盛岡の焼肉冷麺密集率は異常
街がまるごと新大久保状態
武蔵の国
東京や多摩の別名として古来からの国名の武蔵がある。若者の街で人気の吉祥寺も武蔵野市にある。
“武蔵”というのは“モサシ”という朝鮮語から生まれた言葉だという。
モサシは河原にはえる草の呼び名らしく、多摩川の河原や東京を二分するようなその広大な河岸段丘の草原からつけられたようだ。
桓武天皇以来、東夷(アズマエビス)が住む関東の姿とはアイヌ系の先住民と、朝鮮の百済の人の入植地であり、
それらに当時の政権から派遣された源氏や平氏が割拠する土地だったのである。
また、武蔵の国の国司は百済人と決まっていて亡命してきた百済王家の人間がなっていたという。
今でも東京(武蔵野)には狛江とか高麗とか朝鮮に関係ある地名や名称が多く残っている。
沢の名前などはアイヌ語のようなものも目立つ。
武蔵の国の政府があった府中の大国魂神社(オオクニタマジンジャ)のあたりからは、百済人や東夷が暮らした武蔵野の大地が遠望できる。
江戸がなぜ栄えたか、というと「田舎者で栄えた」というのが一つの答えらしい。
江戸八百八町は当時も世界最大の都市。大名の参勤交替だけではなく、ありとあらゆる田舎から人々が集まって来ていたのだ。
そもそも江戸の背景となった武蔵の国そのものが海外からの亡命者や入植者、あるいは都落ちしたもの、東国へ派遣されたもの、
古来地元で群雄割拠する豪族など、ありとあらゆる人間が生活を営んでいた場所である。
しかも知事は外国人、国際的といえる地域でもあるのだ。
東京支配下の日本がこれ
北朝鮮より酷い
西欧化されても中世のように下を支配し、上には従った
全ての面で女性の地位は低く、男性に従属していた
今日でも日本には道徳的善悪の基準はないが
ただ目上の者に従うか従わないかの違いがあるだけである
個人の幸福は問題ではなく苦痛こそが神聖なようだ
これが日本人が長時間 迅速 懸命に働ける理由である
週6日 48時間働いて高給もとってはいない
週72時間低賃金で働き たいてい40才で結核で死ぬ
なぜ日本人は悲惨な運命を黙って受け入れるのか?
学校は子供の精神を育てるところではない
政府が認めた事柄や思想のみが教えられる
教育の目的は同じ考え方をする子供の大量生産
子供は教えられたことを丸暗記して繰り返す
従順で均質の大衆を作る政治宗教構造である