https://www.nishinippon.co.jp/sp/nnp/nagasaki/article/401478/
2018年03月16日 06時00分
松浦市志佐町の元市職員、吉本務さん(72)は、戦死した叔父について調べる自身の足跡が紹介された昨年11月25日付の本紙県版「平和を ナガサキ」の記事をきっかけに、長年捜していた人物「古川長(つかさ)さん」の消息をつかんだ。
記事は、禅僧を志しながら21歳のときシンガポールで戦死した叔父、吉本政一さんの歩みを追う形で進み、末尾には、出征時に門司港(北九州市)で政一さんと並んで写った古川さんを捜し出したいという務さんの願いが記されている。
務さんによると、掲載後、記事を近所の知人などに見せて回った。その中で地区の前自治会長、福岡寅一さん(87)が「こりゃ長さんじゃなかろか。妹さんが近くに住んどるよ」と教えてくれた。そこで昨年暮れ、務さんが自宅から歩いて5分もかからない磯本久代さん(88)宅を訪ね、玄関先で掲載記事を広げて見せた。久代さんは「こりゃ兄の長です」と驚きつつ「復員後、各地で事務の仕事をし、1992年の6月に亡くなりましたよ。72歳でした」と目を潤ませたという。
その後、新たな史料や写真などが見つかると、磯本さん宅を訪ねていた務さん。今回のいきさつで、九州の人かどうかも分からなかった古川さんが同じ町の人だったことが判明した。元看護師の磯本さんにかかりつけの病院で何度も注射をしてもらった記憶まで呼び覚まされた。
「何より、同じ写真に納まった、実は地元の同級生同士だったはず。2人の明暗を分けた戦争を繰り返さない思いを強くした」と務さん。喜びとは別に、あらためて不戦の思いに至ったようだ。
=2018/03/16付 西日本新聞朝刊=
古川長さんの妹、磯本久代さん(左)に写真を見せる吉本務さん
昨年11月25日付本紙県版に掲載された出征直前の吉本政一さん(右)と古川長さん(吉本務さん提供)
2018年03月16日 06時00分
松浦市志佐町の元市職員、吉本務さん(72)は、戦死した叔父について調べる自身の足跡が紹介された昨年11月25日付の本紙県版「平和を ナガサキ」の記事をきっかけに、長年捜していた人物「古川長(つかさ)さん」の消息をつかんだ。
記事は、禅僧を志しながら21歳のときシンガポールで戦死した叔父、吉本政一さんの歩みを追う形で進み、末尾には、出征時に門司港(北九州市)で政一さんと並んで写った古川さんを捜し出したいという務さんの願いが記されている。
務さんによると、掲載後、記事を近所の知人などに見せて回った。その中で地区の前自治会長、福岡寅一さん(87)が「こりゃ長さんじゃなかろか。妹さんが近くに住んどるよ」と教えてくれた。そこで昨年暮れ、務さんが自宅から歩いて5分もかからない磯本久代さん(88)宅を訪ね、玄関先で掲載記事を広げて見せた。久代さんは「こりゃ兄の長です」と驚きつつ「復員後、各地で事務の仕事をし、1992年の6月に亡くなりましたよ。72歳でした」と目を潤ませたという。
その後、新たな史料や写真などが見つかると、磯本さん宅を訪ねていた務さん。今回のいきさつで、九州の人かどうかも分からなかった古川さんが同じ町の人だったことが判明した。元看護師の磯本さんにかかりつけの病院で何度も注射をしてもらった記憶まで呼び覚まされた。
「何より、同じ写真に納まった、実は地元の同級生同士だったはず。2人の明暗を分けた戦争を繰り返さない思いを強くした」と務さん。喜びとは別に、あらためて不戦の思いに至ったようだ。
=2018/03/16付 西日本新聞朝刊=
古川長さんの妹、磯本久代さん(左)に写真を見せる吉本務さん
昨年11月25日付本紙県版に掲載された出征直前の吉本政一さん(右)と古川長さん(吉本務さん提供)