ナショナル・プライスクイズ
『ズバリ当てましょう』
本当は洗濯好きじゃないけど、あなたの為ならせっせとやるわ〜
スパークスパークスパーク〜
昭和の深夜お色気番組として有名な『11PM』
その後番組が『X テレビ』
そのXテレビで、ある時新しい番組の企画をいろいろ考えた。
その企画のひとつが『お宝鑑定』
やがてそのアイデアはテレビ東京で現実化した。
その『お宝鑑定団』も今や長寿番組…
1968-69年
東大紛争
『とめてくれるなおっかさん、
背中の銀杏が泣いている、男東大どこへ行く』
by橋本治
駒場祭のスローガン
これがぼ〜くの家内です
得意な料理は目玉焼き〜
それでもコイツに惚れたのは
しゃんぷ〜上手と聞いたから〜
君にできることはボタン付けと掃除~だけど満ち足りていた~~~~
いわゆる今につながる"ギャル"が出てきたのってバブルの頃かな
煽情的あるいは奇抜なファッションに身を包んで、いかにも軽そうな雰囲気を醸す若い女ね
村上里佳子なんてそういうののハシリじゃないかな
>>26
鳴らし続けられると、相手によってはウザイ!て感じるアイテムだったよね。
ポケベル使ってたあの頃、今みたいにスマホが出来てLINEが普及するなんて考えなかったわ。 伝言ダイヤルのおかげでデートの約束が可能になったわ
ポケベルのエリアの広さは異常。ドコモ携帯よりも辺鄙なとこまで電波が届く。
出てきたのは1960年代でビジネスユースだけだった。女子高生が使い出した
のは平成からか?
駅の伝言板使った最後の世代は?携帯ない頃はすれ違いが多くて。
>>30
あれは助かったし、嬉しかった。夜遊び、ディスコオールナイトの合流の連絡にも重宝してたわ。夜10時以降、家庭の固定電話に急用以外は電話かけづらい時代に伝言ダイヤルとテレカは神アイテムだったよね。 伝言板使ったことあるけど具体的な内容は書けないので
自分で見返しても意味不明だった
ポケベルは一部の人は使っていたのは知っている程度
驚いたのは自動車無線と派生のショルダーフォン
用もないのに掛けまくる人の多い事!
夏野外コンサートや電車内で俺だ私だといまコンサートに来てるとか
周りに聞こえるようにデカい声で話す。
携帯普及時も同じようだった。
仕事で忙しいみたいフリでも実際どうでも良さそうな話ばかり聞えた
結局、用事はどうでもよくて友多いアピールではないか
>>32
学生時代使ってたよ
某有名デパートの本のコーナーの一角が非常に面白い試みをしてて
大きな掲示板に自分が好きな漫画家や小説家の名前書いて、同じ趣味の方お話しましょうとかあって
同人誌作ってる人が一緒にやりませんかって手書きの勧誘貼ったり
私も好奇心でやってみたら同じ小説や漫画家が好きな仲間と連鎖的につながったりしたわ 多分何度もきっと出てるだろうけど、
ジェスチャーゲームで
「ハ」「オイトイテ」
「おいといて!!」
>>36
実はここではあまり出てないのよ
ジェスチャーをリアルタイムで見た人は少ないようよ。
ここの奥様たちの大半は、多分連想ゲーム(もしくはそれ以降のNHKクイズバラエティ)を見てた人たちじゃないかしら >>37
そうなの?
片手でもう片方の、手のひら指して「て」
荷物を背負うふりして「に」
後ろ向いてお尻つきだして指差して「を」
って、てにをはも、お決まりのジェスチャーあったわよね。 >>39
あら、よく覚えてますね!テニヲハは忘れていたわww
私が覚えてるのは、男性を表すときは、ネクタイを締める動作
女性を表す時は髪の毛が長いという動作。
それから上の方が書いてる「置いといて」ってやつね。
司会の小川宏はこの番組で人気がでて、その後民放に移籍してワイドショーの司会をしたのよね キャニオンレコードのシングル盤が入ってた紙袋にJQダイアル?とかいう電話サービスが案内してあって
かけるとその時会社がプッシュしてる歌手の新曲のコマーシャルみたいなのが聞けて暇な時たま〜にかけてたんだけど
ある時夜中にかけて聞いてたら1曲分終わったところで勝手に電話が切られちゃって
てっきり機械が自動的に流してるのかと思ってたら手動だったようで驚いたんだけど
いくら眠いからって勝手にぶった切るくらいなら最初から受付時間を書いといてくれればいいのにと思ったの
少年隊がマイクのかわりにコードレスフォンを持って歌ってたのは本当に驚いた
「バラードのように眠れ」@夜ヒット
>>28
リカコはMCシスター出身で少しトラッド入ったモード系だったからギャルとは違うよ
だいぶ古いけど風吹ジュンの若い頃はサーファー系で所謂ギャルっぽかった 往年の映画俳優徳大寺伸の娘が経営してた高級クラブ。
芸能界への登竜門的なお店として有名だった。
ここのホステスから芸能界入りした人として、五十嵐じゅん、安西マリア、風吹ジュン等々
>>46
風吹ジュンは初めは祇園のクラブにいたようよ
やしきたかじんが祇園でブイブイ言わせていたとTVで言っていた
デビュー時は祇園育ちの17歳のキャッチフレーズ(5歳程鯖読み)
50歳過ぎた頃に実年齢と富山生まれ育ちをカミングアウト 所謂「東京ドーム○個分」に類似する単位で「霞ヶ関ビル○杯分」というのがあった。
平成に入るあたりで使われなくなったように思う。
いま体積を表すのにどういう表現を使っているのだろうか?「あべのハルカス○杯分」とか言うの?
富山ってブスの宝庫のイメージ(柴田理恵とか左幸子・時枝姉妹)なのに
とんでもない美貌の大女優さんを輩出してるよね
野際陽子さん
室井滋さん
風吹ジュンさん
加納みゆきさん
早瀬美里さん
池田昌子さん
石本沙織さん
剣幸さん
(何時発祥か分からないが)ギャル→オヤジギャル→ジュリアナギャル
そしてジュリアナギャルが女子高生を「コギャル」と名付けた
風吹ジュンはデビュー当時、コギャル(当時そんな言葉は無かった)イメージだったけど
今じゃ時代劇には欠かせない。婆でもカワユサ出せる数少ない女優
♪あなたからある日〜ぃ 声かっけてきたら〜ん その日が恋の〜 は〜ぁじまり〜
風吹ジュン、歌メチャクチャ下手だったよね
今東京ドームがあるところは、後楽園プールだった。流れるプールとかあって、小さい頃夏になるとよくいった。まさに芋の子を洗う状態の流れるプールも体験した。
>>66
あー、ジャイアント馬場を縦に何人分か重ねて説明しているイラスト見たことある ジャイアンと馬場(2名)
と
ジャイアント馬場(1名)は
違うと思うの。
ジャイアント馬場さんに握手してもらったっけ
手がデカくて皮膚が厚く脚の裏みたいな感触だった
マイケルジャクソンの来日公演が取り壊し寸前の後楽園球場であった。それの跡地に
ドームができたと思ったが違ったか。ドームのこけら落としがマイクタイソンVSトニー
タッブス。スーパードライのCMに出てたよね。落合信彦の後釜か?テーマは鈴木雅之
の「ドライドライ」。
昔は後楽園遊園地の半券持ってれば後楽園球場の巨人戦7回以降入れたんだよね
紅白、レコ大みーんな見てた
知ってる曲ばっかりだった
レコ大嫌
>>77
その年の売れた歌手の大晦日はレコ大と紅白のハシゴ。その道すがらは警察が忖度して
すべて青信号にしてくれた。ソースはチェの高杢。 阪神ファンなんだけどバースと掛布が東京ドームでプレーしたことがあるのが不思議な印象
(この2人が退団したのがドーム初年度だった)
後楽園球場の巨人阪神戦見たわ
あの頃はタブルヘッダーというのがあったわね
シーズン終わりくらいはちょくちょくあったように思う。
昔はドーム球場がないので雨天中止になることが多く、日程消化しきれずに、1日2試合組むことになったのか
>>80
掛布は神宮球場でよく見たわ。
阪神ファンは三塁側。
自分はいつも三塁側内野席に座るので、ちょうど目の前に掛布がいた。
守備の時の独特の構え…あの姿は今も覚えてる
他にもいろんな思い出がある
田淵は巨人に入りたかったのに、ドラフト1位で阪神に指名された…あの時は『田淵が非常に悩んでる、関西に行くかどうか』と連日新聞記事になっていた >>80
神戸に住んでた頃一時期阪神ファンだったからバース・掛布懐かしい
85年の優勝のときはたまたま翌日梅田に行ったら駅前の歩道橋の上が紙テープだらけだった
あと、中に入ったことはないんだけど大阪球場が懐かしい
難波の駅の真ん前にそびえてて、「大阪」って感じがした >>74
マドンナのライブが中止になってちょっとした騒動が起きたのってドームになる前だっけ?
天候不良が中止理由のだった筈だから。 「ジェスチャー」
のどを指差して 「の」を表現っていうのは昭和回顧番組とかで見たことある
大阪駅前第3ビル建築のころ、
周辺は戦後製のバラックばかりで
100円餃子かラーメンか忘れたが
同伴喫茶の鴨とよう食べに行った。
今の阪神百貨店裏か
>>84
南海電鉄 南海ホークス ナンバ・大阪球場(中百舌鳥球場)
近鉄 近鉄パールズ 森ノ宮・日生球場(藤井寺球場)
阪急 阪急ブレーブス 西宮球場
電鉄会社の斜陽化により昭和の球団・球場がすべてつぶれちゃったね。
ほかに、国鉄スワローズ、西鉄ライオンズも。 母と兄が野球好きで、チャンネル独占されてつま弾きにされた嫌な思い出
祖父母と同居だったので相撲があるときは絶対に相撲
末っ子の女児なんかにはチャンネル権がなかった時代
こないだの寅さんおもしろくなかった、
竹下景子と三船敏郎だったけど、竹下景子すごい汗びっしょり背中が濡れてたわ、
普段着のファッションは今もまた流行になってる。
田淵さんは巨人に入団していたら背番号2を貰うつもりだったそうですね。
ことと次第によっては1から3まで全部永久欠番になっていたかも知れない。
阪神では22をつけたけど、田淵さんの活躍で22と言えばキャッチャーの番号になった。(藤川球児とかもつけるけど)
NHK、星野訃報で仙台と渋谷でしか街頭インタビューしてなかったんだけど、長らく活躍した名古屋ではインタビューしないのはなぜ?
団塊Jr.の私
小学校の頃は、貰ったお年玉を手にデパートにオモチャを買いにいったわ
中学位になると、年末年始の特番に飽きて冬休みの宿題片付けてた頃かしら
高校時代で一番覚えてるのは、やっぱり天皇陛下崩御だなー
レンタルビデオ借りてきて日がな一日観てた
>>92
おもしろくなかったですか?
私は無難におもしろかったと思います
父と娘の不器用で武骨な愛情と気詰まりが良く描けていたと
ただ渥美さんが既に体調悪そうでそれが気にはなった >>96
寅さんは渥美清が亡くなった年を知って見てるから回を重ねるごとに見るのがつらくなるわ
やっぱり最初の頃のが寅さんが元気でおもしろい
その時々の町の風景とか小道具とかはいつも楽しいけど 渥美清って昭和50年代初めぐらいまではテレビドラマにもよく出てたよね
たぶんNHK銀河ドラマだったと思うけど「からすなぜ泣くの」というタイトルの、
渥美さんが森光子演じる子沢山の未亡人に同情して子供たちの父親代わりをつとめる
というドラマが印象に残ってる
まあ確かに1980年代からは消化試合的な惰性を感じますね
私も団塊ジュニアだけど磯崎亜紀子や後藤久美子らが出てくると何か違和感あるもの
男はつらいよシリーズに?っていう違和感
男はつらいよにサザンのステレオ太陽族とか
徳永英明とかものすごい違和感だった
>>95
民放も国営も全く同じ昭和の歴史的なモノクロ映像を3日間流し続けて。
少し前に米米クラブ「KOME KOME WAR」のPV観てたからデジャブ感が
ハンパなかった。 あの3日が死ぬほど苦痛で、どんだけテレビ依存症
なんだって自覚した。やはり来年も3日間それがあるのかな? Last SymposiumのDVDを見てるしかないと思うの
>>103
崩御と生前退位は全く別物だし今回はお祝いムードになると思うけどなぁ >>103
平成から新しい時代に変わる時期も、きっと特別番組ばかりになるんでしょうね。
昭和の終焉は、「ひとつの時代が終わった」事に何の感慨も無く、皇室に興味も無い私には毎日が退屈だった。
あれから30年の月日を経て私もオバサンになってしまったけど、今回は時代の節目をきちんと記憶しておきたいなーなんてちょっと思ってる。 映画が二本立てだったというと驚かれる。
今のヤングは四時間も五時間も座りっぱなしで映画を見続けるのが信じられないらしい。
>>103
KOME KOME WARのそのPVは海外で何かの賞獲ったんでしたっけ? 昭和の中頃くらいまでは映画を観に行くのが庶民の娯楽だった
スターを主演にしたメロドラマが全盛で、ヘタでも歌を歌ってミュージカルみたいな
洒落た映画が多かった
二本立てだけど入替えなしだから6〜8時間くらいずっと観てる人がいたよ
昭和の中頃くらいまでは映画を観に行くのが庶民の娯楽だった
スターを主演にしたメロドラマが全盛で、ヘタでも歌を歌ってミュージカルみたいな
洒落た映画が多かった
二本立てだけど入替えなしだから6〜8時間くらいずっと観てる人がいたよ
>>98
子供が白血病になるんだよね
寅さんは「アメリカじゃ治ってるっていうから行ってみようと思うんだ」
っていってたな 白血病いえば赤い疑惑等昭和ドラマ定番いやそれどころか少女漫画まで多かった
骨肉腫もドラマ見て、子供の頃早くに覚えた病気の名前だったなあ
わが子よとか伊代ちゃんが主演してたドラマとか
若い人の不治の病と言えば白血病って感じだったよね
あと骨肉腫もドラマによく使われた
タイトルは忘れたけど、病気もので衝撃だったのが、子供がお布団に入って寝ようとしてるときか寝てたかの時、鼻血がでてきて、それがなかなか全然とまらなくて、病院にいったらものすごく重病だったというドラマ。
なんか、演出がよかったんだと思うけどすごい衝撃受けてこわかったのよね。
しかも鼻血って、わりと身近な現象て、それがこんな大変なことに・・・って。
タイトルご存知のかたいらっしゃるかしら?
>>107
席も自由席がほとんどで指定席は別料金じゃなかった?
シネコンができたときドリンクホルダーに感動したわ >>98
銀河ドラマで脚本は橋田壽賀子のようですね(見たことはないのだけど)
それで思いだしたけど、昔の出来事。
ある男性Aが交通事故でBさんを死亡させてしまう。
Bさんには妻C子さんと幼い子供が3人?くらいいた。
Aさんは謝罪のために何度かC子さん宅を訪問する。 慰謝料?示談金?も払う他、C子さん親子の面倒もみてあげるようになる………
そうこうするうちに、AさんとC子さんが結婚する運びとなり、新しい家族となった。
どうせいつまでも贖罪のため面倒みるならいっそ結婚したほうが早いと思ったのか、純粋な恋愛感情だったのか…恐らくはいろんな感情がミックスされていたと思うけど
確かドラマにもなった実話。今検索したけど出てこなかった 昭和生まれで平成時代に結婚できなかった人を平成JUMPというそうな。
駆け込み婚煽って少子化改善を目論んでるな。
>>120
ごめんなさい。ホラーとかではなくて、普通に病気もののヒューマンドラマだったと思うわ。 >>121
震える舌はヒューマンドラマだったような 子供の頃に震える舌の予告がテレビで流れててめちゃくちゃ怖かったな
内容をつい数年前に偶然見て怖いし可哀想でかなりしんどい映画だったけど
最後はちゃんと治るのよね
内容知るまではネットの噂とかのホラー寄りの映画だと思ってたわ
「震える舌」は子供を突然病が襲うヒューマンドラマ映画だけど、
その描写が怖くて、最近でもCSのチャンネルネコで放送されて
「最強トラウマ映画」と煽られていた。
でもそのことじゃなかったのね?
うろ覚えだけどとにかく幼い女の子の悲鳴とか血塗れの口とかが予告にあった気がする
もう怖くてこの映画は無理だって思った
荒唐無稽なホラーとか全く平気なのに子供の病気とかはやっぱりキツイし
本当の映画の内容は大人になってからちゃんと見て知ったわ
真面目な内容だったわ
光に反応して体が硬直して舌を噛んじゃうから
お医者さんが、歯を折っちゃうか抜いちゃうみたいな描写があって
それが怖かったな
破傷風を知ってから砂場とかで遊ぶのがいやになった
>>118
同じくww
遊んでるときにジュンの真似して突然「うっ!」とか言いながら、肩を押さえたりした記憶があるわ。 ぶつけてアザができると白血病じゃないかと心配になりました
伯母が白血病発覚したばかりだから
ある意味タイムリーだわ…色々調べてると辛いわ
>>130の伯母さまが完治します様に!!
気を確かに持ってね
白血病は、昔は不治の病とされてたけれど
現代では完治可能な部類の病気だそうよ >>126
母親の兄弟が破傷風で死んだ。予防接種とかあるよね?今の衛生状態
ならまず大丈夫だと思うけど。泡がしゅわしゅわなオキシドールや赤チン
とかあったもんね。赤チンは廃れたね。イソジンは? >>132
破傷風は若草物語で知った。
イソジン…なんかヨードがダメとかなんとか(うろ覚えです)
うがい用の粉末って今も処方されてるのかしら?
薄紫色で、水に溶かして使うの。
ちょっと薬臭さがあって塩辛いやつ。
ありえない話なんだけど、当時、別の患者と間違って処方されたのよ。
せっかくだからと無くなるまで朝夕のうがいに使わせて頂きました。 >>132
乳幼児期に三種混合ワクチンを接種した(ジフテリア・百日咳・破傷風)
間隔を空けて全部で4回接種しないといけないので結構たいへん
若草物語のベスは百日咳だったっけ?しょう紅熱だったっけ? 破傷風はいまでも充分危険な病気よ。
破傷風って診断してもらえない場合がある。そうなると脳腫瘍ってことになって
変な治療してしんでしまうし。
風邪じゃないかって自己診断して布団で震えて寝ているうちに
呼吸が止まってしんでしまう。
母が子供のころ(太平洋戦争前)
しょう紅熱にかかって
伝染病専門のまんじ病院というところに
入院したと聞いて
とても怖かった
万治病院なんだろうけどね
破傷風と聞いて「巨人の星」の美奈さん?と思ったけど、
ググったら美奈さんは黒肉腫(メラノーマ)だったんだね。
>>137
戦前は疫痢になってあっと言う間に亡くなる子がいたと親から聞いた
何故か疫痢で亡くなるのは男の子の話ばかり
親は駄菓子屋や露天の菓子やアイスキャンデーを食べるのを禁じられていたそうだ
それから「産婆さんのしぞこない」で産褥熱で生死の境をさまよった人の話も聞いた 年末のガキ使完全版をみたら西郷輝彦がふなっしーになっていた
舟木や橋じゃ絶対こんな仕事受けないなっしー! きゃっほーっ! とか言ってw
昭和の頃ってこういうこともするひとだったの?
直接の血縁じゃないんだけど親戚に来たお嫁さんとかお婿さんが
難病に罹って2〜30代で亡くなった
骨肉腫と全身性エリテマトーデス
若いからどんどん悪化していくのが恐かった
昨日のTVでやってた丸山ワクチン。
万能薬ではないけど、認可されない背景に
厚生省と薬剤メーカーの癒着があって怖かった。
いまでもあるんだろうな、そういうの。
小学生の頃、癌がとても怖かった
近所や知合いの人が癌になったら縁談に差し支えるから黙っていたくらい
百科事典の癌のページが怖くてその巻だけ押入れに隠してたわ
>>141
私、全身性エリテマトーデス
昭和も終わる頃、謎の症状続発で病院を転々とし、最終的に大学病院初診の日に即日入院
医師に「あと三週間遅ければ…」と言われて当時焦った! 家庭の医学書なんて本があってドラマで聞いた病名調べたりしてた
>>122
>>124
あら、震える舌もヒューマンドラマだったのね。ググってさらっと見て、てっきりホラーかと。でもあそこまで血だらけで怖いというより、鼻血がただとまらない程度のことで、こんな大事になるのー?って怖さだったの。
自分でも探してるけどなかなかヒットしないのよね。 >>142
親戚のおばさんが使っていたわ、丸山ワクチン
「国は効かないって言うけど効いているんだよ、がん患者本人が効いているって言うのに学閥だとかそんな下らない理由で認可されないから、助かるはずの人が亡くなっていくんだ」って言っていたのを覚えている 母親が兄を妊娠中つわりがひどくて薬を処方されたけど、父(母の夫)に、妊娠中にむやみにクスリなんて飲むなと言われて飲まなかったらしい。そしたら、その薬がなんとサリドマイド。
兄は父親に感謝よね。母はもともとお薬大好き人間だったらしい。私も父親に感謝しとくわ。
昭和56年発行の雑誌裏表紙に載ってたマンションポエム
1980’s city lifeを強く意識した四谷○○は
首都tokyoのcenter coreともいうべき四谷・・略
この四谷○○はurban&active。
年齢や職業を超えてyoung at heart に生きるcosmopolitanのあなたへ、new way of lifeの提案です。
そして、high gradeな価値観を・・・略
他にもJ.K.Galbraithの言葉が引用されてたり「四谷○○」の前にManhattan Whiteって書いてあったりしてなかなか面白い
近隣の地図だけで写真や間取り、金額が載って無いのが惜しい
地図にはフジテレビ・文化放送・厚生年金会館も載ってて時代を感じる
みんないろいろ医療のことには興味あるんだね。
昭和の頃に比べたら今は本当に研究が進んでいろいろ解明されていると思う。
スレチだけど、犬HKの「人体スペシャル」がとてもためになるよ。
14日21時は腸の免疫機能。
前回は骨について。骨に負荷を与えないとホルモン、勢力、若返りとかいろいろ支障が出て
くるんだって。
>>150
大学の学閥やら厚生省の事情とか患者本人の思いは無視だよね
私、看護師だけど内科の先生はプライドが高い人多いかな
丸山先生はマイナーな科(皮膚科?)だからよけいに下にみてたよね 70年代後半頃から、コンクリート・ジャングルとかアーバン・シティという言葉が氾濫するようになった気がする
>>140
しなかったよ 歌手→俳優
西郷輝彦といえば70年代のドラマどてらい男(ヤツ)の主役で田村亮と共演していた
時代劇ドラマにもよく出ていてバラエティでネタになることはなかったなあ 桜木健一の「刑事くん」の主題歌に
♪賭けてさすらうコンクリートジャングル
と言う歌詞があったw
「特捜最前線」OPナレーションの「メカニカルタウン」はほかで聞いたことない
やはりクールファイブの東京砂漠が流れるコマーシャルよね、コンクリートジャングルと言えば
>>158
西郷輝彦と言えば「江戸を斬る」だわ
遠山の金さんの西郷輝彦、紫頭巾の松坂慶子、鼠小僧の松山英太郎…懐かしい
あと加藤剛と竹脇無我の「大岡越前」も好きだった >>160
ダイア建設のマンションのCMだよね。
この頃ファミリー向けのマンションが次から次へと建設されて、実家の近所もそういうマンションが
たくさん建っていったわ。
それまでは平屋か2階建ての家、都営の5階建てばかりの所に、エレベーター付きのマンションがドンドン増えた。
新宿副都心とかのコンクリートジャングル感とは違うけど、なんか殺伐とした雰囲気になった感じがしたわ。
何年か後に、マンション建設業者の倒産が相次いだけど、ダイア建設も確か倒産したんじゃなかったかな。 大都会という名の砂漠に〜
青が散る
ひっかりと影のなかで〜
首なしリーがまんまお嬢様役だったわ。
あの加藤剛がその後大岡越前で東の裁きを受けるとは、見たくなかった。
西郷輝彦、急に時代劇に出なくなったね、どうしてかしらん?
丸山ワクチンは、癌が治癒しちゃうから、長期治療費儲けたい病院や
癌が治癒したら困る生命保険会社が猛反発するよね
歯の話だけど、海外じゃ飲料水道水にフッ素を混ぜてるから虫歯になりにくく、
日本も真似したらいいのに歯科業界の猛反発により実現不可能…
民衆の健康よりも、業界の利権を守る国家って一体…
>>162
そうそうダイア建設だったわ、サンクス! 西郷輝彦、「小説吉田学校」と言う映画ではチョビ髭つけて若き日の田中角栄の役立ったわ
扇子ばたばたさせながら早口のダミ声で喋って、角さんのパブリックイメージを模してたw
効果がないという丸山ワクチンも、ガンになった医者はこっそり自分で使ってるといわれてた
「飛鳥へそしてまだ見ぬ子へ」の先生も自分で打ってたな
>>173
西郷輝彦、大河の独眼竜で伊達政宗(渡辺健)の家臣の片倉小十郎役だったわね。この片倉って人なかなか良い人物に描かれていた。
後年西郷がトークで
『大河のオファーがきて脚本を読んだら、これは良い役だと思ったのですぐに引き受けた』と言ってたわ。歌手でもあるけど(元祖・御三家)、演技もうまいわよね 太川陽介が主演のドラマで受験の当日に寝坊しちゃって入試会場に爆弾を仕掛けたと嘘の電話をしたドラマが忘れられない
再放送しないかな
三浦春馬でリメイクしたけどイマイチだったな
>>176
1982年の火曜サスペンス「受験地獄」ってやつね
見たことあるわ(多分再放送)
サスペンスのアンケートでもう一度見たい作品1位になってるのね
知らなかった。
私が覚えてるのは、神保美喜が出てたことくらい 火曜サスペンスと土曜ワイドを比べると、
土ワイのほうがドロドロした暗い話が多かった印象がある
石田純一が変質者のストーカーの話とかね
>>158
なるほど、やっぱそうですか。
西郷さんって変な仕事はしないイメージで、むしろ橋幸夫ならやりかねないって思ったので。
>>179
いまは話をなるべく犯人との知的ゲームとか、リアリティ感じないくらい漫画的変質キャラじゃないと
見る側のメンタルがもたないんじゃないかな?
異性のこと、犯罪のこと、映像表現のこと、すべてにおいて嫌悪症レベルが昭和の人より高くなっている
無意識かで無菌状態を望んでいるというか、そんな感じを受ける BS12で寺内貫太郎をやってた
もう亡くなった芸達者がたくさん出てて贅沢なドラマだね
黒電話で受験の結果を聞く加藤治子お母さんが昭和だった
寺内貫太郎、今考えるとひどい親父。
気に入らないと大声で怒鳴るし、女房子供に手を上げるし・・
あのドラマの収録で、本気出して親子げんかしたら、西城秀樹が腕を骨折したんだよね。
あんなでぶっちょにぶん投げられたら、そりゃあ怪我もするわ。
この頃、若いのにおばあさん役をやってた樹木希林、本当のおばあさんのような雰囲気だったけど、
現実でおばあちゃんになってるのを見て、やっぱり当時は若かったんだなあと思う。
寺内貫太郎とかムー一族、小学校の夏休みの午前中に再放送やってて見るの楽しみだったな
樹木希林、昔は本当におばあちゃんだと思ってた、でも今見ると顔ツルツル
秀樹と美代ちゃんは何故か本当に付き合ってると思ってたっけ
昭和の頃には地上波で海外ドラマや海外バラエティー結構やってたよね
海外アニメも
世界の料理ショーとチキチキマシンが好きだったな
平成だとミスタービーンみたいな番組ね
昭和はいろいろあったわねドラマ、バラエティ、歌番組(アンディ・ウィリアムスショーとか)
「超人ハルク」っていう連続ドラマ、くだらないけどなんとなく毎週見てたわw
「スーパーマン」と「逃亡者」をミックスしたようなストーリー。
怒ると巨人に変身してしまう男が、その秘密を知られないように町から町へ流浪するって話
幼稚園とか小学校低学年だったのに
何故か海外のコメディドラマで大笑いしてたな
分かりやすかったのかしら?
チャップリンの短編映画もNHKでよくやってたわ
動きが楽しくて子供に受けたのかな
奥様は魔女とかも好きだったし世界の料理ショーのジョークも好きだった
世界の料理ショーは最後の試食が羨ましかったな
何年か前にコンビニでDVD見かけて思わず買ったわ
>>182
うちの実家があんなもんだから今も昔もなんとも思わないw
まだドラマは可愛いもん。
にしても秀樹のほうが親父役の人よりヨイヨイになってしまったねw ドリフにファンレターくれる人には外国人が多かったといかりや長介が書いていたけど
基本的に海外は動きの笑いが主流らしいね
だからドリフがいちばんすっと入っていけたと
セイン・カミュも子供の頃、全員集合を見ながら日本語をおぼえたと言っていた
ジョン・ベルーシとダン・エイクロイドのコントとか見ると加藤・志村とかぶる
ただ80年代半ばあたりから日本は今につながるトーク中心の笑いに変わってきたかな
それは渡辺晋の死と同時期だったと思う
かくし芸も彼の死後は急速にしぼんでいつの間にか消えたからね
>>184
ありがとう
30分位まで観たわ、罪悪感もなく「合格した」、って喜んでいる
忙しいから続きは後日観ますね。
奥様は不倫で、本人は脅迫電話の不正合格じゃ、似合いの夫婦だね >>192
ほんと。もう一度見たい、とか言ってたわりには、冷たいねw あの性悪浮気妻と別れられない太川もそんだけのもんよ。
うろ覚えだけどTVの
’猛烈ギリガン’って愉快だった
>>184
ありがとうございます!!
わたしがまた見たいと言った者です
前に探したけど見つけられなかったので嬉しいです 早速見させてもらいます
懐かしいーー涙 あの程度の浮気、芸能界では普通なんじゃないの。
太川だってねんごろの恋人ぐらいいるかもしんないし。
夫婦が良けりゃ別にいいわよ、違法ってわけでもないし。
191は現実と演技がごっちゃになってる残念な人だし。
>>198
男の浮気と女の浮気は違うのよ
汚れた刀は拭き取れば綺麗になるけど
一度汚れた鞘は綺麗にならないの
ごっちゃになっている訳じゃないのよ
爆破予告事件は昔の事だから不問にしていいって訳じゃないとおもう。
藤吉さんもその点はきちんとさせておいたほうがいいよ
だいたい受験に遅れたのっていつの事だったの
テレホンカードじゃないプッシュホンだから昭和55年くらいかしら
東大受験生にしては頭悪い風の子ばかりじゃないの
もう少しマシな風貌のエキストラいなかったのかしら >男の浮気と女の浮気は違うのよ
汚れた刀は拭き取れば綺麗になるけど
一度汚れた鞘は綺麗にならないの
はじめて聞いた。
刀は外側拭けばいいけど、鞘は中を拭かなきゃいけないから拭きにくいってことかしら?
確かに遊んでる女ほど子宮がんとかはなりやすいって言われてたね。
今は知らんけど
>>201
私も初めて聞いたけどなんだか下品な例えね うわ下品。
女がうつされるヒトパピローマは遊んでる男の亀頭のかりクビ部分に
たまるのよ。
昨日肉じゃがを作ったの。
フカフカの油揚げも入れて美味しく出来たの。
味付けは簡単にめんつゆを使ったんだけど
賞味期限が2017.01.20だったから早く使い切らないとと思ったんだけど
今、仕事してて気づいたんだけど
今年2018よね。
>>203
それも男がかりクビ部分をよくキレイにして、ヒトパピローマ菌を落としておけば女性にはうつらないってことじゃないの?
不潔な男とそういう関係になるのは女の自業自得かと。てか、ヒトパピローマになる女は不潔な男とそういう関係になったってことじゃないの?だわね。 >>200
世間話しててこんな例え話する女性がいたらドン引き
下品だから人前で言わないほうがいいわよ 両親のが浮気したとして、母親の浮気の方がより汚らわしく許せない気持ちになる人の方が
多いと思うので
男の浮気と女の浮気は違うっていうのはなんとなくわかるわ
いよいよ受験シーズン到来ですね。
深夜、勉強に飽きてマンガ読みふけったり、うっかりラジオを聞き入ったりしてしまったのも今は昔。
現在は、スマホの誘惑との戦いみたいね。
昭和の中頃以降は受験生が深夜のラジオを聴きながら勉強するのが流行った
ヤンタン・ヤンリクを殆どの中高生が聴いてたわ
まだまだ昭和の時代は女性はうちで家事をする。男性が外で働くってことが多かったから、
男性は会社とかで女性と親密になることも多いだろうけど、専業主婦の女性があえて男と親密になるなんて、最初からそういう気があったんだろ?ってなるからかな?
外で働く人はなんと無く状況的にしかたないけど、うちで働く女がなんでよ?みたいな。
ていうか、昔は女を外で働かせちゃうとそういうよその男に目移りされたり、言い寄られてもこまるから、家に囲っておくって感じもあったよね。
今は、はあ、家で遊んでないでお前も外で働けよ!!だもんね。
地方じゃ昔から女も働くのが普通だったよ
でも、母親の浮気なんてあんまり聞いたことないや
母親は外で働き、家では家事育児、全部やってたもんなあ、そんな暇ないか
ばあちゃんがいる家なら少しは手伝ってもらってたのかもしれないけど
今みたいに男女平等で男も家事をするなんて考えなかったもんね
>>211
オールナイトニッポンプレミアムというのが去年あって、
デーモン閣下30年ぶり登板を感涙に咽んで聞いたんだけど
主なリスナーが見事にアラフィフと10代だったよ
ラジオを聴きながら受験勉強する子が今もいると知った
もう深夜ではなく19時から
radikoで後でも聞けるからなんていい時代だろうと感動した >>213
ええ?
それで男が浮気をするのも女は許せと?
それはひどいね。男女不平等過ぎだわね。
そういう風習の中で育つと女もそれが当たり前と思ってなんの疑問もわかないもんなのかしらね?ネットとかテレビの普及で、地方のおかしな風習は普通じゃないって気づき始めたのかな? >>215
浮気は男もあんまり聞いたことない
なんかみんないっしょうけんめい働いてたよ
父親は、仕事から帰ったら酒飲んで何にもしなかったわ
都会とは賃金格差が激しかったのかも 母親の浮気?
たくさん聞いてきたよw
近所のお兄さんと駆け落ち、逃げた奥さん。
同窓会で同級生医者と不倫、離婚、結婚したかどうか噂で聞いてた、子供の頃、
私が結婚した夫の兄弟が不倫、既婚4人子持ち女に引っかかって
なんと兄弟の子を妊娠、まあよくあったよ。
>>210
私なら、今だとゲームの誘惑との闘いかな
オンラインゲームをやめられない
昔ネットやオンラインゲームがなくてホントに良かった
今なら志望校に入れない まったくの専業って少なかったのでは?
うちの母も近所のパン屋さんに行ってたし、お店を任されてまるで自分の店みたいだったw
すっごく緩い時代だわ、
そこの持ち主は他所に働きに出かけていたみたい。
今から考えたらあのおばさん(うちの母)でもお客から誘惑されてるシーンを
よく見たわ、あんなので引っかかる人が不倫、駆け落ちとかなってたのかも、
うちの母は適当にあしらってたしね、
薬屋さんも男性でよく家庭訪問販売してたから
不倫に走ろうと思えば多かったのに違いないと思う。
>>217
> 私が結婚した夫の兄弟が不倫、既婚4人子持ち女に引っかかって
> なんと兄弟の子を妊娠、
意味がよくわからないけどその子持ち女が、あなたの義兄の子を身籠ったということ? >>219
まったく働いたことのない妻は昭和には殆どいなかった
夫が働かせてると見られるのを嫌ってる家では、妻は牛乳配達したりダスキン集金やったり
あまり目立たない仕事をやって数万を稼いでた 主婦のための3種の神器が普及してから、家事が楽になったって言われてるわよね。
私たちの頃は当たり前にあった掃除機、洗濯機、炊飯器?
今は知らんさらに、冷凍庫つき冷蔵庫、電子レンジ、ルンバ、乾燥機つき洗濯機、食洗機、
昔に比べたらだいぶ楽チンだものね。
>>221
> まったく働いたことのない妻は昭和には殆どいなかった
いやそれはないでしょ
地域にもよるけど、
例えば農村なら家事の傍ら農作業もするとかあるけど、都市部のサラリーマン家庭なら専業主婦は実際多かったのよ
といっても昭和30年代、40年代、50年代でも随分違うと思うけどね、
それにぶっちゃけ経済状況にもよるし
皆自分の見聞きしたことが全てと思いがちだけど、昭和といっても60年、戦後だけでも40年あるし一口には語れないわ うちの母は都内の社宅で暮らすサラリーマンの妻だったけど
外で働いたことはないけど(結婚前は銀行で働いてたけど寿退社)うちの中で刺繍の内職をしてたわ
近所のおばさんで洋裁や編み機で編み物をする内職をしてる人もいた
友達の家に遊びに行ってもだいたいお母さんは家にいておやつを出してくれたけど
内職をしてた人は多かったかも
昭和の頃、ドラマ見ると奥さんは専業主婦で
旦那さんは一流企業のサラリーマンというのがほとんどで、
地方に住んでた私は、別世界の話としてみていたわ
昭和50年代頭に、友達のお母さんで機械編みの内職してる人いたわ
ど根性ガエルのヒロシのうち、
母子家庭でお母さんはミシン踏んで洋裁の内職してた記憶
家は持ち家なのか、ボロ家だったから貸家でも超安いのかわからないけど
内職で中学生の息子を食べさせていけるってすごいな、当時はそういうの珍しくなかったのかな
専業だった母は仕事もしないでって近所で陰口たたかれてミシン内職始めた
3人兄弟の末っ子だった私は母にあまりかまってもらえず1人遊びの得意な子になった
そのせいか今でも1人で何かするのが好きだわ
母は今でも孫の服をミシンで作ったりしてる
>>228
多分多分ヒロシの家はただの貧乏母子家庭とは違う気がするわ。今思えばだけど。
もっと複雑な事情があるような・・ 私は昭和53年生まれなので
記憶にある昭和はだいぶ末期なのだけど
小さい頃、専業の伯母が内職やってたわ
いまでいうキーボードみたいなもので、カチカチなにかしてるの
あれなんだったのかしら ご存知の方います?
伯母は新しいものずきだったので
茶色いガラスの鍋で、煮ているところがそとから見えるから焦げない!とか
(焦げる前にわかるから)いうのをたくさん揃えてた
あと、アロエブームの時は庭にしこたまアロエを植えたし
ルームランナーみたいなものの支柱にゴムベルトがついた美容グッズも買ってた
(ゴムベルトをウエストにひっかけてスイッチをおすと、ものすごい勢いでゴムベルトが震えるので
ウエストを刺激して、脂肪が消える・・・という理論の美容グッズです)
こっそり乗ったら、あまりに振動がすごくて気持ち悪くなったw
昭和53年生まれと聞くと、若いなーと思うけどね〜、それでも昭和も遠くなった感じよね
浅野ゆう子さんが結婚!のニュースを聞いて何が驚いたって、彼女がもう57歳ということ
デビューしたのは中学生くらいだったのにね、ヘアバンドしてミニスカートだったわ〜
サザエさんもふねさんもタイ子も専業主婦だしね。
クレしんのみさえも専業。
でもその方がいいわ。
二人とも幼児抱えてるんだからね。
幼稚園に上がる前の年齢から、保育園に預けて兼業なんてより、しっかり子育てしてくれた方がいいわ。
ふねは働け笑
君の瞳をタイホするでトレンディドラマの代名詞になって
抱きしめたいでW浅野ブーム
私は第2次ベビーブーム世代なんでその頃は10代だった
当時浅野さんは三十路ちょっと前くらいだったから大人の世界を見せてくれる存在
バブル時代に生きてはいたが10代は蚊帳の外の時代だったんで別世界を見るようだった
>>237
鉢巻みたいなヘアバンドって言われていたね
りぼん「5年ひばり組」のシンカンセンみたいで古い感じ >>232
みたいなもの…英文タイプライターだったらタイプライターと見てわかるだろうから違うか
和文タイプかも、色々あるので画像ググってみて
茶色いガラスの鍋はvisionビジョン、ってやつじゃないかな
当時VIはヴィじゃなくてビ表記だった、うちの実家にも引き出物でもらったのがあった
あとパイロセラムというガラス質の鍋もあったな、白地の鍋に無色透明ガラスの蓋が特徴
柄は青い花のが一番メジャー、うちは私がもらって今でも使ってる
ガラス質だけど火にかけてたのを急冷しても、冷蔵庫から出していきなり火にかけても平気で便利
いずれも昔流行ったみたい、今の鋳物ホーロー鍋的な立ち居地というか
ちょっとおしゃれで美味しく出来る鍋って感覚だったらしいよ 220可愛い奥様2018/01/12(金) 11:42:35.67ID:IruFqmuRO
>>217
> 私が結婚した夫の兄弟が不倫、既婚4人子持ち女に引っかかって
> なんと兄弟の子を妊娠、
>> 意味がよくわからないけどその子持ち女が、あなたの義兄の子を身籠ったということ?
私の夫の兄弟でわかりませんか?義兄でも義弟でもどっちでもいいじゃん。 浮気って何だろう?
亭主の女遊びに呆れた叔母の一言は、
そこに山があるから登るのと一緒。
そこに女がいるから行っちゃうのよ。
あの馬鹿オヤジ・・・
父親が浮気で離婚なら子供は母親と健気に生きていくというイメージだが、
母親が浮気で離婚だと子供はぐれて悲惨な人生を送るというイメージだわ
>>241
まあ一夫一婦制度自体が単なる約束事にしか過ぎないからね、一部の地域一部の社会に於いて(一部といっても今は多数派になってるわけだけど)
週刊文春も部数を伸ばすためにくだらないゴシップ写真や記事を載せ杉
昔の「疑惑の銃弾」みたいな本格的キャンペーンを企画してほしい 記事は読んでいないけど桂文枝の釈明、とかね。
なんていうか、噺家芸人にまで倫理を求めるようになったらその人の芸は終わりだと思う。
芸人風情に昭和の時代はここまでやらなかったような。
外道という言葉も死語になりつつあるのかな。
>>241
その亭主、妻が浮気したらどうなるんだろ? >>244
健全な社会を維持していくには、外道が発覚した以上はこれを糾弾する必要があるよ。
出ないと、子供ら未熟な社会人はマネをして良いと思い、社会的規範により維持されている社会が崩れてしまう。
売春婦は古今東西必然的に存在するものだけど、これを公然視することは「健全な性風俗・関係」を崩壊させる。
女子大・高生の性関係が野放図になるにつれて、男子大学生からの強姦まがいの行為も半ば当然となってきている。
すべからく裏社会・闇の世界に閉じ込めておくことだ。 >>234
中学生のアイドルにしては、背も高いし足も長いしで、すごく大人っぽかったよね。
デビュー曲は「恋はダンダン」で正解?
♪大人になるの ダンダン 秘密を持つの ドンドン 彼とはもう子供じみてダメダンダンダン
他にも「セクシーバスストップ」とか、ちょっとセクシー路線だったような。
アイドル当時はそこそこだった気がするので、すぐにあの人は今状態になるかと思ったけど、
トレンディドラマで人気が出て、ビックリした。 浅野温子はともかく、浅野ゆう子はトレンディドラマ以前の印象がない
子供にはあまり関係のないタレントだったのかな
三十路過ぎてから全員集合の再放送SPを見て志村と相撲部屋コントをしてたのを知った
トレンディドラマよりだいぶ前の姿で新鮮だった
最近「獄門島」見たんだけど、浅野さんが三姉妹の一人だったから驚いたわ
あと、回想シーンで小さい女の子とその子の少し成長した女の子が荻野目姉妹だった
二サス女王と云われるようになってからのファンです
なんといっても大奥総取締はこの人
古い放送で大御所女優が演じても違和感しかでない
浅野温子の息子さんも結婚されてるんですよね。本当、時間は流れたわー
懐かしいわ
昔の角川映画の金田一シリーズまた見たいわ
岩下志麻を見ると未だに金田一に出てた時の美しいけど怖い姿を思い出す
犬神家も最初の映画が一番豪華で面白かった
昭和の角川映画は勢い凄かったなー
>>247-248
恋はダン・ダンは2曲目だと思う
その後ちょっとヒットがなくてセクシーバスストップで返り咲いた感じ
ディスコ路線の後はグラビアみたいなことをしていた印象
化粧品のCMにも出ていたけど水着のポスターが多くて >>253
横溝正史
古谷一行のドラマ版の再放送、金曜ロードショーでの石坂浩二や渥美清版、ドリフのコントですら怖かったわ
13日の金曜日もジョーズもOKだったけど、オーメンやエクソシストは大人になってやっと最後まで見れた。 >>251
パパはニュースキャスターの
米崎みゆきが好きだった
3人の愛たちが隠し子だと分かって
3人と結託して鏡竜太郎が必死で隠そうとするのが面白かったw 田舎町で映画館なんて無かったから、たまに市民ホールで上映する角川映画を友人と観に行くのが特別な事だったんだよね、私。
「セーラー服と機関銃」とか「時をかける少女」とか
それか、家族で車で隣町に一つだけある映画館に行く事。
「南極物語」とか「ビルマの竪琴」とか「男はつらいよ」とか
昭和40年代までは、市内に何軒も映画館あったみたい。
戦前生まれの父の、青春の思い出=映画館 ってのを羨ましく思ったものだ。
>>254
浅野ゆう子の三変化(ヘンゲ)
・第一バージョン
ヘアバンドにミニスカート、長い脚を強調して健康的な女の子のイメージ
一言で言うとテニスルック
・第二バージョン
暫くして、突如濃いめのメークで水着でグラビアみたいな セクシー路線に変更表情も前の健康美より、男目線を意識。 この時も結構売れてた
・第三バージョン
その後何故かナチュラルメイクで、トレンディドラマに出演
トレンディ女優として再ブレイク
自分的には第二バージョンのグラビア時代が一番好きだった >>255
犬神家は松嶋菜々子と西島秀俊バージョンはあれはあれで面白かったけど
最初のインパクト半端ないもんね
スケキヨとか湖の足とか
私もエクソシストは今でも恐怖映画の大傑作だと思ってる
キャリーも青春恐怖映画の金字塔
今見るとあんなに怖かったキャリー役の人綺麗なんだよね
長い金髪がきちんと手入れされててドレスも細いからよく似合ってたし トレンディドラマの直前には業界ドラマといわれるジャンルがよく制作されていた
パパはニュースキャスター、アナウンサーぷっつん物語、ギョーカイ君が行くなど
ギョーカイ君には浅野温子が出ていた
うちの子にかぎって…もその時代だったのでギョーカイが出て来ることがあった
ママはアイドルの中山美穂と後藤久美子が本人役で出てきたり、同じく柏原芳恵が本人役で出たり
柏原よしえと言えば、ピンキーパンチ
見たことはない
>>233
ごめん、キーボードってこっちじゃなくて
小室哲哉が弾いてる系のキーボードでしたw
細い脚がついてるエレクトーンというか、キーボードぐらいの大きさなんだよね
でも久々に和文タイプみました、ありがとう
>>239
ビジョンの鍋! これですね!
いちばん奥の取っ手が耳のように出ている鍋が記憶にあります
当時は、なぜガラスが割れないのかが不思議だったなあ >>234
浅野ゆう子でググったら田宮五郎が死んでたの今知ったわ キーボードでもタイプライターでもなく、編み機では?
小室哲哉の弾いてるエレクトーンってあらかじめ小室が打ち込み入力していて、ステージではスイッチをポチッと押して自動演奏してるだけだよね
木根だってエアギターなのがバレてるし
なのに小室はあんなにくねくねくねくねまどろっこしいダンスをしながら弾いてる真似事をしてるんだろうか
不思議でならない
あんなに何台もエレクトーンを重ねておく必要ある?
指は10本しかないわけだから
浅野ゆう子といえば夜中にやってたCMで、
映画みたいなセリフ、気ままにはいて〜
というのが印象深いわ
浅野ゆう子も温子も美人だけど、あんまり男の人の噂ってなかったね
奥さまさすがにライブでエレクトーンは弾かないと思うw
シーケンサーバリバリのYMOだってライブはドラムもベースもキーボードも生だよ
ただシーケンサーが勝手に鳴らしている部分に合わせてるだけ
>>239
パイロセラムの鍋、平成になってから買って重宝しました
昭和からあったのね
琺瑯の鍋は内側が磨滅したけどパイロセラムはキレイなまま 浅野ゆう子は「太陽にほえろ」のお茶くみしてたのが忘れられない。
この人下手だなと思ってたら、あっという間に別のひとに変わった。まだ十代?だったころ
業界ものドラマもそうだし、お笑いでも1981年〜「オレたちひょうきん族」が舞台裏を暴露して笑うを取る手法を出してきた
「聞いてないよ!」という後年のダチョウ倶楽部のギャグもその流れ
映画でも1983年「家族ゲーム」で横一列になって食事をする家族が描かれて家族をパロったり、
1986年「コミック雑誌なんかいらない」ではワイドショーの舞台裏をパロったり、
80年代になって裏にあったものが「表」に出てきて、いつのまにか表裏の区別が出来なくなった時代になった
ポストモダンが、共産主義や伝統的な共同体意識、家族といった人々を括っていた枠組みを笑い出したのと軌を一にしている
>>271
まだ中学生だったらしいわね
芸スポなどでも、浅野ゆう子というと必ずその話を書く人がいる >>271
義務教育中の子がバイトとかありえない、と言われて
変わったのよw >>184
「受験地獄」
太川陽介はなんで神保美喜と結婚しなかったんだろう
バカだよ
あそこまで男に尽くしてくれる女性は他にいないよ
なにがあっても絶対に離しちゃダメ。一生大事にして添い遂げるべきだったんだよ。
もう哀しくなる程に太川に惚れているんだから報いてあげないと
男としても人間としても失格だよ
水商売していても心は売ってないからね
藤吉なんかと結婚したのが間違いなんだよ 神保美喜が20歳くらいの時、渋谷の道玄坂で二歩くらい前を歩くヤクザ風の
中年男性と歩いてたわ
ひと目で連れとわかる男女だった
>>272
そうだね
裏ビデオや本番ありきの風俗も流行りだしたのもこの頃だしね >>275
マジレスだけど、神保美喜は太陽伝説という名のヘアヌード写真集を出して、それが高木章雄との離婚理由だと言われているからね
世間体を気にするルイルイだってそういうの嫌だと思うし、どこかですれ違いは出てくるよ
経験者として言わせてもらうけどね
それにいくら同じドラマで息の合った演技をしててもそれが結婚に結びつくかどうかはまた別の話だと思うけどね >>278
経験者・・・
お、奥様 衝撃の告白(古) >>259
三変化区分け上手い!
ただ第二バージョンの頃の彼女は、男目線のメイクといいファッションといい、あくまでも事務所等の思惑で、本人は不本意だったのではないかと推察。のちのW浅野時代(そして今に至るまで続くそのメイクやファッション)と比較したらむしろ低迷していた時期だと思う。
とはいえ私も第二バージョン時代はアイシャドウ濃すぎとは思いつつもw、実は苦悩しつつ頑張っていたのかもと考えると嫌いにはなれない。 >>280
あの時代の浅野ゆう子好きじゃなかったわ
わたしの友達とかもほぼ同意見
でも男受けは、よかったんだよね
毎年末、勤務先に土建屋が持ってくるカレンダーが浅野ゆう子の水着姿のもの
男性社員が奪い合ってたわ
まあ、スタイルいいもんね、わからんでもない >>232
亀レスだけど。
内職とあるので機械編みのパンチングじゃないかな?
まずこれで単純な模様を作って、穴を開けて、毛糸の編み機にセットする。
高野文子の『黄色い本』という漫画にやり方が出ていた。
メリヤス工場とか、とっくりセーター、ダルマストーブ、いろいろ懐かしい小道具が出てきます。 浅野ゆう子のデビュー曲って
タンタン(音楽)かれーのあのそぶりタンタン
だっれーを愛してるとても気になるのよ。
特別お澄ましよ冷たいのよ、挨拶しないのよ
知らん顔よ
みたいな歌詞じゃなかったかしら?
題名出て来ないわ。
しらけムード世代だったから、文化祭や体育祭に本気になったら負け、冷めた目で静観してこそよ、と変な呪縛にとらわれ、あえて楽しむのを拒否してた自分。バカだったあの頃の自分にすごい後悔。頭をぶん殴りたいわ!!
>>232
昭和の健康器具というとぶら下がり健康器とスタイリースタイリーだわ >>285
ワタシにデンワしてクダサーイ
本当にあのおじさんが電話に出たらどうしようと思ってた人、たくさんいるだろうね >>283
恋はダンダンですね
浅野ゆう子が石井一の娘ってマジなの? 関係ないよ
あの方のいた○○小学校はそういうの関係ない地域
あなた神戸のこと知らないでしょ
>>275
ドラマと現実ごちゃ混ぜにして、馬鹿みたい。
こないだ下品な例えを書いて顰蹙かっていたのもあなたでしょ >>288
さっきテレビでやってた。とびだせ初恋だそーです。石井一って誰? 下品な例えw
ちんちんが刀でまんこが刀の鞘だっけwww
>>267
小室も別に全て弾いてるふりをしているわけではない(ライブDVDでたまに間違える)
ただベストテンで徹子に「アータたち今日も大荷物ねー」と言われた件について、後に「ハッタリだった」と認めている
木根がエアギターだったのは最初のうちで、今は弾ける。ニコニコで動画を公開している。
元々この人はピアノ弾きなので、ソロ活動ではピアノを弾きながら歌っている。 >>293
電気器具の講習会で、電気屋さんがコンセントとプラグのことを「オス側・メス側」と言ったら、
満場の主婦の半分くらいが微妙な笑い顔をしてたわ。 化石の入っている石を半分に割った時、実体がついてる方をオス型。
印象のみ残ってるほうをメス型って学者さんが言ってたな。
>>296
へ〜 初めて知ったわ、ありがとう。
古事記の記述が最古だと思っていたけど。
今度化石を見る時に、学芸員さんに質問してみようッと。 >>256
田村さん、2005年頃のインタビューで
もう一度続編をやりたいって言ってたけど、
さすがに今はもうだめね。 >>295
思い出した。
昔、家電の修理頼んで修理屋さんのおっさんが来た時
「コンセント挿してって頼まれるのを「それ、ちんぽ、ぷっ挿してくれ」って
言われて顔面蒼白。それ見て「コンセントのことだよ、ガハハハハ」と笑っていた。
なじみの修理屋さんだったので危機感はなかったけど、今なら即警察呼ぶよね。
あの業界じゃそう呼んでるのかね? 昔は100均なんて無かったから、友達の誕生日のお祝いに小遣いはたいて、陶器の貯金箱とか買った、水森亜土とかの。今なら100円で買えるような物が昔は高価(300円とか)だった!メモ帳とかシールなんて宝物だった。人形の着せ替え服も高価だった!今じゃ100均でも買えるけど!
>>256
「パパはニュースキャスター」の主題歌が、本田美奈子.の「ワンウエイ ゼネレーション」だったよね。
まさかあんなに早く亡くなるとは、思ってもみなかった。 >>300
うちの父親もコンセントをオス
プラグのさきこみ口の方をメスっていう。
年頃になって聞いたとき
父親を軽蔑しそうになったけど、東京電機大学卒の父親にとっては、あまりにも馴染み過ぎてて、子供への配慮とかも思いつかなかった模様。 >>302
顔ちっちゃくて歌上手くて可愛かったね
名曲だけど作詞が秋元w >>298
メルモちゃん憧れたな
色々な漫画やアニメがリメイクされるけどやりそうでやらないね
少女が成長して美女に変身してハチャメチャコメディとか受けそうなのに
手塚物では三っ目が通るも大好きだったけどあれもリメイクしないなあ ふしぎなメルモ、単発ドラマ化されたよね。
木村佳乃があのエッチなコスチュームで出て来てどっきり。
>>307
ええ?
知らなかった!
見てないわ〜
綾瀬はるかのアッコちゃん、悪いけどこれじゃない感半端なかったなあ
子供が変身するから面白いんでずっと綾瀬はるかのままなんだもん
昔の少女向けアニメって何気にエロいのあったよね
魔女っ子メグちゃんやキューティーハニーもエロかった 昭和のころは ISO(国際標準規格) をイソつーたのよ。
いまは アイエスオーだけんど。
平成の初期に転職したとき イソ、っていったら 職場の女性に死ぬほど馬鹿にしてる顔された。
>>304
名曲では無いわなあ。
当時の筒美京平作品によくある洋楽を元ネタに
ちゃちゃっと3分ぐらいで歌謡曲風に料理しました感が強い。
元ネタはプリテンダーズのDon't Get Me Wrong。
本田美奈子って歌唱力はあるのに後世に歌い継がれる名曲には恵まれなかった。 >>309
フィルムのことかしら? そうね、私たちもイソといってたかも
KodakのISO400がお気に入りだった フィルムのイソは有名だけど、それ以外もイソつーてたのよ。
それで転職して、その会社ISO14000とか取得に血道あげてる最中だった。
私がイソ14000といったら もう軽蔑の塊みたいな顔w
ああ、もうイソじゃなくて アイエスオーなのね、と。
>>311
平成言葉で"カメラ女子"(※にわか)だった私。
Kodak愛用してたわー!ISO200の方。
中央線の豊田在住の友人に、駅から甲州街道へ向かう桜並木から「サクラカラー」って名付けられたと教わったんだけど、ホントかしら?
確かに並木道沿いに工場があったの。春にはそりゃ見事だったわ。 フィルムで見事というか唯一生き残れたのがフジ。
サクラカラーも世界のコダックもデジカメ登場で消えてしまった。
思い出すのは将来を悲観して一家自殺したカメラ店。
このスレで知ったんだっけか。
中山律子さんという人気者プロボウラーを排出した、ボウリングブームでうちの近所にもボウリング場ができ、母親がはまり、マイボールマイシューズ持ってた。よく優勝記念のピンもうちに何本かあった。
>>315
taspoが導入されて、煙草の販売・購買がややこしくなった時にも
町の煙草屋さん親子(老母と娘?)が悲観して……というニュースがあったような気がするわ。
そういえば、昔友達が就職前に和文タイプを習っていたけど、ああいう技術も今は時代遅れになってるのよね >>314
サクラカラーの工場はさくら町だったと思う
私が勤めてた駅前の富士電機の住所は富士町1だった >>317
和文タイプ、高校の部活の仮入部で体験したけど、逆さもの文字を一字ずつ探して印字するっていう
とてつもなく面倒くさい作業だったので、結局やめたわ。
英文、和文、カナと三種類のタイプがあったけど、今はキーボード一つで全部出来ちゃうもんね。
文化祭でタイプ部の作品を見たけど、字をズラズラ並べて絵を描いてたのには、感動した。
でも、これも今じゃサクサク出来ちゃうもんねぇ・・・。
自分はそろばんも1級取ったし簿記も資格取ったけど、今の時代では宝の持ち腐れだわ。 最近、活版印刷で詩集を出した
活版印刷をしてもらう職人さんの仕事現場も見せてもらったけど
あれは目もくらむような地道な作業だわ
むかしは大変だったんだね
小学校のころは先生たちなんか鉄のペンみたいなのでガリガリかいたのをわら半紙に印刷してたよね
コダックっていったら、ポケモンしか思いつかない
カメラのメーカーでチノンとかヤシカとかあったなあ
全部他のメーカーに吸収されてしまってるけど、技術力は凄かった
>>321
ガリ版だね
学年だよりとかPTA関係の配布物とか手間がかかってただろうね わら半紙、懐かしい
給食の揚げパン持ち帰りの時に包んだりして出番多かった
小学校の担任がガリ版刷りの学級通信をほぼ毎日出していて親達にも好評だった
フィルム感度はASAとDIN表示だった(アーサー、ディン)
400なんてシロートとか写真部部長はフイていた
ニッコリ、サインはVが当たり前だった時代だけど(*^^)v
影響受けた私は陰のある複雑な表情ばかり撮ろうとして孤立したww
サッカー大会流し撮りテクと、バックぼかしテクお目目パッチリ白黒ポートレートで
先生に褒められたのは救いだった
母が老人ホームに入るので実家を整理した時に古い8ミリフィルムをたくさん見つけて
とりあえず持ち帰ってきた
箱には「NEOPAN FUJI FILM」「SAKURA FILM KONIPAN REVERSAL」などと書いてある
小さいときに父が映写機で繰り返し見せてくれた家族の映像だと思うんだけど
開けるとだめになりそうで、怖くてそのままにしてあるわ
最近はコンタクトを落とした人をめっきり見かけなくなったわ。みんな使い捨てレンズだからかな。
>>321
鉄筆だったかしら?
それを使って何か薄い半透明の紙に文字を書くのよね。その紙?を原紙(げんし)と呼んでた気がする。
もう大昔のことで記憶も曖昧だけど
その原紙には細かい升目が印刷されてた、原稿用紙よりもっと小さな升目
そして書き損じすると修正液(何かオレンジ色の液体の小瓶に入ってた)で修正してた >>327
そうそう私はすごく目が良かったから、学校の廊下などでコンタクトを探してる人がいたら、すぐに
「あ!ここに落ちてるわよ!」と探しだしてあげてた。特技のひとつwだった。
でもそんな自分も寄る年波には勝てず視力は低下してしまった… 子どもの学校関係でやたらプリント類が多い気がしてたんだけど
ワープロで、それもワープロ専用機じゃなくPCソフトで配置から何から楽に出来るようになったせいか
自分達の子ども時代はこんなになかったはず、
ガリ版だと手間だからある程度以上重要なことに絞られてたんだね
今ってほんとどうでもいいことでもすぐプリント寄越すから古紙が溜まる溜まる
PDF配布の方向に走ってくれたらいいのに、テクノロジーで余計にペーパーレス化が遠くなるってアホくさ
>>327
コンタクトもだしメガネのほうもまた、jinsとかゾフとか眼鏡市場と安くなった
>>329
ド近眼の唯一無二のメリットは老眼が、進めば進むほど強度近視が弱くなって、結果的に眼鏡なしで見えはじめることwこればかりはド近眼にしかわからないw >>330
あるある
ペーパーレス化言い出してから増えた
会社もエビデンス必須になってPCデータ保管の外に途中経過書類も増えたww スマホで暗記しようとすればできるのに頭はどんどんバカになっているのかな?昨日センター試験ムーミン騒動思ったがムーミンそれはさておき、ビッケとか、小さなバイキングとかマニアックすぎwアニヲタが今や大学の先生なのかしらw
ここ数年は毎年センター国語が話題になってた気がする