玉木「俺よ、合流したくねえから立憲に高いハードル突き上げ立憲から合流破談させてやる」→結果失敗
http://2chb.net/r/poverty/1597221162/ 立憲民主党と国民民主党の合流協議は11日、国民民主党が分裂し、その一部議員(規模感は未定だが)を立憲民主党が迎え入れる形で幕を閉じる見通しになった。
玉木雄一郎代表は同党を合流賛成派と反対派に「分党」する考えを表明した。しかし泉健太政調会長は分党は了承されていないとの認識を示し、認識の違いが表面化した
玉木にそれを望むことは無理だった。党として合流協議を進めていたはずの玉木自身が実は合流に反対だった、という笑えない現実が、最終局面で表面化したからだ。
国民民主党は昨年春、ベテランの小沢一郎氏が率いる自由党と合併。玉木氏率いる国民民主党が、小沢氏や支持団体の連合の力を借りつつ、
単独での党勢拡大を目指す立憲民主党を突き上げる展開だったことは、記憶に新しい。
ところがこの形勢は、同年夏の参院選を機に変わり始める。
参院選で立憲民主党は議席をほぼ倍増させ、国民民主党は伸び悩んだ
立憲民主党を中心とする「野党の構え」が構築されていく一方、国民民主党の方は個々の議員の路線の違いが表面化していく。その最たるものがことし7月の東京都知事選だった。立憲民主党が会派をともにする社民党に加え、
会派が別の共産党ともまとまって新人の宇都宮健児氏を支援。「構えの広がり」を示した。
一方、国民民主党は国会での野党共闘の構えから離れ、宇都宮氏を支援せず自主投票に。その結果、所属議員の応援は3陣営にまたがり「構えのなさ」を露呈してしまった。
合流協議はそういう状況の中で、水面下で始まった。そして、立憲有利の形勢が生じるにつれ、なぜか玉木氏の合流への思いはしぼんでいった。
協議の途中経過は「玉木氏の要求に立憲民主党側が次々と譲歩する」かのごとく伝えられ、立憲側の地方議員やコアな支持者の間に強いフラストレーションも生んだ。
しかし、立憲民主党側は実際、玉木氏の「ハードルつり上げ」をかなりの程度織り込んでいた。
党のアイデンティティーを崩さない範囲で、玉木氏がつり上げるハードルを次々と受け入れ、そのことで玉木氏を「逃げられない状況」に追い込んでいった。
最後に玉木氏の「党名を民主的な方法で選ぶ」という提案を受け入れた時、立憲幹部の1人は「枝野、福山(哲郎幹事長)の2人が『立憲民主党』で戦うと腹をくくっていれば、恐れるものはない」と語った。
いつしかメディアの報道も「煮え切らない玉木氏」など、玉木氏に決断を迫る方向に傾いていった。
玉木氏は枝野氏との党首会談に持ち込んだ上で、高いハードルを吹っかけて拒絶させ、破談にさせる狙いがあったとみられる。
しかし、時はすでに遅かった。党首会談が実現しない中で、幹事長・政調会長による合流に向けた実務者の協議が整い、玉木氏は孤立した。
玉木氏の一連の言動は、合流に向けて実務的な協議に臨んでいた平野博文幹事長らの努力に、党首自ら水を差すことを意味した。それは結果的に、
党内の合流賛成派の離反を招いた。玉木氏は自らの行動によって、かえって党を分裂の方向に向かわせてしまったのだ。
それでも、国会や選挙における野党全体の戦闘力を増すという意味では、野党第1党という「核」が拡大することの方が、効果は大きいのだろう。
共同通信47NEWS
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