旧日本軍が侵攻したフィリピンで少女期を過ごしたヘレン・メンドーサさん(92)の回顧録
「戦争の思い出 日本占領下で生き抜いたフィリピン少女の物語」が4月下旬、出版された。
戦争の残酷さを伝えつつ侵略者だった旧日本兵にも同情を寄せる内容。
現地の市井の人々の体験記を日本語で読む機会は少なく、
ヘレンさんは「戦争は二度と起こしてはいけないと、今の若い読者の人たちに知ってもらいたい」と話している。【加藤昌平】
「先生から真珠湾が日本軍の爆撃機によって攻撃されたことを知らされた」。
回顧録はヘレンさんが通う高校の授業風景から始まる。
旧日本軍がフィリピンを爆撃、占領したころ、10代後半だった。
出版のきっかけは、2013年に自宅から大量の日記や戦時中の写真、資料が見つかったことだ。
戦後、米国留学を経てフィリピンの大学で教えたヘレンさんは、当時の記憶を後世に残したいと、
回顧録の執筆を決めた。
16年にフィリピンで出版されると、
日本のフィリピン研究者たちから「日本人こそ読むべき内容だ」との声が上がり、
大阪市の出版社「メディアイランド」で日本語版が出版されることになった。
同社の千葉潮社長は「個々人の生活が真実を伝えることもある。
当時のヘレンさんと同世代の高校生にも読んでほしい」と呼びかける。
旧日本軍は真珠湾攻撃と同時に当時米国の統治下にあったフィリピンの米軍基地への爆撃を開始。
回顧録では、それまでの牧歌的な暮らしに戦争の足音が刻一刻と近づいてくる緊張感が描かれている。
ヘレンさん一家はより安全な土地へと疎開を繰り返したが、
旧日本軍がフィリピン本土を占領すると一家が暮らす町にも日本兵たちが駐留した。
生活は一変し、日本兵が町を我が物顔で歩き回り、住民は45度の角度でお辞儀するあいさつを強要された。
それでも一家や周囲の人々は普段の暮らしを続けようと努め、ヘレンさんも友人や親戚とパーティーを開き、
時々ピクニックにも出かけた。
町を占領した日本兵たちとの交流も描かれている。
笑顔で語りかけようとする日本兵を恐ろしさのあまり無視して逃げ出したヘレンさんに、
父親は「たとえ敵であっても、礼儀正しく接しなければいけない。
礼儀正しくあればいつでも報われるものだ」と諭す。その後、ヘレンさんは多くの日本人将校と心を交わし、
異国の地で生死の境にさらされた日本兵たちの不安や恐怖心に理解を示していく。
本書に解説を書いた広島市立大の永井均教授(歴史学)は
「友人とのパーティーなど『非日常』の中でも自分たちの『日常』を少しでも取り戻し、
豊かに生きようとする人々のたくましさが感じられる」と説明する。
ヘレンさんは「戦争で多くのフィリピン人が被害を受けたが、
日本兵も戦争に放り込まれた被害者だったと感じた」と話している。
毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20180619/ddl/k12/040/229000c