新潮社 フォーサイト 1/4(木) 6:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180104-00543183-fsight-soci
日本史上「最古の元旦」の記録は、神武天皇(神日本磐余彦=かむやまといわれびこ=)の即位にまつわる『日本書紀』の記事だ。「辛酉年(しんいうのとし、西暦紀元前660年)」に畝傍山(うねびやま、橿原市)の東南の麓に橿原宮(かしはらのみや)を建て、王位に就いたのだ。「辛酉」は1260年に1回めぐってくる特別な年で、中国の讖緯説(しんいせつ)によれば、革命的事件が起きるとされている。だから『日本書紀』編者は、初代神武天皇の即位年にふさわしいと考えたのだろう。
そこで今回は、神武天皇の即位に注目してみよう。
■神武天皇と「九州の海人」
近年、神武天皇は次第に軽視されるようになってきたと思う。まず、今から2600年以上も前に即位したという『日本書紀』の話は、明らかな作り話だ。弥生時代(あるいは縄文時代)に国の中心がヤマトに存在したはずがない。
一方考古学の進展によって、ヤマト建国の詳細が分かりはじめてくると、神武の謎はむしろ深まった。三輪山(奈良県桜井市)山麓の扇状地に、3世紀から4世紀にかけて、政治と宗教に特化された都市・纒向(まきむく)遺跡が出現していて、ここにヤマトが建国されていたことが分かってきたが、そうなると「神武天皇は橿原に宮を建てた」という『日本書紀』の設定にも、疑念が湧いてくる。実在の初代王は第10代崇神天皇で、神武と崇神は同一人物と通説は言うが、それならなぜ、神武は崇神と同じように、盆地の東南部、纒向遺跡の近くに宮を建てなかったのだろう。
それだけではない。天皇家が九州からやってきたという話も、ここに来て疑わしくなってきた。ヤマト建国黎明期の纒向遺跡に集まってきた土器は、東海地方や近畿地方のものが大半で、九州のものは、ほとんど含まれていなかったからだ。
また、ヤマト建国の前後、近畿地方や山陰地方から多くの人々が九州に流れ込んでいたことも分かっている。だから、「邪馬台国は北部九州にあって、それが東に移ってヤマトは建国された」というかつての常識は通用しなくなったのだ。そうなると、ますますもって、「九州からやってきた神武」は、影が薄くなる。
しかし、神武の存在を否定してかかることもできない。神武が創作とすると、かえって分からなくなることがある。
たとえば神武天皇のまわりに「九州の人脈」が集まっていたという謎がある。
連載の中で紹介してきたように、神武天皇の母と祖母は姉妹で、海神(わたつみ)の娘だったが、彼女たちは奴国(なこく、福岡市)の阿曇(あずみ)氏と縁が深い。また、橿原宮の周辺を固めていた大伴氏、久米氏、忌部(いんべ)氏たちは、九州の海人(あま)の末裔だったようで、顔に入れ墨をしていたという記事が、『日本書紀』にある。「魏志倭人伝」には、九州の海人が水に潜ってアワビなどを捕っていること、入れ墨をして大きな魚(サメなど)から身を守っていると記録されている。南方の習俗が縄文時代に日本に伝わっていたと思われる。この海人の風習を受け継いだ人たちが、なぜか橿原宮のまわりに集住していたことになる。これは何だろう。
畝傍山が天皇と強くつながっていたことは、中大兄皇子の大和三山の歌(『万葉集』巻1-13)からも分かる。
「畝傍山が雄々しいので、耳成山と天香具山がキサキの地位をめぐって争っている。神代からすでにそうだったという」
とあり(異なる解釈もあるが、割愛する)、畝傍山は男王を象徴していたことになる。それはなぜかと言えば、「初代王が畝傍山麓で暮らしていた」という伝説が生きていたからではなかろうか。
続きは>>2 ■「祟る神」を祀る役割
ここで仮説を掲げておこう。
神武と崇神は同一人物ではなく、同時代人ではなかったか。崇神天皇はやむにやまれぬ事情から、神武を九州から招き寄せて、祭司王に立てた――。
なぜこう考えるか、説明していこう。
『日本書紀』崇神5年条に興味深い記事が載る。国内で疫病が蔓延し、半数の人びとが亡くなったというのだ。天然痘ならば、現代でも致死率は20〜50%に上るから、あながちデタラメとも言い切れまい。困り果てた崇神天皇は占いをしてみた。すると神の意志(祟り)と知らされた。そして、神は「私の子に私を祀らせれば」と言うので、命じられたままに、神の子・大田田根子(おおたたねこ)を探し出して神を祀らせた。こうして、世は平静を取り戻したのである。
この、大田田根子が怪しい。大田田根子と神武は重なって見える。どちらも「両親が神」なのだ。それだけならまだしも、大田田根子の母は活玉依媛(いくたまよりひめ)で、神武天皇の母の名は玉依姫(たまよりひめ)と、ふたりの母はそっくりではないか。大田田根子も神武も、祟る神(疫神)を祀る役割を期待されたのではなかったか。
神の祟りなど歴史ではないと史学者は無視してきた。しかし、疫神に対する古代人の恐怖心とその伝承を軽視してはならない。
■疫神を追い払った記念日
ここで改めて注目されるのが、「なぜ神武は纒向ではなく橿原に宮を建てたのか」、あるいは「なぜそう語り継がれていたのか」である。
縄文時代から弥生時代への移行期、橿原遺跡(橿原市)に東北地方で盛行していたはずの土偶が集まっていた。どうやら、西から東漸してくる稲作文化をはね返す呪術を、ここで執り行っていたようなのだ。
稲作を拒むのに、なぜまじないが必要だったのだろう。稲作民との交流によって天然痘などの未知の疫病がもたらされたからではあるまいか。
奈良時代もそうだが、天然痘の大流行は、北部九州から始まり、東に移っていった。だから、縄文人たちは、稲作とともにやってきた疫病におびえ、奈良盆地の西側の橿原で、呪術を執り行っていたのだろう。
崇神天皇の時代、神の祟りを鎮めるために、「活玉依媛」の子・大田田根子が連れて来られたと『日本書紀』は言うが、これは実際には「玉依姫」の子の神武天皇で、この人物でなければならなかった理由があったはずなのだ。
ヤマト建国前後の人の流れは、これまでの常識とは逆に「東から西」で、しかも北部九州の防衛上のアキレス腱である大分県日田市と福岡平野(奴国)に東側から多くの人が入植していたことが分かっている。弥生時代後期の北部九州は大量の鉄器をほぼ独占していたが、ヤマトはこの鉄と朝鮮半島につながる流通ルートを確保しようと押し寄せたのだろう。そしてこの時、敗れた北部九州の貴種たちは、海人たちの伝手(つて)を頼って、南部九州に逃れ、これがのちに天孫降臨神話に化けたのだと思う。高千穂峰(宮崎県と鹿児島県の県境の高千穂峰と宮崎県西臼杵郡高千穂町の2説あり)に天から舞い降りたという設定は作り話だろうから、次の一歩が大切だ。それが鹿児島県の笠狭碕(野間岬)で、ここに西九州の海人たちが、導いたのだろう。そして、南部九州の地で敗北者たちはヤマトを恨んだにちがいない。
ヤマトにすれば、九州からやってくる疫病は、敗者の恨みと呪いそのものであって、だからこそ、南部九州に逃れた者の中から祭司王を連れてきて、これがヤマトの王家(天皇家)に育っていったのだと思う。
神武が纒向ではなく、橿原に海人とともに陣取った理由は、これではっきりとわかると思う。神武は呪う敗者だったからこそ、ヤマトに連れて来られたのだ。
日本最初の元旦は、疫神を追い払った記念日だったのかもしれない。
(執筆者:関裕二)
皇統には初代が絶対いる
それが神武
崇神と同一かもしれないし
そうじゃないかもしれないし
>神武天皇と「九州の海人」
架空の人物を誰かなんて無意味すぎるわw
そりゃあ、天皇の先祖は誰かはいたかもしれんが、
日本の統治者になったからの話しか無意味だろw
歴史って100年ぐらいでよくね?
何が何だかわからないうえにちょこちょこ変わるじゃん。
知ってもほとんど意味ないよね。
>たとえば神武天皇のまわりに「九州の人脈」が集まっていたという謎がある。
それも日本書紀に書かれた創作だからw
>武天皇の母と祖母は姉妹で、海神(わたつみ)の娘だったが
まるで見てきたかのように確定するってw
まあまあ小難しい話は後にしてその肝心の橿原がどうやったら発展するのか考えようず!
天皇家が明確になってくるのって、420年の倭国当たりからだろ
日本限定の冗談みたいな神話は、世界には通用しないよ。
日本が世界に発信できる普遍的な考えがあるかどうかだが、
イエス・キリスト様の普遍的な考えを越えるものがないって
ことを、そろそろ素直に認めないとな。
天皇家、最初の10代くらいは想像上の人物だっていわれてなかった
寿命が異常に長いんだよ
😊 日本の次の30年は明るい時代なので安心 ♬
= 日本経済には60年の長期周期がある =
昭和の約60年は前半が経済周期の下側、後半が上側だった。
平成の約30年は下側だった。次の30年は上側の明るい時代。 >>6
↑
脳障害のゴミ(笑)
大室寅之祐とか言う糞チョンどもが撒き散らしてる
低知能の捏造説を信じてる池沼www 黒人の扱いとか歴史抜きには無理だからな
近代史は多少なりとも知っといた方がいい
三國志よりは梁山泊の方が中国人相手に役に立つし
>>21
崇神は間違いない
で三輪を見るに、崇神が完全に初代とも
考えにくい欠史の中にも実在が見受けられる 秦の始皇帝が中華統一・・・・日本人はドングリ食っていた
諸葛孔明が曹操と激突・・・・・日本人は卑弥呼様萌えしていた
中国で宋が統一・・・・・・・・・・やっと日本で大和朝廷が出来る
中国が隋に統一・・・・・・・・・・日本から遣隋使派遣
日本って・・・・
なんだかもう凄いな
両親が神だから似てるとかw
それに神武天皇は九州出身だけど大田田根子は茅渟県陶邑村出身だから大阪の焼き物屋さんじゃないか
>>15
神話は昔の人の考え方を知る上で貴重な資料だよ
話の多くは出雲関連であり、国譲りの話は新興の大和が出雲を制圧したことと思われる >>1
倭人(ワジン)は誤り
倭人(イジン)が正しい
伊ト国と祖を同じにし伊予国と伊勢国が作られた
伊人(イジン)が作った国な 別にどうでもいいだろう
実質的なジャップの「建国」者と支配者は古代の在日渡来人で間違いないのだから。
ちなみに日王は彼らに監視されていた朝鮮民族の面汚しともいえる流刑者だから。
>>36
神宮も最近立てたものだし、根拠も由緒もねーもんな >>31
日本ってそこから逆転して発展したんだもんなぁw >>1
神武と崇神は別人だから
記紀を読む限り神武ははじめて神を祀った人物(臨時祭場で)
神武以前の登場人物はみな神だから神を祀ることはなかった
崇神ははじめて常設の施設(神社)で神を祀った人物 >>31
あの当時の中国周辺って凄い発達してたからね
稲作なんかは紀元前4000年くらい前から始まってたんじゃないかな >>40
発掘調査はキキの裏付けになりまくってるがな まじめな記事かとおもって読んで損した(´・ω・`)
近代日本の建国者はアメリカ
天皇よりアメリカに跪くのが日本人です
神武は稲作持って来て無いし金属器をもたらした訳でも無く兵隊ゾロゾロ連れての推し掛け用心棒商売だったからな
産業の拠点だった纏向より交通の要衝だった橿原の方が用心にもピンハネにも向いて居て抑え甲斐が有ると思ったんだろ
すごく興味があるけど読めない
誰かそばでジェスチャーとかイラストで説明してほしい
作り話という前提がおかしい。
ネイティブアメリカンの言い伝えには
紀元前660年頃に大きな戦争があり、
負けた戦闘集団とその一族は西の彼方に
移動していったそうだ。
神武天皇の一行にアイヌ語を話す人物も
いたことからベーリング海を抜けて
北海道を通って本州を南下して国づくり
した可能性が高い。
>>15
こういうアホっているんだなw
神話のベースには必ず哲学がある
東洋哲学の基礎でも学べ
西洋哲学の方がはるかに薄っぺらに思えるから >>43
理論的に強固とも思えない
神を祀るということ自体、それこそ明確な区切りをつけようがないからな
三輪を見てこいよ
ひもろぎもご神体も本殿も、原初過ぎる >>24
ちがうちがう。
>>6自身がチョソなんだよ。
それにしても古代では天然痘が朝鮮半島→北九州→日本各地の順で
大流行とかしたようだし、かの地の法則は古代から変わらんってことか。 渡来人の支配
歴史を通じて、戦後まで半島に土着勢力による政権が存在したことは一度もない。
箕子朝鮮:中国人
衛氏朝鮮:中国人
新羅:秦人(中国人) 日本人
百済、高句麗:扶余(中国少数民族) 日本人
世界最大級と言われる白頭山の大噴火により絶滅。
300年間に渡る空白時期がある。
大噴火の前までに半島への渡来人は日本へ帰化。
高麗:中国人
李氏朝鮮:女真族(中国少数民族)
朝鮮総督府:日本人
終戦後:アメリカ人
>>31
いいんだよ別に日本は辺境の楽園だったんだから
古代のリゾート地みたいなもんよ! 天皇家がこの時期に日本にいるってのがな
どっか他所の人でしょ
>>58
インド、エジプト、中国あたりをみりゃ
古きゃいいってもんでもないのが
よくわかるわな
途上国の糞民度だわ >>56
三輪など何度でも行っている
日本書記だと神武は大和への進軍途中、紀伊半島各地で祭壇を設けて神を祀っている
しかし崇神は同じ場所で継続して祀れるようにした 日本人はそろそろ大陸・半島由来の天皇を無条件にありがたがるのをやめるべきではなかろうか
神代の末裔ヤマトタケルが山の尾根の上から今当に初めて目の当たりにした奈良盆地を見晴らした際に稲穂の好く実った國であると賞賛したと書いて在るのに
それより後代の神武や崇神の代に稲作をブロックしてたとか背乗りインチキ解釈が歴史学会でも罷り通って居るから駄目なんだよな敗戦ジャップランドはw
>>67
渡来人が支配した国、百済、新羅。
倭人が支配した国、新羅『新羅本紀』
紀元前50年 倭人達が兵を率いて辺境を侵
紀元前20年
瓠公という倭人、瓠を腰につって海を渡って来たために瓠公と称した。
諸王に仕えた重臣で。金氏王統の始祖となる金閼智を発見する。
新羅の3王統の始祖の全てに関わり新羅を建国した倭人である。
初代新羅王の赫居世居西干の朴姓も同じ瓠で同一人物。
後に倭人の四代目新羅王、脱解尼師今が新羅に着いた時に瓠公の家を継いだ。
この瓠公の屋敷が歴代新羅王の王城である月城。
新羅の王族3姓(朴・昔・金)のうちの昔氏始祖。
朴氏初代の朴赫居世朴氏=瓠公は倭人であり。
金氏始祖の金閼智(第13代味鄒尼師今の7世祖)説話では、
鶏の鳴き声を聞いたので瓠公が調べると、金色の小箱なかから小さな男の子が現れた。
金の小箱に入っていたので「金」を姓とした。
新羅の王族3姓(朴・昔・金)の起源は倭人であり倭人が支配した。 卑弥呼の頃が土人みたいな国って思うのは間違い
普通に魏の使者が来て持て成して対応してる。
魏の使者も民度の高い国だって言ってる。
もうその時代からそれなりの文明国だったと思ってよい
「わかってきた。」
その時々で、都合の良い学説を採用するのが為政者。w
歴史好きな奴って、ファンタジーまじめに語るからなあ
文字使ってなかった時代の、天皇とも呼ばれていなかった祖先のお話だからな。
お話として、後から、相当創作してるよなぁ
纏向・・・・・JR桜井線よりも、橿原・・・・・近鉄橿原線・南大阪線の方が交通の便が良いから。
天照大御神が男神だって話もあるよな。
でも天照大神って、
・マザコン弟が高天原でニートやってても庇う
・弟のDVにキレて仕事放棄、引きこもりになる
・やたらと新居(伊勢神宮)をどこにするか迷う
・やっと家を決めたら祝杯でも武装でもなく飯
全然男らしさがなくて、むしろ女子高生やOLみたい。
では、なぜ、橿原神宮付近には人間のくずが多いのだろう?
ローマの建国は紀元前650年、日本の建国と10年しかちがわない
偶然の一致とは思えない
2世紀後半から前方後円墳はあるんだろ
いちおう大和王権は弥生時代からあったんじゃないか
>>1
1260年に一度巡ってくる年って…
誰が書いた記事か知らんがどの干支も60年に一度巡って来るやん
ちなみに柴咲コウは辛酉年生まれ >>68
日本武尊が神武帝や崇神帝より先になってて草 >>73
先祖が存在するのは確実だが・・・
どっかの集落の酋長だろーな >>69
倭人の正体は朝鮮部族
つまり倭人=朝鮮人
(縄文部族はもれなく虐殺か亡命) 雑誌の占い特集で自分の西暦を足して60超えたら引く、という行為は60干支から来ている
カリカリしちゃだめだよ。
地の文で埋められた歴史ジャンルのラノベと思って楽しむのが関裕二を読むコツ。
>>68
ヤマトタケルは神武天皇のかなり後の時代の人物。 天皇家の系譜は神話世界とこの世界の皇族を結び付けているんだよよ
昔はシャーマンが力を持っていたからだよ
昔見た神話だと南九州の海人族が黒潮を使い日本列島を
拠点を作りながら北上して大和の出雲族と戦って勝ったという話だった
海人は半島起源。天皇は朝鮮人。
と朝鮮人がまたわけが分からんこと言って騒ぎ出すぞ。
>>68
同じようなこと言ってる人がいたけど、朝鮮ではそうなってるの?
すごいなタケルさん。 「関」姓
現三重県である伊勢国鈴鹿郡関が起源(ルーツ)である、桓武天皇の子孫で平の姓を賜った家系である平氏(桓武平氏)。
>桓武平氏(笑)
キムチ大好きな今上天皇と同じですなw
朝鮮アゲアゲw
>>1
>>88
天皇も 倭人も 朝鮮人
縄文部族はもれなく虐殺か亡命 誰がこんな乱暴な断定を重ねたのかと思ったら書いたの関裕二か…;
確かその筋ではちょっとトンデモな説を言うので有名なんだっけ?
古事記が稗田阿礼の口誦するところから作成され、彼の口誦は謡いであるから
ひつぜん叙事詩であり、時間的なものを正確に伝承したものとはいいがたい。
これはむろん彼の能力の問題ではなく、彼が誦習した時点でそうであったとみるべきで
彼が展開した叙事はギリシャの神話や英雄譚がそうであるように、すべてを事実と
読む必要はないし読むべきでもない。たた三韓征伐のような史実は明晰に口誦されて
おり、おそらく他の散逸した資料や証言と校合したうえで史実とみとめて日本書紀に
載録されるようになったものもある、という関係だろう。いずれにせよ神武がいたというのは
アキレウスが実在したというようなもので、政治的には意味があっても史学の対象として
そこまで真剣に問い詰めるほどの議題ではあるまい。
>>72
アニマルのお前が現実だと認識している小説こそ小市民が抱くファンタジーであり
歴史家の語る大局である大説こそ、現実なんだよ
愚昧な民は常に倒錯している 読みづらい文章だけど、こういう与太話は嫌いじゃない
正月あけるまでなら読んだかもしれない
まぁ、宇宙人や霊を信じない科学者じゃ
解けないだろうね
天皇族はこの世界だけじゃなくシャーマンの世界も親交が深いんだよ
だから神社を全国に建てたんだよ
世界中の王族もそうなんだよ
正当性を得るために神様に近づきたかったんだよ
神話=日本国内限定と言うのは無理がある
古代の日本人は大陸のいろんな場所から流れたきたのだから
それぞれ大陸からの記憶を伝えている可能性は十分ある
ギリシャ神話と日本神話だけみても類似点が多い
神武天皇=アレキサンダー大王であってもなんら問題ない
巻向と橿原なんてひ弱な現代人でも歩いていける距離じゃねえか。
上代の天皇の多くは代替わりごとに実家(先代の皇居)から数キロ離れた近所に新居を建てて「〇〇の宮」とか名前付けて住むのが普通だったんだから、謎もくそもないと思うが。
>>101
動物が何勉強しても無駄だね
そうやって英語で威嚇の唸り声を上げるだけだしなw
みっともない 107名無しさん@1周年2018/01/04(木) 16:39:19.49
なんで1月1日が新年になったの?
太陽の動きとも関係ないし
>>105
渡来系であるからこそ、「正体不明」にする必要があったんでしょうなw 宮ってのは便所のことだろう、糞の処理に困って、あちこち移したに違いない
日本古代史は古事記と日本書紀だけ読めばokな世界だから書店にはオレ流解釈本で溢れかえってる
>>105
日本人自体ルーツが不明だから仕方がない。
ただ、元々は大陸にいて辺境に追いやられたのではないかと思う。
遺伝的にチベットやブリャートと似ているとされるのはそれが理由かと。 ちょっと情緒的すぎるけど、読み物としておもしろい。
橿原の地で縄文人が見えない呪いを退けようと土偶を用いて呪術をするところとか眼に浮かぶようだね。
神武天皇=アレキサンダー大王説おもしろいね。むしろヤマトタケルのほうがふさわしいかも
>>47
もしそうなら敵対するはずだな
しかし、米国と日本は友好国
人種が違う、文化が違う、宗教が違う、まったく違うもの同士
しかも、世界大戦を戦った相手
それがなぜ、友好国となったのだろうか?
それは、米国人が誠実とか正直ということをものすごく評価し、重要だと思うから
だと思う
そして、日本人もそうだから
でなければ友好国とはなりえない 欧米人は論理=ロゴスを重んじる
英語勉強してもなにがどうしてそうなのか
なぜ歴史より、なぜどうして英語がよいのか
論理を構築しなければお前は言葉はわかるけど
何言ってるかわからないと言われるだけw
論理こそ社会性であり人間性、英語習っても理解されない動物の敵意の威嚇の雄たけびw
>>1
当初は普通に山陽〜近畿を統治する国として大和政権が誕生したが、
後に中国に認知されていた邪馬台国を取り込みたいと考えて、
何となく九州発祥のような逸話を作ったり、
何となく卑弥呼っぽい天皇を作ったり、
遣隋使に「古の邪馬台国は今は大和国です」と言わせたりした、
と考えれば全ての辻褄が合う。 >>118
友好国ではない
全体主義=1億動物の危険な国として監視し管理されているだけだ 土偶ってそういうものなの?
今の公園にあるような芸術的な物体だったりするんじゃないの?
>>115
大陸や半島から逃げ出してきた人間と、元々いたアイヌらとの混血でしょ日本人は
これは別に日本人を卑下してるわけでもなんでもなく、極めて客観的に見ての感想な >>1 「辛酉」は1260年に1回めぐってくる特別な年で・・・
フーンw >>82
嘘を信じ込んでるようだけど
DNA検査で朝鮮人と日本人には明らかな違いが判明している 渡来人の支配
三国史記 新羅本紀
倭国と好誼を通じ、奈勿王の子未斯欣を人質とした。
均貞に大阿滄を授け、仮に王子として倭国に人質として送ろうとした。
>>120
なにがどう朝鮮人なのか?説明責任が全くない
そうやって声だけでかく
相手に嫌がらして黙らせれば勝ちという
声闘(ソント)こそ野蛮な半島の動物的な習俗だなw
人間とは論理を競う社会性のある生き物の事。勘違いするなアニマル >>16
古代宇宙飛行士説信者から言わせると初期ね天皇は古代の宇宙人だから 安彦良和の神武
あまり覚えてないけどナムジのほうが面白かった
海人の入れ墨がサメ避けだったとは初めて知った!
毒々しい縞柄にして毒ヘビ的な模様作ってたんだな\(^o^)/
九州倭国連合 →→→→ 東 遷 →→→→ 近畿大倭連合 →→→ ヤマト王権
日本は全体主義=つまり論理がない空っぽの1億虚無主義の国
それが近代科学を使って猿の惑星たる戦前の日本をつくり
人間である欧米にケンカをうった
だから世界中から危険視されている。自覚しろ
>>10どこの本屋や、図書館に行ってもね。古代は大学の学者先生と一般人の妄想?空想の本がいっしょに並んでいるよね。 昭和13年(1938年)から挙行された紀元2600年記念事業に伴い、末永雅雄の指揮による神宮外苑の発掘調査が行われ、
その地下から縄文時代後期〜晩期の大集落跡と橿の巨木が立ち木のまま16平方メートルにも根を広げて埋まっていたのを発見した。
鹿沼景揚(東京学芸大学名誉教授)が記したところによると、これを全部アメリカのミシガン大学に持ち込み、炭素14による年代測定をすると、
当時から2600年前のものであり、その前後の誤差は±200年ということであった。
このことから記紀の神武伝承にはなんらかの史実の反映があるとする説もある。
>>122
ものごとはまっすぐに見なければ真実は見えないよ
国民一人一人の感情があって初めて国家間の関係が生まれる
米国人に聞いてみたらいい 重要なのは「血統」よりも「思考回路」でしょ
せっかく腐れ儒教の国から逃れて近代思想の元に建国された日本に生まれ育ったのに、
なぜがいまだに大陸・半島方面に異常に執着する「元天皇本家方面」には辟易するわw
>>124
いや、中原にいた民族が追いやられたのではないかと。
見事に辺境に散ってるから。
朝鮮半島は通り道になったかもしれないけど、
朝鮮人と同祖かどうかは微妙。
天皇陛下は126代続いているので全部覚えるのは大変。
以下を覚えてあれば問題ありません
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●実力派天皇一覧
・015代応神天皇 朝鮮半島全域及び満州南部を制圧(391年)。いわゆる"八幡様"。
源頼朝は鶴岡八幡宮を建てるほど尊敬し豊臣秀吉も自らを「新八幡」と
呼ばせようとした。歴代武将の尊敬の的。
・016代仁徳天皇 ピラミッドより大きい世界最大の墓に埋葬されている。延べ680万人の動員が必要。
・021代雄略天皇 百済を復興させて高句麗に対抗させる(476年)
万葉集最初の句でも有名
・033代推古天皇 「天皇(天の皇帝)」を始めて大々的に使い隋の皇帝を
「日没する所の皇帝」と小馬鹿にする。聖徳太子を使って
憲法(604年)等設定
・034代舒明天皇 高句麗百済等の属国に朝貢させる。
・122代明治天皇 日清戦争、日露戦争に勝ち国運を上げる
日本人は人間の条件を知らない
それは論理を構築しそれを競う
思考する力の事
近代とは弁証法により、思考する人間のなるという事
所詮、日本人は中世の無思考で感情的な田吾作 南無阿弥陀仏集団w
ほんとカルト全体主義はやべえよw近代化は無理w
渡来人の支配
三国史記 百済本紀
(阿宰)王は、倭国と好誼を結び、太子の腆支を人質とした。
太子であった扶余豊は、かつて倭国に人質となっていた。
>>135
お前は馬鹿だろ
国家に理論なんかあるわけねぇだろ
国家には国益の最大化があるだけだ
アメリカや中国に理論があるのかよ
あったとしても馬鹿を騙すための屁理屈だよ 誰が書いたバカ記事なの?
最近は文章を生業にする人にも低脳が増えたよね
>>135
こういうの事を知らないんだろうな
日本は、もしアメリカが東亜における新秩序を認めさえるれば、東亜における
アメリカの権益をできるだけ尊重し、かつアメリカのいわゆる門戸解放主義も、
この新秩序と両立し得る範囲内においては十分にこれを許容する意図をもっていた
のであります。
ところがアメリカは東亜新秩序建設を目的とする我が国の軍事行動をもって、
あくまでも九ヵ国条約・不戦条約に違反する侵略行為とし、
頑としてその見解を改めざるのみならず、東亜新秩序はやがて世界新秩序を
意味するがゆえに、このような秩序
---アングル・サクソン世界征服を覆すに至るべき秩序の実現を、その根底において
拒否するのであります。
しかもこれは決して現大統領の新しき政策にあらず、実にアメリカ伝統の政策であります。
すなわちシュワードによって首唱され、マハンによって理論根拠を与えられ、
大ルーズヴェルトによって実行に移された米国東亜侵略の必然の進行であります。
この伝統政策あるがゆえに、日本両国の衝突は遂に避くべからざるものであり、
今や来るべき日が遂に来たのであります。
大川周明『米英東亜侵略史』(昭和16年12月14日)
東条英機の遺書
現在の日本を事実上統治する米国人に一言する。
どうか日本人の米国に対する心持を離れざるように願いたい。
また、日本人が赤化しないように頼む。
米国の指導者は大きな失敗を犯した。
日本という赤化の防壁を破壊した。
いまや満州は赤化の根拠地である。
朝鮮を二分したことは東亜の禍根である。
米英はこれを救済する責任を負っている。
戦前、日本は治安維持法で共産主義者を排除した
戦後、アメリカはレッドパージで共産主義を排除した
戦後のアメリカは日本の政策をコピーしただけなのがわかる >>140
何処へ行こうが人間の条件はかわらん
自ら思考する事
なぜ米国人が言うから正しいのか?
説明責任がない
お前の様に他者が言うからの全体主義者は人間=近代人ではない ピラミッドより大きい世界最大の墓
とか誇ってるとしたら恥ずかしい
技術的に比べ物にならない
>>1
神武は単なる天智天皇のご先祖さんだよ、
神武さんは あの辺りの酋長さん程度だったと思うよ、
子孫が代々 運と実力で奈良盆地の有力者になった時に歴史書を書こうと思いついた、
天智天皇が聞いた先祖の逸話を纏めたのが神武東征伝、
おそらくご近所さんの昔話も混線してるんだろうけどな、 >>15
各国の自然と教訓から生まれたフォークロアの数々のほうが
個人が砂漠で神を見た一連の熱中症よりはマシだわ >>142
朝鮮系は天皇そのものというより、天皇家に妃を送り出すことで
権力の中枢に居座り続けたんだろうと思うね、
藤原氏らのお公家さん達とか、社家の吉田家とかね そんな深慮遠謀なんてないだろ
行き当たりばったりで亀の甲羅炙ってひび割れの占いでもやったんだろ
>>148
>国家に理論なんかあるわけねぇだろ
なぜどうして論理がないのか?
全く後の文章とのい論理性がない
国益の最大化の為に本能でやるなら高度な学術など必要ない
開き直った論理破綻の動物の雄たけびの威嚇が
みっともない限りだねw
お前の敵意が透けて見えるwそれは対話ではないw動物の鳴き声w哀れだね
ヒトモドキってやつはw 渡来人の支配
朝鮮半島は倭国の一部で百済王を日本の天皇が決めていた。
証拠は、『日本書紀』雄略天皇の記録に
廿三年夏四月、百済文斤王薨。天王(天皇)、
479年夏四月,百済の文斤王がなくなり,雄略天皇(倭王武)は、
以昆支王五子中、第二末多王、幼年聡明、勅喚内裏。
百済王族の昆支王の五人の子の中で,二番目の末多王が,幼くとも聡明なので,内裏へ呼んだ。
親撫頭面、誡勅慇懃、使王其国。仍賜兵器、
親しく頭を撫で,ねんごろに戒しめて,その国の王とし,武器を与え,
并遣筑紫国軍士五百人、衛送於国。是為東城王。
筑紫国の兵五百人を遣わして百済に送り届けた。これが東城王である。
>>151
151は検証ということを覚えた方がいい
自分で考えたことを本当に正しいか自分の眼と耳と口で確かめること
でないと進歩はないよ 神武天皇て
キリスト教でいう神みたいな
オカルト
金正日一族のルーツみたいなもん
>>118
日本が服属してるだけだろ
アメリカの寛容に甘えてるだけで
俺らは服属してるだけ >>149
1文字○円の世界だからしゃーないんちゃうの?
それに日本のトップジャーナリストの一人の鳥越さん見てみ・・・
程度が知れてるわなあ。 神武と邪馬台国は関係ないかもしれないし大国主関係の遺跡かもしれないぞ
もっと別の国の後かもしれない
論理によって社会が構築されると言うのは
2500年前からの基本であるのに
そこに動物の威嚇を加える
まさにヒトモドキの真骨頂w
はなから目的が対話ではなく、威嚇の嫌がらせだとまるわかりw
論理=社会性なしw これが日本人=中世の田吾作土人
高句麗が紀元前に遡るのは確実らしいんで、
それに対抗して紀元前600年に神武天皇がいたことにしたんだろうな。
ま、そりゃ天皇にだって誰か先祖がいたことには変わりないだろうけど。。
神話なのか史実なのかよく分からない
遺跡と古墳から物理的に研究しないと駄目だな
>>161
>>151は検証ということを覚えた方がいい
なぜどうして検証しなければならないのか?
君こそ近代の基本である弁証法でまず己の無知を問えよw ヤマトって倭の首都みたいな意味じゃないのか
時代ごとに「ヤマト」の場所は変わっているはず
関裕二っぽい文章だなと思ったら、著者を見てやっぱりか
天皇陵発掘しまくって赤外線当てまくったら
ルーツも判明するんじゃないの?
>>159
アメリカが何やって来たか知ってるだろ
あれに学術や理論があるのか
お金持ちがハッピーになれたらそれでいい
こんな糞みたいな思想で世界は動いてるんだよ
理論で世界が動くのならとっくに世界は平和を実現してるよ 他にも神武天皇=天武天皇だの
応神天皇=仁徳天皇だの
ヤマトタケル=武内宿禰だの
歴史学者()は○○と××を同一人物にすんのがほんと好きやな
>>167
全然違う辛酉の年に即位したとしか日本書記載ってない
そっから即位年と西暦対応させたのは後代の学者 遺跡から物理的に判断すると崇神天皇の時代の前の時代の古墳だって纏向に現実にあるわけだ。
血が繋がってるかどうかはわからんにしても。
まあ、日本人にお似合いなのは中国や北朝鮮のシステム
一般民衆に欧米水準で人権を保障するのは無理w
古代ギリシャのように遅かれ早かれ民主制の末、自滅するよ
というか世界に類を見ない速度で衰退してその研究対象にまでされる始末w
>>175
赤外線を当ててもちょっとあったかくなるだけじゃね? >>177
武内宿禰は複数の人物の総称説あるぞ
異常な長寿がその証拠 >>176
>あれに学術や理論があるのか
なぜどうして学術や論理がないのかの説明責任が果たされてない
めんどくさいから、あれこれ言うお前の目的を言え
言えない様なクズな目的なんだろうw動物同等のwwww所詮猿wむりするなw 大和朝廷は、卑弥呼の後の時代だから 2600年前は嘘
魏志倭人伝に記録された西暦200年の卑弥呼の後だから、
実質的に大和朝廷ができたのは西暦420年と見るのが正しい。
1600年前が真実
>>177
>歴史学者()は○○と××を同一人物にすんのがほんと好きやな
同意。
聖書の場合は敵陣営の碑文とか出ているから修正してる。
聖書みたいに碑文とか出てこないのに勝手に歴史を捏造するべきではない。
皇室は縄文時代から始まったとするのが正しい。
メシャ碑文
http://www.tmba-museum.jp/spotlights/01_mesha/
メシャ碑文 - Wikipedia
紀元前9世紀のモアブのメシャ王によって作成され、1868年に発見された。
34行から成るこの碑文は、フェニキア文字で記述されたものとしては、古代イスラエルから回収されたもののうち最大のものである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A3%E7%A2%91%E6%96%87
エレミヤ48章・モアブに関する預言は成就する: 聖書の描く地球の今と将来
「そして,モアブは必ず滅ぼし尽くされ,民ではなくなる。それはエホバに向かって大いに高ぶったからである。」(エレミヤ48:42)
http://littleyohane.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/48-a025.html
イザヤ書36章1〜22節 「敵の攻撃を受ける時」 – 大田原キリスト教会
「ヒゼキヤ王の第十四年」というのは、歴史的には前701年のことです。
アッシリヤの王セナケリブは、ユダのすべての城壁のある町々を攻めて、これを取りました。
具体的には、この時セナケリブが取った町々は46にのぼったことが、
セナケリブが残した文献(「ティーラ・プリズム」大英博物館に貯蔵)に記されてあります。
http://otawara-church.com/?p=435
シロアム碑文 - 聖書研究wiki@trinity_kristo - アットウィキ
泉には当時の碑文も残されており、これが古代アラム語の解読に貢献した「シロアム碑文」である。
聖書の以下の部分を証明してると考えられている。
ヒゼキヤの治世において特筆すべきなのは、地下水路の開発である。
ユダ王国は四方を山に囲まれており、防御は非常に堅かったが、兵糧攻めや断水といった手段をとられると弱かった。
このため、ヒゼキヤは広大な地下水路を開削させ、恒常的な飲料水の確保に成功する。
この水路は現在も残っており、「ヒゼキヤの泉」と呼ばれる。泉には当時の碑文も残されており、これが古代アラム語の解読に貢献した「シロアム碑文」である。
聖書の以下の部分を証明してると考えられている。
列王記下20:20
ヒゼキヤの他の事績、彼の功績のすべて、貯水池と水道を造って都に水を引いたことは、『ユダの王の歴代誌』に記されている。
メルエンプタハ碑文 - 聖書研究wiki@trinity_kristo - アットウィキ
歴史上初めてイスラエルの名前が記録された石碑である。イスラエル碑とも呼ばれる。
ラメセスの息子メルエンプタハ(在位1213-1203)はシリア・パレスティナに遠征を行ったが、
この遠征(前1207年頃)を記念した石碑(カイロ博物館蔵)がメルエンプタハ碑文である。
この中の、征服したとされる地名リストの中に、「イスラエル」の名が見られる。 全く論理性の欠如した文章で
開き直って本能のまま無思考で感情を叩きつけるw
目的は動物の様なら大声を出しての威嚇の嫌がらせ
土人www 人間と言うのは思考して相手の納得できる論理を言葉で紡ぐ社会的生物だ
人間の尊厳たる思考がないのはやはり猿www
>>184
---アングル・サクソン世界征服を覆すに至るべき秩序の実現を、その根底において
拒否するのであります。
しかもこれは決して現大統領の新しき政策にあらず、実にアメリカ伝統の政策であります。
すなわちシュワードによって首唱され、マハンによって理論根拠を与えられ、
大ルーズヴェルトによって実行に移された米国東亜侵略の必然の進行であります。
この伝統政策あるがゆえに、日本両国の衝突は遂に避くべからざるものであり、
今や来るべき日が遂に来たのであります。
大川周明『米英東亜侵略史』(昭和16年12月14日)
アメリカの国策はこれだよ
今も変わってない
白人やユダヤ人の根っこくらい勉強しろ 天皇陵を発掘しろと言ってるのは万世一系を否定したい反天皇制の連中だろ
>>170
その『弁証法』でみんなを納得させる話をしてご覧なさいよ。
出来ないんならそれ欠陥品?
それともお前さんの脳ミソ不足? >>185
なぜどうしてアナーキストなのか
論理がないあたま空っぽのニヒリストほどのアナーキズムはないな
ニヒリズムは究極のアナーキズムとも言える 天皇陵を発掘したところで鏡とか勾玉しか出ないでしょうに。
>>191
俺は反天連でも朝鮮人でもないが、万世一系はありえんと思っているぞ >>167
高句麗を作ったのは隋の箕子の子孫だろ。
あと、当時の高句麗は朝鮮半島北部と満州の南部一体を支配していたから中華の東部の統一国家
朝鮮人は、その当時から奴隷民族 >>192
動物を納得させられる論理はない
そもそも動物にとって気持ちい良い事が善であり
悪い事は悪であるから
優れた論理を善とする
論理を競う人間とは納得する軸が違うからwww >>163
戦後起こった映画とかドラマをはるかに超えた奇跡を知らないんだろうな
三菱三井住友明治などの財閥にお金を吸い上げられて今をはるかに超える
貧困に日本国民はあえいでいたのを財閥解体、農地解放で国民生活を
どん底から救ってくれた
米国が来て国民生活は格段によくなった
そして国民はとても感謝した
そうでなかったら、敵対関係は続いていた >>193
ならお前の「論理」とやらを聞かせてもらおうじゃないかw >>191
既に本当の天皇陵発掘した例が・・・
文献オンリーガバガバの認定作業にせいだが 論理そのもの不快に思う感情的バカたるアニマルを
論理で納得させられるならカバが大学に通うだろうwwwww
日本人www
そもそも神武が宮を置いた橿原と今の橿原と一致してるん?
>>199
逃げてやんのw
お前さん、『俺の主張を皆が分かってくれないのは、皆がバカだからだー!!』って
喚いてるガキと同じやなあ。いい年こいてみっともないw >>197
朝鮮人の誇る百済も、その支配層は主に漢人と倭人だったそうな 出自も怪しい継体天皇陵からだって何も出てきてないわけでね。
他も知れたもんのような。
ただ、箸墓は発掘して欲しいのは事実だが。
>>195
それらを整理したら本当のことがある程度わかるんじゃねえの >>202
なぜどうして聞かせなければならいのか
動物にw
そしてお前は聞いて語れるだけの教養があるのかwww
まずお前にはそれはききやしない、無知ではないのかという
当然の思考がないのではないかwww動物と同じでwwww
高句麗は中国の地方の豪族
新羅は国というより、10近くの分裂した部族の集合体だったので、国と呼べるものではなかった。
百済は日本が鉄を得るための植民地
朝鮮族の国なんて、そもそも古代には存在しない 神武は架空の天皇だろ。
大和朝廷の初代天皇として君臨したのは崇神だろ。
>>201
ようは、大日本帝国からの解放者だから
市民がアメリカに親しみを持つのは理解できる 中途半端な知ったか振り共が罵り合うザ・冬休みスレだな
>>195
いや、物騒な爆弾とかが出てきそうな気がするぞw
終戦直後にGHQが調査に入ったのもおそらくそういう理由だろう 纏向は縄文時代の終わりに大規模な土石流災害があり
弥生時代を通じてほとんど人間が住める土地ではなかったからな
紀元前660年には纏向にはなにもなく
葛城や橿原のあたりの方が先に開けていただろう
>>207
なぜどうして逃げなのか
そして逃げたとしてそれがなせ悪いのか
まるで論理がない、バカの開き直りの感情の押し付けwwww
行為そのものに善悪はない
説明できれば人だって殺していいそれが法の世だ 天皇に侵略、蹂躙された人々の子孫が大半なんだから未だに天皇を敬う理由も無いだろ
初期のころの天皇は豪族が天皇の座を奪い合って殺戮とか繰り返されたと思うよ。
万世一系なんていうのは明治時代に作り上げられたデマだと思う。
>>213
それだけエラソーに他人をけなすのなら、さぞかしご立派な持論があるんだろ?w
さぁ、聞いてやるから言えよw >>223
山口組みたいな感じだったろうね。
それでも古いことに変わりないから。
昔はともかく万世一系を強調する人は今やあまりいないでしょう。 >>221
自分が追い込まれるとひたすら逃げるだけw
お前、朝鮮人だろw >>224
おいおい
お前は人間ではない、だから他人ではない
だから、なぜどうして語らねばんらないのか
何故私に義務があるのかw思考して言えよ
それが人間の尊厳と言う物だ猿w勘違いするなwお前は猿だw 橿原宮→宇陀市への谷(約23.4°)直線上15km
大分県→中央構造線の谷→奈良盆地南端→伊勢神宮→鎌倉(約23.4°)直線上800km
どっちも日出は、春分の日の一月後と、秋分の日の一月前。
これで答えは出てるやろ
三輪山、橿原宮やら纏向やらは全部、九州・卑弥呼のミニチュア都市やねん
ラノベ作家が実地調査してネットで報告上げてるわ
>>227
追いつめられるとひたすら「猿」連呼は朝鮮人の証w >>221
急に良い悪いの話を始めてどしたん?
『悪い』つったんじゃなくて、『みっともない』って言ったんだけどw
お前さん、あんまオツム良くないんやなあ・・・ >>226
なぜ、どうして追い込まれているのか?
全く説明責任がないw動物の威嚇行為w
朝鮮人という指摘が野蛮という意ならば
大声上げて開き直って感情を叩きつけるだけの嫌がらせを重ねるお前程
動物的な野蛮はないだろう
嫌がらせ世界選手権やりたいなら動物園の檻の中が一番いいぞ
ぎゃぎゃあ感情的に喚くだけのwお前の同類がたくさんいるw 公安委員会
公安委員会の本当の実態とは?
&t=1s >>215
10代目崇神天皇は、紀元前97年だからちょっと怪しい
卑弥呼の後だろ・・・・大和朝廷は
墓のある16代仁徳天皇陵が西暦313年
卑弥呼が西暦200年
だから、200−313年の間のどれかだろ 仮に純粋な万世一系が幻想であっても初期の頃の豪族同士は姻戚関係などで繋がったかなり近い親戚みたいなもんでしょう。
>>234
>大声上げて開き直って感情を叩きつけるだけの嫌がらせ
ひたすら「猿」連呼のお前の自己紹介だな >>234
このスレで一番頭悪そうなお前さんが何で一番連投してんのさ?
寂しくて誰かにかまってほしいんかあ? 第50代桓武天皇の母上は百済の人、桓武は最澄や空海を庇護したし
妃27人のうち渡来系6人だし五世孫に平将門がいる。
でも百済の末期の武寧王は日本出身かもしれないし複雑やね。
>>225
昔は野蛮人ばかりだったろうから豪族なんて暴力団みたいな連中だったんだろうね。
そういう連中が天皇の座をかけて凄まじい殺し合いをしたと思う。 >>237
そんなこと言ったら、お前の先祖も天皇家と同じぐらい古いよ・・・・(´・ω・`) 1000万年前もお前の先祖が存在したから今のお前があるんだぜ >>223
偉そうに余裕こいうているがあたまプッチン切れてるのが丸見えwww
冷静な尊厳ある人間と言うのは論理を競う者
お前の様に大声上げて嫌がらせし相手を黙らせる意図が丸見えの時点で
バナナをとられた猿の様の様に威嚇しているのははるわかりww
動物www >『日本書紀』の話は、明らかな作り話だ。
「作り話だ。」というのが作り話だろ?
そりゃ編纂当時の記録や検証技術では1380年も前のことを記述するには
不正確な部分も多々あっただろうけれども
>>1
神武の正体は檀君だよ
そもそも高天原は朝鮮半島のことだし
神武東征神話は古代韓民族が日本列島を討伐して支配権を得る物語を神話化したもの
古来から、日本の支配者層は韓民族で、被支配層は原始人同然に暮らしてた倭族の末裔
結局のところ、日本文明は韓国文明の亜流で、日本文化は韓国文化の下位文化でしかない
本来なら日本は韓国の属国であるべき国でしかない >>243
今の天皇や平家の連中の行動を見てる限り、連中は日本の国益を害してるとしか言いようがない >>131
月は宇宙船で中身が空洞でかぐや姫の一派が潜んでいるとかいないとか 作り話は作り話だろう。
現に日本書紀に記された場所にあるという神武天皇陵は明治時代のでっち上げだし、その地域に弥生時代の遺跡もないんだからねw
>>2
なぜ縄文人は稲作文化を拒み、跳ね返そうとしたんだ?
しかも、箱根八里でさえ揚々越えられないってのに
東の縄文人が橿原なんつー西の土地に防御線を張れるわけもなかろう。 邪馬台国は畿内にあったとは思うけど
中国に行った使節は徳島県の豪族
新たにこういう説ができた
渡来人の支配
『日本書紀』武烈天皇の四年(502年)
是歳、百濟末多王無道、暴虐百姓。
是歳(ことし),百済の末多王,無道して,百姓に暴虐す。
國人遂除、而立嶋王。是爲武寧王。
国人,遂に除いて,嶋王を立つ。是(これ)を武寧王とす。
東城王(末多王)が暴虐によって廃位され,「武寧王」が即位する。
「武寧王」も佐賀県生れの日本人。
韓国にある武寧王陵の木棺を調べると,
日本にしか自生しない高野槇という最高級の木棺材で,
大和政権の豪族や王族だけにしか使用されなかった。
武寧王は,単なる朝鮮王ではなく,大和政権の豪族・王族=日本人として葬られた。
したがって朝鮮半島南部は日本領。
>>241
なにがどう猿なのか
説明責任がなされていない
警察は泥棒の人権を制限する
人間の私が人間の尊厳を捨てた猿のお前の人権など考慮する必要性は無い >>201,216
大日本帝国は寺からの解放者。
米国と親米保守はコミンテルンからの解放者。 考古学会は九州説に完全に平伏す事になるから、勝ち馬についとくのが一番やわ
>>216
もちろん、アメリカ人からの尊敬と親しみと理解
それがあったからこその関係なんだけど
それがわからなければ >>243
百済はね・・・大和朝廷が鉄を得るために大陸に作った植民地なわけよ。
桓武天皇の母上は、百済を支配していた天皇家の一族の娘であって、
朝鮮人は無関係だわw
エジプトのクレオパトラは、アフリカの黒人ではないという理由と同じw
クレオパトラ達の王族と、黒人である現地のエジプト人とは別民族だしw >>246
wの多さが必死さとムキになってる度合いを如実に示してますなぁ >>222
佐伯って天皇に従わなかった原住民のことらしいな
つまり全国の佐伯さんはご先祖様が大和朝廷に対するレジスタンスだったりするんだろうか? >>248
韓国文明? バーカ、恥ずかしいwww どこで嘘の歴史を洗脳されたんだ?
本当、アホだなwww 歯抜け卑弥呼は畿内にいたのか九州にいたのか(~_~;)
>>255
他人のレスにケチつけるだけしか能がないただのアンポンタン朝鮮人
ただの構ってちゃんみたいだから憐みのレスやるよ
ただしこれが最後な >>248
檀君神話は、100年ぐらい前に朝鮮人が作った神話だろw
高句麗は、ずっと中国隋の王族の子孫が作った国であって、
現地の朝鮮族はずっと奴隷階級だっただろw >>1
できの悪いなろう小説の設定かよ
転生とかハーレムとかギャグ入れないと誰も読まんぞ 絶対に答えが確定しない物事について研究するのって、
社会のリソース食い潰すだけなので公的資金の投入されない個人的な研究やあるいはスポンサー付きの研究で行って欲しい。
その公的なリソースは、実際の役に立つような人類と社会の持続に必要な事柄に投入して欲しいね。
>>221
なぜどうしお頭が悪いのか説明責任が果たされていない
そもそも説明とはそれは善であるか悪であるか
他者と衝突した場合に語るものである
故に威嚇する為の猿には無縁の物だなww自白したなww猿www 御託宣である!
平将門命の生まれ変わりのあちきが世界の創造主なのである!
頭がタケェ控えおろう!!!( Д ) ゚ ゚
>>261
違う
蝦夷の捕虜を連れてきて佐伯氏に預けたんだよ
預けられた蝦夷の捕虜が佐伯部と呼ばれた集団
だから佐伯という人は佐伯氏と佐伯部の二種類いる そもそもムー大陸文明の子孫である我々日本人にとっては、歴史認識がちょっとアレなんですよ
地球の半分の所有権はムー大陸文明の正統な子孫である我々日本人のもので、歴史的にも約2万5千年のアレらしいってこと
どこかの国の半万年とか四千年の歴史なんてちゃんちゃらおかしい
>>268
だから文科省が文系は私立でやれとか言っている。
国が貧しくなったらそういう発想になる。 >>261
佐伯氏も単に大和族より前に渡来した渡来人ってだけだと思うがな
厳島神社の舞楽見たことない?
まんま中国風だから >ヤマト建国前後の人の流れは、これまでの常識とは逆に「東から西」で
信用度皆無のネタか、天皇家の祖先は宇宙人だった!と同レベルだな
>>264
>他人のレスにケチつけるだけしか能がないた
何処がどうケチをつけるだけなのか?
事実確認も説明責任がなされてない
他者にケチをつける前にまずお前の言動の説明責任を果たせよ
自らの最低限の義務も果たさず、他者に要求するw猿ww
事実確認ができないのなら社会人として終わっているw
まあ猿だしw 日本書紀や古事記は物語だからね。
天皇を研究する材料にはならないんじゃないの?
たとえば日本の昭和の風俗を語るのにドラえもんの漫画の中の出来事を引用するようなものだし。
高天原は日向高千穂の美しい自然が反映された天上世界でしょ
黄泉の国が朝鮮ってなら分かるけど
当時の朝鮮に息を呑むほど美しい自然があったとは思えない
>>273
貧しくなっても贅沢している家族は確実に破綻するでしょ。
貧しくならないように必要な事に対してリソースを投入しないとみんな死んじゃうもん。
絶対に答えが出ないと確定している神武天皇の研究は、儲かったときにやるべき。
やるなとは言わない。やるならスポンサー付けてやってくれ。
あるいは儲かっているときにやってくれ。それなら誰も文句言わない。 でwwごちゃごちゃレスする目的を
聞いてるんだがww
まあ、無駄だな思考しないという事は人間の尊厳がないという事
そもそも目的が人間の尊厳を守る事に無い猿に目的を聞いても
俺の本能を満たして気持ちよくしろだものなw
猿ははようw猿を自覚しろよwww
果たしてその時代にちゃんとした暦があって元日という概念はあったのかはなはだ疑問
>>268
英雄たちの選択 巨大古墳の国際戦略
によると、最近結構研究が進んでいるらしい
>>278
日本書紀は大和朝廷が作った嘘の話
古事記は、日本各地の民話を集めた書物
古事記の方が隠された記録があって面白い。 「神武天皇」は「呉」の亡命王族?
日本の古代史に関する在野の研究家の著作には大胆かつロマンに満ち溢れたものが多い。
その一人は医学者の竹田昌暉で、著作「300年間解かれなかった日本書記の謎」(徳間書店 2004年)においてユニークな説を展開している。以下、その概略を紹介する。
各地で出土して今や4百個を数える三角縁神獣鏡。その一部が『魏志倭人伝』に記述されている魏の皇帝が卑弥呼に下賜した銅鏡百枚であるとする説がある。
しかしながら、その鏡は中国ではまったく出土していないこと、中国で既に改元された年号や実在しない年号の銘が入ったものもあることなどの理由から、倭国製であるという説もある。
なかでも、中国の考古学者・王仲殊は1981年に「これは三世紀に呉の国で流行した2種類の呉鏡の図柄を合成したもので、倭国で作られたものである」という説を発表した。
また、呉の年号が入った鏡(画紋帯神獣鏡)も発見された。いうまでもなく、呉は三国時代に魏と敵対関係にあった国であり、「親魏倭王」という称号を得ている卑弥呼をいただく倭国は呉国と関係がなかったはずだから、つじつまが合わぬ話である。
その謎を解くために、竹田昌暉は『三国志』の一つである呉書を調べて、次の記述があることを発見した。
呉は西暦222年に建国され四代続いたが、孫皓の時に西晋によって滅ぼされた(280年)。その末期、呉軍が敗戦を重ね、首都建業(南京)が陥落寸前になったとき、呉の軍勢2万を乗せた大型軍船群が一夜にして消え去った。
竹田はこの記述を三角縁神獣鏡が倭国製である可能性が高いという説に重ね合わせ、次のような説をとなえる。
呉の大軍は黒潮に乗って、日本列島にやってきた。その軍勢は二つに分かれ、一つは河内に上陸して大和に侵入し、一つは日向に上陸した。
大和に定着した勢力はニギハヤヒ(物部氏の祖)一派であり、日向に上陸した勢力は記紀に天孫降臨として記されたニニギの一派である。
ニギハヤヒ系の呉軍は、自分たちが親魏である邪馬台国にいることを知って仰天し、倭人たちに自分たちは魏の残党(その時、すでに魏は滅亡していた)であると偽った。
そして、卑弥呼の時代の魏の年号を記した三角縁神獣鏡を製造し、服従した倭人の首長たちに魏鏡と偽って与えた。
魏軍詐称説の根拠は、『先代旧事本紀』の天神本紀にある記述にもある。それはニギハヤヒが天下る際「もし葦原の中つ国に敵がいて、神人を拒んで戦わんとするものあれば、方便をもって欺き誘って平定せよ」との神勅である。
さらに、初期の前方後円墳に墓誌がないことは、ニギハヤヒが世を去ったとき出自を記すことができず、それが墓誌を遺さない前例となったからであり、これも魏軍詐称説を裏付ける。
記紀が編纂された当時、中国では唐の時代になっており、ヤマト朝廷はその祖先が呉であることを知られたくなかったのではないか。そこで、出発地として高天原という架空の場所に設定したのであろう。
竹田は考古学的見地からの証拠もいくつか挙げており、自説の裏付けとしている。さらに竹田は神武天皇の諡号の出典にも言及している。
ヤマト朝廷の始祖であるホホデミは奈良時代末期に淡海三船によって神武という諡号を贈られている。その由来は、呉書にある「昔、大皇帝(孫権)が神武の才能を以て江南に割拠し、国家の礎を築いた」に違いない。
すなわち、奈良時代の大和朝廷にはその始祖・神武天皇が呉の出身である伝承があったのではないか。
>>278
ドラえもんの中にある建物のある場所を現実に掘ってみて本の通りの遺跡が出てきたら「本の中の事件は事実だったんだろうなあ」となるわけでしょう。
西欧も聖書の出来事を発掘で確かめて同じようなことをしている。 何で学者はこぞって神武天皇を否定するんだ?皇国史観は皇国史観で重要だろうに
キリスト教やイスラム教に経典の一字一句を信じる原理主義的な信者がいるように建前を大事にする空気があってもいいと思うが
てーせーこーじゃないが、
中国からの亡命はあったろうね
人間は考える葦である by パスカル
ロダンの彫刻はなぜ「考える人」なのかwww
思考を放棄して無思考な感情を本能のまま開き直ってぶつけるw
既に人間の尊厳を放棄している目的がない動物同等の存在の田吾作日本人w
それが1億田吾作日本人wこんなのに科学文明をもたせてはいけないのは
世界を亡ぼしかけた原発事故で明らかwww
>>283
おおざっぱな農耕歴はあったよ
それないと田起こしや収穫期が割り出せない
増産の上で必要だが精度は察しろ 神武以来の天才がひとこと
じんむいらいじゃなくてじんむこのかたって読むのよ
西暦200年前後・・・・卑弥呼が君臨
西暦300年前後・・・・仁徳天皇 墓はあるけど、まだよく判っていない
西暦500年前後・・・・確実に存在した大和朝廷。疑う余地なし
200-300年の空白期間に何があったのか、これがはっきりしないと日本の歴史が決まらないなw
>>288
神武天皇が実在したという客観的な証拠がないからに決まってるやん
原理主義者が国を動かすようになったら、その国はおしまいw >>262 >>265 >>266
こういう歴史修正主義者たちがいるから、
日本のヘイトスピーチ問題は深刻化してるんだよな
ネトウヨの知能の低さはもはや病気レベル
真実を知るのが怖いんだろうな なんで同一人物になるんだ?10代前の祖先は必ず存在する。
その行いが捏造だったとして、同一人物という表現は意味不明じゃないか?
そもそも仁徳天皇がいたかどうかもよくわからんし、あの墓が仁徳天皇陵である証拠は何もないからね。
もちろん、あれだけの古墳なんだから大王の墓であることは確実なんだけど。
>>294
指導者は無信仰者でも構わんけど庶民は原理主義者であるべきだよ >>296
中国も同じ認識だボケ
高句麗は中国の地方政権 >>298
天皇はもともと大陸からの渡来人だからそれは仕方ない 纏向と橿原神宮って
めっちゃ近所やん
ʕʘ‿ʘʔ彝ッとんねん
>>298
NHK の特集 「英雄たちの選択 巨大古墳の国際戦略 半島危機」 を見てこいw
百済は、日本の植民地ということは既に確定している 日本書紀には、神武は九州から東征してきたとある。
天孫降臨から神武東征あたりまでの日本書紀に出てくるエピソードは、
東南アジアなど、南方に広く分布するエピソードの影響が見られる。
ところが、考古学的には、九州から近畿への文化・民族の移動の形跡が見られない。
逆に、近畿の文化が九州に流入したような形跡が見られる。
この矛盾をどう考えるか。
>>288
だからそれは宗教家の仕事であって歴史学者の仕事じゃないから。
その上、その宗教も独特すぎる。 >>300
で、国を挙げて狂乱状態になってまた負け戦に突入か?w
やめてくれよw >>302
在チョン必死すぎw
もしくは、20年以上前の教科書でも習ったかw
最新の 「日本人のルーツ」 を読んでこいw >>305
弥生以前の遠い伝承で九州方面から先祖がきたという記憶があったのかも知れないし、
日本書紀を編纂した時点で「近畿から九州まで全部天皇のものだ」と主張したかったのかも知れない。 >「辛酉」は1260年に1回めぐってくる特別な年
こんな基礎的教養もない人が新潮で記事書いてるの?びっくりだな。
崇神って桃太郎の時代じゃなかったっけ?
もうすこし前から勢力固めてそうだけどな
全部の話がスライドしていくのか??
耳成山とか畝傍山なんて少し掘ればピラミッドが出てくるよ、エジプトのピラミッドよりも古いものだが、
日本にはピラミッドがいくつも存在しているのさ、
一万年前のものだから土に埋もれて山にしか見えないけどね
西暦300年頃の天皇は、大陸系の言葉を理解していなかったから、
わざわざ渡来人の通訳を雇って、国の外務を行ったと記録にあるのに、
未だ、天皇=渡来人 説を必死になって主張している在チョンってw
渡来人なら、わざわざ通訳なんて雇わんわw
>>305
南九州の土器が和歌山で発見されたりしてるよ
外国→北九州→ヤマトこうじゃなく
外国→南九州→紀州→ヤマト
こういうルート >>314
日系人も二世になると日本語全く理解できない人たちがいるけど。 西日本には出雲という巨大な国があったのに1980年代に遺跡が発掘されるまでは
歴史上ないものとされてたんだから恐ろしい国だよ
タイムスリップして、この時代に調査に行きたい。
一方通行でもいいから。
大きな石に起こった出来事を刻み込んでおく。
2600年が相当ダメな設定と、近年の研究で
どんどん出てきて、もう擁護できなくなった
そもそも文字が無い、一番古く書かれたものも
中国の言語で、1600年前程度が最古
今でもすごい調査が行われて、10代までは、ほぼ空想
でも、そうなると、もはやあの一族て、何者と言い始めてる
現実に、長くないだろな
>>286
だったらなぜ文字が渡来しなかったのかが謎になる
記紀だと応神朝に文字が渡来した事になっている
実際に記紀は応神朝の頃から急に内容が詳しくなるし、その数代前からもそれ以前より詳しくなる
文字による記録がとられた時期と、まだ記憶に新しい少し前の内容が詳しいのは納得できる 神話として残り、在ることが重要だから、
神武天皇が架空だろうと実在だろうとどっちでもいいんだけど、
この時代、一年を2歳勘定してたことが分かってんだよね
全くの作り話とするのはいかがなものか
渡来人の支配
・弥生人が長江流域からやってきた百越系民族であること
・半島南部の先住民が倭人(=弥生人=百越系民族)であること
・新羅の建国時の宰相が倭人であり、 王家の二つが倭人系統であること、 また始祖の朴赫居世についても倭人説があること
・百済、新羅が大和朝廷に対し従属的地位にあったこと
・大和朝廷による伽耶地域の支配 (半島南部における多数の前方後円墳の存在)
・半島における文化的独自性の欠落(あらゆる分野での古典の不在)
・常に某かの国の属国として歩んできた歴史
・姓が中国文化の影響を受け、みずから改名し、中国語氏名であること
・朝鮮征伐が日本と明との戦争であったこと (李朝の軍は明の将の指揮下に入り、和平交渉も日本と明の間で行われている)
・朝鮮通信使が実質的に朝貢使節であったこと(琉球の江戸上りと同じ)
>>305
そこだよねぇ
オオタタネコといえば出雲
先に奈良を支配していた出雲がヤマトに倒された
それで祟ったので、子孫に祀らせた・・・んじゃなかったっけ?
それが神武・・?もう少しエビデンスほしい・・ 橿原は明日香村と無理やりにでも合併しておけばよかったのに
>>298
仁徳という名前は奈良時代にあとから付けられたら名前だ
それ以前は大雀と呼ばれていた >>168
遺跡を見せてくれないから無理じゃん
自国の歴史でこれじゃ、まともな学問なんか無理 >>317
馬鹿すぎて、お茶噴いたわwww
日系人が日本語を理解できなくなるのは、日系人がその国の支配者ではないからだろw
支配者は、自分の国の言葉を、非支配者層に強制する。
パラオの老人が日本語を話せたり、台湾人の老人が日本語を話せるのと一緒w
天皇が、なんで日本の土着民族の言葉を勉強するんだよwww >>116
その下りが特に面白いよね
疫病はともかく、橿原という本州の中心的な位置で
弥生系の勢力を食い止めようとする縄文系という見方ができる 沖縄だと、稲の入った壺とかが海岸に流れてくる。
あれ、ヤマトの人がいろんな技術とか持って来たんだろうな。
渡来人の支配
・オンモン(朝鮮文字)がパスパ文字、契丹小字をもとにしたものであり、 しかもカナより600年遅れて作られたものであること
・焼肉はモンゴルのパクリで 焼肉メニューはモンゴル語ばかりであること
・キムチは秀吉が朝鮮出兵の時に落とした 唐辛子の種が増殖したのが起源であること
・テコンドーは日本空手のパクリでそのままだとまずいのでキック特化にしたこと
・中国の太極図案と五行八卦の中の四卦と陰陽魚が韓国国旗であること
・大韓民国の国名の民国は中華民国の民国の借用であること
・大韓民国憲法は、全て1948年に南京で制定された 中華民国憲法を剽窃したものであること
・韓国の法律は、台湾の六法全書、 「憲法、刑法、民法、商法、刑事訴訟法、民事訴訟法」と全く同じであること
・中国原産の木槿の花を、勝手に改名し、 無窮花として韓国の国花にしたこと
・朝鮮という国号は明の永楽帝が下賜したこと
・韓国国歌「愛国歌」が満州国国歌のパクリであること
・服も鎧も王権装身具も古墳も宮殿も中国のパクリであること
・文明も中国のパクリであること(日本は一国一文明の国・韓国は中国文明 Samuel Hnatington『文明の衝突』より)
・古代高句麗人と現代の韓国人は全く違う民族で 高句麗は古扶余人で東胡の一部であること
> 辛酉は1260年に1回めぐってくる特別な年で
ウソつけw 60年に1回だろ
>>334
龍って北方中国人の祖先だけどいいのかね 辛酉は60年に1度じゃないの? x21or22元ってどっからでてきたの?
明治時代の学者那珂通世は、神武天皇の即位の年代について、
「革命勘文」にある鄭玄の注「天道不遠 三五而反 六甲爲一元 四六二六交相乗 七元有三變 三七相乗 廿一元爲一蔀 合千三百廿年」
を挙げ1260年に一度(干支一周の60年(1元)×21元=1260年=1蔀)の辛酉の年には大革命があるとし、
推古天皇9年(601年)がその年に当たり、この年の1260年前である西暦紀元前660年に神武天皇が即位したとされたとする説を立てた。
数年前に、仁徳天皇陵の名称とか
他の天皇陵の天皇名を外す、運動があった
ちょうど、RNAから分析が完成した時期と重なる
遺伝子解析て、ホント、週単位で、最新に全部置き換わる
相当やばい物が出たとしか思えない
>>329
元々土着の人間だからだよ
海外来た東漢や秦は葛城以下現地豪族の傘下でしか無かった
元々大和盆地の連合体のお飾り盟主だったのが
連合体拡大による政治変動でお飾りを捨てる羽目になったってだけで まあ卑弥呼が日本人の元祖なんだけどな
天皇家はただの痴呆豪族だべ
渡来人の支配
新羅=倭国の属国
新羅王脱解は日本出身
>『三国史記』卷一・新羅本紀第一・始祖赫居世三十八年(紀元前20年)条
瓠公者、未詳其族姓。本倭人。初以瓠繋腰、度海而来。故称瓠公。
「瓠公は、その族と姓は未詳。本は倭人。初めは腰に瓢箪をぶらさげて、海を渡って来たことから、瓠公と称される。」
>『三国史記』
脱解本多婆那國所生也其國在倭國東北一千里
「脱解はもと多婆那国の所生・その国は倭国の東北一千里なり」
>>324
出雲に出張中、あちこち見て回った。特に須佐周辺。
深山幽谷で、隠れるにはもってこいの土地だよね 菊池で産まれ、北部九州からチョンを追い出し
ヤマト国を創設、んー、偉大な人だ。
墓は筑豊にあんだろ。
>>345
今の中国人とかモンゴルやら満州やらのごちゃ混ぜ民族ですがな 奈良の地名は難しいのおwww
だ・・橿原市
り・・纒向遺跡
イザナギ〜ニニギの系統の王は、応神天皇からだな。
天武で系統が変わるが、桓武天皇からまたイザナギの系統に戻ってくる。
神武が人間だと、男系信者が言う、王朝の意味がないな
神武のオヤジも爺さんもいた、それは朝鮮人だった
しかも、朝鮮から逃げて来た、今の北のボロ船と同じ
愛子が初代でも問題ない、小和田とか歴史から消滅させればいいだけ
神武と同じ事をやればいいだけ
>>357
渡来人の支配
魏志東夷伝 韓の項
「珍宝なし」
■隋書 『倭国傳』 新羅百済皆似倭為大国多珍物並敬仰之恒通使往来。
(新羅と百済は日本を大国で珍しい物が多い国だとしており、ともに日本を敬い仰ぎ、つねに使いを送り、往来している。)
↓
新羅の王冠は日本産のヒスイ勾玉がつけられている。
>>355
天武までの系図見たことないの?
大友皇子より余程応神の血濃いよ 神武がどこの誰でもいいけど、いいきれるだけ実在性あるなら、
それはそれですごいことじゃないかww
>>312
桃太郎の原形と言われる吉備津彦は
第7代孝霊天皇の皇子だから
第10代崇神天皇の2代前の話になるよ >>283
邪馬台国中央構造線説だと、特定の日出を毎年正確に割り出せるので、それの観測責任者・卑弥呼が属国を暦で支配してた言う事になってる 蘇我氏が本当の最初の国史書を持ってたけど焼いちゃったんだよな
日本書紀にはスサノオが追放された時、新羅の国に降りてしまい
ここに居たくないと言って土の舟で出雲に来たとも書いてあるね。
スサノオもいろいろおもしろい神さんだよね。
>>359
神武が許されて 愛子に許されないという
非科学的な話、非民主主義がおかしいと
いつも思う、別に愛子王朝でいいけど、愛子が初代でいいし 邪馬台国、ヤマト国にいた王は女王卑弥呼。纒向。
魏志倭人伝に、
官は伊支馬有り。次は弥馬升と曰う。次は弥馬獲支と曰う。次は奴佳鞮ある。
神武の記述はない。
伊支馬は生駒。火の神。
弥馬升は三見宿禰、出雲大臣の子。
弥馬獲支はミミ鷲、日鷲、阿波の人。
奴佳鞮は中臣。
神武はヤマト征伐に同行した隼人部隊の隊長がモデルだろう。
ヤマト征伐の時に、倭人の王イザナギ(アマテラス)、出雲の王族サルタヒコ、丹後半島の元々の王ヤマタノオロチ(本来のスサノオ)を殺している。
神殺しの罪を隼人部隊の隊長に擦りつけたんだな。
ヤマト征伐の中心は、阿波、尾張のミミ族だな。
>>1
>辛酉年(しんいうのとし
しんゆう だろ
>「辛酉」は1260年に1回めぐってくる特別な年
だめだこりゃ
, -=〜=―- 、
ミ ヽ
二 ノ ( i
三 ⌒ へ /` |
二 _ _ |
三 ┰ ┰ |
l^ (
} ! ヽ / {\ ノ
l i ( 、 , ) {
∪、 j | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ‐――――┴、 < だめだこりゃ
|  ̄`ー―ァ'′ \_____
\______) 辛酉の年は、60年に一回だよ。
卑弥呼のときにも辛酉の年が来ていて
かむやまといわれびこ のときも辛酉の年をまたいでいて
聖徳のときにも、辛酉の年をまたいでいた。
だから、稗田阿礼は、中国の謂れに乗じて 20回まえの辛酉の年にタイムスリップさせた。
神武と名がついたのは、淡海の三船をいう坊主がつけた。
神武に始まって、応神の神の文字で挟まれたところは、史実も織り込んだ稗田の阿礼の創作だわ。
欠史八代があって、その中に崇神て 入ってなかったけ?
宮内庁は御託述べずに、全国の皇室関連遺跡の発掘調査を受け入れろよ
>>116
観念的だろう
すでに入って来てるのなら意味ないし 東征の真相は
1 完全なうそ
2 派遣された将軍や王族が居座って独立
3 九州出身の豪族が引っ越しエピソードを誇張した
だいたいこんなとこなじゃないのか?
科学的に立証できる、実在の天皇から数えても二千年以上続いてる
皇室はそれ自体が尊い
>>373
米国は日本占領当時なぜ、全国の皇室関連遺跡の発掘調査しなかったんだろ?
不思議だ。 >>375
そのへんやろな
力攻めで征服したのは長髄彦だけや
しかも最後は神さんが話し引き取ってるし >>372
欠史八代は2代目から9代目まで
崇神は10代目だから、崇神が実質の
初代天皇ではという説がある 記紀の神話時代の話って、なんか弟が後を継ぐってシチュエーションが多いのが不思議
大海人皇子の影響なんかね
>>375
九州に分家していた王族が帰ってきて本家を屈服させて王位を継いだ
近江、越前から出てきて皇位を継いだ継体天皇と同じパターン
だと思う >>366
渡来人の支配
10世紀以降でも、この無様さ惨めさw
963 宋に服属
994 遼に服属
1126 金に服属
1259 モンゴル(元)に戦わないまま降伏・服属(王朝は逃亡、引きこもり)、
無抵抗のまま、男の8〜9割が殺され、女は少しでも美人だと連れ去られる
1359 朝鮮建国(太祖・李成桂がモンゴル属国・満州女真族出身、
しかも、明の属国)
それでも国内に抵抗皆無w
(明に国名決定も国政も何もかも決定権のある傀儡国ww)
李成桂存命中から一族親戚などで内紛・近親殺し合いの日々
1419 応永の外寇、1万8000人の朝鮮軍精鋭が対馬奇襲、
対馬藩留守番部隊600人に大敗、降伏w 外征しなくなるw
この年から明治まで、対馬藩にも兵糧などを大量に献上させられるw
1575 両班党争激化、内紛だけ、論争敗者一族を残虐に殺すだけの日々・・・・
1619 服属を求める後金への反撃を計画するも全く戦わず逃亡し大敗w
そのまま後金に降伏、服属
三跪九叩頭の礼を求められると、そのまま受け入れ実行ww
1636 清に無抵抗、戦わずに降伏、三跪九叩頭の礼の屈辱再び
が、そのまま自堕落・無抵抗に服属国に
1910 韓国政府から日本に請願を繰り返し、日本に併合して貰うw
1945 連合国の委任統治を全くの無抵抗で受け入れ、
軽装上陸してきた米ソの軍を拍手・花束で歓迎w
アジアで唯一、以後占領軍と戦うこともなく南北に分割。
米ソ中の代理戦争、同胞殺し合い(代理戦争への抵抗も全くなし)、
北朝鮮の傀儡政権への反乱もなし、傀儡三代目w
今に至る 今日はすごい寒いんだけど昔の人は冬は絶対ツラいと思うんだ
>>1,2
なんかとんでも論でもあるのかと思ったけど至極スタンダードな仮説だな
時系列、神話に載せる意味を考えても東遷説は事実とするのが一番自然 一応宮崎辺りから色々来たって事になってる罠
鹿児島にも神話に繋がる話が多くある
此花咲夜姫(漢字ウロ)と岩長姫は鹿児島だし
紀元前後、奈良にいたミミ族が丹後半島の民と手を組み、丹後半島の王ヤマタノオロチ(本来のスサノオ)を追い出すんだな。
ミミ族は島根のオオナムチとも手を組み、島根の王族出雲、王のサルタヒコを追い出す。
両者は淡路島のイザナギの元に逃げのびるんだよ。
怒ったイザナギは、奈良のミミ族火の神を倒し天岩戸の向こう側、尾張に追い出すんだな。
イザナギ、サルタヒコ、ヤマタノオロチで新たに国を作る。倭国。1世紀中頃の話。更に九州の博多に宮家を作る。ニニギの天孫降臨だな。
2世紀半ば、東国で民を徴用して軍事力増した尾張の勢力が反撃に出る。
その時、阿波の勢力が吉備を騙して味方に引き入れ、倭国を挟み撃ちにする。この時倭国の3人の王は殺される。
これが神武東征の話。
神武天皇って信長の野望に出演するとしたらどんなパラメータになるんだろう
オール100かな?
旧約聖書の南北イスラエルの分裂までを読んでると、古事記と似通った内容が
たくさん有る。古事記と旧約聖書は似ている。7世紀ごろには日本にも聖書が
あったんだろうと思われる。神武天皇はモーゼの話に似ている。
神武の東征を大陸から日本へと渡った歴史と捉えると分かりやすい気がする
後の人々が九州に置き換えて歴史を伝えた
>>390
神話には似たような話が多くあり、それを分析して構造解析した人がいたはず
本もあったなそういえば >>383
隼人と呼ばれた南部九州を政略結婚や軍事的に屈服させた後の派遣領主で、北部九州(伊都国?)もしくは大和朝廷の前身=邪馬台国の関係者(血縁者)だよね
それに関わる闘いってのは単なる反対勢力があった=軍事的ではない勢力争いを示唆してるだけのことかと思う >>389
オール20ぐらいだろ、文字も読めんアホだからな >>381
弟が後を継ぐってシチュエーションは、旧約聖書にたくさんある。
アダムとエバの息子から、神は弟のアベルを愛し長男のカインをしりぞけた。 神武のモデルが崇神は3世紀中盤の人物だっけか
倭国大乱とか邪馬台国とか、崇神王朝の誕生とか
この辺の国内文献が全くないのがつまらんよね
西暦1世紀代にはもう中国と交流があったはずなのに
200年たっても文字使ってなかったもんなのかなぁ
>>390
モデルがなくても何の関わりもない遠い場所に於いて似たような神話が自然発生したってのはいくらでもある
洪水伝説なんてのはまさにそう。バナナタイプ神話なんてのもそうだね
共通してるのはどちらもおそらく何らかの似たような事実があったってこと
いずれにしろ完全なる創作ってのはほぼ存在しない 本当に神武が宮崎から出てきたのなら西暦700年に至るまで南九州がまともに統治下になかったのは変じゃね?
まあそこは王朝交代が起こって九州系が権力を失ったのかもしれないけど
架空の設定のほうがいいだろ
後生の創作で剣からビーム出せるし
>>348
違うよ記紀に書かれた実在のお方だよ。
因みにその前の神々も多くは実在ね。 天武の時代に書かれた記紀。
応神の父をぼやかしているだろう。
応神の父は、博多の伊都国のニニギの子孫だよ。
応神から記紀にある通り、イザナギ〜ニニギの系統になるのだ。畿内に生き延びていた倭国の一員と協力して邪馬台国勢力から王の座を取り戻すんだな。
その後、壬申の乱で天武が勝ち、再びミミ族の王になる。
桓武の時代に、またイザナギ〜ニニギの系統に戻るんだな。
関 裕二氏著書 一部抜粋
『聖徳太子は蘇我入鹿である』フットワーク出版 1991 のちワニ文庫、「聖徳太子の謎」学研M文庫
『天武天皇隠された正体 暴かれた日本書紀のトリック』ベストセラーズ 1991 のちワニ文庫
『謀略の女帝持統天皇 古代正史への挑戦状』フットワーク出版 1992 のち「謎の女帝・持統」ベスト新書
『縄文人国家=出雲王朝の謎 古代天皇家が最も恐れた』徳間書店 1993
『聖徳太子はだれに殺されたのか』学習研究社(歴史群像新書)1993
『ヒミコは二人いた 古代九州王朝の陰謀』新人物往来社 1993 のちワニ文庫
『抹殺された古代日本史の謎 いま甦る、封印された「縄文・出雲王朝」の実像』日本文芸社 1994
『謎の出雲・伽耶王朝 天皇家朝鮮渡来の妄説を撃つ!! 恨を抱き参らせた建国秘史』徳間書店(古代史の超深層best selection)1995
『継体東国王朝の正体 伽耶・東北王朝復活の謎』三一書房 1995 「継体天皇の謎」PHP文庫
『古代神道と天皇家の謎 真の皇祖神をめぐる日本建国の実相を探る!』日本文芸社 1995
『いま蘇る縄文王国の全貌 八世紀大政変に隠された東西日本の合併と破綻』ベストセラーズ 1996
『消された王権・物部氏の謎 オニの系譜から解く古代史』PHP研究所 1998 のち文庫
『完全制覇古代大和朝廷の謎 この一冊で歴史に強くなる!』立風書房 1998
『鬼の帝聖武天皇』三一書房 1998 「鬼の帝聖武天皇の謎」PHP文庫
『鬼の王権・聖徳太子の謎 いま明かされる「鬼」の系譜と聖者伝説の秘密』日本文芸社 1998 「聖徳太子の秘密」PHP文庫
『「かごめ歌」に秘められた裏卑弥呼』フットワーク出版 1998
『抹殺された古代王権の秘密 「神と鬼」の知られざる異形の日本古代史を探る!』日本文芸社 1999
『封印された日本創世の真実 古代ヤマト朝廷建国秘史』ベストセラーズ 1999 「浦島太郎は誰なのか」ワニ文庫
『天皇家誕生の謎』立風書房 1999 のち学研M文庫
『図説古代日本のカラクリと裏側がわかる本 おもしろいように解ける古代史ミステリー』フットワーク出版 1999
『謎とき古代日本列島』講談社 2000 「古代日本列島の謎」講談社+α文庫
『沈黙する女王の鏡 封印された邪馬台国 いま大分・日田に蘇る卑弥呼の悲劇』青春出版社プレイブックス 2000
『闇の修験道』ベストセラーズ 2000
『検証邪馬台国論争』ベスト新書 2001
『古代史の秘密を握る人たち』PHP文庫 2001
『大化改新の謎』PHP文庫 2002
『謎解き古代史独学のススメ』文芸社 2002 「「古代史」謎解きのヒント」講談社+α文庫
『藤原氏の正体 名門一族の知られざる闇』東京書籍 2002 のち新潮文庫
『壬申の乱の謎 古代史最大の争乱の真相』PHP文庫 2003
『天孫降臨の謎 日本建国神話に隠された真実』PHP研究所 2003 のち文庫
『呪いと祟りの日本古代史 常識を覆す驚くべき「裏」の歴史』東京書籍 2003 「呪う天皇の暗号」新潮文庫
『神武東征の謎 「出雲神話」の裏に隠された真相』PHP文庫 2003
『古代史謎解き事典』三修社 2004
『逆転の古代史! 歴史を変えた古代史7大事件再現ドキュメント』廣済堂出版 2004 のち文庫
『図解「古代史」秘められた謎と真相 封印された歴史のカギを握る人物たち』PHP研究所 2004
『「出雲神話」の真実 封印された日本古代史を解く』PHP研究所 2004 「「出雲抹殺」の謎」PHP文庫
『蘇我氏の正体 日本書紀が隠そうとした真実』東京書籍 2004
『おとぎ話に隠された日本のはじまり』PHP研究所 2005 のち文庫「おとぎ話に隠された古代史の謎」
『日本書紀塗り替えられた古代史の謎』実業之日本社 2005
『日本古代史謎と真説』学研M文庫 2005
『「図解」誰も教えてくれなかった「古代史」の真実 ついに解き明かされた「歴史の闇」』PHP研究所 2005
『神話に隠されている日本創世の真実』文芸社 2005
『「古代史」封印された謎を解く あまりに意外な「あの人物・あの事件」の真相とは?』PHP研究所 2005
『海峡を往還する神々 解き明かされた天皇家のルーツ』PHP研究所 2005 のち文庫
征夷という名称が、すでに、もう何十年も言われてるけど
夷狄というのが、もう初めからすごい違和感
博多までアイヌがいたのは、かなり証明されてる
そのアイヌを夷狄と呼んでる、お前は日本土着じゃないのか
これは相当昔から言われてた、土着なら、なんで親戚を攻撃するの
異人だと思ったから、攻撃したんだろ
>>324
出雲(旧日本人)が大和に倒された信憑性は高い。
出雲地方と東北地方に、近畿関東地方にはないDNAが見つかるんだよね。
東北地方は、坂上田村麻呂の平定あたりまで未開地(旧日本人)だから残っていた。
出雲は大和に追い出されたが、当然、兵士のレイプなどでこの地に
DNAが残ったと思われれる。
すると、大和朝廷ってどっから来たのだ? という議論になるんだよね。
あと卑弥呼との関係。 >>399
北部九州では貿易のため必須だったし、あくまで中国語として上層部では使っていたって説がある
要するにそれを会話や文章として日本語に置き換える作業が進まなかったんだろう
「あそこにある◯◯はこれ」的な記号としての使われ方から全く発展しなかった >>1
こいつ無茶苦茶だな。 大和三山の歌、畝傍山を男女取違えていやがる。
これは妻取り争いの歌とするのが定説で常識だ。
樫原が大和盆地の西南て可笑しいだろう。 葛城なら西南で良いが、
樫原なら単純に国中平野の南部だ。 何度も現地を訪れているも嘘かな 神武の非実在よりも神功皇后の(非)存在が非常に気になる。
元日 馬 富士
縁起良いな
暴力モンゴリアン早く日本から出て行け
まあ当時の天皇家は断絶してて今の天皇は血筋が怪しいんだけどね
>>406
アイヌって一くくりにするのがなぁ、同じ縄文系でも中で色々分かれているでしょうよ 神武東征は、東明の東征伝説がモデルになってるっぽい
>>400
違うよ
周辺民族との交流で伝え聞いたものが神話体系に取り込まれた
だから日本神話にはアンドロメダ・ペルセウス型 オルフェウス型とハイヌウェレ型、バナナ型とかが混在してる
中央アジアにいた連中が東西にわかれてギリシャと日本にそれぞれ持ち込んだり、ポリネシア人が船でやってきてたりしたんだろう 倭国の王を巡って、倭人イザナギ系統とミミ族(カグツチでありホアカリ系。時にはスサノオの名を騙り、時にはアマテラスの名を騙った勢力)が争いを倭国大乱以降500年も続けていたんだよ。
畝傍御陵を参拝しました。
ここに神武天皇は埋葬されているのですか?
>>407
>卑弥呼との関係
そこはもう天照大御神=卑弥呼にするとすべてがスムーズに解釈出来る。タカミムスビの方が実質的に偉くね?ってのもスサノオの出雲派遣も含めて
てかそれしか説明がつかない 倭国の倭って漢字は、どう考えてもエデンの園をあらわしてるとしか思えない。
にんべんがアダムで、木の上にチョン蛇が乗っててその下に女が居る。
俺は江戸時代に作られた創作だと思う全て
徳川家お抱えの学者とかさ
天皇が軽視された時期がちょこちょこあるのに
天皇に関してビッチリ記録がのこってるのが解せない
平和な江戸時代に矛盾点などをできる範囲で潰してずらっと繋げてみせたのだと思う
>>424
聖徳太子はキリストと同じく厩屋で産まれたし
にほんがエデンの園だったと考えると納得がいくよね。 >>420
もともと小さな古墳があり墓守が配置されていた
このような墓守は多くの陵墓にあり、それらは後の時代被差別部落とされるようになった
畝傍にあった古墳の周囲の被差別部落を撤廃して古墳を拡大したものが、現在の畝傍御陵 天香久山に祀られているのは国常立神、大魔戸乃神。カグツチの話も残されている。
天香久山の神。
畝傍も同じ、火の神の勢力。
耳成山は天神山と呼ばれていたし、応神天皇所縁の勢力だろうな。
>>428
当時中国にはネストリウス系キリスト教が入ってきてたんだっけ? >>414 アイヌ調べてるけど、奥が深い、どこまでもある
北極圏のほとんどがアイヌの親戚、カナダのイヌイッット
エスキモーも親戚、アメリカのインディアンも遺伝的にはすごく近い
ブラジル原住民も親戚、今のロシアの極東のほとんどの民族も親戚
ナナイ族とか、アイヌの別名に近い >>423
卑弥呼が天照として、国譲りがあったと考えると
一気にきな臭いエピソードになるねw >>305
四国だろう。古代は四国が中心だった
地理的に西日本のど真ん中だし、天皇という地名もある
新嘗祭とか四国の旧家が取り仕切ってる 建国記念日にはニセ右翼(朝鮮人)の聖地と化す橿原神宮
>>438
天皇が島流しになるような流刑地の四国が日本の中心だったはずがない >>423
卑弥呼 AC200年
神武天皇 BC600年
神武天皇のお婆ちゃんが天照大神
どういう計算だよw まあ、チョン古代文明はなかっただろう、半島は無関係。
大国主とか事代主とか日本武は個人名というより役職、あるいは称号だったのではないだろか
そうすれば複数人の話が1人の人物の話として纏められてしまった可能性がある
半島には、なーんも無い! 日本がやってあげたインフラと、日本のパクリしかない。
>>376
神武天皇は3世紀末と推定されているよ。
つまり1700年ね。
まさか神武天皇が127歳まで生きたとかそのまま信じているんじゃなかろうな。 >>442
卑弥呼が天照だとすれば、神武〜9代目までは
実在しなくて、別王朝や地方豪族の話の
寄せ集めなんだと思うよ まず、日本書紀に出てくる筑紫が、本当に九州北部のことなのかわからんという。
イザナギの子は皆男。
例外がアマテラス。記紀を作った勢力(天武)の捏造。
邪馬台国側、卑弥呼側にイザナギの血がなかったんだな。仕方なく女王を立てたんだよ。
応神〜天智と、桓武天皇から本来のイザナギ〜ニニギ系統に戻るから問題ないが。
>>53
その言い伝えはなんという本に載っているの?
執筆者に遡れるソースをキボン 歴史にしちゃうから駄目なんだよ
神話として語るべき
とゆうか、なぜ祀る所を 常設型、定着型にしたかったんだろうね?
遊牧民みたいに、移動式で、神へのお礼でもなければ、インドみたいに、川そのものや、海型でもない
明らかに、とどまるように 居すわるように 日本で偉そうに、固定化に動いてるよね?
そうゆうところが、とても 俗的で、人間的だわ
もとは筑紫城に住んでたんでしょ?
中国の史書がそう伝えてますが
天孫降臨が宮崎ってのも不思議だよな。
九州でも大陸よりなら分かるんだが。
意外と天皇は南洋から渡ってきたのかもな。
パンスト被った強盗犯顔みたいなチョソノとは一味違った
慶州や釜山の四角顔がこんなことをのたまわったら世も末だ。
大物主≒大国主≒二代目を勝手に襲名した建御名方神≒ウガヤフキアエズ
四男の狹野尊サヌ≒大田田根子命≒神武天皇
三男の稻飯命イナヒ≒音読みでトウハン≒倭国東北一千里にある多婆那国にお住まいのソクタルヘ
>>407
島根の王族(出雲族、王はサルタヒコ)を追い出したのは、オオナムチだよ。
出雲大社の欠けた雲の話だよ。
逃げのびた先が、堺だよ。
そこで卑弥呼を擁する勢力に殺されたのだ。 >>454
伊勢神宮が現在の位置に固定されるまでに全国を転々としているが、ちょうど仮設から常設への過渡期がその頃だったのだと思う
日本の国の制度が整えられた時期 >>53
そもそも、日本の縄文人の集落と渡来人の集落の間で
大規模な戦争どころか、紛争の跡が全く発見されていない。
※ 紛争があると割れたり傷ついたりした跡のある頭蓋骨が発見されるが、日本ではこの時代には全く紛争の跡がない。
遺跡調査によると、物々交換したり平和的に混じり合っていった痕跡しか発見されていない。 >>444
自分も そう思う
役職とゆうか、勢力的なグループか、もしくは チームとか?
なんにしろ、神の名が、重複してるのが、おかしい。わざとなのか、認知症なのか
史書として残すにしては、変過ぎる >>444
でしょうねー
卑弥呼も日向の巫女でしょうし >>456
ニニギが九州を治めるために派遣された分家の系統だとすると、紀伊半島から船出して日向に辿り着くのはありかと >>31
文革でただの巨大な部落に転落した中国って…
そしてお前は中国人ですらない、血の穢れた白丁。 >>456
不思議じゃないよ
天孫は高千穂の西側から九州山地を陸路超えて日向と関係を持った、
というのが天孫降臨伝説だから。 >>463
それは単に「ヒメミコ」 女王の意味では? 天皇家より先にヤマトを統治していたのは物部氏
日本書紀に書いてある
物部氏は藤原氏によって正史から抹殺されてしまった
後々にソースに使われるとは思わんだろうから
ちょこちょこ創作があってもおかしくないと思うんだけどなー
例えば魁!男塾の単行本が1500年後に見つかって当時の生活を知る重要な資料だ!
とかなったら「いやいやいやいや!」でしょ?
>>469
九州へ分派されたニニギ系の本流の可能性がある 神武は畿内の労働者を故郷の北部九州に連行して製鉄で働かせていたらしいな
>>441
島流しじゃなくて地元に帰ったのさ
関西は傀儡で実権は阿波にあった 天皇家の儀式取り仕切ってるのに天皇はほとんど四国に訪れないでしょ
四国の方が格上なんだよ
お遍路が四国にあるのも聖地だからですよ
あれが昔からどんだけ地元に金落としているか
あんな田舎に財界があるんだぞ
>>458
猿田彦=佐田大神 →
スサノオ、大国主=オオナムチ →
天照 と移っていったということ? >>461
本土人がアイヌに何をしてきたか、胸に手を当てて考えてみなよ >>474
>実権は阿波にあった
何を根拠に?
四国には天皇を支える阿波と讃岐の忌部氏がいただけでは? 神武はなんとか九州から畿内にたどり着いただけ。
彼を「初代天皇」にしたのはおうみのみふねだが、実際はとても「天皇」などと呼べるものではなく、
畿内に君臨する大国主の一族の娘を嫁にして葛城に住んでいた。
>>475
朝廷の儀式を取り仕切ったのは斎部氏
最初は紀伊で麻を栽培し、朝廷の御用としていた
しかし麻を増産するために栽培に適した土地を探し阿波に上陸、更に讃岐にまで麻の栽培を広めた
また新たに東国にも麻の生産地を得ようとして安房に渡り、麻の種の入る房にちなんで「総(ふさ)国」となった しかし当時の大和朝廷の宮から北東方向4千里の約3927kmだとすると
チュクチ海ベーリング海峡付近だろうし妙な朝鮮縮地法でも使って
ウォン円換算のように1割が妥当とするとしてウガヤフキアエズの
陵墓がある日向国の鹿児島県鹿屋市から4〜500km先の近畿2府4県
のうち熊野か宮津あたりってところかな?
イナヒは熊野沖で難破遭難死扱いとなっているが補陀落渡海ねぇ。
出雲 旧日本のほう 日本の本来の守護
たたらの荒魂のほう。青と黄色
・倭国大乱は卑弥呼を共通の王とし戦乱の終結 、九州北部〜山口(倭国)、出雲、近畿の勢力の連合国(邪馬台国)を樹立した
・邪馬台国=ヤマトコク(大和王権の前身)
・中国からは日本の勢力が複合的になってしまったため倭、邪馬台国、女王国と呼称される
・卑弥呼は「鬼神道を用いてよく衆を妖しく惑わした。」後漢書、後の天皇家の宮中祭祀の名残
・卑弥呼死後は男が王位に立ったが内乱状態に卑弥呼の親族の台与が王位に立ち内乱が収まった
・天皇家一族が邪馬台国の主導権を握り、初期大和王権へと変質、神話として語り継がれる
・大和王権、倭の五王が中国に朝貢
そんなことよりも卑弥呼と壹与はどこに居るのか、それが
とても大切。卑弥呼は伊都国平原古墳に、その後継の壹与は
箸墓に埋葬されている。
邪馬台国は連合王権で、北九州の姫を畿内迎えて、戦乱を治めた。
皇統は複数あって、出雲、蘇我、伊都国、物部それぞれが
皇を輩出してたに違いない。そうでなければ、持統が
あんなに粛清なぞしなかっただろう。蘇我とと物部の家伝
が明らかにされれば、結論はすぐに出るのだが。
個人名じゃなくて役職名だとすると色々と受け入れやすくなのるね
日本書紀なんで空想にこだわるから日本の考古学がダメになった
殆どが昔の学者の空想家歴史小説
そのために発掘調査会が邪魔され東北の縄文文化の認定も最近の事
日本書記捨てて、歴史は発掘調査を重視していけばいいんだよ
発掘調査がなされていない空想は空想として国語か道徳にでも移動しろ
>>475
戦前、自分の先祖の実家があったとこで、墓もあるけど アソコは、四国だけど ちょっと特殊なのさ。 とある宗教島だよ 崇神天皇前の大和系支配者は全国を統一してないので複数の王族が各地にいただろ。
最終は出雲征服。
神武は他の王族の祖だろ。
>>446
>神武天皇は3世紀末と推定されているよ。
卑弥呼が死んだのは3世紀中頃だけど、神武と卑弥呼が生きてた時代がかぶるのか 記紀は天武の時代に書かれた。
倭国大乱前にヤマトの地を治めていたのは倭人イザナギ系。物部氏はその部下だ。天照国照饒速日でもあり、天照大神でもある。
神武東征として描かれているヤマト征伐は、天岩戸の向こう側に追いやられていたミミ族火の神の巻き返しである。天照大神の名を騙ったんだよ。本来の天照大神は殺されたんだな。物部氏はこの時寝返ったのだよ。ミミ族の王が卑弥呼。
応神は倭国大乱前の倭国の宮家、伊都国のニニギ系統の子である。
応神東征で邪馬台国勢力から王位を奪い返すんだな。
天智までは父系は応神の系統が続く。その間もかつての邪馬台国勢力と応神を擁立した勢力で、母方を巡る争いが続くのだ。
壬申の乱で天武が勝ち、再びミミ族の系統になる。
そして桓武天皇の時に再びイザナギ〜ニニギの系統に戻るのだ。
記紀は天武天皇に都合の良い捏造だらけ。
酷いのはヤマト征伐の際のアマテラス殺しの罪を、隼人部隊の隊長だった神武に擦りつけたこと。
手塚治虫の世界で最強の悪役であらせられた覇者かい。
ちょっと興味あるかも
日本の国造り神話もたいがいやな
ファンタジー朝鮮史のこと笑えんで
普通に考えるのなら北部九州王朝の日向に居た分家筋が、
大和に移住or亡命したのが大和王権の始まりだろ
>>481
初代つながりでローマのロムルスだってギリシャから流れて来ただけ出しなあ
彼の時代のローマはとても帝国などと言える代物ではなかった >>470
安彦良和の神武天皇は妙なカリスマ性あって好きだわ
豪傑のイメージが強い神武天皇を繊弱な優男として描写したのが新鮮だった ★朝鮮半島の古日本人倭人が日本人の祖先
日本人の祖先の8割は朝鮮半島南部経由で日本列島に渡って来た弥生人。2割は朝鮮半島や樺太から古い時代に渡って来た古いタイプのモンゴロイドと言われる。
自分は、倭人の本拠地は朝鮮半島南部の任那(加羅諸国)、以前教科書にここに大和朝廷の飛び地があったと記述されてたが、ここが倭人人の本拠地と推測する。
ここは大陸の春秋戦国の戦乱から逃れた漢族の亡命先でもあり、文化・技術が進んだ地域だったと推測。現在漢字の読み方が日本に多くあるのは、各地域の漢族が任那や列島に渡って来たからとも推測する。
明治維新以降日本が発展した理由の一つは日本が亡命した優秀な漢族の血を受け継いでいる可能性もある。
ここの言葉が日本列島の国語となったと推測する。日本語の起源は朝鮮半島の一方言だったと推測。
中大兄皇子・後の天智天皇が百済救援の為に救援軍を出し唐・新羅連合軍に白村江の戦いで大敗している。これは日本人の本拠地が朝鮮半島にあったから出兵したのではと推測する。
百済の中興の武寧王は佐賀県唐津市加羅島で生まれたという。当時、九州北部と百済は言葉が方言程度で通じた可能性がある。桓武天皇の生母である高野新笠は、 武寧王を遠祖とする渡来人系の和氏の出身.
唐津市は松浦佐用姫伝説(新羅征伐で海を渡った大伴金持の息子との別離、悲しみの余り石となった伝説)など朝鮮半島に関わる話が多い町。因みに唐津の(から)の読みは唐帝国でなく半島南部の加羅諸国とから来ている。加羅諸国とは任那日本府と言われた地域。
加羅諸国は鉄の産地であり、日本武尊伝説と鉄器の関係があると言われる。大和朝廷は鉄器の力で日本を関東から北九州まで統一した政権であり、鉄の産地加羅諸国と強い結び付きがある政権だった。
中国の史書・宋書に倭の5王が宋に度々使者を送り、朝鮮半島で高句麗との争いで倭の半島での覇権を主張している。
満州には高句麗の好太王の碑があり、倭の軍を撃退したとの記述がある。この倭とは朝鮮半島の南部の勢力を含めた勢力ではないかと推測する。
その後、任那(加羅諸国)は新羅に滅ぼされてしまう。そしてこの地の古日本語も後に消滅。現在朝鮮半島に日本語らしきものは残って無い。対馬が日本語圏なのは加羅諸国や百済南部が古日本語圏だった名残の可能性がある。
朝鮮半島の古日本人はモンゴル族・女真族・漢族の侵入で日本人の気質・言葉とも消滅。
そして日本が当時無謀と思われた日露戦争を戦ったのも当時の明治政府内で日本人の故郷は朝鮮半島にあり、そこをロシアに取られてならぬという認識があったのではと推測する。
日韓併合後に朝鮮半島に日本の東北など国内の貧困をかえりみず半島に投資したのも日本人の故郷は朝鮮半島の認識があったと思う。
朴政権成立後、日韓友好条約を結び、韓国の発展に支援したのも日本人の故郷は朝鮮半島の認識があったと思う。
そもそも神武と崇神が同一人物というのが間違いなのだろ
崇神の時代にはすでにかなり大きな勢力になっている
ある日突然そんな勢力が生まれるわけもなく、当然始祖は別に存在する
それが神武だったのでは?
同時代人であるとする理由が分からない
神武が南九州から来た理由は東征ではなく連れてこられたにしろ、やはり崇神の祖先が神武だったと思う
神武が単なる祭祀者であるならそうすればよいのであって、始祖にする理由がない
どうせ作り話だとするなら本当の祖先をそれらしく作っておけばいい
神話は国家成立に必要で国民をくっつける接着剤
歴史と神話は別な話
もし太平洋戦争勝ってたら天皇は神のままだったろう
そこに疑問を感じる学者はバンバン殺されてたんしゃないの?
>まず、今から2600年以上も前に即位したという『日本書紀』の話は、明らかな作り話だ。
>弥生時代(あるいは縄文時代)に国の中心がヤマトに存在したはずがない。
根拠が皆無やね
逆に、奈良の明日香あたりに
古代から文明が存在した可能性が明瞭に示されている
>>501
渡来人の支配
現代の遺伝子調査では、今の韓国人の遺伝子は、「百済、新羅、高句麗」時代の頃の、古来の
朝鮮民族ではなく、中国東北部ツングース系のエベンギ族の遺伝子であることがわかっている。
それまでの朝鮮半島にいた民族のDNAが、ほぼ消えている。
白頭山が世界最大級の大噴火をしたことによる絶滅。
戦での民族の粛清。男性が粛清され女性のみ生かされたことによるすり替え。
14世紀末に、エベンギ族出身の李氏が「高麗」を滅ぼし、朝鮮を建国すると、土地は一族が私有化した。
朝鮮の国民は、路上や空き地を占拠して、乞食同然のような小屋を密集させ、地べたで寝て暮らした。
李氏の両班(支配者)など一族は、労働を卑下して働かず、奴婢や賎民(白丁など)に、板の首かせを
はめて、奴隷として使用し、自分たちは、体を動かすのを嫌い、医者仕事さえ労働とみなし、軽蔑した。
また、毎年、三千名もの若い女性たちが、「中国」(明や清)に献上させられたので、朝鮮国内には
女性が極端に少なく、国民は、自分たちの性欲を解決するために「試し腹」の風習ができた。
その風習は、李氏一族の崩壊まで、何百年間も続き、韓国民は「近親相姦」に明け暮れてきた。
おまけに、朝鮮人には、トイレを作る発想が無く、家の内外に糞尿があふれ、悪臭で不潔を極めた。
しかし、韓国人は、糞尿まみれの日常生活を、当たり前と考えて暮らした。
そして、結核の特効薬として「大便」を食べ、万能薬として人糞を溶かした酒(野人乾水)を飲んだ。
さらに、「肌の見てくれ」が良くなると信じて、「小便」で顔を洗った。
また、今でも、魚の「エイのウンコ漬け」(ホンタク)は韓国の超高級料理とされている。 いまだにこんな素性のよくわからない天皇とやらを国体にしてるこの国に不信感ありあり
>>482
阿波と紀伊は繋がり深いよね。でも逆だと思うよ。
紀伊川は昔吉野川と呼んでたんだよ。阿波の吉野川ね
安房も阿波もアワ。阿波から讃岐紀伊安房に広がった方が自然だろ
名前もルートも阿波が先 >>505
つか、GHQ憲法体制マンセー派って
GHQが政敵に戦犯のレッテル貼って
バンバン殺す軍政をマンセーするスタンスだろ? 欠史八代はどうでもいいんだよ。
問題は、覇者となった崇神・モモソのタッグが、どこを基盤にしていたかだ。
どうも阿波讃岐のような匂いがするんだよ。
北部九州、出雲、四国、近畿(ヤマト)、青森のは一連だよ
>>505
それでいいんだよ
例えば中東行って敬虔なムスリム相手にコーランの矛盾についてツッコミ入れたらその場で殺されるだろう
科学的な事実より民族的な幻想の方が大事なんだよ 戦争に勝つために国民を一致団結させるために天皇を利用した
戦中の日本人だって馬鹿じゃないだからこんなこと知ってたよ
戦後のGHQが軍閥に騙されたとか天皇がどうしたとかを情報操作に利用したんだよ
魏志倭人伝の卑弥呼の時代から空白の4世紀から5世紀の大和朝廷の時代になる。
卑弥呼の時代は石器か青銅器文明で空白の4世紀から鉄器の力で北九州から関東まで東征した大和朝廷の時代になる。日本武尊伝説と鉄器が関連付けられている。
加羅諸国が鉄器の産地と言われ、ここが教科書で任那日本府と言われた地域。後に任那日本府は無いという事になった。
百済の中興の武寧王は唐津市加唐島生まれで島王と言われた人物。当時百済と九州北部は方言程度で言葉が通じた可能性がある。半島南部は倭人の国々があった。
だから加羅諸国とも方言程度で言葉が通じた可能性もある。4世紀に北部九州と加羅諸国の勢力とが合体した勢力が東征し、邪馬台国を滅ぼし、大和朝廷を樹立したか、大和にある邪馬台国の勢力と合体したか?
4世紀に後に神武天皇と言われるようになった人物が東征したのは古事記から明らか。
神武天皇は釜山辺りから北九州に移り、現地の倭人の国々のリーダーになり東征したと思われる。日向でなく
>>508
天皇を素性がわからない と言うのなら
地球上ほとんどの人間は
素性がわからない ことになるぜ? 妹子と書いてイモコてwwwwwwwwwwwwwwww
>>1
安彦良和の『ナムジ』『神武』あたりのほうがまだしっくりくるかなぁ >>517
渡来人の支配
万年奴隷
>隋書百済伝 『其人雜有新羅、高麗、倭等、亦有中國人』
>新羅本紀 『十年(193年) 六月倭人大饑。来求食者千余人』
>三国史記 『瓠公者、未詳其族姓。本倭人。初以瓠繋腰、度海而来。故称瓠公』
>新羅本紀 『脱解本多婆那國所生也。其國在倭國東北一千里』
>三国史記 『元年三月、與倭国通好。以奈勿王子未斯欣為質』
>新羅傳 『其言語名物、有似中国人』
>辰韓伝 『辰韓在馬韓之東、其耆老傳世、自言古之亡人避秦役来適韓國』
>梁書『新羅者、其先本辰韓種也。其人雜有華夏、高麗、百濟之屬』
>百済伝 『百濟者、本扶餘之別種、當馬韓之故地。其後有仇台者、為高麗所破、以百家濟海』
>百済伝 『其言参諸夏、亦秦、韓之遺俗云』
>東夷傳百済 『其地自此為新羅及渤海靺鞨所分、百済之種遂絶』
>高麗史・耽羅神話 『我是日本國使也、 吾王生此三女、云西海中嶽降神子三人、將欲開國』
>日本書紀、唐貞観十六年条 『百済反覆之国、不可信也』
>広開土王碑 『百殘新羅舊是屬民由来朝貢而倭以耒卯年来渡海破百殘■■新羅以爲臣民』
>隋書『新羅百濟皆以倭為大國多珍物並敬仰之恒通使往來』
>三国志魏書『桓、靈之末、韓?彊盛、郡縣不能制、民多流入韓国。』
>部從事呉林以樂浪本統韓國、分割辰韓八國以與樂浪、吏譯轉有異同、臣智激韓忿、攻帶方郡崎離營。時太守弓遵、樂浪太守劉茂興兵伐之、遵戰死、二郡遂滅韓。 龍信仰:中国北部中部系、出雲族、本来のスサノオ・ヤマタノオロチ族など
太陽、鳥信仰:中国南部系統、倭人、
蛇、ミ信仰:縄文系
弥生時代の渡来人の大半は中国系かな。
要するに半島南部は倭人(弥生人)が多く住む地域だった。ここの人たちが段々と北九州から近畿へ移住して行った。
そして半島南部の任那・伽耶諸国・加羅諸国や百済南部と北九州から近畿まで古日本語が話される地域になった。
任那出身の後に神武天皇と呼ばれる人が船で釜山辺りから北九州に渡り、大和朝廷の原型の豪族連合を組織する。
鉄器の力で大和朝廷の豪族連合が東征し、大和盆地へ入り邪馬台国に取って代わる。そして関東や九州中部まで平定する。
その後、大和朝廷は半島へも任那・伽耶諸国・加羅諸国の支援で遠征する。高句麗とも戦う。百済を支援する。
その後、新羅・唐の連合軍に百済支援で遠征するが、白村江の戦いで大敗し、天皇家は昔の故郷を失う。その後、新羅や高麗支配で半島南部の倭人(古日本語)は居なくる。DNAに一部残る。
>>512
散らばってるんだよ わざと分派。
そうでないと危ないわけだよ 江戸時代は300くらいの藩という国の集まりだった
明治になって国を一つにするために天皇を接着剤に利用した
こんだけの話だよな
>>510
義経1000本桜はいいすね
日本人なら常識だな >>514
いや、駄目だろ
GHQ相手にGHQ憲法の矛盾についてツッコミ入れた人間を
GHQは殺しまくった
科学的な事実より反日的な幻想の方が大事な憲法体制は
終わらせる必要がある >>518
天皇(国王)の話をしてるんだが、なぜ一般論に置き換えようとするのかな?
一国の国王になろうとするものであるのならば、それなりの正統性が必要だろう
神話を利用していきなり「天から降臨してきた」とかSFまがいの登場にするのではなくてな
まぁ、渡来系であるゆえにそうせざるを得なかったんだろうと私は思うがw >>512
モモソは吉備津彦とセット。
崇神は覇者になっていない。 歴史に興味のない奴って信じられない
女に多いんだよな
てめぇのルーツに関わることじゃん?
日本人特有の現象な気がするからパヨク教育の弊害なのかね
>>523
渡来人の支配
建国時に新羅の宰相となって影の王のように振る舞い活躍した瓢公という、
瓢箪を腰に付けて船で渡来したとされる倭人で、この人物は現代の朝鮮人のアイデンティティの根幹を揺るがしかねない問題を孕んでいる。
というのも、現代の朝鮮人の姓名は"中華"への服属意識を如実に表す、漢字漢語を用いた姓=一字、名=二字という漢族式で、
実際の姓自体も漢族が使用するものの借用が殆どという有様だが、新羅の初代王の朴赫居世に始まる「朴」という姓だけは、
辰韓の語の「バク」という単語を借字で音写した独自の姓とされ、特殊な姓と言える。
ではこの「バク」という辰韓の語が何を意味するかと言うと、「瓢」。
宰相として影の王のように振る舞った倭人の「瓢」公となんと同じ。
このことから、瓢公と朴赫居世は共に倭国から渡来した同族、あるいは同一人物であるとも言われている。
ちなみに金氏の祖は、件の、倭人である昔氏初代にして第四代新羅王脱解の治世時に、これまた件の倭人宰相瓢公が拾って来たとされている。
瓢公(あるいは朴氏も)や昔氏一族といった倭人たちが新羅建国に深く関わり、王、宰相として支えたわけです。非常に興味深いですね。
(参考文献:三国史記、三国遺事) 記紀は、発掘や遺伝子解析等から概ね本当の事を書いてそうだけど、ごまかしてることもある。
それは、年代と神様の名前等だ
>>525
その接着剤が無い国、例えば
支那やらトンスルランドやら米国やらは、
戦争や弾圧殺戮で国を維持している
まさかそっちがいい、とか言わんよな? >>531
天皇家のルーツと己のルーツは全く別のもんだしな >>522
蛇は倭人じゃない?
苗族とかの不義やジョカだから >>529
笑止
天皇は世界最古の君主だ
天皇より氏素性の明らかな君主は存在しない >>538
天からいきなり降臨してきた天皇が「素性の明らかな君主」だとはw でもさ、正統な南朝の天皇は第99代後亀山天皇のとき北朝にだまされて終わった。以後の
天皇は非正統の北朝天皇だよ。第122明治天皇も南朝が正統と言った。
ここから明治天皇替え玉説が出たけどね
誕生日も何もアジア各国が陰暦正月を華やかに祝ってるのに、バカジャップはグレコリオやん
グレコリオ暦だと陰暦の元旦は毎年違う日だろ。
バカウヨ&あべ&ジャップ会議は紀元節とか喜んでるんだろ?韓神のお祭りだし
>>533
誤魔化してるというか、すでに書かれた時代には分からなくなってたことがあるのだろう
断片的に伝えられていた物語を一本のストーリーにするにあたって本来の順番が入れ替わってるとかもありそう >>543
渡来人の支配
新羅も百済も王族最上位層が日本人だったし
新羅・百済よりも格上だったのが任那伽耶日本府で
(これは都道府県の一部の扱い)
新羅・百済を服属させ管理監視監督する役割だった
韓国朝鮮側が卑しくて自国女性を対外的に貢ぐ
差し出す献上する奪われる側だった >>543
おまエラは宗主国様マンセーしてずっと旧暦で過ごしてろよ >>537
倭人は呉の末裔を名乗る、中国南部からの渡来勢力。
太陽と鳥だよ。
池上曽根遺跡とか鳥型の木工品とか、建物の屋根に鳥を飾るとかあるしね。
記紀にも明日香時代鳥の格好をして祭祀をする記述がある。
伊勢神宮の巫女も鳥の羽をつけて舞う。 昔「義経はジンギスカン」
関「聖徳太子は蘇我入鹿」
井沢「卑弥呼はアマテラス」
今回のネタ「神武は大田田根子」
他の歴史ネタに比べると今回はインパクトが薄いいな
やっぱ神武はアレクサンダー大王くらい跳ねて欲しいとこ
>>545
ねぇよ。
宋に百済とは同等だから統治とかふざけたことぬかすなってハネられてるだろw
そもそも白村江で滅亡したじゃんw倭w >>512
そうかな
出雲、吉備が基盤に思えるけど
纏向は神武と敵対していた部族だろ。ジョーコー。
邪馬台国と無関係と考えれば、また別の推測もできる。 詳しい名前忘れたけど神話では朝鮮半島に降り立って
こちらに渡ってきたんだよな、無論半島が日本の勢力圏だったって意味だけど
>>549
日本は白村江の戦いの後も、朝鮮半島に非常に強い発言力を持っていた
夏五月(なつさつき)の戊申(つちのえさる)の朔甲子(きのえねのひ)に、百済の鎭將劉仁
願、朝散大夫郭努?等(てうさんだいぶくわくむそうら)を遣(まだ)して、表函(ふみひつ)と獻
物(みつき)とを進(たてまつ)る。
天智三年五月十七日、百済を占領していた唐の将軍の劉仁願は朝散大夫(階位 日本では従五位
の下に該当)の郭努?(不詳)らを使者とし、日本に箱入りの手紙と貢ぎ物とを持ってきた
このとき唐は、百済を占領することについて、日本の諒承をもとめてきた。
日本政府はこれを国使と認めず、筑紫の太宰府で処理し、都への入城を許さなかった(海外国記
九世紀末 藤原佐世 撰) 出雲のサルタヒコやヤマタノオロチ(本来のスサノオ)、BC1000年頃に稲作をもたらした殷の末裔など日本海側の渡来人は中国北部中部系。
龍神信仰だな。
2000年くらい前だと纒向遺跡のあたりは水辺の湿地だな。
遺跡発掘でも少し掘るだけで水が沸いてくるそうだ。
唐古・鍵遺跡は島か半島地形だったらしい。
橿原の辺りなら拠点にできる。隣接する御所市あたりは皇室と関係が深い葛城氏の勢力圏で2400年前の水田跡も出ている。
記紀の神武東征における大阪付近の話は地質調査による復元と一致したのは有名な話。
>>549
百済と日本が同等なら、なぜ百済王族を日本に人質に出してたんだろな?w >>530
吉備津か…
ああ、やっぱり、旧鬼さんのほうとセットなのか
あ、ヤバい…逃げられないかも 任那が貢物持ってこなくなったから天皇が派兵したとか記録あるらしいよ
>>554
渡来人の支配
●中国歴史書である「宋書」(488年頃成立)に、倭王の歴代が「使持節、都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事、安東大将軍、倭国王」と称していたという記録がある。
また、倭国王済が宋の文帝から、451年に「使持節都督、倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東将軍、倭国王」に旧来のように加号されたという記録がある。
●隋書 巻八十一 東夷伝 倭国
「百済と新羅はみな、日本を大国で珍しい物が多い国だとしており、ともに日本を敬い仰ぎ、つねに通使・往来している」と述べている。
●梁職貢図新羅題記
「斯羅は元は東夷の辰韓の小国である。魏の時代には新羅といい、宋の時代には斯羅というが同一の国である。あるときは韓に属し、あるときは倭に属した。
新羅の習俗は高句麗に似て、文字はなく木を刻んでいた。言葉は百済の通訳を待ち、通じていた」とある。 >>557
ねえよウスラ。
数年後に日本に国号替えたろ。新羅にお伺い建てて唐に数年かけて了承してもらったろw >>531
古代史ブログは女多いよ
最近の神社ブームとか御朱印帳ブームとかも >>564
渡来人の支配
●高句麗広開土王碑、中原高句麗碑
<百殘新羅舊是屬民、由來朝貢、而倭、以耒卯年來、渡海破百殘、加羅新羅、以為臣民。>
百済と新羅は高句麗の属国だったが、391年に日本が海を渡って攻めてきて百済加羅新羅を打ち破って臣民としてしまった。
●701年の文武天皇に対する朝賀の儀式にも、藤原京の大極殿に、新羅使が「蛮夷の使者」として参列している。
●「日本書紀」には、668年に新羅の僧道行が熱田神宮を参詣した後、清雪門から内部に侵入して草薙の剣を盗み新羅へと逃げる事件が記録されている。
しかし風雨により逃げた船は迷って元へと戻ってきてしまい、事なきを得た。
新羅僧道行が草薙の剣を窃盗した理由は、「霊験あらたかな草薙の剣を盗んで新羅の物にすれば、新羅が強国になると思った」からだという。
●韓国全羅道から、築造年代が5世紀中頃以降の日本式の前方後円墳が見つかっている。日本列島では、3世紀中頃に前方後円墳が発生しており、日本から導入された文化であることが確実とされている。 大海人皇子がモデルのでっち上げ
大海人が乗っ取りの初代
太陽はどこから昇るというと東から昇る
東からエネルギーが日本列島に与えられるし、日本列島(龍)は太陽(東)を向いている
西は太陽が沈んで闇になる、西から入ってくる闇は日本列島を暗くする
日本の国旗は日の丸であって太陽を象徴している
今の日本は西(闇)が優勢で闇の勢力が強い
早く光と闇の調和を保たないと日本列島は闇に呑まれることになる
なーんてね。笑笑
>>554
スサノヲは海の支配を命じられたが駄々をこねて高天原のアマテラスのところに押し掛けた。
その際の悪事を咎められて追放され降り立ったのが新羅だったが、こんなところは長居ができないと出て行き出雲に至った。
高天原は朝鮮半島ではないことを示唆している。 >>560
大国シナが辺境のそんな些細なこといちいち考慮すっかよw
んじゃなんで百済復興かけて倭も半島で戦ったんだよw
負けたよな?唐と新羅にw
んで倭は滅んだやん >>571
日本人によって医学がもたらされる以前の朝鮮では、人肉食など驚愕の迷信医療が行なわれていた
(調査資料第二十五輯 『民間信仰 第一部 朝鮮の鬼~』 朝鮮総督府 昭和四年 pp.441-463参照)
腸チフスには乾かした犬の糞を粉にし水に溶かして服用する。また人糞を布袋に入れ煎じて飲めば完治する。
豚の糞を水に溶かして飲む。小便器に鶏卵を入れて煮沸かしたものを服用する。
また、人糞にネギを混ぜて煮たものを食べる。馬の糞を煎じて食べる。白犬の糞を紙に包んだものを黒焼きにして食す。
腐敗した藁(わら)に発生した白い虫を油で揚げて食べる。人糞か女の月経水を飲む。
淋病は処女の尿に硫黄を混ぜて、一夜おいてこれを日光に晒して乾燥させた粉を食後に服用する。また、豚の糞を食べれば即効。
梅毒には動物、とくに人間の陰茎(ペニス)を煎じて飲む。淋病には自分の尿か水銀を飲む。
黴毒(梅毒と同じ性病)は人脳を食する。屍体に涌く虫を食べる。喘息(ぜんそく)には尿を飲む。
熱病には処女の初月経および豚の糞を煎じて、お湯に入れて患者に知られぬよう飲ませれば治る。
消化不良には豚の糞を食べればすぐに消化する。
河豚(フグ)中毒・腸チフス・打撲には白色犬の糞および人糞を水に溶かして飲む。
胸の痛みには白馬の尿を煮沸かして服用する。または、人糞を食べる。 >>571
自分のテリトリーを守るためにはそりゃ戦うだろ?
そんなこともわかならいボンクラなのか?
倭が滅んだとかアホなこと言うとるしw 日本書紀を素直に読めば良いだけと思うけど。
日向の国から東征して熊野国に入って女王国を滅ぼしたんだろ。
>>563
んだから南宋がふざけんなって
使持節・都督・倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・六国諸軍事、安東大将軍、倭王
って百済をはずしてる。新羅はまだ建国したての小国だからな。 >>564
何を言っているんだ?
唐は白村江の戦いの後は旧百済領に軍を駐屯させ、圧力に耐えかね内部分裂した高句麗を滅亡させて次は新羅と
なったから、新羅は使節を送って倭(日本)に泣きついてきたんだぞ。 >>573
滅んでなきゃ今も倭は存在してるだろw?
建国2600年だっけw? >>576 渡来人の征服
*14年・・・倭人の船団100余艘で海辺に侵入
*59年夏5月・・・倭国と友好を結んで使者を派遣しあった。
*73年・・・倭人が木出島を侵略したので羽烏(うう)を派遣して防衛させたが戦死してしまった。
*121年夏4月・・・倭人が東辺境を攻めた。
*123年春3月・・・倭国と和解。
*158年・・・倭人が訪問。
*173年・・・卑弥呼の使者が訪問。
*232年夏4月・・・倭人が金城(新羅の都)を包囲する。
*233年5月・・・倭人が東辺境を攻めた。
*249年夏4月・・・倭人が干老(新羅の一等官)を殺害。
*287年夏4月・・・倭人が一礼部(場所不明)を襲う。
*289年夏5月・・・倭人が攻めてくるというので戦船と鎧を修理した。
*292年夏6月・・・倭人が沙道城を攻め滅ぼす。
*294年春・・・新羅王いわく「倭人がしばしば攻めてくるので百姓が安して暮らせない。百済(朝鮮人)と共に
海を渡って倭国を攻めようと思うが?」
家臣の弘権いわく「私たちは海戦に慣れていません。遠征は危険です。まして百済な偽りが多く、私たちを
呑み込もうと野心があるので難しいです。」王は納得した。 >>575
日向の国の前はどこにいたんっすか天皇? アメノウズメは実在の何かと結びついてるの?
「天照を誘いださなきゃ」「よし脱ごう」
「向こうに怪しい人影が」「よし脱ごう」
こんな神様だけど。
>>576
倭の使者が行くよりも先に百済が冊封されていたから、倭が百済も自分の管轄だと言ってきたのを認められなかっただけだよ。 >>579
倭が滅亡したという歴史的史実なんかあんの?w
日本に国号を変えただけじゃないの?w >>577
え?朝鮮統一し唐を半島jから追っ払った新羅がなにを泣きつくの?
日本は新羅にごめんなさいしにきたてのは記録にあるけどねw >>570
つまり記紀成立世代に、朝鮮半島を罪人が向かう流刑地か左遷先とする意識があったんでしょうね >>581
神武が即位したというのは橿原だから、それ以前に『天皇』は存在しえないよ。 >「辛酉」は1260年に1回めぐってくる特別な年で
んなわけあるか
ふつうに60年に1回まわってくるぞ
>>583
あれ?倭は百済を支配してたてのはどこへ? >>580
>百済な偽りが多く
この一文は気になるな >>570
追放されて降り立ったのが出雲だよ
海を治めたのが新羅だよ。
でもこんなとこ嫌だお母さんに会いたいってだだこねたんだよ。
それでお母さんが眠っている熊野に帰ってきたの
そのご高天原に上って乱暴狼藉を働き出雲に追放されたんだよ ホアカリ系が捏造の始まりだな。
本来イザナギに破れ、天岩戸の向こう側尾張に追いやられたカグツチ。
天香久山の神。国常立神、大魔戸乃神。
ヤマタノオロチを倒した後は日本海側でスサノオを騙る。
倭国大乱でイザナギを倒した後はアマテラスを騙る。
倭国大乱以降は、本来は魏志倭人伝にある伊支馬、生駒の神。
>>569
吉備津=朝日
もしかしたら、闇から、もう逃げられないかもしれない… >>66
>三輪など何度でも行っている
是非、三輪山に登山することをお勧めします。
狭井神社から登れます。2時間もあれば登下山できます。
下山したら山の辺の道を歩いてね。 神武はアマテラスではないぞ
アマテラスを助けた存在
別にアマテラスを駆逐して支配したわけではない
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>>577を読んでそのレスでは、時系列を理解していないのが丸わかりだな。
この図の状態になって、唐は新羅の実権を奪い都督府を置こうとしたんだよ。
新羅は倭に使節を派遣し関係修復をして旧百済領の唐軍を孤立させてから戦争をした。 >>571
>倭は滅んだ・・・?
バカかこいつwww >>585
>日本は新羅にごめんなさいしにきたてのは記録にあるけどねw
具体的に引用してくれないか? >>585
>>591
渡来人の征服
*294年夏・・・倭人が長峯城を攻める。
*300年春正月・・・倭国へ使者を派遣する。
*312年春3月・・・倭国王から使者がきて、息子がいい年だから嫁を出せと言ってきたので急里(きゅうり)の
娘を倭国に送った。
*344年・・・倭国の使者がやってきてまた婚姻を申し込んできたが勇気を振り絞って断った。
*346年・・・婚姻拒否に怒ったのか倭人が風島に進軍。金城を包囲して攻撃。
*393年・・・倭人が金城を5日間包囲。
*402年・・・3月に倭国と友好を結び、17代新羅王 奈コツ王の子、末斯欣(みつしき)を人質に出す。 >>597
どうしてそうなるんだ?
記紀を読んだことがないという告白なのか? 70年前の敗戦が無けりゃ、日本は欧米白人の支配を撥ね除けた
世界でほぼ唯一の有色人種国家だったんだけどな
いまさら日本の歴史に誇りなど持てるのか
>>579
大倭
これをどう読むか知っているかい?
「オホヤマト」と読むんだよ。後に倭は和に変更されたけどな。 >>601
え?唐新羅が筑紫都督府おいたけどどうしたかって?
神武は本来阿波に騙されて参戦した隼人部隊の隊長。
一人でヤマト征伐の罪を着せられた。
気の毒な存在。
ヤマト征伐の首謀者は、阿波と尾張の火の神。
サルタヒコを殺したのも同じ。
サルタヒコの呪いは恐ろしい。
「底どく御魂」「つぶたつ御魂」「あわさく御魂」
底、独、常、立。国底立、国常立神。
阿波。阿波ひめ(口に羊)。
>>606
記紀は真実なんてネットは真実な連中が信じてるだけだろw >>606
では神武天皇はもともと橿原地方を治めていた王様だったということでいいんですか?
そういう客観的証拠があるんでしょうか? そもそも紀元前に神武だの天皇だの漢字を使ってたわけがないんで
皇紀とか大っぴらに口にして恥を晒すのはやめたほうがいい
>>610
トンデモの話をして楽しいか?
それが存在したということを具体的に史料の引用をして示してみろよ。 >>20
アレは藤原不比等のペンネーム説まであるぞ
色々辻褄合わせが上手くいってない理由が朝廷内での権力確立の為色々不都合なのを抹消したんじゃね?
とかで
三国志終わってから大陸が大戦乱になって日本の記述が再登場するまでの当時の文献ないからな
一次資料にあたるより成分分析とかの科学的アプローチが正解だろうね >>612
話がずれているぞ。
記紀の記述でも橿原での神武の即位より前には『天皇』は存在していない。 >>612
>>610
渡来人の支配
「百済本紀」
*397年夏5月・・・百済王は倭と友好を結び太子の典支(てんし)を人質に出す。
*402年5月・・・倭に使者を派遣し大きな珠を求めた。
*403年春2月・・・倭国から使者がやってきたので、王は超低姿勢で彼を迎え慰労し厚く遇した。
*405年・・・太子の典支(てんし)が倭国で父王の死の知らせを聞き、泣きじゃくって帰国を請う。
うるさいので兵士100人をつけて送り帰した。
*418年夏・・・倭国に白綿10反を貢いだ。
*428年・・・倭国の使者が50人も随行員を連れてやってきた。
「隋書 倭人伝」
<新羅は倭国に対して、うやうやしいほど使者を出していたw> >>582
イナンナ
「冥界に行かなきゃ」「よし脱ごう」
カーリー
「とりあえず皆殺しにしなきゃ」「よし脱ごう」 戦後70年経ってるのに大東亜戦争を定義化出来ない
日本歴史学会は一度解体して新しいの作れ
>>615
おまいらの真実の書の天智記に書いてあるなw 誰かと思ったら関裕二先生か。
この人の説って所々ツッコミどころがあるんだよな。
>>613
日本語がわからんの?
記紀の記述では『天皇』は神武の即位以前に存在はしてないよ。
即位前の神武、狭野尊は日向の田舎の豪族の末子でしかない。 横綱
芸能人
メディア
テクノロジーの進歩と情報化社会により
あらゆる偶像やファンタジーが解体されていく昨今に神武天皇て
>>618
そもそも天武なんてのが存在しない。
天武以降大王だったのを天皇としただけだろに。
初代天皇は唐の高宗だなw 歴史家100人で仮説1000通り
なんにもわからない
>>624
卑弥呼に準えた女神のアマテラスは、桓武天皇以降は関係ないからな。 伊勢神宮は本来は北九州にあるべきもの
歴史を塗り替える必要があったんだろう
>>622 >>628
高麗大学教授 金鉉球・鄭大均
わが国の中・高等学校教科書を見ると、百済・高句麗・新羅三国の文化が日本に伝えられた話が出てきますが、
その内容は日本古代史書である「日本書紀」を土台にしているもので、わが国の史書にはありません。
(そもそも韓国に古代の文献はほとんどない)
ところが、日本の学者が「日本書紀」を土台にして、古代日本が二百年余り朝鮮半島南部の伽耶(日本名任那)地域を支配したという
「任那日本府説」を主張すると、韓国の学界ではそれは信じることができないと主張しています。
これは明白な矛盾であり、こうした姿勢ゆえに日本の学界が韓国の学界を軽く見るのではありませんか、という身の程を知らぬ質問をした。
そしたらL教授は黙り込んで答えず、横に居られたC教授が「自信がないんだよ」とおっしゃった。
「日本書紀」には日本が「任那日本府」という機構を置いて朝鮮半島南部を支配しつつ、三国文化を運んでいったようになっている。
しかし、韓国の中・高等学校では三国文化が日本に伝播される国際関係に関しては何の説明もされず、
ただ高句麗・新羅・百済の三国が日本に文化を伝えた事実だけを教えている。
そこで学生達は日本を客観的に理解できずに、無条件、対日優越意識だけを助長する結果をもたらせた。
外国に出かけたわが国の学生が「任那日本説」に接して戸惑うのも無理はない。
実際の歴史は、日本に支配されたいわば「属国」であったにも関わらずだ。 >>628
もしかして、それが頭のいい返しだと思っている? >>15
日本の神話もほとんど世界にある類型パターンに当てはまるだろ?
黄泉の国から戻るのに振り向いたらダメなのに・・・になっちゃうなんて典型 諸星大二郎の暗黒神話はエンターテインメントだから面白い、少年ジャンプには不似合いだったが
グラハム・ハンコックだったっけ、あのインチキぶっこいてるヤツは糞面白くない
オウム真理教はインチキ以前、ただのキチガイ
,
邪馬台国は、宮崎県 西都原(さいとばる)で決まり。
>>627
新羅王族の天日槍の末裔の神功皇后wの息子で八幡神だっけw応神さんw
八幡神て香春におりた新羅神だけどなw >>625
神武が日向の田舎の豪族の末子?
天から降臨してきたと記紀には書いてあるんじゃ? >>31
秦の時代ってとっくに水稲が始まってただろ。
最近じゃ弥生時代が紀元前10世紀まで遡るっていう説まであるのに。
あと卑弥呼は誰の事か解らん。
箸墓に埋葬された倭迹迹日百襲比売命だとすると、桃太郎・吉備津彦命の姉であり、かぐや姫のモデルという説もあるがよくわからん。 天皇が何でうやうやしく、立派な神殿を三輪や伊勢、出雲建立し、賀茂や伊勢に内親王差し出すのか考えてみなよ。
怖れだよ。
>>629
おまえらソースって言ったらググレとかいうだろw?
大分親切だぞw? >>639
渡来人の支配
391年 倭は海を渡って百済、××、新羅を臣民にした(広開土王碑)
392年 百済は王を殺して倭王の遣使に謝罪し、遣使が立てた阿花王を即位させた(『日本書紀』)
397年 百済は人質として王子を倭国に出した(『日本書紀』、『三国史記』)
399年 百済は…倭と和通す(広開土王碑)
400年 百済の王が死んだとき、倭国は王子を百済に帰して王位に即けた。(『日本書紀』、『三国史記』)
461年 百済の蓋鹵王は倭王興(=安康天皇)の宮廷に弟の昆支を人質として送った(『日本書紀』<「百済新撰」) 出雲の王は堺に逃れてきたサルタヒコだよ。伊勢湾に祀られている。
伊勢湾は鎮魂の場所。
大阪湾のコピー。
倭国大乱でサルタヒコも本来のイザナギ系の王もヤマタノオロチ(本来のスサノオ)も殺されたんだよ。
伊勢湾は鎮魂の場所。
かつて行われていた天皇の即位の儀式、八十島祭は、その三者の鎮魂の祭祀。生國魂神社&海神二座。
めんどくさいなw
十一月丁巳朔乙丑 百濟鎭將劉仁願 遣熊津都督府熊山縣令上柱國司馬法聰等 送大山下境部連石積等於筑紫都督府
>>569
宇佐神宮は九州の東の端
伊勢神宮は紀伊半島の東の端
鹿島神宮は関東の東の端
これ偶然じゃないよね
太陽信仰が原初なのか? >>639
神功皇后の母の父系の祖先が天日矛なのだが、天日矛自体が本当にいたのか本当はどこのどいつなのかよくわからんがね。
神功皇后自身は開化天皇の男系子孫だよ。
天日矛が実在したとして新羅との関係なんてどれほど残っていたことか? 日向から筑紫の山門郡に出てきて、そこから東征したんだろ。
征服される側に九州の物が多くあるわけないやん。
出雲大社の神はオオナムチ。
島根の神庭の王族を追い出したのはオオナムチ。
オオナムチは尾張の勢力と同族、ミミ。
ヤマト征伐した勢力の仲間。
四世紀初頭には、大和の王権は沖ノ島で大規模な祭祀を始めている。
沖ノ島の国家的な祭祀というのは、大和が海の支配を目指したことを意味する。
四世紀末には高句麗に威圧を加えるまで成長している。
中国の混乱を尻目に、三世紀末から四世紀にかけて大和の力は内外で相当なものであったのが分かる。
>>648
そもそも神功皇后なんてのが存在してないだろw >>649
天下を取って天皇になれるほどの実力のある豪族が
当時の日向にあったという証拠がなにか残ってますかね?
とても信じられないんですがw >>639
どう考えても仲哀天皇の息子じゃないよなあw
>>637
諸星大二郎は「海神記」も面白い。
あれも神功皇后と応神だ。 >>648
姫は母系が全てなんだよ。
母、母の母、またその母とね。 >>640
ニニギが降臨したが、定着した場所は今の宮崎県と鹿児島県の県境地域で田舎だよ。
神武東征の前に「こんな殺伐とした田舎じゃウダツが上がらない、東方にいい所があるというからそこに行こう」という話になった。
http://www.seisaku.bz/nihonshoki/shoki_03.html
>而遼邈之地、猶未霑於王澤、遂使邑有君・村有長・各自分疆用相凌躒。抑又聞於鹽土老翁、曰『東有美地、山四周、
>其中亦有乘天磐船而飛降者。』余謂、彼地必當足以恢弘大業・光宅天下、蓋六合之中心乎。厥飛降者、謂是饒速日歟。
>何不就而都之乎。」諸皇子對曰「理實灼然、我亦恆以爲念。宜早行之。」是年也、太歲甲寅。 >>15
日本の神話は世界の神話とほぼ同じだと言われているんだけどもね・・・。
当時からかなりの交流があった証拠ではないかと言われている。 よく謎の四世紀と言われるが、大和が三世紀以来の力をさらに伸長させ、
極東全体に勢力を及ぼすべく、勢力を伸ばしたのははっきりしている。
>>652
記紀で、男装武装した女性はアマテラスと神功皇后ってあたり、
そこはかとなくw 記紀を書いたのは天武天皇の時代。
都合の悪いことは省かれている。
神功皇后の母系(母→母→母)は、和泉から越前に移っていた井戸の神系。
宮中式内社に祀られている福井の神だろうな。
>>655
であるならば余計に天日矛は関係なくなるな。
神功皇后の母の母は、天日矛の子孫ではないから。 >>645
1:石器時代の遺跡が50か所しかない(日本では一万以上発見されている)
2:一万年前〜五千年前までの間、遺跡が発見されない(半島人が絶滅、半島無人状態)
3:五千年前以降 縄文土器が多数発見される(北九州式縄文土器に酷似)
4:九州でとれる貝の装飾品や釣り針が発見されている
5:人骨の発見(四千年前)鹿児島大学調べによると頭骨の後ろ頭部分が大きく張り出しており
現代の半島人の後頭部(絶壁)と大きく違いがある。(直接の先祖ではない)
6:九州北部の人骨と酷似しており、この時代九州→半島(無人)への移住が行われていたと推察できる。 >>656
田舎のコンビニの駐車場でウンコ座りしてぶー垂れてたヤンキーの兄弟を
通りすがりの爺さんが焚きつけてる映像が浮かぶw 皇紀2600年云々をガチで信じてる保守が歴史をちゃんと認識しろって外国に向けて文句言ってるのは笑える
纒向遺跡の発掘調査に期待
まだ1割程度なんだろ?調査できているのって
>>656
だから日向に降臨する前はどこにいたのかってさっき聞いてたんだけど?w
まさか神武は宇宙人とか言わないよな?w >>442
神武〜9代目までの年数って、記紀以外に裏付けってあったっけ? >>653
神武東征は宗像や吉備の勢力の支援を得ている。
「実力」はそれらの有力豪族が担保していたのだろうと解釈できる。
ニギハヤヒも同族であることから、ニニギ系統は各地に複数派遣されたうちのひとつであることがわかる。 >>666
オリオンの三つ星(トライスター)は住吉三神。
これもまた応神の守護神だ。 南九州から大和かけて中央構造線上にある水銀鉱脈
水銀は鏡を磨いて白銀色に仕上げるにも必要
東征は水銀鉱脈を探すための移動でしょ
>>653 天孫降臨伝説でニニギノミコトが高天原から高千穂に降り立ったでしょ。
天の逆矛も日向でしょ。 >>305
九州ローカルだった九州倭国連盟が発展拡大して、列島規模の近畿大和国連合になった
そして北九州は大陸との窓口として整備された >>444
ネットでググると、経団連の奥田と御手洗の実績、混ぜこぜで書いてるサイトとか結構あるよな。
同じことがあっても不思議はないわ。
とくに当時はデータベースも国会図書館も無いわけだし。 >>650
7:Y染色体遺伝子分析により日本の渡来人による混血や始祖説は間違いであることが証明された。
8:ミトコンドリア遺伝子で日本側の遺伝子が母体と確認された(女性は生き残り男性は死滅した証明)
9:三国史(三国史記ではない)では、韓(馬韓)の南に倭人が住んでいるという記述あり、半島南部に日本からわたった人々が住んでいた。
10:三国史記(半島の史書)にダッカイという人物が倭のタバナ国より渡来し王族の元となったと記されている。
「脱解本多婆那国所生也。其国在倭国東北一千里」新羅4代国王
11:倭国とは南半島と日本列島全体を示すもの。
12:王族の婚姻について系譜から読み取れるもの、妻はほとんど金姓であること。
近親婚が常態化、 王族がそうであれば下々まで同じである、
欧米の調査によれば、遺伝子的に半島人は非常に変化が乏しくほぼ同一。 >>668
外国では例えばキリスト教のガチ勢は大昔に人間と恐竜が並存してたと本気で信じてるんですがそれは…
民族の数だけ、宗教の数だけ真実があるってはっきりわかんだね >>674
当時の日向にそんな大きな勢力があった史実はないでしょ
あったら出してみて
実際は、大陸方面から日向に船で漂着した神武一行が、
先に日本に渡来してた連中の支援を受けて最終的に大和に入ったってだけのことでしょ >>37
実際は武力で制圧したのかもしれないけど古代から日本人は話し合いで解決することに正当性を感じていたんだね。
西欧文化の基礎ギリシャ神話だと父神のウラノスを殺してクロノスへ最高権力が委譲してゼウスがさらにクロノスを殺して最高神になる
つまり殺して奪うことが最高権力委譲に必用な正当性なワケだね。
ギリシャ神話との類似性だと天岩戸と大地母神デメテルの話があるね。どちらも神がやる気を無くすことで災厄がおこるのだけど
ギリシャ神話は最高権力神ゼウスが命令して問題を解決する。日本神話は神々が各神の能力を駆使して協力して問題を解決する。
つまり文化として日本は協力と話し合いが美しいと感じてきたんだね。 >>678
私は史実の話をしています
神話レベルの話はどうでもいいのです >>673
神武即位がBC660なのは日本書紀
古事記だと途中在位年数の判らない天皇がいるからはっきりしないけど
神武即位が辛酉の年とは書いてあるからAD241かAD301 >>681
めんどくせなwそんなの信じてるならそこに出てる多婆那てのは、高句麗建国した朱蒙の三人の部下の一人陝父が建国したてのもあるがw? 九州は山ばかりで平地がなくて農作物がとれないので文明が育たなかった。
戦国時代も九州の大名は雑魚だった。
米がとれないので弱くて当たり前。
宮崎のようなド田舎に文明が起こるわけがない。
>>666
百合若大臣の伝承はユリシーズだしな。
記紀とはちょっと違うが。 天孫降臨の地は、博多湾の伊都国。奴国から割譲された地。
何処から天孫降臨したか?
上町台地の大阪城の地、な庭にイザナギがいたんだよ。
サルタヒコは泉北丘陵のアサカ。
スサノオ(ヤマヤマタノオロチ)がいたのが、泉北丘陵の鈴の宮遺跡だよ。
サルタヒコとヤマタノオロチはミミ族に追われて、島根の神庭、丹後半島の丹波から逃れてきたんだよ。
1世紀中頃、三者が協力してクニ、クナを作ったんだな。倭国(首長連合)の中心的な国。魏志倭人伝でいう狗奴国。
BC660ってジャップランドじゃどんぐりおいちぃねだったろw
>>665
遺跡の数は研究者の数に比例すると言うのがこの業界の常識なんだが・・・ >>685
ボトムアップの国民性、引きこもり体質は民族のDNAなのかw
天孫降臨もいきなり暴力に出るんじゃなく話し合いの形を取ってるね。
この辺も、インドやギリシャの神々とは性格がかなり違う。 >>685
高天原を追放されたスサノオが、
命の恩人であるオオゲツヒメを殺したのは都合が悪いからスルーですか >>693
陸稲は既にあったよ。栗の栽培もしてる。
ドングリも食べてただろうけどな。 >>651
アホか、海は支配できん。
明らかに朝鮮との交通の安全を祈願した場所だ。 八十島祭、なぜ生國魂神社(かつて大阪城の地にあった)と関係があるのか?
海神二座が幣帛に預かったのか?
なぜ難波津で行われたのか?
全て繋がってくる。
>>646
「筑紫都督府」は唐書に唐の役所として存在しないものだな。
で、その文では熊津都督府に唐の役人がいることが書いてあるが、「筑紫都督府」には書いていないな。
「筑紫都督府」は唐軍の役所だと言う連中は、この違いを無視しているのばかりだ。 >>666
何の関係が?
アンドロメダやオルフェウス、ハイヌウェレのパクリってんなら話はわかる 靖国神社に特製のカレンダーが売ってたけど年数が皇紀表記でもなけりゃ2.11の欄に普通に建国記念日って書いてあって拍子抜け
これフツーのカレンダーとどう違うんだ!ってキレそうになった
右翼だけは皇国史観を支持しろよな
>>688
>>662
>>691
今の韓国人は、現代の遺伝子調査では,標榜しているような5000年の歴史文化は持たず,主に高麗時代
に中国東北部からの襲来軍と一緒について来たツングースク系中国人である(エベンキ族や女真族)。
そして百済、新羅、高句麗の三韓時代から住んでいた本来の朝鮮民族は、ジェノサイド(村民皆殺し)
により入れ替わった。
そのため,朝鮮半島古来の「仏教」は儒教に変わり,それまでの「話し言葉」も消えてしまった.
また木を曲げて細工する技術までも消えたため水車も作れず、衣料の染め技術も、古来からの製鉄技術
もなくなり、鉄製の縫い針一つさえ作れなくなった。 >>689
雑魚に大臣や司令官やらせすぎだろw
「白人による世界支配」の時代を終焉させた日露戦争
日露戦争時の大臣や司令官
陸軍
陸軍大将 大山巌 ←九州出身
第一軍 軍司令官 黒木為禎 ←九州出身
第二軍 軍司令官 奥保鞏 ←九州出身
第四軍 軍司令官 野津道貫 ←九州出身
欧州での諜報工作 明石元二郎 ←九州出身
海軍
海軍大臣 山本権兵衛←九州出身
連合艦隊司令長官 東郷平八郎←九州出身
旅順港閉塞船指揮官 広瀬武夫←九州出身
外務大臣 小村寿太郎←九州出身 倭国大乱、ヤマト征伐は神殺し。
首謀者は、尾張の火の神と阿波。
隼人部隊の隊長神武はその罪をなすりつけられた気の毒な存在。
ニニギ系統は関係ない。
ニニギ系統は、倭国大乱前のクナの宮家。
神功皇后、応神で復活する。
記紀でもスクナヒコナが喜んでいる。
>>692
瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)だよ。
葦原中津国を治めよと命じられたのはその父親の天之忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)だったが、国譲りで
ごたごたしていた間にニニギが生まれたので統治権を譲った。 >>653
大陸文化も稲作も製鉄も九州から広まる。
最新鋭の技術と文明は、常に九州が優位の状態にあった。
本州側には大国が出来る素地がない。
軍事行動をしようにも、食料もままならない。 今年は西暦2018年で皇紀2678年だが、皇紀元年は西暦元年前後だろ・・・
6世紀まで春の年と秋の年があって今の1年が2年だったんだし
なんでBC660年とか出てくるんだ?
>>684
辺境の豪族に大きな勢力もへったくれもないでしょ。
他の有力豪族がその血統を利用しただけということでしかないという話をしているのだが、理解できないのか? 魏志倭人伝、邪馬台国に女王卑弥呼。
官は伊支馬有り。次は弥馬升と曰う。次は弥馬獲支と曰う。次は奴佳鞮。
伊支馬は生駒。火の神。
弥馬升は三見宿禰、出雲大臣の子。
弥馬獲支はミミ鷲、日鷲。 阿波。
奴佳鞮は中臣。
神武や欠史八代の名はない。
>>710
じゃニニギノミコトと神武天皇は別人なの?w
その後、東征して神武天皇になったっていう物語はどう説明すんの?w すべての始まりは漢王朝滅亡から。帯方郡の公孫氏増強からの滅亡。
魏、晋のパワーダウン。高句麗、百済の増強。
倭もどの勢力と結びつけば国力を維持できるか。
今の状況とそんなには変わらないんじゃないか。
まず、原告および、その場に居合わせた方々、そして差別的な言動によって人権を侵害してしまった不特定多数の在日コリアンの方々に、心からお詫びします。
私は2011年3月以降に「行動する保守運動」に参加するようになりました。このことは誤りであり、過ちであったと考えています。
特に、デモ行進や街頭宣伝、SNSなどにおいて在日コリアンの方々に投げかけた差別的言動や、行動保守に対する反対勢力の方々をすべて在日コリアンと思う、
または決め付けて、さらなる暴言を吐いたことや、一方的に暴力を加えたことについては、紛れもない差別であり、取り返しのつかないことをしてしまったと反省しています。
いまでも、そのことを思い出さない日々はありません。
なぜ、あのようなことを差別発言をしてしまったのか。インターネット上では在日コリアンにばかり向けられた悪意のあるデマを真に受けてしまい、
いま思うと、カルト宗教に傾倒してしまったような状態でした。
また、私の家族が差別的な言動をすることがあり、子どものころからそれを聞いていたため、潜在的な差別心が生まれていたのでしょう。
いまはそれを克服しようと自分の中の差別心との戦いを続けています。
私は、原告の請求原因の認否を争う趣旨ではありません。私は正業についていますが、原告が請求する金額を一括で支払いできる資力がありません。
しかし、できることならば分割払いで支払いを最後まで完了したいと考えています。
本当に申し訳ございませんでした。
記紀は天武の時代に書かれた。
天武天皇は邪馬台国系だよ。
桓武でまたイザナギ〜ニニギ〜応神に戻る。
記紀は天武に都合の良い捏造だらけ。
桓武以降の歴史の記録と照らせば、色々見えてくる。
>>700 >>722
1392年、女真族の李成桂が反乱を起こし,「高麗」を滅ぼして[李氏朝鮮]を建国し、
土地は李氏一族が独占、私有化した。
一般民衆には、簡単には土地が与えられず、掘立小屋を密集させ、地べたで寝る乞食のような暮らし
を強いられた。
また、李氏一族は、自分たちの支配にとって不都合なものを見つけると全てを破壊し,文書は燃やした。
両班(役人)などの有力者は、労力を出し惜しみ、白丁(賤民)や奴婢を、牛馬並みの「奴隷」として
「板の首かせ」 をはめて酷使し、自分たちは喫煙時さえ、長キセルを奴隷に持たせて吸った、また、
医者まで労働者として軽蔑された。
そのため韓国では、体力を使うスポーツのみならず、
人間活動の原点である「文化」も発生しなかった。 >>702
劉仁願が大山下境部連石積らを筑紫都督府に送ってきたろw >>456
日向国だから天孫降臨の地と言い出したのは宇佐神宮
宇佐神宮は自分の領地があった場所を高めようと色々捏造をしている
今の宮崎県民は神話の国というのを信じているが細かく調べればおかしな事ばかり
はっきり言って起源を主張するどこかの国のいうことと変わらん
これからは間違いは間違いと認めることが大事だと思う
続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり
木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ
おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる
よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる
なお天孫降臨が現実にあったと考えるのは無理がある
それに山上に神が降り立つというのは北方系の神話
高千穂地名の変遷
日向風土記逸文(713、引用は続日本紀797)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。本当に原本にあったか?)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925) 智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜) 日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂) >>716
お前は自分の脳内で想像したことしか話をしないな。
ちゃんと記紀に何が書いてあるのかの概説でもいいから読めよ。
>>656の話の中で出てくる先に大和に天磐船で降りた饒速日(ニギハヤヒ)は、東征の最後で同族だと判明する。
「降臨」は複数存在したということだ。
ニニギの一族は辺境に送られたということだろう。 >>715
>>709
また、毎年、三千名もの若い女性たちが「中国」(清など)に献上させられ、朝鮮国内には若い女性
が極端に少なく、 朝鮮の国民は、自分たちの性欲を満たすために「試し腹」の風習ができ,父親は
「自分の娘」を犯し、生まれてきた私生児の子供は奴隷、物品扱いにされた。
その風習は、李氏一族の崩壊まで500年間も続き、韓国民は家族間の「近親相姦」に狂ってきた。
そのため、韓国民は遺伝子が異常で、「火病」など特有の障害を持ち、また障害者の出産数が異常に多く、
民衆は全土で「病身舞」なるものを踊り、障害者を愚弄して楽しみとした。 神武はニニギの曾孫だよ
コイツは畿内説なの、微妙にズレているな
東征してきて、ニニギの兄弟が作ったと言われる纒向を征服したあと纒向は放置して橿原に都を作ったのが何か不自然なんだろうか
>>331
ワイも好きやでw
何しろ平和番組だからイラつかないのよ
アホっぽさ以外には 基礎知識の補完
天孫降臨(天照大神の孫が地上に降り立った)の天孫はニニギという人のことだよ
ニニギから四代目が神武天皇だよ。ニニギの父は天照大神の息子で母は皇祖神の娘だよ。
>>595
>>451
>>494
くわえて、朝鮮人にはトイレを作る発想が無く、家の内外には糞尿があふれ、悪臭で不潔を極めたが
全く平気であり、 結核の特効薬として「大便」を食べ、万能薬として人糞を溶かした酒(野人乾水、
トンスルなど)を飲んだ。 さらに「肌の見てくれ」が良くなると信じて、「小便」で顔を洗った。
また子供たちは、親の大便を多く食べるほど、親孝行とみなされた。
今でも、魚の「エイの人糞漬け」(ホンタク)は李氏王朝の超高級料理とされている。
「人糞」はまた塗料として使用した(人糞塗りをトンチルという)。 敗者と呪者って考えは面白いね。
神武から3代か4代の都の記述を読むと、3代目辺りで神武の後継はようやく巻向(磯城)に入れる。それまではヤマト氏が管理。
たかだか一個大隊程度の戦力で勝てるわけないから、権威的なもので磯城軍と休戦して、子孫が大和朝を開いたと考えていた。
この説に合わせると、北九州で倭国大乱。漢倭奴王の子孫が敗北。それで大和につれて来られ権威を与えられ、まだくすぶる九州の大乱の中、娘の卑弥呼って流れは考えられる。
抵抗主力が南九州や沖縄に逃げるのもあり。男王ヒミホホをそこに設定しても良いが、吾妻にも出雲にも南紀州の熊野にも九州の敗者の子孫の王ではと反発した王もいただろ。
天武天皇は福井県系
で旧難波王系滅ぼした系統
九州倭国系は亡命王
>>724
だから、筑紫都督府が唐のものなら、日本側はそこと受け取りのやり取りをすることになるが、その記述は
あるのか?
熊津都督府に「熊山縣令上柱國司馬法聰」等がいるように、筑紫にもいて交渉しないとおかしいだろ。 ラノベ古事記読んだらそのキャラでイメージされるようになった
>>388
>>404
>>418
19世紀に書かれたイザベラ・バードの「朝鮮紀行」によると、韓国は歴史が止まり、禿山しかなく
また韓国人は狡猾で詐欺、盗み、悪口で充ちており、ソウルの街は「世界一不潔」だとある。
更にイザベラは言う、「少しでも貯えがあることが知られると、李氏一族の役人が来て、全てを
奪略する制度なので、韓国民は被害を受けないように、皆が乞食同然の、ギリギリの
貧困生活をしている」と・・・。
しかし旅行家イサベラ・バードは、日本を旅行して、こうも述べた。
「日本国民と比較して、英国の国民が劣ってていないことを願う。
しかし、残念ながら実際はそうではない。」と・・。 >>500
でも記紀を読むと優男ではなく顔面に刺青をした傭兵隊長のイメージ >>15
おまえ馬鹿だろ
日本の神話は欧州の神話と違ってかなり現実に即してる
口伝で伝わり続ける話というのがあるんだよ
太古の地理とかを調べるとなるほどと頷ける部分が相当ある 宮崎みたいな土人しかいないクソ田舎に文明など生まれるわけがない。
文明は奈良で発生して近畿地方全域に拡大していった。
近畿以外の地方で栄えたのは岡山だけだがそれも奈良の吉備津彦によって滅ぼされた。
日本の文明の発症は奈良、すなわち大和の国。
邪馬台国は奈良だった。
>>502
>そもそも神武と崇神が同一人物というのが間違いなのだろ
そうだよ
漢字で書くとまったく別だし
読みが同じだとしたのは奈良時代からだからね もともと隼人を制圧した後の作り話なんで…「隼人は遠い昔の契約で天皇家に従う運命にある」という創作
俺が東亜板で天皇も源氏も平家もそういうのは全部渡来系ってぶち上げたら速攻でチョソ扱いされたわw
まあエッジが効いてるとは思うけど
奈良・・ナラというのは韓国(朝鮮)語で「国」という意味。
だから奈良平野の最初の王朝は韓国系だったと思われる。嫌韓だった桓武天皇が長岡京、平安京に遷都した。
土器だけで九州から来てないは無理があるかなw
東海地方の土器が多いのは有名だけど
地政学的に、東海は栄える条件が揃ってる近畿にもっとも近い地域
強い結びつきの同盟&連携関係が有ったと言うだけの話
>>716
ニニギの三代あとが神武だよ何言ってんの? 神武は崇神でなく応神という説があるが今のままでは
永遠に結論が出ないはず。
唯一検証出来るかも知れない方法は、宮内庁が管理して
いる全国の天皇稜とされている古墳を発掘することだと
思う。
絶対に許可がおりないだろうが。
>>433 >>749
>>558
>>611
渡来人の支配
朝鮮半島全土から、縄文土器や勾玉が出土する。
しかも、勾玉は新潟姫川産の翡翠が原料だ。
346年 倭の軍隊が突然に風島を襲い、さらに進軍して金城(新羅首都)を包囲して激しく攻めた。【三国史記・新羅本紀】
364年 倭兵大いに至る。 王はこれを聞き、とても敵わないと恐れる。【三国史記・新羅本紀】
391年 倭が海を渡り、百残(百済)、□□新羅を破り、これを臣民とする【広開土王碑】
393年 倭人が侵入し、金城を包囲して5日間も解かなかった。【三国史記・新羅本紀】
397年 百済、倭国と国交を結び王子の腆支(テンシ)を人質に送る。【三国史記・百済本紀】
399年 倭が新羅の国境に満ち城池を潰破し民を奴客とし、百済は誓いを違えて倭に通じた。【広開土王碑】
400年 倭が、新羅城のうちに満ちる。新羅救援の高句麗軍が接近すると倭賊は任那・加羅に退いた。【広開土王碑】 >>742
お前がその時代に生きてて見聞きしてたならそうだろさw その前にニニギの二代あとの息子のニギハヤヒが大和の王になってるけど
>>109
キリストさんの誕生日だよ、後で計算したら一週間ほど違ってたとかで、でもカレンダーは動いているから サンタさんが来る日にお祝いをすることにしたんだ、 鬼畜、東京都北区赤羽住民、創価学会集団ストーカーに加担する
ド ト ー ル コ ー ヒ ー は 創価学会だ (2015年時点)
ド ト ー ル グループ エ ク セ ル シ オ ー ル カ フ ェ 、星 乃 珈琲
赤羽警察署は偽証申告した住民の犯罪を
もみ消しにかかってる
gbっjんjんんkっっjっっっっっっk
>>479
クロマニヨン人がネアンデルタール人に何をしたかは考えないのかね? >>756
キリストじゃなくてミトラでしょ
太陽神ミトラ 古代難波京系が古墳時代で大古墳作ってたのは
滅んでるだろ
>>753
誇らしく広開土王碑とかコピペしてっけど、その広開土王は倭猿を半島から追っ払った王なw
ちゃんと御自慢の広開土王碑に記してあるw >>744
いやいや出雲だろ
もともと出雲の大国主がスクナビコナと協力して
天下を経営し、禁厭(まじない)、医薬などの道を教え
葦原中国の国作りを完成させたんだ >>706
まとめて九州出身としているけど半分は薩摩だな 東征の記述をみる限りやはり価値観として
九州が優れていたというものが当時にあったんだろう
いくら創作といってもその当時の認知を超えるものはでてこないので妥当なところ
ではなぜ東へ権威権力が移ったようにしておく必要があったかを考えると・・・
わりと疫病で先進国が危機に瀕して後進国が制圧し生き残った権威をつれていったという説も
細かい年代はおいておいてありえる話しかも
>>734
卑弥呼が支那王朝の権威にこだわったのは、漢倭奴王の子孫だからってのはあり。
トヨは傀儡というより、現代と同じ象徴として支那王朝との後始末。
以後応神朝で外交問題にぶつかるまで、支那?知らん。 >>749
珍説にのるとすると
唐と新羅で派閥争いでもあったのかな いくら読んでも頭に入らないんだな
推古以前とかどうでもいいよ
>>1>>2
面白い!!!
新しい説だね。
邪馬台国は纏向であり、その勢力は九州も併呑してしまったと。
ただ、連合勢力だった大和=邪馬台国は疫病が蔓延した際に、その呪いを鎮めるためにとかつて滅ぼした九州の海人勢力の末裔を祭祀王にする必要に迫られたと。
選ばれたのが神武帝だったわけだが、大和側にもそれに反対する勢力がいて、河内湖で戦闘になり神武帝は熊野へ退避したと。
そこから、神武帝を招いた勢力が反対派に勝利して、最終的に神武帝が大和の主になったと。
確かに、記紀との整合性もつくね。 >>763
出雲大社は島根か、島根って縄文遺伝子が東北レベルに濃いんだよね
飛び地で何でそうなってるのかは俺はまだ答えが出せないでいる >>744
日向国でも神話の舞台は薩摩半島の方だね
阿多隼人のいたところだよ
宮崎とはかなり離れている >>771
出雲は、大和朝廷側が武力ではなく対話なり和議で吸収したんだと思う。
証拠に、律令制度に移行した後も、出雲の国司だけは大和朝廷が決定して派遣するのではなく、出雲で選出された者を大和朝廷が承認するという特別扱いが続いていた。 >>762
404年 倭、不軌にも帯方界に侵入し、高句麗軍と戦う。【広開土王碑】
405年 倭国に人質となっていた百済王子の腆支、倭国の護衛により海中の島にて待機してのち百済王として即位。【三国史記・百済本紀】
405年 倭兵が侵入し、明活城(慶州市普門里)を攻撃。【三国史記・新羅本紀】
407年 倭人が東部と南部へ侵入。【三国史記・新羅本紀】
407年 万を超える倭が進出。【広開土王碑】
425〜443年の間 倭国王珍が、自ら使持節都督・倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓・六国諸軍事・安東大将軍・倭国王と称す。【『宋書』倭国伝】
451年 宋が倭国王済を、使持節都督・倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・六国諸軍事・安東将軍・倭国王に任ず。【『宋書』倭国伝】
462〜478年の間 倭国王武が、自ら使持節都督・倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・七国諸軍事・安東大将軍・倭国王と称す。【『宋書』倭国伝】
478年 宋が倭国王武を、使持節都督・倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・六国諸軍事・安東大将軍・倭王に任ず。【『宋書』倭国伝】 神武東征ってさ九州で栄えてた豪族があったとしてなんで近畿まで攻めてくる必要性があったの?
はるか後の時代の島津家ですら関ヶ原まで行くのに大変な思いしてるし
九州から近畿までの移動に伴う宿とか食料とか戦争するんだったら武器とか防具の運搬とか相当大変だったと思うんだけどな
信長みたいな天下統一の考えがその時代に既にあったのかな
アホな俺にはいまいち分からんわ
>>765
垂仁天皇の姉だったかだれかが死んだとき古墳に一緒に何人も生き埋めにされるの見てこれはいかん、今後は埴輪を埋めるようにと言ったの知らんの? >>775
そのとおり。
邪馬台国九州説はかなり荒唐無稽な説だからね。 >>746
でも日向神話には南方海洋民族の説話が取り入れられているんだよね
木花咲耶姫とか海幸山幸とか
単純に従えとというならただ話の中の負け組に当てはめればいい
でも大事な祖先の話を征伐した蛮族の昔話から採用したりするかな >>689
文明が育たなかったはずの九州人に大学作ってもらった近畿の立場は?
京都大学初代総長 木下廣次 熊本出身
東京大学教授,文部省専門学務局長などをへて
ドイツ流の大学システムを採用し京都大学のいわゆる「自由の学風」の基礎を作ったとされる
大阪帝国大学初代総長 長岡半太郎 長崎出身
物理学者 東京帝国大学教授 理化学研究所主任研究員・帝国学士院院長等も歴任
第一回文化勲章受章。正三位勲一等旭日大綬章追贈 >>775
そんなものすでにニギハヤヒがお膳立てして大和で待ってたに決まってるじゃん
八咫烏やら高倉下が熊野でお出迎えしてんのに >>775
古代の軍隊は軽装だし寡兵だし馬匹も無いだろうから運用は割と難しくなかったんじゃね 加藤一二三の神武以来をじんむいらいと読んでた無知な俺
纒向のニギハヤヒも九州だぞ
ニニギの天孫降臨は倭国大乱の話で、その時期2世紀後半に、大乱から逃れて九州から畿内にやってきたのがニギハヤヒ
神武の東征は、3世紀後半から4世紀前半の話
さすがに傭兵隊長から天皇はねえよw
武内宿禰という眷属から応神が出てさ
初代を大王にしたんだろ
>>774
ちなみに、聖徳太子が怒らせたので有名な隋の皇帝煬帝は高句麗を何度攻めても滅ぼせなかった上に、その戦費が財政を破綻させて隋の滅亡の原因となった。
そんな高句麗を相手に互角の戦いを続けていた倭国が弱小国なわけないわな。
高句麗の強力な騎馬隊を相手に戦い抜くって事は、装備もかなり強力だったはず。 日本の歴史に意味を感じないのは、
国と歴史学者の統制意図が見え隠れするからかもな
まあ反日教育受けて育ったからなんとも言えんw
>>785
互角なわけないだろ
半島から倭猿おっぱらったのが談徳だぞw 歴史から消し去られた大和朝廷以外の王朝があったのは確定
大和より栄えていた邪馬台国は滅ぼされたんじゃなくて
吸収されていったんじゃなかろうか
宮崎に天孫降臨したのならね
>>775
記紀を読めば神武天皇はそのセリフとは異なる旅をふらふら続けてるよ
東征なんてもんじゃ無く旅の末に奈良で傭兵隊長兼ムコ殿として定住している >>783
同族がお膳立てして待ってたんだから、東征じゃなくて、九州勢に王権譲るの納得できない反乱軍の鎮圧物語だろう。 >>763
島根の王族は、オオナムチに神庭の地を追い出されたんだよ。倭人の元に逃れたんだよ。
中つ国で、国造りをして大国主と呼ばれるのはこっち。
島根を統一したのはオオナムチ。本来は大国主とは別人。
杵築大社の八雲の天井図で雲が一つ足りないのはこれが原因。 >>784
>さすがに傭兵隊長から天皇はねえよw
>
>武内宿禰という眷属から応神が出てさ
>初代を大王にしたんだろ
おれ、武内宿禰の子孫なんだが >>785
皇軍もそれなりの重装騎兵を抱えてただろうな
戦国時代の騎馬隊、帝国陸軍の騎兵、陸自の機甲科部隊と日本は古来より騎兵の力を重要視するお国柄だ >>797
日本在来馬の原郷は、モンゴル高原であるとされる。
現存する東アジア在来馬について、血液蛋白を指標とする遺伝学的解析を行った野沢謙によれば、
日本在来馬の起源は、古墳時代に家畜馬として、モンゴルから朝鮮半島を経由して九州に導入された
体高(地面からき甲までの高さ)130cm程の蒙古系馬にあるという。
古墳時代っていつだっけ >>786
先祖が「皇軍」で戦死したが(誰でもそうだろう)
古事記のエロ神話とか死ねと思った 古事記日本書紀、天皇賛美どころか、天孫系貶めまくり。
謀略侵略と同族権力争いによる殺戮の歴史を記している。
古代からずっと九州民の坂本氏だよ
本流は滅ぼされたから残ってない
土着民でも戦国、江戸時代があったけど
落ちても武士階級だからね
>>783
ニギハヤヒを各地の派遣官僚(貴族)ヒナモリとしても良いと思うんだがね。
この逆説での役割は、九州から来た敗者というか併合した王朝子孫の首実検役とか w 初期の大和朝廷は一系ではなく三王朝交代説が強いし
皇室の伊勢神宮は高床式とか南方系の要素が強いし
一理ある説かもね。
大根子の神は、滅ぼされた出雲のことかと思っていたけど。
>>775
>神武東征ってさ九州で栄えてた豪族があったとしてなんで近畿まで攻めてくる
>>1にあるようにここは創作だとほぼ一致してるんだわ
問題はなぜ日本書紀が編纂された時代に
なぜ九州からわざわざ近畿へ遠征してそこで即位したかのような既成事実が必要だったのか
から当時の事情を探ろうとしている感じ
いくら創作といってもその当時の教養や知り得る情報を超える記述は文章にあらわれないからね
2000年代の未来創作モノにはガラケーの進化版がでてくるが
2010年代の未来創作モノにはスマホに置き換わってるようにw
当時お手本だった大陸の史記や漢書後漢書が皇統を正当化するストーリをどう記述していたのか
当時の遺跡や現存の史料や言い伝えからあれこれ時系列の整合性をとって事実はどこにあるのか 橿原遺跡からは、環濠をめぐらせた集落や物見やぐらのあとらしきものなど
大規模なものが発見されている
神武天皇の都だったかどうかはともかく、この地が大きな都だったことは間違いない
>>778
その昔、九州の隼人族は大和朝廷に対して敗北と謝罪服従を意味する
隼人舞を毎年、踊らされていたそうだ
そこで海幸山幸の神話の意味することがわかる。
海幸は隼人族の祖先であり、山幸は神武天皇つまり大和朝廷の祖先
兄である海幸は弟である山幸に逆らったことを詫び、服従する
その誓いを立てさせるための神話であると言われているのよ
それで一歩踏み込んで考えれば隼人族が兄神になっているとこみれば、この神話はもともと南九州での争いに破れた
山幸こと、神武天皇の一族が本州に逃げていった
これが海幸山幸の神話に反映した歴史的事実であり、神武の東征は
南九州で敗北して逃走をよぎなくされた高千穂を拠点とする一族が神武の一族であった
それを示しているのではないかと私は思う >>793
渡来人の支配
三国史・・・・・・・・・・・朝鮮半島南「狗邪」は「倭国の北限」
宋書倭国伝・・・・・・・・・朝鮮半島は倭が支配している
広開土王碑・・・・・・・・・倭国が海を渡り百済と新羅を臣下にした。
日本書紀・・・・・・・・・「391年 神宮皇后が百済新羅を日本領土とした。」
宋書・・・・・・・・・・・・倭国が朝鮮半島南部を領地にした。
随書・・・・・・・・・・・・倭国は産物も豊かで鉄の鏃で武装した軍隊を持つ。百済と新羅は倭国を大国として敬った。
朝鮮半島に日本式古墳がある、半島南部は古代から日本領地なのは世界の常識。 アマテル(アマテラス)族が日向や西日本を中心に
アマテルより昔から日本に移住していた出雲の民が山陰から近畿に展開
ふたつの民族?は元々スメル文明が栄えた中近東辺りから
海路と陸路で日本に到達した派閥が違うがほぼ同じ民族
アマテル(天皇系)が出雲族に領土を明け渡すよう要求し出雲族はそれを飲む
出雲族は東日本に追われ抵抗勢力は虐殺される
その後ヤマトが成立した
そんな感じですか?違ってるかな?
>>647
必然やで
太陽を観測するのが「日見子」なんやから >>809
単純にうちの先祖はどこどこの出というのは誰でも言うことだけど 桜井の纏向付近の方は飛鳥時代より古い弥生以前のものが発掘される。
大神神社はもちろん飛鳥時代よりももっと古い。
それに対して橿原は飛鳥時代以降のものが発掘される。
橿原に宮があったというのは天武天皇あたりがつくった創作に近いのではないかと思う。
大神神社はおそらく天皇家とは関係のない豪族が崇拝してたのだろう。
>>810
海幸山幸の話自体は南方海洋民族の説話としていろんな国に伝わっているから
天皇家の祖先に実際にあったことと考え無くていいよ >>777
纏向が有力候補でもなんでもなくなった、歴博グループはんは、回れ右 >>816
阿部寛で大河ドラマ化しないかな
縄文顔でちょうどいいと思うんだけど >>816
原作は?w
安彦良和のトンデモ漫画か? >>647
それらすべて、日本最大の断層
中央構造線 稗田阿礼「爺様達から聞いた通りに言っただけ」
太安万侶「稗田が言った事を書き写しただけ」
今となってはどうやったってそれ以上のことは解らん
>>1
纏向は平地で橿原は小山
距離は10Km
東北の藤原京から見た畝傍山
高台で即位するのは理にかなう
祟る神はたたら神
伊勢津彦を追いやった際のかぜを巻いて飛び去った
砂鉄から造った質の悪い鉄器に負けた伊勢津彦
大和から質の悪い鉄器は朽ちやすく出土しないのではないか 古事記、日本書紀には
司馬遷の史記のように事実が少ないからなー
新潮は古典集成出してるんだからこんなとんでも文章載せたら駄目だよ
>>455
新唐書だろ?でも、新唐書が執筆され完成したのって1060年だぜ。
天御中主から?瀲まで二十三世(※32というのは23を取り間違えた可能性が高い)の王が筑紫城に居るってやつね。
でもそれ、執筆の際の情報源は東大寺の僧侶・「然が宋の太宗に献上した『王年代紀』らしいよ。なんか胡散臭いネ。 日本書紀・古事記が書かれた時代には天皇は神武から
ずーと続いてることになっているから、実際には、異なる王朝の
神話や祭祀を全部、くっ付けて、昔からずーと継続してることになっているんじゃないの?
ローマの建国神話もギリシャに負けたトロイの眷属がローマに逃げて建国したとか
わりとある話なんだろな
今日中央線で扉付近に立ってたんだけど、たまたま並走する電車があって、パッと向こうの方を見たら、扉付近に乗ってる女の人と目が合った。
ヤバイ、これは君の名は状態だと思い、思わず目を反らした。
橿原遺跡の規模とか考えれば、魏志倭人伝に記された
邪馬台国の都そのものと言ってよい
崇神天皇の都があった大和磯城瑞籬宮
現在の奈良県桜井市には、大規模な集落などは発見されていないが
そこには箸墓遺跡など、当時の巨大古墳が存在する
その事実から考えて現在の橿原市と桜井市
記紀の記載どおり、このどちらにも当時の強力な王権の都があったと考えるのは
普通の事だと思うよ
記紀の記述とそうした発掘のデーターは、多くの一致を見ている一方で
矛盾も多くはらんでいるだけに、はっきりいってどう解釈してよいかわからない
神武天皇と崇神天皇の和名のおくり名が同じ、ハツクニシラススメであることなど
両者が同一人物であることを示唆する記述があるのも事実だしな
とりあえず継体天皇でヤマトの血筋は途絶えてるんでは
歴史が長い神社の話だと
西日本はともかく東日本まで創立が大和朝廷設立前
日本は血統主義じゃなくて家系主義だから
DNA的血筋はそこまで重要じゃない
祭祀を継ぐ事が、家を継ぐということ
>>817
いや、それはわかっているけど
だけど、神話の記述が天皇の先祖である山幸を弟に
隼人族の先祖の海幸を兄にしているのがわからない
隼人族が服従の証として隼人舞を踊らされたことも
そこから推測すれば、隼人族の神話を取り込み
史実を織り込んだのではないかってことだが >>796
日本人のほとんどが藤原氏の子孫というのと似てそう 天皇は思いっきり血統主義だよ。
どっかの坊さんが女性天皇の愛人で天皇にする詔が出たけど、血統以外認められないと言って詔翻させられたんだよ
亡命先で事実上の建国をして復讐をはたしたのは頼朝だけだなw
神話じゃなくて本当に成功したのはスゲェわw
明日から仕事やのに楽しくて初めから全部読んだ。こんなの大好きやわ
>>815
橿原神宮の外苑では弥生時代はもちろん
縄文時代の土偶やら人骨やらも発掘されているよ 消された王朝の歴史って発掘品しか情報源が無いよなー
街のど真ん中や、役所の地下に眠ってると発掘さえ出来ない
2000年前から続いてる由緒正しき神社しか資料持ってなさそう
神話だけにね
>>832
漢字で書くとまるで違うよ
後になってこれはなんと読むんだという時に同じ読みにしたのだから >>837
やり込められるのは兄なのが元々の説話だからね 九州は文明の玄関口だった
吉備や出雲は製鉄の拠点
そんな地理的優位性みたいなものが大和には何があったのかと
あるとしたら湿地と平野の続く穀倉地帯ってことなのかな
そして米はやはり腐敗せず流通する食料として優秀だったのだろう
そういう素朴な観点からも古代を考えてみたいんだよね
>>42
しー!
そこ一番気にしてるところだから刺激しちゃだめ! わけわからん解釈ばっかりだと思ったら
書いてる人がやりすぎ都市伝説の関かよ
シナの古文書には百越の民が海を渡ったとか
卑弥呼の使者が自分らを呉の太伯の末裔と語ったとかいう記述が
宇佐神宮の歴史と天皇家の関係
高千穂の天の岩戸神社
これからに九州の転輪降臨と、大和朝廷ルーツ
歴史に消された他の王朝の答えがある
>>852
まずは食料が多い=人口が多いだからね
古代においてはすべての作業が人海戦術だから人口が多いことが最優先される 天皇=天子=天使
神武=武の神=戦いの神はヘブライ語でイスラエル
つまり神武天皇の正体はイスラエルの天使
ヤコブとお相撲した方でーふ。
>>813
卑弥呼側には、暦がないんだな。魏志倭人伝にそう書いてある。
暦を独占していたのがサルタヒコ。一子相伝。出雲の権威の源。
1世紀初め島根を追われて、泉北丘陵に逃げ延びていたんだな。
クナ国の最後の生き残り。
卑弥弓呼。日見彦。
サルタヒコの最後の後継が殺されて、以降数百年暦がなくなる。 >>109
もともとは、古代ローマでは農作業を行う最初の月を年初にしていた。
それが現在で言うところの春の初めである3月で3月15日が年初で、執政官の就任を年初の3月15日からにしていた。
しかし、AD153年に現在のスペインで反乱が起き、この結果として執政官の就任が現在の1月1日になった。
執政官の就任=年初設定にその頃には慣習化されていたので、年初を3月から1月に移動させることにした。
だが、この時点で天体の運行と実際の日付はかなりずれていた。
そこで、カエサルはAD46年にそれまでの暦をやめて、AD46年を455日に延長。
とりあえず、実際の3月15日が3月15日であるように修正、AD45年の1月1日から仕切りなおしをした。
その1月1日が天体の運行と関係が無いのは、そんな政治的な都合からとカエサルの大胆な一年の延長がその理由。 >>76
四大文明の地に今どのような人たちが住んでいるのか見れば答えは自ずから 俺の予想は、日本人ってのは春秋戦国時代に移民してきた人たちの子孫
そもそも縄文人にはクニという概念すらなかったと思う
まあ継体も仁徳の5代後とか「継体」とか無理に結び付けようとしている。
三国(福井)と都と離れすぎてる。なかなか都に入らなかったらしいし。
ただ征服王朝ではなかったのは複数の豪族に擁立されてなっている。
本当にただ仁徳系の血筋が絶えただけだったのかも。
日本の天皇制の不思議。
>>856
上の行は、下戸遺伝子の研究からもほぼ確実視して問題ないw
稲作も中国南部から >>863
あの現象、面白いよねえ
栄華を誇ったであろう地域はすべて朽ち果てていく
モンゴル帝国なんか遺物がほとんど無いから、そのうち無かったことにされるんじゃないの
大航海時代を制覇したスペインも、今じゃ見る影もない >>857
すまんが、高千穂とか宇佐とか思いっきり記紀の世界観じゃん
歴史から消されたのは瀬織津姫とかその辺でしょ >>858
成る程ね
だとしたら近江や濃尾平野が強国になっていったのも頷ける
まず自然に米が取れる湿地や扇状地から始まって、次第に治水と土木で大生産地になる平野が力を付けていった経過が想像つくね >>821
せやで。それが谷になってて、見通す線の日の出を観測すれば、暦作れるいう主張なんやって
ラノベはんの >>878
こいつとか逆説の日本史のやつとか、誰が買ってるのか読んでるのか意味不明 >>874
セオリツ姫をクローズアップしたのは中臣金だよね
壬申の乱がなければ、また違った神話が残っていたのかもな >>861
ところが邪馬台国九州説の中央構造線説だと、正確な暦ができてまうんよ
明文化された暦は作られへんでも、毎年農耕の基準日を教示でけるねん >>1に出てくる、
忌部の一族は呪術の一族。現代の苗字は忌部さん斎部さん、天太玉命を祖先氏神とする
橿原宮の近くに天太玉命神社(橿原市忌部町)がある。
四国ノ阿波(アワ)の国から黒潮に乗って那智勝浦、南紀白浜、伊豆白浜、と渡り、
千葉県の安房(アワ)に移る、安房国一宮安房神社の主神は天太玉命、なので安房の国にも白浜と勝浦があるのかなと俺は勝手に思っている。
出雲忌部氏・讃岐忌部氏・筑紫忌部氏・伊勢忌部氏・紀伊忌部氏重要な神社がある場所に子孫はいるが歴史上名前が残った人物は非常に少ない。
なぞの氏族
>>815
> 大神神社はおそらく天皇家とは関係のない豪族が崇拝してたのだろう。
ニギハヤヒに連なる物部系、三輪氏でしょ
天皇祭祀を司ってるんだから、天皇家と関係ないとは言えない >>882
もともと普通にいらっしゃった神様で祝詞に出てくるけど、持統天皇辺りがアマテラスを女性にするために、アマテルの嫁の瀬織津姫が邪魔になり歴史から消したと噂だ >>828
大神神社 : 大物主=長髄彦
石上神宮 : 布都御魂大神=ニギハヤヒ
って言う本を今読んでる 初期の天皇は土豪連合の代表なんだから王朝はコロコロ変わってただろ
卑弥呼は出雲系 神武は日向系
>>889
そのために処刑されたのか
左大臣の蘇我赤兄が助命されて右大臣の中臣金が処刑されたのは不思議だったが
中臣金処刑の原因は祝詞を作製したからか 天武と持統の天皇夫婦が怪しい
あいつらの妄想が正史になってる気がする
なぜアマテラスを女性と偽らなきゃいけなかってかというと
男性のままだと、太陽神ミトラの事だとバレるからだと思われる
それでは大宮氷川神社はどうだ?
紀元前400年から存在するぞ
祭神はスサノオ出雲系だが
関東の埼玉に紀元前からスサノオの神社があったことになる
女王・卑弥呼と狗奴国(くなこく)の男王・卑弥弓呼(ひみここ)が不和
三国志の上の記述、初めて見たとき笑ったでしょ
>>876
コノハナサクヤ姫は富士山とは関係ないはずだが富士の土着神を消すために薩摩半島の神を移植したわけか >>876
富士もそうだが
丹後の神社が伊勢神宮の原点とか
尾張の古代の王が居たとか思う >>27彼らは歴史なんか知らんよ
三国志はTVでやってるけど もともと天皇家は北方系な感じなのに、祖先神の伊勢神宮が南方系な感じがして違和感があったのだが
南方系の王朝を征服し、祟らないように祭って,自らの祖先神とし、皇女から斎王をたてて
お祭りしたのではないだろうか?たいてい古代は出雲大社とか征服した王権をお祭りする?
>>894
アマテラス女性説って
神道の研究者には否定されているよね ツグビッチこと承子女王の顔をみたらポリネシア丸出しだろw
卑弥呼がアマテラスだっていうのは俺は小学生のときからピンと
きてたぜ
>>903
伊勢神宮って南方系で伊勢の猿田彦とか
南方系なのね
天皇家って北方系って感じなのに
何故か、南方系の伊勢神宮を祖先にしている
でも崇神天皇の時代には
アマテラスは崇神天皇の先祖とは別だったのか?
古代天皇の宮中3神って
ムスビ系の神だったって 天照皇大神は聖母マリアのパクリ
聖徳太子はキリストのパクリ
創世記のパクリが日本書紀
>>906
さらに、神功皇后とも同一説を提唱すれば完璧だな。 聖徳太子は九州倭國の王だ、このくらい知っとけ、ぼけ
>>904
神道の中の人はホントのこと知ってるから
でもホントのことバレると危ないんじゃない
ミトラを悪魔視してるローマがまだ勢力持ってるから
ローマは東洋で神聖視されてる蛇、龍、牛、カラス、フクロウ、太陽神、弥勒全部まとめて悪魔としてるから 纒向の平地(標高60m以下)は湿地帯 湿地に都は造れません
卑弥呼の頃には統一政権が出来てたかと思うと、大和朝廷は出雲だ熊襲だ東国だといつまでたっても日本を統一しない。
>>869
地方豪族連合として血縁関係を結んでいたとしたら、その中から天皇を擁立するシステムが作られた可能性はあると思うけどね
その中で男系だと一族直系になりやすいが、女系首長をたまに挟むことで系統のバランスを保っていたのかも
斎宮が伊勢の傍らにいて女系を守ってることがその名残だったりするかと知れない
思い付きだけどw >>1
このスレを真面目に読もうとしたオレが馬鹿だったよ。単なる個人の妄想としか評価できない程の低レベルな考察でしかない。 >>911
逆だろ
ヤハウェは天之御中主神のパクリ
アダムとイブは伊奘諾伊弉冉両神のパクリ
日本神話のパクリがユダヤ教 畿内厨の屑がニュー速でも妄想垂れ流してるのか、ぼけ
俺は生野のおかちやま古墳は発掘しまくったぞガキん時に
神功皇后は、人前に出まくり活躍しまくり、夫も子供も居る。だれにも会わない卑弥呼とは正反対の存在である。
日本書紀でいかにも卑弥呼を意識した書き方してるけどその時代にはもう誰か分からなかったんだと思われる。
>>916
安心したまえ、記紀では数百年の時代のズレなんて普通にあるのだから。
例えば、千字文の伝来のありえないズレ。 >>911
エジプトのホルス 紀元前3000年
処女懐妊
12月25日生まれ
厩で誕生
誕生を知らせる東方の星
救世主の誕生として3人の王がかけつけて祝った
12歳で天才児として教育者になる
30歳で洗礼を受け、聖職活動を始めた
12人の弟子と布教の旅
病を治す、水の上を歩く
太陽神、真実、光、神の子、よき羊飼い、神の羊などと呼ばれた
十字架による磔で死亡
3日後に復活
ギリシアのアティス 紀元前1200年
処女懐妊、12月25日生まれ、磔で死亡、3日後に復活
ペルシアのミスラ 紀元前1200年
処女懐妊、12月25日生まれ、12人の弟子、奇跡を起こす、死後3日で復活、礼拝日は日曜
インドのクリシュナ 紀元前900年
処女懐妊、誕生を知らせる東方の星、弟子たちと数々の奇跡を起こす、死後復活
ギリシアのダイナイシス 紀元前500年
処女懐妊、12月25日生まれ、水をワインに変える、王の中の王、アルファでありオメガ、死後復活 タイムマシンが出来るまで何が本当なのか分からんよ
歴史は創作だらけだ
>>924
ヤハウェ
天之御中主神
ブラフマー
これをどう捉えるべきか?全ては同じなのではないか? >>933
なんだ
やっぱオリジナリティーの欠片も無いじゃん宗教って あの世信じてるのも多いんやろな
死んだら永遠に消えるだけやのに
神功皇后にあたる人が三韓征伐したってのは史実だろう
やられた方に石碑が残ってるんだからな
>>775
>>656に日本書紀の引用があるが、当時の日本列島内の先進地の気風も碌にないような辺境で在来の土豪たちが
境界を争っているだけの土地にこのままいるよりも、シオツチノオジという土地神が話す東の良い土地に移りそこを
拠点にしようとなった。
大和に入るまでの間、北九州の宗像や吉備の児島に寄り力を蓄えながら移動している。
これらの地域の豪族の協力、担ぎ上げがあったと考えられる内容だ。
考古学的には弥生時代の西日本に複数の連合体ができていた時期であり、これをまとめる動きが発生したとことは
古墳時代開始時の纒向遺跡の出土品から推定できる。
大陸との交易利権に絡んで新しい連合体が形成されたと推察される。 >>931
たらればな考察なんだけど、斎王を処女とするということは他の一族からの天皇擁立を防ぐという意味合いがあったのかもしれない
どこかでそのシステムをブロックしたみたいなね
伊勢神宮の存在って凄く意味深だよね >>933
ほおーー
やっぱエジプトまじすげえ
しかし今現在信仰が続いてんのはキリスト1人だけ >>932
葛城そつひこが百済記の記述から四世紀末の人物であるため、応神や神功皇后もその頃の人物となる。 >>111
同感
医大病院に瀕死の父が入院してた時すごく不便だった
結局誰も死に目に合えず独りで逝かせてしまった(^^;) >>942
その説、可なり。
東征いうか、東遷なんよね、実態は そうかな
優秀な軍人である神武天皇が圧倒的な力でまつろわぬ者達を征伐したって話の方がぼくは納得出来る
平和主義はつまらない
>>869
継体天皇は木津川・淀川水系周辺の開発をしているので、大和に入れなかったのではなく入る必要がなかった
だけではとの説もある。 建国創業一族が兄弟不和になりやすいのは史実でも明らか
源頼朝義経 足利尊氏直義
神話でも、そうなるのはそういう事実があったからかもしれない
ザビ家そうだった
>>949
圧倒的な力を持ってたのは、八咫烏であり高倉下だよ。
こいつら無しで勝てなかった。 >>935
興味深いね
やはり当時の感覚として、米は権力や組織力や強さに繋がったんだね
鉄も武器も輸入品も米を得るための手段と考えると、穀倉地帯がそのまま権力に繋がる感覚が理解できる
九州は全線基地であり貿易港だが、権力の源泉地とはならないのかも
考えてみたらそれは江戸時代まで延々と続く価値観だ 崇神と神武は同一人物で欠史八代は実在した将軍達だったっていう設定で9人の天下統一物語をキングダム風に書いて欲しい
徐福伝説をどう考えるべきか?その答えを未だに持てずにいる。
>>959
徐福が来たとこ、熊野、丹後、富士
これ見たら、誰か子孫かわかる。
尾張氏、度会氏、海部氏とかその辺 >>959
渡来人の中のだれか
融通王(弓月君)とか 筆者もキモいが
そもそも継体より前の日本史なんてヤク中の白昼夢みたいな妄想の塊まり
妄想を妄想で解釈したら単なるキチガイになっちまうな
>>965
源氏の八幡信仰は何かのトレースな感じはするな >>16
初期の頃の年齢は、年=月で換算するって説もあるとか。
1000歳=1000月=80歳位、のように。
まだ年の概念が確立してなければこうなると。 >>967
近いからだと思う
所領の羽曳野から京都の六条堀川の屋敷へ行く道中に石清水八幡宮があるから ごめん誰か解説してくんない?
天皇の母と祖母は姉妹
>>961
さすがに無理だろうけど、精霊のなんちゃら枠ではいけるんじゃないか?しかしなんでまた精霊の守人だったんかね?雷火とかの方が視聴率取れたんじゃね?
なんならナウシカ(原作版)なりでも蒼天航路でもいいけどな。つーか、あの枠今後はどうするんだ? >1 語尾だけず〜っと拾っていったら、詐欺師がよくやる論説文に適合したわw
>>903
高句麗や百済、新羅の卵生神話は江南以南の南方系神話と同じ。
これはY染色体O1b1系統やO1b2系統のオーストロアジア語族と関係していると思われる。
南方に移動したのがベトナム人やカンボジア人など。
東アジアは「今現在南方だとされている」ものの影響を受けている地域だ。 >>21
もしかしたら
複数の人間が一つの名を引き継いでいたのかも。
名前には呪術的意味があったり地位的意味があったりするから。 >>967
源氏は征夷大将軍名乗ってるから、三韓征伐にちなんでのことやな >>82
中国や朝鮮と日本の遺伝子は違うって本
最近よく見るんですが。 景行天皇は九州行幸をしているが、九州上陸後に仮宮を構えたのは今の福岡県行橋市(旧京都郡)である。
そこでこのようなものが出土した。
【考古学】福岡・延永ヤヨミ園遺跡から国内最古級の「導水施設」、3〜4世紀中頃のものと判明 [15/03/16]
http://2chb.net/r/newsplus/1426577492/
>九州歴史資料館(福岡県小郡市)は16日、同県行橋市の延永(のぶなが)ヤヨミ園(その)遺跡から九州で初めて
>出土した古墳時代の水の祭祀(さいし)遺構「導水施設」の木樋(もくひ)が、3世紀中ごろ〜4世紀中ごろのものと
>判明したと発表した。ヤマト政権発祥の地とされる奈良県の纒向(まきむく)遺跡で出土した国内最古の
>3世紀後半〜4世紀初頭のものとほぼ同時期で、近畿で始まった水の祭祀が極めて短期間に九州にも伝わっていた
>ことになる。誕生したばかりのヤマト政権が延永ヤヨミ園遺跡一帯を九州支配の拠点としていたとみる識者もいる。
>調査した九州歴史資料館の城門(きど)義広・主任技師は「近畿でも出土例が少ない古い時代に、地域の首長が
>行う祭祀として既に伝来している。ヤマト政権が遺跡一帯を重視していたといえる」と話している。
>西谷正・九州大名誉教授(考古学)の話 ヤマト政権の最新文化が時間差なくもたらされており、この遺跡一帯が
>誕生したばかりのヤマト政権の九州支配の拠点だったのではないか。 >>754
ガキみてえな物言いだな
著しく低い知性が如実に垣間見える >>979
なるほど三韓征伐→神功皇后がやった→息子は応神天皇→八幡様(武神)は応神天皇のこと
神功皇后のご主人はヤマトタケルの息子だし、将軍職は源氏独占だし 卑弥呼より以前の歴史書に日本から帥升という人物が中国に派遣されてる。
その事から、邪馬台国と同時代にはすでにヤマト王権の原型になる国があったのではないか。
となると、邪馬台国が九州、ヤマト王権が近畿となる
>>770
神武天は天然痘の抗体を持っていたから有り難がられたのかな。 >大田田根子(おおたたねこ)
大家の婆さんみたいだな
石器時代から日本海側は黒曜石流通が有ったから大和、徐福以前に国は存在してる
神をジンとかシンと読まずにかみと宛てたのは
アイヌ読みのカムから来て
オンカミが大神として崇めた土地神である
>>968
親が神様とか言ってる時点でそんなものどうでもよくなってくる >>1
いや、第一次資料とかを当たったってんじゃなく
自分の推論を語られてもなー
新しい資料が出たらタノムよ
古墳掘ってもちょい難しい事案ですが… >>985
「後漢書」には帥升(すいしょう)のことは西暦107年ことで、西暦57にも倭の奴国が貢物
を持ってきたから「漢委奴国王」という有名な金印(九州で出土)を賜ったとかありますよね。 神武のモデルになった天皇の祖先が実在の可能性はあると思うが、
最初から日本を統治する天皇なわけないだろ。
織田信長や徳川家康等も、「初めて領主になった先祖」はいる。
神武が実在するとしたらそういう存在だろうに。
九州から大和盆地に移住して来て「村レベルの領主」になったんだろ。
古代はドラマになりにくいな。
安彦良和の「ナムジ」や「神武」を
もう少しエンタメ路線に近づければ、
大河ドラマとして人気は出るんじゃないかね。
京の公家社会からあぶれて、父の受領国である三河に土着し、領主化武士化した一族から鎌倉将軍家と足利将軍家が輩出され
同じく三河から、徳川将軍家とトヨグループを排出した
この三河系が日本の現代社会においても君臨しているのだが
センゴク(笑)だとか明治維新とか勉強してもみえてこない
三河の藤姓熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流)
系図
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→源頼朝(初代鎌倉将軍)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→足利義兼(初代源姓足利氏)
■藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡乙見、三河県岡崎市)
・頼朝の母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎大夫)は、三河国司を多数輩出した一族(祖父の兄、父、弟)に生まれる
・季兼は、伊勢神宮領荘園の荘官として都を下り三河国加茂郡(三河県豊田市)に土着する
・季兼は、三河国加茂郡(三河県豊田市)の未開拓の土地を開発し、高橋荘・高橋新荘(後世 八条院領大覚寺統)を立券する
・季兼は、三河国額田郡(三河県岡崎市)に移り住み、青木川菅生川流域(菅生郷)を開発、荘園化せず自らの本拠とする(後に、権益は血縁である足利氏に)
・季兼は、三河国設楽郡稲木(三河県新城市)の稲木長者を滅ぼし、東三河を支配下におく
・季兼室の松御前(尾張員職の娘)は、晩年新城市稲木で過し没した(城ヶ峰の山頂(三河県新城市)に墓あり)
・季兼は、藤原資良(父の従兄弟)が尾張守になり、息子(藤原季範、額田冠者)と共に三河に住みながら尾張目代を務める
・季兼の息子である藤原季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪) ←乗っ取られる(笑)
・藤原季範(額田冠者)の娘(由良御前)は源義朝の正室となり、源頼朝(初代鎌倉将軍
鎌倉将軍)を生む
・藤原季範(額田冠者)の娘(養女(実父は藤原範忠))は源義康の正室となり、足利義兼(初代源姓足利氏)を生む
>>1
なんだかわからんが藤原京なら近所のおっさんがゴルフやってるぞw
俺は昔ラジコン飛ばしてたww 歴史学者って見てきたかのごとく語るからネラーみたいだな
存在もしなかった天皇でなぜ盛り上がる
しかもこの天皇の父親の墓まで存在する。ググレ→「ウガヤフキアエズノミコト」だ
>>461
バイキングもアイスランドとかでイヌイットと遭遇するけど、住む場所が違うから争いにならなかったって何かで読んだけど >>993
日本書紀でも即位した、天皇の草創とあるだけだよ。
「而始馭天下之天皇」とある文章は「故古語稱之曰」と日本書紀よりも古い伝承だが当時のものではないことが示唆
されている。 mmp
lud20180517215553ca
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