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2019/09/02(月) 12:30:55.96ID:Y21q1wjZ9J-WAVEの番組『BKBK(ブクブク)』(ナビゲーター:大倉眞一郎、原カントくん)。本や映画に詳しい大倉眞一郎と、複数のメディアに携わる編集者・プロデューサーの原カントが、大人が興味を惹かれるモノについて縦横無尽に語り合う。 8月28日(火)の放送では、5月に発売された中川右介の著書『手塚治虫とトキワ荘』(集英社)を原が紹介した。
老若男女問わず、今も多くの人を魅了し続ける漫画家・手塚治虫。『手塚治虫とトキワ荘』では、手塚治虫とトキワ荘に集った漫画家たちの業績が、膨大な資料をもとに描かれている。
原:タイトルから即買いした1冊です。トキワ荘って、手塚治虫さんがいて、そこに若い漫画家が慕って来て、一緒に切磋琢磨しながら作品を作ったようなイメージがあると思うんですけど、実は手塚治虫さんと藤子不二雄さんと赤塚不二夫さんは、トキワ荘に住んでいる時期が1回もかぶっていないんです。手塚治虫さんが出て行ったあとに藤子不二雄さんが入り、藤子不二雄さんが入ったあとに赤塚不二夫さんが入ったとか、案外、知らないですよね。
大倉:ぜんぜん知らなかった。
原:あと、なんとなく藤子不二雄A『まんが道』などのイメージだと、トキワ荘にいる漫画家全員が夢と希望にあふれて、一緒にご飯を食べながら……という感じだと思うんですけど、この『手塚治虫とトキワ荘』を読むと殺伐としているんですよ。
大倉:売れる前だもんね。
原:ライバルたちが周りにいて、アイツは売れて出て行った、俺だけいなきゃいけないみたいになれば、焦燥感も高まりますね。そういうところを、著者の中川右介さんが資料をあたって丹念に描いています。この厚さで二段組み。すごいんです。
手塚治虫は全盛期に11本も同時進行で連載。多忙を極める中、担当編集者たちと原稿をめぐる激しい攻防を行っていた。そのひとつが「手塚治虫 九州失踪事件」だ。
原:手塚さんがすごく忙しいときに逃げ出すという。でも、周りには「手塚番」と呼ばれる、各社の担当編集がいるんです。手塚さんって原稿が遅くて、その担当編集の間では手塚オソ虫とか手塚ウソ虫とか言われていて。出て行こうとしても、常に担当編集が張り付いている。あるとき、手塚さんが宝塚の実家にどうしても帰らなきゃいけないと言い出すんですけど、逃げようとしていると察した光文社の担当編集は「京都の旅館に部屋を取りましたので、そこでぜひ休んでいただきながらうちの原稿を描いてくれませんか?」と提案するんです。
しかし、他の担当編集たちは、手塚がいないということで大騒ぎに。講談社の担当編集が、光文社の担当編集の動向がおかしいことに気づき、ふたりを追いかけて捕まえるも、 手塚は九州まで逃亡。そこで、東京から九州に担当編集たち全員が乗り込んでくる……という一大事件があった。
原:この本を読んで僕は初めて知ったんですけど、手塚先生の担当編集の中に、少年漫画史上最強の編集者と言われる『週刊少年チャンピオン』の編集長だった壁村耐三さんって人がいるんです。ものすごく怖い人で、漫画家を怒鳴りあげ、手塚先生も締め切りが遅れたら原稿を投げつけられるくらい。なおかつ社員にも怒鳴り散らしていて、灰皿を投げつけられるのは当たり前で、コンパスを投げつけられたというエピソードも。あと、なぜかその編集者は小指がないんです。でも、怖くて誰も理由を訊けないまま、壁村さんはお亡くなりになったんですけど。
壁村は手塚失踪の知らせを聞き、トキワ荘に乗り込んで、藤子不二雄と赤塚不二夫に手塚治虫のなりすまし原稿を描かせたという。
原:すごくないですか? ゴーストですよ。絵のタッチも手塚先生に似させて、手塚さんが考えそうな続きのストーリーを考えさせて、原稿を仕上げさせた。でも、結局は載らなかったんです。壁村さんは本当に怖いので、落ちるギリギリになって手塚さんは、他の人より壁村さんを優先して、九州から速達で原稿を送りました。さんざん徹夜で描かされた藤子不二雄と赤塚不二夫と石ノ森章太郎の幻の原稿は、どこかに存在しています。
大倉:それを持っている人はすごいね。
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