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・涙の10.19
・つまり、西武の4連覇
・さらば阪急南海
・郭はもう泣いてます、星野中日初優勝
・ビールかけのない自粛ムード
・東京ドーム開場も巨人見せ場なく王政権瓦解
・阪神暗黒の中、どんでん涙のHR
泣けるシーズンだった昭和最後の年。
この年に生まれた赤ちゃんは後に球史に名を残す面々として育っていくのでした。
4月だというのに開幕日の関東地方は大雪。
西武球場のゲームは中止となり、
東京ドームは予定通り昼の日ハム戦、夜の巨人戦が行われた
前年度4位と健闘した南海が、なにをとち狂ったかメジャーリーガー・バナザードを獲得。
西川はオープン戦でノーヒットノーランを達成してオープン戦MVP。
実力派新人・若井もオープン戦新人王。
もしかして、と思わせての開幕戦。西川がオープン戦を再現するかのように7回まで
王者西武を無安打無得点に抑える。
と、ここまではよかったんだが結局8回に2安打され0-1の惜敗。
翌日は若井が派手なタイムリーエラーをやらかし化けの皮が剥がれる。
そして開幕7連敗の泥沼に。
結局シーズン最後は「いってまいります(´・ω・`) 」
中日はセでは強かったが完全に森には筒抜けだったな
あわや33-4。最初が小松じゃなく小野だったのが悪かったか
テレ朝が映らない地域が多かった当時の東北や九州は10.19が見られず、郭はもう泣いていますのほうが印象深いらしい
この試合、フジやTBSならもっと話題になったかもな
近鉄と関係が深いABCが大阪向けに流してたのにテレ朝がのっかった形だから、
阪急系の関テレ、南海系の毎日だとそもそも中継されない
とかいう気がする
せっかく優勝したのにビールかけを自粛した中日。
結局、次に優勝するまで11年もかかってしまい、ビールかけがずっと
お預けになってしまった。
ちなみに、その自粛を破って西武の連中はビールかけをしたので、
中日ファンとしては絶対に許せなかった。なんで自分たちだけ?って。
10.19は川崎が試合続行不能に落胆してるとこに西武が胴上げをおっぱじめて西武やそのファンがかなり嫌がられたな
ロッテばかり叩かれたイメージだが西武もかなり叩かれた
シーズン終盤に雨後の筍のように近鉄ファンが湧いてきて、翌89年まで居座ることに…
マスコミまで巻き込んで近鉄応援(西武批判)の空気が作られていったのは
元からのファンとしては複雑
この年の関東地方の夏は雨ばかりで川崎球場はナイターであっても昼間の時点でグランドコンディション不良での中止を多発した。
そのしわ寄せが秋のダブルヘッダーの連続となり10.19を演出することとなった。
クロマティが指の死球骨折で離脱するも、第三の外国人として呂明賜がブレイクして
前半戦の話題の中心に。
(当時はの外国人枠は3人までで、一軍は2人までだった)
阪神はバースが息子の水頭症治療のため5月で戦線離脱し帰国、
契約事項の不備などもあり期日までにチームに復帰せずまさかの解雇。
さらに当時の球団代表だった古谷が心労から東京のホテルから投身自殺して
負の連鎖がシャレにならなくなった。
後釜として急きょ獲得したのがゼロゼロ怪人ことジョーンズ
>>15 そんなマドロックの応援歌は、何ということでしょう。
「サザエさん」だったではありませんかw
マドロックは外人選手としては珍しく自由契約通告後でも最後まで試合に出続けた。
おかげで10.19の第二試合にホームランを打ち、涙の時間切れ引き分けを演出することになった。
この年何故か打ちまくってた人達…
呂(G)
パチョレック(W)
高橋雅(W)
バークレオ(L)
ブライアント(Bs)
イースラー(F)
オリオンズとライオンズは昔から仲が悪かったが10.19で「仲良く」国民からボコボコに叩かれた
しかし、これがセなら更に怖かったな
巨人と長く優勝ないチームが競ってる時にベイスが邪魔して試合続行を出来なくして巨人を優勝させたと考えたら…おお背筋が寒い
中日は序盤最下位だったのに、何かわけのわからない「8回からの大逆転」連発で
あれよあれよの首位独走だったよな。本当謎の勢いで無理やりごり押した感じ。
日シリではそれら完全に失せてたが
>>20 元パリーグ三冠王様がてんでダメだったからね。
完全に西武にナメられてた。
(逆に宇野が好調w)
>>21 西武にもつともナメられたのはシリーズの開幕投手までやったあのヒゲだろ
「うちで6番手ごときだった投手がセリーグで最多勝でエースwww思いっきりなめてかかれたよ」って西武の選手に言われてた
清原に場外打たれて選手生命まで終わらされたしな
正直05年の33-4や90年のAKD祭を覚悟しないとならないぐらいの戦力差だったからな
野球全盛期なのに盛り上がりに欠いて過去最低シリーズとまで言われた
でも巨人×近鉄が見たかったとシリーズ終わってからもブーブー言ってた奴はウザ過ぎた
>>21 宇野は1戦目で併殺とかエラーとかやらかして叩かれていたから
その後打ちまくったのに活躍したイメージがないな
巨ファンって盛り上がらないシリーズやセが負けたシリーズになればすぐ巨人が出てれば〜、巨人が出てれば〜ってうるさいよな
1982や1986や1992ならまだわかるが2005にまでそれ言ってたよな
あの時期交流戦で33-4の阪神以上に叩かれてよくそんなこと言えるなと
この年も、巨人なら〜だと王が森に手の内を読まれに読まれ、AKBにボコボコに打たれ終了だろう
オールスター戦の西崎のピッチングが素晴らしく良かった
西武のトレード戦略が的確過ぎて根本の手腕の凄さにびびった。
小野(ローテ5番手)で平野、金森で北村と交換して外野守備と肩を強化、
やり手トレードによって戦力チート化が進行してた。
落合が3割を切ってシーズン終了したのは衝撃。
中日からのトレードでは大島が日ハムに移籍して貧打を支えた。インタビューで東京の家賃の高さに驚愕していた。
大島といい平野といい中日からパに移ってからの第二の野球人生が太く長い感じ。
南海の門田が40歳で44HR、125打点でパの二冠王になり、中年の星と
フィーチャーされたのもこの年だった。
前年の87年から久々に3割30発を達成して打棒が復活しつつあった。
清原がシリーズで東海道新幹線の高架に当たるまでとばしたHR
この年プチブレイクした中日の速球派上原晃。
見た感じでは後の与田より球が軽くなかったと思う。
結果、大成しなかったどころか、動くとこも見ないくらいになったので
どうしたのかと思ったらフォームが元に戻らなくなって苦しんだとか・・・
あれは中日の大きな損失だと思った。
10.19は確かNHKのラジオ第一で全国放送してなかったか?
今ならBS1で放送しそう
ヤクルトはこの頃、関根の育成路線が徐々に軌道に乗り出して
池山本格ブレイク、伊東も中継ぎながら最多勝と近い将来の明るい未来を予感させる戦いぶりだった。
長嶋一茂が巨人のガリクソンからプロ初アーチを放ったり、
デシンセイが東京ドーム第一号アーチや2試合連続サヨナラ弾を打つなど
瞬間最大風速のインパクトもあった。
遠藤のアキレス腱断裂が痛かった。伊藤の幸運の最多勝はなかったかもしれない
広島のチーム打率めちゃくちゃやばかったよな
確か長島ヨシヒコはじめレギュラーみんな打撃ランクの一番下のほう
巨人の犬なイメージが強い関根が唯一巨人に勝ち越した年
やりゃできるじゃん!と思ったが翌年アレを出してやっぱりな、と思った
>>37 正田(首位打者)の高打率が完全に浮いていたなw
前年のホームラン王だったランスが1割9分くらいで19本くらいだったか。
試合中にベンチで雑誌を読んでたとかいう理由がきっかけでこの年限りで
解雇された
捕手 達川 光男 率.261(383-100) 6本 38打点
一塁手 小早川 毅彦 率.289(453-131) 17本 69打点
二塁手 正田 耕三 率.340(394-134) 3本 23打点
三塁手 片岡 光宏 率.238(269-64) 10本 32打点
遊撃手 高橋 慶彦 率.238(499-119) 11本 43打点
左翼手 ランス 率.189(264-50) 19本 50打点
中堅手 長嶋 清幸 率.230(378-87) 9本 29打点
右翼手 山崎 隆造 率.240(470-113) 10本 47打点
桑田が好投してたのにランスに弱いからと
角に変えたら初球を決勝本塁打されたのには唖然とした
それ覚えてる。テレビだから投手が左に映る中、
角のサイドスローから放られた球が
ほぼ同じ角度で跳ね返されて飛んでった。
逆に、大洋戦で同点のまま好投を続けていたら9回頭にアドゥチ(左打ち)に
バックスクリーンを超える特大弾ぶっこまれたりと
どうにもこうにも王采配は間が悪かった。
試合後はいつも「緊急ミーティング」。
巨人は退陣する王の後釜に広岡氏を考えていたが、その広岡氏に
「王が(引き続き)やるべき」と断られたと聞いたな
助っ人って普通選手会に入っていないから、権利の関係で
あぶさんでは98年横浜はローズのいない(代わりにセカンド万永)今いちの打線だったけど、
これ近鉄だったら悲惨だな。あぶさんほとんど読んだことないけど88年当時はあまり権利関係うるさくなかったんだっけ?
4大石 .252 5本
3新井 .286 8本
5金村 .288 14本
9鈴木 .246 20本
8村上 .248 15本
3羽田 .269 4本
D淡口 .218 5本
2山下 .226 8本
6真喜志.190 3本
と思ったら名前だけみるとまあまあだな
10.19のロッテの抗議、そんなにいけないことなのか?は自分だけ?
普通は「優勝のないチームは碌に抗議すらできなくなってる」とか逆に叩かれるようが多く、(特にベイス)抗議は自然だと思うが
中畑は優勝も何も関係ないのに抗議がやたら多いからブラックリストに入れられてるだけ。
そもそも、無駄な抗議は自軍の士気を削ぐことになるからむしろマイナスなのに。
抗議は当然にしても9分というのは長すぎた。
しかも明らかな誤審なら分かるが、VTRを見る限り審判の判定が正確だったのに。
(古川は牽制がセンターに抜けたと思って自分から足を離している)
翌日ロッテ、西武ファンの子供は学校でいじめられたらしい
多分抗議はなくても近鉄の優勝は結局点数入らないまま終わってなかったんじゃないかと思う
だからこそなんだろうが
第2試合で早々と凹れば良かったのかもしれないし
直接での引き分けに白黒ついてたまた変わったんだろうな、勝ったほうが優勝だった
近鉄は主砲だったデービスが6月上旬に大麻で捕まってそのまま球界追放され、
急きょ中日からブライアントを獲得、中西コーチの指導もハマって
水を得た魚の如く打ちまくった。34本打ち、特に2ランが多かった。
南海の大阪球場ラストゲームにも立ち会ったし(皮肉にもここで星を落としたのが・・・)
波乱万丈のシーズンだった。
猛追した近鉄にとって痛かった黒星は大阪球場南海ラストゲームに当たってしまったのと、
西武との直接対決で羽田が落球した試合と星野のスローカーブに手こずり後半戦絶好調の石嶺に2本ぶち込まれた阪急戦。
>>58 後半戦は、上原がセットアッパーとして大活躍、負けている場面で起用
すると、チームが逆転したりと運も持っていた。
あとは郭を酷使しまくって、終盤ひっくり返す展開も多かった。
当時のストッパーは、7回くらいから投げるのも普通だったから、郭の
活躍には頭が上がらない。
ま、勢いだけで勝っていったから、日本シリーズでは簡単にひねられたけど。
もし中日がブライアントを近鉄に譲渡しなかったらというifの話が
この頃よくされてたな。
当時の一軍枠はゲーリー(3番打者)と郭(クローザー)で埋まってたし、
長打力はあるけど三振の多さが星野ら一軍首脳陣に
あまり評価されてなかったから、すんなり近鉄からのオファーに応じたと思う。
近鉄には名コーチの中西太がいたのが大きかった。
>>62 後々、ゲーリーはケガをして退団することになって(翌年かな?)、その
後釜はハズレばかりだったから、なおさら「なんでブライアントを出したんだ」
って言われ続けたね。
当時、中日新聞で解説記事を書いていた広岡は、放出が決まった時に
「絶対に放出してはダメだ」って書いてたんだけど、あげちゃったんだよね。
ブライアントが残っていれば、次の優勝までに11年も待たずに済んだ
可能性もあるね。
シーズン開幕直前に大洋の山下大ちゃんが突然現役を引退したのが
謎だった。
古葉との確執という説もあったけど、真相は?
そして、その翌年は開幕直前に若菜が日本ハムへ移籍。
阪神の暗黒臭は凄かったけど、大洋も大概だなw
>>63 翌年はゲーリー退団でジョージを獲得したが大はずれ
さらに翌年は、バンスローは活躍したものの、ディステファーノはダメだったからな
ブライアントがいたら、90年か91年は優勝したかも
1立浪2山口3ブライアント4落合5大豊6ライアル7宇野8中村
>>65 この後の大洋と阪神の差はこの時代の新規入団選手だな(外人も含めて)。
牛込渉外部長と木庭スカウト、これがいるかいないか。
これで大差がついたと言っても過言ではないレベル。
>>66 ジョージ・ヒンショーは、ケガもあって結果は出せなかったけれど、球団は
その実力を認めていて、翌年も契約するつもりだったんだよね。
バンスローは当たりだったけど、星野の鉄拳制裁を見て怒り、自主退団
しちゃうし、ホント、ブライアントが居れば優勝回数が増えたかもね。
中日時代のブライアントは当たれば飛距離は文句無しだけど、
大振り癖がかなり酷かったからどうだろうな?
近鉄へ移籍して改善してもあれだったし。
ジョージが残留プランもあったことは初めて知ったw
バンスローは日本向きのほんといい選手だった。
ずっといればボビーローズくらいやれたんじゃないかな。
ちょっと過大評価かなw
内野守備(特に三遊間)が不安定な南海
投手陣は少数精鋭ながら打線が火力不足(ブリューワが重度の腰痛で全休)な日ハム
マドロック立入禁止()のロッテ
これらよりかはさすがにセリーグAクラスの方が上だろ
Aクラス常連だったはずの阪急が4位というのが意外。
山田、今井、福本の衰えやらブーマーの故障やらあったにせよ
>>74 ロクなリリーバーの不在が大きく影響を及ぼしたかと。
オールスター前までセーブが一つも無かった程の壊滅振り….つうかリリーフ不要の先発完投
システムを基盤に置いていたチームが、その軸を長らく務めた山田、今井の衰えが急で、最早
佐藤義や山沖の無理使い程度では穴埋め出来なくなったという感じでしたな。
後半になって新人の山口嘉をリリーフに据えて11セーブを挙げる活躍をするも、最下位転落を
免れるのに精一杯って感じで、上田監督の退任が確実視されていた位でしたが……。
松浦が度重なるリリーフ失敗で先発専念となった日ハムも似たような状況だったけど、河野
(後に巨人で「ゲンちゃん」と呼ばれた左投手)がフル回転で防御率1位に輝く奮投でどうにか
Aクラスは確保した。
この年のロッテがヒールの印象が強かったのは
10.19の有藤の抗議の他にも、終盤の阪急戦で
高沢と首位打者争いをしていた松永に対して
露骨に勝負せずに徹底敬遠を敢行して高沢に首位打者を
取らせたことも要因。
嘘つけ。
タイトル争いでの敬遠なんて珍しくないし、
だいたい日本シリーズと同じ日にやってた試合だからニュースでも全然流れなかったのに。
>>49 一月前のレスに亀レスだけど、水島新司の漫画で外国人選手の
取り扱いが変わるきっかけになったのが翌年のダイエーのアップショーだよね。
調子が上がらずに落ち込むアップショーを、あぶさんが映画「メジャーリーグ」に
連れて行ってアップショーが発憤する話。
その後アップショー側から肖像権を盾に結構な金額を請求されたらしい。
それ以降水島新司は作品中で実在の外国人選手は登場させなくなった。
よかれと思って、しかもよりによって応援するホークスの選手からの仕打ちだけに
「もう外国人選手は描かない(描けない)」となるのもやむなしかと。
監督とかはその後も登場したりしてたけどね。
バレンタインとかヒルマンとか。
まあアップショーの気持ちも分かる。
というか他の選手だって勝手にキャラ付けされて、
水島の作った選手の引き立て役に回されちゃおもしろくないし、そう思っていた人も結構いるはず
今の感覚か?
肖像権云々はおいといて、勝手に水島ストーリーを展開されて面白くないのは普通だろ
当時扱いの小さかったパリーグを扱ってくれているとか言っている人もいたが、
完全に水島の自己満足のような内容で、偶然パリーグが舞台だったというだけにしか見えなかった
結局どんな凄いバッターでも最終的には
「ヤッパリ、アブサンハ、スゴーイ」
って描かれるんだったら迷惑に思う人もいるだろうね。
件のアップショーは期待はずれのところを取り上げられたから
余計にプライドも傷ついたのかもしれないし。
>>78のレスだけ見ると、アップショーが
かなりの守銭奴のように思えてしまうw
94年にウィンタースメインの回
95年にミッチェルメインの回
がそれぞれあるんだけど、アップショーはそのあと訴えたってこと?
>>67 バースやフィルダーを獲得した渉外担当がクビになったからな
で代表自殺
バース問題は、根っこはフロントの闇が全て
>>75 アニマルはパフォーマンスばかり捉えられたが
リリーフとしたら良かった気がするんだが
なんで切られたんだろ
>>88 2年目、不調でリリーフ失敗が多く5セーブしか挙げられず、終盤は佐藤義則をリリーフに
配置転換したり(これで先発に穴が開いてしまった事が20勝を目前にした山沖の中2〜3日
登板(且つ完投)にも連動した)と四苦八苦した事で現役引退と相成った様。
で、恐らくアニマルに代わるリリーフ外国人投手獲得を目指したものの、失敗に終わったの
では無いかと。
wiki見たけどアニマルのWHIPやばいな。
リリーフで2年続けて1.50以上って。
いろんな意味で劇場タイプの抑えだったんだろうな。
この年の西武、ショートに定着したはずの田辺がケガしたため、シーズン終盤は清家や藤野を使うもろくに打てず。
日本シリーズでは、DHのバークレオがレフトの守備につくことが恐れられたが、
それ以上に、全試合サード清原ショート石毛でスタメン。ファーストは安部や笘篠や広橋。
そこまでしてショートの打撃不足をどうにかしたかったのか
日本シリーズで中日を2安打完封したのが人生のピークだったな
もしバースが息子の病気がなかったら
かなりいい線はいったかもしれない
掛布引退もなかった気はする
中日は、ホントは初戦小松で行きたかったのだが、最多勝の小野に
気を使って小松を先発させられなかった。
あれ、小松は88年には故障してたかな・・・
87年にはインチキ最多勝を獲ったよね。
あんまり覚えてないのに書き込んでしまって申し訳ない。
>>99 春先不振で開幕ズッコケの元凶となっていた。
夏場から持ち直して12勝まで勝ち星を伸ばすけど。
愛知県知事自殺って優勝前と優勝後どっちだった?
確かこの年と思ったが
>>102 優勝後。というよりソウル五輪終了後と言った方が。
名古屋に五輪誘致してたけどソウルにさらわれたケジメとも言われてた。
1988年は主役は近鉄だった
西武は79年以降根本の手腕で常勝チームを
作りあげたが、10.19や10.12のような物語に恵まれなかった
運も実力の内
前半戦迄は巨人首位だったんだけどなオールスター明けに一気に失速
クロマティ 吉村と立て続けに離脱したからなあ
投手陣は江川引退 桑田鹿取西本不調
>>107 吉村が正面衝突した試合は、実は巨人が中日に3タテで、開幕直後の大負けから漸く建て直してきた中日に引導を渡したと思われた試合だったにも関わらず、試合後の巨人ベンチはまるでお通夜の様
だったという(´・ω・`)
一方、引導を渡された中日はその晩、1001がコーチ陣を集めて「今シーズン反省会(今シーズン
というのがミソかと)」と開き、コーチ陣から次々と出て来る容赦ない1001批判に1001がとうとう
涙を流し、残り試合、心を入れ替えて戦う事をコーチ陣に誓ったという。
その後の巨人と中日が共に全くの別チームとなったのはその後の展開からも明らかだ罠。
朝のニュース番組だったか、中日の北海道遠征3連敗を伝える映像で
星野がグラウンドからベンチに入る時に鴨居に頭をぶつけたシーンを3回繰り返すという編集をしていたな。
>>108 この年から代走・守備固め要員として使われだした栄村が結果的に
疫病神になったのがな。吉村に重傷を負わせた他にも
独断で盗塁を試みて失敗したり、代走で出て二盗した際に捕手からの
送球が頭を直撃し、これがきっかけで
代走の選手もヘルメット着用が義務付けられた。
札幌で吉村に打たれた米村明って左腕が「全く左打者が苦にしなさそうな」左腕だった。
そういえばあの外野フライ打ったの中尾だったな
>>113 アメリカでスクリュー覚えて帰ってきたんだよな
後半だけで5勝、防御率0点台
日本シリーズの秘密兵器とか言われたな
>>115 そしてその「日本シリーズの秘密兵器」と呼ばれたはずの男が
26年たった今でも未だ日本シリーズ未勝利というのもな。
>>63 広岡って悪役のイメージでどうにも好きになれないがやはり慧眼だな〜
>>117 そのシリーズで勝った森山(パ新人王)なんて
この年しかまともに勝ってない選手なのに・・・
この年の開幕戦巨人ヤクルト戦、1−1で迎えた6回裏2死1,2塁で中畑が
左中間を破る。しかし2塁ランナーに続いて1塁ランナー篠塚もホームを狙ったが
ブロックされてアウト。このとき篠塚は大きく弾き飛ばされた。そのあとヤクルトが
逆転して勝利。ヤクルト側は「あそこで篠塚を刺したのが大きかった」と振り返る。
翌日の試合前にその試合の模様が放送され、篠塚が刺された場面でアナが
「これはヤクルトいいプレーでしたね」と言ったら解説の堀内が「ええ、しかし
あれで弾き飛ばされているようではいけませんね」と言っていた。
その堀内がその5年後のヤクルト戦で金森へのビーンボールで乱闘になって
ユニホームをグシャグシャにされたのは面白かった。
あれくらい熱くなってくれるコーチならそりゃ慕われるわな。
10.19の日、セ優勝チーム中日は既に全日程を終え、日本シリーズに向けて調整中だった。
ダブルヘッダー第2戦の7回表に近鉄が3−1となったところで星野は小野と中尾を呼び、
「おい、どっちが来ると思う?」と聞いた。すると二人は声をそろえて「そんなもん、
近鉄に決まってるじゃないですか。」と言った。それに対して星野は「よしっ、じゃあ
賭けよう。俺は西武だ。」と言っていた。
福山雅治がもしあの女優と結婚なら
10.19の伝説のホームラン打ったオヤジが義理の父親か
なんか合わないな
ああ福山雅治も割と男気の職人肌だから
合うか
10.19
これもし西武が勝てば連覇、引き分けなら近鉄の状況で同じようになったらここまで伝説化しただろうか?
西武近鉄の一年をまるまる逆にし、第二試合は延長抗議時間切れ
それなら有藤は「西武優勝阻止した英雄」扱いされたかもしれないし、森は辞任してたかも
有藤通世の抗議は2011年のナベツネの開幕強行発言に並ぶNPB史に残る最大級のKY行為だな
もし近鉄が優勝してたら、4-1くらいで日本シリーズ中日に勝った気がする。
巨人のV逸はクロマティ、吉村の怪我が確かに痛かったけど、その前から戦い方がチグハグだった。
5月半ばくらいで総得点、総失点の差が他球団に勝っているのに、首位広島と5ゲーム位離されてた。
大勝したかと思えば1点差負けの繰り返しで、1点差試合は開幕から8連敗という有様だった。
1点差負けって、マスコミが「監督の采配が〜」って叩きやすい典型だけど
多分に偶然の要素が強いよ。
http://2689.web.fc2.com/1988/giants.html この年も7連敗のあと7連勝でシーズン通しても23勝24敗のほぼイーブン。
まだ逆転負けの方が相関性が高そうだな
こちらはブルペンの弱さに原因を求めることができるから
>>128 いやいや、ナベツネのKYぶりの数々に較べたら
有藤なんかかわいいほうだよw
それぐらい、ナベツネはウザいw
鹿取と角の極端の衰えと、石毛台頭までは抑えは弱かった巨人
その代わり先発は最強で
抑えがいなくても勝てた
しかし西武4タテ敗退以降は、そのメッキが禿げた
鹿取は衰えってよりも巨人最後は干されていただけじゃないのか
>>135 鹿取は王監督が「当時のレベル」では酷使と言われるくらい登板させられてて、
明らかに疲れた顔をしていたり調子を落としたりしていたからねえ。
それもあって翌年藤田監督になって、登板間隔をあけるような起用をしたら、
それはそれで調整がうまく行かずにトレードって感じだったかと。
>>137 鹿取の場合、早い回で先発が崩れた際のロングリリーフで9回まで投げ切ったり、サンチェが不調
の時に代役クローザーとして緊急登板したり、後続の投手が尽きた際に「取りあえず鹿取」的な感
じで敗戦処理でも投げたりとイニング跨ぎなんて当たり前(というよりも当時、鹿取のケースを筆頭にイニング跨ぎを問題視する人なんて誰一人居なかった様な)の文字通りの便利屋として使われた
からね。
元々、肩の仕上がりが早い事から、「中継ぎ、抑え、何処でもイケる」という感じで一軍に定着した
鹿取からすれば、それを当然という感じで引き受けていたけど。
伊東の幸運の最多勝だが
尾花 31先発 9勝16敗 232投球回 2.87
から何回ヌッスしたんだろうか
なんかやるせない気持ちになる
その尾花が現役時代エースながら一度も達成したことがない15勝を
伊東はこの年挙げるんだからなあ
尾花
1982年 12勝16敗 246回 2.60
暗黒球団のエースって辛いな
あと、リードしてランナーが溜まった場面で尾花から伊東に交代
→伊東が打たれて逆転されそのまま負け
→負け投手は伊東ではなく逆転のホームを踏んだランナーを出した尾花
とかありそうだ
伊東の勝ち星って、いわゆる「盗っ人」パターンはそんな多くないと
聞いたことがあるような気がする。
昔の全試合の載っているサイトで検証してみた
・盗人勝利…3勝、盗人臭いもの…2勝(どっちも先発尾花。回途中で降板したので判別不可)
・ロングリリーフ…3勝(ペナント序盤に記録。どれも先発が早々とKOされた)
・リードからリリーフ勝利…5勝(リード後に投げた投手の中で一番イニングの多い投手につくもの)
・同点からリリーフ勝利…4勝
・ビハインドからリリーフ勝利…1勝
こうして見ると案外少ないような
ただ、ロングリリーフ3勝のうち同点に追いつかれたものが2勝分あった
この年の中日の郭と同じく7・8回途中から投げるパターンが多かった
あと、伊東は8月だけで6勝を挙げてて
8月4〜9日まで5試合で4勝!(うち巨人戦2勝)
シーズン終盤で広島に2連勝して最多勝を獲得した
ただしその次の試合の8回裏同点からリリーフして打たれ
あわよくば単独最多勝の夢が潰えたおまけつき
松本がいなくなり、代わりに駒田がレギュラーになっただけ
長打力は上がった代わりに
機動力が極端になくなり
僅差の脚が使えなくなったことで、1点差に極端に勝てなかった
この頃の阪神巨人
貧打でお馴染みの阪神が
ひさびさの掛布と岡田の活躍で3―1
しかし9回に吉村がキーオから同点ホームランを打った
しかし10回裏
鹿取が代打田尾にサヨナラホームランの1点差サヨナラ負け
いかにもこの年の巨人を象徴する試合だった
松本最後の年は13盗塁しかしてないし、
チーム盗塁数も87年の55盗塁から88年の63盗塁とほぼ変わりないんだけどな
あと1点差試合も
87年 16勝17敗
88年 25勝25敗
とほぼ同じだった。
しいて言えば87年ほど投打で圧倒できなかった分競り合いになることが多くて、
王監督自身采配の妙というより力の差で勝つ野球を志向していたから、
五分五分になるのも仕方ないというかある意味運任せだったんじゃないだろか。
開幕戦のヤクルト戦で鴻野の悪送球がきっかけとなって、平田(元巨人の左殺し)に
決勝打を打たれて負けたのがこの年のチグハグさの始まりだったと思う。
鴻野はこれがきっかけでショートのレギュラーから外され、前年まで
併用されてた岡崎がレギュラーになった。
田尾はこの年三本のサヨナラホームランを打った。
翌年は岸川がやる
イメージ的なもんだろう。駒田1番はどう考えても淡泊すぎた
まあ翌年、緒方が定着したから良かったが
大阪球場最後の試合
近鉄戦だったんだがなんか近鉄が南海に花を持たせてあげたような気がして
ならなかった
ただの消化試合ならそれでもいいが
結果的にこの試合勝っていれば優勝って試合だっただけに
西武との最後の直接対決で負けた時点で、
まぁ逆転優勝は無理だろうという見方になった。
南海に負けた時はいくら残りがロッテ戦ばかりでも一試合くらい負けてしまうだろうという感じだった
大野豊が家族で強請られてヤクザに800万円支払いしたと問題に
4月 5月の王采配の叩かれ方が半端なかった
1番 駒田が 攻撃野球の真髄らしいからね
暗黒5年間の総決算のような1年だった
巨人野球の神髄は、1、2番の機動力だった
しかし駒田1番で、相手は脚の警戒をせずに済んだ
だからこそ藤田は、緒方を育成した
あと、栄村があんな形にならなければ
松本や柴田の後継者になれる可能性はあった
>153
結果論だから、なんとでも言える(俺もだが)
終盤落とした試合で、あれを落とさなければ、という点では
その後の西宮の阪急戦で阿波野で落とした試合だったと思う
1985年、1986年、1988年と4年で3回も
優勝チームの胴上げを見させられたヤクルト
広島の貧打はひどすぎた。
正田以外は.250以下がほとんど。
>>153 あの日は西武も日本ハムに負けたから同じだよ
>>160 阪急に2−1で負けた試合かな?
羽田がファーストフライ落球(どんな状況か知らんが)
ストッパー毒島でもネタにされてた。 >>160 あの日は試合前に上田監督が球団事務所に呼ばれて、2日後に球団を身売りすると言われた
そのため絶対に負けたくなかった
関係者も後で考えると、上田監督の顔は殺気だっていて、身内でも亡くなったかのような感じだったらしい
俺は当時中3だったけど
野球もそうだがとにかく充実してた。
部活に打ち込んでたし、好きな女の子に夢中になってた。
今も趣味はあるが夢中になるほどではない。
恋心も10年以上休んでる。あのころに戻りたい
基本打順
巨人1蓑田2岡崎3吉村4原5呂6篠塚7駒田8有田
中日1彦野2立浪3ゲーリー4落合5宇野6仁村徹7川又8中村
広島1山崎2ジョンソン3高橋4小早川5長内6長嶋7ランス8達川
大洋1高木2高橋3屋敷4ポンセ5パチョレック6平田7村岡8市川
ヤクルト1栗山2渋井3杉浦4デシンセイ5広沢6池山7秦8ハーパー
ダメ虎1大野2和田3真弓4岡田5金森6中野7渡真利8木戸
>>168 ヤクルトは外野手の一角は荒井と小川の併用
(ハーパーは4月の序盤しか居なかった)
5番 宇野の大アーチ
6番 徹の勝負運
7番 川又輝いて
8番 中村夢を打つ
>>169 あの頃の星野仙一も本当に魅力的だった
正に男星野仙一そのものだった
ローカル球団を気にしてた星野仙一は
選手に一流どこのスーツを買わせ、銀座や六本木に選手を無理やり連れさせた
名古屋のローカルの遊びでは、田舎ぐせつくからダメになると
巨人に勝つには、全てを変えないと行けないと
バブル時期と相まって金もバンバン出した
>>170 そうそう
荒井忘れてたわ
ダメ虎は見事に変わった
87年開幕戦
1真弓2田尾3バース4掛布5岡田6柏原
87年9月
1北村2大野3バース4掛布5岡田6渡真利
88年開幕戦
1大野2和田3掛布4バース5岡田6真弓
88年5月
1大野2和田3掛布4岡田5真弓6佐野
88年7月
1大野2和田3真弓4岡田5金森6中野
88年8月
1大野2和田3真弓4岡田5ジョーンズ6中野
88年最終戦
1横谷2和田3中野4真弓5宮内6渡真利
見事に落ちた
>>172 負けグセ野武士を建て直した理由はそこか
阪神や楽天もこう建て直したのかな
就任時のコメントの「覚悟しとけ!」はカッコいい
彦野立浪仁村川又にタケシって平均年齢相当若いんじゃないの
>>174 村山は当初、3番掛布・4番バースにして衰えだした掛布を何とか
再生させようとしてたっけ。
バースが息子の治療で帰国して復帰の目処が立たなくなったのが誤算だった。
ゼロゼロ怪人ことジョーンズを呼ぶくらいなら、前年にヤクルトを退団した
レオンでも呼んだ方がマシだった。
星野って弱いチーム動かすのが得意なのかな
チームが熟すとブレーキかかったパターンが多いし、北京もやりくりが苦しかった
多分今の中日なら優勝まで建て直しできるけど熟した阪神はいい結果出せなさそう
>>178 殴る蹴るの恐怖政治かと思えば、色々と面倒見のいいところを見せたりで、
いわゆる「アメとムチ」の振れ幅が凄いというイメージがある。
若い選手とか実績のあまり無い選手はそれで火がついたり
ついていこうという気になったりするだろうから、
弱かったり若い選手が多いチームには劇薬のような効果があるんじゃないか。
選手の年齢が上がって実績を積んだり家庭を持ったりすると
「ムチ」が使いにくくなるので劇薬の効果も薄くなる。
元々「采配」ってのは別にとりたてて上手でもないイメージ。
でも星野の真骨頂は球団に補強の金をポンと出させることだよなあ。
それは古今東西の監督を見てもけっこう上に来る能力なんじゃないか。
1、この年の10・19
2、翌年で申し訳ないが10・12
3、メジャーで申し訳ないがこの年ワールドシリーズのギブソンの代打ホームラン
あれから四半世紀以上経つがこれらを超える感動を野球から得ていない
(あえて言えば1998年夏準々決勝以降の横浜高校)
年取って感動する力が無くなってきたのかもしれないが。
>>177 レオンは関東希望だったみたい
レオンは85年にヤクルトに移籍した
ゲイルをクビにしてレオンを獲得してたら
連覇もない話ではなかった。
1真弓2北村3バース4レオン5岡田6掛布7柏原8木戸
ホーナー厨がレオンに代わってまた出てきやがったか
ショートがいないから真弓をショートに戻して、バースにライト守らせるのか
暗黒時代初期の阪神は深刻な先発投手不足が慢性化してて、
2桁勝利が計算できるのがキーオくらいだった。
キャンプ前に長崎をクビにしたけど
契約問題などで揉めたりしなかったのだろうか
>>180 俺もそうだよ。
最近で感動したと言えば06年の夏の高校野球の決勝戦くらいだな
>>167が俺だけど今は充実感がない
あのヨボヨボの長崎が自分から引退を言い出さないから阪神もいい加減にしろ!と動いたんだろ
長崎は、日本一決めた満塁ホームランで完全燃焼したんだとは思う
あれで神様だから
巨人ファンとしては、吉村クロウの大怪我とボロボロの王采配で、2位なのに絶望しか感じられなかった。この巨人を一年で立て直した藤田監督ってすごい名将だと思う。
つーかあれで優勝できんのは王と堀内くらいじゃないか?
長嶋や原も優勝させそう
ガリクソンがポンセに本塁打された時、ホームラン争いしてた原が
「ポンセ フレンド?」と言われてキレてたとクロマティの本に書いてあったが本当かな
槙原 10勝13敗 完封4 208回 187三振 whip1.02 防2.16
>>191 長嶋だって、優勝は難しいかも。
意外と采配はズボラ…ていうか、ポンコツだったからw
>>178 運用型とよく言われるが実は「わしが育てた」の通り育成型なのかもな
戦略だけじゃなくメンタルとかで懐柔したりして総合的に伸ばす、これと決めた若手は殴ってでも伸ばしてやる、使ってやるとか
反対に育成型と呼ばれる原や野村は運用型でしょう
>>195 星野は与田と森田で「壊す」イメージついちゃったからねぇ。
なかなか「育成」のイメージで見づらかった先入観があった。
あと「殴る」のも伸ばすためというより「憂さ晴らし」の
イメージも強かった。
パウエルの件もあったし。
原と野村が「運用型」てのは同意。
日本シリーズ4-1だったけど、最終戦とか割と盛り上がった記憶がある。この年の熱闘日本シリーズも出して欲しかったなー。
2回目(だったかな?)の日本シリーズサヨナラ優勝だったな。
小松、郭まで投入した中日と延長で松沼兄を持ってきて
まだ投手陣に余裕のある西武。
第4戦は石毛の同点本塁打でほとんど決まってたな。
あの5戦目は誰もが「これで名古屋…」って思ったよな
何が何でも西武球場で決めてやるという西武の凄まじい執念を見た
落合がまともに勝負されない中で5番宇野が孤軍奮闘してたイメージ
でもいくら点を取っても取り返される中日投手陣
17打数3安打.176
2本塁打5打点4併殺打1失策
・4併殺打は5試合シリーズでの最多記録
・中日唯一勝利の第二戦で押し出し死球で勝利打点を記録
実に宇野らしいハチャメチャな奮闘だった
小野のおかげで優勝し、小野のせいで日本一を逃した
中日は日本一になれないのはもはやさだめだったのかもな
確か郭がロングリリーフだったと思う。
もしナゴヤに戻ってたら、確実に投げられなかったろうね。
>>202 03阪神も伊良部がそうだった
星野絡みはシーズン男が逆シリーズ男に化ける嫌な流れがあるな
13の田中もあわやそうなるとこだった
>>203 当時のストッパーはそれが普通
この年の郭のシーズン投球回数見てみ
2010の浅尾がシリーズでロングしたのに既視感を覚えた。
この年のシリーズって、DH制に関係なく清原が全試合サードスタメンだったんだよな。
田辺がケガでまともに打撃のできるショートがいなくて、ショート石毛にするために。
閉幕直前の優勝争いではショート清家や藤野だったが、やはり打てず、シリーズでは一転して打撃重視に。
よくもこういう付け焼き刃的なサードで圧勝できたよ。
サードに清原は守れる場所が一塁くらいしか無い(無理すればレフト)
バークレオやデストラーデをDH制のないセの球場で使うための
布陣だったけど、全試合サード起用は今思えば舐めプだったとも思える。
西武時代の小野の立ち位置を考えても、落合さえ徹底マークしとけば楽勝と
考えてた節が
>>200-201 西武球場の逆方向に同点HR打ったのは覚えてるわ
最終戦だったかな?でも打率は全然なんだなwwww
1988年日本シリーズ 清原場外ホームラン
1988年日本シリーズ第4戦、清原選手ホームラン
1988年日本シリーズ 西武対中日(第3戦〜5戦ダイジェスト)
1988年日本シリーズ第4戦秋山ファインプレイ
1988年 日本シリーズ第5戦 松沼博久投手の投球
>>207-208 西武にしてみたら、「所詮、中日はマグレで勝ってきたチーム」
ぐらいな感覚だったんだろうなw
もし10.19で近鉄が優勝してたら、近鉄が日本一になってた。その後の合併騒動もなかったかも。
>>212 1998年とか2004年みたいに、ホントにリーグチャンピオン同士の
戦いなのか目を疑うようなグダグダなシリーズだったかもしれんと
個人的には思っている。
>>211 >>22だな。自分とこのローテ6番手がエースのチームとかかるーくひとひねりだったってことか
森「日本シリーズ初戦で、うちから切られた小野を出した時点で、選手たちが安心してた。あれがもし、小松や近藤とかなら
案外苦戦したと思う」
中日は何でゲーリーを控えにしてたんだろう
もったいない
>>214 そうかな?笑 でも一方的な結果にはならなかったと思う。笑
TVゲームの龍が如くの新作の舞台が1988年で
竹内力が阿波野という名前で登場するのだが、
バブル期だから「あわの」という名前なのかと言ってた。
しかし阿波野自体も「あわの」という名前だけあって
日本のバブル期が終わるのと同じように自身の
全盛期も終わってしまったが。
翌年から俺は近鉄一筋になった
この年までは近鉄と南海と両方を応援してた
南海がセリーグに行って阪神がパリーグになれば
セパ両方ファンがあってよかったと思ってた。
王監督解任会見ワイドショーでずっとやってたの覚えてる。
>>229 チーム内はそうでも無いけど、長嶋シンパとされる正力亨オーナーと川上シンパとされる務台読売
新聞会長との主導権争いがまだ燻ってはいたっぽいね。
長嶋解任で一旦は決着が付いたかと思われたが、良くも悪くも中立の立場ながら監督としてはまだ
未熟だった王監督を間に当分王で行くべきとの正力オーナーの抵抗に対して、V9時代の常勝巨人の
復活を狙う務台会長が広岡、藤田といった勝てる監督への交代を画策していた様だ。
1987年のシリーズ後に酒席の場で会った日経幹部に対して、務台会長が巨人ファンからの嘆きの投
書を引き合いに出して「来年日本一にならなければ、監督もオーナーもクビだ!」と一喝したとの
逸話も残されている。
普段は巨人の犬とか言われてた関根の率いるヤクルト、なんでこの年だけ巨人に牙向いたんだ?
これも巨人のお家騒動が原因か?
西武は小野に安心して叩き潰したがもし小野に負けたら嫌な空気が出来、それを引きずって33-4みたいなぼろ負けした後しばらくは暗黒生活に入っていたんではないか?
「ジュッテンイチキュウ」
パ・リーグの歴史上で一番といっていいほど熱く燃えた10月19日は、四半世紀以上経った今でも「ジュッテンイチキュウ」と言われ多くの
人々の記憶に残っている。88年シーズンは序盤10試合こそ王者・森西武と新任・仰木彬が率いる近鉄による首位の奪い合いだったが、
すぐに西武が抜け出して独走状態。V4濃厚だったが、前年最下位の近鉄が猛追して6月には最大8ゲーム差あったのをジワジワ追い上げ
10月の熱狂へと繋げた。近鉄は10月も18日まで7連勝を含む12勝5敗で、19日のダブルヘッダーに連勝すれば1シーズン制では初の
優勝となるはずだった。第1試合の途中で舞い込んだ「阪急身売り」の報をも吹き飛ばすような2試合の激闘は、惜しくも1勝1分けで近鉄
8年ぶりの悲願は夢と消えた。
近鉄は勿論、相手のロッテも本当に首位と21ゲーム差も離れた最下位かと見紛うような戦いでドラマを演出した。ロッテはベテラン村田兆治
こそ最終登板を終えたため登録抹消で投げさせられなかったものの、欠場でも首位打者濃厚だった高沢秀昭の先発四番起用、守護神・牛島
和彦や前日先発で2イニングを投げた13勝のエース荘勝雄を同点で投入するなどベンチも正々堂々としたものだった。
有藤道世監督による第2試合9回裏の抗議も勝負にこだわる気持ちから生まれたものだった。事実は二塁走者・古川慎一が外野方向に
牽制球が逸れたと勘違いして足をうっかり塁から離してしまったものであったが、有藤は「選手が助けを求めているのだから、あの抗議は当然。
でも消化試合なら、あそこまで長くはならなかった」と話した。規定の4時間打ち切りを考えると、抗議が無ければ“11回表”が行われる可能性も
確かにあっただけに、あの9分間は微妙に響いた。それについて仰木は「監督として抗議するのは当然だろうが、パッと切り上げて存分に
戦わせてやる“武士の情け”が欲しかった」と述懐した。
西武と近鉄は共に貯金22、近鉄は負け数1つの差で涙を飲んだ。それについて2日前の17日での阪急戦を、エース・阿波野秀幸で落とした
敗戦は「10.19」と同様に痛いと言われた。しかし阪急・上田利治監督は身売りの事実を知っていて、試合前に「残り試合は全力を尽くせ」と
強い檄を飛ばしていた。
阪急と同じく身売りにより15日に大阪球場ラストゲームで近鉄に競り勝った南海、17日の阪急、そして19日のロッテといった他球団にも
それぞれ近鉄と同じくらいプロの意地を見せるそれぞれの理由があった。 (了)
あんな状況でも有藤はガチで勝負にこだわった
恐らくセリーグのチームなら片ヤオ的な流れで勝ちを譲ったことだろう
だからあれで良かったんだよ
インチキで安っぽいドラマ的な感動なんていらない
あれこそ本当の死闘
あれこそパリーグの魅力だ
セだとして西武役が巨人で近鉄役が阪神や中日でロッテ役が大洋やヤクルトとかだったらとんでもない荒れ方したと思う
ドラゴンズのリーグ優勝がほぼ確定した辺りから、
カルビープロ野球チップスのカードの割合があからさまにドラゴンズの選手が多めになった
>>236 巨人の場合はOBやマスコミの荒れっぷりがひどいだろうし
阪神だったらファンが大暴れするのは確実だろうな
もちろんどちらの場合もその後徹底してその試合のことは無視される
有藤は多分生きていけないだろ
巨人なら社会的な殺害を受けるし、阪神なら物理的な殺害になりそう
TBSのクビになった男たちでハロワ通いしてる姿が放送されてたかも
飯田、武上、田淵、尾花、偽ピーコ、江尻…
暗黒監督でも平気で「再登板」や「コーチ」なんて話は少なくないが有藤にこうした話が退任後一切ないのはやはりこの10.19の悪影響がありそうだよな
翌89年は「ありと〜、西武から幾ら貰ったんだ〜」野次は当たり前、
はた山ハッチ(=やくみつる)は親会社のキャッチフレーズ
「お口の恋人 ロッテ」をもじって
「西武の恋人 ロッテ」とネタにしてた
3番 落合
4番 ゲーリー
落合死んでたなぁ前半戦
>>231 それが原因でロッテが西武の犬と叩かれた時に「巨人に対するヤクルトよりはマシ」といいわけを封じられてしまった
確かこの年は本業もロッチ偽物問題で相当苦戦したはず
中日の主力は軒並み前年比成績ダウン
落合、宇野、ゲーリー、中尾、小松、杉本、鈴木孝政、
MVP郭も実は前年とあまり成績変わらない(前年も素晴らしかった)
これで優勝する不思議
中日は弱い優勝チームだったな
シリーズは案の定あっけなく
>>240 人間関係もあるな
飯田は鶴岡
江尻は広岡
田淵は星野
偽ピーコは堀内
稲尾は現役時代西鉄一筋で監督解任後、中日コーチ、ロッテ監督
武上もスワローズ一筋(サンケイ・アトムズ、ヤクルト)で
巨人のコーチ
中利夫も中日一筋で中日監督後、広島コーチ・2軍監督なっているからな
中日って不思議なチームで。個人成績の悪い年の方が優勝してる。戦力に大差ない82年と84年もそう。91年も優勝して当然の個人成績ながら優勝出来なかった。
結局、このチームって個人野球だけに。その個人が集団にまとまらないと優勝出来ないんだと思う。ただ集団にまとまるためには、ある程度成績の犠牲をしないと優勝は出来ない。だから優勝する年は個人成績は伸び悩むんだと思う
>>212 近鉄日本一なれた可能性はあると思うが加藤発言が1年早く起きたら…
野村克也「勝ちに不思議の勝ちあり」
8月の中日って、とにかくどんな形でも勝ったからな
理由がどんな理由かはわからなかったが
1つは、巨人の王監督の去就問題で試合が安定しなかったこと
2つは、とにかく阪神がガタガタだったこと
3つは、大洋やヤクルトが広島や巨人をターゲットに援護射撃したこと
あたりか
それによる自信が、試合を勝たせたのかも
>>248 シリーズは個人が良かった小野を使って死んだ
>>250 そんな巨人だからヤクルトも揺さぶりに揺さぶったな
かなりひさびさな対巨人勝ち越しで、大洋時代や前年からの関根巨人犬疑惑を払拭…
なはずが翌年アイケルバーガーでまた犬に逆戻り
中日ブライアントが日本シリーズで4打席連続ホームラン
ブライアントは中西太爺が覚醒させた。だから中日では三振王のままのはず
>>231 関根さんが他に巨人をV逸させたシーズンは82年かな?
ちなみにこの年も中日が優勝してた
あと76年も巨人の二軍監督を務めててこの年は巨人は優勝したが
日シリでは3勝4敗で阪急に敗れた
>>248はデタラメな解説と意味不明な日本語使わせたら日本一だな
どのスレでも毎度毎度デタラメ書いては指摘されてるわw
>>254 俺も中日じゃ目が出なかった、に一票だな。いかにも星野が文句いいそうなタイプ。
とどのつまりは近鉄にマッチしたんだよ。他選手と一緒に風呂で大騒ぎしたりしたんだろw
変に手を加えなかったとか三振に目をつぶったとかそれが許される環境も大きかったんだろうね。
もちろん中西の目もある。
>>255 関根さんは変わった!頑張ってる!もう犬じゃない
↓
アイケルバーガー!魅力は名前の面白さ!
↓
…
>>251 確かサヨナラ押し出しで負けた腹いせにベンチ横のクーラーボックス蹴飛ばして壊してたな
この年に2chがあったら絶対祭りになりそうなネタの関連スレが
乱立しまくりだっただろうな…
東京ドーム開幕戦、バース問題、デービス事件、
吉村激突、南海阪急身売り、10.19etc…
「なぜ早大大学院に行った?」 清原が桑田への怒り爆発
2013年 週刊文春 http://shukan.bunshun.jp/articles/-/3288
CMを見た巨人OBが清原に『ついに和解?』と聞くと、こう答えたそうです。
清原『アホ。するわけないやろ。金のためや(笑)。
仲良うしゃべってるように見えるやろ。カメラの前以外では一言も話してない。』 アメリカはドジャース
日米似たようなユニチームが優勝
この年のドジャースと言えばハーシュハイザーだったなぁ。懐かしい…
あとカーク・ギブソンのワールドシリーズでの代打サヨナラホームラン
日本人がメジャーに行くという発想が全く無かったこの時代
この年の近鉄は、ベストナインとゴールデングラブ賞ともに0。仮に優勝していたら、阿波野がベストナインとゴールデングラブ賞を獲れたかも知れないが、野手陣は厳しそう。MVPも、文句無く門田だっただろうな。
江川の後釜としてガリクソンが鳴り物入りで入団。
王監督に20勝を期待されて4月は負けなしだったが、後は失速気味だったかな
>>263 小野和幸はここで清原に打たれたのが悪かったのかそっから没落して、指導者にも解説にもなれずだな
東北生まれでわしの下にいたけど楽天関係の仕事もなかった
落合って日本シリーズではしょぼいよな
通算ホームラン0だし
落合って日本シリーズの時いつも怪我してたり病み上がりのイメージ
この年ぐらいじゃないの万全な状態で出たの
>>274 小野は元々大した投手ではない。清原もシリーズも関係ない。
この年にCSやったら近鉄はハムにあっさり連敗してただろうな
>>78 あぶさんではその後も覚えてる限りだがブライアント、ウインタース、ケビン・ミッチェル、ブーマーも出てたぞ
あぶさんの外国人の扱いが変わったのは90年台中盤
とすると、きっかけはケビン・ミッチェルだったのでは
>>277 13日間で15試合もしちゃえばベストのコンディションで臨めるわけないしな
>>279 確かアップショーに肖像権の侵害で訴えられたんじゃなかった?
ペドラザだけはあぶさんだけでなくドカプロにもよく出ていた
8月下旬に、一瞬だけ秋山が門田の本塁打数を抜いた。しかし、9月に入るとぐんぐん引き離された。もし秋山が競り勝っていたら、その後本塁打王を5回くらい、MVPも2〜3回獲得していたような気がする。
秋山の連続40本塁打以上がこの年に途切れたが
この後、引退まで40発無しなのは意外
尤もパの日本人40発自体2001年まで誕生しなかったが
この年開場したグリーンスタジアム神戸のお陰で、
以後阪神タイガースの死のロードが若干緩和されたんですよね。
福岡で”ドームラン”やったところで
あまり変わらないと思う。
>>280 むしろ、ベストコンディションであるか否かよりも
勢いのほうがはるかに凌駕しそうだな。
「10.19」があまりにもイメージが強すぎるせいで、
その翌日の南海ホークス最終戦が霞んでしまうな。
まして、阪急ブレーブス最終戦は、日本シリーズが
真裏にあったせいか、もっと霞むことにw
>>291 南海については本拠地最終戦の「10.15」が盛り上がったからよいのでは
応仁の乱や戊辰戦争だって、今や京都でも当時を懐かしむ人はいない
戊辰は未だに福島県民が山口は死んでも許さないと言っている
プロ野球の歴史でこんな魅力的な年はそうはないな
中日ファンなので中日が優勝してうれしかったし
10・19もなんともいえない気持ちになって近鉄に同情した
中日対近鉄は見たかったなあ
そして西武はやはり強かった
ところで西武で芽の出なかった小野があれだけブレイクできた要因はなんだろ?
西武ファンにとっては一方的に悪者扱いされて堪らなかっただろうね
翌年にも続くことになるし
>>298 単純に小野のようなタイプのピッチャーがセリーグにはいなかったので
打者が対応できなかっただけだと思う
あとは小野のメンタル的な弱さを自信に変えさせた星野の手腕
>>300 アメリカでスクリューボールを覚えたからな。
昌が出てきた時はまさかこんなに長くやるなんて思いもよらなかった
小野もだが同じ秋田出身の落合もなあ
今夜のカツオといい70年代の山田といい秋田出身選手のシリーズ対応力の低さは異常
この年の日シリは下馬評じゃ中日優位だったんよ
フタを開けてみたらアレだったが
冷静に考えれば断然西武のほうが強いはずなんだけど
それくらい中日の勢いは神がかっていた
ついこないだ関口宏がサンデーモーニングで「もう終わっちゃいましたよ。」
って言ってた感じなのに27年も経ったのか。
この年の中日の貯金は33で
勢いだけで勝ったという言葉で片付けられないレベルだと思う
ちなみにこの年の中日の勝率は99や06中日以上
いくら優勝候補の巨人に故障者が続出したとはいえ12Gも差つけてんだから
強かったのは間違いない
日本シリーズは絶対守護神の郭が土壇場で打たれたのが惨敗の原因だろう
あれがなくても西武日本一は揺るがなかったとは思うが
星野が郭で負けるならしゃーないと達観した顔してたのが印象に残ってる
落合はポストシーズンになると役立たずになるのが定番
そんな選手、他にもいたな
しかもパ・リーグ三冠王
>>314 パの三冠王はシリーズではブレーキとなるイメージ。
野村、ブーマー、あの方。
>>313 中日は先発はショボかったが中継ぎや抑えは郭をはじめ鈴木孝政とか上原とか駒は揃っていた
それが88年中日の強さの源でその点は西武を上回っていたと思う
ただその勝利の方程式は充分に活かせず西武に封じられたのが中日の敗因だろうな
後半逆転勝ちが多かったのも、先発はしょぼかったけど中継ぎ以降が強力だったから。ただ悲しいかな、西武にはその中継ぎ以降で崩された。それから星野は与田や森田を抑えにしたが。強力中継ぎ陣のレベルは落ちた。
>>318 また持論を勝手に展開する人が来たな。
4敗中3つ(1,3,4戦は)先発投手が責任投手。
先発が崩れてそのまま寄り切られるシリーズだっただろ。
もし10.19で近鉄が勝利して日シリが近鉄対中日だったらどっちが日本一になってたかな?
個人的には中日にとって西武よりは近鉄のほうがやりやすい相手だったとは思うが
どちらが勝つかとなると甲乙つけ難いんだよな
ただ源治対ブライアントとか阿波野対落合とか見せ場は多いシリーズになったと思う
中日ー近鉄(ナゴヤ)
中日ー近鉄(四日市)
近鉄ー中日(名張)
近鉄ー中日(橿原)
近鉄ー中日(藤井寺)
中日ー近鉄(津)
中日ー近鉄(ナゴヤ)
10.19で近鉄が勝ったとしても中2日でデイゲームで日本シリーズ第1戦。
そうなると、先発ローテはこんな感じか
10/22第1戦 村田 中5日
10/23第2戦 阿波野 中3日(先発では中5日
10/25第3戦 山崎 中6日
10/26第4戦 小野 中6日
10/27第5戦 高柳 中7日
10/28第6戦 阿波野 中5日
10/26第7戦 山崎か小野の好調な方
阿波野はやはり酷使されるんだな
中日は昌とか近藤あたりの左が活躍したかもしれない
もし近鉄が日本シリーズに出てても疲労困憊でまともには戦えなかっただろうな。
もし10.19で勝ってたら、その後祝勝会とかで酒飲みまくって、10.20は練習どころではないし、あまりの疲労と名古屋への移動でまったく野球はできない。
10.21でスコアラーとかから中日の情報伝達に費やされるのと、やはり疲労回復に費やすために、やはり練習どころではない。
ただ、10.22の日本シリーズ第1戦では村田辰美が老練なピッチングで勝つような気がする。
問題はDH制がないことと金村骨折。
4大石
3新井
9ブライアント
7オグリビー
8鈴木
5吹石
6真喜志
2山下
1投手
ということになるのかね。下位打線が寂しい限りだが、攻撃型オーダーにするならば、村上をショートかサードに回す。
マスコミ前でのビールかけは自粛するかもしれんが(まあ日本一になった西武はやったが)
内輪では飲みまくるだろ
>>326 守備に目を瞑るならば、サード羽田もあり。この年は、大石が2割5分くらいだったから、中軸に当たりが出ないと、得点力ががた落ちだね。
>>328 2001年の近鉄が実際にそうだったらしいよ
ヒゲのほうの小野はブライアントに打たれて結局その後の運命は変わらない気がする
この日本シリーズの解説で広岡達郎氏が中日を酷評してた記憶がある
>>331 同じ小野でも牛のほうは勝ち投手ならまさに明暗くっきり
それがシリーズの行方を引きずったら中日ファンは目もあてられんな
>>333 ところが逆シリーズ男加藤哲がまさかの登板でシリーズの行方は混迷を極めると
星野仙一って最初は、日本シリーズ用の投手起用が出来なかった。情が働いたから。ただ少しずつ勉強したのが楽天日本一につながった。田中抑えはその賜物。この時も山本昌抑えとかやりゃ、あんな簡単に負けはしなかった。
13年は一時期6戦則本7戦田中という話があった
もしそれだったら多分日本一なれなかったと思う
>>336 もう結果論でいいけどさ
第何戦のどの場面で山本昌を押さえに投入できたの?
それよりも先発がいなくなるんじゃないの?
川畑とか近藤を先発させる気?
あのシリーズで負けたのは単純な力の差と落合の不振が原因でしょ
シリーズ第5戦終了後に落合選手は
「(敗因は)4番の差だよ」というコメントを残していました。
確かに落合選手も不振だったとは思いますが(そもそもシーズン中も体調が悪かった)、
西武バッテリーが落合選手に対してまともに勝負に行かなかった事も要因だと思います。
カウントを悪くしたら歩かせれば良いという配球、とテレビ中継の解説者も指摘していましたし。
星野が当たる時の相手って妙に強いのとばかりになるんだよな
あと1年ズレてれば勝てたかも、が続いていた
宇野
17打数3安打.176 2四死球
2本塁打5打点4併殺打1失策
郭
2試合 1勝1敗0S
7.2回 2失点 2自責
防御率2.35
郭の方が敢闘賞にふさわしいと思ったがな。
宇野の押し出し死球が異常に評価されていた
1戦目でエラーや併殺やらひどかったからその反動かも
源治のシンカーが凄い落差と切れ味だったのを覚えている
その後のガッツポーズも恰好よかった
シリーズは残念だったけどシーズン通して八面六臂の大活躍
中日ファンだから贔屓目かもしれんが
この年両リーグ通じてのМVPは間違いなく郭源治だと思う
>>340 川畑は案外ハマったかもな
大体森監督が
「初戦にうちをクビになった小野を先発にした時点で、うちの選手は勝てると思い込んだ」
だから
>>347 あの時の予想
ホークスは久しぶりの日本シリーズ出場で戦い慣れてないからとかいうかなり
舐めた予想だったからな
いや中日も11年ぶりで全然戦い慣れてないし
そももそもホークスには黄金期西武で何回もシリーズ戦ってる秋山工藤が
いるんだがと思ってたら案の定その2人にボッコボッコにされた
小野は低めの変化球が持ち味だったけどセリーグの打者は打ちづらそうだったな
西武というかパリーグでは芽が出なかったがそれなりにいいモノは持ってたんだよ
でなければ最多勝と防御率2.60なんてたまたまで出せるものじゃない
翌年以降ぱっとしなかったのもケガが大きな要因だったわけだし
中日優勝の原動力は郭を中心としたリリーフ陣だと思うけど
その勢いに一番うまく乗っかったのが小野って感じだね
小野のような特徴のない典型的な10勝10敗投手でも運と強力リリーフ陣でこれだけ勝てるもんなんだな。
この年交流戦と2ちゃんねるがあったら「セカンドリーグwww」と馬鹿にされただろうな
今年のヤクルトはこの年中日とかぶる
・春不調の中あれよあれよと優勝
・打倒巨人の若い監督
・自慢打線がシリーズで冷凍
・秋田発のPがシリーズで不調
>>357 実際、「ゲーム差無しで優勝を逃す&対西武勝ち越しの近鉄の方が強くね?」とは
普通に言われていた様な。
まぁ元中日二軍選手のお陰だが(´・ω・`)
以降、「西武さえ居なけりゃ……。」の思いを抱き続ける事となった元近鉄ファンの俺。
セでは広島を応援していたけど、対巨人との投手戦とも貧打戦とも付かぬ戦いを見ながら、「ブルーサンダー打線の檻も居る絶対パの方が強いよな……」とは正直。
この年の近鉄は投打のバランスが絶妙だったからな
先発投手陣はけして西武にも見劣りはしなかったし
打撃陣は前年に比べて不調だった中日より上だったと思う
投打のバランス ←これよく使う人いるけど意味不明だよな
>>361 単純に得失点差が余裕あるプラス且つそれが素直に勝率に反映しているという解釈
で良いんじゃないかなぁ。
得点が多くても失点大杉じゃ駄目だし(1986年の近鉄は正にそんなチームだった)、
逆もしかり。
且つ得失点プラスのチームを二度も最下位に落とした近藤某監督みたいなのも話に
ならないし。
その点、この年の近鉄は先発投手が4人2ケタ勝利+最優秀救援を生み、チーム防御
率も僅差のリーグ2位とシーズン通して落ち着いた戦いが出来たチームって感じではあったな。
チーム防御率、チーム打率、チームHR辺りが、
揃ってリーグ2位以上とかそんな感じじゃね
近鉄の投手陣は安定してたよな
少なくとも先発の駒は中日より断然上だったし
近鉄がシリーズに出たとしてそれまでの日程に余裕があれば
中日を破って日本一になってもおかしくない戦力はあったと思う
近鉄いてまえ打線というけれど、88・89年は得点リーグ4位だから
そこまで威力を発揮したわけではない。
森・西武が失点リーグ1位ではなかったのはこの年だけ
5番以下鈴木金村村上と、どこからでもホームランが出るが打率は高くない感じか
近鉄は最後の直接対決で負けたからね
このシーズンの結果はある意味順当
最終戦も3-1になった時点で勝てなかったし
1大石2新井3ブライアント4オグリビー5金村6鈴木7村上8山下9真喜志
一発屋揃いでツボにハマると怖いって感じだな
仮に近鉄優勝してたら、10.19の勢いで中日を4タテしてたと思うよ。本当に実現して欲しかった近鉄×中日の日本シリーズ...。
もし近鉄が優勝してても日本シリーズは中日に負けてたと思うなあ。リーグ優勝で燃え尽きて、日本シリーズは抜け殻になりそう。
>>372 スラムダンクの湘北か。
中日は勝率はすごかったけど、得失点差はそれほどでもなかったから(2位巨人の方が上)
竸った試合はかなりモノにしてたんだろうな。
この年の巨人は確かチーム打率防御率ともに1位だったんじゃないかな
クロウや吉村の欠場はあってもセリーグナンバーワンの戦力は維持してた
でも勝負所で原がポップフライとか肝心な試合を取りこぼしてた印象がある
藤田・巨人の特集で読んだことがあるけど、王時代の巨人は1点差試合の勝敗がかなり悪かった。
88年も25勝25敗ぐらいの5割だった。
8月の中日は神がかってたからな
どんな試合でも勝てるイメージしかなかった
大宮サヨナラホームランなんてのもあったし
大宮の変な構えからのグッシャグシャのスイングでナゴ球のライトスタンドに流し打ちHR
阪神が意外に巨人に大健闘したのも、巨人には痛手だった。 村山の中野がーに始まり東京ドーム3タテ。田尾の代打サヨナラホームランも。
杉浦ホークスもそうだったけど宿敵以外のチームに対してもっと白星を稼ぐべきだった。
>>376 7月に入ってすぐに大洋戦(平塚、横浜)、巨人戦(旭川、札幌)で6連敗しましたよね。
最初の敗戦が郭が救援失敗、札幌での6連敗目が9回表に仁村弟の同点本塁打が出たものの、
郭が打たれてサヨナラ負けだったと記憶しております。
ただ、あの試合は吉村が大怪我をした試合として記憶されていますが。
この6連敗で29勝31敗(引分数は失念)になったんですよね。
7月はこれ以降6連勝、1敗、6連勝で、結局12勝7敗で乗り切れたことと、
広島と巨人の失速が中日にとっては幸いしました。
しかし、巨人も5月には「今日負ければ最下位転落」という状況だったのに、
オールスターの頃には首位にいたのですから、やはり自力がありますね。
ソフトバンクも真っ青の巨大戦力だったからね
連覇できなかったのがむしろ不思議なくらい
大砲を買い漁っていた90年代後半とも違い色々なタイプの打者がいてバラエティも豊かだった
王巨人ってずっとAクラスだったけど
暗黒臭が感じられるチームだったね
王巨人は得点・失点は5年間、毎年2位以上で投打のバランスはとれていた。
ただそれがなかなか勝ちに結びつかなかった印象。
本当なのかはわからないが。6連敗したとき星野仙一は辞意も覚悟してたみたい。で、ミーティングや選手たちに、今まで悪かったと謝ったらしい。その時、選手たちがうちの監督辞めるぞと一丸になったという噂。
宮下や上原や川畑とか。若手ピッチャーが次々出てきたのも大きかった。
>>382 暗黒臭言うより、バランス感覚がなかった。唯一87年ぐらい。柔軟な采配したの。典型的テンプレ野球で、判を押す野球だったんでつまらなかった。
でもその反省が、今のホークスの繁栄を築いたことは間違いない。
角サンチェ鹿取の典型的テンプレ野球が一番確立された87年に優勝して、
ダイエーの時も吉田藤井篠原ペドラザのこれまたテンプレ継投で優勝してるのに
何言ってるんだこいつは
>>380 よく記憶されてますね
厳密にいうと、吉村の怪我の試合は7月6日、
郭のサヨナラ負けは翌7月7日だったかと。
巨人ファンとして大けがの日は吉村原呂の3連発、
翌7日は原のサヨナラホームランとして記憶しています。
で、つっこまれると一切反論がないんだよな、ID:WqNG+Ln+は
たまには自分がこう思ったからこうだ、とか言えば議論になるのに
呂が出てきたときは救世主が現れたとか思ったもんな
勝のほうの呂もよく打ってた印象がある
でもダイエー時代は、巨人時代よりテンプレ度は薄かった気はするが。
巨人時代は見事にピッチャー鹿取だったし。
打線も固定したって程でなかった。
>>391 >唯一87年ぐらい。柔軟な采配したの。
自分で言ってるここを無視して何言ってるんだ
テンプレ采配は藤田じゃなかったか
とにかく三本柱、打っても打てなくても4番原。
>>391 2割を切ってなお四番から外さない小久保とか柔軟というより頑固さの表れじゃないか。
なんか勝つ時=柔軟な采配とか勝手に思い込んでるみたいだけど、
柔軟な采配がすべてじゃなくて、勝つ形を作ってそこにこだわるってのも
一つの立派なやり方じゃないのかね?
巨人時代のテンプレ継投は先発投手への信頼の無さと思われて、西本の反逆やら
江川の唐突な引退やらを生んだけど、ホークス監督時代のそれは既に何処の球団
でも小刻みな継投策が当たり前となっていた事もあって、逆にリリーフ投手への信頼
度の高さの表れと見做される様になったって事かと。
>>388 380です。
吉村の怪我は3連戦の2戦目でしたか。
ご指摘ありがとうございます。
>>393 そこは鉄板だったね
この年の斎藤はまだ中継ぎだったっけ?
いいピッチャーだと思ってたけどまさかあんなにブレイクするとは思わなかった
妄想オジサン最近見ないと思ったら
ここで暴れて迷惑かけてたんだなw
「〜な印象」
「〜がすべて」
極度の妄想に基づく意味不明且つ解読に苦しむ文章
史実の捏造&コメ泥棒という
ねらーのタブーを反省無く繰り返す要注意人物
そりゃまあこの時代の大卒野手としてトップレベルの成功例ですし
原はこの年の女性問題が後の1億円事件に発展。
ホームラン王を2本差で逃したが、前年に後楽園で17本打ってたのが
東京ドームでは10本に減ったのが影響した。
キャリア中に本拠地が変わるってのは、選手にとっては大きな問題だし確かに可哀想かもね
東京ドームは当初広い広いと喧伝されて打者の方が様子見で委縮してしまった感がある
原の引っ張り専門のバッティングなら東京ドーム程度の広さは殆ど関係なかったんだよな
今思えば、東京ドームでバント多用したり、盗塁やエンドランしまくった時思うと笑えてしまう。
でも東京ドームの最初は、広いイメージだけで走る野球推奨だったからな。
後楽園に比べりゃ大きいだろ。
広島、名古屋、神宮、横浜よりも大きいし、甲子園にはラッキーゾーンがあったし。
リアルタイムで知らんのか?
ラッキーゾーンをリアルタイムで見たことがない阪神ファンも増えてきたからなぁ・・・
そりゃ左中間・右中間はほとんど変わってないにしろ、両翼だけで12mも広くなったんだから、実際に相当広くなってるし。
この年終盤にブレイクして一躍シンデレラボーイになった山本昌が
まさか今年まで現役を続けることになるとは
>>334 亀レスになるが、当時の広岡氏が「(日本シリーズでの)中日はバントもまともに決まらない もう野球になってませんね」
というようなことをテレビの解説で語っていた
短期決戦だと一度できた悪い流れを止められないことがよくあるから仕方ないんだけどね
和田、大野、中野、八木
それなりに阪神は新戦力が活躍はしたが、いかんせん長打力のある選手が八木しかいなかったな
抜擢型の星野なら八木は前年のルーキーイヤーから積極的に起用されていただろうな
東京電機大学中学校 過去問
嶋ざき●介の逃げ回り人生。
◎崎亮●の逃げコース 稲城市百村→アトラス調布
父=嶋●慎太郎は全裸ペニスが猛り狂うかの勢い・・・。
(妹)結子(桐光学園中学校)の子宮の奥をついていました。楽しむ父=◎崎慎太●の声が、
虚ろに聞こえたのを覚えてます。
父に犯されながら私=結子(嶋ざき結子=元稲城市立向陽台小学校ゆいこお)は「気持ちいい」と言って嶋いました
兄(嶋ざき亮●(東京電機大学中学校評判万引少年)は小人病を苦にメガネ鈴木と自殺。アとラス調布=ビイ棟ヨンニイイマル
87開幕戦
1真弓2田尾3バース4掛布5岡田6柏原7平田8木戸
88開幕戦
1大野2和田3掛布4バース5岡田6真弓7中野8木戸
柏原と平田と田尾が落ちての若手抜擢
これはこれで大抜擢だった
ただ、長打力は確実に落ちた
85年 219本
86年 186本
87年 142本
88年 88本
たった3年で半分以上も減った
>>415 こんなに酷かったっけw
きしくも88とはw
>>416 くしくもだよね?
85年のバース&掛布より少ないとは
バースは、息子の病気で帰る前の東京ドームでホームランを打った。調子が出だす矢先に帰国したのが痛かった。代わりがジョーンズだからな(笑)
金森やジョーンズではバースの穴埋めは無理で当然。なら何故今思えば、ブライアントを獲得出来なかったんだと。
あの時点では2位。早めにブライアント取ってたら・・・
その後から掛布が落ち、85年が見事に崩壊した。
真弓「うちの打線。相手球団は笑いながら投げてた」
ブライアントは、近鉄で中西コーチに出会えたからこそのあの結果なんじゃないの
あの時の阪神で同じ成績が残せたとは、とても思えない
>>420 この人面白いな
結果論だし、いつでも好きに制約なしで選手が獲得できると思ってる
同一リーグの敵に塩を送るようなマネができるわけないだろうに
それ言うなら、ジョーンズも結果論だけど(笑)
とにかく、戦力がみるみる落ちていくのが露骨だった。
5番渡真利とか5番木戸とか。
もともとバース掛布岡田真弓以外は層が薄いからなあ
実際バースがいなかったときは残り三人いても佐野が三番打つような打線だった
>>422 いつもの妄想オジサンだから。
87年スレでは「ホーナーをとっておけば・・・」と妄想撒き散らしてるし
>>423 結果論結構、妄想結構だが
その根拠となるところに現実の制約というかリアリティが感じられないから
あまり人の共感を得られないんじゃないかな?
阪神が困ってるからブライアントをくれ、って申し入れて
はいそうですか、って譲ってもらえると思う?
使いものにならないドラフト1位同士のお引き取りトレードがあったり、
ナゴヤ球場の開催があったり、さしあたり直接対決のないパリーグだったり、
そういう事情があってのブライアント譲渡だと思うんだが。
>>427 87年スレでは「ホーナーとれ」、「掛布に代えて八木を使え」
86年スレでは「ゲイル解雇してポンセとれ」とか本当に自分の妄想だけで書き込んでる人だからね。
まぁ、こうなるわね
87年スレより
オーダーいじり大好き
妄想捏造オジサン
ホーナーホーナーホーナーホーナーホーナー
このオジサンはおそらく死ぬまでホーナー欲しがるんだろう
ホーナー来日の経緯を他スレで何度も説明されても理解しないオジサン
前年故障の掛布をいきなり87開幕前から引退勧告しろとか言い出すオジサン
このオジサンは今で言うなら鳥谷が故障したら翌年には引退勧告するんだろうか
ちなみにこの古株ねらー捏造お父さんは中日スレでも思いっきりやらかしてる
>>427 星野
「音と山田を返してくれ」
広島フロント
「わかりました、金銭で結構です」
三村監督
「…」
>>430 そもそもが田淵がトレード会議でやらかして行き場のなくなった長嶋を
引き取ってもらった時の交換相手で、広島も強く断れなかったんじゃないのかな。
ごめんね、妄想と言われればそれまでだが
プロは結果論だから。バースの息子の病にしても、結局フロントとバース側のズレが全てだし。
あと、フロントがたかが野球がって思う球団は弱いわね。
強豪球団は野球を大事にしてる。
>>432 適当な一般論を言って話をごまかそうとしてるけど、
>なら何故今思えば、ブライアントを獲得出来なかったんだと。
>あの時点では2位。早めにブライアント取ってたら・・・
だからどうやったらブライアントが獲得できたか、
その道筋について教えてほしいんだが。
ブライアント「きしめん飽きた…神戸牛食いたい…そうだ、阪神行こう!」
>>434 ワロタ
中和してくださりありがとうございます
>>434続き
仰木「ちょっと待て!神戸なら藤井寺のナイター終わりでも十分間に合うぞ。俺が乗せて行ってやる(タクシーでな)」
小野「監督それ自分が飲みに行きたいだけでしょうw」
金村「俺の実家の辺もええ焼き肉屋ステーキ屋知っとるぞ!清荒神さんも近いしな!ガハハ」
新井「それは関係ないだろ」
ブライアント結局近鉄入り
落合が規定打席到達の年で初めて3割切った年。
前半からずっと2割8分あたりをウロウロしてたが、終盤に調子を上げて一時期は3割にのせた。
だが落合得意の消化試合でそこまで数字が上がらず結局3割切った。
>>438 4月が.271、5月も.250でついに3番に降格したんですよね。
86年も4月に.228という事がありましたが、この時は5月に.429を記録し、
すぐに首位打者争いに参加していました。
当時ラジオ中継で聞いた記憶では、
シーズン序盤から持病とかしていた腰痛に加え
手首、足首を痛めていて満身創痍だったそうです。
7月上旬に2試合連続猛打賞で打率.296に上げたものの好調が続かず、
オールスター前は72試合で打率.283 20本塁打 48打点でした。
本塁打だけはまあまあ出ていたのですが・・・
ようやく打率が3割を超えたのは、優勝が決まって残り数試合となった頃だったはずです。
3試合を残して439打数 121安打 32本塁打 94打点 打率.301
という成績だったのは覚えています。
最後の3試合が本塁打王を1本差で追うポンセ選手のいる大洋戦(横浜スタ)で、
大洋バッテリーは勿論勝負してきましたが、
落合選手が本塁打狙いだったこともあり、
結局最後の対大洋3連戦は11打数無安打、犠牲フライ1という内容でした。
中日は落合だけじゃなく宇野もいまいちだったし、前半調子のよかったゲーリーも意外としょぼい成績で終わった。
正直、このクリーンナップでよく優勝できたと思う。
先発投手陣も小松と小野しか二ケタ勝利してないし、いかに中継ぎや郭の力が大きかったかというところだな。
落合は3割は切ったものの、長打率と出塁率はリーグ1位。
ついでに殊勲打と勝利打点はリーグ1位でいい場面でよく打った。
ただ元の期待値が高いから88年の数字では叩かれる。
>>440 大洋バッテリーが勝負をしてきたというのは、
男らしくて偉いやね
>>444 若い力の台頭が中日が勢いづいた一番の要因だろうね
落合や宇野も前半はトホホだったが
後半になるにつれていい場面で打つことが多くなった
それも彦野や立浪ら若手に引っ張られた部分が大きかったんじゃない?
前半良かったゲーリーはブライアントが近鉄に行った途端に数字が伸びなくなった
彦野ってホームランは打つけど走らないんだよな
一番バッターには向いてないのになぜか任されてた
池山が台頭してきたのもこの年からだよね?
「ミスターバックスクリーン」とか呼ばれて本塁打量産してた
星野は彦野やらコールズやら今岡やら足の早くない長打力のある選手を1番に置きたがる
捕手
中尾→中尾→中村
一塁
谷沢→大島→落合
二塁
上川→鈴木康→宇野
三塁
宇野→落合→仁村
遊撃
鈴木康→宇野→立浪
左翼
大島→川又→中尾
中堅
平野→平野→彦野
右翼
ゲーリー→大島→ゲーリー
>>451 そもそもの勘違い(間違い)も多いし
ポジションに無理やり当てはめて語ろうとしてる
>>449 > 池山が台頭してきたのもこの年からだよね?
> 「ミスターバックスクリーン」とか呼ばれて本塁打量産してた
一応前年にレギュラーの座を獲得しましたが、
長距離打者としてブレイクしたのは1988年でしたね。
広沢選手との30本塁打コンビは(ともに三振の多いことも含めて)当時話題になりましたし、
また、スワローズの人気が出始めたのもこの年ではなかったかと思います。
長嶋一茂入団に始まり、若い選手の活躍が目立ちました。
(荒木投手の故障離脱は残念でしたが)
ギャオスこと内藤尚行投手がプロ入り初勝利を挙げたのもこの年でしたが、
(試合後に収録した)テレビ番組向けの自己紹介でこんな事を話していました。
「ヤクルトスワローズの内藤尚行です。ピッチャーやってます。性格は・・・、バカです(笑)」
シーズン終盤、関根監督が「これからは広沢と池山のホームラン競争だ」とコメントしてたな
86
川又 一88/外24
大島 一21/三2/外90
谷沢 一58
87
仁村 二108/三14
落合 一32/三111
大島 一33/外52
川又 一6/外113
ゲーリー 一86
88
落合 一93/三39
仁村 二1/三90
ゲーリー 一44/外57
川又 一2/外111
中尾 外73
戦力の過渡期で複数守った選手が多くて選びづらいのはわかるけどさ
だからこそきちんと調べておけよ。あるいは書けないだろ。
あと最低限同じ年のポジションかぶりという粗末なやらかしとか
225 名前:神様仏様名無し様[sage] 投稿日:2015/09/10(木) 17:22:44.55 ID:WtGjGEWs
86年
1平野2鈴木康3谷沢4ゲーリー5大島6宇野7中尾8上川
87年
1彦野2仁村3ゲーリー4落合5宇野6大島7川又8中村
大島と宇野だけ
見事な入れ替わり
さすが星野仙一
226 名前:神様仏様名無し様[sage] 投稿日:2015/09/10(木) 17:47:24.10 ID:0JSKaCzR
またひどい牽強付会が来たな
ゲーリーの見落としがまずあって、
川又は86年も規定打席に達してるレギュラーだろ。
87年の中尾と中村も、中尾の方が出場試合数も打席数も倍以上。
227 自分:神様仏様名無し様[] 投稿日:2015/09/11(金) 08:53:23.45 ID:Iy1sXqPx
>>225 いつもの妄想オジサン?
>>311 これはウソ 西武有利の下馬評だった
ってか中日が評価低かった。個人成績が軒並み前年以下という謎の優勝だった
>>404 >>402 ドームのフェンス直撃2塁打、走塁拒否アウト(中日戦、豊田のトリックプレー)、、、この辺が他球場なら本塁打だった。
それでキング穫れた。
>>458 報道するマスメディアでまちまちだったような
少なくとも中日が低評価だったということはない
この年の中日は勝率六割越えで史上最弱じゃないの
投手も野手もイマイチ
今年のヤクルトみたいにまわりがまごついてるうちに抜けたチームだし
交流戦あれば貯金吸われまくるリーグになりそう
川又はなんで半端で終わったんだろう?
シリーズでも3番起用したらHR打つし、守備はド下手ながら、打撃力はかなりよかったよね。
当時交流戦があったら西武対阪神なんて素敵な展開になっただろう
意外にも中日の優勝は、当時のセリーグ最大ゲーム差8.0を逆転しての優勝。
4月の時点では中日はどん底で、広島が高勝率で走っていたため、4月終了時点で8ゲーム差をつけられていた。
川又は代打専用になったり2番で起用されたり3番や5番や6番や7番にライトやファーストと
色んなことをやらされてたな
川又1988。
130試合制で122試合に出場して規定未到達。
左投手先発のときはベンチ。
OPS.769で守備ド下手じゃやむなしか。
>>463 ロッテぐらいなら貯金できるだろと思っていたら負け越していたとかな
今年の楽天やオリと同じ
>>458 >>461 片やぶっちぎりの優勝
片や後半失速あわや優勝逃す寸前
前者のほうが前評判よくて当然だろ
中日が高い勝率ほどに実力がなかったのは事実だが
西武の前評判もいまいちだった
もうマスメディアでまちまちとかいうレベルじゃなく
有識者とか週刊ベースボールとか異常な西武ネガティブキャンペーンで
うざいほど中日推しだったけどな
いやシリーズとなれば、王者西武が優位って雰囲気だった
中日のエースが西武でポンコツだった小野ってことの影響もあった
このシリーズ前に和田あきこの番組にオッサン4人ぐらい出ていて
全員中日推しだった。逆転の中日だから云々かんぬん、
あと和田あきおが、ヒゲ面の人が嫌いらしくパネルの松沼兄の
顔面にガンガン文句言っていた。当時から嫌な奴だったんだな和田
27年前の俺以外覚えてなさそうなことを書いてみました。
西武は9月はもたついたが10月は9勝4敗、
近鉄は10月さらによく13勝5敗1分
西武の森は、後にコンディションの良い状態でこの年のシリーズに
のぞめたと言っている。
>>473 森はその8日前には磔にされていたくせによく言うぜ・・・。
しかし近鉄100月の19日19試合に吹く。
広島は、抑えの津田が中盤から急激に調子が悪くなった。
今思えば、この頃から体調が悪くなってきたんだろうな。
しかし抑えが津田しかいなかったために、先発にもしわ寄せが来てしまった。
打線はそこそこ良かっただけに。
村田荘小川園川といて後ろに牛島
二試合制の交流戦だとだいぶ厳しい相手だなロッテは
津田は翌年に最優秀救援投手で
最初の変調はその翌春のキャンプ。
>>476 首位打者の正田、空気のような定常成績の小早川、達川を除いて
慶彦、山崎、長嶋らが.250を割る体たらく。チーム打率.244はリーグ最低。
チーム総得点も最下位の阪神をわずかに3点かわしただけの447点。
総得点1位の中日とは102点差。
これ「そこそこいい」って表現するの?
チーム防御率も完投数も北別府、川口、大野の三本柱の個人成績も
87年よりも88年の方が向上してる。「先発にもしわ寄せ」の意味は?
>>478 投手陣の名前並べると中日より強そうに見える
1988年カープは前年代打で活躍した片岡がいまいちブレイクしなかったな
長内が後半戦序盤やたら打ってた
その片岡をすぐに見切ったのもびっくり
前年の活躍は今でも地味に語りぐさで小学生のオレが野球に引き込まれた
一因 のちの週ベでも同じ思いの投稿あったし
交流戦があれば小野が早々と使えないと判断されるだろう
そうなるとセの小野攻略が早まり中日の優勝はなかったか、小野に代わる謎玉が出現して無双したか
カープは強打者はいなかったがいやらしい野球をやってくるので気が抜けなかったな
なんだか大洋やヤクルトより怖かった印象がある
>>480 カープ打線がそこそこいいというよりクロウ不振、栄村クラッシュの巨人やバース帰国、欠腐の阪神、相変わらずの助っ人頼みの大洋が余りにも酷すぎた。
ヤクルトは幾らイケトラが打っても他の野手が・・・。機動力も無いし野球自体が粗過ぎ。
はっきりいって88年のセ・リーグ自体がかなり投高の部類の環境だったからな。
リーグ平均防御率は3.47。
打撃タイトル争いも低調な数字だった。
>>489 よそのチームの欠点をいろいろあげつらってごまかしてるつもりだろうけど、
単純に打線の比較で言うなら
・チーム打率1位の大洋
・打率、総得点、本塁打が全部2位の巨人
・リーグ総得点1位の中日
・チーム本塁打1位で広島より総得点が50点近く上回るヤクルト
あたりは広島よりも「いい」打線じゃないの?
単に思い込みだけ?
あとクロマティは不振じゃなくて負傷欠場だろ。
打線の強さと、チームの強弱とか試合運びの巧拙とかそれとは別だよ。
広島がそういうところ長けてる(長けてた)ってのはわかるけどさ。
そこを自分から最初は「打線はそこそこ良かっただけに。」とか打線の話にしといて、
後から「野球自体が粗過ぎ。 」とかチームの問題にしてるのはおかしくない?
妄想オジさんは
「高木中日を語る2」スレでもやらかす
数年前には50本三冠王とかだった訳だから、
33本は随分と物足りなかったね
あんな不振だった落合だったが
たった一本差でタイトル逃してたのか
>>478 >>483 他にも首位打者とか盗塁王がいたチームなんだぜ
でも高沢は契約更改で「首位打者なんかタイトルではない」と嫌味を言われる
あげくに翌年成績落とすと即トレードに出された
高沢は最後の方は打率キープのため休みまくった印象があるけど
それでも最多安打での首位打者なんだな。
四球が少ないのも原因なんだろうけど。
そらまあ露骨露骨な四球攻めの結果のタイトルだしな
松永へのやり口は当時のパリーグだからあんなもんで済んだけど
セリーグでやってたらもっとひどい言われようになったこと間違いない
愛甲が3番にしては打点が少ない(69)と給料UP幅を抑えられる
>>483 村田荘小川園川でチーム54勝のうちの8割の43勝だからな。
おっと牛島のセーブ王も加えとく
これだけキングが揃ってどこをどう間違えれば最下位になるのやら
>>510 打線がショボかった。チーム内本塁打王がマドロックの19本では・・・
ロッテはチーム内に和製大砲が不在となったという意味では
落合をトレードで放出してから現在に至るまでずっとだ
初芝、堀は何か違うしな
南海は、山内孝、山内和、藤本ニャンコ、加藤、西川が規定投球回クリアも、5人で43勝61敗。門田を軸に、バナザード、山本ドラ、佐々木、河埜、湯上谷、吉田博はよく打っただけに、せめて5人でマイナス5前後にならなかったものか?
うん、当時野球を見てない人ならデータと選手名を見て
南海がもっと勝てたような気がしてくるだろ?
実際はひどかったんだ
守備がな
そもそもロッテって落合以外に年間30HR打った日本人選手いないだろ。
毎日や大毎にまでさかのぼればいるけど
日ハムも打線のショボさはロッテとどっこいどっこいだったけど(チーム内本塁打王はイースラーの19本)
3位でAクラスなんだよな。どこで差がついたのか
日ハムはピッチャーが良かったからなぁ。
投手力だけだと西武に負けてなかったと思う。
阪神も暗黒16年間は枯渇してた。
(〜86掛布真弓岡田・87〜03・04金本〜)
っと、正確には17年ね。
(〜85掛布真弓岡田・86〜03・04金本〜)
大沢親分が、大阪球場最後の試合で自慢してた
アナウンサー
「松浦が15勝でハーラーダービートップですね」
親分
「本当なら西武球場へ行かないと行けないけど。大阪球場最後ですからね」
アナウンサー
「しかし、松浦に西崎に河野。スゴいですね」
親分
「私が直接交渉して取った選手。競争して頑張ってますよ」
>>507-510 2ケタ勝ちが4人もいるからハムと遜色なく見えるがチーム防御率が1.0以上悪い。
牛島とか救援タイトル取れても
先発兼任で最優秀防御率だった河野より2点以上離されてたし。
そういえば初芝堀で誤魔化されていたが
田代後の横浜以上に長く出てないなロッテの和製30発
広島やダイエーあたりは生え抜きであれだけ大砲を揃えれたのに
しかもダイエーは広い福岡ドームだし
できるところはできるしできないところはできないな
>>531 田代〜多村間以上に長くなるもんな、落合退団〜現在の方が。
南海は阪急同様、開幕早々ずっこけたのが響いた
オープン戦は西川がノーノーやり、下馬評高かったのに
>>533 ロッテに大砲が出ないのは球場がーとか言われてるけど
毎日〜川崎時代から大砲は少ないんだよな
30本以上打ってる日本人山内と落合以外いないんじゃない?
別当はスーパーラビット時代に1年だけというのと何より生え抜きじゃないからちょっと
まあ生え抜きに限定しなくても3人しかいないっていうのはちょっとなあ
(85古屋・86〜99・00小笠原)
(〜81田代・82〜03・04多村〜)
レオン、リー、落合、有藤、張本
スゴイ打線の時もあったが
年々しょぼさに
80年代の落合移籍までは間違いなく強打が売りのチームだったからな
しかしその後は…
外人が当たらないとどうもならんしな
この年のマドロックは期待はずれだったし
前任だったリーは有藤とは不仲で(落合も有藤とは不仲だった)干されこそされなかったが
見せしめにされた印象。高齢による腰痛がとどめとなってあえなくクビに。
大砲を放り出しても古川がいるとタカをくくってたら
打線の火力がみるみるショボくなっていった。
それ以上に村田・仁科・水谷・深沢が軒並み高齢化した投手陣の方が問題だったから
打線の補強・世代交代が後回しになってしまったのは仕方がないかと。
>>545 >リーは有藤とは不仲で(落合も有藤とは不仲だった)
むしろ誰と仲が良かったんだろう?
山崎が西武に移ったのも有藤との不仲が原因とかどっかで読んだし、
村田の話からも「生意気なやつだったけど打ってくれた」って落合の話は出るけど有藤の話が出てこない
>>548 公式戦では確かに実現しなかったが衆人環視の晴れのオールスター戦で実現した。
88年ではなかったかもしれないが…
打席に入るとき落合が先輩に敬意を表して帽子のつばに軽く手をやって、初めての勝負が始まった。
パ時代、山田や東尾、鈴木など各エースの決め球を攻略してきた落合が、いかにして村田の快速球やフォークボールを打ち崩せるか、固唾を呑んで見守ったが…この日のテレビ中継がオールスターによくあるメチャクチャさで、全く二人の対決に触れず、どうでもいい話題に終始。
失望と怒りで、結果は覚えていない。
リー兄弟は有藤と話したことがないらしい。たぶん人種差別者。
>>551 嘗て在日認定された事があったけど、そんな体質や性格に起因しているんだろうね。
仮に落合トレードが巨人相手でも打者は中畑、篠塚、松本クラスが
交換要員だったから和製大砲に悩むことは変わらなかっただろうな。
ロッテとしては戦力&;#183;興行面において原がとれたら最高だったんだろうけど。
>>549 落合と村田が対戦したのは88年第3戦と89年第1戦の2回(2打席)
88年は代打に出た落合が三振、89年は一死一塁からレフト前ヒットだった
89年の村田は以降を8者連続で打ち取ってMVPを受賞
今のシステムなら巨人は王がダメなら藤田監督王GMになるか王留任で藤田GMになるかして王は完全に叩き出されなかったかも
今思えばヤクルトの夜明け前の年だったな
5年後には常勝西武を倒してしまうんだから
>>556 昔、噂真って雑誌があってだなぁ……..。
ま、裏を取らないのを売りにしていた様な雑誌だし立ち読みで読んだだけけど。
ウィキによるとバークレオって意外にデカい
当時はそんな印象なかったのに
吉田監督のバントなし野球構想が崩れ、方向転換の狭間の中で、村山監督はホームランを捨てる野球に切り替えた
ただラッキーゾーン撤廃が出来なかったから
見事に打線が小さくなってしまった
>>554 中畑篠塚を大砲と思う人はかなりの少数派だと思う
中畑は30本打った年もあったけどな
まあでも中距離砲の類だと思うけど
はっきりいって大砲を金で買い漁った時代の巨人より
この頃の中畑や駒田あたりが主力だった巨人打線のほうに魅力を感じる
ずっと藤田だったら
84〜88も3回は優勝してただろうな
>>564 バランスは良かったよね。
機動力があれば文句なしだったんだが。
松本が急速に衰えてもうた
小さい頃「オロナミンcは小さな巨人です」の大村崑が巨人の選手だと思っていた
そしてなおかつ松本と混同していた
松本が引退し、緒方が台頭するまでの狭間がこの年だった。蓑田を取って機動力の穴埋めをしたかったが。
衰えてた。
仕方なく前年後半みたいに駒田が1番になった。
>>567 実際阪神ファンやめて巨人に鞍替えしたらしい
大塚から巨人の選手と会う機会作ってもらったとか
>>568 簑田ぐらい書いてから講釈してくれ
捏造妄想オジさん
>>568 http://www.geocities.co.jp/Athlete-Athene/3320/order/1988giants.html スタメンデータベースだと88年の開幕当初は簑田と駒田の併用。
4月下旬から5月末まで主に駒田。
6月〜8月中旬までは簑田・勝呂・駒田の三人でまわしてる。
優勝がほとんど絶望になった8月下旬以降は鴻野が一番に固定されてる。
>>568 簑田のツッコミは既出として
盗塁数の推移知ってて書いてる?
>>566 バランス ってなに?
>>568 機動力は不要。弱者の武器。ロッテ、大洋・横浜とか
あの故障がなければ、吉村はどんな生涯記録を残したか。
>>574 3割打者が篠塚、中畑、吉村、原、クロと5人いて、
HRも原34、吉村30、クロ28、山倉22、駒田15ときて、
打率と長打力に偏りがない。
>機動力は不要
当時を思い出すと、そういやそんな風潮も合ったが、
90年代中盤後半のロッキーズみたいに200HR200盗塁みたいな、
強打+機動力みたいな夢の打線を見てみたい。
>>575 ホント興味ある。
生涯打率300、HR400とか行けたかもなぁ
>>566 前年の松本ってオープン戦は絶不調だったのに
シーズンが始まったら狂ったように打ち出して
途中からパタッと打てなくなったんだっけ?
>>577 4月いっぱいくらいまでは、4割前後の打率だった気がするけど、
思い返せば打数が少なかった時点での
短期間固め打ちって感じで長持ちするタイプではなかったわね。
全くタイプの異なる駒田に取って代わられた
殿堂板に巣食う妄想オジさん
正式名
「捏造」妄想オジさん
史実を頭の中妄想してねじ曲げてからアウトプットする悪質な病人
突っ込まれると他人の振りをして自らの出鱈目レスに自演突っ込みをする狡い一面も
駒田とか彦野とか機動力はないが長打力のある一番バッターもそれなりに味はあったな
そんな選手のいたチームが公式戦の1位2位だったのだから機動力不要論もあながち間違いじゃないかも
でもやっぱり走れるトップバッターのほうが華がある
でも巨人の打線は、機動力がないイメージだった。
当時は、東京ドームは広いイメージだった訳だし。
ゴールデンウイークの阪神3連戦の3連敗は、今も思い出せる。
初戦 桑田から岡田が逆転3ラン
2戦 1点を堅守で逃げ切る
3戦 鹿取から岡田が逆転3ランとバースのバックスクリーンの東京ドーム唯一で、最後のホームラン
>>581 今年は盗塁そんな多くない、11年の時は多かった
今年は楽天は多かったが失敗も多い
>>576 >
>>574 > 3割打者が篠塚、中畑、吉村、原、クロと5人いて、
> HRも原34、吉村30、クロ28、山倉22、駒田15ときて、
> 打率と長打力に偏りがない。
>
「バランス」の意味間違えてる。釣り合いが取れてることだよ。両方長けていることではなく。
「高次元でバランスが取れている」という表現はダメなん?
東京ドームは打球が伸びるって言われていた。
あの栄村はよく1番で使われて記憶にもあるが最近の
ようすみたらすっかりおじさんになっていてショック
だった。時は流れてるねー!!
栄村も、吉村とぶつからなければ
どちらともぶつかって人生変わったわね
吉村もぶつからなかったら
監督したかもな
高橋由伸とタイプ的に似てるし
>>591 吉村は私生活面がねえ…………、大きいトラブルやスキャンダルこそ無いけど
現役時代も相手を瀕死の重傷に遭わせる飲酒運転事故を起したり、引退後も
些細ながら女性トラブルとかちょくちょくと。
その辺の懸念が無ければ、二軍監督から一軍監督とすんなり昇格していたろうと。
原もヤクザに1億とか永久追放レベルのことをやってるけど
普通に監督続けて、退陣後も球団の特別顧問になってるが。
吉村とは政治力の差か。
パークファクター込みなら原がこの年のセ・リーグ最強打者
この年だったっけ。代表自殺して喪章つけて試合して1―0だったの。
>>594 HRキングは球場にはばまれたね 惜しかった 実は原のベストシーズンなのかも
実際、東京ドームが開場してから3年はHR-PFがセリーグで一番低かった。
原の前後がほぼ空白化したのは痛かったな
呂も出だしはよかったが失速したし
パリーグはの東京ドーム最多本塁打は、本拠地の日本ハムの選手ではなく西武・清原の7本。
この年の清原は得点圏打率が.220と冴えなかったが、勝利打点はリーグトップの15と
2012年の中田翔のような感じだった。
この年の巨人見てたら
翌年優勝するとは思わなかったな
「待つ身の辛さ」
9年間で8度のリーグ優勝をした森西武、その8回の中で唯一自力で優勝を決められなかったのが88年だった。後に著書で監督・森祇晶が、伝説と
なった10月19日を指して「(在任)9年間に及ぶ監督生活の中で一番長い日」と振り返るくらい、心身両面の疲労は凄まじかった。
森が就任して初めて、スタートが良かった。4・5月を2ヶ月連続で負け越した86年、GW直後まで最下位だった87年と違い、4月から12勝5敗の
好発進で始まった。前年66完投の先発投手陣が力を発揮し、12勝のうち10勝が完投だった。5月も10の完投勝ちを含む16勝8敗、6月28日には
2位・近鉄に8ゲームの大差がついていた。しかし7月に入り投手陣が崩れだし、抑え不在が響く状態になってきた。そこは前年比で120得点アップ
した打線のフォローもあって持ちこたえ、残り20試合となった9月15日の時点でも近鉄とは6差あった。
雲行きが怪しくなったのは直後に近鉄が8連勝して、西武がその間3勝4敗ともたついたからだった。それでもゲーム差無しながら、半年振りに2位に
転落した状態で迎えた10月7・8日の最終直接対決に2連勝して今度こそ引導を渡したかと思いきや、諦めない近鉄は次戦から7連勝。そこからは
互いに勝ち続けた球史に残るデッドヒートだった。
森がポイントに挙げたのは、ラスト10戦を切った段階で工藤公康がともに完投で挙げた舌禍事件後の2勝だった。対南海23回戦で175球完封、
心を入れ替え中3日の志願登板だった対日本ハム25回戦では160球の2失点完投でチームの台所を救った。調子を落とし前半戦には1ヶ月以上
二軍落ちしていた左腕だったが、騒動を乗り越えた工藤が一回り成長した事とチームが一枚岩になった事には、森も「技術より気持ちの大切さを
学んだ」と目を細めた。
勝負どころでの自軍選手の頑張りを讃えた上、全日程終了後に「“人事を尽くして天命を待つ”だな」と少し余裕があった森も、そこからV決定までは
“待つ身の辛さ”を痛感した長い時間だった。直接対決連敗後から閉幕まで、近鉄が10勝2敗1分の進撃を見せた事は勿論もどかしかったが、
最終戦前日に近鉄がロッテに大勝して対ロッテ8連勝とした時には、ロッテに対して「最下位とはいえ、いくらなんでも負け過ぎではないか」とさすがの
森も苛立ちを募らせていた。近鉄が10.19第1試合に逆転勝ちしてマジック1とした時には首脳陣も気持ちの限界寸前だったのか、森がコーチ陣を
召集して秋季キャンプの打合せをして気を紛らわせていた。終いには守備走塁コーチの伊原春樹が精神的苦痛に耐えかねて打合せ後に帰宅して
しまうほどだった。西武の翌々年からの5年連続全球団勝ち越しによるリーグ5連覇は、もう二度と待つ身の辛さを味わいたくないというチーム全体の
気持ちの表れだったか。 (了)
打線は黄金期西武の中では最強の年だったんじゃないか?
あの協力なラインナップを中日の非力な先発陣が抑えるのはちょっと無理だろ
20ホーマーの1番と3割の2番
その後ろにセリーグの本塁打王を軽く上回る2人が4番の前後を固めたクリーンナップ
巨人や広島の投手陣でも苦労しそうだわ
郭と小松ぐらいだろ当時の中日Pで通用してたの
しいて言うならデータがほとんどないであろう山本がもうちょっと頑張るべきだった
去年と同じでパリーグ格差がなあ
近鉄はセなら独走しただろうし下手したらロッテにも勝てたかどうか
西武黄金期の近鉄は「セリーグならもう2・3回優勝できたのでは」と言われてた。
ただ近鉄というチームが独走する画が浮かばない。
全ての優勝が竸った中でのものだし。
この年の近鉄がセリーグにいたら少なくとも中日の独走は許さなかったんじゃね?
あとブライアントを抑えれるピッチャーがいるかどうかとか
>>613 この年の近鉄がセリーグだったら、さすがにブライアントは譲ってもらえなかったんじゃね?
>>610 ロッテだって打線だけは首位打者がいたりと悪くはなかったわけで
むしろロッテがセリーグだったらAクラスも夢じゃなかったかも
上に行けそう、ってなったらサザエさんの代わりを獲って来たかな?
>>614 ただ中日のブライアント評は低かったからね
ほしいところがあればどこでも出した気がするけど
そもそも中西コーチに見いだされた人だから
近鉄以外の球団にいっても活躍はできなかっただろうな
低かったから二軍でくすぶってた訳だしなぁ
二軍の試合には出てたんだろうか、
或いは二軍でならば、それなりの結果は残していたんかな
長打力だけは凄いという評価や評判はあったと思う
それを聞きつけて中西がほしがったわけだし
>>619 wikiにも出ている位でちょっと調べれば分かると思うけど、26試合出場で.275 6本塁打
24三振。
真面目に二軍戦に出場してて、若手選手なら一軍に上げても不思議では無い成績
だけど、一軍外国人枠2人の時代に郭やゲーリーに取って代わるにはまだ力不足と
いった感じだった。
今なら一軍に引き上げる位はしてたんじゃ・・・・・・・・、それでも後のステアーズ扱い
だったかもしれないけど。
26試合で6本塁打、24三振というのがいかにもブライアントらしいな
交流戦あったらどうなっただろ
セは全部借金とかあったかもしれない
>>621 ウィキにあったんね、すみません。
何というか三振の数はそれなりに目を見張るものがあるがw
HRは取り立てて目立つような数字でもなかったんやね。
どちらかというと三振多めの中距離打者みたいな感じで、
外人として置いておく価値はあまりないわなぁ
いや26試合で6本のホームランは中距離打者の数字じゃないぞ
130試合に換算するとちょうど30ホーマーやん
それでも74試合で34本打つとは誰も思わなかったろうなぁw
規定未満ながら打率も3割以上で良かったんだよなこの年は
ブライアントがいなければ近鉄打線って割りと平凡なんだよな
むしろ投手陣の力で西武に対抗していたし
投手王国とまではいかないが先発は粒が揃ってた
野茂と阿波野の活躍時期が重なっていれば西武もかなり危うかったろうし
セリーグで対抗できるチームは野村ヤクルトくらいだろう
>>616 ロッテがセリーグでもヤクルトや太洋とどっこいじゃね?
このチームは大砲がいないとどうもならん
この年の太洋はチーム打率がセリーグナンバーワンだった
チーム防御率は最下位だったが遠藤や掛端
斉藤や中山などもともと力のある投手がいるところだし
本来はAクラスも狙える力がある球団
でも選手のモチベーションがイマイチ
そういう点ではロッテと似てるかもな
南海は、門田一色の感があったが、この年の打線は破壊力があった。佐々木・湯上谷・バナザード・ドラ山本に、捕手の吉田も8月までは2割7〜8分をキープ。ニャンコ藤本が、前年のような投球をしていたら、5割を保てたと思う。
山本カズは終盤まで規定未満でも足りない分を凡打と扱う認定首位打者を狙える位置にいた
興味深かったから調べてみたけど
最終成績 327-105 .321 381打席 全部凡退と仮定して .301
8月末 228-76 .333 30〜35打席ほど不足 30打席凡退と仮定して .295
この間常に打率は.330〜.320の間、仮定打率は3割ラインといったとこだな。
ちょっと記憶違いじゃないかな?
末期南海の最大の問題は投手陣以上に内野守備だった
打線に並ぶ名前だけ見てるともっと勝てたような気がするがそれは気のせい
前半不調だったサード落合が仁村弟の復帰により一塁に回って徐々に復活
「守備負担の減った落合が打棒復活」とか言われてて
子供の頃初めて「あー守備位置で色々変わるもんなんだ」と知った年
勝負強かった仁村兄弟
弟のほうは前半ピッチャーもやって凄いカーブを投げていたのを覚えている
>>636 この8月末時点の成績ってどうやって調べたの?
>>641 レコードブックで最終成績から1試合づつ引いてって逆算した
この年の中日、打線はしょぼいとか言われているけど、控え選手がそれなりに打っているんだよね。
投手陣も中継ぎ陣ががんばっていたし。
まさに全員野球というか、オーダーが固定できなかったといえばそれまでだけど。
しかし持てる力を出し尽くして優勝という最高の結果を残したんだから、やはり強いチームだったんだよ。
星野の作るチームは漫画みたいで感動的な優勝になりやすい
中日は得失点差みる限り、1点差ゲームを相当モノにしてたんじゃないか
漫画みたいな補強ができる男星野仙一
落合博満、金本知憲
日本シリーズで清原がナゴヤ球場で場外ホームラン打ったこと
テレビみてたから
鮮明に覚えてる
暴力を振るうのはよくないが、個人的に星野は
やっぱり中日時代が一番魅力があった
楽天時代はさすがに老け込んでたし、阪神時代は
くどいくらいにメディアに持ち上げられてたのが胸焼けしたわ
しかし星野が西武から小野をとった理由はなんだろ?
結果的に大活躍したけど西武じゃ負け試合の象徴のような投手だったし
怠慢プレーの多かった平野を出すのはわかる
しかし当時の実績からして平野に見合う選手は他にもいたんじゃないの?
>>650 中日としては、左右関係無く先発投手が欲しかった。ただ、渡辺や工藤は貰えないし、松沼兄だと歳取り過ぎ。森繁と松沼弟は故障で、峠を越していた。結果的に、谷間の小野に落ち着いたんだろうと思う。
>>648 結局あれが清原の人生のピークだったな
そこから最初は緩やかに、だんだん下り坂がきつくなっていって
最終的に覚せい剤で逮捕
活動報告 - 桐光学園硬式女子テニス部
彼女の顔と性行伊は画像で確認
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今年転校するので許してください。
桐光学園中学校評判 ザキシマ 結子
>>651 森繁取ったらどうなっただろ
後にドラゴンズに来る人間だが
>>654 1イニングが限度の中継ぎ投手あつかいだよ(松沼弟も)
それでよければどうぞ、だけど平野で中継ぎ投手じゃ割が合わなさそう
87年の小野は、4勝11敗、防御率3・86。打線との絡みもあるが、8勝7敗でもおかしくない。
もし、平野と松沼弟(森)を交換していたら、新井宏昌と山口哲治に近いものになっていただろう。
ただ小野はファームで通算63勝(イースタンで46勝ウエスタンで17勝)で歴代最多を記録している
けして力のない投手だったわけではない
加えて年齢も若かくてまだ可能性もあったしスペックは高いが高齢化していた平野との釣り合いを考えると妥当だったのだろう
結果的には平野のほうが活躍年数は長く小野は一年開花しただけという短い形になったが
たしかに伝説の一発屋でもあるんだろうけど、
年度別成績を見返してみると、徐々に先発ローテ投手として
定着しつつあったようだね。
前年の西武打線がかなりの貧打(森曰く)だったというのも一因か。
もっとも巨人ファンからすりゃ、どこが貧打なんだよとも思ったが(´・ω・`)
この年は渡辺西崎のエース級に加えて
伊東小野松浦と謎の最多勝投手が3人も産まれて5人もいたっけな。
甲子園でビジターチームのファンが多かった試合は
よく38年ぶり優勝の横浜は言われるが
この年の9月の中日も実は、あの甲子園で
阪神ファンより多い試合があった
阪神ファンが少なかったとも言えるが
実際テレビでみた
「中日ファンの多い。阪神甲子園球場です。」
とアナウンサーも。
>>650 郭を後ろに回したために、先発の頭数が少なかった
小松も故障がちで
杉本や都は沢山は投げられない
前年、宮下とか若手を使ったが
先発で投げられる素材は少なかった
だから小野獲得だったのかも
先発再生は、星野仙一も自信があったのかも
80年代までは、優勝が絶望的になったシーズンの9月ともなると、甲子園は巨人戦以外は閑古鳥鳴いてたな
都、鈴木考、鹿島、宮下、上原そして郭
中継ぎ抑えが豊富なのが伝統の中日
この年も充実していたな
ただ勝負どころで郭は酷使されていた
>>665 >鈴木考は鈴木孝の誤植か
87宮下88上原90与田91森田、皆壊されてしまったが郭は良く頑張ったよな
郭や津田は7回から投げてたからな
郭は人一倍体が丈夫だったのかな
30代後半になっても体のバネは衰えてない感じだった
>>664 シリーズ初戦の先発にしたのが間違いだった。
第1戦は小松、小野は第2〜3戦の先発にしておけばもしかしたら・・・
そうね、この年の小松は前年よりは成績を落としたけど、
悪くは内成績だったもんね。
もっとも翌年はさっぱりだったが。
>>664 結果論だとは思うが。森監督のこのコメントが全て
「初戦にうちをクビになった小野を先発にした時点で行けると思った。初戦が小松ならわからなかった」
放出された球団に対してリベンジさせてやりたいっていうのは
実に星野らしい采配
だけど中日は放出ありがとうwwwざまぁwwwが多いよな
平野田尾鳥越中尾井端…
>>672 島谷・稲葉・上川・清水・正津・酒井・矢野も。
しかし第1戦の小野先発ってそんなに変な采配かね?
シーズンで最も優秀な先発投手を短期決戦で頭に持ってくるのは
むしろごく当たり前だと思うんだけど
もっとも1001がそうした定型的な采配しかできないといわれたら
あまり否定できない面もあるが(2003年の伊良部の例もあるし)
この年清原がロッテの小川からセンターにサヨナラホームラン
打ったのを覚えている
勝負どころの星野の投手起用はなんていうか勝った後のことを
考えてる感じがある
>>677 あるあるw
勝利監督インタビューの原稿考えてそうというかw
>>677 わかるわー
あざといよな
まあ当時は大半の連中がそれを有難がって持ち上げていたが
負けた時の言い訳を考えている様な選手起用をするフシも感じられる森監督とは
良くも悪くも好対照って感じですな。
1988年の話ではないけど日シリで伊良部起用にこだわったのもそういうところが理由だな
北京五輪ではまた同じ過ちを犯して惨敗
楽天では田中という歴代最高の大当たりクジがあったからなんとかなった
しかし逆に言えば星野采配で勝つためにはあの年の田中を投入できないと無理ってことだ
この年に限っては「郭で負けたらしょうがない」という逃げ道もあった
森監督が中日の監督なら、小松・杉本・小野・山本昌・小松・杉本・小野。
広岡監督なら小松を後ろに回してデス・小野・昌の三人で回しそう。
森監督が小野を高く評価してなかったのは
前年まで同じチームにいて予備知識があったのもあるんだろうな
シリーズ特有の無知の恐怖から逃れられるのは大きいだろう
小野と田中じゃ比べものにならんからな
森監督は第2戦主義で星野仙一は第1戦主義
日本シリーズで形を変える森監督と
シーズンのままの星野仙一
でも楽天の時は、さすがに星野仙一も学習した
俺は6戦目に則本で7戦目ににマー君投げるかと思った
百戦錬磨で短期決戦に長けている森と監督就任2年目の星野じゃそりゃ勝負にならんわな
シーズン中の勢いだけでは勝てる相手ではなかった
>>684 小松を東尾のような使い方にしようという案だろうが、墓穴を掘りそうだな。
楽天時代の第5戦に則本を中盤で出した時は「また墓穴掘ったな」と思ったが
>>690 当時日刊スポーツで落合が「星野監督の継投は間違ってなかった」とか言ってて驚いた
まさに1988年とかの星野と落合の関係は見てるこっちがビクビクしていたというのに
この2人の関係性は未だによー分からん
この先痴呆老人になっても
10.19を川崎球場の三塁側で見届けた記憶だけは失わずにいたいわ
今なお上手く言語化できない濃密なダブルヘッダーだった
>>691 監督最終年ににこやかに話してるのをみたことがある
福山雅治の義父が10.19でホームラン打ったときのかっこよさ
男は黙って仕事するを地で行く感じで
ざ仕事人って雰囲気がかっこよかった
あのときは真喜志までホームラン打って、これはもう近鉄勝つわと思ったがなあ
日本シリーズで5回以上先発して一回も勝っていない投手
北別府、高橋直樹、デス、昌、西口
中日ファンだが10.19は中日が優勝した瞬間より印象的だった
解説者が誰だったか忘れたが試合終了後すすり泣きしていたのを覚えてる
吉村アナウンサー
「郭が泣いています。郭が泣いています。」
10.19ってあれがもし巨人や阪神とかだったら
確実になかったことにされてるよな
同点ホームラン打った高沢の職人芸
これもすごい
しかし何故広島に出されたのだろう
いつの間にか引退した印象
10.19は両チームともけっこうホームランがでたよな
あの異様な雰囲気の中だったからこそというのもあるんだろうが
第一試合終了後のインターバル中に阪急身売りの噂が客席を駆け巡って
知らない者同士で「嘘だろ」「ソースは?」みたいなやりとりが
あちこちで見られたのは覚えてるわ
テレビやラジオにかじりついてたが、放送中に速報が入ってきて、もうわけわからん状態だったな(^^;;
ロッテ水上が3塁線の打球を処理した時のアナウンサー。
「ジスイズプロ野球」
>>706 安部憲幸さんですね…
2001年頃までのパワプロの実況やってた
阪急と南海最後の年か
門田が九州に行くのを嫌がりオリックスに移籍
翌年恐怖のブルーサンダー打線誕生の布石の年でもあったな
もしかしたら清原がこの年で死んでたかもしれないわけだ
ブーマー、門田という(ハイタッチ的な意味で)恐怖の3、4番
ブーマーはこの年は故障で規定打席未満だったな
あの件で退団したデービス、全休のブリューワ、骨折のクロマティー、そしてバースと
実績ある主力外人選手の離脱が相次いだ
この年からやってたのか?
ちょっと信じがたいな
シャブやりながら野球なんてできるんかい
むしろ、デービスが大麻で逮捕された年のオフの話だから、
大麻はアメリカでは割と普通ヒャッホーという感じで使ったのならそれなりに筋が通る。
ヤクルトは85年、86年、この年、90年
6年で4回目の前で胴上げを見させられる羽目に
>>713 パ・リーグのベストナイン外国人不在が、76年以来12年振りだった。ちなみに、次に外国人不在は2009年まで無い。
バナザードが終盤欠場と、退場3回が無ければ、選ばれた可能性は高かったし、ブライアントも可能性はあったが‥‥
バークレオは選ばれなかったのか
ベストナインの選考基準はよくわからんけどホームランだけじゃだめなんだな
とよく考えたらDHで門田と競合だった
せめて外野手でのスタメン出場が多くないとだめだな
>>726 バークレオが外野手だったら、ベストナイン3枠目は、平野、ブライアント、バークレオの三つ巴の争いだっただろう。票が割れて、同票受賞や、5票内外での当落になったかも?
バークレオが真の実力者なら、翌年以降必ずベストナインに選出されるチャンスがあったろう
バークレオは翌年全く打てなくなったな
で、夏場にデストラーデ緊急補強してすっかり居場所がなくなった
まあでもこの年のバークレオは恐かったよ
満塁ホームランを確か5本くらい打ってるし
翌年の西武は東尾引退(88年も戦力になっていたか微妙な成績だったが…)、工藤前年以上の絶不調
バークレオさっぱりが聞いてオールスター前まで4位〜3位うろうろで
3連勝すら出来なかった始末だったな
デストラーデ獲得で巻き返して終盤やっぱり西武が優勝か、と思ったら
9月の近鉄戦でリベラにやられ、ダブルヘッダーであの通りになり終わった。
この年の東尾はマージャン賭博による謹慎処分で前半戦は出場自粛してたような?
結果的にこれが引退の原因にもなった
西武投手陣は森山がブレイクして新人王
しかし翌年以降謎の出場機会激減…というかほとんどゼロ
日シリで中日打線を手玉にとったパームボールをもう一度見たかった
バークレオと森山
投打にこの年限りの一発屋が出てこなかったら優勝逃がしてただろうな
>>733 森山は肘か肩を壊して翌年出遅れ
復帰してもまるで戦力にならなかった
森山は89年以降は故障で全く戦力にならず
93年に移籍した横浜で谷間の先発などで少しだけ復活して引退した
ほんのちょっとだけ輝いただけだったが、楽天で一軍コーチやってるし勝ち組と言えば勝ち組
オープン戦で中日と対戦した時星野に「あんなわけのわからん投手」と言われ日シリで奮起
回を終えるごとに中日ベンチ…というか星野を睨み付けていたらしい
そんな因縁の2人が後に同じチームの首脳陣になろうとは
池山と田中幸雄が、大型遊撃手として台頭。トリプル3の候補なんて言われたりもした。両者とも、なんとも中途半端な打者に終わった。アベレージは論外、長距離砲にはイマイチだか、中距離打者でも無し、走れない。
打点王取ったことある田中幸雄を中途半端な打者呼ばわりは無いだろ
晩年はもうガタガタだったにしろ
>>739 打点王と言っても80打点。それに、3割は0だし、30本塁打も無し。
池山は野村のせいで小さくまとまってしまったな
ショートで30本打てる貴重な選手だったのに
まあ池山や広沢に正確性や献身性を植え付けたからこそヤクルトは90年代に黄金期を迎えたわけで
池山は寧ろ95年に痛めたアキレス腱の怪我が尾を引いた感がある
致命的なケガを負ったのは96年だけどそれ以前から不安視はされてたよ
だからノムさんもDVD宮本を即戦力候補として指名したんだし
罪滅ぼしも兼ねて野村もコーチとして楽天に呼んだわけで
もっとも、当時はヤクルトの監督が古田だったから
仲の良くない池山が古巣でユニを着れる可能性も低かったか
池山のフルスイングは見ていて気持ちいいものがあったね
「三振かホームランか」という古典的な引っ張り屋だったが華はあった
引きかえ中日の宇野は同じ遊撃手で似たようなタイプなのになんであんなに地味だったんだろ?
宇野が地味ってw
ショートで40本打って地味言われるんか
池山もそこまでプルヒッターのイメージはないがな
野村が監督就任した当初、ヤクルトのクリーンナップはパリッシュ広沢池山
3人とも長打力はあるが、揃って三振が100を超える粗さもあってそれを野村が嫌った
練習態度が真面目だった広沢は野村に気に入られたが、主軸になっても
悪く言えば不安定な池山の打撃は槍玉に上がった
その後3割打ったのは池山もまた野村の野球を受け入れたということなんだろうけど、
魅力がなくなったという人も多いね
まあ宇野は地味っていうかけして華のある選手じゃないな
オールスターにはファン投票で一回も選ばれたことないし
当時は全国的な知名度でいったら池山や川相のほうが上だったことは間違いないよ
実績は申し分ないし伝説の珍プレーも記憶に残ってはいるけど
なんかこの年の10.19を振り返ってみると、この時代がプロ野球が最も輝いた時代ではないだろうか?と思う
少し長文になるが、今のプロ野球はこのころに比べるとマニアックとまではいかないまでも固定された
ファン達がペナントの行方に一喜一憂している感じだ
昔は学校で応援するチームによるグループ分けができたり、ビジネスマンの営業トークで「どこのチームのファンなんですか?」となったり
巨人のスタメンなら男子なら大体言えたり(巨人戦はほぼ毎試合中継があった影響)、授業中に日本シリーズ中継をラジオで聴いてる奴が普通にいたり
これらのことは寧ろ当たり前だったんだよな
女子で「野球大嫌い!」と言う奴はたまにいたけど
宇野は守備が巧かったのに
ヘディング事件やちょっとおっちょこちょいなところだけ注目されて守備が下手なイメージにされていて不憫だった
宇野が派手で華のある選手だと思っているのはコアな中日ファンだけだな
>>751 10.19にしてもテレ朝が全国区でやったから伝説になったんじゃないかと。
テレビの野球中継だって「番組」だからね。
二軍の試合でもお金かけてスタッフも解説も一流どころを集めてショーアップすれば見られるものになるんじゃないか。
甲子園の高校野球なんかその際たるものだよね。
>女子で「野球大嫌い!」と言う奴はたまにいたけど
今は「嫌い!」とも言ってくれない。
>>750 宇野が遊撃手だったのは89年まで(88年は立浪が入団して二塁手)。だから、池山と川相とは僅かに被っただけ。宇野が被ったのは、河埜兄、山下、真弓、高橋慶彦。
宇野は高橋慶彦には人気で敵わなかったな
遊撃手としては屈指のスラッガーだったのに
宇野は破天荒だったけど。意外にサヨナラホームランやサヨナラヒットは少ない。あまり勝負強いイメージもないから。4番も少なかった。落合3番の時も4番はゲーリーだったし。
高木が解説の時いってた。88年当時。
「実は私がもし代行から正式の監督になったとしたら。宇野は出したかも。」
「日本シリーズだけでも、5番仁村で6番宇野にした方がつながった」
87から野球見てるけど宇野は珍プレー以外の印象が意外と希薄
プレースタイルもなんか地味な印象
宇野はヘディング事件よりも暴走して一塁ランナーの大島を追い抜いたやつの方が笑えた
大島を追い抜いた時に気付いた時の顔がなんとも凄まじかった
>>759 高木が監督やってた93年に仁村を5番で起用した時期があったな。
中利夫だったかコーチが宇野を
「なんか知らんが瞬間的に空白になる時があるんだよ。あれさえなきゃいい選手なんだが」と
真っ向うから評していた記憶がある
中日ファンとしては仁村弟の勝負強さは心強かったな
得点圏にランナーがいる時は落合よりワクワクしたもん
関東じゃ巨人戦しか中日なんかろくに露出しないから巨人に強い川又とかのほうが宇野より印象深い
関東じゃ巨人戦しか中日なんかろくに露出しないから巨人に強い川又とかのほうが宇野より印象深い
池山はデビュー直後は「ミスターバックスクリーン」と呼ばれていた
引っ張り専門ではない
一方宇野は、雰囲気が変わっていると言うか不思議な人のような
サードにコンバートしたら不振になったとか
悪く言えば衣笠の劣化版って感じになるのかな
そんな川又、王二世なんて呼ばれていた時期もありました。
確かに宇野は巨人戦で打ってたイメージがない
巨人戦の宇野というとヘディングしか浮かばないw
上川とか石井とか豊田とかあたりの方が活躍してた印象強い
この年の宇野は優勝が近づいた終盤けっこう勝負強い打撃してた
優勝するチームは選手も変わるんだなあとつくづく思った
>>775 禿同!!
99年の鷹も06年の公も去年のヤクも
シーズン終盤での勝負強さが目立った
>>775 宇野は元々夏場に強く、「ミスター・オーガスト」なんて呼ばれてたのが
この年の中日はオールスター明けから何試合も逆転勝利を重ねてきたこともあって
勝負強い打撃が印象に残ってるんだろうね
この年の宇野は本塁打は18本と少なめだが打点は76打点と割に稼いでいるんだよね
むしろ30本くらい本塁打を打った82年83年あたりと比べても多いくらい
打率も277とそんなに高かったわけじゃないし例年に比べて勝負強い打撃が際立っていたのは間違いない
意外に思うのは前半不調だったチームを引っ張り1人で気を吐いていたゲーリーが終わってみれば平凡な成績で終わったこと
後半チーム状態がよくなり肩の荷が降りたのか?
一時期は絶不調の落合の代わりに4番も打ってたからな
ゲーリーは脇腹のケガももあったんだよ
平凡といっても打率293と高打率だったし出塁率やOPSも比較的高かった
落合に影響受けていろいろ吸収したらしいし非常に真面目で良い外国人選手だった
ゲーリーは打点が少なかったのが、切られた要因だと思う。
宇野が自らの肉体を犠牲にすることで
日本シリーズ全敗を防ぐ事ができた。
ゲーリーは左投手と対戦するときはほぼ100%レフト方向に打ってたな
王監督が鹿取→角→鹿取のリレーをやった時は鹿取にライト守らせてた
ゲーリーと入れ替わりで来て
応援歌も同じだったジョージは
長打が無くて怪我であまり活躍できなかったな
ジョージ懐かしいな
オープン戦で打ちまくってたから
ゲーリーの代わりはOKだと思ったんだけど
蓋を開けてみれば…
ゲーリーの外野守備ってどうだったっけ?
体でかかったよな
可もなく不可もなくかな?
チームが勢いづいてきた時にファインプレーをした試合を見たことがある
ファーストは上手かったけど仁村の復帰で落合がサードからファーストに移っちゃったからな
ゲーリーの外野はあの巨体の割には機敏に動いてたと思う
日本シリーズでライトフライをダイビングキャッチしてなかった?ゲーリー
まあ外野フライのダイビングキャッチは打球が死んでることが多いから上手いとは判断しにくいが
少なくとも川又ほどハラハラすることはなかったな
ザルだった中日の守備でもまともなほうだったと思う
ディステファーノも巨体の割りに俊足で守備上手かった
喧嘩だけなら星野もお墨付きの最強外人だったな
喧嘩と言えばクロウと宮下の因縁もこの年だっけ?
>>756
確かにそれは感じる。職場の女子に「出身地の県の代表校が甲子園で勝ちましたね。」と言われてもシカトされた。
まあ、女子は男子ほどはスポーツが好きにはなれないなら仕方ないのだろうけど。
男子はスポーツの話題が得意で、数学や歴史が強い人が多い。一方女子は映画やドラマの話題が得意で、国語の長文読解や英文法に強い人が多いという脳の作りが違うから致し方ないのですよね。 >>800
連続投稿で失礼します。
私は野球やサッカーの話題が大得意ですが、女子にそこまで話が通じないのは、野球やサッカーは女子には無縁なスポーツだという認識もあるのだと思います。
今でこそなでしこジャパン効果で、女子でもサッカーをする人がいるのだという事が世間に認知されましたが、この1988年は澤穂希はまだ小学4年生で、女子単独のサッカーチームは全国でも数える程しか有りませんでしたね。
野球に至っては、より一層女子には取っつきにくいと思われます。
一応「日本女子プロ野球リーグ」は有りますが、世間一般にはあまり知られていません。そして女子の硬式野球部を持つ高校は全国でも20校程度です。この1988年は、今以上に「女子ならソフトボールをやれ」という世間の風潮がありましたね。
男子の全国高校サッカー選手権に出場するチームは、どこも部員を100人以上抱えていますし、東福岡、國學院久我山、駒澤大高は200人を超えます。
一方女子の高校サッカーに至っては、女子サッカー部を持つ高校が無しという県もありますし、部員が11人ギリギリで全国大会に出場する高校も少なくありません。
野球も同様に、競技人口は男女比1000:1にもなるのでは、と思われます。
逆に吹奏楽部であれば、男子生徒の方が多い共学校であっても、男子部員は数人程度で殆ど女子ばかりという高校が多いです。
このように男子と女子では価値観が違うので、なかなか女の子に野球やサッカーの話題を振っても、興味を示してくれませんね。 さゆりんごみたいに自分の母校とかでもない限り
高校野球に関心のある女は少ないだろ
ただプロ野球やサッカーとかではまった時の中毒性が高いのは
むしろ女の方だったりするけどな
女に野球の話なんて犬に政治の話をするのとかわらん
そんなことやるやつは真性のアホ
>>802
まあな。女子は自分自身が野球やサッカーをしていなければ、自分の母校でもないチームの試合は見ないわな。
けど女子は一度のめり込むと、男子以上に熱くはなるね。
10年前に「ベレーザは何のチームか。」と女子に質問したら、「バレー」、「バスケット」、「テニス」という回答が返ってきた。
自分には妹がいて、妹も典型的な女子タイプで、父親と私が野球中継を見ていても、つまらなそうにしていたよ。
一方で自分が通っていた高校には、女の子の球児がいたけど、野球に対する情熱は男子部員以上に熱かったわ。 野球は動きも少ないし、女子の視聴にはとても絶えうるものじゃないよな
ただこの年辺りは、ナベキュー、西崎、阿波野といわゆるトレンディエースと呼ばれる投手の全盛で
彼らに対する女性人気はあったと思うよ
うちのクラスにもナベキューのファンの子いっぱいいたし
ナベキューに限らず西武のファンは全体的に女子率高かったような
おっさんばっかの阪神巨人とは明らかに一線を隔してた
うちの姉貴はナベQ嫌いだった
容姿というより喋り方が嫌だったらしい
あと確実にこの髪質はハゲるって言っていた
有藤の長時間抗議がクローズアップされてるけど、実は仰木もワルだったんだよね。
佐藤健一がデッドボールをぶつけられたときに、「痛いのなら代われ」と言ったからね。
仰木もかなり抗議してるよね。
>>809 仰木のこの発言を聞いてロッテの選手に火を点けたんだよな
絶対に近鉄に優勝はさせないと
しかし近鉄って一番有名な場面が石渡のスクイズ失敗と10・19だなんて
なんつー悲しい運命を背負ったチームなんかと言いたくなるな
普通の球団ならブライアントや北川のホームランが先に来るところだろ
>>809 佐藤に代われと言ったのは中西太。仰木は有藤の抗議の際「早く下がれ」というような意味のことを言った。
>>812 >佐藤に代われと言ったのは中西太
そんな出典見たことないし、中西があの場面で出て行ったようにも見えなかったが。
あの試合の前にかっとけば良かった試合がいくつかあるからな
10.19も10.8も起きた原因は前にある
>>814 申し訳無い。代われ発言は仰木。ただ、中西も度々ベンチを出て、主審に抗議をしていた。今なら、退場させられてもおかしくない。有藤の抗議云々もあるが、近鉄サイドもロスタイムを産み出していたのも事実。
>>816 お前はっきりと「佐藤に代われと言ったのは中西太」って
>>812で書いてるじゃん。
誤解を招く書き方とかそういうのじゃなくてはっきりと。
意図的に捏造したの?
この年、メジャーリーグでは球史に残る伝説が生まれたよな
メジャーリーグ通であれば、すぐにわかるだろうけど
第1戦で中西コーチとホームインして鈴木が抱き合って、コロコロ転がりながら
喜びを表したんだよ
あれを見たロッテ選手はカチンときて普段は負け犬軍団なのに、
近鉄に勝たせまいと、一致団結した。
こういう試合って案外直接対決の方があっけなく決着が付くこともあるんだよな
なまじ互いに可能性がある分決定的な打撃を与えられると
一気にポキッと心が折れてしまうことがあるから
10・6でパウエルがゲッツーでチャンスを潰した直後の清水のソロホームランとかね
>>820 翌年は近鉄が西武をブライアント弾で虐殺した
>>817 お前とか、捏造って、感じの悪い書き方すりのね。申し訳無いと書いたのにアカンのかな?
>>822 別に謝るとか謝らないとか関係なくない?
意図的な捏造なのかそうじゃないのかを聞いているだけなのに。
後から謝ったら意図的に事実をねじ曲げるのもOKだと言いたいの?
809で、デッドボールを食らった佐藤に仰木が「痛いのなら代われ」と言ったということが採り上げられ、
それに
>>812が食いついて「佐藤に代われと言ったのは中西太」と歴史を捏造し、
814でそんなこと聞いたこともない的なことが書かれると
あっさり
>>816で「代われ発言は仰木」とさっきの発言を真っ向から翻し、
817で意図的に捏造したのかと問われると、
>>822で言葉の使い方に難癖をつけて謝ったからいいじゃん的に逆ギレ寸前
あっさり翻したからいいようなものの、意図的な事実の捏造が誕生する瞬間を目の当たりにした
>>822 なんで捏造したの?捏造するなら当然何らかの理由があってしたわけでしょ?
捏造という言葉の使い方にいちゃもんつけるなら別の呼び方を挙げてくれたまえ。
謝るなら謝るで、(意図的な捏造でないなら)記憶違いでしたと言えば終わるものを
中西もベンチを出て云々と、妙な自己弁護のようなことを書くからややこしくなる
>>824 単に、ストライクボールに何度か抗議に出て来た中西と、佐藤の死球の際に出て来た仰木が、ごっちゃになっていただけ。
歴史を捏造とは、随分大袈裟な書き方。
>>827 お前はっきりと「佐藤に代われと言ったのは中西太」って
>>812で書いてるじゃん。
>>809が佐藤の死球で仰木が出てきて痛いのなら代われと言った、と正しいことを書いているのに、
それに食いついて
>>812で「佐藤に代われと言ったのは中西太」と全く違うことをここまではっきりと書いていたのに、
>>827でストライクボールの抗議でごっちゃになったという言い訳や自己弁護は苦しいなあwwwwwwwwwwwww
>>827 よろしい。ごっちゃになっていたということにしてあげよう。
じゃあ、君はごっちゃになっている状態で、正しい書き込みをした人に食いついて
「佐藤に代われと言ったのは中西太」って堂々と偉そうに言ったの?
この年にバファローズが詰んだのは羽田の落球があった直接対決と
阿波野を投じたのに星野を打てなかった阪急戦だと思う
南海の大阪球場ラストゲームに当たったのも痛かった
日本一が無かったためにどうしても成仏できない層が一部いるな。
オリックスがこれから日本一になる事があっても変わらないだろう。
仮にこの年、近鉄対中日の日本シリーズになったらどっちが勝っていたかな
どっちも勝てる気がしないチームだけど
勝手に言ってもいないことを断定的に言ったことにされた中西太w
>>835 俺は4-3で中日と予想
加藤哲郎のあの発言はどこが相手でも
ロッテより弱いと言っただろう…
史上まれに見る低レベルな日本シリーズになっていただろうな>近鉄中日
リアルタイムで10.19見た年代の人間がこんな粘着してんのかと思うと泣けてくるな
>>810逆に1982年の大洋は、中日にあっさり負けて優勝を献上し、巨人ファンからは八百長疑惑が掛けられ
841です。途中で切れてしまいました。
1982年大洋は、中日にあっさり敗れ、結果待ちをしていた巨人ファンからは八百長疑惑が掛けられたね。
当時の大洋としては、目の前で中日の胴上げを見る事以上に、巨人に優勝されるのが嫌だったんだろうね。
大洋が長崎に首位打者を取らせるために、中日の田尾を全打席敬遠し、長崎を欠場させたというオマケもありましたが。
その理屈で言えば、1992年星稜は松井秀喜が全打席敬遠され、毎回無条件で出塁というチャンスを貰ったのに明徳義塾に敗退したのは、山下監督の采配の悪さもあったと思います。
>>818 何だっけ?ハーシュハイザーとかカンセコのこと?
それともやたらと話題になるカークギブソン?
とここまで書いて思い出したが、
オリオールズかな?確かに伝説だ
低レベル日本シリーズは裏を返せば、
同じような力量の接戦になりそうな気がしないでもない
単純に力いっぱい投げて打つ、シンプルな野球ってこと
素人が見ていて楽しい野球
西武みたいな深みのあることは何もできないし起きない
10.19で力尽きた近鉄ではまともに中日とは闘えなかっただろうな
お互いに万全なら面白いシリーズになったと思う
源治対ブライアントとか想像しただけで鳥肌もんだよ
ロッテは胴上げ阻止、高沢首位打者 と最下位ながら勝ち組
近鉄10−1中日 ○阿波野●小野
近鉄10−0中日 ○小野●小松
近鉄10−1中日 ○山崎●山本
近鉄3−2中日 ○村田●杉本
勢いをそのまま持ち越した近鉄があっさり4タテしそう
>>323にあるように第1戦阿波野は無理
10.19で近鉄が勝ったとしても中2日でデイゲームで日本シリーズ第1戦。
そうなると、先発ローテはこんな感じか
10/22第1戦 村田 中5日
10/23第2戦 阿波野 中3日(先発では中5日
10/25第3戦 山崎 中6日
10/26第4戦 小野 中6日
10/27第5戦 高柳 中7日
10/28第6戦 阿波野 中5日
10/26第7戦 山崎か小野の好調な方
10.19第2戦目で勝ったら、夜12時くらいからビールかけして、
翌20日は休養と川崎から名古屋へ移動。
翌21日にナゴヤ球場で練習して22日に第1戦というハードスケジュール
解説連中が中日負けしたとたんに「星野だから勝てなかった、巨人なら勝てた」の大合唱
まあシリーズでセが負ければ巨人なら〜は御約束だけどwwwww
翌年か翌々年かの週ベの特集で近鉄優勝時の記事の青刷りを載せてたな
先発投手陣は近鉄
中継ぎ投手陣は中日
攻撃力は互角かな?
1,2番の機能性は断然近鉄
守備は中日が断然ザル
層は中日の方が厚かったと思う
小野が1戦目でどういう内容かで変わるな
古巣西武には打ち込まれたが
>>844 この年はカーク・ギブソンのワールドシリーズ第1戦のサヨナラ本塁打の一択しかない
オリオールズの連敗って伝説とかいうのとはまた違うでしょ
ビル・マゼロスキーのワールドシリーズ優勝決定サヨナラ本塁打と
ジョー・カーターのワールドシリーズ優勝決定サヨナラ本塁打を上回る劇的な本塁打として
歴代1位にランクインされたこの本塁打
日本の野球雑誌でもワールドシリーズ特集があると、象徴的な本塁打として真っ先に挙がる
「世界中が耳にしたホームラン」に次ぐぐらいの知名度
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%96%E3%82%BD%E3%83%B3#.E3.80.8CThe_Home_Run.E3.80.8D.EF.BC.88.E3.83.89.E3.82.B8.E3.83.A3.E3.83.BC.E3.82.B9.E6.99.82.E4.BB.A3.EF.BC.8 英語版ウィキペディアではこのホームランだけで単独記事も作成されている
https://en.wikipedia.org/wiki/Kirk_Gibson%27s_1988_World_Series_home_run 日本語版でいうと北川の優勝決定本塁打の記事を作成するようなものだろうな
たった1打席だけで、88年ワールドシリーズを象徴する名シーンとなった
>>860 日本なら須磨寺が議論吹っ掛けてすぐ消えるんだろうな
ジョーカーターみたいに優勝決定したサヨナラHRなら分かるが、
第1戦のサヨナラHRで、何でそんなに劇的なのかよく分からん。
杉浦なんか満塁で打ったやんw
2死からの逆転サヨナラってこともあるんじゃね?知らんけど
>>859 小野が清原に打たれたのって元チームメイトで投球パターンとか知り尽くしてたっていうのもあるんじゃね?
一方のブライアントは短い期間とはいえ中日でプレーしてたしデータはある程度揃ってる
いくら中西が大化けさせたとはいえウイークポイントを短期間で克服できるとは思えないし
むしろ清原とは勝手が違いうまく押さえ込んだ可能性も否定できない
ブライアントってこの年ポンセよりホームラン打ってるんだな
74試合で34本という本塁打率の異常な高さ
三振取るのは簡単だがホームランを抑えるのは難しいバッターだった
>>863 ;nohtml5;t=10m26s
1988年にナ・リーグを制覇したドジャースの原動力となったのが、移籍1年目のカーク・ギブソン
主軸として卓越したリーダーシップで貢献し、リーグ優勝決定シリーズでも決勝弾を放った
だがシーズン終盤に痛めた足の状態は限界まで悪化したため、アスレチックスとのワールドシリーズ初戦ではスタメンから外されるほどだった
下馬評では、投打に強力なメンバーを揃えたアスレチックスの圧倒的優勢だった
1点ビハインドの9回裏、2死一塁ながらマウンドには後に殿堂入りするアスレチックスの守護神デニス・エカーズリー
この絶体絶命の状況で代打に出たギブソンは、エカーズリーはフルカウントからバックドア・スライダーを投げ込んでくるというスカウトのアドバイスを
忘れずに頭に入れていた
そしてフルカウントまで粘り、予想通りに投げてきたこの低めのスライダーを、片手打ちのように弾き返す
起死回生の逆転サヨナラ2ランを地元ファンで埋まるライトスタンドへたたき込んだ
満足に歩くこともできず、足を引きずりながらダイヤモンドを一周したギブソン
残りの試合も出場することはできなかったが、ドジャースはワールドシリーズを4連勝と終始圧倒して制覇
真のヒーローがギブソンだというのは衆目一致するところだった
アスレチックスは88-90年までア・リーグ3連覇を果たす
特にワールドシリーズでジャイアンツに4連勝した89年は「アスレチックスを倒せるのはアスレチックスしかいない」とまで言われたほどだった
伝統的名門球団ロサンゼルス・ドジャースが最後にリーグ優勝を成し遂げたシーズンでもあった
不思議なことにブライアントはデストラーデがいる間は成績はぱっとしなかった
いなくなったとたんに二年連続本塁打王
西武を三年連続日本一にもしたデストラーデには不思議な力があったのだろうか?
もっとも90年は腰痛を抱えててイマイチで
91年は膝の怪我で後半戦を棒に振ったから
本当に競争で敗れたといえるのは92年ぐらいだけどね
毎年40本前後打つデストラーデ相手にホームランの本数ばかり意識する様に
なったんだろ>ブライアント
デストラーデが居なくなった1993年も当初は数試合無三振だったのが、話題に
なったりしたけど、夏場にウインタースに並ばれた途端にいつものブライアントに
戻り、結局204三振の日本記録樹立(´・ω・`)
ブライアントは放出の際、二軍の首脳陣は渋ったらしいな
一緒にプレーしていた連中からすれば、彼の才能は充分目の当たりにしていただろうし
ただ、当時の中日にブライアントを開花させる力のあったコーチがいたかといえば疑問
数年前にいた中日のグスマンも指導者変わればブライアントみたいになってたのかな
あれもパワーが半端なかったが
>>873 2012年のオフに高木がフロントに残留の要請をしたようだがあっさり解雇された。
翌年ルナと併用していれば。
まあブライアントがブレイクしたのも近鉄の豪快な、いてまえ魂全開の気風もあると思うんだよね。
そういう選手たちに囲まれていたから、ブライアントも安心してプレーできたんだろう。
なによりそんな近鉄を優勝を争える球団にした、仰木さんの手腕がすごい。
仰木監督はオリックス時代よりこの頃のほうが好きだな
しかしまあ、阪急も”あの日”に身売り発表しなくても…
東京ドーム元年で現役バリバリのメジャーリーガーのガリックソンが衝撃的だった気がする
ええ〜そうかなあ?
が陸遜は事前の報道がもの凄くて(史上最強投手とか煽られてた)
20勝して投手三冠、ノーノー2〜3回は軽いだろうって勢いだったから
確かにいい投手だけど言うほど・・・って感じでわりと拍子抜けだったぞ
郭が早く日本人帰化をしていたら
1中 彦野
2遊 立浪
3右 ゲーリー
4一 落合
5二 宇野
6三 仁村徹
7左 ブライアント
8捕 中村
の夢の打線が出来たんだが
ガリクソン
87 MLB 14勝13敗 4.86(35先発) (162試合制)
88 NPB 14勝9敗 3.10(26先発) (130試合制)
まあ当時の日米差を考えると期待外れだったのかも知れないが、まあこんなもんだろう
ガリクソンはまあよくやったほうでしょ
デシンセイやマドロックに比べたら
前年がホーナーブームだから余計にマスコミが煽ったんじゃないの
デビュー戦完投勝利翌日の報知新聞は
25勝とか書いてあったw
まぁ巨人にしては当たり外人の部類だろう
当たりというか、期待値からは最低限の成績は残した
という程度なのかも知れんが
ホーナーブームに気をよくしたヤクルトが、この後デシンセイやらパリッシュやらバニスターやらレイやらマーフィーやら実績だけは一流の下り坂選手を取り始めたきっかけとなった年
郭が早く日本人帰化をしていたら立浪は外した方がいい
1中 彦野
2二 仁村徹
3一 ゲーリー
4三 落合
5左 ブライアント
6遊 宇野
7右 川又
8捕 中村
>>889 26試合で2割7分5厘、6本塁打。三振は24。ごくごく並の数字だが、近鉄はデービスの代わりが必要だった。
>>881 その打線が実現したら大豊は入団しなかったかも。
>>881 >>888 妄想打線のオッサン、こんなところに出没していやがったのかw
>>888 勝負強い仁村の2番はもったいなくね?
守備とか総合的に考えたら
>>881のほうがいい
とにかく川又の守備がいかんのよ
あれは巨人戦のみスタメンか代打で使うのがベスト
>>880 実際その通りでしょ
来日前年にメジャーリーグで規定投球回に到達した投手自体が
これまでに
1988年に巨人に加入したビル・ガリクソン
2012年にソフトバンクに加入したブラッド・ペニー
2015年に広島に復帰した黒田博樹ぐらいしかいないわけだから
そしてペニーよりガリクソンの方が来日前年の成績は良かったわけだから
二軍でこの成績だと一軍の投手相手は厳しいなあ
化けさせた中西コーチの手腕がいかに優れていたかというところだな
というより、ブライアントは一応前年までメジャーで46試合に出てた26〜27歳という若手だったのに
日本にドジャースとの友好の印としてやってきて、
それで二軍で幽閉されてちゃモチベーション相当低かったんだろ
それが証拠に、6月28日に近鉄にトレード決定、
おそらく中西コーチの指導を受ける余裕もなく翌日からいきなりスタメン5連戦で
6/29 4打数1安打2打点 ○勝利打点
6/30 2打数1安打2四球 ●
7/1 4打数2安打2打点 ○勝利打点
7/2 3打数1安打1打点 ○勝利打点
7/3 2打数2安打2打点1四球2本塁打 ○勝利打点
打率.467 2本 7点 OPS1.489
チームは4勝1敗ですべてブライアントが勝利打点
ちなみに88年のブライアンとの勝利打点は74試合で13。
その年の勝利打点王清原は130試合で15
つくづく、この年にフル出場していたら・・・・
と妄想してしまうなw
60本 勝利打点20くらい行けたんだろうか
でも初HRは意外と遅かったのね
例えて言うんならホーナーとか呂みたいな
センセーショナルフィーバーは記憶にないな
気付いたら、え、こんなに打ってるの!?って感じだった
マスコミでは「ミスターツーラン」とか「ミスタースリーラン」なんて呼ばれてたのが記憶にあるけど
ホームランだけでなく異常なほど勝負強いバッターだったな
やくみつるの漫画のネタで
阿南が典型的サラリーマン監督としてネタにされ
最終戦なのに花束贈呈なども何もなくて、みんな普通に終った終ったお疲れ様と解散して
阿南が寂しそうに球場を後にしようとすると女性に声をかけられ
花束かと思い振り向くと「最後のタイムカード押していってくださいね」と言われ、ガチャっと指して終わりってのがあった
ガリクソンは、来日間もない頃は
糖尿病であることとゴロを素手で取りに行くのが話題になりましたね。
あとは長嶋一茂選手のプロ入り初本塁打を献上したこと。
ちなみにこの試合、
巨人が勝利したもののヒーローインタビューは一茂選手でした。
神宮球場開催だったこともあったのでしょうが。
>>907 負けチームのヒロインなんてあるんか、初めて知ったw
ガリクソンの4連続完投4勝目当日にHR献上したのは
覚えてるけど。
あの頃のヤクルトって長嶋、つーか巨人に配慮しすぎていたな
監督に欲しいからバカ息子をわざわざ取るわ、巨人を捨てるわ
ヤクルト巨人なんて賭博があったら勝ちはすぐわかるぐらい
でもこの年だけは勝ち越したんだよな
>>910 当時のヤクルトのオーナーは、
読売大好きのあのお方だからw
この年の中日、ヤクルト戦で胴上げ
関根は82年84年88年と対戦相手の胴上げを見ることに
関根の後長嶋に監督要請したんだよなもし
受諾してたAクラスすら入っていない
野村が監督で良かったよ
関根退任後の後任本命は長嶋で、対抗馬が若松、田淵だった
野村は大穴
だから野村も当初は渋った
NPO誇大広告ハローワーク指導員バイトレベル
NOPハローワーク爆買い指導員(40代千本ノック)
NOPハローワーク爆買い指導員(冷暖房完備低所得者レビューアマゾンカスタマーさんコメント問題)
警察無視騒音問題
広島の貧打線の思い出。
正田しか期待できる打者がいなかった。
今の広島打線と当時の投手陣が合ったら
中日以上の独走だっただろうな。
じつはこの年は、得失点差では巨人がセリーグ1位だったりする。
86年や88年の日本シリーズの対西武って、案外巨人だったら善戦できたんじゃない?
「負けたけど競り合った」という意味での「善戦」なら、86年の広島より善戦するのは相当難しそうだが
この頃の巨人が西武に勝つイメージなんて全くなかったけどなぁ
90年なんて歴史的大独走だったが4タテを食らうし
94年にようやく勝ったが、前年先にヤクルトが下してるしな
この年は確か吉村クロマティが怪我で駄目だったから無理だろう
86年は可能性あるかも
88年は中日と同じ様な結果になりそう
86年は主力選手の成績が好調だったけど、
原が出られないだろうからなぁ。
加藤初あたりが良いピッチングをしそうな気がしないでもない
1戦ガリクソン
2戦槙原
3戦桑田
4戦水野 香田 西本
槙原ぐらいしか勝てそうもない
>>918 あれだけ差がついたのにか
中日は僅差の勝ちが多かったのか
この年の巨人は大量得点で圧勝した次の試合を落とすパターンが多かった
貯金は9なのに得失点差は貯金33で優勝した中日のそれより多いという珍現象
ガリクソンや桑田が投げたらいっぱい点取るのに槙原が投げるときは貧打だったりな
>>923 ということは、中日と同様に一蹴されてしまうのかw
>>926 原因はガリクソン・桑田に比べて槙原自身が打たなさすぎるからでは?
88年打撃成績
ガリー .114(70-8) 1本 4打点
桑田 .130(69-9) 0本 1打点
槙原 .135(74-10) 0本 4打点
ガリー打ってねぇじゃんw
この年に限って言えば槙原よりも桑田の方がダメダメだったんだな(´・ω・`)
もしもそうなれば8年で4回日本シリーズで西武に負けたのか
>>931 桑田もこんな打撃成績駄目だった年あったんだな
桑田は投げる方の成績と打撃成績が
連動してるなんて言われてたな(´・ω・`)
実際にそんな印象はあるが、
92年は例外で投げる方は絶不調でも、
打撃は2本くらいHR打ってた様な
>>918 得失点差マイナスの時点で中日1位になってたような。前半戦の終盤。
前半戦終えた時点で全くゼロだった記憶。
巨人は1986、87、88年はあまりチーム力変わらない。
>>939 江川とクロマティと桑田が全員揃った87年が一番強いだろ
>>941 そうだけど「あまり変わらない」という話。
1988年はガリクソンで江川の穴を埋めてる。
1986年は加藤初が翌年の桑田並の大活躍。
>>941 まあ、そうなんだけど、その3人が揃ってもなお
日本シリーズで西武に惨敗を喫しているからねw
ここも読売ヲタに乗っ取られてしまったかw
この年に球界で発生した出来事からしたら、読売なんか正直どうでもいいんだけどねw
まぁ前年に比べれば数字は落ちたわな。
終盤の帳尻でどうにか3割に乗せていたような。
比較対象が前年(絶好調のシーズン)だから、
そう感じてしまうのも無理はない。
結局、クロマティもゲスな選手だった
ということよw
今日の昼間に放送された千代の富士追悼番組。88年の九州場所前、玄界灘で釣りをする千代の富士が、近鉄バファローズのグランドコートを着ていた。千代の富士以上に、近鉄のグランドコートの方が懐かしく感じた。
東京ドームがでかい体育館に思ったこと
札幌円山の巨人中日
わくわく動物ランドが中日戦に急遽差し替えられ妹がブーブー文句言ってたこと(多分8/31)
宇野のセカンド
小野和幸のブレーク
大島の日ハムのユニホーム姿が全然似合ってなかったこと
ランスは絶対今年は活躍しないとの予想がシーズン中に当たったこと
中日のビール掛けが自粛され残念だったこと
南海よか阪急の身売り
伊東の最多勝みたいなことが今年は起こりません様にと年賀状に書いて友達に出してたこと
>>488 それは熟成されたチーム力とアナン事務総長の忍耐力もあるなあ。妄想だが、ジョイナスみたいなんが監督だったら、ヤクルト辺りに抜かれて4位。それも、限りなく5位に近い4位になって、チームも崩壊してるだろうなあ。
この世代の国民栄誉賞一号はまー君でもマエケンでもホマキでも大島優子でもperfumeでもなく内村航平だな
この年中日の優勝メンバーは指導者して失敗している人が多い
小野、小松、杉本、鈴木孝政、鹿島
彦野、川又、中尾、大石
世の中、「成功」する人の方が少ないとは思うが、
落合は「成功」と言って良いのだろうな
>>488 猛打って野球ではなかったが
貧打って言うほどの戦力でもなかった
ランスより打てない落合は見たくなかった
あんな紛い物に負けるなんて
前年50本で28本だもんな
西本なんて嫌がらせのようにシュート攻めだったな
これが原とかに負けるならまだ諦めついたがね
あと引退していたがピーコとかでも
原にも負けていたんだよね。
この翌年くらいから慣れたのは流石だと思ったけど、
原が全盛期を過ぎてしまっただけに・・・(´・ω・`)
この年の落合は本塁打30本に乗せたが3割を切ったのがショックだったな
>>968 「郭はもう泣いています」という名言が出たんだよな。
あれ、全国ネットじゃないの?
昔は胴上げの瞬間は急遽差し替えとか普通にあったけど、この年は知らん
>>971 今地上波キー局で急遽レギュラー番組中止してプロ野球中継(優勝決定試合)
をねじ込んだりしたら凄い数の抗議がきそう
でも札幌仙台広島福岡の局なら普通にやりそうなんだよな
それでも流石にローカルネットの番組に限定されるだろうけど
(
>>968の試合は)東北の片田舎でも放送していたな。
札幌仙台広島福岡
地元のチームなら、流石に
急遽試合中継の方が盛り上がるんじゃないかね。
>>974 当時だと秋田、山形か
岩手青森はフジがなく宮城福島は4局あったし
この時代は地方は民放は2〜3局というのが普通だったんだってね
俺も地方民だが地元局が4つある地域だったので
「一部の地域を除き中継を延長いたします」などのテロップの意味が
当時は理解できなかった
だから東北は宮城福島以外10.19はNHKラジオしか無理だった
>>978 北陸三県も、ほぼ全滅(福井県の南部の一部は、朝日放送が視れた可能性あり)やった。
>>973 文春文庫の「熱闘!プロ野球三十番勝負」だったっけね、テレ朝の編成局長が居場所を知らせず
10.19を放送させ続けたの書いてたのは?
あれ凄いと思うね。全国放送してないと10.19は伝説になってないもの。
ラジオ緊急放送したNHKも評価してあげてください
当時はBS無かったからね
>>24 確かに2本塁出したが、それだけだ。
打ちまくったというほど打ってない。
三振と併殺打の連続だった。
>>981 ラジオを聴く習慣がなかったもので。
NHKもやるときはやりますね。
10.19の時、テレ朝のニュースステーション開始時刻になってもまだ決着がつかないことで
番組もどのタイミングで野球のニュースを取り上げるべきかわからず、大変だったみたいだ
久米キャスターもこのてんやわんや状態に参っていたらしく、OPで「助けてください」と(苦笑いしながら)言ってた記憶がある
優勝出来ないことが決定的になった後のニュースステーションのスタジオで
ニュースの合間に最終回の守備の様子を映していたが、
それを見た久米宏が「大石選手の表情、遠くを見つめていかのようですね」と話していた
1988年当時のテレ朝系フルネット局は12局だった、その後平成新局を作りまくった
北海道テレビ(北海道)
東日本放送(宮城県)
福島放送(福島県)
テレビ朝日(関東1都6県)
新潟テレビ21(新潟県)
静岡けんみんテレビ(静岡県)
名古屋テレビ(東海3県)
朝日放送(近畿2府4県)
広島ホームテレビ(広島県)
瀬戸内海放送(香川県・岡山県)
九州朝日放送(福岡県)
鹿児島放送(鹿児島県)
東北は宮城福島がセ・パ見られたけどそれ以外だと秋田が中日を見た以外はみんな全滅か…
>>973 キー局からの圧力も半端ないだろうからね。
>>980 石川県の奥能登の方では、NT21が受信できたらしいので、見てた人もいるんじゃないかな
>>993 あの地域はパ・リーグファンなんて皆無に等しい(下手したら野良猫より少ない)
CSが無く、野球人気がこの年並みならソフバンハムの争いは10.19並みの関心になったんだろうか
工藤は連覇が止まりかねない徳俵まで追い詰められたのを振り切った経験を選手でしたが、今度は監督で振り切れるか?
>>108 超亀だか、そうだったかのか?1001がコーチ陣にお前らだけで考えろ。と丸投げして、その後、コーチ会議で島野が代表して、とにかく走り込みましょう。と伝えたという話かと思った。
厳密にいうと、吉村が怪我をした試合は3タテではなく、
3連戦の2戦目だけどね。3戦目に原のサヨナラHRが出て、
結果的に3タテにはなったけど。
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