スポーツ2019年3月3日掲載
本来、議論とはより良い結論を導くためのもののはずなのだが、国会論戦あるいは隣国あたりとの諍いについていえば、単に双方の緊張やストレスを高めるだけに終わっているケースがほとんどのようにも見える。
2月22日放送の「グッド!モーニング」(テレビ朝日系)内の人気コーナー「池上彰のニュース大辞典」で取り上げたのは、激しい論争が良い結果を生んだ、という稀有な例かもしれない。
平成史を振り返る趣旨で、この日取り上げたのは「川淵・渡邉論争」。Jリーグ発足時の有名な出来事で、以来、主役である川淵三郎Jリーグ初代チェアマンと渡邉恒雄読売新聞社長は「犬猿の仲」とされてきた。
対立点は「地域密着型」か「企業型」か、という点だった。前者を理想とする川淵氏率いるJリーグは、各チーム名から企業名を排す方針を取ったのに対して、渡邉氏は企業トップの立場から、スポンサー名を冠すのが当然だ、という立場。つまりは「ヴェルディ川崎」なのか「読売ヴェルディ」なのか、というのが大きな争点となったのだ。
当時、渡邉氏は、Jリーグの理念を「空疎」と言い、「川淵がいる限り、Jリーグは潰れる」とまで言い切っていた。さらに川淵氏のことを「独裁者」とも批判。
一方の川淵氏も負けじと反論し「独裁者に独裁者と言われて光栄だ」と皮肉る。
この対立をマスコミが面白がらないはずもなく、「川淵・渡邉論争」は格好のネタとなり、Jリーグ発足をピッチの外から盛り上げてしまったのである。
しかしこの論争の後味は決して悪くない。
番組で池上さんが解説で引用していたのは、川淵氏の著書『黙ってられるか』だ。川淵氏は当時を振り返って、渡邉氏への気持ちをこう述べている。
「結果としてこの論争は、Jリーグの理念を明確にして分かりやすく説明する訓練に役立った。たとえば、テレビ朝日の『ニュースステーション』にたびたび呼んでもらい、理念を話す機会をもらったりもした。そのおかげで、地域密着や企業スポーツからの脱皮といったJリーグが目指す姿が、広く深く理解されていったと思う。
今では当たり前のようになっているプロスポーツと地域との関係だが、あの頃は『地域に根ざしたスポーツクラブ』や『スポーツを文化に』といった意味が人々に理解されていなかったのだ。
バスケットボールに関わるようになってBリーグをつくるときに、あらためて、あの論争の効果を感じた。渡邉さんがいたから、そしてマスコミがいたからこそ、Jリーグは多くの人々の理解を得られたのだ。当時は大変な思いをしたが、今は感謝の気持ちしかない」
===== 後略 =====
全文は下記URLで
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/03030631/?all=1
本来、議論とはより良い結論を導くためのもののはずなのだが、国会論戦あるいは隣国あたりとの諍いについていえば、単に双方の緊張やストレスを高めるだけに終わっているケースがほとんどのようにも見える。
2月22日放送の「グッド!モーニング」(テレビ朝日系)内の人気コーナー「池上彰のニュース大辞典」で取り上げたのは、激しい論争が良い結果を生んだ、という稀有な例かもしれない。
平成史を振り返る趣旨で、この日取り上げたのは「川淵・渡邉論争」。Jリーグ発足時の有名な出来事で、以来、主役である川淵三郎Jリーグ初代チェアマンと渡邉恒雄読売新聞社長は「犬猿の仲」とされてきた。
対立点は「地域密着型」か「企業型」か、という点だった。前者を理想とする川淵氏率いるJリーグは、各チーム名から企業名を排す方針を取ったのに対して、渡邉氏は企業トップの立場から、スポンサー名を冠すのが当然だ、という立場。つまりは「ヴェルディ川崎」なのか「読売ヴェルディ」なのか、というのが大きな争点となったのだ。
当時、渡邉氏は、Jリーグの理念を「空疎」と言い、「川淵がいる限り、Jリーグは潰れる」とまで言い切っていた。さらに川淵氏のことを「独裁者」とも批判。
一方の川淵氏も負けじと反論し「独裁者に独裁者と言われて光栄だ」と皮肉る。
この対立をマスコミが面白がらないはずもなく、「川淵・渡邉論争」は格好のネタとなり、Jリーグ発足をピッチの外から盛り上げてしまったのである。
しかしこの論争の後味は決して悪くない。
番組で池上さんが解説で引用していたのは、川淵氏の著書『黙ってられるか』だ。川淵氏は当時を振り返って、渡邉氏への気持ちをこう述べている。
「結果としてこの論争は、Jリーグの理念を明確にして分かりやすく説明する訓練に役立った。たとえば、テレビ朝日の『ニュースステーション』にたびたび呼んでもらい、理念を話す機会をもらったりもした。そのおかげで、地域密着や企業スポーツからの脱皮といったJリーグが目指す姿が、広く深く理解されていったと思う。
今では当たり前のようになっているプロスポーツと地域との関係だが、あの頃は『地域に根ざしたスポーツクラブ』や『スポーツを文化に』といった意味が人々に理解されていなかったのだ。
バスケットボールに関わるようになってBリーグをつくるときに、あらためて、あの論争の効果を感じた。渡邉さんがいたから、そしてマスコミがいたからこそ、Jリーグは多くの人々の理解を得られたのだ。当時は大変な思いをしたが、今は感謝の気持ちしかない」
===== 後略 =====
全文は下記URLで
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/03030631/?all=1