琉球人の人骨が盗まれた沖縄本島北部・今帰仁村の風葬墓「百按司墓」(写真提供=筆者)
明治以降、政府の意向を汲んだ人類学者たちは、琉球やアイヌといった先住民族の墓から遺骨を盗んだ。その遺骨はいまも京都大学などに保管されている。遺族らは返還を求めているが、各大学は最近まで存在すら認めていなかった。なぜなのか――。
■京都大が「琉球人の人骨」を返還しない理由
今年3月、台湾台北市の国立台湾大学(旧台北帝国大学)がおよそ90年前に沖縄から持ち出されていた遺骨63体を沖縄県に返還した。
なぜ、国立台湾大学が琉球の人たちの遺骨を多数所有していたのか。その背景には、明治以降の日本において旧帝国大学の研究者らが担った役割を考える必要がある。
台湾大学は遺骨を返還したが、京都大学(旧京都帝国大学)は遺骨を返還していない。琉球民族遺骨返還研究会の松島泰勝代表(龍谷大学教授)ら5人は昨年末、遺骨を保管している京都大学に対して遺骨返還と損害賠償を求める訴えを京都地裁に起こした。
返還を求める遺骨は、京都帝国大学の助教授だった人類学者の金関丈夫(1897〜1983年)が、1928〜1929年に沖縄本島北部・今帰仁(なきじん)村の風葬墓「百按司(むむじゃな)墓」から研究目的で持ち出した26体である。
原告らは京都大学に情報開示と遺骨返還を求めたが、拒否されたため提訴に踏み切り、遺骨が本来あるべき場所にないため、憲法が保障する信仰の自由や民族的、宗教的「自己決定権」が侵害されたと主張している。
求めた損害賠償は原告一人あたり10万円。金関が墓を管理する親族らの許可を得ずに盗掘し、京都大学が人骨標本の研究材料として権限なく占有している、と訴えている。
■文科省は旧帝国大が保管の琉球人遺骨の調査・返還をしてない
この問題を取材してきた琉球新報編集委員の宮城隆尋はこう解説する。
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■「遺骨を収集し、人骨標本とし京都帝国大学に寄贈した」
宮城は琉球新報(2017年2月16日付)の一面トップと社会面、特集で百按司墓から持ち出した琉球人遺骨が京都大学に少なくとも26体、国立台湾大学にも33体の琉球人遺骨が保管されていると報じた。
宮城が続ける。
「いずれの大学も琉球新報の取材に答えていませんが、金関氏の著書に『遺骨を収集し、人骨標本とし京都帝国大学に寄贈した』との記載があります。また、今帰仁村教育委員会の04年の調査報告書にも、『百按司墓から研究目的として持ち出された遺骨が京都大学と台湾大学に寄贈されている』との記載がありました。台湾大学の遺骨は、金関氏が当時日本領だった台北帝国大学医学部教授に就任したことで、同墓や沖縄県内で採取したとみられる遺骨が持ち込まれたのでしょう」
■なぜ、アイヌや琉球の人骨は盗掘されたのか
では、なぜ、アイヌや琉球の人骨は盗掘されたのか。宮城は言う。
「アイヌ民族や琉球人の遺骨が全国の大学に長期間にわたり保管されている背景には、人骨を標本として収集することが盛んだった時代の人類学研究をめぐる状況がある。19世紀に欧州で比較解剖学や形質人類学が生まれ、研究者が世界中の人骨の主に頭蓋骨を計測し、比較して人種の違い、進化の道筋を論じる動きが広まりました。受刑者や先住民の骨も研究の対象とされたのです」
アイヌ民族は容姿が欧米人に似ているとされ、研究の的になったことから、許可を得た発掘を含めて明治の初めから100年近くにわたって墓地が掘り返された。
だが現在、こうした当時の研究に学術的意義は見出されていない。宮城がその背景を語る。
「遺骨の収集には多くの研究者が関わり、アイヌと琉球だけでなく全国各地の日本人や朝鮮人、中国人、台湾先住民、東南アジアの先住民なども研究の対象とされました。その成果は、学術誌の論文や一般誌の記事として幅広く発表されました。多くの論文は、日本人以外の体格的な特徴や文化的風習を挙げて、日本人の優秀さを裏づける根拠とした。こうした研究が戦前の植民地主義的な国策を支える役割を果たしたことを、複数の研究者が批判しています」
論文は、アジアの人々と日本人のルーツは同じで、日本人が優秀だから日本が統治する、といった趣旨で、日本の対アジア侵略戦争や「大東亜共栄圏」を正当化する当時の政権側に極めて都合のいい内容だった。(続きはソース)
4/25(木) 9:15配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190425-00028508-president-soci