◆ 時代の潮目を迎えた今、「差別されたことはない」という女性たちへ
世界も自分も、なんだか潮目。今私たちは、大きな時代の渦にグルグルと押し流されながら、心の変化、体の変化、リレーションシップの変化、キャリアの変わり目など、大小様々ないろんな潮目を迎えています。異なる潮流が出会って渦を巻く、潮目。何やら恐ろしげですが、お魚がたくさん集まる絶好の漁場なのだそうです。時には目が回って、迷子になることもあるけど、きっと学びは大きいはず。迷える潮目仲間と、楽しく変化を生き抜きたいです。
この1年あまり、新型コロナウイルスのパンデミックで、すでに存在していたいろいろな社会課題が一層深刻化しました。貧富の差、医療の格差などが、人の命に直結しています。ジェンダー格差もその一つ。低賃金のケア労働を担う女性たちがパンデミックで真っ先に困窮し、家事労働の負担に喘ぎ、暴力や搾取の犠牲になっています。ジェンダー平等の実現こそが持続可能な社会には不可欠だと、荒れ狂う感染症の嵐の中で世界中から声が上がっています。
日本では、2月に森喜朗氏の女性差別発言がありました。あれが一つの臨界点だったように思います。男女共同参画社会を掲げながらも変化の動きが遅く、日常生活には男尊女卑が根深く残る。そんな世の中に「もうこれやめようよ、おかしいよ」「いつまでこんなことに我慢すればいいの」と一斉に声が上がった感があります。メディアの報道も、性差別は人権問題という当たり前のことをはっきり打ち出すようになりました。
世界の人口の半分が、長年にわたって性別を理由に差別されているのって、尋常じゃないですよね。女性差別は、最も当事者の多い差別といえます。女性に対する差別をなくすことは、他の様々な差別をなくすためにも重要な一歩。その認識がここ数年で年々高まってきていることが、こうして日本の世論にも変化をもたらしたのでしょう。
ジェンダー、人種、民族、国籍、階層、セクシュアリティ、年齢、病気、障害など、私たちは一人ひとり、様々な要素から成り立っています。ある要素ではマジョリティだけど、ある要素ではマイノリティで、ある面では強者だけど、別の面では弱者。年齢のように、今は強者でも時間の経過とともに弱者になっていく要素もあるし、日本ではマジョリティの人種だけど海外に行ったらマイノリティになってしまうことも。私たちは皆、複雑な組み合わせの、立場が変化し続ける存在なのです。誰も、完璧な強者ではないのですよね。
中には「私は差別されたことがない」という女性もいるでしょう。「むしろ、女で得した。男社会で大事にされている」と。20代の頃は私もそう思っていました。そういう人はぜひ「私は差別されたことがなくて快適なのに、世の中にはなぜこんなに女性差別に声を上げる人がいるのだろう?何か私には見えていないものがあるのかな?」と考えてみてほしいです。もしかしたら、女性差別を言い立てるのはできない女のヒガミとか、言い訳だと思ってしまっているのかもしれないですね。自分は優秀で努力家だから差別されないのだと。それも視点を変えて「私と同じように優秀で努力家の女性は、他にもたくさんいるはずだ。ではなぜごく限られた数の女性しか、才能や努力を認められていないのかな?」と考えてみると、女性を排除している社会の構造に気づくはずです。2018年に発覚した医学部の不正入試はその典型例です。意図的に女性を不合格にしていたのですから。
日本では1986年に男女雇用機会均等法が施行されて以降、女性には「既存のオトコ社会で男性並みに活躍するなら対等に扱うよ」という道が開かれたのですが、それは果たして本当にフェアなのか? と今では多くの人が歪さに気づいています。既存のオトコ社会で生き残れないなら、対等な扱いは諦めろって、おかしいですよね。「ルールをわきまえろ、身の程をわきまえろ」と言われてボロボロになって働くのでは、誰も幸せになれない。女性差別をなくすのは、いろんな事情を抱えた私たちが、それぞれに人間らしく生きることができる社会にするため。女性が生きやすい社会は、誰にとっても安心できる社会なのです。
もし身の回りに「男性だって差別されてる」「女性で損したことはない」という人がいたら、一緒にそんな話をできるといいですね。潮目の渦に巻かれて、同じ未来を目指すことができるんだよと。
https://mi-mollet.com/articles/-/27843?per_page=1
世界も自分も、なんだか潮目。今私たちは、大きな時代の渦にグルグルと押し流されながら、心の変化、体の変化、リレーションシップの変化、キャリアの変わり目など、大小様々ないろんな潮目を迎えています。異なる潮流が出会って渦を巻く、潮目。何やら恐ろしげですが、お魚がたくさん集まる絶好の漁場なのだそうです。時には目が回って、迷子になることもあるけど、きっと学びは大きいはず。迷える潮目仲間と、楽しく変化を生き抜きたいです。
この1年あまり、新型コロナウイルスのパンデミックで、すでに存在していたいろいろな社会課題が一層深刻化しました。貧富の差、医療の格差などが、人の命に直結しています。ジェンダー格差もその一つ。低賃金のケア労働を担う女性たちがパンデミックで真っ先に困窮し、家事労働の負担に喘ぎ、暴力や搾取の犠牲になっています。ジェンダー平等の実現こそが持続可能な社会には不可欠だと、荒れ狂う感染症の嵐の中で世界中から声が上がっています。
日本では、2月に森喜朗氏の女性差別発言がありました。あれが一つの臨界点だったように思います。男女共同参画社会を掲げながらも変化の動きが遅く、日常生活には男尊女卑が根深く残る。そんな世の中に「もうこれやめようよ、おかしいよ」「いつまでこんなことに我慢すればいいの」と一斉に声が上がった感があります。メディアの報道も、性差別は人権問題という当たり前のことをはっきり打ち出すようになりました。
世界の人口の半分が、長年にわたって性別を理由に差別されているのって、尋常じゃないですよね。女性差別は、最も当事者の多い差別といえます。女性に対する差別をなくすことは、他の様々な差別をなくすためにも重要な一歩。その認識がここ数年で年々高まってきていることが、こうして日本の世論にも変化をもたらしたのでしょう。
ジェンダー、人種、民族、国籍、階層、セクシュアリティ、年齢、病気、障害など、私たちは一人ひとり、様々な要素から成り立っています。ある要素ではマジョリティだけど、ある要素ではマイノリティで、ある面では強者だけど、別の面では弱者。年齢のように、今は強者でも時間の経過とともに弱者になっていく要素もあるし、日本ではマジョリティの人種だけど海外に行ったらマイノリティになってしまうことも。私たちは皆、複雑な組み合わせの、立場が変化し続ける存在なのです。誰も、完璧な強者ではないのですよね。
中には「私は差別されたことがない」という女性もいるでしょう。「むしろ、女で得した。男社会で大事にされている」と。20代の頃は私もそう思っていました。そういう人はぜひ「私は差別されたことがなくて快適なのに、世の中にはなぜこんなに女性差別に声を上げる人がいるのだろう?何か私には見えていないものがあるのかな?」と考えてみてほしいです。もしかしたら、女性差別を言い立てるのはできない女のヒガミとか、言い訳だと思ってしまっているのかもしれないですね。自分は優秀で努力家だから差別されないのだと。それも視点を変えて「私と同じように優秀で努力家の女性は、他にもたくさんいるはずだ。ではなぜごく限られた数の女性しか、才能や努力を認められていないのかな?」と考えてみると、女性を排除している社会の構造に気づくはずです。2018年に発覚した医学部の不正入試はその典型例です。意図的に女性を不合格にしていたのですから。
日本では1986年に男女雇用機会均等法が施行されて以降、女性には「既存のオトコ社会で男性並みに活躍するなら対等に扱うよ」という道が開かれたのですが、それは果たして本当にフェアなのか? と今では多くの人が歪さに気づいています。既存のオトコ社会で生き残れないなら、対等な扱いは諦めろって、おかしいですよね。「ルールをわきまえろ、身の程をわきまえろ」と言われてボロボロになって働くのでは、誰も幸せになれない。女性差別をなくすのは、いろんな事情を抱えた私たちが、それぞれに人間らしく生きることができる社会にするため。女性が生きやすい社会は、誰にとっても安心できる社会なのです。
もし身の回りに「男性だって差別されてる」「女性で損したことはない」という人がいたら、一緒にそんな話をできるといいですね。潮目の渦に巻かれて、同じ未来を目指すことができるんだよと。
https://mi-mollet.com/articles/-/27843?per_page=1