生贄の儀式は当時の古代文明に広く浸透していた
(CNN) 南米ペルー北部の沿岸部で15世紀の遺跡を調べていた考古学研究チームが、子ども137人および成人3人の人骨と、ラマの赤ちゃん200頭以上の骨格を発掘した。人もラマも肋骨が外され、胸骨に印が付いていたことから、心臓が抜き取られて生贄(いけにえ)にされたと思われる。
発掘調査結果は米テュレーン大学やペルーのトルヒージョ国立大学の研究チームが6日の科学誌プロスに発表した。
同地では、道路脇の砂浜で人骨を見たという情報が地元住民から寄せられたことを受け、2011〜16年にかけて発掘調査が行われた。
この地では15世紀ごろにチムー文明が栄えていた。チムー文明は当時、ペルー北部沿岸部で勢力を広げて盛んに交易や農耕を行い、首都チャンチャンには宮殿や庭園、寺院などを建造していた。
生贄の儀式は当時の古代文明に広く浸透していたものの、ペルー北部沿岸部ではこれまで、生贄の痕跡はほとんど見つかっていなかった。
今回の発掘が行われたウアンチャキトラス・ヤマス遺跡は海岸から400メートルほど離れた砂浜にあり、一部はここ数年の建設作業現場と重なっていた。
子どもの人骨は5〜14歳の男女のもので、ほとんどは8〜12歳だった。頭蓋骨(ずがいこつ)の形状などの特徴から判断すると、それぞれ民族や宗教は異なっていたと推定される。不完全な骨格も含めると、子どもの数はさらに多かったとみられる。
子どもたちは3人ずつの集団で埋葬され、一部は生贄にされる前にフェイスペインティングを施されたり頭飾りを付けられたりしていた。ラマは人骨の隣や上に埋葬されていた。子どもは海の方を向き、ラマは山側を向いていた。
研究チームによると、子どももラマも、「経験豊富な人物」によって胸骨が切り開かれ、心臓が取り出されていたと思われる。
成人は男性1人と女性2人で、うち1人は18歳の女性、残る2人は20〜30歳だった。1人は頭を殴られて死に、もう1人は顔面に殴られたような外傷の痕跡があった。残る1人は肋骨数本が折れていた。
埋葬場所が子どもたちに近いことから、この3人も生贄の儀式に関係していたと思われる。
ラマはいずれも1歳半未満で、ほとんどは生後9カ月に満たず、子どもたちの年齢に合わせていたとみられる。ラマの体はベージュや茶色に塗られていた。
北側で見つかった1頭のラマは、陶器や木製の櫂(かい)と一緒に埋葬されていた。いずれもチムー文明の葬儀に関連するものだった。
埋葬地の下には厚い泥の層があり、同地が大規模な暴風雨や洪水に見舞われていたことをうかがわせる。こうした災害が引き金となって、生贄の儀式が行われた可能性もある。
泥の中には、生贄になるためにこの場所に連れて来られた子どもやラマの足跡も残っていた。
放射性炭素による年代測定を行った結果、生贄の儀式が行われたのは1450年だったことが判明した。米大陸で発見された子どもとラマの集団生贄の規模としては、過去最大だった。
研究チームは今後も発掘された生贄について詳しく調べる計画。エルニーニョ現象による豪雨や洪水がチムー文明の経済や政治的安定を脅かし、生贄の儀式につながったのではないかとみている。
3/7(木) 17:05配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190307-35133834-cnn-int