老朽化と酷使のため甚だしく劣化した木造車を
保安度向上と保守費低減をはかるべく整備改良した
鋼体化車両について語り合いましょう。
木造時代を忠実に再現してくれた養老→近鉄モニ5001に敬礼!
最初の2両だけ。
3両目からは製作容易な箱型車体になってしまいました。
自民には不祥事ばかり起こすから閣僚には登用すべきでないね。
閣僚は全員公明のメンバーで固めるべきじゃね?
安かろう悪かろうで済まされがちなこのジャンルでは
破格のデラックス鋼体化車名鉄3780系
白井御大の著書には
“5000系よりもサービスの良い電車”
と紹介されている
(ここでいう5000系とは初代のこと)
ほかのHL党は琴電や豊鉄に多数売られたが
3780系だけは終生一両たりとも
名鉄から離れるものは無かった
名鉄つながりで、岐阜にいた前面タマゴ型のモ520の如き偽スチール車も鋼体化車の仲間か
72系とか、全金属性改造しても外板流用シルヘッダ付きで半鋼製に見えたな
>>2
再現度高いのは全国見渡してもたぶんこれだけじゃないかな 鋼体化の目的は安全性向上だから再現性なんざ二の次三の次
ボディを木から鉄鋼に替えたら重くなるから台車が傷んだりしなかったの?
戦後混乱期の近鉄は種車から電気部品を取り出して新製車体に取り付けるだけでは飽き足らず台車を別の新製車体に取り付けて結果的には鋼体化と称して1台の木製車から2台の鋼製車を生み出していた
戦後一時期はGHQの許可がないと車両新製できなかったらしいです。
鉄ピクの私鉄高速電車発達史に戦災復旧車、鋼体化など詳しく記されていますよ。
簡易鋼体化車のニセスチール、天ぷらなどの呼称は一般的だったのでしょうかね。
アタマに「偽」と冠されるだけでずいぶんと胡散臭くなるものだな
ちょっと可愛そうな気もする
鋼体化したは良いがそのうち足まわりが劣化して新品に交換、その後車体が劣化して車体更新、その後足まわりを新品交換…のように実質的には生まれ変わってるのに名義だけは生き続けさせてるのは近江鉄道
松本電鉄はクハも含めてすべて同一車体になり保守の省力化には役立った。
趣味的にはいつ乗っても同じ電車ばかりで面白くなかっただろうが。
>>25
岳南が1両だけステンレスにしたが
あれも鋼体化になるのか >>22
そのやり方を続けたために車籍の上では車齢80年みたいな
とんでもない電車を保有してることになった >>17
玉電200みたいな特殊な車体構造にしなくても
軽くすることができたという近畿車輛の自信作 名鉄の3700代HL車も、ツリカケなのにM車32tくらいの軽量車体だったな・・・
>>29
デハ200は軽量化のための張殻構造がアダとなり短命に終わったというが
アマガエル5000系は東急で使い倒されなおかつ地方にも売られてかなり長持ちした >>6
おそらくクーラーの有無を指してると思うが
クーラーのない他のHLでも窓が大きくて車内が明るくてそれだけでもALより好感できた
もちろん車内清掃は形式に関わらず行き届いていた 長野電鉄の鋼体化車モハ1100
豊橋譲渡後に実乗
縁がことごとく面取りされてるデザイン
今でいう「ゆるふわ」スタイルが印象深い
> 客車は無視ですかそうですか
無視はしてないけど、国鉄しか例がなく話が広がらない
わざわざ鋼体化せずとも国鉄から鋼製客車の出物があっただろうに
鋼体化して10年かそこらで廃線だから中古品を買った方が良かったのかな
中古は当たり外れが大きいからリスク避けた
知らんけど
接客サービス考えたら中古ボディより新品ボディを選ぶ
とも限らない
安全面とメンテナンス面優先してもいい
鋼体化車を冷房付にした名鉄が例外であって
ほとんどの社は車体を更新して、
あと10-15年延命できたら良い、
ぐらいの設計思想
たしか江若はディーゼル機関車には積極投資したが気動車や客車には冷淡でケチも極まれりだったはず
種車が木造車で部品を丸ごと流用したら鋼体化というんじゃね?
100%流用はあまりなくて
一部だけ流用して他は新品を使うことが多いがそれでも「鋼体化」とか、
ほかには「車体更新」などということもある
大手私鉄で鋼体化車がないのは阪神と東京メトロだけかな
阪神は戦前にすでに木造車を鋼製車体に載せ替える改造をやっている
東京メトロは知らん
木造車が地下線を通ったことはあるの?
たとえば名鉄新名古屋は?
鋼体化の目的に経費節減があるが
近鉄460(元大軌)、5000(元養老)などは15年ほどで廃車してしまってる
イマイチ腹が坐ってない感じだな
コスパ取るなら木造のまま修繕で延命するか、鋼体化後10年は使うべきだつた
近鉄460系は1969年の昇圧でトドメを刺される運命だった
>>42
理由は簡単で、中古市場が充実してるかしてないかの違い >>52
近鉄マニアの個人サイトを読んでいると車内は座席数が少なく室内灯も疎らで薄暗くおまけに窓は小さい上に木枠で重く、良い電車ではなかったことがわかる
意味のない仮定だがもし昇圧を生き延びたとしても先は長くは無かっただろう 近鉄南大阪線から養老線に移動したモ5805,6は、
800系に似た湘南型の前面だから一色ではなくツートンカラーだと、
もっと見映えしたのに惜しい車両だと思う。
西鉄の特急車1000系?だかに先頭車だけツリカケから改造の半鋼製のあったよね確か
近鉄モ5805~6は古い写真を見るとレモンイエローとマリンブルーの2色で正面は湘南流の腹掛けになっていた
急行にも使われた実績もある
同形の若番車、貫通タイプが終始ローカル専門だったのに比べると優遇されてた観がある
奈良線800系に肖るならステンレス帯まで付けて欲しかったね
鋼体化車は羊頭狗肉と書いてるライターもいたな
ひでえもんだ
>>62
それかもしか号のモ5820とゴッチャになってねえか?
関三平氏の「昭和の電車」を引くまでもなく
登場時はマルーンとベージュのツートーンカラーだったというよ 5805,6は取って付けたような腰高の湘南顔に側面は古臭く、短い車長で
好みの問題だが角型の貫通扉付きタイプのほうがバランスが取れている、と思った
同じ趣旨で製造された奈良線460には湘南顔はなかった
平面2枚窓の湘南モドキが多数
モ5806、5807とて正確には湘南フェースとは言えん
国鉄EH10フェースだ
どうせ10年程度しか使わないなら偽スチール化でも良かった
現実に名鉄モ520は偽スチール改造後20年も持った
>>60,62,67
写真でしか見てないが晩年の養老線時代には旧三交と旧伊勢電との組成があった
実際に見てみたかった 養老線?
ナロー以外で三重交通から近鉄に引き継がれた電車なんかあったか?
>>73
サハ化された元垂直カルダンの近代的なやつでしょ 東京横浜電鉄で戦前にサハ1〜4が造られてる。後の東急サハ3350
鋼体化東急3300系は、3450や3500より小さくてショボいところが
好きだった
>>75 >>58
西鉄大牟田線の鋼体化で20系の後のク155(S35)は100系を忠実に再現している。
編成美のためとするなら後に100系のク653をモ603(S37)に組ませたのは不思議だな。
S36に製造したモ326,327は編成を組んだ規格型(306ー356、307ー357)、
とはまったく異なったスタイルだ。
S36には1300系の中間車が新造されたし、編成美に関してはS35からS36にかけて方針がかわったのかな。 西鉄の鋼体化も怪奇なところがある
軌道線300は戦前製木造車の鋼体化名義で計画されたが
いざ実行となると想像以上に部品の劣化が酷くて流用に耐えず
車体のほか台車はおろか下回りの殆どが新品を使わざるを得なかった
そんなことなら純新車を作る方がマシとなって
たった5両で中止された
節約したつもりなのに却ってコスト高になってしまった本末転倒ってヤツね
>>78
違う違う、吉野引継のクハが先祖だぞ
木造時代、単行かせいぜい二連なのにサハを作る発想がない
鋼体化が昭和30年、既に南大阪線には乗客激増の兆しがあって長編成化を見越して
クハをサハに変身させたのかもしれない 国鉄はそのへんは上手く進められたのではないかな
見映えはともかく60系客車としてほぼ計画通りに事業完了
昭和31年には国鉄木造“客車”は絶滅された
計画通りにできたのはやはり八高線事故の影響
改革は人々の犠牲の上に成り立つ
近鉄が鋼体化の突貫工事やったのも花園事故で木造車が微塵にされたからというわ
ブレーキが壊れて先行車両と衝突するとか脱線するとか
木造であろうが鋼製であろうが結果は大差ないだろう
万一ブレーキが故障してもバックアップできる機能を付けておく事が先決
今まで名前の出てきた名鉄近鉄西鉄は重量を抑えられた
近鉄は技術史上に残る快挙
>>85
民営化以後まで残ってたスロ81が、明治期の木造車まで車歴辿れるって凄いな >>84
奈良線にも鋼体化サハがあった
タネ車は大軌木造クハ 新車を本格的に増備できるようになるまでのショートリリーフ役だから短命で当然であるしほどほどの品質になるのも仕方ない
かなり前にネコパブリッシングから名鉄木造車鋼体化の系譜が発売された
マニア垂涎の一品と思います
名鉄HLは製造後5年もしないうちに台車がヤバくなって取り替えたものもあったようだ
なるべく重くならないようにしたらしいがやはり鋼体を支えられなくなったんじゃないの
M台車はD16とかだけど、T台車にやばいのが多かったと聞く
日車Dが新型に見えるくらいだとか
白井氏のカラーブックスの巻末の解説にはまだ現役の台車が残っていると書かれている
この本は1980年発刊なので当時で50~60年の古物だったことになる
昭和29年〜32年に伊予鉄道では二軸車の台枠を接合して、
木造ボギー客車(ハ500,ハフ550,ハニフ570)を製造した。
この時期に鋼体車両を作らなかったのは経費以外に自社工場に技術がなかったのかな。
木造車追放の機運が強かった頃と聞いているし、認可関連で特例でもあったのか。
軽便規格の路線だから、安全性に問題なしとされたのは推測できるけどね。
昭和30年代後半の、大手私鉄に対して運輸省の木造車追放勧告は
くそもろうるさかったらしい。地方中小には大目に見ていたようだが
>>105
なるほど。時期的にだいたい十年の間隔で、
国鉄から大手、最後に中小と木造車がなくなっていますね。
長崎電軌の木造車(元西鉄)はかなり遅くまで残ってましたね。 >>106
木造車西鉄では301系を造らざるを得なかったのに、長崎ではイベント用に残る前、
少なくとも40年代後半まで複数がラッシュに使ってました。
南海軌道線でもカッコいいモ101を、351を造ったり大阪市電に車体載せ替えないとならなかった >>100
そのヤバい台車は瀬戸線(昇圧前)や揖斐・谷汲線にいたク2320など旧愛知電鉄の特急車をクハ化した車に振り替えていた