野党共闘に前のめりな志位氏だが、民進党は9月28日の両院議員総会を機に3分裂し、共産党を軸とする共闘の構図は崩れた
「安保法制反対の闘争(2015年)は、日本を支配してきた『共産党を除く』という“壁”を一挙に打ち下した。こうして生まれた市民と野党の共闘は、戦後政治の歴史を画する壮挙だと言わなければならない」
これは今年7月、日本共産党創立95周年の記念式典で、不破哲三前議長が講演した一節である。
この間、共産党は「市民との共闘」が進んでいることを盛んに吹聴し、そのリーダー格のように振る舞ってきた。
今年1月の共産党大会には、自由党の小沢一郎代表や、民進党の安住淳代表代行(当時)など、野党の代表が駆けつけた。小沢氏のあいさつに涙を流して感動した古参党員もいたという。
志位和夫委員長は「『野党共闘はうまくいくか』という心配の声も寄せられました。今日、党大会で4野党・1会派がそろった姿が、前途の明るさを示したのではないでしょうか」「『うまくいくか』ではなく、うまくいくように知恵と力を尽くすということにつきます」と述べていた。
ここには、共産党こそ「野党共闘の要石」だという自信がうかがえる。
志位氏は党大会終了後、「(野党共闘に熱心な)小沢さんが来てくれたから、今回の党大会は100点満点だ」と記者団に述べたという。
だが現実は、それほど甘いものではなかった。
10月の衆院選直前、野党第一党だった民進党は、立憲民主党と、希望の党、民進党に3分裂してしまった。「戦後政治の歴史を画する壮挙」どころか、もろくも野党共闘は崩れ去ってしまったのだ。
私はかねがね、「市民との共闘」という共産党の宣伝文句を疑問視してきた。
確かに、「市民連合」だとか、「総がかり実行委員会」だとか、大仰な名前はある。だが、どれほどの実体があるのか。共産党は何かあれば、さまざまな運動組織をつくる。だが多くは、共産党員が中心の運動組織であり、広範な広がりなど持ったことがない。
もし、本当に広範な市民が結集しているのであれば、共産党が先の衆院選であそこまで票を減らすことはなかったであろう。
「共産党を除く」という“壁”は、打ち砕かれたどころか、実は、それこそが「民進党大分裂」の最大要因となった。
民進党の前原誠司前代表が希望の党への入党に動いたり、細野豪志元環境相らが民進党を離党したのは、「共産党との選挙共闘に終止符を打つ」ためだった。「壁」は崩壊したどころか、厳然とそびえ立っているのである。
共産党が頼みとしている立憲民主党も微妙な距離感をとっている。共産党にとって野党共闘は、命綱である。これが崩壊すれば、再び孤立の道しかない。まさに剣が峰である。
■筆坂秀世(ふでさか・ひでよ) 1948年、兵庫県生まれ。高校卒業後、三和銀行に入行。18歳で日本共産党に入党。25歳で銀行を退職し、専従活動家となる。議員秘書を経て、1995年に参院議員に初当選。共産党のナンバー4の政策委員長を務める。2003年に議員辞職し、05年に離党。評論・言論活動に入る。著書に『日本共産党と中韓』(ワニブックスPLUS新書)、『野党という病い』 (イースト新書)など。
https://www.zakzak.co.jp/soc/news/171128/soc1711280008-n1.html