自分は元々新卒でパチンコ屋の社員になった。その後はパチンコ・パチスロ解析攻略サイトでも仕事をしていたこともあり、最近はパチンコに関するコラムをよく書いている。
実際パチンコを取り巻く環境や人の生きざまというのは、興味深いものだ。泣きながら祈るように、借金で遊技をする人。その人をドン引きしながら見守る従業員。そういう人間模様を見つつも外車を乗り回せている店長に、その店長へ新台の導入をあの手この手でおねだりするメーカーの営業マン。
パチンコホールには独特の人間の黒い部分がしとどに詰まっていて、見る分にはそりゃあ最高だった。(文:松本ミゾレ)
■「春一番」の攻略で一躍有名に 当時はテレビでも特集されていた
ところでみなさんは、パチンコ攻略集団の「梁山泊」をご存じだろうか。1990年代に全国各地のパチンコホールで、独自の攻略法とやらを用いて出玉をぶっこ抜きまくったプロ集団だ。全盛期には半年で2億円稼いでいたという。
関西に本拠地を持ち、全国に名を轟かせた梁山泊。何がそんなに凄いのか。その理由は、ゴト行為などの不正をしないで、90年代当時のまだまだ攻略のし甲斐のあったパチンコ台を文字通り"攻略"し、大当たりの嵐を巻き起こしていたからだ。「春一番」という人気機種を攻略して一躍有名になった。
当時の「梁山泊」の攻略する様子を知る人曰く「数人で突如ホールに来店し、同じ機種に座って一瞬で大当たりさせていた」という。しかもその大当たりは延々続き、たちまち彼らの背後にはドル箱の山が築かれた。
そして梁山泊は基本的には短時間でのぶっこ抜きを是とし、長々と店に居座ることはなかったとも言われている。だからある意味では、彼らのこの攻略ショーが一つの娯楽として、その場に居合わせた遊技客の目を楽しませ、溜飲を下げさせた部分もあるのではないかと推測する。
梁山泊の活動当時はテレビでもその動静が特集されており、全国のパチンコファンを熱狂させるとともに、各地のパチンコホール店長を戦々恐々とさせた。
さて、僕が全国規模でホールを展開する企業に高卒で入社したのが2003年のこと。この時には既に梁山泊はパチンコ攻略集団としての活動はしていなかったようだが、それでも「梁山泊」という名前は早い段階で上司から知らされた。そう考えると、あの業界においては相当な影響力を持つ集団だったということがうかがい知れる。そしてつまり「梁山泊」という名前自体に価値があった。
ところがその当時、具体的に彼らの活動が気になってネットで調べてみると、胡散臭い攻略法販売についての情報ばかりがヒットしていた。が、これは本家の梁山泊とは何ら関わりのない団体による商売だったようだ。
2000年代には「梁山泊」という肩書きを使った同名のパチンコ攻略法販売会社が、2000年代には複数存在していた。元祖攻略集団の梁山泊は既に活動していなかったが、「梁山泊」を名乗るガセ攻略販売会社は、あの当時いくつかあった。
実際、当時のパチンコ雑誌なんかは今よりももっと数が多かったが、大半はガセ攻略を販売する会社の広告で占められていた。雑誌によっては攻略記事などほとんど掲載されておらず、攻略法詐欺とサラ金の広告だらけという粗末なものまであった。そういうインチキが金になる時代だったのだ。かの梁山泊の名前をかたる面々が多かったのも、仕方ない。
■かつては、台の"欠陥"をついた攻略法が確かに存在していた
ちなみに2003年当時、攻略法の存在なんてありえないと思っていた僕が、ためしに本社のおじさんに「攻略法なんて本当はないんですよね?」と質問したことがある。するとこのおじさんは普通のテンションで「あるよ、ある」と答えた。
実際、社員研修ではゴト装置を使って不正に台の設定を変える手口があることや、中国人が徒党を組んで荒っぽい不正をした事例などが紹介されていた。しかしそれらは犯罪であり、厳密には攻略法ではない。
だから僕は、その本社のおじさんの肯定の言葉に対しても「田舎の若者だと思って担いでるズラ」ぐらいにしか思っていなかった。
ところが、それからほどなくして『ゴールドX』というパチスロ機が自店に導入されることになった。この機種がなんと、非常に簡単な手順を踏むだけでメダルが出てしまうという欠陥機。それに…
(以下略、続きはソースでご確認下さい)
2020年1月3日 8時0分 キャリコネニュース
https://news.livedoor.com/article/detail/17613332/
画像
実際パチンコを取り巻く環境や人の生きざまというのは、興味深いものだ。泣きながら祈るように、借金で遊技をする人。その人をドン引きしながら見守る従業員。そういう人間模様を見つつも外車を乗り回せている店長に、その店長へ新台の導入をあの手この手でおねだりするメーカーの営業マン。
パチンコホールには独特の人間の黒い部分がしとどに詰まっていて、見る分にはそりゃあ最高だった。(文:松本ミゾレ)
■「春一番」の攻略で一躍有名に 当時はテレビでも特集されていた
ところでみなさんは、パチンコ攻略集団の「梁山泊」をご存じだろうか。1990年代に全国各地のパチンコホールで、独自の攻略法とやらを用いて出玉をぶっこ抜きまくったプロ集団だ。全盛期には半年で2億円稼いでいたという。
関西に本拠地を持ち、全国に名を轟かせた梁山泊。何がそんなに凄いのか。その理由は、ゴト行為などの不正をしないで、90年代当時のまだまだ攻略のし甲斐のあったパチンコ台を文字通り"攻略"し、大当たりの嵐を巻き起こしていたからだ。「春一番」という人気機種を攻略して一躍有名になった。
当時の「梁山泊」の攻略する様子を知る人曰く「数人で突如ホールに来店し、同じ機種に座って一瞬で大当たりさせていた」という。しかもその大当たりは延々続き、たちまち彼らの背後にはドル箱の山が築かれた。
そして梁山泊は基本的には短時間でのぶっこ抜きを是とし、長々と店に居座ることはなかったとも言われている。だからある意味では、彼らのこの攻略ショーが一つの娯楽として、その場に居合わせた遊技客の目を楽しませ、溜飲を下げさせた部分もあるのではないかと推測する。
梁山泊の活動当時はテレビでもその動静が特集されており、全国のパチンコファンを熱狂させるとともに、各地のパチンコホール店長を戦々恐々とさせた。
さて、僕が全国規模でホールを展開する企業に高卒で入社したのが2003年のこと。この時には既に梁山泊はパチンコ攻略集団としての活動はしていなかったようだが、それでも「梁山泊」という名前は早い段階で上司から知らされた。そう考えると、あの業界においては相当な影響力を持つ集団だったということがうかがい知れる。そしてつまり「梁山泊」という名前自体に価値があった。
ところがその当時、具体的に彼らの活動が気になってネットで調べてみると、胡散臭い攻略法販売についての情報ばかりがヒットしていた。が、これは本家の梁山泊とは何ら関わりのない団体による商売だったようだ。
2000年代には「梁山泊」という肩書きを使った同名のパチンコ攻略法販売会社が、2000年代には複数存在していた。元祖攻略集団の梁山泊は既に活動していなかったが、「梁山泊」を名乗るガセ攻略販売会社は、あの当時いくつかあった。
実際、当時のパチンコ雑誌なんかは今よりももっと数が多かったが、大半はガセ攻略を販売する会社の広告で占められていた。雑誌によっては攻略記事などほとんど掲載されておらず、攻略法詐欺とサラ金の広告だらけという粗末なものまであった。そういうインチキが金になる時代だったのだ。かの梁山泊の名前をかたる面々が多かったのも、仕方ない。
■かつては、台の"欠陥"をついた攻略法が確かに存在していた
ちなみに2003年当時、攻略法の存在なんてありえないと思っていた僕が、ためしに本社のおじさんに「攻略法なんて本当はないんですよね?」と質問したことがある。するとこのおじさんは普通のテンションで「あるよ、ある」と答えた。
実際、社員研修ではゴト装置を使って不正に台の設定を変える手口があることや、中国人が徒党を組んで荒っぽい不正をした事例などが紹介されていた。しかしそれらは犯罪であり、厳密には攻略法ではない。
だから僕は、その本社のおじさんの肯定の言葉に対しても「田舎の若者だと思って担いでるズラ」ぐらいにしか思っていなかった。
ところが、それからほどなくして『ゴールドX』というパチスロ機が自店に導入されることになった。この機種がなんと、非常に簡単な手順を踏むだけでメダルが出てしまうという欠陥機。それに…
(以下略、続きはソースでご確認下さい)
2020年1月3日 8時0分 キャリコネニュース
https://news.livedoor.com/article/detail/17613332/
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