<THE GAME(24)>05年10月5日 阪神VS.横浜
<阪神3−2横浜>◇2005年(平17)10月5日◇甲子園
【写真】アトランタ五輪決勝 日本対キューバ 満塁本塁打の松中信彦をベンチ前で迎える福留孝介や今岡誠
阪神は長く優勝から遠ざかる。05年、岡田彰布監督が宙を舞った記憶はいまも鮮明だが、シーズン最終戦を細かく覚えている人はどれほどいるだろう。小雨が降る甲子園のナイターで球団史は塗り替えられた。
2点を追う4回1死三塁。今岡誠(現・今岡真訪、ロッテ2軍監督)は門倉の浮いたフォークに詰まりながらも右前へ。試合後「優勝が決まってからは記録を意識してやっていたのでうれしい」と笑う。シーズン147打点目は、50年藤村富美男を抜く球団新記録だった。
充実した表情だったが、そこに至る道のりには迷いもあった。10月2日ヤクルト戦(神宮)のソロ本塁打で藤村と並ぶ146打点。その夜、都内の宿舎に戻って遅い夕食に出かけると複雑な思いを吐露した。「146が記録だから、そこを目指すのは当たり前。でも偉大な大先輩やろ。抜いていいのか、このままタイの方がいいのか…」。優勝に突き進むなか、球団の草創期に活躍した先人の足跡をたどる、驚異的なペースで打点を稼ぐ今岡の記録もまた、注目されていた。
今も「147」が輝くが、実は「今岡誠」であることを捨てた1年だった。
4番金本に続く5番打者として腹をくくる。「打率がどうでもいい選手なんていない。でも、野球人生で初めて、打率はいらないという思いでやる。チームのために、本塁打と打点だけを意識する」。3年連続で3割台だった打率は2割7分9厘にとどまったが長打を狙って29本塁打。走者がいないときは打率2割2分5厘だったが、得点圏で3割7分1厘に跳ね上がる。「ランナーいないときは常に本塁打狙い」と話すほど打点に執着。抜群のバットさばきで、03年に3割4分で首位打者に輝いた好打者が打率を犠牲にした。
「よく3割30本塁打100打点、と言う。80打点と100打点は感覚的に(打率も)そう変わらない。でも、それ以上を求めると全然違う。走者が得点圏にいる、いないときで打撃スタイルを変えた。調子が悪いときは内野ゴロでも1点入ればいいからね。打率が高ければ打点も多いわけじゃない。6月くらいかな。シーズン途中で気づいた」
勝負事に「もしも…」は禁句だ。でも、もしも、今岡があの年、いままでのスタイルのままなら、あるいは147打点に達しなかったかもしれないし、その後の軌跡も違ったのかもしれない。ただ言えるのはチームが勝つために必要な道を自ら進んだということだ。
あの夜、藤村と球団記録で肩を並べた今岡は悩んでいた。葛藤が消えたのは岡田のひと言だ。翌3日は東京から帰阪。スポーツ紙で前夜の試合後の談話を知った。「甲子園で新記録を作るのがいいと思って途中で代えた」。本拠地で残り2戦。ラストゲームで新記録を樹立した。「岡田監督に配慮していただいて、すごくうれしかった」とも話していた。NPBでも歴代3位の好記録。初めて明かす当時の胸中は、異次元の領域で戦った男の実像だった
5/23(土) 11:00
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200523-25220166-nksports-base