コレは、完結に行ってしまえば遺産争いです。
スレを立てるのも書くのも初めてなので文章で至らない所があったらすいません。
話は父と母が結婚するまで遡ります。
母は、結婚の条件としてタバコ酒をやめること同居はしないことというのを提示し結婚をしました。
それから第1子である私の姉を身ごもりました。すると父は、「子供が生まれたら世話するのにお前も大変だろ?仕事と両立できるのか?お袋に見てもらうために同居するのはどうだ?」。
ということを言ったそうです。
最初のうちは母は嫌だと断っていたのですが
姉(A)が生まれてからの育児の、辛さや苦しさが増し、それで精神が弱っていたのもあり、かつ夫からのもう言った言葉を何回も唱えられてからの精神的な疲れもあり母が折れる形で同居を承諾してしまいました。
結婚の時に約束したことをその時は振られ、僕があまりにも嫌すぎた母はそのストレスから漏らしてしまったのです。
そんなことも気にせず頭の父本人は、何も考えずに浮かれていたそうです。
苦痛の同居がスタートしてからのある日義母が
「今日Aがポテトチップスの袋を3袋も食べたのよ」とか立ってきたそうです。
母は第一子でもあるため健康などに気をつけて子育てはしていた為
その言葉に痛烈な怒りを覚えたそうです。
とのことを父に言っても「A本人が食べたがってたから食べさせただけだそうだぞ」と言うばかりで何の便りにもならなかったそうです。
もちろん食べたいものを好きなだけ食べさせていればどんな方でもにものすごい体型になります。日に日に醜く太っていく自分の子供Aを見ながら、そんな嫌な状況にも耐えつつ時が過ぎ第二子である私が生まれました。
Aは、その体型や本人がもともと持ち得ている性格によって小学校6年間ずっといじめられてました。誰の対処するのも全て母一人でやってました。
母はその時の失敗経験を生かし私を育ててきました。
ですがある日私が保育園から帰ってきた時食事前にバナナを食べたことで義父母との喧嘩が始まってしまいました。
母が
「どうして食事前にバナナ何か食べさせたんですか?この子もAのように超えさせるつもりですか?」
というと義母は、
「食べたがってたから食べさせただけよ何が悪いの?」と言い
父は、「そんなことでいちいちこんな争いごとを起こすようなことでもないだろう」と母の味方にはつかず。
すると義父が「もうこの話は終わりだそんなこと言うんだったら出て行け!」
と言い出し
その時母は別居すると決めました。
私が小学5年生の時別居がスタートしました。
5年間は何も音沙汰なく過ごしていたのですが、その頃義父が持病により亡くなりました。
それをきっかけに修羅場が訪れました。
父の姉にあたる叔母が義父の遺産を独り占めしたく私の姉Aと私の父をコマにしてこちらにいろんな攻撃を仕掛けてきました。
離婚させたかったんです私の両親を
そのために証拠集めとして私の父に盗聴盗撮を命じ
Aに盗聴盗撮器を買うように命じました。
私が家に帰るといつもと違う雰囲気に気づきその盗聴盗撮器を発見してしまいました。
盗聴盗撮器なんて気持ち悪いものをまさか自分の父親に付けられると思いませんでした。
私の母は仕事も育児も家事も完璧にこなす人だったので離婚材料になるものがなくせめてもの材料としてモラハラを理由に離婚させようと思っていたらしいです。
父の LINE を見てその作戦がわかりました。
どうしてそういう家族を得るようなことをするのだろうか私には分かりません。
私は元々母を守ろうとしない父の姿が嫌いでしたが人道を超えたようなことをされるはっきり言って軽蔑の眼差しで未だに見ています。
盗聴盗撮器を仕掛け撮ったもので向こうで見て
向こうできっと笑われていたのではないかと思うと未だに怒りが収まりません。
私は、そんなことを踏まえ昔私に正しい道を唱えていた義母に自分の娘と息子がこんなことをしたどう思うかというのを聞きに行きました。
すると帰ってきた言葉は「自分の娘と息子が可愛くて何が悪いそんなに合わないなら離婚してしまえ」だったのです。
これが神云々を唱えてた人が言う言葉なのかと愕然ときました。
それを母に伝えたところその件で父と言い争いになり「本当にそんなこと言ったのか?」と父が言い始めじゃあ聞きに行く。
言い出しました。
どうせも向こうで言ってないとか言われそれを鵜呑みにして帰ってくるからあなたも行きなさいと私も父について行きました。
案の定最初のうちは入ってないの一点張りでしたが、
私が問い詰めようやく言ったことを白状しました。
その時も父はそれが無目上の者に対する言葉かなんだその態度はなどとほざき散らしていました。
運の悪いことにそこには叔母の糞娘がおり、だよこっちに向けながら頭の悪いチャチャを入れてきました。
祖母の白状が取れたので帰るぞとなった時私のことをその糞娘が「さっさと帰れこの不法侵入〜」と言って私の背中を叩いてきました。
それに怒り狂った私はその糞娘の眉間をめがけてグーパンチをお見舞いしました。
それで糞叔母と糞娘は、殴られた殴られたと叫び警察沙汰にしてやると脅してきました。
今考えれば自分たちがやっていることの方がよっぽど悪いため警察沙汰になんかできないのは分かっているんですがその時の私は毎日自分の親が言い争いそれの仲裁に入らなくてはいけないと言ったことをしており心も体も疲れきっていたためその年がよく効きました。
そんなある日私は精神的なもので自分の中に三つの人格を作り出してしまいました。
父と母の前に姿を現した時さすがにおかしいとなり精神科に通わされました。