ストーンズをヨイショしてるへそ曲がりのひねくれ者には困ったもんだ 世間からも相手にされないカス野郎なんだなw
東芝オデオン盤は「ヘルプ!」から厚手見開きジャケットになった 価格が¥1800で赤盤だ
モノラルが1500円、ステレオ1800円だったな この年、確かシングルが330円から370円に値上がりした
ビートルズのコンパクトは沢山あったけど ヒット曲の少ないアーチストは、4曲はめこむのに苦労していたね
映画HELPの挿入曲Ticket to rideの短編映像 最初に映る巨大チケットには日本語で「プレイガイド」や「都電銀座二丁目(?)」等の日本語が見えるんだよね VIDEO &sns=em ハード・ディズ・ナイトは東銀座にあった松竹セントラルで ヘルプは銀座にあったニュー東宝で観た 今はともになくなってしまった映画館だ
やぁ!やぁ!やぁ!の時は予算約56万$、HELP!では一気に予算100万$のカラー作品になったんだよな
いったんトップの座を勝ち取ると人間はだらけてくる ハード・ディズ・ナイトの新鮮味がヘルプでは失われた
悲しみはぶっとばせのシーン 床を低くした住宅なんて初めて見て驚いた思い出がある
ふっとばせの邦題が、少し流行ったのかな 暑い夏をぶっとばせ/ナットキングコール GTOでふっとばせ/ロニーとデイトナス
「悲しみはぶっとばせ」はビーチボーイズもカヴァーしていたな
あらゆるアーティストにカヴァーされたビートルズの曲 これは最多記録だ
涙の乗車券"Ticket to Ride”のカバーはカーペンターズが最高だな。
厨房の時、涙の乗車券はカーペンターズの素敵なオリジナルだと思うていた ある日クラスメイトにビートルズが本家だと聞いて、そちらを聴いてみてheavyなリズムと歌に痺れた
エルトンジョンはビートルズの曲をカヴァーして全米1位にランクインさせた
ジョンのあの事件の直後、地方局で「HELP!」が昼間に追悼で テレビ放映された! 昼間だったので部活さぼった 当然ビデオ・デッキはまだなかったから ブラウン管にカセットくっつけて、一生懸命吹替え見ながら録音した 一度リバイバルで劇場で観てたし吹替えなのに、それでも十分嬉しかった 録音しながら、映像見て笑えるわ、ジョンを見て泣けて泣けて カセットテープには自分の泣き声までしっかり録音されていたよ その時、「65年の映画だもんなあ古いなあ」って80年に10代の自分は見てたけど あれから今年で37年も経ってしまったよ こうしてみんなとまだビートルズについて語ってる不思議
12月はクリスマスと同時にジョンが亡くなった悲しい月でもある
12月8日は日米開戦の日と同時にジョンが射殺された日でもある。
ヘルプ!の頃まででジョンは創作能力を使い果たしてしまった その後は駄作ばかりしか書けなくなった
>>31 そう11月29日はジョージの命日だった TVドラマ『家政婦のミタ』の主題歌、斉藤和義の『やさしくなりたい』 このPVは'66年のBEATLES来日武道館liveを再現しているパロディでありBEATLESへのオマージュ 斉藤がジョン、リリー・フランキーがポール、漫才コンビ2丁拳銃の小堀裕之がジョージ、そしてリンゴ・スターはauのCMの金太郎・浜田岳 特に小堀が当時のジョージに雰囲気そっくりw (このYouTubeは約一分の短縮版) ↑肝心のYouTube貼り忘れた 『やさしくなりたい』PV VIDEO &sns=em ラバーソウルからジョンとポールの立場が逆転した このアルバムがビートルズの分岐点になった
次のアルバム「リボルバー」のアメリカ版LPなどはジョンの作品はカットされたもの
リボルバーの収録曲「ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア」は シングルカットされてれば文句なしに全米第1位になっていた。
>>39 『ずっと好きだった』 これも小堀ジョージが秀逸だねwww VIDEO &sns=em ビートルズをかなり研究してるねw それにしても小堀wWWW
ヘルプ!のアメリカ盤のイントロにはオケが導入されていた
「プリーズ・ミスター・ポストマン」はカーペンターズ・ヴァージョンで 初めて聴いた。日本でもヒットしていたからね。 でも後で「ウイズ・ザ・ビートルズ」を買ったら同曲があったので、 「ああ、これもビートルズ・ナンバーのカヴァーか」とその時は思った。 実はビートルズもカヴァーしていたのは更に後になって知った。
ビートルズによるカヴァーはオリジナルを遥かに凌いでいる それだけビートルズは音楽の感性がずば抜けていた
>>43 アメリカ盤サントラは、007風にアレンジしたサントラ曲も入ってたよね この頃の英国の最大の輸出品は、007とビートルズ 映画HELP!にも、流行のスパイ仕立てをおとぼけ風に取り入れてたな それにしてもこの頃の公開映画は寝ても覚めてもB級モノも含めて 007に触発されたスパイ作品の応酬だった!70年代のカンフー・ブームの前哨戦のようだった 音楽学校時代アレンジの講義でドンセベスキーのアレンジ書を取扱った カーペンターズのザ・ビートルズ・カバー曲のアナリーゼ(楽曲分析)において カーペンターズの独自性、方向性は ザ・ビートルズが他者のカバーをした音楽的コンセプトと真逆の方法であったとの事 ザ・ビートルズとカーペンターズのカバーの方法論は全く違うが 既製の方法論からの逃亡である点において、ザ・ビートルズもカーペンターズも同じであった どちらもクリエイターとしての意地を見せつけた尊敬すべきアーティストだという話だ
liveでポールのサージェント-のパワフルな熱唱を聴いて感動した思い出
サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドのようなくだらない アルバムからポールがのさばり始めたんだ
マジカル・ミステリー・ツアーでは完全に狂人と化したビートルズが描かれている
>>50 私もライブでポールを!ビートルズナンバーを生で現実に聞けて幸せだった♪♪♪ サージェントペパーズを初めて聞いたのは映画『イエローサブマリン』で サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツクラブバンド Beatles、ポールにミュージカル音楽のセンスがあることを示す事になった作品。
あの異様なサイケ調のジャケットは誰のアイディアなんだ?
後期はすべてポールが3人をアゴで使っていた ジョン、ジョージ、リンゴが反発したのも無理はない
音楽板のジョンオタ、ストーンズ、プレスリーオタが我慢できずに湧き出してるなw
ビトルズ解散で裁判沙汰になったとき、ジョージはポールを徹底的に批判した
この映画はカラーで絶頂期のビートルズが見れる 今となってはファンにとっては最高の映画! しかしポール曰く「ずっと指輪どこ〜って言ってるだけの、つまらない映画だよね 僕らは完全にやる気を失っていた」と後で語ってるのは軽くショックだったな 「何より脚本がビートルズと仲良かった前作のヤアヤアヤアのアラン・オーエンと 違い「ヘルプ」の脚本のマーク・べームはビートルズの事をほとんど知らない 出来合いのセリフを与えられただけだった みんなセリフを口に出したくもなかったという態度がスクリーンに出てるだろ」 そっかなあ 結構楽しそうに見えるよねw 適当具合がイイ
台本を読んでいちばん喜んでやる気まんまんだったのがポールだぞ
ヘルプのA面はジョンの4作品が光っている B面はポールのイエスタディ、夢の人が光っている
ここのスレ面白い リアルタイムにThe Beatlesを聞いてた人いらっしゃいますか? そういう人達のご意見・ご感想・蘊蓄が聞きたいな
ヘルプの東芝オデオン赤盤LPを持っていたけど、中古レコード屋に売ってしまった いま考えるとバカなことをしたもんだと思う
Help!が発売された当時、初めてLPレコードというものを買った 確か\1,500と記憶している このスレを見ていたら、ステレオ盤は\1,800で、モノラル盤が\1,500だったと書かれている 一応、ステレオセットで聴いていたのだが、あれはモノラルだったのだろうか そういうこともよくわからなかったのかなと我ながらちょいと驚く
ヘルプの前後ぐらいが、ちょうど値上がりした時期だったと思う シングルは、涙の乗車券あたりだったかな
中学生の頃、クラスメイトが涙の乗車券のepレコードを只でくれた
あの当時のシングル盤はモノラルでしか発売されてなかった 1枚¥330だったよ
まだステレオ装置が一般家庭に普及していなかった時代でもあった よほどの裕福な家庭でしか買えなかった
>>70 1960年代初頭に国内メーカーが大々的にステレオの売り出しにかかった 高いセットも安いセットもあり、特に裕福な家でなくても手は出せた それでもステレオまで買って音楽を楽しもうという気がない家庭のほうが多かった時世ではあったが うちは'62年に1万円の廉価版と言えるステレオを買った 今の貨幣価値で7〜8万円といった感じかな ジョージ・マーティンはsgt.peppersの頃までもLPをモノラル盤で作っていたが、イギリスあたりは随分保守的だと思う 日本人は新技術家電大好きで、テレビ、ステレオ、カラーテレビ、カラーフィルム、ビデオ、ウォークマン‥と飛びついてきた歴史がある
イギリスではLPをモノラル、ステレオと作っていたのだろうが、日本では両方あるやつについては当然のようにステレオしか発売していなかったと思う イギリスと日本は違う
ビートルズが登場したころは クラスの中で家にステレオあるのは、せいぜい2〜3割ぐらい たいていは、安物のプレーヤーと170円のレコード針を使っていた シングルが、330→370→400円と上がっていくのは、ガキにはこたえたよ LP買えるのは、お年玉貰った1月2月ぐらいだったな
>>75 友達のところにあった6万円のも載ってないな 極く一部が書かれてある記事だな そんなにメーカーや機種が少なかったことはない うちのはコロムビアだった ステレオ装置が家庭に入り始めた頃はターンテーブルが17pのものばかりだった おまけに一体型の製品がほとんど
関係ないけど、コロムビア=現在デノンDENON大好き♪ 今も老舗で頑張ってるし、イイ音出すよ 今もアナログ聴いてるがデノンで聴いてる
中学のクラスメイトから只で貰った涙の乗車券のシングルレコードは当時500円くらいでステレオ録音だった B面はyes it isだった…かなあ?
>>80 涙の乗車券のカップリングは、イエスイットイズで合ってるけど 500円でステレオなら、シングルではなく、コンパクトLPだな シングル盤は330円でモノラル コンパクト盤は4曲入り500円でステレオ コンパクト盤のほうが徳用だった
ただ、コンパクトが発売されるのは 曲がヒットしてから、何ヶ月もあとだった
ヘルプ!はジョンの心の叫びだった 映画の内容はコミカルに描かれていたけど ジョンの心情はこんなものではなかった
アイムダウンは、日本公演のラストで唄われたが 全体の選曲は、ちょっと違和感があったな 日本でのヒットを重視した選曲という話だったけど その割には、国内でガンガン流れて、誰もが口ずさんだ 「プリーズプリーズミー」や「恋する二人」は入ってなかった
ビートルズ公演の曲目は決まりきったどこでも同じもの その年その年で改訂はするので、'66年には初期の曲はもう演っていなかった
YouTubeで見ると1966年の各国でのコンサートはみんな日本公演と同じ曲目だったよ
コンサートのトリを受け持ったのは必ずポールであった
一部のヘビーなファン以外は 「ヒット曲があまり入ってないな」と思ったのは確かだわな
映画『ヘルプ』の「恋のアドバイス」録音シーン リンゴが葉巻かタバコを燻らせながら目を閉じ恍惚とした顔でリズムを刻む…と記憶 あれは普通のタバコではなかったのだろうか?
タバコは吸い放題だったからな ガムを噛みながら事務仕事をやると怒られたが、タバコは平気だったもの
4人ともタバコは吸っていたからな だからみんな声が悪かった 歌手の声ではない
タバコ以外を吸ってたのはアンソロジーでも話してるけど さすがにカメラ前ではないだろう
メンバーがマリファナを吸いだしてからヘンなアルバムばかり制作されたんだ
今日は命日か… John Lennon "Happy Xmas (War Is Over)"Offical Video ♪VIDEO &sns=em ジョンが射殺されたことをニュースで知ったときの衝撃は忘れられない あの犯人がまだ監獄で生きてることがおかしい
何年経っても、あの日のあの時の事が忘れる事はないよね 寒い日だったね 夕方のニュース見て泣いて友達に電話して二人で泣いた あの時でも本当に大きな事件だったから 今のようにネットのある世の中だったら情報は錯そうして 一晩中日本でもファンが集っていたかも知れない ジョンが生きてる間にファンという認識を持てた事が振り返ってみてとても嬉しい
再スタートをきった矢先に殺されるなんて残念でならなかった
スターティング・オーヴァー この曲を聞くと悲しくなるよ これから出直しだ、と言ってるときに殺されちゃうなんて
1980年12月8日夜、タクシーでダコタハウスへ戻ったジョン・レノンは玄関脇に男が立っているのを見て、昼間サインを求めた男だと気づいた その数秒後、Mr.Lennonと言う呼びかけの声が聞こえ、同時に背中から飛んできた銃弾が頭のそばをかすめた それから立て続けに背中左側に2発がヒットした その後また2発が左肩を貫通した ジョンは、I'm shot,I'm shotと言いながらハウスへの階段を登ったところで床に崩れ落ちた ドアマンが銃撃犯マーク・チャップマンの手を揺さぶって銃を離させ、Do you know whhat you've just doneと大声で問いかけると、 チャップマンはYes,I just shot John Lennonと静かに答えた 救急搬送された先で医者は、このような重症を負って人は数分間も生きていられない、と言って死亡を確認した
キース・リチャードが「早く犯人を釈放しろ、この俺が撃ち殺してやる」と 息巻いた気持ちがよく分かる
去、チャップマンの仮釈放申請があるたびに、「今度は私が狙われる」と懸念するオノヨーコが反対してきたという 向こうには仮釈放を検討するのに被害者側の意見を聞く制度があるらしい
オノ・ヨーコの意向以外にも警察側には… 既に老境のチャップマンが今度はジョンの支持者に撃たれたり、またリンチに掛けられたりすることも懸念しての判断だとも
ヨーコなんか音楽の才能もないし、カリスマ性もないから誰も狙わんのに。
広島の原爆式典にヨーコが招かれて歌って どんなに素晴らしい歌かと思ったら呪文のような恐ろしい歌だった
あの糞ババァのヨーコなんかと一緒にならなければジョンは射殺されなかったし いい曲もたくさん書いてた
日本時間では今日 アメリカでは今日でしたよね 12月8日 忘れようにも忘れられない日 37年前のこの夜 泣きっぱなしだった このスレの人達や世界中のビートルズ・ファンの人達と同じ気持ちだ ジョンが1年中で一番恋しくなる日 この日が来て師走を迎えてクリスマス 37年間もうずっと年末は、こんな風に染みついてる ジョンにもう一度会いたいなあ I miss you John
ブスBBAのヨーコと一緒でなければさらに同情されてた なんであんなドブスなんかと結婚したのか
>>113 爺さん、いちいちID変えるの大変だろ? そう大変なんですよ 簡単なやり方あったら教えてください
ジョンが射殺されたとき、真っ先に駆けつけてきたのがリンゴであった。
映画HELP!のレスター監督「この脚本は“ビートルズ 2”との仮タイトルのもと執筆され始め脚本家と僕は“Help”とタイトルにしたいと思った。 しかし著作権専門弁護士が『その名前は既に他が登録している』と言った。それでリンゴが“Eight Arms〜と案を出してくれたが… 言うまでもなくこのタイトルで曲を作ろうという意慾は伝わってこなかった。 もう一度、一か八か弁護士に電話してみたら『!記しを付ければOK』と、それからビートルズは作曲に取りかかり戻る車の中でも作業を続た。 翌朝、彼らは曲を持ってやって来た。ピッタリの曲だって思った。それからすぐにアビーロードで録音したんじゃないかな。その後のことはみんなが知っている通りだ」
映画に出てきたあのアパートがお洒落♪ あのデザイン考えた人スゴイわ 色合いといい、センスといい、とても50年前以上前とは思えん ジョンの底下ベッドイイなあー 部屋の中に人口芝はあるわw 飲料水どころか、サンドイッチの自動販売機あるわ 4人一緒だから寂しくないし、個人空間あるからプライバシー守れるし あんなアパートに住みたい
仕事を終えてそれぞれ隣り合う住居の扉へ消えてゆく四人 ところが入ってみれば仕切りもない大部屋 この意外性で笑ってもらおうというのだろうな あんまりわざとらしくて笑うのも忘れてしまったが
>>125 あれシーン見るとビートルズはホント今でも通用する アイドルの原点だったんだなと何度見ても思っちゃう! それにしても70年代名画座で見たガジガジの汚いフィルムより 現在の美しい画質で蘇った「HELP!」の方がずっとビートルズが 新しい存在として見れる不思議 シングル最強のカップリングは ノーリプライ/エイトデイズアウイークだな 異論は認める
なぜアメリカではノーリプライをシングルカットしなかったのか? シングルカットしていれば間違いなく1位になったのに
「Eight Days A Week」は、アメリカではシングルA面としてリリースされチャートNo.1を獲得した
レコードはとっくに失くしてしまったけど、日本では フロムミートゥユー/アイソーハースタンディングゼアのシングルだったかな これも高レベル
ユゴナ ルザッガァ ィエス ィエスゴナ ルザッガァ
>>132 you're gonnaだから、ユゴナでなくてヨゴナ >>134 アナザーガールのギターはジョージが頑張って弾いていたものをポールがバッサリ切ってしまって、自分の弾くギターに差し替えてしまった >>132 ♪ア シンカンゴナビセエ ア シンクットゥデー−−― イエッ ヘルプ!に次ぐ3作目に期待したが立ち消えになったらしい
1枚のアルバムのレコーディングは何日かかって終えたんだ?
LP1枚は何日のレコーディング、と決まっているような質問をされてもなぁ 早いのも遅いのもあるわ、そりゃ
人体をチェーンソーで刻むシーンが出てきて驚いた ああいうチェーンソーの使い方はウェス・クレイヴンの「鮮血の美学」が最初という 説を聞いたことがあって漠然と鵜呑みにしてたんだが、これが既にやってたんだな リチャード・レスター偉い
リンゴのズボンのチャックがずり落ちてくるシーンでは 観劇してた女の子たちがキャー!と叫んでたっけ 今から51年前のニュー東宝での体験だ
この映画で初めて「英国式コメディ」というジャンルを知った気がする アメリカ映画とはまったく違うギャグなんだよな
ビートルズの、「悲しきカンガルー」は、誰が唄っているんだろう ロルフ本人の声のような気もするが VIDEO わかりにくいが、ビートルズも一緒に歌っては居るんだな VIDEO かってMLの付録として付いていた4人のメッセージとクリスマスソングを歌った ソノシートを持っていたけど、どこかになくしてしまったよ
クリスマスソノシートも初期の頃は"ポールです。クリスマスおめでとう"みたいなアイドルの挨拶然としたものだった そのうちにそういうのがアホらしく思って来たのだろう、おふざけがひどくなってくる ジョンなどは気味悪い声を面白がって出すし、後の"you know my name"のレコード制作の乗りだ 末期の"X'mas time is here again"の歌声も、「ま〜たクリスマスが来ちゃったよ」という感じに聞こえる
ハニーカムズのソノシートもあった 来日直前のインタビューで日本のファン向けの ザッツザウェイの替え歌を披露していたな
>>157 MLの付録だったかな。デニスとハニーが喋りまくっていた ジョン、ポールにクリフ・リチャードもあったね ハニーカムズは、来日を控えて日本で発売したシングル盤の曲(題名は忘れた)しか知らなかった 来日公演をテレビで見ていたら、その日本でだけのヒット曲は唄ったにしても乗り気でない感じ 対して、ハブ・アイ・ザ・ライトという知らない曲は気合の入った歌い方だった あとで知ったがこの曲は全英第1位、アメリカでも5位を取った彼らの大ヒット曲だったのだ
あの頃はのどかな時代だった 今なら著作権法がどうたらこうたらとうるさいからな
>>159 何という曲だろう? アイ・キャント・ストップなら、そこそこヒットしたし >>156 BEATLESの寸劇みたいなものがあり、ジョンあたりが女役で「Nowhere man」をふざけたオペラっぽい感じで歌ったりした内容だった >>145 映画としての価値なんてどーでもいーーー! んだよ あの当時、バイトして買ったLPがベンチャーズとビートルズだった 東芝の赤盤がきれいで輝いていた 自分の稼いだ金で買えたうれしさは今もいい思い出だ
医大の解剖用死体がホルマリンのプールの中を浮かんでくるのを棒でつっついて沈めるというのが、高額アルバイト伝説だった あと、高級ホテルで有閑マダムのお相手を務めるというのと
この季節になると冬休みにアルバイトして小遣を稼いだ思い出がある もちろん稼いだ金でビートルズのレコードを買った
いたいけない子達がアルバイトをして貯めた金でレコードを買う ビートルズは勤労生徒達の生き血を吸っていたのであるな
ビートルズのレコードはLP、EP何枚も買った 当時の若者のハートをつかんだ東芝は大儲けした
当時の若者って今では60代から70代くらいの年齢の人だよね。 そう考えると感慨深いね。だって当時は戦後20年くらいしか経ってなくて、 上の年代は殆ど洋楽なんて聴いていなかった。 自分は今50代だけど、自分が小さい頃ですら長髪やロックは不良の代名詞。 逆に今の若者はあまり洋楽聴かないんだよね。
戦後間もないから洋楽はほとんど聴かれてなかった、と簡単に総括するのもなんだかと思う 敗戦でアメリカさんがどっと入ってきた (戦前から西洋あちゃらか音楽の素地もあったけど) 40年代には早くも笠置シズ子のブギウギリズムがヒット 50年代のウエスタンやロカビリーにシビれる若者たち、 60年代の親しみやすいアメリカンポップスをラジオやレコードで聴き、 それをカバーする歌手達のテレビ出演など、一定の洋楽市場はあった ほとんど聴かれていなかったというものでもない
音楽に限らず、全般にアメリカへの傾斜はたいしたものだったということ
あの頃さかんに買った東芝レコードはいまはなくなった 懐かしくもあり、いい時代だったな
東芝にとっていい時代だっただろうな 東芝レコードのアメリカ勢はビーチ・ボーイズが目立っていたくらいのものだったが、ヨーロッパ勢が凄かった 英仏伊と目立つアーチストを網羅し、ローリング・ストーンズが他のレコード会社だなと思うくらいの程度 ブリティッシュ・インベージョンと言われた時代にこれは凄かった 前田武彦の『東芝ヒットパレード』をラジオで聞いていればその時々のヒット曲はたいてい聞けた気持ちになっていたものだ
東芝はビートルズ、ベンチャーズを抱えていたのが強かった レコードは飛ぶように売れたもの
ビートルズNo.5はなぜモノラルで発売されたのか?
ドイツ語の2曲はいれる必要なかったな ほんとうにズッこけたもの
日本でのビートルズNo.5のジャケットは米国盤ビートルズ65のジャケットを使用した
オデオン以外のレーベルも、人気アーチストが揃っていたね キャピトル…ビーチボーイズ、キングストントリオ リバティー…ベンチャーズ、ジャンとディーン ワーナー…PPM デル・シャノンはどこだったかな?
ステーツサイドに移籍してからハンディ・マン、太陽を探せのヒット曲を出したぞ ビッグトップ時代は悲しき街角、花咲く街角、鏡の中のジニーのヒット曲で有名
デル・シャノンは移籍してから何枚かのLPを出していたけど まさか自殺するとは思わなかった
>>163 もしかして、映画のLet it beの価値を認めてくれる方? あれBeatles解散直前の貴重なドキュメンタリーフィルムなんだよね。 しかも曲作りの過程が(真実かヤラセか知らないけど)記録されていて、 ファンなら一見の価値があると思うけどね。