インド洋に浮かぶ人口わずか2100万の島国スリランカが脚光を浴びている。一人当たり名目国内総生産(GDP)は3849ドル(約43万円)とインドネシアやフィリピンを上回り、識字率も高い。最大の強みは隣国インドはもちろん、欧州、中東、アジアに開かれた地の利だ。
三井物産は6月に駐在員事務所を10年ぶりに再開。佐川急便グループは一昨年に現地の物流企業を買収し、日本通運も昨年事務所を開設した。折しも2015年に10年ぶりに政権交代したシリセナ政権は前政権の親中国路線を転換。インドや日本との経済連携の強化に動いており、インフラの商機も拡大している。
セイロン紅茶の産地で知られるスリランカは、30年近く続いた内戦が09年5月に終結。復興による内需拡大や、外国人観光客の増加などでここ数年は5%前後で経済が成長している。
三井物産は子会社の三井農林が約60年前から「日東紅茶」ブランドの原料の茶葉輸入を手掛け、同国から日本向けの約半分を担う。今回、再開した駐在員事務所では、インド駐在経験のある日本人事務所長に加え、現地スタッフの3人体制でインフラ需要や内需の取り込みを目指す。
既にインドのタタ・グループなどとの企業連合で、スリランカ南西部のコロンボ港拡張事業の受注に応札し、日本政府も金融支援を検討中だ。
双日も16年1月にスリランカで軽油と蒸気を併用する複合火力発電所(16万キロワット)を米社から買収し、事業を拡大中。三菱商事や伊藤忠商事も商機を探っている。
消費市場も有望
スリランカ日本商工会の会員企業は生産拠点を持つノリタケカンパニーリミテドやYKKなど62社で、中小企業も含めた進出日系企業は繊維関連やレストランなど約130社に上る。
中でも「隣国インドに加え、東は東南アジア、西は欧州、中東、アフリカをにらめる、この最強ともいえる最適立地は見逃せない」と日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア太平洋州課の水谷俊博課長代理は話す。物流会社も近鉄エクスプレスをはじめこぞって進出。
05年には佐川急便グループの持ち株会社のSGホールディングスがスリランカの上場企業、エクスポランカに資本参加し、日本通運も16年3月に支店を開設してサービス拡充を狙う。プロジェクトの資金需要をにらみ、昨年1月に三菱東京UFJ銀行が邦銀として初の出張所を開設した。
2100万人の消費市場もあなどれない。内戦で国外に逃避した資金が戻り、世界遺産目当ての年間約200万人の観光客も増加の一途で消費も堅調だ。
最大都市コロンボのノリタケの高級食器旗艦店は周辺国の富裕層の爆買いで好調。通販大手のベルーナは観光客の増加を見据え17年以降相次ぎホテルを開業する。ロート製薬は昨年6月、現地法人設立で国内外需要を取り込む。
中国は一帯一路の要に
スリランカ市場への進出で先行するのは中国だ。現代版シルクロード経済圏構想「一帯一路」の一環でスリランカの戦略的重要性に着目。漁村に過ぎなかった南部ハンバントタ港の開発に08年に着手し、総額15億ドルを投じる計画だ。コロンボ沖でも14億ドルの予算で人工島を増設中で、国際金融センターの建設構想もある。
だが、こうした極端な中国頼みのラジャパクサ前政権には反発もあり、15年1月の政権交代の一因ともされる。
日本政府にとって政権交代は好機だ。スリランカは中東から日本への原油や天然ガス輸送のシーレーン(海上交通路)の要衝だ。安倍晋三首相は政権交代を機にスリランカとの経済連携を強化。4月に来日したスリランカのウィクラマシンハ首相との会談では、海洋協力拡大やインフラ整備への協力で一致した。
スリランカ市場の攻略は覇権主義的な動きをみせる中国を牽制(けんせい)する意味でも重要だ。(経済本部 上原すみ子)
http://www.sankei.com/premium/news/170721/prm1707210008-n1.html
三井物産が紅茶の茶葉を買い付けるスリランカ中部のディンブラ地方の茶畑 やめろ!!
スリランカは支那に騙され、土地を99年貸与したアホ国だ。
すでに実質支那の飛び地になってるところに乗り込んでいったら、また騙されてカモにされるぞ。
∧,,∧
ミ..Θ。Θミ ウィッキーさん?
(ミ;;;;;;;;;;ミ)
〜ミ;;;;;;;;;;ミ
∪"∪ シュゴー
(((∈三三∋ノシ...。,
すげー海底削って軍港作られてるんじゃなかったか
もう手遅れだろ
目玉焼きをトーストにのせて
黄身部分をちょっと割ってそこに醤油をひとたらし
それを半分にたたんで醤油と黄身もモレを回避しつつ 食らう
それにセイロンティーが絶妙なんです
>>総額15億ドルを投じる計画だ。コロンボ沖でも14億ドルの予算で人工島を増設中で、国際金融センターの建設構想もある。
今年の年末には外資借金5000兆円超えそうってのに、どっから金調達するんかねえ
メルカリで鶴に折った一万円札買うんかしら(´・ω・`)
>物流会社も近鉄エクスプレスをはじめこぞって進出
西濃運輸のおっちゃんが来たらびっくりするかなw
隣国で最大の需要を持ち、政治的リスクがあるインドとの関係に左右されるな
インドにとっての香港になれば最高だが
頼んだら自衛隊の基地置かせてくれたりしないかね
セイロンは日本ではなんとなく馴染み深いイメージだが
実は今でも殺人民族が居る数少ない危険エリアだからな
>>10
中国の軍艦が停泊できる協定を結んでいた筈だが >>11
九州よりチョイデカの国なのに象もいれば、トラやヒョウもいる >>4
やるなら唯一の資産である港湾を「先払い貸与」してもらわないとな
途中で裏切ることは目に見えてる 東日本大震災の時に、義援金だけじゃなく紅茶も送ってくれたんだよね
国連の権威を使って日本人1億2千万人を貶めたスリランカのクマラスワミ
日本に法在留者が勝手に来て住みつく迷惑
日本人と外国人を区別するな、同じに扱えと言う国民性だぞ
>>12
パキスタンの米軍と人民解放軍のような関係を構築し
スリランカに駐留している中国を牽制し、インドにおけるスリランカ戦線をコントロールしつつ、
インド洋全体の拠点にしましょう
そんな高度な政治的対応を日本政府ができるのかと言われれば無理だな
でもやれるようにして貰わないと困る というか、一帯一路構想には日本も一枚噛むって話になってなかったか?
スリランカクラブ使ったシンガポール名物のチリクラブとペッパークラブ
スリランカカレーは某民族大好きな混ぜ混ぜスタイル
スリランカのウヴァとヌワラエリアは旨い
三井物産 伊藤商事 スリランカ インドのタタ・グループ
スリランカと言えば、トリン・コマリー攻撃、コロンボ空襲。
第一航空艦隊がミッドウェーで負けた時と同じような事やりながら成功したんだね。
ここでやられてたら、ミッドウェーの惨敗は無かったかも知れん。
または、あんなインド洋策戦って必要だったの?
クマラスワミ以降スリランカは嫌いな国になった。
政府代わればまたシナ詣でして日米印の投資資産を無価値化されそう。
物産の現地事業所が、現地人と日本人所長の三人体制w
左遷だあ〜!
>>1 港を99年( `ハ´)租借地にするスリランカ。
( `ハ´)が軍事拠点を作るスリランカに投資だとーーー >>11
タミール人ゲリラは、支那軍が虐殺しまくったので、いなくなったぞ。 スリランカ人って、結構、日本に来てるよね。
スリランカ語は、構文が日本語に近いから、日本語の上達も早い。
後、ネパール人も多いな。
>>31
なお、現地人はコロンボと呼んでる模様
クッソ長いのはバンコク
「クルンテープ・プラマハーナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロックポップ・
ノッパラット・ラーチャタニーブリーロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤウィサヌカムプラシット」
とか、誰が覚えられるんや? >>10
そもそも内戦相手だったタミル人が対岸のインドに1億人近くいるという恐怖で長年インドと距離を置きつつ牽制してきたからなあ
そう上手くいくかねえ >>32
なんだそのピカソの正式名称みたいなのww
スリジャヤワルダナプラコッテが可愛く見える ■1.「日本は自由であるべきである」■
1951(昭和26)年9月6日午前11時、スリランカ代表のJ・R・ジャヤワルダナの演説が始まった。舞台は米国サンフランシスコ講和会議である。
51カ国からの代表が集まって、日本との講和条約を結び、日本の独立を認めるかどうかを議論する場であった。米国が中心となって、
日本の独立を認める講和条約案がまとめられていたが、ソ連は日本の主権を制限する対案を提出し、さらに中国共産党の出席を求めたりして、審議引き延ばしを図っていた。
ジャヤワルダナ代表は、自らはスリランカ代表ではあるが、「日本の将来に対するアジアの人々の全般的態度における彼らの感情をも述べうる」として、こう語った。
アジアの諸国、セイロン(JOG注:スリランカ)、インド及びパキスタンの日本に対する態度を活気づけた主要な理念は日本は自由であるべきであるということであります。
「自由であるべき」とは、日本の占領を解いて、独立を回復させるべき、という意味である。
■2.「アジア隷従人民が日本に対して抱いていた高い尊敬のため」■
講和条約への賛成を表明した後、ジャヤワルダナ代表はその理由を述べた。
アジアの諸国民が日本は自由でなければならないということに関心をもっているのは何故でありましょうか。それは日本とわれわれの長年の関係のためであり、そしてまた、
アジアの諸国民の中で日本だけが強力で自由であり日本の保護者にして盟友として見上げていた時に、アジア隷従人民が日本に対して抱いていた高い尊敬のためであります。
私は、アジアに対する共栄のスローガンが隷従人民に魅力のあったこと、そしてビルマ、インド及びインドネシアの指導者の
あるものがかくすることにより彼等の愛する々が解放されるかも知れないという希望によって日本人と同調したという前大戦中に起こった出来事を思い出すことができるのであります。
「共栄のスローガン」とは、日本が大戦中に唱えた「大東亜共栄圏」のことであり、実際に欧米諸国の植民地支配からの独立を目指す国々の代表が東京に集まって、「大東亜会議」が開催されている。
さらにビルマ、インド、インドネシアでは、日本が支援して設立された独立軍が、これらの国々の独立戦争に大きな役割を果たした。
ジャヤワルダナ代表は、日本に対する賠償請求権を放棄する、と続け、その理由として、仏陀の「憎悪は憎悪によって消え去るものではなく、ただ愛によってのみ消え去るものである」を引いた。
ジャヤワルダナの演説が終わると、賞賛の声の嵐で会場の窓のガラスが割れるほどであったと『サンフランシスコ・ニュース』は報じている。
また『サンフランシスコ・エグザミナー』紙は「褐色のハンサムな外交官が、セイロン島よりやって来て、世に忘れ去られようとしていた国家間の礼節と寛容を声高く説き、鋭い理論でソ連の策略を打ち破った」と評した。
この後、ソ連、ポーランド、チェコスロバキアを除く49カ国が講和条約に署名し、翌年4月28日、日本はついに独立を回復したのだった。
>>34
日本語に訳すと
「天使の偉大なる都
帝釈天の戦争なき平和で偉大な輝かしき大地
九種の宝石のような心楽しき王の都
多くの王宮に富み神が化身となって住みたまう
帝釈天が建築の神ヴィシュカルマに命じて造りたまった神聖なる住処」
となるそうな
現地人は、単に「クルンテープ」(天使の偉大なる都)と呼んでるんだそうだ いっつも思うけど、小国って入れる必要あるか?マスコミよ
スリランカは戦後日本に多大な貢献をしてくれた。
クマラスワミでめちゃくちゃになってしまったな。
>>36
日本が戦後分割統治されなかったのはスリランカのおかげ 日本は一帯一路の途中の国を押さえて分断しろ。 繋がらなきゃ意味ないからな
>中国頼みのラジャパクサ前政権
ラジャパクサが中国に頼んで作ってもらったマッタラ・ラージャパクサ国際空港は1日1便しか旅客機が来ないという
スリランカはほんと、残念な国だな。
クマラスワミひとりで日本人の多くは関わりたくない国に化したな。
日本にいるスリランカ人に問題は感じられないがあのような対応をされては許しがたいな。
スリランカみたいな馬鹿な国には金を与える必要はない。金にだらしない国とは、利用するだけでいい。
中国を少しは見習え
■3.西洋の植民地支配400年■
おそらく当時の日本国民は、遠く離れたスリランカの一外交官がなぜにこれほどまで日本を擁護してくれるのか、いぶかしく思ったろう。しかし、スリランカの歴史を辿ってみれば、その理由も見えてくる。
スリランカとは「光り輝く島」という意味で、その美しい豊かな自然から「インド洋の真珠」とも呼ばれてきた。北海道の8割ほどの国土に、現在では2千万人の人々が住んでいる。
紀元前5世紀に北インドから移住したシンハラ人が王国を作り、紀元前3世紀に仏教が伝わると、それ以降、現在まで仏教国として信仰を守ってきた。
しかし、スリランカはインド洋交易の重要拠点であり、そのため、早くから西洋諸国の侵略にさらされた。1505年にポルトガル人がやってきて、約150年間、沿岸部を支配した。
1658年からは今度はオランダが替わって約140年間、植民地支配を続けた。さらに1796年にはイギリスが支配者となり、全島を支配下においた。
イギリスは、スリランカ全島を紅茶の生産基地とし、米まで輸入しなければならない状態にしてしまった。独立を求めて大規模な反乱が三度起きたが、いずれも武力鎮圧された。
イギリスは南インドから移住してきた少数派のタミル人を優遇し、彼等を教育して役人とし、多数派のシンハラ人を治めさせた。この巧妙な分割統治が、現在も続く民族闘争の原因となった。
同時にキリスト教徒を優遇し、仏教を抑圧した。シンハラ人のほとんどは仏教徒で、教育を受けることも難しかった。
■4.「アジアを救うことこそ日本の役割」■
イギリスの植民地支配のもとで衰退した仏教を再興しようと19世紀末に立ち上がったのが、スリランカ建国の父と呼ばれるアナガーリカ・ダルマパーラであった。
敬虔な仏教徒の家に生まれたが、当時のキリスト教の強い影響で、聖書にちなんだダビッドという名をつけられていた。しかし仏教再興運動を進める中で、自ら「アナガーリカ(出家者)・ダルマパーラ(法の保護者)」と名乗ったのだった。
ダルマパーラは仏教の縁で、明治22(1889)年2月に初めて日本を訪れた。おりしも大日本帝国憲法発布式が行われており、ダルマパーラは近代日本の胎動を目の当たりにした。
ダルマパーラは明治25(1892)年に2回目、明治35(1902)年に3回目の来日を果たした。3度目の来日の2か月前、
日英同盟が結ばれており、ダルマパーラは「欧米人のアジア人に対する差別的偏見をなくし、植民地支配という悲劇の中にあるアジアを救うことこそ日本の役割なのだ」と語っている。
その2年後、日本は大国ロシアに対して戦いを挑み、これを打ち破った。日本の勝利にスリランカの人々は熱狂した。
ダルマパーラも「こんな素晴らしいことはない。皆さんは気づいていないかも知れないが、皆さん日本人によってアジアはまさに死の淵から生還したのだ」と語っている。
中国工作員が!スリランカと日本分断させたいのは理解できる。
■5.「次に生まれるときには日本に生まれたい」■
3度の来日で、日本の驚異的な発展を目の当たりにしたダルマパーラは、シンハラ人の自立のためには技術教育が欠かせないと考え、日本に留学生を派遣する財団を設立した。
大正3(1913)年、ダルマパーラは最後の訪日を行い、帰路、満洲と朝鮮も訪れた。日本はこれらの地に惜しみない資本投下を行って、急速に近代化を進めていた。
ダルマパーラは「日本が2、3年の内にこの地で完成させたことを、イギリスがインドで行ったならば優に50年を要していただろう」と、植民地を搾取の対象としかみないイギリスとの違いを指摘した。
ダルマパーラの活動によって、仏教に根ざしたシンハラ人の民族主義運動が高まっていった。
イギリスの植民地当局はこれを警戒し、おりから発生した暴動の首謀者としてインドで5年間もダルマパーラを拘束した。
弟も捕らえられ、半年後に獄死した。それでもダルマパーラは運動をやめず、昭和8(1933)年、69歳でスリランカ独立の日を見ることなく、生涯を終えた。
「次に生まれるときには日本に生まれたい」とよく話していたという。
■6.皇太子のお召し艦を一目見ようと胸を弾ませて港に赴いた少年■
1921(大正10)年3月、日本の巡洋艦『香取』がスリランカを訪れた。当時、皇太子であった昭和天皇をお乗せして、ヨーロッパに向かう途上であった。
皇太子のお召し艦を一目見ようと港に集まった人々の中に、一人の少年がいた。15歳のジャヤワルダナであった。
ジャヤワルダナは、昭和54(1979)年、国賓として来日した際に、宮中の歓迎晩餐会にて次のように語っている。
外国の統治の下では、人々の信仰や言葉、慣習などはほとんど消え去りそうになっていました。
このことから、私達だけではなく、西欧の帝国主義の下で同じような運命によって苦しんでいる全てのアジアの国民達は日本を称賛し、尊敬していたのです。
先の80年の間、日本はアジアにおいて独立国として立ち上がっていたのです。
西欧の列強が、その軍事力と貿易力によって世界を支配していた時に、あなた達は彼等と競い、匹敵し、時には打ち負かしていました。
陛下が1920年代に皇太子としてスリランカを訪れた際には、私は気持ちを高ぶらせて陛下が乗船されている艦を一目見ようと港に行ったものでした。
当時の日本は、日英同盟のもと、第一次大戦をイギリスと共に戦って勝利し、世界の強国として頭角を現しつつあった。
自分たちと同じアジア民族で、かつ共に仏教を信奉する日本の皇太子が、自国の巡洋艦で対等の同盟国であるイギリスに赴くという出来事は、
「自分たちもいつかは独立を」という希望をスリランカの人々に抱かせたに違いない。
スリランカと日本は相思相愛。
中国は賄賂で買収だからな
最終的に勝つ国は見えてる。
■7.「インドとスリランカにいる兄弟・姉妹に呼びかけます」■
1932(昭和7)年にコロンボに生まれ、スリランカ独立後に海軍兵学校部隊長となったソマシリ・デヴェンドラ氏は、次のように語っている。
1941年に日本が真珠湾を攻撃し、第2次大戦に参戦した時には、スリランカ人は日本に対してある種の同情を寄せていました。・・・
1942年の初め、強力な日本海軍はインド洋上の敵艦をどんどんと破壊していき、スリランカ島に向かっていきました。
しかし、その時にスリランカに停泊していたイギリス軍艦の多くは第一次世界大戦当時に造られた古いものばかりでした。
4月、日本海軍の航空隊はスリランカの都市を空襲し、それらの軍艦に攻撃をしかけてきました。この航空隊は真珠湾攻撃に参加した後にやって来た隊でした。
日本軍の爆撃の命中率は世界で最も正確だったと言われています。
この空襲の際に、3人が乗った日本軍の攻撃機1機が墜落した。コロンボのカテッナ市営墓地には、墜落死した日本兵の墓が造られている。
日本軍はシンガポールを占領した後、投降したインド兵を集めて、インドの独立を目指すインド国民軍を組織させた。その中にはスリランカ人の部隊もあった。
インド国民軍はシンガポールからインドやスリランカに向かって「ラジオ昭南(シンガポール)と呼ばれるラジオ放送を行った。
当時12歳だったデヴェンドラ氏は、このラジオ放送をよく聞いていた。
「こちらはラジオ昭南、インドとスリランカにいる兄弟・姉妹に呼びかけます」という言葉で始まり、「ワン・デイ・マータラ」という、今でもインドでよく知られているインド国民軍の歌を流した。
アメリカの情報機関は、このようなインド向けの放送が、インド人の心理に与えた影響は非常に大きかったとしている。
■8.「私達は日本に、このことを感謝しなければなりません」■
日本が敗戦した日は「Victory over Japan Day(対日勝利の日)」と呼ばれ、大きな都市では記念式典が開かれた。デヴェンドラ氏が住んでいたラトゥナプラでも式典が開かれ、イギリス側代表の後で、氏の父親がスリランカ側を代表して演説を行った。
この日は、私達が日本に対する勝利を祝うものです。しかし、私達は日本によって得られたものがあります。それは愛国心という心でした。それは、日本によって全てのアジアの国々にもたらされたのでした。
戦争によってアジアの国々、インドネシアやインド、スリランカ、ビルマなどは自らに対する自信と民族主義の意識を得たのです。私達は日本に、このことを感謝しなければなりません。
「対日勝利の日」に、英国側の前で、日本に感謝する演説を行うとは、まことに大胆な言動である。それだけ強い気持ちが籠もっていたのだろう。
1948年2月4日、スリランカは独立を果たした。日本が設立を支援したインド国民軍の指導者たちをイギリスが「反逆者」として軍事裁判にかけようとした事に対して、
インド全土に暴動、ストライキが広まり、それがきっかけとなってインドは独立を勝ち得た。それとともに、イギリスはスリランカからも撤退したのである。
昭和天皇のお召し艦を一目見ようと港に駆けつけた少年ジャヤワルダナが、独立政府の要職についていた。そしてサンフランシスコ講和会議で日本を擁護する演説をすることになる。
日本は明治以降、スリランカの人々の独立への希望に灯を点してきたのだが、今度はそのスリランカが日本の独立を助けてくれたのである。
スリランカは紅茶や宝石が有名だけど、イギリスに統治されてたためなのかアパレル産業も盛んなんだよな
日本で売られてるTシャツよりも繊維や縫製がしっかりした製品が300円とかそのくらいで買えるし
クマラスワミ1人のせいで印象激悪だが、日本を仏教国だと思い込んで勝手に親近感を持ってくれてるスリランカ人は多い
日本とスリランカじゃ生活の中での仏教濃度が全然違うんだけどね
ヒンズーやイスラムの脅威に長年さらされてきた小さな島国だから
なおさら同じ仏教国に対する感情が盛り上がるんだろうな
日本の金に集ってるだけだろ
むしろ親中のスリランカなんか徹底的に締め上げて滅ぼさなくてどうするんだよ
スリランカは助けたいが微妙なことがネックになっているな。
>>58
いやまあ仏教国ってのもあってると思うよ。ヨーロッパだって熱心なキリスト教徒なんて今じゃ少ない。日本人の仏教をキリスト教に置き換えた程度の人が大半。 >>18
クマラスワミ は侵略的外来種であるタミル系スリランカ人。日本で言えば在日朝鮮人。
スリランカには2つの民族が居る。1つは在来種で仏教徒のシンハリ族。日本で言えば日本民族。
もう1つは紅茶栽培のために、英国がインド南部から連れて来たタミル族。日本で言えば在日朝鮮族。
このタミル人、セイロン島内でわんさか増え、領土を寄こせ!と武力蜂起を起し、失敗した。
日本も在日を優遇ばかりしてると、わんさか増え、対馬やら北九州を寄こせ!と武力蜂起するぞ。