東スポ2022年05月30日 20時40分
https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/4224008/
1950年代のロカビリー界で人気を集め、ザ・バンドを超一流ミュージシャンに育て上げたロニー・ホーキンスさんが29日(日本時間30日)に亡くなった。87歳だった。妻のワンダさんが公表して、カナダCBCが報じた。死因などは明らかにされていない。
ロニーさんは35年米アーカンソー州出身。57年にテネシー州メンフィスでデビュー。エルヴィス・プレスリーらとロカビリー全盛期を盛り上げた。その後、59年にカナダのオンタリオに移住。後に「ザ・バンド」となり世界的ロックバンドとなる「ザ・ホークス」(当時のメンバーはロビー・ロバートソン、リチャード・マニュエル、ガース・ハドソン、リック・ダンコ)をバックバンドにつけて活躍した。
ザ・ホークスは64年にロニーさんから独立。地道な活動の後、ボブ・ディランのバックバンドとして大抜擢を受けた後、再び独立してザ・バンドと改名してデビューへ向かう。ロニーさんはその助言者となった。
ザ・バンドのフロントマンでギタリストのロビー・ロバートソンは自身のツイッターで「ザ・ホーク(ロニーさん)が夕陽の中に飛び去ったと聞いて、心から落ち込んでいる。ザ・バンドの物語はロニー・ホーキンスと共に始まった。彼は僕らの助言者だった。彼はツアーのルールを教えてくれた」とつづって哀悼の意を表している。
ザ・バンドはロニーさんのバックバンドとして地力をつけ、その後にバックバンドとしてディランのツアーや「ベースメント・テープス」などの名作を残した後に、バンドとして独立。68年に名作「ミュージック・フロム・ビック・ピンク」でデビューした。すべてはロニーさんという存在がなければ始まらなかったわけだ。
ロビーはロニーさんについて「すべてを起こすことになった人物。ゴッドファーザーだ」と最大級の感謝を表して故人に感謝の意をささげていた。
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1950年代のロカビリー界で人気を集め、ザ・バンドを超一流ミュージシャンに育て上げたロニー・ホーキンスさんが29日(日本時間30日)に亡くなった。87歳だった。妻のワンダさんが公表して、カナダCBCが報じた。死因などは明らかにされていない。
ロニーさんは35年米アーカンソー州出身。57年にテネシー州メンフィスでデビュー。エルヴィス・プレスリーらとロカビリー全盛期を盛り上げた。その後、59年にカナダのオンタリオに移住。後に「ザ・バンド」となり世界的ロックバンドとなる「ザ・ホークス」(当時のメンバーはロビー・ロバートソン、リチャード・マニュエル、ガース・ハドソン、リック・ダンコ)をバックバンドにつけて活躍した。
ザ・ホークスは64年にロニーさんから独立。地道な活動の後、ボブ・ディランのバックバンドとして大抜擢を受けた後、再び独立してザ・バンドと改名してデビューへ向かう。ロニーさんはその助言者となった。
ザ・バンドのフロントマンでギタリストのロビー・ロバートソンは自身のツイッターで「ザ・ホーク(ロニーさん)が夕陽の中に飛び去ったと聞いて、心から落ち込んでいる。ザ・バンドの物語はロニー・ホーキンスと共に始まった。彼は僕らの助言者だった。彼はツアーのルールを教えてくれた」とつづって哀悼の意を表している。
ザ・バンドはロニーさんのバックバンドとして地力をつけ、その後にバックバンドとしてディランのツアーや「ベースメント・テープス」などの名作を残した後に、バンドとして独立。68年に名作「ミュージック・フロム・ビック・ピンク」でデビューした。すべてはロニーさんという存在がなければ始まらなかったわけだ。
ロビーはロニーさんについて「すべてを起こすことになった人物。ゴッドファーザーだ」と最大級の感謝を表して故人に感謝の意をささげていた。