119日本@名無史さん2020/10/23(金) 15:16:37.83
会津の北海道売却について
「ドイツに北海道を売ろうとしていた」と言うのは、プロイセン公使ファブルブラントの本国への手紙に書かれていることですが、裏付け証拠がありません。他の方が仰る通り、既に4月には函館奉行所は新政府に引き渡されており、会津領だった道北への連絡路は絶たれています(榎本軍が函館を奪い返すのは会津藩降伏後)。なので、売却のしようがありません。また、最後の手紙は会津藩降伏後の日付になっています。さらに、同じ手紙には「新政府が琉球・奄美・長崎などを売却もしくは利用権を与えた」などと言う誤情報も含まれており、正確な内容ではなかったのが分かります。ファブルブラントは奥羽列藩に同情的だったため、何とか本国政府の介入を実現しようとして誇大な事実を伝えたのかも知れません。
こういう意見があるがどうなん?
あと世良の手紙の捏造について
「世良修蔵の手紙を会津藩が偽装工作してデタラメ文を書いた」と言う主張は何が根拠でしょうか。世良が密書を預けた相手は福島藩士で、同藩士を介して仙台藩軍事局に内容が伝えられたのです。会津藩は世良に近づけないので、手紙など入手する機会そのものがありません。
こんな意見もある。
120日本@名無史さん2020/10/23(金) 15:19:13.33
あと長州藩が誘拐しようとしたとか火の海のにしようとしたという計画について
池田屋の志士たちは文久政変の立役者だった中川宮(朝彦親王)を敵視し、
宮邸などの御所辺放火計画を立てていたのは史実です。また、
長州藩邸の木戸孝允らも浪士側に武器を貸与しており、浪士たちの軍事力を
当て込んでいました。なお、古高俊太郎の自白内容は「新選組より差出候書付写」
で裏が取れ、かつ取調べ中に古高宅が襲撃され武器等が奪還されたこと、また6月9日の
慶喜書簡に御所辺放火計画が登場するのは、7日以降の段階で
自白が得られたと考えることが可能なことから、
近年の池田屋事件がらみの記述では事件の存在は肯定されています。
という意見もあるが
>>118さん的にはどう思う?
118さんは歴史詳しそうだから。