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超音波テロの加害者も山口市内!?
戦没者追悼式の県遺族団の結団式08/14 11:53nhk
終戦の日の15日に東京で行われる全国戦没者追悼式に参列する高知県の遺族団の
結団式が、14日、県庁で行われました。
高知県によりますと、第二次世界大戦で高知県関係では3万5342人が亡くなっています。
県庁で行われた結団式には、遺族にあたる12歳から91歳までの54人と県などの
関係者、合わせておよそ70人が出席しました。
式では、高知県遺族会の大石綏子会長が「戦争の体験を次の世代に伝えていくことが
平和への道だと考える。全国の遺族とともに戦没者に追悼の意をささげてきます」
とあいさつしました。
続いて、遺族団の団長を務める県地域福祉政策課の山本和弘課長が「今の平和は戦争
で亡くなった尊い犠牲の上に築かれたものであることを忘れてはいけない。
二度と戦争を繰り返さないよう、日本や世界の平和を祈ってまいります」と述べました。
遺族団は、14日午後に東京の靖国神社を参拝するほか、15日、日本武道館で
開かれる全国戦没者追悼式に参列します。
旧満州に出征した父を帰国直後に亡くしたという土佐町の和田富雄さん(80)は
「戦争を体験した人が少なくなる中、自分の戦時中の体験を若い人たちに伝える
ことで後世に残してもらいたい」と話していました。
戦没者追悼式に 遺族の出発式08/14 12:11nhk
終戦の日の15日に東京で開かれる全国戦没者追悼式に香川県から参列する遺族の
代表団が、14日、高松空港から出発しました。
15日に東京の日本武道館で開かれる全国戦没者追悼式には、香川県から56人の
遺族が参列する予定で、14日は高松空港で出発式が行われました。
はじめに、県長寿社会対策課の安藤正純課長が「恒久平和の実現に向けての誓いを
新たに行っていただくことを心より願っています」と浜田知事のメッセージを代読しました。
そして、県遺族連合会の真鍋賢二会長が「戦争の記憶が薄れていく中、これを継承
していくのが遺族会の大切な役目だ。体調に気をつけて参列してきてください」
とあいさつしました。
県によりますと、香川県から参列する遺族団は、年々、高齢化が進み、ことしの平均
年齢はおよそ70歳だということです。
県代表として献花する代表団で最高齢の古川日出光さん(80)は「父を長崎の
原爆で亡くしましたが、それが、つい先日のようです。
二度と不幸な戦争が起こらないよう平和を願って献花してきたい」と話していました。
全国戦没者追悼式典へ出発08/14 13:54nhk
終戦の日の15日、東京で行われる「全国戦没者追悼式」に参列する岡山県の遺族
代表70人あまりが、JR岡山駅を出発しました。
終戦から72年となる15日、東京の日本武道館で政府主催の「全国戦没者追悼式」
が行われます。
県内からは8歳から89歳までの遺族の代表合わせて77人が参列する予定です。
14日、JR岡山駅で行われた出発式では県遺族連盟の須々木壽志理事長が、
「戦没者を哀悼し、世界の恒久平和を懸命に祈ってきたい」とあいさつしました。
岡山県から参列する遺族の平均年齢は70.4歳と高齢化が進んでいて、
県遺族連盟は平和への思いを受け継いでもらおうとひ孫の世代の参加を呼びかけています。
父親がフィリピンで戦死した、玉野市の児島美代子さんは「父は遺骨すら帰ってきませんでした。
戦争はとにかく嫌なものでみじめな思いしかありません。
2度と戦争が起きないように若い人たちに平和が大切だと伝えていきたいです」と話していました。
また、曽祖父がフィリピンで戦死した、岡山市中区の清水惠太さんは「祖母から
曽祖父の思い出や戦争の体験を聞きました。
曽祖父はまだ若いときに海外で死んでしまい、戦争の理不尽さを感じました。
式に参列して戦争や平和について感じたことを友人に伝えたいです」と話していました。
[14日 12:10]全国戦没者追悼式へJR岡山駅で出発式rsk1
15日は、72回目の終戦の日です。
全国戦没者追悼式に参列するため、岡山県の遺族代表が東京に向け出発しました。
JR岡山駅で出発式が開かれました。
今年、岡山から参列するのは8歳から89歳の遺族代表77人で中には、
戦没者のひ孫の姿もありました。
式では、岡山県遺族連盟の須々木理事長が世界の恒久平和を願い、
哀悼の祈りを捧げましょうとあいさつしました。
参列者の平均年齢は、70.4歳となっています。
全国戦没者追悼式は、15日、東京の日本武道館で開かれます。
2017/08/14「N・スピーク」12:30 動画全国戦没者追悼式出発式
http://www.ohk.co.jp/news/news.php?VNO=2789
OHKみんなのニュース 08月14日19時53分 更新全国戦没者追悼式へ出発
8月15日は72回目の終戦記念日です。
東京で行われる全国戦没者追悼式に岡山県から参列する遺族の代表が14日、
JR岡山駅を出発しました。
岡山県から追悼式に参加するのは戦争で肉親を失った遺族77人で、このうち2人が
代表として献花します。
岡山県遺族連盟によりますと戦没者の子供の世代が中心となる今回の参列者の平均
年齢は70.4歳で、高齢化が進んでいます。
戦争の記憶の風化や平和の大切さをいかに、次の世代に伝えていくかが課題となる中、
2015年から、ひ孫世代の参列が始まり今年は3人が参列します。
全国戦没者追悼式は東京の日本武道館で行われ、全国から約5700人が参加する予定です。 終戦の日 忠霊塔で遺族が慰霊祭08/15 12:08nhk
「終戦の日」の15日、香南市では出征して亡くなった人たちの名前が刻まれた
「忠霊塔」の前で慰霊祭が行われました。
香南市野市町にある「忠霊塔」には、太平洋戦争でこの地域から戦地へ出征し
亡くなった人など420人の名前がひとりひとり刻まれています。
15日は塔の前で戦没者の遺族、およそ20人が参列して慰霊祭が行われました。
出席者たちは、日本から遠く離れた地で亡くなった人々を弔い、平和が続いてほしい
という願いをうたに込めるなどして語りかけました。
戦争の悲惨さを後生に残すために建てられた「忠霊塔」は県内に242基あり、
遺族たちが清掃などの維持管理を続けていますが、高齢化や遺族会の解散などで塔の
維持管理も課題となっています。
父親を亡くした70代の女性は、「悲惨な戦争を二度と起こして欲しくないといった
思いで、忠霊塔を維持しています」と話していました。
祖父をラバウルで亡くした50代の男性は、「私には高校生の息子がいます。
戦争は国と国の対決と大きくとらえがちですがまず自分の身近な人とのつながりを
大切にすることから平和を守ってほしいです」と話していました。
小学生 戦争体験者の話を聞く08/15 18:44nhk
終戦から72年を迎えた15日、夏休み中の子どもたちが戦争体験者の話を聞いて
平和について考える催しが丸亀市で開かれました。
この催しは、夏休み中の子どもたちに平和について学んでもらおうと丸亀市が開きました。
会場には市内の小学生10人と保護者などが集まり、丸亀市に住む78歳の實近昭紀
さんが戦争の体験談を語りました。
広島で生まれた實近さんは、国民学校に入学した昭和20年、アメリカ軍の機銃掃射
を受けたと説明し、「低空で飛ぶ戦闘機から何百発と銃を撃たれ、生きた心地が
しなかった」と当時の恐ろしさを語りました。
また、広島に投下された原爆を離れた場所から目撃したと話し、「ピカッと光って
からごう音が響き、大きなキノコ雲が見えた。
大勢の人が亡くなったことはあとから知った」と当時を振り返りました。
最後に實近さんは子どもたちに向けて、「いじめやけんかを国どうしがすると戦争に
なる。みなさんは助け合って、思いやりを大切にしてほしい」と訴えました。
小学校4年生の男の子は「機銃掃射の話を聞いて怖くなった。戦争を繰り返しては
いけないと思った」と話していました。
小学校6年生の女の子は、「けんかをしても傷つけ合うだけなので思いやりを持ち
たいと思った」と話していました。
終戦の日に平和の鐘08/15 18:47nhk
終戦から72年を迎えた15日、岡山市の寺では訪れた市民など1人1人が
平和への祈りを込めて境内の鐘を鳴らしました。
この催しは毎年、終戦の日に岡山ユネスコ協会の呼びかけで行われていて、
15日は、岡山市北区の長泉寺におよそ60人が集まりました。
はじめに参加した人たちは日本ユネスコ協会連盟が訳したノーベル平和賞の受賞者
たちによる平和宣言を地元の高校生と一緒に読み上げました。
そして、1人1人が順番に戦争のない世界を願いながら平和への祈りを込めて境内の
鐘を鳴らしました。
15日は元広島市長の秋葉忠利さんも寺を訪れ、鐘を鳴らして静かに手を合わせ、
平和への誓いを新たにしていました。
秋葉さんは「1人1人の気持ちがこもった力強い鐘の音だった。北朝鮮を巡り緊迫
した状態が続いているが、歴史の教訓が全く生かされておらず、戦前の歴史を含めて
もう一度、きちんと考えることが必要だ」と話していました。
また、岡山空襲に遭い家族とともに逃げたという岡山市の78歳の男性は、
「路上では手足にやけどを負った子どもたちが泣き叫んでいた。
あの悲惨な状況を二度と繰り返してはいけない。
きょうは平和の大切さをもう一度思い起こす日だ」と話していました。
[15日 19:10]思い新たに 72年目の終戦の日. rsk7
8月15日は72回目の終戦の日です。
戦没者への追悼や平和への祈りを込めた行事が各地で開かれました。
岡山市中区の護国神社では戦没者を追悼する神事があり、遺族などが静かに
手を合わせて故人を偲びました。
正午に---は、戦没者への追悼の思いを込めたサイレンが、
約1分間岡山のまちに響きわたりました。
岡山市北区の長泉寺では、「平和の鐘」の音が響きました。
全国各地のユネスコ協会が毎年、終戦の日に行っています。
戦争体験者が高齢化する中、今年は、高校生も司会として参加しました。
12歳のときに岡山空襲を体験した女性も、平和の大切さを改めて噛み締めていました。
平和を祈願する灯籠流し08/16 07:15nhk
終戦の日の15日、戦争の犠牲者を追悼し平和を祈願する灯籠流しが香川県琴平町で
行われました。
この灯籠流しは、香川県琴平町の遺族会などで作る実行委員会が毎年、終戦の日の夜
に行っています。
町の中心部を流れる金倉川の川岸では、灯籠流しに先立って式典が行われ、地元の
榎井小学校6年の阿部桜子さんが「灯籠に込められた思いに触れ、平和な暮らしへの
感謝の気持ちを新たにしたい」と作文を朗読しました。
このあと、戦争の犠牲者の遺族や一般の人から集まったおよそ370個の灯籠に火が
ともされ、次々と川に流されていきました。
灯籠には、戦争の犠牲者など供養する人の名前のほか、「世界平和」や「先祖供養」
といった願いが思い思いに書かれていて、中には地元の小学生が折った折り鶴が
入れられています。
集まった人たちは、川面を照らしながら静かに流れる灯籠を見守りながら平和を
祈っていました。
灯籠を流した81歳の女性は「行く末も平和であるよう先祖に願いました。
だんだんと遺族の人も少なくなってきましたが、これからもこの行事を続けていきたい」
と話していました。
県戦没者追悼式20:23eat
8月15日は、72回目の終戦記念日です。松山市では、県戦没者追悼式が行われました。
松山市のひめぎんホールで開かれた県戦没者追悼式には、遺族らおよそ1900人が
参列し、県関係の戦没者4万4562人に黙祷が捧げられました。
そして、中村知事が「戦火に倒れられた大きな犠牲とご遺族の大変な苦労を決して
忘れてはいけない」などと、戦没者への追悼の言葉を述べました。
続いて、遺族代表として、沖縄での戦いで父親を亡くした宇和島市の坂本房子さんが、
戦争の悲惨さを訴えました。
この後、参列者らは献花し、戦没者の冥福を祈るとともに、平和への思いを新たに
していました。
戦争中の暮らしを伝えるパネル展08/16 12:01nhk
戦争中の地域の人々の暮らしを伝える写真や資料を集めた展示会が丸亀市で開かれています。
この展示会は、終戦から72年がたち戦争を体験した人が少なくなる中、地域に残る
戦争の記憶を伝え残そうと丸亀市立資料館が企画しました。
会場には、写真や広告、それに新聞記事など、資料館に寄贈された戦争に関わる資料
が25枚のパネルとなって展示されています。
このうち当時、丸亀城にあった歩兵第十二連隊を写した写真には、歩哨に立つ兵士の
姿があり、城内に軍隊が駐留していたことがわかります。
また、終戦直前に撮影された丸亀高等女学校の生徒たちの写真からは、食糧不足から
校庭で芋を栽培していた様子がうかがえます。
丸亀市立資料館の佐喜晶子館長は、「夏休み中の子どもたちに見てもらい、戦争体験
者の話を聞くなど戦争や平和について考えるきっかけになればと思います」と話していました。
この展示会は、月曜日を除いて来月3日まで開かれます。
終戦72年、県戦没者追悼式2017年08月15日(火)更新itv
終戦から72年を迎えた15日、松山市内では戦没者の追悼式が行われ、参列者が平和
への誓いを新たにしました。
県主催の戦没者追悼式にはおよそ1900人が参列し、中村知事が「平和と繁栄の陰
には戦火に倒れた方々の犠牲があったことを忘れてはならない」と式辞を述べました。
続いて、父親が沖縄で戦死した坂本房子さんが遺族を代表して平和の尊さを訴えました。
県内関係の戦没者は4万5813人に上っていて、遺族の高齢化が進む中、戦争の記憶
を語り継ごうと、追悼式には犠牲者のひ孫も参列し、献花台に花を手向けました
ebcでえた放送ぬうす15日13:00 県戦没者追悼式
終戦から72年を迎えた15日、松山市内で県戦没者
追悼式が営まれた。式では県関係の犠牲者1万5800
人に黙とうが捧げられ、遺族の代表が悲しい歴史を
繰り返さないよう声を上げ続けると誓いを示した。
県戦没者追悼式で平和誓う(8月15日11時32分)
終戦からきょうで72年。
今年も松山市で県戦没者追悼式が開かれ、参列者が平和への誓いを新たにしました。
式ではまず戦争で犠牲になった県の関係者およそ4万5800人に黙とうを捧げました。
松山市のひめぎんホールで開かれた戦没者追悼式にはおよそ1900人の遺族らが参列し、
中村知事が北朝鮮のミサイルを巡る緊迫した情勢に触れ、戦争はあってはならないと
訴えました。
そして遺族を代表して沖縄で父親が戦死した宇和島市吉田町の坂本房子さん(73)
が「2度と悲しい歴史が繰り返さないよう声を上げ続ける」と決意を示しました。
このあと参列者は一人一人献花台に花を手向けながら、平和への思いを新たにしていました。
終戦の日“平和の鐘”鳴らす集い08月15日 15時42分nhk
「終戦の日」の15日、広島市の平和公園では被爆者や高校生たちが戦争や核兵器の
ない世界を願って「平和の鐘」を鳴らす集いが開かれました。
広島市の平和公園にある「平和の鐘」には、世界が1つになってほしいという願いを
込めて、国境のない世界地図が刻まれています。
15日は広島ユネスコ協会の呼びかけで年に1度、この鐘を鳴らす集いが開かれ、
被爆者や高校生などおよそ120人が参加しました。
はじめに、広島大学附属高校2年で他校の生徒に平和公園を案内する部活動をしている
齊藤優奈さんが平和のメッセージを読み上げました。
齊藤さんは今年、核兵器禁止条約が国連で採択されたことについて「条約の採択は
核兵器廃絶への小さな一歩です。
私たちは被爆者から直接聞いた核兵器の恐ろしさを世界に発信しなければなりません」
と呼びかけました。
このあと、参加した人たちは戦争や原爆で亡くなった人たちに黙とうをささげたあと、
戦争や核兵器のない世界を願って順番に「平和の鐘」を鳴らしました。
広島で被爆した末重文男さん(87)は「被爆の惨状は言葉では言い表せないもので、
一生忘れません。鐘の音にあわせてみんなが平和を願ってくれたらいいです」と話していました。
全国戦没者追悼式広島からも参列08月15日 15時42分nhk
終戦から72年を迎えた15日、およそ310万人の戦没者を慰霊する政府主催の
全国戦没者追悼式が東京の日本武道館で行われました。
式典には広島県など全国から遺族の代表などおよそ6400人が参列しました。
天皇皇后両陛下が菊の花で飾られた式壇に着かれたあと、安倍総理大臣が「戦争の
惨禍を二度と繰り返してはならない。
戦後、わが国は一貫して戦争を憎み、平和を重んずる国として、ただひたすらに歩み、
世界の平和と繁栄に力を尽くしてきました。
私たちは歴史と謙虚に向き合いながら、どのような時代であってもこの不動の方針を
貫いてまいります。
争いの温床ともなる貧困の問題をはじめ、さまざまな課題に真摯に取り組むことに
より、世界の平和と繁栄に貢献してまいります」と式辞を述べました。
そして、参列者全員で1分間の黙とうをささげました。
続いて、天皇陛下が「さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々
とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。
ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを
切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対して、心から追悼の意を
表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」とおことばを述べられました。
そして、参列者が式壇に菊の花を手向けて、戦争で亡くなったおよそ310万人の霊
を慰めました。
戦争遺跡保存に向け見学会08/21 18:39nhk
戦争の実態や様子を後世に伝える「戦争遺跡」を残す活動をしているグループが、
老朽化などのため存続が危ぶまれている高知市にある旧陸軍の弾薬庫を見学しました。
この活動は、戦争の悲惨さと平和の大切さを後世に伝えるために、全国の軍の施設や
防空壕などを残そうと呼びかけている市民団体、「戦争遺跡全国ネットワーク」が行いました。
21日は全国から集まったメンバー25人が、高知市の高知大学朝倉キャンパスの
敷地に隣接する、「旧陸軍歩兵第44連隊」の、弾薬庫を見学しました。
高知大学のキャンパス内には戦時中は、兵舎などが立ち並び、この地から若者たちが
戦地に送られて、多くの犠牲者を出しました。
弾薬庫は明治30年頃に建てられたと見られ、グループによりますと、当時の軍の弾薬庫
が残るのは、全国でも珍しいということです。
しかし、この建物と土地は、戦後、現在の財務省が管理していて、老朽化も進んでいます。
さらに現在、競売にかけられ、取り壊される可能性が出ています。
戦争遺跡全国ネットワークの出原恵三共同代表は、「戦争経験者が年々、少なくなる中、
戦争の悲惨さを伝える手段は、戦争遺跡に頼らなければならないという意味で保存
する意義は大きいと思います」と話していました。