愛知万博ファンの俺は、赤と黄色の車両より、「モリゾー色とキッコロ色」の車両を選んで乗る。
路車板の20世紀スレとは違って、ここでは9000系までが対象ってことでおk?
3桁ナンバーの本線つりかけ車…惰力で走っているときも
運転師がマスコン握りっぱなしなのが面白かった。
>>5
そうなのでしょうね。
そして運転士は他の操作をするためには
停車中に逆転器を中立?にしなければならない。
だから逆転器のハンドルはマスコンの右側についていた。 >>7
でもスレタイ見るとなあ…
あれターコイズ一色だし、あれが出た時も反対意見あったし。 >>3
ターコイズ帯が入るので不可。
>>6
カラーブックスの京阪本でデッドマン付きマスコンが紹介されてた記憶。 >>10
>デッドマン
それはありがとう。
運転士は左肩上がりの不自然な姿勢で操縦してた。
人間工学もへったくれもなかった時代に製作されたのでしょう。 >>12
京阪はデッドマンを昔から導入していて、新たにATSを…みたいな雰囲気の説明。
昇圧前の本だけど。 まぁ、その3桁ナンバーの京阪電車は自動ブレーキだったわけで
そのためかは知らんが、各駅の手前に(あと)200mとか100mとかの距離目標が建ってた。
保育車のカラーブックス 7 京阪
これは必読ですな。
>>15
表紙が8000のは新本で買ったが、
表紙が3000のやつは古本屋で買ったよ。
富山地鉄に売られた3000もすでに色が変わってしまったし、
やがて旧特急色も大井川に行かなければ見れなくなるんだね。
>>17
まぁ大井川ってそんな役回りのところだしw
むしろ、緑の濃淡のほうが深刻かもな。
大津線はまだあのまんまなんだろか。 >>18
なんだかんだでラッピングとか800系準拠のカラーが多いからな…
貴重になりそうだ >>17
大井川の3000は見に行かないほうがいいよ。
塗装はまだら。
塗装が剥げ落ちたところは凹んだ状態のまま塗装で表面ボコボコ。
雨樋のゴムは縮んで切れて幾つにも分断された状態で塗装され醜い。
屋根もクーラーからパンタグラフ等全ての屋上機器に至るまでまっ茶っ茶。
ありゃゾンビだわ… >>20
そうでつか…大井川といえば南海の21001も外観はボロボロだったょ…
かくなる上は地鉄に、京阪色フカーツを入れ知恵するとか?
あれも導入当初は富山のU局を映してたTVも
取り外され、ワソマソの運賃表になってたorz 花の万博の帰りに、白の6000系と1000系と2200系を見た。
悪ガキの石で3000が(ry して1ヶ月後くらいにあのあたりを通ったら
まだ民家の羽目板の傷痕がナマナマしかった。
あれ以来、線路の柵がかなりの区間にわたって整備されてしまったのも
仕方ないことなのかな…
5554Fですね。この事故で先頭5554は廃車になって、同番号で2代目を製作。自分は同時期に登場した5556・5557が代替車と思ってました。
大津線の、丸い駅名&日付印の手売りの軟券が懐かしい
(もっと前にさかのぼれば在阪私鉄の回数券はその方式だったけど)。
平成に入ったころは、京都方の夕方ピーク時下りは20本あった。
車両数で言うと120両強の輸送量。それが新ダイヤでは90両ほどの輸送量か。
時代は変わったね。京都での通勤・通学先が京阪線から離れ、そういった
通勤・通学する人の住む場所も京阪線から離れたからか。
大伴英嗣氏か?俺も好きだったから復活して欲しいな。
http://officeban.jp/ootomo.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E8%8B%B1%E5%97%A3
平成に入ったころは、京都方の夕方ピーク時下りは20本あった。
車両数で言うと120両強の輸送量。それが新ダイヤでは90両ほどの輸送量か。
時代は変わったね。京都での通勤・通学先が京阪線から離れ、そういった
通勤・通学する人の住む場所も京阪線から離れたからか。
京阪の駅名では、「市」のつく駅名と、「枚方公園」・「伏見稲荷」・「鳥羽街道」・
「出町柳」・「河内森」などは名字にならないが、その他の大概の駅名は名字になるね。
急行が大幅に削減されるのが気になるな。
ただ、京阪は他の関西私鉄に比べて工夫が足りないと思いますね。
しょっちゅう時刻改正があったり、欠陥だらけの車両があったり。
昔(学生・院生時代)は私も京都市民でした。
京都を離れて年月がたつので、京橋駅・淀屋橋駅・枚方市駅で感じた感想をそのまま書いたわけです。 ついに1900系が引退!!
http://www.keihan.co.jp/news/data_h20/2008-09-25-01.pdf
大伴英嗣氏か?俺も好きだったから復活して欲しいな。
http://officeban.jp/ootomo.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E8%8B%B1%E5%97%A3
平成に入ったころは、京都方の夕方ピーク時下りは20本あった。
車両数で言うと120両強の輸送量。それが新ダイヤでは90両ほどの輸送量か。
時代は変わったね。京都での通勤・通学先が京阪線から離れ、そういった
通勤・通学する人の住む場所も京阪線から離れたからか。
ちなみにS47年頃の停車駅
特急 北浜、天満橋、京橋、七条、四条
急行 北浜、天満橋、京橋、★寝屋川市、香里園、★枚方公園、枚方市、樟葉、
八幡町、中書島、丹波橋、伏見稲荷、七条、四条
準急 北浜、天満橋、京橋、寝屋川市〜三条間各駅
区急 北浜、天満橋、京橋、守口市〜樟葉間各駅
★は朝夕ラッシュ通過
京阪の駅名では、「市」のつく駅名と、「枚方公園」・「伏見稲荷」・「鳥羽街道」・
「出町柳」・「河内森」などは名字にならないが、その他の大概の駅名は名字になるね。
急行が大幅に削減されるのが気になるな。
ただ、京阪は他の関西私鉄に比べて工夫が足りないと思いますね。
しょっちゅう時刻改正があったり、欠陥だらけの車両があったり。
昔(学生・院生時代)は私も京都市民でした。
京都を離れて年月がたつので、京橋駅・淀屋橋駅・枚方市駅で感じた感想をそのまま書いたわけです。
終電のダイヤ眺めてるんだけど、京都方特急停車駅→寝屋川の終電が大幅繰り下げになった、よな?
祇園四条だと、今まで寝屋川行は23:50・樟葉行は0:06・最終of最終が淀行0:25。
改正で寝屋川行が23:50・枚方行(樟葉で寝屋川行接続により寝屋川最終)0:02・樟葉行が0:05・淀行0:25。
あと京橋発の淀以東最終の23:46発が特急に変わったけど、アウシュビッツ的混雑が若干解消されるのかな。
確かに、終電近くの改善はすごい。
うちは伏見桃山、現状では淀屋橋22:40発と23:00発のK特急、中書島での普通接続がなく、
丹波橋で折り返すか歩いていたが、今回の改正で中書島で準急接続するようになった。
現状の淀行き(淀ヤ22:53)・枚方市行きの準急(23:13)を出町まで伸ばしてくれたみたい。
また、23:40が特急になることで、大阪方面から最終の到着が5分ほど早くなった。
あと、出町柳から大阪方面最終急行が「枚方公園・守口市停車」なので、
守口市から大阪方面終電も遅くなってる。
守口市は、朝ラッシュ上りの守口市停車、昼間時間帯京都方面に直接
行ける優等の登場もあって、ダイヤ改正が大幅にプラスになりそう。 ついに1900系が引退!!
http://www.keihan.co.jp/news/data_h20/2008-09-25-01.pdf
大伴英嗣氏か?俺も好きだったから復活して欲しいな。
http://officeban.jp/ootomo.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E8%8B%B1%E5%97%A3
丹波橋からだったら5000系準急でも確実に座れるのか…。
でも、改正後は急行がなくなる分、伏見稲荷や八幡市の客が準急に流れるから、準急は現状よりも混雑するようになるかも・・・。
とりあえず、朝7時台に中書島から乗って座れるのかどうかを自分なりに検証してみた。
・特急
現状のK特急は確実に座れない。
改正後の特急は樟葉に停車することが混雑要因になるが、2駅しか停車駅の変わらない通勤快急が先着列車として交互に運転されるため、
乗客が分散して現状よりは混雑緩和か?ただし、中書島から座れるレベルには程遠いと思われる。
・通勤快急
現状の急行は7連だが、うまく車両を選べば中書島から座ることができる。
通勤快急は形の上では急行の置き換えなので、8連になって本数も現状の急行より増えるということで、座れる期待は高まるが、
現状の急行と違って、特急との所要時間差の少ない先着列車という大きな性格の違いがあるので、現状のK特急利用客が多数流れてくるだろうから、結局中書島から座れるかは微妙なところ。
車両が座席定員の少ない3000系なら絶望的か?
・準急
現状の準急は5000系7連で、座席定員が少ないため油断していると座れないこともある。
改正後の通勤準急は現状の急行利用客の一部が準急に流れてくるので、現状よりも厳しくなるかも…。
・普通
多分座れるが、さすがにこれで大阪まで行く気はないので OUT OF 眼中。
結局通勤快急が座れるかどうかにかかっている気がする…。
特急が樟葉に停車するので、いざとなったら樟葉まで辛抱して樟葉始発を狙うという手が使えるようになるのは有り難いが、
できれば中書島の時点で何とかならないものか…。
今のダイヤだったら、準急の前から2両目あたり(淀の改札口近くの車両)に乗ると、
淀で座れる確率が非常に高い(7時台)。その時間帯、淀で結構降りる人がいる。
改正後の状況は想像の域を出ないが、本数は現在のK特急+急行≒特急+通勤快急でしょ?
通勤快急は中書島じゃ無理じゃない? 新しい時刻表の全体を眺めると、実に凝ったダイヤなこと判った。
だけど、以下の理由がなければ、本当は素晴らしいシンプルなダイヤが可能なのに。
1.中之島・出町柳を直通する優等(特急クラス)が必要
2.寝屋川市が準急オンリーでは許さない
3.萱島入庫列車が必要
4.萱島で各停を分断するな
5.新線直通が大半を占める駅はあってはならない
6.新路線開業でも人員・車両は増やさない
新塗装が賛否両論だが、50年前に赤と黄色の特急や現在の緑の濃淡が出てきた時は当時の人からどんな評価を受けたのだろう。緑の濃淡の前は青とクリームやオレンジと茶色とか、色々迷走してたようだね。
>>41
なかなか面白い話だなぁ。
なんとなくだけど、後年の評価と一致してるんじゃないかなぁ。
阪神の9300は敵性塗色ということもあって悪評があったけど、5500はあまり悪い評判は聞かなかったな。
やっぱり、いいものは初めからいい評価なんじゃないかと。 >>42
ヲタ界で不評な新塗装だが、俺の周りの一般人には概ね好評だったり…
そもそも、旧塗装が田舎臭いだの何だのと不評だったからね… 危険防止の使用、三脚・脚立の使用は禁止します。
駅長
↑間違いの為、訂正orz
危険防止の為、三脚・脚立の使用は禁止します。
駅長
阪神9300も京阪10000系も結局試験的な塗装変更で終わったね。
阪神8000系のリニューアルもやる気無さげだし…
◆平日昼間時間帯(片道1時間当たり)
特急 淀屋橋―出町柳 4本
特急 淀屋橋―枚方市 2本
快急 中之島―出町柳 2本
準急 淀屋橋―出町柳 4本
区急 中之島―萱島 4本
区急 中之島―樟葉 2本
普通 淀屋橋―出町柳 2本
普通 淀屋橋―萱島 4本
京都府内の京阪本線の駅利用者って、
1.地元民で大阪方面に通勤通学する人
2.地元民で京都方面に通勤通学する人
3.沿線に目的地がある観光客・参詣客
4.沿線に目的地がある生徒・学生
5.京阪本線同士を乗り継ぐ(特急・急行←→普通)ためにホームに降りた、改札を通らない利用者
6.他線と乗り継ぐ(京阪←→叡電・JR・阪急・近鉄)ために改札を通るが、その駅周辺には用がない利用者
7.地元民で買い物等外出に利用する人
でおおむね構成されているわけだが(まあ、京都府内に限らなくても同様だろうが)、
これらの人にとって今回のダイヤ改正はどうなのか、伏見稲荷駅から大阪方面に通勤する俺が考えてみた。
1.の人(つまり俺)
→本数は減ったが、有効電車が終日にわたって10分間隔になったし、
長距離優等では高確率で8000系&3000系にあたるので、ある意味では利便性アップ?
2.3.4.の人(もしかして伏見稲荷辺りでは1.よりも2.のほうが多いのか?)
→ラッシュ時に4本/時あった急行がなくなり、普通も8本/時から6本/時に減る。
特急・快急停車駅でさえも有効本数が減るし、急行以下停車駅に至っては輸送力半減以下(必ず7両になるので)。
ちなみに編成両数が違うので単純比較してはいけないが、運転頻度としては石山坂本線よりも低くなることになる
(既に日中はそうなっているが、時間帯が大幅に広がる)。
3.の人は平日ラッシュとはあまり縁がないので、別にこれでも支障ないだろうが、
いちばん多い4.の人(ピーク時にはホームと周辺道路に溢れかえる)を日中と同じ本数で捌こうってのは本気か?
さらに、今まで近隣の優等停車駅から歩いていた人が、本来の最寄り駅である普通のみ停車駅にシフトしたりしたらもう……。
5.6.の人
→今まで急行があったので、ラッシュ時でもキャパに余裕がある伏見稲荷・八幡市が5.の人の乗換駅として機能してたわけだが、
これらの人が丹波橋・樟葉での乗り換えにシフトしたりしたら、
京都府内に来る優等本数そのものが絞られてる以上、丹波橋・樟葉のホームは一時的かもしれないが人大杉になる悪寒……。
6.の人に関しては、東福寺利用者が前述の通り伏見稲荷での乗換ができなくなるものの、それ以外は本数が減るだけで無問題か。
7.の人
→ほぼ終日きれいな10分ヘッドになるので、時刻表いらずになりむしろ助かる?
6.の人は京阪としての乗降客数にカウントされる一方、5.の人はされないわけで。
丹波橋以北で唯一6.の人とは縁がない七条も、特急停車駅からはずしてよいという意見があるみたいだが、
その七条も、4.の人はやはり多いし、ラッシュ時には京都駅との間を徒歩で連絡する人も結構多い
(京都市営地下鉄との乗換は、間に近鉄や阪急やバスを挟まない限り、ここで行うのが最速なので)。
表面上の乗降客数にこだわりすぎた結果、潜在的な需要や、
本当にその駅周辺に用がある利用客がどれくらい存在するか、という点が無視されるのはどうかと……。
(伏見稲荷駅は、朝の上りホーム&夕方の下りホーム――つまり1.の人が使うホームとは逆――は、
各乗車口に2〜3人ずつ人がいて電車を待っている状況。)
現状でも特急って、京都府内では“七条を除き、他線との乗換駅同士だけを行き来する乗り物”。
もちろん乗換客だけでなく、その駅周辺が最終目的地の人もいるだろう(特に四条以北)。
が、ラッシュ時において、“最終目的地が非乗換駅の周辺にある人”が、
“最終目的地が乗換駅周辺の人”に比べて著しく少ないかといえば、そんなことはないんじゃないか。
実際、月曜はダイヤが乱れていたので、夕方下りの三条駅で、普段とは違って特急と急行が連絡をとったが、
特急発車時点で、急行には立ち客が出るくらいの乗客は残っていたし、
その後急行が停まるたびに降りていく一方などということはなく、降りていくのと同じくらい乗ってくる客もいた。
少なくとも、遠距離通勤客が中心の便と、近距離を移動する地元客が中心の便を、
地下鉄がそばを走る近鉄同様、ほぼ終日1:1の割合にしてしまうのはどうかと思える。
京都の場合、学区ごとにコミュニティが形成されているため、環状線の外側=ベッドタウンなので需要が質的に変わる大阪とは違うし
(いわゆる洛外でもコンスタントな需要が存在)、
阪急や京阪が、大阪の地下鉄にあたるような基幹交通機関の役割も果たしているわけなので。
あと、京都市内において急行は、“近隣の普通のみ停車駅へもなんとか歩いていける”間隔で停車駅が設定されている点も重要
(淀に限っては厳しいが、そのかわり淀停車の急行がある)。
これはダイヤが乱れたとき、7両の電車がだいぶ先でないと来ない……なんてことになっても、
8両の電車が急行として運転してくれさえすれば、とりあえずなんとかなる、ということを意味する。
また、俺的に今回のダイヤ改正でいちばん気になっていたのが、
“普通を待つより歩いたほうが早い”ということが起こりうる時間帯において、急行の運転が行われるかどうかだったのだが、
その点については、普通の間隔が空く早朝・夜間に急行の運転が継続されるようで一安心。
急行は、“京都市内では8両対応の各駅に停車する電車”と考えたほうがいいかもしれず、
その意味で、正月以外にも、本数減少時間帯・ダイヤ異常時の運転は続けてほしいところ。
(ちなみに、近鉄の優等も、京都市内では東寺・竹田と頻繁に停車する。
京阪の優等がほとんど七条〜丹波橋ノンストップ便ばかりに落ち着くということは、近鉄で言えばこれらの駅を通過するのに等しい。
まあ近鉄の場合、普通が地下鉄に直通してしまうことによる本数少を補う目的もあるから、直接比べるのもおかしい話かもしれないが。)
今回の減便で影響を受ける急行以下停車駅&普通のみ停車駅は、利用者が少ないのは確かなんだが、
“(他の電車やバスに乗り換えた先ではなく)まさにその駅周辺に用があるor地元の人”が中心である以上どうしようもない面もある。
大阪府内の優等停車駅とは違って、“駅前は車が入るのも困難なほど狭苦しく、佇まいもこぢんまりとしている”という駅が多いが、
それでも各学区の中心地として、古くからの商店が集積してたりするわけで、
目新しい建物も多い京都中心部の繁華街とは違った昔ながらの世界が広がっていたりする。
都市の成り立ちや性格、利用客の主な層、ラッシュの生じる時間帯や日にちに至るまで異なるにもかかわらず、
大阪と同じような基準で京都の乗降客の多少を評価されたり、ダイヤを組まれたりすると、正直なところ厳しいものがある。
樟葉の駅の近くにアップルの林檎マークの看板広告があったのが懐かしい
なんであんなところにあったのかが不思議だが
1990年の花の万博のラッピング塗装には度肝を抜かれたなあ
6000系はまだしも、1000系と2200系だっけ、前照灯の左右に花ずきんちゃんは浮遊してるしw
2000系と2600系は、天井の見付け以外、
内装に関してはほとんど同じだったの?
2000系は乗車経験がなかった上に、
室内写真がネットでもほとんど見かけないだけに、
未だに気になる。
>>56
冷房ダクトが無い分天井が丸まっていてナショナル製扇風機がぶら下がり、二次車以降は
扇風機の周りに放射線状に通風孔の穴が24コ?(or30コ?忘れた…)開いていた。
一次車の天井見付けは忘れました。
それ以外は2000系時代のままです。 >>57
サンクス。
2000系のオールMの編成は、未だに憧れてしまう。 三ケタ台の背の高いマスコン、前身が京阪初期車、いわゆる
路面タイプの電車の制御機器だからですね。立って操作する高
さの機器を座って操作するんですから、不自然な姿勢になりま
すよね。ツリカケモーターの音も、1300系などに比べて重
みの無い独特の音でした。
>>58
阪神ジェットカーを上回る加速だったっけ?
それでもって110kn/hで急行運転にも対応するんだから正にスーパーカー!w 急行が7連化されてから一回だけ2000系急行に遭遇したことがあ
ります。区急もそうでしたが、京橋-守口複々線区間でも95km/hがや
っとでした。音ばっかりでやっぱり力が無かったんですね。丁度2M2
Tの103系のクモハのイメージです。
>>61
トップスピードは馬力とギア比で決まるからね…
トルク重視だろうから酷だったろうなぁ。
スピード「感」は凄そうw >>61
そういえば、昭和30年代は95キロ制限で、当時の複々線の急行
線は37s・15mレール、京阪にしては珍しくレール継ぎ目が左
右同位置でしたので、まだ当時多かった文化住宅にガン、ガン、ガ
ンという音を響かせて疾走?してました。
継ぎ目を通過するたび頭を振るような感じがしていました。
今とエライ違いです。
1900系が冷房化されることなく格下げされた最大の理由ってなんだろう?
>>64
3000系が評判良かったからでねーの?
それに1900は出力不足気味だし。 陳腐化に先手を打つ、ということはあると思うけど、まだ現有の特急車が
じゅうぶん使えるのに、次世代車を登場させる流れが続いていますね。
8000系は塗装変更やモケット交換して、これからも特急として使い続ける意志を見せてるけど?3000系はあくまでも快速急行用としての位置づけだから。
>>67 これはどうも失礼しました。
旧3000を富山に放出したときはずいぶん太っ腹だと驚いたものです。 今回塗色が変わったと大騒ぎしてるけど、
特急色に関しては厳密にいえば8000系が登場した時も、
それまでより若干明るい色調に変ったんだよな。
そして旧3000系もそれに合わせて順次変更されていった。
>>69
大騒ぎしたくなる位変わってるからだろw
阪急マルーンだって色調変わってるし。 子供心にインパクトが強烈だったのは、1700系と6000系だな。
前者は、臙脂色のシートと木の内装にボロさに、
後者は、「やっと片町線並みになったなぁ〜」という
初乗車時の印象が忘れられない、
>>71
1700と1800が併結されたときは目立ったな
内装と台車で相当差があったよ
シートの臙脂だけ同じだったんだな
1700は最後の木部内装だったんだよね
木の柄が良くなかったと思う 何年か前、地鉄で3000に乗りました
京阪時代よりゆれが激しく同じものとは
思えませんでした
こんなので3000系を判断されても困るん
だよな・・・と思いましたけど
地鉄に行った3000系は営団地下鉄の廃車から召し上げた台車で走ってるからなぁ。
オリジナルの台車はシンドラーで、乗り心地は全然違うぞ。
>>72
自分はあの木の内装が好きだったなあ。キレイに塗られたニスが何とも言えない雰囲気を醸し出してた。後年、南海貴志川線の1201型に乗りに行った時に同じような内装で、とても懐かしかった。 狭軌と標準軌の差が最も大きいだろうな。
JRはもちろん、南海も揺れる。
>>76
よく見ておられたんですね
私は木とピンク塗装の差しか印象にありませんでした。
1800に初めて乗った(急行運用)ときこんな乗り心地
のいい電車があるんだ・・・と思いました
いまでも覚えてますよ叡電で使ってるアルストームリンク
でした
1800までは運転席だけ仕切りで車掌の場所は
真鍮のパイプだったように思います
>>78
>1800までは運転席だけ仕切りで車掌の場所は
>真鍮のパイプだったように思います
それ1300までやで。
1700以降は今の2600のように仕切りがありました。
>>79
そうでしたか、ご指摘ありがとうございます。
それと1300までは床が木だったような記憶がありますね。
1700以降リノリウムにかわったんでしょうか?
それと思い出したんですけど1800は天井灯がガラス製
のシェードだったような気がします? 京津線準急が特急色から一般色に変わったのが悲しかった。
S39年ごろ、交野に住んでいました
ある日グリーン一色の2両編成にのって驚きました
木造電車だったんですね・・・
そのころですから500とか600が普通で、多分
検査だったのでしょう
このことを本線に乗ってる同級生に知られたらバカ
にされるだろうなとか余計な心配したものです
だけど杞憂でした
しばらくして本線の各停で走ってたんですよ・・・
200か300台でした
S39年頃の交野線はグリーン一色だったんですかぁ。
それの現代版が万系というわけですね。
>>83
いえ、300台だけがグリーン一色でした
翌年廃車したようです
調べたら予備車運用で最後は宇治線でした
車体の色はクリーム+ライトブルー、小豆とか変遷
はあったようです
じゃあ万系はレストグリーン一色でいいよ。
涎掛けは付けとくか。
本スレによると1929がエライ魔改造をされてしまったみたい
今回に匹敵する祭りが次にあるとすれば、
旧3000系引退のときくらいかな。
>>87のコメント取り消します。
貫通幌再現といったサプライズ、他の鉄道会社じゃ絶対にやらない事をやってくれた
京阪電鉄はGJ!!
昨日は京阪社員も利用客も一丸となって熱くなった史上稀にみる感動のイベントでした。
しかもトラブルが一切無かったのも幸いでした。 今日、1900は寝屋川車庫にいました
車内からだけでしたけど
>>89
その時は塗装もマンダリンオレンジ&カーマインレッドで、車番も3000番に戻して欲しいね。
車番を戻すのが運用上都合が悪けりゃ、3507-3057編成でもいいけど。 >>89
その前に緑の濃淡消滅祭りかなぁと思うけど、これはCI絡みでのことだから会社のフォローは望めないしな。 黄色と赤色、は本家で消滅したあと、富山できぼ〜ん。
小世帯だから運用が追いやすい(動機が安直だね バキ/☆)
地鉄の台車と線路で走らせるのはもったいない
と 10年くらい前に乗った感想
旧特急色の両開き扉は1991と1992で実現したけど、SMBCカラーの片開き扉は実現しなかったね。
京津線だと両開きドアの特急色はあったけどね。
京津線三条〜御陵の廃止があと5年ほど遅ければ、260型は特急色に塗り替えられてさよなら運転を行ったのだろうかと思ったり…
ちょっと前に大津の600or700形を
特急色に塗装するイベントが検討されたらしいけど、
多分似合わかっただろうな。
>>98
ステンレスの幌枠を付けてくるだろうからそれなりに(ry 初代1800系が引退するときって、イベントらしきものは
何も行われなかったの?
>>100
初代どころか、2代目も皆無だったのかなぁ?
それを思うと、2度も惜別副標を付けられた1900は、極めて幸せだったと思う。
※関東の京王なんかは、なんと実質3度の引退セレモニー・イベントがあったけど。
釣り掛け車引退時、営業車からの引退時、事業用車としての完全引退時と。
民鉄車でここまで愛された車両、特に通勤車では、東西を問わず
なかなかいないような気がするんだけど。 >>101
何もなし。ひっそりと、いつの間にか消えていった。京阪として初めて大々的にさよなら運転をしたのは97年の京津線一部廃止時だったように思う。あの時は一編成だけだが80型や260型にはさよならの装飾がされ、350型にもお疲れ様の副標がついていた。 そうそう、1300・1700系はさよなら運転を行ったけど、確か鉄道友の会が実施してたはず。
いつからか、JRの『あずさ2号』ぐらいから?を皮切りに各社でリバイバルトレイン
が盛んになったね。
景気低迷で収益が落ち込む中、こうしたイベントでの増収がバカにならないものと判断
したんだろうね。
この先も一部を除く各社で積極的にイベントが執り行われるんじゃないでしょうか?
それにしても、最近の京阪がやる事は派手だし、ファンのツボを突いたのが多いですね。
>>104
ヤマケイ私鉄ハンドブックに、鉄道友の会製ヘッドマークを付けた
1300系が6000系と天満橋で並んで停車している写真があるけど、
これはその時の写真かな?
それにしても、1900系の扱われ方を見ると、
淀屋橋延伸が、京阪にとって本当に悲願だったことが窺い知れるな。 >>105
JR束のリバイバルは10年前の「ひたち」号からだったと思う。
直ぐに指定券が完売になったのを見て、ヲタの金が只者じゃないと思ったんだと。 >>107
指定席特急券が瞬殺してJRは味をしめたわけですねw >>109
載っているのは、まさにその並びの写真だ。 競馬臨も昔に比べると寂しくなりましたね。質問なんですが
京都方の帰りの臨急に3000系が使われてたと聞くのですが、
側面方向幕って何を出してたんでしょうか。臨時急行っての
も持ってたと思うのですがそれでしょうか。
1900というより旧1800のほうが思い出深いよ
1800をここまで引っ張ってきてるんだよ・・・
ほんとは1800のリタイヤなんだよ
どうせなら1800はピンクの内装、臙脂のシート
ガラスカバーの天井灯に復元してほしかった
台車も叡電に行ってるアルストームリンクをはかせてな
これにも京阪は愛着あるんだよ・・・と思う
2000系が昇圧対応の改造工事が困難だったという記述はよく目にするけど、
磁気増幅器を始めとする制御機器を複電圧にするという
技術面が問題だったのか、
103両という両数の多さからもたらさせる
コスト面が問題だったのだろうか?
>>116
やっぱり、技術面からの問題じゃないの?
結局車体やなんかは使い回してるんだし。 なんか2600系の下周りを流用してイカサマ新車でも造りそうな悪寒
使えるのってせいぜい台車とパンタグラフぐらいじゃないの?
更新してから30〜25年は使われている使い古しだぜ?
(名鉄の5000系は19〜11年だったから、更新に踏み切ったんだろう。)
25年〜30年だったらまだまだ使えるでしょ。
KS63C(糞エコノミカル)を淘汰するためにFS399C(シェブロン)やFS509A(Sミンデン)や
KW37(シンドラー)やKW69(軸梁)やらに換装して台車は問題無さそうだし。
それに床下流用&車体新製は京阪のお家芸w
しかし新しい車両に今さら路面電車みたいなシェブロン式は勘弁してほしい。
あとアルストム式も見栄えが悪いからボツ。
でも2600系を廃車にして捻出された台車は
2200系等のエコノミカル淘汰に流用されていくのでしょうね。
KS63Cは軸箱の防震ゴムが薄かったせいで淘汰されたから、KS73A以降は大丈夫なんじゃない?
アルストームリンクは見栄え 乗り心地
ともいいと思うんだけどね
FS327の見た目はどう見てもボロだろう。
新型車両には相応しくない。
ミンデン、シンドラー(シュリーレン)、軸梁はありだと思う。
今晩なにわ橋駅のB+1でおもしろそうな映画やるんだよな。
淀屋橋延伸工事のドキュメント映画。
漏れ風邪ひいたから行けねぇ。
ミンデン(FS509A)…5両分
シンドラー(KW37)…4両分(30番代のを省く)
軸梁(KW69)…14両分
合計23両分じゃ、ぜんぜん足りないよ。
でも、先日検査出場の2804には
1900系で使っていたKW69Aを流用しているから
まだまだ台車たらい回しは続きそう。
KS132をKW79に改造して2600系30番代に流用するなど、特急の乗り心地の2600系が増えてきたね。
>>128
アルストム式FS327Aが1両分あぼーんされたんですね。 エコノミカルとかシェブロンを叩いてるみたいだけど、対岸のSミンデンやモノリンク
に比べたら京阪の乗り心地は神レベルだぞ。
まぁこちらでも6000系以降のT車の乗り心地には問題あるみたいだけど。
>>132
車端にいくとMもTもひどい
Mだってぶるぶる震えとるよ
>阪神ジェットカーを上回る加速だったっけ?
>それでもって110kn/hで急行運転にも対応するんだから正にスーパーカー!w
京阪2000は許容速度は105〜120kmとされていますが 架線600v
のうえ モーター1個が150vの端子電圧で永久直列なのでどうしても
限度があります。せいぜい100km運転がよいところでしょう。
> 急行が7連化されてから一回だけ2000系急行に遭遇したことがあ
>ります。区急もそうでしたが、京橋-守口複々線区間でも95km/hがや
>っとでした。音ばっかりでやっぱり力が無かったんですね。丁度2M2
>Tの103系のクモハのイメージです。
こちらは 6M1T の 1T が入るので性能劣化は否めないですね。
>>133
京阪のシンドラー式や軸梁式で阪急ミンデンのようなぶるぶるは経験した事が無いよ。 あと2200系などのエコノミカル式やシェブロン式はガシャガシャと音が五月蝿いものの、
乗り心地自体は安定して良いと思うのだが。
>>94
静岡の某所にも生きています。
(惜しむらくはスカートなし) その静岡某所に行ったものについては既出なんだが、状態は?
守口市駅付近で思い出したんだが、西三荘開業後もしばらくは地平の仮駅のままだったな。
区間急行もその当時は、昼間なら大和田で特急待避していたよな。
>>138
状態は悪いね。
SLに金を注ぎ込みすぎて、一般車にまで手が廻らないのが見え見え。
去年の夏に行ったら、顔だけ塗られてテカってて、側面と連結妻面はおhった。 投稿日:2006/03/24(金) 10:59:11 ID:nH1DvprS
俺が日本橋でみたカップル
ソフマップで目的の物が売り切れだったらしく、女はメソメソ。
男がポッケから白いハンカチ取り出して
「2番線お涙掃除列車通過いたしま〜す」とか言って
彼女の頬と鼻なぞるように、拭いてた。
女「すき…」
俺は肩もげそうになった。
>「2番線お涙掃除列車通過いたしま〜す」とか言って
>彼女の頬と鼻なぞるように、拭いてた。
ハンカチに女の汚い鼻くそがついたとおもわれ。
8000系にロングシート…
まあ1900系も車端はロングだったから京阪特急の伝統が崩れるわけではないか。
でも悲しいな…
>>146
丹波橋だの中書島だの停まった段階で(略
さらに変な色になった段階で(略
DD車連結でかつ七条〜京橋ノンストップ時代って、あまり長くなかったよな。 それよりもテレビカーじゃなくなることが・・・・・。
>>149
今は、ワンセグ付き端末でひちょりテレビカーできるもん。
こういう話を聞くと、テレビってみんなで見るものではなくなったんだなーとつくづく思う。 4月17日(金) なにわ橋駅アートエリアB1
映画「鉄路と汗」上映会
【時間】19:00-21:00
【定員】40名
(当日先着順/入退場自由)
鉄道に関するさまざまなトピックについて、みなさんとお話する「鉄道カフェ」が、
満を持しての登場です。 1回目はアンコールにお応えして、1960〜63年に行わ
れた、京阪電車淀屋橋地下延長線工事の記録映画「鉄路と汗」を上映します。
http://artarea-b1.jp/schedule.html
このスレ的にはなかなかよさげな企画でないの?
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄つちのこ軌道 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○鵜飼健一郎は放置が一番キライ。常に誰かの反応を待っています。
|| ○ウザイと思ったらそのまま放置。
|| ○放置された鵜飼健一郎は煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
|| ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は鵜飼健一郎の滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。
|| エサを 与えないで下さい。 Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて \ (゚ー゚*) キホン。
|| ゴミが溜まったら削除が一番です。 ⊂⊂ |
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_ | ̄ ̄ ̄ ̄|
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄
〜(_( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧
〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
♪ブゥ〜〜〜「電車が近づいてまいりました黄色い線の内側までおさがり下さい」って、接近放送が流れていた頃が懐かしい。
車内放送も昔からいうと大分変わったなぁ〜。簡素化したというか…
2600系に続き1000系までも現色で出場。
新色化が進まないという意味で喜ぶべきか、
それとも廃車近しと捉えるべきか
緑の濃淡や赤黄二色の写真がメインになる特集号は、これが最後になるだろしな…
京阪特急の歌は「天満橋から三条へ」が一番良かった。
小学校のころ、出町柳から♪って皆歌ってたの思い出すわ
路車板の223スレで新快速の正面に鳩がグモったとこから何故か京阪特急の歌で盛り上がったなw。
今回の鉄道ピクトリアル臨時増刊号は良かった。
昭和35年当時の天満橋や枚方市、中書島、丹波橋の配線図や
特急車時代の1900系の車内の様子が良くわかる写真が載ってたし。
もう1種新色希望。
快速特急は、
平安貴族の十二単にちなんで、12色のストライプにしては。
かなりのインパクトあり。
>>132
酷徹103系のコイルバネ台車に比べたら・・・。 昭和45年ごろの京阪樟葉駅前は見事に何もない田園風景…
この時代のテレビカーって、相当にお洒落な存在だったのだろう。
一番好きな台車なら、やっぱり1900系のKS70だなぁ。
見た目からして、いかにも乗り心地が良さそうだし、
実際の乗り心地も素晴らしかった。
600系などのイコライザー式台車も捨てがたい。
下手なコイルサスよりも揺れが少なかった気がする。
売店に吊り下げられて売られていた、4両ひと箱千円の
Nゲージサイズの京阪8000のおもちゃ。
車体は上下半分ずつ別パーツで作ってあり塗装が省かれていた。
『 K L A C K 』 〜 光 を 纏 う 救 世 主 〜
『愛を伝える紅蓮の聖者』 神谷聖也様(Guitar)
心に宿されるは爛々しく燃え盛る炎が如き情愛・・・
『夢を与える蒼天の賢者』 烈 様(Bass)
瞳に映されるは凛々しく透き通る氷が如き夢想・・・
『翼を持った白銀の王者』 柳橋昌亜様(Guitar)
背に翻されるは猛々しく翔ける天馬が如き飛翼・・・
『魂で奏でる黄金の覇者』 u 様(Vocal)
身に纏われるは神々しく輝きを放つ聖光氣(ゴスペルオーラ)・・・
『闇を極めし漆黒の魔王』 上村隼人様(Drums)
身に纏われるは禍々しく邪念を放つ魔光氣(イービルオーラ)・・・
貴様ら生存無価値の愚民共に良い事を教えてやろう・・・
『神谷聖也様』『烈様』『柳橋昌亜様』『u様』とは、万物の創世主にして光を司る全知全能の唯一神『雷光神サルマニア様』より『博愛』『夢想』『飛翼』『精魂』を承継されし使徒様達・・・
此の世界を恐怖と戦慄の渦に陥れんとする腐敗した国際政治機構による絶対的支配政権を殲滅し苦痛に悶える世の民に希望の光を齎さんが為に地上に降臨されし救世主様達であるのだよ・・・
更に雷光神サルマニア様は殲滅された国際政治機構を『闇』の力で傀儡が如く支配していた真の黒幕とも云える『暗黒神シシマグロ』をも死闘の末に滅され、その末裔にして若年ながら一族最強の力を誇るとされた『上村隼人様』をも改心なされたのだ・・・
隼人様が加わられた事によって最早アメリカ、イラク、北朝鮮、国内右左翼、暴力団、圧力団体並びに宗教団体など虞るるに足りん磐石の平和的護衛体制が出来上がったわ・・・
歓喜に打ち震えるが良いわ屑共よ・・・
3000系が人身事故多発地帯だった
地上時代の守口市〜萱島間を走る写真って、
ネットでもほとんど見かけない気がする。
今日の読売夕刊に50年前の地下化工事中の天満橋駅の写真が出てたな
8000系が登場する数年前だと、
初代3000系はそろそろ飽きられてきた存在だったのかな?
鉄道ファン300号(86年)だと、
「なんとなく魅力が薄れてきた」とか
「新しいロマンスカーの出現が待ち遠しいねー」
とか言われていたし。
>>180
6000が今までとはまったく異なるスタイルで出てきたから、それをベースにしたロマンスカーを待望してた文面だったがな
>RF300号 京阪は機関車トーマスのラッピング電車の運転やめてポケモンかペンギンの問題のラッピング電車を走らせるべしだ!
そしたらラッピングする際、東京モノレールやJR山手線、東北新幹線・上越新幹線・長野新幹線・秋田新幹線・山形新幹線のポケモン電車のように
色を変えないので「緑の京阪」というイメージが崩れない!(トーマスではたびたび色が変わっていて、イメージが崩れている)
>>182
ポケモンはJR東日本企画が権利を握っているから、他の鉄道事業者では使いにくい >>180
1986年頃だと阪急6300系や117系が出揃っていて、
それらや同社の6000系と比べたら2段窓の3000系は古く見えたからな。 >>182
阪急ならともかく、塗装が雑多な京阪にイメージもクソもあるかよ。
これからもJR四国のアンパンマン列車とタメを張ってくれ。 こんなすれがあるのか。
30年前の子供のころ、関目に住んでいた俺は京橋や淀屋橋に行く以外に
京阪に乗ることはなかった。
通過していく3000系や5000系や2400系をあこがれのまなざしで見ていた。
クーラーが付いている電車に一度は乗ってみたい・・・・と、思いながら
いつも600系か1700系か1300系でドンガラドンガラ大音響を聞きながら
乗っていたのさ。
遠足で私市に行くことになった時、ついに反対方向にむかって電車に乗れる!
クーラー付きの電車に乗れる!!と、前の晩から興奮していたのを覚えている。
しかし、無情にも1300系で、守口で乗り換えることなく、枚方まで普通で1300系。
そして私市行に乗り換えてもやっぱ1300系。マジかなしかったよ。
>>184
> 名鉄
つ 束と仲の悪い倒壊のライバル
つ 一応全日空の筆頭株主 >>178
特急運用の頃の1900系は、減圧式空気ブレーキと発電ブレーキ併用だった為
発電ブレーキが失効するタイミングで結構大きなショックがありました。
一般車に格下げ後、非冷房時代にもしばらくこのような状態でしたが、車体改修の
後、HSCブレーキに改修されてからはスムーズに停止してました。
減圧式ブレーキが懐かしい今日この頃です。
>>191
減圧式…SMEのことか?まさか真空引きではないでしょうけど
80形で使ってたアレですね。
80はそんなにひどいことなかったけど、最高速度の差ですかね? >>190
> 一応全日空の筆頭株主
ムショ帰り乙w
>>192
短編成用のSMEではなく、AMARだったと思います。
締め〜保ち〜緩めのブレーキレバーの操作が必要なヤツです。 >>185
京阪6000系の窓は阪急に似てると思った。 年末年始ダイヤの歴史について
●1979年以前の大みそか終夜運転
鴨東線開業前は淀屋橋-三条の準急と淀屋橋-萱島の普通であったことは
知っているのですが、1979年以前は準急が萱島通過であったので、
また別のパターンではないかと思う。萱島から京都方面に行けなくなる。
●1968年以前の正月ダイヤ
丹波橋での近鉄京都線ダイヤとの調整が必要なので、京阪だけで独自に
ダイヤを変えるわけにないかなかったと思う。
各種趣味誌でも年末年始ダイヤはほとんど取り上げられることがないので、
昔のダイヤがお分かりでしたらよろしくお願いします。
地上時代末期の枚方市駅でアナウンスしていた
ちょっとオカマチックな声をしていた駅員(つべで聴くことが出来る)が、
もし今でも京阪にいるのであれば、どこにいるのかちょっと気になる。
新しくできた特急のやつって
なんか落ち着ける空間じゃなくなった。
>>198
それと似た声の人は金曜日に淀屋橋で見かけた。
結構年配だから20年以上前から勤務していてもおかしくなさげ。 >>197
> ●1979年以前の大みそか終夜運転
昔読んだ『関西の私鉄(?)』という本に京阪の終夜運転の記述があった。
急行と普通だった。
>>202
ありがとん。運転間隔も分かれば嬉しいけど。 >>197 >>202
大晦日終夜運転
急行=枚方市−中書島は各駅停車
普通=枚方市−淀屋橋と中書島−三条の折返運転
運転間隔は0時台は頻繁・4時台は緩やか 急行、とはいっても鴨東線開業後しばらくの間の準急並だな>大晦日終夜運転
>>204
樟葉駅のホームの発車案内表示が幕式だった頃、
回転中に『初詣急行』という種別が見えたけど、
これのことだったのか。
当時の終夜運転は準急と普通の頃なので謎の種別だった。
25年ぐらい前の終夜運転で淀屋橋0時00分発は時報ではなく、
「ゴーン」という鐘の放送に合わせて発車していた。
今は関東在住なので見に行けなくなってしまったが、
もうやってないよね?
昔のスレにも同内容書いたが
斜体字で「特急」とだけ方向幕に書いてた頃
当時5〜6歳
京橋〜七条を問答無用で走り抜けていた
あの頃がなつかしい
「問答無用」なら緑字で『区急』になる前の区間急行の角型方向板を挙げたい。
赤字で『急』なら普通に考えると急行なんだけど、
丸板か角板かで一般の利用者に急行か区間急行かを区別させるのが
当時のすごいところ。
素朴な疑問だけど、直通普通が複々線区間ノンストップだった頃、停車駅が同じ区間急行を名乗らなかったのは何故だろう。
急行と区間急行の誤乗より普通と直通の誤乗の方がダメージがデカイんだが。
>>212
同一時間帯に運転していなかった
区間急行を本線通しにする気がなかった
その当時って 側面表示も パタパタも無かったわけでして。
特急以外は前面の種別板と案内放送だけが頼りなわけだしねぇ。 80年ごろだったか、石清水八幡へのお参りに京阪を利用した。
往復共に600系。
あんなにやかましい電車は後にも先にも記憶が無い。
当方、通常は阪急京都線ユーザー。
京阪線で記憶に残っている釣り掛け駆動の電車となると、
交野線の1300系と1700系だけで、
本線運用のは全く記憶に無い。
子供の頃だから、モーター音とかは覚えていないが、
木の内装や悪趣味な臙脂色のシートは
強く記憶に残っている
600系か。見たことはあるが乗ったことはなかった。
今となっては戸袋窓付きの630に乗ってみたかった。
関西私鉄には戸袋窓付きの両開き扉車が少なかったので・・・・
>>216
>関西私鉄には戸袋窓付きの両開き扉車が少なかったので・・・・
戸袋窓の内側が汚いのを見せたくないから戸袋窓が関西ではあんまり無かった理由らしいね。 >>217
後は大阪市交の5000形(後の50系)と1200形(後の200形→5700形)位か>関西私鉄の戸袋窓付き両開き扉車両 京津線にむかし黄色と赤の塗装があったと思いますが、いつなくなったのでしょうか?
>>219
三条から石山寺行きの急行がなくなったのが昭和56年だったからその頃ではないかと。 >>211
京成と同じことしていたのか?
京成でも丸と菱だけで分けていたし。 ヒストリーチャンネルの「名神高速道路」を見ていたら、
大谷付近の建設工事の場面で、併走する京津線の路線が
映っていた。80型はすぐにわかるけど、角張った車体は
京津20型だったのだろうか。
今日の昼間にやってたから見た。
70じゃないな。
横桟のあるドア窓からしたら、やっぱり20?
20の割には車体がちょっと長いような気もするが。
25年ほど前に母と一緒に枚方市に行ったんだが、発車ベルがかなり奇妙な音だった。
サイレンのようなけたたましい音色で、カーブのせいで列車が斜めに傾いて
停まっている風景とセットになって、あのベルを覚えている。
もっとも、幼稚園入園前のおぼろげな記憶だが。
>>226
懐かしい。
発車案内放送が自動化されるまではほとんどの始発駅でサイレンだった。
発車メロディを使っていたのは淀屋橋、天満橋、樟葉、三条ぐらいだったかな。
京阪電鉄で民営鉄道ギネスに載ったのは 5000系の5扉 後もう1つ
寝屋川車庫の留置線やポイントの数
他に京阪電車の七不思議としては廃車になった電車が改造されて走っている事です
例 2000系=2600系 300系、260系=600系 350系、500系=700系
これは死んだ者が生き返ったのと同じです。その理由は不明です知っていれば教えてください
お願い致します
俺の知り合いで、二月に岐阜から京都に遊びに来てた東ちづるといとうあさこを足してAで割ったようなお姉ちゃんが、
京阪電車に乗っていて、新塗装は品が無いしダサイって言ってた。
俺もそれは、激しく同意やった。
>>230
浅井家は滅亡したけど血筋は市や江(と旦那)を通じて現代まで残っている
織田家の嫡流は滅亡したけど7男の血筋がスケート選手まで繋がっている
そう考えるとおかしくはない。
2000系→2600系 300形、260形→600形 350形、500形→700形であって=や←ではないし
阪堺モ600形もモ121形のパーツ使ってるし
前の京福電車福井にも戸籍上は明治か大正のとんでもなく古い車両を改造したという名目で
実際は昭和30年代の大手私鉄のお古だったりとか
教えて頂きありがとうございます。参考になりました
2000系は車体を冷房化して元の台車を使用して2600系に変身
300系 260系は車体を冷房化の上 台車機器を新製の上600型に変身
350系 500系も同様にして700系に変身
実質他の鉄道では改造扱い
でも京阪では不思議なことに旧車を改造扱いにせず廃車扱いにしている。
ともあれ京阪のように車体活用は本来 日本の鉄道車両の使い方であるべき姿
他の某鉄道会社のように10数年使用で全て廃車解体してステンレス、鉄、
アルミクズするよりは最も地球環境に優しい。
他の鉄道会社も京阪電鉄を見習って欲しいです。
大津線、がんばってます。
ビールde電車もよろしく〜。
石山坂・本線かと思っていた。
俺が関西に一人旅で第一歩をしるした京阪膳所の
日付丸ゴム印の軟券はどこにしまってあるだろうか…
>>238
吊り掛け=阪堺で、京津線は路面電車にしては中途半端で
趣味の対象からは外れていると思い込んでいたことがあったが
80形に乗って、あの走りと轟音で 惚 れ た 。
それからは80形のファンになり、滋賀から大阪まで出る時にわざわざ京阪を利用するまでして
廃止当日まで乗りに行った。 80形ではブレーキ時にもツリカケ音が聞けたな。
写真は失敗したが、音をナマ録してあった。
1300系は何故、保存されなかったんだ?
俺は大好きだったんだが…
私は1300系乗った事はないが、京阪の1700形、1300形、
600形の走行音、カセットテープで聞いたことあるけれど、走行音は至って静かな重低音で他社のように爆音や粘りの音はしない。
又1700型は吊り掛けとカルダン車の相の子と言う感じの音で
吊り掛けとは違う気がした。
260形に1回乗ったことがあるけれど 吊り掛けの音は無音電車と言う位小さい。全般に京阪は東洋製のモーターだから電車の走行音は静か。
ただテープで600系の空転音や滑走音を聞いてしまった。
ただ残念なのが600系が1500V昇圧で車体が若いのに大半が解体されてしまった点、1300系や1700系の機器を取り付けて4・5連化して交野・宇治線専用で吊り掛けのまま使っていれば良かったと思いました。
100型貨車が1800型の車体と1700型の台車機器を使って
昇圧改造をしているのだから、600系を改造出来たはず。
もし実現していたら平成の世まで京阪の本線であの静かな
吊り掛けの音を聞けた・・
>>236
馬鹿な野郎だな(笑)
「いしやまさか・本線」だって(笑)
「いしやまさかもとせん」が正解だよ。
どうせ、お前みたいな馬鹿な奴は、近鉄の田原本線も「たわら・ほんせん」などと言ってるんだろ?
もっと地理の勉強しろ!
たわけが!
それでも日本人か! >>242
600系は軽量化を重視し過ぎた設計が裏目に出たね。
クーラーを搭載するだけの強度がなかったのが致命的。
その点を反省して設計されたのが700系。今の1000系。 >>242
260にかなりお世話になりました。
浜大津から京都三条に行く場合、逢坂山トンネル前の急カーブで速度を落として
そこからトンネル内の急こう配を走るので爆音が楽しめました。
坂を登るモーター音と独特のタイフォンの組み合わせが良かったですね。 パソコンの上に、京阪の昔の制帽を飾ってあります。
ダークグリーンで渋いです。
すみません、260形のことが訊きたくて来ましたが
偶然話題が出ていてびっくりしてます
最終日のお別れ運転で260形が三条まで顔を出していましたけど、
それまで毎日の通常運用ではかなり長い間出てませんよね?
通常運用としてはいつから三条駅まで走らなくなったんですか?
それとは別に、ダイヤが乱れたり突発イレギュラーで三条まで
走ったことはあったのですか?あったとしたら珍しさはどのくらいの
感じですか?
ググったんですけどよくわからず「260は平成になって以降三条で見てない」
みたいな記述くらいしかわからなかったので、ご教示下さい。
>>249
資料なしで分かる範囲だけですが…
>通常運用としてはいつから三条駅まで走らなくなったんですか
600と700の数が揃った頃ではないかと。260、350は朝のいっさか線だけになってたと思います。
>ダイヤが乱れたり突発イレギュラーで三条まで走ったことはあったのですか?
あったとしたら珍しさはどのくらいの感じですか?
偶然見かけて驚いたことはあります。平成9〜10年頃、冷房付準急車両が故障(事故?)と検査で2本欠けた夕方でした。
80の準急運用よりはあり得る運用でした。 大津線で車が接近してくるとき鳴らすファーンファーンと音のする電子ホーンあれはいつ頃からあったの?教えてください
>>248
米軍の制帽の様な、庇も顎紐もダークグリーンのおしゃれな帽子ですね。
メッシュのも持ってますが、色は冬用の方が良いですね。
>>251
あの音を聞くと京都に来たなって感じがしますね。
京津線だった頃、夕暮れ迫る国道をあのファンて音をさせて走るのが良かったです。
中学生の頃、錦織車庫を見学させて貰った。大きな260系のモーターに対して80系の小さなモーターに友人と二人びっくりした。そこで600系の計画を聞きかなり興奮した、懐かしいな。
>>251
>>252
え?電笛って「ボォォォォォン」じゃないの?
三井寺の鐘の音を模した、とも言われていると聞いたが確証が無いし、
いつから使っているのかも知らない
あれ車に付けたいわー 大津線の電笛 奈良の鹿の鳴き声に似ていません。
もしかしたら推定では500系が登場した時昭和55年頃あの電笛あったかも?
因みに発車メロディの日本初は京阪電車みたいですし 発車ベルの電子音化は
近鉄が日本で最初
軽く踏むと「ボヮァァァン」
さらに踏むと「ファァァン」
だったと思う。電気とエアの二段構えかと。
>>254 京都市電廃止時にあのボワァーンはあったよ >>250
さっそくありがとう!よくわかりました。お詳しいですね あの電笛、音色的にもそんなに古くからあったとは思えない
自分の印象では昭和末期以降だと思うんだが・・
鳴らす仕組は256で合ってる
最終日の動画見てたけど電笛しか鳴ってない
いかにも電車らしい大きな空笛の
「プワァァァァーーーーーン」が聴きたかったんだが
京津線に初めて出会ったのは今から40年前ですが、その時にはバォンと言う
音をさせて走ってました。
その時はまだ特急色の260が四宮にはいましたね。
石山寺から三条までの直通が無くなったのっていつごろなんですか?
急こう配急曲線と言えば箱根登山と相場が決まってるらしいですが
廃止になる前の京津線も相当凄かったし、神鉄よりも厳しい条件下で
走っていたって聞きます。
神鉄は勾配は確かにきついですが、曲線はそんな凄いのは無いでしょう。
インクラインも落差を利用して船を上げ下げしてたそうで、京津線が如何に
きつい処を走っていたか解りますね。
800系でも電笛音が引き継がれてるのはうれしいな。
今も浜大津近辺で聞けるし。
>>260
昭和56年頃だったかと。
最終日の260に「急行 石山寺」の標識付けようとした鉄ちゃんがいたが、
さすがにまずいと制止されたと
風の噂に聞いています(笑) >>263
あ、それ、もしかしたら俺の親父かもしれん…
>>263
ありがとうございます。
なるほどです・・・
京津線は260と80が似合ってましたね。
逢坂山トンネルに入る前のブレーキ音とその後勾配を登るモーター音は
未だに覚えています。 >>261
神鉄の最急勾配は50パーミル。
京津線の廃止区間には66.7パーミルがあった。
京津線の現存区間では61パーミルが最高。 もう少しルート選定に気を使っていれば
京津間でJRに対抗できていたかも。
冬になると鴨川にカモメだけが騒ぐ。
そのほとりに京阪電車・・・・思い出しますねえ。
ホントだね。
鴨川べりを走る京阪電車のあの風情は最高だった。
そして、三条で京津線に乗り換えて三条通りをゴロゴロ走る80形または260形の吊掛音を楽しむのが最高だったなぁ。
鴨川べりの区間で言うと五条駅が一番好きだったな。
五条通りとのクロッシングにあった踏切信号・・・
懐かしいよ。
↑それは四条通りと違うか?
ジリジリジリーンとベルが鳴って警手のオッサンが出て来る。
五条通りは遮断機で踏切信号は無かったはず・・・。
↑あ、五条通には踏切信号あったわ・・・。
自動車を踏切で一旦停止をさせずに通過させるための信号が。
>>269
youtubeに京津線の三条―御陵間の動画あります。
雨の浜大津―四宮(今の車両じゃなく)があると最高なんだけれど・・・
やっぱり逢坂山トンネルが良いですねえ。 1900系が冷房化されることなく格下げされた最大の原因は、
75kwのモーターでは冷房化後の重量増に対応できなかったから?
実際に冷房化されたのは、昇圧準備に伴う絶縁強化→昇圧によって
108kwに出力アップされてからだし。
大津線独特の警笛音は、
>>278氏の表現が一番近いかな? 逢坂山トンネル内でも警笛鳴らしてましたよね?
吊り掛けモーターのうなる音と警笛を思い出します。
やっぱりあの区間は260でないとね。
大津線の電笛は、あのゲンコツ(Σ)形のデザインで有名な北総7000も付けてた。
>>282 北総の7000ってデザイン(特に灯具とか内装)がどことなく関西的だったよな。
新車のときは、ウン十年後琴電あたり嫁いで関西勢ときっとこの電車を競演すんだろうな思ったのだが、
現実は、予想外に名古屋市や京王車が・・・。 旧塗装残り6編成
8531F、2605-2813、2453F、2456F、1501F、1506F
>>285
大津線を除く
て、大津線も変な色のばっかりで原色は少ないんだろか? >>287
けいおん!ラッピングで苦情の嵐を受けてから、以降フルラッピングは
やらないとの意向。
実質ガンダムAGEラッピングが最後だが、パト電は特例かと思われる。
一時15編成中11編成がラッピングと狂気に感じられた時もあったが、現在
はノーマル京阪カラーのほうが多くなってる。 大津線って京阪本体から分社化されるって言われてるけどなかなか実現しないな
2600系の7連オール旧塗装消滅。
オール旧塗装残り5編成
8531F、2453F、2456F、1501F、1506F
天満橋の辺りで生まれたので京阪電車を毎日見て育った。
今は東京に住んでいるので、京阪電車に乗るのは久しぶりだったが、
個人的には新塗装は今一だなぁ。
天満橋の配線がガラッと変わっているのにも戸惑った。
寝屋川市出身Puffyの吉村由美曰わく「地元の電車の色がイモやった」旨のことを宣っていたとか。
まさか新カラーリング化は吉村由美に言われて京阪本社がショック受けた結果だったりw
ところで吉村由美って寝屋川市出身とはいってもどの辺りだろうか?
もし寝屋川市東部ならむしろ学研都市線になるけど当時の学研都市線の主力の103なら確かにイモ臭い電車だが。
新塗色がいまいちと思ってるのは俺だけじゃなくてよかったよ。
京阪の新塗装、南海の現塗装よりはよっぽどマシだな。
昭和50年代中頃あたりだったかと思いますが、三条駅構内の一角に、
京阪バスの定期観光バスのコースや時刻表が記された、今で言うところのトレカのような厚紙で出来たカードが無料で出て来る機械があったのを覚えている方いますか?
カードは何種類かあり、カードの見本の下のボタンを押すとカードが出て来ました。
カードの現物が手元にないのが残念ですが…
地上時代の三条は構内放送用のスピーカーが学校の教室にあるようなタイプだったな。
各ホームにぶら下がっていた。
石山阪本線もこのタイプ
近鉄各駅は未だにコレ使っている。
TOAくらいしか製作してないんじゃないか?
個人的には80系が好きだった。
他社に譲渡される話もあったみたいだけど、結局廃車。
>>305
80形な。
ありゃ惚れるよ。
路面電車・京阪電車のファンであれを嫌いな奴を見たことが無い 80はメカ変態の京阪の真骨頂。
いまの800にも、そのDNAはしっかり受け継がれているようで。
>>288
けいおん!ラッピンク車両で何かクレームでもあったんですか?
詳細プリーズ。
話変わるけど、2600系の装着してる台車の中に、シンドラー式台車ってあるけど
あれは一体何? >>305-
ポール時代がカッコすぎる
窓があくから、前面正面窓がアールがついたHゴムじゃなくて
四隅が立ったサッシ窓で精悍なお顔なのもいい
末期に前面窓下にCIを入れたのが唯一残念。
>>288
けいおん!の何がまずかったんだろ?
ヲタ達の行動が一般客にとって見苦しかったとか?
あるいは「電車の色が違うから普通か準急か分からん!」って言われたとか?
扉の位置と塗色で区別する乗客が多かったため80形の準急運用は極力避けていたというのは80形在りし日の実話。
80形はあの加速、電気ブレーキの爆音が堪らなかったなあ 80系で御陵から日の岡、九条山のこう配区間を走るのが最高に好きでした。
モーターうなりっ放しでね。
三条が地上駅だった頃はちょうど今頃って北山が近くに見えて、風も冷たくなって
旅情掻き立てるモノがありました。
阪急や近鉄に比べて、なぜか京阪って旅情を感じさせる電車でした。
今はそれほどでもないけど。
鉄道ピクトリアルの増刊号でアーカイブスセレクション 京阪1950〜70が2月下旬に発売
関西初か。でも以前の様に大手私鉄は増刊号扱いにすべき。
>>300
同じ時代の南海難波駅にも堺の観光名所のトレカ風カード発行機があったよ
どこかの自販機メーカーが新たなサービス展開を考えて試作したんじゃないかい
>>313
つーか増刊号の企画力やネタが枯渇したんだな
最近の復刻やリバイバルブームって
日本人の才能やアイデアの枯渇を感じさせるわ 1501Fに続き2453Fが入場。
残る旧塗装は、8531F、1506F、2456F、2605-2823の京都方3両、2609-2825の京都方5両。
>>300
覚えてますよ。当時、子供だった自分は、むやみやたらにボタンを押していて駅員さんから注意された覚えがあります。地上時代の三条駅はなにかと魅力的でしたね。改札内に土産物屋や、喫茶店が並んでいたり、2番線から3番線に渡る為の遮断機付き踏切りがあったりしましたね。 ウム、とかカタカナで書くじじいって
年70代? 90代かも
1650は1300以外にも600と編成組んでたことあったからだろ?
1506も入場、2605以下3両は切り離されて休車に。
旧塗装車が含まれている5連2本も今は失業中。
これで現時点で定期運用に入っている旧塗装は2456のみに。
いよいよ残り1本になったか…
紅葉と新緑のイメージの京阪旧塗色は美しかった。
いつの日か8000系と6000系でリバイバルを願いたい。
何か改革性を出そうと目先の目新しさに流された結果、
長年にわたる優れた伝統色で既に沿線の都市景観の一部にまでなっていた塗色に手をつけ
失敗してしまっている。願わくば早いうちに失敗に気づいて日航の鶴丸のように
再び甦ってほしいと切に願う
その時は新3000系をマンダリンオレンジ&カーマインレッドのツートンで!
>>339
南海よりはマシ。
阪神は、あの「敵性色」の色味をもっと赤寄りに振ればねぇ。
叡電きららの赤いのみたいな感じに。 >>342
>「敵性色」の色味をもっと赤寄りに振ればねぇ。
そうなると今度は“カープ号かよwww”って突っ込まれるだけだろうね カープは植民地であって敵ではないからw
それと、下半分を純白にしないとカープらしくならないよ多分。
長年の伝統色に敬意を表して1編成だけ残すとかいう懐はないものかねえ。。
忘れた頃どころか忘れる前に1本ぐらいリバイバルするんじゃない?
大津線の特急色は30年も前になるけど
>>339
京阪の塗装デザイン変更の動機はPuffyの吉村由美が京阪電車の色はイモだと宣って、それが京阪を刺激してしまったという噂があるけどマジ? 最後の旧塗装2456入場したね。
その隣で旧3000系が解体作業中。
ひとつの時代が終わったなぁ…と実感。
新奇を衒ったんだろうが
スカみたいだよね新色って。
格下と比較した時点でそれ以下なんだってばっちゃが言ってた
旧3000系の運転台の窓の中に花が敷き詰められ寝屋川工場の門が閉まる場面。
なんかまるで火葬場。
さようならテレビカーありがとう旧3000系特急車のDVDを買いなされ。
>>358
次に門扉を開けると骨組みだけの構体が引き出されるのか? 一度骨組みだけの構体になった2000系(現2600系0番台)はゾンビだな。
くらしのなかの京阪6月号にて、京阪線全列車の新塗装化完了が宣言されました。
ついに夏貸し板にふさわしいスレタイになっちまったか。
いや、まだ大津線がある。
8000系と6000系で1編成ずつでいいからリバイバル塗装してくれないかな?
何年先になるだろう?
今年度から6000系の更新も始まるんだよな。
デビュー決定の新聞記事の写真の前面傾斜がきつかったのが懐かしいな
すると原型の6000もいずれは懐かしくなるということか
1983年3月に宇治線で4連でデビュー? >6000
6000系で京阪は変わったな。
あのイラストが出た時は度肝を抜かれたが、実車を見て更に度肝を抜かれたw
確か同じ年に現JR京都・神戸線に201系がデビューしたと記憶している。
京阪と国鉄へよく新車の香りを嗅ぎに行ったものだw
>>375
1日目と2日目は日中各停で淀屋橋〜萱島折り返しだった。
3日目から各停で淀屋橋〜三条を走った。 6000系デビュー時は、発車促進サイン音・ドア開扉予告アナウンスに、
ブレーキ緩解音が新鮮でカッコ良かった。
京津線の260形や300形の前面扉、あれは必要性あったのか?
路面電車サイズで、前面扉ついているのって、他に名鉄のモ600位しか思い浮かばない。
非常口としての意義しかないように思えるのだが?
行き先書いた板は窓を開けて取り替えていたんだっけ?
>>382
260型は初期車は両運転台だったので、連結運転の際は幌を繋ぐ必要があった。
300型はタネ車の機器が違うので形式が分けられただけで、実質同じ車両。 >>383
その通りです。
本線2600系の二段窓もその名残。 あの車掌台側の2段窓の下段を開けて、標識板を付け変えようといざ板を持ち上げた時に、
いきなり手が痺れたり痛くなったりして持ってた標識板を落とした…
なんてコトはなかったんだろうか??
そりゃあ当時を知ってる人に聞けばないこともないんじゃない?
80形の低床ステップを間違って御陵駅で展開してしまって高床ホームに食い込んで動かせなくなって
乗客に車体を揺さぶってもらって外したなんて逸話もあるような時代だったんだし
382です。
260形初期、ポール集電、単行運転の写真見た。
当初から二両連結と思ってたもので…
2代目600系が冷房搭載できる程度の車体強度だったら今頃どうなってただろうか
2600系と同じ機器積んで1600系とかになってたかな?
しかし元700系781と799だった690と691は勿体無かったなあ
ところでこの2両のうち690の写真はあるんだが691の写真ってあちこち調べても1枚も無いね
唯一の近畿車輛製だったKSR-12台車ってどんなだったんだろ
パパの鉄道写真のとこの台車写真は690号車ってなってたから日本車輌NS-18の間違いだろうし
文字情報じゃどいつもボールドウィンのデッドコピーっていうので見た目は大差無いと思うが・・・
>>391
昇圧後に実施した樟葉8両化は2200系の新車でなく、600系中間車の冷房改造の
上で1000系編入だったのは間違いないだろうね。
もしかすると2630系はなくて、600系を1000系改造で追加したかも? 冷房積める強度があったらの話だが
600系はあの時点でも車体少々だがヤレ出てきてたので
全然傷んでなかったから車体修繕せずに流用された1000系にはならずに
2000系→2600系と同じくもうちょっと車齢20年まで引っ張って
更新適齢期&ちょうどいい傷み具合になってから
徹底的な修繕補強加えられて改造されたと思う
そうなってたら2630は存在しなくて6000系の新造数も2、3本減ってたかも
KSR-12って釣り合い梁が材質バラバラの鋼材寄せ集めでリベット留めってあぶねー台車だったんだな
600系の引退時期があと5年早ければコトデンあたりで90年代半ばまで走ってたかも。
>>393
そして2000〜2008年頃に1900系と共に引退でしょうかね。
そうしたら10000系or3000系の新造数が増えていたか、
2600系の廃車が少し遅くなっていたかも。 >>395
コトデンには台車1両分(ST)が行ったんだよなあ。
しかもオイルダンパ外して、板バネに戻すとか結構大掛かりな手を加えられて。 8000は半端。
でもおかげで他の地で3000が見られるようになることにつながった。
本線昇圧は結局昭和58年暮れまで持ち込まれたわけだが、もしもっと早く
(昭和40年代後半〜昭和50年代前半)に実施されたらどうなってたんだろうか?
もしかすると改造が七面倒臭い2000系は淘汰される傍らで、つりかけながら
600・700系あたりは昇圧改造の上で残ってたかもw。ついでに昇圧即応車、
ってことで2400系のクーラーを5000系同等のものにした2410系
(若しくは2600系?)なんてのが大量にできてたり。
複々線の完成後でないと昇圧しても輸送力増強にならないからムダ
だからその前提がありえない
7両より増結できないから昇圧したかったが、
昇圧できなかったので複々線の延伸を選択していた
昇圧が先なら、もっと早く8連化が進められただろうし、
樟葉以西では10連化も行われていたかも
その場合、5000系は登場しなかっただろうが
神宮丸太町とか清水五条なんてもはや誇大広告詐欺的レベル
近鉄や阪急阪神飲食店メニュー表示の方がマシ
京阪って昔からそんな駅名多いよな
石清水八幡宮前(下だろ)とか
蒲生を京橋に改称とか
新京阪の天神橋とか
キッズプラザ大阪の中には緑の濃淡の京阪電車が健在。
このハリボテ、どうやって作ったんだろな…ライトとかのパーツは実物を使ってる感じだけど。
>>405
本物を寝屋川工場で改造したよ。
ニュースで改造から輸送、設置までの様子が放送されてた。 >>406
レスサンクス。
ということは、前頭部分は実物そのものなんだ。
今度巻尺持っていこw 大阪城ホールで恒例の“1万人の第九”が今日あったんだが、このニュースを
見ると本線昇圧実施(1983年12月4日)を思い出すな
(その日まで4両編成だった6000系が一気に通常の7両編成になって、急行や
準急でバンバン使い出してたのが印象的だったな)
>>408
そういや今日で昇圧されて30年になるんだな。
昇圧後淀車庫に大量に留置されていた600系がたまに見る度に減っていくのが悲しかった。 タイムスリップが可能なら、1977年頃の京阪線を体験したいな。
今では全て失われた風景だし。
600系と1300系は全車健在、
700系と1000系が束の間の共存中、
1700系と1800系も全車健在、
1900系は昇圧準備工事前で格下げの原型状態、
スーパーカー2000系も全車健在。
複々線は萱島延伸工事真っ只中、
枚方市駅は高架工事前で三越の大食堂も健在、
深草車庫も健在、
京都市内地下線も工事前、
三条駅は京津線を含めると6番線まで健在。
>>410
当時萱島〜大和田の一区間だけど毎週のように乗ってたな。
1300だけ乗った記憶はないし、1700・1800・1900は十把ひとからげな記憶
だが、何か600より古臭い雰囲気が漂ってたな。
ただ一度だけ、どういう加減かで普通に入って乗れた旧3000系が
インパクト強かったw 最末期の500系には、交野線で乗ったかもしれない。
やたら運転室がオープンだった車両に乗った記憶が妙に残っている。
1300を1両保存して欲しかったな。
木の内装や運転室のポール仕切りが懐かしい。
京阪は、車両を綺麗に長く使うことには長けているけど、
保存に関しては、ほんと淡白だもんなぁ。
公式に保存されているのは60形だけ、という有様だし。
>>417=懐かし板にも降臨したこんぷのひらこんwww 昔、特急に緑色の車両が来たらその一般車の特急はわざわさ見送って黄、赤の特急来るの待ってたというエピソードがあるって本当?
>>420
正月なんかに一般車が使用された時は当たり前のようにあった光景 最新型(当時)の7000系なら文句もないでしょ。いまなら13021になるのか。最新型なら誰も文句言わんでしょ。
一般客は一般車両の特急はガッカリだったがファン的にはラッキーだった。
特急車は予備車が少なかったから頻繁にあったかも。
大昔は一般車両の特急にもヘッドマークがあったようだね。
9000系自体8000系の予備車の意味合いあったし8000系の後継は3扉車両は予想通りだった。
新3000系は8000系の後継だからもう2扉は作らないかも。
九州の西鉄も8000系の代走は一般車両か最近は3000系が多いから2扉の特急はもう出ないかもね。
一般車も昔の色に戻して欲しい。
似合わないのも然りだが、折角綺麗に塗装しても今の色は外板の歪み目立つ。
>>423
じゃあ構造上3扉が無理のダブルデッカーを取りやめるってことだな
悪いが、京阪には特急車のシンボルであるダブルデッカー車をやめる気はないだろうから
次期特急車もダブルデッカーをやめない限りは2扉で行くだろうな 昔の観光バスみたいにセミダブルデッカーじゃダメか?
空調機能を損ねるだけで全くメリットないだろうが・・・
ダブルデッカーのドーム部分は往年の近鉄10000系(初代ビスタ)のドームを彷彿させる。
時期テレビカーはシートテレビ装備でテレビカー復活。
タブレット端末が普及した昨今では望み薄だろうな…。
今後6000系が13000系並みにリニューアルされて、それで旧塗装リバイバルされたら…
複雑な心境間違い無しだろうな。
次期特急車は3000や13000みたいな顔で鳩マーク付くのかな?
大井川鐵道に譲渡された3000系はスカートが外されてたけど、
外す理由があったの?
りんごうクブラ無配バンクレテナア宅備読流ラーメン
りんごうクブラ無配バンクレテナア宅備読流ラーメン
りんごうクブラ無配バンクレテナア宅備読流ラーメン
横浜駐車近代らーめん
神戸市の東、芦屋西宮の知的障害者施設で未成年利用者に性的な行為をして淫行条例で逮捕された三田谷学園元職員の堂垣直人(西宮市老松町)は、結局どういう罪になったの?
被害者家族のケアを芦屋市役所と兵庫県警はちゃんとやったのか?
差別や虐待は環境を選べない子供には関係ない。
&sns=em 2200より十年近く新しい3000が早くに大井川に譲渡されその大井川で廃車が出るのって・・・。
>>436
電車はやっぱ保守なんだよなあ。
1900なんて、最後までピカピカだったし。
その点、大井川鉄道は、SSEやしらさぎ号を駄目にしちゃった実績があるしなあ。
まあ、経費の問題なんだろうけど。 大阪医科大学と高槻高等学校のゆかり
学校法人大阪医科大学(旧財団法人大阪高等医学専門学校)と学校法人高槻
高等学校(旧財団法人高槻中学校)は、設立以来の歴史を紐解くと、深い絆に
結ばれてきた関係にあることが明らかです。
旧財団法人大阪高等医学専門学校は、昭和2年に吉津氏、太田氏、松島氏を
中心に有田、藤堂の諸氏及び京阪電気鉄道株式会社、新京阪電気鉄道株式会
社、地元有力者の支援を受けて、医師の養成により国内の医療の充実と医学の
進歩を図ることを目的に設立されました。
その後、旧財団法人大阪高等医学専門学校の第二代理事長であった藤堂氏
は、昭和15年に有田、坂野、佐竹の諸氏と相諮り、京阪電気鉄道株式会社、地
元有力者の支援を得て、将来の我が国を支える優秀な人材を育成することを目
的として、旧財団法人高槻中学校を設立し、旧財団法人大阪高等医学専門学校
もその際に土地4,000坪を寄付し、学校運営に必要な人的支援を行うなど
の協力を行いました。このような創立時のゆかりにとどまらず、戦後も学校法
人となった大阪医科大学は、様々な局面において、学校法人高槻高等学校に役
員を派遣するなど、学校運営に協力をしてきました。
昇圧に伴う車両不足に即応するために生まれた新1800系のその後の儚い運命には
地味な美しさを感じる。たとえば支線でもう少し長生きさせてあげたかった…
鉄道コレクションの600系と700系が今から楽しみ。
600系の中でも前照灯1灯で戸袋窓付の630がいいなあ
昭和55年に線路に石を置き京阪電車を脱線させた犯人 鈴木英一 初田忠司 木村真束 小網健市 森山進 小村基です
大阪勤務のとき枚方に住んでいた俺には、
特急(3000系)は憎悪の対象。
ラッシュのときの5000系も嫌だったなあ。
ノンストップ時代の特急と急行の格差って
車両、所要時間、停車駅数全てにおいて
えげつなかったもんなぁ〜。
確か、上下とも樟葉で特急が急行を通過追い抜きしていたような。
あそこで緩急接続していればなあ、といつも思っていたよ。
淀屋橋の出発音がモーツアルトだった時代が懐かしい。
>>448
三条から急行に乗っていて、あと一駅で枚方市で乗り換え!
というところでの特急退避は、結構ガクッときたもんだ。
特に冬場は、しんどかった。
樟葉は、川沿いで風を遮る物がなかったから、
車内に寒風が容赦なく入ってきてねぇ。 >>449 同意、あと樟葉(急行が待避する駅)か丹波橋に特急を止めてほしいって思っていた。
丹波橋停車になったのは、俺が京阪沿線外に引っ越した後だったw 南海が昔の塗装を復刻することだし、京阪もって、
復刻する大義名分がないか
そりゃ緑が消えてまだそんなに経っていないからだろ?
>>454
三井住友銀行がクレームをつけてくるとか 復刻するぐらいなら、そもそも色を変えるなという話
登場時の塗装が一番似合うのは、どの車両も共通
>>459
10000系のエメラルドグリーンはどうもな うむ。
やはり旧塗色の方が良いか
みんなと意見が同じで安心したw
石坂が頑なに旧塗装なのは、まるで養老みたいだな
養老は旧塗装→新塗装→旧塗装だけど
あと、最後まで旧塗装だった南海1521とか東武2000とか
子供の頃、天満橋辺りに住んでいたが、当時は1〜3両編成の電車も走っていた。
あと、特急色だけど特急以外の電車とか・・・。
OMMビルができる前で、旧天満橋のホームも地上に残っていた。
まだ片町駅があった時代の話です。
守口車庫〜天満橋の回送ならあったんじゃね?
両運転台の特急車とか。
>>464
あのビルの壁面にあったベスロンのネオンサイン
初めて目にした時の衝撃は忘れられない >>451
三条行き普通が樟葉で特急通過待ちしていた時代、
一時期、2番線到着後乗降が済んだら扉を閉めて、
特急が通過して出発信号が黄色になってから再び扉を開けて車内を保温していたことがあった。
3番線で特急通過待ちをする上り急行はやっていなかった。 >>469
× 上り急行 → ○ 下り急行
失礼しました 京阪は何故 かなり後年まで(スパーカー2000や 看板特急のテレビカー 1900まで)ガイコツ標識灯止めなかったの?
・・・個人的には、新世代高性能車(当時としては)に古典的なガイコツ標識は大好きだったけど・・・
そういえば1980年代前半ごろ、京阪の駅や電車の中に掲出されていた
「禁じられた遊び リバイバルは見たくない」のポスター、
1994年か1995年ごろのなるほどザワールドの番組と関係のないのを当てるクイズに出てきたよな
(京阪の「禁じられた遊び」の他に、都営地下鉄の「閉まりかけたら赤信号」、営団地下鉄(現在の東京メトロ)の「捨てないで」のポスターも登場していた。
なお正解発表時のテロップ表示は「鉄道のマナーポスター」だった)
(マイナスタクシーサービス不足)(アエロ沖縄空港ドナルド凍結バイト)
(河北なぜ大阪人ヘアカラ福祉バンクドーハの悲劇ビジネス
(ゆとり不動産取締王過払いポイント著名店員廃炉舞台監督カクテルナイト 宇治発深草行きの最終日に乗りに出掛けたのは約30年前かな深草で写真を撮ってたのはたぶん俺だけだった。三連特急の最終日も厨房時代に三条から四条だけ乗りに行ったな。
ブゥ〜♪ 「電車が近づいてまいりました、黄色い線までお下がりください」
>>490
残念2600系4連だった。写真が見つからないけど方向幕を撮った思い出がある。 >>494
宇治行きで良く乗った、特急に追われつつ丹波橋で追い抜いた淀屋橋行きの普通を中書島で接続待ちするんだな、当時こうこう 通称 宇治急
夕方 三条発 宇治行き急行(主に1300系吊掛車)
特急に追われながら深草で普通を抜き
丹波橋で特急に抜かれ 中書島で深草で抜いた淀屋橋行き普通を待ち
宇治線は各停で・・・
深草〜墨染は100キロぐらい出してたよ
今はスピード制限がかかっている墨染北側の疎水の橋梁 車体を揺らしながら疾走していた
昼間の時間帯には丹波橋ダッシュが定番の風景だった1990年代。
乗客を何かと急がせるようにダイヤが組んであったんだよな。
近鉄の急行京都行きが到着。
→大量の乗客が京阪の乗り場に向かってダッシュ。
→勝者は出町柳行きの急行に乗れる。敗者はその急行を待避している三条行きの各停へ。
養老はコスト、入場日数(車両の回転効率)理由でしょ。
>>498
中書島での待ち時間で比叡そばを食べて再び宇治急に乗ったり、四番ホームの中書島発の宇治行きにダッシュで乗るとかやってたな。 宇治行きて先頭車両が三条駅の先端すれすれに止まってなかった?
そうだね 1番線 疎水の上にホームがあって4連がぎりぎりだった
その先は京津線までレールがつながっていたが・・・ いつの日か分断された
疎水の反対側には旅館があって修学旅行生がよく泊まっていた
京津線って、1970年代くらいまでは、
各停は80形オリジナル塗装、
準急は特急色だったよね?
そんで石山坂本線の電車が一般色でさ
でもその頃の写真を見たら
浜大津じゃなくて、東山三条で
特急色と一般色の電車がすれ違ってた
その写真の1970年代って嘘で
準急が段々と一般色になっていった頃の
過渡期の写真だったのかな?
それとも1970年代も石山坂本線の電車が
準急として三条まで来ることがあったの?
>>506
両方正解。
まず中段の塗装の件に付いては1979年の500型投入時に当時から一般色で石山坂本線専用であった350型以外の従来車も塗装共通化で一般色化。
よって準急や当時辛うじてあった京津線内のみ運転に縮小した急行にも一般色の車両を投入していたな。
また石山坂本線の直通準急(1971年に直通列車は急行から新設の準急に変更)は1981年廃止だから本数は少ないながらも設定されていたぞ。 >>509
そうだったのか
詳しいご回答をサンクス
単に当時の俺が、一般色の準急に出会わなかっただけだったのね >465
昭和40年頃まで、1両〜3両は確かにたまに走ってたぞ。
大阪万博のころ
特急は夜10時ぐらいから淀屋橋や三条で6連から3連に分割 それぞれ特急と回送になって走っていた
それと昼の3時ぐらいに2200系の2連や3連が新聞の束を各駅に配達していたよ 新聞配達電車
>>513
京都地下線開通後最初の改正まで走ってたよ。よって、京都地下線開通時点では
深夜の3連特急は存在。初日に三条で切り離ししていたのを見た。 >>517
数年前でも>>20のような無残な状態だったし
富山地鉄では現役だからどうでもいい 訂正
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×営団地下鉄(現在の東京メトロ)の「捨てないで」のポスターも登場していた
○営団地下鉄(現在の東京メトロ)の「捨てないで」「鐘が鳴ってからでは遅すぎます」のポスターも登場していた
京阪電車の車内は昔から独特のにおいがするな。
人によってそれは匂いなのか、それとも臭いなのか分からんが。
(´ ・ω・`) JR西、はもちろん。
近鉄、南海、阪神、阪急、は改造か。
なじぇかお京阪だけは注文くれない…by Ks
>>543
やたらとKを推してた時代があった
同じ頃神鉄がやはりK推しで、新製車の側面にイニシャルロゴをあしらって
もろにカブってたわ 京阪淀付近で、夜中に黄色の電車見たけど
あれ何?
誰にも信じてもらえなくて。。。
京阪淀付近で、夜中に黄色の電車見たけど
あれ何?
誰にも信じてもらえなくて。。。
蒲生信号所の引き込み線で、赤色の電車なら見たことある。
地上時代の四条で踏切警手みたいな係の人に
大谷廟堂までの道を教えてもらった思い出がある
駅員も乗務員もみんな対応良かった
さすが私鉄王国関西だと思った
国鉄があまりにもひどかったから
>>563
四条駅から大谷廟堂?!
そりゃタクシー拾って行けとしか答えようが・・・ 子供の頃、三条から始まり四条〜五条と続いて、次が七条なのが不思議だった。
他に「なんで三条から始まりなんだろ?」とか「なんで七条の次が東福寺なんだろ?」
そういえば1980年代前半に京阪の駅や電車の中に貼られていた
「禁じられた遊び リバイバルは見たくない」のポスターは
ケンタッキーフライドチキンで「京阪禁じられた遊びグラタン」「和風チキン禁じられた遊びサンド」に、
ミスタードーナツで「禁じられた遊びパイ」に、
ロッテリアで「禁じられた遊びえびバーガー」にされちまったよな
>>570
なるほど、似てるけど全然違う所にあるね
自分は、伏見桃山と近鉄の伏見を間違えて往生した経験がある
まあ同一区内だし大した移動ではなかったけどね
個人的には伏見桃山は駅名「大手筋」の方がプレゼンスに有効と思うが 駅が作られなかった六条も可哀想だが
駅はできたが四条七条よりも格下扱いされてた五条もまた哀れだった
特急は通過、急行も長い間停まらなかったっけな
営業運転開始前の8001F
懐かし板に京阪総合みたいなスレないから書くけど、
回数券が磁気化されたのっていつ?
回数券のみ紙の連綴式が残ってた期間、
ちょうど生活圏外の京阪に乗っていた。
平成3〜5年頃かな。専門学校に通うのに京橋天満橋の1区に乗ってた。
回数券客のみ係員通路でダルマ印の日付入鋏を受けて乗る古典的な入出場、
京津線用と思われる穴あけ対応の印刷、強く印象に残ってる
ちょっと先の話だけど、京都競馬場が大改修で2年くらい閉鎖。京阪電車にも影響あるぞ。
守口市〜萱島間が複々線でないころ、追い越し可能な駅はどこだったんですか?
おっちゃんは宇治行きの1300系に良く乗っていたぞ。
当時地方私鉄でも珍しくなっていたが、運転室と客室の境が
扉で無く棒だったのが大手私鉄なのにと仰天した。
>>583
1300系以上に運転席と客室の境がラフだった車両に子供の頃に交野線で乗った記憶が
おぼろげながらにあるんだけど、500型(京津線用じゃない方)以外で当てはまりそうな車両ってある? 小学生低学年の頃は「なんで京都側は三条、四条、五条、七条と『条』で揃えているのに、
大阪の方は京橋、天満橋、北浜、淀屋橋と『橋』で揃えなかったのかな?」とか思っていた。
京阪の四条と片町線の四条畷って他所の地域の人間からしたら紛らわしそう
あと出町柳まで延伸した時、「一条、二条ではないのは何故?」だったな。
地元民ではないからの発想w
京阪特急色って、国鉄修学旅行色や同・新潟地域色と同じく赤と黄色なんだな。
全く同じ赤と黄色ではないんだろうが、ぱっと見は同じというか。
20年くらい前に社用で京阪本社に行ったことがあるが
受付で渡された名札型の入館証が上半分が黄色、下半分が赤の旧3000系京阪特急色で
通された応接のソファは座面が青緑、背もたれがライトグリーンだったのにはこだわりを感じた