試作冷房車?(分散クーラー車)は、601や801非冷房グループとともに
俺的には、新宿線の電車のイメージ
>>1
5000系と9000系抵抗時代、501系(三代目)は遠慮したほうがいいのかな
旧101系が地方譲渡されなかったのはタイミング悪く惜しいね
流鉄に2本だけで廃車だもんな >>3
今スマフォだからID違うけど、関連車種だったら他形式もオーケー >>4
では、早速、クレクレなんでマッタリで
501系(三代目)と、N101系2連東急製登場時は
床下機器、奇数偶数とも主機も補機も一緒と思ってOKなのかな?
各々の限流値設定の違いで力行特性が違うようだけど、主抵抗器配列に影響するかもわからなくて・・・
それと501系(三代目)の運転台も憶えていない。マスコンとブレーキは101系統のもの? 何処かに101系登場前に701系747F?で行われた101系仕様の黄色塗装試験のカラー画像出てない?
交友車の私鉄電車のアルバムの白黒画像以外見たことないのだけど・・・。
現役車がまだある形式のスレをこの板に立てるとはぞっとしない。
ヤング諸君には自重するよう苦言を呈しておく。
101系からは早くに無くなったけど、401や701系が装備してたAK-3コンプレッサーの音が懐かしい
>>7
>101系からは早くに無くなったけど、401や701系が装備してたAK-3コンプレッサーの音が懐かしい
本線系統に最後まで残った175Fや2008年頃に廃車になった283Fは、最後までAK-3を搭載していたんだが。 >>1スレ主を支持する
S58年冷改グループ101F〜の連結器胴受けが湾曲状なのに
3001Fより後発出場の311Fと313Fは何でストレートだったのだろうか
・・・なんて話題は
現役スレでじっくり語り合うのも迷惑とも捉えられるかもしれないよ。 新101系2コテとか床下抵抗器びっしりで潜って整備するのメンド臭そう!
朝ラッシュ終了後 検査入場で(西武にそういう運用があるのか知らないが・・・) MMコンミのバー研とか夏場は最悪だろうな。
新宿線沿線で幼少期〜少年期(80年代)を過ごした俺にとって、
新101系の電連カバーは黄色と決まってるんだー!
101系は池袋線の電車なんだー!
…と言いつつ、2000系8連が定期入場すると新宿線にやってくる
101系も好きだったなー。
旧型もまだまだ健在だった時代701系+411や451辺りの新旧6連がメインだったな
分散型冷房車が来ると子ども心にハズレ感したな
扇風機が古臭く感じた
>分散冷房
扇風機・・・わかるわ。他で斬新なラインデリア採用してたの無かったからね。
だが小坊の頃の知識でも能力が500kcal高く数値的には当時No,1って誇らしさもあった。
101系の頃は断熱が甘いのか、集中式の冷房機下と車端の温度差がはっきり感じられた。
3000系がデビューと同時に練馬に引っ越してきて2000系が入ってきたと同時に引っ越した
江古田で待避してるときにAK3がゴトゴト鳴り出すんだよなー
101系とかの乗務員室に備えてあった 列車種別板に似た(同じように取り付けていた?)
黄色の手歯止め使用中の板 こどもの俺には意味が解らなかった。
日中東長崎とかの留置でも付けていなかったし・・・。
夜間の駅留め置きは?
車両管理所でしか使わなかったの(車両掛員のみ扱い)?
「東長崎展」は101系6+4が昼寝していたので6連をじっくり観察出来た。
だが東長崎といえば701系10連黄色+赤の混結昼寝。何日か連日で見られた。
数日間、赤電になった159Fは単独だけで他といっさい連結しなかったのかね。
不思議か必然か、赤電になっても801系には見えず、
黄色一色でも801系と一緒とは感じないものだったね〜。
101系のモーターは国鉄サウンドだったのに2000系でいきなり東急8000と同じ音になったな…
国鉄サウンドとはその通りかも
低音型ーMT54?高音型ーMT60?
西武の界磁チョッパ車に初乗りの頃の印象はモーターとCPが東急そのものだった。
複巻電動機の特性で起動は東急と同じだが
東急8000系の高速時は西武2000/3000より101系の低音型に近いかな。
T車が+1000とか、6・8両のハイフン車とか、遠出をした身には衝撃だった。
>>5
運転席は新101と同じだったよ。
マスコンは抑速側にカバーが付いて無効になってた。
電圧計は右側の窓上から突き出ていた 雪の降りそうな真冬の季節 天候の悪いととき
新宿線で連結器にビニールのカバー付けていた事があったの?覚えているヒト居る?
・・あれは試行?だったの?
>>19 当時も未だ4両専門運用が残っていたら狭山線閉じ込めじゃね?
701系冷房改造車の最初ヤツや黄色塗装変更車はそうだった。 >>21
そうそう、速度が上がると重低音が加わる 京王井の頭線3000は発進時は違うけど重低音は似ている。
京王3000はTDK800系列だと歯車比変えて 中空軸たわみ継ぎ手式?にすると幻の伊豆急100系初期の独特の唸りになるんですかね? >>23
多謝!501III系がいた頃が西武にとって一番電力喰ってた頃でしょうかね。
低音モーターは80年代後半位からか、中速域での特徴的な唸りがなくなった。
どんな経緯と技術的変化があったのだろう。 >>24
降雪になると全編成装着してた気がする。あれ扇風機カバーに見えたけど違うかな? 1411型と赤い701系601系赤電が思い出があるま。池袋線は1411型351系、新宿線は1411型451系だった。
いい話だけどスレチ。
懐かしの西武線 2両目 へどうぞ
150kw車の話をしようよ。腰にプラ素材の椅子が好き
>>29
新101系は運転室との仕切り窓が高くてさ、小さい頃背が届かなくて前が見えなくて
嫌いだったんだよね。
そして小学校高学年になって、やっと新101系の仕切り窓の向こうが見えるまで背が
伸びたと思ったら…今度は真ん前にぶっとい鼻筋の柱が居座っててやっばり前が
見にくくて…
冬になると西武秩父線が新101系の2連でさ、かぶりつき出来なくて辛かったな…。 額縁の色が二回変わった。
二度目の変更の時には、マタかよと思った。
あげ
池袋線系統が抵抗制御150Kw車の101(301)系列と5000系だけの配置の時代は
結局無かったキがする
>>35 ヒンジ?(アンチクライマーの変形?退化・・・ここまで華奢だと乗り上げ防止の役には立たない)の事か?
奥武蔵とかのヘッドマーク掛けるときのや
ホームで車両整備するときの足場。 5000系と並んで「西武秩父行き専用車両」というイメージを抱いていた。
子供の頃、慶応大鉄研編の「私鉄車両ガイドブック西武鉄道」で、そのような解説を読んだ覚えがあるからだが。
登場したばかりの101系に、原稿締め切り直前になって公開された5000系の解説を急遽入れてたような。
でも、501系や701系でも西武秩父まで行けるのよね・・451系や1411形は西武秩父まで走ったことはないみたいだが。
西武秩父に黄色い電車で行くのが楽しみだったのに
来たのが451系でがっかりしたことがある。清瀬行きが101系で勿体無い。。。
1411は秩父では見たことないな
沿線の人口密度が低い新規開業路線に最新鋭の車両を多数走らせていた、というのが小田急多摩線や東急田園都市線と異なるところだな。
観光路線でもあったからだが。
西武も、拝島線では日中は中古車両ばかり走らせてたか。
観光路線ではないし、昭和40年代当時は小川から先は農村地帯だったから。
>>39
451とか1411、昭和54年の春に滝の枕で撮影済み。
ハイキング急行だが、前面の手摺の左右の間隔が広すぎて、ヘッドマーク無し。 新101系(301系)になっても側面方向幕が取り付けられなかったな。
西武は分割併合運用が少ないし、新宿線の拝島・多摩湖行運用には101系あまり使わないから、なくても良いと考えていたのか?
>>44
当時のうわさの域の話だが、旧101系との併結する車両なので電動幕が困難な事もあり、
その代わりに(ほぼ?)全駅にパタパタ捲り式の行先案内表示が付いた。
駅で布幕方式を採用してた会社もあった気がするが、パタパタめくりは
当時は空港でしか見られなかったような。。。駅設備としては贅沢だったかな。 旧101、新101、5000、
モーターの音、微妙に違うよね。
今の10000は基本的には同じブツなんだろうけど、
旧101とはサウンドがまるで違う。
そのうちローテで新101に旧101のモーターが回ってきたりしたけど
>>45
椎名町〜富士見台間は、練馬以外は種別表示なしの字幕案内だった気がする。 秩父鉄道で中間ドア埋めて2ドアクロスに仕立ててるのを見て、4000系なんか作らなくてもこれで良かったのに・・・などと思った
>>45
主要私鉄にはあったよ。
東武、京成、京急、東急、小田急、京王、相鉄、営団・・・ >>47 互換性&流用使いまわしは西武のお約束では?
西武はどうか知らないけど、T車の輪軸(なんか(下手すりゃコロ軸化後の旧型国電も)
701とかも共用リンクでは?
但し西武の場合リンク部品管理も徹底していてタイヤ厚とかメンテ経年もしっかりして
譲渡の時とか輪軸だけ振り替えたりとかやっでいそうだな。 西武ろくに乗ったことないけど
701と101て実際のところどんくらい
違うのかな
>>52
貴方にとって得意な線があれば、そこの形式に置き換えてたとえてみよっか? 低運101初期車120までだったかな、801の寸法で乗務員室が作ってあったからすごくせまかった。
>>54 初耳!701が、前期、中期、後期と三回仕様変更があったのは知っているけど、
低運101にも最初期車の塗分け、クーラー以外で形の仕様変更があったの?
>>55 低運101の製造本数すら知らないヒトは大人しくしていて下ダサい。 >>56
造り過ぎて-が着いたのは知ってた。質より量の伝統西武だ。 >>52 かつて、通勤で西武新宿線の101に701等乗ってたが、101や2000に比べると701は内装が劣る、他の大手私鉄の同時期の車両に比べるといまいち、という感じがしたな。
6000が出始めるまでの話。 >>58 薄小豆色のデコラ板やエンジ色のシートで醸し出された薄暗い内装の印象の所為では?
内装に関しては初代501とかはソレなり感もあったが、同年代の他車 小田急、京王と相応では?
そういえば西武は701以前では、あまり目立って室内更新とかしてないような・・・ >>54
それは思い出せないな。乗務員扉の次の窓の位置が微妙に違うとか
感覚的な印象で構わないので具体箇所が判るなら教えていただけるかな。
129Fから扉下の靴擦が変わったので、ここが分岐点か。 アゲ
701系もそうだが、101系は室内外ともデザイン性があった。
5000系もE851も意識高い。
261F多摩湖線土砂埋れアゲ
55年大移動でも261Fと259Fは池袋線には一回も配属されなかったかな?
無傷で復帰出来るといいけど
>>66
今の今迄知らんかった‼
55改正といっても261Fは昭和56年?新製で「大移動」は関係無かったね 過去のハナシじゃなくてすまん。
白塗装って多摩川線だけじゃなくて新宿線系統の本線にも波及なの?
定義は、?(ワンマン仕様車とか?)
すっきりして好ましいという意見もあるみたいだけど、
余命短い101系にこの色は、死に化粧みたいで俺はスゴイ嫌だな。
昭和40年代半ばから50年代まで 時代赤電に伍して新しい時代の西武の電車のイメージを創り元気に走っていた101系には、黄色にベージュの塗装が一番
黄色じゃないと元気まで奪われた様な気がする。
質問ばっかついでにアゲ
旧モーターの中速域での妙な音が晩年なくなったのは何故?
ブラシが変わったのかな?
旧モーターには日立と東洋があったが差は見分けられるの?
恐らくそうだけど擬音表記は難しいな
低速時がやや高音で、高速時がMT54のような低音だとするなら
音が変わる間のほんの数秒、甲高いうめき声のような感覚
高速域って程じゃないけど発進時に甲高い音で速度が増すと低い唸りになるのは結構多い
関東ならば
東急8000 8500
西武2000
東武10000 20000
過去に井の頭線3000等
初期の黄色一色、ドア無塗装に登場当時、衝撃を受けた俺が来ましたよ。w
大河ドラマ化なら
小林でもいいけどやっぱり堤か五島だよな
子供の代までやってもよい
康次郎の女性関係は派手だった。下はお手伝いさんから上は華族まで“女”と名のつくものであれば“手当たり次第”だった[21]。
お手伝いさんから女子社員、部下の妻、看護婦、マッサージ師、乗っ取った会社の社長夫人、秘書、別荘管理人、旧華族…社員たちの言葉の端にのぼっただけでもざっとこんな具合である[22]。
このあと始末は部下の仕事だった[23]。愛人の数は有名な女優を含めて、正確な数は誰もわからないし、本人もわからなくなっていた[24]。
子供12人というのは嫡子として認めた数にすぎず、100人を超えるという説もある[24]。葬儀には康次郎そっくりの子どもの手を引いた女性が行列を作ったという[24]。
操夫人の父は倒産した東京土地の社長青山芳三であるが、倒産した東京土地の残務整理のため青山家に通っていた上林国雄によると、堤は零落した青山家の姉妹四人をすべて“愛人化”しようとしたという[26]。
青山家の長女は康次郎の好みからかけ離れていたためあとまわしにされたが、あとの三人は美人ぞろいであった[27]。
康次郎はまず操のすぐ上の姉から手をつけた[27]。本当は操に強く惹きつけられた康次郎だったが、彼女があまりにも手強かったため姉のほうにいってしまった[27]。
そして次が一番下の妹だった[27]。この妹を康次郎が“自分の女”にしたのは、彼が36歳だったのに対して彼女はまだ16歳であった[27]。
何年かのち二人とも相次いで身籠った[28]。上林国雄によると「おわかりでしょう[29]。姉の子が清二さん、妹の子が邦子さんなのです[29]。」という。
全編成、黄色ツートンに戻らないかな。室内の青/白も好みじゃ無い
現役デザイン
1位/N101系、2位/40000系、3位/N2000&9000系、最下位/30000系、論外/20000系
>>77 激しく同意!で旧2000や6000の位置付けは?俺的には3位くらいで好いのだが・・・
それにしても20000恰好悪いな・・・所沢工場閉鎖とコイツの出現は、西武の魅力を低下の功労者だな。 >>78
くだらぬ事に付き合って下さり恐縮デス。
旧2000と6000は好みじゃ無かったが、旧2000はパノラミックウィンドウに骸骨尾灯に銀髭。
廃車で無くなるのも感慨深い。
6000系は今となるとレトロなデザインで、初期先行車のオリジナルなら良いかな。
バカ殿はちょっと下品だよ。だが2形式とも位置付けはNRAよりは上。
因みに4000系は、側面最高も、顔と配色が馴染めなかった。だが意図は感じる。
黄色ツートン+銀髭銀ドアは守りましょう!とは思う。 6000は登場時は少し丸み帯びたのが流行始めてた頃だったからあの角張りは時代遅れに感じたな
>>80
自分はあの角張が気に入っている。営団7000に合わせたかのようにみえてね。 営団7000はあのデザインの元祖が昭和43年に登場したというのが驚きだよなぁ
デザインは今でも古くささを感じない
足回りを取り換えて今でも副都心線、東横線の主力だもんな
尚、西武6000系は・・・営団07系と同世代・・・・
>>82
営団7000(6000)のデザイン、自分は良い意味で古臭いと思うな。
「21世紀」という未来を20世紀に想像して実体化させてしまう発想が20世紀っぽくて。
21世紀の今の電車は未来を描くようなデザインなんぞしていない気がして。
あれが今も池袋線に走っているのは有難味さえ感じる。 >>85 来世紀まで80年近くあるから仕方がないよ・・・
幼少の頃から国電払い下げ車や国電模倣西武流変換のデザイン(2000系くらいまでか)が西武の電車であると心に叩き込まれてきた者としては、
今の西武の電車はもう異次元の乗り物だな。 JR彦根で電車待ってるときに何となく近江の車庫を眺めていたが、
どれが稼働車両でどれが未入籍なのかさっぱり分からん
60さんへ、初期車はフロントガラスのセンターピラーのHゴムの所に鋳造の押金があったのは覚えている。乗務員ドアが、全開出来なくて出入りがつらかったね。靴刷りが真鋳の物だった。
>>87
それ、昔からだよ。車庫全体がスクラップ場だよな、近江鉄道は。 補助金の関係で、年間に改造出来る両数が決まっているだけだよ。
>>91 これが出たときは、コストカット経営の典型だと感じた。
飯能で系統分離、飯能から先の区間内普通はロングシート車2両とし、セミクロスシートの車両とはしない。
大量生産の通勤車をここに回すわけだから、安上がりで済む。 >>91
懐かしいな。
芦ヶ久保のスケートリンクへ遠足に行くガキ共が乗ると、大混雑してたいへんだった。 赤電の時代は細かな仕様変更の度にいちいち形式を変えてたのに(451/551、601/701/801)、
この車両でその原則を崩したのはなんでだろうな?
路車板の車両スレで、新101の正面の色、黒って言い張ってる奴がいてびっくり。
焦げ茶なのに。
まぁ、あれだ。
青でも緑でも「青信号」っていうのと同じさ。
見分け上便宜的に言っているのであって、厳密さを求めていては駄目。
>>94
バラして編成組む時代ではなくなったってのもあるかも。
451 狭幅貫通路(国鉄規格)
551 広幅貫通路
601 中間は密着連結器 亘り板は床面より高い
701 中間は半永久連結器 渡り板は床面と同一
801 補助電源が交流 701までは直流
バラして編成を組めるかどうかを、当時は形式区分時に一つの基準としていたのかも
例えば1411、初代301系、311・371系と、451系なら、バラしても編成を組もうと思えば組めるが、551はCP・MGの整備をしても組めない、とか。 >>98
601をバラして、中間電動車を701に組み込んだ6連があったけど(701F〜713F)、渡り板部分はどうしたの? >>99
確か601の方の床部分をフラットに改造してたと記憶。 >>99
中間の連結器を701と同じものにして、貫通路は作り直した=少し位置を下げた。 >>54 >>60
>801の寸法で乗務員室が作ってあった
1124まで
>乗務員扉の次の窓の位置が微妙に違う
同じ
>感覚的な印象で構わないので具体箇所が判るなら教えて
車体寸法が違う
>扉下の靴擦が変わった
125Fから >>48
椎名町〜富士見台間各駅は、練馬・江古田の下りホーム以外は、1990年代にLED表示器が付くまでは、
「1|○○×× 方面のりば」
という掲示器だけで、種別行先表示器は無し。
中村橋・富士見台は高架化まで無かった。
江古田・練馬のは昭和40年代後半製の幕式表示器で
こんどの電車は
[ ]
ってやつ。
保谷・所沢の下りにもありましたね。
フラップ式はそれらが無かった
石神井公園・大泉学園・ひばりヶ丘、所沢の上り、鷺ノ宮、上石神井、田無、小平などに、
昭和50年代後半に設置された。はず・・・ >>67
261F 昭和55年10月23日入籍
昭和55年3月改正の「大移動」で101が池袋線に集められた後に、池袋線に新製投入されて、
程なく253F〜259Fと共に真っ先に新宿線に転属されたと言う事ですね。
因みに291F〜295Fは原形のまま南入曽に新製配置。 >>79-80
角張った(エッジの効いた)デザインは、銀色だと光の反射に変化が生じ、メリハリのある立体感となって視覚効果に活かされるが、
白く塗ってしまうと乱反射するだけなので、却ってボテッとした重たい感じになってしまう
と個人的な感想。
金属光沢以外の塗装なら、グラデーション効果が期待できる曲線的な造りがいい、
角張ったデザインにするなら銀色塗装、
と209系(特に額縁の造り)を見て思いました。
>初期先行車のオリジナルなら良いかな。 バカ殿はちょっと
>6000は登場時は少し丸み帯びたのが流行始めてた頃だったからあの角張りは >>104 に追加
> >>48 椎名町〜富士見台間は、練馬以外は種別表示なし
練馬も一般のコマは種別表示がありませんでしたね。
休日運転の 急行西武球場前 行きはどの様に表示されているのだろうと、わざわざ見に行ったものです。
フラップ式(パタパタ)の様な、車両の表示に合わせた赤地白抜き文字ではなく、単なる赤文字だったような気がしますが、
忘れてしまいました。
練馬・江古田の下りホームでは、主本線・副本線で共用し、常に先発列車の案内が表示されていましたので、
江古田退避では、追い越し列車通過後、急いで退避列車の案内表示に切り替えていましたが、
あまり使わないコマは隅っこの方に入っていましたので
通 過→
から
←西武球場前
に表示が辿りつかないうちに退避の西武球場前行きが出発してしまい、表示が右往左往(上往下往)しているなんて事もありましたね。
そもそも江古田では、次の列車が退避の時は、その列車が実際に到着して車両の表示を見るまでは、
時刻表を確認しないと次の列車の行き先が分りませんでしたから、ホームの表示器の効果は半減でした。
日中は
今度の電車は
通 過→
ばっか そのタイプの表示機、所沢にもあったけど、
急行飯能行きは単に「飯 能」としか表示してなかったのに
急行西武球場前行きは「急行 西武球場前」とわざわざ急行と明示してあったっけ。
下山口通過だとは知らなかったあの頃(笑)
>>33
額縁の中の色
>>37
車庫で洗滌の時も使っていましたね。
クリンビューを吹きかける時も
>>44
話は少し違うが、
451、411、551、601などの窓ガラス内に付いていた行先表示器を、401、701、801、101の種別表示器に流用すればいいのにといつも思っていた。
特に411→401はそのまま使えばいいじゃんと。 >>108
大泉学園はLED式(初代のやつ)になったら、通勤準急所沢 行きも「通準 所 沢」表示に。
ああ、野球輸送に合わせていつも「通準」表示にするのか、と思ったら保谷は「各停 所 沢」。
ああ、大泉学園までは通過運転して来るから何かの理由で「通準」表示なのね、と思ったら石神井公園では準急は「各停」表示。
う〜ん、当時大泉学園の謎。 >>44 追加
新101・301系も、3000系の種別行先設定器と同じ位置に、設定器を取り付けるようなスペースが用意されていましたね。 >>32
空いている時は靴を脱いで座席の上に上がり摑み棒を摑む >>112
化けましたね
空いている時は靴を脱いで座席の上に上がり掴み棒を掴む >>109
行き先表示器の再利用は401や701,801,101の種別幕として付ける話はあったけど、
赤電から捻出できる数が圧倒的に少ないのと、新規に作ると板よりお金がかかるから、
結局おじゃんになったらしい。まさにお金をセーブ鉄道の面目躍如だねw >>114
実際には複線化に相当金をつぎ込んでいたと思うけどな。
なんかオタって車両にしか目がいかない奴が多いんだよな。(>>114の事じゃなくて一般論として) 元新101の近江鉄道901編成に西川兄貴のヘッドマークが
>>117
古いなw この板で知ってるの何人いるのかな?
西川の兄貴って言ったら、西川のりおだろ。 >>114
401や571の巻き取り器って単に移設したものではなくて新調したものみたいだから、351,501,451,1411,551,601,411のものをすべて合わせると結構な数になりそうだな。
401のはハンドルが斜めになっていたけど、351〜411のは斜めになっていないんだっけ?
あの巻き取り器って、351以後は全車に取り付けたの?
311や371は一切取り付け無し?
1411はどうだったのだろう 西武101/301系
西武101/301系
西武101/301系
ぴっぴろぴっぴろぴっぴろぴっぴっぴい
はばりほはばりほはばりほはっぴっぱー
たたたたーたらー ないないねぇないないねぇないないねぇ
たっ たっ たっ どんでぃんだんどんでぃんだんでぃん
プーリンみたいな味もする
メーローンみたいな味もする
でもこれじゃさびしいね なんだかすこしものたりない
2012年12月9日にあった281F+285F+271Fさよなら運転
145,146のVVVF試験
>>132
現物見た時、とうとう西武も国鉄103系みたいなことするようになったのかと驚愕した
ごちゃまぜ組成 初代501や601は編成ばらされてごちゃ混ぜになってたじゃない。
でもそこそこ規則性あったじゃない
307Fのサハ抜いて145 146なんて、もう検査の都合で玉突き玉突きグチャグチャにしていくぞーって宣言に感じた。
一番規則性を無視していたのは451系か?
組成変更・改番・電装・電装解除が激しすぎてわけわかめ。
三岐クハ1852とその種車の西武クハ1782
1997年2月多摩湖線本町信号場701系781Fと801系809F