電車から降りたら年末の空気の匂いがした。
ちょっと切なくて居場所がない感じのアレ。
貧富の差がくっきり浮き出る時期。
年末はあまりいい思い出が無いので好きでは無い。
何にもしたくない。
駅にいるのに家に帰るのも面倒だ。
今この瞬間に消えて無くなってしまえればそれが一番良い。
存在していたことさえ消える。
ありとあらゆる記憶と記録から消える。
最初から存在しなかった。産まれていなかった。
そうなりたい。
もしかしたら癌かもしれないという疑いがあるが
検査に行くお金がないのでもし本当に癌だったら数ヶ月で死ぬことになるのだろうか
死ぬのは構わないけど苦しむのはいやだな
何も良いことが無く辛い人生の最後の最後まで辛い思いをしなければならないなんて不公平だ
昨日は鬱々としていたが今日はそれほどではない。
もし死なずに済むならその方が良いかもしれないと思うけど
苦しまずに存在を消滅させられるならその方がもっと良い。
放っておいてもそのうち癌で死ぬかもしれない人生なのに無駄にスマホで時間を浪費している。
浪費しなければその時間で何かできるわけではないが残り少ないかもしれない時間の使い方としては賢いとは言い難い。
だからこんな人生なのだろう。
どこにも居場所がない、疎外感と劣等感で朝から憂鬱だ。
何をやっても上手くいかない。
ダメなやつは何をやってもダメ。
ホントこれなんだな。
自分にあるのは孤独ではなく絶望だった。
孤独には不安ながらも未来や希望があり気楽さや透明感のある美しさも感じられる。
絶望には何も無い。
トイレの天井に蜘蛛が住み着いている。
蜘蛛の寿命がどのくらいかは知らないけど4〜5年前からいる。
もしかしたら違う個体かもしれないが昔に比べるとだいぶ大きくなっているので同じ個体だと思っている。
私は蜘蛛に安全な場所を提供し蜘蛛は虫を獲ってくれる。
ある種の共存生活と言える。
雌の蜘蛛だったらいいなと下衆な事を思ってみる。
仕事サボった。
昨日から心身ともに疲弊していたので実際に休むに足る理由ではあると思うのでサボりではないと自分に言い聞かせる。
パートなのに、パートだからこそハードワークを押しつけられる。
まるで奴隷だ、潰れても代わりはいくらでもいる。
使い捨てられるのは嫌だが自分の才能や能力ではどうにもできない。
せっかく休んだのだから掃除でもしようかな
少しでも真人間に近付きたい。
近付きたいというよりも真人間の真似事がしたいと言う方がしっくりくるか。
ふた月ほど前あたりから味覚障害を患っている。
前日の夜まで普通だったのに朝起きたら急に何食べても苦味が混ざり甘味や旨味が薄く感じるようになった。
亜鉛のサプリを飲むようにしてから苦味は無くなったが替わりにうっすら酸味を感じるようになった。
水を飲んでも酸味を感じる。
味が薄く感じるのは相変わらず。
味覚障害と同時期に舌が痛むようになった。
調べてみたら舌癌もしくは咽頭癌の症状とほぼ同じだ。
病院行くお金が無いので本当に癌だったらいつか死ぬのだろう。
水を飲んでも酸味を感じるがお酢やレモン汁の酸味はあまり感じないのは不思議だ。
しかし何食べても美味しくないというのはつまらないな。
貧乏人のダメ人間は食事を楽しむことも許されないのか。
癌の事を調べても治療に関する事しか見つからない。
当たり前か。
放置してどのくらいで死に至るのか知りたいんだけどな。
待つの面倒くさいからテントと練炭持って樹海に行こうかなと考えてしまった。
練炭が一番苦しまずに済みそうだから。
どこか目立たない小さな風穴の奥で何十年も発見されずに朽ち果てたい。
生きてても楽しいことなんて何も無かった。
何のために生きているのか分からなくなるくらい無意味な人生。
でも死にたいというのは本意ではないんだよな。
最初から存在していない>消えて無くなりたい>死にたい
上位ふたつはどうにもならないので仕方なく「死にたい」を選ばざるを得ない。
あんまり死ぬとか書き込むとお節介な優しい人に通報されたりするのかな?
だいたい本当に死ぬ人は死にますと何度も言わないものだ。
無言で実行する。
こうやって死にます死にます言ってるうちは多分大丈夫なんだろうな。
今日は仕事でミスばかりした。
どうせそのうち死ぬのに何でこんなに毎日苦痛を味あわなくてはならないのだろうとずっと考えていて集中できなかった。
何のためにこんなこと続けているのだろう。
どうせ死ぬのに。
多分もしかしたら癌じゃないかも、ひょっとしたら死ななくて済むのかもって思っているのかな。
本当は死にたくないって思っているのかも。
それとも癌という制限時間を勝手に設けられたのが嫌なのかもしれない。
自分の事なのに本心が分からない。
味覚障害の症状もだんだん慣れ、それほど苦でもなくなってきて癌で死ぬかもしれないということを忘れるが
舌の痛みがそれを思い出させる。
本当に何にもやりたくない時はネット見ることすらしなくなる。
布団に入って眠るでもなく目を閉じ脳も完全に停止する。
死ぬというのはそれに近いのではないかと思う。
自分と同じ年代や自分より一回り以上若い人が高そうな服を着ているのを見ると己の見窄らしさが恥ずかしくて消えたくなる。
恥という感情があるだけまだ人としてマシなのか思うが
それは無駄に自意識過剰なだけなのかもしれない。
何で産まれてきたのかな。
何でこの歳まで恥を晒しながら生きているのかな。
もし前世の罰を今受けているのなら来世は少しはマシになるのだろうか。
幸せな人を見て妬ましく思っているときはまだ元気なのだと思う。
本当に疲弊しているときは他人は目に入らない。
自分ばかり辛い思いをして嫌な目にあって
なぜ自分ばかりがこんな目に遭わなきゃならないのかと思う。
自分勝手な事ばかり言うなよ、死んでしまえクソどもが。
「他人と比べて生きるな自分らしく」なんて言葉が溢れているけどそれは衣食住とそれなりの収入がある人向けの言葉であって
衣食住もままならない自分のような底辺には当然あてはまらない。
スーパーで駄々をこねる子ども。
最終的にわがままが通り欲しいオマケ菓子を買ってもらえたようだ。
自分はそんな子どもにも嫉妬する矮小な人間。
生きている価値が無い人間も
もし死ぬことで価値が生まれるのなら今すぐにでも。
もし過去に戻れるのならいつが良いだろうと思いを巡らせるが
過去に置いて楽しかった思い出も人生の分岐点の記憶も無く最初から搾取され蹂躙されるだけの人生だった。
過去に戻ったところで苦しみが延びるだけなので戻りたいという気持ちは無くなった。
早く人生が終わって欲しい。