>>39 それには複数の問題点と論点が見受けられるけれど
ここでは今回はその一つ
現実で仮に自分も殺される可能性を感じているとの前提に基づいて
現実とゲームの最大の違いは、現実ではその殺された死体には可能性が存在する
ゲームの場合、作らなければ可能性は存在しない
ゲームの場合、その死体が価値のない背景だとの前提しかなければ
受け手にとってはただの背景でしかない
それを見て殺される可能性を危惧する事はない
その死体が殺される可能性を示唆するためには
その死体自体が何らかの意味を持たなければいけない
それをプレイヤーが調べられ、現在置かれた状況と何らかの結びつきを示さなければ、それはただの飾りになる
例えば、調べた結果その死体の考察が得られたら意味が発生する
それを調べる事によって起こる変化
その死体を調べた事でモンスターに襲いかかられる、鍵が手に入る等の変化
本質的に、現実世界で、そのような死体を見つけたら受け手は何かを考えるはず
「これは何だ」「なんてこった」
慌てる
ゲームで調べられ考察もできない動かす事もないただの背景が、それが当然のように転がっていて
それを背景に素通りするように作る事が「それは別段特別な事ではないと言っている」のと同じで
本来はそこで死体が見つかるのは特別な事、起きてはならない事で「なんてこった」でなければいけない事
>>40 今の作者たちは間違った発見を事実のように語っている
今の作者たちの考えた理屈は怖いゲームの作り方を知らない、手探りで作ろうとしているから
「恐怖は慣れる(実際は慣れない)、なので次々に恐怖の与え方を変えなければいけない」
「何も心構えのない何も知らない受け手にいきなり脅かすと怖いに違いない」
「殺しすぎると恐怖が消えてしまうので、殺さないギリギリの難易度の調整が必要だ」等
今の人が発見した正しいと思い込んでる技術がまさにそれで
実際にはその正反対
実際今の恐怖娯楽の作者たちは、素人で手探りでしか作っていないはず
実際失敗しているのに別の意見を聞かないので抜け出す事が出来ない