1970、80年代の都会的で洗練された日本産の音楽「シティ・ポップ」が当時を知らない国内の若い世代だけでなく、海外でも人気になっている。音楽やアートがつむぎ出す「懐かしさ」の正体とは。
韓国・ソウルにある音楽バー「マンピョン」に、多くの若者が集っていた。重低音が響くなかで流れているのは日本語の曲。1984年リリースの竹内まりやの曲「プラスティック・ラブ」だ。
その原曲から、山下達郎による同曲のライブバージョンが続けて流れると、若い男性客が感極まって曲に合わせて歌いだした。
自身もDJをしているというその男性は、このイベント「From Midnight TOKYO」の常連。大橋純子の「クリスタル・シティー」(77年)が流れると即座に反応していた。
このイベントの主催は、現地でミュージシャンとしても精力的に活動する長谷川陽平さん。日本と韓国のポップシーンを橋渡しする重要な存在で、この10月のイベントで34回目を数える。客の多くは、ソウル在住の韓国人の若者だ。
シティ・ポップ。
主に70年代後半から80年代にかけてリリースされた楽曲で、たとえば山下達郎や竹内まりやの当時の曲が、いま世界的に人気だ。洋楽に影響を受けながらも、日本独自のアレンジが加わった曲が、シティ・ポップとして評価されている。
だが、決まったスタイルのサウンドがなく、ひと口に「海外で人気が高い」といっても、実はその国ごとの状況や感覚によって人気の曲が異なるというのも、この現象の面白さだ。
そもそもシティ・ポップとは、本来英語圏では意味が通じないはずの和製英語だった。比較的早くからダンスナンバーとして山下達郎の曲などが人気だったイギリスでは、「J・レアグルーブ」「J・ブギー」などと紹介されていた。
それがどうだ。今やシティ・ポップという言葉は世界的に認知されている。意味が通る通らないではなく、その言葉でないと探せないタイプのレコードがあるとファンは察知している。
■当時の価値を海外が見いだす
シティ・ポップが受容されている拠点は世界にいくつかあるが、その中でも先のソウルはかなり熱気が高い。「プラスティック・ラブ」を自身でリミックスしたことで世界的に話題となり、
今年のフジロックフェスティバルでも深夜に超満員の盛り上がりを作り出していたDJのNight Tempoもソウル出身。角松敏生の大ファンとしても知られ、
80年代後半の日本で作られていたタイプのシティ・ポップ・サウンドを「自身の理想」と公言する。
大貫妙子の人気アルバム「SUNSHOWER」を探しに日本を訪れた米国人男性を追ったテレビ番組「YOUは何しに日本へ?」が大きな話題を呼んだのは、2年ほど前のこと。
その男性がとった行動が、世界の音楽シーンに浸透しつつある大きな流れを映し出していた。
今年、米国の黒人アーティスト、タイラー・ザ・クリエイターが山下達郎の曲をサンプリングし、そのことを山下自身が半ば公認する発言をしたのは、ちょっとしたトピックでもあった。
また、発売当時は日本でもまったく話題にならなかった佐藤博「awakening」などの作品が、海外ではトップランクの名作として語られるなど、外からの視点で日本側が価値に気がつくというケースも少なくない。
■海外で帯つきの日本盤ずらり
東京・渋谷に店を構え、現在は米ニューヨークのブルックリンにも店を開いているレコードショップ「フェイスレコード」。その店内には「帯」つきの日本盤レコードがずらりと並ぶ。
日本でも1万円を超えるようなレア盤が、物価が高い米国ではさらに高騰。なのに、売れる。
「日本のシティ・ポップはこちらでも認知され、コレクターやDJ、ビートメーカーなどに購買層が広がっています」(ニューヨーク店の店長)
米国西海岸のシアトルとロサンゼルスに拠点を置くレコードレーベル「ライト・イン・ジ・アティック」も、海外への紹介という点では重要な役割を果たしている。
昨年には細野晴臣の70年代から80年代にかけてのアルバム5作を初めて全米向けに発売し、大きな話題を呼んだ。プロデューサーとして同社で働く北沢洋祐さんは、LA育ちの日本人。
彼が手掛けたシティ・ポップの名曲を多く収めたコンピレーション「Pacific Breeze」はベストセラーとなった。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191220-00000016-sasahi-ent&p=2
12/23(月) 8:00配信
駅/竹内まりや
シングル・アゲイン 竹内まりや
返信/竹内まりや
韓国・ソウルにある音楽バー「マンピョン」に、多くの若者が集っていた。重低音が響くなかで流れているのは日本語の曲。1984年リリースの竹内まりやの曲「プラスティック・ラブ」だ。
その原曲から、山下達郎による同曲のライブバージョンが続けて流れると、若い男性客が感極まって曲に合わせて歌いだした。
自身もDJをしているというその男性は、このイベント「From Midnight TOKYO」の常連。大橋純子の「クリスタル・シティー」(77年)が流れると即座に反応していた。
このイベントの主催は、現地でミュージシャンとしても精力的に活動する長谷川陽平さん。日本と韓国のポップシーンを橋渡しする重要な存在で、この10月のイベントで34回目を数える。客の多くは、ソウル在住の韓国人の若者だ。
シティ・ポップ。
主に70年代後半から80年代にかけてリリースされた楽曲で、たとえば山下達郎や竹内まりやの当時の曲が、いま世界的に人気だ。洋楽に影響を受けながらも、日本独自のアレンジが加わった曲が、シティ・ポップとして評価されている。
だが、決まったスタイルのサウンドがなく、ひと口に「海外で人気が高い」といっても、実はその国ごとの状況や感覚によって人気の曲が異なるというのも、この現象の面白さだ。
そもそもシティ・ポップとは、本来英語圏では意味が通じないはずの和製英語だった。比較的早くからダンスナンバーとして山下達郎の曲などが人気だったイギリスでは、「J・レアグルーブ」「J・ブギー」などと紹介されていた。
それがどうだ。今やシティ・ポップという言葉は世界的に認知されている。意味が通る通らないではなく、その言葉でないと探せないタイプのレコードがあるとファンは察知している。
■当時の価値を海外が見いだす
シティ・ポップが受容されている拠点は世界にいくつかあるが、その中でも先のソウルはかなり熱気が高い。「プラスティック・ラブ」を自身でリミックスしたことで世界的に話題となり、
今年のフジロックフェスティバルでも深夜に超満員の盛り上がりを作り出していたDJのNight Tempoもソウル出身。角松敏生の大ファンとしても知られ、
80年代後半の日本で作られていたタイプのシティ・ポップ・サウンドを「自身の理想」と公言する。
大貫妙子の人気アルバム「SUNSHOWER」を探しに日本を訪れた米国人男性を追ったテレビ番組「YOUは何しに日本へ?」が大きな話題を呼んだのは、2年ほど前のこと。
その男性がとった行動が、世界の音楽シーンに浸透しつつある大きな流れを映し出していた。
今年、米国の黒人アーティスト、タイラー・ザ・クリエイターが山下達郎の曲をサンプリングし、そのことを山下自身が半ば公認する発言をしたのは、ちょっとしたトピックでもあった。
また、発売当時は日本でもまったく話題にならなかった佐藤博「awakening」などの作品が、海外ではトップランクの名作として語られるなど、外からの視点で日本側が価値に気がつくというケースも少なくない。
■海外で帯つきの日本盤ずらり
東京・渋谷に店を構え、現在は米ニューヨークのブルックリンにも店を開いているレコードショップ「フェイスレコード」。その店内には「帯」つきの日本盤レコードがずらりと並ぶ。
日本でも1万円を超えるようなレア盤が、物価が高い米国ではさらに高騰。なのに、売れる。
「日本のシティ・ポップはこちらでも認知され、コレクターやDJ、ビートメーカーなどに購買層が広がっています」(ニューヨーク店の店長)
米国西海岸のシアトルとロサンゼルスに拠点を置くレコードレーベル「ライト・イン・ジ・アティック」も、海外への紹介という点では重要な役割を果たしている。
昨年には細野晴臣の70年代から80年代にかけてのアルバム5作を初めて全米向けに発売し、大きな話題を呼んだ。プロデューサーとして同社で働く北沢洋祐さんは、LA育ちの日本人。
彼が手掛けたシティ・ポップの名曲を多く収めたコンピレーション「Pacific Breeze」はベストセラーとなった。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191220-00000016-sasahi-ent&p=2
12/23(月) 8:00配信
駅/竹内まりや
シングル・アゲイン 竹内まりや
返信/竹内まりや