多様性は勘違いされている。
多様性とは災害やパンデミック起きた時の予防装置。
色んな能力を持つ人がいないと人類は永存できない。
だけど、独りで生きていけない、生活できないような奴はどの時代でも役に立たないだろ?
勉強できないけど運動できる
勉強できるけど運動できない
学業できないけどサバイバル能力は高い
学業できないけど芸術の世界の能力は高い
こういう連中は多様性理由に保護され活躍の場があるけど、
そうじゃない連中に多様性理由に優しくする必要はない。
無理に活躍の場を設ける必要はないと思う。
自立できない障害者を保護する理由は憲法の生存権のみで十分。
進化の途中では単なる欠陥でしかない状況もある
そこをどうにか突き抜けて別な構造へと辿り着いて多様性になるってな
そんな遺伝子の変化途中が含まれてるかもしれないので多様性で正しい
自立できない重度障害者は多様性の枠外
多様性っていうのは
見た目の悪い奴、性格の悪い奴、変な奴とか
普通の社会では受け入れられてないけど、自立する能力は持っている奴
そういう連中はどこかで役に立つよねって話で
社会で守っていきましょうって事
自立する力のない重度障害者は多様性とはまた別の話だと思う
多様性って今や個人のわがままを正当化するための言葉になってる
大腸菌に生存競争をさせると、能力が低い個体が他者のおこぼれを拾って生き残るグループが必ず現れる。
働きアリの集団では働かないアリが2割ほど存在する。
働かないアリが存在しないとアリのコロニーは存続できない仕組みになっている。
その働かないアリは働き者のアリが休んでいる緊急時に働いてもらうための重要な予備隊だからだ。
さまざまな能力や特性を持つ個体からなる集団は、能力が高い個体ばかりのエリート集団より存続する可能性が高い。
社会の存続にとって現在社会に不利な変異は不可欠である。
これを理由に優生思想は否定されてきた。
が、これこそが優生思想そのものじゃないか。
以上の例は自分で自分の尻拭いは出来る存在。
自分で栄養を取る事の出来ない生命体を保護する必要のない証明である。
手帳はあるが、鬱は安定してるから、オープンの一般枠に突撃してみる。
あと10年経ったら足の障害も対策できるしな。
雇用促進法のカウントも出来るしな。
ただ、自律神経がイカれてるから、薬を沢山処方されてる。これも悪材料なんだよな。
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