「三国志」に登場する古代中国の英雄、曹操の墓とみられる3世紀の遺跡から出土したつぼが、この時代には存在しないとされてきた「白磁」の特徴を持っていることが分かり、調査に当たった東京国立博物館の研究チームは、これまでの発見例を300年以上さかのぼる最古の白磁だとしています。
つぼは2009年(平成21年)に中国中部 河南省の墓から出土しました。
この墓は出土品の特徴などから3世紀に作られたと考えられ、中国政府の研究機関は「三国志」に登場する英雄、曹操の墓だとしています。
見つかったつぼは、高さ13.4センチ、口径8.7センチの大きさで、去年12月、東京国立博物館の研究チームが現地で詳しく調べたところ、表面に透明な釉薬がかけられているうえ、それが高温で焼き上げられてガラス質に変化しているなど、白磁の特徴を備えていることが確認されました。
研究チームによりますと、白磁はこれまで中国の6世紀末の遺跡から出土したものが最も古いとされてきましたが、今回見つかったつぼは墓が作られた時の副葬品と考えられることから、それを300年以上さかのぼるとしています。
東京国立博物館の市元塁主任研究員は「白磁が歴史上、どう位置づけられるのか大変興味深い。三国志の時代は戦乱が続き、文化的、美術的には注目されてこなかった時期で、白磁が見つかったことで、より等身大の三国志像が描かれるようになると思います」と話しています。
このつぼは、ことし7月から東京国立博物館で開かれる特別展「三国志」で展示される予定です。
曹操とは曹操の墓とは
曹操は、魏、呉、蜀の3つの国が覇を競った3世紀の中国で活躍した武将で、このうち「魏」の基礎を築きました。
墓の場所は諸説あり、長く謎とされてきましたが、2009年に河南省安陽市で発掘調査が行われ、中国政府の研究機関が曹操の墓だとしています。
その根拠としては、出土品や墓の遺構が後漢から三国時代の特徴を持っていることや、墓全体の面積が740平方メートルあり、その規模から王などの権力者のものであること、唐の時代にかけての複数の文字資料に曹操の墓であることを示す記述があることなどを挙げています。
さらに墓からは、曹操を指すとされる「魏武王」の文字が刻まれた石の板が出土し、墓の主が曹操だとする有力な根拠になっています。
白磁とは
白磁は、白色の粘土に灰を主な成分とする透明の釉薬をかけて1300度程度の高温で焼き上げられた磁器です。
研究チームによりますと中国が起源とされ、明の時代には景徳鎮で盛んに作られて世界に広まり、日本では江戸時代初期に生産が始まった有田焼が最初とされています。
磁器の製造そのものは殷の時代の紀元前14世紀までさかのぼりますが、白磁は粘土から不純物を取り除いたり釉薬を精製したりといった、白い色に仕上げるための作業が必要だということです。
NHK NEWS WEB
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190220/k10011820751000.html んーどうなのw魏から晋って早かったし
盗掘にあってない方がおかしい気がする
>>12
かなりちっさい部類
デカい表現は8尺(184.32cm)位〜で190cm台もちょこちょこ出てくる 155cmは小さいだろ
蒼天航路とか見てたら210cmくらいに見えるのがごろごろしてる
いい仕事をしてますねえ
曹操の白磁、間違いございません
曹操の墓の埋葬品展とか国立博物館でやったら毎日満員御礼
>>31
後漢は1尺23cmじゃなかったっけ
もっと前の周とか殷とかなら三国志で数字が出てくる人物のサイズでも小さくなるけど 強権独裁政権だからな
歴史を利用するのは目に見えている
まあそういう歴史だし
学術的に価値があるかどうか
横山の漫画こそが曹操であると勝手にイメージしていたから三国志スリーキングダムで麻原彰晃みたいなおっさんが出てきたときはビビった
>>42
横山光輝の三国志だと董卓もデブじゃないしな 元は袁紹の本拠地でのちに曹操が漢帝国内の魏公国/王国の都に定め
銅雀台を築いたギョウの郊外に曹操の墓がある
曹操の遺言は盗掘されるのが嫌だから金目のものはなにも入れるなだったはず
>>1
中国人と安倍ちょんの言うことは、真に受けてはいけない。
これ豆知識な? 最古の白磁というより
白磁が出たということは曹操の墓じゃないと考えるのが自然じゃないの
>>53
てか益州、荊州での戦いがまだ終わってないから
豪華な葬儀はするなが遺言 >>57
土器じゃなくて弥生時代からは素焼きの焼き物を作っていた。
釉薬がなかった。 しかし他の出土品からは曹操の墓と見るのは妥当だわな
実際に白磁が有ったかでなければゴッドハンドが埋めたかだ
>>26
大いにあるだろうね。
年代検査するべきだが300年程度じゃ誤差が出そう。 映画レッドクリフでは白磁の器で茶を飲んでた気がするけど
>>61
土器というのは広義においては陶磁器や縄文土器などの総称のことを言い、
狭義においては釉薬や窯を使わない素焼きの焼物のことを言う
いずれの定義でも弥生土器は文字通り土器です
なお、古墳時代前期までは、地面の上に土器を置き、薪で直焼きするか、あるいは、上から藁と泥で封して土器を焼いていた
3世紀頃には、特殊な技術で作られた非常に器壁の薄い土器(現在でも再現するのは困難)も出現するほど高度化していた
そして、大陸の技術を持つ人たちが連れられてきて、須恵器というせっ器が窯で焼かれるようになった
が、日本は緻密な粘土が手軽に採掘できるため、(釉薬を使わない)須恵器が作られるようになった4世紀以降でも、釉薬や
炭素吸着技術などを使わない素焼きの土器が平安時代頃までは主要食器として使われていたわけだ 何かと思ったらトーハクの宣伝か
NHK、朝日新聞、中国大使館
>>70
頭痛持ちなら茶は気をつけた方がいいのに無茶しやがってと思ってた 何で日本では諸葛亮を諸葛孔明と呼ぶのに曹操は曹孟徳って呼んであげないの?
>>53
こないだNHKで墓の内部を放送してたのを見たわ。
史書の記述通り、曹操の愛用品だったとしか思えない質素な生活道具類が副葬されてたよ。
曹操の頭蓋骨は本来あるべき棺の部屋ではなく、手前にあるその副葬品の部屋の床に、破損した形で転がってたそうだ。
たぶん盗掘者に「この悪党め」って侮辱されてから放り投げられたんじゃないかな。 >>72
でも弥生式土器から以降の薄いものは2度焼きしていたのでは?
それも土器というの? 俺、異世界に転生したらあっちで白磁で作って大儲けするんだ
三韓征伐のとき、半島から陶工を連れてきて始まったのが須恵器
朝鮮出兵の時と並んで、数少ない半島から持ってきた技術の一つだな
技術の伝播なんてほとんど通常には起きない
戦争が一番の理由、他は、支配、朝貢の返し、貿易
中国が発表したんならなんか嘘くさいけど
なんで日本の研究チームがやってんだ?
>>16
記録者が、実際に面識があるわけではない人物に関する記述を他人から聞いて書くので、
その過程で誇張や嘘が交じるのはよくある話。
写真もない時代だし証拠は何も無い、と言われればそれまでなんだよね。 >>86
お前は善人なの、悪人なの?
人ってそんな単純なものではないだろ >>1
自分が見たのと同じ出土品の画像かな
少なくともそっちは白磁には見えなかった 支那のことだから
バチモンの可能性が
山盛り
年代測定は念入りにな
>>98
どうなんだろう発見に日本人も関わってるみたいな話もあるけど
例の曜変天目みたいな事もあるし何にしても様子見 本当なら凄いけど、のちの時代の人が古いお墓に新しい壺を
入れた可能性はないのかな?「こんな凄いものができました。ご先祖様。」って。
>>79
三國無双はちゃんと曹孟徳とか劉玄徳とか名乗るからセーフセーフ 孔明の場合、亮より孔明で名が売れちゃってるからな
今孔明なんて言葉もあるわけだし
>>100
その周辺を発掘調査している考古学者たちや、磁器を研究している学者が見れば一発でわかる
では、その時代の壺を入れられたらいいじゃないかと思うだろうが
発掘調査で、埋めた土の断面を見れば、どこから掘り込んだかがこれも一発でわかるので、すぐにバレる
ゆえに、正規の発掘調査を経ていない遺物は考古学の資料として扱われていない(そういった物は市場で取引されている) >>105
諸葛孔明の声の人は好き、劇場版北斗の拳でトキの声の人
あとギエンの人、バンキシャの声の人もいいねぇ スリキンをツタヤで借りてきたが、字幕の中国語よりあれは吹き替えのがいい珍しいタイプ
中国語だと役者の演技の不自然さがなんか目立った
荀ケおじさんとか
スリキンの曹操いいよね
見た目麻原だけど脚本がいいのかな
惹きこまれた
蜀は国と呼べるレベルじゃ無かったけどな。
国力は魏の1/10程度の規模で相手にならない。
>>72
白磁の開発年代が古くなったということは、須恵器の年代ももっと古い可能性を考慮しないといけなくなるかもしれない
須恵器を焼くのには白磁と同様に高温の窯が必要だが、それが曹操の頃の魏にはもう存在したってことだから
当然、孫の曹叡の時代には既にある程度の普及していただろうし、
その時代の魏に朝貢していた邪馬台国が技術を手に入れていたとしても不思議ではなくなる もう知っている人がいないでしょ。劉備も死んでるし。
>>89
「中国」という呼称は、初出が春秋(紀元前8世紀)で以来ずっと使われているけどな。
意味は中原とほぼ同じ。世界の中心。中つ国。中華人民共和国の略称ではない。 >>42
映画「赤壁の戦い」もそんなかんじだったわw落ち武者っぽかたし >>1
あの時代一番のきょ…英雄なのにこの扱いは酷すぎます
結局無茶な北伐繰り返して滅亡早めた孔明や自称王族の玄徳が人気って風潮止めて欲しい
裏切り続けてのしあがったのなら呂布だって同じじゃん! >>124
無茶をしたのは後進の姜維であって孔明は国への負担を減らす努力を惜しまなかった
殆ど私財産保たずに国の為、劉備、劉禅の為にあれだけ働けるものじゃない
身内に甘いなんかの欠点はあるにゃあるが過小評価される人じゃないと思うぞ >>125
彼は優れた政治家では有るが軍略家ではなかったのは歴史が証明している
何より後世の日中歴史学者でさえ蜀の滅亡を早めたのは北伐のやり過ぎって推察が多勢
自分の力ならどうにかなると思ってなきゃあそこまで無謀な事しなかったでしょ
自分の力を過信した孔明の責任だよ >>127
蜀漢は打倒魏が国是なので孔明はそれに従っただけ
むしろ蜀の地で永らえようとしたら劉備の付託に応えなかったことになる
蜀漢はあくまで漢帝国を名乗っているので蜀の地だけで細々と暮らしていくことを目的としていない 日本では白磁は16世紀にいくらでも上等品を大量生産できてしまったので価値が暴落しました
明治マセソン商会維新百五十年と孝明天皇睦仁親王▽▽と田布施システム
日本では水車で石を挽いて 上質の土を人工的に作れたので白磁が大量生産され暴落しましたが
韓国ではついに動力を発明も模倣もできなかったので白磁の価値は高いままでした。
>>127
でも孔明って地震起こしたり嵐起こしたりするじゃん
ナメプしてたってのが本当のところだろう >>129
献帝 天皇
曹操 安部
司馬懿 石破
孔明 枝野
石ろく ボビーオロゴン
移民が天皇を簒奪する時代が来るよ! >>129
そこわかってないであれは無理な侵攻だったとか言うからなぁ
姜維の時代には劉禅になって久しいから北伐が時代遅れになってしまうのもわかるが、
孔明の時代は魏延やら趙雲やらまだ劉備配下の将が健在だったし、影響力も大きかったからね >>17
曹操がいつもそばに…
敵か味方か、それが問題だな。 >>143
お前が曹操の敵になるか味方になるかだなww
我人に背くとも人我に背かせじだ どんぐりうめえwって言ってるレベルの野蛮人が中原に行って何ができるかは興味あるなw
悪人だが、なんか憎めないところがあるな
女の方から離婚されたのって、この人くらいだろ
ID:MaIsdush0
ウンコキーワード: どんぐりうめえ
>>115
つうても成都に遷都した国民党軍を日本軍は攻めあぐねたからねえ。 孔明がいて後を受けた姜維が軍事に逝っちまって
ぼんくら皇帝が育つんだから取り巻き役人はよっぽどだな
法正みたいなのがいれば違ったんだろうか
曹操が長生きのツボを押して300歳まで生きてたとしたら年代は合う
すげーな
日本で白磁が造られたのは
それより何百年も先どころか千年以上後なのに
>>151
て言うか姜維は能力はそこそこあったとしても魏延より無能だった
自分の出身地で土地勘もある北伐をやりたがったのはそこでなければ功が立てられなかったから
街亭で馬謖がやらかさなければ長安まではとれてたかも知れんし、そのまま魏を滅ぼすまでいったか知らん
やはり馬謖の失態が痛い >>148
悪人なのかねえ…
関羽の投降を受け入れてそのあと逃がしてやってるし
劉備だって行き場をなくして曹操の世話になって去るときに砂かけして行ってる
合理主義者ではあるが、悪人とは思わんけどな
曹操のあの酒を飲めば唄え、人生幾ばくぞ的な詩、自分は結構好きだ 徐州虐殺が最後まで尾を引いた感じだな
強力なアンチ人脈が形成されて、呉や蜀に逃げてしまった
>>157
そのとき徐州に若き日の諸葛亮がいたというのが運命のいたずらだったな
徐州虐殺を目の当たりにしていなかったら諸葛亮が曹操につく選択もゼロではなかったかもしれない でも子孫は悪役である曹操の子孫であることがバレるのを恐れてみんな秘密にしていた
曹操の70代子孫、曹祖義
DNA鑑定の結果、関連性ありだと
>>160
孫呉の魯粛も徐州の件で曹操恨んでた一人だしね
青州兵欲しいが為とは言え、あの一点だけはほんと汚点だった 日本人はなぜか曹操が好きだよね
中国の京劇とか見ると曹操は威張ってる
日本の吉良上野介にたいにww
>>160
陳舜臣の小説もにそのことが書いてあった
父親が殺されたとはいえ
悪事を行えば、自分に跳ね返ってくるんだな これが日本の国宝になり博物館に保管されるということなら
とても喜ばしいね。
またヤバイもの掘り出してきてからに なかに液体はいってたろ
>>165
吉川栄治や横山光輝くらいでしか三国志に触れられない昔は人気無かった
蒼天航路から明らかに流れ変わった シナ人は嫌われているが、何だかんだで中国は慕われてるよなぁ
「斗酒なお辞せず」のひとだから酒呑むのに使ってたんだろうな
>>115
劉邦も同じとこに追いやられたのに天下取ったのは凄いよな 当時で一番いい物を副葬品に使ったんだろうしな
これは日本が手に入れるべき品
>>160
父親殺害されてんだから報復見せしめもあるし、虐殺なんてしょっちゅうだし、そもそも孔明が曹操の天下統一妨害したとはいえない
赤壁も致命的大敗の史実も疑わしい。統一後の帝位簒奪の意思もそんななかった。
乱世もなんとか治めたいし実力もあったから戦っただけだと思うよ?
当時の価値観は劉氏のみの皇帝だから反発も大きい。人口激減不作飢饉異民族流入で統一も困難だから国内安定優先で先送りしただけ。三国定立だけでも大分安定したし、呉からも故郷中原に帰国して人口減してたくらいだし >>177
いや孔明が劉備についてなかったら三国鼎立しとらんやろ
孫呉だって赤壁はともかくその後は単独では魏に対抗できずに早期に滅んだ可能性が高い 曹操の自称子孫を集めてDNA検査した話はどうなったの?
孔明の子孫もいるの?
>>179
>>162の曹操の70代子孫、曹祖義さんが最も近いそうだ
伝承じゃ、4代皇帝曹髦の67代子孫
記録上、曹髦に子供はおらず、一族誅滅されてるはずだが、子孫なら司馬氏の専横も誇張があるのかもしれない
孔明の子孫は、浙江省蘭渓市諸葛鎮八卦村にいるらしい
孫の諸葛京が移り住んだとか >>178
孔明過大評価、坂本竜馬と同じだろ。
当時は劉氏だけが皇帝だったので曹操政治に簒奪と既成事実を恐れてたんだよ。だから孔明などの知識人が反曹操で結束したのが蜀。孔明いなくても同じような人はいたし魏にもたくさんいたから謀反も断続的にあった。
現代なら安部が天皇になることを危惧してるような感覚だな。
>>138
孫呉なんか亡命の寄せ集め。 >>106
阿斗の「父帝〜」のスカポンタン具合が神 >>111
俺は陳宮処刑前の曹操で惚れた。
とても人間味があって好きだ。
後半はあの曹操がいないからあまり繰り返して見ないな。
喜怒哀楽がいちいち可愛らしい曹操の中の人。 >三国定立だけでも大分安定したし、呉からも故郷中原に帰国して人口減してたくらいだし
三国鼎立の理由は、黄巾の乱〜董卓の横暴討伐の為に中原が乱れて、みんな地方に疎開した
その人々や教養のある士大夫が蜀と呉を支えた
やっぱなんとか人口減少は食い止めないとね
>>186
陳宮もそうだが、当時の士大夫とはどうしても相容れないところがあったんだろうなと思う
呂布の方がマシだと思えるくらい
何が引っかかるのか、現代人じゃわからんだろうな >>169
曹操の人気はやっぱ詩なんだ
(隋の頃まではもっといっぱい残っていたみたい)
杜甫、李白が出る前は息子の曹植詩聖だったし
昔から日本の学者が曹操を評価するのは作詩だと思う 水滸伝見てても理解出来ない面があるからな
梁山泊に引き込む為に子供や親を殺して
それ程お前が欲しいからだ!
そうか、そんなに俺のことを!
とか
あれは創作にしても中国人にしては美徳なのだろうし
日本人では中国人の考えは理解出来んかもな
>>173
その歴史に学ぶところは非常に多い。
戦乱と異民族の交じり合う歴史を鑑みれば、中国人のモラルもわからないではない。
文化レベルが並べば並んだなりの事ができる知性のある国と国民だよ。 >>173
なにせ、いまある日本文化の基盤となった文化だからな
戦前までは漢学つまり漢籍が政治家軍人官僚層の教科書だったし
古代漢民族の文化は意外に日本のほうが残っているのかもしれないし、
モンゴル人と強く混じってしまったいまの漢民族はそういうノスタルジーを日本に求めているのかもしれない >>189
俺ですら曹植の豆の詩は知ってるくらいだからなぁ 魏も50年も持たず蜀を滅ぼしてから
数年で司馬氏にあっという間に滅ぼされるっても曹家もなんだかね
>>195
>俺は馬騰で始める
信長の野望の長宗我部と同じで隅っこだから
やりやすいのだよねww >>195
唐突にこんなこと言われてもわかる人しかわからんがなw
自分は内政好きだから生産性の高い土地を選ぶな。 >>194
曹叡亡き後の魏皇帝は幼年で飾り同然
曹爽が司馬懿に粛清された後は実質、司馬王朝だよ 曹丕も曹叡も早逝してるからな
あの時代やはり曹操、劉備の二人が突出してたんだろうな
孫堅と言わずとも孫策が長生きしてたらもうちょっと三国の時代続いてたのかね
ああ、いやでもそれだと劉備が浮上出来る可能性も低く、諸葛亮やら鳳統なんかも呉に行ってた可能性あるか
曹操と墓といえば薄葬令ですな。
そんな豪勢な墓たてんなってやつね。
まあ現実主義者にして典礼を重んじる儒者を重用しなかった
曹操らしい考え方だが、これによってそれまであった書道資料たる
石碑文はそれほどなくなっちゃった。
書道史としてはちょっとした損失だが、でもまあしょうがないね。
ただ、なんか曹操墓にはどんな碑文が彫られたのかはちょっと知りたかったなwww
で、『孟徳新書』『世説新語』読んだ奴ここにいるの?
>>190
心意気に感動してってよりも身を寄せる場所ないからなあ
みんな大なり小なり梁山泊に行かずにその辺ブラブラしてたら捕まっちゃうような身の上にされちゃうし 墓は盗掘されてたようで、残ってたのは石牌とかだな
石枕
>>204
周ユには益州を取って魏に対峙して天下を臨むという構想があったから
孫策が生きてればそれが実現して劉備は歴史に埋もれたと思う
でもそうなると二国志になって話としてはつまらんからこんなに人気出なかっただろうな >>193
あんちゃんは豆だけど、
おいらは豆殻だからね、
しかも燃やされてるしねの詩だね。
いい詩だよ。 >>205
曹操自身が建安十年(205年)に建碑禁止令出してる
「宋書・礼志二」
漢以後,天下送死奢靡,多作石室、石獸、碑銘等物。
建安十年,魏武帝以天下凋敝,下令不得厚葬,又禁立碑。 >>212
おやおや、ご指摘ご教示カムサ
たぶんそれのことだね、厚葬と立碑を禁じるっていうから。
不精して書道史のテキスト当たらなかったからw これは勉強になった。
これは後代のことだが北碑南帖なんつって北方は従来碑文の形で
書道遺産がのこってたもんだが、それがなくなったのは惜しいもんだ。
まあ同時代の人間じゃないからそういう気楽なことが言えるわけだが
同時代の庶民にとってしてみればそういうのは福音だったろうね。
厚葬や豪勢な墳墓つくるのに労働力やゼニ、食い物を徴発されるのも困るし
碑文はゲージュツなわけで、ゲージュツはゼニがかかる…ってことは
その分の負担は民草の負担なわけでね。 >>214
それだわな
曹一族で固めてたのに司馬家にいいようにされすぎなのは否めない
曹丕でも曹叡でもどっちでもいいから60、70まで生きてればもっとちゃんとした基盤作って後継に渡せたろうに
曹叡はなかなか智謀に長けてたらしいしね 曹丕・曹叡は、司馬懿を信用して重用してたからね
簒奪自体起きなかったかも
それでも歴代王朝に比べると、一族を疎遠にしてたんじゃないか?
その教訓なのか、晋は一族を大いに優遇し王侯の位にまで封じてたけど
やりすぎて八王の乱、そして前代未聞の異民族だらけの戦国時代へとw