2018.11.10
11月10日放送の『世界一受けたい授業』(日本テレビ系)に、わずか4歳でアウシュヴィッツから生還したマイケル・ボーンスタインさんが出演し、「死の収容所」の真実を語りました。
マイケルさんは、戦時中の体験を口にすることをためらい続けていました。しかし、インターネットで見た“あるもの”をきっかけに、ついに記憶を語る決意を固めたのです。その“あるもの”とは、「ホロコーストは嘘で、存在しなかった」と主張するサイトでした。
怒りに震え、このまま沈黙を続けていたら真実がかき消されてしまうと感じたマイケルさんは、半世紀のあいだ胸の奥にしまい込んできた自らの体験を明かすことにしたそうです。
マイケルさんの娘、デビー・ボーンスタイン・ホリンスタートさんが、父の語った言葉を書きとめ、さらに多くの関係者への綿密な取材を重ねて1冊の本にまとめ上げたのが、『4歳の僕はこうしてアウシュヴィッツから生還した』(NHK出版)。終戦から70年以上経ち、初めて明かされる貴重な真実の記録です。
「これも、いつかは過ぎていく」
1939年9月、ドイツ軍はポーランドに侵攻します。マイケルさんはその翌年の5月に、ポーランドのジャルキという町に生まれました。ナチスの占領下に置かれたジャルキでは、男性は強制労働を強いられ、ドイツ兵による略奪と殺戮が横行していました。
マイケルさんの父イズラエルさんも例外ではなく、毎日12時間も働かされた上に理不尽な暴力を受ける中で、家族と同胞が生き延びるために、ある“策略”を案じるのです。
本書の原題は「SURVIVORS CLUB」。「生存者たちのクラブ」という意味です。ユダヤ人であるというだけで死と隣り合わせだった時代にあって、ボーンスタイン家とその一族は驚くほど多くの方が生き延びられたといいます。それはイズラエルさんの“策略”と実行力の結晶でした
(その驚くべき内容は本で確かめてください)。加えて、マイケルさんの両親の口癖だった、「これもいつかは過ぎていく(ガム・ゼ・ヤ・ヴォール)」という言葉に象徴される、常に前を向く姿勢も、少なからず寄与していたのではないでしょうか。
戦況が悪化するにつれ、ナチスによるユダヤ人への迫害は激化し、ついにボーンスタイン一家もアウシュヴィッツに移送される日がやってきます。すし詰めの列車でアウシュヴィッツに運ばれた後、看守の手によって家族は離ればなれになり、マイケルさんはひとり、子どもだけを集めた棟に収容されます。
B−1148
===== 後略 =====
全文は下記URLで
http://textview.jp/post/culture/34781
11月10日放送の『世界一受けたい授業』(日本テレビ系)に、わずか4歳でアウシュヴィッツから生還したマイケル・ボーンスタインさんが出演し、「死の収容所」の真実を語りました。
マイケルさんは、戦時中の体験を口にすることをためらい続けていました。しかし、インターネットで見た“あるもの”をきっかけに、ついに記憶を語る決意を固めたのです。その“あるもの”とは、「ホロコーストは嘘で、存在しなかった」と主張するサイトでした。
怒りに震え、このまま沈黙を続けていたら真実がかき消されてしまうと感じたマイケルさんは、半世紀のあいだ胸の奥にしまい込んできた自らの体験を明かすことにしたそうです。
マイケルさんの娘、デビー・ボーンスタイン・ホリンスタートさんが、父の語った言葉を書きとめ、さらに多くの関係者への綿密な取材を重ねて1冊の本にまとめ上げたのが、『4歳の僕はこうしてアウシュヴィッツから生還した』(NHK出版)。終戦から70年以上経ち、初めて明かされる貴重な真実の記録です。
「これも、いつかは過ぎていく」
1939年9月、ドイツ軍はポーランドに侵攻します。マイケルさんはその翌年の5月に、ポーランドのジャルキという町に生まれました。ナチスの占領下に置かれたジャルキでは、男性は強制労働を強いられ、ドイツ兵による略奪と殺戮が横行していました。
マイケルさんの父イズラエルさんも例外ではなく、毎日12時間も働かされた上に理不尽な暴力を受ける中で、家族と同胞が生き延びるために、ある“策略”を案じるのです。
本書の原題は「SURVIVORS CLUB」。「生存者たちのクラブ」という意味です。ユダヤ人であるというだけで死と隣り合わせだった時代にあって、ボーンスタイン家とその一族は驚くほど多くの方が生き延びられたといいます。それはイズラエルさんの“策略”と実行力の結晶でした
(その驚くべき内容は本で確かめてください)。加えて、マイケルさんの両親の口癖だった、「これもいつかは過ぎていく(ガム・ゼ・ヤ・ヴォール)」という言葉に象徴される、常に前を向く姿勢も、少なからず寄与していたのではないでしょうか。
戦況が悪化するにつれ、ナチスによるユダヤ人への迫害は激化し、ついにボーンスタイン一家もアウシュヴィッツに移送される日がやってきます。すし詰めの列車でアウシュヴィッツに運ばれた後、看守の手によって家族は離ればなれになり、マイケルさんはひとり、子どもだけを集めた棟に収容されます。
B−1148
===== 後略 =====
全文は下記URLで
http://textview.jp/post/culture/34781