https://mainichi.jp/articles/20200218/k00/00m/040/069000c
毎日新聞2020年2月18日 11時20分(最終更新 2月18日 13時42分)
死の2週間前、2020年1月17日のナイル=京都市動物園提供
国内最高齢のライオンだった京都市動物園(同市左京区)の「ナイル」(雄)が1月31日に25歳10カ月で死んだ。人間で言えば100歳超の痩せ衰えた姿ながら「百獣の王」らしい迫力ある咆哮(ほうこう)を死の前々日まで続け、好きだった屋外へ自ら出て過ごした。担当飼育員の松永雅之さん(51)は「自分もこうありたいと思うような、いい死に方だった」と振り返る。
花やメッセージが寄せられた献花台。2月いっぱい設けられる=京都市動物園で、南陽子撮影
「動物園中に響くあなたの声は、とてもかっこよかったです。そして、生き方も教えてくれました。尊敬します! 本当にありがとう」。ナイルがいた園舎前に設けられた献花台には、たくさんの花と共に感謝のメッセージが数多く寄せられている。2017年1月に雌の「クリス」が死んで以降、同園でただ1頭のライオンだった。
飼育員の松永雅之さん=南陽子撮影
雨の日も雪の日も外で過ごすのを好んだ。毎朝、寝室から放飼場へ出ると、自分の存在を知らしめるように「ウオオオッ」とほえた。晩年は食欲がだんだん衰えて痩せ、1日のほとんどを寝て過ごしたが、目覚めて立ち上がる時にもほえた。
「群れで飼うべきライオンを1頭で飼うのか」「安楽死させるべきだ」。17年に外国人来園者からそんな投書があった。だが、「著しく生活の質が低下しない限り、安楽死はしない」。園は放飼場に“宣言”を張り出し、飼育員ブログでナイルの状況を発信。食欲はあったり無かったりと安定しない中、のみ込みやすいよう餌の鶏の骨を砕いたり、サプリメントを交ぜたりと「尊厳ある最期」まで伴走する工夫を続けた。
20年を迎え、3月9日の26歳の誕生日が視野に入ってきた矢先の1月10日。この3年で半減していた1日2キロの餌が残り始め、好んで飲んでいた腎機能のサポートドリンクも残すようになった。馬肉、鶏肉、牛レバーという定番にラットを加えてみたが、食べない。25日、みとりを覚悟した松永さんは担当獣医と「麻酔をして栄養チューブを入れるような延命はしない」と確認。同日を最後に、全く食べなくなった。
29日朝、ナイルは自ら外へ出て、なんとか咆哮もあげた。午後3時、松永さんが寝室に帰るよう声をかけたが、立ち上がれない。10回ほど試みてやっと歩き、戻るなり倒れ込んだ。30日朝には体を触られても嫌がらなくなり、鎮痛剤を注射。午後は体の向きを変えたり、立ち上がって水を飲んだりした。午後4時、注射で水分を補給。「もう1日か2日かは大丈夫かもしれない」と松永さんは感じたという。だが、31日朝、冷えないよう入れたバスマットの上に背を向けて横たわり、ナイルは息絶えていた。
体重155キロから96キロに
ナイルの体重はピークの12年4月に155キロあったが、死後は96・5キロだった。食べられなくなって丸5日。「最期まで自分の意思と脚で外で過ごし、安楽死を選択させずに命をまっとうした」。松永さんは感謝の念で解剖も見届けた。死因は老衰による多臓器不全だった。【南陽子】
毎日新聞2020年2月18日 11時20分(最終更新 2月18日 13時42分)

死の2週間前、2020年1月17日のナイル=京都市動物園提供
国内最高齢のライオンだった京都市動物園(同市左京区)の「ナイル」(雄)が1月31日に25歳10カ月で死んだ。人間で言えば100歳超の痩せ衰えた姿ながら「百獣の王」らしい迫力ある咆哮(ほうこう)を死の前々日まで続け、好きだった屋外へ自ら出て過ごした。担当飼育員の松永雅之さん(51)は「自分もこうありたいと思うような、いい死に方だった」と振り返る。

花やメッセージが寄せられた献花台。2月いっぱい設けられる=京都市動物園で、南陽子撮影
「動物園中に響くあなたの声は、とてもかっこよかったです。そして、生き方も教えてくれました。尊敬します! 本当にありがとう」。ナイルがいた園舎前に設けられた献花台には、たくさんの花と共に感謝のメッセージが数多く寄せられている。2017年1月に雌の「クリス」が死んで以降、同園でただ1頭のライオンだった。

飼育員の松永雅之さん=南陽子撮影
雨の日も雪の日も外で過ごすのを好んだ。毎朝、寝室から放飼場へ出ると、自分の存在を知らしめるように「ウオオオッ」とほえた。晩年は食欲がだんだん衰えて痩せ、1日のほとんどを寝て過ごしたが、目覚めて立ち上がる時にもほえた。
「群れで飼うべきライオンを1頭で飼うのか」「安楽死させるべきだ」。17年に外国人来園者からそんな投書があった。だが、「著しく生活の質が低下しない限り、安楽死はしない」。園は放飼場に“宣言”を張り出し、飼育員ブログでナイルの状況を発信。食欲はあったり無かったりと安定しない中、のみ込みやすいよう餌の鶏の骨を砕いたり、サプリメントを交ぜたりと「尊厳ある最期」まで伴走する工夫を続けた。
20年を迎え、3月9日の26歳の誕生日が視野に入ってきた矢先の1月10日。この3年で半減していた1日2キロの餌が残り始め、好んで飲んでいた腎機能のサポートドリンクも残すようになった。馬肉、鶏肉、牛レバーという定番にラットを加えてみたが、食べない。25日、みとりを覚悟した松永さんは担当獣医と「麻酔をして栄養チューブを入れるような延命はしない」と確認。同日を最後に、全く食べなくなった。
29日朝、ナイルは自ら外へ出て、なんとか咆哮もあげた。午後3時、松永さんが寝室に帰るよう声をかけたが、立ち上がれない。10回ほど試みてやっと歩き、戻るなり倒れ込んだ。30日朝には体を触られても嫌がらなくなり、鎮痛剤を注射。午後は体の向きを変えたり、立ち上がって水を飲んだりした。午後4時、注射で水分を補給。「もう1日か2日かは大丈夫かもしれない」と松永さんは感じたという。だが、31日朝、冷えないよう入れたバスマットの上に背を向けて横たわり、ナイルは息絶えていた。
体重155キロから96キロに
ナイルの体重はピークの12年4月に155キロあったが、死後は96・5キロだった。食べられなくなって丸5日。「最期まで自分の意思と脚で外で過ごし、安楽死を選択させずに命をまっとうした」。松永さんは感謝の念で解剖も見届けた。死因は老衰による多臓器不全だった。【南陽子】