マイナビオールスターゲーム第1戦(26日、全パ3x-2全セ、全パ1勝、ペイペイD)全セを指揮した高津臣吾監督(53)=ヤクルト=が、本紙に独占手記を寄せた。現役時代は球宴に6度出場したが、指揮官としては初の夢舞台。現役時代の思い出に残るシーンとして、1996年に実現した「投手・イチロー対打者・高津」の対戦を挙げ、27日の愛媛・松山で行われる第2戦への特別な思いを明かした。この日の試合前には、野球殿堂入りの表彰式が行われた。
オールスターでの指揮は初めて。勝ちたかったですが、ファンの方にとってはすごくいい試合だったと思います。
試合前には殿堂入りの表彰をしていただき、感謝の気持ちでいっぱいです。セ・リーグの監督としてユニホームを着て表彰していただけたことに大きな意味があり、幸せな瞬間でした。
全セを率いることに恐縮しますし、何よりも選手の選考が難しかった。一番考えたのは、バランスです。投打であったり、チーム単位のことであったり、他チームの選手を預かるので、投手起用や打線の組み方でもなるべく負担をかけたくないですし、周りの人にも相談しました。
その中で、ヤクルトからは高卒7年目の高橋奎二を選びました。彼は2軍監督時代からずっと見てきて、すごくゆっくりだけど階段を上ってここまで来た選手。今季は前半戦で6勝を挙げましたし、この大きな舞台を経験させていろいろなものを刺激と捉えて吸収して、成長する材料にしてほしいと思います。
現役時代は、6度オールスターに出場させていただきました。思い出に残っているのは、やはり1996年。東京ドームでの第2戦で「投手・イチロー」の球を打って、翌日、富山での第3戦では「打者・イチロー」から三振を奪いました。裏対決からの表対決と言いますか、心に残る面白い対戦でした。
当時、全セを率いたのは野村監督(ヤクルト)で、全パが仰木監督(オリックス)。試合前から「もしかしたらイチローが投手をするかもしれない」と話題になっていて「もし、野村監督が代打を告げるなら俺だろうな」と勝手に思っていました。もちろん事前に何も言われていませんでしたが、何となく心の準備はできていました。
ただ、本当にイチローが投げるとは思っていません。4点を追う九回2死走者なし。「ピッチャー、イチロー」がコールされたとき、僕はロッカールームにいてスパイクを脱いでいました。「本当に代打、いくの?」と思いながら、誰かから大きな声で「高津! 行くぞ!!」と呼ばれたのが印象に残っています。
急いで着替えて、ヘルメットとバットは飯田(哲也、ヤクルト)のを借りたと思います。打席に向かうとき、野村謙二郎さん(広島)らから「危ないから後ろに下がっておけよ」と言われ、全パの捕手・伊東勤さん(西武)にも「一応全部外だけど、万が一があるから」と言っていただき、少し下がってバットを構えました。
すると、球は速いし、コントロールが良くて外角にどんどん決まる。これはすごいな、と。絶対打ってやろうと思ったのですが、ショートゴロでした。翌日は、七回に「打者・イチロー」と対戦。今度は〝本業〟の投手だったので負けたくないなと思い、打ち取れました。
27日は愛媛・松山で試合が行われます。ヤクルトにとっては例年、秋季キャンプを行わせていただいている場所ですが、一昨年、昨年と新型コロナウイルスの影響で実施できなかったので、ぜひ松山のプロ野球ファンを楽しませてあげたい。全セの監督として松山に帰るのは特別なこと。思い出に残るゲームになると、楽しみにしています。(東京ヤクルトスワローズ監督)
https://news.yahoo.co.jp/articles/dbd0c02f07fc857605f271fb008e31b880515864
オールスターでの指揮は初めて。勝ちたかったですが、ファンの方にとってはすごくいい試合だったと思います。
試合前には殿堂入りの表彰をしていただき、感謝の気持ちでいっぱいです。セ・リーグの監督としてユニホームを着て表彰していただけたことに大きな意味があり、幸せな瞬間でした。
全セを率いることに恐縮しますし、何よりも選手の選考が難しかった。一番考えたのは、バランスです。投打であったり、チーム単位のことであったり、他チームの選手を預かるので、投手起用や打線の組み方でもなるべく負担をかけたくないですし、周りの人にも相談しました。
その中で、ヤクルトからは高卒7年目の高橋奎二を選びました。彼は2軍監督時代からずっと見てきて、すごくゆっくりだけど階段を上ってここまで来た選手。今季は前半戦で6勝を挙げましたし、この大きな舞台を経験させていろいろなものを刺激と捉えて吸収して、成長する材料にしてほしいと思います。
現役時代は、6度オールスターに出場させていただきました。思い出に残っているのは、やはり1996年。東京ドームでの第2戦で「投手・イチロー」の球を打って、翌日、富山での第3戦では「打者・イチロー」から三振を奪いました。裏対決からの表対決と言いますか、心に残る面白い対戦でした。
当時、全セを率いたのは野村監督(ヤクルト)で、全パが仰木監督(オリックス)。試合前から「もしかしたらイチローが投手をするかもしれない」と話題になっていて「もし、野村監督が代打を告げるなら俺だろうな」と勝手に思っていました。もちろん事前に何も言われていませんでしたが、何となく心の準備はできていました。
ただ、本当にイチローが投げるとは思っていません。4点を追う九回2死走者なし。「ピッチャー、イチロー」がコールされたとき、僕はロッカールームにいてスパイクを脱いでいました。「本当に代打、いくの?」と思いながら、誰かから大きな声で「高津! 行くぞ!!」と呼ばれたのが印象に残っています。
急いで着替えて、ヘルメットとバットは飯田(哲也、ヤクルト)のを借りたと思います。打席に向かうとき、野村謙二郎さん(広島)らから「危ないから後ろに下がっておけよ」と言われ、全パの捕手・伊東勤さん(西武)にも「一応全部外だけど、万が一があるから」と言っていただき、少し下がってバットを構えました。
すると、球は速いし、コントロールが良くて外角にどんどん決まる。これはすごいな、と。絶対打ってやろうと思ったのですが、ショートゴロでした。翌日は、七回に「打者・イチロー」と対戦。今度は〝本業〟の投手だったので負けたくないなと思い、打ち取れました。
27日は愛媛・松山で試合が行われます。ヤクルトにとっては例年、秋季キャンプを行わせていただいている場所ですが、一昨年、昨年と新型コロナウイルスの影響で実施できなかったので、ぜひ松山のプロ野球ファンを楽しませてあげたい。全セの監督として松山に帰るのは特別なこと。思い出に残るゲームになると、楽しみにしています。(東京ヤクルトスワローズ監督)
https://news.yahoo.co.jp/articles/dbd0c02f07fc857605f271fb008e31b880515864