ドイツの数学者 ガウス、リーマン、ワイル、デーデキント、カントール、ヒルベルト、ショルツ、… 物理だがアインシュタインもドイツ出身か
ファルティングス、ケプラー、ヤコビ、ライプニッツ、ワイエルシュトラス、クライン、…
レンメルトは ワイエルシュトラスを読むときは クラシックを聴きながらで ブルバキのときは ジャズだった。 ジャズはやかましくないかと問われて 「音を小さくする」と答えたそうだ。
岡潔の論文を読むときには 音楽は聴かなかったと思われる。 岡自身はセミナーの後 弟子たちと一緒に 柳月堂でクラシックを聴いたそうだが
ジャズもTake fiveくらいは聴いたのではないか
岡潔の論文を読むときは 音楽は退屈なほうが良いだろう
今では、数学ではドイツ<フランスと聞いたが、そうなの?
ショルツェを否定したいのなら そう思っていればよい
フランスの方が層が厚い コーシー、ガロア、ラプラス、ラグランジュ、ルジャンドル、パスカル、 フーリエ、ルベーグ、ポアンカレ、ボレル、シュバルツ、セール、フレッシェ、 ベイユ、カルタン、デュドネ、シュバレー、グロタンディーク、
ドイツはナチスで自滅 ゲッチンゲン大学なんて全然聞かへん
スペイン、オーストリア、イタリアなども一緒だべ 神聖ローマ帝国とか言って、ローマ法王とごちゃごちゃやてた
ドイツは統一自体も遅いしな ドイツ帝国の誕生は、日本の明治維新と時期は大して変わらへん かたやフランスほその遥前から学士院があり、純粋数学の研究が盛んに行われていた
東西ドイツ時代に、東ドイツ出身の著名な数学者って誰か居るか?
ドイツ州議会選挙 “極右”政党 初の第1党に 移民に排他的主張 NHK
レオンハルト・オイラー スイス->ロシア->ドイツ
>>25 どちらもすごいが、第二次大戦後はドイツは失速して、今ではドイツ<フランスか…。
しかし、日本はそんなドイツに遠く及ばない?
ナチスのユダヤ人排斥運動と敗戦でケーニヒスベルクなどの学問の都を失った上に、 さらに東西分割で実質東半分を失ったわけだかららカラビ・ヤウ多様体について、勉強方法から最新の結果まで色々と語ろう。
>>36 変なのが混じった、失敬
ナチスのユダヤ人排斥運動と敗戦でケーニヒスベルクなどの学問の都を失った上に、
さらに東西分割で実質東半分を失ったわけだからな
>>48 絶対的な価値観のようなものは
もはやなくなったので
何とかインデックスを作ってでっち上げるしかない
「神が必要なら作り出さねばならない」(ヴォルテール)
>>50 日本人ももう少し研究グループを作って、問題意識を共有し、共同研究を増やしてもいい気はする。
必然的にお互いの被引用数も増える。
>>49 あほか、カス。
トンズラー&ボヤッキーレベルのやつらでは、戦力にならんな。 数学の発展に貢献できる人材はいないのか。
パロス >数学の発展のために名案を出せ、スカピンタン。
おしおきだべー💀 いい結果が出せなかったらお仕置きが待っているw
>>63 ボヤッキーは怪しい商売で稼いでだ金で、メカ作ってるやん
日本で研究グループを作って、独自に発展させるのか? がんばれ。
フィールズ賞取りたければフィールズ賞受賞者呼んで指導者になってもらう
>>76 日本数学会と数理研がM月さんを擁護するので、無理だろうな
>日本数学会と数理研がM月さんを擁護 abc予想について、 IUT論文の受理以前から「主要マスコミによる IUTの話題提供」を高評価したとかIUT構築より解決したとか宣う奇異な人々だからだろう
数学も物理もドイツの偉人はEmmy Noether
医学は完全にアメリカ ドイツ人研究者も英語で論文書く時代
最近のドイツの数学と言えば condensed mathematics
>>86 子供の頃、医者はカルテをドイツ語で書いていると聞いたもんだ。
単語の羅列&箇条書きだったみたいだが。
今では英語だろうな。
タイヒミュラーはナチス党員 特攻服を着て大学で講義していた
1936年、ユダヤ人の影響を排しドイツ人の数学的業績を誇示するとして、ビーベルバッハ予想で知られるルートヴィヒ・ビーベルバッハの主導で『ドイツの数学』誌が発行され、タイヒミュラーの論文も掲載された。その内の一つによるものがタイヒミュラー空間の理論である。
ガウス講義の第一回めが6年前にあったそうだ Die erste Gauß-Vorlösung in der Aula der Universität Göttingen statt. László Székelyhidi
ワイエルシュトラス研究所 Weierstrass Institute というのがありますな。 @ベルリン
ヨーゼフ・ゲッベルス 総力戦演説 (日本語字幕付き)
VIDEO ベルリン大学の数学教室で ワイエルシュトラスが講義した 大講義室を見せてもらったことがある
Mathematical Publishing in the Third Reich : Springer-Verlag and the Deutsche
https://www5.in.tum.de/persons/huckle/pub_third_reich.pdf Süss accepted a position in Kagoshima, Japan and began his new job in March. It was not really a mathematical job but rather saw Süss using his skills in German language and literature. He certainly did not abandon mathematics despite it not being part of his day to day work, and continued to undertake research which he published. After five years in Japan, Süss corresponded with Karl Reinhardt who was professor at Greifswald. The two had known each other from their childhood and the exchange of letters led to Reinhardt telling Süss that if he submitted his papers to Greifswald he could habilitate there and obtain a position. Süss accepted the idea and returned from Japan to take up the lecturing post at Greifswald.
来年はRiemannの生誕200年だから 何かの催しがあるかもしれない
ケーニヒスベルク大学出身の数学者 ヒルベルト ミンコフスキー ゴールドバッハ ハイネ ヘッセ リプシッツ
Bergische Universität Wuppertal
Göttingenの数学教室は Bunsenstraße 3-5
Regensburgの数学教室の廊下には Gaußの大きな肖像画がある