映画監督の大森一樹(おおもり・かずき)氏が12日午前11時28分、急性骨髄性白血病のため兵庫県西宮市内の病院で死去した。70歳。自宅は同県芦屋市。大阪市出身。後日、「お別れの会」を開く予定。
1952年生まれ。10歳で芦屋市に移り住む。芦屋市立精道中学校、六甲高校を経て京都府立医大卒。高校時代から8ミリ映画を撮り始め、大学時代、自主製作した16ミリ映画「暗くなるまで待てない!」で注目を集めた。77年、シナリオ「オレンジロード急行」で城戸賞受賞、翌年、自ら監督し、商業デビューを果たす。
以後、大学病院を舞台にした「ヒポクラテスたち」(80年)、中学の先輩である村上春樹氏の小説が原作の「風の歌を聴け」(81年)などを手がけ、82年には相米慎二、長谷川和彦ら9人の若手監督とともに企画・制作会社「ディレクターズ・カンパニー」を設立した。89年からの「ゴジラVS ビオランテ」「ゴジラVSキングギドラ」で、新たなゴジラシリーズを方向付けた。日本・べトナム合作の「ベトナムの風に吹かれて」(2015年)など、生涯に30本以上の作品を手がけた。
後進の指導にも熱心で、05年からは大阪芸術大学芸術学部映像学科・同大学院で教授、学科長を務めた。教え子には石井裕也監督らがいる。
阪神・淡路大震災では芦屋市の自宅で被災した。宝塚復興の願いを込めた短編映画を自主制作し、「人と防災未来センター」の展示・交流検討委員も務めた。10年1月から3月まで本紙随想を執筆した。
神戸新聞2022/11/15 12:48
https://www.kobe-np.co.jp/news/culture/202211/0015810160.shtml
1952年生まれ。10歳で芦屋市に移り住む。芦屋市立精道中学校、六甲高校を経て京都府立医大卒。高校時代から8ミリ映画を撮り始め、大学時代、自主製作した16ミリ映画「暗くなるまで待てない!」で注目を集めた。77年、シナリオ「オレンジロード急行」で城戸賞受賞、翌年、自ら監督し、商業デビューを果たす。
以後、大学病院を舞台にした「ヒポクラテスたち」(80年)、中学の先輩である村上春樹氏の小説が原作の「風の歌を聴け」(81年)などを手がけ、82年には相米慎二、長谷川和彦ら9人の若手監督とともに企画・制作会社「ディレクターズ・カンパニー」を設立した。89年からの「ゴジラVS ビオランテ」「ゴジラVSキングギドラ」で、新たなゴジラシリーズを方向付けた。日本・べトナム合作の「ベトナムの風に吹かれて」(2015年)など、生涯に30本以上の作品を手がけた。
後進の指導にも熱心で、05年からは大阪芸術大学芸術学部映像学科・同大学院で教授、学科長を務めた。教え子には石井裕也監督らがいる。
阪神・淡路大震災では芦屋市の自宅で被災した。宝塚復興の願いを込めた短編映画を自主制作し、「人と防災未来センター」の展示・交流検討委員も務めた。10年1月から3月まで本紙随想を執筆した。
神戸新聞2022/11/15 12:48
https://www.kobe-np.co.jp/news/culture/202211/0015810160.shtml