実際のところ、誰もが浪人したからといって、必ずしも最終的に志望校に合格できるわけではありません。
作曲家を目指していた池田さんは「憧れていた京大出身の音楽家のようになりたくてどうしても京大に入りたかった」と言います。
夢を目指して3年を費やしたものの、その目標は叶いませんでした。
しかし、池田さんは「浪人を通して得た能力が、今の僕の人生を支えている」と言います。
彼は現在、大手企業で働きながら、有名歌手・アイドルの作曲コンペに作品を出し続ける充実した日々を送っています。
池田さんは芸術一家に生まれました。
絵画や建築の才能に恵まれ、芸大に進学する家族に囲まれて育つ中で、「自分だけ芸術の才能がない」ことに悩み、アイデンティティーを確立するために作曲を始めたそうです。
「高校のときにギターを始め、曲を作るようになりました。音楽を始めるのも遅かったので、芸大じゃなくて普通の大学に行き、大学に通いながら自分で音楽を勉強しようと考えていました」
池田さんの通っていた高校は千葉県の公立高校ではトップレベルの進学校である千葉高等学校。
東大をも狙える環境の中で、池田さんは京大を第1志望に設定します。
その理由も音楽に関係がありました。
「自分で音楽を作るうちに、京大出身のヒャダインさんの音楽的才能に憧れるようになりました。ヒャダインさんに比べたら才能はないけど、僕も京大に行って、京大のネームバリューを使って音楽の仕事をもらえるようになろうと思いました」
当時の池田さんは18歳でありながら、自分の夢を叶えるためにゴールを設定し、そこから逆算することができていました。
しかし、残念ながら現役での合格は叶いませんでした。