>>5 おい贅六よ
平安時代の京都贅六といえば庶民は道端で野糞をし、貴人がおまるに貯めた糞尿を下人がドブ川に垂れ流し、垢だらけの臭い身体を香で誤魔化し、遺体を野犬に喰わせ、死にかけの老親を山に捨てに行くような酷薄なケガレキチガイだよ
千年後も民度は変わらんかったようだね
【カニバリズム】※開戦早々山ん中へ逃げ込んだので食糧不足に陥った
ある16師団(京都垣兵団)の兵士が同年兵にめぐり会った。ほかの中隊の下士官がいっしょだった。
猿の肉と称する干肉をすすめられたが気味が悪くやめた。
その夜同年兵から秘密を打ち明けられた。
下士官を殺して食糧を作り米軍の陣地を探して投降しようと誘われたが、気味が悪くなって逃げ出した。
レイテ戦記(下)210頁
【裏切り行為】※米軍の俘虜収容所にて
収容所代表は16師団20連隊(京都福知山)の曹長と称する上等兵であった。
収容所が開設された頃、日本軍の糧秣の隠匿場所に米兵を案内し、俘虜の給与改善に貢献したため、日本人の代表者に選ばれたのであった。
レイテ戦記(下)79頁
【またも負けたか9連隊】※東京甲府(神奈川)佐倉←奮戦玉砕、京都←山へ逃げて行方不明ゲリラに殺されるか餓死
京都16師団の戦闘振りは、友近軍参謀長(愛媛県出身)をはじめ多くの上級兵団の不満を買った。
水際陣地よりの早期後退、カトモン山の放棄は、航空作戦実施中の南方総軍をがっかりさせた。(昭和19年10月)31日付電報で、ペリリュー島の敢闘(水戸、高崎連隊)を引用しつつ、方面軍の作戦指導を避難しているくらいである。
レイテ戦記(上)327頁
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こんな京都贅六ですが不戦敗の大阪贅六よりは強かったんやで…