「HondaJet Elite」のイメージ(画像:ホンダ)。
航続距離、客室静粛性、離着率時の安定性などが向上
ホンダの航空機事業子会社であるHACI(ホンダエアクラフトカンパニー)は、スイス・ジュネーブ時間2018年5月27日(日)、小型ビジネスジェット機「HondaJet」の最新型としてアップグレードした「HondaJet Elite(エリート)」を世界初公開しました。
5月28日(月)から31日(木)まで開催の欧州最大のビジネス航空ショー「EBACE2018(2018 European Business Aviation Convention & Exhibition)」に先行して開かれた発表会で公開しました。
「HondaJet Elite」は、主翼上面のエンジン配置形態や自然層流翼型、自然層流ノーズ、一体成型複合材胴体などの技術を従来の「HondaJet」から継承。さらに複数の最新技術と装備が加えられています。
2018年4月に米国連邦航空局(FAA)の型式証明を、また5月には欧州航空安全局(EASA)の型式証明を取得しています。
ホンダによると、従来の「HondaJet」と比べ、航続距離は約17%(+396km)の1437ノーティカルマイル(約2661km)に。高周波のエンジンノイズ低減により客室内の静粛性はさらに向上、アビオニクスシステムの進化により離着陸時や飛行時の安定性・安全性などの面でもその機能をさらに強化しているとのこと。
また、燃費効率も、同等サイズの双発ビジネスジェット機よりも温室効果ガス排出量を低減しているとし、「HondaJet Elite」は、小型ジェット機クラス最高水準の最高速度、最大運用高度、上昇性能、燃費性能、静粛性、室内サイズ、航続距離を実現しているといいます。
速度や巡航高度、燃料消費率などを最適化し飛行計画を自動作成する飛行マネジメント機能、気温や標高、機体重量などに基づき必要滑走路長やVスピード、適正な上昇・進入角度などを自動計算する離着陸距離マネジメント機能などを搭載。オプションとして、運用限界を超える領域での飛行を防ぐ機体安定性及び安全性強化機能、ゴーアラウンド時にも自動操縦機能を保持しパイロットの負荷を軽減する機能、航空業界初のスピーカーレス室内音響システム「Bongiovi(ボンジョヴィ)オーディオシステム」も設定されています。
HACIの藤野道格社長は「『HondaJet Elite』は、性能、移動の効率、および環境において、ビジネス航空業界に新たな価値の創造を追及し続けるという我々の決意を表すものです。進化した技術を追加することで、性能、快適性、そしてデザイン性をさらに向上させた『HondaJet Elite』は、小型ビジネスジェット機の新たなスタンダードとなると期待しています」とコメントしています。
2018.05.28
乗り物ニュース
https://trafficnews.jp/post/80552 カブに見立てテルのホンダジェットを?
壮大な夢を感じるな
買わないけど・・・
落ちこぼれだって必死に努力すりゃエリートを超えることがあるかもよ?
+ /⌒ ⌒\ +
可笑━━━ / \ / \━━中共愛国心是世界最強!!!!
+ /::::┏(__人__)┓::\ アルミも半導体もMRJもX-2もダメな鬼子
< \ トェェェイ / > まあまあ落ち着いて 必要的冷静アル
+ \ `'´ / ホンダはいいメーカーアルよ ロ合ロ合ロ合ロ合
nnn ヽ____ノ | | | |n
.n| | | | _ノ ヽ_ ,、| - l
! - レヽ / \ ヽ ヽ _ノ
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小型ビジネスジェットと中型旅客機を比較する
低脳
うすのろどもが沸くスレですね ww
航空機事業の収益は自動車事業に比べて微々たるもんなんだからジェット機開発なんてやめて自動運転や新電池開発とか車関係にもっと集中投資しろよ。このところ株価が全然上がってないじゃん
なんか能登空港に一回ホンダジェット飛んでくるってニュース見たな
いつだっけか
>>1
> Bongiovi(ボンジョヴィ)オーディオシステム
🎵Livin' on a Prayer〜 三菱もノウハウを構築してから、
大型機に取り組むべきだったな。
やはり、いきなりは無理だったんだよ。
>>20
「大空に賭けた男たち」というホンダジェットの開発プロジェクトX本があるんだが
なんとホンダは宗一郎のころから飛行機作ろうとしてたけど
社内の極秘プロジェクトとして家族にもお父さん何の仕事してるか言えないし
社内では極つぶし金くい虫扱いされてきた。
しかも機体もエンジンも全くど素人がゼロから勉強して開発してきて
当時エンジンを翼の上につけるなんてとんでもないことだと散々欧米の協力企業から
コテンパンにやられたが実験検証していくうちに毛唐たちもいけるんじゃんみたいな
感じになったらしいがあんなに上についてるとは思わなんだ >>33
いまやってるのは中型機だろ。
大型やったら ボーイングとエアバスに潰される。 MRJとはカテゴリが違うから一緒にできないけど、型式証明取得のやり方で大きく分かれた感はある
三菱はホンダに頭下げて合弁企業を立ち上げてもらえ。
親方日の丸。かつ団塊の世代が経営陣に居座っているような企業は使いものにはならない。
>>22
プロジェクト運用能力、営業プランニング能力、マネージメント能力を
比較してるのがわからない奴 これ脊椎反射でMRJとか言ってる奴は、まぁあれだ
自覚がないってのは幸せなのかもな
>>1
一方、税金ジャブジャブなだけの無能理工系の集団・三菱航空機は未だにMRJを作れないでいるのだった。 勘違いすんな ホンダジェットは全てアメリカで作られたアメリカ機
小型ジェットはだんだん車化していくんだろうな
ホンダのアピールを読んでいたらそんな感じがしてきた
といっても一般庶民が買える価格帯にはならないだろうし
飛ぶたびに整備が必要だから空飛ぶタクシーみたいな使い方にはまだまだならんだろうけど
>>47
小型ジェットはそもそもそういうもんじゃないの? それでエリートサッカー選手のケイスケ・ホンダを広告に使うわけですね
MRJは三菱重工の社長が販売始める前に資本を追加して信用を高めれば
大丈夫みたいなこといってたから
たぶんだめだろうなーっておもった
飛行場必要なんだろ
行くまでがめんどい
やっぱ自宅から垂直離着陸出来ないとエリートとは言えないじゃないか
三菱もこんぐらいのサイズから始めりゃよかったんじゃない?
次は戦闘力と攻撃力つけた ホンダF/Aジェットの開発だろうね。
翼の上にジェット置くってのは変えないわけね。
デザイン的に醜いなどと、最初は言われてたのだが、これはこれで良いとされる傾向が
これから更に加速するのかな。
いつかはホンダジェット・ベンリーが出るに違いない。
>>47
個人向けにホンダドローンを作って欲しいわ エリートって海外のgrade別名称に多いからありきたりな感あるな
日本らしいPETネームみたいなのほしい
サムライとか
>>66
じゃあぱよちんwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 翼の上にあるエンジン
この形カッコ悪くない?
なんか未来感がないんだよね
>>63
みんな勘違いしてるけど、新型って言ってもこの場合はあくまでマイナーチェンジな
エンジン位置が変わるほどのチェンジになると別名別形式の別の航空機 身の丈に合った開発をしたホンダが三菱より上になりそうだな
昔エリートレーベルのマニアックな輸入盤レーザーディスクや輸入盤DVD買ったよ
旧型発注してまだ受け取ってない人は悲しいな
車と同じで次のがでるの承知なのかな
ホンダジェットとMRJを比べること自体がアホの証明
ヘリコプターレベルの小型機と旅客機を比べてるアホw
>>69 つまりホンダ・シビックに新色ボディカラーが出て、それで内装を一部皮張りシートにした程度か。 世界で売れまくるホンダ小型ジェット 目の付け所が良い 基本日本人はデカイ乗り物やスタジアム箱物を作るのが下手
原点はホンダカブなんだよ
ヒュンダイには出来ない
ヒュンダイが車のエンジン作ればホンダは空を飛ぶ この差は永遠です
>>33
MU-2とかMU-300って知らないの?
ちなみにホンダジェットはMU-2相当だお >>83 翼の上に位置させるにせよ、
ピョコリと飛び出た仕様にするってのも、どうかなと思うしね。 空に鈴鹿コース作ったら F1にタイム負けるでしょ?
価格はいくらかな。ホンダジェットで450万ドル(約5億4000万円)
らしいけど。
三菱なんちゃらもプライベートジェット開発に切り替えたら?
エリートか。相変わらずネーミングとデザインのダサさに関しては世界一だな
>>75
だよな。
ひこーき…ってところが一緒なだけでまるで別物だっつーの。
それはそうと日本企業や飛行機のワードで思い出したんだが、三菱のMRJってどうなった?
まだ出来てないの?なにやってんだか。
あんだけ御託ならべてグダグダとかどんだけ無能なんだよ。
ホンダジェットを見てみろよ!今度はマイナーチェンジだってよ?それにひきかえMRJは(以下略) このエンジンの位置のおかげで他メーカーの同型クラスと比べると、かなり静かになっているらしいよ。
>>27
後部の胴体内を強度部材や燃料、
その他エンジン補機類に使わなくて済むから
その分、胴体内を目一杯ペイロードとして使えるとも聞いた >>95
平然としてただろうな
そもそも飛行機を発明したのはオレたち日本民族なんだから
本田が飛行機をつくったくらいじゃ誰も驚かないだろ >>89
三菱はMU-300の大失敗でビジネスジェット市場から撤退を余儀なくされているからな。
社風的に同じ市場に再参入は難しいだろう。
三菱が手放したMU-300はホーカー400として継続生産・販売中だし・・・。 >>95
宗一郎は日本人ライダーの世界チャンピオンだよ 夢は
他はついで 104名無しさん@1周年2018/05/28(月) 14:07:13.93
だせぇと思ってたがエンジンが翼の上にある意味は書いてくれた人がいるから理解した。
第二次世界大戦で
日本にホンダジェットがあったら
戦局はかわっていたのかね
なんでそんなダサイい名前にした
日本で売るつもり無いな
上位バージョンにエリートとつけるならわかるんだが、これ単にモデルチェンジじゃね?
>>24
MU300又の名をホーカー400ってのを知らんのか >>109
そもそも日本で買う顧客がおらんから無視してもいいレベル。
日本で所有してる人というのはほとんどがリースで米国の代理店経由だから。
ついでにエリートはホンダの米国向けのスクーターで使われてる名。ネーミングの使いまわしはよくやるからな。 >>45
出資、企画、基本設計は日本がして
アメリカは下請けなんだよ
アホ >>52
バッティングして後発だから市場から弾かれて終わり >>116
「日本人だけでホンダジェットが作れるか?」といえば作れるけど、
「日本人だけでホンダジェットをビジネスにできるか?」といえば不可能だろうな
だから試作までは純ホンダだったところに量産段階でGEが入ったわけだし >>20
翼周辺の乱流の低減効果
上に付いているのは
ランディングギアを短くできるとかいろいろ
エンジンを翼につけるのは機体重心に置くことによって
操縦性や燃費向上 >>116
低能バカ言うなよw アメリカホンダが全てしてるし、設計は特にアメリカ人チーム 別に悪い事じゃない >>117
知ってるなら言えよ馬鹿
知らないからそんなことしか言えないんだろう馬鹿 年間、千機ほど無人攻撃機の素材として量産すれば、
中国の艦船の数に対抗するにはうってつけの素材。
基礎研究に2千億、量産に1兆。帰還率7割ぐらいで。
でも、置いとく場所がないか。
>>72
会社の規模や経歴からするとMRJは三菱の身の丈に合ってるんだけどな
出来なかったのは経営陣や技術者の能力が落ちてるからだろう >>106
ジェットエンジン発明したのはイギリスで
その技術を盗んで戦闘機を作ったのは
ナチスドイツのメッサーシュミット >>129
いやいや違うかと。ジェットエンジン理論を考えたのがイギリスであって、それを実用化にしたのがドイツかと。
まぁ、理論上なら簡単だが、いざ作るとなるとかなり難しいぞ MRJの方が大型で複雑というけどその分、資金も人も桁違いに投入してるから
やはり三菱重工が無能という結論は動かない
ここで三菱はとか言ってるアホは三菱が40年前にビジネスジェット作って売ってた事も
派生型は未だに売られてるのも知らんのか
愛しきエリーと! いろいろと名前で遊べそうでコピーライター泣かせかなw
>>52
若いなぁ
MU-300で検索でもしたら? 文具ヲタの俺に言わせればEliteは万年筆のパクリ
メーカーパイロットだしな
戦後のGHQによる航空機製造制限がなければ
三菱もこんなことにならなかったのかも…
ウィングレッドやめれよ
せっかくの視界を犠牲にする意味あんの?
トロロッソホンダのドライバーはこれ乗って移動するの?
燃費と航続距離伸びてるあたり、ホンダはちゃんとやってる。
作りっぱなしではない。
MRJ、三菱重工自体もう限界なんでは?
>>1
>2018年4月に米国連邦航空局(FAA)の型式証明を、また5月には欧州航空安全局(EASA)の型式証明を取得しています。
もう、飛べる状態なんだな
MRJ() >>147
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
三菱がダメな理由が戦後のGHQの制限www
ホンダは影響受けなかったのに?
市場を支配するボンバルディア(カナダ)やエンブラエル(ブラジル)なんて
航空機制限するような航空機産業すら戦後の時点で持っていなかったのに?
確かに、GHQの規制はあったがほんの数年だよ?
その後は、冷戦の最前線として、アメリカの他の同盟国には許されなかった量の
大量の航空機技術をアメリカから技術移転される優遇を受けたのに?
しかも、いまエアバスやユーロファイターを共同で作っているドイツのように
東西に引き裂かれたうえに、米ロに技術者を奪われたわけじゃないよね?
小型機市場で存在感のあるイタリアのように、技術者がアメリカ移民しちゃった
わけでもないよね?
ただ単に、航空機技術者が儲かる自動車や家電などの産業に逃げたことと、
日本企業にああいうビッグプロジェクトに金を集中的に突っ込む文化がなく、
三菱のように血税による援助でチマチマ開発しているから航空機産業が
成立しなかっただけだよねww そのうちストレッチバージョンも出すんだろうな
8-10人分くらい客席を作れれば、商業飛行用途が見えてくる
いいなあ、俺こういう開発やりたいわ
お前らの中で羨ましい仕事だなと思う奴どの位いる?
エンタメ装備を充実た結果、火事起こして墜落したスイス航空111 便
>>87
仮にそんな事してもそりゃコースタイムなんて出せないわ。アホなの? >>159
日本企業にも日本人にもホンダジェットのような「こういう仕事」は
無理だよ
ホンダジェットだって、ホンダの子会社ではあるが「アメリカの会社」だし、
百数十人のメイン技術者のうち、日本人は片手で数えられる程度しか
いないぞ?
日本からの出向者は、総務や経理、企画などのスタッフ部門か、
アメリカ技術者の下働きだ
日本企業は100年たっても、↓こんな馬鹿げた壮大なプロジェクトはできない
ホンダの偉いところはエンジンも自前なところ
ここがドンガラメーカーでドンガラも満足に作れない三菱と大きく違うところだ
>>24
三菱MU-2はアメリカでベストセラーになって今のホンダジェット並みに売れてたんだが HONDAジェイド グレードElite
・飛行機能を備えた5人乗りモデル
ジェイドまじやべぇな
MU-2のエンジンはギャレット社製
ホンダジェットのエンジンはホンダ社製
ホンダは日本のカガミ
三菱は日本のダニ
ホンダジェットもMRJもそうだがエンジンが純正じゃないぶん素直に喜べない
>>45
半分正解だけど、半分間違い。
アメリカにおいたのは認証とかの問題で日本にあるより、アメリカの方が有利だからと、市場がアメリカにあるから。
日本で自家用ジェットを持つ人は100人もいないっていう話で、市場としちゃ全くない。 173名無しさん@1周年2018/05/28(月) 15:49:16.04
コツコツとノウハウを貯めてますね。
次の市場に打って出るにはまだまだ時間がかかりそう
ミニバンと原チャリを比べるとか
まじジャップって馬鹿なんだなw
つかホンダの4輪はかなり悲惨なことになってんで?w
>>172-173
エンジンは米国GEとホンダの合弁会社だから完全なオリジナルではない
恥ずかしいから反論するなら調べてからにしてくれw >>170
GE・ホンダ・エアロ・エンジンで製造してる自社製だろ ホンダジェットのエンジンはホンダが開発したエンジンをベースにGEホンダエアロエンジン社が製造
MRJのエンジンはプラットアンドホイットニー社製で三菱は全く関係ない
179名無しさん@1周年2018/05/28(月) 15:56:01.47
合弁企業だからホンダじゃないってwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>>177
ゼネラルエレクトリック社と合弁とホンダの合弁会社がエンジン製造しているって書いただろ 181名無しさん@1周年2018/05/28(月) 15:57:24.54
ネトウヨ火病脱糞wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>>134
MU-300はビーチに売られてから米軍や自衛隊にまで採用されて未だに人気あるよね
そういえば飛行機を没収する番組にMU-2とMU-300が出てきて中米から北米まで麻薬を運ぶのに使われてたな
頑丈で良い機体なので密輸組織に重宝されてたらしいw >>51 日本と比較しては駄目。
アメリカだと人口5000人規模の町でも、町外れに飛行場がある。 >>22
中型なら納期を守らなくてもいいわけじゃないだろ笑 >>184
やっぱり図々しく日本語を操る朝鮮人だったか >>164
> ホンダの偉いところはエンジンも自前なところ
> ここがドンガラメーカーでドンガラも満足に作れない三菱と大きく違うところだ
三菱重工をバカにするやつはロケット事業の功績をなんも知らんバカどもだから >>186
> やっぱり図々しく日本語を操る朝鮮人だったか
おまえ愛国ビジネスのアフィカスだろw
ウヨと在日を装いマッチポンプで自演レスを繰り返すクズ
スレ主みて愛国アフィカススレって薄々分かってたけどな その内ホンダ車が空を飛ぶようになるぞ
空陸両用車 ができそうだな
>>2
昭和30年代
ホンダと三菱自動車を経産省が音頭取りして
合弁会社させようとしたのは豆なw
本田宗一郎が徹底的に反抗したので実現しなかったけどなw
役人のいいなりになっていたらと思うとね。。。www >>26
株をチョコチョコ買ってるだけで世界を廻してる気になってるw >>95
ホンダのマークって翼だもんね。
ようやく結実したんだね。 >>183
て言うかUSA本土の広さが違う
わざわざ空港に行って自家用ジェット機に乗って
移動するほど国土が広大。
なんせフロリダ半島に日本の本州がすっぽりはまるのだから
スケール感が違うわw これじゃまだ買いかどうかわからないな。
様子見するかw
ホンダの日本人が窓側の席に座ってみせたとき、頭が天井というか湾曲してる壁というかに当たってたんだが
大柄なアメリカ人は平気なのか?
>>127
自動ラインで作られるようにしておいて完成品が出て来たらそのまま飛び立てばよい >>202
違法改造飛行機で死人出したので参入無理 >>141
創業者は飛行機を作りたくて会社ロゴを翼にした
と聞いた希ガス
具体的な機体設計はわりかし最近だから
ご本人は天国から怒鳴っているかもしれない これって、今予約入れてて製造納車待ちの場合、キャンセルして新型に出来るのかな。普通にしたくなるわな。
車で言ったらマイナーチェンジですな
まあ順調だね
次はもう少し大きいのになるか、あるいは逆に空飛ぶカブくらいを目指すか
>>202
トヨタは飛行機の違法試験で死者出して撤退したぞ 広くて速くて静かで燃費が良いって
他の会社何やってるの??
>>208
従来のは490万ドルで、これは525万ドル。
従来品も販売し続けるんでしょう。 >>130
機械的な差じゃなくて、商売としての差の話じゃね? >>211
いや、MRJは現段階でも5機の試作機が北米で飛び回っているだろ ぶっちゃけ俺ら死ぬまでホンダジェットなんて乗るわけないのにグダグダ言う必要無しw
半世紀後もボーイングかエアバスしか乗れないってw
wikiの受け売りだがFAI公認スピード記録とか
峠のゼロヨン煽ってるしシビックタイプRや
ドリームCB400FOURなみ扱いかよw
Su9K 885km/h
Me262 870km/h
HA420 782.4km/h ←コンパチ設計でない独特デザインw
Ar234 740km/h
J9N2 696km/h ←インプレッサwww
2020東京オリンピックの時なら、こいうプライベートジェットが山ほど飛んでくるかな
>>207
なんでそうなるw 宗一郎が飛行機まで視野にあったから存命中から研究し始めてるよ。 乗ることはあるかもしれなが、所有することは絶対ないだろう。
>>227
乗ったことあるよ
はっきり言って狭い、まるで豚小屋 >>222
羽田と成田の空きが足んないんじゃ
その手の話になると成田は廃港して羽田だけでいいとかいうアホが大量にわくが
そもそも将来的な東京大都市圏の航空需要から見たら羽田と成田足しても全然足りないし
同規模の都市圏でたった二つの空港で賄ってる都市なんて世界にない
静岡と茨城は中途半端に遠いし交通の便も悪い >>102
ホンダのアメリカ工場で作ったフィットもアメ車かw >>191
1980年代には噂されたが、昭和30年代にあったかなぁ? 出来る事をやる会社と出来ない事をやる会社の違いか(´・ω・`)
>>218
露の戦闘機試乗みたいな商売がホンダジェットでできそう >>163
またてきとうなこといってるよw
じゃあ、ホンダの車のアメリカ現地法人も日本のホンダとは別物でそこで生産された車もアメ車かよw 本田宗一郎はアート・スミス見てるんだよな
ホンダの飛行機屋といえば元ホンダF1チームの監督、中村良夫だろ
中島飛行機のエンジニアだったんだからな
トヨタ自動車は川崎重工業と組んで川崎航空機ハ140をノックダウン生産するため
東海航空工業を設立したところ二代目三菱航空機いわゆる三菱自動車工業の
疎開移転先として工場供出させられて戦中の航空製造業に全く絡めなかっただろ。
川上嘉市の日本楽器製造はキ43とキ46のプロペラ削り出しを引き受けていたが
その旋盤装置は本田宗一郎と鈴木道雄の努力の結晶だしヤマハとスズキとホンダは
浜松地場産業3社は仲良く空襲艦砲射撃されているような航空部品産業だったよ。
文字通りエリートしか乗れない飛行機なのね。
ワイらはLCCで荷物扱いされて乗るのが精一杯だわな_| ̄|○
なんだよ、前機種買ったばかりだぞ
まぁ、これも一応予約しとくかな
>>171
バカが無理すんなw 最初からアメリカホンダで始動したプロジェクト 間違いなんか無い なんで三菱は飛行機なんか作ろうと考えたんだろ後発過ぎるだろ
>>247
ばーか
機体設計もエンジン設計も全部日本で始動 垂直離着陸出来るようになったら本田は歴史に名を残す。
藤野さんにしてみれば、自動車エンジニアになるつもりでホンダに入って、
何故か飛行機の設計をすることになって、気がついたら飛行機メーカーの社長になってるわけだから、
人間何が起こるかわからんもんだよなあ
翼上エンジン機の功績でAIAAのAircraft Design Awardもらってるけど、今のところ日本人唯一かも
HONDA JET
1997年 プロジェクト正式発足
2015年 FAA型式証明取得
18年かかってますな。
片方を貶めるためにこっちを持ち上げたりしてる、世の中の何も役に立たないゴミは首つって死ねよ
>>134
金が回らなくなって安く売り払ったんだから
失敗なんだよ
アホ >>187
ロケットなら北朝鮮でも打ち上げられる
三菱監修の液酸液水二段燃焼サイクルエンジンは、ガスジェネレータ並みの性能しかない
世界最低水準の二段燃焼サイクルエンジン
すなわち、三菱が関わると二段燃焼サイクルにした意味がなくなるのだ
そしてエンジンが重くなる >>261
ある意味すごいやなぁ。宗一郎に秘密にしてたのが・・・
まぁ、教えると口出しがひどかっただろうなぁ ホンダは何を作ってもデザイン悪いな
なにかの病気なのか
>>1
経産省にも三菱グループ他社にも世界の理工系にもネトウヨにも見放されたMRJ
未だにMRJを擁護しているのは日本の低学力理工系だけ
ローンチカスタマーのANAも表向きはともかく内心もう見放してるよ 車のデザイナーが南鮮系とネットで見た()けど、本当はどうなん
三菱はなにもかもがパクリ
F-1 ジュギア
90式 レオ
X-2 ラプター
三菱は朝鮮人と同じ
エンジンを上に付けたのがミソっていやあミソだが
そもそも翼の下には付けられないからなあ
エンジンが滑走路をコスるからw
コスらないようにすると足が長くなるし
それでも離陸の際に滑走路の小石なんかを巻き込むリスクが伴うことになる
だからおれが設計しても上になるわな、必然だw
上につけた場合の問題は機首下げモーメントが発生するから
これに対抗するために尾翼の揚力を少なくしないといけない、若しくはマイナス揚力
その分全体の揚力が少なくなるから不利だ
まあこの点を補って余る利点が有ったって事だな
>>266
それ言ったら飛行機は全部ライト兄弟のパクリじゃないの? > Elite(エリート)
MRJへの当てつけなのか
>>261
存命中なのと伝える伝えないは関係なくね。存命中にプロジェクトスタートで何か間違ってる?
さすがに亡くなる手前は知ってたと思うけど。 >>1
小笠原空港に欲しい。
プロペラ機限定なんだっけ 飛行機のプロジェクトをやれと言われた。入社2年目であった。そのときの気持ちを、藤野道格はこう言っている。
「小さなプロジェクトでした。40代の上司がひとり、その他は入社2年ぐらいの若手が6人です。上司はアグレッシブな人で、
これから飛行機の機体を作って実際に売るのだと宣言した。そこで説明されたコンセプトは、飛行機の自動操縦、自動制御、
オールコンポジットの機体開発だとかで、それは当時のアメリカのNASAが手がけているような最先端技術ばかりなんですよ。
僕らにしてみれば、これから泳ぎを覚えるというのに、数年後の目標はオリンピックの水泳だと言われているようなもので、
自分たちの実力と開発コンセプトとテーマが、あまりにも離れすぎていてギャップが大きい。どこまで真面目に考えていいのかさえわからない。
なにしろ飛行機の設計をやれる人がいない。上司は意気軒昂で、こういう飛行機を作ろうとスケッチを描いたりするのですが、
飛行機を勉強してきただけの僕が見ても、それは飛びませんよと思うわけです。飛行機は物理現象で飛んでいるわけですから、それを無視したら飛びませんからね」
自動車メーカーが飛行機を作ろうとした、こうなるという話であろう。ようするにホンダはゼロからホンダジェットの研究開発をスタートしたのであった。
「会社からは、世界最先端の技術を学んでこいと言われました。私は学校で制御を学んでいましたから、
フライトコントロールの最先端技術や理論を学ぶのだと送り出されたのですが、ミシシッピ州へ行ってみたら、
そのようなことを学ぶ場所ではないことがわかりました」と藤野は言っている。
「ラスペット飛行研究所は、手作り飛行機を作っているような研究所でしたね。既存の単発ターボプロップ機の主翼と尾翼を、
コンポジット材(複合材料)で作りなおして、機体を軽量化するという研究をしたわけですが、毎日、部品を作っては、
ヤスリがけして、自分の手で飛行機を組み立てるような作業をしていた。最先端技術や理論なんて、どこにもないのです。
飛行機の機体は、綿密な構造計算の上で設計されるものなのですが、単発の小さな飛行機とはいえ、すごく簡単な計算をするだけでした。
さすがにある日、こういうやり方でいいのですか、とミシシッピ州立大学の教授に問うたわけです。そうしたら教授は、近くにあった椅子を指さして、
こういう椅子を設計するときに綿密な構造計算が必要だと思うのか、と言われました。これにはショックをうけましたね。こういうところに来たのかと、物凄いギャップを感じました」
ただし藤野は、ラスペット飛行研究所での経験は貴重なものだった、と後に気がついている。
「たしかに実際に図面を描いて飛行機を設計し、自分で部品を作り、組み立てる。自分で飛ぶことも出来た。
それまでは航空学科を卒業しているだけで、飛行機にさわったこともなければ、ましてや操縦したこともないわけですよ。
だから実際の経験が出来た。自分の手でボルトをしめたリ、リベットを打ったりする。こういう経験は、本場アメリカの航空機エンジニアですら経験していない。
飛行機の設計は出来るけれど、飛行機を作ったことがない。そういう経験は貴重だと後でわかった。しかしそのときは満足できないわけですね。
もっとハイテクなことを学びたいと思っている。だから昼間は飛行機を手作りして、夜はハイテク理論を勉強していました
1988年になると、本格的な飛行機開発がスタートした。実験機と位置づけられたMH02型の開発計画である。
「普通の飛行機の機体はアルミ製なのです。しかし私たちに与えられたミッションは、オールコンポジットの機体を作れ、ということでした。
コンポジットとは、プラスチックのなかにグラスファイバーみたいな繊維が入っている素材です。樹脂と繊維を編み合わせた構造で、
それを重ねて作るのがオールコンポジットです。アルミ製にくらべると利点は多くあります。軽くなる可能性が大きい。アルミ製より疲労に強い。
また腐食しない。曲線とか曲面がきれいに仕上がる。ただし設計も製造も、きわめて難しい。設計に手間がかかるし、
専用の大掛かりな製造設備を必要としますので、コストがかかる。いい技術陣がいて、いい理論があり、いい実験データが豊富で、
専用製造設備があればオールコンポジットもいいでしょうが、それがなければ成立しない。設計が難しく、製造が難しく、コストがかかる。
オールコンポジットの機体開発は、MH02の開発に着手した時点では、まぎれもない最先端技術でした。現在でも先端技術と言っていいと思います」
藤野は言葉にこそ出さなかったが、オールコンポジットの機体開発は、あまりにも冒険的であったと言いたげだった。
だが、ホンダ上層部の意志は強固であった。いまのホンダの技術水準では到達不可能と思える最先端技術であるからこそ、
チャレンジングな研究開発テーマになるのだという強烈な哲学が本田技術研究所には伝統的にある。そのとき最高の最先端技術に挑戦するからこそ、
技術的体力が身につくのだという考え方だ。
そうしたホンダの技術開発哲学について、藤野はひらたい言葉で、こう言っている。
「飛行機開発を始めたとき、上司から与えられた研究テーマについて、これは出来ませんと答えると、物凄く怒られるわけです。
出来ない理由を説明すると、もっと怒られます。出来ないことはない、と言うわけです。そうやって怒られながら僕は学びましたね。
出来ない、と思ったら、出来る方法を考える。出来ないと答えれば、怒られるけれど、こうすれば出来ますよと言えば、
比較的うけいれてくれる。ならば、やってみろ、ということになる」
1993年に飛行試験を開始した実験機MH02型は、ホンダが初めて自社設計して開発した記念すべき飛行機となった。
しかも実験機ではあったが世界初のオールコンポジット製ビジネスジェットである。ここにきてホンダは、飛行機開発の設計、
機体組み立て、地上テスト、飛行試験までをすべて自分たちで実行し、飛行機をゼロから設計して飛ばすまでの貴重な経験を積んだ。
初飛行のときのことを、藤野道格はこう言っている。
「もちろん綿密に計算して、間違いはない、という確信があるから飛行試験を開始したわけです。間違いは許されないですから、
すべての部品は計算して設計しテストしているし、機体はすべてチェックしている。ただし、自動車同様に飛行機にも特性というものがあります。
MH02の場合は、エンジンが機体の上についている特殊な形をしているので、離陸するときに操縦桿を強い力で引く必要があるという特性があった。
パイロットには、そのことを説明したのですが、そういうことは経験しているから大丈夫という感じで、あんまり心配していなかった。それで無事に離陸しました。
僕はそれを自分の目で見られないのです。設計者たちは、離陸するところが見えない場所で、テレメーターとかデータを見ていなくてはならないので、
あっ飛んだな、とデータを見てわかりました。初飛行をおえたときは、それは嬉しかった。嬉しくて嬉しくてしょうがないというのではなく、
ほっとした、という気持ちが強かったですね。なにしろ初飛行直前の3日間は、毎日2時間ぐらいしか眠る時間がなかったので、疲れているし眠たい。
無事に初飛行をおえたあとは、早く帰って寝たいということだけでしたね」
この実験機MH02型のエンジンは、実はホンダ製ではなかった。PWC社製のターボファン・ジェットエンジンを搭載していた。
ホンダは藤野たちの航空機プロジェクト立ち上げの1986年に、航空機エンジン開発のプロジェクトも立ち上げている
。したがって、おそらくホンダのターボファン・ジェットエンジンの開発が、MH02型の飛行試験開始までに間に合わなかったのだろう。
藤野道格は機密保護の立場から、そのことについて詳しく発言することをしない。
ただしホンダのターボファン・ジェットエンジン開発については、このような雑感を言っている。
「自動車用エンジンとは、まったく別のものですからね。凄い高温で、凄い遠心力で回転するエンジンですから、材料を限界まで使うし、
その使用条件も品質も異なりますから、大変な開発だったと思います。とはいえエンジンは、ホンダはエンジンの会社だというのがあって
、エンジンは自分たちの手の範囲内にあると思っている人が多かったようですね。だから航空機エンジンを作って、
航空機メーカーに売るというほうが比較的実現性が高いと思うわけです。そのほうがビジネスの範囲もうんと狭くなるし、
投資の回収は難しいかもしれないけれど、リスクは少なくなる。そういうことがあって、航空機エンジンの開発は今日まで、
ずっと継続されてきました。僕らのほうは途中で何度も航空機研究を続けることが難しい状況になりましたけれどね」
>>267
というか、エンジンの場所そのものは他のビジネスジェットと変わらない
ただ、普通は胴体から梁をだしてエンジンを支持するのに対して、ホンダジェットは翼でエンジンを支持するのが違う
これによって胴体内のスペースを有効に使えるようになり、エンジンが胴体に直結していないから静粛になり、
さらに燃費にも貢献という結果が得られた 本田技術研究所では、困難な研究開発をするとき「2階にあげて、ハシゴを外し、下から火をつける」という手法がとられる。
オールコンポジットの飛行機機体開発は、まさにそれだった。ホンダの人材育成は、まことに強烈である。強烈だからこそ、短時間で成長してきたのだという自負がある。
実際問題、藤野たちの研究開発チームは、設計に必要とするコンピュータ・プログラムの開発から着手している。
航空機開発用の風洞実験設備がなかったので、自動車の屋根に風洞測定モデルをくくりつけて、自動車用テストコースを走って
空気の流れや力を測定したという笑い話のようなシーンすらあった。
藤野自身も自動車技術者から航空機技術者へと成長していた。開発拠点はアメリカのミシシッピに置いていた。そこで藤野は、
ベテランのアメリカ人航空機技術者と出会い、師事している。
「超音速機や超大型機の開発に挑んできたアメリカの超一流の技術者と仕事を通じて出会えたことである。彼らとの関係を通じて、
過去の航空機開発における技術やその歴史、そして成功体験でけでなく失敗事例や問題点などを、あたかも同時代を生きたかのように直接学びとることができた」と藤野はレポートに書いている。
また、アメリカでの研究開発業務活動では実際にビジネスジェットを使う機会があり、商品としてのビジネスジェットを見る目が鍛えられたという。
こうして5年間の精進が続けられた。そして1993年に、MH02型実験機は、初飛行に成功するのであった。
1993年に飛行試験を開始した実験機MH02型は、ホンダが初めて自社設計して開発した記念すべき飛行機となった。
しかも実験機ではあったが世界初のオールコンポジット製ビジネスジェットである。ここにきてホンダは、飛行機開発の設計、
機体組み立て、地上テスト、飛行試験までをすべて自分たちで実行し、飛行機をゼロから設計して飛ばすまでの貴重な経験を積んだ。
初飛行のときのことを、藤野道格はこう言っている。
「もちろん綿密に計算して、間違いはない、という確信があるから飛行試験を開始したわけです。間違いは許されないですから、
すべての部品は計算して設計しテストしているし、機体はすべてチェックしている。ただし、自動車同様に飛行機にも特性というものがあります。
MH02の場合は、エンジンが機体の上についている特殊な形をしているので、離陸するときに操縦桿を強い力で引く必要があるという特性があった。
パイロットには、そのことを説明したのですが、そういうことは経験しているから大丈夫という感じで、あんまり心配していなかった。
それで無事に離陸しました。僕はそれを自分の目で見られないのです。設計者たちは、離陸するところが見えない場所で、
テレメーターとかデータを見ていなくてはならないので、あっ飛んだな、とデータを見てわかりました。初飛行をおえたときは、それは嬉しかった。
嬉しくて嬉しくてしょうがないというのではなく、ほっとした、という気持ちが強かったですね。なにしろ初飛行直前の3日間は、
毎日2時間ぐらいしか眠る時間がなかったので、疲れているし眠たい。無事に初飛行をおえたあとは、早く帰って寝たいということだけでしたね」
たった5年間で、それまで世界に存在していなかったオールコンポジット製ビジネスジェットを設計して飛ばした人の思い出というのは、
こういうものなんだろなと思った。5年間の藤野たちの苦労がよくわかるエピソードである。
この実験機MH02型のエンジンは、実はホンダ製ではなかった。PWC社製のターボファン・ジェットエンジンを搭載していた。
ホンダは藤野たちの航空機プロジェクト立ち上げの1986年に、航空機エンジン開発のプロジェクトも立ち上げている。したがって、
おそらくホンダのターボファン・ジェットエンジンの開発が、MH02型の飛行試験開始までに間に合わなかったのだろう。藤野道格は機密保護の立場から、
そのことについて詳しく発言することをしない。
ただしホンダのターボファン・ジェットエンジン開発については、このような雑感を言っている。
「自動車用エンジンとは、まったく別のものですからね。凄い高温で、凄い遠心力で回転するエンジンですから、材料を限界まで使うし、
その使用条件も品質も異なりますから、大変な開発だったと思います。とはいえエンジンは、ホンダはエンジンの会社だというのがあって、
エンジンは自分たちの手の範囲内にあると思っている人が多かったようですね。だから航空機エンジンを作って、
航空機メーカーに売るというほうが比較的実現性が高いと思うわけです。そのほうがビジネスの範囲もうんと狭くなるし、投資の回収は難しいかもしれないけれど、
リスクは少なくなる。そういうことがあって、航空機エンジンの開発は今日まで、ずっと継続されてきました。僕らのほうは途中で何度も航空機研究を続けることが難しい状況になりましたけれどね」
その最初の危機は、MH02型実験機の飛行試験がすべて終了した1996年8月にやってきた。航空機研究プロジェクトはひとまず終了となり、ミシシッピの実験機開発のすべての設備が閉鎖された。
帰国した藤野道格は、どうしても研究を続行したいと思っていた。彼は10年間の航空機研究で、ビジネスジェットを所品として開発できるという自信をつけていた。
商品となるビジネスジェットの具体的要件すら考えていたのである
実験機MH02型の試験飛行が終わった1996年から1年半ぐらいの期間は、藤野道格にとって、いちばん辛い時期であった。
「要素研究は許されたのですが、先が見えないわけですね。これは辛いです。ここからもう一度、航空機研究プロジェクトを巻き返したいとは思っていたのですが、
やっぱり無理かなという考えも頭をもたげてきます。諦めて、ホンダを退職して、他の会社へ行くかという考えも出てきます。その頃に、マラソン選手の話を本で読んだのです。
マラソンをしていて苦しくなったときは、ゴールまで40キロを走るのだと思わないで、とにかく次の電柱まで走ろうと思って走り続ければ、完走できるという話でした。それを読んで、
とりあえず次の電柱まで走ってみるかという気持ちになりました」
と藤野は言っている。そして1年半がすぎた頃、藤野は当時のホンダ社長である川本信彦に呼ばれた。
そのとき藤野道格は、新しい航空機研究のコンセプトを話している。それはとても具体的なビジネスジェット開発アイデアであった。
従来のビジネスジェットより燃費を20、30%向上させて、3、4人が搭乗したときの1人あたりの運航コストが国内線のファーストクラス並であること。
キャビンのスペースがひとクラス上の機体と同様の広さで、対面シートに座った乗客の足がお互いにぶつからないこと。きちんとしたドアがついたトイレを設備し、
乗客人数分のゴルフバッグが無理なく積める荷物室があること。最高速度は400ノット(時速約740キロ)をこえ、ノンストップでニューヨークからマイアミまで飛行できる、
高性能な小型ビジネスジェットであること。購入者の所有欲を満たす魅力的なスタイリングとインテリアであること。
以上の性能をもたせるために、エンジンを主翼上面に搭載するという斬新かつ挑戦的な技術課題を考えていた。従来の小型ビジネスジェットのように胴体後部にエンジンを搭載すると、
胴体後部にエンジン支持構造が必要となるので、キャビンスペースや荷物室スペースを十分な広さにできない。だからエンジンを主翼に搭載することを考えた。
それもジェット旅客機のように主翼の下面に吊り下げるのではなく、主翼上面に搭載する。この方法は、空力や重量配分の問題解決が難しいために、
いままで実現されたことがなかった。そのような未知の技術開発に挑戦して実現すれば、新しい小型ビジネスジェットのスタイルを生み出すことになる。ホンダ好みの、まことに挑戦的な技術コンセプトであった。
この藤野のアイデアを聞いた社長の川本信彦は「このアイデアをまとめて、経営会議へもってこい」と言った。「これは千載一遇のチャンスだ」と藤野は思った。
こうして経営会議に、新しい航空機研究プロジェクトが提案され、そして承認された。藤野が提案したコンセプトを実証するためのプロジェクトである。
>>1
まぁこの件についてはパヨクがアメリカ製だの言ってるけど、そこは問題ではない。
日本企業のホンダという会社がより多くの利益を上げられ、会社の規模がますますでかくなる。
それが全てだよ 1997年ふたたび藤野道格たちは、航空機製作のプロジェクトに着手することになった。
独自に研究開発を続けていたホンダ製ターボファンジェット・エンジンが実用化の段階へと仕上がり、それを搭載することが決まった。
「主翼上面にエンジンを搭載したホンダジェットの設計には2年間の時間が必要だった」と藤野は言っている。入念な計算、何度も繰り返される
コンピュータ・シュミレーション、そしてテスト、風洞実験と、「絶対に大丈夫だ」と思えるまで時間をかけた。
ここでふたたび自動車メーカーが航空機を作ることの難しさに、藤野は何度も直面する。
「オートバイやクルマなら、厳しい評価ができますが、飛行機だとピンとこないというか、知識も経験もないのですから、ホンダの社内でも話が通じにくいことがありました。
本質的な理解が得られているのかどうか、判断が難しいことすらあった。いちばん異論が出されたのは、主翼上面にエンジンを配置するアイデアでした」
それまでの一般的な航空機設計理論では、主翼上面には何も配置しないというのが常識であった。しかしホンダジェットでは、キャビンスペースや荷物室スペースを十分な広さにするために、
主翼上面のエンジンを配置する設計である。たしかに主翼上面にエンジンを配置することは技術的に難しいことであった。空気抵抗が増加し、高速飛行時の空力特性が悪化するからである。
そのような問題を、藤野は技術課題として設定し、主翼まわりの空気の流れと、エンジンまわりの空気の流れを、うまく組み合わせれば、高速飛行時の空力特性を悪化させない圧力分布が
可能ではないかと考えたのである。この考えにそって、主翼上面の最適位置のエンジンを搭載すれば、高速飛行時の空力特性を悪化させず、むしろ向上させる可能性があることを、
コンピュータ・シュミレーションを何度も繰り返すことで発見していた。最終的に、最新鋭のCFD(数値流体掲載シュミレーション)でコンセプトをかため、ボーイング社とNASA(アメリカ航空宇宙局)の遷音速風洞試験で実証したのであった。
こうして藤野は主翼上面にエンジンを配置したホンダジェットを設計するのだが、社内での技術的理解を得ることは困難であった。
「理論で説明し、実験結果を提示しても、なかなか理解してくれなかった」と藤野は言っている。
「きちんとした評価をアメリカの航空学会でもらえれば、きっと安心して理解してくれると私は考えました。またホンダが変な形の飛行機を作ったというネガティブな印象をもたらすと、
ホンダのブランド・イメージを傷つけてしまうかもしれないという懸念もありましたから、学会だけはきちんと攻めて、評価を得ておこうという考えもありました。ただし、よい評価を得られるかどうかは、ひとつの賭けだなと思っていました」
エンジン主翼上面最適配置について、藤野は技術論文を書き、アメリカの航空学会で発表した。
その技術論文を、アメリカ航空機設計委員会は高く評価した。飛行機設計における重大な発見のひとつである、と論評されたのである。飛行機設計の専門誌である『AIAAジャーナル・オブ・エアクラフト』誌に論文が掲載されるほどであった。
エンジン主翼上面最適配置という最新飛行機設計技術は、社内はもちろんアメリカの航空学会でも理解と支持を得られたのである
2年がかりの入念なホンダジェット設計がおわると、いよいよ実際に試作機の製作を始めた。1999年のことである。
設計図に描かれたホンダジェットは、実験機MH02型よりひとまわり小型であったが、キャビンスペースは広くなった。エンジン主翼上面最適配置を採用したから可能になったことである。
その胴体は、すでに10年間の研究が積み重ねられているコンポジット構造であった。胴体は、ノーズから最後尾すべてまで、徹底して空気抵抗が低減されていた。空気抵抗を減らせば、
飛行性能が向上し、さらに燃費向上まで可能になるのは、自動車設計と同じである。ホンダが作る小型ビジネスジェットであれば、高性能で燃費がいいのは当然という考え方だ。
エンジンを搭載する主翼はアルミ製であった。実験機MH02型は胴体と主翼すべてオールコンポジット構造であったが、商品化をめざすホンダジェットは、より現実的な選択として主翼はアルミ製となった。
こうした現実的な技術選択が出来るようになったのは、藤野道格が航空機設計者として成長したからだろう。必要な技術を必要に応じて使いこなすという設計手法はベテランのものだ。藤野はこう言っている。
「商品化するという目標があり、それはビジネスですから、コストを考える必要があります。コストに糸目をつけないで性能だけを追求するというのならオールコンポジット構造がいいと思います。
しかしコンポジットの製造設備投資は大きいですから、ビジネスとして考えてコストパフォーマンスを判断する必要があります。胴体だけをコンポジット構造にしたのは、
胴体はコンポジットの良さを最大限に活かせるからですね。そうではないところ、たとえば主翼はアルミを使うべきだという、ベストのコンビネーションでやろうと判断をした。
あまりにコンポジットにこだわると、エンジニアの視野を狭くしてしまい、何でもコンポジットで作ろうとして、簡単なLブラケットまでコンポジットだと考えてしまう。
Lブラケットなどはアルミで作れば30ドルの部品なのに、コンポジットでは100ドルになってしまう。飛行機の全体をまとめるときには、どこがコンポジットか、どこがアルミかを、きちんと見極めなければならない。
そういう観点で全体を考えると、やはり主翼をアルミにするのが、最良のコストパフォーマンスを生み出すと判断した」
ホンダジェット試作機の製造に取り組んでいる間も、ホンダ社内では航空機プロジェクトの存在を問いなおす議論が続いていた。2001年になると、商品化しないという声が大きくなってきた。
「2001年ぐらいから、航空機プロジェクトは、もうやめるという話が出てきた。ところが福井(威夫/第5代社長)さんが、まだ研究所の社長だったと思いますが、とにかく飛ばすところまでは絶対にやるべきだ、
と言っていると伝わってきた。この福井さんの意志は、福井さんが2003年6月にホンダの社長になってから、ふたたび表明してくれました。あのとき福井さんが言ってくれなかったら、
はたしてどうなっていただろうかと考えることがあります。私の人生というか、ホンダの航空機プロジェクトは、つねに綱渡りですよ。ひとつ間違っていたら、ホンダジェットは生まれていない。
本当に危なくなったときに、どこからか助け舟が出てくる。あるときは、その人が川本(信彦/第4代社長)であり、福井さんだった。どこかで私たちの仕事を見ていてくれたのだと思います。
いまはホンダって、こういう会社なのだろうと思いますが、プロジェクトが危機にひんしたときは、そんなことは考えられない。これでプロジェクトが中止されたら、ホンダを退職して、他の仕事をやろうと何度も考えましたからね」
こうした紆余曲折のなかで、ホンダジェットの試作機作りが続けられていた。細心の作業で組み立てを完了すると、入念な強度試験がおこなわれた。
次の段階は地上走行試験と初飛行であった。
そして2003年11月に、地上走行試験、航空機業界の言葉ではタキシー試験を開始できた。そのときの感動を、藤野はレポートにこう書いている。
「格納庫から太陽の下にあらわれたホンダジェットのプロトタイプは、既存機と比較して格段の新しさであった。地上ステアリング走行試験で、
ホンダジェットが8の字にランプを自走する姿は、あたかもフィギュアスケートの選手がリンクの上でのびのびと滑るかのような美しさがあり、
この瞬間は長い開発過程のなかでも格別な感慨を感じた」
1986年に航空機プロジェクトを開始して以来17年がすぎていた。その17年間を全力で走り抜けてきた者のみに許される感動の瞬間であった。
ホンダジェット試作機の初飛行は2003年12月3日に成功している。タキシー試験の直後であった。このときの藤野の感想は、
エンジンをふくめてオールホンダ製の航空機が初めて飛んだにもかかわらず、タキシー試験のときほど心が躍動していない。疲れはてていたからである。
「初飛行前は凄く忙しくて、とても疲れていました。だから、やっと初飛行に成功してホッとしたという気持ちが半分。あとの半分は、これですべて終わりになるのかという
複雑な気持ちがしていた。研究所の上司は、初飛行まではやると言っていたから、これで終わりになるかもしれないわけで、希望をもってやったというより、
自分で自分にケジメをつけるためにやっていたから、嬉しくて嬉しくてという感じではなかったですね。疲れきっていたから、飛んだのは嬉しいけれど、
これで終わりだという気持ちのほうが大きく感じたのだと思います」
初飛行をおえた藤野は、3週間の長期休暇をとってバハマへ行った。バハマのリゾートホテルのレストランで、ひとりのアメリカ人と知り合った。
自分のビジネスジェットでバハマへ家族連れで遊びに来たという。ホンダジェットを知っているかと質問すると、よく知っていると答えた。
「知っている人がいるのだと思って、嬉しかったですね。するとその人は、あんなにカッコいい飛行機はいままでなかったから、ぜひ買いたいと思っている、
と言ったのです。驚いたというか、こういうふうに思ってくれる人がいるのだという気持ちがしました。まったく知らない人から、そう言われて、少し元気が出て、
3週間休んでいたから体力が回復してきて、もうちょっとやってみるかという気になった」
と藤野は言っている。休暇をおえると、事業化をめざして飛行試験に取り組んだ。
ホンダジェットには、開発の目標とした性能や商品力があることを確認したが、社内では相変わらず事業化への声が盛り上がらない。そればかりか、
もしホンダジェットを市販して、それが墜落でもしたら、ホンダの4輪商品のセールスに大きなダメージを与えるだろうという真摯な意見もあり、そう言われれば藤野は黙るしかない。
「ホンダは飛行機が好きな人は多いから、みんな飛行機をやりたいという気持ちがあると思います。しかし経営者であれば、自分はやりたいけれど、
経営責任者としての判断はまた別ですからね。本当にホンダジェットが売れるのか、という心配があるでしょう。自動車メーカーが作った飛行機を、
買ってくれる人がいるのかという不安です。僕はハバナでの経験があったし、ホンダジェットは商品性が高いから売れると言っていたのですが、
そこがなかなか通じなかった。事業化できなければ、本当にすべてが終わるのだと思った」
そう考えた藤野道格は、ひとつの秘策を用意した。最後の賭けに打って出た。
>>17
意外に安いようだ。
でも船もそうだけど、
維持してくのが大変だろうな。 ホンダジェットを航空ショーに展示しようと考えたのである。2005年のことだった。
そのときの気持ちを、藤野はこう言っている。
「ホンダジェットを事業化する、つまり製造販売できなければ、ここで終わりだと思いました。社内では事業化は難しいだろうという意見が多いと感じていましたから、
航空機プロジェクトが終了する公算が強かった。20年間やってきたホンダの航空機研究が、これで終わるのならば、きちんと総括しておきたかった。
入念な飛行試験をやって性能や商品性を確かめたし、技術論文はアメリカの航空学会で評価をうけた。もうひとつやっておきたかったことは、
ホンダジェットを一般の人たちに公開することでした。飛行機のユーザー層や航空機ファンたちに評価してほしかった。それで2005年7月にアメリカのウィスコン
シン州で開催される
オシコシ航空ショーに出展する計画をたてた。その計画が承認されて実現するわけですが、僕は複雑な気持ちでした。これが最後の活動になるかもしれない。
しかしオシコシ航空ショーで展示することで、多くの人たちの評価がえられれば、事業化への道が切り開けるかもしれないという、かすかな望みをもっていました」
オシコシ航空ショーは自作機や民間機ための航空ショーである。世界中から航空機技術やファンが集まる。まさにホンダジェットにふさわしい発表会場だった。
それは藤野道格にとって感動的な体験となった。彼はレポートに、こう書いている。
「ホンダジェットがオシコシ・エアショーにあらわれたとき、1000人をこえる飛行機ファンたちが、ホンダジェットを一瞬にして取り囲んだ。
朝の澄み切った空気を貫く日射しをうけたホンダジェットの強烈な存在感。それを見る人びとの熱気は、それまでの人生で経験すらしたこともないものであった。
人びとの発するエネルギーが空気の圧力として全身に伝わってくるのを感じた。」
航空機ファンの何人もが「こんなに美しい飛行機は見たことがない」と口々に言ったという。藤野の想像をこえる熱狂的な反応があった。
そうした航空機ファンにまじって、ホンダの第4代社長の川本信彦、第5代社長の吉野浩行、アメリカ・ホンダの社長であった雨宮高一が航空ショーの現場にいた。
「このオシコシ航空ショーから、ホンダ社内の流れに変化が出てきた」と藤野は言っている。その機運を見逃すことはなかった。事業化のための企画提案を、何度もおこなった。
自動車メーカーが開発した飛行機を買う人がいることを経営陣に理解してもらわなければならない。飛行試験で性能を確認し、技術論文で独自技術のステイタスを高め、
航空ショーで一般の人たちの評価を得たあとは、ホンダの経営者たちにホンダジェットの高い商品性を認めてもらえばいい。そこが事業化への突破口となった。
たとえばホンダジェットには、きちんとしたドアがあり個室になるトイレが設備されているが、それはいままでの小型ビジネスジェットにない設備であった。
従来の小型ビジネスジェットはキャビンスペースが狭かったので、カーテンで仕切るような緊急用のトイレしか設備していない。
そのようにホンダジェットは、徹底したお客様目線での設備や装備があった。これこそが自動車メーカーが作る飛行機の商品的な魅力であった。
大型ゴルフバッグが4つ入る荷物室なども、その一例である。これは自動車のトランクスペースを開発するときと同じ考え方だ。
そのほかにも自動車メーカーならではの強みが発揮されている。機能とデザインを両立したインテリア・デザイン、地上を走行しているときの乗り心地、
フィーリングのいいブレーキペダル、しっかりと効き気持ちのいいブレーキ・システム、電子制御のステアリング・システムなど、高級乗用車開発の技術をいかんなくつぎ込まれている。
こうしてオシコシ航空ショーから、およそ半年後の2006年3月に、ホンダジェットの事業化が決定された。
三菱重工は公然わいせつでも騒がれてるし
踏んだり蹴ったり
藤野道格は「たった一度だけ、本田宗一郎さんにお会いしたことがある」と言っている。
「たしか29歳のときだったと思う」と藤野は言っているから、1989年あたりの頃であろう。
本田宗一郎に29歳の藤野道格が会ったのは、本田技術研究所の基礎技術開発センターを視察したときであった。その思い出を藤野は、こう言っている。
「ホンダが飛行機を研究していることは、極秘事項でした。そもそも基礎技術開発センターの存在自体が、社内でも秘密になっていて、
従業員でも知っている人は少なかった。そういう基礎技術研究センターに本田宗一郎さんが来られた。そのときの上司は、
僕に、飛行機をやっていることは本田宗一郎さんには絶対に言ってはならない、と厳命しました」
本田宗一郎が飛行機を作ることを夢みていたのを藤野道格は知っていた。だから、なぜ、本田宗一郎におしえてはならないのかが、よくわからなかった。
飛行機研究をやっていると知れば、とても喜ぶのではないかと思ったからだ。藤野は本田宗一郎の喜び顔が見たかったのである。
ところが上司は、こう言ったという。
「もし、飛行機研究をやっていると知ったら、引退を撤回して研究所の現場に戻ってきてしまうかもしれない。あるいは、いろいろな意見を言ってくるだろう。
そうなったら研究所の仕事がめちゃくちゃになってしまう可能性がある。だから絶対に言ってはならない」
本田宗一郎はそこまでエネルギッシュだった。そういう人物でなければ、たった一代で世界的企業を興すことはできない。
藤野は上司の厳命を守った。その直後のエピソードは、藤野の人柄をよくあらわしている。本田宗一郎の視察がおわり、緊張していた藤野がトイレに入ると、
そこで本田宗一郎が用をたしていた。藤野はこう言っている。
「トイレに入ったらアロハシャツを着ている人がいた。すぐに宗一郎さんだとわかった。僕は、飛行機やっているんですよ、と言おうかなと思った。
でも、言えなかった。言ってはいけない。宗一郎さんとすれちがったとき、お前は暗い顔をしているけれど飛行機でもやっているのか、
と声をかけてくれるかなと期待しましたね。しかし何事もないように、すれちがっただけでした。あのとき、言ってしまえばよかったなと思うことが、いまでもあります。
宗一郎さんが、どんな顔をなさって、何をおっしゃるのか、それは聞きたかった。とても聞いてみたいことでした。しかしチャンスを逃してしまった。
それがたった一度のチャンスだったのです」
Q:アメリカにホンダジェットの生産工場を造ったのは?
藤野 ビジネスジェットの主要マーケットはアメリカが一番です。
ヨーロッパやアジアが伸びていると言ってもアメリカが一番大きいです。
市場に一番近いところでないとニーズに応じた製品が設計出来ないし造れないのは確かだと思います。
これはホンダの他の製品にも言えることで、マーケットのあるところで造るというのが大事です。
私もアメリカに長く住んで、何でアメリカ人がピックアップトラックをカッコイイと思うかが、
今になると判ります。日本に住んでいて映画などで「俺のトラック」と自慢するのが本当のところ判らなかったです。ま
さにビジネスジェットは、自分で使ってみないと、どのような使われ方をしているからどこが重要なのか、どの性能が設計リクアイアメント(要求)として重要なのか、判りません。
だから飛行機を設計する前に企画の半分は決まっています。例えばニューヨーク〜マイアミ間の移動がなぜ重要かは住んでみないと判らない。
どれ位の航続距離が必要か、速度が重要かというのはそこの市場にいて初めて判る事だと思います。
そういったトータルの航空事業、ビジネスジェットを考えた時に、アメリカに居ないとちゃんとしたものが出来上がらないし造れない。
造った後にお客様の声も聞こえない。日本にいてそれらの情報を集めるのは至難の業だと思います。
それら総合的な観点から初めから迷わずにアメリカに拠点を作る事を決めてました。
「米国の学会は、私の新技術開発に対する関心度が高かった。私が研究論文を出したら、
普通ならば論文評価に1年以上かかるのに、何と3週間で回答が来て、
専門家の間でも認められるようになった。スピード感がすごい」
「最初、ボーイングの技術者たちは、われわれのコンセプトを見て馬鹿にしているような様子で、
『まあ、やってやるか』といった受け止め方でした。でも試験を進めていく中で、データが出てくるに従い、
その態度が変わってきて、彼らも認めざるを得なくなりました」
「研究開発のやり方は、おそらく普通の飛行機会社ではできないでしょう。
なぜかというと、開発の途中で万一、新しいアイデアがダメだったとなると、一からやり直しになり、
膨大な開発費が無駄になってしまい、最悪、開発を諦めることになるでしょう」
「すべての基本設計は全部、ホンダの中でやってきました。
その意味で、ホンダジェットは、安易に海外の専門サプライヤーなどに頼ることなく、
文字通りホンダ自身でつくった機体だ、と胸を張って言えます」
HondaJet の場合にはアイコンで、どこに行くというアイコンを押せば飛行場のリストがずっと出てきて、
それを指でスクロールしてNRT を選ぶ。皆さんがスマートフォンで使っているような感じです。
これなども最新の考え方でやっています。最初、FAA にこのコンセプトを話した時、FAA はコンサバなので絶対にだめだと、
あらゆる理由をつけてだめだと言いました。例えば突風で揺れた時に指で押し間違えるだろうと、押そうとしたら突風で
ほかのところを押すかもしれないと、新しいテクノロジーで考えられるありとあらゆる危険性とかそういうものを。
ですから、航空機で新しい技術を採用して認定するのは非常に難しいわけです。この例ではどのような解決策を立てたかというと、
二つのスクリーンに手を当てて、親指と小指で握りながら押せる絶対に押し間違いのないような設計にしました。
タッチスクリーンの幅とか、ここがきちっとグリップできるとか、そういうことで最終的に認定もOK になりました。
認定の時の定性的なパイロットのコメントなどにも応えていかなければいけないというのが難しいところです
日本ではあまり知られていないと思いますので、飛行機の認定を取るのがなぜそんなに大変なのかということをご紹介させていただきます。
認定にアプリケーションしてからのプロセスですが、すべてのプロセスでFAA との合意をとっていかなければいけません。
例えばアプリケーションをした時に、実際どういう認定の基準でやるのかとかいったサティフィケーション・ベーシスとか、そういうことを決めるのから始まりまして、
実際にサティフィケーションをする時にはどういう方法で、どういう試験をして、どういうプランでやっていくかということを、機体全体の設計、
すべての部品に対してやっていかないといけません。そのようなことが終わった後にすべての部品レベルでの認定試験があり、
そして実際のフライト試験に入ります。そのフライト試験に入る時もフライトプランをまず初めにFAA に提出して、FAA がそれを承認しないとテストも始められません。
それが承認されたらFAA のまた違うディビジョンが、いま飛んでいる機体、テストに使っている機体と設計とがまったく同じに作られていることを証明して
承認してもらわないといけません。そして、それがわかった時点で初めてFAAのパイロットが乗って、先ほどのビデオにあったようなフライト試験が始まります。
そのフライト試験が終わった後にAEG といって、例えばFSB とかいろいろなエアクラフトのエバリュエーションが行われます。
そしてタイプ・サティフィケーションボードというのが開かれて、ここで基本的なタイプ・サティフィケーションが下りて、
その後にフライトマニュアルとかそういうものの承認が下りて、最後にTC 取得となります。
具体的にどういうことかというと、例えばサティフィケーション・プランというのはメソッド・オブ・コンプライアンスといいまして、
どのように法規に合っているかということを、われわれはどういう解析方法で、どういう精度で、あるいはどういう試験をして、
そしてこれを承認するというような論理、ストーリーをまず作って、それをサティフィケーションの書類として、プランとして出さなければいけません。
それを認めてもらわないと次に進めないのです。図面とか解析レポートとか、そういうものは全部FAA のレビューが入って承認されないと次に進めません。
テストを始める時も、テストプランとかテストの供試体などが図面どおりに、あるいは規定どおりに、材料もどこの国で作られた材料かとか
そのようなことも全部チェックされます。テストする時にはテスト器具の承認も必要です。テスト器具が適切にキャリブレーションされて精度が出ているか。
そして実際に機体をテストし始める時には、コンフォーミティといって、テストされる機体が本当にそのテストをする機体どおりになっているかということを
ボルト1 本までチェックする。このようなことを全部していってFAA のアグリーメントを得なければいけないわけです。
大変だということを言おうと思って話しましたが、たぶんあまり伝わらないでしょうから(笑)、
どうやったら大変だということをわかってもらえるかなと考えてきました。そこで、FAA に提出した書類がどれぐらいかということを調べてもらいました。
FAA に提出した書類の枚数は240 万ページです。それを全部、FAA との整合を取っていかなければいけない、承認されなければいけないというイメージです。
ちなみに「広辞苑」の厚いのでも確か4000 ページぐらいですから、240万ページというとどれぐらいかというイメージがわかると思います。
飛行機の認定を経験して思ったのは、これは本当に想像を絶するような仕事量と正確さと忍耐が必要だと。
一つのことに対してFAA が絶対に譲らないという時には感情的に爆発しそうになりますが、そういう時でも我慢して我慢して納得してもらう。
時には譲歩もしなければいけない。おそらく認定をした人でなければわからないような人知を超えた経験だったと思います。
Hondaが1 社でこの飛行機の認定を取ったというのは、Honda だけではなくて、日本にとっても、あるいは新しく参入する会社にとってもすごいことなのではないかと
私は思っています。それだけ認定が大変だったので、認定を取った時は、その紙を渡された時のうれしさは今でも忘れられません。
認定になりますと要求がさらに厳しくなります。例えばここでお示ししていますように、
材料ですとキューポンテスト、材料レベルからの特性。そしてサプコンポーネントといいまして、ウィンドシールドとか
いろいろなコンポーネントレベルで試験をして、それらの試験をビルディング・ブロック・アプローチで積み上げていく
というようなことをして強度を証明していきます
また、例えばシートのクラッシュ・ウォージネスの試験などもコンポーネントでしています。またアビオニクスなどの
いろいろなファンクションテスト、ソフトウェアの試験をします。システムですと、アイシングトンネルを使って実際に凍らせて、
氷が解けるかとか、氷が付いた状態では氷の形がどうなるかとか、飛行機の設計では飛んだ時にどういう氷が付くかということも
全部計算します。そして計算からの氷のかたちとテストの氷のかたちが同じになることを実証しなければいけません。
そのようなことまで試験をしなくてはいけないということです。あと、ランディングギアのドロップテスト(落下試験)です。
全機の構造試験に関しては、73 個の油圧のアクチエーターをコンピュータでコントロールして、飛んでいる状況をすべて模擬する。
例えば着陸した時の荷重、あるいは片輪で着陸した時の荷重、飛んでいる時、旋回した時、突風の時、ありとあらゆる条件を
コンピュータに入れていまして、この73 個の組み合わせでその荷重をつくり出して、機体が壊れないか、あるいは計算どおりに壊れるか
というようなことを実証します。このように非常にソフィスティケートなテストをして認定試験をパスすることになります。
飛行試験ですが、認定の飛行試験でも多くのことが要求されます。例えば高高度での離着陸性能特性。あるいは、これはアリゾナのユマですが、
高温ですね。40 度近いところに機体をずっと駐機していても燃料がベーパーしないか、フューエルポンプは大丈夫か。
あとはごく低温の試験です。マイナス40 度でもランディングギアが下りるか、ドアが開くか、エンジンがスタートできるかといった試験です。
これはNASA のワロップスというところでやった試験ですが、滑走路にハーフインチ、12 ミリぐらいの水を溜めて離陸滑走試験をして、
実際にノーズから立ち上がった水がエンジンに吸い込まれてもエンジンの性能が悪くならないというふうな試験をします。
HondaJet ではこういう試験をして、トータルの飛行試験は3000 時間を超えています。ですから、認定を取るために3000 時間以上の試験をして
認定を取っているということです。このような試験を全部終えた後、最後にファンクション・アンド・リライアビリティ、機能信頼性飛行試験というのがあります。
これはどのような試験かといいますと、朝から晩まで、そして連続して300 時間飛び続けます。そして実際に考えられるあらゆる状況、
飛行場とか高度とか天候とかそのような状況で300 時間飛び続けても機能に問題がない、信頼性があるという試験です。
HondaJet の場合、この300 時間を4 週間以内でパスしました。通常ですと4 週間でパスできることはほとんどないのですが、
HondaJet は4 週間でパスしまして、FAA の人もびっくりしていたというか、コンプリメントをいただきまして、
認定の段階から信頼性の高さを実証することができました。
2 年ぐらい前には日本でもデモンストレーションをしました。あとロシアとか、去年の12 月には中東のドバイでやりまして、
4 月には中国の上海と香港、そして台北というところを回って皆さんに見てもらっています。
どこでもレスポンスは非常に良い。Honda が作った飛行機という期待が高くて、お客さんと話しているとエキサイトメントが伝わってきます。
あるいは乗った時にみんな「すごい」と言います。どういうところがすごいかというと、まず加速です。ポルシェみたいな感じだと思います。
Honda だからポルシェではなく・・・(笑)。すごい加速です。その加速で、わーっ、いいなと。あと、
上昇率です。4 万1000 フィートまで19 分、4 万3000 フィートでも22、3 分ですから、あっという間に上がります。
皆さん、ロケットみたいだと言います。そして、通常このクラスですと温度が高いと最高速度が出ないのですが、HondaJet はISA、
国際標準大気の7 度ぐらい高くても420 ノットがバシッと出ます。とにかく性能がいい。乗って、下りてきた人はポルシェみたいだと。
もう一つ、乗り心地がすごくソリッドです。小さいと感じるかもしれませんが、乗り心地が抜群によくて、突風の中に入ってもビシッとして
揺れ方が全然違います。大型機に乗っていると、揺れは小型機ほどバタバタではないけれど、胴体が振動して揺れる感じがありますよね。
バスみたいな感じでしょうか。HondaJet はバスではなくてスポーツカーです。そのようなところがエモーションで買いたいという感じになる方が多いようです。
ただ、最近は燃費が良くて広いので、商業的に使われる方も多いです。いまドイツとかフランスではチャーター会社が買っています。
お客さんは1 回乗ったらもう1 回乗りたいということで、チャーター会社のフィードバックは「すごいデマンドで、1回乗ったらまた乗りたい」と。
実は私もそうでして、1 回乗ったらまた乗りたいという気持ちになります。自分で設計して自分で言ってはあまり説得力がないのですが、本当に疲れない。
>>5
MRJを馬鹿にするのもいいが、H2ロケットも開発当初トラブルが続発して初号機が打ち上がっても何度か失敗があった
だが技術的に完成した今はほとんど失敗なんて聞かない
巨大技術を開発するのはそういうものかと
短い視野では何も得られない >>277
リアエンジンに比べ
構造重量的には翼内燃料タンクと同じで翼に付けたほうが軽くなる
しかし空気抵抗としてはリアにつけた方が少ないように思うんだが
ホンダは少ないと言ってるからそうなんだろうがw >>233
調布はもうちょっと拡張してほとんどの小型ジェットが満タンで楽々飛べる1500級くらいにできればよかったが
あの事故がおきたからもう地元の反対で永久に無理だろうまだ横田共用のほうが可能性がある
800だと飛べる機種と距離限られるしそもそも騒音でジェット無理なのよね ホンダは早い時期に自身に足りないものを見極めて出来る連中を一つにしたのが成功の要因だわな
MRJは出来ると思い込んだ慢心の集団がバラバラのまま始まったのが失敗の原因
問題の洗い出しと修正と対応の早さの違いが成否を分けた
主翼上面エンジン搭載形態
設計上最も大きな決断を要したのはエンジン搭載位置である.通常の胴体後部搭載案に対し,
主翼上面搭載案を選定するにあたってはさまざまな角度から技術的検討がなされた.
一般的には主翼上面にエンジンナセルを配置すると好ましくない空力干渉が生じることにより強い衝撃波が発生し,
抵抗発散マッハ数が低くなる.この現象について検討するため,まず三次元オイラー解法による理論解析(5)をおこない,
次にその理論的予測の妥当性検証のため,ボーイング社の遷音速風洞を用いて遷音速風洞試験(Fig. 5)をおこなった.
その結果,衝撃波が最小となるナセルの主翼に対する相対位置が見出され,抵抗発散がクリーン翼形態より大きな
マッハ数で起きることがわかった.
ナセル前面がクリーン翼の衝撃波発生位置近くにあり,ナセル下面が翼上面から垂直方向にナセル最大高さの
約 1/3 から 1/2 の位置にあるとき,有利な空力干渉が生じて主翼上面エンジン搭載形態での抵抗は
通常の後部胴体搭載形態のそれより小さくなることが確認された(1).本機の最終形態はこの結果に基づいて決められた.
主翼上面エンジン搭載形態を採用することにより,巡航性能は通常の後部胴体搭載形態に比べて高く,
かつキャビン容積は同クラスのビジネスジェット機の中で最大とすることができた
主翼
主翼の空力設計をおこなう上で重要なことは良好な失速特性を維持しつつ抵抗を最小とすることである.
また最小構造重量で誘導抵抗を最小とするために詳細なトレードスタディもおこなわれた.
その結果,航続距離が 1100nm(2 037km)の航空機の場合,主翼の幾何学的アスペクト比が8.5で,
ウイングレットの高さが主翼翼幅の約9%のウイングレットを装備した時に離陸重量を最小にできることがわかった.
本機には主翼上面エンジン搭載形態を採用した.この形態の特徴はナセルを最適な位置に置くことにより
高速での造波抵抗を最小とできること,およびキャビン容積を拡大できることにある(1).
しかし通常使われる形態ではないため,理論解析および低速風洞試験によって失速特性が注意深く調べられた.
縮尺 1/6 の模型を用いた低速風洞試験による主翼上面エンジン搭載形態の失速パターンをFig. 2に示す.
主翼の失速は最初セミスパンの約 55%で発生し,その後剥離は主翼中央部前方に向かって拡がっていく.
これより主翼の外側部分には適切な失速余裕があることがわかる.そして胴体とナセルの間の主翼付根部分は
機体が失速角に達しても失速せず,主翼上面エンジン搭載形態が良好な失速特性を有することも示している.
ナセルの有無による揚力特性についても同様な低速風洞試験結果により,ナセルを主翼上面に搭載しても不利になることはないことが実証された(2).
HondaJetの高い性能目標を実現するため,コンフォーマル・マッピング法(3)を使って新しい自然層流(NLF)翼型SHM-1 が開発された(
4).
SHM-1 翼型の形状と代表的圧力コンター図をFig. 3に示す.この翼型では翼上面の圧力が約42%翼弦長まで順圧力勾配に設計され,
そのあと凹型の圧力回復が続き,最大揚力,ピッチングモーメント,抵抗発散の間の最適なバランスが取られている.
翼下面の圧力は約63%翼弦長まで順圧力勾配に設計されており,抵抗を減少させる圧力分布をしている.
また表面粗さによる最大揚力係数の損失を最小とするため,高迎角において前縁付近で遷移が起こるような特別な翼前縁形状が設計された
さらに,翼上面の後縁部分の形状は,圧力勾配を非常に大きくすることで,意図的に小さな剥離を生じさせている.
この新しいコンセプトの後縁設計の採用により高速でのピッチングモーメントを大幅に減少することが可能となった.
この翼型については低速および遷音速での風洞試験に加え,T-33航空機(Fig. 4)の主翼を改修した実機を用いた飛行試験により,
実レイノルズ数,実マッハ数での翼型性能の検証をおこなった.この翼型は高い最大揚力係数と穏やかな失速特性をもつことに加え,
巡航および上昇時には低い形状抵抗係数を有することが特徴である
>>297
だったらどこがわかってないのか説明しろよ >>304
特に型式認定とかはノウハウなくてお手上げだったろうし、貿易摩擦対策も兼ねてGEと組んで正解だった
三菱は型式認定どうやって取るつもりなんだろう?
サイズ大きいとチェックの部品も激増するし、飛行試験時間が足りてないし、型式認定挑むのが恐ろしい なんだろ
この高性能スマートフォン買ったら数カ月後にPROという名の高性能機種が出たような嫌悪感を感じる感覚は
最初から発表してたらそっち買ってたわ 返品も出来ねえし
みたいな感覚だな
買えないけど俺が富裕層だったら二度と買わないと思う
こんな近距離用じゃいくらでも代わりがあるよね。
>>308
そのクルマが持つ「趣味」「趣向」「テイスト」に関して『オハイオでフィットを作ったらアメ車か?』とキミが問うているならば、『アメ車ではない』が正しい。
だが、車検証にも記載されることでもある事実として、アメリカで作られたホンダ車の車名は「ホンダ オブ アメリカ」であり、アメ車である。 1437ノーティカルマイル
これ見るといかに他社のLRがすげえかよくわかるな
無給油で日本からモスクワ行けるだろwwwwwww
>>1
ホンダジェットとMRJ、どうして差が付いたのか?
慢心、環境の違い。 >>317
三菱もビジネスジェットではいろいろあったが生産機数は800機ちかい。
ビジネスジェットとMRJでは問題レベルが違う 【三菱】新型「MRJ」発表、その名も「DQN(ドキュン)」 型式証明スルーでお披露目
お前さ、この前ジェット買ったのにもうマイナー出るんかよ!
航続距離も伸びてるし、俺のジェットよりええんや!
お前さ、いくらビットコインで儲けた俺にもさ、最新型売るとかあるやろ!
ちっきしょう、旧型のジェットなんてもういらんわ!
「ホンダが航空機産業の文化を変える」
ホンダ エアクラフト カンパニー社長に聞く
東洋経済 2015年05月18日
ー国産旅客機としてMRJが初飛行を目指しています。航空機産業には難しさもあると思いますが。
飛行機はいろいろなものが関わっているので、理論だけで決められないことがたくさんある。
設計ではさまざまな問題が生じるが、大枠を詰めて、大局的に決めることが非常に重要だと思う。
それをきちんとしないと、どこかを変えたら思わぬところで問題が起きて、全部やり直しといったことがすごくある。
MRJ
複合材主翼>アルミ製へ変更、強度不足
安易な機器配置>位置変更、配線変更すべてやり直し
上位グレードってことは乾式クラッチが付いてるんですか?
>>2
型式証明取得のノウハウホンダに聞いたが早いんじゃねえの?説はあるな サラリーマンでも20人ぐらい集まれば買えそう
クラブ作って誰か買わない?
あの三菱はうまくいってないのに
なんでホンダがうまくいってるの?
三菱も対抗してMakegumiとかSokonashi-numaとか出そう
>>244
> 中島飛行機の血統は、どこが引き継いでいるの??
スバル自動車 機体が細いから、機内が狭すぎない?
幅の狭い椅子が何席かあるだけだよね?
全長は同じままで、もう少し機体の幅を広げて(寸胴になるが)、ジャンボ機のファーストクラスぐらいのスペースが2〜3人分あれば、寝ながら移動できて最高の乗り物やん素敵やん!?
>>333
トップの人間が技術者として優秀
三菱は技術系でもない奴を社長にして
何度も交代を繰り返している プライベートジェットと旅客機の開発が同じと考えてるバカが多すぎ
>>226
なんか誤解を招いたポイのでスマヌ
和光で創業者さん在命時から研究していた事は知っているけど
(ホンダエアクラフトの2006年当時社長さんなど)
現在の市販機が設計されたのは
創業者さん他界後だったと聞いたので
(あのエンジン位置とか)
スレ汚しスマソ >>340
具体的に何がどう違うの
で、その違いがプロジェクト遅延とどう関係してるんだい >>240
ホンダF1がメキシコGPで初優勝できたのも
中村さんが高地でのエンジン設定を熟知してたから
と外野は言ってる
本人はギンザーべた褒め >>340
何が違うか具体的に説明してくれ
規模以外で >>338
なるほど。
昔の知人に三菱に就職した人もホンダに就職した人も知ってるけどホンダにのが優秀だったな
あと三菱からホンダに転職した人も居たw
技術者にさせるべき仕事じゃない仕事をふらされて手続きとか面倒だったと言ってたな
つかみの印象では三菱のが官僚的運営なんでしょ >>318
あれアメ公がつくったんろ?
日本版をつくれば良い
でも見た目は、日本が作るとださくなりそうw ジェットはすごいのに車は手抜き塗装と雨漏りの安普請
三菱は不正しまくってるから、マトモなのが造れないんだろう
MRJプロジェクトも無能な三菱を切って、
ホンダとスバルにまかせればいい。
>>345
機体が大きくなる分、設計段階から機体強度、エンジン出力を上げなければならず
低燃費とか航続性能向上させつつ上昇力とか考えると、相反する機能を盛り込むのが難しくなり
さらに操縦性、機体安定がここに加わるとダンプカーを軽自動車のごとく扱えて、足回りはSUVみたいな車を造れと言われてるのに近い
そして設計通りに造ったのに、場合によってはCADを使った意味を見いだしたくなるレベルで重量が増える
零戦は良かったが後継烈風がいつまでも開発中だったあれに近い >>351
マニュアルに
たまにエンジンがかからないことがあるが仕様ですって書いてある
で、対策方法が書いてある
マジで >>355
ホンダというよりはカワサキ的なエピソードだな… >>303
もう少し欲しいよな
まあだからと言ってあの事故は滑走路の長さの不足が原因じゃないが
馬力以上に重くなってるのに機種からすると滑走路に余裕が有ったのか
長々と走ることで当面の離陸速度は付ける事が出来て飛び上がったのが運の尽き
やっと付けた速度を馬力不足で食いながら飛んで最後は墜落だからなあ >>351
優秀な人は航空機部門に引き抜かれるんだろう
俺の知ってるホンダに行った先輩は超頭良かったけど
あれよりさらに優れた人が居るんだろうな 一方の三菱は死にかけてるけどなw
大型客船も作れない。
ジェット機も作れない。
技術力低下が酷いなw
>>353
ホンダやスバルでやれば良いんじゃないか?
ホンダの内部留保はMHIの内部留保の4〜5倍あるんだから
企業としての体力が全然違うんだしホンダなら独自で出来るんじゃないか? 三菱は入ってすぐ辞めた知人が何人も居るからな
よほど運営がダメなんだろう
あれで残った人のレベルは察せられる
航空業界初のスピーカーレス室内音響システム「Bongiovi(ボンジョヴィ)オーディオシステム」も設定
自動車もだけど、広範囲なアクティブノイズリダクションはできないものなのかね
そりゃ世界に名だたる大企業がこういうことに本気出したら
殿様商売に近い状態でやってき小さいtメーカなんて太刀打ちできんやろ
航空機は基本設計失敗しなければこうやって改良しながら30年でも40年でも売れるからな。
MRJは全く見込みなさそうだがww
>>367
他事業本部の人間は始める時はやるな
今は早く止めろと思っいるんだよな。 最近のシビックて衝突安全に配慮して鋼板厚くしたの?
>>372
ホンダは慎重さが全然違う
試作機が何度も飛んで、GEと組んで対空証明取るという段階になってから受注を始めてたはず >>1
B787新造の際に準国産とか言ってドヤ顔してた連中が必死にMRJをアクロバティック擁護してて草
馬鹿「ホンダジェットはアメリカ製だから〜」
馬鹿「MRJは純国産で〜」
↑↑↑
どっちも日米双方が関わっててしかもMRJのみお通夜なわけだが
あとB787は納入遅延や初期トラブルこそあったものの成功しているわけだが
MRJ() >>376
MRJが純国産にはならないよな。
MHIは可能な限り海外調達をしろというからな。 三菱はもう完全にアメリカと手繋いじゃってるじゃないですか
リーダーシップと権限移譲
外国人エキスパートと日本人が一体となった
世界水準の民間完成機開発
みじかびの、きゃぶりきとれば、すぎちょびれ、 すぎかきすらの、はっぱふみふみ
ほんだじぇっと えりーと、ほんだじぇっと えりーとS、ほんだじぇっと えりーと ろんぐ 好評発売中
ホンダはホンダジェットの開発に当たり、三菱のMU-300の(商業的)失敗の轍を踏まないように、
色々工夫、努力している。
一方の三菱は、自社の以前の失敗から何も学んでないかのような炎上・・・。
MU-300は今も現役だし、設計買った会社が今も改良&製造続行中。
物は決っして悪くなかったのにね・・・色々残念な会社だと思う。
そう、そして30年40年とメンテで儲けを生み続けるのが飛行機。
Eliteってにたような名前の一人乗りなかったか?
まあ仕事で絡んだ事がある奴なら誰でもわかるだろうけど、重工のみならず三菱が付く会社なんてそんなもん
皆がとは言わんし、業績は良いとこ多いけど、それにしても変なプライド高すぎっていう個人が多すぎる
いつのまにかカワサキC-2がMRJと呼ばれるようになる
>>345
人に意見を求める前に、反論があるならまずオマエが具体的で説得力ある意見を言ってみw
考えるオツムないんか?
おまけに規模以外でとか制約つけるあたりが姑息な
キチガイのくれくれ君のパターンw >>390
三菱はMRJは完成したらMU-300のように手放すつもりだろ
まあそれすら甘い見通しで完成せずに延々と金を使い続けるだろうが
だからもう今の時点でホンダに身売りするのがいいかもな
1ドルでw ノイズキャンセリングヘッドフォンのような機能つけたら室内騒音が減らせるんじゃないか?
>>116
こういう馬鹿って何なんだろう?
で、一方MRJは無知晒して叩きまくってさw >>176
米国の承認を通すための合弁だよ
三菱の学ぶべき点だと思う >>394
アメリカって様々な分野でヤクザだけど、とくに航空機分野でのアンフェアさがエグいよな。 >>384
非常用のヘッドライトならぺツルから出てた
e+LITE(イーライト)だけど >>176
設計はホンダで、GEが生産してメンテすることで
世界中のGEネットワークが使えるんだよ テーマ:ホンダの夢を世界の空に 〜航空機エンジン開発物語
(株)本田技術研究所取締役 執行役員 藁谷 篤邦
・目標: 燃費30%↑×サイズ半分=価値2倍
・初期のコンセプト: 個人の為の飛行機=Flying CIVIC
*安いエンジン ⇒ 鋳造の多用
*低燃費 ⇒ 無冷却で高温化 ⇒ セラミック材
*高効率 ⇒ 2重反転プロペラ
・「独創性」は大切、しかし目標に達せず ⇒ 基本に戻ろう
*自前の新エンジン: HF118(競争力なし) ⇒ HF120(目標達成)
Q: なぜそこまでジェットエンジンに情熱をかけて開発を続けられたのか?(カネ食い虫だし・・・)
A: 始めた人は既に退社、社長もその間4人代わったが、Hondaの場合やってる人間が「やめた」と言わない限り
プロジェクトは続く
*1999年には店じまいの話も出たが、GEとかの外部が評価してくれたので、続けられた
*開発コストはF1よりはるかに安く、20億円/年×13年程度、機体も入れるとその倍ぐらい
Q: 自動車ビジネスとの関連は?
A: ほとんど無い、アメリカでは車の宣伝に使っているが・・・、技術力のアピールにはなる
*機械設計的に共通点はほとんど無いが、空力とソフトウエアのレベルは段違いに高いので応用できる
Q: 最初の独創的なコンセプトを基本に戻したのはなぜ?
A: 技術力が追いつかなかった事と、当時石油価格下落もあり、2重反転の認定が通りにくい環境に変化した為
Q: ジェットエンジン開発時のユニット数は? Hondaらしさは?
A: エンジニアは100名ちょっと(少人数)、GEとの分担は詳細設計がHonda、テストはGE
*GEでは設計エンジニアの担当分野が細分化、Hondaでは一人でいくつも担当 ⇒ Hondaの方が優れていると思う
Q: 航空機ビジネス参入による日本全体への貢献は?
A: 航空機エンジンとかに日本人のまじめさが向いている、ただ車に比べてビジネス規模は小さい
Q: GEとの合弁はなぜ? 必要だった?
A: 当時日本の自動車メーカーが全米自動車協会(AAMA)から追い出されたような状況下で、単独参入は
宣戦布告に等しかった、またFAAの認定はアメリカ人がいないと取れないような仕組み
Q: 今回のエンジンが軍事用とかに使われることはあるのか?
A: GE側は使いたがっているが、Hondaは絶対拒否、GEもそれを尊重してくれている
■ 開発にまつわるエピソード
・トラブル〜「鳥の吸込み」デスト: 推力ロス25%以内が認定条件 ⇒ テスト結果44%のロス
⇒ 総力を挙げて1ヶ月で対策を施した結果ロス19%でクリア
・課題: ?日本にはジェネラル・アビエーションの市場がない
?日本政府の認定では世界に通用しない
?米国の技術輸出規制(ココム、ワッセナー)
ex. エンジンコントロールのソフトは横にGEがいながらHondaが独自に開発
>>217
続きは会員にならんと読めへんやん。責任をとって3ページ以降を5行でまとめなさい >>346
三菱がランエボの世界ラリー選手権参戦やめて
技術者の大半がやめて、その技術は特許も取ってないのが多く、他の自動車メーカーや部品メーカーに散らばった
特に、左右前後の駆動配分をデフ制御で自在にコントロールし
曲がりながら加速していく、凄い動きが出来るようになって世界中の車メーカーが採用している >>22
グライダーも小型ジェットもリージョナルジェットも同じですよ MRJも小型機も、力学と許認可の基本は同じ
実は、快適装備などはさておいて、「空を飛ぶ機械=航空機」として見れば、
グライダーと旅客機との間には大きな差はない。
航空機は流体力学の法則にのっとって飛ぶ機械だ。
大きくとも小さくとも、機体に働く物理法則は同じ。小は模型飛行機から、
大はエアバスA380のような巨大旅客機に至るまで「飛ぶ物理的原理」は同じなのだ。
陸上の乗り物なら地面の上で車輪が回れば取りあえずは動くが、航空機は物理法則を無視すると飛ぶことすらかなわない。
さらには機体を構成するための構造力学も、機体の形式や構造も、機体が大きかろうが小さかろうが、基本は同じなのである。
そして、航空機を巡る、許認可を含めた社会制度はといえば、これまた「大型も小型も基本は同じ」なのだ。
>>405
ステルス戦闘機は違うけどな
あれは、エンジンパワーで無理やり飛ばしてる >>322
あと、労組と座席数の問題もあったよね。 >>406
にしても、流体が発生する揚力使ってんだろ?
ロケットのように推力で直接重力に反してるように見えんが 川田谷飛行場は720×25滑走路とこじんまりしてもセスナが単発17機と双発2機ほど
エプロン駐機しており商売繁盛しているようだが前後の田んぼも買収して1400m級
滑走路有効長を拡張すればHondaJet Elite Edition特別仕様の航続距離と商圏は
ここまで拡大するわけだ。
ペトロパブロフスクカムチャツカスキー2563km、オホーツク2625km、
ザバイカリスク・満州里西郊2435km(北朝鮮迂回)、呼和浩特白塔2557km、
洛陽北郊2450km、宜昌三峡2600km、長沙黄花2524km、掲陽潮汕2495km、
ツゲガラオ2597km
HA420の離発着滑走距離
Take-off distance: 3934 feet (1199m)
Landing distance: 3047 feet (929m)
もちろんCitation525C-CJ4、Do228-NG、ATR42-600は出入禁止ね♪
本田技研工業は川田谷飛行場を拡張してHondaJet所有者限定
東京首都圏プライベートジェット空港のクラウドファンディング
いわゆるゴルフ場会員権のように最寄りのJR高崎線桶川駅への
送迎マイクロバスと時間帯シフト予約制と機体応急整備拠点を
組み合わせて国内外富裕層向け優遇差別化すれば難無く事業成立
するだろ。
上川盆地の鷹栖プルービンググラウンドは周回コースはともかく
直線コースは特認取得すればそのまんま1300m級滑走路となるが
道東道北の拠点ねぇ。
>>393
馬鹿で無知はお前だ
いくら悔しがってもMRJはもう完成すらしねえんだよ
撤退判断が出来すにダラダラと金をつぎ込み
それは三菱本体が傾くまで続く >>262
嘘を真に受けるなよ。
本田宗一郎が一番の理解者で自由にやらせてもらえたって社長が言ってるぞ。 >>410
民間の航空機に比べれば、大分ロケットに近いよ
民間機はエンジン止まっても滑空である程度飛べるけど、
戦闘機は自由落下に近くなる
そもそも、スーパークルーズ前提にするなら羽は邪魔だし 73年に宗一郎退任
本格的な航空機基礎研究は86年から
89年には宗一郎には絶対言うなと言うエピソード>>290 >>415
開発を隠してたってのはおれも読んだ事が有るぞ
最後まで隠したかそうかは知らないうが >>290
>「もし、飛行機研究をやっていると知ったら、引退を撤回して研究所の現場に戻ってきてしまうかもしれない。あるいは、いろいろな意見を言ってくるだろう。
>そうなったら研究所の仕事がめちゃくちゃになってしまう可能性がある。だから絶対に言ってはならない」
ホンダの社員も官僚的になったかと言う悪い部分なんだけどな ホンダは軽飛行機用とはいえ自前の空港持ってるんだがな
取得は1964年らしいぞ
>>318
どこが鳴り物入りだったんだよ
米国製と知れた時点で皆期待などしてなかった >>398
設計開発は半々ぐらいだぞ
嘘はいけない >>422
半々ってなんだよ?
アメリカにエアクラフト出来る前に試作機が飛んでんだぞ? >>423
現行のHF120ジェットエンジンのこと >>424
原型HF118があってこそのHF120だが? >>426
レス元は合弁会社で作ってるHF120の話について話してるんだがね?
原型の話なんてしてないよ MRJは、官民合同無責任組織で開発したのが失敗の元。
更に言えば、三菱の上が御公家体質で、ISOも取り入れた為、
仕事の決定や問題解決に時間が掛かり過ぎ、MRJは、完成に
おぼつかないだろうなと思った。
と言う訳で、三菱には、国産戦闘機F−3も含め、新しい物作りが
出来ない会社となっている。
三菱重工は、一旦解体・分割した方が、将来の為にも良いと思う。
エンジンが上のほうについてるのは砂漠で使う事を想定してるのか
>>430
下につけたら、翼が高くなって、
それに伴って、脚も長くなっちゃうからじゃね これって、本体はボンジョビ・オーディオで、ほかの部分は
空も飛べるおまけってことだよね?
>>420
桶川のホンダエアポートは調布と違って周りなんもないし
あそこを1500m級に拡大したらビジネスジェット拠点にできるかも
上尾道路が開通して少し便利になったし
都心から遠いのは難点とはいえ成田より近い 「ホンダの研究開発」−独創主義と共創システム−
ホンダジェットの開発リーダーは創業者を知らないが、それまで創業から直接薫陶を受けた世代を介して、
ものの見方や考え方は伝承されています。これが企業の資産であり、強みになっています。
彼は1998年に主翼上にエンジンを搭載するプランを国内の学会で発表しています。
その時、日本の航空の学会は見向きもしませんでした。その後、ある人からウチに来ないかとの誘いがあったと言います。
たまたま50周年社史を整理している折に、その開発リーダーが来て「ある方から誘われた」という。
聞けば日本の航空機業界の第一任者である。私はホンダを退く時期であり、力にはならないが仲間を加え彼と酒を飲みました。
ホンダ創業期のリーダーたちの葛藤話をしました。すると彼は耳を澄ませ「では、もう一回挑戦してみたい」と言うのです。
当時は、米国ミシシッピーで仕事をこなし、米国と日本を行ったり来たりして日本にいる時間は少なかったのです。
ただ、彼自身が米国で頑張っていること、米国の方が技術者・研究者を大事にする風土ははるかに合っていることを彼は感じていましたしし、
私もそう思っていました
。「ホンダが航空機ビジネスをするならば米国で行うのだから、あなたの道もそこにあるはずだ」。「経営トップには私自らから直訴したい」と言ったのである。
我々の時代にはそうしたことは多々あり、創業者が現場に来て「ものを観て、この野郎!」といってゲンコツをくれた時代ですから、
経営者との距離感はずいぶん近いものでした。ところが彼等の世代・時代はその距離感が遠くなって、その間に多く
の中間層が入ってしまった。
そうした中で、彼が直接、元の研究所トップであった本社の役員が研究所を訪ねる機会を捉まえて直訴したことが、
頑張っているのはそういう実体験をもっていたからだろうと思います
ホンダでは組織をまたいだ人事移動が多い企業です。そのため、個人には多様性が必要であるが、
業種や職種を超えた「自分のために働く」とした価値観は共有されています。管理者になると階層別のプログラムはあります。
藤野氏曰く「今、米国でホンダエアクラフト社の社長をやっているが、何が自分にとって一番大事であったかというと、
ミシシッピー大の航空研究所(MSU)に送り込まれた時、米国では、日本ではやらなかったものづくりの現場で材料のCFRPを削ったり、
手を汚して手づくりでボナンザの改修作業をしたことが、それを通じてものづくりはこれだと実感する。これが原点になった」と言います
ホンダジェット開発-こだわりのエンジンニア
ホンダジェット会社の社長藤野道格氏、彼は大学航空学科を卒業しホンダに入社して数年後に、航空機体研究チームに参加しました。
最後まで機体の主翼上にエンジンを搭載するアイデアに思い入れを持ち続け、それを実現させて2015年SAEインターナショナルの
ケリー・ジョンソン賞を受賞、世界の航空設計者で3人目となる栄誉を受けました。実にスタートから30年です。
その栄誉は彼のこだわりの歴史であり、それを認めたホンダの歴史でもあります。仲間から見れば、特異な個性の強い人物との評です。
しかし、単に一人の研究者の思い入れだけでできるということではありません。チームによる共創の風土と、
若き研究者の意志と情熱を理解して英断した経営者の姿勢が基盤にあると思います
エンジンの主翼上面配置設計では機体として独創性があり、かつ顧客の付加価値が向上するように、
エンジンを主翼上面に配置するという独創的なアイデアを打ち出して取り組みが始まりました。
最初のコンセプトを創り上げたモデルをロッキード社に持ち込み、空力弾性エキスパートであるトルベ氏(Mr.Leoa Tolve)の指導のもと、
その機体をつくりながら実験を重ねます。地上の振動試験(GVT)では垂直尾翼の流体力学の剛性を徹底的に研究して、
最終的にホンダオリジナルといわれるエンジンの主翼上面配置の機体をボーイング社に持ち込み遷音速風洞実験を始めることになります。
時の開発責任者は「ボーイング社にお願いして風洞実験をするのは通例だけど、航空機を知らないホンダの人が何でこんなバカなことをやるのだ、
と罵倒されながら一所懸命実験をした」と言います。しかし、いろいろ解析をしていくと意外な事実が分ってきます。
この結果、「主翼とエンジンナセルの空力干渉やフラッター特性」が成立することが実証されたのです。
この結果をもって、ホンダ本社の経営会議に臨むことになります。
プロジェクトリーダーとして思い切って航空機ビジネスへの参入可能性について言いたいことを言いました。
その結果「だったら君が自分がやるか」という一言であった。米国でのホンダジェット事業化にトップのディシジョンが下りました。
1986年から始まりやっとビジネスとして決断された瞬間です
>>433
日本でビジネスジェット使う需要がないよ 【「HondaJet」中東地域で受注開始】
ホンダ エアクラフト カンパニーは、ドバイに拠点を置く「ジェテックス・フライト・サポート」を販売代理店「HondaJet Middle East」として指定。中東10カ国においてHondaJetの最新型「HondaJet Elite」の受注を行います
>>436
宮崎の旭化成だったっけ?
社用定期便のヘリが墜落して10人亡くなったの eliteはロータスが使ってる名前なんだよなぁ・・・・
レジェンドで良かったやん
MRJも朝鮮人をメンバーの中に入れてさえなければ今頃は成功していただろうに。
三菱は客船事業も外国人作業員の起こした火災から転落して行ったんだよな。
学習能力が無ければ、どんな偏差値秀才集めても事業は失敗する。
>>443
なら何でボーイングは成功してるんだよ? >>142
いや圧縮ソフトの拡張子だってば
100分割とかしたやつを落として固めてディスクイメージにして焼くやつ(違法) 434の重役とは中島飛行機に就職した途端にG10N超長距離戦略爆撃機と
キ201ジェット戦闘機の設計開発陣に放り込まれて全て計画中止という
惨憺たる結果を残して戦後に本田技研工業に転職した中村良夫技師かな?
そうなるとホンダHF118エンジンは基本設計ベースというか
GEアビエーションの設計思想には存在し得ないネ12+BMW003系
それともJumo004系のいずれかの最新版ということかもねぇ。
エンジン配置やフラップはともかくカタログスペック性能ね。
Me262 長10.58m×幅12.50m×高3.83m+翼面積21.7平米 MTOW6400kg 推力8.8kN×2基
Ar234 長12.60m×幅14.40m×高4.30m+翼面積26.4平米 MTOW9400kg 推力8.8kN×2基
キ201 長11.50m×幅13.70m×高4.05m+翼面積25.0平米 MTOW7000kg 推力8.36kN×2基
Su9K 長10.546m×幅11.20m×高3.40m+翼面積20.2平米 MTOW5890kg 推力9.0kN×2基
HA-420 長12.71m×幅12.15m×高4.03m+翼面積? MTOW4173kg 推力9.32kN×2基
◆航空機 機体の研究
機体とガスタービンエンジンは、研究する内容も全く異なることから、
研究スタート時点から別部隊のチームでスタートしました。
さらにビジネス分野までも分かれていることを知ったのは2000年代に入ってからです。
それまで研究者はそのことを知らずに、ホンダエンジンを積んで商売すればいいと思っていました。
これも航空機10年の苦節ですが、世界で民間航空機メーカーはボーイングとエアバスに二分化していますが、
その合間を縫って小型航空機メーカーが数社あり、その中で勝つために、いろいろな研究に取り組みました。
機体研究のスタートでは多様なコンセプトをつくり、最初は奇抜な機体のデザインやコンフィギュレーションを考えて、
研究開発を企画したのですが、誰ひとりとしてこの研究開発を評価できる人はいませんでした。特に機体の研究に関しては、
研究プロジェクトができてすぐに、米国南部のミシシッピー州立大学(MSU)の航空研究所に
チームメンバー(材料技術者・プロセス技術者・設計者をワンパック)が送り込まれ、小型航空機ボナンザの機体をコンポジットに
置換することから研究が始まりました。米国で航空学会活動に参加し、発表活動をどんどん進めます。
米国で学会活動の中で人的なネットトワークもできて、最初のホンダ製の実験機をつくるまでに至りました。
既に販売されている航空機のエンジンを、主翼の上に搭載させて機体の試験・研究をしました。
研究段階ではオールコンポジットで機体をつくり、試験の実体験をし、何十時間か飛行もしました。
本格的にビジネスジェット機をつくる段階に入ってきてからホンダオリジナル機体の研究が始まりました
車すらろくに造れない三菱は金融業だけでもやってればいいよ