【インパール時事】インパール作戦での日本軍の撤退から75年が経過し、当時を知る地元住民は少なくなった。
英領インド兵として攻防戦に参加したニングラム・タングクルさん(95)は「ただ怖くて夢中で銃を撃った。日本兵の多くは餓死したと聞き、とても気の毒に思っている」と語り、平和の大切さを強調した。
タングクルさんはインパール地方でも「かなり田舎」の村出身。当時は地元を離れる手段が少なく、「軍に入れば新しい世界に行けると無邪気な気持ち」で1943年にライフル部隊に志願した。
翌44年にインパール作戦が始まると、森に掘った塹壕(ざんごう)から日本兵と銃撃戦を展開した。「銃弾が飛び交う中、死にたくなくて銃を撃ち続けた。銃撃音も何も覚えていない」
幸い、自分の周囲では戦死者は出なかったが「英国と日本、外から来た人たち同士の戦い」に巻き込まれたと感じている。「今は軍に入らなくてもどこへでも行ける時代。もう戦いはたくさんだ」と言葉を絞り出した。
時事通信社 6/22(土) 21:30
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