青森や沖縄の連中が何を言っているのかが聞き取れるようになった時代やな
鹿児島はあいかわらず薩摩ことばでがんばってるようだが、さすがというべきやな
(/・ω・)/
で、どうしてそうなったのかの考察はないんかい
京都の朝鮮人侵略が進んだってことだ
庶民レベルだけじゃなくて寺院の乗っ取りも進んでるはず
大阪とか兵庫、滋賀も酷いもんだろ
朝鮮人天皇が同和朝鮮人に治外法権を与えるから
乗っ取りでも殺人でもやりたい放題だ
警察に捕まっても「わては同和どすえ」って言えば解放されるんだから
テレビのせいだろ。1980年代にはすでに方言の消失が言われとったわ
大学入試の模試試験で読んだ記憶があるぞ
▼吉田定房(公卿、14世紀)
『赤ん坊級に弱い関西人が一騎当千の鎌倉武士に勝つなんて無理ゲー』
▼人国記(戦国時代の地誌、16世紀)
『関西侍は弱兵、卑劣、欲心深く、狐が服を着てるだけ』
▼武田信玄(戦国最強の将、16世紀)
『関西人は義理も作法も知らず、自分さえ助かればどんな卑怯もする』
▼甲陽軍鑑(甲斐武田の軍学書、17世紀)
『関西侍どもはあまりにも弱すぎる。そこいらの町人レベル』
▼雑兵物語(江戸時代の兵法書、17世紀)
『関西侍は馬にも乗れねえ屁っぴりだんべい』
▼葉隠(佐賀鍋島藩の武士道書、18世紀)
『関西侍は卑怯者だらけ。真似するなよ』
▼薩摩兵(西南戦争の頃、19世紀)
『またも負けたか八連隊(=大阪兵)、それでは勲章くれんたい(=京都兵)』
▼北九州久留米兵(ラングーンの兵站病院、20世紀)
『またも負けたか安兵団(=京都兵)』
▼湯川秀樹(京都大学名誉教授)
『日本では関西が弱くてね。東から北へ行くほど強いんです。わたしたちの住んでいるこのへんが一番弱いんですね(笑)』
▼古瀬正行さん(久留米第18師団)
『大阪とか京都の兵隊は途中で会ったけどその場でビンタですよ。「こん、ばかたれが」っていうような状態だったですからね、うん』
▼司馬遼太郎(大阪府出身・作家)
『大阪兵は日本最弱。上方者が兵にむかないのは当然なこと』
▼樋口清之(奈良県出身・考古学者)
『平安末期の関西人は、本当に男でも女のような体質ですね。肉体的鍛錬をしませんと関節が小さいんです』
▼清河八郎(山形県出身の幕末志士)
『京・大坂は人にへつらうばかりで意気が上がらず、東方男子の風と異なる』
▼杉浦明平(愛知県出身の作家)
『本当に京都は酷いですねえ。部落差別なんかでも、やっぱり今でもあそこは根拠地みたいなところがある』
▼井上満郎(京都産業大学教授)
『秦氏というのは新羅を母国といたしまして、五世紀の後半に日本列島に渡来してまいります。そしてこの京都に住みつきます』
久しぶりに関西にいったけど、スタバなどのサービスのアクセントが関東式に
変わっているのに驚いた
あれ社員がローテーションしてるんじゃないのか?
アルバイトそんなに居ないだろ。
確認したけど社員が全国ローテーションするみたい。
むろんアルバイトもあるが補助みたいよ。
京都いってスタバで店員さんカントー弁やったらめっちゃ嫌やわ
京津線だったか、嵐電だったか、ホームの駅名看板がハングル(もちろん日本名の下だが)だったのでドン引きした。
高句麗、高麗、りしちょうせんを建国し
支配していたのは満州人だったんですね。
知りませんでした。
教えてくれた方、有難うございました。
なにを言いくさりよんじゃこらのれー!
のりゃいっぺんしつけさらしたらな分からせんかこーらぁ!
京都御所に呼ばれたもののみが知り得る事実があるのも事実
あそこで動くの〜
鹿児島はまだ全然マシだろ。壊滅させられたのは沖縄方言だな。
鹿児島はあれだけ有名で喋ってきたのに一気に共通弁化したよ。
完全な言語だったものを日本語とのクレオール化によって潰されたという意味では沖縄語の被害が強いが。
久しぶりに大阪に行ったらスタバとかサービスの言語が関東アクセントに
変わっていたのでびっくりした
【京都千二百年の伝統、京ことば】
風にそよぐ 柳のように ゆるやかに 喋る言葉は
東西南北 どこもかしこも 右も左も 聞こえない
静かに消えゆく 京風方言
獲物狙う ケモノのように 息ひそめ 京女求め
春夏秋冬 いつでもきっと みんな憧れ 持っている
あでやかで雅 京風美人
大いなるJapanの叫び 大阪に染まらない 昭和に帰れ
春風駘蕩 京都育ちの やさしい女を 君は見たか
花に揺れる 蝶々のように ふわふわと 舞うような言葉
一日千秋 待てど暮らせど 舞妓さんしか 見当たらない
しとやかに喋る 京風トーク
始まりはChinaのパクり だけどもう魂は 日本の文化
渡辺淳一 作品の中の ような京女を 君は見たか
大いなるJapanの叫び 大阪に染まらない 昭和に帰れ
春風駘蕩 京都育ちの やさしい女を 君は見たか
人の上に立つ人にて文学技芸に達したらん者は、人間としては下等の地にをるが通例なれども、実朝は全く例外の人に相違無之候。
実朝の歌はただ器用といふのではなく、力量あり見識あり威勢あり、時流に染まず世間に媚びざる処、例の物数奇連中や死に歌詠みの公卿たちととても同日には論じがたく、
人間として立派な見識のある人間ならでは、実朝の歌の如き力ある歌は詠みいでられまじく候。
(歌よみに与ふる書・正岡子規)
京都の外一歩も踏み出さぬ公卿たちが、歌人は坐ながらに名所を知るなどと称して、名所の歌を詠むに至りては乱暴もまた極まれり。
かくの如きは古今以降和歌が堂上にのみ行はれたる弊にして、和歌が堂上に盛なりし一事、名所の歌のみならず、総ての歌を腐敗せしむる一原因とはなれり。
(人々に答ふ・正岡子規)
|ヽ、 | ヽ、 / i / i
/ ヽ /,_ ┴─/ ヽ
/!||!(゜\'iii'/゜ノヽ ゚。 (゜\iii'/゜ノ,!||!ヽ
/ノ( "u,"ニ..,ニヽ"v\ /V,,ニ..,ニ、、u ノ(\ そそそ…そのソースは捏造ニダ!!!
\⌒ \/ {y~ω'~Y ,/ \ヽY~ω~yi ./⌒/ 正岡子規?松山の田舎者の偏見ニダ!!糖尿?男色?うるさいニダ!!
.>. {. |⌒ヽ⌒||〈 | .|⌒/⌒:} ! く
./ .. | .|:::::::|::::::|| i / ! k.;:,!:;:;r| ,! \
{ ⌒ヽ_/ );:;:!;:;r! <ニニニ'.ノ
てか今日日京都弁話すやつなんかババアしかいないぞ
若者層はとっくに関西弁に侵食されとるわ
「そんなことないえ、、」と最後に「え」をつけるのが京都弁の特徴だと思っていたが
今は使わないのかな、、、?
「いややわぁ」
「かんにんえ」
こんな言葉も聞かれなくなりましたな
人肉で商売をする最弱京都兵
↓
弓(宇都宮33師団)の小倉軍曹と安(京都53師団)の兵隊の会話(シンゲルの部落にて)
弓・小倉「いくらだ」
安・兵隊「百円でどうだす」
弓・小倉「百円だと」
安・兵隊「本物のぎゅうでっせ(←本当は日本兵の死体から切り取った人肉※409頁)、高うはおまへんやろ」
弓・小倉「ばかやろう!こんな臭い、腐った肉(←人肉)を持ってきやがって。それを百円で売る。貴様それでも兵隊か」
安・兵隊「そらあんた、ただあげるいうわけにはいかん。あてらも何とかして米も買わんならん、金持っていかにゃ売ってくれんさかい」
弓・小倉「何を言いやがる、これだけの肉を百円だ。兵隊に売つけてどうすっか」
安・兵隊「いらにゃ売らん。あんたかてのうて困るやろ思うたんや」
弓・小倉「このやろう」
小倉軍曹はいきなり殴りつけた。兵隊は悲鳴をあげて逃げ去った
弓・小倉「とんでもない兵隊だ。戦をさせりゃあ、すぐ逃げるくせに、戦線にいても金儲けだけは忘れん奴だからな」
(文春文庫『インパール』404頁)
最弱京都兵による人肉窃盗団
↓
道端で倒れていた弓(宇都宮)の塩山一等兵は安(京都)の兵隊に胸ポケットの品物を盗られ…
安・兵隊A「何も持っておらへんやないか」
安・兵隊B「こいつまだ死んでおらんがな。ぬくいがな」
安・兵隊C「さよか。あすにしよか。早うやらんと肉が腐るさかい」
(文春文庫『インパール』405頁)
不自然に歪んだ形の足は太腿あたりの肉がなかった。明らかにそこだけ刃物で抉り取ったものであった。死体や傷口の凄まじさに見なれていたが、この時は何か肌寒いものを感じた。
「酷いことをしやがる」
小倉軍曹は、青ぶくれの顔をひきしめて見ていたが、
「中尉殿(長一雄)、塩山の言ったことは本当ですな」
「うん、まんざらの妄想とはいえないな」
「夕べ、肉を売りに来た奴がいて、自分が殴り飛ばしてやりましたが、あいつ…」
小倉軍曹は急に吐きそうな顔をした。
(文春文庫『インパール』409頁)
【レイテ戦の頭号師団】
▽ジョージ・マーシャル元帥(アメリカ陸軍参謀総長)
「レイテの東京第一師団(東京第1連隊、甲府49連隊、佐倉57連隊)は日本の師団の中でも最強のものと思う」
【レイテ戦の国宝師団】
▽渡辺利亥元陸軍少佐・第35軍参謀
「とにかく高階支隊(青森5連隊)の戦いぶりは見事だった。さすがは第8師団だ。東北健児、青森出身の兵で構成されていただけのことはあった」
【レイテ戦のお公家師団】
▽ダグラス・マッカーサー大将(南西太平洋軍総司令官)
「レイテ島の上陸(vs 京都16師団)は他の戦線と比べるとよほど楽だった」
▽大本営の戦況記録(1944年10月27日)
「京都16師団の損耗比率は津33連隊85%、福知山20連隊20%、京都9連隊10%」
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損耗率10%で逃げたくせに京都新聞のインチキ戦記で広島福山41連隊の悪口を後世に伝えた弱兵京都の9連隊はどうなのよ?
お公家連隊の生き残り「我々16師団も健闘したんドスエ」←いやいや16師団でよく戦っていたのは三重の津連隊だけでしょうが!
山の中で人肉求めて共食い始めたのが京都連隊でしょうが!
「僕は少年通信兵だった」という光人社さんの戦記があるが、著者がサイゴンの病院に入院した時に、ビルマから下がってきた、菊兵団[福岡県久留米市]らしき兵隊さんがいて、初めは親切だったが、著者が京都の人だと知った途端、一切口を聞いてくれなくなったそうだ(笑)