◎正当な理由による書き込みの削除について: 生島英之とみられる方へ:
【古代】邪馬台国の人はカエルを食べた? 奈良・纒向遺跡で骨が大量出土 「神への供え物にカエルが使われた」 YouTube動画>2本 ->画像>16枚
動画、画像抽出 ||
この掲示板へ
類似スレ
掲示板一覧 人気スレ 動画人気順
このスレへの固定リンク: http://5chb.net/r/newsplus/1556180760/
ヒント:5chスレのurlに http://xxxx.5chb.net/xxxx のようにbを入れるだけでここでスレ保存、閲覧できます。
纒向遺跡から出土したツチガエルの上腕骨。同じ骨を別角度から撮影した。スケールバーは1ミリ(中村泰之琉球大博物館協力研究員提供)
纒向遺跡で見つかったオスのツチガエルの腸骨(下のイラストの線が骨についた傷の位置)。スケールバーは1ミリ=琉球大博物館・中村泰之協力研究員提供
邪馬台国の有力な候補地とされる桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、祭祀(さいし)に使われたとみられるカエルの骨が見つかり、専門家は、カエルが供えられたことを示す具体的な資料で、当時の祭祀を知るうえで貴重な発見だとしています。
桜井市の纒向遺跡は、3世紀から4世紀にかけての大規模な集落跡で、女王、卑弥呼が治めた邪馬台国の有力な候補のひとつとされています。
遺跡では9年前、卑弥呼の宮殿との説もある3世紀前半の大型建物跡のそばに掘られた穴の跡から、古代中国で神聖な果物とされ、当時の祭祀に使われたとされる2000個以上の桃の種と動物の骨が見つかりました。
この動物の骨を奈良女子大学の宮路淳子教授と琉球大学博物館の中村泰之協力研究員が詳しく調べたところ、魚のほか、カエルの骨が12匹分、含まれていました。
バラバラに埋められたカエルの骨には無数の傷があり、宮路教授は、「カエルが桃などと一緒に意図的に埋められていて、祭祀に使われた可能性がある」と話しています。
また、古代の祭祀に詳しい同志社大学の辰巳和弘元教授は、「地面をふんばって跳びはねるカエルは、古代、大地の主とされ古代中国では、霊力のある動物とされている。そのカエルが供えられたことを示す具体的な資料で、当時の祭祀を知るうえで貴重な発見だ」と話しています。
研究成果は、25日から桜井市立埋蔵文化財センターで展示されています。
【カエル供える行事が吉野町に】
カエルを神前に供える伝統行事は、今も吉野町に残っています。
奈良県の無形民俗文化財で、舞や歌などを奉納する「国栖奏(くずそう)」という吉野町の伝統行事では、神前にカエルが供えられます。
古くからの習わしで、カエルはなくてはならない供え物だということで、宮路教授は、「時代が違うので直接結びつけることは難しいが、新たな時代の資料が出てくれば、カエルを使った祭りがどのように変わりながら、受け継がれてきたか議論できるかもしれない」と話しています。
04月25日 13時46分
https://www3.nhk.or.jp/lnews/nara/20190425/2050002234.html 4/25(木) 12:05配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190425-00000532-san-cul 4/25(木) 10:16配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190425-00000024-mai-cul 歴史的にもたべられ
今も世界中で食べられてるのだから
安全性は完ぺきに証明されてる。
日本人も食べるべきだろう。
むしろなぜあんなありふれて捕まえやすい肉を食わないと思う
>>10 もしかしてカエルって言葉1000年以上使われてると思ってる?(笑)
>>14 九州でもないかもしれないが
奈良では絶対にない
奈良ならもっと多数の確実な証拠が保存されているに決まってんだろ
あのー食用ガエルとかあるんですけど、普通に
ウシガエルも食用だしね
カエル祭りとかやってたよな奈良のどっかの神社で
寺だったかもしれん
国宝桜ヶ丘銅鐸にもカエルとか魚とかトンボの絵があるだろ
自然地形を利用して稲作してたら来るし
カササギは外来種として九州北部には留鳥として留まる
魏志倭人伝には「其の地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲 無し。」とある
なぜ、「鳥」ではなく「鵲」(カササギ)が倭国には居ないとあえて記したのか
もし魏が後に、倭国へ「鵲」を贈っていたと仮説するならば
銅鏡などの錆びついた物証だけではなく
鵲は現在まで生き継いだ魏の使者になるかも
邪馬台国の生きた物証だとしてロマンがある
鵲のルーツを特定するために生物学的なDNA解析を望む
供え物を盗み喰いに来たカエルかもしれないじゃないですかぁ〜
女王墓が特定できてから騒ぎましょう。最低限のマナーだな。
ウシガエルとかでかいのは美味いけど、小さい蛙はなんか臭そうだな
小さいのは食ったことないからわからんけど
鯉の成長には特徴があって
春に卵から返って成長して秋にどのくらいのサイズになるかわかる
そして古代の人のごみためを調べたら
秋の鯉が圧倒的に多かった
紀元前4世紀の佐賀県ではすでに木の杭で区切って
水を止めたり調整できるようにして稲作をしてた
そして秋の収穫前一気に水を抜くわけだけど
その際カエルとか魚とか文字通り一網打尽で獲ってたんだよ
昭和にも食用ガエル輸入してたじゃん
失敗して捨てて野生化したが
ちなみに中国とかでは普通に料理で出てくるが食べるところが少なくてイマイチ。味は鶏肉をものすごーく淡白にした感じ
カエルって幻覚物質あるだろ
麻やサボテンと一緒でシャーマンのように
異世界の領域に入れる神聖と捉えられるような物の一つだもんな
>>2-3 ジャカルタいた時だけどよくデパート行く度ねだって買ってもらってたわ
結構良い値段して、日本の物価水準で考えてもやたらに買えなかった
サイズこそ小さいけど手軽に手に入って簡単に食べられるタンパク質だったのも大きいと思うわ
現代でも日本国内の山中での遭難時における定番の食料らしいしな(他だと蛇とかも食えるらしいが蝮がいるから難易度が高い)
>>8 ミシャクジの儀式が古代のままと考えたほうが妥当だよな
ウシガエルは20世紀になって食用として移入されたw
なんでも食うよ
だって大阪の縄文遺跡からフグが出て来るんだから
>>9 終わりに通ずる尾張は1000年以上続いたぞ
鶏の唐揚げよりうまいからな、カエル
鶏からの上位互換だから、まじで食ってみなよ
柔らかくてジューシーで美味いよ
>>29 一応ことわっとくけど、ウシガエル=食用ガエルは食用に改良して繁殖させたもんだよ
ガマガエルからトノサマガエルまで毒があって煮たくらいだと中々しつこい下痢する
2世紀以前の奈良にこのような祭祀遺構は無い
何者かが奈良にやってきて邪馬台国を作りその後諏訪に移動したのか‥
中華料理店で酢豚だと思って食べてたら、カエルだった。
時代が下った明日香も水の祭祀都市だったもんな。
纏向もどんどん水路とか通水施設が発掘されているよね。
カエルは石神と関係してんのかな?
「カエル喰い」はフランス人の蔑称
でも世界一カエルを食っているのは中国人
カエルを食べたかどうかはわからない
ただ秋に田んぼから水を抜く儀式は
当時の人たちにとって一大イベントだったと思われる
せき止めていた棒を抜いていると思われる姿が
大橋銅鐸、谷銅鐸、桜ヶ丘銅鐸の絵に残ってる
一番右の左上
むしろあんなに美味しいのに
なぜ食べる習慣が廃れたんだろう?
日本で見かける小さい蛙は美味しくないのかな?
ずっと昔、沖縄に行ったとき、カエルの足の水煮缶詰を売ってた。
食べてみると、すごく淡白な味で美味かった。
まだあるのかしら?
戦争の時は食糧難で蛙食べてただろ
そんなにおかしくもないと思うけど
>>1 そういや諏訪大社でもカエルを生け贄(はやにえ)にするよね。
>>45 そんなこと言ったら
>古代の祭祀に詳しい
寺史とか社史とか口伝とかを拾って集めただけで、見た人誰もいないかんなぁ
それっぽい理屈をつけてるだけで
むかしの東京にはゲテモノ屋といって、
カエルの足とか喰わせる店がいくらもあったよ。
>>73 倭人伝にはカエルの話は一言も出てこないから、纒向は卑弥呼とも邪馬台国とも関係がないということか。
それぐらいの時代なら常に飢餓状態だろ
カエルは貴重なタンパク源
カエル、味は別に変とは思わないけど、骨のせいで食べにくいんだよね。
モモの種でバカにされたから、今度はカエルかよ、
末期のあがき
大昔なら食べていないのが不思議。
唐揚げ食べたけど現代でも普通の食べ物。
ナマコのほうが食べにくいわ。
美味いといっても脚だけじゃないの?
捨てるとこ多過ぎね?
邪馬台国が纏向遺跡と書いている時点でこのスレは伸びない。
カエルの肉はうまかった
鶏肉に近いし柔らかかった
ただ気分的にはマイナスだけどね
カエルが食べられなくなったのは家畜として向いてないのが大きいんじゃね?
イモリやヤモリも上質のたんぱく質でした、もちろんオタマジャクシも
秋の田んぼの儀式で流れ出た生き物を
神棚に奉っていた可能性は大いにあると思うよ
纒向は卑弥呼の時代に2本の川で外敵の侵入を防いでいたけど
台与の時代には居住範囲が広がって外側に多くの人が住むようになった
稲作が盛んだったと思われ
>>109 本当に、うまい事はうまい
カエルって聞かされなければガツガツいけるレベル
>>107 土の性質によりけり
酸性土壌だと無くなる
お前らカエル食ったことあんのかよ…
某ニコ生女性配信者みたいだな
>>112 倭人伝にはそんな記述はないぞ?
やっぱり卑弥呼や邪馬台国と纒向は無関係なんだろう。
穂がたれはじめると田んぼの水を抜くよ
そうすると地面がかたくなって倒れにくい
稲刈りしやすくするためでもある
今も昔も同じ
纒向遺跡は鋤が多く見つかっていて鍬はあまり無いみたい
稲作とは関係無いかも
>>1 諏訪大社では今でもカエルをなぶり殺しにする儀式があるみたいだな。
邪馬台国の卑弥呼の鬼道は張角とか張魯系の大陸伝来の道教儀礼かと思っていたのだが?
縄文系の宗教だったのかな?
>>8 滅んだ古代信仰の名残が残っているのもまた不思議だよな
カエルって今でも食べるじゃない。
串焼きの店でもカエルがあるし。
鶏肉みたいな淡泊な味だよ。
どっかの居酒屋でスズメとセットで食べた
脂の無い鶏肉みたいだった
もずのハヤニエを見た古代人がそれに宗教的意味を見出したかもしれん
カエルはいいとして
カタツムリは食えるの食えないの
日本のは変な病原体でも持ってんのかな
>>1 桜井線沿いもたくさん遺跡あるが、近鉄沿いに比べると、知名度低いよな
飛鳥みたいに、自転車で回れるのだろうか
>>119 君は魏志倭人伝をなにか万能壁画的なモノと勘違いしてはいないか?
ウシガエルじゃない普通のカエルに食うとこなんてあるのか?
邪馬台国とかはおいといて普通に考えると大物主大神への捧げ物
カエルを食うのはそれほど珍しくない。
日本で最初に作られたカレーライスはカエルの肉を使っていた。
これはかなり有名。
九州の遺跡についてのニュース記事で、邪馬台国の候補地と説明をつけて書かれることはもうない
いまだに素人の同好会が九州だと喚いているだけ
安本が代表をやってる邪馬台国の会みたいなやつな
柔らかくてあっさりした鶏肉のようだと聞いたことがある
美味しそう
古代人がカエルを食っていたのは解ったが邪馬台国が奈良にあったと決まってはいないのでは?
なんでも食ったと思うぞ
犬は毒見役だったろうなとは思うけど
安部公房脚本で勅使河原宏監督の映画落とし穴(1962)では筑豊の炭鉱が舞台で、子役がおやつにカエルを捕まえて皮をむいて生で食べていたな
>>37 飛鳥時代に新羅からカササギが持ち帰られて、今の大阪市森ノ宮で飼われていた。
「鵲の森の宮」が森ノ宮という地名の由来で、当時はここに四天王寺があった。
誰が持ち帰って誰が飼っていたのかはよく分からないが、
留学生が持ち帰って聖徳太子に献上されて
聖徳太子の持ち物として飼われていたか。
だから、近畿にもカササギがいたから、
現生のカササギのDNAを調べても邪馬台国については何も分からない。
>>42 大きいカエルは大味だし骨が太い
小柄で骨が細いカエルだと腿を骨ごと口に入れて繊細な肉が骨からほろほろと外れる感覚が味わえていいよ
>>151 左翼は九州にしたいらしいよ
卑弥呼が天皇家だったら嫌だし
>>112 そんなことも分かってるのか
カエルを食べていたにしろ、供物だったにしろ、
巻向遺跡の出土物はヤバすぎる
>>125 お前だっておかき食ったりビーナッツ食ったりするだろ
トノサマガエル、食用ガエル カエルにいろいろあるけれど
って歌にもあるしな
>>134 沖縄のはヤバい
ヤバいのは寒いとこにはいない
>>17 千年は使われていないのか?
クワガタは武士の兜の部分の事らしいし、カエルもけっこう後の方に定着したのかな
>>134 生食がヤバイ火を通せばおk
上にウソツキがおるが寒い所にもヤバイのはおるからな
カエルを食っていたということは邪馬台国人はフランス人だったのか
カエルを食べたとか纒向遺跡はやっぱり土人の遺跡だわw
ひっくり返る 取り替える 見違える 着替える 振り返る もう帰る
三ツ星シェフベルナール・ロワゾーのスペシャリテ
ニンニクとパセリを纏ったカエル
今まで食べた中で最高のカエル料理
モモのフライみたいなの中華で食べた
美味しかったよ
>>145 ヒキガエルは食われてた記録がある
なんだったか昔遭難した一行が湖のカエル食べつくした話があったな
もし固有種だったら絶滅したんだろうな
NHKも纒向について言及するとき、「邪馬台国の候補地」から「邪馬台国の有力な候補地」に表現を変えてきたな
そろそろ断定的な表現でもいいと思うが
>カエルを神前に供える伝統行事は、今も吉野町に残っています。
面白いな
>>158 元々北九州に二国あって今の日本になる片方が奈良に移ったのが正解
ちなみに古代豪族て妙に強いよね
今でこそ豪族て言ってるけど当時は豪族の事オオキミて言ってたんだってさ
あれ?オオキミって天皇の事じゃなかったの?おやおや?
カエルは普通に美味いし
隠されれば鶏肉と区別つく奴はほぼいないだろ
>>172 まぁ、昔は日本も牛乳を取ってたりしたしな
仏教の影響で途絶えた食文化も多いはずだろうね
中国の歴史書だし胡散臭い
邪馬台国なんて無かったと思うよ
>>186 場所によってはスッポンや牡蠣の残骸が見つかってはいるな
色んなものを食べていたらしい
銅鐸も蛙食も中国南部やベトナムの文化だろ
3世紀に突然大型銅鐸は消え纒向の建設が進む
これはヤマトの始祖である神武の東遷を意味する
しかし人口は圧倒的に越人だから蛙が好まれたわけさ
カエルの食文化が残っているとは思えない
スッポンや牡蠣はあるでしょ
>>194 弥生人が呉越の人間なのはほぼ間違いないので間違ってはいない
>>192 しかしカエルは食わんだろ
中国やベトナムの文化やで
>>191 魏志の記述に関しては今の日本の九州の地名とかに残っててびっくりするけどな
卑弥呼は固有名詞じゃなくてヒメミコやろけど
>>197 上記の通り
古代ヤマトでは積極的に呉越の移民を受け入れたので
宗教的、文化的に残って当然だろう
遺伝子解析でわかっていることは
弥生人とは、すでに縄文との混血の人々ってこと
つまり、日本列島ではなく、大陸で混血された
ドラえもんは邪馬台国がどこにあったか知っている
間違いない
>>51 貴重なタンパク源だろうからな
戦時中は日本でも当たり前に食ってたんじゃねえの?
>>201 現代人日本人のDNAに一番近いのは3世紀の北部九州の人間だって
同じ3世紀でも東北とかは縄文人の遺伝子そのままを持ってた
3世紀以降に北部九州の人が日本列島に広がった事がDNAの研究で明らかになっている。
「ホヤ最初に喰った奴が凄い」んじゃなくて、最初に喰わなくなったヘタレがおかしいってダケ
樹上生活やめて地上に降りてきた雑食の生物なんだから、兎に角手で掴めるモノは全て喰っていって学習する筈
農業という安定した食物入手法確立するまで、狩りと採集こそが生き残る道なら何でも掴んで食べる
文化成立以前の話よ
>>151 邪馬台国ネタはホント「ネットはキチガイの声が大きい」ってのを実感するわ
>>63 だれうまwwってか
確かにカエルは美味いが
かえるって、おフランスじゃ普通に食い物じゃねぇの?
>>206 日本の歴史の根源を探ると必ず九州北部は避けられんわな
ただ、日本で最も古いのは出雲じゃないかとは思う
無理に結びつけてるから
だんだん滑稽な話になってきた
>>153 有力な候補の一つと書かれてるんだけどまともに文章読めないの?
カエルは貴重なタンパク源だっただろう
動きも遅いし食べる部分も多い
奈良って海無し内陸でろくな食材もなかっただろうからカエル食ってたのも頷ける
今でも大した名物もないしな
>>211 島根県とかは弥生時代に縄文人と殆ど混血していない渡来人したばかりの人が居たらしいね
食用ガエルは近代だからね
カエルなんて食べられるとこ少ないから
>同志社大学の辰巳和弘元教授は、「地面をふんばって跳びはねるカエルは、古代、大地の主とされ古代中国では、霊力のある動物とされている。そのカエルが供えられたことを示す具体的な資料で、当時の祭祀を知るうえで貴重な発見だ」<
ビール吹きだした(弁償せー
>>182 最近のDNAの研究で現代日本人が日本列島にひろがったのは3世紀以後だと判明したから
纒向は科学的に破綻してるよ。
昔の人はなんでも食っただろ
そんな昔じゃないけど白鳥も食ってたって聞いた事がある
もうちょっとこうなんか邪馬台国と書いてある木簡が出たとかないのか?
【トンスルどころではない】日本統治前の朝鮮半島の民間療法【人肉・陰茎食い】 part2
http://2chb.net/r/asia/1514549486/ そういや、明治の洋食紹介本のレシビで最初にカレーの作り方を
書いた本には、肉の代わりに「赤蛙」って書いてあったな。
普通に食ってたんだろ。筑前煮の肉も元は、川の石亀バラしたやつだったし。
古代人なら上品な部類だろ
ケルト人なんて人肉食ってたからなw
大阪湾南岸のタコツボ漁具
http://www.city.hannan.lg.jp/kakuka/syogai/syogai_s/bunkazai_shokai/bunkazai_arekore/1477022018498.html 狭いところに入り込むタコの習性しゅうせいを利用したのがタコツボ漁です。
タコツボ漁は大阪湾で始まったとされ、
池上いけがみ曽根そね遺跡(大阪府和泉市・泉大津市)で出土した
弥生やよい時代中期(約2200〜2000年前)のタコツボが、
現在最も古いタコツボです。
大阪のたこ焼き
>>225 当時奈良に住んで居た人は現代日本人とは異なる人達で
縄文人の血がもっと濃かったんだよ
今住んでる人達は後から来た人達が殆ど。
蛙食といえばかつ江さん。
>>8 そいや、纏向の里から見上げる三輪山の神も蛇だもんな。
あらら
畿内説のアホどもが絹が出てこない言い訳に使ってた
酸性土壌とかいう不思議な言い訳がこの骨の大量出土によって
完全に否定されちゃったな
相変わらず発掘で自らを否定し続けるのが畿内説だ
ろくな食い物無い時代なら普通に食うんじゃないの
カエルて簡単に量産出来るだろ
カエル肉は美味いらしいけど
ガキの時分に立ち読みした、カエルのたたりのホラー漫画がトラウマで
どうしても食う気になれない
>>206 福岡金隈人・山口土井ヶ浜人など
大陸で縄文人と混血していた渡来系弥生人(核DNAでは現代日本人よりも縄文遺伝子を多く含んでいた)
福岡糸島新町人・佐賀大友人・長崎深堀人など
西北九州に広く分布する大陸式の支石墓から出土する縄文系弥生人(核DNAは縄文人と渡来系弥生人の中間だった)
カエルは昔から食べてるでしょ
最近は鶏肉みたいでヘルシーって
>>235 物部氏が住んでたんだろ
物部氏って縄文系なのか?
弥生時代や古墳時代の人骨のDNAの解析が進めば自ずと邪馬台国の位置は判明する
既に3世紀に現代日本人に近いDNAを持ってたのは北部九州地域の人達だけだと判明している
奈良とかは未だ縄文系の人達が暮らしてた。
昆虫ってどんだけ死骸が残るか分からんけど同じ理屈ならイナゴとかもありそう
>>245 物部氏も後の時代に九州から移り住んだんだろうな。
>>73,
>>112 なるほど。なんとなく漁師さんのような気もするが。
>>89 あるある。
たとえば銅鐸に描かれた動物で一番多いのが鹿だが、
あれは角の形が稲穂に似てるというので稲作の霊獣らしい。
俺は銅鐸をガラガラ鳴らして雷発生装置みたいに使ってた気がする。
>>249 普通は神武の前に出雲や物部氏が居たと考えられてると思うが
饒速日がいたって書いてんだから
出雲大国主の大神氏の本貫が大和
長野の諏訪氏と同族
宮崎に旅行に行った時に居酒屋で見かけて思わず頼んでみたら案外美味かった思い出
ただ食用蛙は明治期に米国から移入してきたんだから間違えるなよ?
食えるものならなんでも食うわな
今でこそ動物が可哀相とか言ってるけど、ちょっと餓えたらそんなもんは吹っ飛ぶw
所詮人間の腹が満たされてて、生活が安定してる上での博愛でしかない
>>12 バカチョン「空腹時のウンコはやっぱりうまい(キリッ)」
饒速日は普通は九州からでなくて丹後から移り住んだんだと思うが
Natural that eat about frog
>>253 オオナムチやらオオモノヌシやらオオクニヌシやらは、なんか胡散臭いよな。
記紀編纂の頃にはすでに習合していたもんだから、出雲と大和との
関係がわけわからんことになっているw
>>257 そっちも変だよな。
たぶん、葛城の一言主と名前が似てるからくっついちゃったんだな。
>>1に「食べた」って文言ないんだけどどっからきた?
>>263 古代人のDANの解析が進めは人の動きが明らかになるね
現状では、縄文系の人達が多く暮らしてた奈良とか畿内に邪馬台国が在ったとは考えにくいな。
近畿の古墳好きに掘らせろや
宮内庁の管轄は明治天皇以降の墓で良いだろ
古事記だかに、吉野あたりの人がかえるを食べてもみと称したという話がある。
大和朝廷の人にはかえるを食べる習慣が無かったそうな。
当時は餓え死にがリアルな現実だから普通に食ってただろ
ゴキすら食ってたかもしれない
>>275 水田の稲作が始まった時代が弥生時代
陸稲は縄文時代からある。
>>7とか
ところが、
>>237のかつ江さん(幕末の鳥取城籠城のエピソード)のように、
「飢えのあまり蛙まで食った」という描写なんだから、
少なくとも近世の日本人にとって蛙は常食するもんじゃなかったのだ。
当時の土器だと何でも水で煮込んで味付けは塩くらいだからな
アミノ酸の出汁とかご馳走じゃね
柿の種の次はカエルの骨かよwwww
これが出たから纏向が邪馬台国だとか、どういう病気だよ。
何でもいいから、論文は、全部、英語で書けや。
世界中の誰も支持してくれないからw
纒向の話をするなら倭大国魂が重要だと思うんだよな。大物主でも大国主でもないと思うんだけどなあ。
ウシガエルは焼いてもちょっと水っぽい 鶏のササミに似てたかな
子供の頃の記憶だけど廃鶏より絶対に美味いと思った
うまいよね。一度しか食ったことないけど
白身の魚と鶏肉の中間みたいな感じ。
いや食うのはいいんだけどあんまり食うとこ無さそうだし食指が動くかなと
>>3 鶏肉の笹身みたいだしな
唐揚げは普通に食える。
>>181 そいつ毒あるだろ。
昔は居酒屋のメニューにカエルの足とかあったけどなw
>>281訂正
あ、柿の種じゃなくて、桃の種だっけ? どっちだったかな。
ま、どうでもいいや、くだらないw
>>282 「アマテラスなんぞと一緒に住めるか!」と言って追い出したんだよね。
もしかしたら最強かも知れん。
>>12 アメリカザリガニはウシガエル(食用ガエル)の食料として輸入された外来魚なんだぜ?
>>284 本当に美味いならもっと食えよ
何か遠慮することでもあるの?
>>281 誰も蛙の骨が出てきたから邪馬台国が有力になったとか言ってないんだけど
日本語すらまともに読めないのに英語で書けだの恥ずかしくないの?
>>293 出す店が近くにないんだよな。わざわざ食いに行くほどじゃない。
はるか昔の大学時代に筋電位の実験にウシガエルを使ってる講座があって、そこの人は使い終わった足を
美味しくいただいているという話があった。ちなみに浸透圧(?)の実験に鰻を使っていた講座の人からは
鰻をいただいて食べました。なんか薬品が残ってて(?)ピリピリしたけど。
もうさ、倭人伝から離脱してんじゃんwww
そこさ、邪馬台国じゃなくて、大和朝廷じゃんwww
カエルは稲の妻、雷を呼び込む役目を果たします。大事な神様なのです。三本足のカエルは特に大事にされました。
まず
>>1 を読めよな。
>古代の祭祀に詳しい同志社大学の辰巳和弘元教授は、
>「地面をふんばって跳びはねるカエルは、
>古代、大地の主とされ古代中国では、霊力のある動物とされている。
>>298 まあ近畿も九州も研究費集めるが大変だろうからそのくらいは許してやろうぜ
カエルなら、ちょっと腹減ってたら余裕で食えると思う。
で、美味しいということを理解できたら、常食できると思う。
虫は死んでも無理だけど。
>>296 鰻の血には毒がある。
刺身でも食ったんじゃないか?
>>304 伊那市民「解せん……」
ていうか、イナゴ喰うとこ多いよな?
>>295 経済動物として回すにはコスパが悪い
生魚を食べるのだって食べない地域からしたらゲテモノ食いだ
フランス人カエル料理食ってるし、
古代人も普通においしくてカリっと香ばしく焼き鳥風に焼いて食べてたに賭けるね。
味的には鶏肉なんだろ
家畜の生産ノウハウなんかない古代だから、食えるモンは何でも食うだろ
>>12 ヘル朝鮮人「キムチと犬肉だけあればOK」
>>316 卑弥呼ちゃんは雨乞いよりも火山を治める人な気がするんだよなあ。
>>287 ちょっとコクのある鶏肉だよな
ただ注文する時に店中の客にガン見されるwww
ていうか、そもそも
>>1のツチガエルって小さくて喰うようなもんでもない感じ?
邪馬台国ってすでに弥生人なんだよ、朝鮮由来
なんだって食うさ、糞も食うくらいなんだから
戦前はカエルの肉でちくわ作ってたそうだよ。カエル入れていることは内緒で。
素直に食べてたと云えないのか、カエル食の何が悪い?
古代の権力の攻防は、ここで始まった:
みなと(水+戸(門):水辺のクニ) =奴国(博多)
みなかた(水+片・方:みなとの横っちょ) →むなかた(宗像)
おそらく宗像が港を支配した最初の覇権国。神話では、スサノオだね。
天照がスサノオの剣をかみ砕き、宗像三女神が生まれる。
つまり、剣=覇権を放棄したということ。三女神=剣を持たぬ神。
やまと(山+戸(門):内陸のクニ) =邪馬台(九州北部の内陸)
豊穣の地・筑紫平野を支配し、その経済・軍事力で、みなかたから覇権を奪う。
天照がこれだね。
なお、権力奪取のプロセスは、海幸彦(=宗像)・山幸彦(=邪馬台)の神話に
織り込まれてる。半島の倭人と通じ、「釣り針」(=鉄!)と「玉」(玉座)をGET!
3世紀頭の大乱で邪馬台(やまと)から権力を奪い、女王(=剣を放棄)即位を強要、
4世紀にその邪馬台(やまと)を滅ぼし、権威あるその名を奪ったのが、奈良勢力。
人間なんて カエルも ヘビも 人も食ってただろう!
アホ 学者w
水田であれだけゲコゲコ鳴いてるのに、
むしろどうしていつから食わなくなったのか不思議。
というか今ですらカエルなんて余裕で食えると思う。
今の時代はそれこそ香辛料が多いからうまい食べ方はいくらでもある。
卑弥呼がウェザーリポートのスタンド使いだったんだろ
邪馬台国はいにしえの日本人、つまり縄文人じゃないんだよ
しょせん朝鮮人
>>323 見た目があかんわ。
イボガエルだもん。
更に言うと>>1の骨って1cm無いんだぜ。そんなもん喰っても腹いっぱいにならんだろ
>>329 食が豊かになったのと調理してる女共が締められなくなったからじゃね?
>>329 鳥獣戯画の頃はすでに微妙かも知れんw
>>330 フランス カエル料理で検索みてみーよ。
普通に食ってるし食えるって。
そして、さすがフランス人は食のデザインも攻めてるぜ!
当時大和にいた人は入れ墨をしていなかったと思うのは、ヒメタタライスズヒメが神武軍の入れ墨をみて驚いているからなのだが
そうすると、神武が来る前の大和は邪馬台国とは言いにくい。
神武がいつ大和に来たかが問題だが神武後であれば入れ墨はするかもしれない。
みんな勝手に食ってる事になってるけどさ
祭司のお供えものだよ?
神様が食うの
おまえらみたいな下男が食えるものじゃない
日本統一とか征夷とかっていうのが朝鮮人の発想なんだよ
平泉を中心にして蝦夷は平和に他国を侵略せずに暮らしていたのになぜ征伐する?
琉球もそう、平和に暮らしていた人達を侵略するのはあっち系だぞ
言わずもがなだが、問題になってる日本が朝鮮や中国を侵略したっていうのはもともとそっちの血だぞ
結局デカいブーメランだっただけ
>>306 >>314 カエルくらいでゲテモノとか、ひ弱過ぎるわw
> 奈良女子大学
まだ国立が女子大だったんだ
奈良県の男子高校生、かわいそう
若い男性が県外に出て行くのもやむなし
四六のガマの油は傷の万能薬だったり、
蛙の黒焼きはオネショの特効薬だったり、
食い物とは別のカテゴリだよな。
>>54 今でもウシガエル一匹2000円が卸値だからね
ウシガエルの太ももは、白身で淡泊で美味いよ、田んぼでブオ!と聞こえると思わず捕まえに行きたく成る
>>352 行っといでよ
2000円札が落ちてる様なもんだよ?
因みにウシガエルには「ニャー」と鳴くやつがいる
これマメな
>>1 邪馬台国は九州に有ったんで、巻向遺跡で何が出ようがどうでも良い(笑笑笑)
食糧事情の悪い時代に貴重なたんぱく源を食べないほうが不自然で
理由が必要
未だにこの国でも行われてるだろ?
宮司さんがそれらしい出で立ちで、冬眠中のカエルさんを土をほじくって
捕まえてたように思うよ。串刺しにするんじゃなかったかな。
後ろ足が鶏肉っぽいよね
多分食っても鶏肉っぽいだろう
>>356 邪馬台国の最有力候補は纏向遺跡
これが今の現実
他に有力な証拠が見つかればそちらになびくよ
大麻で服編んで祈祷とか言って燃やしてラリってる時代だし蛙くらい余裕で食うだろ
>>359 そいや魏志倭人伝には「喪に服すあいだは肉を食わない」
「持衰は肉を食わない」と、肉食禁忌の事例が2か所も出てくるので、
逆に言うと、当時の倭人は肉を食いまくっていたらしい。
食用というより
風習として供えてるという記事だろ
ただ奈良となると海の幸は無いだろうから食ってるだろう
キリスト様が現れてからは、人類からは、この手の愚行はどんどん減ったんだよ。
旧約聖書時代には行われてた割礼も行われなくなった。
このような時には羊を何匹、牛を何匹、鳩を何羽
屠ら(ほふら)ないといけないという、事細かく決められていた生け贄なども
キリスト様が現れて以降はくだらないから止めたんだよ。
なあ、いつまでこの国ではカエルさんを虐めるんだよ?
くだらないからやめろって。神様は喜ばれない。まあ、精神的な距離を置いて?
伝統文化だから仕方なくやってます、ならいいけどさ。べったりで儀式を
執り行うバカもいるわけで。
カエルと蛇は捕まえやすくて良質な肉なので昔から食われていたぞ
カメ五郎なめんな
>>363 当時、纏向に住んでたのは縄文系の弥生人で現日本人とは違う人達で
纏向に邪馬台国が在ったとしても現在には繋がっていない
邪馬台国は神武東征で滅ばされたと考えているの?
ところでカエル食うのは野蛮人で牛食うのは野蛮人ではない基準が分からん
人肉以外なら何食っても他の肉食ってる連中に野蛮人呼ばわりされる筋合いないわな
だが俺はカエルはゴメンだがな
遠いぞ
海まで
>>371 そんなの知らん
そういう話は学者同士でやればいいだろ
素人が議論しても仕方ない
>>375 神武天皇がいつ大和に来たか知らんが、生駒山ふもとに上陸したんだよ。
>>366 弥生遺跡から出るのも鹿、猪(豚)、鳥が多いらしい。
あとは魚だね。サメ、カツオ、イワシ、サバ、タイ、スズキ、ハマグリ、カキと
何でも出てくる。
まあ、好んでカエルは食わんよねw
>>134 沖縄で繁殖しているアフリカマイマイという化け物カタツムリは、もともと食用
>>1 >【カエル供える行事が吉野町に】
吉野町のお人好しの日本人は今も飲み込まされてるんだな。
神道が提供する「愚の和の構築のための低レベルの共通項」を。
参加してる中高校生は真摯な表情なのだろうけれども
心配になるね。また同調圧力に姑息に屈する卑怯者の自分を
和を尊ぶ「いい人」として自信をつけはしないかと。(もうやめてー)
魏志倭人伝に邪馬台国は帯方郡から1万2千里と書いてあるから九州以外は不可能
畿内説は魏志倭人伝を無視したウリナラファンタジー
>>384 ジャンボタニシも食用で入って来たんだよね。
当時は良かれと思ったんだろうけど、今となっては迷惑千万。
>>387 魏志倭人伝が間違いなら何を根拠に邪馬台国を語ってるの?
うちのばあちゃんは戦前にカエルの刺身を食べたことあるって言ってた
旧唐書にあるとおり、九州倭国と近畿日本の二つの国があって、後者が前者を併呑して名前も騙っただけ。
結論はとっくの昔に出ている。
記紀が捏造だらけなのを認めたく無い連中が、嘘に嘘を重ねているだけ。
>地面をふんばって跳びはねるカエルは、古代、大地の主とされ古代中国では、霊力のある動物とされている
ほんとかよw
もう見えるだろ。昭和ならまだしも。
愚は愚。奇は奇と。
まだまだ俺たち私たちの目は見えるようになっていくんだよ。(なにそれ怖い)
>>389 史学ってただ一資料で語るもんじゃないからちょっと聞いてみただけ
なるほどね
魏志倭人伝は、
1. 伊都国基点の放射読み
2. 陸行一月は陸行一日の単なる写し間違い
卑弥呼の墓は御井の祇園山古墳だから、邪馬台国は卑弥呼の時代は御井。
(邪馬台国は移動している)
>>381 >
>>366 > 弥生遺跡から出るのも鹿、猪(豚)、鳥が多いらしい。
> あとは魚だね。サメ、カツオ、イワシ、サバ、タイ、スズキ、ハマグリ、カキと
> 何でも出てくる。
> まあ、好んでカエルは食わんよねw
カエル土人国の纒向以外ではなw
>>394 風習なんて強い社会を作るための言いがかりみたいなもんだからな
節分に豆を撒くのだってお笑いだよ
>>396 では、魏志倭人伝以外にどの史料を参考にするの?
邪馬台国の男は海に潜り皆入れ墨をしている。
大物主の御子神である伊須気余理比売命が大久米命の入れ墨に驚いていることから
神武東征の頃、近畿にはすでに入れ墨の風習がなかったと考えられる。
しかし入れ墨をした埴輪が畿内でも出土しており邪馬台国以後の時代では入れ墨は、
権力者や呪術者、特殊な職能を持つ者など特権階級のみが許されたものであったのではないか。
え。1970年代までは、スズメとカエルって焼き鳥屋にあっただろ
公民館で見たw文部省推薦映画wにそう言うシーンあるぞ
ちょうど吉永小百合がスターの頃の映画。キューポラのある町とかそう言う頃。
>>399 まあ、
>>1のリンク先の宮路先生も
「当時の人たちが日常的にカエルを食べていたかどうかは資料が少なく、さらなる調査が必要だ」
と言ってるしなあ。
それはさておき、日本語の感覚ではカエルもヘビもカタツムリも「虫」なんだよね。
そんでもって、虫は食用カテゴリではないのだ。
>>403 罪人が罰として入れ墨をされたとなっているけどな
ウシガエルの別名は食用ガエルだぞ
増やして食うためにわざわざ輸入されたんだ
日本には古来からカエルを食う文化があるんだよ
魏の使いは東方に日本の調査に来たんだろ
九州より遥かに大きな土地があるのを気にも留めないで
九州だけのことしか調査、報告しなかったってのは腑に落ちない
旧唐書にあるとおり、九州倭国と近畿日本の二つの国があって、後者が前者を併呑して名前も騙っただけ。
カムヤマトイワレヒコ(神武のこと)
カム=神は井沢の説で良い。王朝の始祖と言う意味。
イワレは謂れ。ヒコは王。
神武は近畿がヤマトと呼ばれる謂れとなった王で、王朝の始祖である、と言う意味。
つまり、神武以前は近畿はヤマトでは無かった。
>>409 卑弥呼の時代には、まだ近畿日本は大国では無かった。
>>398 魏志倭人伝は帯方郡の役人が書いたから
帯方郡からの放射読みが正解
>>410 神武が卑弥呼以前の王なのか以降なのかが分からないから問題となっているのであって
>>416 そんな問題などお前の脳内にしか存在しない。
普通に喰ってたろう。ゲテモノ屋で喰ったが、味は鶏肉のササミとかムネ肉ぽかった。
>>409 魏志倭人伝には本州や四国に相当する地域についての記述があるのにおまいは何を言ってんだ?
今でも山入って腹減ってカエル捕まえて皮剥がして焼いて食ってる人いるよ。
テレビでやってたし、その辺の食える雑草とか探して引っこ抜いてるおばさんとかいるし。
なんか知識があると水もタダになっちゃう人いるじゃん。
>>350 たっけ。
そして世界まるごとHOWマッチを思い出したw
>>412 なんの下地もなく
突然大きな古墳が出来るとは思えんけどね
これ、親につれてかれて公民館で見たぞwww
飲み屋でスズメの焼き鳥が出てきてショックを受ける(?)シーンがある。
こむぎいろの天使 雀と少年
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%93%E3%82%80%E3%81%8E%E3%81%84%E3%82%8D%E3%81%AE%E5%A4%A9%E4%BD%BF_%E9%9B%80%E3%81%A8%E5%B0%91%E5%B9%B4 こむぎいろの天使 雀と少年(-てんし すずめ-しょうねん)は、1978年に製作された日本の映画である。
教育映画として製作され、一般公開されなかった。
あらすじ
小学生のサブは、親に捨てられた巣に残された2羽のスズメ、ムサシ、コジローを世話する。
コジローは巣を襲ったヘビに飲まれてしまう。サブはムサシを巣から出して面倒をみ、学校にも連れて行って授業中にこっそりと餌をやる。
教室の中に飛び出したムサシに驚く同級生たちだったが、サブが餌の容器を叩くと戻ってきて餌を食べる様子を羨ましがる。
>>422 そんな問題などお前の脳内にしか存在しない。
旧唐書にあるとおり、九州倭国と近畿日本の二つの国があって、後者が前者を併呑して名前も騙っただけ。
結論はとっくの昔に出ている。
記紀が捏造だらけなのを認めたく無い連中が、嘘に嘘を重ねているだけ。
>>15 カエルなんて魏志倭人伝には
記述がないのに、カエルの骨が出たからって
さすがに苦しいね。
>>12 グック「トンスルはうまい(キリッ)」
そもそも猿に食文化はないしなw
分かったか、グック猿
このカエル食べてる子は
志賀島出身
>>428 あんたが最初に大和のいわれが神武だと言い出したんだが
>>415 帯方郡の役人が伊都国を全ての基点にするはずがない
だから書き間違えとか意味不明の言い訳をする
レバもハツもタンもスジも、気持ち悪がって(特に女が)食わないから安くて、
だから屋台の焼き鳥屋でおいしく肉を食えたのに、変なブームのせいで迷惑だ。
そりゃ昔のダンソン女卑の時代の女が(?)、ウシの舌や白子は食わないだろ。嫁にいけなくなるだろw
そのうちスズメとカエルが健康ブームで高くなるんだろ?www
とり胸肉みたいだなwww
タンとかハツとかスジとか、まあ、味は牛肉だしw
部位が微妙なだけで。
イギリス人が羊の脳みそを食うようなもんだろ。元々あれは出荷しないで酪農農家が食うんだろ?
魏志倭人伝は、
1. 伊都国基点の放射読み
2. 陸行一月は陸行一日の単なる写し間違い
卑弥呼の墓は御井の祇園山古墳だから、邪馬台国は卑弥呼の時代は御井。
邪馬台国は移動している。
出自は山門。卑弥呼の時代に、恐らくは狗奴国(球磨国)の圧力で東遷し御井に移った。これが魏志倭人伝の邪馬台国。
その後朝倉へ移り(安本美典の言う邪馬台国)、
最後は恐らく奴国と融合して太宰府に都を置き(倭京)そこで滅んだ。
近畿日本は九州邪馬台国とは無関係の別王朝。
日本語版wikiなんでどこまで正しいか分からないけど。
ソウルフード
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%89 ソウルフード(英語:soul food)とは、 アメリカ合衆国南部で奴隷制を通して生まれた、アフリカ系アメリカ人の伝統料理の総称である。
歴史
ソウルフードの歴史はアメリカ合衆国の奴隷制の時代にさかのぼるが、そのルーツはアメリカ合衆国や奴隷制の歴史よりも古く、
アフリカ大陸にまでたどることができる。モロッコからアフリカに移入されたカブやスペインから移入されたキャベツはアフリカ系アメリカ人の
食文化にとっても重要な作物となった。
アフリカ人の奴隷とその子孫は、手に入る食料で生き延びることを余儀なくされた。アフリカで食べていた野菜の代わりに、大農園で奴隷に与えられたカブやタンポポやビーツの葉が用いられるようになり、
カラードグリーン(英語版)、ケール、クレソン、ヨウシュヤマゴボウなど新しい素材も用いられるようになった。
奴隷は大農園で捨てられる豚足、牛舌、牛の尾、ハムのかかとの部分(ハムホック)、チタリングス(豚の小腸)、豚の耳、豚の頬肉、
牛の複胃(ミノ、センマイ、ハチノス、ギアラ)や皮をもらい受けて料理を工夫し、タマネギ、ニンニク、タイム、ローリエを加えて風味を良くした。
さらに多くの奴隷は野生動物を捕らえて足りない動物性蛋白質を補った。1950年代までは、農村部に住むアフリカ系アメリカ人はアライグマ、
キタオポッサム、カメやウサギをよく食べていた。家畜の内臓や青菜は、今でもソウルフードの代表的な食材となっている。
隣国の歴史書が重要なのは分かるが
所詮3世紀の言い伝え
それを鵜呑みするんじゃなく
日本に残ってる遺物と照らし合わせるのが重要だと思う
魏は九州だけの調査で来たのか?
当時九州にあった国々もすでに畿内の勢力の存在は把握してたはず
把握どころか交流もあったろう
ソウルフード
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%89 奴隷が農園主の邸宅の台所でコックとして働くようになると、奴隷の食文化はさらなる発展をとげた。
鶏が手に入ればフライドチキンが食べられるようになり、茹でたジャガイモの隣にサツマイモが並べられるようになった。
リンゴ、モモ、キイチゴ類、種実類、穀類はプディングやパイになった。残った魚の身はほぐして鶏卵、コーンミール(粗挽きのトウモロコシ粉)
または小麦粉、調味料と混ぜて衣をつければクロケット(コロッケ)になり、やや古くなって固くなったパンはブレッドプディングになった。
野菜の煮汁はポットリッカー (pot likker) と呼んでソースとして食べたりそのまま飲んだりした。
南北戦争の後、奴隷制から解放されても多くのアフリカ系アメリカ人の家庭の経済状態には大きな変化はみられず、
畜肉の安価な部位や内臓を買うのがやっとであった。南部のアフリカ系アメリカ人の人口は農村部に集中していたため、
野菜は家庭菜園で栽培して自給し、動物性蛋白質は魚を釣ったりオポッサム、ノウサギ、リス、水鳥などを捕らえて補充した。
屠畜の副産物を無駄にしないため、調理油としてラードやヘットがよく用いられた。
アフリカ系アメリカ人が雇用の乏しい南部の農村部から北部の工業地帯に移住するにしたがい、ソウルフードも人と共に移動した。
アフリカ系アメリカ人の人口の多い大都市ではどこでも、安価なフライドチキンや白身魚のフライを専門にする店から
高級料理店まで多種多様なソウルフードレストランが見られる[4]。
南部の庶民は主に経済的な理由から人種にかかわりなく手に入りやすい食材を使って料理を作らざるを得なかったため、
南部の食文化を人種によって区分するのは非常に困難である。しいていえばアフリカ系アメリカ人は
アングロ・サクソン系アメリカ人よりも比較的内臓の料理に対して好意的で、香辛料をより多く用いて辛めの味付けにする傾向にあるが、
実際ソウルフードと南部の白人の伝統的な家庭料理の間には相違点よりも共通点が多い。
>>95 纒向というか畿内説、かなり苦しいね。見てられん
なるほどググったら
カエルは昔はタニグクと言って
古事記にも神様が出てくる
さらに和歌で天皇の支配するところを表すのに
天は雲のたなびく果てまで、地はカエルがはい回る果てまで
という言い方があるくらいカエルは地上の支配者のような扱いで
さらにカエルは冬眠して復活するから死と再生の象徴だとか
色々興味深いな
しかも10年くらい生きるのもいるそうだし
>>450 だから記紀が捏造だらけなのを認めたく無い連中が、嘘に嘘を重ねているだけ。
>>440 >>410はあんたが書いたんじゃないのかよ?
食糧危機になったら、カエルを捕まえて食べるでw
父いわく、カエルは鶏肉よりも淡泊であっさりしていて美味しいらしい
カエルにもよるんだろうけど
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%89 ソウルフードの記録
多くの奴隷州では奴隷が読み書きを習うことは違法であったため、ソウルフードのレシピや料理法はしばしば口承で伝承された。
世界初のソウルフードの料理本は1881年に発行されたアビー・フィッシャー (Abby Fisher) による『フィッシャー夫人が昔の南部料理について知っていること』
(What Mrs. Fisher Knows About Old Southern Cooking) である。1891年出版の『美味しい料理』 (Good Things to Eat)
の著者ルーファス・エステス (Rufus Estes) は元奴隷で、プルマン社の社員だった。
20世紀半ばからアフリカ系アメリカ人によって書かれたソウルフードやアフリカ系アメリカ人の食文化の本が活発に出版されるようになった。
1970年初版のヴァータメイ・グローヴナー (Vertamae Grosvenor) による『
1970年初版のヴァータメイ・グローヴナー (Vertamae Grosvenor) による『ヴァイブレーション・クッキング、あるいはギーチー娘の旅行記』
(Vibration Cooking, or the Travel Notes of a Geechee Girl) はサウスカロライナ州東部の低地(ロウカントリー)地方のギーチーやガラ人の料理を扱っており
、材料を厳密に計量して料理するよりも直感(表題の「ヴァイブレーション」)を大事にすることと、手元にある材料で料理を工夫するという2点に重点が置かれ、
伝統的なアフリカ系アメリカ人の料理法の精髄をつかむことに成功している。カキ、カニ、新鮮な野菜、米、サツマイモといった
シンプルで健康的かつ簡単に手に入るロウカントリーの食材をレシピでふんだんに用いるグローヴナーの著作はベストセラーとなった。
アフリカ系アメリカ人の家庭では、祝日に料理を皆で分かち合う大切さが重んじられてきた。このため、
アフリカ系アメリカ人の料理の本にはしばしば家族の大切さと家族が集まる場のための料理という共通のテーマが登場する。
「黒人女性による全国会議」(National Council of Negro Women、NCNW)をはじめとする社会奉仕団体や社会福祉団体や教会は、
活動資金や慈善事業の資金を作るためにしばしば料理本を編集してきた。
>>443 そりゃ、わかっていたさ。
100カ国に別れていて、魏の国は
そのうち九州を中心として30カ国は
一応分かっていたが、100カ国のうち
半分以上の関西方面はよくわかってなかった。
また九州爺さんが発狂するスレが建ったか
世の中の動きから取り残されて、30年も40年も前の化石のような説を繰り返して
九州だー九州だーと喚いてるんだけどな
しかしカエル喰いとはますます魏志倭人伝の邪馬台国とは遠くなっていないか
>>456 わかったよ
基地外相手にしてたみたいだ
そういうこともあるでしょ
昔は亀の甲羅で占いしたり
稲荷の供え物はネズミの油揚げだったりしたし
また近畿爺さんが発狂するスレが建ったか
世の中の動きから取り残されて、30年も40年も前の化石のような説を繰り返して
近畿だー近畿だーと喚いてるんだけどな
ソウルフードと健康
農村部に居住し、経済的にあまり余裕がなく、かつ厳しい肉体労働に従事せざるをえなかった人々の料理として発達したソウルフードは素朴でボリュームのある料理が多く、
豚肉とその副産物がよく用いられてきた。揚げ物にはコレステロールを多く含むラードやトランス脂肪酸の多いショートニングがよく用いられる。
昔の料理本には、現代のレシピとは異なった脂肪、糖のバランスが見られるのはよくあることである。
ソウルフードとポップカルチャー
『ソウルフード』などアフリカ系アメリカ人の観客を対象としてアフリカ系アメリカ人のスタッフによって作られた映画では、
祝日など重要な機会にソウルフードを食べる重要性や懐かしさが描かれている。
明治まで食べてるでしょ
カレーが日本に入ってきた時
イギリスと同じように
カエルの肉つかってるだから
>>459 わりとまじで80年代で脳内止まってそうだよね
ID:eGRdSFdH0
ID:T2q7APPc0
とか
>>460 いや畿内説はとっくの昔に否定証明済み。
畿内説は、そもそも学説として存在した事がない。
>>473 記紀が年代改ざんしたもんだから大混乱だよ
畿内説は立論の段階で失敗してしまっており、そもそも検証の必要な学説たり得ていない。
畿内説はファンタジーとしてのみ存在している。
学説ではそもそも無い。
3世紀の遺跡で祭祀が中国文化どっぷりってそこに住んでたのどういう人たちなのよ
畿内説はサンタクロースみたいなもの。
子供とかに「サンタクロースなんて居ないよ?」とか
言うと女とかがムキになって怒るだろ。
あんな感じのもの。
ファンタジーね、ファンタジー。
多邇具久
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E9%82%87%E5%85%B7%E4%B9%85 『古事記』
大国主が出雲の御大岬(美保岬)にいたとき、海の向こうから小さな神がやって来たが、
名を尋ねても答えず、誰もこの神の名を知らなかった。このとき、かかしの久延毘古なら
知っているはずと注進したのが、ヒキガエルの多邇具久であった。
『万葉集』巻5の800番、山上憶良の長歌
「天雲の向伏極み 谷蟆のさ渡る極み」
谷蟆(ヒキガエル)は、地上のどこにでも生息しているため、「国土の隅々まで知り尽くした
存在」であるとか「地上を這い回る支配者」と考えられていた。
神話の当地である島根県松江市美保関町の美保神社の境外には、久具谷社があり、
國津荒魂神とともに多邇具久命が祀られている。和歌山県和歌山市の淡嶋神社にある
大国主社には、瓦蟇(ヒキガエルの土偶)が奉納される風習が残る。
>>9 九州だってば
九州じゃないと記紀と整合しない
でも、九州にすると日本人の出自が朝鮮人となる
>>476 巨大古墳という現物が多数存在してる以上
覆しようがないと思うが
戦中戦後の食糧難時分には
昆虫でも小鳥でもカエルでも
食べられるものは何でも食べてた
いまさら驚くような話では無い
ツチガエルなんかちっこくて食うとこ少ないだろうに
昔の個体はでかかったんかな
>>473 わかってるよ
誰も事実を認めれられないんだよ
日本人が朝鮮人だってことを
どうしても畿内にあったことにしたいんだろうけど後漢や魏の時代にそんな大勢力があるわけないだろ
九州の勢力の情報はゼロで畿内と中国は交流があったとか考えられない
>>482 魏志倭人伝のどこにも邪馬台国は前方後円墳の巨大な墳墓が沢山あるなんて書いてない。
それむしろ邪馬台国じゃ無いってこと。
近畿日本なそれ。
ヤモリだったかの黒焼きだって逢ったんじゃろ?
カエルくらいはそりゃ食うでしょ
>>481 ならない
地祇の存在を何だと思ってるのか
>>478 蛙の骨が出てきただけで中国にどっぷり!渡来人に違いない!
>>487 いや勢力が実在してたから古墳があるわけで
>>481 当時の半島南部の任那日本府は倭人が統括していたのだが?
神武が東遷してカエル土人国を支配した
カエル土人が原住民ちゅうことだな
>>488 魏の使いは子供の使い程度だったのか?
ということになる
九州説のお爺ちゃん達はいい加減に諦めろ
国立歴史民俗博物館 よくあるご質問
https://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq01.html#c Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?
大多数の考古学者は大和説です。
チョンが湧いて話しが腐り出したが、例えば神武は投馬国(妻国)出身であって、チョンなどと何の関係も無い。
まぁ纏向のシンボルがちょっと雅な桃の種からカエルになるのは笑える
そういや、小学生の時に夏が近いからと近所の川の近くの
雑草が生い茂ってるところを刈り取って清掃をしよう、という課外授業があって
草むしりをしてたら、女子がキャーと悲鳴を上げてたから何かと思って
そっちをみたら、木と木の間に挟まったでかいカエルのミイラがあった。
>>500 いや畿内説は否定されてるだろ学会では。
カエル食ってたからなんだっつーんだよ
俺は何度も食ってるし
そもそも仕事で嫌っつーほど調理して客に食わせて来たわ
学会においては、畿内説は纏向学と名前を変えて邪馬台国論争からは遁走中。
>>506 畿内なわけない
そもそもヤマトを最初に征服したのは出雲
>>416 卑弥呼以前にも男王の倭国王がいたとあるけどね
当時のジャップは文化を知らなかったからカエルを食ってたんだろうな
>>501 バーカ。その歴博こそが近畿パーの温床だわアホが。
お前歴博なんて学会から無視宣告されてる存在だぞ。
>>493 桃も蛙も古代中国で神聖な〜っとソースにあるが
歴史とか武勇伝とか地方の方が必死だからな
近畿の人たちってあまり関心ないw
東北地方は武将で誇り保ってるようなもんだしな
神武は卑弥呼のちょいあとのトヨ連合政権時代に東の土人国を制圧したんだよ
土人と言っても実は越人で銅鐸を崇める独特な文化だったが
荒ぶる縄文で鍛えた九州の荒武者のほうが遥かに強かった
そんで原住民はそのまま農民としたから越人の風習が残ってるわけだ
>>500 この人たち畿内説にいちゃもん付けるだけで、九州が有力である証拠は何一つ見つけられないんだから学会なんて出れないよ
40年前に言われてたことを壊れたレコードのように繰り返すだけ
魏志倭人伝に卑弥呼の墓には石室がなく棺に土を盛っただけと書いてあるから箸墓のような前方後円墳は全否定されている
>>507 カエルってどんな調理法が美味しいかな
後学のために聞いときたい
いつか食べることになりそうだから
卑弥呼と争っていたのが狗奴国の王卑弥弓呼
こっちは男王
>>500 この人たち九州説にいちゃもん付けるだけで、近畿が有力である証拠は何一つ見つけられないんだから学会なんて出れないよ
40年前に言われてたことを壊れたレコードのように繰り返すだけ
>>514 当時はイノシシの皮をかぶってどんぐりひろってた
体中に入れ墨入れて
>>482 魏志倭人伝のどこにも邪馬台国は前方後円墳の巨大な墳墓が沢山あるなんて書いてない。
巨大な前方後円墳の存在は、むしろ邪馬台国じゃ無い証明。
近畿日本なそれ。
近畿に巨大な古墳が出来る過程を証明できりゃいいわけよ
わずか100年ほどでそれだけの人が九州から移ってきて古墳を建造する理由を
それに匹敵する古墳すらない地方はいかに自分たちの優位性を説けるのか
なんで今さら出てくるんだ?
もう彫りまくっているだろ
ゴッドハンドかよ
>>2 うまいよな。
うぇ!とか言ってる奴は、大好物がハンバーグとカレーとナポリタンなんだろな(笑)
>>528 前方は後付けじゃないの?
最初は円墳だったろう
>>522 タイでは普通に唐揚げにして食べていたぞ
>>521 なんで伊勢神宮があんなと思っとんアホか
>>535 ありがとう
やっぱ鶏肉と同じ調理法でいけそうだな
>>502 神武天皇のことですか?
お話の中の人の出身地?なんて意味ないのでは?
因みに隋書に出てくる秦王国と言うのが近畿日本のこと。
この時すでに九州倭国をしのぐ大国になっていた。
>>533 魏の使いはなんだったのか?ってことだろ
日本を調べに来たんじゃないのか?
九州で本州の情報ぐらい知りえただろうし
九州より本州の情報の方が重要なのは明らかだと思う
フレンチレストランでメニューにDe la Grenouille(ド・ラ・グロヌユー)と
あったらカエル料理。きっとフランス人がいたのだろう
伝統が大事www
棺おけは一人用だぞw
殉死させる気かw
貴族かぶれかよw
いまどきテンノーですらしないのになwww
何であいつ殉死しないの?www
ねえねえwww
>>509 具体的にどこの学会か書いてみ?
あと、知恵遅れは何故か畿内説を擬人化してる奴が多いが、おまえのいう畿内説とは具体的に誰の論文のこと指してるんだ?複数いるのなら著名な研究者名と論文名を挙げてみ
あと、祇園山古墳は地元の考古学研究者である報告者も4世紀のものとしている古墳である以上、3世紀中頃築造だと指摘している研究者とその論文名もあげてみ?
できないのなら毎回毎回コピペみたいなど素人の妄想作文はいい加減にやめろや、じじい
近畿で出土する銅鐸にカエルとか亀が描いてあるし祭祀に使ってたんだろ。
これで邪馬台とは別の銅鐸文化圏つまり狗奴国だったのがはっきりしたよな。
そもそも近畿の基盤は5世紀以降須恵器と共に半島任那から入植した倭人混血種が住み着いた場所だから
>>540 神武は存在してたよ。
近畿日本がなぜ九州の神武なんて作り話しをする理由があるのか?
神武は存在していたが、東征が作り話しなだけ。
遠方後円墳は鳥の楽園で、もの凄く臭い。
皇族の墓がものすごく臭いのはいかがなものか。
>>547 ↑
おやおや近畿パーが図星さされて発狂始めたぞww
九州において畿内の勢力の存在を十分に知りえたはず
なのに魏の使いはそれを無視した?
あり得ないだろw
探検隊だぜ
>>547 そんなお前みたいなニセモノ知らんがな。
祇園山古墳は三世紀半ばのもの。
>>542 魏は九州の邪馬台国とその周辺の国としか交流がないから九州中心になるのは当たり前
>>553 全然あり得無くない。
卑弥呼の当時はまだ小国だっただけだ。
近畿は狗奴国だから邪馬台の敵だし
大陸人が知るわけないじゃん
>>553 探検隊じゃなくて邪馬台国に呼ばれて行っただけ
本州には用がない
>>1で九州の話など、誰もしてない
樽悶 ★
↑
自作自演のキチガイ
>>555 交流というか
自分たちの国に将来危害を及ぼすほどの勢力の存在の有無の確認だと思うわ
そっちのが遥かに重要だと思う
>>555 そもそも九州にあるから魏と一緒に朝鮮を挟み撃ちしようと
使節団を三度も送ったわけでな
カエル土人には関係のない話だわ
邪馬台国は卑弥呼の時代は狗奴国(球磨国)を除く西日本の西半分を勢力下に置いていた画期的な大帝国。
他の勢力が無視されたのは当たり前。
ウシガエルを食用に輸入したのはついこの間
今は重点対策外来種
>>1で九州の話など、誰もしてない
樽悶 ★
↑
自作自演のキチガイ
。。。
>>562 狗奴国はクナトだよ
九州から東にいた文化圏だよ
日本人って本当に怖い
もう明らかに朝鮮系の弥生人が大和の支配者になって蝦夷を差別して部落民に陥れた歴史は明らか
歴史修正主義で自分の出自を縄文人とか言い出して本当におかしい
日本人はキチガイ
当時の勢力の巨大さを何で測るかというと
古墳の規模しかないわけで
古墳の規模で十分ともいえる
邪馬台国の時代は畿内、特に奈良から鉄器がほとんど発掘されていないくらいにド田舎だったからな
オタマジャクシって巨大な精子だろ、成長したカエルが生命とシンボルでも
なんも違和感ないわ
雨期が近づけばナメクジが出て、それを見当てにカエルが出て、カエルを目当てに蛇が出る。
蛇はナメクジなんか見向きもしないから無視をする。
でも古来人はそれを蛇がナメクジを怖がっていると解釈した、これが三すくみ。
つまりその根っこは雨乞い信仰であり、古来人にとって雨がとても大事だったと言うこと。
水神である蛇神信仰からカエルを供物として捧げるのは当然のこと。
カエルなら別にうまいからいいんじゃね
むしろ食わない手はない
邪馬台国の読みはヤマト
日本の読みも本来はヤマト
国号をヤマトに戻すべき
>>1で九州の話など、誰もしてない
樽悶 ★
↑
自作自演のキチガイ
mmm
>>576 文明の伝来と国の中心とは違う
今なら外国から来たものは成田空港につくだろ
だったら成田が一番発展してるのか?ってことになる
世界平均だとカエルよりイカ、タコの方が余程ゲテモノなんだろ
自分たちが食わないようなまずいものを
神に捧げるだろうか?
青谷上寺遺跡の大量虐殺遺体から分かるように
近畿圏から北上して攻めてきた凶暴な集団が居たんだよ
それが近畿の狗奴国
>>575 卑弥呼の時代には巨大な古墳は奈良になかったし
卑弥呼の墓は前方後円墳じゃないし
簡単に捕れるし美味いんだからそりゃ食うだろう
むしろ食わないと思う方が不思議
卑弥呼が必死で使節団を送った頃
高句麗が中国に反旗を翻し一時強大化してんだよ
卑弥呼は九州の目前にある朝鮮南端の倭人領土(伽耶諸国)を守りたいから魏との同盟を望んだわけ
もっとも卑弥呼死後に魏は本気で朝鮮制圧に乗り出し、
さらに後継の西晋は内戦でボロボロになるから情勢が大きく変わるわけで、
九州から東遷した神武と歴代天皇も朝鮮介入に乗り出すわけだ
いずれにせよカエル土人には関係のない話だわw
諏訪大社でカエルを串刺しにする神事があって、その手の団体に騒がれてるよね。
あれと同じような話なのかな?
>>587 前方後円墳じゃないなんてなぜわかるの?
近畿はカエルだけじゃなく亀や鹿、猪も食ってたよ。
明らかに邪馬台じゃないよね
>>1で九州の話など、誰もしてない
展開しようもない
樽悶 ★
↑
自作自演のキチガイ
当時は、前方後円墳って中国からやってきた最新のおしゃれアイテムだって聞いたんだけど。
>>587 100年程度のズレだとして
当時それだけの人間の移動がありうるか?ってことだね
日本で最初のカレーのレシピに使われた肉はカエルだったはず
明治だったから豚や牛の肉食が一般的ではなかった時代
当時はカエルを食べることにあまり抵抗はなかったってことかな
>>576 稲作の普及と鉄器の普及は同時ではなく500年くらい差がある と松木教授がNHKで言ってたな
中国に前方後円墳などない
樽悶 ★
↑
自作自演のキチガイ
>>593 自分の頭の中で歴史を作りすぎw
物的証拠で語るべき
製鉄は紀元前から中国で現在と変わらない方式で作ってたらしいよ。
木と石炭の違いがあるだけで、蒸し焼きにして硫黄分を抜く高炉の方法を紀元前から知ってたらしい。
カエルの陶板焼きを食べたことがあります。 上品なササミという感じですかねえ。
え?普通に今でも食うだろ
誕生日の時とか、お前たちの寿命のろうそくをカエルにつきさして、
いっせいにプーって吹き消すのが楽しいんじゃないか。
ここで延々と九州説アピールしてるキチガイってアポロ陰謀論とかやってる奴と層が被ってそう
もはやカルト
台湾でカエルの煮込み食べたけど普通に美味かったわ。
カエルはジューシーなささみって感じだからね。
決して悪いものではない。
>>567 文字が無かったインカ帝国みたいなもんだな
早期のヤマト王権なんだろう
>>602 製鉄の技術があった出雲が最初にヤマトの地を支配したんだよ
邪馬台国は後発なんだ
どっちも朝鮮系で、日本に朝鮮技術を伝え文明開化をもたらしたんだ
今はモホーク族や隣国の人や他宗教の人を
ささげてるのでは?
>>606 アポロ陰謀説は真実だろ。
人間が月に行けるわけがない。
近畿は5世紀位から日本海側から内陸に続く街道が作られ始め
その時代はもう3世紀まで続く青銅器文化とは違う別種が近畿全般を塗り替え馬具や王冠が出土し始めるんだよ
これは半島から大量に移住してきた混血倭人の入植を意味している。
2世紀まで奈良は方形周溝墓で唐古・鍵遺跡を見ると銅鐸とか勾玉とかが主流
2世紀末以降の纒向遺跡は前方後円墳だし銅鐸も勾玉もない
東海や出雲、吉備の土器が大量に見つかっている
奈良の勢力は外部から来た勢力に置き換わったのかも
新たな勢力はカエルをお供えする祭祀
建御名方とかスサノオとかかな?
ウンコを食べる朝鮮の話など、誰もしてない
樽悶 ★
↑
自作自演のキチガイ
>>610 朝鮮に製鉄技術が無かったのは、不滅の伊寸心で見た。
前方後円墳自体は、純日本製です。 後に、日本から半島に渡りました。
蛙を食うのは普通だろ、昔の日本人でも食べてた地方はいくつもあるし
世界中で食われてる
鶏肉に近い味なのも有名だし
>>1 カエル
レベルなら可愛いが、もっとえげつないと思う
>>592 邪馬台国は亀や鹿や猪は食わなかったって記録でもあるの?
虫も普通に食べてただろな。
子供がおやつにそこら辺の虫食べてたと思う。
可食部が少ないだって?
>>624 魏志倭人伝には邪馬台国人が食べていた全ての食材が書かれているのか?
>>626 キノコに果敢にチャレンジする大和魂なめんなよw
邪靡堆には阿蘇山という火を吹く山があるそうだ
中国の正史「隋書」にさらって書いてある
アトピーでも大丈夫な動物性たんぱく質がカエルだと聞いたことがある
カエルで邪馬台国と叫ぶ近畿土人すげーな
マジで頭狂ってるんじゃね
>>606 それありえるわ
学者はみんな揃って捏造やってるだの、予算取りのために本心に反して畿内説を主張してるだの、
教科書はデタラメだの、九州説は陰謀論全開のやつばっかり
>>551 思った通り、答えられず、突然個人攻撃を始めるなw
いつもとまったく同じパターンだな(呆)
畿内説とか九州説とかすべて学問なのに、似非歴史学の小説ばかり根拠にしているから、学問のことはまったく知らない
おそらくまともな大学も出てないのだろうな
まともな根拠を出せないのに、何故かこうだと決めつけるw
邪馬台国卑弥呼、倭人は太白の末裔を自称している
奈良にスサノオ系の渡来人がやってきて邪馬台国を作ったのかもしれない
スサノオは大陸と出雲を行き来していた勢力
2世紀末以降の纒向遺跡からは東海系に次いで大量の出雲系の土器が見つかっている
カエルは冬眠して春になると地面から出てくるので、
神話では不死や復活と結びつきやすい。
中国では月の模様は不死のヒキガエル。
桃やらカエルやらえらく中国の考え方に影響されてるな。
鬼道は初期道教だったんだろうかね。
「隋書」
邪靡堆を都にする。すなわち、魏志の言うところの邪馬臺である。
ウンコのワンパターンがまた始まった
樽悶 ★
↑
自作自演のキチガイ
>>598 弥生時代でも3世紀までに鉄器が普及してたのは北部九州だけで
その他の地域は未だ石器時代だったんだ
DANでも3世紀に現代日本人に近いDANを持ってたのは北部九州の人だけ
DANの研究で古墳時代になって現代日本人が日本列島に拡散して行ったことが分かった
古代史の通説が大きく変わるな。
糸島の平原遺跡もカエルの骨出たろ、あの辺は出土する土器からも南九州の影響が強かった
そのまま突き抜けて近畿や朝鮮まで行ってるわ
>>637 そもそも中国でカエルが神様のわけがねえ
中国南部じゃ今でも食ってるわけでな
>>626 そんな事言ったら、寄生虫だらけで危ないエスカルゴを昔から
食べてたフランスは…
生活の知恵で、しっかり火を通して食べるんだから大丈夫では
この間TVで、アフリカマイマイを素手で混ぜ混ぜしてヌメリをとり
焼いて食べても平気なアフリカの国があった
>>637 カエルは梅雨になると出てきて鳴きだすから
神秘的に考えられても不思議じゃない
ツチガエルって地元じゃ糞ガエルって呼ばれてたわ
いくら古代人でも、いや古代人は土人だからあれ食ってたて失礼じゃないかな
なんで食料が無いって決めつけるんだろう
カキやハマグリ食ってる縄文がカエル食うかよ
まあ近畿土人は食うのかなw
>>627 機内じゃ銅鐸にも描く程の食材なら
魏志に倭人の特徴として書く筈だろ。
だが一切そんなことは書かれていない。
つまりそんな風習は顕著に見られなかったてことだろ。
邪馬台人は海産の魚と飯食ってたんだよ
>>636 ちがうってば
最初にヤマトの地を支配したのが出雲国なのよ
そのご邪馬台国がやってきたの
倭国大乱を収束させるため近畿、出雲、北部九州の大勢力と諸勢力が連合国=邪馬台国を樹立、卑弥呼を共立し拠点を近畿に移した
卑弥呼は太陽を崇め稲の豊作を祈願した
台与の死後の次第に有力豪族が祭祀王として邪馬台国(ヤマト)の統治機構を受け継ぎヤマト王権へと変貌遂げ
卑弥呼は天照の伝承となり天皇家へ宮中祭祀が名残として残った
弥生人は、渡来人ではありません。
当時、すでに、一万六千年も、強固な縄文文明を築いていた縄文人です。
渡来人は、難民として、小さな集団で、九州地方や日本海側に、三々五々、渡来したと思われます。
縄文人は、当然なことと、ヘゲモニーの危機を感じますから、
その小集団の難民の渡来人の内、男性は皆殺しにしました。そして、渡来人女性から、新遺伝子を獲得しました。
この新遺伝子の、このような獲得は、人間も動物ですから、強い種を残すために本能として持っている行動様式なのです。
それは、広く世界で行われておりますし、普通のことです。
その縄文人の行動により、弥生人の母は渡来人女性の遺伝子となり、父は縄文人の遺伝子となりました。
弥生人の母系継承のミトコンドリアDNAは、渡来人のものです。
そして、弥生人の核DNAのY染色体は、縄文人の核DNAのY染色体なのです。
要するに、日本人男性全員が"万世一系"の構造になっております。
よって、天皇も、万世一系なのです。
>>644 カエルの鳴き声ってさ
バラバラが突如シンクロしたと思ったら、突如一斉に鳴き止むのも謎だわ。
んで、沈黙を破りだして、再びバラバラに鳴きだし、シンクロし一斉に鳴き止む。
>>647 潜水して魚貝を採ると書いてあるしな
魚貝グルメの邪馬台国人がわざわざカエルとか近畿土人の妄想はスゴいわ
弥生時代には現代日本人が既に日本列島に拡散してたと考えられていたのが
DNAの研究で古墳時代に日本人が日本列島に拡散したと分かったんだから歴史観が大きく変わるな。
>>647 2世紀で近畿の銅鐸は終焉している
魏志倭人伝当時には銅鐸はない
倭国大乱真っ盛りの2世紀末に何らかの大きな変化があったのかもしれない
>>640 それが事実だとしても畿内に巨大古墳が出来る
理由にはなってない
人が多く住む理由は暮らしやすさだからな
大陸からモノが伝わると言うことは襲われる危険性もはらんでるからね
邪馬台は北九州から山陰日本海側沿岸部を北に勢力圏持ってたんだよ。
だから南にいた近畿の銅鐸族こそ狗奴国
>>659 聞いた話だと、中国からやってきた最新流行のおしゃれアイテムが前方後円墳で、おしゃれ度を競ううちに巨大化したって話だけど。
中国や日本や韓国でも食べられてる食材だし普通なのでは?
前にダチと飲んでてこの手の記事読んでたら、纒向遺跡ってのの読み方忘れて
記事にもフリガナなかった。
仕方ないんでもこもこ遺跡で代用したがダチはもこみち遺跡つってた。オイルだらけかよ
カエルさんが描かれた銅鐸もあるしな、どうでもいいなら描かんわな
>>664 日本で食うかなあ
寿司や鰻があるのにわざわざカエル食う奇人は標準にならんやろ
>>637 そいや児雷也が乗ってる大ガマ(大蝦蟇)も、
化け物に零落してはいるが、元は神か神使だったんだろうな。
弥生人とは、単に、縄文人男性が、渡来する渡来人から、女性だけを生き残らせて、
縄文人の精子を注入した結果にすぎません。
要するに、弥生人も、縄文人のままなのです。
>>659 畿内で巨大古墳を造った人達は九州からの移民に追い出されたか吸収されたんだな。
カエルて可愛いやん
個体によっては人に懐くみたいだし
>>669 日本の牛蛙は食用で入って来てる事実があるし、好まれてはいないが食べられてると言えるでしょ
鶏肉みたいなもんだ
そりゃ食べる
でも邪馬台国は畿内じゃないけどね
ウシガエルは食用としてアメリカから輸入されたが、加工して輸出するためで
日本人が食うためではなかったらしい
>>581 > 邪馬台国の読みはヤマト
> 日本の読みも本来はヤマト
まあ大体これかな
卑弥呼も「姫巫女」辺りかな
代々の女性祭祀王
代替わりしても巫女の名称が同じなので
後世、歴史を見た時に自大特定が出来なくなる原因
ググってたら、中国に蝦蟇仙人というのが居たらしい。
蛙のフォークロアを辿る旅は楽しそう。
>>675 そもそも食料難の大正時代に輸入したんじゃね
今のジジババすら殆ど食ってないぞ
信州料理屋で食えるけど高いよ。高級食材。
過食部位が少ないからコスパは悪い。
ただ、食べ方を知り慣れておけば、でかい災害時に役にたつかも。
>>674 私もアマガエルが好き
庭で見つけると思わず捕まえてじっくり見てしまう
アマガエルは食べ物としてみられない 食いでもなさそうだし
そして、うちの氏神様の神社では、カエルも神様という事で
カエルを祭っている
分かった分かった、お前らはカエル食ってろ
鶏豚牛は俺が食うから
中国の規模と比較すると
九州だけで国々と考えるのはどうかな?
ありゃ村同士の争い程度のもんになってしまう
彼らにとっては語るに及ばずというレベルだと思うが
>>681 災害ならカエルも死ぬやろ
乾パンのほうが現実的
>>648 最初と何故言える
出雲以前の王朝だってあったとしても何もおかしくない
これだけ自然災害の大きい列島なんだから
むしろいくつかの王朝があったと考えるのが自然
日本に限らず人類史なんて飢えとの戦いだ
当時はカエルだって貴重なたんぱく源
まあ殿様カエルってのは稲作に必要らしいから
最後は食ったのかもしれんが
祭祀用にお供えものにしたんだろ
つーか昭和でもくってたろ
かーちゃんが昔は肉屋にカエル肉置いてあったっていってたぞ
山梨じゃすずめ食うしな
>>680 おじいちゃんやおばあちゃんは食べてたよ。
今でも居酒屋のメニューに入ってたりするよ。
邪馬台国は
奈良の天理の大和神社〜美輪〜纒向あたりだよね
>>672 篠田謙一著「日本人になった祖先たち」でも触れているが
本州中央部よりも初期渡来人が発掘された北九州の方が母方縄文系が現代まで濃厚に保存されている
首都圏は「弥生系」7割
7地域、約3000人を対象にしたデータによると、首都圏では弥生系が約7割と多数派で、東北や南九州など縄文社会が発達した地域では縄文系が7〜6割と多かった。
顔つきなど遺伝的特徴の地域差は、拡散や混血の度合いの違いによるとされ、その解明は人類学の大きなテーマだ。各地域集団の計算結果は表の通り。
日本人の平均的集団と考えられる首都圏の弥生人の比率(71%)で、別の調査の歯の形態から割り出された現代関東人での弥生系の比率(75%)とほぼ同じだった。
逆に、縄文系の比率が高かったのが東北や南九州で、三内丸山(青森県)や上野原(鹿児島県)などの大規模遺跡に象徴される縄文社会の発達を改めて裏付けた。
のちの時代、大和王権(朝廷)に抵抗した東北と南九州も縄文的な容姿や文化を色濃く持っていたとされているが、今回の調査でその遺伝子が現代まで濃厚に残っていることが裏付けられた。
>>647 銅鐸に描かれるほどの食材は書かれないわけはないという根拠は?
縄文人は、渡来する小集団の者たちの内、男性は皆殺しにしました。
日本を守る縄文人の精神の気高さの結果が、弥生人のY染色体に残っております。
要するに、男性という観点で見ますと、弥生人男性と縄文人男性とは同一なのです。
縄文人男性のY染色体は、弥生人男性のむY染色体に引き継がれております。
縄文人は、国士なのです。
むかしの日本にはシカがめちゃくちゃたくさんいたらしいけど、
カエルも食うのか
諏訪大社は今もカエルを生け贄に使う
神武東征で国譲りした大国主に半期を翻して奈良から長野に移動した人々が諏訪大社をつくった
これで奈良が出雲だった事がまた一つ証明された
>>688 ベア・グリルス最近調子に乗り過ぎだよな
>>623 江戸時代の大都市の子供のオヤツとして人気があったのがイナゴの蒲焼き
イナゴの蒲焼き売りという職業があったほどの一般的なオヤツだった
現代の焼鳥のようにイナゴを何匹も串刺しにして醤油等を塗って火であぶったもの
魏志倭人伝では現在の佐賀県松浦と目される末廬国から南東へ進んで行く訳だが、
伊都国や奴国があると目される福岡市は実際は北東方向であり、
現代で推測している比定地の方角が魏志倭人伝の記述と北へ90度ずれている。
奴国から北(魏志倭人伝では東)の不弥国からは再び船旅なので、不弥国は現在の北九州市辺り。
そこから東(魏志倭人伝では南)の投馬国は岡山付近、
更に東(魏志倭人伝では南)へ船と徒歩で一か月以上進んだ先が邪馬台国なので、
神戸か大阪辺りで上陸して内陸へと向かったんだろう。
海沿いならそのまま船旅続ければ良いんだしな。
そもそも纒向も二段階あるらしいじゃね
最初の基盤はカエル銅鐸人、次が国津神つまりスサノオ・大国主系の縄文
最後が神武の縄文と考えれば何もおかしくない
もちろん卑弥呼はこれら辺境の争いには無縁で、経済文化の中心である九州の人
>>697 そいや、河鹿(カジカ)ってのもいるよね。
>>663 前方後円墳は日本固有のもので大陸にも渡ったと本で読んだけど違うのかい?
むかし東南アジアへ行ったときに
中華料理屋でカエルの揚げ物が出て食べたことあるよ
味は鶏肉をもう少し淡白にしたような感じ
未知の食べ物だったのでさすがにおそるおそるだったが、
別にまずくはなかった
>>667 生で喰うやつは居ないと思うw
人生で一回喰うか、喰わぬかの食材だけれど、
結構淡白だが、思ったより不味くは無い。
中華料理で食べた
台湾だったか香港だったかで食べたし、形はアレだけども結構たんぱくな味でした
おかわりはしなかったけども
今ならインスタ映えるよね
(´・ω・`)
>>705 わからないけど、古代は謎に満ちていますね。
日本書紀に食用の記述あった
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9F%E7%94%A8%E3%82%AC%E3%82%A8%E3%83%AB 日本書紀によると、吉野の国栖の人々は蝦蟇(がま)を煮たものを「毛瀰(もみ)」と呼んで
食べていたという。この「毛瀰」が非常に美味しかったことから、関西では「もみない
(毛瀰でない)」という言葉を「不味い・美味しくない」という意味で使うようになった。
>>709 前方後円墳みたいな変わった形の古墳は日本だけで
日本独特のものらしい
中国のはピラミッド変形型みたいなやつ
最近はカエル肉って安い焼き鳥屋によく置いてあるじゃん
冷凍串が出回ってるらしい
>>709 わからない面白さがあるね
自分は先月くらいからぼんやり古代史にハマってるからこういうスレは博識な人が多くてためになるよ
多分教授クラスの人も来てるのかな
カエルのモモ肉とか唐揚げにしたら絶対美味しだろ、食ったことないけど
学者が左翼掛かって、鮮明に判明していることの、コアの部分を日本国民に知らせておりません。
中国大陸のいたる所から、朝鮮半島から、小集団の難民としての渡来人が、
九州地方や日本会側に三々五々、渡来したのです。
その小集団の渡来人の内の男性を、縄文人は皆殺しにしました。
そして、新遺伝子として、渡来人の女性から遺伝子を獲得しまた。
その結果が、弥生人のヒトゲノムとなっているのです。
母系継承の遺伝子、ミトコンドリアDNAは、渡来人のものであり、中国大陸のあらゆる所から、
朝鮮半島のあらゆると所から来たことが証明されております。
弥生人の、父系継承の核DNAのY染色体は縄文人男性のものです。
縄文人男性が、渡来する者の内、男性を皆殺ししていた事実が、遺伝子の中に残っております。
万世一系です。
>>710 その国栖ちゅうのがカエル銅鐸人だよ
これが近畿土人の始祖だね
>>703 畿内分家の邪馬台国(i出雲国造家)は九州王家(天孫)に全てを譲って禅譲
反対する諸豪族を鎮めるために四道将軍を派遣
祭祀じゃないんじゃね?
明治まで食っていたのだから日常食だろ
中国人は四つ足は机以外ならなんでも食うと何度言えば。
>>710,
>>717 面白いなあ。
国栖の人々は書紀を書いた人たちから見たら野蛮人で、
そういう人らの料理が美味の指標になるまで評価されていたわけか。
>>703 なんでわざわざ縄文に歴史修正するんだよ
スサノオも卑弥呼も神武も朝鮮人だって言ってるじゃん
カエルを食べるなんて海なし県の土人くらいだわ。www
中国でもカエルを食べるのは奥地の県。
奈良県から海なんて近いのに、海魚の食材が手に入らないわけがない。
カエルを食べるのは文化だよ。
海での食材が豊富な北部九州でカエルを食べるなんてないわ。wwwwww
>>715 何のために女性を連れてきた?とは思う
向こうで迫害(島流し)にあったのか?
実は狗奴国の方が後々への影響は大きかったのかも
クナってクニの語源ぽいし
やっぱり日本の中心は文字通り近畿だから。
お前悔しいんだなw 顔真っ赤だぞ m9( ̄ー ̄)
奈良、邪馬台国って倭国大乱前は狗奴国の一部だったんじゃないなー
>>722 スサノオも卑弥呼も神武も日本人だよ
3世紀には現代日本人は北部九州地域にしかいなかったんだ
卑弥呼は北部九州に居たし
神武も古墳時代に関西に東征したんだよ。
ウシガエルって食用として輸入されたんでしょ?
食べたことないなあ
カエル銅鐸人はもともと中国南部から日本に来た古い部族なんやろな
銅鐸の起源は諸説あるが、戦争のとき打ち鳴らして鼓舞するとも
祖先霊を入れて持ち運ぶとも言われ、いずれにせよ今の日本とは無縁だし邪馬台国とも関係ない
近畿が倭人文化になるのはこの越人土着文化が、縄文の国津神(出雲)、次に縄文の天津神(九州)に2度も制圧されたからである
その末裔は国栖となり野蛮人と馬鹿にされた
このように近畿に三段階あるから纒向の様相も大幅に複雑に変化する訳だ
>>727 出版業界からすりゃ
決着はつけてほしくないだろうからなw
>>705 前方後円墳は日本独自のものだよ
明らかに勃起したチンコの形してるけどそれいうのはタブーなのかな
「稲妻」って言葉があるように雷が妻で前方後円墳がチンコだろうね
チンコ(前方後円墳)に妻(雷)を落として
蘇りの儀式をやってたんだろうね
>>730 記紀により朝鮮出自を隠したのと同様、
現代においても壮大な隠蔽作業が行われている
これは神の国ニッポンという幻想のファシズムである
>>636 正反対の民族がいるね
縄文人は、渡来する小集団の者たちの内、男性は皆殺しにしました。
日本を守る縄文人の精神の気高さの結果が、弥生人のY染色体に残っております。
要するに、男性という観点で見ますと、弥生人男性と縄文人男性とは同一なのです。
縄文人男性のY染色体は、弥生人男性のむY染色体に引き継がれております。
縄文人は、国士なのです。
カエル美味しいよって出されても極限までなるべく食べたくないよぉ
>>732 ↑でも書いたけど、日本人用ではなく加工して海外に輸出するためにアメリカから輸入したそうだ
この先、食糧難になりそうだからって
カエルの宣伝するなよ
食品業界
カエルなんて余裕で食えるわい
よく考えたらカニとかウニとかのがキモいだろ
>>725 倭国が朝鮮半島を支配してたからね
科学的な遺伝子解析でも朝鮮人が日本列島で爆発的に増えた形跡はないが
日本人は朝鮮半島で爆発的に増えてる
カエルには寄生虫が住んでるからうちの犬はカエル食べてたから寄生虫がお尻から出てきてたな
当時の人もお尻から寄生虫が出てきたに違いない
>>736 DNAの研究では朝鮮人にも縄文系の血が入ってて
朝鮮人は北部漢人と日本人の中間に位置する
日本から朝鮮への移民も相当数あったようだ。
>>744 半島南部が倭の北限ってことはやっぱ九州の縄文だな
毎度言われてるが、征服者は出自を隠したりしない
支配層が渡来人なら渡来の事実を隠す必要がない、天孫は九州南部の人
記紀にはそう書いてある
ついに近畿土人はカエル様と叫び発狂したか
もし俺が近畿説でも発狂するだろうなw
毎度言われてるが、征服者は出自を隠したりしない
支配層が渡来人なら渡来の事実を隠す必要がない
神武以来、ずっと大和だろ
樽悶 ★
↑
キチガイ
NHKで最先端の研究結果の番組やってたな
今までの通説は間違いで弥生人が縄文人を圧倒とか全然なかったらしい
>>741 ザリガニなんて食い物かよと言いながら
ロブスターを食うスレです
諏訪大社は銅鐸やら蛙やら古代の信仰が色々残っていて面白いな
吉野ケ里遺跡も「邪馬台国がみつかった!」って騒がれたけど、結局違ったよね。
センソでトリップしてトランス状態になるためじゃね?
>>756 考古学の番組だろ
日本のトップ級の学者2人が、日本列島では考古学的には弥生時代はなかったと発言してたやつだろ
北九州でさえ、青森の亀ヶ岡様式の影響が濃厚だそうだ
しかも番組中、朝鮮半島という言葉はいっさいなかった
フランスはもちろんのことだが、ほかだと中華でもカエルを使った料理はあるぞ
そもそも半島南端から倭人遺物が出て来て
実質上倭人勢力は対馬の両岸に分布を持ってたのは間違いない
卑弥呼は北部で暴凶化した高句麗の脅威から半島倭人を守るべく魏との同盟を懇願した
そしてそれほど深い利害があるのは半島が燕鉄の交易路であると同時に
半島南端が偶然にも良鉄の産地(特に金官)であるという死活問題だったからである
そしてこの時期、日本の鉄の中心は北部九州
ここまで来れば小学生でも分かるよな
>>762 飽食というか何というか、「貧乏人の方が太っている」なんて
人類始まって以来のアホな時代だよなあ。
>>741 危険度で言ったら カエル>>>カニ・ウニ なんだけどね
カエルが海の生物なら余裕で食べれる
雨乞いだろ
昔からカエル殺すと雨が降るとか言ってたし
>>763 弥生時代には、今スーパーに並んでる食材の大半が存在しないぞ?
キャベツ、ほうれん草、ニンジン、かぼちゃ、きゅうり、レタス、トマト、さつまいも、じゃがいも、マグロ、カツオ
>>715 簡単に言うと
弥生人=縄文人の男+大陸の女 って事だな
大和朝廷に服してるのは、土蜘蛛とは呼ばない
『古事記』神武天皇の段
国神イワオシワクノコを「吉野国巣之祖」
『日本書紀』応神天皇 19年の条
応神天皇が吉野宮へ行幸したときに国樔人が来朝し、醴酒(こざけ)を献じて歌を歌った
人となり淳朴で山の菓やカエルを食べた
交通不便のため古俗を残し、大和朝廷から珍しがられた
その後
栗・年魚(あゆ)などの産物を御贄(みにえ)に貢進し風俗歌を奉仕
国栖って結局服属して警備とかやってるはず
ヶカエル銅鐸人も日本人になったわけや
>>1 エベンキ族のルーツは熊と混血して生まれた祖先、朝鮮民族のルーツも熊と混血して生まれた祖先。
エベンキ族の「アリランの唄」は朝鮮半島にしか存在しない。
つまり、今の朝鮮人はエベンキの穢(ワイ)族の文化やDNAを引き継ぐ、”正統なエベンキ朝鮮人”である事は否定する事の出来ない事実な訳ね。m9(^Д^)プギャー
>>399 海に近ければ、わざわざカエルなんて
食わないよな。もっと美味い海の幸があるんだから。
海から遠い内陸部では、ウグイだの鯉だの蜂の子だの
ちょっと癖のあるタンパク源になっちまう。
古代は飢饉が頻繁に起きているから、食べられるものは何でも食べるだろ
>>782 キノコ食って死ぬのも山間部が多いもんな
このスレも在日チョンの気持ち悪さ爆発してんな
最新科学の研究結果にまでなんの実証力のない
在日チョンの願望を連呼し、通じなくなったら今度は
人類の知性には理解不能なゴネ方をするとかw
窮地でゴネればゴネるほどその半島式みたいな
DNAレベルの民俗的気持ち悪さがにじみ出て
日本人は本能的にチョンが異民族だとわかる
ゴネ方がソウルオリンピックでの照明電源強制オフと同じ
もうそろそろ国民投票して政府に対しどこかの離島にチョンの特別移住区でも用意するか
それが不可能なら一斉帰国を求めるしかないな
>>773 同名の別豪族(常陸国、国巣)が土蜘蛛と称されてたみたい
外来種の食用蛙は食えるけど、国産のは食えないよ。
小さすぎて食うとこないし、なにより不味いらしい。
一番大型のガマガエルには毒あるし。
ただ、昔はウサギに並んでカエルが月の使者だった。
確かウサギが生でカエルが死を司ってたんだっけな。
いつの間にかカエル消えたけど。
美味しいしね
太ももの唐揚げとかさっぱりして美味しい
>>784 イノシシ猟は危険性を伴っていて、
相手は猛獣だぞ。ケガするわ
>>780 カエル線刻など列島様式を発展させた銅鐸人は縄文融合の稲作弥生人で日本人の主流w
>>782 海の幸っても、漁具も舟も未熟な時代だと、簡単には手に入らないぞ?
魚も潮がよければとれるけど、取れないときは何日も取れない
カエルなんてとりやすくて手頃だから、食べても不思議じゃない
そもそも「わざわざカエル」というほど、酷い食材じゃないし
>>759 学者で吉野ケ里遺跡を邪馬台国扱いしてたのはほとんでいない
学者の99%は纏向遺跡だよ
記事がおかしい。同じ奈良だとして吉野と纏向が併置されるとか
検証力も考察力も無いんだろ。
銅鐸=鈴って神道の重要なアイテムだからね
参拝する時鈴を鳴らすし、お祓いの時は神楽鈴を鳴らす
種類が少ない≠飢餓・偏食、頭が悪すぎる
日本書記でも毛瀰(もみ)は吉野の部族の郷土料理でしょ
なんで日本全国常食してることになるんだ
遺跡から骨が出てきたことあんのかよ
まつろわぬ民ってちょっと遺伝子が中国っぽい人やASEANぽい人なんだろね
ゴリゴリの縄文はD系統の荒ぶる武人だから他の部族が制圧されちゃった訳だよ
そんで越人濃厚な銅鐸人も負けた側で、これが近畿の実像ですわ
830名無しさん@1周年2019/04/04(木) 00:20:09.04IDO4ppF0
▲日韓併合(朝鮮半島の文明化)
日本国が懸命に廃絶しようとした朝鮮半島の奇習
産後の病気…胎児を洗った水を飲む
マラリヤ…焼き人骨粉を飲む
肺病…初産の胞衣の陰干を食う。又は六ケ月過の流産男児の蒸焼を食う
腸チフス…犬又は人の糞を水で飲む
淋病…豚糞を水で飲む
流産…その胎児を食う
婦人病…深山の腐った雨水を飲む
精神病…先祖墓の腐土を食わせる
重病… 妻子の薬指を切り血を飲ます
流感…処女の月経を毎日三回嘗る
応神天皇の頃には廃れてたんだろ
国栖のような交通不便な地に残された
昔の日本食品標準成分表にうさぎカエルも載ってたな
食糧不足の戦後の・・・
大地や湖沼の神のカエルは
食用として中華帝国の貴族にも
食されてたから
カエル食ってるような土人を中国が国と認めるとは思えない
昔のモンゴル人は魚を食べなかったというが
今の日本人がカエル食うのが気持ちわるいっていうのと同じなんだろうな
>>804 は?昔からカエルの足食ってるようなところがなんて?w
>>766 関東や東北が中心とか考えてる連中だからな
近畿に首都が移ったら今までの歴史一切否定されるぞw
纒向遺跡て奈良県じゃん
これはあるわ
そういう文化があった
( `ハ´ ) カエルを食うなんて・・・美食家アルね
紅燒青蛙料理
青蛙湯
台湾では普通っぽいんだが
古代においては農耕従事者は女系(被支配)で軍事は男系(支配)だな
ヒメヒコ制ならヒメは渡来系でヒコは縄文系
邪馬台国の人も、だな。
今でも居酒屋でカエルの足とかあるし
そもそも縄文がドングリ土人てのも左翼学者のプロパガンダで
実際はイノシシなど動物性タンパク質や魚貝をよく食べてたらしい
そこまでグルメな縄文がわざわざカエルとかちょっとあり得ない
あり得るならばそれを好む中国南部の移民でしょうな
銅鐸人はぴったりなのである
この銅鐸人を出雲と九州で制圧したのが真実の近畿の歴史じゃね
奈良の新しい名物
カエルの足の奈良漬け
邪馬台漬け
>>735 そうなんだね、本にもそういうような事が書いてあったけど生殖器がどうこうはなくて丸に台形にこだわってるのは謎ってなってた
雷を避けるんではなく落としたがる=復活という観点は近代にはない思想だなあ
>>1 古事記の記紀の照明でもある発見を
なぜ
謎だの不可解だの
記紀から離れて単独考査するんだ?
やっぱ歴史学者左翼のシナチョン人だな
シンガポールで食べたな。手羽先みたいに美味いもんだなと思ったよ。
でも、それだったらもっと安い手羽先でいいとも思ったw
>>817 それは実はそもそも日本人の発想ではない
しかし中国南部や台湾ではごく普通の発想で、稲玉とも言う
つまり雷が大地を妊娠させて稲に霊力を与えるという神話なのである
かつてドイツのネリーナウマンがアジアの神話を調べた結果だよ
>>785 食用ガエルは鶏肉より美味いそうだよ
近所の爺様がマジックハンドで採ってきて近所に配ってる
>>814 歴史イベントでドングリクッキー食ったら
一週間くらい腹が痛たくて便秘になったよ
普段の食事として食えるものじゃないね
>>820 ほー、それだと稲作が南方から来たという話とも一致をみるなあ
>>821 鶏のささみみたいな味だった。
オレは鶏モモの方が好き。
より美味で安価(生産・採取コストが低い)な新しい食材が入ってくれば、廃れるものもある
逆に米のように変わらずに主食の座を占めてるものが重要なんだね
> 太陽には三本足のカラスがいて、 月には兎(ウサギ)と蟾蜍(ヒキガエル)がいる。
『中国沿海部の江蘇省無錫市にある紀元前470年頃の越の国の貴族のものとみられる
墓から、 原始的な磁器の鐸が見つかった。南京博物院(同省南京市)によると、
これまで中国各地で出土した鐸と異なり、 日本の弥生時代の銅鐸によく似ている。
鐸は四つ見つかり、高さ約20センチ、幅約12〜18センチの鐘型。
肌色で表面に蛇のような小さな模様が多数刻まれ、鐸上部に長さ数センチの蛇や虎の
姿を模したつり手が付いている。
馬王堆漢墓の帛画をもう一度みてみよう。図左の天上界の中央で、宙に吊られているのが
鐸である。 それを、馬か鹿に乗った人物がひもで引っ張って鳴らしている。
玉璧は天との交信に使われたりしたが、
この帛画では死者を天上界へ導くための器だった。一方の鐸は天上界の器であり、
「天上界の音」を奏でた楽器であることが分かる。………まさに驚きの事実である。
『淮南子』には他にも、「日中有踆烏、而月中有蟾蜍。(太陽の中には踆烏という
鳥がいて、月の中には蟾蜍(ヒキガエル)がいる)」という記述があります。
『淮南子』より二百年ほど後に書かれた後漢の王充の『論衡』では
「日中有三足烏、月中有兔、蟾蜍。(太陽には三本足のカラスがいて、
月には兎と蟾蜍がいる)」との記述もあります。
太陽と月、そしてそれを象徴する生物の対置というのは、
前漢の頃の馬王堆というお墓から出土した帛画の世界観とも一致します。
日本人がカエル食ってる間に中国では三国志だからな
歴史の違いを感じる
>>824 しかし日本ではいくら探しても見つからないとネリーナウマンが言ってるので、ちょっと違う気がするね
稲は南方から来たが、神話は来なかったみたいだね
>>825 家族では自分だけ食わないんだけど
今度もらったら食べてみるよ
夜にライト照らすとカエルの目が光るんだって
それを採ってくるんだよ
昔の日本に食用に適したカエルは棲息してなかったよな?
>>814 たしかにそうだろうな。
海で美味しい食材がいくらでも取れるのにどんぐり食べる必要ないもんな。
>>781 エベンキ族を知っていたのはいい子とほめてつかわす。
なれど、熊と混血などおとぎ話のようなことを言うようでは
お前は、現代社会で生活できない大馬鹿と断じる
>>829 昔のチンクとか、さらに残酷だと思うけどなあ
偉い客が来てもてなすものがなくてなんとかを、とか詳しくは書かないけどw
邪馬台国卑弥呼、倭人って太白の末裔を自称しているだろ
太白信仰、天白信仰が残るのは東海以東
奈良にやってきて邪馬台国を作った渡来人系の倭人は東海関東東北に移ったのでは?
O1b2も東北の方が割合高いし
>>766 そんなことは言ってない
縄文人と弥生人は共生していて、東北式の土器が西日本でも出土するのは
古くから両者に交流があった証拠、と言ってただけ
アマテラスは複数の天孫に瑞穂を治めよと送りだしたが彼らは無能で
中には土着して国津神みたいになり帰らぬものも出る始末
つまり国津神ってのももともと天孫なのである
九州始祖とする天孫族が地方土着系と本家系とで戦ったのが日本神話の本筋なのである
そんでそれ以外の土着部族、例えば近畿の国栖とかは神話にも入れてもらえないと。
日本の中心は明らかに九州だよな
>>794 記紀には専門家の中で謎がいくつかある
神武東征では言向けに応じなかった各クニ王を女子まで含めて誅してる
だけど吉野の井戸から光り輝く姿で出てきたヒメだけは素通り
中国の神話風に理解すれば、相当な崇高な描き方
その後、その付近に吉野宮ができ、歴代天皇が通い詰めるという謎
石棒や朱に染まった縄文遺物が出る縄文遺跡
ツチガエルって小さいのに骨が残ってたってのが凄いな
>>838 宮崎におりて子孫の神武が近畿に行ったんだろ
> 太陽には三本足のカラスがいて、 月には兎(ウサギ)と蟾蜍(ヒキガエル)がいる。
『中国沿海部の江蘇省無錫市にある紀元前470年頃の越の国の貴族のものとみられる
墓から、 原始的な磁器の鐸が見つかった。南京博物院(同省南京市)によると、
これまで中国各地で出土した鐸と異なり、 日本の弥生時代の銅鐸によく似ている。
鐸は四つ見つかり、高さ約20センチ、幅約12〜18センチの鐘型。
肌色で表面に蛇のような小さな模様が多数刻まれ、鐸上部に長さ数センチの蛇や虎の
姿を模したつり手が付いている。
馬王堆漢墓の帛画をもう一度みてみよう。図左の天上界の中央で、宙に吊られているのが
鐸である。 それを、馬か鹿に乗った人物がひもで引っ張って鳴らしている。
玉璧は天との交信に使われたりしたが、
この帛画では死者を天上界へ導くための器だった。一方の鐸は天上界の器であり、
「天上界の音」を奏でた楽器であることが分かる。………まさに驚きの事実である。
『淮南子』には他にも、「日中有踆烏、而月中有蟾蜍。(太陽の中には踆烏という
鳥がいて、月の中には蟾蜍(ヒキガエル)がいる)」という記述があります。
『淮南子』より二百年ほど後に書かれた後漢の王充の『論衡』では
「日中有三足烏、月中有兔、蟾蜍。(太陽には三本足のカラスがいて、
月には兎と蟾蜍がいる)」との記述もあります。
太陽と月、そしてそれを象徴する生物の対置というのは、
前漢の頃の馬王堆というお墓から出土した帛画の世界観とも一致します。
>>836 エベンキ族も朝鮮民族も、熊と混血して生まれた祖先だと言うのが「共通の文化」だと分かればよろしいw
養殖が無い時代はたやすく捕まえられただろうから、重宝しただろうな
>>830 そうかあ、南方由来で稲の他には何が来たのか?という疑問もあったから神話まで来てないというのは奇妙な感じがするなあ
日本書紀なんかは史実を比喩したかんじで宗教的神話とはまた違うと思うし…
ありがとう、ネリーナウマンをググったら面白そうな感じだからポチッてみます
まあやっぱり近畿の銅鐸人は浙江、江蘇あたりから来たんだろね
しかもここは呉越の本拠地で呉も越人だから
銅鐸人は越人で間違いなさそう
その越人文化が九州から来た荒ぶる神武にボロ負けするのだから
いかに九州の武人が強烈に強かったのか知れようものだわ
>>1 ちょうど,先だっての土曜日に纏向遺跡見に行ったとこだわ
吉野宮。和泉宮。石徹白。
何らかの拠点があったのかな
吉野と言えばこの歌を思い出す
養老七年癸亥の夏五月、吉野の離宮に幸す時に、笠朝臣金村が作る歌(或本反歌三首のうち一首)
泊瀬女が 造る木綿花 み吉野の 滝の水沫に 咲きにけらずや
こもりくの泊瀬
三輪辺りと何か関係あるのだろうか?
>大地の主とされ古代中国では、霊力のある動物とされている。
邪馬台国は広島か岡山かもしれないな
>>856 それは良かった
神話学でおすすめできる珍しい学者だよ
ちなみに縄文農耕の予言をした先駆者とも言われる
でも本はかなり難解で読んで寝ちゃうかも
>>136 山の辺の道はそこそこ整備されてたと思うが
宗像教授
「古代日本は蛇神信仰だった!
その蛇に捧げる供物として、そして蛇と同じようにカエルを食べることで
出雲人は蛇と同化しようとしたのだ!」
>>814 カエルって鶏肉みたいな味だし、今と違ってゲテモノって意識もなかったら
普通に食べててもおかしくないんじゃない?
ちょっとした書物の記述で
「これに決まり」
みたいなのが多いな
古墳の巨大さを考えるともう他にないんだが
>>830 いくら探してもっていうのはお前のウソ
ネリーナウマンは縄文土偶の解釈など以外は日本神話に関してはまだ概論
九州説もあるのに勝手に既成事実化しようとするのは許されない
近畿に邪馬台国とかキチガイかよ
高天原が朝鮮半島でそっから渡来した朝鮮人が神様でその渡来自体が天孫降臨だろ?
天皇は朝鮮人で神武東征でヤマトの出雲国をぶちのめして蝦夷征伐でアイヌもぶち殺したんだろ?
>>12 カエル食べる地域は美食国の法則
日本・フランス・中国・イタリア
>>855 日本では弥生時代の線刻画の遺物が豊富なのに朝鮮半島ではほとんど無くて描かれてるのはあっても羊みたいな動物だけなんだよね
もうハッキリ言うわ
日本人って朝鮮人だったんだよ
もう諦めよう
在日だってな、ある年齢になったときに親に突然朝鮮人って言われて自殺するやつおるらしいわ
京都に一時期住んでたがカエル置いてる焼き鳥屋なんて普通にあったけどな
大阪じゃ見ないけど
ところで卑弥呼も太白(周王族で呉の王)の子孫を自称したとかしないとか
そこで銅鐸人との関係が気になる
ここで鳥越憲三郎先生が越は百越なりと唱えたのが参考になる
つまり呉越の本拠地は浙江江蘇だがそもそも越人は非常に多くの部族に分かれ
もともと福建から山東までの沿岸部に非常に沢山の小国家を持ったのだという
そうだとすれば百越の一つが近畿に土着し後から温帯ジャポニカを持った別の越族が九州に来ても何ら不思議ではない
もっとも古い越人も温帯ジャポニカを持った方の越族もむしろ先住の縄文に融合して縄文人化したんだろね
こうして九州の縄文人と近畿の縄文人はしばらく別の道を歩み
ついに神武東遷で本格的にまみえることになると
>>879 もうハッキリ言うわ
今からでも日本の夜間中学校に入れてもらって勉強しろよ
>>872 突出した古墳の巨大さを考えるとそれもありかもしれんが
だけど当時、それだけの勢力を海を渡って展開、強襲できるとは思えん
カエルどころか喰うもん無くなったら我が子さえ喰う
状況の時代だと思うけどね それを断罪するとかしないけど
生物としては当然だし
様々な人々が渡来していたんだろう
夏、殷、呉越、秦、漢、etc
>>888 万葉の歌垣やハナイチモンメなどもそうですな
縄文晩期の遮光器土偶のモデルは皮の鎧を着た渡来人説もあるし
ツチガエルでぐぐったけど体長小さすぎん5センチとかどこ食うんだよ
昔の日本のカエルは小さいから、パフォーマンスが悪いだろ
代替の食材が出てくると、簡単に廃れた
>>889 もともとは出雲に島流しになった朝鮮人の罪人が集積したんだよ
そこから日本の歴史が始まる朝鮮人としてのね
>>1 「自分の小便で顔を洗う」と支那の史書に記された蛮人、ツングース系エベンキ族の穢(ワイ)族の子孫、劣等民族「エベンキ朝鮮人」が今の朝鮮人の正体。
もし今の朝鮮人が、劣等民族「エベンキ朝鮮人」ではなく、百済・新羅・高句麗の三国時代まで住んでいた、本来の”正統な朝鮮民族”だったら
5200万人もいるのに、ノーベル賞も宇宙飛行士も一人もいない、ロケットもまともなスパコンも誰一人作れない、火病(ファビョン)を発症したり、朝鮮学校で病身舞を踊らせる、などという
見下げ果てた劣等民族には成り下がってないんだわ。
>>889 泳げなくて船も満足にない半島民族がどうやって日本に来れるの?
倭の国はそばに阿蘇山があるよ
倭の国の西の海には島があり秦国があるよ
その島は中央に大山があってその山の東は毛人の国だよ
倭と日本は別種だよ
倭人は呉の太伯の子孫を称してるよ
中国の歴代史書が言う通り
倭国は九州にあって
本州には秦国
>>1があり富士山より東は毛人の国
>>890 中国と一緒にすんな
基本砂漠のあちらさんと違って日本は山に入ればなんかあるからな
豪雪地帯や中央集権国家ができるまではそんなに飢饉になることはない
>>891 ほぼ太もも
手羽先大量に消費するのと同じ感覚で脚食べてたんじゃね?
>>898 島流しは済州島に流されたおまエラの先祖
カエルの肉は鶏肉とよく言われる
タイに行けば屋台で稀に見る
ウシガエルは食用ガエルは有名な
子供の頃爆竹で遊んだ記憶しかないが
まあ日本人は蛇神を祀る蛇族の子孫だからな
カエルを食ったりお供えしたりするのはおかしくはない
★新羅本紀★
高句麗が調子乗り出すまで百済を瀕死にまで虐め抜いた残虐新羅が
当時の日本国にボッコボコにされている様子、朝鮮半島側の記録
戦後長い間、韓国忖度が続いてだれもが議論しなかっただけで
当時の百済人に呪われるほど憎まれた新羅が倭国人からボッコボコ状態
14年 倭人が兵船百余隻で海辺に侵入。
57年 4代王「脱解尼師今(一云吐解)立。時年六十二。姓昔。妃阿孝夫人。脱解本多婆那國所生。
其國在倭國東北一千里」脱解は多婆那国で生まれ、その国は倭国東北一千里にあり。(注:中国の1里は約400mであるので、一千里は400kmとなる。)
59年 夏の五月に倭国と友好関係を結んで修交し、使者を派遣し合った。
73年 倭人が木出島を侵して来たので、王は角干羽鳥を派遣して、これを防がせたが、勝てずして羽鳥が戦死した。
121年 夏四月に倭人が東の辺境を攻めた。
123年 春三月に倭国と講和した。
158年 倭人が交際のために訪れた。
173年 倭の女王卑弥呼が使わした使者が訪れた。(「二十年夏五月。倭女王卑彌乎。遣使来聘」)
193年 倭人が大飢饉となり千余人にも及ぶ避難民到来。
208年 夏4月、倭人が国境を侵す。奈解王は将軍昔利音に反撃させた。
232年 夏四月に倭人が金城を包囲。
233年 五月 倭兵が東辺を攻めた。
249年 夏四月に倭人が舒弗邯、昔于老を殺した。
287年 夏四月に倭人が一礼部を襲う。1千人を捕虜にして立ち去った。
289年 夏五月に、倭兵が攻めてくるということを聞いて、戦船を修理し、鎧と武器を修理した。
292年 夏六月に倭兵が沙道城を攻め落とす。
294年 夏 倭兵が長峯城を攻めて来た。
295年
春 王が臣下に向かって
『倭人が、しばしばわが城邑を侵して来るので、百姓が安じて生活することができない。
私は百済と共に謀って、一時海を渡って行って、その国(倭)を討ちたいが、皆の意見
はいかがか?」ときいた。
これに対して、舒弗邯、弘権が
「われわれは海戦に不慣れでございます。冒険的な遠征をすれば、不測の危険があることを恐れます。いわんや百済は偽りが多く、常にわが国を呑み込もうと野心をもっておりますから、かれらと共に謀ることは困難だと思います」と答えた。
王はこれを聞いて「それもそうだ」といった。
300年 春正月に、倭国と使者を派遣し合った。
312年 春三月に、倭国の国王が使臣をつかわして、息子のために求婚したので、王は阿飡の急利の娘を倭国に送った。
344年 倭国が使者をつかわして、婚姻を請うたが、すでに以前に女子を嫁がせたことがあるので断った。
345年 二月に倭王が、書を送って国交を断ってきた。
346年 倭兵が風島に来て、進んで金城を包囲して攻めて来た。
364年 倭人は多数をたのんで、そのまま直進して来る所を伏兵が起ってその不意を討つと、倭人は大いに敗れて逃走した。
393年 倭人が来て金城を包囲し、5日も解かなかった。
この後も新羅、百済の両国とも人質を日本に差し出し朝貢する日本の被支配国
>>873 下戸は飲めない酒を飲むことでアセトアルデヒドを体内に充満させて
その毒性によって水田作業における感染症を防ぐことができたんだよ!ゲコゲコ
蛙は食べてもいいけど、亀は食べない方がいい。
昔、知り合いの人がゲテモノ会で亀を食べて死んでしまった。
うまいのはアカガエル。
もものところが鶏肉に似てうまい。
>>913 横浜の中華街に行った時に亀ゼリーの缶詰売ってた
カエルとかゲテモノ食ってるのって渡来人部落だろ
そらマッチョな縄文人に滅ぼされますわ
>>872 顔立ちとかガタイとか全然別民族とか分からない?
俺は大体見た目でわかるけどね。基本的に韓国人は顔がデカイ。
女も下半身、特に太ももが大きい。背も高いしね。
日本人はもう少しきめ細やかな顔立ちしてるよ。
天皇家は華奢だしもっとほっそりしてる。
鶏肉みたいでカエル旨いらしいね
別に鶏肉あるし食べる気ないけどさ
食糧難のときに食ってみたら以外といける
でも七年くらいであたって死ぬやつがでて禁止で
でもやっぱ食糧難の時にの繰り返しだったけど
わりと結構な数が死んで本格的に全面禁止だったっけ
野生のはいいけど農耕近くのは毒を持つのでダメなんだかな
食べたことあるよカエル食用だけど
全然臭くなくてたんぱくで旨かった
>>902 山って日陰が多いから通常農業には適さんぞ
大学生のときに居酒屋でカエルの唐揚げを食べたな
ささみと似てた
「神への供え物にカエルが使われた」
そうか!
これで神の怒りをうけ滅びたんだな!
そのへんのカエル調理してみる番組で胃だか内臓に包丁入れた瞬間放たれた悪臭に悶絶してたな
捕まえやすいし、捕まえるの危険じゃないし、しかも結構美味しい
古代だと主要なタンパク源だったんだろうな
カエルの肉はおねしょに効くという事でばーさんに喰わされた事がある
鶏肉だよって騙された
>>913 ゲテモノ会は近所の池で捕まえてきた亀をそのまま鍋で茹でて食べたらしい。
たぶん、調理法に問題があったんだと思う。
>>921 山菜、木の実、魚、花(食える)、秋は果物
小さいコミュニティの方が餓死はしにくい
また九州朝鮮人が発狂してるのか
邪馬台国は畿内で確定してる
>>4 それは大いにあると想う。
おれんちの婆ちゃんは雨が降らないときに蛙の置物に水を掛けていた
邪馬台国は九州から畿内までを制圧してたから、ほぼどこでも邪馬台国だよ
>>937 バカですか
日本の山ほど何もない場所はないぞ
いっぺん山で暮せば分かるてか死ぬわ
諏訪大社に奉られているのは「建御名方」
建御名方の父ちゃんは「大国主」
大国主の嫁さんは「須勢理毘売命」
須勢理毘売命の父ちゃんは「スサノオ」
スサノオのねえちゃんは「アマテラス=卑弥呼」
ということは纒向は百済直系文化ということで邪馬台国ではない事が証明されてしまったな
当時朝鮮半島からの渡来人の主食はカエルだったと考えられるな。
両生類はこの世と異界を橋渡しする存在だからな・・・、千と千尋の神隠しでも境界にはカエルの像があったでしょ、あれは帰るって洒落じゃないんだよ・・・
理科の実験の解剖図みたくらいだけど
肉って太ももくらいじゃね
中国料理で食べたけどモモがほとんどで食うとこ少ないよ
あと美味くない
ほらあ
カエルを生贄にしてたってことは諏訪の勢力なんじゃないの?邪馬台国って
タケミナカタだよ
卑弥呼=タケミナカタ説勃発
>>938 ヤマト王権はなんで卑弥呼の存在を残さなかったの?
>>955 アマテラス=卑弥呼は、天皇の祖先ではなく
天皇は、アマテラス=卑弥呼に仕える官だったから
今で言えば、総理大臣が天皇制をぶっ壊して、天皇の地位に座ったようなもんだから
古代史は全く信用してない
近代史でさえわからない部分あるのに発見された遺跡だけで判断するのは無理
卑弥呼のことや日本の古代史が謎が多いのは天皇に不都合な事実があるため
日本の考古学会では常識
美味い美味いと言ってる人よ
どこ行ったら食べられるん?
フレンチやイタリアンの店では普通にあるよ。そしてそれが美味い
へぇ〜今度食べてみよう
テレ朝でやってるナスDの番組で女タレント達がカエルを美味い美味いと食べてたからちょっと気になってた
最古のヘイト、ただ魏に挨拶しに行っただけなのに
こんな邪馬台国だの卑弥呼だの忌み嫌う漢字で当て字されたんだから
夏前くらいに雨の時に大量発生する奴らが
それまでどこにいたのか分からない
昔食ってて
鶏肉みたいで美味いっていうのに
なんで食わなくなっちゃったかな?
九州と本州文化の集積地としてキュウシンリョクヲ高めるために新しい祭司が導入されるんだけど、それが古代信仰と鏡祭司の融合なんだよな
今回はそれが証明された
>>610 中国人や朝鮮人が鏡や剣などというありふれたものを家宝にするわけがないだろう
日本人がオシュレットを家宝にはぜったしないが、アフリカ人なら家宝にするかもしれないみたいなものだ。
>>829 もてなしで奥さん殺して食べさされるより、カエル選ぶわ。
勾玉も珍しい物という認識のある人達が王族だ。
つまり出雲や越が王族ではない。
>>909 >「われわれは海戦に不慣れでございます」w
何だよこれw
古代から韓国海軍は日本海軍と真逆で最弱だったのかw
海に弱くて泳げない海軍て
海峡40キロ越えただけの隣国なのに正反対の異民族の朝鮮半島人
纒向=道教の神仙思想に体系づけられた祭祀
邪馬台国=魏志倭人伝に鬼道と記された祭祀
邪馬台国と大和朝廷の祭祀は全く同じものと言える。
少女に擁立され引きこもった処女の巫女、骨占い、神宝の鏡、太陽神、政治は男弟
>>984 そだね
ホンモノつけてるたが縄文系倭人で、イミテーションでもいいからって偽物ガラスを身につけてたのが当時の朝鮮半島人
>>991 20年ほど前に半島に翡翠専門の学者が調査行くとほとんどが偽物ガラスだったんだろ
半島には工房もなかった
オモテナシで縄文系技術の工人を日本列島から呼び込むか強制連行してもいいのに半島に工房一つ持てなかったという半島弱者の歴史だね
>>987 DNAの観点から見て
弥生時代に関西に住んでた人は縄文系の人で奈良時代に関西に住んでた人は現代日本人
弥生時代に現代日本人に近い人が住んでた地域は北部九州地域
邪馬台国と大和朝廷の祭祀は全く同じものと言えるとすると
北部九州地域から大和朝廷を建国した人は移動したことになる
日本書紀の神武東征は史実であった可能性が高い事になるが
神武東征の時期は弥生時代以後、奈良時代以前の古墳時代と言うことになる。
弥生時代に
で、桜井線沿いの遺跡巡りって自転車でできるん?
飛鳥みたいに、レンタサイクルが駅前にあったりする?
鶏肉よりあっさりでおいしかった記憶
酒盛りのアテだったのかな…w
-curl
lud20250130101416caこのスレへの固定リンク: http://5chb.net/r/newsplus/1556180760/
ヒント:5chスレのurlに http://xxxx.5chb.net/xxxx のようにbを入れるだけでここでスレ保存、閲覧できます。
TOPへ TOPへ
全掲示板一覧 この掲示板へ 人気スレ |
>50
>100
>200
>300
>500
>1000枚
新着画像
↓「【古代】邪馬台国の人はカエルを食べた? 奈良・纒向遺跡で骨が大量出土 「神への供え物にカエルが使われた」 YouTube動画>2本 ->画像>16枚 」を見た人も見ています:
・【奈良】邪馬台国の有力候補地「纒向遺跡」の桃の種、かじられた跡なし 「桃が供え物として使われたことを裏付ける重要な成果だ」★3
・【邪馬台国畿内説が最有力に】〈動画あり〉卑弥呼の時代?纒向遺跡出土の桃の種 西暦135〜230年のものと判明 奈良・桜井市★9
・【邪馬台国畿内説が最有力に】〈動画あり〉卑弥呼の時代?纒向遺跡出土の桃の種 西暦135〜230年のものと判明 奈良・桜井市★13
・【邪馬台国畿内説が最有力に】〈動画あり〉卑弥呼の時代?纒向遺跡出土の桃の種 西暦135〜230年のものと判明 奈良・桜井市★12
・【奈良】唐古・鍵遺跡の古墳期に迫る、田原本で企画展 出土品など164点 邪馬台国の最有力候補地「纒向遺跡」との関係紹介★2
・【奈良】邪馬台国の最有力候補地「纒向遺跡」を考えるセミナー 「神社のはじまりと纒向の王宮・王権」テーマに神戸大教授講演
・【朝日】邪馬台国の有力候補地・纒向遺跡の論集に、奈良県桜井市がカンパを求める 返礼品は現地ツアー★3 [愛の戦士★]
・【奈良】邪馬台国の有力候補地「纒向遺跡」見える化 桜井市、建物跡に目印設置へ 900万円目標、ネットで募金
・【奈良】ヤマト王権誕生の礎、唐古・鍵遺跡 埋文センター長が本執筆、邪馬台国の最有力候補地「纒向遺跡」との関係など考察★5
・【奈良】ヤマト王権誕生の礎、唐古・鍵遺跡 埋文センター長が本執筆、邪馬台国の最有力候補地「纒向遺跡」との関係など考察★7
・【奈良】大和の地こそ邪馬台国に相応しい 箸墓古墳と纒向遺跡、大神神社★2
・【古代】三重・熊野灘沿岸で発見の土器片、邪馬台国の最有力候補地「纒向遺跡」で作成か 「ヤマト王権の航行おさえる拠点」★3
・【東京】纒向遺跡は邪馬台国か、箸墓は卑弥呼の墓か議論 東京で纒向フォーラム★3
・【歴史】邪馬台国「大和説」、最有力候補地「纒向遺跡」調査の考古学者・石野博信さん「やっぱり大和かなあとなっている感じやね」 ★4 [樽悶★]
・【新潟】東北と近畿、文化の境界 古墳時代の遺跡、続縄文土器出土 「新潟は邪馬台国から大和成立時の東西の動向が把握できる重要地点」 [樽悶★]
・【奈良】「ヤマト王権の基礎を作ったのが3世紀の邪馬台国の時代」 ヤマト王権、始まりは纒向 橿考研創立80周年記念講演会
・【歴史】奈良大学の小林教授が講演「邪馬台国の畿内説を前提に、女王卑弥呼の誕生地は唐古・鍵遺跡」と主張 ★2 [樽悶★]
・【奈良】古墳の鏡100枚超、邪馬台国の卑弥呼と関係か 専門家「邪馬台国の所在地だと考えるのは自然」「ヤマト政権への連続性が…」 ★6 [樽悶★]
・邪馬台国の日本人、韓国兄さんから「犬」贈られていた 縄文人は食べてなかったが弥生人は食ってた模様
・【緊急速報】 邪馬台国、大分説で最終決着 奈良って言い張ってた田舎者心肺停止wwww
・【邪馬台国】古代体感、施設整備を 大阪でヤマト王権シンポ「卑弥呼のクニを探る 唐古・鍵から纒向へ」
・【佐賀】「よみがえる邪馬台国」展、「豊前の国」に焦点 「九州と畿内との違いを、出土した遺物を見て比較してほしい」 [樽悶★]
・【佐賀】世紀の大発見!?「邪馬台国時代の墓」を発掘、有力者の墓の可能性も…吉野ヶ里遺跡の「謎エリア」で発見された石棺墓 ★10 [樽悶★]
・【佐賀】「よみがえる邪馬台国」展、「豊前の国」に焦点 「九州と畿内との違いを、出土した遺物を見て比較してほしい」 ★4 [樽悶★]
・【佐賀】世紀の大発見!?「邪馬台国時代の墓」を発掘、有力者の墓の可能性も…吉野ヶ里遺跡の「謎エリア」で発見された石棺墓 ★3 [樽悶★]
・【考古学】『国宝 翰苑の世界』 天満宮に残る唐の事典 邪馬台国の卑弥呼などが記される 関連する北部九州での出土品も展示 福岡 [ごまカンパチ★]
・【宮崎】邪馬台国はどこにあったのか、考古学者・北郷泰道さん講演 「北部九州の範疇の中に邪馬台国の所在地は絞り込まれる」
・【神奈川】三国志の魅力解説 歴史コラムニスト・上永氏が講演 孔明は「愚直の人だった」 邪馬台国など日本との関係にも言及
・邪馬台国、九州の大分県でした。「この鏡は邪馬台国のもので間違いないと思う。」
・【宮崎】邪馬台国はどこにあったのか、考古学者・北郷泰道さん講演 「北部九州の範疇の中に邪馬台国の所在地は絞り込まれる」★2
・【宮崎】邪馬台国はどこにあったのか、考古学者・北郷泰道さん講演 「北部九州の範疇の中に邪馬台国の所在地は絞り込まれる」★3
・【佐賀】鏡から探る邪馬台国の謎…吉野ヶ里歴史公園フォーラムで3氏講演、討論 「年代論の解決が邪馬台国論争の決定的な課題」 [樽悶★]
・【佐賀】鏡から探る邪馬台国の謎…吉野ヶ里歴史公園フォーラムで3氏講演、討論 「年代論の解決が邪馬台国論争の決定的な課題」 ★2 [樽悶★]
・邪馬台国伊都説・里程と日程は並列・平原遺跡卑弥呼
・【佐賀】「よみがえる邪馬台国」 豊前・宇佐地域の出土品を紹介する企画展 [樽悶★]
・「邪馬台国は滋賀県の彦根」 決定的証拠の出土で長年の論争についに終止符 キタ━━━━(゚∀゚)━━━!!
・【奈良】「乳房」描かれた弥生土器出土 「日本列島には女性が祭祀で活躍する土壌があり、卑弥呼誕生の歴史が分かる一級資料」
・【歴史】「卑弥呼は中国の魏と外交し、邪馬台国の南にある狗奴国と戦った」 古代日本における女性、妊娠・出産後も社会的地位を得ていた [樽悶★]
・邪馬台国九州説の人間は西と東も解らない朝鮮人
・【考古学】現代人でも至難の業! 卑弥呼の船はなぜ大陸から帰れたのか 「逆転の発想」から見えてくる邪馬台国 [すらいむ★]
・ハイキングウォーキングの「卑弥呼さまー!」ってネタおかしくない?あれ邪馬台国の農民の髪型なんだけど・・・
・【福岡】えっ!卑弥呼が眠っている?あの“邪馬台国”が赤村に!? 「邪馬台国が田川エリアにあったということになる」 [樽悶★]
・【徳島】「邪馬台国は阿波にあった」 徳島市のNPO法人が「邪馬台国阿波説」で地域活性化へ★2
・【考古】邪馬台国論争、モモの種が一石 「畿内説」強める
・【書評】まさに「偽史倭人伝」 あの邪馬台国は中韓が捏造した?★2[8/26]
・【考古学】約2700年前のユダ王国の遺跡を発見! 国の「税務署」として使われた施設だった(イスラエル) [しじみ★]
・【歴史】「鏡研究者側が疑問点をどんどん出さないと」 邪馬台国畿内説の論拠にも…三角縁神獣鏡、製作地論争 画期的「国産説」の登場
・【考古学】邪馬台国の勢力圏は北部九州限定だったと物証から推測 橿原考古学研究所で研究を重ねてきた坂氏 『倭国の古代学』 [ごまカンパチ★]
・【古代】邪馬台国「筑紫平野の連合」 数十のクニの一つ 「倭には三十国あり、そうした国々が共同で擁立したのが女王・卑弥呼」 ★5 [樽悶★]
・【歴史】卑弥呼の邪馬台国と争った国「狗奴国」が熊本に? 九州説に新解釈 ★3
・【歴史】邪馬台国は結局、「近畿」なのか? 「場所論争」の決め手は周辺遺構か金印か ★3 [樽悶★]
・邪馬台国ヤマト説
・邪馬台国四国説 part2
・邪馬台国畿内説 Part296
・邪馬台国畿内説 Part434
・邪馬台国畿内説 Part536
・邪馬台国畿内説 Part392
・邪馬台国畿内説 Part538
・邪馬台国畿内説 Part543
・邪馬台国畿内説 Part488
・邪馬台国畿内説 Part332
・邪馬台国畿内説 Part266
・邪馬台国畿内説 Part422
・邪馬台国畿内説 Part318
・邪馬台国畿内説 Part283
04:29:53 up 25 days, 5:33, 2 users, load average: 10.03, 9.34, 9.48
in 5.5235440731049 sec
@5.5235440731049@0b7 on 020718
|