>>1 ここに佐々木正氏の名前が出てて
2人のノーベル賞物理学賞受者が絡んでて興味深かった
◇2人のノーベル賞受賞者が選んだ会社
https://www.jcer.or.jp/column/nishioka/index691.html 日本人受賞者が所属した(過去、現在含めて)組織を見ると当然というべきか
京大、東大など圧倒的に大学が多い。しかし少数だが企業に所属した人もいる。
田中耕一氏は入社以来、島津製作所勤務だし、江崎玲於奈氏はソニー、IBMなど。
根岸英一氏も帝人に勤務したことがある。
さらに今回の赤崎勇氏は京大を卒業後、神戸工業に入社、7年間勤務したあと名大に移った。
実は先の江崎氏も東大を出て就職したのは神戸工業だ。知名度が低いので省略されがちだが
赤崎氏も江崎氏も新入社員として神戸工業で研究を始めたのである。
では後のノーベル賞受賞者が、社会人として最初に選んだ神戸工業とはどんな会社か。
記憶している人も少なくなっているが、ソニーよりも早く、日本で最初にトランジスタを製造・販売した
いわば戦後のハイテクベンチャーだ。カーオーディオでも先鞭をつけ
1955年に初めてトヨタのクラウンに装備した実績を持つ。
1949年に設立されたが、68年に富士通に吸収合併され、現在は存続していない。
ただ、その流れは富士通の子会社でカーオーディオの有力メーカー、富士通テンとして継承されている。
・紫電改の次はトランジスタ
ハイテクベンチャーといったが、神戸工業を産み落とした親は海軍の戦闘機、紫電改で名を馳せた川西航空機だ。
その親は川西機械製作所であり、さらにその親は毛織物のトップメーカーだった日本毛織(現ニッケ)という関係になる。
繊維、機械、航空、電子という事業展開と技術発展の足取りは、鋭い経営感覚で戦時期をカジ取りした新興ミニ財閥らしい。
海軍の技術将校だった盛田昭夫らが戦後にソニー(東京通信工業)を創業したように
川西航空機の技術者らは航空機の計装エレクトロニクス部門を分離・独立させた。
当時、最先端技術が集積された真空管の有力メーカーの地歩を固めると共に
47年暮れに米国ベル研究所で開発されたトランジスタ、すなわち半導体の研究に取り組んだ。
戦後の日本のトランジスタの研究は、進駐軍がもたらした技術情報などを手掛かりに
政府の工業技術試験所や日本電信電話公社、東大、東芝、日本電気など
東京の研究機関・企業・大学が中心になって進めていたが
関西では神戸工業が有住徹弥氏(後に名大教授)らを中心にひとつの拠点になった。
持ち前のベンチャー魂で開発に取組み、54年1月に東京・上野の精養軒で国産トランジスタ
第1号の製品発表会を開いている。江崎氏や赤崎氏はこうしたトランジスタ黎明期に入社し
研究活動を始めている。ちなみにシャープの技術陣の総帥として初めて電卓を世に送り出し
ソフトバンクの孫正義氏の創業を支援するなど技術の目利きでも知られる
シャープ元副社長の佐々木正氏も、神戸工業育ちで両氏の上司のひとりだったのだ。