよねえ
(小説十八史略は正直この時代のヤツは、イマイチ)
ガイエは漢民族至上主義者だし
逆に祖逖や桓温あたりを主人公にすれば、五胡の連中を魅力的な悪役で書いてくれそうな気もするが
ソープ先生の思考が一番あってそうな時代だが、凄い読み疲れしそう
劉曜と羊皇后のセックスシーンに期待したい
>>19 >小説十八史略は正直この時代のヤツは、イマイチ
確かにこの時代の部分は、あまり印象に残っていないな。
三国志あたりからは無名だが石勒の人生はかなり面白い
毎回毎回が赤壁の劉備みたいな戦い
石勒は、幼少時代から利発そうなイメージを周囲には与えていたんだろうね
洛陽への行商に付き添っていったり、郭敬から厚遇を受けていたり
ただの弱小部族の族長の倅にしては、結構デキが良かったんじゃないのかしら?
ライバルの劉曜の方が、個人的には好きなんだが
朝鮮に潜伏していた後、ほとぼりが冷めて本土に戻ってきた後も、自分の容貌魁偉なのを
コンプレックスに感じて、プチ引き籠もりしているあたりなんか、ちょっと親近感が沸く
戦は強いし、行政手腕にも優れていて、度量の広い人物なのに
肝心なところで抜けてるあたり、勿体無いけれども、それが魅力になっている
この時代、完璧超人っていないよね
どいつもこいつも、頭のネジが外れているか、歯車ひとつ抜けている
この人、奴隷狩りを行った司馬騰にも復讐果たしているよね
やはり、ドラマがあるな
(確か、このころ公師藩配下の汲桑のさらに下にいたはず)
ただ、終わりがハッピーエンドといいきれないのが残念
劉邦より劉秀を下に置いているけど好みの問題かな?
為政者としても武将としても劉秀のほうが劉邦より上だと思えるけど
>>24 それは色々、解釈が分かれるね
張賓が張良にあこがれていたらしいので、その影響かな?
感覚的な問題として三国時代が身近だったから
後漢末の悪いイメージが後漢という時代そのものにフィールドバックされてたとか
>>24 全体的により古い時代を上にみなす風潮があったのと、より低い地位・悪い条件から成り上がったあたりを評価してるんだろう
劉邦は「将に将たり」という言葉があるように、能力のある者を内包できる器があるからこそ
劉秀より上に評価してるんじゃないかな。
>>26中国はwikipediaへのアクセスに規制が引かれていたからな。
最近解除された様だが、香港や台湾からの書き込みだけでは高が知れているだろう。
それに標準語がまだまだなのに、
広東語とかビン南語、呉語、はては漢文のwikipediaまで有る。
高祖=俺の方が強いだろうけど好きだから殺したくない。
光武帝=最終的に俺には敵わないだろうが、ゾクゾクするような勝負が出来るのはこいつだけだ。
曹操、司馬懿=女子供を出汁にするなんてマジ許せん。天誅を下してやる!
こんな解釈も可能と言えば可能。
光武帝のことは「まさに中原に並駆すべきも、鹿が誰が手に死せんかを知らず」と、
天下を争うが、勝てるかどうかはわからないといっている。
石勒は光武帝を、高祖のような魅力は無いが自分の好敵手たりえる男と考えていたのだろう。
高祖に対しては自分は粛清されない自信があったか、
殺されても良いから臣下になりたいというほど憧れてたんだろう。
王衍を殺すのに土壁の下敷きにしたのはなぜだろう?
刃の穢れになると思ったのかな?
虚名とはいえ、人望があったからじゃない?
政治家というのは無能でも悪人でなければ人気は高まるし
首を斬ると冥界で困るという考えがあったので、
五体残る形の死刑としては軽いものにしたのだろう
石勒の大虐殺のほとんどは坑殺だからなあ
城壁圧殺と比べても、残酷度はそんなに高くないと思うぞ
司馬懿が遼東でやったような京観の方がずっと残酷だろうよ
中国の黄土平原の土質は縦割れしやすい性質があるから、旱魃が起こるとそこらへんに
巨大なクレバスができると聞いたことがあるんだが、本当なんだろうか?
項羽の秦兵大虐殺も、そういう地隙に坑埋めして実施したとかなんとか
>>33 たぶん、「貴人に刃を加えてはならない」っていう、北族の風習に由来してるんじゃ。
確か後代のモンゴルにもあったと思う。絨毯で簀巻きにして馬で踏み殺すっていうのが。
《晉書》 卷一百四 〈石勒載記上〉
勒重衍清辨,奇範神氣,不能加之兵刃,夜使人排牆填殺之。
《晉書》 卷四十三 〈王衍傳〉
謂其黨孔萇曰:「吾行天下多矣,未嘗見如此人,當可活不?」
萇曰:「彼晉之三公,必不為我盡力,又何足貴乎!」
勒曰:「要不可加以鋒刃也。」 使人夜排牆填殺之。
とあるから、どうにも奇妙で不快な奴だけど、しかし、驚くほど優雅で
明らかに貴人だから、石勒は王衍を斬刑に処せなかったんだと思う。
>>34 >>38 >>39 成る程ね。
てっきり文官は自殺するとき体を傷つけてはいけないので、
それに対する嫌がらせとして圧殺したのかと思った。
石勒はライバルが豊富だな
晋:王衍、苟晞、王浚、劉琨、祖逖
趙:劉曜
他:王弥、靳準、曹嶷、段文鴦
この中で会ったことのないのは劉琨、祖逖だけというのもすごい
(靳準、曹嶷、段文鴦は微妙だけど)
石勒崩御までなのに、石虎が晩年の耄碌でマイナス査定な件
温かい目でそっと見守るんだ。
王衍を出すなら、その上司を務めた司馬越を入れてもいいんじゃないの?
あと、宗室諸王の能臣なら司馬虓とか。
漢(前趙)との交戦期に「暴薨」してしまった人だけど。
宗室諸王なら、長沙王司馬乂が一番有能だと思うんだが
少なくとも大器の片鱗は見せているし、祖逖を歴史の表舞台に登場させた人物でもある
こういう人物が殺されてる時点で西晋の滅亡は免れ得なかったのだろうけどさ
石勒に宗室諸王がほとんど殺されてるけど、世間にとってはむしろ好影響の方が多かったように思える
成都王も結構有能だと思う。
八王のうち後半の四人は、それぞれに大英雄とは行かずとも
小英雄の風格があったと、個人的には考えてるんだけどね。
能力があったからこそ、かえって乱を長引かせてしまったというか。
宗室諸王でアレな人というと、司馬騰かな。
石勒が喰うために奴隷にならざるを得なかったときの皇族。
殺される原因も、吝嗇が過ぎて人望を失ったせいなのが…。
>>1 軍事的才能でいえば祖逖は石勒を上回るんじゃないか?
>>44 石勒の勢力の源流は成都王軍閥に繋がっているからな
【業β】で採用した君子営の漢人官僚の中には、結構成都王に仕えていた人間多かったじゃないの?
石勒が劉淵(匈奴)に接近できたのは、成都王派閥の誼があったからなのではと勘繰ってしまう
まあ、石勒自身が成都王に仕えたわけではなく、陪臣の弟分だから大したコネではない
そうすると、どういう基準で劉淵に仕えようと思ったんだかね?
王浚(幽・冀)、王弥(青州)、劉淵(并州)、ここいら辺、誰に与してもあんまり大差ないよね
八王全員の雁首そろえて政治させても、賈后の治世の足元にも及びそうに無いのが……
賈后は政治闘争に明け暮れた分だけ、一応政権運営にも真面目だったからね
コネ採用やら何やら言われるが、賈氏政権を安定させるために人材蒐集に努めたわけだし
ところで、羊皇后って歴史上屈指の下げマンだよね
>次に、石勒が光武帝劉秀の時代に生まれたらどうか。
>劉秀は石勒ほどではないが、自立までがやや遅い。
>だから、その間に石勒は自己勢力を作ることができる。
>すなわち自立して争うことが可能である。
>石勒と劉秀が兵力を持って対決した場合、おそらく決着はつかない。
>これは別に劉秀の能力が低いというわけではなく、
>国というのは守る側が正しい政治と用兵を行えば、
>少々の国力差や能力差では奪うことができないからである。
>おそらく、隗囂よりやや上の活躍ができるだろう。
>隗囂ですら滅んだのはその死後であるし、三国時代の曹操が袁紹や劉表を平定したのもその死後である。
>ただし石勒は劉秀のような治世手腕はないので死後に国が滅びることになるだろう。
>劉秀の時代に李世民が生まれた場合はどうか。
>意外だろうが、劉秀の家臣として活躍すると思う。
>李世民は自立が非常に遅いからだ。
>劉秀の家臣では、騎兵戦の名手にして医術に長じた耿弇の能力や性格が、李世民とかなり似ている。
>おそらく耿弇のような生涯を送るだろう。
>李世民と劉秀の二人は、民衆生活を考えて天下をより近い位置にいる人に譲ってしまうので、基本的に争いにならないのである。
>結局、誰が一番かというのは、そのときの状況次第で逆転してしまう。
>それがまた歴史の面白いところなのである。
>>50-53は著名な光武帝ファンのblogから転載したもの。
俺は非常に頷く所が大きいが諸君はどうだろうか?
>>50 「石勒の政治手腕が低い」ってネタだよな?
確かに、実務能力や文化教養は持ち合わせていないが
それなりの識者を見出し、適切な業務を分投げるという意味じゃ十分合格ライン
常に民衆視点で政治を考えている政治姿勢は、さすが奴隷出身と驚嘆させられる程だ
例1:胡漢の民族的対立を融和すべく、統治制度に苦心し続けた
例2:出身地并州が連年飢饉に悩まされるのを、気候の所為だけとは考えずに自分の不徳として政治努力を惜しまなかった
10万の兵士と100万の国民与えた場合
確かに緒戦は劉秀が勝つと思うけど、石勒の復讐達成率と巻き返し能力を考慮すると
2戦目は間違いなく石勒が取るだろうね
そうしたら、お決まりの坑殺うん十万人コースで劉秀側の壊滅は免れ得ないだろう
逆に劉邦の場合は、それでも兵士やら国民やら補充してくれる蕭何がいるからなあ
それより何より「韓信に勝つ」という難関を突破できるかどうかが鍵だ
蕭何に匹敵する留守番には寇恂がいる。
耿弇の寡兵で大敵を打ち破る将才は韓信にも引けを取らない。
まあ、その仮定だと緒戦で得たアドバンテージを守り倒す戦略を取るように思われる。
仰るように石勒は逆境になるほど強いからな。
あと石勒自身は極端に優れていても、後継者や幕僚には恵まれていない感があるが。
持久戦に持ち込まれると後趙では持ちこたえられないだろう。
どうにかして石勒の代で会戦に引きずり出さなければ勝てない。
自立が遅いのと天下に野心を持っていないのとは別だと思うが。
李世民が誰かの臣下として生涯を終えるとは思えない。
石勒も劉邦ならば臣下になりたい、他の奴の下は嫌だと言ったんだろう。
どっちも更始帝や李建成がミスらなければ、造反など考えもしない気がするが。
どっちも更始帝や李建成がミスらなければ、造反など考えもしない気がするが。
連投でスマソ。
人口百万で兵十万は多すぎだと思う。
一戦負けたら再起不能だと思うが。
石勒(と言うか後趙)は後継者に人を得なかったというより、民族対立の処方箋を
作れず、結果として胡漢の融和に王朝の体力というか生命力を奪われたことが、短命王朝に
終わった最大の理由だと思ってます…。
個人的に、石虎は暴君であっても暗君ではなかったと思うんですが、どうでしょうね。
政治手腕がなければ、鄴の繁栄を記した「鄴中記」が出るはずはないし…。
>>59 李世民をキッチリ始末しなかったことがミス
石勒、最大の謎
なぜ、祖逖討伐の大将が桃豹なのか。兵力は四万と中途半端なのか
彼より勝る武将は自分自身、石虎、孔萇、虁安、張賓と五人はいる。
この敗北により祖逖と講和せざるを得なかったのだから、失ったものが大きすぎる
現に、石勒は祖逖に負けたと解釈するものが多い。
なぜなのか?誰か教えてくれ
支雄、郭敬、石生、石堪あたりでも、桃豹よりは善戦するだろう
俺の中では、桃豹って第一線での後方担当のイメージが強いんだが
河南方面の行政任されていたりと、決して無能ではないと思うけど
祖逖相手には格が落ちるねえ
まあ、舐めきっていたが結論でしょ(初期の北伐軍は内ゲバしてたし)
最終的には河南の大部分を?ぎ取られてるから、石勒にとっては失策だな
石勒本人が出ていくことが出来なかったのは、前趙対策のためだろうね
陳安の乱や前涼との国境紛争の間隙を突いての324年の河南侵攻だから
歴史的に言われてるほど、前趙と後趙の国力差は無かったと思う
孔萇は幽州に置かなきゃならんし、石虎は曹嶷潰しに回していたし
張賓は戦略参謀兼政策プランナーだから、第一線で使うには勿体無さ過ぎる
やはり、武闘派のキ安、支雄あたりで戦うべきだったのでは
>>58 石勒死後の内紛は、異民族間の対立と言うよりも、純粋に権力闘争的な側面が強い
中央(石勒直系)集権派と各方面軍ごとの分権派の対立が主だったから
後継者に関しては、最期まで石勒は悩み続けていたが、結果としては優柔不断だったことで
最良ではないにしろ、まずまずの選択だったと思う>>石虎簒奪
(内紛の火種を完全に摘み取ったおかげで、以後石虎健在の間は後趙は一枚岩となる)
そもそも、石虎暴君説はかなり怪しい話だからなあ(石勒時代よりも民衆の逃亡や叛乱の記述が少ない)
胡漢融和はその後の五胡政権でさえ完全には達成できなかったことだから
後趙のそれを否定するのは、先駆者として評価するならまだしも、少し酷じゃあないかい?
負け将軍・麻秋
石虎ほどの男が彼を起用しつづけたのは中国五千年のなぞ
その戦術は劉邦=劉秀、韓信=呉漢でも成り立つ
劉秀は名将だし、前漢組よりタチ悪い
劉邦>劉秀>曹操、司馬懿は結局劉邦フェチである石勒の好みだよ
成り上がりの劉邦に自己投影、その血を継いで統一した劉秀もエラス
劉漢奪った曹操シネ!しかも統一もできてねーよプゲラ
>>67 劉秀軍団の本領は機動力生かした攻勢作戦だから、必ずしも劉邦の戦い方で戦う必要はない
各司令官たちを自己の指揮下でまとめて運用するもよし、複数の径路で攻勢をかけるもよし
あれだけタレント揃いの劉秀軍団なら、小細工なしで戦ったほうが絶対に強い
(劉秀自身、どちらかと言うと項羽に近いタイプ)
遊軍として転出させ、助攻正面を一任できるほど突出したNo.2が存在しないので
劉邦みたいな戦い方は向いていないんだろうが(する必要もなかったわけだし)
最盛期完全編成のガチで正面対決した場合は、やはり、項羽と同じで講和せざるを得ないんだろうな
>>75 麻秋の場合戦った相手が悪すぎる
謝艾はこの板でも無名に近いが、涼州において最盛期の中央勢力による併合戦を撃退した
将軍ってのは、中国史見回しても他におらんぞ(前涼が70年近くも独立していたことが奇跡だが)
>>1 関羽みたいなもんじゃない?
関羽も正史の戦績だけ見てたら魏や呉に対して重しが効くとは思えないけど、一定の威名があった。
返す返すも、趙書がないのが惜しまれますねぇ。
程遐とか石聡の評価がどうなるのか、個人的には気になるところ。
石聡は、後趙後期の河南方面司令官としてどの程度の将才があったのか
解りづらいのがなんとも。晋書だとあんまりいい評価ではないし…。
謝艾は将帥として以外にも、政治上の議論(戦争中の秋の郊祭をやるべきか否か)にも
参加してるのを見ると、推薦の言葉通り文武の才を兼ねていたんでしょうね。
涼州の謝氏はどうも寒族らしいので(元和姓纂にも載っていない)、もしかしたら
少年時代は勉学で身を立てようと悪戦苦闘してたのかな、と想像したりしてます。
謝艾が張重華の死後すぐ、張祚に警戒されて殺されたのが惜しまれますが…。
石勒の最盛期っていつなんだろうか?
個人的には、河北でグダグダしてたときが純粋に強かった時期だと思う
飛蝗の群れの如く、当たるを幸いに晋軍をことごとく喰らい尽くすような戦い振りには惚れる
幽州刺史を討ち取ったり、一介の盗賊がここまでするかといったくらいの大活躍
後年、襄国に落ち着いてからって小さくまとまりすぎな感じがする
>>74 やはり、王浚を倒した時じゃない?
15でいうところの七回戦が個人的に、八回戦が組織的に最盛期だと思う。
それからはライバル劉曜を意識し過ぎて、動きに精彩を欠いたんじゃないかな
そういう意味では劉備を意識し過ぎた曹操にも似ているような気がする
世界に誇る漢文文化に親子揃って貢献した文明人曹操様に軍閥の親玉程度の石勒が勝てるわけない。
曹操も究極的には、鄴の軍閥でしかないわけだが。
しかも一臣下。
最近、よく曹操マンセーを目にするけど、曹操だけが特に優れているとは思えないけどな。
軍事の能力だけで評価すれば曹操よりも石勒の方が優れているような気がするけどな
>>79 >最近、よく曹操マンセーを目にするけど
蒼天航路の影響じゃねーの?
つーか曹操の戦下手は有名。
>>82
>そんなもん出る前から評価は高かったですが
んなぁことは前提であの本の影響でさらにマンセー度がUPしてんじゃねーのって言ってんの。 英雄とか政治家とかは別にして、男として
石勒>>>>>>(超えられない壁)>>>>>>曹操
は同意。司馬懿は論じるにも足らんな
>>85 最初の何巻までかは、曹操かっこよくてよかったんだけど
だんだん、読んでてハラたってきた、おれは。
演義バカにしぃの諸葛亮バカにしぃので、そこまで曹操マンセーするか、とか。
あれもひとつの見方だろうけどさ。
曹操、司馬一族以上の実力持ってて統一できない石勒しょぼすぎwwwwww
>>87 部族数100人ほどの小部落の出身(母体の羯族ですら少数民族)
20代後半に奴隷として売り飛ばされる
地盤(地縁、血縁のコネほぼ皆無)、看板(権威からは程遠い)、鞄(金があったら奴隷にならん)
軍閥(政治家)として立つに必要な条件を持ち合わせていなくて、天下半分までもぎ獲ったんだから
曹馬なんぞ格下扱いして然るべきじゃない?
普通の異民族武将であれば、王世充あたりの成り上がりでも大したものなんだからさ
まあ、劉邦が身分の壁をぶち破っていてくれたおかげで中国においては天下人の間口が広がった
わけだから、尊敬するのも当然の成り行きだわな
>>87 こういうこと言ってるのは、たまに見かけるが釣りだろうか。
それとも真剣にそう思っているのだろうか。
真剣に思っているとすれば、分析が足りないか、シミュレーションゲームレベルでの受け取り方なんじゃないか。
この石勒の比較論。
始皇帝、項羽、劉備、孫権が入っていたらどういう評論になっていたか激しく気になる。
石やんに匹敵するのは、
中華史の中でも劉邦、劉秀、劉裕、朱元璋 ぐらいだろう
>>96 王陽、夔安、支雄、冀保、吳豫、劉膺、
桃豹、逯明、郭敖、劉徴、劉寶、張曀僕、
呼延莫、郭K略、張越、孔豚、趙鹿、支屈六
やっぱり、ネット上で翻訳がないのは痛いな
>>97サンクス
支雄、桃豹とかは名前聞いたことある。奴隷時代に知り合って、従っていく過程とか考えると面白そう。
初期の頃の石勒腹心は
謀主・張賓
股肱・刁膺、
爪牙・夔安・孔萇・支雄・桃豹・逯明
だったらしい
(資治通鑑より)
>>99 311年の葛陂での長期滞陣による疲弊時に、張賓が名実共に「右腕」になるんよね
それまでは、軍略自体にはあまり口出ししていなかったみたいだけど(謀略、政略の助言はあった)
段部や王浚との戦いでは、ビシバシ妙手指してくるんだから、「何で、はじめから重用しなかったの?」という疑問符はつく
仏図澄も一応参謀とか政治顧問になるんか?
>>1 仏図澄は、顧問格だったと思う。予言とかをしたりして、戦いにも参加したらしい。
石虎にも重用されてたらしいし。
それじゃあ劉家の千里駒がもしアル中じゃなかったら
328年に洛陽を攻められた石やんは千里駒を撃退することは厳しかったの?
>>104 千里駒のアル中は筋金入りだから、328年のときじゃなくても石さんに
は勝てないんでないか?
アル中じゃなくても、勝てないかもしれない。千里駒には、共に事を諮る
家臣がそばにいないから。
西晋を滅亡に追い込んだ劉曜では、結局江南の東晋と連携して石勒に圧力を加えることは不可能に近いから
劉曜正面の戦いに集中しやすい石勒に比べると、後背に前涼を背負っている分だけ相当不利。
まあ、そもそも本拠地を青天の霹靂によって失陥した上、宗家は滅亡、人民と領土は先手を打った
石勒に掠め取られ、仕方なく征服したばかりの関中に引き籠もって流遇政権を運営していかなければ
ならなかった劉曜の苦労は、想像を絶する。
キン準の乱を受けての皇位継承は、はっきり言って貧乏籤もいいところなのに、
短期間で関中の民衆の心を捉え、国を富ませ、たびたび河南へ侵攻できるくらいまで国力を拡大
させているんだから、こと統治手腕に関しては、実は十六国君主随一だと思ってる。
石勒は凶運、劉曜は不運としか言いようがない、決して幸福にはなれない。
>>112-113 サンクス
ブレーンというか知恵袋な人物がいないんすか?・・・劉曜
自身はかなり有能なんだとは思うだけどな・・・千里駒
劉曜と石勒が交わした重門の誓いって何を誓ったんだろう。捕らえられた
ときに劉曜が石勒に言ったらしいが。おそらく、仲はよかったんではないか
なと思ってる。劉曜が使者を処刑するまでは、けっこううまくいってたと思
ってるんだが。
>>107 小姑みたいな政策ブレーン游子遠、勇猛果敢な従弟劉岳、
前涼を脅かした庶長子劉胤、匈奴貴族で洛陽攻略の先鋒呼延晏など
ほかにも劉淵時代からの漢人官僚や匈奴貴族はそこそこいたはず。
蒲洪や姚弋仲も劉曜健在時は前趙に従っていたりする。
ネタがないと、落ちるな
ところで、今『張賓伝』の翻訳をやっているんだが、その始めの方。
張賓字孟孫,趙郡中丘人也.父瑤,中山太守.賓少好學,博涉經史,不為章句,闊達有大節,
常謂昆弟曰:「吾自言智算鑒識不後子房,但不遇高祖耳.」為中丘王帳下都督,非其好也,病免.
張賓は字を孟孫といい、趙郡中丘の人である。父・張瑤は中山太守であった。若くして学を好み、
経書や歴史に詳しく、文章は作らず、闊達でおおいに節度があった。
いつも弟にいうには「私の知謀見識は張良にも劣らないと思っている。ただ、劉邦に会っていないだけだ」と。
中丘王の帳下都督となったが、意欲を抱けず、病気を理由にやめた。
これでいいかな?『章句』の意味が自信ないんだが
>>110 「章句」は「離章辨句」の略で、一字一句、細々と研究・調査するようなこと。
訓詁学を指してると思ってもらえば。
「不為章句」という言い回しはよく出てくるけど、
「多くの書物を読んでいて、学識は広いけれど、
大意を掴んだところでキリを付けており、
専門的な学者のように文献自体の研究はしなかった」
というようなこと。
>>110 レス、ありがとう。助かりました。
それでは、これが訳↓
張賓は字を孟孫といい、趙郡中丘の人である。父・張瑤は中山太守であった。若くして学を好み、
経書や歴史に詳しかったが大意をつかむところでとどめており、また、闊達でおおいに節度があった。
常々、弟に語っていた。「私の知謀見識は張良にも劣らないと思っている。ただ、劉邦に会っていないだけだ」
中丘王の帳下都督となったが、意欲を抱けず、病気を理由にやめた。
これからも細々と漢和辞典を見ながら翻訳するつもりなので、よかったらまた協力してね
その勢いで晋書を完訳していただけたらすごく有難いんですけど
やっぱ大変ですよねえ…
ちゃんとレスもあったので浅学不才は恥じず、また、翻訳をやらせてもらいます。
専攻は史学でも漢文でもなかったので、諸兄らに笑われるかも知れないですがご容赦を
及永嘉大亂,石勒為劉元海輔漢將軍,與諸將下山東,賓謂所親曰:「吾歷觀諸將多矣,
獨胡將軍可與共成大事.」乃提劍軍門,大呼請見,勒亦未之奇也.
後漸進規謨,乃異之,引為謀主.機不虛發,算無遺策,成勒之基業,皆賓之勳也.
及為右長史、大執法,封濮陽侯,任遇優顯,寵冠當時,而謙虛敬慎,開襟下士,
士無賢愚,造之者莫不得盡其情焉.
肅清百僚,屏絕私昵,入則格言,出則歸美.
勒甚重之,每朝,常為之正容貌,簡辭令,呼曰「右侯」而不名之,勒朝莫與為比也.
(以下、翻訳へと続く)
分からないところ
@『造之者莫不得盡其情焉』
A『出則歸美』
B『簡辭令』
C『朝莫與為比也』
自信がないところ
@『提』は『携え』でいいのか
A『規謨』は『策略』でいいのか
B『任遇優顯』
C『入則格言』
以上です。よかったらご教授下さい。
> 造之者莫不得盡其情焉
「造之者」悉くその情を得ざるなし。
> 朝莫與為比也
石勒の朝廷に比する者なし。
かなあ?
「造之者」が良くわからん。
造之者=之と造(あ)う者は
劉備−諸葛亮と似たような関係だけど
君主−謀主のような関係が魏晋期には流行っているというか、頻繁に登場するけど
ナンバー2がこれほど脚光浴びる時代も珍しいよな
あまあ、そんな曹操よりも、我らが石勒さまの方がはるかに偉大なのが現実だ。
↑ではなんで中国の半分も切り取れなかったんですか。
曹操よりずっと、優位な立場にいたのに。
これには、この板の住民ほとんどが認めている。(三国志しか知らない人以外)
↑馬鹿ばかりだからな。
>昔の五胡スレには『曹操がいれば、五胡時代はすぐに統一できた』などと言っていた
>人がいたが、本人は今頃、自分の発言を恥ずかしいと思っているはずだ。
↑曹操は鳥丸、鮮卑を討伐しました。
↑馬鹿が湧いたな
石勒が曹操より優位な立場にあったと言ってる時点で知識のなさ露呈
勉強しなおして出直してきなさい
石勒が曹操より優位な立場にあったと言ってる時点で知識のなさ露呈
勉強しなおして出直してきなさい
↑曹操は5000の兵士か集められなかった。
袁紹や董卓など巨大な敵がいたが、石勒はいなかった。
曹操は献帝をうまくつかったが、石勒は何もしていない。
領土拡大率は曹操が圧勝している。
石勒の出自には触れないのかな…?
しかしおもしろいヤツが最近繁殖してるな。
>>120 >曹操は献帝をうまくつかったが、石勒は何もしていない。
石やんは曹操みたいに献帝をの威光を使うなんてせこい真似などせず
自力で頂点まで上り詰めたのだがその事実をご存じ?
つーか偉そうに語ってますが恥ずかしくないの?
>>120 ただの馬鹿だと思ってたが
真性の馬鹿だったのね
放置してよ なんとかにつける薬はないって言うじゃん
翻訳がむばってる人 続き待ってるよ
翻訳をやっているものだが、126に煽られたのを自分のレスだ(^^)
まあ、126は『蒼天航路』ばかりでなく、『まんが 中国の歴史』から勉強し直してね
それが終わったら、陳舜臣の『小説 十八史略』とか『秘本三国志』とか『曹操』で
活字に慣れてね。曹操びいきだし、漢字もそれほど多くないから、君でも読めるはずだ。
それから、陳舜臣『中国の歴史』と宮崎市定『大唐帝国』を読んでまた同じことが言える
か考えるといい。
それで、翻訳なんだが、
>>116>>125 レスありがとう
まだ、不明な点が揃っていないけど、おかげでなんとか意訳できるレベルにまで達せた。
大学の先生方すら解釈が分かれる正史の翻訳だ。完全なものは始めから求められない
のは当たり前。今回、できあがったのをお見せする。
>>120 一応、石勒の本伝までは翻訳するつもり(2割ぐらいはできている)
最後までいけるかは皆様の協力無しには無理です。ご協力をお願いします。 で張賓伝、最後の部分。
及卒,勒親臨哭之,哀慟左右,贈散騎常侍、右光祿大夫、儀同三司,諡曰景.
將葬,送于正陽門,望之流涕,顧左右曰:「天欲不成吾事邪,何奪吾右侯之早也!」
程遐代為右長史,勒毎與遐議,有所不合,輒歎曰:「右侯捨我去,令我與此輩共事,豈非酷乎!」因流涕彌日.
それで翻訳。
彼が死んだ時、石勒は自ら哭して、側近に哀しみを告げた。
散騎常侍、右光祿大夫、儀同三司を贈り、諡を『景』とした。
正陽門において葬る際、石勒は眺めて、涙を流した。
側近に語るには「天は私が大事を成すのは望んでいないのか。なぜ、私から右侯をこんなに早く奪ったのだ!」。
程遐が代わりに右長史になった。石勒が程遐と議論し、合わないところがある度に、嘆いた。
「右侯は私を捨てて去ってしまい、こんな奴らと大事をさせようとしている。なんという残酷なことだ!」。
そのため何日も、涙を流した。
『彌日』があまり自信ないけどどうかな?
よろしければ諸兄らのご教授、お願いします。
翻訳をやっているものだが、126に煽られたのを自分のレスだ(^^)
まあ、126は『蒼天航路』ばかりでなく、『まんが 中国の歴史』から勉強し直してね
それが終わったら、陳舜臣の『小説 十八史略』とか『秘本三国志』とか『曹操』で
活字に慣れてね。曹操びいきだし、漢字もそれほど多くないから、君でも読めるはずだ。
それから、陳舜臣『中国の歴史』と宮崎市定『大唐帝国』を読んでまた同じことが言える
か考えるといい。
↑アホ丸出しだ。中国の歴史の中では三国時代が圧倒的にレベルが高く、そして知名度も高い。
曹操は10倍の軍勢を打ち破っていった。石勒とか知っている人間は日本ではほろんどいないのは実力差としか言いようがない。
石勒はせいぜい当時の中華の10分の4くらいしか支配しておらず、実質天下を取った曹操とは比べることすら出来ない。
曹操は漢の巨大な権威と戦わなければならなかったが、石勒はそれを切り開いたのは前任者がいるので曹操のような改革者と比べるとどうしようもない。
>>130 曹操は漢の巨大な権威を神輿として担いでしまったがゆえに、その旧弊に悩まされてしまったわけで
袁紹のように、名門士大夫による新王朝路線を選択できていれば、あそこまでどつぼに嵌らなかった
と思うぞ(まあ、曹操がその選択肢を選べたかどうかは微妙だが)
逆に石勒は「権威」と最も縁遠い人物だろ
劉淵と組んだのも、権威という面ではほとんどプラスになってないし(逆賊という汚名をアップさせただけ)
劉コンからのスカウトや王浚からの招聘にも、全く心動かされていない
奴隷、少数民族というハンデを苦にもせず、ひたすら既存権益を破壊していく存在が
漢朝四百年のしがらみに悶え続けた曹操に劣るんかね?
>>130 >アホ丸出しだ。
それオマエ
>中国の歴史の中では三国時代が圧倒的にレベルが高く、そして知名度も高い。
それ三国志演義の影響w
ちなみにオマエもその一人www
後漢末〜三国を圧倒的にレベルが高いなんて言ってたら、笑われるぞ。
唐や明とかの立場はどうなるんだよ…
奴隷から身一つで皇帝まで登り詰めた石勒と大宦官の孫であり
スタートの時より比較的有利な立場にあった曹操とならどっちが有利だ?
あと劉家の千里駒と呼ばれた劉曜も東晋の名将祖逖も大したことないんですか?ああっそうですか。
あのさーせめて小説十八略史ぐらい読んでから語ることを俺も奨める。
あんまりスレとは関係ないが
本場中国には、石勒の母親が仙女で主人公の小説があると聞いたが
一体なんでそんなマイナーな人物を主人公にした小説が描かれたのか謎だ
まあ、劉曜が劉備の子孫というトンでも設定の演義もあるみたいだが
>>1 定期的に石勒と他の時代の傑物との比較、煽りレスあるけど
個人的には、あんまり好きじゃないんだよね
結局、天下は引っ掻き回すだけ引っ掻き回して統一できなかったし、
大虐殺者の汚名は免れ得ないわけだし
貶める気になれば、いくらでも貶められる悪党という一面を決して誤魔化してはいけないと思う
そういう意味では、手放しで絶賛できないし、誰某よりも格上と評価することもできない
(まあ、当の本人が歴史上人物の比較論をぶちかましているから、何とも言えないんだが)
誰かが言っていたけど、ケンシロウのいない北斗の拳というのは、ホント正鵠を射ているよな
>結局、天下は引っ掻き回すだけ引っ掻き回して統一できなかったし、
大虐殺者の汚名は免れ得ないわけだし
そういう点では似てるよね曹操と石勒って
>>1 徙戎=シジュウ、徙民=シミンだな
祖逖は決して正義の味方ではないな、高潔な義士でもない
乱世が来れば思う存分出世できると歓喜する好戦主義者だし
戦争できるだけの体力がないにも関わらず、北伐の兵旅を発して、結局は略奪ばっかやってるし
命令系統は無視するわ、友軍であっても攻撃するわ
ぶっちゃけ自分の名誉や勢力の拡大、才能を誇示するために戦争しているような人間だよ
まあ、そこが魅力と言えば魅力だが
>>138 まあ、確かに無理があると思うが
http://www2.ktarn.or.jp/~habuku/soteki.htm これを見る限りそこまで言うのも極端と思われ。
徙戎=シジュウなのね。それは勘違いしていた。すまん。m(_ _)m
>>139 司馬乂が謀殺された時点で、祖逖自身が司馬家を見限っていたようにも見える。
(その後の各派閥からの招聘も悉く断っているし。)
二流以下の家格の自分の献策を気前良く採用してくれる貴公子だもんな。
性格は良いし、統率力も高く、何よりも人望があった。
東西両晋期において、東海王越の裏切りブックはいろんな意味でターニングポイントだったと思う。
もし東海王越が裏切らず、長沙王乂があのまま政権を掌握してたら、
西晋王朝はいったいどういう風になってたんだろうか……。
まぁ、長期的な衰退傾向は避けられず、どっちみち南渡を余儀なくされそうだけど、でも、
少なくとも、あそこまでみっともないこと(八王の乱末期)にはなってなかったんじゃないか。
>>1の孔明様最高さんへ質問
>曹操は後世で参考にされたが、石勒は参考にされていない。
曹操はどの時代の誰がどの様に参考にしてるんだい?
具体的に例を挙げて下さいよ。
あと石勒について何から情報を得たんですか?
本当に石勒のこと知ってます?
>>139さんの奨めてくれた書籍は読みましたか?
曹操はどの時代の誰がどの様に参考にしてるんだい?
↑唐の軍略書、孫武、詩、易姓革命、酒
李衛公問対を指してるのかどうかは知らないが、これを「唐の軍略書」と言う人を
初めて見たんだぜ
後、孫武や詩や易姓革命や酒が曹操以後のことだったなんて初めて知ったんだぜ
李衛公問対ではどっちかというと曹操は馬鹿にされてない?
兵学者や発明家や詩家としては一流
将や政治家としては二流
天下人としては三流
最近湧いてるお馬鹿ちゃんって
五胡十六国時代の歴史なんかまるで知らず
三国志の知識も横山光輝の三国志を読んだ程度で語ってる気がするのは気のせいか?
魏武略孫子は別に評価してもいいけどな
あとは詩人としてか。評価は文化人としての評価だけだな>曹操
政治的には曹丕の方が功績がある。
仏教の流入という点においては石勒のはたした役目は大きい
>>148 気のせいじゃないよw
あのお馬鹿ちゃんは三国志演義が正史より信憑性があるんだって。
なんか解答も的外れでしかも抽象的過ぎて答えになってないし…
>>曹操のやり方がスタンダート
曹操はいつから皇帝になったんだ?
>>各王朝の太祖
知っている限りでは、少なくとも後周太祖郭威、北宋太祖趙匡胤は、曹操なぞ参考にしていない。
とりあえず、一週間ぐらいたったので翻訳の続き。
>>1 ご指摘ありがとうございました。ただちに、修正いたします。
自分としてのルールは
@公開は一回に一段落。(あまり訳に問題がないと思った時には二段落)
A一週間程度待ち、指摘があるのを待つ
B指摘があった場合、その修正文を直す。もちろんさかのぼって指摘された文も直す
次回、まとめて修正文もだす。
でいこうと思うのでよろしく
で、いよいよ『石勒伝』
(なお、晋書の本文では『注』がうってあるがほとんで文字の異同なので削除した)
石勒上
石勒字世龍,初名※,上黨武郷羯人也.其先匈奴別部羌渠之冑.祖耶奕于,父周曷朱,一名乞翼加,
並為部落小率.勒生時赤光滿室,白氣自天屬于中庭,見者咸異之.
年十四,隨邑人行販洛陽,倚嘯上東門,王衍見而異之,顧謂左右曰:
「向者胡雛,吾觀其聲視有奇志,恐將為天下之患.」馳遣收之,會勒已去.
長而壯健有膽力,雄武好騎射.曷朱性凶粗,不為群胡所附,毎使勒代己督攝,部胡愛信之.
所居武郷北原山下草木皆有鐵騎之象,家園中生人參,花葉甚茂,悉成人狀.父老及相者皆曰:
「此胡狀貌奇異,志度非常,其終不可量也.」勸邑人厚遇之.
時多嗤笑,唯鄔人郭敬、陽曲ィ驅以為信然,並加資贍.勒亦感其恩,為之力耕.
毎聞鞞鐸之音,歸以告其母,母曰:「作勞耳鳴,非不祥也.」
あと、翻訳が無事、完成まで至ったら、永久に残すことを考えたのだけど……
「解體晉書」のサイトに出したら、著作権が自分のものになってしまうんだよね……
それも変だし、そんなつもりもないので、なんか方法ないかなあと思っています。
それはともかく、ご協力をお願いします。先は長いです。
Nida使うと、すべての漢字がちゃんと表示されてる。
你好も안녕も表示される。
郭敬(季子)は、その後乞活集団に合流して激戦の末に石勒に降伏したんだっけ
乞活集団をことごとく坑殺しようとヤル気満々だった石勒が郭敬見つけた途端に
手のひら返して安堵を約束するあたりは、石勒の単純明快な性格が出ていて面白い
石勒の逆境の最高潮は、貧乏所帯時代でも奴隷時代でもなく
兄貴分の汲桑を失って流軍化していたときじゃないだろうか?
まだ、この頃の石勒は臧覇レベル(もしかするとそれ以下)の群盗の一味でしかないよね
この挫折から脅威の立ち直りを見せて、紆余曲折を経ながら捲土重来を果たしていくんだろうけど
先は長いなあ >>現代語訳事業
まあ、頑張ってください
石勒子飼いの「十八騎」の一人に、支屈六ってのがいる。
「支」は胡姓で、西域僧の支樓迦讖や支曇籥と同じく、おそらく
月氏出身ってことなんだろうけど、問題は名前の「屈六」の方。
これ、やっぱ「クトゥルク(Qutluq)」の音写なんだろうか。
クトゥルクは、後代の突厥やウイグルに頻出する人名で、
そこでは「骨咄禄」とか「骨力」と音写されてるんだけど、
となると、単純に月氏出身というわけでもないのかな・・・。
過疎が始まってるな……
まあいいや。とりあえず、修正なしということで。
『君魚龍髮際上四道已成』は人相学だから、学者先生でも難しいだろう。
分かった人は書き込んでね。石やんの人相が分かる貴重な手がかりであるから
それで、また、続き。
懽家鄰於馬牧,與牧率魏郡汲桑往來,勒以能相馬自託於桑.嘗傭於武安臨水,為遊軍所囚.
會有群鹿旁過,軍人競逐之,勒乃獲免.俄而又見一父老,謂勒曰:
「向群鹿者我也,君應為中州主,故相救爾.」勒拜而受命.
遂招集王陽、夔安、支雄、冀保、呉豫、劉膺、桃豹、逯明等八騎為群盜.
後郭敖、劉徴、劉寶、張曀僕、呼延莫、郭K略、張越、孔豚、趙鹿、支屈六等又赴之,號為十八騎.
復東如赤龍、騄驥諸苑中,乘苑馬遠掠鋤潤C以賂汲桑.
怪異説話の一環でしょ
劉曜が「朝鮮」から中原に帰還した後、一時期引き籠もっていたが
そのときに童子の精霊?から名剣を渡された話と同じで、箔をつけるためのエピソードか何かじゃないかな?
石勒は奴隷に売り飛ばされたものの、遊牧民の出自だけあって牧業に秀でていたおかげで
わりかしましな生活送れていたと思う
家内奴隷の中でも、専門職を任されていた奴隷や家僕は零細農民よりも地位が高いのが多かったらしいから
石勒のイメージだと奴隷闘士の方が似合っていそうだが
如ゆく
赤龍とか騄驥とかの苑に行って、そこの馬をパクって…
でも、赤龍にも騄驥にも横に線引いてないんだよな。
>>1 >怪異説話の一環でしょ
>箔をつけるためのエピソードか何かじゃないかな?
確かに、自分もそう思うけど、(若き英雄の道筋を老人が示すのは神話などのパターン)
中国の仙人あるいは隠者伝説に関係あるのかなと思って。
胡人の奴隷から(当時)世界最大の国家の皇帝になる。
ううん、まさに英雄(大殺戮者)だ。まるで物語のような生涯だな
石勒ってまさに「報恩」と「報復」を徹底した人物だよな
後漢書に「騄驥,善馬也」
呂布の赤兎、冉閔の朱龍、趙匡胤の赤麒麟から考えると赤龍も名馬(汗血馬)
「赤龍,騄驥」じゃなくて「赤龍、騄驥」だから並列
名馬の苑
翻訳乙です。
最初の石勒に付いていた八騎は有名な人がいるけど、後からの十騎はあまり有名な人はいないんだね。
孔萇(?〜?)
石勒が河北で勢力を伸ばすと、その爪牙となった。
晋の王衍の軍を破って捕らえたとき、石勒に王衍を
殺すよう勧めた。劉琨・倦ア・段匹テイ※1らを攻め、
幽州諸郡を平定するのに功績があった。
http://ww1.enjoy.ne.jp/~nagaichi/chuframe.html
久々に翻訳、復活。
>>163 >>189 レス。ありがとう。それで翻訳修正
師懽の家は馬牧と隣り合っており、馬牧を率いていた魏郡の汲桑とは往来があった。
石勒は馬の扱いに長けていることで汲桑に売り込んだ。武安の臨水で雇われている時、遊軍に捕らえられた。
その時、鹿の群れがそばを通りがかり、軍人らがこれを追いかけ、石勒は逃げることができた。
突然、またあの老人に会った。老人は石勒に語った。
「鹿の群れを向かわせたのは私である。あなたは中州の主となるべきだ。だから助けただけだ」。
石勒は拝んで天命を受けた。そして、王陽、夔安、支雄、冀保、呉予、劉膺、桃豹、逯明という八騎と群盜となり、
後に、郭敖、劉徴、劉宝、張曀僕、呼延莫、郭黒略、張越、孔豚、趙鹿、支屈六もまた集まってきて、十八騎と号した。
再び東へ行き、赤龍、騄驥といった名馬を扱うあちこちの牧場の馬に乗り、遠出して絹や宝を掠めてきて、汲桑に上納した。
で、また、続き
及成都王穎敗乘輿于蕩陰,逼帝如鄴宮,王浚以穎陵辱天子,使鮮卑擊之,穎懼,挾惠帝南奔洛陽.
帝復為張方所逼,遷于長安.關東所在兵起,皆以誅穎為名.河間王顒懼東師之盛,欲輯懷東夏,乃奏議廢穎.
是歳,劉元海稱漢王于黎亭,穎故將陽平人公師藩等自稱將軍,起兵趙魏,眾至數萬.
勒與汲桑帥牧人乘苑馬數百騎以赴之.桑始命勒以石為姓,勒為名焉.藩拜勒為前隊督,從攻平昌公模於鄴.
模使將軍馮嵩逆戰,敗之.藩濟自白馬而南,濮陽太守苟晞討藩斬之.
勒與桑亡潛苑中,桑以勒為伏夜牙門,帥牧人劫掠郡縣繫囚,又招山澤亡命,多附勒,勒率以應之.
桑乃自號大將軍,稱為成都王穎誅東海王越、東嬴公騰為名.桑以勒為前驅,屢有戰功,署為掃虜將軍、忠明亭侯.
桑進軍攻鄴,以勒為前鋒都督,大敗騰將馮嵩,因長驅入鄴,遂害騰,殺萬餘人,掠婦女珍寶而去.
濟自延津,南擊兗州,越大懼,使苟晞、王讚等討之.
今回は特に難しいと思えるところはなし。多分、大丈夫だと思う。
前回の分は186氏の解釈どおり馬をパクったのだろうか。
『汲桑帥牧人』である汲桑が、乱世の到来に備えて牧人たちに石勒に馬を提供させたとも解釈できる。
そして、今回、石やんは、早くも司馬騰に報復を果たす(映画並の速さ!)
そして敵の総帥・司馬越と宿敵・苟晞と王讚がついに姿をあらわす
ほとんどドラマ仕立ての石やんの物語。次回はさらなる苦難がふりかかります。
>>196-199乙です
ほんと石勒の人生は波乱続きで面白いですね
この時期の快進撃は、実際問題朝廷側の軍事力が壊滅状態という幸運があったからだと思う
もう、諸王の軍閥も決定的な軍事力は阻喪していて、王浚率いる幽州勢力が八王の乱に
幕を引いていたことを考慮すれば、中央から派遣された刺史や県令にどれほどの軍権があったことやら
貧乏くじ引きまくりの苟晞には心から同情する
タイプ的に後漢末期の皇甫嵩と被るんだな、軍事の才はあっても政界遊泳術にうといところなんかは
この時期の晋側の名将て、性格に難ありなヤツが多いな(特に祖逖や陶侃、劉コンは癖が強い)
>>176 貧乏くじなのは認めるけど、そうでなくては、世にでることはなかったかも知れないし
自分は、『屠伯』苟晞は司馬懿タイプだと思っている。
(司馬懿が自立して半群雄になったら、あんな感じって印象)
政界遊泳術にうといかなあ。失脚しても、また、登用されるねばり強さがあると思うけど
なにげに山東の軍事力をまとめ、司馬越を憤死させているところも
皇甫嵩とはひと味違うところじゃないかな
ちなみに、ご存じであると思うが、苟晞伝の翻訳は【解體晉書】のサイトにある。
王浚伝や祖逖伝もだして欲しいなあ
それで、前回からの続き。
桑、勒攻幽州刺史石尟於樂陵,尟死之.乞活田禋帥眾五萬救尟,勒逆戰,敗禋,與晞等相持于平原、陽平間數月,
大小三十餘戰,互有勝負.越懼,次於官渡,為晞聲援.桑、勒為晞所敗,死者萬餘人,乃收餘眾,將奔劉元海.
冀州刺史丁紹要之于赤橋,又大敗之.桑奔馬牧,勒奔樂平.王師斬桑于平原.
汲桑と石勒は幽州刺史・石尟を楽陵に攻め、石尟は戦死した。
乞活の田禋が五万の衆を率いて石尟を救いにきて、石勒は迎え撃ち、田禋を破り、
苟晞と平原、陽平の間で数ヶ月、相対した。
大小あわせて三十数回戦い、互いに勝ち負けがあった。
司馬越は怖れて、官渡に軍を宿営させ、苟晞のために(汲桑を)牽制させた。
汲桑と石勒は苟晞に敗れ、死者一万余人を出し、残った衆を集め、率いて劉淵のもとに逃げていった。
冀州刺史・丁紹が赤橋においてこれを阻み、大いに破った。汲桑は馬牧に逃げ、石勒は楽平に逃げた。
晋軍が汲桑を平原において斬った。
今回も難しいと思えるところはなし。
今週はもう一段、行う予定。
快進撃のすえ、幽州刺史を倒し、大軍の乞活も破る。
(しかし、幽州刺史は王浚がいるはずなのに、この石尟は誰から任じられていたのであろうか?)
そして、苟晞と対戦。敗北の末、兄貴分の汲桑が死ぬ。
丁紹も有能な官僚で正史に伝がある人物。この頃の晋は威光はまだあったと思う。
またも大ピンチの石やん。もちろん、このままでは終わらない。
ここは、劉淵、王彌の動きも結構重要なあたりだと思う。
確かに洛陽にとって切迫していた脅威は公師藩−汲桑−石勒の賊軍であったかもしれないが
山東(青、?、豫)一帯で厳然たる独立勢力を築きつつあった王彌こそが苟晞
(ひいては司馬越)の最大の主目標であったと思われる。
山西に劉淵率いる匈奴軍閥
山東に王彌を中心とした叛乱軍
そして魏郡一帯を飛蝗のごとく荒らしまわる盗賊石勒
幽州には洞ヶ峠を決め込む、野心の塊王浚
関中では司馬模を派遣するも、現地の漢人豪族は独立の意思を漂わせ始める
江南はほぼ完全にコントロール不能(面従腹背とはまさにこのこと)
司馬越も憤死するわな(権力者なんかになったのは自業自得なんだが)
ぶっちゃけ、この時点で晋の切り札が苟晞一枚という破滅的な状況なのが、何とも……
>>177 この時期の王浚は寧朔将軍、持節、都督幽州諸軍事だったような気がする(詳しく調べていないからあやふや)。
ほぼ温存されている軍事力に加えて、鮮卑最強の段部と婚姻外交による強固な同盟を結んでいた点で、
他の群雄よりもはるかに天下人に近かったと思われる(家柄も庶流とは言え太原王氏の出身だし)。
成都王、河間王、石勒、王彌と数多の群雄が、王浚股肱の鮮卑・烏丸に蹴散らされていることから、
本人の軍事的才能とは別にしても、当時最強の勢力であったことは疑う余地もない。
石勒の立場で就職活動するなら、地元の老舗企業「漢」か、新興で上り調子の「王浚」か
はたまた国家公務員になって「朝廷」に仕えるか
>>182の誤りを訂正
自分で書いといて気づいたが、永嘉年間の王浚の官位は基本的に
「司空、驃騎大將軍、都督東夷河北諸軍事、領幽州刺史、領烏丸校尉」になるのかな?
で、訳。
時に、胡族の酋長、張背(つつみがまえ付き)督、馮莫突は衆数千を擁して、上党に籠もっていたので、
石勒はそこに赴き、昵懇の仲となり、張背督に言った。
「劉単于(劉淵)は挙兵して、晋を滅ぼそうしているのに、酋長は従属することを拒んでいる。独立できると思っているのか?」。
(張背督が)答えるには「できないだろう」。
石勒は言った。「そのようにできない者が、兵馬を所有している。今、部族のものは全員、単于の召募にかかっており、
幾たびも酋長に逆らって、単于のところに行きたいと望んで議論している。その計画が実行されるのももうすぐだろう」。
張背督たちは元々、知略が無く、部族のものの二心を怖れ、ひそかに石勒に従い、単騎で劉淵のもとに帰順した。
劉淵は張背督を親漢王に任じ、馮莫突を都督部大にした。石勒を輔漢將軍、平晉王として、二人を統率させた。
石勒は張背督を兄とし、石姓を与え、名を会とさせ、彼に対して自分に対するのと同じ言葉遣いを(部下に)させた。
※『宜早為之計』と『言其遇己也』があまり自信がない
間違いがあったら、ご指摘お願いしますm(_ _)m
今回はちょっと難しかった。
さすが、石やん。手ぶらで劉淵のところにはいかずに、半ば詐欺と脅迫で
それなりの部族の長を、弟分にして、労せずにみやげを持っていく。
(一気に輔漢將軍、平晉王! 空手形かも知れないが名称がすごい。国号が漢、敵国が晋だからね)
さて、石やんはいかに207氏のいう老舗企業(やくざ?)の親分・劉淵のもとでのしあがるか
次回をお楽しみに。
214さん、207さん、翻訳本当にご苦労様です。
このスレは本当に良スレですね。いつも楽しみにさせて頂いております。
さて、214さんの読みたいと言われていた劉元海戴記を翻訳されている方
をたまたま発見しました。
http://www.geocities.jp/takemanma/index.html お一人で、ここまでの戴記を翻訳されたのは頭が下がる思いです。
現在は石勒と並ぶ大英雄の苻堅戴記を掲載中です。
宜しかったらご覧になられて下さい。
(既にご存知でしたら失礼しました。)
乙。でも、?と字の表記がどうにも目に鬱陶しいので、スマンが今度から
ここ(↓)でJIS外漢字をコードに変換してから貼ってもらえんだろうか・・・。
http://code.cside.com/3rdpage/jp/unicode/converter.html 一代の驍将祁弘もまさか濃霧のために呆気ない最期を遂げることになるとは……。
(東魏の慕容紹宗も間抜けな最期だったが、これに勝るとも劣らない無念な死に方だ)
このまま祁弘が生きていたら、石勒もいずれ攻め滅ぼされて楽に死ねただろうに。
>>188 すまん、環境上入れるのは若干問題があるんで、大目に見てくれんか?
で、訳
烏丸の張伏利度が衆二千をもっており、楽平に籠もっていた。劉淵は何度も招安しようとしたが、
来させられなかった。石勒は偽って、劉淵から罪を得た形にして、張伏利度のところに逃げた。
張伏利度は大いに喜び、結んで兄弟となり、石勒に胡人たちを率いさせて、攻めさせた。
向かうところ敵無く、胡人たちは畏れ、心服した。
石勒はみなの心が自分についたのを確認すると、張伏利度を捕らえ、胡人たちに言った。
「今、大事を起こす時に、私と張伏利度、どちらが主となるに堪えようか?」。
胡人たちは石勒を推し、石勒は張伏利度を解放した。その部族を率い、劉淵のもとに帰順した。
劉淵は石勒の職に、督山東征討諸軍事を加え、張伏利度の衆を配下にした。
今回は難しいところはなし。(前回の分とあわせて指摘があったら、お願いします)
劉淵のもとで初手柄の石やん。損害は少なく、利は多し。
石やんがただの武将ではないことがこれで分かる。
次回は劉淵・劉聰のもとで強敵の一人、劉琨と戦います。
このスレ、勉強になる。
次の訳、楽しみにしてます。
劉淵は劉聡に壺關を攻めさせ、石勒に七千を統率させ、前鋒都督に命じた。
劉琨は護軍の黄秀らに壺關を救援させ、石勒は黄秀を白田で破った。
黄秀は戦死し、石勒は壺關を陥れた。劉淵は石勒に劉零、閻羆ら七將、衆三万を率いさせ、魏郡を攻めさせた。
頓丘のたくさんの壘壁をいくつも陥れ、壘主を仮の将軍や都尉とし、すぐに強壮なもの五万を兵士にし、
老弱はもとのようにして安堵させ、軍は私的な略奪はせず、百姓を懐柔した。
今回も難しいところはなし。大丈夫なはず
劉淵の配下、劉聡の先鋒として劉琨に一勝。長い戦いの端緒を飾る。
>軍は私的な略奪はせず
これは本当か、と思うが。
次回からはまた石やんの快進撃と報復の嵐が始まります
>>1 自分にとっても王浚の最初のイメージは袁紹っぽかったんだが、
(特に名門に生まれながら、庶子として扱われざるを得なかった点など)
やってることは袁術っぽかったりして、何かいろいろ複雑な人物像
石虎ってものすごい残虐な事したと書かれてるけどさ、
なぜか石邃だけに異常に寛大だよね??
自分と口利いただけでも家臣殺してそうな男なのに、なぜか彼だけ
謀反しでかしたり罵ったりしても本人は赦されたり殺されてないのが不思議。
家臣が許可しないので殺したくなかったけど殺したとか記述もあるけど、
石虎て実際にはどんくらいヤバイ奴だったんだろう・・
史実どおりなのかなにか脚色されているのか・・
>>199 かなり脚色されてると思う。
石虎に限らず必要以上に脚色される事は多いよ。
石虎なんて、石勒の遺骸を「秘葬」したことを、あたかも山奥に捨ててきたみたいな記述だからな
どうも、石虎も石勒の母王氏も山野への秘葬だったことを考えると、羯族にはそういう風習が
あったと見るべきだろう
しかし、簒奪後の軍事行動の拙さを見てると、石虎も石勒の「軍事代行者」としては有能であっても
トップとしての展望や指揮采配能力には欠けていたんだろうなあ
張賓のような参謀を得られなかったことも、そういう欠点に拍車をかけているっぽい
それよりもまた翻訳。今回は少し長い。
及元海僭號,遣使授勒持節、平東大將軍,校尉、都督、王如故.勒并軍寇鄴,鄴潰,和郁奔于衛國.
執魏郡太守王粹于三臺.進攻趙郡,害冀州西部都尉馮沖.
攻乞活赦亭、田禋于中丘,皆殺之.元海授勒安東大將軍、開府,置左右長史、司馬、從事中郎.
進軍攻鉅鹿、常山,害二郡守將.陷冀州郡縣堡壁百餘,眾至十餘萬,其衣冠人物集為君子營.
乃引張賓為謀主,始署軍功曹,以刁膺、張敬為股肱,夔安、孔萇為爪牙,
支雄、呼延莫、王陽、桃豹、逯明、呉豫等為將率.使其將張斯率騎詣并州山北諸郡縣,說諸胡羯,曉以安危.
諸胡懼勒威名,多有附者.進軍常山,分遣諸將攻中山、博陵、高陽諸縣,降之者數萬人.
劉淵が皇帝を自称するに及んで、石勒に使者をだし、持節を授け、平東大將軍、校尉、都督にし、王号はもとのとおりとさせた。
石勒の軍は鄴を攻め、壊滅させて、和郁は衛国まで逃げた。魏郡太守・王粹を三台において捕らえた。
趙郡に侵攻し、冀州西部都尉・馮沖を殺した。乞活を赦亭に攻め、田禋を中丘において、皆殺しにした。
劉淵は石勒に安東大將軍、開府,置左右長史、司馬、從事中郎を授けた。進軍して鉅鹿、常山を攻め、二郡の守將を殺した。
冀州の郡県堡壁を百以上陥れ、衆は十数万に至り、衣冠をつけた人物(士大夫)を集め、君子営とした。
張賓を登用して、謀主にし、始めは軍の功曹に任じた。
刁膺、張敬を股肱とし、夔安、孔萇を爪牙とし、支雄、呼延莫、王陽、桃豹、逯明、呉予らを将にし、率いた。
武将の張斯に騎兵を率いさせて、并州の山北諸郡県を訪れさせて、羯族の胡人たちを説得させ、安危をさとさせた。
胡人たちは石勒の威名を怖れ、多くの者がついた。
常山に進軍し、諸将を分けて遣わし、中山、博陵、高陽の諸々の県を攻めさせ、数万人を降伏させた。
特に難しいところはなし。今回の記述は結構、重要。
まず、汲桑の時におとした鄴を再び落とす。
さらに汲桑を直接、殺した乞活を皆殺しにして、報復の二段階を果たす。
(残る報復リストは王衍、司馬越、苟晞か。丁紹はこの前後に死亡)
丁紹不在の冀州は石やんに切り取られ放題。
さらにこの頃、張賓が加わる。(まだ、君子営の末席だろうけど)
ここで、いつの間にか刁膺、張敬という二軍師と
(この二人って出自はなんであろう。特に張敬は武将なのか士大夫なのかも謎)
名将・孔萇が加わっている。
以前、石勒陣営を聞きたがっていた人はこの節を見るといい。初期はこのメンバーが中核。
次回、快進撃を続ける石やんに新たなる宿敵が現れる(バレバレ)
>>1 東晋攻略や段遼征伐の時期までは、支雄や桃豹、キ安たちが生き残っていたおかげで
軍事行動ではまずまずの成果を収めていたんだがねえ
ちょうど、彼ら開国の元勲?たち(こいつら元勲ってタマじゃないんだが)が340年前後に
櫛の歯が抜けるように、フェードアウトしていくのと同時に石虎の軍事行動にも翳りが見え
始め、ご存知のように当代最強の慕容恪、ディフェンスには定評のある謝艾らに立て続けに
敗戦を重ねてしまった
名選手が必ずしも名監督になるとは限らない好例だな
逆に、明らかに石勒に関しては、「どう考えても統治者なんぞになれるわけないだろう」
と周囲に思われていたにもかかわらず(王浚への手紙等)、かなりレベルの高い
統治者になってしまうんだから、世の中先が読めない
蜀では羅尚の評価はかなり良くなかったみたいですね。
文献をそのまま信じれば
刺史羅尚 羌を征討して破る は後秦のこと? とか
李特を殺してるし将軍としてはそれなりの能力があるんじゃない?
人間性や統治能力(する気がない?)はアレとして。
>>1 あれ、荊州で劉弘の麾下と言えばもちろん陶侃だけど、
この時期(劉弘死後数年)の陶侃って何してたんだろ?
>宜早為之計
>その計画が実行されるのももうすぐだろう。
間違いがあるもしれませんが、
「之」は、ここでは多分、二人称の代名詞だと思います。
あくまで直訳ですが、
あなた方自身のために〔劉淵に帰順するのか、しないのか〕早く考えて決めるべきです。
といった意味でしょうか。
>>207 303年 劉弘の麾下として張昌の乱を平定。東郷侯となる。
305年 江夏太守として陳恢を撃破。
307年 江夏太守として陳敏の乱を平定の後、母親の死により辞職。
喪が明け東海王・司馬越の麾下に入り、次いで江州刺史・また華軼により
揚武将軍となり夏口に駐屯。
司馬睿に奮威将軍の地位を与えられ、続いて龍驤将軍、武昌太守となる。
(年代不明だが喪の期間を考えると恐らく310年辺りか?)
劉弘の死後、数年の陶侃の様子はこんな感じですね。
私は通俗続三国志と通俗続後三国志読んだんですけど、これって中国の続三国演義の訳かな?
なんか魏の武将の子孫(架空の人物)の扱いが酷い、とくに張遼の孫たち、あと呉奇だか朱伺だか一度死んだ武将が生き返ってる。
>>210 よくよく考えたら、中英板て三国演義関連のスレがないんだな
このスレには詳しい人いるみたいだけど(
>>176)、若干スレ違い気味のような……
劉弘と言えば、賈后に毒を呷らせたのも彼でいいのかな?
何か、八王の乱の要所要所で登場してくる印象が強い(たいてい、調停役で奔走している)
荊州に赴任したら赴任したで、地方官がいない郡県がいっぱいあったんで、彼自ら選定して
任命した逸話とか、苦労人過ぎるよなあ
後の江陵軍閥の礎を築いたのは、武人たちの軍事力ではなく、間違いなく劉弘の行政と人徳だわ
で、とりあえず自分が
>>184 でやった翻訳の訂正。
時に、胡族の酋長、張背(つつみがまえ付き)督、馮莫突は衆数千を擁して、上党に籠もっていたので、
石勒はそこに赴き、昵懇の仲となり、張背督に言った。
「劉単于(劉淵)は挙兵して、晋を滅ぼそうしているのに、酋長は従属することを拒んでいる。独立できると思っているのか?」。
(張背督が)答えるには「できないだろう」。
石勒は言った。「そのようにできない者が、兵馬を所有している。
今、部族のものは全員、単于の召募にかかっており、幾たびも酋長に逆らって、単于のところに行きたいと望んで議論している。
あなた自身のためにすぐに考えて決断するべきだろう」。
張背督たちは元々、知略が無く、部族のものの二心を怖れ、ひそかに石勒に従い、単騎で劉淵のもとに帰順した。
劉淵は張背督を親漢王に任じ、馮莫突を都督部大にした。石勒を輔漢將軍、平晉王として、二人を統率させた。
石勒は張背督を兄とし、石姓を与え、名を会とさせ、彼が自分を(よく)待遇してくれたからだ、と言った。
それでは前回からの続き
王浚使其將祁弘帥鮮卑段務塵等十餘萬騎討勒,大敗勒于飛龍山,死者萬餘.
勒退屯黎陽,分命諸將攻諸未下及叛者,降三十餘壁,置守宰以撫之.進寇信都,害冀州刺史王斌.
於是車騎將軍王堪、北中郎將裴憲自洛陽率眾討勒,勒燒營并糧,迴軍距之,次于黃牛壘.
魏郡太守劉矩以郡附于勒,勒使矩統其壘眾為中軍左翼.勒至黎陽,裴憲棄其軍奔于淮南,王堪退堡倉垣.
元海授勒鎮東大將軍,封汲郡公,持節、都督、王如故.勒固讓公不受.
與閻羆攻※圈、苑市二壘,陷之,羆中流矢死,勒并統其眾.潛自石橋濟河,攻陷白馬,坑男女三千餘口.
東襲鄄城,害兗州刺史袁孚.因攻倉垣,陷之,遂害堪.渡河攻廣宗、清河、平原、陽平諸縣,降勒者九萬餘口.
復南濟河,滎陽太守裴純奔于建業.
※ 者(にちへん付き)
ついに、第二の宿敵・王浚登場。
祁弘と段氏という統率された騎兵軍団に寄せ集めの石やん軍は蹴散らされる。
黄河の北岸まで逃亡。(幽州の騎兵のすさまじさが分かる)
だが、ここから復活! 王斌・袁孚を殺し、刺吏キラーぶりを発揮。
中央からの討伐軍も壊滅させ、(ここの裴憲は王浚配下の?)黄河を南へ渡る
>男女三千人以上を穴埋めにした
やっぱり石やんはこれですな
王彌伝
以前、劉曜は王彌をもって洛陽先遣の任に当たらせていたが、王彌が自分を待たずに勝手に
入城したことを怨んでいた。ここに至ってついに、両者の嫌隙は決定的なものとなった。
(晋の司隸校尉で降将の)劉暾は王彌に、青州に還り割拠するように主張した。
王彌はそれに同意すると、すぐに左長史の曹嶷を鎮東将軍に任命し、兵五千を与えるとともに、
多額の宝物を贈与した上で郷里の青州に派遣させ、それで戸籍を失った流民達を招誘し、
その一党に迎え入れようと企んだ。
王彌の将であった徐貌、高梁は間もなくその部曲数千人を率いて、曹嶷に従って王彌の陣営
から離れていったが、これにより王彌の勢威はますます衰弱してしまった。
※ 王彌伝に拠れば、徐・高の二将が離脱したのは、青州割拠の地ならしのため、曹嶷に
配属したことが理由と分かる。
あと、
>>1の
古典を持ち出したウィットに富んだ劉曜と王彌の会話。
石やんがいたら、
(はぁ? なに言っているんだ。こいつら。酒臭えんだよ! このエセインテリどもが!)
ってことに、なっていただろうな。
ドキュンの巣窟と思っていた漢軍でも孤立感を味わう石やん。負けるな(^o^)
さらに
>>256-257の続き
今回は二段。
時劉聰攻河内,勒率騎會之,攻冠軍將軍梁巨于武コ,懷帝遣兵救之.勒留諸將守武コ,與王桑逆巨於長陵.
巨請降,勒弗許,巨踰城而遁,軍人執之.勒馳如武コ,坑降卒萬餘,數梁巨罪而害之.
王師退還,河北諸堡壁大震,皆請降送任于勒.
及元海死,劉聰授勒征東大將軍、并州刺史、汲郡公,持節、開府、都督、校尉、王如故.勒固辭將軍,乃止.
その時、劉聡が河内を攻めており、石勒は騎兵を率いて合流し、冠軍將軍・梁巨を武コにおいて攻め、
懐帝は兵を遣わし(梁巨を)救援させた。石勒は諸将を武コに留め、王桑とともに梁巨を長陵において迎え撃った。
梁巨は降伏を求めたが、石勒は許さず、梁巨は城を越えて逃げようとしたが、軍の人に捕らえられた。
石勒は武コにまで馳せ、降伏した兵士、一万人以上を穴埋めにし、梁巨の罪を数え上げ殺した。
晋軍は退き帰り、河北のもろもろの堡壁は大いに動揺し、皆、石勒に降伏を求め、人質を送ってきた。
劉淵が死ぬに至って、劉聡は石勒を征東大將軍、并州刺史、汲郡公,持節、開府、都督、校尉に任じ、王号を元のままにした。
石勒は(征東大)将軍を固辞し、取りやめとなった。
残酷行為が続く石やん。
なぜ、梁巨の降伏を認めなかったか。数え上げるほどの罪とは何か。謎のままだ。
(梁巨はここしかでてこない)
そして、ついに劉淵が死亡。将軍号を固持したところに、劉淵以外を主君とあおぐ気がないのがかいまみえる。
次回は強敵たちとの戦いが石やんを待っています。
スレの流れとは別な話題で
インドの仏教興隆では、アショーカ王による庇護によって上座部仏教が地位を高めたことが
教科書にはよく載ってるし、日本でも崇仏論争以来聖徳太子やら聖武天皇やら桓武天皇やら
仏教の庇護者は枚挙にいとまがない
でも、中国仏教だとなぜか本格的に庇護した後趙政権がすっ飛ばされて、
後秦やら北魏やら梁にやら話題が飛んでしまうのは何故なんだろう
物自体が残っていないからかなあ?
>>221 石勒・石虎は仏教を保護、民間に信仰を浸透させたのって、
分かりにくい業績だからじゃないかな?
鳩摩羅什が後秦の姚興によって長安に迎えられたり、姚興の話とか。
北魏は廃仏で有名な太武帝がいたり、
梁には仏教狂いの武帝がいたりするしそっちの方が具体的に目に止まりやすいのでは?
まあ寺院とかをやたら建ててたりするのも理由だとは思うけど。
劉琨
うまくいったかな?
次は晋書巻六十二、列伝第三十二をメインで
で、今回はここ
劉粲率眾四萬寇洛陽,勒留輜重于重門,率騎二萬會粲於大陽,大敗王師於澠池,遂至洛川.
粲出轘轅,勒出成皋關,圍陳留太守王讚於倉垣,為讚所敗,退屯文石津.
將北攻王浚,會浚將王甲始率遼西鮮卑萬餘騎敗趙固于津北,勒乃燒船棄營,引軍向柏門,
迎重門輜重,至于石門,濟河,攻襄城太守崔曠於繁昌,害之.
劉粲は四万の衆を率いて、洛陽を攻め、石勒は重門に輜重をとどめ、騎兵二万を率いて、大陽において、
劉粲と合流し、晋軍を澠池において大いに破り、洛川にまで至った。
劉粲は轘轅から出て、石勒は成皋関から出て、
陳留太守・王讚を倉垣において囲み、王讚に敗北し、退いて、文石津に駐屯した。
それから北上し、王浚を攻め、王浚の武将・王甲始が遼西鮮卑の騎兵一万人以上を率い、
趙固を津北において破ったので、石勒は船を焼き、陣営を捨て、軍を率いて柏門に向かい、
重門の輜重を迎え入れ、石門に至ってから、黄河を渡り、襄城太守・崔昿を繁昌において攻め、殺した。
正直、位置関係があまりよくわからないが、悪戦苦闘が続く石やん。
宿敵・苟晞の配下、王讚に敗北、もう一人の宿敵・王浚の配下、王甲始に転進に追い込まれる
黄河をはさんでの戦い、北に王浚、東に苟晞。西晋の二枚看板が石やんに迫る。
(
>>225の五行、『王浚を攻め』→『王浚を攻めようとした時』に訂正。
『將』にがついているからね)
次回は、南方の群雄と石やんの戦い。
常勝不敗が名将の条件と言うのであれば、石勒は間違いなく名将の範疇からは外れてしまう
まあ、名将というには品位なんて微塵も持ち合わせていないし、騎士道精神みたいな美学も
理解する気なんて端からないくらい、戦闘においては残虐行為に躊躇無く手を染めている
カテゴリー的には、猛将……ではないな、調略、奇策、使える手段であれば、どんな汚い策でも
平気で仕掛けてくるし、盟約破りなんか朝飯前
謀将と言うには余りにも純朴すぎるし、陽気な感じ
何つーか、客観的に評価すれば均衡の取れた良将に落ち着くんだが
やはり奴隷時代、穴埋め、虐殺、強制移住等のせいで、ブラックな印象が憑いて回っちまうな
それより先に、雍州の流人・王如、侯脱、厳嶷らが長江と淮河の間で挙兵していて、石勒がやって来たのを知り、
怖れ、衆一万を遣わし、襄城に駐屯させ(石勒を)防がせたが、石勒はこれをうち破り、その衆を全て捕らえた。
石勒は南陽につき、宛北山に駐屯した。
王如は石勒が襄城を攻めたことで怖れ、珍宝や車馬を贈り、(石勒の)軍をごちそうでねぎらい、
結んで兄弟となり、石勒はこれを承諾した。
王如は侯脱と不仲で、石勒を説いて侯脱を攻めさせた。
石勒は夜、命令を下し、三軍に鶏鳴とともに出発させ、朝には宛門に迫り、攻めて十二日で勝った。
厳嶷は衆を率い、侯脱を救援しようとしたが、間に合わず、石勒に降伏した。
石勒は侯脱を斬り、厳嶷をとらえて平陽に送り、その衆を全て組み入れ、軍勢はますます盛んとなった。
石やん、南陽方面にいた雍州の流人勢力と戦い、圧勝。圧倒的軍才をみせつける。
(これって張繍と同じパターンだよね。
李特・李雄親子も雍州の流人だったけ。王如は晋書に列伝がある人物)
厳嶷のその後の運命は・・・(T_T)
次回は南方の戦い、その続き。
で、続き。
勒南寇襄陽,攻陷江西壘壁三十餘所,留刁膺守襄陽,躬帥精騎三萬還攻王如.憚如之盛,遂趣襄城.
如知之,遣弟璃率騎二萬五千,詐言犒軍,實欲襲勒.勒逆擊,滅之,復屯江西,蓋欲有雄據江漢之志也.
張賓以為不可,勸勒北還,弗從,以賓為參軍都尉,領記室,位次司馬,專居中總事.
石勒は南下し、襄陽を攻め、江西の壘壁を三十カ所以上も攻め落とし、刁膺を襄陽の守備にとどめ、
自身は精鋭の騎兵三万の将として帰還して、王如を攻めた。王如は(石勒の)勢い盛んなのを怖れ、襄城に赴いた。
(王如は)弟の王璃を騎兵二万五千を率いて遣わし、いつわって軍をねぎらいの言葉を与えて、石勒を襲撃しようとした。
石勒は迎え撃ち、(王璃の軍を)滅ぼし、また江西に駐屯し、江漢により自立しようという志を持った。
張賓は無理であるといって、石勒に北に帰ることを進めたが、(石勒は)従わず、
張賓を參軍都尉にし,記室を領せしめ,位を次司馬にして、陣営の中のことに専任させた。
※ 『領記室,位次司馬,專居中總事』に自信がない。
ご教示お願いしますm(_ _)m
前回の兄弟のちぎりはなんだったのか、と小一時間問いつめたくなるような石やんの行動。
さっそく王如を裏切り、攻めまくる。
続いてなにを思ったか、江漢地方(漢水と長江の間にある地域のことだろう)に自立しようとする。
王浚、苟晞、劉琨みたいな強敵がおらず、王彌と劉聡と勢力圏が重なる地域を避けたのだと思う。
このころの荊州刺吏は山簡だろうから切り取り放題だったろうな。
次回は南方の戦い、その3。司馬睿と初の接触をする。
江漢平野で自立するメリットは、それほど有力な晋側の軍閥がいないこと
より一層開発の進んだ肥沃な平野部とそこそこの人口を有すること(また、流民が多く流入していた)
三国時代に軍事都市として発達した、襄陽(樊城)、江陵の存在
こんなところかな、目の付け所は悪くない
魏晋南北朝時代を通じて、江陵に拠る勢力は、たとえ官軍であろうと事実上一軍閥として
他の勢力に拮抗できるほどの実力を誇っていた
でも、張賓はそれを捨てて「(たとえ群雄が犇めいていようと)河北で割拠するべきです。」と主張するわけだ
北伐したいと言ったが、全然兵力が増強されない
死ねと言うことか
>>1 勢いで訳していたから、そこら辺の記述から早とちりしてしまったかもしれません
確かに、どこにも呼延翼が侍中を兼任していたことは書いてなかったんで、誤訳していたみたいです
すいません、侍中兼御史大夫(姓名不詳)に訂正しておきます
お知らせくださり、ありがとうございました。
細かいことですが、つい気になったので書き込んでしまいました。
>>235,
>>293だいぶ、死んでしまったスレが増えてきたけど、
まだまだ、このスレは健在ってことで。特にお二人のおかげです。
>>290 正直、司馬睿、王導の本音はそうだろうね。二人とも全く北伐する気がなかったか
不明だが、江南豪族の内部調整に忙しく、失地奪回はあきらめていたような空気がある
その中で北伐を求める祖逖は邪魔者なわけだ。
司馬睿に至っては、祖逖の兵力を王氏の権力を抑えるのに利用しようとするわけで
、その軍事力は、司馬睿と王導の政争の道具にされたともいえる。
岳飛も哀れだが、全く援助をうけられない祖逖はもっと苛酷な状況だ。
逆にいえば、そんな状況で当代屈指の軍事能力をもつ石勒・石虎と相対したのだから
祖逖がいかに名将であったということがこれで分かる。
で、翻訳の今回分。
元帝慮勒南寇,使王導率眾討勒.勒軍糧不接,死疫太半,納張賓之策,乃焚輜重,裹糧卷甲,渡沔,寇江夏,太守楊岠棄郡而走.
北寇新蔡,害新蔡王確于南頓,朗陵公何襲、廣陵公陳眕、上黨太守羊綜、廣平太守邵肇等率眾降于勒.勒進陷許昌,害平東將軍王康.
司馬睿は南へと攻めてくると考え、王導に衆を率いて石勒を討たせた。石勒軍は兵糧がつづかず、(軍の)死すもの、
病気になるものが大半となり、張賓の献策をいれ、輜重を焼いて、兵糧を持たせ鎧をつけさせたまま、沔河を渡り、江夏を攻めた。
太守の楊岠は郡を棄てて逃げた。北に行き、新蔡を攻め、新蔡王・司馬確(司馬騰の子)を南頓において殺し、
朗陵公・何襲、広陵公・陳眕、上党太守・羊綜、広平太守・邵肇は衆を率いて、石勒に降伏した。
石勒は進軍し、許昌を攻め落とし、平東將軍・王康を殺した。
さっそく、張賓の危惧はあたり、兵糧が確保できず、(なんでこうなったかはよく分からないが)
危機に陥る石やん。(こういう機動戦を得意とするタイプが陥りやすい罠だよな)
といいつつ、前回あたりから張賓が頭角を現し初めているのに気づく。
張賓に従い、江夏をおとし、あの自分を奴隷にした司馬騰の子・司馬確(残りは全て死亡)
を殺し、家を断絶においこみ、報復を完成させる。
さらに三太守を降伏させ、許昌を落とす。
次回、有名なあのエピソード。『晋の半分』との決着。
で、また、続き。石勒の話で最も有名な部分。
先是,東海王越率洛陽之眾二十餘萬討勒,越薨于軍,眾推太尉王衍為主,率眾東下,勒輕騎追及之.
衍遣將軍錢端與勒戰,為勒所敗,端死之,衍軍大潰,勒分騎圍而射之,相登如山,無一免者.
於是執衍及襄陽王範、任城王濟、西河王喜、梁王禧、齊王超、吏部尚書劉望、豫州刺史劉喬、太傅長史庾※等,坐之于幕下,問以晉故.
衍、濟等懼死,多自陳說,惟範神色儼然,意氣自若,顧呵之曰:
「今日之事,何復紛紜!」勒甚奇之.勒於是引諸王公卿士於外害之,死者甚眾.勒重衍清辨,奇範神氣,不能加之兵刃,夜使人排牆填殺之.
左何倫、右李ツ聞越薨,奉越妃裴氏及越世子※出自洛陽.勒逆※於洧倉,軍復大潰,執毗及諸王公卿士,皆害之,死者甚眾.
因率精騎三萬,入自成皋關.會劉曜、王彌寇洛陽,洛陽既陷,勒歸功彌、曜,遂出轘轅,屯于許昌.劉聰署勒征東大將軍,勒固辭不受.
今回で、因縁の報復リスト第一・王衍をぬっ殺し、司馬越の残党である西晋の半分を潰す。
20万人を越える大量虐殺を行い、司馬一族も半分以上始末する。
(しかし、銭端って陳敏配下だった武将? だったら、珍しい起用だな)
さらに今回で洛陽も陥落。西晋は実質的に滅亡。
敵軍はつぶしたものの、勢力はいまだ定まらない石やん。
劉曜、王彌というかつての味方とも新たな戦いが予見される。
大量を勢力空白地帯をめぐり、石やんはかつての宿敵と決着をつける。
それでは今回分。
先是,平陽人李洪有眾數千,壘于舞陽,苟晞假洪雍州刺史.勒進寇穀陽,害冠軍將軍王茲.
破王讚于陽夏,獲讚,以為從事中郎.
襲破大將軍苟晞于蒙城,執晞,署為左司馬.劉聰授勒征東大將軍、幽州牧,固辭將軍不受.
これより先、平陽の人・李洪が数千の衆を擁し、舞陽に籠もっていて、苟晞は彼を仮の雍州刺史に任じていた。
石勒は穀陽を攻めて掠め、冠軍將軍・王茲を殺した。王讚を陽夏に破り、捕らえ、従事中郎に任じた。
大將軍・苟晞を蒙城に攻撃し、苟晞を捕らえ、左司馬に任命した。
劉聡は征東大將軍、幽州牧を石勒に授けたが、石勒は固辞して受けなかった。
(一行目と他とのつながりがわかりにくいが、逸文があるのかもしれない)
ついに(あまりにもあっけなさすぎるが)宿敵・苟晞と自分を敗北させた王讚を捕らえる。
多分、洛陽の司馬熾に山東方面の諸軍事に任じられていたので求心力を保っていただけで、
苟晞自身の魅力ではなかったのだろう。
軍律が厳しく、殺しすぎという評判の苟晞は洛陽の陥落後、支配地域の地方官・豪族から
そっぽを向かれたのだと思う。
苟晞はやはり司馬懿に似たタイプだろう。バックに大国があって、初めて力が発揮できるタイプ。
ピンでは英雄というには厳しい。
次回はかなりの長文。まさに乱世というエピソード。
>恐其遂成前狗意也。
前狗意は以前、劉暾を捕らえて露見した王弥の謀略を指しているのかもしれません。
狗は貶語で、「糞〜」などという意味でしょうか。^^;適訳が思いつきません。「つまらない企て」ぐらいの意味でしょうか。
固い訳ですが、直訳すると、彼(王弥)は、以前、私(石勒)を殺害しようとしたつまらない企てを成し遂げようとしているのではないか、
という意味でしょうか。
後は213さんの訳をお待ちしています。
改悪になるかもしれませんので、試訳は致しません。
石勒伝の翻訳ありがとうございます。
謂勒深心推奉,無復疑也
王彌はとても喜び、石勒を心底、奉ると言い、再び疑うことはなかった。
石勒を心底、奉ると言い、
という訳は、少し不自然ではないでしょうか。
(王弥は)石勒が自分を推戴していると思い込み、(石勒を)再び疑うことはなかった
という意味だと思いますよ。
勒心然之,詰朝引退.
石勒は心では同意したが、(李頭を)なじって幕府から引き下がらせた。
詰朝ですが、辞書によれば、翌朝という意味のようです。
翌朝、〔石勒は囲みを解いて〕軍勢を引き上げた。
という意味だと思いますよ。
>詭請王彌讌于已吾,
いつわって、王彌に自分だけと(二人きりで)酒盛りを請うた。
少し調べたのですが、已吾は、地名のようです。現在の河南省の睢県の付近のようです。
いつわって、王弥を已吾へ酒宴に招いた
という意味だと思います。
間違っているかもしれませんが、ご覧いただければ幸いです。
>既入,酒酣,勒手斬彌而并其眾
王彌が(石勒の幕府に)入り、酒盛りの最中に、石勒は自ら王彌を斬り、その衆も一緒に殺し、
想像ですが、石勒と王弥は、軍勢を引き連れて会合し、テントのような場所で酒宴を開いたのでしょうかね。
その意味で、幕府としてもいいと思います。建物の中ではない気がします。
「その衆」までは多分、殺していないのでは(王弥だけではないにしても)
石勒の潔さ(?)は恐ろしいですね。
文脈から、王弥は石勒を殆ど信用していたようですね。青州に派遣した劉暾のことは忘れてしまったのでしょうか。
石勒伝の翻訳、実にありがたいっ、
ホント頭が下がりますわ、是非ぜひ続けて
おくれよぉぉっ、期待しとります!
ご苦労なこっちゃのう。以前姚興のとこを綿密に訳そうとしたが4、5頁で投げたわw
王彌としては、酒宴を幾度か開いて友好ムードを醸成してから、石勒を騙し討ち
しようとしていた可能性もある、まあ、単なる時間稼ぎのポーズの可能性が
一番高そうだが。
劉聡の最大の弱みは、単于勢力はよいとして、左賢王ポジションにいる劉粲(+補佐で劉曜)
と右賢王以下のポジションにいる王彌、石勒らがまったく思い通りに動かないことだわな。
劉粲は独断でポカして期待はずれ、王彌、石勒らは自分らの勢力拡大にばかり熱心で、
国家戦略を理解しようともしない。
洛陽攻略も、総司令官だった劉曜が何とか力づくでまとめあげていたから成功したようなもので
劉曜以外が総司令官であれば、前年の劉聡のように部隊が勝って気ままに動いて
油断したところで瓦解という可能性も十分に孕んでいた。
まあ、この支配体制を見ていれば、なぜ匈奴帝国の勢力が拡大縮小を幾度となく繰り返したのか
何となく分かるなあ。
で、とにかく、石やん、劉琨の誘いを断り、晋にはつかず。
とりあえず、劉琨と和平し、晋から官位をもらう道は絶ってしまう。
まあ、このままじゃ無理だろうけど、劉琨を通して晋に掛け合う方策もあったのは間違いない。
一応、うけたように見せて、他勢力との戦いに専念する策もあっただろうが、あえて取らず。
外交において、卑劣な策をとらず、堂々と腐れ儒者と言ってのけるところに
石やんなりの美学があると思う。劉琨の日頃の態度にも問題があったのかも知れない。
王弥・苟晞が消え、劉聡に臣下であることは一応、維持し、残る強敵は、王浚、劉琨のみ。
劉琨とは今回で一応、停戦状態にはなったと思う。
次回は、苦戦が続く江南侵略戦。
しかし石勒の後趙を基本モデルに
前秦、北魏、隋と段階的に胡漢融合と北朝の完成形が成立した訳だが。
>>258 国家による仏教庇護も本格的に始まったのは後趙からだな。
確かに、前趙というプロトタイプは存在していたものの、後の北朝系国家の
源流は後趙に求められるべきだろう。
個人的には、五胡十六国と十把ひと絡げに認識するよりは
前趙対後趙〜前燕対前秦、前秦崩壊後の小国乱立〜北魏台頭の東西対立メインで
見ていけば理解しやすいと思うんだが、
平等に四川政権や五涼政権を取り上げるから、乱雑になるような気がする。
北・西視点でかつ源流をたどるならクロヴィスになるだろ。
カロリング朝は北魏か、さらに下って隋か唐初か。
>>1 劉琨は「北伐表」、「勧進表」と名文のオンパレードだからな
実行動が伴う表文に熱さが感じられるのは当然のこと
北の劉王昆と、南の祖逖。彼らは友人同士だったみたいだけど、連合して石勒と戦うという考えはなかったんかな?石勒の領土を通らないといけないから、無理かな。
挟み撃ちにしようって示しあって
成功した例って少ないよね
劉琨と祖逖の場合は、両勢力とも軍閥というには余りにも弱小勢力
一州すらまともに治められていない上に、劉琨に至っては軍事力は当初拓跋部、
爾後段部からの借り物に過ぎず、完全に統制しきれていない状況
祖逖は祖逖で、中央政権からのまともなバックアップは受けられず
あろうことか電撃解任までされてしまうんだから、悲惨すぎる
王浚の勢力であれば、どの時期においても比較的南進は可能であっただろう
それを困難にしたのは、ひとつは石勒の軍事的才能と謀略
もうひとつが、冀州大殺戮だと考えられる
成都王を壊滅させた際の、冀州全土での鮮卑・烏桓による大殺戮は
冀州人士に例えようのないほどの陵辱で以って受け止められたと推測できる
何せ、三国以来最も繁栄し、先進地域のひとつであった冀州の豊沃な都城が
野蛮な幽州の未開人たちに略奪されつくし、多くの難民が戸籍を棄てて逃亡
してしまったのだから
残された多くの人民はこう考えたに違いない「戦乱の世においては武力こそ全て」と
君子営は石勒の能動的な設立というよりも、冀州人士たちによる已むに已まれぬ
自己保存のための盟主推戴と考えるべきではなかろうか?
>>263 これほど方向性の違う友人も珍しいよな
方や超一流の文人(簡潔明瞭なレポートも故実を織り交ぜた美文も何でもござれ)、実務官僚一家
此方、二十歳過ぎるまで勉強しなかった田舎の豪族のやんちゃ坊主
おお、東晋版ふたりはプリ(ry
考えれば考えるほど、石勒は悪の親玉だなぁ
ダークヒーローもいいとこだ
>>1 じゃあ、文章書いていくと、自分も興奮して熱くなっていくっていう性質かな?彼って。何か、謝辞を上疎してるとき、泣いてる劉?を想像すると、不謹慎ながら笑えてしまう。
東晋の桓温は劉琨の事を大変尊敬してたらしいね。
あるとき北伐を敢行したときに劉琨の事を知ってる婆さんに出会って
劉琨と自分を比較させたところ、全体的に劣ってるとダメ出しされて
ショックのあまりしばらく引きこもりになっちゃったらしいけど。
境遇抜きにしても自負がある奴なら曹操・司馬懿を超えれると思うのはわからなくもない。
強烈な自信があれば劉秀と戦えるとも思うだろ。
まだ制覇までの道は常識の範疇だし。
でも劉邦はねぇ…戦死させない限り何度でも再起してくるし
戦で叩いても叩いても勝てない相手なんてどうすりゃいいのか。
戦場で俺なら項羽よりうまくやって劉邦殺せるなんてちょっと思えないだろうし。
>>184氏
私の書きこみにレスありがとうございました。失礼してたんじゃないかと
結構心配だったもので…。石勒載記の翻訳、本当に頭が下がる思いです。
これからも頑張ってください!
しかし、劉聡からの官位はどの程度の実効性があったんでしょうね?
よく見ると、平晋王と汲郡公、王爵と公爵が混在してますし。
まともな官制の元であれば、まずありえない状態ですよね…。
個人的には「親魏倭王」くらいの強制力だったのかも、と考えてます。
流軍同然だった時代の石勒に、それほど大きな期待はかけなかったんで
しょうか?
まあ、そこから河北四州の大半を制覇する石勒が凄すぎるんですが…。
>>272 劉聡からの官位は、県や壘を支配している主を降伏させるのには多少効果があったと思う
晋から要請に耐えられなかったり、頼りないと思ったり、対立していた場合、漢軍と石勒軍
に分かれていては、降伏しにくい。(もう一方から攻められては困る)
同じ漢軍ならば、少なくとも匈奴からの攻撃をのがれるために降伏しやすいと思う。
さらに、奴隷として売られた胡人が河北や山東に多かったと思われることから
単宇の名はやはり効果があるのではないでしょうか?
あの官位は石勒に期待をかけなかったのではなくて、なんとか気持ちをつなぎとめたくて
思いつく官職を連発したという感じを受ける。
時々、『降格ではないか?』と思えるようなものもありますし・・
發自葛陂,遣石季龍率騎二千距壽春.會江南運船至,獲米布數十艘,將士爭之,不設備.
晉伏兵大發,敗季龍于巨靈口,赴水死者五百餘人,奔退百里,及于勒軍.
軍中震擾,謂王師大至,勒陣以待之.晉懼有伏兵,退還壽春.
勒所過路次,皆堅壁清野,採掠無所獲,軍中大飢,士眾相食.
行達東燕,聞汲郡向冰有眾數千,壁于枋頭,勒將於棘津北渡,懼冰邀之,會諸將問計.張賓進曰:
「如聞冰船盡在瀆中,未上枋内,可簡壯勇者千人,詭道潛渡,襲取其船,以濟大軍.大軍既濟,冰必可擒也.」
勒從之,使支雄、孔萇等從文石津縛筏潛渡,勒引其眾自酸棗向棘津.冰聞勒軍至,始欲内其船.
會雄等已渡,屯其壘門,下船三十餘艘以濟其軍,令主簿鮮于豐挑戰,設三伏以待之.
冰怒,乃出軍,將戰,而三伏齊發,夾擊攻之,又因其資,軍遂豐振.長驅寇鄴,攻北中郎將劉演于三臺.
演部將臨深、牟穆等率眾數萬降于勒.
葛陂より出発し、石虎に騎兵二千を率いさせ、寿春まで派遣した。
たまたま江南の運搬船が来るのに会い、米と布を積んだ数十艘を奪い、将士は(戦利品を)争い、(攻撃への)備えをしなかった。
晋の伏兵が大勢出てきて、石虎は巨靈口で敗れ、水に落ちた死者が五百人以上もだし、百里も敗走し、石勒の軍に追いついた。
(石勒)軍は動揺し、晋の大軍が来ると思い、石勒は陣を構え、晋軍を待った。晋軍は伏兵を怖れ、寿春まで引き返した。
石勒が通り過ぎる路は、城壁は堅く守り、野は清められ、略奪して得るものはなく、軍はとても飢え、兵士たちは互いに食い合った。
行軍して、東燕に達したところで汲郡の向冰が数千の衆で枋頭を守っているのを聞き、
石勒が将を棘津から(黄河)を北に渡らせると、向冰は怖れて、迎え撃ってきた。(石勒は)諸将を集め、計略を問うた。
張賓が進言した。「向冰の船は全て瀆中にあり、まだ枋内に来ていないと聞いております。壮健な勇者千人を選び、
細い道をとらせ、(黄河を)秘かに渡らせ、船を奪い取り、それから本隊に黄河を渡らせるべきです。
向冰は必ず捕らえられるでしょう」
石勒は(張賓の進言に)従い、支雄、孔萇たちを使わして、文石津から筏で秘かに渡らせ、石勒は衆を率い、酸棗から棘津に向った。
向冰が石勒の軍が来たと聞き、初めて船を中に入れようと考えた。支雄らはすでに黄河を渡り、壘門をつくって駐屯し、
船・三十余艘を降伏させ、軍を渡らせてから、主簿・鮮于豐に命じて挑戦させ、三方に伏兵を設けて(向冰を)待った。
向冰は怒って、軍を出撃させ、戦おうとしたとき、三方から伏兵に一斉に出て、(向冰軍を)挟んで攻め打ち、
(向冰軍の)資力で、軍がとても振るった。
長駆して鄴を襲い、北中郎將・劉演を三臺において攻め、劉演の武将・臨深、牟穆らは数万の衆を率いて、石勒に降伏した。
いけね。番号つけ忘れていた。いつも通り、213だ。
今回は、『筏潛』が自信がないぐらいであとは大丈夫だと思う。
で、今回は撤退戦。
石虎、江南軍にあっさり敗北し、平地戦と勝手が違うことが推測できる。
>略奪して得るものはなく、軍はとても飢え、兵士たちは互いに食い合った。
悲惨なる退却。当時の社会と軍の実態がうかがえる。
弱ったついていけなくなったものは片端から仲間に食べられたのだろう。
そして、黄河を渡り、河北に帰る。これから根拠地奪取戦がはじまる。
保守
石勒と恪兄でどっちが軍人として評価高いんかな?
213さんの訳では、南から北へ転進して本拠地を築こうとしているところなんだけど、そもそも何故南下したのかな?
まだ独立できず、命令に従わざるを得なかったのか。
王彌殺害後、残党がいるとはいえ、弱った青州に向かうのが楽な展開だったと思うが。
>>279 単純に軍事能力だけだったら、格あんちゃんに軍配が上がるのでは。
高句麗・石虎を破り、負け戦しないうちに逝ってしまったし。
>>279 軍事面だと、負けが込んでいるとは言え関東を制し、直接対決で劉曜を撃破している
点を考慮すれば、石勒に軍配が上がりそうなんだが。
獲得領土、撃破軍閥数で石勒超えてるやつは結局居らんしね。
慕容恪が寡兵で化け物染みた強さを誇るのは、精兵+機動性なのかなあ?
冉閔相手には、それが通じず(歩騎混成の魏軍に翻弄された)、
鉄騎による大包囲で決着つけていたが。
明確に負けたのって、冉閔相手のときぐらいか。(最後は勝ったけど)
個人的には、ここで桓温も軍人最強の一角に加えたいが、枋頭の戦いが……
>>282 まあ、この戦いの敗戦も相手が悪いし、慕容垂と慕容徳の兄弟タッグに負けたとしても恥ではない。
保守。
結局、後継者に恵まれず(?)、民族ごと滅んでしまうわけだが、
いっそのこと最初から、石虎後継という選択肢はあったのだろうか?
>>1 秩序回復志向が強い石勒にとっては、軍の実力者である石虎への継承は
出来れば避けたい選択肢だったろうなあ
実力者間での帝位継承が簒奪をエスカレートさせるのは、南北朝期随所で
見られた事象であったわけだし
石虎の治世は史書が言うほど悪辣なものではなかったと思う
久方ぶりの華北における統一政体だったわけだから、遅滞、放置されていたインフラ整備
に関しては、大規模かつ効率的に実施されたと受け取るべき
(長期間荒廃しきっていた華北で公共事業を起こさない方が無能だろう)
石勒は力こそが全てみたいな殺伐とした集団の頭領なのに、
文治に目覚めるとは奇特な人だ。
外敵さえいなければ、配下のDQN集団は誅殺されていたかな。
だれか石勒の小説とか書かないかな
めちゃくちゃ面白い思うんだけど
>>290 もし石勒の小説が成功したら、その後の五胡十六国関連の小説もどんどん出てくる
だろうね。スピンオフで、その前後の劉淵・劉曜とかも書きやすそう。
>>291 ノベライズはあんまり期待できんなあ。
誰が、こんな殺伐とした低偏差値野郎どものサバイバル小説なんか読むんだよ。
かと言って、いきなりさわやか野郎に性格変えられても困る。
最近、晋書読み返して思ったが
祁弘かなり有能だな、苟晞や劉琨よりも役に立ってる。
瞬間最大風速としての実績であれば、晋将として最高じゃなかろうか?
しかし、気がつくといつの間にかフェードアウトしているから油断できない。
少なくとも、ここにいる人らは読むだろうが
しょせんは売れてなんぼ、だからなぁ…
ところで東海王配下の祁弘と、王浚配下の祁弘って、
同一人物?それとも別人?
同一人物なら、いつ頃移籍したの?
>>294 王浚とこの主簿で、同一人物だな。
305年に、東海王のところにレンタル移籍(烏桓・鮮卑つき)
行く先々で、幽州兵の恐ろしさを広めまくった。
ま、新末後漢初以来の典型的な幽州人将校だな。
殺伐とした松永久秀の小説があるくらいだから石勒もあり
で、原文
時諸將佐議欲攻取三臺以據之,張賓進曰:
「劉演眾猶數千,三臺險固,攻守未可卒下,舍之則能自潰.王彭祖、劉越石大敵也,宜及其未有備,密規進據罕城,
廣運糧儲,西稟平陽,掃定并薊,桓文之業可以濟也.且今天下鼎沸,戰爭方始,遊行羇旅,人無定志,難以保萬全、制天下也.
夫得地者昌,失地者亡.邯鄲、襄國,趙之舊都,依山憑險,形勝之國,可擇此二邑而都之,
然後命將四出,授以奇略,推亡固存,兼弱攻昧,則群凶可除,王業可圖矣.」
勒曰:「右侯之計是也.」
於是進據襄國.賓又言於勒曰:「今我都此,越石、彭祖深所忌也,恐及吾城池未固,資儲未廣,送死於我.
聞廣平諸縣秋稼大成,可分遣諸將收掠野穀.遣使平陽,陳宜鎮此之意.」
勒又然之.於是上表於劉聰,分命諸將攻冀州郡縣壘壁,率多降附,運糧以輸勒.
劉聰署勒使持節、散騎常侍、都督冀幽并營四州雜夷、征討諸軍事、冀州牧,
進封本國上黨郡公,邑五萬戸,開府、幽州牧、東夷校尉如故.
この頃、(石勒の)将佐は、三臺を攻め取って、拠ろうと議論していた。
張賓が進言した。
「劉演の衆は、まだ数千はいて、三臺が険固であり、決着はすぐにはつかないでしょう。捨てておけば、自潰するでしょう。
王浚、劉琨は大敵ですが、守備はまだ整えられておりません。
密かに牢城に進軍し、そこに拠り、兵糧を運び込み、西の平陽に供給して、并薊地方を平定しましょう。
これで桓王・文王の業をなせます。今、天下は鼎沸しており、戦争が今にも始まろうとしています。
遊行や羇旅では、人に決意を固めさせることはできません。万全を保ち、天下を制することは難しいでしょう。
そもそも、地を得た者は栄え、地を失った者は亡びます。
邯鄲、襄國は、趙の旧都で、険阻な山を頼みとした形勝の国であり、この二邑から一つを選んで(攻め取って)都とし、
それから將軍を四方に放ち、奇略を授け、推して滅び、固めて存します。
弱勢でも合わされば、混乱した国を攻め落とせます。群凶を除ければ、王業は図れます」
石勒は言った。
「右侯の計が正しい」
襄國に進み、拠点した。張賓がまた石勒に進言した。
「今、我らがここを都とした事で、劉琨と王浚はとても恐れているでしょう。
我らが城池が固めず、資儲が豊富にない内に、我らに死戦をかけてこられるのが怖いです。
聞くところでは、廣平の諸県はこの秋、豊作との事で、諸将を分けて遣わし、野穀を略奪させましょう。
その上で、使者を平陽に遣って、この地を鎮めるという意志を伝えるのです」
石勒は、これにも同意した。
そこで、劉聡に上表し、諸將に命じ、冀州郡県やその地方の壘壁を攻撃させ、多くが降服し、兵糧を石勒の下に送った。
劉聡は、石勒を使持節、散騎常侍、都督冀幽并營四州雜夷、征討諸軍事、冀州牧に任命すると、
本国である上党郡公に進封し、邑五万戸とされた。開府、幽州牧、東夷校尉は、そのままとされた。
>>297 翻訳再開お疲れ様でございます。
期待してます。
>>394 以前、どこかのサイトで見たことがあるんだけど(詳しいことは忘れた)、
石勒が死の間際、共に戦い抜いた幼馴染と後継たる石虎(笑)の二人に後事を託す、
という設定の短編を見たことがある。
作者は石勒のことを良く調べてないんだけど、その文面にはちょっと感動した。
エピソードに事欠かない素材だし、書き手次第で凄く面白い読み物になると思うなあ。
石勒と朱元璋て同じ時代に生まれてたらどうなってたんだろう
個人的なイメージだとお互い気があって親友になりそう
でも朱元璋の方は仲良くしつつ
寝首かく機会をうかがってそう
朱元璋は劉邦の模倣をしてオリジナルを超えたと言われるが、
その本性は魔王だからな・・・
石やんが本性を知ったら問答無用で殺しそう
朱元璋は郭子興には忠節を尽くしているので、
石勒に仕えていれば名将として名を残したであろう。
でも石勒が死んだ後は、主君に相応しくない石弘や石虎は殺されるかもな。
で、今回。
石やん、兵を二分し、根拠地を固めようとするも、王浚、精鋭部隊を派遣してくる
(これって、石やんと張賓のミスじゃ・・。ここは王浚をほめるべきか)
早速、ピンチ。戦うが、さすがは、本場の騎兵部隊。
半減した味方では勝てず。援軍もなし。
(夔安には結局、撤退命令はださなかったのかな? はじめから援軍を期待されない劉聡って・・)
ここで突門をつかった計略が行い、成功。(「資治通鑑」ではもっと苦戦しているけどね)
段部を王浚から引き離すことに成功。苑郷を奪取。
さらに冀州刺史の王象を殺し、刺史キラーが健在であることを示す。
(で、結局、なんで、信都は占領しなかったの?)
次回はなつかしい人の登場
>>1 劉聡にしてみれば、王浚相手に河北で消耗戦をする気はさらさらなかったってことでしょう。
石勒が奇跡的な快進撃・大番狂わせを演じたから、王浚がただの驕慢な野心家扱い
されてしまっているけれども、実際関東勢力の大本命は王浚以外考えられない情勢だった。
これで、漢が河北制圧の戦略を採っていたら、泥沼の長期戦に陥っていた可能性が高い。
そもそも幽州一州で、成都王、河間王勢力を壊滅させるくらい軍事的には他を圧倒していた
わけだから、匈奴としては正面切って決戦しかけるには余りにもリスクが高すぎる。
むしろ、中原の生産力の高い地域、労働人口を収奪して、物資や兵力を確保してから
戦いを挑んだ方が、まだ勝ち目はあったように思える。
劉淵時代から一貫して生産力及び人口の貧弱さに匈奴は悩まされ続けていたわけだから
南進策を採るのは責められる点ではないと思うがね。
かなり、石勒を信頼していたんでないかな。東方を任せて、自分らは西方を切り取る。
成功すればそれでよし。失敗しても、石勒との戦いで疲弊している状態で戦えば、有利
な状況で戦えるとか、考えていたりして。
>>307>>410 ううむ。だけど、石勒が戻ってこなければ、平陽を王浚の地盤確定後、直撃される可能性はあるよ
長安は奪うのにはあまりにも遠すぎるし、実際、相当に苦戦している。また、奪ってもそこの守備も
大変だし。
都を落とし、皇帝を捕らえ、晋全体を解体する戦略の継続だと思う。
これに成功すれば、王浚たちを孤立させられると思ったのではないか。
(戦略眼がないと言ったのは言い過ぎです。すみません)
どちらかといえば、地盤をいまいち固めきれない王浚を軽視していたのではないかと思っている。
石勒が戻ってこなければ、変更もありえたが、その戦略は継続ということで。
あと、遊牧民族的な考えで都市を落とす戦略はむしろ普通だったとか
建興元年,石季龍攻鄴三臺,鄴潰,劉演奔于廩丘,
將軍謝胥、田青、郎牧等率三臺流人降于勒,勒以桃豹為魏郡太守以撫之.
命段末杯為子,署為使持節、安北將軍、北平公,遣還遼西.
末杯感勒厚恩,在途日南面而拜者三,段氏遂專心歸附,自是王浚威勢漸衰.
勒襲苑郷,執游綸以為主簿.攻乞活李ツ于上白,斬之,將坑其降卒,見郭敬而識之,
曰:「汝郭季子乎?」
敬叩頭曰:「是也.」
勒下馬執其手,泣曰:「今日相遇,豈非天邪!」賜衣服車馬,署敬上將軍,悉免降者以配之.
其將孔萇寇定陵,害兗州刺史田徽.
烏丸薄盛執渤海太守劉既,率戸五千降于勒.
劉聰授勒侍中、征東大將軍,餘如故,拜其母王氏為上黨國太夫人,妻劉氏上黨國夫人,章綬首飾一同王妃.
建興元年(313年)、石虎が鄴と三臺に攻め、鄴は潰滅し、劉演は廩丘へと逃げた。
将軍の謝胥、田青、郎牧は、三臺の流人を率い、石勒に降服した。
石勒は桃豹を魏郡太守に任命して、彼らを慰撫させた。
段末杯と、父子の誓を交わし、使持節、安北將軍、北平公に任じ、遼西へと帰還させた。
段末杯は石勒の厚恩に感動し、帰路、日南に向かって三度拝した。
段氏は心から石勒に従う事を決め、これより、王浚の威勢は次第に衰えていった。
石勒は苑郷を強襲して、游綸を捕らえ、主簿に任じた。乞活の李ツと上白に攻め、李ツを斬った。
降服した兵を生き埋めにしようとした時、(兵の中に)郭敬を見つけ、話した。「お前は郭季子か?」
郭敬は叩頭して言った。
「そうです」
石勒は、下馬して、彼の手を取り、泣いて言った。
「今日、相見みえたのは、天意であることに疑いない!」
衣服と車馬を与え、上將軍に任命し、降服した兵も全て放免にし、郭敬に配した。
将の孔萇が定陵を攻め犯し、兗州刺史の田徽を殺した。
烏丸の薄盛は、渤海太守の劉既を捕え、五千戸を率いて石勒に降伏した。
劉聡は、石勒に侍中、征東大將軍を授け、それ以外は本は同じとし、
母の王氏が上党国太夫人、妻の劉氏が上党国夫人と拝し、章綬首飾も王妃と同じとした。
で、今回、二段いった。
まず、冀州にある劉琨勢力を駆逐。一時的な和戦を破り、鄴を奪う。
段部を味方にし、王浚の勢力は減退。苑郷を正式に奪う。
(盟約を破ったのは石やんか、游綸か?)
そして、あの汲桑(憶えてる?)の仇、乞活を正式に撃破。
劇的な再会を恩人・郭敬と果たす
(でも、素直に良かったといっていいのかな? これって)
今度は、兗州刺史を殺害。地盤を固めはじめる。
次回はなかなか考えさせてくれるエピソード
この時代の騎兵は、重装騎兵が主らしいんだけど、石勒軍は重装騎兵が主になってる
んだろうか。それとも、軽装騎兵との混合なんだろうか。
>>1 歩騎混成が主体
王浚戦では、軽騎兵で一挙に幽州(しかも薊)を陥落させるという
荒業を見せている。
逆に、重騎兵を活用した話はあんまないんだよなあ。
鮮卑の方は、結構重装騎兵運用の話はあるんだが。
ところで200年代後半から300年代前半くらい
の江州刺史の名前が判る資料ってないっすかね?
>>316 『二十五史補編』所収の萬斯同「晉方鎮年表」に載ってそう・・・な気がする。
>>314 417氏の言うとおりだと思う。あれだけの大移動を行うのだから、軽騎兵の方が便利だろうね
幽州騎兵や鮮卑に正面激突で敗走が多いのも、それが原因かもしれない
でも、王浚配下の祁弘も
>>217であるとおり、さりげなく戦死させている
大体、
>>407の冀州刺史の王象を殺したあたり?
もはや、晋には石勒を止められるほど勇将はもういないだろう
>>418 中央研究員の『三国志』『晋書』を江州刺史で検索とか・・
段末杯任弟亡歸遼西,勒大怒,所經令尉皆殺之.
烏丸審廣、漸裳、郝襲背王浚,密遣使降于勒,勒厚加撫納.
司冀漸寧,人始租賦.立太學,簡明經善書吏署為文學掾,選將佐子弟三百人教之.
勒母王氏死,潛窆山谷,莫詳其所.既而備九命之禮,虚葬于襄國城南.
段末杯の人質である弟が、遼西へと逃亡した。石勒は激怒し、通ったところの令や尉を皆殺しにした。
審広、漸裳、郝襲の烏丸は、王浚に背いて、密かに石勒に降伏の使者をつかわしてきたので、石勒は手厚く慰撫した。
司州や冀州が次第に安寧し、人民は租賦を納めはじめた。
太学を設置し、経書に明るく書に通じている吏を文学掾に任命し、将佐の子弟から選び出した三百人に教授させた。
石勒の母・王氏が死に、その亡骸を山谷深くに埋葬し、その詳しい場所を知る者はいなかった。
九命の礼を備え、襄国城の南に虚葬した。
って、ことで今回は戦争なし
石やんの怒りは爆発。多分、国家体制を整えるためのひきしめもある。かなり気合い入っている
衰える王浚、上昇する石やん。意外に内政上手な石やん
(というか、西晋の王族がアホすぎ・・)
>太学を設置し、経書に明るく書に通じている吏を文学掾に任命し、将佐の子弟から選び出した三百人に教授させた。
これって、文字から教える段階の連中も多かっただろうな
しかし、母の葬儀は羯族方式なんだろうけど、匈奴って鳥葬だったけ?
手元の資料では確認できないのだが。後の契丹の葬儀に似ているから、実は羯族は烏丸系なのか?
烏丸が妙に石やんに甘い気がするのはそのせいか?
(契丹は鮮卑起源説もあるけど)
とにかく、いまだ、匈奴であることを石やんが捨てようとしていないのが分かるエピソード。
次回は、いよいよあの男が台頭してくる
>>322 風葬・鳥葬と言えばもちろんゾロアスター教で、
そして中国の一番近くにいる教徒はソグド人であり、
なおかつ羯族にはソグド系商業遊牧民説があるから、
もしかしたら石やん家はゾロアスター教徒だったのかもしれん。
勒謂張賓曰:「鄴,魏之舊都,吾將營建.既風俗殷雜,須賢望以綏之,誰可任也?」
賓曰:「晉故東萊太守南陽趙彭忠亮篤敏,有佐時良榦,將軍若任之,必能允副神規.」
勒於是徴彭,署為魏郡太守.彭至,入泣而辭曰:
「臣往策名晉室,食其祿矣.犬馬戀主,切不敢忘.誠知晉之宗廟鞠為茂草,亦猶洪川東逝,往而不還.
明公應符受命,可謂攀龍之會.但受人之榮,復事二姓,臣志所不為,恐亦明公之所不許.
若賜臣餘年、全臣一介之願者,明公大造之惠也.」
勒默然.張賓進曰:「自將軍神旗所經,衣冠之士靡不變節,未有能以大義進退者.至如此賢,以將軍為高祖,
自擬為四公,所謂君臣相知,此亦足成將軍不世之高,何必吏之.」
勒大ス,曰:「右侯之言得孤心矣.」
於是賜安車駟馬,養以卿祿,辟其子明為參軍.
勒以石季龍為魏郡太守,鎮鄴三臺,季龍簒奪之萌兆于此矣.
石勒は張賓に問うた。
「鄴は、魏の旧都であり、私は営宮を建てようと思う。
(しかし)現在、風俗が甚だ乱れ、賢望に安んじさせるべきであろう。誰が適任だろうか?」
張賓は言った。
「晋の元の東萊太守で南陽の趙彭は、忠亮にして篤敏であり、補佐の任にあった時、良幹がありました。
將軍がもし彼を任じましたらば、必ずや神規に沿って行ってくれるでしょう」
石勒は同意して、趙彭を召し出し、魏郡太守に任命することにした。
趙彭は、石勒の前に出ると泣いて辞退し、言った。
「臣は、往時には晋室のために働き、その祿を食んでいた者です。犬馬は主を慕い、決して忘れないそうです。
晉の宗廟の菊が茂みとなったのを痛感しております。
川の氾濫が東に向かったように、行ったまま戻れなくなったのです。
明公が符に応じて天命を受けたならば、攀龍の会と言えましょう。
しかし、この栄を受けると言う事は、二姓に仕える事になり、臣の志す所ではなく、明公からも許されないと怖れます。
もし、臣に余年を与えていただけるなら、一介の願いは、明公の大いなる恵みであります」
石勒は黙然とした。張賓が進み出て言った。
「将軍の神旗が通り過ぎた所は、衣冠の士はなびくばかりで、
節を変えなかった者、大義を以って進退を決めた者はおりません。
このような賢人は、将軍を高祖となれば、四公のような存在になり、いわゆる君臣相知るものです。
これも将軍を不世の高みに達するに必要な事であり、必ずこのものを官吏とする必要はありません」
石勒は大いに喜んで言った。
「右侯の言葉は私の心にかなったものだ」
そこで、趙彭に安車駟馬を下賜し、卿祿で養わせ、その子の趙明を参軍に任命した。
石勒は、石虎を魏郡太守に任命して、鄴と三臺の統治させた。石虎の簒奪は、ここにその兆しが萌芽したのだ。
自信がないところ
※宗廟鞠為茂草
宗廟には菊畑でもつくる習慣があったの?
鄴、三臺の人、大ショック!
趙彭が辞退したために、石虎が統治者に・・(^^;)
まあ、威名と厳格さで治安部門はすごく優秀かもしれんけど・・
とにかく、石虎が石やんの片腕として台頭しはじめているのは分かる
母・王氏も死んで、ストッパーはもうおらんし・・
いよいよ臨戦態勢も整い、宿敵・王浚との決戦が迫る
しかし、王浚配下の幽州騎兵は健在。正面から戦えば、五年、十年はかかる
はたして石勒はいかように戦うか
翻訳毎度乙でございます。
えーっと、ところで唐突ですが十八騎のそれぞれの功績と
その最後をまとめてくれたらすんごく嬉しかったり・・。
なんて他力本願なこと頼んでいーっすか?
本屋で何気にみていたら、「まんが中国の歴史」で石勒が出ていた。
漢人登用や、君子営設立が載っていた。張賓も出ていたが、仏教導入には、否定的な考えを持っているという描かれ方をしていた。
数ページではあったが、やはり、重要人物だったんだと、あらためて思った。
やっぱ、奴隷出身+文盲という点がクローズアップされてるみたい
あと、祖逖の宿敵(北伐は教科書に載ってる)、仏図澄の庇護者というあたりか
世界史的な評価は、多分ドマイナーな人物だと思うが、
匈奴という帝国・民族に止めを刺した人物と見ることも出来なくはない
晋の皇族も軒並みブチ殺しまくってるし
東アジアの旧来の価値観を徹底的に破壊した奴隷皇帝
シュールすぎるなあ
混乱時のローマ帝国に生まれても軍人皇帝の1人にはなったんだろうなあ
2chで石勒の人気高いから多少調べてみたけどあんま魅力感じないなあ
苻堅の方が親近感もてる
俺、変?
フーさんは最後の最後で手の平返したように異民族を罵倒しまくって死ぬヘタレ。
苻堅は陳にやたら持ち上げられてたからその影響かも試練
石勒はDQNにしかみえん
決して石虎ではなく
石勒は、奴隷として売り飛ばされなきゃ、あんな畜生道には落ちなかったと思うけど
小部族の長として、平々凡々に暮らせたはずなのに
自分自身をあんな境遇に落とした当時の社会に対し、復讐心を煮え滾らしたことは
確かにやり過ぎかもしれないが、同情の余地は十分にある
苻堅の場合は、慕容部に嵌り始めてからの盲目っぷりが目に余る
慕容垂に対する態度は異常
ホストにはまったおばさんみたいだ
でも慕容垂なら惚れてしまうのも仕方ない気がするw
あと陳センセは苻堅を持ち上げつつ「現実見えないバカ」という扱いに描いてるから
アレに影響うけて彼が好きっていうのはどうかなぁ?
しかし、石勒→石虎→苻洪→苻健→苻堅の流れは結構重要だと思うんだがな
特に、石虎時代の中原の政情安定がどれだけ後の華北に影響を与えたか
「暴君」石虎の時代があってこその、前秦という多民族融合国家だったわけで
曹操→曹丕→曹叡→司馬懿→司馬師→司馬昭→司馬炎→劉淵→劉聡→劉曜→
石勒→石虎→苻洪→苻健→苻堅→慕容垂→拓跋珪
>>1 情宣に毒されすぎ。仮にも一兵卒としてお国守ってるんだから、もっとクールに頼むよ。
ジェノサイドなんていう理路整然としたことができるほど、中国人は真面目じゃないよ。
>ジェノサイドなんていう理路整然としたことができるほど、中国人は真面目じゃないよ。
情宣に毒されすぎ。
中国は文明の実験場
何事もスケールがでかく、やり方が極端
俺自身は、曹操に明確な簒奪の意思があったかどうか疑問だと思っている。
しかし、石勒時代には既に簒奪者としての認識があったのだろうし、
それが演義の設定にも生かされたのだろう。
>>345 王莽とかの手法とそっくりだよ、曹操のやり方
三国志読んでいって、かつそれまでの時代にある程度詳しければ、曹操に簒奪の意志無しとはとても思えないと思うよ
曹操が簒奪をためらったのは、王莽の失敗を鑑みての事だったのかもしれない。
王莽の新はわずか十五年で滅び、次の王朝である後漢時代には王莽は漢を簒奪したものとして
ボロクソに叩かれることになった。
無理して簒奪を実行しようとすれば世の中の反発が強まり、王莽の二の舞を演じてしまい、
劉備あたりが第二の劉秀になってしまうとか考えたのかも。
新が滅びたのは王莽がアフォな政治、外交で国を乱したからで簒奪とは別問題だろ
>無理して簒奪を実行しようとすれば世の中の反発が強まり
無理して簒奪しない為の禅譲なんだから
曹操・曹丕にとっちゃ王莽の禅譲劇は見本にすべきいいモデルケースだ
っていい加減スレ違いだな
秦(短命)→前漢(長期)→新(短命)
後漢(長期)→魏(短命)→両晋(長期)
隋(短命)→唐(長期)
長期政権を滅ぼす王朝は間違いなく短命
禅譲も簒奪も糞もない
>>352 宋からの中国は「中国後期」ともいうべきもので
それまでとは様相が一変している。
なので、唐宋変革という論があるんだよね。
石勒はそもそも中華統一してねえしな。
曹操以下の勢力で曹操を見下し、劉秀と互角って思ってる時点であんま評価できんわ。
それに死後のごたごた事もあるしなぁ
宗教面では成果を挙げたが、文化面で後世に影響与えてないし、政治面でも善政をひいたらしいがこれといった実績、政策を出してないからなぁ。
有能だったことには間違いないし、曹操と同格レベルだと思うが、劉秀よりゃあきらかに劣るだろ。
誤爆元スレ住民だが、『劉備と劉邦どちらが優れている』というスレなのに、
何故か石勒と曹操(そしてたまに劉秀を思い出したように交えて)の優劣を比べるスレ化している。
なにげに、Wikipediaに十八騎の名前があがっていたのを記念してage
つーか当の石やんは異民族で皇帝になってるからいちばんタチ悪いんだよな、その考えで行くと
人格面での比較って無意味なんだよね
その無意味な比較を延々とやっているバカしかいないんだね、このスレ
>>184が石勒に傾倒するあまり他の人物を貶すような目線で語るのがウザさの根源。
それじゃ反感を買うのも仕方がない。
珍しく上がっていると思いしがw
時に中国歴代人名大辞典を眺めてたら、キ安が載っていないと気付く。
十六国春秋にもいないし。キ安カワウソス(・ω・`)
石勒配下の将軍って影が薄いよな(前趙にも同じことが言えるが)
まともな出自の連中がいないのが大きいんだろうな
赤眉や黄巣あたりの連中も似たような感じ
彼らと後趙政権の明暗を分けたのはいったい何だったんだろうか?
連投になるが
王浚がいつまで経っても、幽州に居座ったままで
中原進出に積極的に乗り出さなかった理由が不明瞭だ
たまに冀州に出張っても、鮮卑・烏桓たちの出稼ぎぐらいで
すぐに帰ってきちゃうし、よく分からん
まあ、漢民族の軍閥として評価すると何考えているか分からん
ただの有力な軍閥の領袖なんだろうが
漠北の遊牧世界の覇者として見れば、久方ぶりの大権力者にも
見えなくもない
中原進出よりも、草原世界での覇権確立に興味があったんかな?
>>1 こうやって勝手な妄想で、勝手に怨恨を募らせ、勝手に敵視するのがいるんだよな
だから気持ち悪がられる、嫌われる
>>370 ま、そう言わずに相手してやれよ。
おれは石勒はよくわからんから無理だけど
>>1は何を見えない敵と戦ってるんだ?
悪いこと言わないから、しばらくネット環境から離れて美味いものでも食って休養したほうがいい。
>>1は氷河期特有のナーバスさを感じる
まーリアルで駄目人間なんだろうな
精神科が君を待ってるぞ
>>483-484 おまえら、石勒語って拮抗しろよ。
なんだその的外れで憐れんだようなレスは…
明確な基準があってもなあ。
ぶっちゃけどうでもいいよ
人肉食おうが、人妻をNTRが、泥酔して殺人しようが、何万人虐殺しようが
勝てばオールOK、そういう仕事で人生だろこいつらは
俺たちの価値観で測ろうと言うのがそもそも理不尽に思える
儒教的な建前なんて律儀に守ってたら王莽になってしまうよ
本音全開だと項羽になるが
そんなことないよ
間違いなく儒教の影響は大きい。
だからこそ、仏教を支持したわけで、漢代の道教支持とは性格が政治的すぎると思うなぁ。
>>1 本当の暴言とかいわれてもなあ。
あんたも煽りまくりじゃん
傍から見れば似たもの同士。
>>1 と言うか人格ってのは評価できるような代物ではないでしょう。
どっちかと言うと好きか嫌いかってなるだけでそれは評価と言う
よりも個人的感情でしかない。
そういうのを挙げるのはあまり適当とは思えんのよね。結局好悪
の感情と言うのはその人物を色眼鏡で見ることに繋がりかねない
から・・・ここで非難する人も結局はそういうことが原因で煽り
のような形になってしまい、議論にならなくなってるでしょ。
>>376 NTRは寝取られ、寝取りはNTL
・エロゲ黙示録エロジから抜粋
>>1 >>491もいっているように人格面での比較は無意味。
>>470はちょっと煽り入った口調だけど言っていることはまっとうじゃん。
結局、
>>489はなんだかんだ理屈を付けてるけど、
自分の好悪の感情が他人に受け入れられないのが気にくわないだけでしょう。
好悪の感情なんて人それぞれなんだから、無理くり同意を取り付けるもんでもなかろうに。
>>1 気負いすぎだろうw
2ちゃん自体(マトモな書き込みが出来る)人口が過疎っぽいからどうしようもない。
意見の違う相手を煽り出す輩はノーサンキューだけど。
>>494-497 自身の判断ミスにより白登山で国辱級の大敗を喫した劉邦が
廃后以外特に落ち度のない光武帝より上というのは首を傾げる話なんだが。
むしろ石勒の冒頓評こそ俺は知りたいかな
むむ、次回は個人的に五胡の人物の中で一番好きな慕容恪の登場ですか。
期待しております。
>>383 おいらの落書きは基本的に後趙擁護論なので、慕容部には詳しくは
触れる予定はありません。
冉閔の戦歴を書き連ねたのは、後趙の軍事力考察のためです。
晋書って、やっぱ人物の評価が極端だよな。
>>1 7年で統一できたのは皮肉にも項羽のおかげだろうな。
>>1 劉邦が死んだら尾張じゃん。統一もクソもない。リスク張りすぎ。
しかも負けてるのだから評価は勝った場合より当然落ちる。
それに対して光武帝は時間はかかったが安全運転
親征ではほぼ必勝
錦の御旗といっても更始帝、王郎、劉永、劉盆子も同様のものがあったので決定的とは言いがたい。
また、基幹部分自体はあっという間に制圧してる。
それでも下なのか〜。
あと劉邦が早いのは
韓信が3年で河北を制して、ゴネながらも劉邦に与力し続けた部分が大きい
天下三分だったらまず決着ついてないよ
劉邦は何の地盤もないところから秦を倒して項羽を倒してだからな
光武帝が皇族でも豪族でもなくて暴れ者の兄もいなくて王莽を倒して劉盆子を倒して、だったら石勒の評価はもっと上だったんだろう
>>1 軍人皇帝が偉いわけではないんだが。
一応、北宋の太宗もいれてやってくれ。
文人肌ながら、皇帝親征の意義を知って、体現した人だから。
討伐には失敗したけど。
それと、漢高祖の台頭は、いろいろ誤解というか勘違いも多いと思う。
実際には白登山親征の手前が、統一完遂時期といっていいと思う。
項羽の打倒時期で終わりがちだが。
>>1 >(騙し討ちをしてでも三秦を手に入れる、そのための雌伏も辞さない)
それ韓信と張良の入れ知恵
>劉邦は、関中の優位性を認識していたが
張良・韓信・蕭何はともかく、劉邦本人にその認識があったかねぇ?
>>391 漢中に雌伏することを説得したのは、諸臣の中でも蕭何一人だけ。
他の宿将はみな、東帰して項羽と交戦することを望んでいた。蕭何一人の
意見を採用したということは、劉邦が雌伏こそ上策と状況判断した証拠、
すなわち、劉邦本人の戦略意思決定に他ならない。
張良が橋を焼くことを進言したのはその後だ。
また、劉邦は関中の王になることを積極的に望んでいる。
むしろ、こんなに早くから関中割拠を考えていたのか、と思われるくらい早い段階でだ。
まあ、認識できていなかったならば、鴻門の会が起きる前にとっとと放棄するか
項羽に明け渡していてもおかしくない状況、にもかかわらずギリギリまで固執した。
普通、このあたりで劉邦の大望が読み取れるんじゃねーかな?
史記の劉邦は、狡猾すぎて気持ち悪いくらいだぞ。
白登山の戦いは劉邦を責めるよりも、冒頓を褒めるべき
>>1 石勒が血統上匈奴であることを考えると、明言はされていないが、冒頓が最強だと思っていた可能性は十分あるね
だから、冒頓に負けたことは石勒の「中華の創業者」の比較上ではあまり問題にならないのかも
あと、石勒は対匈奴においては、
まさに最盛期と言ってよい冒頓に負けた劉邦<武帝以来弱体化の一途をたどり、南北分裂などを経て見る影も無くなって以降の匈奴を従えた劉秀
とは思わなかったんだろう
劉邦が上とまでは言わないのだろうが、優劣がつくほど劉秀を上とは思わなかったということだろう
そうなると、皇族でもなければ大臣・将軍を輩出した家柄でもないのに秦と楚(項羽)を自分の手で破って中華の再統一を果たして前後400年の王朝を開いた劉邦が全体として上であり、石勒も彼には敵わない、と感じたんだろう
>>1 「自分が戦死しかねないリスキーな選択」という意見は確かにその通りだが、
対匈奴戦を任せられる最高の野戦指揮官が劉邦以外おらんかった、これに尽きる。
(劉邦の野戦能力も過小評価だよな。)
劉邦は劉秀みたいに出惜しみはしない、出せるカードはバンバン切る。
思い切りの良さが、天下統一までの速さに繋がっているのは否定できないしね。
あと、平城までの間でしくじったのは戦術上の状況判断ミスであり、戦略上はあれ以上
何もできねえだろ。初めから土下座外交をして国力を蓄えるのが原案なのかもしれないが、
その選択肢と会戦による匈奴根拠地への痛撃では、劉邦の場合、後者を選ばざるを
得ない。劉邦という「ヤクザ」がシマ(匈奴との国境近辺)を荒らされて、黙って茶坊主
やってられるかという話なわけだ。
明日あたり、後趙の後継者争いについて、ちょっと考えてみようかと思う。
>>395 >対匈奴戦を任せられる最高の野戦指揮官が劉邦以外おらんかった
そうなったのは猜疑心にかられて韓信を嵌めたせいだろが。
自業自得。
朱元璋ほどじゃないけどな。
>>395 いや、親征自体や劉邦の戦術家としての能力は肯定的に見てる。
しかし、偽装退却臭い敵に対して自ら追撃というカードを切るのがリスキー。
その手の投機的行動は成功してれば最上級に果断と称える以外にないが、
不安要素が多すぎたし、結果はあの通りな訳で、戦略家として満点はつけられないだろう。
勝ちそうにないけど負けそうにもない行動を取る連中の方が結果論的に上というだけ。
>>394 待て、武帝以来弱体化の一途を辿っていたのは事実だが、匈奴が南北分裂するのは劉秀後期だ。
それ以前のは東西分裂。
焦土作戦と鮮卑等が漢についていたことによって前線に配置されていた部族らが困窮し、
祭遵の甥であり、北方異民族討伐に大功があり、柔軟な統治で異民族に人望も厚い祭ユウの働きかけで、
当時の単于に対する叛意と野心を持っていた日逐王が反旗を翻して南部が軒並み漢側につき、
それによって成立する。
叛意あるものを見抜いたのは祭ユウの異民族の人脈からであろうし、
働きかけもその人脈によるだろうから劉秀の功績ではなく、
また、日逐王は宣帝期の東西分裂の単于の系統でもあるため、
話の趣旨になんら反対するものではないが、ちょっと気になったので。
>>1 劉玄の場合、(李建成とかと同様なのだが)史書から功績を差っ引かれている
という可能性は否定できないだろうけどさ、人的ネットワークが遊侠者たちに偏り
すぎなのが結構引っかかるところなのよ。
多分、こいつの場合は田舎豪族を絵に描いたような男だったんじゃねえかな。
小・中規模なヤクザ集団をまとめあげて調子こいてるお山の大将みたいな感じでさ。
(あるいは、史書がそういう風にミスリードするように描写しているかもしれんが。)
遊侠集団の暴力に依存せざるを得ないのは、反乱軍としては仕方がないところ、
でも、こいつ明らかに南陽の豪族たちから浮いているだろう。南陽豪族はあくまで
(程度の差こそあれ)劉演・劉秀側の立場を維持していたし、劉玄自身も己の
権力基盤とは到底考えてなさそうなんだよな。反乱に至る過程が、劉演たちとは
全く別系統と考えた方が自然じゃねーか?
>>403 矢ではなく、石や土塊を弾く弓(はじき弓)のこと
でっかいパチンコみたいなものだと思えば良い
空気抵抗や飛翔体の重量から、弓矢よりも射程は短いものと思われるが、
むしろ近距離での飛び道具として使われたものだろうから、勇猛さを示す
一種の形容なのかもしれない。
「蟷螂搏蝉」の故事では、懐に隠して携行できるくらいのサイズだったようだから
近接時の暗器としての用途もあったのかも。
>>402 挙兵の経緯そのものが異なるのは事実ではあるが、彼も南陽で挙兵しているのもまた事実。
そして彼の妻の一人は彼の挙兵した平林の豪族の出とも言われる。
権力基盤とは考えていないのに、側室に迎えているのは辻褄が合わないように思う。
また、後漢王朝の歴史隠蔽の一つとして更始五銖というものが生産されていたことがよく挙げられる。
貨幣の発行が当時難しく、有能な吏僚を必要としたものであることは周知のことだろうが、
貨幣発行を成功させたのは、彼のどのような人脈によるか、ということを考えていくと、
結局のところある程度の士大夫層・豪族層などの支持は得ていたとしか思えない。
離散は敗北続きも要因の一つであろうし、即位直後の光武帝にわざわざ従うような手合いは、
河北の有力者か、劉秀の子飼いか、極めて劉秀に近い親族か友人だけだったはず。
実際最大のパトロンの一つである李氏の家ですぐさま帰順したのは劉秀の妹婿の李通だけで
他は更始帝に従い続けていたし、劉秀の叔父の劉良まで更始帝の元にいた。
申屠建なんていう前漢の丞相にいたような珍しい氏の、『詩経』に精通した士人もまた、ケ禹の
東進で更始帝の敗勢が明らかになるまでずっと従って、政権の重鎮を担っている。
>>405 誤解を与えたな、おいらは南陽豪族=舂陵系で考えてたんだわ。
平林・新市は結構離れてるから、反乱軍としての指揮系統は別物って認識
やっぱ盗賊系(当地の豪族とは紙一重かもしれないが)って感じだな>>劉玄
あと、王莽の失政に貨幣政策の大チョンボがあったのは有名だが、
貨幣発行の成功は、特筆大書するようなことでもないでしょ。
他の群雄もやってたわけだし(蜀の鉄銭等)。
個人的には、劉玄はボンクラじゃないけど小英雄にとどまったって評価は変わらず。
劉秀が長安に遊学できたのはデカいと思うんだ。中央政権の高官とも
面識持てるくらいの遊学ってのも、自由闊達な時代の為せる業か。
行商に出て、王衍とニアミスしたっていう石勒の逸話はフィクション臭えが。
ほう、スリングショットみたいなものか、
ゴムの無い時代によく・・。
よくもまあ石勒と関係のない話で長々と・・・
脱線は許さんなんて野暮な事言う気はないけど、ちったあ自重しろよおまえら
劉秀は「かなり有利な豪族の子分」程度じゃないの。
そんな簡単な勝負はしてないと思うのだが
地盤が確立してからの急速な統合はゲームを見ているようだが
その前に死んでたら有利も何もないし
乞食出身でも面構えがイケメンすぎて
ボスの養女を嫁に出来た六十四様の方が恵まれてる気がする
石勒も上手いこと自立したなあ
劉曜のサケウマ状態で決着というのがガッカリな展開だった
石勒と段末破って手を組みそうで組まなかったよな
何でだろ?
石一族で戦上手い順番は
石勒
石虎
石閔(冉)
石宣
石陀
石生
石椹
石遵
こんな感じですかね?
>>413 石勒と段部による幽州の分割?(ほとんど段部が抑えちゃってるけど)は、
当時の国力から鑑みれば、実に妥当な外交成果だったと思うよ。
石勒としては、親後趙派であった段末破を結果的に幽州の盟主に据える
ことができたんだから、御の字であっただろう。
両者が衝突したとして、喜ぶのは慕容部・拓跋部・東晋・前趙をはじめとした
各群雄なんだから、衝突するだけ時間と国力の無駄
石勒は幽州(対段部)や豫州(対祖逖)において、領土欲が淡白すぎる
部分を見せているが、「手強い相手とは争うだけ無駄」という感じがするな。
強敵との決戦回避は、生来の生存本能の片鱗だと思う。
やっぱり石虎はナンバー2だよなぁ
石生なんかがもっと働けば石虎誅殺して石弘と徐光で基盤できたかもね
18騎ってあんまり仕事してなくね?
張賓も孔萇も徐光も石閔も違うよね
二劉曹操司馬父子論は倫理的に
劉邦>石勒>光武帝>>>>曹操、司馬懿
主筋の敵討ち:劉邦
主筋を下克上:石勒、光武帝
孤児、寡婦を騙す:曹操、司馬懿
らしい
劉邦といえば、広武山の和議を一方的に破って項羽を追撃したのは倫理的にどうなんだろうな。
蜀に押し込められた時みたいに力づくで一方的に押し付けられたんだったらともかく、
あの時は自分から持ちかけて成立させたんだから、何ぼ千載一遇のチャンスとはいえ
倫理的には非難されてしかるべきじゃないかと思うんだが、あれを非難した人って
知ってる限りじゃ誰もいないんだよな。
項羽みたいな脳筋DQNとの約束なんか守らなくていいよ、
みたいな感じなんじゃね
日本の作家で誰か劉邦のそういう所が薄汚いと思ってたのがいたはず
勝てば官軍を地で行ってる
父親を人質にして脅迫するゲスとの約束なんて守らなくてもいい、ってことなんだろ
ジョルノがチョコ先生との約束守らなかったのと同じ
中国思想的には、項羽が「徳を失った天子」だからじゃないの。
和議自体が本来あり得るべきではないとか。
冉閔って左手に矛、右手に戟をもって敵に突っ込んでいく戦い方でいったいどうやって
十万人規模の軍隊を指揮していたのか激しく謎なんだが。
>>425 個人的な武勇の記述と、実員指揮能力とは別の話
冉閔の配下には、後趙の中央軍が組み込まれたわけだから、その精強さは疑う余地は無いし、
外征において比較的活躍していた冉閔に対する将兵の信頼感はそれなりにあっただろう。
(ただ、当初支持されていたのはどちらかと言うと李農の方のフシがあるが。)
これに対し冉閔包囲網を布いた襄国勢力は、連携はバラバラの上、司令塔となった石祇は
石虎の子息の中での序列が明らかに低かった、冉閔が付け入る隙は十分にあったわけだ。
(戦上手の太子石宣や燕王石斌らが早々に自滅したことが大きく影響している。)
寡兵で大軍を撃破し続けた裏には、こういう要素があったことも忘れてはいけない。
冉閔が戦場では誰よりも勇敢だったのは間違いないし、類希な武勇の持ち主だったことも
否定はできないが、最も特筆すべきは、苛酷な状況の中で将兵を操作し続けることが
できた指揮・采配能力ではなかったかと思う。
>>426 いや、冉閔の指揮能力が優れていたことはよく分かってる
ただ一方で自ら突撃しているのも事実。個人的武勇の発揮と大軍の指揮をどう両立
させているのかなあと。別に冉閔に限らず猛将系の武将すべてにいえることだけど。
>当初支持されていたのはどちらかというと李農
冉閔に殺されるまでほとんどつねに共同歩調とってたせいで李農は完全に影に
隠れちゃってる感があるけど、いったいどんな人物だったか気になるところではある。
>>427 まあ、18世紀〜19世紀くらい、つい最近まで師団や旅団長クラスでの
陣頭での突撃とかは敢行されていたからな。(当然レアケースだが)
攻撃前進開始よりも前に、すでに命令指示は達せられているから
命令変更がある場合は、伝令や標旗などの信号を使って伝達させれば
いいのだろうが、それらは司馬や参軍等、軍府の幕僚使ってやらせれば
いいこと、口頭で十分
現代の戦車兵とかの指揮官は行き当たりばったりで、壁にぶつかるまで
イケイケドンドンな性格に育つらしい、とりあえずぶつかってから、次の
状況判断を考える。
戦場は錯誤と混乱に満ちているから、作戦や命令は努めて簡潔・明瞭に
ってのはセオリー、千変万化の戦術なんてのは、現場クラスには最も嫌われる。
>>1 そんな濃いメンバーまとめられるのは石勒くらいしかいないだろうな、
こいつ明らかに曹操の足元にも及ばないよな
何か喧嘩売ってるけど
負けまくったけど、肝心なところで勝つ石勒と、
勝ちまくったけど、肝心なところで勝てない曹操では比較が難しいな。
ただ、この二人がガチバトルすれば、最終的に勝つのは石勒だと思う。
曹操の比較対象としては、この時代であれば桓温がまず挙げられるべきなんだがな。
簒奪を図った逆臣であり、志半ばで逝去したという点
軍功により勢力を拡大して行ったという点、政治にも精力的に携ったという点
何よりお茶目な性格つながりで、これほど同類項はおるまいに。
石勒は曹操を散々に扱き下ろしたけど、比較の土俵が違いすぎるからなあ。
教養や軍略と言う点では、石勒は曹操の足元にも及ばないのは確かなんだが、
そういう次元を超えている感があるのが石勒なんだよ。
悲惨な奴隷が貴族軍人の時代に一石を投じたことこそ、最も重大なことだと思う。
土俵もくそもない。
石勒は、曹操がまだ子供の献帝を人質にとって大義名分を強引に掲げたことに対して、
「大丈夫のやることではない」と非難したわけであって、つまりは、
「俺はそんな卑怯な真似はしない」と断じたのだ。
現代の我々は批判すらカテゴライズするけど、石勒からすれば上記の一点ですでに曹操は語るに落ちた存在だということ。
そりゃ皇帝が全く別の場所にいて安泰だったんだからどうこうしようと言う発想自体無かっただけ。
後付けの知恵で物を抜かした小賢しさに引っ掛かる時点で可哀想な脳みそですこと
趙スレが無いのでここで質問
劉曜に仕えた遊子遠って人物について詳しく知りたいんだけど
wikiや百度百科覗いても西方の反乱征伐と劉曜の墓作りを諌めた以外のこと書いてないっぽい
他の人物伝とかで登場してたりしない?こいつも陳元達コースだったのだろうか・・・
>>439 前趙からして敗北者だからな。
もっと詳細に官制や地方行政の在り方を調べようとしても
全然資料が無えからわからなくて難儀する。
まあ、游子遠の場合、この名前はおそらく「字」だろうから
本名さえまったく不明ってな状態のわけだ。
(呉懿や許攸も同じ字だしなあ。)
劉曜に限って言えば、そこまで勲功を吸い上げているとは思えないがね。
どっちかと言うと、良い諫め役だと思うぞ>>游子遠
>>438 石勒は司馬氏の皇族の大半を直接始末した張本人なんだけどね。
その気になれば、いくらでも推戴するチャンスはあった。
(部下からは、扱い辛いしやめときましょう、とやんわり釘刺されてたけど)
ただし、自分を奴隷に落とし、辛酸を味わわせてくれた西晋病巣社会の
元凶を上に戴けるかどうかは、……まあ、俺にはできないな。
劉曜のことを言っているのであれば、もう宿命のライバルなんだから
担ぐ云々の問題じゃあないよ。
食うか食われるか、殺さなきゃ殺されるのは石勒の方、これは項羽と
劉邦の関係に近いかもね。
石勒は誰かを推戴して、その下で実権を握ろうなんて思考はしないと思うな。
あくまで自分自身が頂点に立つことを目指す感じ。
キン準の事件頃までは劉曜を覇道を助けるって考えもあったんだろうけど
>>443 もともと負けて進退きわまって劉淵に降伏しただけだし、
その後も半独立状態で動いていたから、
いつかは自立してやろうと思ってたんじゃないかね?
石勒は最後まで誰かに従える類の人間じゃないと思う。
劉淵、劉聡には一応というか、結構恭順してなかったか?
18騎で一番功績あげてるのは誰?徐光、孔長、張賓は18騎ではないし、そもそもなぜ18騎と呼ばれるようになったの?
>>447 桃豹だろう。十八騎は最も最初に石勒に従った18人の部下。
いやそれは知っているけど
そんな呼ばれ方するくらいだから何か特別な功績あげてるのかな?と思って
たいしたことないなら8騎から10騎をあえて足さなくてもいいんじゃないか?
寝返りを受け入れる場合と拒否する場合があるけど違いはなんだろう
祖逖の場合は何となくわかるけど他の基準がイマイチわかりません
王彌の時も最終的に殺しているし
>>450 王彌はあからさまに札付きの危険人物だからだろ?
やばくなさそうなのは受け入れて、やばそうなのは受け入れない。
それだけじゃないか?
王彌じゃなくて王浚でした…(游統の件)
王彌は劉聡も嫌っていたのかな?
>>558-559 そもそも項羽はその直前、親である劉太公の人質の件で劉邦が対話に出てきたときに兵を伏せ、
交渉が芳しくない結果におわると、挙げ句に無防備な劉邦めがけて狙撃までさせたわけだから、
中国の倫理学的文脈では一度の停戦条約破り「まで」の報復は正しいとされたんじゃないかと。
直前というのは和議前ね。
項羽側が劉太公を煮殺す振りをして降伏を迫ったのを劉邦が出てきて断り、心臓付近狙撃されて足を押さえて逃げ帰った件。
>>1 李菟たん(仮)勝手に支援します
『北堂書鈔』巻一百十七 武功部五 騎八に
鄴中記云、石虎皇后出女騎千人、脚皆著五菜鞾也。
という文章がありまして、内容は
『鄴中記』には石虎の皇后が女騎士を引き連れていたといってるよー
というものです。
なら李菟たん(仮)もあながちありえない話ではないかと
ただ皇后の護衛で女騎士がいるからといって、女将軍がいるというのは
飛躍しすぎというのは承知です。
でも可能性としてゼロではないかなぁとは言えると思います
石虎を斬らなかったのが石勒最大の失敗だな
徐光の言うこと聞いとけ
いくら乱暴とはいえ可愛い弟分を危険分子って理由で殺せないだろ
年の離れた実の弟みたいな存在だし
彼を奴隷にさせた責任感とか色々あるだろ…
そこら辺の人情味が石勒の魅力じゃないの?
結果を知っていればともかく、
未来がわからない軍部は石虎が、これといった理由もなく処分されたら、
軍部の離反を招いた可能性がある。
徐光も未来が読めていたわけではなく、シビリアンコントロールと皇帝権の増大、
漢人勢力の増大をより考えていた可能性は否定できないし。
未来が読めない石勒には、あれが限界だったんだろうな。
でも粗暴だったのはわかってるし、何らかの手は打っておいて良かったのでは?
石勒の行動はベースが保守というか安全で、身内が生き残るのが最優先
だったし、出自を考えれば当然の行動だと思うんだけど
劉曜や段文鴦を捕まえたあたりになるとちょっと変わってくるけど
転機はどこだったのかな
傅伏は北斉の将軍で高寶寧とともに北周に最後まで抵抗した人物
北斉の皇帝が既に捕らわれたことを知ると、慟哭した後、降伏した
その忠誠を武帝に賞賛され、かつて河陰への攻撃を防いだときの褒章が
永賞卿だったことを知ると、傅伏がいたから河陰を攻略できなかったのに
その程度だったのかと言われた
傅暢の息子は東晋に戻って交州刺史になっているので
子孫の可能性は有るかも知れませんが少ないでしょう。
>>475 そうですか、当時は江南政権は陳だったので
再度華北に逃れた可能性もある程度の認識にしときます
>>470 王浚や劉琨経由だけど、裴憲・荀綽・崔悦もそうだな。
でも後趙ぐらいまでの漢人文臣はあくまで魏晋以来の名族が主で、
各地域に根差した豪族が参画しだすのはやっぱ前燕以降だなぁ。
北平陽氏とか渤海封氏とか。
傅暢の追加情報。
楊駿の誅殺時に武郷亭侯になっている。
魏代に武郷は無い、西晋に武郷は登場する、
司馬炎が胡族を内地に移民させた開拓地なのだろう。
劉夫人は匈奴部帥の一族かなあ、扱いの良い所をみると。
劉夫人は軍議にも参加してたみたいだから、軍略や武勇は並以上なんだろか?
劉淵配下になったとき、もらったんかな?
王彌を殺した後じゃないかな、石勒を身内に留めようと
したと思ってるんだが、江南攻めに失敗した時は石興を
身ごもってたんじゃなかろうか、肝もすわるだろう、
石興が死んで石勒は大単于の劉氏と切れたと思うんだ。
崔鴻・後趙録 (載記に無い物)劉皇后@
石勒劉皇后、侍中閏之妹、後部胡人也、勒納之於胡關、美色、有特寵。
胡(hú)と壺(hú)は同音なので、308年春の壺關攻略時に妻としたようだ、
劉淵配下になった直後だね。
崔鴻・後趙録 (載記に無い物)劉皇后A
張枰反於襄城、后抽劒斬之、勒頼后而済。
懐帝紀にある310年10月に襄城を陥落させた時の事件らしい。
劉夫人の武闘派ぶりが判るエピソードだ。
崔鴻・後趙録 (載記に無い物)劉皇后B
后性惠有幹。助理軍國之務、有呂氏輔漢之風、然厳整貞婉容裕不妬忌過之也。
劉曜の羊皇后みたいに政治に参加してたのね。
劉夫人の記事、面白そうだけど、できるならそれを訳してくれるとありがたい。
見た限りだと「姐さん、マジパねえっす!」状態だな。石虎も敵いそうにないくらいだが
@
石勒の劉皇后は、侍中の劉閏の妹で、後部の胡人である、石勒は胡關で
妻として迎え入れた、美貌であったので、格別の寵愛が有った。
資治通鑑では壺關攻略は309年夏になっている。
劉備の孫夫人と考えれば良いか。
A
張枰が襄城で裏切った、劉皇后は剣を抜いて張枰を切り殺した、石勒は
劉皇后のおかげで助かった。
二人の所を襲われたようだ。石勒の正妻は並み女性では務まらないのだろう。
石勒は石虎と実力が拮抗する人物を作れなかったのも失策だな。
姚弋仲がそれにあたる人物ではと思う。石虎に対しても、けっこうタメ口きいてたりしてもOKだったみたいだし。そして後趙への忠義も厚い。
ただ、後趙へ仕えたのが前趙滅亡してからなんだよな。せめて石勒があと10年生きてくれたら、影響力ある地位につけて、石虎と姚弋仲が並び立てば、後趙も永らえたのではないかと。
もうこの時代の軍人は独立独歩志向しかしないしそうしなければ生きていけないよ。
姚弋仲は羌族の首領だからそんな国政に踏み込めないでしょ…
どっちかと言うと桃豹とかキ安とかの18騎の人たちじゃない?
姚弋仲を挙げた者だけど
18騎の面々がというけど、石虎が脅威と見なしてないし、18騎の面々は石虎に従うばかりであてにはならない。
劉皇后も石堪使って、石虎に抵抗するけども…失敗だしな。
石虎との関係を見ると、いいストッパ役だと思って、姚弋仲を挙げてみた。
おそらく無理
石勒を押さえ、死後は徐光ら要となる人物をあっさり処分した手際の良さを見ると勝てないだろ
戦力はあるのに団結出来ないから負ける侯景の時と同じ
反対分子の排除は迅速にやってるし、軍務は意外と真面目にこなしてたらしいし、すごい人物ではあるよな。>>石虎
やはり、石勒だからこそ制御し得たということか。石虎をしっかりと制御できた点だけでも、石勒が英雄たる証拠か。
まあ、あの雑多な軍団を率いているわけだから、そうとうな統率力だわな>>石勒
徒民を無くし、慕容部の南下を防いだだけでも政治レベルも高いと言える
石勒と同じく冉閔を処分出来なかったのが問題だけど
>>505 あそこまで完全に包囲されて孤立した状態から、逆撃して後趙を壊滅させた
李農・冉閔らを褒めるべき、つーか冉閔は石虎存命中はそこまで大物じゃない
石虎の後継者らの内紛の中で地位を固めた部分が大きいから、石虎にしてみれば
有能な一軍の将程度の認識(その意味では大都督を務めた李農の方がはるかに脅威)
しかし、冉閔はなぜ慕容恪と同じ時代に生まれてしまったんだか……
石勒は天下統一狙ってたのか、それとも中原だけでよかったのか
晩年には荊州北部を郭敬に攻めさせてたが、荊州を奪ってから、益州か揚州狙いにするか
>>507 張賓が死んだしなぁ
そもそも晩年は東晋も堅いし…とはいえ初期は張賓が止めてる
晩年は保身が信条の石勒が東晋を攻めるとも思えないし
石勒が功臣39人の名前を石に刻んだというのがあるが、誰が入ってるんだろうか?
張賓は確実に入ってそうだから、残り38人か
異姓No.1 の王陽も間違いないだろ、
石勒より長生きしてれば石虎の天下もなかったろう。
建徳殿に立てられたのが325〜326年辺り。存命人物もいるし、バランスを考えるとなると、色々揉め事がありそうな気がする。
十八騎が全員入るか、それとも選択するのかかな。
建徳殿三十九功臣(仮)
・張賓(石勒の軍師的存在。石勒の信任も厚い)
・孔萇(幽州攻略、その他の戦いで功績多し)
・石虎(各地を転戦し、数多くの功績を上げる)
・王陽(十八騎。将軍として活躍するとともに、石弘の武術の教育も行う)
・支雄(十八騎。将軍として、石勒死後も活躍)
今のとこは5人くらいか。残り34人。程遐は…活躍、してないし、どうだろうかな?
>>513 十八騎は数人こぼれてもほぼ入るだろ、12−14人位か。
>>515 豚さんは確実に入らないと思うw
鹿さんが一番最後まで生き残っているけど、この人も微妙だな
張敬も入ってくるだろう。記録の中では初代左長史となってるし、軍を率いて戦いにも赴いてる。
石勒に趙王をすすめた中心人物に名を連ねているし、軍中では重要人物だろう
>>518 郭黒略に五戒を授けて弟子としたとあるが、真逆なことを生業としてるし、ちゃんと守っていたんだろうか?
仏図澄は佐命の功臣にしてもいいくらい、石勒に貢献してると思う。
ぶっちゃけ十八騎っていっても
王陽・キ安くらいが目立ってて、後は石虎・孔萇・張賓あたりと比べると雑魚だもんな
>>521 支雄も重要人物だと思う
個人的なイメージなんだが
石虎の宮中だと、夔安とか支雄あたりは、石虎のことガキんちょ扱いしてそう
特に、後年の姚弋仲との関係とか見るに
石虎って、案外そこらへんが度量深そう
祖逖と石勒は相性よさそう。祖逖が服属してきたら、石勒がどんな使い方するか楽しみだ。
程遐あたりが変なこと言いそうだが
にしても、雑多な軍団構成だよな、石勒のとこは。超常的な坊さんも味方してるわけだし
雑多というか異民族連合政権が実態でない?
後趙は石氏一族のカリスマで持ってた国だなと思うわ
石虎って、前趙にいた時期があるんだな。陳安の乱のとき、記述がある。だとしたら、のちの劉皇后と接点があってもおかしくないが。
石勒のスパイかもしれんし、もしかして案外本気だったかも
石虎が前趙にいたとは知らなかったな
休屠王だったか石武という人物がいたと思うけど…
石虎は陳安の乱の時は曹嶷を相手に半年の間
包囲戦をしてるから別人だろ
それに石虎の劉皇后は318年生まれだから323年はまだ幼児だよ
「三十国春秋」に隴城に陳安が籠ってるとき、劉賁に進言している将に石虎の名前があった。
もしかしたら、石武と混同してるかもしれんが、あの石虎と間違えるかと思ってな
>>530 何か、ほかの史料でも、石虎が石斌と混同されているヤツがあった気がする
文脈調べれば、あり得ないミスなのに……
>>668 ぶっちゃけ、二人とも似た者同士だと思う
乱世に英主を求め続けて裏切られたのが祖逖で
乱世に英主がいないんであれば、俺が為ってくれるわ
って奮起したのが石勒
しかし、祖逖の最期は不遇すぎる
祖逖とは良好な関係を築いてたんだな。石勒は祖逖の先祖の墓を守ってやり、祖逖は石勒を裏切った部下を拒絶したり
強敵と書いて、とも、と読むような。まあ、東晋にしてみれば、その特殊な関係が祖逖をいまいち信頼できなかった一因だとは思う。皮肉ではあるけども
>>533 というかあっち方面のヤツずっと信頼されてないだろ
字って、自分でつけるのか、他人がつけるのかどっちだろうか?
世龍って、なかなかにチャレンジャーな字をつけるなと思う。夷狄で、龍を入れるってのは
>>535 石虎は「季龍」だな、一族の中でも末っ子扱いだったんだろうか
石勒の場合、勒という名前も後付だし
本当に異民族然としているなあ
>>536 石勒が名づけたんだろうなあ
母親が面倒見てたから弟あつかいだな
五胡十六国時代では、長史が参謀・軍師的立場になってることが多い。
右長史は張賓を筆頭に、石勒に献策したりしてる。じゃあ、左長史って何してるんだろう。見る限りでは、勝利の報告の使者が多かった。で、たまに軍を率いたりもしていた。右長史と役割は一緒なんだろうか。
趙書とか、当時の資料がないから、そっちには活躍が書いてあるかも
大丈夫。板自体が超過疎ってるので、半年くらい書き込まなくても落ちない。
石勒って奴隷出身だと思ってたんですが、実は有力部族の長の跡取りでコネがたくさんあったって本当ですか?
幻滅しました・・・・嚇連勃勃のファンになります
>>544 現在で例えると、系列会社の社長の息子だが父親の会社が倒産して
自分で起業して親会社の役員に迎えられた様のもんだよ
コネってもしかして郭敬のことか?
漢人の足長おじさんひとりってコネなのかなあ
しかも郭敬も後に乞活になって郷里を捨ててるし、人間関係が役に立ったのは明らかに郭敬の方
石勒はしがらみが無い方の部類じゃないのー?
>>545 それってまさか言い換えたら
匈奴の市支族の羯族の族長の息子だが、一族が離散して自らも奴隷化
永嘉の乱に呼応して自ら馬賊として旗揚げ、勢力を拡大して匈奴の漢に迎え入れられた
ってことじゃないだろうな……?
コネって言っても、親父の羯族の族長って数十人の元遊牧民農奴が、
互選で決めたリーダー程度の意味かもしれんしな
羯族の王や単于なんて言われてないし
匈奴と羯族って、ただの遊牧民つながりで、羯族は東胡や烏丸の色が強い
匈奴に従属したことがあるって程度かもしれんし、
そんな外国で住む日本人同士って程度かもしれんコネを、
系列会社の社長の息子って言われたり、幻滅したと言われてもな
外国で単身移住した成功した日本人が、日本人ネットワークのコネがいっぱいあった
と言われているようなもんだ
そもそも羯族自体が有力な部族でないし、飢饉で離散し奴隷化する程度の集団のトップだからな
とはいえ爺さんはなかなかの人物だったらしいから、そこらあたりのコネはあったかもな
>>544だけならただのネタだが、
>>690はマジレスぽい
>>691はよくわからん
>>554 段遼を撃破した支雄か荊州侵攻時の大都督やってた夔安のどっちか
次いで桃豹、どっちかと言うと統治面での実績の方が大きいけど
石勒の戦略策定時って典型的なブレインストーミングやってるよね
結論出すときは独裁的に決断してるけど、合議の過程を非常に重視している
そういう意味では仕え甲斐はあるのかも
劉聡伝読むと末期の漢は想像以上に腐ってるな
取ったばかりの漢中メインで11年持たせて前涼とか仇池に土下座させた劉曜は頑張ってたんだな
劉曜は行政手腕高いからな
さすがに羊皇后死んだときは若干トチ狂って民衆苦しめるような大工事したけど
劉曜は強いけど一度勝つと気を抜く悪癖があるよな
それで長安も一度賈疋に取られるし終いにゃ石勒の乾坤一擲の機動戦で捕まる
長安から8万人を移してるから負けたとはいえないんじゃ
愍帝が長安に入った時には百戸しか残っていなかったんだから
長安放棄の同年に洛陽の再占領もしてるし気は抜いてないと思う
石勒、石虎は冉閔を大切にしたのに
奴は石一族を皆殺しにした
天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。
天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。
天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。
天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。
天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。
天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。
石勒「高皇に会ったら、(その部下となり)韓信や彭越と先陣を競うだろう。
光武に会ったなら、互いに中原の鹿を追い(天下を争い)雌雄を決するだろう。
(しかし)大丈夫(立派な男)たる者、磊磊落落(「磊落」の強調)、
日月が明るく輝くように物事を行うべきであって、曹孟徳や司馬仲達父子のように、
孤児や寡婦を欺き、狐のように媚びて天下を取るような真似は絶対にできない」
かっこいいが、漢人大虐殺とかやるからどうも好きになれん
やはり苻堅が最高だな。周りが酷い分更に引き立つ。
劉曜って最後は戦争の直前まで酒を飲んで酔っ払って馬から落ちて捕らえられたらしいな
石勒曰く、
「朕若逢高皇、當北面而事之、與韓彭競鞭而爭先耳。
脫遇光武、當並驅于中原、未知鹿死誰手。
大丈夫行事當礌礌落落、
如日月皎然、終不能如曹孟コ、司馬仲達父子、
欺他孤兒寡婦、狐媚以取天下也。朕當在二劉之間耳、軒轅豈所擬乎」
「高皇に会ったら、(その部下となり)韓信や彭越と先陣を競うだろう。
光武に会ったなら、互いに中原の鹿を追い(天下を争い)雌雄を決するだろう。
(しかし)大丈夫(立派な男)たる者、磊磊落落(「磊落」の強調)、
日月が明るく輝くように物事を行うべきであって、曹孟徳や司馬仲達父子のように、
孤児や寡婦を欺き、狐のように媚びて天下を取るような真似は絶対にできない」
>>565 苻堅はシ肥水の戦い後のこわれっぷりがなあ
石勒十八騎は汲桑軍団で各地を荒らしまわってた時に全員揃えたのか?
全員活躍したわけじゃないがゴロツキ集団の中から?安とか支雄を拾えたのは運が良すぎる
マリアージュラーメン
マリアージュラーメン
マリアージュラーメン
P35.cgi (Perl,SJIS) 2015/11/18 FOX.
日本国民はどう対処すればいいのか。
新しい政権は民意を反映し、適切な食糧、住宅の供給、健康管理、教育が最も重要な責任となるでしょう。そして最後に防衛です。
抑制のない成長に基づく現在の経済の終焉を見るでしょう。自由貿易はよくありません。物は需要がある場所で生産されるべきだからです。
民衆の指導者は職業的政治家ではない人々から見つかるのです。国民の意志を裏切ることは、極端な場合、自殺や殺人にまでつながります。
ファッシズム政権の終わりは、いつでも残酷な結末しかない。安倍晋三はどんな殺され方をするんだろう?
三菱商事の核ミサイル担当重役は安倍晋三の実兄、安倍寛信。これがフクイチで核弾頭ミサイルを製造していた疑惑がある。書けばツイッターで速攻削除されている。
https://twitter.com/toka iamada/status/664017453324726272
世界平和の脅威は、イスラエル、イラン、アメリカです。イスラエルの役割は跪いて、パレスチナに許しを請うことです。
アメリカによる他国の虐待に反対の声を上げなければなりません。彼らは今世紀(21世紀)をこの帝国が出来上がるアメリカの世紀と呼ぶ。しかし、そうはならないでしょう。
彼らが世界中に‘民主的’制度を確立したいという衝動(1種類の政治形態が世界中を支配する)をコントロールするのは、マイト レーヤの任務です。
史上初の世界演説は英国BBCが放送
それは非常にまもなくです。マイト レーヤが世界に向かって話をする準備は良好に進行しています。この時、初めての本当の身分を明らかにされます。
25分か35分くらいかもしれませんが、歴史上で初めて、世界的規模のテレパシーによる接触が起こるのです。14歳以上のすべての人々はマインドの中で、自国語で聞くでしょう。
vo6n7NOk
☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪
生き埋めっていつまでやってたんだろうな
五代十国あたりが最後くらいか
lud20250124040700このスレへの固定リンク: http://5chb.net/r/chinahero/1170481953/
ヒント:5chスレのurlに http://xxxx.5chb.net/xxxx のようにbを入れるだけでここでスレ保存、閲覧できます。
TOPへ TOPへ
全掲示板一覧 この掲示板へ 人気スレ |
>50
>100
>200
>300
>500
>1000枚
新着画像
↓「石勒 P35YouTube動画>2本 」を見た人も見ています:
・【以前より30センチ高く】韓国・益山の弥勒寺址石塔 20年にわたる補修工事終え完工 文化財庁長「歴史をよみがえらせた」[4/30]
・【韓国】 日本が覆ったコンクリートはがしに20年、弥勒寺址石塔の修理完了[06/21]
・【SOA】スターオーシャン:アナムネシス Part3516【糞運営 社員常駐 癒着・不正抽選P小林秀一 コンプラ違反スクエニ広報岡山真也&AAA社員柴田祐希=dry ice フェス限闇鍋 優良誤認 有償石無返還 犯罪者続出】
・【関東連合】石元太一 Part.23【懲役15年】
・【SOA】スターオーシャン:アナムネシス Part3457【糞運営 社員常駐 癒着・不正抽選P小林秀一 コンプラ違反スクエニ広報岡山真也&AAA社員柴田祐希=dry ice フェス限闇鍋 優良誤認 有償石無返還 犯罪者続出】
・【SOA】スターオーシャン:アナムネシス Part3507【糞運営 社員常駐 癒着・不正抽選P小林秀一 コンプラ違反スクエニ広報岡山真也&AAA社員柴田祐希=dry ice フェス限闇鍋 優良誤認 有償石無返還 犯罪者続出】
・【SOA】スターオーシャン:アナムネシス Part3385【糞運営 社員常駐 癒着・不正抽選P小林秀一 コンプラ違反スクエニ広報岡山真也&AAA社員柴田祐希=dry ice フェス限闇鍋 優良誤認 有償石無返還 犯罪者続出】
・【SOA】スターオーシャン:アナムネシス Part3524【糞運営 社員常駐 癒着・不正抽選P小林秀一 コンプラ違反スクエニ広報岡山真也&AAA社員柴田祐希=dry ice フェス限闇鍋 優良誤認 有償石無返還 犯罪者続出】
・【SOA】スターオーシャン:アナムネシス Part3537【糞運営 社員常駐 癒着・不正抽選P小林秀一 コンプラ違反スクエニ広報岡山真也&AAA社員柴田祐希=dry ice フェス限闇鍋 優良誤認 有償石無返還 犯罪者続出】
・【SOA】スターオーシャン:アナムネシス Part3351【糞運営 社員常駐 暴言コンプラ違反スクエニ広報岡山真也「下請けは犬」 癒着・不正抽選疑惑P小林秀一 復刻フェス限闇鍋 優良誤認 有償石無返還 バグ放置】
・【SOA】スターオーシャン:アナムネシス Part3556【糞運営 社員常駐 癒着・不正抽選P小林秀一 コンプラ違反スクエニ広報岡山真也&AAA社員柴田祐希=dry ice フェス限闇鍋 優良誤認 有償石無返還 犯罪者続出】
・【SOA】スターオーシャン:アナムネシス Part3535【糞運営 社員常駐 癒着・不正抽選P小林秀一 コンプラ違反スクエニ広報岡山真也&AAA社員柴田祐希=dry ice フェス限闇鍋 優良誤認 有償石無返還 犯罪者続出】
・【SOA】スターオーシャン:アナムネシス Part3542【糞運営 社員常駐 癒着・不正抽選P小林秀一 コンプラ違反スクエニ広報岡山真也&AAA社員柴田祐希=dry ice フェス限闇鍋 優良誤認 有償石無返還 犯罪者続出】
・【SOA】スターオーシャン:アナムネシス Part3551【糞運営 社員常駐 癒着・不正抽選P小林秀一 コンプラ違反スクエニ広報岡山真也&AAA社員柴田祐希=dry ice フェス限闇鍋 優良誤認 有償石無返還 犯罪者続出】
・【SOA】スターオーシャン:アナムネシス Part3557【糞運営 社員常駐 癒着・不正抽選P小林秀一 コンプラ違反スクエニ広報岡山真也&AAA社員柴田祐希=dry ice フェス限闇鍋 優良誤認 有償石無返還 犯罪者続出】
・【SOA】スターオーシャン:アナムネシス Part3559【糞運営 社員常駐 癒着・不正抽選P小林秀一 コンプラ違反スクエニ広報岡山真也&AAA社員柴田祐希=dry ice フェス限闇鍋 優良誤認 有償石無返還 犯罪者続出】
・【SOA】スターオーシャン:アナムネシス Part3547【糞運営 社員常駐 癒着・不正抽選P小林秀一 コンプラ違反スクエニ広報岡山真也&AAA社員柴田祐希=dry ice フェス限闇鍋 優良誤認 有償石無返還 犯罪者続出】
・【SOA】スターオーシャン:アナムネシス Part3405【糞運営 社員常駐 癒着・不正抽選P小林秀一 コンプラ違反スクエニ広報岡山真也&AAA社員柴田祐希=dry ice フェス限闇鍋 優良誤認 有償石無返還 犯罪者続出】
・【SOA】スターオーシャン:アナムネシス Part3358【糞運営 社員常駐 暴言コンプラ違反スクエニ広報岡山真也「下請けは犬」 癒着・不正抽選P小林秀一 復刻フェス限闇鍋 優良誤認 有償石無返還 犯罪者爆誕】
・【SOA】スターオーシャン:アナムネシス Part3255【糞運営 社員スレ常駐 暴言コンプラ違反スクエニ広報岡山真也「下請けは犬」 復刻フェス限新キャラPU無し 優良誤認 有償石を無償石で返還 信者忘年会】
・+.゚ヽ゜・。+宝石・ルース+.゚ヽ゜・。 Part.35
・【元Folder5】満島ひかり・AKINA・石原萌 P93
・【ディエスイレ】AT‐X part31185【宝石の国】
・【SOA】スターオーシャン:アナムネシス Part3285【糞運営 社員スレ常駐 暴言コンプラ違反スクエニ広報岡山真也「下請けは犬」 復刻フェス限新キャラPU無し 優良誤認 有償石返還断固拒否 信者忘年会】
・【迎春絶壁】グリムノーツ page359【石井×はちま】
・【SOA】スターオーシャン:アナムネシス Part3265【糞運営 社員スレ常駐 暴言コンプラ違反スクエニ広報岡山真也「下請けは犬」 復刻フェス限新キャラPU無し 優良誤認 有償石返還断固拒否 信者忘年会】
・★アクセサリー・ジュエリー・宝石好きな奥様 Part35★
・【神アプデ】グリムノーツ page345【石井×はちま】 [無断転載禁止]
・【SOA】スターオーシャン:アナムネシス Part3514【糞運営 社員常駐 癒着・不正抽選P小林秀一 コンプラ違反スクエニ広報岡山真也&AAA社員柴田祐希=dry ice フェス限闇鍋 優良誤認 有償石無返還 犯罪者続出】
・【SOA】スターオーシャン:アナムネシス Part3538【糞運営 社員常駐 癒着・不正抽選P小林秀一 コンプラ違反スクエニ広報岡山真也&AAA社員柴田祐希=dry ice フェス限闇鍋 優良誤認 有償石無返還 犯罪者続出】
・石原夏織 Part53
・【SOA】スターオーシャン:アナムネシス Part3495【糞運営 社員常駐 癒着・不正抽選P小林秀一 コンプラ違反スクエニ広報岡山真也&AAA社員柴田祐希=dry ice フェス限闇鍋 優良誤認 有償石無返還 犯罪者続出】
・【SOA】スターオーシャン:アナムネシス Part3502【糞運営 社員常駐 癒着・不正抽選P小林秀一 コンプラ違反スクエニ広報岡山真也&AAA社員柴田祐希=dry ice フェス限闇鍋 優良誤認 有償石無返還 犯罪者続出】
・【水着・オリジン】グリムノーツ page399【石井 ×はちま】 [無断転載禁止]
・【マナリフ】マナシスリフレイン Part13 【石が無限に増えるほのぼのRPG】
・石野卓球(TakkyuIshino) Part32
・石田未来 part15
・石原夏織 Part85
・ローゼンメイデンの蒼星石の可愛さは異常 Phase158
・石原佑里子 part3 [無断転載禁止]©bbspink.com
・【SOA】スターオーシャン:アナムネシス Part3276【糞運営 社員スレ常駐 暴言コンプラ違反スクエニ広報岡山真也「下請けは犬」 復刻フェス限新キャラPU無し 優良誤認 有償石返還断固拒否 信者忘年会】
・【WIRE】石野卓球(TakkyuIshino) Part31【STERNE】
・【SOA】スターオーシャン:アナムネシス Part3263【糞運営 社員スレ常駐 暴言コンプラ違反スクエニ広報岡山真也「下請けは犬」 復刻フェス限新キャラPU無し 優良誤認 有償石返還断固拒否 信者忘年会】
・【SOA】スターオーシャン:アナムネシス Part3267【糞運営 社員スレ常駐 暴言コンプラ違反スクエニ広報岡山真也「下請けは犬」 復刻フェス限新キャラPU無し 優良誤認 有償石返還断固拒否 信者忘年会】
・【SOA】スターオーシャン:アナムネシス Part3321【糞運営 社員スレ常駐 暴言コンプラ違反スクエニ広報岡山真也「下請けは犬」 復刻フェス限新キャラPU無し 優良誤認 有償石返還断固拒否 信者忘年会】
・石井萌々果 Part3
・【SOA】スターオーシャン:アナムネシス Part3288【糞運営 社員スレ常駐 暴言コンプラ違反スクエニ広報岡山真也「下請けは犬」 復刻フェス限新キャラPU無し 優良誤認 有償石返還断固拒否 信者忘年会】
・【SOA】スターオーシャン:アナムネシス Part3443【糞運営 社員常駐 癒着・不正抽選P小林秀一 コンプラ違反スクエニ広報岡山真也&AAA社員柴田祐希=dry ice フェス限闇鍋 優良誤認 有償石無返還 犯罪者続出】
・【SOA】スターオーシャン:アナムネシス Part3262【糞運営 社員スレ常駐 暴言コンプラ違反スクエニ広報岡山真也「下請けは犬」 復刻フェス限新キャラPU無し 優良誤認 有償石返還断固拒否 信者忘年会】
・【流石景】ドメスティックな彼女 Part37【本スレ】
・【SOA】スターオーシャン:アナムネシス Part3293【糞運営 社員スレ常駐 暴言コンプラ違反スクエニ広報岡山真也「下請けは犬」 復刻フェス限新キャラPU無し 優良誤認 有償石返還断固拒否 信者忘年会】
・【SOA】スターオーシャン:アナムネシス Part3313【糞運営 社員スレ常駐 暴言コンプラ違反スクエニ広報岡山真也「下請けは犬」 復刻フェス限新キャラPU無し 優良誤認 有償石返還断固拒否 信者忘年会】
・白石若奈 Part3 [無断転載禁止]©bbspink.com
・【SOA】スターオーシャン:アナムネシス Part3320【糞運営 社員スレ常駐 暴言コンプラ違反スクエニ広報岡山真也「下請けは犬」 復刻フェス限新キャラPU無し 優良誤認 有償石返還断固拒否 信者忘年会】
・【SOA】スターオーシャン:アナムネシス Part3318【糞運営 社員スレ常駐 暴言コンプラ違反スクエニ広報岡山真也「下請けは犬」 復刻フェス限新キャラPU無し 優良誤認 有償石返還断固拒否 信者忘年会】
・【童話】グリムノーツ page398【石井 ×はちま】
・【SOA】スターオーシャン:アナムネシス Part3420【糞運営 社員常駐 癒着・不正抽選P小林秀一 コンプラ違反スクエニ広報岡山真也&AAA社員柴田祐希=dry ice フェス限闇鍋 優良誤認 有償石無返還 犯罪者続出】
・ローゼンメイデンの翠星石のかわいさは異常 PHASE 25
・【SOA】スターオーシャン:アナムネシス Part3382【糞運営 社員常駐 癒着・不正抽選P小林秀一 コンプラ違反スクエニ広報岡山真也&AAA社員柴田祐希=dry ice フェス限闇鍋 優良誤認 有償石無返還 犯罪者続出】
・石川由依 Part13
・石上静香 Part13
・【SOA】スターオーシャン:アナムネシス Part3279【糞運営 社員スレ常駐 暴言コンプラ違反スクエニ広報岡山真也「下請けは犬」 復刻フェス限新キャラPU無し 優良誤認 有償石返還断固拒否 信者忘年会】
・【SOA】スターオーシャン:アナムネシス Part3273【糞運営 社員スレ常駐 暴言コンプラ違反スクエニ広報岡山真也「下請けは犬」 復刻フェス限新キャラPU無し 優良誤認 有償石返還断固拒否 信者忘年会】
・【NHKよるドラ土23時半】だから私は推しました Part2【桜井ユキ・白石聖・松田るか・細田善彦】
・★アクセサリー・ジュエリー・宝石好きな奥様 Part37★ [無断転載禁止]
・石田桃香 Part5
14:07:00 up 10 days, 15:10, 2 users, load average: 7.09, 9.28, 10.29
in 1.505560874939 sec
@0.071042060852051@0b7 on 012404
|