やっと上下巻が揃った「日本戦後音楽史」について語るスレです。
賞賛・批判、何でも結構です。
読んだ方の率直な意見が聞きたいです。
上巻を読んだ限りでは、素晴らしい労作と感じた。
やや総花的・羅列的に過ぎる欠点があるものの、
戦後のうたごえ運動の盛衰まで押さえた資料としての価値は、類例を見ない。
各筆者も、主観的内容をできるだけ押さえた執筆振りに好感が持てる。
欠点としては、なぜ尾高賞やオケ依属作品が、ある時点を境に、
急に前衛的作品に傾いた理由、それに対する各作曲家の意見(賛辞・批判)等が
無かったのが、不満と言えば不満。
個人的には、今は亡き「音楽芸術」からの引用が多い事が、
母校(大阪音大)の図書室で1950年代の「音芸」を
夢中になって閲覧していた頃を懐かしく思い出したよ。
20 7分74秒 2007/03/06(火) 12:33:14 ID:KpQPrjX8
「戦後音楽史」みたいなタイトルの厚い本がタワレコにあった。
もう1冊出るみたいだった。
1を見ると、「批評」を広義にとらえてよさそうだけど、
あの本は、批評ではなく、歴史学?みたいなものなのかな?
21 7分74秒 2007/04/17(火) 14:41:01 ID:Mwv+9oFz
下巻が出るころには音楽批評の教科書として、音楽美学の必需品になってるだろうな。
まさに暗黒時代の到来。
24 7分74秒 2007/04/18(水) 13:11:20 ID:DL+RJqsu
読むと准教授への忠誠心が沸き上がって来る素晴らしい著作です。
音楽批評の教科書だったら、ヴェルナー・ブラウンのやつがあるだろうに。
美学と歴史学の違いが分かってるのか、分かってないのか、
そういうところがよく分からない、ってここで言うことでもないけど。
下巻は未読。もう本屋に並んでるのか。
日本のアカデミックな音楽界は、海外方面ばかりに目を向けて、
国内を疎かにしてたんで、上巻が出た時は驚いた。
まだ先だろうな、と思ってたから。
感想は後述。
>急に前衛的作品に傾いた理由、それに対する各作曲家の意見(賛辞・批判)等が
>無かったのが、不満と言えば不満。
そういうことを無かったことにするために、「総括本」や
「紹介本」を出すのが、若手中堅の学者の「意図」だったりすることがある。
この本は未読でわからないが。
日本の作曲家研究なんて、武満徹や山田耕筰でさえじゅうぶんに
進んでいないんだから、あれもこれも期待するのは無理だべ。
日本音楽の通史は、もう40年以上書かれてない。
現在、下巻購読して読んでる最中。
下巻になると、演奏会や講習会で直接会って話した人が、
話題にされているのが趣深い。
気になるのは、新ロマン派的な調性回帰の傾向と、それに反対する
細川俊夫率いる秋吉台グループの活動を相対するものとして、
完全に区別して扱っていることかな。
お互いの影響や反発が作曲家の発言や作品の紹介として
挙げられていないのは問題だと思う。
あと改めて感じたのは、80年台における
西武セゾングループの堤清二氏の現代音楽における貢献度の高さ。
これほどまでとは思わなかったよ。
献呈本をいただいた「日本戦後音楽史(上・下)」(平凡社)を通読する。
日本戦後音楽史研究会
(代表:佐野光司、石田一志、片山杜秀、長木誠司、楢崎洋子、
沼野雄司、水野みか子氏ほか)による編著で、
上巻は「戦後から前衛の時代へ(1945?)」、
下巻は「前衛の終焉から21世紀の響きへ(1973?)」、
あわせて1100ページほどの大著である。
ただし戦後〈音楽史〉とは言いながら、一般の人の考える〈音楽〉
とはちょっと違ったジャンル・・・〈クラシック音楽界〉の、
しかも〈現代音楽作曲界〉に焦点を当てた・・・
正確には「現代音楽という視点から見た日本戦後音楽外伝」
とでも呼ぶべきものであるので念のため。
この書では戦後日本の現代音楽の潮流は、戦後?年代=前衛、
70年代=前衛の終焉、80年代=ポスト・モダン、
90年代以降=グローバル化・・・と大きく括られている。
図式的に過ぎると言われればそうかも知れないが、たぶん
戦後日本のマンガ史…とか、戦後日本のカップラーメン業界史…
などというものを編纂しても、同じような時代の流れの説明
になりそうだから、まあ、順当な歴史認識と言うべきか。
それにしても、いかにマイナーな現代音楽界とは言え、
そこにうごめく膨大な数の作曲家たちとその作品たちを
一通り網羅し分類するというのは、例えれば・・・
東京中のネコの名前を集めて台帳にするようなもの・・・?。
さぞかし大変な作業だったに違いない。
ここは、この素晴らしき労作に心から拍手を贈りたい。
いや、皮肉でなく・・・。
ただ惜しむらくは、これだけ多くの作曲家たちの夢の痕跡が
文字情報として記されていながら、
(ほんのごく一部の作曲家を除いて)CDなどで聴くことが
出来る曲がきわめて少ないこと。
そもそも商品価値が限りなくゼロに近い(要するに「売れない」)音楽
なので、CDやコンサートですべて聴けるようにしろと言っても無茶な話。
でも、作曲家本人や放送局やマニアの家に死蔵されている音源
(カセットテープだっていいのだ!)をかき集めてデータ化し、
(著作権などといううるさいことを言わずに)ネット上にアップロード
して共有するようなことくらい
出来ないものだろうか…と思わず考えてしまった。
昨今の著作権にからむ動向からすれば絶望的な「見果てぬ夢」だが、
こういう音楽通史がネットで公開され、作曲家名や曲名をクリックすると
すぐさまその音源が聴けスコアが見られる…なんて、想像しただけで
わくわくするのだがなあ。
ちなみに、私が内緒で隠し持ってる現代音楽の音源
(LPやオープンリールやカセットやCD)をすべてアップ
するだけだって、ちょっとした現代音楽資料館(非合法だが)
になるのだけど・・・(おっと、思わず現代音楽オタクの本性が・・・(笑)
>70年代=前衛の終焉、80年代=ポスト・モダン、
>90年代以降=グローバル化
まだこんなこと言ってるのか。っていうか、学者の中ではこれの方が主流なのか(溜息)。
大事なことは何も聴いていないし、当時の重要な文章も、何も読んでないってのがわかるな。
日本では、この枠組みは、大した意味はなかった
(作曲もするプロデューサーみたいな人が台頭するまでは)。
武満一人だって、彼のすぐれた部分は、この枠組みからはずれた部分がだから、
他の日本人作曲家がどう書かれているか思うと頭を抱えるよ。
買うかどうか迷うな。
>>8
最後の13行くらい、大賛成です。 そういうことは別の枠組みを立ててから言うべきだろうな
オレが思うに、この本はひとつの枠組みをちゃんと提示することに意味があるのだと思うよ
それに、そこから逸脱しているものの存在を否定しているわけではない
そもそも9だって、タケミツなんていう特化された存在を出して(そういう存在しか出せなくて)
そのうえ「逸脱」なんていっている
ということは、この枠組みを認めているにすぎない
それに気づかないのは、かなりのお馬鹿か能天気だ
ちがうというなら、時代を言い当てるほかのことばをだしてみい ちゃんと聞いてやるからさ
‘バロック音楽’とか’ロマン主義時代’とかのような時代を表わす
用語はすべて、軽蔑的に、不明瞭に、あるいはまた称賛の語と
して、用いられ得るし、あるいはまた、使用者がその語に含めたい
意味を表わす語としても用いられ得るのである。
R.M.ロンイアー『ロマン派の音楽』(東海大学出版会)
音楽史家に限らず、歴史家は過去をいくつかに区別したがる習性があるんだべ。
そうした人たちの書いた本によって、われわれは歴史を学んでいる。
まあ、歴史家に限ったことじゃない。作曲家について書く人たちも、
第一期だの、晩年期だのと、好き勝手に区分するじゃない。
全巻読了。
やはり編者の傾向か、前衛的な傾向の作曲家に焦点が当てられ、
保守派の問題作、團伊玖磨の「ひかりごけ」等に関する記述が無かった
のが不満だな。あと原博の扱いなど悲惨の一言だよ。ほぼ完全無視されてる。
それに比べて川島素晴氏は大プッシュの扱い。特にそれに異は唱えないけど、
編者に近い関係の作曲家に、スポットが当たってしまうものだと思ったよ(´・ω・`)
編者? 各時代担当の執筆者の傾向の反映だろう。
「ヒカリゴケ」のとこは長期、川島のとこは水野みか子。
>>12
ほんとに読んだのか? だいじょうぶか めくらか
上巻のほうに「ひかりごけ」はけっこうながくのってるぞ
これを読み落とすとは・・・・ >>15
>上巻のほうに「ひかりごけ」はけっこうながくのってるぞ
情報サンクス。
でも「けっこうながく」はのってないぞ。 すっごく狭い世界の音楽史
よくこんなタイトルつけられたもんだ。傲慢だと思います
聴かずに書いてるのもあるし
ポピュラー音楽を見下した記述も多い
作曲家のことばかりでいろんな面へ目配りがない
「日本マイナー作曲家史」でよかったんじゃないか
>>18
>索引が間違いだらけ。
同感。
俺の師匠も本文では名前が出てるのに、索引には無かったよ・・・(´・ω・`) なんか、前衛贔屓のわりに権威主義的な記述が目に付く
>>22
そそ。日本では、昔から前衛こそが権威です。
>>10
直輸入の概念の枠組みだけ先に出して、要するに粗悪な枠組みを早出ししておいて、
早く代案を出せなんて言える神経の方が・・・。
学者が出すこういう枠組みって、クイズ番組の早押し解答ボタンか?
一つの枠組みを提示するだけでも、長い時間をかけた入念な内省と考察が必要だろうに。
だいたいこういう人たちって、誰に頼まれて「枠組み」なんて提示してるわけ?
どっちかと言えば、迷惑だよな。
>別の枠組み
?。政策の代案かなにかと勘違いしてないか。
今どきの現代音楽評論家程度の音楽の理解者ふぜいが、「枠組み」だなんて
100年早い。
>>23
なんか自爆気味だぞ だいじょうぶか?
枠組みなんてそんなもんでいいんじゃない、歴史の書き方の枠なんてのは
いくとおりでもあって、読む方がそことの偏差を考えるようなモンで十分
これはどんなものの歴史だって同じだよ たいそうなものとして、いちいち
目くじら立てる方がどうかしてる(どっかの関係者か、利害関係でもあんの??)
代案なんていくらでも可能なんじゃないの(オレもいますぐには出せないけどさ)
でもきっとどんなの出したって 誰かから文句が来るんだよ
直輸入、ってかいてるけど オレにとってはその方が、外国との偏差とか比較
を考えるのに都合がいいな 比べられないような枠組み出されても かえって
困るような気がする どう?
>どっかの関係者か、利害関係でもあんの??
さすが枠組みにこだわる人のセリフ。なにゆえ突然「利害関係」?w
何で枠組みが気になるかをよく物語っている。馬脚をあらわしすぎ。
内輪でやるならいいけど、「そんなもんでいい」なら、社会に出さなきゃいい。
業界人には飯のタネか知らんが、
人が音楽を聴くのに、単に、要らないんだよね、この程度の枠組み。
さらに、知らない音楽にたどりつくのにも、有害無益なの。
(という意味では、「利害関係」はある。w)
オレは外国との比較のために音楽を聴いたりなんかしないし。
(比較のため、なんてどこにも書いてない?はいはい。理解しすぎですみません。)
どうでもいいけど文学史でも映画史でも枠組みがなかったら本にならないんだよ。
その枠組みが適切かどうかは別問題だけど。
ゲソ界の場合、提示された枠組みがゲソ達に依存されてそのまま常識の様に思われる予感。
スレ違いだが本になった「考える耳」、改めて読み返すと「このしとのバカの壁はどの位だろう?」とかオモタ。
世界標準てマクロ経済信奉者みたいだな・・・・・・・・・・・・・
確かに近年の渡辺はぜんぜんだめ。もともと実はよくなかったのをこちらが勘違いしてたのかな。
もう少しましな人と思っていたが。
あ、そんな本出たんだ。サンクス。「考える耳」ねえ。w
この人、どんなによく考えても、耳を対象に文を書くことはできても、
自分自身は耳なんて持ってない人。
まして「耳が考える」ような回路は皆無の人。
よりによってそんな人が、よくこんな題名、恥ずかしげもなくつけるよ。
いやあ、でも、この人のエッセイまとめたみたいな本、読みたかったの。
昔のもあんのかなあ。ぶっとび発言が多くて、それなりにおもしろそう。
かなり以前だが、
「手紙の読み書きはできるが、見なきゃ言葉をしゃべれない人がいたらおかしいと思うだろ、
でも、楽譜を見なきゃ弾けないピアニストはたくさんいるのである」
ってな、綿鍋の文を新聞上て見つけ、驚倒。
でも弔旗よりはましだろ。
レコ芸7月の連載・レビュー読んだら頭抱えた。
こんなザルな耳(脳)の持ち主が偉いというならもう未来は無い。
弔旗の連載はレコ芸に載せるような内容か。
しかも文章が無駄に長い。
あのまわりくどい文章は反論されたとき「自分はそんな事は書いていない」と言い返す為のもの。
>>32
ちょっと読んでみた。
自分の立ち位置を「本来の」と信じきって言ってるよ。
ほんとうに無自覚な思い上がりだな。
>>35
その"立ち位置"ならば論証済みの価値基準がベルリンに沢山所蔵されてるからさ。
あと森博嗣の「四季-夏」連想したよ。「そんな理屈が通るか」「理屈ならいくらでも通ります」ってやつ。
探究者を止めてしまえば天才でなくとも「いくらでも理屈は通」せるよ。
坂田靖子の「分らない事の半分は本の中に、あと半分は世界にある」という言葉は准教授(森じゃないぞw)の辞書に無い。 >>35
と書いてる自分も、自分の説が「本来の」と思ってないかい
こういう言い方はどうどうめぐりになるだけだと思うぞ
35の言うように長期がどうかしらんが、だいたい自分のことを「本来」
と思わないじゃ評文なんて書けないんじゃない 立場を曖昧にしている
奴の文なんて 読んだってさっぱりだ 立場が鮮明な方が反発も同感も
しやすいんだよ 評なんて全部納得するわけないんだし
後編を読んだ。感想は今は手短に。
とりあえずお疲れ様でした、と言いたい。
『音楽芸術』のような雑誌が今も生きていたら、(あとがきに出てくる)
音楽関係者からの聴き取りの模様が収録されていただろうに。
高田三郎や安部幸明のは面白そう。
そして、「メンバー間の世代的相違から生じる、戦後という時代体験
の質的・量的な差異、地域的・時代的な経験の落差、同じ歴史的
現象に対する見方の心情的不一致、歴史記述に関する基本的概念の
齟齬、それに伴う戦後音楽史そのものの捉え方の相違などなど」の
具体的な内容を知りたいと思った。
そっちの方が、結果として表れた文章よりも面白そうだし、
後の世代が日本の音楽史を語る上での参考になるだろう。
研究会に作曲家がいても、演奏家がいなかった。
彼がいれば、もう少し演奏家寄りの歴史を紡いでくれたのだろうか。
(主催:日本戦後音楽史研究会、共催:日本音楽学会関東支部、助成:アフィニス文化財団)
日 時: 2007年7月21日(土) 午後2時〜5時
場 所: 東京大学教養学部18号館ホール
(東京都目黒区駒場3-8-1)
司 会: 佐野光司
〈シンポジウム〉
「日本戦後音楽史を問う」
パネリスト:
間宮芳生 (作曲家、ゲスト)
近藤 譲 (作曲家、ゲスト、お茶の水女子大学)
片山杜秀 (評論家、ゲスト)
岡田暁生 (京都大学、関西支部)
沼野雄司 (桐朋学園大学)
○木の危険な所は他者総てを自分の信ずる思想に染めあげないと気が済まない事。
しかもその思想は他人(ドイツ人)の受け売りに過ぎない事。
つまり、日本のゲソ界は日本人自身により以前よりも独自性の欠片も無いドイツによる文化植民地化が進んでしまっている事だ。
>>42
しかしそれって、ドイツの方では、植民地にしたつもりはないってことだと思う。
みずから植民地に成り下がることで、得するヤツがいるってこと? >>42
>しかしそれって、ドイツの方では、植民地にしたつもりはないってことだと思う。
そのとおり。自覚せずに利権獲得に有利になるわけだ。自分から動かなくとも相手からお膳立てをしてくれる。
>>42
○木なんてどうでもいいよ それに替わるものを君が提示して
くれればいいだけじゃん こんなとこでぐだぐだ言ってないでさ ( ^ω^)ベンベンゴシゴシベンゴシゴシ!!
近所の古本屋で揃いで6000円で売ってたけど、買うべきか否か
>8 吉松せんせの勝手に貼り付けちゃってもいいのかな?
>>55 まぁ吉松さんのブログ読んでないとわからんわな。 <コミケ72:開幕 17万人が来場 初日はガンダム、ハルヒが人気>
2007年8月17日 毎日新聞
世界最大級のマンガの祭典「コミックマーケット72」が17日、東京・江東区の東京
ビッグサイトで開幕。猛暑の中、過去最高に匹敵する約17万人が来場した。19日まで。
この日は、「機動戦士ガンダム」や「鋼の錬金術師」などの人気アニメや「ファイナル
ファンタジー」などの人気ゲームの同人サークルを中心に約1万2千サークルが参加。
「機動戦士ガンダムSEED」や「コードギアス」「涼宮ハルヒ」シリーズなどの同人
サークルが登場し、女性客を中心に人気が集まっていた。
マンガやアニメのキャラクターに成りきるコスプレーヤーが集まる「コスプレ広場」
では、照りつける日差しの下、それぞれの工夫を凝らした衣装を披露。また、ビッグサイト
西館4階の企業ブースでは、アニメ「灼眼のシャナ」や「ハヤテのごとく!」のジェネオン
エンタテインメントブースや、「フェイト/ステイナイト」などのタイプムーンブースを
はじめ、多くのブースで限定品を求める来場者で長い列ができていた。
気象庁によると、この日の東京地方は最高気温35度を記録する猛暑で、早朝から列を
作った来場者の中には、暑さで救護室に運ばれる人も多かった。あすはくもりで最高気温は
29度のの予報で、猛暑は一息つきそうだが、主催のコミックマーケット準備会では
「しっかり暑さ対策をしてほしい」と呼び掛けている。
18日は、少年マンガの同人を中心に初日と同じ約1万2千サークルが参加する。
「ソヒャンの結婚」
制作者のインタビュー内容が准教授の解説と反対の事言ってた。何なんだ;
もちろん皆様のことですからすでにお手元に届いているころかとは思いますが・・・
http://www.jti.co.jp/Culture/Affinis/report/index.html
アフィニス・サウンド・レポート No.34
特集〜日本戦後音楽史〜
■曲目
1:鈴木博義 : モノクロームとポリクローム(1954年)
2:篠原 眞 : ソリチュード(1961年)
3:黛 敏郎 : 音楽の誕生(1964年)
4:福島和夫 : 月魄 −つきしろ− ピアノ、ハープ、52の弦楽器と打楽器のための(1965年)
5:夏田鐘甲 : 管弦楽のための音楽《伽藍》(1965年)
指揮:高関 健
演奏:東京都交響楽団 >>21
この本鵜のみにする奴・・・・いるんだろうなあ。
某先生はオウム洗脳を調べたからにはこの本の持つ危険性も研究すべきだろう。 海外の関係者や他ジャンルに「戦後日本のクラッシック音楽て?」と聞かれた時
説明するとき仮の枠組みとして使用するのは良い。ただ、この本の著者の方々に
は著書の枠組みからはみだした系統を抹殺する事は止めて頂きたい。切にお願いする。
>>70
同感だけど、まさにそれが目的でしょ。
自分の都合の悪いものを抹殺するっていうのが。
鈴木博義 : モノクロームとポリクローム(1954年)
将来を嘱望されよい作品を書いた鈴木
ある時期まで武満よりも期待されたが
家業を継いで 作曲を捨てた
立花の武満評伝には 鈴木へのインタビューもあった
鈴木再評価が望まれる
せめて音源なりと ダウンロード販売 求む
たしかシンポで、間宮や近藤譲に酷評されてたな。
片山氏の自己批判の、偉大な謙虚さも話題に。
さる人は非常に嫉妬深いうえに奥ゆかしいので地下でどんなドロドロした
攻撃を片山タソに向けてるのか恐くてたまらない。
湯浅と西村の対談本の中にショッキングな話が出てたな
「内蝕覚的宇宙」を初演したコンサートに鈴木も新作を発表するはずだった。
しかし前日徹夜しても出来上がらず、思い余った鈴木はコンサート当日に睡眠薬を飲んで
自殺をはかってしまったそうだ。
実験工房としてのコンサートも鈴木の作曲活動もその時を境に止まってしまった。
>大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。僕のほかにも、イジメが原因で精神病になったりひきこもりになったりした子が何人もおる。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。イジメに加担する教師すらおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメはなかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな
>島本町って町は、暴力といじめの町なんだな
子供の時に受けた酷いイジメの体験は、一生癒えない後遺症になるなあ
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