0001樽悶 ★
2019/09/19(木) 19:04:40.57ID:Ns4fcm3J9※省略
こうした普通の生活圏とは言い難い、つまり、その気になって出向かなければ行き着かない原産地の石材が、後期旧石器時代の初頭から早くも広範囲に行き渡っているのだ。和田峠産が関東南部へ、神津島産が本州中部へ、というふうに。
「シャープなエッジができる緻密な石の情報を持つ人たちが、朝鮮半島から日本列島に着いてすぐ石探しをしたのでしょう。石材は(食料獲得の)生命線。切れ味のいい石をすぐ見つけないと生き死にの問題になる。そう時間がたたないうち、最初に来た人たちなら、その一生の中に収まるような時間のうちに、次々と発見していったのでは」と堤さんは考える。(続きはソース)
毎日新聞 2019年9月19日
https://mainichi.jp/articles/20190919/dde/014/040/002000c?inb=ra