1987年、私は米国亡命中で、戒厳令解除が政治的なパフォーマンスか本当の解除なのか、判断できなかった。当時、米国には台湾に帰れない青年エリートが1万人近くいた。蒋経国総統は当時、健康状態が悪化。民主化運動の勢いは大きく、もはや押さえ込めないと考えていた。台湾当局が米国内で台湾の作家を暗殺した江南事件による米国の圧力も、要因の一つだ。
解除当時、政治システムに大きな変化はなかった。私は89年に台湾に戻ったが、反乱罪で懲役12年の判決を受け、90年の恩赦で釈放された。92年に立法院(国会に相当)が全面改選され、96年に総統直接選が始まったことで政治改革が完成し、解除はようやく意義あるものとなった。
中国国民党は一党独裁というが、実際は蒋介石・経国父子の個人独裁だった。軍と治安・情報機関、警察による「白色テロ」は凄惨で、台湾人民は大きな傷を負った。唯一良いことがあったとすれば、若者が政治に関わらず経済に専念し、経済発展を遂げたことだ。
戒厳令時代の強い抑圧の反作用から一気に解き放たれ、台湾はこの30年間でアジアで最も自由で民主的な社会になった。中国と台湾の最大の違いは、中国はいまだ戒厳令時代に似た権威主義的な文化だということだ。現在の台湾は権威主義を受け入れない。中国当局はこの点が理解できない。中国が台湾や香港に権威主義的な態度を取り続ける限り、内容がどうあれ対話は難しいだろう。(聞き手 田中靖人)
◇
■許信良氏 民主化運動の指導者の一人で、民主進歩党の元主席。中国国民党から政界に入り、無所属で桃園県長選に出馬し同党を除名された。1979年の言論弾圧事件「美麗島事件」の元となった雑誌「美麗島」の社長を務め、事件を機に米国亡命。反体制運動に従事し、89年に台湾に戻り反乱罪で有罪判決を受けた。90年に恩赦で出獄、92年以降、民進党主席を2回務めた。2000年の総統選に無所属で出馬し落選。現職は当局系シンクタンクの董事長(会長)。
http://www.sankei.com/premium/news/170713/prm1707130004-n1.html
2017.7.13 05:01
解除当時、政治システムに大きな変化はなかった。私は89年に台湾に戻ったが、反乱罪で懲役12年の判決を受け、90年の恩赦で釈放された。92年に立法院(国会に相当)が全面改選され、96年に総統直接選が始まったことで政治改革が完成し、解除はようやく意義あるものとなった。
中国国民党は一党独裁というが、実際は蒋介石・経国父子の個人独裁だった。軍と治安・情報機関、警察による「白色テロ」は凄惨で、台湾人民は大きな傷を負った。唯一良いことがあったとすれば、若者が政治に関わらず経済に専念し、経済発展を遂げたことだ。
戒厳令時代の強い抑圧の反作用から一気に解き放たれ、台湾はこの30年間でアジアで最も自由で民主的な社会になった。中国と台湾の最大の違いは、中国はいまだ戒厳令時代に似た権威主義的な文化だということだ。現在の台湾は権威主義を受け入れない。中国当局はこの点が理解できない。中国が台湾や香港に権威主義的な態度を取り続ける限り、内容がどうあれ対話は難しいだろう。(聞き手 田中靖人)
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■許信良氏 民主化運動の指導者の一人で、民主進歩党の元主席。中国国民党から政界に入り、無所属で桃園県長選に出馬し同党を除名された。1979年の言論弾圧事件「美麗島事件」の元となった雑誌「美麗島」の社長を務め、事件を機に米国亡命。反体制運動に従事し、89年に台湾に戻り反乱罪で有罪判決を受けた。90年に恩赦で出獄、92年以降、民進党主席を2回務めた。2000年の総統選に無所属で出馬し落選。現職は当局系シンクタンクの董事長(会長)。
http://www.sankei.com/premium/news/170713/prm1707130004-n1.html
2017.7.13 05:01