1 【中国電 - %】 ◆fveg1grntk 2021/04/11(日) 16:38:03.520
https://news.yahoo.co.jp/articles/b5729ba235ad6c93f9c6fb8702b45e17a17d5220?page=3
テレビは、もうヤバいかもしれない
こうして、「日経テレ東大学」というYouTubeサイトは4月にオープンした。そして「テレビは、もうヤバいかもしれない」と思ったのだ。
冒頭で述べたとおり、web配信動画は、簡単にいうとメチャクチャ楽しい。なぜなら、何本動画をアップしてもいいからだ。つまり、好きな企画やり放題。これが、テレビマンからすると、「こんな天国ある?」という感じだ。
テレビの企画は100本出しても、1本通るか通らないか。そんな世界だ。テレビの企画を通すというのは、ただただ来る日も来る日も、報われるかわからないが、苦行をやり続けることで悟りの境地に到達しようとする修験者的なつらさがある。
だが、YouTubeは、好きなだけ企画やりほうだい。
これはテレビの世界から飛び込むと、ロウリュで徹底的に追いこんだ体を、キンキンの水風呂に投げいれたような、快感なのだ。
制約がないわけではない。予算が極めて少ない。だが、それは裏を返せば、カメラから、台本、演出、そして時に出演まで自分でこな「せる」ということに他ならない。
「せる」と書いたのは、それはすなわち、極めて自分の世界観を映像に反映できるメリットがあるからだ。分業がすすみ、どんなに小さくても数十人が関わることが一般的なテレビ番組作りでは、フォーカスのタイミングからナレーションの一言一句までこだわる立場になるまでに、相当の修行をつまなければならない。カメラマンや、放送作家など、スタッフの誰もに「演出」としての能力を認められることが必要だ。
これは10年単位の相当な時間がかかるし、そこまでいっても自分の世界観だけで番組を作ることは、やはり難しい。
これも、テレビという極度の糖質制限を続けたような体にとっては、つい一口食べてしまったら最後のクレミアソフトクリームのようなものだ。一度開通してしまった快楽の回路は、なかなか閉じない。
いかに「作り手の流出」を防ぐか
これが、「テレビがヤバい」と思った所以だ。もしこの先、テレビが凋落していくとしたら、それは「視聴者に見られなくなる」という表層の理由にあるのではない。その深層には、
「テレビを作るよりも、YouTube作る方がおもしろい」
↓
「テレビでなく、YouTube、つーくろ!」
↓
「若い作り手、どんどんYouTubeへ」
↓
「YouTubeのコンテンツが面白くなり、そちらへ視聴者が流入」
という流れが、構造的に横たわっている。そしてそれが、16年もテレビマンをやっていた身からすると、身にしみて痛いほどわかる。
本当に、糖質制限あけに、東北道のサービスエリアで食べた、クレミアソフトそのものだ。おかわりするに決まっている。
だとすると、テレビ業界がこれから向き合わなければならない課題は、明確だ。「視聴者に見られるコンテンツを作る」、という表層的な問題もさることながら、「作り手の流出をふせぐ」ための、企画選定、人材育成方法を構造的に考える必要があると思う。
テレビは、もうヤバいかもしれない
こうして、「日経テレ東大学」というYouTubeサイトは4月にオープンした。そして「テレビは、もうヤバいかもしれない」と思ったのだ。
冒頭で述べたとおり、web配信動画は、簡単にいうとメチャクチャ楽しい。なぜなら、何本動画をアップしてもいいからだ。つまり、好きな企画やり放題。これが、テレビマンからすると、「こんな天国ある?」という感じだ。
テレビの企画は100本出しても、1本通るか通らないか。そんな世界だ。テレビの企画を通すというのは、ただただ来る日も来る日も、報われるかわからないが、苦行をやり続けることで悟りの境地に到達しようとする修験者的なつらさがある。
だが、YouTubeは、好きなだけ企画やりほうだい。
これはテレビの世界から飛び込むと、ロウリュで徹底的に追いこんだ体を、キンキンの水風呂に投げいれたような、快感なのだ。
制約がないわけではない。予算が極めて少ない。だが、それは裏を返せば、カメラから、台本、演出、そして時に出演まで自分でこな「せる」ということに他ならない。
「せる」と書いたのは、それはすなわち、極めて自分の世界観を映像に反映できるメリットがあるからだ。分業がすすみ、どんなに小さくても数十人が関わることが一般的なテレビ番組作りでは、フォーカスのタイミングからナレーションの一言一句までこだわる立場になるまでに、相当の修行をつまなければならない。カメラマンや、放送作家など、スタッフの誰もに「演出」としての能力を認められることが必要だ。
これは10年単位の相当な時間がかかるし、そこまでいっても自分の世界観だけで番組を作ることは、やはり難しい。
これも、テレビという極度の糖質制限を続けたような体にとっては、つい一口食べてしまったら最後のクレミアソフトクリームのようなものだ。一度開通してしまった快楽の回路は、なかなか閉じない。
いかに「作り手の流出」を防ぐか
これが、「テレビがヤバい」と思った所以だ。もしこの先、テレビが凋落していくとしたら、それは「視聴者に見られなくなる」という表層の理由にあるのではない。その深層には、
「テレビを作るよりも、YouTube作る方がおもしろい」
↓
「テレビでなく、YouTube、つーくろ!」
↓
「若い作り手、どんどんYouTubeへ」
↓
「YouTubeのコンテンツが面白くなり、そちらへ視聴者が流入」
という流れが、構造的に横たわっている。そしてそれが、16年もテレビマンをやっていた身からすると、身にしみて痛いほどわかる。
本当に、糖質制限あけに、東北道のサービスエリアで食べた、クレミアソフトそのものだ。おかわりするに決まっている。
だとすると、テレビ業界がこれから向き合わなければならない課題は、明確だ。「視聴者に見られるコンテンツを作る」、という表層的な問題もさることながら、「作り手の流出をふせぐ」ための、企画選定、人材育成方法を構造的に考える必要があると思う。